○米原
委員 長官のおっしゃったことはたいへんけっこうだと思うのであります。いままで実際行なわれた点では、住民にかなりそういう声がありましても、いろいろないきさつもあるでしょうが、耳を傾けないということをむしろ強調する方も
大臣の中におられたわけです。その点で
通産政務次官に残っていただいたのですが、一昨年の十月七日にこの
委員会で自民党の
委員の方から、火力発電所の
建設反対の運動が起こっている問題について実は質問があったのです。こういうふうに言っておられるのです。発電所の
建設それから
公害を伴うおそれのあるような重化学工業の立地に対する反対運動も起こっているし、知事や市長なんかも半ば公然とそれを反対だと言っているというような問題がある場合についての
大臣の見解を、自民党の、与党のほうの
委員の中から聞かれたのです。ところが、当時の通産
大臣は宮澤さんのときですが、住民のそういう問題のとらえ方はしばしば情緒的であり、感情的である。つまり国策のあり方といいますか、そういうものに反するものがあるという
意味でしょうが、理性的でないと言うのです。そういうことをおっしゃったのです。それでこれは私は全く憤慨したのですが、そういう
考え方でこの問題に臨まれては困る。
もっと具体的に言いますと、同種類の質問は各党からいろいろな形で当時出たのです。
公害国会の当時です。やはり一昨年の十二月、
公害国会のときですが、参議院のほうで私たちの共産党の須藤議員や岩間議員が、これは予算
委員会でも同じような質問があったと思うのですが、例の関西電力の宮津火力発電所の立地問題、この場合も確かにいろいろな複雑な事情があるのですが、この問題について聞かれた場合にも
——この場合は一応宮津の市議会では誘致することがきまったという経過もあるわけですね。市長も誘致したいと言ったので、市民、住民の意思といわれても、市民の意思というものは結局市議会の決定とか市長の意思とかそういうものであらわれるのであるから、市議会の議決は市民の意思ではない、市民の意思はほかにあるというような議論には憲法のたてまえ上賛成できないのだという
態度で拒否されたのです。しかし、憲法のたてまえということになると、やはり
国民に主権があるということが根本だと思うのです。その
立場から議会制民主主義というものもそもそもできている。議会で議決したということも、場合によっては誤った議決はしばしばあるわけですし、現に今度の
四日市裁判では、議会の議決で誘致した、工場誘致条例にそもそもあやまちがあるのじゃないかというふうに
裁判のほうから言っているわけですね。つまり形式的には、議会が議決してそれが一応住民の意思を代表するということはいえるとは思うのです。そういうものは尊重しなくちゃならぬ。しかし、
事態が進展する中でそれと反対の
住民運動が起こることもまた当然だと思うので、だからこそ直接請求権とか、あるいは議会を解散して総選挙をやるとか再選挙をやるとかそういうことは同時に含まれているわけですから、一ぺん議会で議決したらこれがもう絶対だということでいったのでは、住民の意思が発展し変わってきた場合には対処できないことになるわけです。こういう点を痛感するわけで、そういう点も含めて、たとえ議会が一応形式的には多数で議決した場合でも、明らかに住民の
考え方が変化してくるという中で議会の議決と反対の問題が起こることはしばしばあると思うのですね。そういう場合にどちらが真の住民の意向を代表しているか判断するということが議会政治家の重要な任務じゃないか。
先ほど
島本虎三委員が質問しました北海道の伊達火力発電所の問題、私たち昨日一人の、これは反対派の人ですが、伊達の市
会議員の人から陳情がありまして、事情を聞いたのですが、確かに市議会では一応決議はした。しかし、反対の署名運動が二万幾らというのですから、とにかく調べてみると有権者のほぼ半数以上の署名がすでに集まっているような強力な
住民運動が起こっているのですね。その場合に北海道の議会のほうでかってに強行採決なんかやってやるというようなことで火力発電所をつくるということになりますと、これはたいへんな禍根を残すことになる。そのあたりが実際の問題として、住民の意向を尊重する、尊重して、聞いて納得
——実行する場合だって納得させなければなりませんが、一応市議会できまって、さらに今度は道議会でそれを確認したら、何でもかんでも強行するのだというようなやり方は、こういう問題では慎まなければならぬ点じゃないか。そういう点でひとつ
——通産政務次官の前に通産
大臣のほうがそういう
発言もあったようですから、今度内閣がかわりまして、その点についてどういうふうに今後通産省はやっていかれるかを通産省の
責任として答えていただきたいのです。