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羽生三七君 十年か二十年先にいけば、先ほど長官からお話しがあったように、いまでも、それは
社会資本の充実は要求されておるけれ
ども、また、
社会資本の拡大が個人の
福祉につながることは当然ですけれ
ども、当面、しばらくの期間を想定するならば、私は、狭義の社会
福祉といいますかね、たとえば
年金の充実とか医療の充実、あるいは給与の改善とか、そういう個人の所得面での
福祉、それを拡大することが当面しばらくの私は要請ではないかと思うんですね。それは
社会資本の拡大は、回り回って個人の
福祉につながるには違いないけれ
ども、いま要請されておるものは、個人消費支出をさらに伸ばすという
——もしそれをやらなかったならば、これは通産省にむしろ
関係のある問題ですから、多くは申し上げませんが、結局、外貨のたまり過ぎをチェックすることは非常に困難だと思います。だから、外貨のたまったあとにまた、あわてて円切り上げをどうするとかこうするとか、第二の外為創設とか、そういうことをあわててやらんならぬことになるわけですね。ですから、私は、当面、
均衡のとれた、国際的にも
均衡のとれた経済運営をやっていこうと思うならば、いま言ったことが、私申したことが重点になると思う。そこで、選択の基準は、私はあくまで
福祉を
中心としてここしばらくは
年金の充実とか、いま申し上げたような問題が優先されるべきだということ、これが第一。
時間がないんで簡単にしますが、第二点は、先ほど申し上げたように、基本的な
方向をだれが選択するのかということです。たとえば従来のように、財界や官界が自主的な決定を行なって、
政府は
答申を受けて閣
議決定をするという、そういうやり方ですね、従来は、いま試算をされておるけれ
ども、それは審議会なんかに出すための試算、それは向こうにまかせるわけですね。そうでなしに、重点を設定をして、こういうことで試算をやってみろという、そういうことでないと、従来の
計画と実績との乖離ですね、実績が
計画を六割も上回った。今度は逆に、経済社会発展
計画のように、実績が
計画を大幅に下回った場合もある。こういう驚くべき実績と
計画との乖離を生じておるわけですね。ですから、先ほどの私の第一に申し上げた基準の問題と、今度のような場合、新しい経済
計画を策定される場合には、若干の作業をして、あとは審議会にまかせるのでなしに、
政府自身が決定的な基本方針をきめて、これで作業をしてくれと、出てきたものの中でどれを選択するか、それを
政府なり
国会が十分論議をして私は最終決定するようなことにしなければ、また、
計画と実績との乖離が依然として起こるんではないかと思いますので、その辺のひとつお
考えを承りたいと思います。