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佐々木静子君 この
資料が大臣のほうに……。いずれ御検討の上、また機会を見て御見解をお述べいただきたいと思うわけでございますが、この
恩赦の性格の中に、これは
刑事政策的な
意味も多分にあると思うということを大臣もおっしゃいましたし、また、不平等な判決を平等化する、あるいは裁判というものが非常に慎重に行なわれていることはもうよくわかるわけでございますが、何ぶん数が多く、裁くのが
人間であるということから、いろいろな不測な事態が起こっている。そういう
人たちを救済するというふうな
意味も含まれているのではないかと思うのでございます。
たとえば、これは私が若干タッチした事件でございますので、わかるわけでございますが、
昭和二十六年に起こった八海事件などにおきましては、その主犯といわれて起訴された阿藤という人は、一審、二審がともに死刑判決で、最高裁で差し戻しになり、第二回目の控訴審で四回目の判決が無罪であり、再び最高裁で差し戻しを受け、そして第三回目の控訴審、六回目の判決は死刑判決であり、しかも七回目、三度目の上告審で無罪が確定したというような例もございまして、この同じ
人間が三回も死刑の判決を受けている。ところが、現在におきましては、この真犯人が、彼は全然
関係がなかったのだということをはっきりと証明いたしておりまして、こういうふうな全然
関係のない
人間が三回も死刑の判決を受けるということが、やはりたくさん数ある裁判のうちには起こるという事態を
考えますと、私は、この裁判というもののおそろしさを痛感するわけでございますが、こういう問題から
考えまして、実は長い間死刑の判決を受けたり、あるいは無期懲役の判決を受けたままで苦しんでいるという
人たちがおられます。たとえば、占領下の混乱期に、
昭和二十二年の五月に起こった西武雄さん、あるいは石井健治郎さんらを犯人と断定したところの福岡事件というのがございます。これは西さんには死刑の判決が出ております。
昭和二十三年一月二十六日に起こった帝銀事件におきましては、平沢さんが死刑の判決を受けたままになっております。また、同じ年の十二月二十九日に態本県で起こった免田事件の犯人とされている免田栄さんも、死刑の判決を受けたまま現在に至っております。また、
昭和二十五年の四月、三鷹市の牟礼神社で起こったいわゆる牟礼事件で犯人とされ、死刑の判決を受けて現在に至っておる佐藤誠さんという方もおられます。
このような方々は、事件当時は事情が十分にわからないままに真犯人だと思われておったわけでございますが、いまでは、この事件の真相というものも
国民がもう知っている。少なくとも、これらの事件に
関係のある
人間は真相はどうであったのかということを知っている。まあ、たとえば帝銀事件などを例にあげますと、法曹人の中では、これはもうタブーである、お互いに平沢さんのことはもう口にしないというふうな零囲気になっておるわけでございます。こういう
人たちを救済するために刑事訴訟法上再審の規定がございますが、これは大臣も御承知のとおり、非常に門戸が狭うございまして、再審でその判決をひっくり返すということはなかなか困難なことでございます。それで、その再審の特例法案を提出しようということで、
昭和四十四年七月八日に
衆議院法務委員会にそれが提案されたことがございますが、これはいまの
前尾法務大臣じゃございませんが、時の
法務大臣が、再審法案にかわる
恩赦法の適用を
考えているということを明らかにされ、そして現在に至っているわけでございます。
大臣は、この誤った国家権力の行使に、死と直面して、長きにわたっては、もう二十年以上も死と対決しているこの気の毒な
人たち、もう冤罪に泣いているということ間違いないこれらの
人たちを救済するために、この
恩赦において誠意と良心をもって臨んでいただきたい。ぜひとも国家権力が責任をもって
国民のための
恩赦を行なっていただきたい。私はそのように特にお願いしたいと思うんでございますが、この
人権保障と
恩赦ということに関連いたしまして、大臣はどのようにお
考えでございますか。