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公述人(川野重任君) 御紹介いただきました川野でございます。本日は、
公述人といたしまして
意見を申し上げる機会を与えていただきましたことを、厚く御礼申し上げます。
私に課せられました問題は、農業
関係の
予算についての
意見の開陳かと存じますが、一々こまかい
予算の細目に立ち入っての
意見を述べることは、私といたしましても準備もございませんし、また、問題はむしろその
予算編成の根本並びに運用についての
問題点こそ問題かと存じますので、そういう観点から、かねて考えておりますることを御披露申し上げて、御参考に供したいと存じます。
端的に申しまして、本年度の農業
関係の
予算が一般の
予算の伸びに応じまして
規模の拡大をみておりますることにつきましては、国全体の中での農業の地位の相対的な低下という観点からいたしますると、それなりに
予算編成上力をいたされたものと、こういうふうに了解をいたします。ただ、
内容を拝見いたしますると、一体、全体としてどこに農業を持っていくのかということについてのビジョンがよほどよく考えませんと読み取りにくいという点なきにしもあらずという感じがいたします。個々には、たとえば農業の団地の形成をはかるとか、あるいは流通改善の点に力をいたすとか等ございまするけれども、他面におきましては、長い間の米の管理の問題等については必ずしも新しい姿勢が示されていないというところから、積極的に新たなものが加わるという点では目を引きまするけれども、従来の古いものを含めて全体の整理がどうなされているのかということについては、必ずしも十分に読み取りがたいものがなきにしもあらずであります。
そこで、そういった問題についてどんなふうなことを考えたらよろしいかということでございますが、たいへん大まかな話になりまするけれども、私はこういうふうに考えております。それは、今日の農業というのは、もはや農業だけを取り上げて考えるということは
予算編成上も妥当でないのではないかということであります。もっと具体的に申しますると、十年前もしくは二十年前の農業問題は、食糧の確保ということが問題であり、それからさらに、その次には、農業と非農業との所得の格差の是正ということが問題であったのでありまするけれども、今日におきましては、その農業につきましては、緑の保全とか、あるいは国民生活上の安定の要因としてこれを考えるという考え方がかなり強くなってきております。
他面におきまして、国際的には、外国から援助を受けるという立場において食糧の自給確保の問題等も取り上げられたのでありまするけれども、今日におきましては、むしろ高度成長を遂げた国といたしまして、対外的に援助をしなければならぬ、あるいは援助をしようという体制を強く打ち出しているという状態でありまするが、その対外的な姿勢の
転換に応じまして当然国内の農業に対する措置も変わってしかるべきかと思うのでありまするけれども、そういう観点から考えてみる場合に、どのように基本線が打ち出されているかということが問題なわけであります。
まず、具体的に私見を申し上げますると、その
意味で、農業は、あるいは対外
政策の一環としての性格も免れない、あるいは国土の保全という観点からの措置も当然考えなければいかぬ、さらに土地利用の
合理化いう点からもこれを考えなければいかぬということで、いわば農林省が農業だけを考えるという時代というものが去りまして、まあ言ってみますると、国土と申しますか、国土保全、国土維持というところまであるいは入ることが必要ではないかという感じすら持っておるのでありますが、その場合の
問題点をどう考えるかということでございます。
第一に、と申しますか、農業に対する措置のしかたとしましては、およそ私は二つの観点があるかと思いますが、
一つは、効率性を高めるという観点であります。それからもう
一つは、安定性という条件を農業の中にいかに認めていくかということであります。
まず、第一の効率性ということは、言うまでもなく、農業も
経済の一環といたしまして
生産性が高くなければ生活上困る。何をおきましてもまず
生産性を高めることであるということでありまするし、この観点は従来から強く打ち出されてきておるところでありまするけれども、中身につきましては、まず第一には、国際的な農業としまして日本の農業が深く組み込まれるに至っておるということを注目すべきかと思っております。よく日本では農業保護主義が強過ぎると、また、農業の産物の
価格が高いために農地の
価格が高い。それがひいて
地価を高める要因になっている。これが
経済全体の発展に障害となっているというふうな考え方もあるようでありまするけれども、私の考えではむしろ逆でございまして、確かに米について言う限り保護主義という色彩が強いのでありまするけれども、成長農産物、特に畜産物につきましては、完全に国際化しているということを言わなければいかぬかと思っております。そういう
意味では、日本の農業構造というものは二重構造を持っておると言いたいのであります。その二重構造の一端は、国際的な
価格で関税等の
負担なくして外から安いえさが入ってくる、その輸入えさの上に大
規模の畜産というものがあるいは養豚、養鶏等の面で発展をいたしまして、これが国内において年とともに
需要の高まるところの畜産物の
需要に対応しておる。その結果、この十年来ほとんど卵のごときは値段が上がっておりませんで、国際的にもおそらく一番安い農産物として日本が対外的に誇示し得るものではないかと、こう思っております。そういう点からいたしまして、この局面を無視することはもちろんできませんし、その面での合理性というものは一そうこれを推進すべきであろうと思っております。
さらに、これは国際化という点とはちょっと違いまするけれども、従来、土地を使う農業については、
規模拡大ということが言われてきたのでありまするけれども、最近では、実態は、むしろ逆に、
資本を使うという農業が急速に発展をしておりまして、これがいわゆる
施設園芸というものになっておるかと思います。この
規模につきましても、もう国際的には日本が一番大きな
規模で
施設園芸をやっているということを伺っておりまするけれども、これも日本人的な知識というものがここで
開発されまして、いわば日本独自の手の込んだ、つまり、土地をなるべく使わない、頭と
資本財とを使うという農業になってきておるかと思うのでありますが、これはあたかも畜産物の場合において大
規模のブロイラーあるいは養豚等の
生産が行なわれている場合と同じだと思っております。その
意味で、土地をなるべく使わないという農業が発展をしてきたということを注目する必要がありまするし、そのことが、同時に、農地の
価格というものを相対的には――といいますのは、つまり農産物の
価格よりは相対的に引き下げるという
効果を持っていると私は見ております。ただ、まあ比較的に農産物の
価格の趨勢に比べて割り高になっておりますのは関東地区でございますが、これはおそらくは関東一円が
工業化の対象となっているというところから、その面からくるところの影響ではないかと、こういうふうに思っております。したがいまして、
資本集約的また
技術集約的といった面での農業の一そうの推進をはかるということが、効率性を高めるという面での
一つのあるべき
政策であろうと思うのでありますが、この点につきましては、私は、特に農業
技術の研究に対する一そうの投資の
増大ということを
一つ要望しておきたいと思っております。戦後、たくさんの農科大学等が設けられておりまするが、そのときには日本の農業人口が国民の約四割五分という状態で、今日御存じのとおり、それが三分の一に下がっているという状態であります。けれども、農科大学の卒業生というものは、ほとんどそのまま出てきた。その結果、いわば学問をした者が就職の後におきましては、必ずしも習得した研究、
技術、能力というものが生かされてないということで、たいへんに私は国民
経済的にはロスではないか、こう思っておりますが、それを生かす
意味でも農業
技術の試験研究というものについては、もっともっと投資がなされてしかるべきではないかと思っております。試験
研究費としまして、おそらく二百数十億の
予算が計上されておるかと思っておりますが、農業総
生産は四兆円に余るという状態であります。二百何十億円と申しますと、これは人件費は別でございまするけれども、東大の
一つの国家機関としての
予算というのが二百何十億かと思っておりますが、存外に私は試験研究に対する投資というものが少ないんじゃないか、こんなふうな感じがするわけであります。その点でこの点を
一つ申し上げさしていただきたい。
第二には、今度は過去の投資をいたしましたものを効率的に生かすということがやはり
生産性を高める要因だと思っておりますが、この点につきましては端的に申しまして、過去に農業投資、特に土地投資について相当の投資が行なわれておりまするけれども、これが例の米の減反、作付
転換によりまして必ずしも生かされてないという事態、特にこれがいわば一律割り当てという形に事実上なっているというようなところから効率の高いところも低いところも、なべて減反の対象になるというところから一種の虫食い状態的な土地の荒廃というものが起こってきておるということも否定しがたい事態でありますが、この点は私は前からいろんな機会に申し上げておりまするけれども、それが過去の投資を非常に無にしておるという感じが強いのであります。これをもっと効率的に生かすためには、どういうことが必要であるか、今度の
予算でも農業団地の形成ということを言っておられまするけれども、その農業団地というのは、つまり地域的にまとめて
生産をするということかと思うのでありまするけれども、いまのような減反には一定の奨励金がつく、それには従来の小作料からすると、かなり高いものであるというふうな体制のもとにおきましては、なかなか一定の地域の土地が全部まとめて団地に組み込まれるということについては、支障が多いのではなかろうかという感じがするのであります。実態を見ましても、たとえば休閑だけではない、作付
転換をするために、
転換したやつにはさらに五千円ぐらい反当よけいやるというようなこともあるようでありまするけれども、これもところによりましては
転換の体制に種をまいたという形では示しておりますが、さて行ってみますると、
あとは草ぼうぼうというようなことでもって、
転換が必ずしも実ってないというような形でありますが、これは基本的には
転換の奨励について
補助金、奨励金をやるという形が最もいいのか、あるいは
価格の原理というものをもっと生かすことがいいのかという問題になるわけでありまするけれども、私は基本的にはもっと
価格の原理というものを生かすことが必要ではないか、こう思っておるわけでございます。
それからさらに、流通問題がたいへん昨年来やかましくなりまして、ことしは流通改善については、大幅の
予算の
増額という形になっておりまするけれども、これにつきましても、私は、過去の卸売り市場を
中心としましたところの流通の機構というものは、
生産者も消費者もそれぞれに出荷の体制も購買の
規模も小さいという事態で、大正十二年に中央卸売市場法というものが設けられた。それが最近におきましては、市場の範囲も全国的に広がってまいりますると同時に、
生産者、出荷者の団体の
規模も大きくなってきている、
生産物も単一化されてきている、いわゆる
大型の出荷というものが非常にふえてきておる。購買のほうにおきましても、末端の消費は依然として小
規模でございまするけれども、まだ中間段階ではスーパーマーケット、あるいは消費組合というものの機能というものをだんだんに拡充してきておる、そういう事態におきまして、卸売市場法の改正もあったのでありまするけれども、さらに大きな
転換を必要とする面が私はありはしないか、こう思っておりますが、この点については時間がございませんので、この段階では、さしあたりこういう
程度にさしておいていただきたいと存じます。
それからこれは、まあ効率性という観点からいたしまして、要するに過去二十年来の日本の国民
経済の中における農業の地位というものが対外的、対内的な条件からして変わってきた、それに応じたところの体制の整備というのが効率性の観点からなされることが必要だ、こういうことになるわけであります。
さて、第二の原理というのは、安定性ということでございます。
公害問題が最近非常にやかましくなっておりますけれども、昔ば大阪をたとえば東洋のマンチェスターだということで、黒煙もうもうという状態をむしろ
工業化のシンボルとして誇りにしたわけでありまするけれども、今日では、逆にそれが
公害として認識されるようになったというところに、われわれの生活水準なり生活観というものの大きな
転換を見なければいけないのでありますが、同じことが農業に対しましても、あるいは緑の保全の必要ということが強調される、緑地帯を残せとかいうようなことが強調されておりまするけれども、その面からたとえば自然休養村、休養林ですか、といった構想等も資料を拝見いたしますると入っておりまするけれども、もっと一般的にこの国土の中でこの緑というものを生活の周辺にいかにつなぎとめるか、あるいは維持するかということが考えられていいのではなかろうか。言いかえれば、どこかの自然村に行かなければ休養ができないとか、あるいはどこかの
過疎地帯がたまたま非常に景勝の地であるというところから、これにしかるべきレクリェーションの設備をするということで、農業が新たな面から見直されるということだけではなしに、われわれの日常の生活の環境というものが、著しく緑を離れたものになっている。たとえば、亜硫酸ガスの排除、防止ということはできるにいたしましても――空気はあるいはある
程度よくなるかもしれませんけれども、緑の環境というものは、それの
対策だけでは解決いたしません。緑の環境の維持ということは、それだけでは解決いたしませんという点で、むしろ積極的に緑の環境の維持ということを考えるべきではなかろうか。それはどうするかということでございますけれども、ともかく米について五十万ヘクタールといったものが遊ぶ、もちろん
転換作物を考えますると全部が全部遊ぶというわけではないと思いまするけれども、少なくとも三、四十万ヘクタールというものは遊ぶという形になっております。これをもっと組織的に生かすことはできないか。これも私は別の機会に申し上げておりますけれども、
一つの考え方でございますが、たとえば北海道から鹿児島までの延々三千キロの鉄道の沿線に一キロのベルトをつくる、まあこれを買い上げる。もちろんその場合に代替地の提供等の措置も必要かと思うのでありますが、毎年毎年一反歩三万円くらいの金を出して遊ばせるということよりは、むしろ恒久的な余剰地の
転換策といたしまして、一定の国土
計画の線に即してそういう土地を確保するということ等も考えていいのではなかろうか。三千キロでもって鉄道の沿線一キロということにいたしますと、約三十万ヘクタールということになるかと思うのでありますが、そんなこと等も提案したことがございます。別に、これは鉄道の沿線に限りませんが、国道の沿線でもけっこうでありまするし、あるいは地方道でもけっこうでありまするし、国土
計画の一環としまして、生活の周辺にあるところの、あるいは緑地あるいは
公園あるいは学校その他の公共
施設の置かるべきところの地帯として、そういうものも考えるということもいいのではなかろうか、こう思うのでありますが、これもたいへん夢みたいな話でありまするけれども、理論的に考えますると、やはり生活の環境の
合理化という観点から、農業上の余裕地というもの、つまり農業
生産の発展において出てきたところのものを有効に使うという点からすると、そういう
転換が当然考えられてしかるべきじゃないか、こう思うのであります。
その次に申し上げるのでありますが、それは効率性の観点が従来強く打ち出されてきております。けれども、私は、今回実は大学を定年退職になったのでありますが、みずから定年退職してみまして非常に感じますることは、この組織された社会におきましては、当然これは定年というものがございます。ところが農業とか中小
企業、特に小売り商等といったものにつきましては、これは定年がない、いわば一生死ぬまで働けるという場であります。さて従来は、中小
企業とかあるいは農業というものの比重が高かったのであります。したがって、それは一生働ける場というものが多かったのでありますけれども、組織された社会になりまして、いわゆるホワイトカラーという形等でもって
企業に雇われる、役所に雇われる。こうなりますと、当然一定の年限でもって定年退職ということになってくる。ところが、寿命が延びております。活動の年齢というものは、非常に延びております。かてて加えて、今日、
物価高ということで、まず老年後の退職に対する
一つの措置というものが、従来のようにともかく老後の生活をある
程度安定せしめるという機能を残念ながら失っていると思います。この点につきまして、私は
物価安定ということを強く要請をしたいのでございまするけれども、少なくとも――まあこれは、年金の話をすべき場所ではございませんけれども、やはり
物価スライドぐらいのことは、考えなければいかぬかと思っておりますが、それはさておきまして、
人間は単に物的生活が保障されるだけでは、これは満足できませんので、やはり仕事というものに生きがいを見出すかと思っておりますが、そうなりますと、一種の趣味的な農業というものが、やはり見直されてしかるべきじゃなかろうか、こんな感じがいたします。現在、すでに農業人口の二〇%以上というものが六十歳以上の人口でございます。それは、しかし、農業をやりながら
老人になった人々でありますが、農業外で働いておりまして、五十幾つでもって新たにそういう一生できる仕事をしたい、能率は少し低いかもしれませんが、という方々も私はあろうかと思っておりますが、これが今日の農業の
政策のもとにおきましては、自作農として精進し得る見込みがなければ新たに土地を取得できないといったふうなこと等もございますので、この点も私は国全体として、緑の保全も必要でありまするけれども、国民生活の安定化という点から、農業というものを見直すという趣旨で新たな農業
政策というものが考えられる余地があるんじゃなかろうかと、こんなふうな感じを持っております。
以上が、私が、効率性と安定性というものを基準にして今日の段階で農業問題を考える場合において、どんなことを考えたらよろしいかということについての私見でございます。しかしながら、いずれにしましても、こういう問題につきましては、やはりある時期に、
政策の
転換というのはなしくずしじゃなかなかできないと思いまするので、かつて、
昭和三十六年に農業基本法が設けられたことは、その後の
政策の展開にたいへん貢献しておると思っております。けれども、十数年たちました今日におきましては、先ほど申しましたようなことで大きく国際環境も変わり、また国内におけるわれわれの生活に対する考え方も変わっております。ですから、基本法そのものを変えるというのではなしに、あるいは基本法そのものにつきましても、効率性の観点がやや強過ぎまして、安定性の観点がやや弱かった点もあるかと思うのでありますが、そういう点を入れるということも含めまして、一ぺん基本的な土地
対策の根本を考え直してみることも必要じゃなかろうか。言いかえれば、かつてそのときに農業基本問題調査会というものが設けられまして、いわば過去の農政の見直しが行なわれたのでありまするけれども、私は、今日あらためてこういったことをお取り上げになりまして、それから次年度以降のやや長期にわたっての
政策をお立てになるということも可能ではなかろうかと思いまするし、また、そんなことがありますると、国民の全般がいろんな形でもって
意見を述べ、いい、明確な見通しを持った農業
政策の展開ができ、またどんどん、どんどん
工業化に押しまくられまして、非常に自信をなくしているという農業
関係の方々が多いのであります。一生働いてきた農業でもって、これをつくっちゃいかぬ、これ以上やっちゃいかぬというふうなことでもって遊ばざるを得ないということは、私は、これはたいへんな苦痛じゃないかということも考えまするだけに、そういった措置をお願いいたしたいのであります。
一つ途中で落としましたが、
一つ加えさしていただきたいと存じます。それは、これも別の機会に申し上げたことでございますが、今度は対外的に日本は
経済協力の援助を、特に
政府ベースでの援助というものを強化したいということでやっておりますが、しかし、それはそれ、国内の農業は農業だというふうな別の扱いがされていやしないか。私は、両者のつながりにつきましては、東南アジア等の
経済が一番必要としている問題は何かと申しますると、やはり食糧問題だと思っております。その食糧問題に対しまして、国内の食糧の余剰を供給するというのも、短期的には
一つの方法であります。けれども、基本的にはそれらの国の
生産力を高めるということでもって問題を解決していく、そのことがさらに、たとえば日本が
工業製品のマーケットとして考える場合におきましても、その市場拡大につながるものだと、こう思っております。ところが、今日の状態におきましては、たとえば緑の革命といっておりますが、新しい品種改良はできましたけれども、あるいは肥料もできた、けれども土地改良あるいは水利、かんがいというものができにくいために、そういう条件が生かされてないというところから、依然として食糧不足に悩んでいるというのが多くの国のあり方かと思います。こういうものにまず日本の余剰の食糧の
生産力というものを有効に生かしていく、言いかえれば、かりに国内で余剰ができた場合におきまして、それをつくらないというのでなしに、むしろつくらしまして、もちろん
財政負担がある
程度必要かと思いますけれども、それを外へ出していく、それがそれらの地域の農業の
開発に資すると、こういうふうな考え方であります。かつて愛知用水の工事につきまして、私ども伺っておりまするところでは、あれは余剰農産物の見返り
資金というものがファンドになった、これはごく一部でございますが。けれども、アメリカとしましては、われわれが食糧が余っているのに、さらに食糧の増産をするような
政策としての金としてそれを使うことについては、反対だという意向だったというふうに聞いております。けれども、長期的に見ると、やはり日本の農業
生産力が高まったことがアメリカと日本との
経済の交流の
規模の拡大ということにも今日なっておると私は思っております。そういう
意味で短期的に考えると、あるいは食糧
生産上の競合という点で問題もあるかと思いまするけれども、長期的には、やはりそれらの国の力が強くなることが、日本の力がさらに強くなるゆえんでもあろうかと思っておりますので、この点は、私は、あたら日本の農業
生産力というものが非常な能力を持っていながら、それが生かされずにむしろ縛られているという状態にたいへん惜しいという感じがするわけであります。これを解きまして十分に対内、対外的に力としてこれを生かしていくというふうな
政策の
転換が望ましいと思っているわけでございます。
以上でございます。(拍手)