○上田哲君 一問にしぼりますから。……
どうしてもそういう御説明であると、最後に
総理に伺いますから、一問だけですから
総理ひとつよく聞いていただきたいのだが、いまの
答弁で根本の疑点に答えることなく、内訳がないのだ、説明ができないのだ、しかし疑点は全くないと言われると、それならばこういう点をはっきりしてくれという例をあげて全体の疑わしさをはっきりさせなければならなくなってくる。そういう点が二、三点はあります。さっき矢山
委員が外務大臣よりの不公表書簡として発表したもの。これが
衆議院でも参議院でもこの文言を読み上げて説明を求めています。そのとき議事録に残っている言い方では、吉野
アメリカ局長は、これは
アメリカが出したものであってこちら側から出したものではないと言っている。あるいは、きょうの言い方では少しずれてきて、向こうが出したものをこちら側は
引き合わして、これではどうかと言ったのだと言っている。しかし、われわれもここに紙きれが一枚あるわけです。書き直したということになっている。明らかにこれだって実にプリミティブなうそになります。この辺のところがどうなっているのかということも、そうなれば、
交渉自身にあるいは
答弁自身にわれわれは信頼ができないではないかということの一つの証左として、しっかりこれは経過は、違った
答弁をされたのだから、これはつじつまを合わせる説明をしていただかなければならない。それから不公表書簡というものは出さなかったのだという御説明であります。そのことはかりにそのことだとしても、一八九六年にできた信託基金に関する法律というものを使えば、これは
日本の財源を向こうに持ち込んで、
アメリカ議会には説明しないでくるりとすり抜けて払うことができるようになったのだと、こういう形を使うことによってあなたのほうの金を受け入れることができるようになったから、不公表書簡を出してくれと言ったことを、不公表書簡は出さなかったという
答弁によって説明がついても、
一体、信託基金に関する法律というものを使い信託基金を設立したのかどうかという問題はまだしっかり解明されていません、これはどうなのか。これは
アメリカの都合だからと
——これはどうなったかということを具体的に説明していただかなければならない。
それから、あともう一つ。さっきから申し上げているのだが、六月九日に愛知全権・外務大臣は、向こうのロジャーズさんと話をして、これで終わったと言っているのですけれども、十七日までに何かあったのですか。何があったということが言えなくたって、せめて、あったかなかったかということを
——いままではなかったと言っているのですから、あったというならあったということを、それだけはしっかり言ってもらわなければ、そういう少なくとも素朴な
立場で、どう考えても話の合わない、理解のできない、そういう問題があります。
一問しかありませんから……。そこで、これらをまとめて私は
総理に、それらの御
答弁のあとでお願いをしたいと思うのだけれども、やはり外交
交渉に機密がある、
立場があるのだ、相手があることなんだという説明も十二分に受け取るとしても、やはり内閣あるいは外務大臣の御説明によって
国民の疑念は、それ以上のボリュームにいまあるんだということは率直にお認めになりませんか。とすれば、いかに高く掲げるとしても、五月十五日の沖繩返還の日には疑惑とともに歴史に残るのだということでは晩節を全うすることにならないのではないかということは、私はこれ以上のことばを持たないから、そういうふうに懸命に申し上げたい。
その意味ではひとつ、いずれ外交
交渉の機密もやがて歴史のとびらの中で明らかになることがある。そういう意味でも、信託基金というようなものを設けることになれば、ある意味ではオープンな
アメリカ議会の今後の歴史の進展の中では、これはわかってくる、何年か何十年かの後にそのことがわかってくることで、
一体われわれの国の政治は後世に信を問うことができるだろうかという問題が私はあると思うので、その意味では
総理の言われる、あるいは外務大臣の言われる、つかみ金だからということでは、私は
国民の疑念は解けないと思うのです。こんな大きな金を、いつものことばで言えばやはり
国民の税金なんでありますから、沖繩が返ってくることがどんなにいいことであっても、どんなに安いのだと外務大臣が評価なすっても、
国民が安いと思うか高いと思うかというところで国益はきめるべきだということが本
国会の決着でありましたから、そういう
立場で言えば、いま
国民の受け取っている疑念を少くとも晴らすためにもう一歩の
努力がなければならぬのと、そのことに関して言えば、
アメリカに対して外交が弱腰であるという印象をぬぐえないであろう。したがって、つかみ金であるということでは説明がならぬのでありますから、しからば、これからでも
アメリカに対して、明細の説明を求める形で、信を歴史に問うというような姿勢を
総理はお持ちにならないかどうかということを、ひとつ御宣明をいただきたいと思います。