○加瀬完君 私は、
日本社会党、公明党、
民社党並びに第
二院クラブを代表し、
佐藤内閣の失政の責任を追及するとともに、
即時退陣を要求する
問責決議案を提出いたします。(拍手)
いまその案文と理由を朗読いたします。
佐藤内閣総理大臣問責決議(案)
本院は、
佐藤内閣総理大臣を問責する。
右決議する。
理 由
一、
佐藤内閣は、今日、戦後最低の国民の支持率の下に、その機能を失い、
末期的症状を呈していながら、なおも
物価値上げを誘導し、国民に高負担を押しつけ、
健康保険法、
国鉄運賃法等の成立に狂ほんしている。その姿は七年余にわたる
佐藤自民党内閣の最後の悪あがきといわなければならない。
一、
佐藤内閣の
内外政策ほど、欺瞞に満ち、時代に逆行するものはない。組閣以来、
人間尊重、
社会開発、
政治資金規正、物価安定等々の国民への公約は何一つ実行せず、
公約不履行、
言行不一致のまま過ごし、何ら反省の色さえ示されておらない。
また、憲法を軽視し、
官僚政治をすすめ、
議会制民主主義を骨抜きにし、国民に背を向ける
金権政治を横行させ、さらに第四次
防衛力整備計画を強行して、危険な
軍国主義化への道を進もうとし、国民に深刻な
政治不信をもたらしている。
一、
佐藤自民党内閣は、一貫して対
米追従外交を進め、
安保条約を変質拡大し、
ベトナム侵略をはじめ
アメリカの
極東戦略に協力し、国民の要望にそむいて
中国敵視政策をつづけ、
中華人民共和国政府の
国連復帰を阻むなど、しつように
日中国交回復を阻害した。
また、
沖縄返還に際しては、「核も基地もない平和な島」として
全面返還を望む国民の願いにそむき、
沖縄県民の期待を完全にふみにじっている。また、米中、
米ソ首脳会談をはじめ、世界とアジアの情勢が大きく変動し、政治、外交、経済が新しい転換を求められているとき、
政府自民党はいぜんとして
安保体制の枠に閉じこもり、
アメリカの
極東戦略の片棒をかつぐ危険な道を進むことは、わが国の平和と国民の利益に反するものである。
一、
佐藤内閣の大
企業優先、生産第一主義による
経済成長政策のため、はなはだしい物価高、公害の激増、
社会保障の貧困等はその極に達し、国民の福祉は犠牲とされ、いまや自然と人間の破壊が進行されつつある。
また、労働者は低賃金と合理化をおしつけられ、都市過密に悩み、農村の荒廃、
交通地獄が深刻化し、
中小企業は倒産におののいている。
さらに、大
企業中心主義、
金持優遇政策は富と所得の格差をひろげ、不公平と不均衡をもたらし、経済の成長が国民の福祉につながらない現実を露呈している。
われわれは国民とともに、これらの財界奉仕、
国民生活軽視、それらを強引に進める
佐藤内閣の悪政に対し、その首班である
佐藤栄作君をきびしく問責し、その内閣の存続を一刻も容認することができない。
これが本決議案を提出する理由である。
さらに、以下若干の説明を加えます。
佐藤総理は、七年半にわたって政権の座にあり、その在任期間は戦後最も長いのでありますが、同時にまた、戦後最悪・最低の内閣との評があります。
マスコミの
世論調査によっても、その支持率は十九%、絶対多数の国民は、
佐藤内閣を既に見捨てているのであります。総理の在任が一日延びれば、それだけ
国民不在の、国民から遊離した政治がまかり通ることになり、国会と国民に大きな不幸をもたらすものであります。
平和と生活の安定を願う国民の要望に背を向け、世論を無視し、みずからの政治や政策に確たる信念も見識もなく、ただ官僚の事なかれ主義の上にのっかって惰性の政治を行ない、要は、党内の操縦術だけで政権を維持してきた
佐藤総理の命脈も、いまや限界、政権の座を明け渡さざるを得ない境涯に達しました。(拍手)
したがって、いまこそ、
佐藤内閣の失政を一自民党内のコップの中の争いに解消させることなく、明らかに国民の前にその罪を謝すべきであります。
民主主義は、
責任政治でなければなりません。
佐藤総理は、失政の責任をとって、国会において、
即時退陣の
意思表示を行なうべきであります。それのみが、
議会制民主主義のもとで、
佐藤総理に残された唯一の責任のとり方であります。
七年間にわたった
佐藤政治は、完全にうんでおり、激動する今日の内外の情勢に後追いすら困難で、いまや、内政、外交とも非常なジレンマと破綻におちいっており、国民の
政治不信はその極に達し、
佐藤退陣の要求はまさに天の声となっております。(拍手)
さらに、
佐藤政治の失政の責任を具体的に問責いたします。(「功績はどうした」と呼ぶ者あり)
問責決議案に功績を述べるばかはおりません。
その第一は、外交問題であります。
佐藤政治の
外交破綻が最も顕著にあらわれておりますのは、中国の
国連加盟阻止に狂奔しながら、七十六対三十五という圧倒的多数によって中国の加盟が承認されたことでありましょう。
佐藤外交は
国際世論から厳しい審判を受け、世界のもの笑いとなりました。
佐藤総理は、しばしば「外交の基本は
国連中心」と言明してまいりました。しかるに、昨年十月の
国連総会の審判は、
佐藤総理の
外交方針が、国連を構成する
平和愛好国の多数から、誤りであると指摘をされました。
国連尊重の
佐藤総理としては、当然みずからの責任を明らかにすべきでありましょう。
さらに、
佐藤外交の破綻は、つえとも柱とも頼んだ
米国追随外交にすら及んでおります。昨年の
米中頭越し交渉、さらに、本年四月の
ニクソン訪中、引き続く訪ソによる
米ソ首脳会談とたどってまいりますと、米国の
世界戦略なり
世界政策にかかわる重要事項は、
佐藤総理には何一つ相談がなく、相手にもされないことが明らかにされました。
しかも、
佐藤総理の
米国追随外交は、
ニクソン・ドクトリンと表裏の関係にあるアジアは
狂軍事同盟へのてこ入れとあと押しが、最大の任務として押しつけられております。この米国の押しつけの根拠こそ、
日米安保体制と、台湾・韓国の安全と防衛は日本にとって一衣帯水と確認した
佐藤ニクソン声明であることは、歴然たる事実でありましょう。
こうした
米国追随外交の実情は、日本の安全と平和にとって危険なものであることは、多くの識者の指摘するところであります。
このように、
佐藤外交は、
国連外交を宣伝しながらその実なく、さらに現在では、全く陳腐化した
中国封じ込めと、
冷戦脅威論を一歩も出ていませんし、出ようともしていません。これが国を守ることになりますか。
佐藤政府の外交で、いま一つ許すことのできないのは、
秘密外交であります。先の
沖縄国会で、あれほど問題になりました
米軍用地復元補償の日本への
押しつけ負担の密約を、外相は口うらを合わせて、事実に反する
国会答弁で国民を欺いてまいりました。このことは、蓮見さんが秘密を漏らしたこと以上に許しがたい国民にとっての犯罪であります。
われわれは平和・中立・友好の
自主外交の確立を心から念願するがゆえに、
平和外交に背を向ける
佐藤外交に
即時退陣を要求せざるを得ません。
その第二は防衛問題であります。
四十七年度予算案の、国防会議の議を経ない四次
防先取り計上は、
佐藤総理が口では、「
経済大国になっても
軍事大国にはならない」と言うことばとは全く逆に、
軍事優先の
国家財政運用の姿を端的にあらわしたようなものではございませんか。そうであればこそ、予算案の
国会提出後に、前代未聞の歳出の
政府修正と、
両院議長の監視のもとに、
国庫債務負担行為の凍結という、
防衛予算の手直しを行なわざるを得なかったのであります。
政府修正に至るまでの政府のろうばいと混乱ぶりは、まさに目をおおうばかりでありました。四次
防先取りの追求にあうや、当面を糊塗するため、あわてふためいて四次防大綱をきめる
関係閣僚会議を開いてお茶を濁し、野党の反撃にあうや、
政府修正を行なうなど、国防の重大性を口にする政府が、実は四次防に対する何らの認識も判断も持ち合わせていないことを暴露いたしました。今日に至るも四次防の骨組みすら固まらないことを見るにつけても、
佐藤内閣に国防を口にする資格はありません。
こんな
政治姿勢で、どうして有効なシビリアン・コントロールができるでありましょう。
佐藤内閣の実質を伴わない防衛問題の取り扱いが、最近の
ユニホームの独走となっているのであります。
沖縄復帰前の
装備品輸送、立川基地への暗夜の移駐、
自衛艦隊司令官の原潜保持の主張等々は、具体的な
ユニホーム独走のあらわれではありませんか。
かくのごとく、
佐藤内閣の
平和憲法に対する
ノーブレーキの方向は、明らか、
軍事大国と、かつての
軍事優先の道を歩みつつあると断ぜざるを得ないのであります。(拍手)これが推進者である
佐藤総理の責任は、まことに重大であり、きびしく追及をさるべきであります。
その第三は、
佐藤内閣の
政治不信であります。
政治不信の根源は、
佐藤総理の
言行不一致と、
政治責任の回避を常とする体質であります。
かつて、
佐藤総理は、
政治資金規正法について「小骨一本抜きません」という吐きました。市、それと全くうらはらに、大骨、小骨を全部抜き去り、法案は流産にしてしまいました。しかも、七年という
長期政権を維持しながら、再び提出をすることができなかった
政治資金規正法のこのサボタージュをどう判断すべきでありましょうか。(拍手)
また、一昨年の
公害国会での
公害処罰法案についても、公害発生のおそれの規定を、財界の圧力に屈して削除し、さらに、
沖縄返還に伴う現地の核不安を取り除くために、米国の核の総点検も、初めはその実効を約束しながら、結局は、
大統領専権の理由をもとに、核の存否を
日本政府が点検をしませんでした。この怠慢はどう説明をするのでありますか。これでは、
政治不信をつくり上げたのは、
佐藤総理あなた自身ということにはなりませんか。
政治責任回避の典型は、憲法否定の
方言大臣を大量製造をしながら、そのつど、
当該大臣限りの引責辞任というだましたやり方で逃げ、佐藤さん自身は、権力の亡者よろしく、七年の間政権の座にすわり続けてきました。一体、こうした国の最も大事な基本法である憲法を否定してはばからない大臣を指名し、任命をした
佐藤総理の責任と、さらに憲法六十六条の示す内閣の
連帯責任は、一向顧みられないのでありますが、これでよろしいでございましょうか。こうした
佐藤総理の無責任な行政運用で、国民が政治を信頼をするわけにはまいりません。
他方、経済面に目を向けますならば、
佐藤総理は、池田前内閣の
行動成長政策を批判し、
安定成長を旗じるしに政権の座についたはずであります。しかるに、四十年度から四十五年度までは、
池田内閣時代の二倍以上という猛烈な伸び方を示しました。四十六、七年度の不況は、こうした
佐藤内閣の
過剰設備投資、超
高度成長の反動によるものでありまして、
池田内閣以上の
経済政策の失敗を物語っております。
さらに、「物価の上昇は、
経済政策のひずみによるもの」と、
池田内閣を高飛車に批判をしながら、
佐藤総理の施政下で、物価は一体どうなったでありましょうか。
総理の手元でつくられた
経済社会発展計画、新
経済社会発展計画では、いずれも
物価上昇率を年三%目標ときめたはずであります。佐藤さんはあと幾日もつかは存じませんが、目標数字三%はいつ達成されるのでありますか。
佐藤政権下での
物価安定策は、具体的には何もないのであります。
国民生活はインフレと物価高に苦しめられどおしでまいりました。これでどうして
佐藤政治に対する信頼が持てるでありましょうか。
また、
佐藤総理は七年前、
人間尊重と
社会開発による
生活環境の改善をアンチ
池田政策として打ち出されたことは、よもやお忘れではありますまい。
この
佐藤総理のもとで、ほんとうに
国民大衆は人間として尊重されたでありましょうか。今日の公害、
交通戦争、老人問題、劣悪な
社会保障、どれ一つとってみましても、公約は実行されておりません。
公約不履行の事実は、総理御自身もお認めになっております。すなわち、第六十八国会の
施政方針演説、四十七年度
予算編成方針の中で、発想の転換と
政策転換の必要性を強調されました。そのことは、この七年間の
佐藤内閣がいかに
人間尊重の公約実行をサボったか、これを総理自ら証明したことでございます。政権を取った七年前、ほんおつに
人間本意で
人間尊重の
政治経済を確立する決意をもってそのスタートを切ったならば、
総理退陣を目前に、発想の転換を言われることはよもや必要がなかったはずであります。
佐藤総理の
人間尊重は、まさに羊頭狗肉どころか羊頭無肉でございます。(拍手)
経済運営の失敗といい、どれをとってみましても、
池田内閣よりよい政治を行ったとは、国民の誰もが感じておりません。公約の果たせない不明不敏を、いまこそ国民の前にわび、
即時退陣の
意思表示を行なうべきで、これはむしろおそきに失しました。
最後に、
国鉄運賃値上げについて一言触れざるを得ません。
四十四年度の
国鉄値上げに対して当時の
企画庁長官は、「
物価政策のたてまえからして
国鉄運賃の値上げには反対である」と述べられました。今日の
佐藤政策には、
物価政策の上の
運賃値上げの考え方があるのでありましょうか。
戦前の例を見ますと、米国と
国鉄運賃を比べますと、米価は、昭和四十一年から逐次一一〇、一一八、一二八、一四六とあがっておりました。国鉄は、昭和五年から十分六年まで少しもあがってはおりません。これは、当時の政府の政策が、
物価抑制のためには
運賃抑制をしなければならないというたてまえをとっておったからであります。しかし、今回の政府の
運賃値上げには、全然
物価政策はありません。 政府は、人件費の値上がりによる
赤字経営を理由といたしております。これはごまかしであります。最近十年間の国鉄の損益表を見ますと、
事業損益は、たとえば四十一年、四十二年は千八百億、四十四年、四十五年は二千億の黒字であります。
赤字原因は、利子と、過大な
減価償却によるものであって、
事業赤字とは言われないのであります。なぜかならば、御承知のように、戦前の国鉄には
減価償却制度がなく、あるいは今回の利子にいたしましても、必ずしも
国鉄負担が正当であるとは言い切れません。ここ十年間において国鉄の支払った利子は一兆一千億、
減価償却は一兆七千億、さらに言うならば、ここ十年間の収入合計は九兆円、人件費、物件費は六兆円、利子と償却で三十三%、こういう
経営形態を国鉄の責任と言えるでありましょうか。ましてや、国民が負担しなければならない義務がどこにありましょうか。
また、人件費の過剰支出が
赤字原因のごとく宣伝をしておりますが、経営の中の人件費は四十五%内外、戦前も戦後も変化はありません。問題の焦点も、責任の所在も、政府の
経営無能以外の何ものでもないのであります。具体例を示せば、いままで政府は国鉄にどれだけの金を出しましたか、
財政援助をなさいましたか。昭和二十四年から四十六年まで合計何もかも含めて六百四億、年平均二十六億二しかすぎません。
もう
一つ政府の
政策欠陥を示さなければなりません。
磯崎国鉄総裁は、ある雑誌で次のように述べております。「私は阿佐谷から東京駅まで通っておるが、この中央線の一時間に運ぶ乗客は十六万人、並行して走っておる
首都高速道路は一時間に五千五百人から六千人しか運べない道路には、東京都も国もあらゆる援助や、財政の、何と申しましょうか、たとえば
財政投融資の対象にしたり、あるいは補助金の対象にしたり、数々の手を尽くしている、五千五百人には数々の手を尽くすが、十六万人にはさっぱり手を尽くさないというのは一体これはどういうことか」と、こう述べております。
さらに総理は、「七・五・三・一ということを知っておりますか」と言っております。国が出す補助金の、船舶関係に出す補助金を七とすれば、飛行機には五、自動車には三、一時間に十六万人を運ぶ大衆の足である国鉄には一、こういう政府の
交通政策の無能が
国鉄赤字をつくっているとも、当面の
国鉄総裁が告白をしているのであります。この無策を恥ともしないで、
国民負担をやすやすと考えること自体、
国民生活不在の
佐藤体質が露呈をしておるのであります。(拍手)
国鉄運賃値上げ案の作成当時、各新聞は「実収の伸びにぶる」、「家賃、地代、衣料が上昇」、「
収入頭打ち、物価は上がる」、「踏んだり蹴ったり──くらしにくいなあ」、こう国民の嘆息を伝えております。佐藤さんには、この国民のため息が聞こえないのでありましょうか。これでは、国民はもう
佐藤総理をしんようしてついていくわけにはまいりません。日本の政治が国民の信頼を回復しないならば、
民主政治は滅亡の一歩を踏み出すことになりましょう。
佐藤総理の一日も速やかなる退陣を強く要求せざるを得ません。
以上で、
佐藤内閣に対する
問責決議の
趣旨説明を終わります。お聞きのとおりでございますので、何とぞ自民党の諸君にも全員の御賛同をお願いをいたして終わります。(拍手)