○
国務大臣(
前尾繁三郎君) 現実問題として、まあいろいろそれは
学者の中にもいろんな説があるかもわかりません。
法制審議会の
方々は
全員賛成だということで、まあ
実務、実際の問題に携わり、あるいはまあ
法制審議会の
先生方が必ずしも代表的な方とは申しませんが、まあしかし代表的な
刑法学者だと思いますが、その方が賛成しておられるところでありまして、率直に言って、また
裁判所も非常に困っておるということは、結局
上限に皆だんだん集中して、
罰金刑がいわゆる悪平等になりつつあるということは、これは争われぬ事実だと思います。まただれが考えましても、
罰金であるというからには、多少の
苦痛がなけらにやならぬはずであります。
昭和二十三年にきめました
罰金刑が、その後、
日本の私は
物価と比較すべき問題ではないので、むしろこれは所得、まあ
負担能力、
苦痛の
度合いというものを当然考えていくべき問題だと思っておりますが、その
苦痛の
度合いが、
昭和二十三年にきめた
金額で、現在において何ら変わりがない
金額で、その
苦痛の
度合いが同じだというようなことは、私はあり得ないじゃないか。ただ、四倍にするか、五倍にするか、あるいは三倍にするか、こういう問題はあると思います。
われわれが四倍をとりましたのは、しばしば御
説明をいたしておりますように、いわゆる
刑法草案の先取りであっては、これは新
刑法草案は新しい体系のもとに行なわれておりますばかりではなしに、
司法の
連続性ということから考えましても、新
刑法草案がもし行なわれるということになりますと、急激にまあ上がるばかりではなしに、場合によりましては、この
臨時措置法のほうが高過ぎたというようなことがあってはこれはならぬ。したがって、まあ
一般には大体新
刑法草案というものが六倍というようなことが言われておりますが、
司法の
連続性という
意味から考えていきますと、新
刑法草案が通るのがおそいとしましても、それまでは四倍で何もこれは一律ではないわけでありまするから、幅を持っておるわけであります。したがって、やはり
司法の
連続性によって徐々に上がっていく。こういう速度を考えまするときには、まず四倍であれば支障がなしに、また非常に
実情に合わないこっけいな
罰金額ということもない。そういう
意味から四倍にいたしたわけであります。
これをこのまま放置しておくと、率直に申しまして、やはり
経済状態の変化に応じて、常に即応して法というものも
改正されるべきものではなかろうか。しかし、それでは法の
安定性というものを害しますから、いままで放置されていたのであろうとは思いますが、しかし、いずれかの段階においては、やはりこういうふうにして
金額を上げていかなければ、もう
実情にすっかり沿わない。まあ、私
個人からいたしましたら、もっと特に上げておかれるべきものではなかったろうかというような気がいたしておるのでありますが、その点は差し控えるといたしましても、
刑法草案が必ずしも来年通るというようなことも想像できませんし、この際はやはり法の権威を保つゆえんから考えましても、また
罰金がやはり経済的な犠牲によって
苦痛を与えるという
意味を一面において持っております限りにおいては、私は当然
改正すべきものだと、かように考えておるわけでございます。