○
政府委員(
川口光太郎君)
お答えいたします。
事実
関係は、
先ほど警察庁の高松
刑事局長から
お答えしたとおりでございます、大体において。
そのほか若干私のほうから追加して申し上げますと、
事件を発見したのは、二月の二十三日の午前八時ごろでございますが、便所の窓が開け放され、どろぐつのあとが洗面台に残り、ドアが半開きになっており、ロッカーも少しあいていた。これはかぎのかかってないロッカーでございます。電話線が二本、二階にありますがそれが二本切られていた、こういう
状況がありました。それで、さっそく、これは外部から物取りが入ったんではないかということで、登庁してきた
職員に、盗まれたものがあるかどうかと、一応ロッカーとか、机を点検させましたところ、別にとられたものはないようだということで、当日から二、三日間は、ほかの作業もしまして、そのまま届けをせずに電話だけ修理していたわけです。
ところが、数日後になりまして、どうも書類がなくなっているらしいということを、一部の者が言い出しまして、それではいけないというので、全部の書類を総員で二月の末ごろから点検しだして、三月六日に至りまして、八十点ぐらいの書類がなくなっていると
——書類は十ぐらいのロッカーに何万点とあるわけですが、一々台帳とこれを照合したんだそうでございます。で、被害届けを出す以上は、全部明らかにした上でないといけないと
考えたと
局長は言うのでありますが、そのために非常におくれまして、三月六日に書類が盗難に会っているということを確認いたしまして、中間
監督機関である中部公安
調査局へ
局長が出張いたしまして報告する。その結果、翌日警察に届けを出して警察に捜査をおまかせしてこちらも
協力する、と同時に、夜間わざわざ電話線を切るというのは、私たちも報告を受けて怪しんだのですが、どうもわざわざ外部から入ったということを見せるための偽装工作ではないかという疑いもありまして、しかも金の入っているロッカーは全然さわっていない、書類だけが盗まれているというのが怪しいということで、内部の者の犯行ではないかという疑いもありましたので、中部公安
調査局から応援を派遣いたしまして、現地の中村良三
地方公安
調査局長でございますが、これが
中心になりまして、内部の者に一々と当たっておりましたところ、かねて勤務成績が不良で目をつけて、進退のことまで
考えたことがあるそうでありますが、村本という
調査官の様子が非常におかしい。
調査にも
協力しない。問い詰めたところ、三月十七日の夜に、
事件は実は自分がやったということを申し出たそうでございます。それで説得いたしまして翌十八日の朝警察へ同道して出頭させて自首させた、こういう経過でございます。
それからその自首させる
段階では、鈴木という学生を使ったということしかわかりませんでしたが、その後逮捕されて後、私のほうで調べましたところ、この鈴木俊一という学生は、
昭和四十四年の四月、金沢大学の法文学部に入学したわけでございます。村本
調査官は学生担度ということで入学式の当日と思いますが、大学前の喫茶店でその本人と知り合って、学内に配られる過激派集団のビラとかなどを自分のほうに渡してもらいたいということで、いわゆる
協力者
程度の、軽い
協力者でございますが、この
協力者に獲得した。ところが、二回ばかり何枚かのビラを持ってきたそうでございますが、六月、たしかASPAC闘争と思いますが、このときに本人が検挙されまして所在不明になってしまったわけです。その後、連絡をとろうとしても、所在もわからないということで、一応二回くらいで
協力関係は切れております。その後正式に
協力者であるということから削除といいますか、したという
関係になっております。
ところが今度の
事件が発覚しまして、これは一昨日から勾留状が出まして、二人とも勾留されておりますので、
検察庁のほうから聞いたのでございますが、そういう公的な
協力関係は四十四年の六月以来切れておるが、その後また鈴木が大学へ戻り、個人的な友人として村本
調査官とこれがしょっちゅう会っていた。そういうことが最近わかりました。その
程度でございます。