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1972-03-14 第68回国会 参議院 法務委員会 第3号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十七年三月十四日(火曜日)    午前十時九分開会     —————————————    委員異動  三月七日     辞任         補欠選任      三木 忠雄君     白木義一郎君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         阿部 憲一君     理 事                 後藤 義隆君                 原 文兵衛君                 佐々木静子君     委 員                 岩本 政一君                 木島 義夫君                 林田悠紀夫君                 平泉  渉君                 加瀬  完君                 松下 正寿君    最高裁判所長官代理者        最高裁判所事務        総局総務局長   長井  澄君        最高裁判所事務        総局人事局長   矢口 洪一君    事務局側        常任委員会専門        員        二見 次夫君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○理事補欠選任の件 ○検察及び裁判運営等に関する調査  (裁判官の新任及び再任問題に関する件)  (裁判所における一人制審理の特例についての  取り扱いに関する件)     —————————————
  2. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) ただいまから法務委員会を開会いたします。  まず、理事補欠選任についておはかりいたします。  去る六日の委員異動に伴い、現在理事が一名欠員となっておりますので、この際理事補欠選任を行ないたいと存じます。  理事選任につきましては、先例により委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 御異議ないと認めます。  それでは、理事白木義一郎君を指名いたします。     —————————————
  4. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 次に、検察及び裁判運営等に関する調査を議題といたします。  これより質疑に入ります。質疑のある方は順次御発言を願います。
  5. 佐々木静子

    佐々木静子君 それでは、私から最高裁判所のほうにお伺いさしていただきたいと思います。  昨年のこの裁判官再任宮本裁判官再任拒否された。しかもその理由が明らかにされない、本人にも知らされないままで再任拒否という状態が続き、これは司法の危機を招くものではないかということで全国民が非常な不安を持たされたわけでございますが、幸いに去る三月八日の最高裁裁判官会議で、この再任を希望している裁判官が全員今度再任をする、裁判官名簿に登載されたということを伺いまして、私どももいままで非常に不安な気持ちで裁判所の行くえと司法行政を見ておりましたところ、ほっとしたような感じを受けたわけなのでございます。その事柄につきまして、最高裁当局としても、いろいろと御心労が多かったことと思うのでございますけれども、この一番の問題は、理由を明示せずに、しかもまた、本人弁解を全然聞くことなしに一方的に再任拒否された、そういうところに大きな国民の、これでは困るということの世論を呼んだわけでございますけれども、その事柄につきまして、最高裁当局としますと、どのようにお考えになっておられるか、また新聞紙上で拝見いたしますと、最高裁としてもまずい点もあったので、その点は重々よく、これはあらためて、今後そのような国民に疑惑を与えないようにしていきたいという趣旨のことが記事に載っているわけでございますけれども、そのあたりについて最高裁当局とすると、どのように考えておられるのか、お伺いしたいと思います。
  6. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 再任の問題につきましては、昨年来いろいろの機会で申し述べておりますところと私どもの基本的な考えは現在変わっておりません。再任拒否という処分があるわけではございませんので、したがって、いわゆるおっしゃいます拒否理由の提示、明示ということは、その必要がないという法律的な見解でございます。また、同様の観点から本人弁解を聞く手続がいわゆるデュー・プロセスとして必要であるという考え方については現在とっていないわけでございます。しかし、そういった法律上の問題とは別に、できるだけ最高裁と各裁判官所属しておられます地方裁判所あるいは高等裁判所との間に、平素からパイプを通していくということの必要であることは十分に感ぜられておりますので、そういった観点からは、今後できるだけ連絡を緊密にしていきたいというふうに考えております。  また、この再任制度任期制というものが、国民の方々に十分に理解されていない面があるやに考えられるわけでございまして、そういった十分の理解を得るための努力に欠けるところがあったということは深く自省いたしておるところでございますので、今後再任制度というものがどういうものであるか、また任期制というものがどういうものであるかということを、あらゆる機会をとらえて国民の御理解をいただくような努力をいたしたい、現在そのように考えております。
  7. 佐々木静子

    佐々木静子君 任期制ということについて、国民理解が十分にされていないという御発言でございましたが、このこと自身、この任期制についての考え方というものが、非常に最高裁のいままでの考え方というものが一方的である。たとえば任期制というと、国会議員任期のように選挙で選ばれるというような場合は、これは純然たる任期制と言っていいのではないかと思うのでございますが、裁判官の場合は、これは最高裁当局も認めていらっしゃるように、これはキャリアシステムで事が運ばれている。そういう場合に、選挙で選ばれるというような外国でも例が——任期制のみを日本の裁判所制度でもって裁判官任用制度に持ってくるということは、これは非常に世界でもまれな、例のないことではないか。そのあたりが、この任期制というものに対する解釈が、最高裁のいままでとっておられる立場というものが、これは非常に片寄った一方的な御判断ではないか。  これは矢口人事局長の御発言自身としても、新聞紙上で拝見するととろでは、いわゆるキャリアシステムをとっている裁判官制度において、このような任期制というのは、これは非常に変わった制度であるという趣旨の御発言が、有力紙に掲載されているわけでございますが、そのようなことについて、これは裁判官会議できめることだとおっしゃってしまわれればそれまでのことではございますが、最高裁長官代行者として本日ここにお出ましいただいているわけでございますので、その点についてもう少し柔軟な考え方、あるいはもう少し専門家——裁判官ももちろん専門家でいらっしゃいますけれども専門学者あるいは在野法曹あるいは国民の声を聞いて、この任期というものについてもう少し検討してみたいというような御意向はございませんですか。
  8. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 任期制というものが、実際の落ち着きといたしまして選挙制といったようなものと結びつきやすい。また、そういうふうに結びつくのが一番通常であるということはお説のとおりであろうかと思います。しかし現在の憲法、それを受けましたその付属法でございます裁判所法というものは、任期制というものを前提にしながら、しかも判事任命資格として判事補検察官弁護士といったようないずれの職を——まあそのほかに大学の教授等ございますが、いずれの職をやりましても、それを十年やることによって判事任命資格ができるというふうに規定いたしております。この面から見てまいりますと一明らかにそれは、いわゆる純粋のものであるかどうかは別といたしまして、いわゆる法曹一元的な考え方もとっておるものでございます。現在現実任用といたしましても、検察官をやっておった方、あるいは弁護士をやっておった方等で、任官を希望される方は、その経歴等に応じまして判事補に来ていただくこともございますし、判事に直接来ていただくこともあるわけでございます。そういう意味キャリアシステムというふうにおっしゃいますけれども、必ずしもいわゆる純粋のキャリアシステムというものであるわけでもないわけでございます。実態キャリア的に運用されているということは事実でございますが、まず裁判官の採用の実態をつぶさに見てまいりますと、そういった検察官あるいは弁護士といったものからも十分にいい方に来ていただける、そういう余地を残して運用されているわけでございまして、キャリアシステムというふうに一がいに純粋な形態というものを考えておるわけではないわけでございます。そこに任期制というものと実態における、いわゆる概観いたしました場合におけるキャリア的な運用というものとの調和点があるわけでございまして、私どもはそういった憲法精神裁判所法精神といったものを十分に踏まえまして、実態に即した運用をしていかなければならない。しかし今日におけるその現状というものはいわばキャリア的に運用されているといって過言ではない。したがって任期制というものは任期制として厳然と存在いたしますけれども、その実際上の運用については十分の配慮をもっていかなければいけない、このように考えておるわけでございます。
  9. 佐々木静子

    佐々木静子君 そうすると任期制ではあるが、現実にはキャリアシステムについてもお考え方はいろいろございますが、キャリアシステムをとっている。そういう意味におきまして、この再任問題についても、十分にこれから現状に即したように考えていきたいというお話でございますね。そうしますと、これから先、一応最高裁では任期制という考え方をおとりにはなっているけれども現状がなかなか法曹一元の道にほど遠い現実を踏まえて、現実キャリアシステムの中で置かれている裁判官身分保障ということに対しては、さらに重々これからも注意をして考えていきたい。いままでのやり方ではいささか最高裁としても足らない点があったから、今後そのようなところを改めて、いまの裁判官の要望あるいは国民裁判官に寄せる信頼を全うするようにしていこうというお考え、そういうことでございますね。
  10. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 私の申し上げましたのは、任期制というものは厳然として存在しておる。しかし現実キャリア的な運用がなされておるというところで、運用について十分の配慮がされるべきであるということでございます。そのことを別のことばで申しますと、たとえば先ほど申し上げましたように、任期終了における再任の問題の生ずる際には、その所属地方裁判所あるいは高等裁判所の各長の方等とも十分に意思の疎通をはかりまして、その任期終了して再任が問題になっておる裁判官の、過去十年における全人格的な評価というものは正しくなされるように、行き届いてなされるような配慮というようなものを十分加えられていかなければいけないという観点から申し上げたわけでございまして、私ども裁判官身分保障というものはやはり任期中の保障であって、任期終了から次の任期にまたがる際においてまで、そういったものの保障があるということまでは考えていないわけでございまして、これは憲法ではっきりと書いておりますので、その憲法の規定に反して、その間に橋をつなぐということまでは考えていない。ただ運用については、現実キャリア的な運用というものを踏まえまして、慎重の上にも慎重に事を運ばなければいけない。そういう心がまえで運用していきたいということを申し上げたつもりでございます。
  11. 佐々木静子

    佐々木静子君 裁判官としての全人格的な総合判断というようなことを、各地裁、下級審所長最高裁とでよく打ち合わせをされるというお話でございますが、この全人格的なというのは非常に抽象的な言い方でございますが、これをもう少し具体的にわかりやすくお話しいただきたいと思います。
  12. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 非常にむずかしい問題でございますが、まあ具体的になるかどうかわかりませんが、何人が見ましても、判事補あるいは判事あるいは簡易裁判所判事たるにふさわしいと見られるということであると申し上げるよりほかに方法がないのではないか。そして、あらゆるものが、そういった評価対象になってくるというふうに申し上げるよりほかに、しようがないのではないかというふうに考えています。
  13. 佐々木静子

    佐々木静子君 これは何人も、だれが見ても、裁判官としてのふさわしいというような趣旨の御答弁でございましたが、これは裁判官としてふさわしいという、その標準の取り方でございますが、その点をもう少し具体的に、非常にむずかしい問題だと、一番専門人事局長が言われるくらいですから、このむずかしい問題を一般国民はなかなか理解しにくい。ですから、もう少し具体的にわかりやすく説明していただきたい。
  14. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) それを具体的に説明しろというお話でございますが、非常にそこのところがむずかしい問題であろうかと思います。しかしこれをしいて申し上げてみますならば、ある高等裁判所長官法律の雑誌にお書きになっておるところがございます。そういったところが、あるいは少し問題を具体的に御指摘になっておるのかというような感じもいたしますので、そういったものを一応引用させていただいてはいかがだろうかというふうに考えております。それには、「常識的な適格性ということを考えてみると、廉潔勤勉信頼性があり、責任感が強いこと、ものの考え方が中正公平であること、自己の信念を堅持すると同時に他人言い分立場をよく理解協調性のあること、その間に相応した法律的視野とともに円満な常識、良識を備えていること、特に当事者や証人の主張や供述を虚心に聞き、言わんとすることを正しく把握して冷静に判断することが必要であるから、先入観を持ってある考えに固執し、自分考えに合わない他人意見や、話に謙虚に耳を傾けようとしないような、偏狭な性格の人は、合議体構成員としても不適であり、裁判官としては適格性がないということとなろう。」というふうに言っておられますが、私どもはそのことばだけで十分であるかどうかということになりますと、これはいろいろの問題があろうかと思いますが、そういうふうに私ども先輩裁判官が述べておられる。そういうところに、全人格的な評価対象基準点というものがあるのではなかろうかというふうに考えております。
  15. 佐々木静子

    佐々木静子君 いま裁判官理想像というようなものを、いまお聞かせいただいたわけでございますが、裁判官の中では、私どもが拝見さしていただいておりましても、理想像に近いようなりっぱな方もたくさんおられるわけですけれども、一面、理想像とは、失礼ながら、かなり離れているのではないかと思う裁判官もいろいろおられるわけでございます。その趣旨でいいますと、これは理想像を厳格に解釈すれば、これはもう裁判官のうちで最高裁のお説によると、十年間たったときに理想像にあてはまるというのは、非常に厳格にいえば数が少なくなってしまう。裁判官が足りない、足りないと言っておりますが、この理想像にぴったりあてはまるという人間は、非常に失礼な言い方ながら、ごく限られてしまう。これはやはり人間のことであるから多少はいろいろな欠点もある。また、長所というものも裏を返してみれば欠点にもなることでございますから、長所があるということは、また一面理想像のマイナスにひっかかってくるというようなことにもなるわけでございますが、こういう特別な普通の人間よりも以上に人格高潔、普通の平均的人間よりもかなり高度な、聖人君子的な人格最高裁は求めておられるのか、まずかりに求めておられるとすれば、そうした根拠はどこにあるのか、それを伺いたいと思います。
  16. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 先ほど申し上げましたところは、私ども先輩がこういう裁判官というものこそふさわしいというふうに描いたところでございまして、そういう意味では、  一つ理想像として描かれておるものであろうと考えております。そして現実人間は、確かにいま佐々木委員から御指摘がございましたように、いろいろ欠陥の多い人間でございます。しかし裁判官と申しますのは、やはり法律上の争点につきまして相方当事者言い分を聞き、そして、それに対して、こうであるという判断をくだす、有権的判断をくだす職責を有しておるわけです。しかも法律憲法に適合するかどうかということについてまで判断をする重要な職責を持っておるわけでございまして、まあ私どもは、民主主義というものは、こういうものを基礎にしなければ成り立たないのではないかとまで自負を、ひそかに自負をいたしておるような状況でございます。  そういう裁判官でございますので、勢い裁判官に求められるところのものは、非常に困難なものではございましょうけれども、高いところであってしかるべきものである。私どもはなかなかその域には到達できませんけれども、日夜その域に到達すべく努力研さんを怠ってはいけないというふうに考えております。要は、自分欠点を自覚して、その欠点をなくしていくように、どれだけ日々の努力をし、研さんを行なうかということでございます。私どもはそういう努力の有無というようなことには、格段に留意をしなければいけないのではないかというふうに考えております。現実裁判官が、すべてそういう欠陥のないものである、ということまで申し上げるほどではないわけであることは、おわかりいただけるのではないかと思っております。
  17. 佐々木静子

    佐々木静子君 先ほどの三月八日の最高裁裁判官会議までの時点において、非常に慎重に最高裁当局下級裁判所所長あるいは長官等の間で、裁判官の全人格的な適応性というようなことで御検討なさったということですが、その内容について非常に私から見ますと、いまなお抽象的な御答弁しかいただいておらないと思うわけです。現実に、再任の問題に関して、最高裁当局とあるいは下級審裁判所長官あるいは所長と検討なさったのですから、大体具体的に、どういう点について——いろいろあると思いますけれども、それを全部述べるということは、これはたいへんだと思いますので、まあこの点、この点、この点というふうな具体的な項目をおあげいただいて御説明いただきたい。それでなければ非常にこれは抽象的な議論になって、まあさっぱり雲をつかむようでわからないということになりますので、もう少し具体的に御説明いただきたいと思います。
  18. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 再任が不適かどうかということ、ことに判事補は、十年たちまして判事資格を取得した者につきましては、十年間の成長の過程というものを十分に、的確に把握して、裁判所法の求めておる判事たるにふさわしいかどうかという観点から、種々の検討を加え、その過程におきまして所属地方裁判所高等裁判所の御意見を十分に聴取するということは当然のことでございます。そういうふうにして御意見をいただいたものも、重要な判断の資料とされておるということは当然のことでございますが、それ以上どの点ということになりますと、これは人事の問題でございますので、私どもとしては、この点と、この点と、この点が問題になったというふうに申し上げることは、はばからせていただきたいというふうに考えております。
  19. 佐々木静子

    佐々木静子君 これは人事の問題だと、なぜそれはおっしゃるわけにはいかないのですか。たとえば、具体的に、何の何がしという裁判官が、どういうわけで再任が認められない、あるいはそのことで非常に問題になったというのであれば、これは当該当事者のプライバシーの問題その他があると思いますが、これは抽象的に、またどういうことが大まかな意味での基準になっておるかということを、具体的にお聞かせいただきたいということですから、これは人事のことだから申し上げられないという御答弁ですが、これは人事であっても一向にかまわないのじゃないですか。
  20. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) そういう意味で申し上げますならば、先ほど来申し上げておりますように、全人格的評価において、裁判所法で予想される判事たるにふさわしいか、どうかという観点が問題になると申し上げるよりほかしようがないのじゃないかと思います。
  21. 加瀬完

    加瀬完君 関連。いまの御説明のようですと、判断する者の恣意というものが十二分に働く余地が残りますね。判断する者の見解によって、全人格という評価は甲にもなるし、丙にもなる。私は、具体的にどうこうということではなくても、不適格条項というものはお考えになっているのでしょう。こういう条項に該当すれば、これは判事として不適格だという、不適格条項というのがあると思うのです。それを具体的にお述べになれば佐々木委員理解できると思うのです。  あなたのいままでの御説明では、一つ理想像ですよ。佐々木委員指摘のように、理想像どおり基準というものが判定基準になれば、合格するのはごく少数ということになる。しかし、そうじゃないのです。いわゆる、だめにされる判事というものはごく少数だという。それならば、そういう人には、特別な一つ基準からいって不適格条項が当てはまるということになるのじゃないですか。それでは、その不適格条項というのはどういうことか、それを明確にしませんから国民はさっぱりわからない。どういうわけで——身分保障というものがされるべき判事が、何か明確な理由もなく拒否されるのは、どういうわけだという疑問も出てくる。不適格条項はどういうことなのか、これを具体的に御説明いただきたい。
  22. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) たとえば明確なものとしましては、訴追の事由に該当する明確な理由でございますとか、分限の事由に該当する理由といったようなものが考えられるかと思います。しかし、それだけで理由は尽きるわけではございませんので、最後にやはり、裁判官たるにふさわしいかどうかということで考えていくより、しようがないのではないかというふうに考えております。  で、それでは恣意ではないかというお尋ねでございますが、そういった御懸念がおありになるのもごもっともかとは存ずるのでありますけれども、御承知のように、そういったことを御審査いただきます裁判官会議は、裁判官として長い経験を持つ方のみならず、在野法曹としての当然、御経験もおありになるだろう、あるいは一般学識経験者として学界に、あるいは行政界にそれぞれ長い御経験のおありの方が十五人お集まりいただきまして、あらゆる観点から慎重に御審議をいただくわけでございます。決して独任制の官庁が、たまたまこれを個人考えによって適格、不適格をおきめになるというものではないわけでございます。十五人の最高裁裁判官が自由な立場から、あらゆる角度からいま申し上げましたような経歴をお踏まえになりまして、そして御審議をいただくということになりますれば、おのずとそこに恣意的なものが入る余地はないと私どもは、確信をいたしておるわけでございます。
  23. 加瀬完

    加瀬完君 十五人のおっしゃるような方がおやりになっても、それならば、本日の時点で裁定をする十五人と、十年先になって判定を下す十五人の考え方が同一的な考え方が出るという根拠はどこにもないでしょう。出るであろうといった基準は持てても、必ず出るという保証はどこにもない。法律を扱うあなた方が十年たとうが、十五年たとうが、時勢の変化がありましても、判事を肯定するか、否定するかという基準をきちんきちんときめていかないで、それぞれの個人判断総合に待つということは、はなはだ非合理的じゃないか、法律以前のこれは考え方ですよ。法律という一つ基準があって、有罪とか無罪とかいろいろ判定するのです。それぞれ個人にまかしているのではない。これは有罪にすべきだ、あるいは無罪にすべきだ、そんな近代的裁判がどこにありますか。まして、裁判をする人を肯定するか否定するかのきめ方に、きちんとした合理的な基準を持たないで、個人の良識に待つといっても、そんなばかな考え方で一体、国民は納得すると思いますか。私は納得できませんね。あなた方は、いろいろ国民は問題にしますけれども、私どもはこういう基準があって、こういう基準にはずれるものは国民裁判官として認めるわけにいかないから、これをだめにすると、基準はかくかくであると言われれば、その基準について論議はあっても、なるほどと納得しますよ。そのやり方は基準はございません。理想的裁判官という一つ理想像考えて、それにはなはだはずれているかどうかということを、個人の観念で判定してきめていきますと、これは十五人でやりますから、決して間違いはございませんと、こんな前時代的な判定をされては、判定されるほうも、またその直接の影響を受ける国民もごもっともでございますというわけにはまいりませんよ。そう思いませんか。基準があるでしょう。なぜ基準をはっきり国民の前に出せないんですか。一歩下がっても現在判定をする十五人の方々が大まかにいって、こういう点は、これは不適格とお認めになるでしょうということがあるでしょう。それを話してください。そんな、個人に全部まかせるなんてばかな話がありますか。
  24. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 判事に任命するかどうかということは、判事たるにふさわしいかどうかということでございまして、その具体的な内容というものを、全人格的評価基準となる内容というものを、しいてあげよとおっしゃいますれば、先ほど引用させていただきました先輩裁判官の理想的な像の中に、これは求められてしかるべきものではなかろうかというふうに考えております。そして、そういう理想的な裁判官というものが、必ずしもそう現実にたくさんあるわけではない。で、その理想に、しかし一歩でも近づこうという努力、そういう努力というものがきめてとうといものであるということを先ほど来申し上げました。そういった観点から、その人は、判事としてふさわしいかどうかということを、きめていくよりほか言いようがないわけでございまして、これは、人を採用いたします場合に、できるだけいい人を採りたいと、しかし、いい人という意味はどういう意味かということと全く同様でございまして、私どもは、それは十五人の方に十分資料を提供して御判断をいただくということの中にこそ、むしろ具体的な合理性があるというふうにかたく信じております。
  25. 加瀬完

    加瀬完君 関連ですから、これでやめますけれども、いい人か悪い人かということは、国家試験があって、国家試験に合格した者は、これは適任だと認めているんですから一あなたの説明によれば、いい人を、合格して判事になった人を不合格にするというからには、何か理由があるだろうと、それを問題にしているんですよ、いま。初めから、判事にしても、検事にしても弁護士にしても、この司法試験で、裁判官なり弁護士なりの理想像というものを体している人格者であるという判定で、合格さしているわけじゃないでしょう。裁判官に足る能力、検察官に足る能力があると思うからこそ合格さしているんです。裁判官の地位というものはそれで十分じゃないですか。何か世界の歴史に残るような、裁判官としての理想像の実践者でなきゃならないという規定はどこにもないですよ。一応国家試験に合格して、国家の任命した者を落とすと言われるからには、何か特別の欠陥があるだろう、欠点があるだろう。それをあげなさいと私ども伺っているわけです。国家試験やって合格した者を、十五人だろうが、二十人だろうが、そういう人たちによって不合格をつけるということは越権のさたではありませんか。どういうことを基準にして不合格にするんですかと言えば、基準はありません。これでは一体裁判官の身分というのはどこで安定することになりますか。  時の政治権力とか、社会情勢とか、そういうものにひもをつけられたような裁判官の地位ということであっては、これは裁判官の地位としては、はなはだ公平を欠くものでしょう、不合理な存在でしょう。私はそう思うのです。ふさわしいかどうかなんて、そんな判定恣意ですよ。個人判断で何の基準もありません。容貌から着ている着物にまで恣意を働かせてもかまわないということですね。そんなものはどこに一体裁判官の身分と関係がありますか。裁判官の身分と関係があるというのは、はっきりしたもの、不適格条項はこれこれですというものが必ずあるはずですよ。それを出さないということは、どうも政治的関係、思想的背景でその合格、不合格、あるいは肯定、否定がきめられるのじゃないかという国民の疑惑を晴らすわけにまいりません。裁判官でなくても、地方公務員でも、国家公務員でも身分というのは安定されているわけですよね。それぞれの職業について理想像でなければ不合格にさせるとか、あるいは資格を剥奪されるということはどこにもない。もちろん、身分は安定されている。わけても裁判官は一番身分を安定させなきゃならないということは、これは国民の常識でしょう。それを十五人の判定によって肯定、否定がきめられるということは、これは身分の保全ということにはどう考えたってなりませんよ。法律家のあなた方がこういう不合理な理屈が通るとお思いになりますか。これは意見になって恐縮ですけれども、関連質問ですからやめますけれども、私はこんなことは納得できません。いずれ、あらためて伺います。
  26. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 憲法八十条の規定は、裁判官の身分を厳格に保障しておるということはそのとおりでございます。しかし、それは任期内の保障であるというふうに考えております。したがいまして、憲法に忠実である限りにおきましては、いわゆる終身的な保障裁判所構成法当時ございましたような定年になるまでの保障というものは、現在の憲法はとっていないというふうに考えておるわけでございます。そういう観点から話を申し上げておるわけでございます。また、そういう観点から裁判官任用というものを考えていかなければいけないというのが、私ども憲法を守るべき国民として当然のことではなかろうかというふうに考えております。私どもも一面の考え方からいたしますと、終身身分を保障してほしいという気持ちは、それはそれでないわけではございません。しかし、憲法はそれを否定しておるわけでございまして、そういう憲法のもとでどのような裁判官というものを考えていくかということではなかろうかというふうに私ども考えております。
  27. 加瀬完

    加瀬完君 そんなことを私は聞いていませんよ。終身保障をしろとか、無条件に裁判官の身分を安定しろとか、そういうことを聞いていません。国民の側から見れば、不適格裁判官が処罰されるというのは当然だと、これは。しかし、それには確固たる基準がなければおかしいだろうと、不適格基準というものがなくて、個人判定によって、理想像に遠いということだけの理由判断を下されることがあっては、これではあまりにも、かりに十年に一回だとしたって、そのあとの十年間、再任された者も、不安定の中に裁判を進めていかなきゃならないようなことになるのじゃないか。その後、その不適格条項がはっきりわかっておるならば、それに触れないようにしていけば安心だけれども、何が一体不適格条項になるのだか、さっぱりはっきりしないということでは、これはもう一番身分の安定を保障しなきゃならない裁判官が、一番身分が不安定ということになる。だから、どういう条項が不適格条項だか、それを的確に出してもらいたいということだけです。あなたのお答えのようなことはお答えになりませんよ。お答えしなくてもいいです。私は席を改めまして、私の質問としていずれ伺いたいと思います。
  28. 佐々木静子

    佐々木静子君 いま加瀬委員からいろいろと御質問がありましたが、その御質問に対して、最高裁裁判官会議が、資料をいろいろと集めて検討するという御答弁をいただいておりますけれども、この資料を集めるというのはどういう方法で資料を集めるのか。先ほど伺っているところでは、下級審長官、あるいは所長と連絡をとっているというお話ですが、長官あるいは所長から集められた資料をもって、最高裁裁判官会議にそれを資料として提出されるのか、そのほかにどういう方法で資料を集められるのか、お答えをいただきたいと思います。
  29. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 事務を担当いたします事務総局におきまして、公的な立場においてあらゆる資料を収集いたしまして、これを提出するわけでございます。その中に、所長長官の御意見等も当然含まれておるという趣旨でございます。
  30. 佐々木静子

    佐々木静子君 あらゆる資料といっても、これまたばく然とした話じゃないですか。これは裁判の上でも、人事の問題は裁判そのものではないかもしれませんけれども裁判の上で、一つの事件を審理するのに、裁判官がその審理の対象としていい資料というものはこれは法律的に限定される。いまの御答弁では、あらゆる資料ということです。そのあらゆる資料の中には、非常に片寄った考え方の人が提供する資料もあれば、あるいはねたみ、そねみ、いろんなことでその裁判官を困らしてやろう、あるいは再任させないでおこうということで、事実を曲げて資料を提供する者もある。だから、そういう点が心配になりますので、どういう方法で資料を集めるのか。一番の長である長官所長からいろいろと資料を収集されるという話はいま伺いましたけれども、そのほかにどういう方法で資料を集めるのか。また、長官といえども、何百人もの裁判官をその下にかかえているわけで、その一人一人の、最高裁の言われる全人格的ということは、とうてい一人一人のことについてはわからない。これはたとえば長官はどういう方法で資料を集められるのか、それをお答えいただきたい。
  31. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 所長長官には、これは十年たった判事補判事たるにふさわしいかどうかという観点から役に立つと思われる御意見をいただくわけでございます。この御意見は当然いろいろお調べになったところから、根拠のある御意見として提出されてくるわけでございます。また、御承知のように、任期は十年間ございますので、その十年間のあらゆる機会における所属所長長官評価といったようなものも当然入ってくるわけでございます。それはある程度の期間を通じ、また、所属所長長官というものは、十年間を考えてみた場合には、いろいろと、単数ではございませんので、その間におのずと客観的なものが出てくるということが考えられるのではないかと思います。
  32. 佐々木静子

    佐々木静子君 そうすると、いまの御答弁では、主として所長長官から集められるというわけですか。そうなると、その裁判官所長長官の気に入られておらない——これは人間の問題で、非常にりっぱな人格者ではあるけれども所長長官から気に入られない人もある、さほどりっぱな人でもないけれども、何となく虫が好く、非常に気に入られやすい人、いろいろとある。所長長官に気に入られる人は、勢いこれはいい資料が最高裁に提供される。所長長官に気に入られない人は、これは遺憾ながらいい資料が最高裁に提出されない。そうすると、これは裁判官所長長官に気に入られなければ、裁判官としての身分が十分に保障されないということにつながるのではないですか。
  33. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) これは所属所長長官がどういうふうな評価をなさるかということでありますと同時に、評価をされる方の問題でもあるわけでございます。私ども所長長官の御意見をいただきましても、それをそのままうのみにしていただくというわけではございません。やはり評価された方ということもまた評価されるのは当然のことでございます。これはあらゆる場合における人格評価ということに共通する一般的な問題と異なる扱いをなされるものではないというふうに御理解いただければいいのではないかと考えております。
  34. 佐々木静子

    佐々木静子君 いまのお答えになるような、ならぬような——私は答えになっていないと思うのですけれども、これでは勢い所長長官の気に入られなければ、これは裁判官としては安心できない。憲法の上では、憲法法律と良心だけに従って裁判をすればよろしい——裁判をすればいいというのではなくて、そうしなければならない。裁判官が、法律と良心よりも所長長官の気に入るか、入らないかということを考えながら裁判をしなければならない、そういう結果にならないですか。先ほど来人事局長は、自分憲法を守らなければならないからということを何度も強調されたわけですけれども憲法を守ろうとおっしゃるならば、なぜ法律と良心に従ってのみ、それだけに従って、それ以外のものには何ら拘束されないで裁判ができるという体制に持っていかれないのですか。あなたのおっしゃっている、局長のおっしゃっておられることを見ますと、所長長官に気に入られなければ身分が保障されないということは、これは御自分答弁でもはっきりすると思うのです。その点どういうふうにお考えになりますか。
  35. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 所長長官評価もいただくということと、所長長官に気に入られなければいけないということとは別問題であろうかと思います。気に入るとか、気に入らぬという問題ではございません。所長長官評価されるその観点というものは、やはり憲法に従って、良心に従って正当な職務を行なっているかどうかというようなことも当然判断基準になっておるわけでございまして、決して所長長官恣意を許すというものではないわけでございます。その点は私は御心配をいただくことはないのではないかと思います。で、かりに、それは人間でございますので、ニュアンスの差というものは出てくるかと思いますが、それは先ほど来申し上げましたように、ただ一人の方が評価されたものだけが問題になるわけではございませんで、十年間の期間を通じて、それぞれの方がそれぞれのお考えから評価になっておるということの中に、客観性というものはあるのではないかというふうに考えております。  それから資料は何も所長長官の御意見だけではございません。そういったものがすべて総合されまして全人格評価の資料とされるということでございます。
  36. 佐々木静子

    佐々木静子君 何回も繰り返しますが、所長長官から提出された資料のほかに何があるか、どういう方法でどういうものを主として集められるかということを伺っているのに、それにお答えにならずに、所長長官から集められた資料ということを強調されるから、私は所長長官のことを言っているわけですが、もっと民主的な方法で資料を集めていらっしゃるとしたらこの際はっきりおっしゃっていただきたいと思います。
  37. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 事務総局で責任を持ちまして公的に入手し得る限りの資料というものを集めております。
  38. 佐々木静子

    佐々木静子君 その事務総局で公的に入手し得る資料というものは、これはどういうものですか。公的な入手の方法ですから、これははっきりおっしゃっていいと思います。
  39. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 裁判所の部内から公的に入手し得る資料ということは申し上げられ得るかと思います。部外等からそういった資料を得るということは一切いたしておりません。この点ははっきり申し上げられるかと思います。どういう資料をどういうふうにして出しておるかということについてはごかんべんをいただきたいと思います。
  40. 佐々木静子

    佐々木静子君 そうすると、部内から公的に提出される資料というと、たとえばその所長長官からのルートを別として、そういうものがあるとすれば、だれかそのことばかり監視する担当者がいるとか、人格的にどうかということを監視する人がいるとか、そういうふうなシステムにでもなっているんですか。特に事務総局へ報告する義務を与えられている人が裁判官の中に何人かいるのですか。どういう意味か、もう少しはっきりと具体的に答えていただきたいと思います。お答えにならないと、これは国民としても、いろいろ解釈をして疑惑を持つ以外に方法はない。これは疑惑を持つ国民が悪いのじゃなくて、お答えにならない最高裁が悪いということになるわけですから、その点をはっきりとお答えいただきたいと思います。
  41. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 人事の人物評価に関する一般的な原則というものは、裁判所においても存在するわけでございまして、そういうような原則から集められた資料であるということを申し上げれば、当然おわかりいただけるのではないか、それ以上にだれのどういうふうにつくった資料、あるいはそういう評価をする人が、あちこちにあるのではないかというようなことは、これは想像もできないことでございまして、そのようなものを私が公的な資料と申し上げておるのではないかということは、これは当然おわかりいただけるのではないかというふうに考えております。しかし、さらに突っ込んで、だれからどういう資料を得ておるかというようなことになりますと、これはやはり人事の問題でございますので、申し上げることは御遠慮させていただきたいと考えております。
  42. 佐々木静子

    佐々木静子君 この三月六日に金野裁判官再任願いを撤回いたしましたね、この事柄についていろいろと新聞で報道されているわけですけれども、この新聞で報道されているところを見ますと、この金野裁判官が上司との間に意見の食い違いがあったというようなことが報道されている。それは事実ですか。また、それは先ほどから言っておられるその最高裁判断対象資料の中に入っているのかどうか、その点を御答弁いただきたい。
  43. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 具体的な金野裁判官に関する人事の問題でございますので、お答えをいたしかねるわけでございます。
  44. 佐々木静子

    佐々木静子君 ですから、一般的な問題、名ざしにならないように一般的な問題で、抽象的な問題としてどういう場合とどういう場合を答えてほしいと言っているのに、それをお答えにならないから、たとえば金野裁判官の場合ということを出してやらないといけない。  そうすると、これはまた一般的な問題としますが、この新聞報道によりますと、たとえばこの再任の審査の基準に、その裁判官のした判決が問題になっているというふうに、これは有力紙各紙が報道しているわけです。これに対して人事局長は、裁判は、判決の内容は問題にしていないということを、これも私、新聞紙上でそう言っておられることを拝見はしているのですけれども、それは実際はどうなのか、その点をお答えいただきたい。これは抽象的な問題としてお答えいただきたい。
  45. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 個々になされました判決の内容の当否ということを、御検討いただく段階において問題にはされていないというふうに申し上げられるかと思います。
  46. 佐々木静子

    佐々木静子君 これは実は最高裁のある課長が、判決の内容は問題ではないが、判例違反の判決をした回数が問題なのだということをある人に、これはかなり大っぴらな席でおっしゃったということを私聞いております。この最高裁の判例に反する判断下級審裁判官がしている、これはやはりこの最高裁裁判官会議での検討資料の対象になっているわけですか。
  47. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) ちょっとお尋ねの趣旨がよくわからないのでございますが、もう一度おっしゃっていただきたいと思います。
  48. 佐々木静子

    佐々木静子君 これは実はお名前をあげるのは穏当を欠くと思いますので私は申し上げませんが、たぶん最高裁のほうでは御見当がおつきになると思いますが、判決の内容は問題ではないが、最高裁判決と異なる判断をしたその回数が多過ぎる、それが問題だということを言っておられるということを私は聞いておるわけです。最高裁の判決と異なる判決を何回もしたということがかりに事実であるとするならば、これは再任するかしないかの審議対象になるのかどうか、そのことをお答えいただきたいと思います。
  49. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 裁判官は良心と法律にしたがって判断するわけでございます。ある事案につきまして最高裁の判例と違った見解を採用するということをいたしました際に、同じような事案が相次いで出てきた、その途中から判断を変えるというようなことはできがたい場合があるのではないかと思います。もっとも判例のない場合に、ある判断をいたしまして、同種事案の係属中に最高裁の判決が出て、その点についての最高裁判断が示された場合、考え直しましてやはりそれに従うべきであるというふうに考える場合もあるだろうと思いますけれども、通常の場合、最高裁判断と違うということを承知の上で、十分検討してなお違った見解をとりました場合に、相次いで出てくる同種事案について異なった判断をするということは非常にできがたいことであろうかというふうに思います。しかし、そういった場合には、またいろいろ他の方法もあろうかと思いますけれども、そういう意味で、同種の判断が相次いだというようなことだけで、それはどうこうされるというようなことはないのではなかろうかと私は考えております。
  50. 佐々木静子

    佐々木静子君 その最高裁の判決と異なる判断、その判断が同種の判決が相次いだということだけでは問題にならないという御答弁だったんですが、これは裏を返すと、そのことだけでは問題ではないけれども、これとほかのこととがいろいろあれば問題になるということにつながると思うんです。その最高裁の判決と異なる判断をその裁判官が持っておる場合、その場合に自分の異なる判断を固執して判決をやっていくことが好ましいのか、あるいは自分がたとえばこの問題についてAという判断をした、ところが、その後最高裁の判決がBという判断をした、それではAをやめて、その次からBにするというふうに、最高裁の判決に従うのが好ましいのか。それは裁判官としてどちらをとるべき態度というふうに最高裁としたらお考えになっておるか、これは私は非常にむずかしい問題なので人事局長から最高裁のお立場を教えていただきたいと思います。
  51. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) これは御指摘のように非常にむずかしい問題でございますが、私どももその場合に、どういうふうになすべきかというようなことについての、現在確定的に申し上げるだけのものを持っておりません。ただ、私全く個人としての考え方、これは御参考になるかどうかわかりませんが——からいたしますれば、いろいろのことが考えられると思います。たとえば合議に回わしてさらに十分に審議を行なって、自分たちの考えと同様の結論に導くようにするということも、これは裁判官としてとるべき一つ立場であろうかと思います。しかし、これは具体的にその事件を担当される方が、どういう考え方をとってやっていくかということは、あくまでもその裁判官が自己の全精力を傾けて決定すべきことでございまして、他からとやかく言うべきものではないのではないかというふうに考えております。
  52. 佐々木静子

    佐々木静子君 そうしますと、最高裁当局としても、この問題についての是非というものは、全くいまのところ基準というものはわからない、非常に具体的問題で、どちらが裁判官としてとるべき態度であるかということの、はっきりした考え方はないとおっしゃるわけですね。  そうしますと、この最高裁の判決と異なる考え方を、その裁判官自分の信念として持って、自分の良心に従って法律を解釈すればどうしてもこうなる、異なる判断になる。そういう場合には、その自分見解最高裁判決と異なる判断を繰り返したとしても、それはいまその事柄について態度を全くきめておらないと、最高裁とすれば、全然マイナス要素には働かないわけですね。
  53. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 私は、それは個々のケースについて、それを担当する個々の裁判官が、慎重に考えて決定すべきものではなかろうか、ということを申し上げたわけでございまして、そういうふうにしてきめられたものであれば、それ以上に問題になるということはないのではないかというふうに考えております。
  54. 佐々木静子

    佐々木静子君 問題になることはないのではないかじゃなくて、問題にすべきではないとお考えになるべきじゃないかと思うのです。といいますのは、これは最高裁として、そうした問題について、まだ一定の基準なり考え方が非常にむずかしい問題で、まあ、大ベテランである人事局長ですら、よくわからぬということなんですから、わずか十年やそこら——まあ、十年といっても十年の実績を全部見られるわけですから、この四月に修習を終わってすぐそういう事柄に到来する裁判官——まあ、すぐには一人で裁判できないから、そういうことはないかもしれませんけれども、三年や五年でそういうことに到来することになる裁判官があるかもしれない。ベテランの人事局長がわからぬものが、三年や五年の人間に、これはこうすべきであったとか、どうすべきであったとか、それはとうてい要求するほうが無理なんです。人事局長でわからぬ事柄について、そうだったからこうだったというふうに、それをかりにもマイナス要素に働かすということになるとすれば、それは最高裁恣意ではないか、私はそういうふうに思うわけです。  ですから、そのことでマイナスにはできないというのじゃなくて、人事局長すらわからないことなんで、そのようなむずかしい問題ですから、そのことについて、かりに甲乙判断が、見解が分かれたとしても、そのことによってマイナス要素にしないと思うじゃなくて、すべきではないというふうにこれはお考えになりませんか。局長にわからぬものを、三年や五年の裁判官に要求したって、それは無理な話じゃないですか。私は、そういうことはマイナス要素には絶対にすべきではない、そういうふうにお考えになるべきだと思うのですが、どうですか。
  55. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 具体的に事件を取り扱う裁判官が、全知全能を傾けて決定すべき問題であるということを申し上げておるわけでございます。
  56. 佐々木静子

    佐々木静子君 それが非常にむずかしくて、国民にもわからない。また、裁判官にも大多数の裁判官には、これがわからないからこそ問題になっていることなんです。まあ、人事局長は非常に賢明だから、そうおっしゃればわかるのかもしれませんが、やはり一般のわかりにくい人間を標準におっしゃっていただかないと困るわけなんでございまして、これからさき、たとえば裁判官自分の信念に基づいて、良心に従って判決をしたところが、最高裁の判決はこれと違う判断をしている。そのときにどうすべきかということで非常に迷うわけですから、その事柄についてはやはり、いまのような抽象的な話ではなしに、もう少しこれは、それは憲法できめられているとおり、やはり良心を優先さすべきだ。あるいは最高裁とすれば、良心よりも最高裁の判決を優先して考えているんだ、そのほうが好ましいのだということであれば、そうと、どちらか言うていただかないと、局長のように賢明な人はそれでいいかもしれませんが、一般凡人はなかなかわからないですから、その点をはっきりと、もう少しわかりやすく説明してほしいということです。もう少し親切に説明していただきたいということです。
  57. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 良心を優先させるべきか、最高裁判決を優先させるべきかというような形でもって問題を提起することは、できないのではないかというふうに考えております。  私どもは、やはり、事裁判官の良心ということを規定しました憲法七十六条の規定の関連において、ものごとを考えていかなければいけないわけでございまして、その点はきわめて慎重であらねばいけないというふうに考えております。ただ言い得ることは、その裁判官が同じ判断を繰り返すか、あるいはどのような措置をとるかということは、あくまでその事件を自分の責任において処理いたします裁判官として、七十六条の原点に立ち返って、自己の良心に従って判断すべきことであるというふうに申し上げるよりほか方法はないのではないかと考えております。
  58. 佐々木静子

    佐々木静子君 いま私はこのことをくどくど言っておりますのは、これはいままた具体的な問題に戻りますが、三月六日の金野裁判官再任の願いを撤回されたときの新聞報道が、この金野さんが最高裁の判決と異なる判断をした、しかも何度も繰り返してやったということが有力各紙に載っているわけです。でありますから、かりにそうだとすると、これは——憲法の条文から見ても、裁判官法律と良心のみに従って裁判をするということが要請されている。最高裁の判決に従って裁判をせよということは一言も書いておらない。これは重大な問題ではないかと考えたから申し上げているわけです。ですから、そういう考え方をとっておらないなら、おらないということを——これは結論的に最高裁は、そういう新聞報道に載っておったような、そういう最高裁判決と異なる判決を何回もやったということは、全然それは問題にはなっておらないのだということ、そういうことであるならば、そういうことであると、はっきりおっしゃっていただきたい。
  59. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 新聞にも出ておりますが、具体的な裁判内容の当否というようなことは問題になっていない、なっていなかったということを先ほども申し上げたわけでございます。十分おわかりいただけるのではないかと思います。
  60. 佐々木静子

    佐々木静子君 この記事を読みますると、そういうことで、下級審裁判官、特に若い裁判官の方々、良心的に裁判をやろうと思っている裁判官に対して、やはり非常に動揺を与えることが懸念されるわけです。また、現に、いわゆる思い切った判決というものはなかなかやれないのじゃないかということを、個人的に話をしている裁判官もいるわけなんです。ですから、そういうことで、その判決が最高裁判決と相反しておって、かりにそのことが何回も重なったところで、それはごうも再任をしないということの理由にはならぬのだという、その人事局長見解を、これははっきりと確認しておきたいと思います。そのとおり間違いないわけですね。いま私の申し上げたとおりいまの御答弁で間違いないということをはっきり確認さしておいていただきたいと思います。それから、問題は返りますけれども、今度司法修習を終わる二十四期の修習性の人たちの、裁判官になりたい、裁判官を希望している新任の問題でございますが、この事柄に対して司法修習生のほうから最高裁当局と話し合いをしたいということで要望書が出ている。これは、今月の九日ではないかと思いますが、司法修習生四百九十八人の中から、四百十五人の人の名前で、最高裁に対して新任問題についての疑問に答えてほしいという要望書が出ているということを聞いているのでございますが、それは事実でございますか。
  61. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) そのようなものが出ております。
  62. 佐々木静子

    佐々木静子君 出ているとしますと、その要望のおもな内容を述べていただきたいと思います。
  63. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 相当長いものでございますが、全部お読みいたしましょうか。
  64. 佐々木静子

    佐々木静子君 要点だけおっしゃっていただきましたら……。
  65. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 要点というのが二十項目ほどにわたるいろいろの疑点と申しますか、そういったものが記載されておりますので、ちょっとそれをまとめて要点というふうにいたしかねるのでございますが、佐々木委員はお持ちでございましょうか。
  66. 佐々木静子

    佐々木静子君 私は、そのこまかい内容を何でございますか、それを見せていただきましょうか。
  67. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) ずいぶん膨大なものですか、時間的に。
  68. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) ちょっと膨大といっても何でございますが、ここにこまかく書いてある……。
  69. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 五、六分でやられるものですか——じゃあお願いします。
  70. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) それでは、     要 望 書   一昨年、二二期三名の裁判官志望者が不採用となり、さらに昨年は、二三期七名の裁判官志望者が不採用となりました。   私達は、最高裁判所理由を明らかにしないなかで、この問題について多くの疑問と不安を抱きながら幾度となく話し合ってきました。しかし現在に至ってもなお納得のいく理由を見出せません。むしろ思想・信条・団体加入による差別ではないかとの疑いを多くの者がもっています。さらに、最高裁判所が任官基準らしきものとしてこれまで表明してきた成績・女性・年齢・身体障害者等についても、まだ納得できない点が少なくありません。   昨年一二月一七日の任官説明会における矢口人事局長説明によっても、私達の右のような疑問は解消されませんでした。   私達は、修習を終え、法曹として巣立ってゆく日を間近にひかえ、二四期修習生の中からも裁判官を志望しながら採用を拒否される者がでるのではないかとの危惧の念を抱かざるを得ません。同時に研修所において自由な雰囲気が失なわれていくのではないかとの感を禁じえません。   そこで私達は要望書を提出しますので、全修習生の参加のできる公開の場で、私達の疑問に答えて下さるよう要望します。日時は三月二一日を要望します。     記  〈思想・信条等について〉  一、特定の思想をもっていると裁判官としてふさわしくないのですか。その思想はどういう思想で何故ふさわしくないのですか。ふさわしくないとして、それはモラルの問題ですか。法的適格の問題ですか。  二、デモに参加することは任官不採用の理由になるのでしょうか。検察実務修習での取調修習の拒否は任官不採用の理由になるのでしょうか。    クラス委員や寮委員になること、クラス討論への参加、公害被害者との交流会へ参加することなどが任官不採用の理由になるのでしょうか。  三、青法協に加入していることは任官にあたり不利益な要素となるのでしょうか。なるとすれば何故なのでしょうか。  四、家庭環境等を任官採用にあたり考慮されるのでしょうか。  五、以上のようなことが採用の基準になるとすれば、その資料はどこから得られるのでしょうか。  六、従来、最高裁裁判所法五二条一項(積極的政治活動の禁止)の解釈として如何なる思想を持つことも自由であり、政党員になること自体は問題ないとしておられましたが、この見解は変更されたのでしょうか。もし変更されたのだとしたら、それは何故でしょうか。  七、昨年一二月一七日の任官説明会で矢口人事局長が言われた「誰が見てもいい人」「素直な人」とは具体的にはどういうことなのでしょうか。  〈成績について〉  一、裁判官採用にあたって基準となる成績は二回試験合格以上のものを要求しているのですか。もしそうだとすれば、裁判官検察官弁護士より成績優秀でなければならない根拠はなんでしょうか。  二、成績は十分斟酌するとされますが、何の成績を基準とするのですか。二回試験、前期、実務期、後期の各成績の総合ですか、それともそのうちの一部ですか。またそれらの成績のいずれに重きをおき、かつそれらの割合はどの程度ですか。  三、実務期の裁判官評価(任官するといいというような意見)はどの程度尊重しているのですか。  四、現行の二回試験の下で裁判官としての能力を正しく判断できると考えておられるのですか。  〈女性任官志望者について〉  一、女性であることが、任官にあたり不利益となるのでしょうか。なるとしたら何故なのでしょうか。  二、女性の採用にあたり条件をつけられるのでしょうか。つけるとしたらどのような条件なのでしょうか。  三、夫婦の裁判官については、同居を当然配慮すべきではないでしょうか。  四、女性と男性の差異を認めたうえで、人事管理上も、任地、家事、育児等に配慮するのが男女の真の平等を保障することになるのではないでしょうか。  〈年令について〉  一、昨年の任官説明会で矢口人事局長は四〇才位を目途にすると述べられましたが、それはどういう根拠からなのでしょうか。  二、判事補と簡易裁判所判事とで年令について差別されるのでしょうか。されるとしたら、それは何故なのでしょうか。  〈身体障害者について〉  一、身体障害者の人に対して普通の身体の人と同等の仕事を要求するのでしょうか。  二、任官に際しマイナス要因となるのでしょうか。  三、以上の点について実質的平等を守れると考えておられるのでしょうか。  〈理由不開示について〉   これまで不採用の理由を明らかにされていないのは何故なのでしょうか。拒否された本人理由の開示を求めても、何故明らかにされないのでしょうか。  以上のようなものでございます。
  71. 佐々木静子

    佐々木静子君 この事柄に対しまして、この要望どおり——二十一日の会合に、最高裁としては要望に、疑問にお答えになる御予定ですね。
  72. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 以上、非常にこまかなことが要望書にあるわけでございますが、その大綱につきましては、私どもこれまでも説明会等でも説明をいたしておりますし、昨年度も同種要望書が出ておりました。それに対する回答でもって示しておるところでございます。またあらゆる機会——当国会、あるいは衆議院の法務委員会等でもこの問題について、国民の皆さんを代表する委員の方々に御説明を申し上げておるわけでございます。しかも今回このような要望書を出された方、これは必ずしも裁判官志望の方ではないようでございます。で、裁判官志望の方がいろいろの点に御疑問をお持ちでございますれば、これは幾らも御説明をするにやぶさかではございませんが、そういった一般的な質問に対して公開の場でお答えするということはいかがなものであろうかというふうに考えておりますので、三月二十一日に来てほしいということでございますが、いろいろ仕事の都合もございましてとても出向けませんので、出席するということは現在のところ考えておりません。
  73. 佐々木静子

    佐々木静子君 まあいろいろ項目が多くて、最高裁のほうとしてもごめんどうでもあるかもしれませんが、これは単に司法修習生がその点を疑問に思っておるというだけではなしに、やはり国民にとって最も利害関係のある裁判官任用の信任の問題でございますので、これはできるだけ最高裁としてもお答えになっていただきたい。そしてまあ司法修習生の人たちのこの不安な気持ちを一刻も早くぬぐい去っていただきたい。そしてこの裁判官を希望している六十六人、これ全員をぜひとも希望どおりに裁判官に信任させていただきたい。昨年のような不明朗な事件というようなものは、これはたいへん国民裁判に対する信頼を失うものである、私どもそのように解釈しておりますので、国民に対する裁判官信頼を回復するために、ぜひともこれは全員採用をお願いしたいわけです。  それからそのうち四名の女性の裁判官につきましても、かねてより非常に採用、信任を求めるのに対して、いろいろな意味での任官希望の取り消しなど、いろいろな形での圧力がかかったり、あるいは不採用になったりしている比率が非常に多いわけでございますが、これは先ほど来、憲法を尊重していこうという人事局長の非常に心強い御発言もございましたたてまえから考えましても、ぜひ憲法精神を生かして、男女平等に、女性であるからといって差別することなく、全員信任していただきたい。このことを強く要望いたしまして、私時間の関係もありますので、この再任、信任の問題はこのあたりで打ち切ります。  次は、先日来問題となっております一人制の問題についてお伺いさせていただきたいと思います。  これは先ほど最高裁当局のお考えも伺ってきたのでありますが、たとえば裁判官再任の問題などにつきましても、下級審所長長官などから資料を集められる、あるいはそのほかの方法はつまびらかにならなかったわけですけれども、その裁判官が十年の任期に際し、判事補時代にどのような裁判官であったかということをいろいろ上司、まあ上司とはおっしゃらなかったのですけれども、いろいろな資料を検討してみるというような、慎重に考えているという御答弁最高裁当局からなされたわけですが、この一人制の問題というものもこれと無関係ではない。といいますのは、これは未特例判事補判事と二人の組み合わせになって、そしてこの一人制審理をやっていく、こういうときに、この判事である裁判官がこの未特例判事補を教育していくということは、これは先日の御答弁でもはっきりとお聞きしているところなんです。この教育されるということ、これが結局一番判事が未特例判事補と接触することが多い。また、判決について未特例判事補意見を述べることができるというふうな規定になっておる関係上、この判事と未特例判事補とのマン・ツー・マンによる指導、教育というものが、これはいやでもその方向に持っていかれる。その場合に、当該判事自分の審理に関与する未特例判事補がどういう人間であるかというようなことを、これはやはり私どもは、これが最高裁に集められる資料の一つになるのではないかというふうに私はおそれているわけです。  そういう意味におきまして、この未特例判事補に対する教育という名目で進められようとしているこの一人制審理というものは、これは裁判官再任の問題と全然無関係ではない。無関係でないどころか、非常に重要な問題があると思うわけなんです。この未特例判事補を教育する立場に立つこの判事が、これがいま人事局長の言われた、最高裁が十年目に、その判事について、どういう人間であるかという判断になる一つの資料を提供する可能性がきわめて多いように私ども思えるわけなんですが、これは、判事がその未特例判事補について何らかの勤務評定的なものを出す。あるいはどういう人間であるかという報告書を所長、あるいは長官に出す、そういう危険があるのかないのか。その点をまずどういうふうにいまその中で考えておられるのか。私どもその点を非常に危惧されますので、かりにそういうことがあり得るとすれば、これはどうしてもこの点はやめていただかなければならない。そういう危険が起こらないために、いろいろな措置を考えていかなければいけない。事務総局としますと、この判事と未特例判事補との関係についてどのように考えておられるのか。そのような危惧は全くないというなら全くないんだということをはっきり言明していただきたいと思うわけなんです。
  74. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 全人格的な評価対象になるかどうかという問題でございますので、私からお答え申し上げたほうがいいのではないかと思います。これは判事補には限りませんけれども判事にいたしましても研修とかいろいろなものがこれまでもございました。そういったものもその人間評価対象評価する場合の資料といったようなものになるのは当然のことでございます。そういう意味におきまして、判事補がその職務として、一人制審理の特例に関する規則ができた場合には、それによりまして職務を行なうわけでございますが、そういった職務行為というものは、当然、全人格評価対象になるということは当然のことではなかろうかというふうに考えております。
  75. 佐々木静子

    佐々木静子君 そうすると、この未特例判事補判事意見が合わない、あるいは判事と違う判断をした、まあ違う判断をしたところで、これは議決権がないわけですから、意見を述べるというだけで、意見が食い違うということにとどまるのか、あるいは形の上ではどどまるだろうと思いますけれども、そういうことは非常にその未特例判事補の将来の再任の問題についてまずい結果、マイナスの要素に働くということになることは、避けられないことになるわけですね。
  76. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) それは別問題でございまして、先ほど最高裁の判例と違う判決をいたしました場合における——判決の当否というものは、問題にならないということを申し上げたのと全く同様でございまして、その判事補が関与いたしますその関与のしかたというものは、良心に従って自分の思うところを述べるということによって関与するわけでございます。したがいまして、それが一人の裁判官との間に意見の相違がありましょうとも、それこそ正しい関与のしかたでございまして、一人の裁判官の御意見がどういう考えであるかということを伺って、それに同調するような意見を心ならずも述べるとすれば、むしろそれこそいけないことでございます。  そういう意味におきまして、どういう意見を述べるか、違った意見を述べるかどうかというようなことは、全然その判事補が職務を遂行する上において欠けるところがあるかないかということとは無関係のことである、こういうふうに御了解いただければいいのではないかと思っております。
  77. 佐々木静子

    佐々木静子君 これは合議体でもそういうことがあると思うのです。しかし、合議体意見が合わない場合といっても、これは裁判所法ではっきりと、かりにその意見の合わない判事が総括する裁判官であろうと、こちらが、一方が未特例判事補であろうと、これは三分の一ずつの議決権を持っている。ところが、この一人制審理の場合は、これが意見が合わない場合には、全面的にその判事意見が判決として出るシステムであるというふうに、私先日来御説明を伺ったわけですけれども、そういうことになってくると、これは意見が合わない、まあ判事とかりに意見が合わなかった場合には、それは全く権利がないものとして全く無視されるという状態になってくる。そうなると、これは合議制における意見の対立というものと全く違ってくるのではないか。  そういう意味において、一人の判事と一人の未特例判事補と二人で、しかも一方に議決権がないかっこうで関与するということは、これは判事意見というものが非常に強行される。それが判決の上でそうなるというだけでなくって、これが議決権がないので、知らず知らずのうちにこの判事考え方というものに盲従せざるを得なくなってくるのではないか。そういうところが私ども非常に懸念されるわけです。あるいは最高裁当局はまあそういうところがねらいで、この一人制審理という方法を考えていられるかもしれませんけれかも、そこら辺をいまこの再任問題というものとひっかけて考えてみるときに、非常に私ども不安に思うわけですが、全くこの意見が違ってきても、これは何ら未特例判事補に対して不利益に働くものではない、そのことは間違いないわけですね。
  78. 矢口洪一

    最高裁判所長官代理者矢口洪一君) 当然のことでございます。
  79. 佐々木静子

    佐々木静子君 それではこの間の話の続きに入りたいと思うのですが、この三月七日の参議院の法務委員会、あるいは三月八日の衆議院の法務委員会におきまして、これはいずれもこれほど重大な裁判制度と変えようという、事実上非常に大きな変革をもたらすものであるという、この最高裁規則の改正というものについて、なぜ三者協議をしないのかということを、これは最高裁のほうに何回にもわたってお尋ねしたわけです。この三者協議というものは、これはもう御承知のとおり、昭和四十五年五月十三日に参議院の法務委員会で、「今後、司法制度の改正にあたっては、法曹三者の意見を一致させて実施するように努めなければならない。」という附帯決議がなされているわけなんですが、これはまさに司法制度の改正に当たるわけで、これは法曹三者が相談の上でなければならないということは、これはもう国会の場ではっきりきめられたことなんですね。なぜこれを三者協議をなさらないのか、その点をもう一度お伺いしたい。これは最高裁の総務局長の御答弁でも、ぜひとも自分たちもこの機会にやりたいのだというお話なんですが、それならぜひ私はやっていただきたいと思うわけなんです。その点総務局長とすると、三者協議、三者で話し合うお気持ちは、この間の御答弁どおり、もちろん大いにおありになるわけですね。
  80. 長井澄

    最高裁判所長官代理者(長井澄君) 繰り返し御答弁申し上げましたように、三者協議の場ができますことは、これは国会の決議に沿うことであって、きわめて望ましいことでありまして、その場の実現に努力いたしましておる段階でございます。三者寄り合いまして、何とか共通に話し合いのできる場ができないものか。今日も寄り合いまして、その場の設定についてのいろいろな条件等について話し合いをしておるわけでございますけれども、なかなか一致点が見い出せない、先行きの見通しもまだ明確になっておらないという段階でございまして——三者協議と申します、現在具体的に話題になっております三者協議の形での具体化ということがなかなか見通しが得られない。そのような実情にございますために、三者に学識経験者等も加えました規則制定諮問委員会で三者の話し合いができるということを考えまして、最高裁判所が諮問された、こういう関係になっております。
  81. 佐々木静子

    佐々木静子君 これは前回申し上げましたように、諮問委員会と三者協議とは全然別個の問題なわけなんです。で、三者協議の場が得られないとか、できないとかおっしゃいますけれども最高裁が話し合いたい、弁護士会と話し合いたいということであれば、これは法務大臣いまおられないけれども、場はあるもないも、この目と鼻のところにあって、もう帰り道にでも三者で話し合いをされたらどうなんですか。ニクソンが中国へ行って話しをするというのであれば、それはいろいろとむずかしいかしらないけれども、それだって実現している世の中に、この目と鼻のところにある最高裁と日弁連と法務省とが話し合う場がないとかあるとか、そういう問題じゃないのじゃないですか。話し合おうと思ったら、十分のうちにでも話し合えるのじゃないですか。
  82. 長井澄

    最高裁判所長官代理者(長井澄君) いまお尋ねになっております三者協議の場というものは、最高裁判所から日本弁護士連合会及び法務省に対しまして三者協議の場を持ちたいという申し入れをいたしたわけでございます。それに対しまして申し入れ先から、それぞれ御返答がまいりましたが、三者間の意見が一致いたしませんために、三者協議が開始できないでおるというのが現在の状態でございます。持ちたいのは切望しておるところでございますけれども、三者の話し合いを現在開始できないという状態は、これを御了承いただきたいと思います。
  83. 佐々木静子

    佐々木静子君 これは最高裁のほうで、この規則の改正を二月の十八日に出されているわけですけれども、それからあとにそういう申し入れを、こうこういう問題があるから話し合いをしたいという申し入れをされたのですか。
  84. 長井澄

    最高裁判所長官代理者(長井澄君) ただいま御指摘の、昨年の二月の申し入れというのは、どれをさすのか私によくわかりませんが……。
  85. 佐々木静子

    佐々木静子君 ことしの二月、この間のこの最高裁の規則改正の諮問委員会にはかられましたね。それからあとですね。あるいはその前後に、こういう問題があるので話し合いをしたいという申し入れをしているかということを聞いているのです。
  86. 長井澄

    最高裁判所長官代理者(長井澄君) 一人制の規則に関しましては、諮問委員会に諮問を出されたということで御連絡を申し上げまして、諮問委員会の開催をお願いしたわけでございます。  なお、三者協議と申しますのは、昨年の六月二十四日に、最高裁判所の事務総長から日本弁護士連合会の事務総長及び法務事務次官に対して三者の協議をいたしたいということの申し入れをなしたわけでございます。それに対しまして、法務事務次官のほうからは、不日回答がまいりましたけれども、日本弁護士連合会からはすぐには回答がまいりませんで、昨年の十月十八日になりまして、最高裁判所の申し入れに対しまして、反対提案の形で、話し合いの条件についての申し入れがあったわけでございます。で、当初の申し入れに対しましては、すでに法務省から回答がございまして、この間に食い違いができましたので、連合会の回答に対しまして、再度、最高裁判所から、法務省の回答もすでにきておることであり、食い違いがあるのでさらに御検討をわずらわしたいということで、意見調整のための反対の申し入れをいたしたわけでございます。それに対しましては、いまだ正式の回答がまいっておりません。ただ、関係者の間で、下方での話し合いは、その後いろいろ条件について続いておりまして、最近も持たれておりますし、近い機会にまた連合会のほうの方が具体的な提案をお持ち越しになるというふうに伺っておりますので、いまのところは、下方の話をまとめまして、三者協議の場を早く確定して三者の話し合いを始めたい、このように努力している段階でございます。この場ができますればきわめてけっこうだと思っております。
  87. 佐々木静子

    佐々木静子君 私のお尋ねしているのは、この参議院の附帯決議を見ましても、「司法制度の改正にあたっては、法曹三者の意見を一致させて実施するように努めなければならない。」となっているから、過去のいきさつを私聞いているんじゃなくて、現在の問題を聞いているわけなんです。この一人制の問題について最高裁から御提案になるとすれば、なぜこの三者協議を呼びかけられないのか。それで、呼びかけるも呼びかけないも、目と鼻のところにあってなぜされないのか。そういう場をつくるとかつくらないとか、そういうむずかしい問題でも何でもないと思うんです。もう電話をかければ五分のうちにでも集まれる場所におりながら、なぜこれをなさらないのか。これをなさらないということは、法務省やら弁護士会を無視しているという問題だけではなくて、国会の附帯決議で正式に決議したものを無視されているわけです。最高裁当局は国会をそのように軽視されていいのかどうか。どういうわけでそういうふうに国会を軽視されるのか。そういうことが許されるのかどうかということを私は伺っているわけなんです。ですから、国会できめたとおりになさったらどうですか。一人制にするについてこういうことをしたいので集まろうということで集まったらどうですか。そのことを伺っているわけです。
  88. 長井澄

    最高裁判所長官代理者(長井澄君) 国会の御決議を無視する意思は毛頭ございませんで、過去の問題ではなくて、三者協議を持てるように三者間で話し合っているという現状でございます。ただ三者で話し合いにまだ入ることができない、三者の意見が、話し合いを始めるように一致されていないということでございますので、諮問委員会に御諮問になった、こういう結果でございます。諮問委員会に三者が幸い出ておられるということになっております。
  89. 佐々木静子

    佐々木静子君 これ何回も言いますが、諮問委員会と三者協議とは全く別個の問題で、諮問委員会の顔ぶれを見ても、なるほど弁護士もおれば法務省の人もおりますけれども、この幹事一つ見てもわかるように、七人のうち四人までは最高裁の局長で占められている。諮問委員会のイニシアチブというものは、これは議事録も私拝見したんですが、ほとんど長井総務局長をはじめとして最高裁の方がただ一人でしゃべっておられる。こういうふうな諮問委員会に付したということと三者で協議したいということは、これは全く別個の、全く違う次元の問題だと思うんです。  これはぜひしたいとか、そのような場を与えられたいとか、つくってほしいとかいうことですが、これは最高裁でそのようにされたらそれでおしまいじゃないですか。三者協議しましょう、それじゃしましょうということで、——これは私、非公式に聞いておるんですが、日弁連でもそのことについていつでも話し合うのだということを、また最高裁は、間接に、こういうことをやるんだということを私は聞いておるわけです。どうして話し合いをなさらないのですか。いまおっしゃったように、国会の決議は重視している、それは自分は協議をしたいということであれば、これはもうきょうにも、午後からでもできることじゃないですか。さっそくこれはなさいますか。どうですか。
  90. 長井澄

    最高裁判所長官代理者(長井澄君) ただいま佐々木委員のおことばでございますけれども、なかなか、三者の話し合いを始めるということは、むずかしい議論がございますことは、いろいろ法律雑誌、あるいは弁護士会の機関誌等にも寄稿がございまして、三者の話し合いを始めるための条件というものは、きわめて厳格なむずかしいものであることを御承知いただけているのではないかと思っております。で、そのむずかしい条件を乗り越えて、話し合いを始めようということになることが大切で、いまから話し合いを始めたいといっても、はたして三者が話し合いを始めてくださるかどうか、これは裁判所だけでできる問題でもございませんので、その点は御了承をいただきたいと、このように思っております。
  91. 佐々木静子

    佐々木静子君 これ、むずかしいからといって、国会の決議を無視していいものでないことは、むろん私が言わなくてもわかっていられると思うのです。これはむずかしかろうがやすかろうが、一たん国会で決議したことは、これは守っていただかなくてはならない。それから、むずかしくて困っているというお話ですが、それじゃ、いまも言っていますように、一人制のこの規則を設けようと思うが、集まらないかということの呼びかけをされたのですか。それだけでもむずかしくて、なかなかみんな集まってくれないということであれば、なるほどむずかしいということについても、若干私はわかるんですけれども、そういう呼びかけはしていられないんでしょう。むずかしいからということでされないわけでしょう。なぜこのことを早くなさらないのですか。この一人制をやるつもりである——もうこれをやめるつもりであれば、それをなさる必要ないですよ。かりにこの間の御答弁のころと御意思が変わってないとすれば、やろうと思えば、これは国会の決議どおり三者協議をしなければならない。そうなれば、呼びかけなければならない。これはむずかしいとか簡単であるということと事柄の性質が違うんじゃないですか。
  92. 長井澄

    最高裁判所長官代理者(長井澄君) 繰り返し申し上げておりますように、国会の決議を尊重いたしますればこそ、三者協議をさしていただきたいということで、弁護士連合会の事務総長にも、法務事務次官にも文書をもって呼びかけをしたわけでございます。それに対しましての御回答が、私のほうの申し入れと遺憾ながら相当の隔たりがございましたために、早く話し合いを始めたいという希望にもかかわらず、話し合いにはまだ入る時期ではないと、こういうような御趣旨でございますので、三者の話し合いができないという状況でございまして、そのような三者の関係におきまして、そのものだけを早く話し合いを始めろというのは、やはりいささか本末転倒のきらいがあるのではないかと考えます。三者協議の場というものができまして、そこに議題を差し出すべき筋合いのものでなかろうかと思います。これがあるから、三者協議の持ち方について議論があっても、それはたな上げして、三者協議をやれということは、ちょっと理屈が通らないのではないかと私ども考えている次第でございます。
  93. 佐々木静子

    佐々木静子君 この三者協議と別に、裁判所弁護士会の連絡協議会というのがございますね。それでは、との問題について最高裁のすることを、この連絡協議会のほうには、どのように御連絡になりましたか。お開きになりましたか、この件について。
  94. 長井澄

    最高裁判所長官代理者(長井澄君) 日弁連と裁判所との連絡協議会、これは開いておりません。
  95. 佐々木静子

    佐々木静子君 これ、なぜお開きにならないんですか。これくらい裁判所弁護士会との間に重大な関係があること、問題を生ずる事柄について、なぜ連絡協議会をお開きにならないんですか。
  96. 長井澄

    最高裁判所長官代理者(長井澄君) 一人制の規則は、憲法七十七条に基づく規則制定権の行使でございまして、裁判所弁護士会だけの話し合いでできる筋合いのものではございません。これは検察官に対しても関係がございますし、法律立案に政府として所管しております内閣法制局も規則の制定について諮問を受ける立場になっておりますので、この両者を除きまして、規則の制定ということは、この種の内容を持っておりますものについては開かないというたてまえになっておりますので、規則制定諮問委員会に諮問をするというたてまえにしたわけでございます。たまたまこれが三者の場でもあるということになっておるわけでございます。
  97. 佐々木静子

    佐々木静子君 これは局長もお認めになっているように、諮問委員会と三者協議と、それから裁判所弁護士会連絡協議会、この三つは全然別のものですよね。諮問委員会を開いたからといって三者協議省略していいとか、あるいは連絡協議会開いたから三者協議は要らないとかいうような問題じゃないわけなんですね。ただ、いまのお話のように、私ども全然そのようには受け取っておりませんけれども、かりに最高裁のほうで三者協議を開こうと一生懸命なさっていても、あるいは三つあることだから、ほかの一つが横を向いて開けないとするならば、それだったら連絡協議会を開かれたらどうかといえるわけですね。ほんとうのところは、これは開く気が最高裁におありにならぬから、それで開かれないんじゃないんですか。開く気がおありになるとすれば、なぜもっと再々、この規則制定をなさろうとすれば、これは当然呼びかけられると思う。これはちっとも呼びかけられず、困難だ、むずかしいと、何だかんだいって開かない。最高裁では開きたくないから、理屈をあれこれ言ってお開きにならないんじゃないんですか。
  98. 長井澄

    最高裁判所長官代理者(長井澄君) 連絡協議は双方対等の立場で話し合う場でございますから、どちらが呼びかけるべきかというようなイニシアチブのある会合ではないと思います。ただ、この一人制の規則につきましては、連絡協議会だけでは議を尽くさない、そういう性質のものでございますから、連絡協議会を開かなかっただけのことでございまして、連絡協議会の場で検討すべき問題があれば、これは労を省く気持ちも何にもございません。率先して開催をお願いしたい、このように考えております。
  99. 佐々木静子

    佐々木静子君 そうすると、日弁連のほうが——私は間接にお聞きしているところでは、日弁連のほうではできるだけ早く裁判所とこの件について話し合いたいということを伺っておるのですが、それじゃすぐにでも最高裁と日弁連の連絡協議会をお開きになりますね。
  100. 長井澄

    最高裁判所長官代理者(長井澄君) すでに諮問委員会に諮問が発せられまして、委員長選任されて、関係者が勤勉に委員会に御出席になって御検討になっておりますので、そのほうの議事が進行しております現段階で、またほかの面で話し合いを進めるということは、そのほうに対します関係からもいかがかと考えられますので、ただいまのところ連絡協議会の場で別途検討するということは適当ではないと考えております。
  101. 佐々木静子

    佐々木静子君 それじゃあなたのさっきのお話と全然違うじゃないですか。話し合うというのであれば、自分のほうはぜひとも話し合いたいというふうに先ほどおっしゃった。私は、それじゃ日弁連では話し合いたいというふうに私は間接的に聞いているから、それじゃ話し合われたらどうですかと、諮問委員会が始まっている——諮問委員会が二月十八日から始まっているようなことは百も二百もわかっている話じゃないですか。しかもこの諮問委員会を開かれたのは最高裁当局でしょう。ということは、日弁連と話し合わないためにこういうものをやっているんじゃないですか。かりに、あなたのほうで日弁連と話し合う気持ちがあるならば、この諮問委員会があろうと、なかろうと、これ日弁連と連絡協議会をお持ちになることは、これは全然かまわないのじゃないですか。
  102. 長井澄

    最高裁判所長官代理者(長井澄君) 先ほども申し上げましたように、規則の制定は、日弁連と裁判所だけで処理できる問題ではございませんので、そのような関係で連絡協議会を開くことは適当でない、法務省も入った場でこの規則の制定について審議すべきである、このように考えて諮問委員会に諮問されたわけでございます。したがいまして、連絡協議の場に提出して審議することがふさわしい問題につきましては、連絡協議会で御審議をいただく、その場でまかない切れない問題につきましては、またしかるべき場で御検討いただくというのが筋合いでなかろうかと考えます。
  103. 佐々木静子

    佐々木静子君 これは、だからその連絡協議会で親しまないことがあるかもしれない。しかし、一番の利害関係の多いのは、これは裁判所、それから裁判所と一番関係の、法務省も関係ないことはないですけれども、やはり国民の代表という意味で、一番当面問題になるのは弁護士会だから、弁護士会と最高裁判所とで、これは諮問委員会とは別に、いろんな事柄があるわけですから、話し合われたらどうなんですか。あえて話し合いたいというのを、横向いて諮問委員会にかかっているから話はしない、話はしないということで強行される。なぜ、そういうことをなさらないといけないのか。また、あえてそういうことをやられることのメリットが最高裁にあるのか、私は非常に不可解に思うわけです。早急に、いまも御答弁になったように、日弁連とこの件について連絡協議会という名前でもよし、あるいは別の名前でもよし、虚心たんかいに話し合われたらどうでしょうか。どうして話し合おうとなされないのですか。先ほどの御答弁では一生懸命日弁連のほうともいろいろ話し合いをしたいというお話だから、それじゃ話し合われたらいいと言うているわけです。話し合われたらどうですか、早急に。それをいやとおっしゃるわけですか。それを拒否されるわけですか。
  104. 長井澄

    最高裁判所長官代理者(長井澄君) 先ほど来繰り返し申し上げておりますように、規則の制定につきましては、弁護士会と裁判所の関係だけではまかない切れる問題ではございませんので、それで、かりに話をしようと取りまとめたといたしましても、規則の制定としては、なお足らざるものがあるということはおわかりいただけただろうと思います。それで規則の制定につきましては、所要の関係機関に御出席をいただきました場で、御審議いただいているという、こういうような状況になっておるわけでございます。弁護士会が国民の代表というお話でございますけれども、やはり法務省は法務省なりに、法律によって所管の権限を国民から委託されて、代表して行動する機関でございまして、それぞれの所管が、それぞれの立場において御意見をお述べになって、御審議なさることが好ましいのであって、そのうちの一部分のみで話し合いをつけてしまうということはいかがなものであろうか、こう考えているわけでございます。
  105. 佐々木静子

    佐々木静子君 何もそこで話し合いをつけてしまえと私は希望しておるわけじゃないのです。またそうしろと言っているわけじゃない。しかし、裁判所弁護士会、これは非常に関係の深い問題だから、それについて話し合ったらどうかということを言っているわけなんです。しかも、これは裁判所弁護士会の連絡協議会のことではないけれども、私何回も言いますように、司法制度の改正は、法曹三者の意見を一致させて実施するようにつとめなければならないときまっているんですから、それをいろいろほかの法制局とか、いろいろな関係があるかもしれないけれども、とにかくこれは国会できまったことなんですから、このようにつとめなければならないのじゃないかということを言っているわけです。だから、この諮問委員会に付すということと、日弁連、法務省、弁護士会との間で協議してきめる、意見を一致さすということは、これは全然別個の問題ですけれども、これは諮問委員会のメンバーに弁護士の人がいるからといって、これで法曹三者の協議が全然できたわけじゃないのです。これはよく総務局長もわかっておられると思う。だから、この国会の決議を尊重しようという以上は、少なくとも、法曹三者の協議ができないとすれば、できるまで待たなければいけない。待たずにいまできないからということで、かってに法律制度を改正するということは、これは国会の決議を無視することになる。そういうふうにお思いになりませんか。これは国会の決議を無視するということをわかりながら、あえて国会無視の行動をこのまま進めよう、そのように総務局長お考えになるわけですか。
  106. 長井澄

    最高裁判所長官代理者(長井澄君) 国会の決議を尊重いたしますればこそ、三者協議の場を持ちたいということで、三者がそれぞれ寄り合って、話し合いを誠実に続けておる現状でございます。ただ、それが遺憾ながら先行きの見通しがまだはっきりいたさないという現在、国会の御決議に従った三者の意見を出し合う場というものを、幸い諮問委員会の場にも見出し得るという関係もございまして、諮問はいたしておるわけでございますが、何ぶんにも三者協議というものが、当初出発の際の構想でございますので、その場を早く持ちたいと努力する以外に、適切な解決の方法はないかと存じます。三者協議の場を持つことについては、弁護士会のほうの御提案をいま待っておるわけでございます。そのお話をまた承って、三者協議の持ち方についての協議を進めたい、このように考えておるわけでございます。
  107. 佐々木静子

    佐々木静子君 お話を聞いていると、三者協議が持てないというのか、持たないというか、私どもは持たないというふうにしか思えないんですけれども、これは三者協議を開こうとしていないのはだれであるかということはさておいて、三者協議をしないことには、これから前へ進むことができないんじゃないか、この国会の決議によると。だから、この規則を改正するということに努力される前に、三者協議を先になさなければ、前へ進めないんじゃないか、私はそのくらいに国会の決議というものを考えているわけなんです。むろん国会の決議など無視していいんだ、たいした問題じゃないんだということであるならば、また話は別ですけれども、しかし、国会は国の最高機関であるということは、これはもう憲法上もはっきりしている。裁判所にそれがわからないわけではない。やっぱり国会できめたこと、この附帯決議というものを、まず実行していただいて、それからあと司法制度の改正というものをやっていただかなければ、これは全く話にならないんじゃないかと思うわけなんです。  それから、なお規則ですが、いま最高裁規則でまかなえるということをおっしゃいましたが、これは非常に多くの問題があるわけで、まず憲法七十七条の規定によっても、最高裁判所の規則で定められることは、裁判所内部の規律とか司法事務処理の手続的な事項だけであるということをはっきりうたっておるわけでございまして、これは日本の憲法の書の代表的な注解日本国憲法の宮沢先生、清宮先生の書物あるいは兼子一先生の裁判法を見ましても、規則で定められることは、これは手続行為の方式とか時期等とかをさすのであって、裁判機関の構成員など、裁判所の組織構成に関する事項や裁判の実体形成に直接関連するような事項は、これに含まれないということは、はっきりとそれらの書にも述べられております。なぜこういうことについて、最高裁当局はかたくなな気持ちで、できるんだ、できるんだということで、ほかの学者あるいは実務家あるいは一般国民の声に耳を傾けられないのか。これは日本の裁判の将来百年の計を築く上において、非常に軽率なことだと思うわけなんです。どうしてこの点についてもう一度虚心たんかいに、最高裁当局にも法律専門家、すぐれた方たくさんいらっしゃることはわかるけれども、そればかりじゃない。日本にも多くの法律専門家もおれば、また良識のある国民の有識者もたくさんおるわけです。そうしてこのような事柄が規則で定められるのか、あるいは国会で当然にどう審議されなければならないのか、そこのところの判断を、なぜ最高裁がかたくなに最高裁一人でやろうと思うのか。いまの人事の問題を見ましても、最高裁はこれでいい、十五人の裁判官はりっぱな人だから、これできめたらいいのだといっても、国民はそれに非常に疑惑を持っている。これはおかしいじゃないかという声が非常にあがっておる。  ですから、それはやはり最高裁判所では、自分のことは間違いないと思っておっても、国民のかなりの人数がこれはおかしいじゃないかという声があるわけなんですから、この規則の制定についても、それは理論のこね回し方で、あるいは最高裁にこの点について規則制定権があるという見解も、それは解釈によって、とれないとは限らないんですけれども、それが絶対多数説でもなければ、通説でもない。ごく一部の説である。そのようなごく一部の限られた考え方によってこの規則制定をなさるということ、これはどういう必要に迫られてかもしれないんですが、最高裁事務総局の非常に思い上がったお気持ちじゃないか。かりに幾ら万能の人間であっても、間違いがある。どうしてこれほど日本の裁判の将来にきわめて影響の多いことを——これはできる、できないの問題じゃないです。自分はこれがいい方法だと思うけれども在野法曹の皆さんはどうお考えになるか、憲法学者はどのようにお考えになるか、国民の有識者はどのようにお考えになるかということをどうしてお聞きにならないのか、その点どうお思いになりますか。どうしても強引に進められるばかりが、猪突猛進するばかりが能じゃない。一度日弁連なりまた学者の方々の意見——学者といっても、ここには、りっぱな学者ですけれども、團藤先生お一人しか入っていらっしゃらない。公法学者、憲法学者も一人も入っていない。民法、民事訴訟法学者も一人も入っておらない。こういう状態の中でどうして、自分たちのやることだけは絶対間違いないんで、ほかの意見のやつは間違っているという姿勢で猪突猛進されるのか、どうですか。もう一度日弁連なり、またこの法律と規則の限界についていろいろ研究していらっしゃる学者なり、あるいは国民一般の有識者の方々に聞こうとお思いになりませんか。そしてこれは国会で、国民の皆さんの前で、いい制度であるならば、審議をされたらいかがですか。私どももいい制度であれば決して反対いたしません。もう少し慎重にお考えになるべきじゃないですか。
  108. 長井澄

    最高裁判所長官代理者(長井澄君) 憲法七十七条に定めますところの規則制定権に基づいて規則を制定します手続としましては、規則制定諮問委員会が設けられておりまして、従前から数々の重要な規則もこの手続によって制定されてきているわけでございます。規則制定諮問委員会の場で現在この規則の参考案を御検討いただいておりますので、諮問委員会の御審議を尊重したいと考えております。その場で御意見が出まして、また、審議の方法について新たな方法の御提案があれば、諮問委員会がまたおきめになってそのような手続をとられることになるのではないかと思います。決して事務総局が猪突猛進、他に耳をかさないで進んでいるというようなことはございません。最高裁判所が諮問委員会に御諮問になりまして、そこで、すぐれた委員の方々が多数集まっておられますので、十分に御審議を尽くしていただき、また、審議の方法について御意見があれば、そのような方法をおとりになることだと私ども信じておりますので、諮問委員会の御審議を尊重したい、このように考えているわけでございます。十分に意見をその場でお出しいただくということは、これは諮問委員会もお考えのことと確信いたしております。
  109. 佐々木静子

    佐々木静子君 時間もありませんので、これで私の質問は終わりたいと思いますが、これは最高裁の諮問委員会というもの自身が、最高裁で任命された方々でできているわけで、これが幾ら優秀な——むろん優秀な方もたくさんおられるでしょうけれども、さっき加瀬先生のお話にもあったように、優秀な二十人や三十人の方が大ぜい集まっても、これは国民全部の英知にはとてもかなわないと思う。また、それよりもまさっていると最高裁が思っているとすれば、これは大きな最高裁の思い違い、思い上がりもはなはだしいと思うのです。国民全部の、日本国民の総意、英知の前にもう少し謙虚になるべきだと思うのです。  例がはなはだ悪いですが、これは赤軍派の例をとってみても、赤軍派の人間はみんなまじめなことをやっているつもりでも、社会から全然隔離されたところで彼らだけで正しいと思ってやっていることも、はたから見ると、とんでもない、こっけいなことをやっているようなことで、例がはなはだ悪いですが、へたをすると、最高裁最高裁だけえらいんだ、最高裁のごく一部の人間国民の全体よりもはるかにえらいんだということで思い上がった姿勢でいると、これはとんでもないことになるわけです。ほんとうに司法の将来のことを思い、日本の裁判の将来、日本の民主主義を思われるならば、もっと謙虚にいろいろな方の意見を聞き、そうしてこのような非常に多くの国民から批判がある、こういう方法を、早急に敢行されるということについては、重々、謙虚な立場をおとりになるべきではないか。そうして国民の代表者である国会に十分におはかりになって審議をなさるように——いい方法であれば、いいことであれば、これはもうイデオロギーとかなんとかに関係なしに、だれもが賛成します。  ですから、われわれも日本の裁判の将来を非常に心配しているわけですし、これは長井総務局長にしても、最高裁当局にしても、日本の裁判の将来ということをもちろん御案じになっておることと思いますが、それが独走するところにおそろしさがあるわけですから、もっと謙虚に日弁連なりあるいは学者、一般有識者、そうして国民の声に十分に耳を傾けた上でこの制度を検討なさっていただきたい。そうして思い上がったお気持ちでこれを早急にせっかちに実現されるということを重々お慎みいただきたいということを申し上げて私の質問を終わります。
  110. 阿部憲一

    委員長阿部憲一君) 本件に対する質疑は本日はこの程度といたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後零時十六分散会