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国務大臣(
赤城宗徳君) ただいま御質問がありました安全操業問題は、長い間の懸案では、まだ
解決ができない問題でございます。どういういきさつかといいますと、いまのお話のように四、五年前でしたか、コスイギンソ連の首相と私が会いまして、安全操業問題というものを、もう十年ぐらい問題になっているが、これを取り上げてもらいたい、そうして
検討するということを一言言いました。それで
検討することになって、ソ連のグロムイコ外務
大臣が日本へ来たときに安全操業問題を話し合おうと、こういうことになって、その前に、いま御
指摘の
赤城試案というものが出て、その
最初の
赤城試案というものは歯舞、色丹周辺で安全操業する。それで、これは日ソ共同宣言でも日本に平和条約ができたときは返すということがきまっておるので、少なくともそこだけでも安全操業というようなことを、向こうでもその近くについての安全操業問題を討議しよう、こういうことで、グロムイコソ連の外務
大臣が日本に来たときに、私が話の相手方になって話し始めたわけであります。で、そのときには歯舞、色丹の周辺全部でなくて、その中のある一
部分で、しかも、こういう話は相互的なんだから、おれのほうで安全操業を日本に認めようというためには、日本からもおれのほうにも何か出してくれないか。それは日本の漁港にソ連船が寄港するのを許してくれ、こういうことでございましたが、これはソ連の漁船が日本へ寄港をするというようなことになって、そこを基地として漁業をやられたんでは、日本の漁業が壊滅するような
相当痛手をこうむりますから、そういう条件はだめだといって断わったわけであります。そのままなかなかその安全操業問題が進まなかったわけであります。
そこで、いまお話のあったように、北方の領土というものは歯舞、色丹国後、択促が日本の固有の領土だから、その返還を迫るというような日本の情勢が非常に強くなってきた。そこで、愛知外務
大臣の時代に、愛知外務
大臣が歯舞、色丹の周辺だけの安全操業では不満足だ、歯舞、色丹国後、択促四島の周辺十二海里か三海里まで、この領海の違いがございますが、そこまで全部日本が入れるようにという提案をしたわけでございます。
そこで、去年の十月に私
どもがソ連へ行きましたおりに、いろいろ私も考えて、領土問題にかかわりつけると、なかなかむこうもうんと言わぬような情勢ですから、私は歯舞、色丹、国後択促という島を特に明示はしないが、この
四つの島の周辺で最も漁場として価値がある、魚がとれるところ、したがって、日本の漁船の拿捕される率の多い場所、こういうところをひとつ安全操業地帯として場所的に話し合いをしようじゃないか、こういうことを去年の十月に行ったときにイシコフ
大臣と話し合ったわけであります。で、結果的には、歯舞、色丹、国後、択促の周辺でございます、当然漁場として価値のあるところは拿捕の多いところというところですから、しかし、その表現の方法をそういうふうなことで、領土問題を少し脇へ置いて安全操業という問題を話をしようということを話しました。そして日本の新関大使にもそういう話でひとつ進めたらば話は進むような感じもするから、ぜび、日本の代表みたいになっていますから、この問題を新関大使に話しましたところ、まあ何もかにも打ち明けて話しますが、前からの日本政府外務省からの指令は、愛知外務
大臣のときに歯舞、色丹、国後、択促のまわり三海里まで全部安全操業地域としろと交渉をしろという訓令があった。だから、私の言ったようにその訓令の
内容がそれとは違って漁場としての価値のあるところ、拿捕が非常に多いところ、こういうところを安全操業の場所として交渉しろということになると、その訓令をもう
一つ受けないと私のほうでは交渉しにくいと、こういう新関大使の
意見なんでございます。でございますので、私は帰ってから外務省と相談して、新関大使に私の言ったような訓令に書きかえて、そうして出してくれと。そうすれば交渉に入れる、こういうことでそういう訓令を書き直してもらって、そうして去年の十二月ことしの一月とモスクワにおいて交渉に入っていったわけであります。
ところが、その後二回でぴたっとやめていたものですから、今度イシコフ
大臣が来ましたときに、この安全操業の問題はこの際前向きに進めてきめてもらうようなことにならぬかと。それで私の考えというのは、前に言ったように漁場の価値のあるところ、拿捕率が多いところ、これを日ソ友好
関係から、あるいは人道上の問題から
解決していこうじゃないか、こういう話をまあきのうも進めたわけであります。ところが、話はわかると、こういうわけであります。話はわかるが、しかし、その代表団としてイシコフ漁業
大臣ばかりじゃなくて、ほかの外務
関係の人も、あるいは防衛
関係の人も
一つの代表団としてソ連ではいろいろな人が集まって交渉に当たっているわけです。そのまとめ役がイシコフ
大臣だと。ところが私の言った口頭の去年の提案、それから新関大使が訓令を受けたといって話していることは、口頭ではある
程度聞いた。しかし、新関大使からは図面だけでこの辺、こういうふうなところと言うだけで、正式の提案というか、追加提案といいますか、修正提案といいますか、そういう提案にまあ形式的になっていないと言うんです。で、そういう提案というものが形式的にはっきりしたもので日本から出されておりませんと、自分の代表団の間でこれをこういう提案、前のと違うような提案がきているんだが、これをどうするかということの
議題といいますか、材料がないんだ。口頭では聞いているが、しかし、向こうのほうではそういう話を聞いたときに、前の
赤城私案といいますか、歯舞、色丹周辺だけ、それなら特に話を進めようということを返事してあるだけだ、日本に対して。その後の日本のいろいろな提案については、話の中でこういうものはどうだ、ああいうものはどうだという話は聞いておるが、正式に提案としては出ていない。だから、
最初の
赤城提案というようなことならば、それはもうそれで私のほうは進めていいと思うんですけれ
ども、その後口頭で言われたものが書類の面で正式に出ていないからそれについて返すといいますか、その方向で協議するか協議しないかというようなことを内部的にまだ相談してないと、こういうことなんですが、それじゃもうそういう形式的な問題じゃいたしかたない。じゃあらためて私のほうでは書類をもってあなたのほうへ出すから、それを
議題といいますか、交渉の題目とするかしないか、またする場合にそれに
賛成するかしないかというようなことを十分研究してもらいたい、こういうようなことで一応きのうは実質の問題に入らないで、感じはいろいろ実質の問題にも入っていますが、形式上は実質問題に入らないで、私のほうからあらためてなお私の最後に言ったようなことを書類によってもう少し書いて出すから、それを中心として
検討してもらうようなことをしたい、こういうことでこの問題は、きのう一応の話をしたわけでございます。