○工藤良平君 私、この
農林漁業金融公庫から出ております冊子ですか、この中に水資源公団の安井さんがそのことをかなり詳しく
指摘をしておるようであります。
昭和四十年に大体
農業用水が年間五百億トンと、こう推定をされておるようでありますが、これが
昭和六十年には畑かん、畜産用水あるいは雑用水等を合わせて大体八百六億トン程度の需要が必要ではないか、こういうような
指摘がなされておりまして、年間降水量が六千億トンと、こう見込まれておりますけれ
ども、その利用率というものは、一〇数%というような非常に低いものであると、こういう
指摘から、さっきお話がありましたように、やはりダムによって水資源を確保するということが、今後も行なわれるだろう。しかし、このダムというものは、おのずからダムサイトの問題から限界が出てくるわけであります。したがって、これから相当ダムをつくるとしても、水のコストというものは、相当大きなものになるだろう。これが都市用水と
農業用水の比較から
考えまして、はたしてコストの高い水に
農業用水というものが、今後どのような依存度を持っていけばいいのかという、非常に重要な問題が提起されるような気がするわけであります。したがって、そういう点から
考えまして、私はかって下筌、松原ダムの有名な蜂之巣城のあの室原さんと、ずいぶんこの点については勉強させていただきましたけれ
ども、あそこに一億数千万トンと言われる二つのダムができるわけでありますが、そのすぐ隣接地にある高台で
農業を営もうと、現にいま続木という部落があるわけでありますけれ
ども、そこにある小学校のぞうきん水までも、飲み水はもちろんでありますけれ
ども、ぞうきん水までも使う水がないという
状態であります。目の前に多目的ダムが二つできるわけです。その水をとろうとしても、なかなかとれないという
状態が、多目的ダム法でつくられた水の配分という問題が実は提起されるわけですね。このことを、なくなりました室原さんが、いわゆる水の
開発というものを、総合性ということを非常に強調いたしまして、私は現実にそういう
農業開発なりあるいは学校の水さえもとれないという現実を見まして、さっき午前中に
足鹿先生からお話しがありました愛知用水の問題もありましたけれ
ども、私はやっぱり水の他転という問題が非常に大きな問題として私
どもとらえていかなきゃならない問題だと思うわけです。
そこで、長くなりますけれ
ども、「逐条河川法」の二五五ページにその点に対することが書いてあるわけであります。これによりますと、たとえば河川「承認は、河川管理者の自由裁量行為であるが、次の諸点に注意を要する。」と、こういうことで、ごく一部ですけれ
ども、「権利の具体的内容は、個々について検討されなければならないが、最も重要な要素は、目的である。たとえば、上水道のための流水占用の権利と、かんがいのための流水占用の権利は、同じく消費型の流水占用を内容としており、流水の支配形態等も類似しているが、両者は、目的を異にしているので、その間の譲渡は認められない。」、このようなことが、実はこの解説として書かれているわけであります。そこで、私
どもとしては、このようなことからいたしまして、これは、当然川の水は国のものであり、
農業水利権の権利性は、現実に
農業生産に必要な限りでしか認められないのではないか、したがって、不要となった
農業用水については権利を取り消して、河川管理者が新たな需要者のうちだれに水を使わせるのが最も公共的利益に適するのか判断してきめる。したがって、旧水利権者と新規需要者との間の直接的な売買は、一切認めないという
考え方によると、このように解釈できるわけであります。もちろん治水、利水を統一的に行なうという新河川法の私はこの体系が成立した現在でも、この解釈を正面から否定をするということは、それはむずかしいだろうと思います。しかしながら、このような
考え方に固執する限り、水資源の円滑な他転は行なわれるはずはない。
農林省が主催した
農業水利問題研究会の中間報告というのがあるようでありますけれ
ども、これによりますと、極端には、水は公共物であるとして、新たな用途に対し自由に取り上げ得るかのような主張さえ行なわれることがあるが、このような単純な
考え方で希少資源、少なくなった資源の再配分問題が解決できるはずがないと、このように実は批判をしているわけであります。で、さらにまた同じ報告で、農家の、いわゆる農家の意識では、
農業用水はその支配
地域に属する多数の農家の共有物であって、多くの場合、多額の費用と労力とを投じて
造成し、長い、数百年にわたる努力によって維持してきた歴史的な資産である、このような理解をされているわけであります。そのような努力によって多数の農家に
不満を感じさせないような維持管理の体系も
整備されて今日まできた。このような努力と所有意識によって管理されている水資源を他用途へ転用しようと
考える場合には、いわゆる転用を期待するにふさわしい、いわゆる
経済的な動機か与えられなければならないと言っているわけであります。で、このような
関係を一番はっきりさせる方法は、いわゆる
土地改良法で
農業水利権をいわゆる民法上の物権として認めさせる、このことがやはり必要ではないかと、こういう
考え方があるわけでありまして、これは確かに現実問題として、さっき言いましたような河川法上の解釈からいたしまして、なかなかむずかしいことではあるけれ
ども、運営の
段階でこの河川法の解釈を骨抜きにする、これは
建設省が負って悪いわけではないんですけれ
ども、骨抜きにするというようなことは、私は必要があるのではないか。そのようなやはり
考え方の上に立ちながら行なわなければ、この
土地改良法が実際の問題として動かないのではないかという気が私はするわけでありまして、この水の問題きわめて重要な問題でありまして、
中村先生もこの問題
指摘しておりましたけれ
ども、私は、特にいま、そういった
意味から
農林省の水に対するやはり真剣な取り組みというものが必要ではないか、このように思いますので、この点はひとつ
局長、さらに
大臣からも私は御
意見をいただきたいと思います。