○
政府委員(
久保卓也君) 核兵器につきましては、戦略核兵器、戦術核兵器に一応分けて考えます。そして戦略核兵器の場合には、奇襲攻撃あるいは第一撃
能力でもって
相手をやっつけてもなおかつ報復
能力、第二撃
能力が残ってないといけません。つまり、戦略核兵器が十分な抑止力であるためには、第二撃
能力、報復
能力が残ってないといけないわけであります。で、第二撃
能力を持ち得るためには、相当膨大な量の戦略核兵器を必要といたします。その場合に、
日本では非常に地形が狭小、人口、産業、文化、その他集中いたしております。したがいまして、そういう膨大な陸上基地のICBMを持つことはほとんど不可能に近い。しかも脆弱性がある。近ければ近いほどICEMの精度が高まります。そういうことで、陸上基地のICBMは脆弱性がある。その脆弱性を避けるためには、海中のポラリス型の
潜水艦を必要とする。これもいま申し上げたように相当の量を必要とする。たとえば五十の都市を戦略核兵器でやっつける場合に、アメリカですと四〇%の人口が破壊されます。なくなります。ところが、中国の場合は七%になります。
日本の場合についていま
計算してもらっておりますけれ
ども、おそらくアメリカよりももっとひどいであろうと思います。ということは、この戦略核兵器の交換、お互いにやっつけ合うことについて
日本が非常に弱いということを証明するものであろうと思います。
それからまた、戦略核兵器だけを持っては
意味がありませんので、この前申し上げましたように、いま核兵器論争が行なわれている中立あるいは非同盟
諸国では戦略核兵器は持たない。これは平和を志向しておる国でもあるし、またそれだけの必要はない、持つのは戦術核兵器であるということでありますので、戦略核兵器だけでは
意味がない。やはり持つならば戦術核兵器も持たなければいけない。ところが戦術核兵器を持ちまする場合には、それを使用する意思がなければならない。使用する場所も当然なければならない。ところが、使用する場所の点について見ますると、幾つかの潜在核保有国、つまり核をつくる
能力もあり、かつ核を持ってもいいではないかというような
意見のある国々、それぞれの国についてどういう
防衛戦闘、どういう戦闘が行なわれるかという場所を想定してみますると、すべてございます。この前はインドの場合を申し上げましたが、たとえばスイスの例を申し上げますると、スイスというのは四つの国に囲まれておりまして、AからBに移る通過国であります。つまりスイスという国を占領しても
意味がないので、AからBに行くために通過するために必要である。そうなると、通過するためにはアルプス山その他高峰を越えていかなければなりません。ですから、一次大戦、二次大戦でも、山中の通路に大砲が据えつけられたり、あるいは地雷が埋められたりして
防衛をしたわけでありますが、今日であれば核地雷を据える、あるいは核
関係の火砲を持つというようなことは考えられるというふうに、これまた人の住んでおらない山の中で核を使うことができるわけであります。ところが、
日本ではそれを使う場所がない。ほとんど、どこで使おうともすぐに、
自衛隊だけでなくて一般の住民に影響を与える。非常に個々の戦闘では有利になり得る場合があるかもしれませんけれ
ども、戦争全体というものを失ってしまう、戦争目的を達成し得ないということになります。
また、通常兵器と核戦争を考えれば、通常戦争のほうがもちろん可能性としては多いわけであります。で、可能性の少ない核戦争に備えるために戦術核兵器を準備するということでは、これは通常兵器に対する圧迫が出てましります。大国であるアメリカですらそうでありましたし、フランスも現にそうであります。
それからまた、通常兵器に対する圧迫のみならず、核戦争というものを予想するならば、
自衛隊の持つ装備
自身に対核装備、対核性
——核に対する攻撃を受ける防御の
能力を与えねばなりません。そのための金が非常に膨大になってまいります。これはNATO、ワルシャワ条約機構の軍隊がそうであります。それからさらに、
自衛隊のみが生き残ってもしようがありませんので、これまた一般の住民に対する防護、つまり民防の
関係でこれを防護しなければなりません。その典型的な例はスウェーデンであります。アメリカも何年か前にシェルター論争というものが行なわれまして、結局、住民の全部を保護するだけのシェルターをつくることは、国であれ個人であれ、それは不可能であるということで打ち切られております。そういうようなことで、核装備をするためには、たとえば一兆円だ、二兆円だというような金が例示されまするけれ
ども、それの完全のものを、つまり核戦争に備えるためのいわば全体的なシステムを考えればきわめて膨大な金が要ることになるわけでありまして、そういうことをやるならば、むしろその代替の手段を講ずるほうがはるかに
日本としては有利であるというように思います。もちろん、この核
関係については、
日本がかりに装備するといたしましても、これは後発国でありますから、
相手のほうが有利でありましょう。そうすると、
相手の有利な兵器をわれみずから選んで、むしろ
相手方からより大きな攻撃、破壊を受けるということになるわけであります。
最後に、この前、
一つつけ落としましたが、ABMの問題があります。ABMは、
米国と
ソ連とで最近問題になりましたように、
日本でも一部の方は、ほかの核兵器はともかくとして、ABMは純粋に防御兵器であるからそれば持つべきではないか、特に
中共の核開発に伴って、それを持たないといけないのではないかという
意見もあります。しかしながら、ABMといえ
ども十分の精度を持っておりません。少なくとも
相手方が膨大な量のものを撃ち込んでくる場合にすべてを撃ち落とすことは不可能であります。しかも、陸上基地にそれを置けば、そういうような場所はありませんし、海中にそれを置こうとすれば精度が非常にまた劣ってくるということで、それからまた、ABMを持つからには、これはICBMを一方に持っておるということによって
意味がある。今度のSALTの場合も、都市とICBMの防護と両方に分けられておりまするが、そういうようなことで、ABM単独を持ってみても、これまたたいへん
意味合いが薄いというようなことで、どの分野をとってみても
日本の場合は核装備をすることはふぐあいである、外国のことはいざ知らず。外国はそれぞれの必要性によって、政治的にはともかく、軍事的に持つ理由はあるのかもしれませんけれ
ども、わが国の場合には軍事的に持つ理由はない。むしろ通常兵器による通常戦に備えるということで十分である。もし、それ以上のことを考えるならば、それは他の手段をもって考えるべきであろう。一般的には、たとえばアメリカの核抑止力もありましょうし、また国連その他の一般の世論に備えるべきでありましょうし、さらにまた、核戦争が起こり得るとすれば、いまのアメリカの核抑止力を別にしまして、起こり得るとするならば、英語では戦略的収拾という
ことばを使うそうでありますが、どのようにしてそういう戦争を終結するかということを考えたほうがよろしいという問題が出てまいりましょう。
最後に、核のかさでありますが、この問題については、核のかさが信頼するに足るものであるのかどうか、あるいはアメリカの核のかさがあるというものであろうかどうかという点については
意見の分かれるところでありますが、私は
政府委員でありますので、アメリカの核のかさというものは十分に信頼性があると、
米側は再三それを繰り返して申しておるということを申すほかないと思います。