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政府委員(久保卓也君) その核装備については、いま上田先生御指摘のとおりだと私は実は思っているわけでありますが、そこで
防衛白書の中でも非核三原則ということはうたわれてあって、その理由づけが必ずしも明白でない。したがって外国の人たちはそれについて懸念をする。外国の見方からすれば、理論的必然性を持って
日本は核装備するであろうというようなことになるわけでありますが、したがって、それに対する答えとしては、
一つには、核拡散防止
条約というものについての批准を行うということが、核装備をしないということの証明になりますから、いずれはそういった時期も出てまいりましょうが、
防衛庁としますれば、軍事的に見てどうかということに答えなければいけないわけであります。そこで、ある程度勉強してみますると、たとえばこの核装備という場合に、戦略核と戦術核と二つに分けて
考える必要があります。現在の核を持っている国以外で、戦略核を持とうとする国がまずいまのところないと
考えておりますが、かりに戦略核からまいりますと、
一つには
憲法でこれは完全に否定をされております。
憲法の問題をかりに別にいたしましても、
日本が戦略核を持つとすれば、ポラリス型の潜水艦の系統でなければ
意味がなさそうである。それも、たとえば核大国を相手に
考えれば、非常に広大な面積を持っている、国土を持っている国々でありまするから、少なくとも十隻くらいでは足りない。相当数のものを持たなければいけない。戦略核だけで戦術核は要らないかというと、そうでもないわけでありまして、そこで、数十隻のポラリス型の潜水艦を持つというようなことは、これは
あとで申し上げるような理由を含めて、とても
日本は持ち、維持し得るわけのものではない。
憲法上の問題はかりに別にしても、それは
日本にとってペイするものではない、こういうことであります。
それから、戦術核について軍事的に見ればどうであるか。戦術核を装備してはどうかという
国内意見がありますのは、外国でいいますとスウェーデン、スイス、それからイスラエル、アラブ、インドといったような国々であります。お気づきのとおりいわゆる非同盟あるいは中立というような国で、核のかさのない諸国でありますが、これらの国については核装備の見解が
国内ではわりと存在をする。詳細は省きますけれ
ども。ところがそれらの国は、この核を使う場所がある。その戦術核を使っての戦闘を予想される場所があります。
一つだけ例をあげれば、たとえばインドの場合には中印国境というようなヒマラヤ山の中、あるいは高原、人家の非常に少ないような、そういう地域が想定をされるわけであります。ところが
日本の場合には、戦術核であっても使う場所がない。人口、産業、文化、それぞれ集中しておりまして、そういったものを使えばその影響というものはほかへ波及をしていく。したがってある
一つの戦闘、英語で言えばバトルでは勝つ、戦術核を使うことによって勝つことはあり得るかもしれませんけれ
ども、全体の
戦争、ウォーというものを失うことになるであろうという
意味で、
日本では戦術核を使用するのになじまない。軍事的に見てもなじまないというふうに
考えられるわけであります。
また、もう
一つ、たとえば
わが国は核装備をかりにするといたしましても、これは言うならば後進国、核については後進国であります。核についての後進国が、先進国と争うのは非常に不適当なことであります。まず、国そのものが滅亡する可能性を秘めているのみならず、単純に兵器だけをとってみましても、相手の有利な兵器をわがほうがことさら進んで選ぶ必要がない、必要がないというよりもそれは不利である。少なくとも相手とそう劣らない種類の兵器、つまり通常兵器でありますが、そういうものをわがほうが持ってそれで争うほうがよろしいということで、核
戦争になったら
日本がおしまいだから核装備はしないのだという一般的な平易な意見もそのとおりでありまするし、軍事的に見てもそれは成り立たない。せいぜい言うならば、たとえば海上についてだけは
意味があるのではないかという意見もあります。しかしながら海上でかりにこれを使うとするならば、それが海上だけに限定される
保障は何もありません。だんだんそれがエスカレートしてくる。そうすると核については先進国のほうが有利な兵器でありますから、わがほうが不利なものを持って戦わなければならないということで、どういう点をとってもこの検討は不利である。のみならず、いま核装備論というのは単純に核だけに注目して意見が戦わされますけれ
ども、実は核装備をするならば、一般のより可能性の多い通常兵力、通常装備についての制約が出てくる。つまり予算的な資源の配分の問題が出てまいります。これは
アメリカですらそうでありまするし、フランスなどでもそういう影響が出ております。のみならず、たとえば核
戦争を
考えるならば、通常装備についても非核の対策、つまり核
戦争になった場合に生き残れる装備でなければいけない、そういう
意味での対策費がかかってまいります。それからまた
自衛隊だけが存続してはいけないのであって、
国民も生き残らなければならない。そうすると、いわゆる民防の分野で非核対策をやらなければならない。
アメリカですらいわゆるシェルター、汚染防止の退避壕ですか、そういうものをつくろうとしたことがあったけれ
ども、膨大な金のためにやめになったというようなことで、結局核装備をするならば、論理的必然性としてより膨大な対策を講じなければならない。そのためには非・常に大きな資源がそこに投じられ、
国民の経済、生活その他いろんな分野にあまりにも大きな影響を与え過ぎる。したがって核装備をするならば、それがたとえば何千億である、あるいは二兆円であると、単純にそれだけにしぼられてはいけないので、いわゆるマイナスの波及効果を
考えたならば、
わが国はそういうことに耐え得るものではないというふうに一応アウトラインを
考えておるわけであります。