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国務大臣(
江崎真澄君)
防衛庁の問題でいろいろ
国会側で問題になっておりますることは、私
どもきわめて遺憾に思っております。四次防の問題につきましては御存じのとおりであります。まあああいうことで一応の
結着を見たわけでありまするが、いずれこれは
予算委員会等でどうせまた御質問をいただくことになろうかと思いまするので、いま御指摘の
立川への
移駐、それから
沖繩への
物資の輸送、この二つについて率直に申し上げたい。実はこの問題につきましては、今朝の
衆議院の
予算委員会におきまして、遺憾の意を
表明いたしまするとともに、今後を期していろいろ
防衛庁側の心組みについてお
約束をしたわけであります。
立川につきましては、これは昨年の六月二十九日の
閣議におきまして、あそこに
ヘリコプター、
連絡機といった
小型航空機を主とした二十八機、
機数でいいますと。
陸上自衛隊の
基地にしたい。当時、もし
首都に大
災害が起こったら一体どういうことになるかという背景を踏まえて、
陸上自衛隊においては、平時御
承知のように
民生協力、
災害救急作業、こういったことが
一つの
任務という形になっております。したがいまして、そういう点に重点を置いて、やはり
立川に
ヘリコプターや
連絡機の
部隊を置くことが望ましい、これが
閣議で決定された大きな事情であるというように私は引き継ぎを受けておるわけで、もうそれから九カ月近くにもなります。年も越しました。そこで、実は
立川市の
市長には年末お目にかかりました。そのときいろいろ懇請しましたが、
平行線をたどって話が
了解点に達しません。また年があけましてから、あれは一月の十六、七日ごろでありましたろうか、再び
市長さん及び
市議会の
議長、その他
市会の
代表者、こういった人々が
防衛庁を訪問されましたので、お立ち会いにはそこにおられる
岩間先生もいらっしゃったように記憶いたしておりますが、二時間余にわたっていろいろと懇請をしたわけですが、どうも御
了解をいただくことができない。ところがたまたま御
一緒でありました
市議会議長が、二時間余の
懇談のあと、ほんとうに
防衛庁長官が
国家目的として
立川の
基地は何としても必要だと、そういうことかと言われますから、そのとおりでありますと。それから、
自衛隊の本務を遂行することはもとよりであろうが、
首都災害というときにはどの
あたりを目標にどういう
活動をするのか。それで、
江東地区は木更津で
災害救助対策ということはカバーできると思います、特にこの
京浜地区、その
あたりに大
災害が起こったときは、
立川のこの
基地を利用することにおいて相当目ざましい
災害救急活動というものができるものと思いますという
お話をしましたところが、これはわかった、そういうことであるならば、自分は
市長と
一緒に来たけれ
ども、ちょっと
意見が違うんだというので、従来は
自衛隊がこの
立川に
配備されることに
全面反対ということで
決議をしておったが、これは一ぺん仲間と至急相談がしたいと、こういうことになったわけです。
その後、御
承知かと思いまするが、
市議会においては多数の
市会議員諸君が話し合いをされた結果、
自衛隊の
移駐反対を撤回すると、こういうことで、過去の
決議が撤回をされたわけであります。で、その後も
施設庁長官、
東京施設局長等と
地元側と再三再四
懇談をしたりお願いをしたりしましたが、なかなかどうも思うように事が運びません。だんだん日が
経過いたします。本
年度中にということで
予算措置もなされておりまするし、もともと六月の二十九日にきめられた
閣議の
決定事項でもあります。また、一月二十一日の
閣議におきまして、やはり
災害は忘れたころにくるという
前提で、ぜひひとつ
配備したいと考えておると、その
配備の日時その他
方法等については私に一任されたいということで、再び
閣議の
了解も取りつけておりました。まあ、こんな経緯で、先般——今月の、事実上は七日の深夜から
移駐が始まったわけでありまするが、八日の十二時半ごろまでにかけて、トラック数台に分乗をいたしました
陸上自衛隊の
要員が、あれは九十五名でしたか、
要員が入ったと、こういうわけであります。
それから
沖繩の
物資の問題でありますが、この
沖繩の
物資につきましては、実は
沖繩県そのものに
施政権が戻ってまいります五月十五日の
時点では、
自衛隊が陸、海、空それぞれ
配備されることは、昨年の暮れ、
沖繩の
協定案、
付属法案等々の
審議をめぐりまして、いろいろ
審議の場に供したとおりであります。それで二月七日の日に
国防会議の議を経て、第四次
防衛力整備五カ年
計画の
大綱なるものをきめたわけであります。その
大綱におきまして、実は第二項の七号というところに、「
沖繩の
施政権返還に伴い、同
地域の
防衛を担当するとともに、
災害派遣その他の
民生協力を行なうため、所要の
部隊を
整備する」、こういう
前提をきめていただきましたことにより、
準備活動に入ることはよろしかろうということで、
先遣準備の、まだいまのところはわずか十数名でありますが、それを派遣する。今後引き続いて
準備要員というものを送りまして、五月十五日に備えようということで
準備に入っておったわけでございます。
航空自衛隊におきましては、
準備要員五十三名が
沖繩に行く、これは
長期出張という形をとってまいることになっておったわけであります。ところが、過ぐる七日の日にこれが
寝具を発送されまして、約二百人分の
寝具、
食器類、まあそういったものがあの那覇の港に送りつけられたわけであります。そして
関税倉庫にこれが保管された。そこで、
沖繩側でこの問題が表ざたになり、本土にはね返ってまいりまして、五十五名の必要不可欠な
物資だけならともかく、二百人近い
物資を送りつけることは不穏当ではないか。まさにこれは
国防会議で本来
自衛隊の
配備をどう五月十五日以降にきめるかと、その
要員の分まで持っていくということは、これは
疑義があると、こういう御
意見が社会党はじめ野党の
皆さん方から出たわけであります。私
どもは、その
準備要員そのものが五月十五日に備えて
ベッドを組み立てたり、
食器をしかるべき場所に配置していつでも迎え入れができるような
準備段階であるから、これは
国防会議における
大綱決定でおおむねカバーされておるというような
見解に立っておったわけでありまするが、しかし、御
承知のとおり、
総理は
参議院側におきまして、
自衛隊の
沖繩配備については重要な問題であるから慎重に
検討をしたいと、また、
国防会議の議を経たい、こういうことをお
約束になっておられます。その後の
答弁におきましても、私もそのことが望ましいと、しかも
沖繩配備にあたっては
県民感情を十分配意しながら、
十分納得を得た上、堂々と
沖繩に
配備をしたい、こういうことを申しておったわけでありまするから、まあ
荷物が先に行った、その
荷物は後刻、資料としてきょう御提出することにいたしておりまするが、
寝具、
食器というようなたいしたものではないにしても、やはり
疑義ありということならば、これは持ち戻そうということで、昨日、直ちに持ち戻しを
次官に指令し、
次官は
防衛局長に指令をいたしたような次第であります。
以上御
報告を申し上げます。