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国務大臣(
田中角榮君) いままでというのはいま御
指摘になったとおりです。これは国民の税金を使うのだから、投資効率の高い使い方をしなければならない。これはもう学問的にも現実的にもそうだったのです。私は大蔵省に三年おりまして、大蔵省のいろいろな書類をひっかき回してみたんです。明治から百年間で先行投資、道路をつくれば人は集まる、車は多くなる、それから工場敷地をつくればそこへ工場は来るのだ。鉄道の駅をつくればそこに町ができるのだ。これはたった
一つしかありませんよ。これは何があったかというと、太政官布告というので、北海道開拓のために必要な公共投資は全額国が負担するという鮮烈な政策であります。これは
法律も何もないのです。しかし、そのたった一条の条文によって、北海道は九十年間で三万九千人から五百二十万人になったのです。そのかわり北海道の鉄道も全部赤字です。当分まだ赤字なんです。しかし、鉄道の赤字の累計の何千倍、何万倍も北海道は発展をし、国民総生産に寄与している。これは言うまでもないことなんです。この政策にたった
一つだったのです。あとは全部あなたの言うあと追い投資なんです。ただ
法律が、国道は、一日車が三千台以上を国道という、こういうような基準がもうそうなんで、年間の荷揚げが何十万トンをこさなければ重要港湾には指定しない。ですから、町があると、一日の乗降客はふえるからホームを長くする、裏口をつくるということであって、それは過密の悪循環につながってきたことも事実なんです。そのとおりなんです。ですから、今度土地、公害、水、労働力、四十七年対比六十年で若年労働力は三〇%しかふえないのです。そういう
状態にぶつかってきて初めて国民だれもが考えなければならないというので、
政府が考えたのが新全総計画でございます。
新全総計画も結局は
一つの
方向を、自然発生を認めておったわけです。それに少しの
修正をしたのが苫小牧であり、いまの鹿島であり、それから四日市であり、水島であり、大分湾です。これは何か小型の東京と大阪をつくったようになってしまった、これはスピードが速いですから。そこで新々全総に直さなければならないということになってきて、ちょうどそのころ
通産省も黙ってはおったけれ
ども、これだけ公害発生源といわれる
通産省でございますから、
通産省は
通産省なりにちゃんと考えたのです。昭和四十二年、工場立地適正化法というものを立案しようと思っていたら、各省が
反対してできなかったのです。あのときに工場立地適正化法ができておれば、私は、公害
行政というものはこんなにどん詰まりまで追い込まれないで、まだ合理的な政策が行なわれたと思いますし、産炭地も低開発地域
工業開発促進法や、あるいは総合農政ということをやったら、余った農業人口は全部東京へ来るのか、そこへ定着をせしめるほうが得なのかということが当然考えられたはずです。それを全然考えないで、矢つぎばやに総合農政を行ない、どんどんやってきて、工場立地適正化法はできなかったのです。そのためにこうなったじゃありませんか。だから、ほんとうにそれは
政府として、私も長いこと財政担当の
大臣でもございましたし、その
責任を追及されてしかるべきだと思うのです。だから、せめて
通産大臣になったこのときには、おそまきながらこのくらいの
法律を出さなければだめだ。しかもこれば、少なくとも十月一日までには青写真はできます、六十年展望の。これは合理的なものではありませんが、青写真はできます。ですから、これに合わせて新全総計画——きょうはまた私は、経済企画庁長官臨時代理でもありますから、そういう
意味で新々全総計画というものも、いままでのものよりも合理的でなければならないと思うのです。だって、これはこのテーブルからちゃんと皆さんの
質問に答えている、経済企画庁の答弁の中で。いま関東地方における二千八百万人の人は昭和六十年には四千万人をこします。こしては困るので、第一、車も何も身
動きができなくなります。だから、その
意味で何とかして関東に集まらないようにしなければならぬと思うのです。しかし、政策はいまぐらいの政策だとせいぜい三千八百万人にとどめる以外には手はありませんと、これは
政府を代表して言っている。私がいま臨時代理をしている経済企画庁がそう答弁している。私が答弁してもいいのですが、そのとおりなんです。だから、そんなことでもって一体公害の除去や生命の安全、そういうものがほんとうにできるわけありません。
日本の経済発展のメリットを国民が享受することはできない。一〇%成長を
維持するために一五%——成長する分だけ公共投資をやらなければ都市機能が確保できないということでありますから、だから
方向としてはもうこういう政策をとらざるを得ないのです。実際上とらざるを得ません。いま農業人口の農業以外の収入というものが六五%も伸びているわけですから、そういう
意味からいってやはりそうせざるを得ないのです。これは全く純農業ということだけではなかなかバランスがとれないわけです。
まあそういう
意味でこの政策の御審議をいただいておるのですが、これが理想には遠い。そのとおりです。理想には遠いのですが、この入れものだけはこの国会でスタートさせておかないと一これはことしまた、この間もきめたように、四千五百億財投をやっていく、外貨を使おうといって。私もちゃんと担当
大臣としておったのですが、いよいよ景気刺激が必要で公共投資をやるならば、この
工業再配置の公団に出すならば、五千億でも一兆円でもやれますよ。これは府県に金を預託しておけばいいのですから、できるのです。その入れものをつくらなければならないということで、非常に強く主張をやったわけです。ですからこれは私は、この
法律を出しまして、これが成立したら、将来こういうものは、閣法でやったから閣法で直さなければならぬということはありません。これこそ超党派で私は、この
法律を土台にして直せば、今後どうすれば過度集中は排除できるか、どうすれば地方開発ができるか——これは地方開発というような狭い面ではないのです。実際においてどうしてもなさなければならないということでありますから、もう資源配分の面から考えてみても、どうしても必要である。そういうためにはこの国会で成立をさせていただいて、第二の段階においてはこれはもう皆さんからお力添えをいただいていくべきだと思います。
私は、戦後、やっぱり事実上大きな議員立法というようなものは、これはガソリン税を目的税にしたときには全議員の立法で、やはりこれは当時
政府は抵抗した。非常に抵抗がありました。ありましたけれ
ども、全議員の立法として道路三法は通過をしておる。十七年間にその予算は百倍になった。当初二百億のものが十兆三千五百億、十カ年でなっておる。これはまあそう問題は国民的な問題だと思う。ほんとうに一内閣とか一政党とかいう問題ではないと思う、これはもう。だからそういう
意味で、それについてはどうもスターとが小さ過ぎると、こういうことでございますが、これはちょうど去年一・七五という——私が四十年に
不況のときに二%法人税率を引き下げ、地方交付税率を二%引き上げたわけであります。それが暫定税率になっておったわけです。ところが、その税率があるので、まあそれは非常にこういう制度をスタートさせるにはチャンスである。これも一・七五整理をしてしまってからではおそい、こういう
考え方で立案をし、しかもそれが、四十二年に
通産省が当然国会に出さなければならなかった工場立地適正化法の
精神というものはこの中に貫かれております。だから、そういう
意味で御審議をいただいておるのでありまして、私の力と
通産省の力だけではなかなか合理的、理想的なものはできないと思いますが、これは、やっぱりどうしてもこの
法律の持つ
精神というものはぜひ実現をいたしたい。これはもういたさなければ、ほんとうに
日本人が幾ら働いても、高い成長を続けながら理想的な
日本をつくるわけにはいかないと、こういう
考え方に立っておるわけでありますので、まあ御叱責を賜わるのはけっこうでありますが、ひとつこの
法律をふ化していただいて何とかものにしていただくと、こういう
方向でひとつお願いいたしたいと思います。