○
小笠原貞子君 私もいま八十五の父と八十二の母の
老人をかかえて、そうして毎日年寄りと接していますし、それからまた年寄りの友だちやなんかがたくさん集まってきます。そして、年寄りの気持ちという
ようなものが痛い
ようにわかります。そして、その年寄り
たちが話していることは何かといったら、やっぱり、元気なときは子守もするし、縫いもののほどきものもしたり、縫いものの手伝いもするし、何とかやっていける。だけれども、ほんとうに年をとって
病気になったときだけはたいへんだ。決してたいへん貧しいという御家庭の年寄りではございません。しかし、たとえば
所得制限は二百五十万になっておりますけれども、けっこう給料取っていらっしゃる
ように見えても、その御家庭を見ますと、ちょうど子供
たちが大学だ、高校だという
ようなことで非常に金がかかる、嫁にやらなければならない。こうなってくると、
病気になったとき一体私
たちはどうしたらいいんだろう。まあ、楽に睡眠剤でももらっておじいさんと二人で安楽に天国に行ける
ようにしてもらいましょうという
ようなことを、クリスチャンのお年寄りなんでまじめな顔をして言っていらっしゃいました。それで、東京都でも
老人の
医療無料化が
所得制限なしだということになったときにはもうたいへんな喜びでございましたし、おくればせながら、今度は
老人医療がただになるんだということの話になりましたら、国もたいしたものだと、たいへん評価していたわけなんですね。それで、一体どうなんだということで、そのときは地方から来ていたお年寄りもまざりまして、貞子さん国会へ行っていらっしゃるんだからどうなんだ、ただになるというのは、と言うので、いろいろ説明してみましたら、ほんとうにこれは、年寄りはただで国がめんどう見て
病気なおしてくれる、何かもうすばらしいおみやげをもらった
ようなつもりで、一々私が説明していきますと、包装紙をはいで、そうして箱が出てきて、のし紙をはいで箱のふたをあけたら、今度はもう、いろいろなものの詰まったものが入っている、中身を見たら底上げだという
ような結果になってきてしまうわけなんですね。先ほどから私は、そのおばあさんやおじいさんの顔を
考えながら、
局長、何か七十歳以上は
制度のたてまえから、
制限というものはしかたがない、七十歳以上とか
所得制限とかというふうなことを言われるたびにもう、その声が何かもう、ほんとうに悪いけれどもえんまさまの声みたいな気がして、何でそこのところで
制限をああいうふうに強調しなければならないのかと、ちょっと悲しくなってしまったわけなんです。で、いろいろな各
委員からの御質問で私の予定した質問もだいぶわかったところがありますので、なるべく重複を避けますけれども、どうしても重複ですけれどもお伺いしなければならないのは、やはり七十歳で
制限をなすっているというその根拠が、先ほどいろいろ各
委員におっしゃいましたのが、根拠があまりはっきりいたしません。たとえば、各都道府県の多くが七十歳、七十五歳くらいでやっているからと、こういうふうなことでございましたし、また、七十歳から七十四歳くらいが
病気にかかりやすい年齢だからというふうなこともおっしゃいました。また、社会的にどうも大体その程度の年だということも言われました。そして、手始めは七十歳という
ようなことばが先ほどから出てきました。これは決して七十歳の
制限をしなければならない何らの根拠になっていないんです。だから、ここのところを重ねてもう一度、なぜ七十歳で
制限をしなければならなかったか。私
たちは六十歳と思っていますけれども、さし
あたり六十五歳でやってもらいたいと思っていますが、七十歳で
制限しなければならないというところを、もうちょっと科学的な、具体的な
理由というものを整理して、
一つこれこれというふうにおっしゃっていただきたいと思います。