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水口宏三君 実は、私
質問申し上げようと思ったら、先におっしゃったわけでありますけれども、これは
アジア諸国にとっても同じことが言えるわけなんです。つまり、いままでの不足国が緑の革命によって米がふえていく。しかも、これはしばしばコストが高くなるんですね。そうすると、米の需給に関してはその国があるいは輸入が減らせるかもわからないけれども、大衆は高い米を買わなければならない。今度は反面、ビルマとかタイのような
輸出国は
輸出できなくなっているわけでございます。そういう矛盾が
一つある。その他同時に、
日本自身の農業がこれだけ停滞しているときに、最初申し上げた一次産品に対しては一方的な特定関税を設けてでも輸入すべきだ、また
アジア諸国のほんとうの
経済発展というのは農業開発からでなければ地についた
経済発展はあり得ないだろう、これはまあ基本的な問題ですね。そうなると、一体
日本の農業はどうなるのかということになるわけです。これらの点については、いずれまた機会がございますので、そのときにひとついろいろ御
質問をしたいと思いますけれども、そういう
意味では、緑の革命というものが何かすばらしいものであるような印象については、いまの御
答弁にもあったと思いますし、必ずしも、これは今後の
経済協力のあり方として再検討を要する問題ではないかということを申し上げておきます。
時間が何か切れましたので、実はあと二、三お尋ねしたい。特に、いま中華人民共和国が、今度国連にも加盟をし、
UNCTADにも参加しておるわけですね。中華人民共和国自身は
経済協力の八原則をすでに打ち立てている。タンザン鉄道なんかに見られるような、ああいう形の
協力が行なわれている。そういう点もございますし、
先ほど申し上げましたように、
アジア諸国自身が中国に対してどんどん
日本以上に積極的な接近を行ないつつある。こういう中で、私は、日中国交の回復と同時に、アジアにおいて日中の共存というものは
アジア諸国を含めての共存でなければ実現し得ないのではないか、そういう意見を持っていますが、これは意見にとどめて、最後に締めくくりをひとつさしていただきたいのでございますけれども、以上いろいろ御
質問もし、御意見も伺ったわけでございますが、
一つは、六〇年代の成果については、これは
通産省の発行しておりますこの
白書の中でも、必ずしも成功した点ばかりではない。確かに
発展途上国のGNPは上がったかもわからぬけれども、より以上に先進国のGNPの伸びが一人当たりについては非常に高いと、格差は激しくなってしまったと、いろいろ欠陥があるわけですね。六〇年代に対する反省、これはもう私から申し上げません。これはもう
経済白書にございますし、今度の第三回の
UNCTADの
会議の中で
リマ憲章が出たということは、これは非常に注目しなければならないと私は思うのでございます。ということは、単に個々の
発展途上国の不満がそれぞれの形でもって、いわば
経済大国と申しますか、工業国に対して寄せられたのではなしに、むしろこういう
発展途上国自身がみずから結集をして、
世界経済のあり方として、これまでの
ガット体制というものでは誤りなんだ、事実先進諸国自身が
ガット体制で行き詰まってからもうすでに崩壊しつつあるではないか、それに対処するものとしてむしろ
リマ憲章を置き、
UNCTAD体制というものを要求している。そういう
意味では、今度の第三回の
総会というものを私は十分注目し、その結果に立って七〇年代を展望しなければならないんじゃないだろうかという気がいたしますが、その点について一点、ひとつこれは
経済企画庁長官から一番総合的な
立場で伺いたいし、特に
日本の場合に、これはいままで何回かいままでの
質問の中で申し上げたんでございますけれども、部分的には、たとえば円借款を〇・七%に引き上げることを目標にする。タイドをアンタイドに、ほかの国はやらなくても
日本はやりましょう。これはどうも私は裏に何があるかわからないので、その点聞きたかったんでございますけれども、おそらく自信があるんでしょうね。あるだろうと思うのですけれども、何しろアンタイドの問題も大体まあ承認する、特恵についての種類も
拡大する、そういうような部分的な妥協は愛知さんがやっていらっしゃった。しかし、これではさっき申し上げたガット対
UNCTADというような基本的な問題の
解決には結びつかないんじゃないだろうか。そういう
意味でも、私はやはり、今度の第三回の
総会の結果というものは十分に注目すべきであるし、もう
一つは、
先ほどの
質問の中で明らかになり、また
通産大臣もお認めになったように、こういう問題というのは、いわゆる
経済援助というようなことばでは
表現できない問題なのであって、国内
経済と
アジア諸国との内外の連動性の中で初めて
日本の
経済の
発展もあり得るし、相手国の
発展もあり得るし、総合的にアジアの全体の平和共存あるいは平和共栄というものも達成できるんだということ、これらの点についてはこれまでの
質問の中で明らかになったと思いますが、それらの点をひとつ企画庁長官に再確認をしていただけるかどうかということが第一点ですね。もしそれを確認していただけるならば、七〇年代の問題としていろいろございますけれども、
一つは、私はやはり、非常に国土が狭隘である、
日本には
資源もない、対外依存度が高いわけですね。こういう
日本の
経済が今後やはり
国民の生活をささえていくためにどうしたらいいのかということ、特に昨年の例のドルショック以来、いよいよドルのかさから出て
日本が自立していかなきゃならない。むしろ今度のダンピング問題なんかでは、
アメリカは
日本に対して非常に不当な要求すらしているわけですね。ドルから離れて自立をしていかなきゃならない大きな曲がりかどを迎えているのが七〇年代の
日本経済であろう。この
日本経済のちょうど
アメリカのそういう
一つの圧力に対する反作用として、これまでの
アジア諸国との
経済関係こそより重要なウエートを増してくるであろう。ところが、
アジア諸国からすら、
日本はいまさっき申し上げたようなナショナリズムの反発を受けつつあるのが現状だろうと思う。そうなると、六〇年代のこういう反省に立って、ほんとうにやはり発想の根本からこれを変えていかない限り、
日本の
経済の
発展、言いかえれば
国民生活の
向上もあり得ないし、アジア全体の
経済発展、平和共存も考えられないんじゃないだろうか。そのために、私は実は、この
通産省の
経済白書でも、結局やはり
経済大国と言っている、先進国と言っている、
経済大国、先進国が
国際的責務としてアジア
発展途上国に
協力をするという、この発想がぼくは誤りだと思う。何が一体先進国なんだろうか。GNPは高いかもわかりません。しかし、先進国であるか後進国であるかということは、これは私は別の尺度からはかられるべきであるのであって、先進国だから後進国に対して
援助をしましょうという発想では、これは私は六〇年代のこういう誤りを繰り返すことになるし、それだけでなしに、むしろいまの情勢からいけば、アジアで孤立をするのではないか。そうして、対外依存度の高い
日本の
経済自身がむしろ崩壊をするおそれすらあるんじゃないだろうか。したがって、大国意識というもの、先進国意識というものをまず捨てるべきだ。このことは、これは比喩的ですけれども、戦前、
日本が、東亜の盟主とか、アジアを解放するんだとか、五大強国の
一つだとか、富国強兵とか、満蒙青年義勇団とか、国権擁護とか、しきりに言いましたね。それと似たことばが最近出ているんですね。
アジア諸国に対して先進国
日本が
経済援助をするんだ、GNPは
世界第二位になって
経済大国になった、だから
日本は一%以上、二%や三%くらい国防費に使って、四次防以上に、五次防になったらこれだけの軍備を持つんだ、あるいはマラッカ海峡は
日本の
経済の生命線だ、国益を守らなければいかぬ、いろいろ戦前に似たことばがぽんぽん出てくる。これは非常に危険なことだと思うんです。そういう
意味で、まず私は、基本的な発想というものを転換する、
日本が先進国意識というものを捨てると、そうして
アジア諸国と同じ
立場に立って、
日本の国内的な
経済体質については、
国民の生活優先、福祉型の
経済に切りかえて、
経済成長は多少とまってもしかたがないんじゃないか。また、
アジア諸国に対する
経済協力についても、
日本のむしろ
経済的な
観点から、市場の
拡大とか、あるいは
アジア諸国の持っている天然
資源を
日本が
確保するとか、そういう
観点ではなしに、ほんとうに対等の
立場で相手国に対して
経済協力してやる。そのためには、いまの線の革命も私は非常な危険があると思いますし、開発輸入というものをここで思い切って転換をしなければならぬと思う。まして、そのため
政府資金という形で
日本の商社の
輸出なりあるいは対外投資に
政府が積極的に
援助するというようなことは、これは当然考え直さなければいけない。
そういうふうにずっと詰めていきますと、結局私は、中国の今度の国連加盟、
UNCTADへの参加ということが、今後の
日本のあり方にとっても非常に重要な問題になる。
日本と中国というものが
アジア諸国に対して異なった、対立するような
経済政策を持つならば、日中国交を回復しても私はアジアの繁栄というものはあり得ないのではないか。そういう
意味で、当然中国の問題というのは、単なる国交回復の問題ではなしに、いまの
経済問題を含め、外交問題にはね返るという形で考えていかない限り、ほんとうの
経済協力、アジアの
発展、平和共存というものは考えられないというふうに実は自分なりに考えたわけですけれども、時間もございませんので、どうも意見だけ申し上げて恐縮でございますけれども、以上、六〇年代に対する反省と、それを踏まえての私なりの七〇年代への
問題点というものについて、最後に
経済企画庁長官から御意見を承れれば非常に幸いだと思います。