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塚田大願君 図書館としても、当然こういう調査もある程度進めておられるかと思うのでありますけれ
ども、いまおっしゃったが、ドキュメントなんかは大部分返ったと、
あと若干がアメリカに残っている程度だろうと、こういうふうな
お話でしたけれ
ども、これは違うんじゃないかと思うのです。私のほうで調べました限りにおきましては、あの当時、占領下のアメリカ軍に接収されました公文書類というのは、大体三
種類ある。先ほ
どもちょっと申しましたが、一つは旧陸海軍
関係、二つは旧内務省
関係、特に警保局、特高
関係のもの、それから三つは占領下の言論弾圧資料、大体この三
種類ある。ところが、確かに一部返されてきました。それは
昭和三十三年、軍
関係のものが返されてきた。そして、これは防衛庁の戦史室に保管されておる。おたくのほうにはマイクロフィルムか何かに入っておる。こういう
関係だろうと思うのです。これが一体どのくらいの部数なのか、どういう
種類のものなのかというのは、これは一般には何もまだ知られておらない。また知らされてもいない。しかし、とにかくこれは一つ返ってきました。
しかし問題は、むしろ旧内務省
関係、それから言論弾圧資料、こういうものはほとんど返っていないはずです。この部数が非常にたいへんなものなんです。で、いま館長も二十八万とおっしゃったが、 これはワシントンのアメリカの
国会図書館、ここにあるんですね。で、これは私のほうでもリストを、目録をつくってみましたけれ
ども、これはたいへんなものですね。とても二十八万なんで調べようもないでしょうけれ
ども、とにかく、いままで大学の先生であるとか、その他のジャーナリストの方であるとか、特殊の方がアメリカへ行って、ワシントンのこの図書館に行って調べてこられて、びっくりして、いろいろ
報告——雑誌その他に書かれておられる。「歴史評論」であるとか、あるいは早稲田大学から出されていた「史観」、こういう雑誌に一部が載っております。しかし、これを見ますと、ほとんどこれは内務省の当時の治安
関係の資料でありまして、みんなマル秘あるいは極秘といったような性質のものばかり。ちょっと読み上げてみましても、これは何万種のうちの一部ですから問題になりませんけれ
ども、たとえばこれは早稲田大学の鹿野教授が調べた資料でありますけれ
ども、「検挙索引簿」
警視庁特高部、「治安維持法違反
起訴者年度別調」、「共産主義特別要視察人一覧表」、「特高
関係年・半年報」、「秘密戦に関する書類」、これは陸軍
関係ですね。「朝鮮暴挙伝聞録」、これは総務局ですね。「
活動写真フィルム検閲時報」、「新聞雑誌処分日誌」、「
警察情報綴」、「敗戦処理に関する緊急電報」、「米兵の不法行為」、「各署
報告綴」とか、いろいろ多数のいわゆる弾圧資料というものがごっそりあるわけです。それが大体二十八万あるということ、これは刊本だけで二十八万四千と言われておるのですね、正確に言えば。これがそっくりあるということ。
それから三番目の占領下の言論弾圧資料、これは当時のGHQ・CIEの検閲官でありましたゴードン・W・ブランジという人物が検閲しておりましたが、納本
関係を全部、自分が帰るときに一括して持ち帰った。これはいわゆるプランジ・コレクションと言われて、先ほどおっしゃたメリーランド大学のマッケルディン図書館というところに保存をされておる。これも単行本にして六万冊、新聞、雑誌一万タイトルと、こういったふうに非常にたくさんのものが行っておると、こういう性質のものなんです。
ですから、大部分返ったんじゃなくて、一部は返されたけれ
ども、大部分はそのままにされておるというのが私は実態ではないか。そういう意味で、図書館あるいは外務省で私はもっと正確な調査をする必要があると思う。所在場所にいたしましても、いま言ったワシントンのアメリカ
国会図書館あるいは国立公文書館、それにいまのワシントン郊外のメリーランド大学、さらにはバージニア州のマッカーサー記念館、こういうところに資料が一ばいあることは、行った人が、とにかく民間の方々が行ってこれを見てきておるんです。しかし、実際、権力も何もありませんから、またそんな費用もありませんから、そんなに詳細な何十万部の資料をつくるわけにはいかない。だから、ただほんの一部だけを
報告されているにすぎませんけれ
ども、しかし、とにかく非常に重要な文書ばかりだと。刊行物、刊本にしても、いま言ったような旧内務省
関係のものが多いようですけれ
ども、いわゆる文書類、たとえば原稿であるとか、ガリ版刷り、タイプ印刷のような、そういったものもたくさんあるので、これなんかは、まず点数なんか調べようがないだろう。アメリカ
自身まだほんとうに整理されていないという。
特にこのプランジ・コレクション、言論弾圧機関が持っていった資料の中にはこういうものがあるんですね。谷崎潤
一郎氏は当時、新聞か何かの小説だろうと思うのですけれ
ども、「A夫人の手記」というのが発禁になって、検閲で押えられて、発禁の判こが押されているものがアメリカにある。あるいは向坂逸郎氏であるとか、美濃部亮吉氏、いまの都知事ですね、この人たちの論文が、やはりゲラ刷りで発禁の判こが押されて、アメリカの図書館に保存されている。こういった類まであるんですね。ですから、量的にも質的にも非常に重要な日本の文書が、アメリカに持っていってそのままになっておるということは、私はやはり許さるべきではない。
特に私は強調したいのは、アメリカが日本のこういう公文書を持っていっているというのは、明らかに陸戦法規の条約からいっても私はこれは違法だと思うんです。国際条約であります陸戦法規に何と書いてある。陸戦法規の五十三条、国有動産の問題ですけれ
ども、こういうふうに書いているわけであります。「一地方ヲ占領シタル軍ハ、国ノ所有二属スル現金、基金及有価証券、貯蔵兵器、輸送材料、在庫品及糧秣其ノ他総テ作戦動作二供スルコトヲ得ヘキ国有動産ノ外、之ヲ押収スルコトヲ得ス」、つまり作戦上必要なものはしかたがないけれ
ども、それ以外のものは押収してはいけない、こういうことなんですね。これは、戦争が終わった時点でですよ、アメリカがこういう日本の公文書を持っていくということは、これは不法なんです、国際条約からいいましても、陸戦法規からいいましても。それが二十七年間もほうってあったということは、一体どうしてそうなったのか。これはいわば国の主権にもかかわる問題だと思います。これについて政府はどのような責任を感ぜられておるのか。それを、外務省の方が来ておるのじゃないかと思うんですが、お聞きしたいと思います。