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国務大臣(
佐藤榮作君) いま
西村君からのいろいろの御
意見を交えての、まあお尋ねもございましたが、私はいま、そのポスト
ベトナム、それだけでいま申し上げておるわけじゃございません。皆さん方の
努力も、やはり
ベトナム問題が進行中において、これを間違わない
方向にしたいというその
努力が先ほど言われるような北越へ
西村さんがみずからお出かけになったと思っております。また、私
自身ももちろんポスト
ベトナムを
考えないわけではありませんけれ
ども、もっと大事なことは、現在の
状態がどういうように改善されるか。間違った
方向へいかないように、これを念願するのみであります。
そこで、先ほ
ども申しましたように、私は心配をしたが、意外にも世の中が、
世界が平静であると、そういうことで私は杞憂に終わったのかと、かような安心感を得たという話をしたのであります。
私はたいへん実は北越の海上封鎖を大きく見ておりました。これはたいへんな問題が起きたと、かように実は非常に心配したのでございます。しかし、そういうことにならないでただいま推移している。これはここにも平和への
努力が払われつつあると、かように見ていいんじゃないのか。またモスコーに出かけたと、
ニクソン大統領はモスコーでどういう話をされたか。これもまた別でございますが、おそらく
ベトナムの問題にも触れたのに違いないと思います。私はそれらのことを
考えながら、やはり話は同一の線をたどることはできなかったにしても、やはりこの問題は両国の間にこれを大きくしないような
努力は払われつつあるものだと、かように実は思っております。ただ、両国ともそれぞれの行きがかりがありますから、過去の行きがかりで古い
友人を敵に回すとか、その期待にそむくとか、そういうことはしないつもりで
アメリカも
ソ連もやっておるんだと、かように私は
理解いたします。したがって、問題はやはり何といっても、うしろだてもさることながら、当事者
自身がやはりその気持ちにならないと問題は解決しないんじゃないだろうか、かように思っております。
いま中近東の問題、これが休戦
状態でございますので、これもいつ火を吹くかわからないたいへん心配されるべき筋のものである。私はそれらのことを
考えながら、
極東の問題も
ベトナムの問題も中近東の問題も、これは区別しては
考えられないように気がいたします。しかし
世界が平和を望んでおる、ことに核兵器の発達した今日、
戦争は避けるべきだといろあらゆる
努力が払われておる。このことはそれなりにわれわれも認めて、そうしてその
方向で
努力すべきだと、かように
考えますので、いま
西村さんの言われるようにポスト
ベトナムを
考えているんだと、こういうことじゃなしに、現行の進行しておるその
状態について多大の関心を持たざるを得ないというのが私のほんとうの心境であります。また、あなたや私のほうの千葉君などが、この
ベトナム問題を何とかして終息させようとしての民間の
努力、これも私はそういう
意味で高く評価さるべきものだと、かように私は思うのでございます。たいへんまあ御苦労を重ねていらっしゃることについて、あらためてこの席をかりて敬意を表し、ただいまのものが実を結ぶことを今後とも私は望んでやまないのであります。しかし、やっぱり何といっても
戦争の当事国それ
自身がそういうつもりにならないと
戦争はやまないんじゃないかと、かように私は思います。
アメリカがすでに発表しておるように、これは撤兵するでしょう。私はその点が、ただ単に、いやその
アメリカの捕虜を返せ、そうしたらすぐ撤兵するとか、
戦争が休戦したらどうこうというようなことは、これは表現の問題でありまして、あるいは中間的な
状況だろうと思います。私はやっぱり終戦の
方向に事態は大きく動いているんだと、かように実は思います。
そこで私
自身にイニシアチブをとれと、こういうことを言われますが、私も
世界の平和について関心なきを得ないのですから、そういう
意味では、おっしゃるようなことも
考えないわけではございませんけれ
ども、しかし、私
どもただいまは平和に徹する
考え方のもとにおいてこの事情を十分
理解してもらうことがこれが何よりも
戦争への強い圧力になる、そういうように
考えざるを得ないのであります。私は、
キッシンジャー補佐官が見えましていろいろ
話し合いをする、そういう
方向に、やっぱり
日本の
考え方はここだと、こういって
キッシンジャー補佐官が事態を十分認識して帰ってくだされば、そういうことがやはり
ベトナム戦争あるいは中東の平和、その
方向に必ず役立つだろう、かように実は思っておるのであります。先ほど
外務大臣から申されたように、
キッシンジャー補佐官はただいままでに
日本に来られたことがない。そういう事態で、
日本の実情を十分知りたいというかねてからの希望であります。これは、この春、サンクレメンテで話した際もそういうことを申しております。だから、まあそういう点がみずから、やはり百聞は一見にしかずと、こういうふうな
意味で
日本に出てくる。あの多忙な人がそういう気持ちになったんだろうと、かように私は思いますので、そういう
機会に十分われわれの
考え方を率直に話しをすること、そして
理解を深めること、これが何よりも大事なことではないだろうか、かように思う次第でございます。