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1972-05-12 第68回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十七年五月十二日(金曜日)    午前十時二十五分開会     —————————————    委員の異動  五月十日     辞任         補欠選任      三木 忠雄君     内田 善利君  五月十一日     辞任         補欠選任      内田 善利君     三木 忠雄君  五月十二日     辞任         補欠選任      鈴木 省吾君     濱田 幸雄君      長田 裕二君     佐田 一郎君      鬼丸 勝之君     金井 元彦君     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         長谷川 仁君     理 事                 楠  正俊君                 剱木 亨弘君                 丸茂 重貞君                 川村 清一君                 戸叶  武君                 藤原 房雄君                 高山 恒雄君                 星野  力君     委 員                 稲嶺 一郎君                 今泉 正二君                 長田 裕二君                 梶木 又三君                 片山 正英君                 金井 元彦君                 亀井 善彰君                 古賀雷四郎君                 佐田 一郎君                 柴立 芳文君                 園田 清充君                 竹内 藤男君                 西村 尚治君                 初村滝一郎君                 濱田 幸雄君                 宮崎 正雄君                 山内 一郎君                 若林 正武君                 鈴木美枝子君                 宮之原貞光君                 村田 秀三君                 森  勝治君                 塩出 啓典君                 三木 忠雄君                 宮崎 正義君                 喜屋武眞榮君    国務大臣        農 林 大 臣  赤城 宗徳君        通商産業大臣   田中 角榮君        労 働 大 臣  塚原 俊郎君        国 務 大 臣  山中 貞則君    政府委員        総理府総務副長        官        砂田 重民君        沖繩北方対策        庁長官      岡部 秀一君        文部省体育局長  渋谷 敬三君        食糧庁長官    亀長 友義君        食糧庁次長    中村健二郎君        通商産業省企業        局長       本田 早苗君        中小企業庁次長  進   淳君    事務局側        常任委員会専門        員        伊藤  保君    説明員        大蔵省理財局国        有財産第三課長  楢崎 泰昌君        労働省労働基準        局庶務課長    鈴木新一郎君        労働省職業安定        局雇用政策課長  関  英夫君     —————————————   本日の会議に付した案件地方自治法第百五十六条第六項の福規定基づ  き、沖繩総合事務局事務所設置に関し承認  を求めるの件(内閣提出衆議院送付) ○地方自治法第百五十六条第六項の規定基づ  き、労働基準監督署及び公共職業安定所設置  に関し承認を求めるの件(内閣提出、衆議院送  付) ○地方自治法第百五十六条第六項の規定基づ  き、食糧事務所設置に関し承認を求めるの  件(内閣提出衆議院送付) ○地方自治法第百五十六条第六項の規定基づ  き、工業品検査所及び繊維製品検査所出張所  の設置に関し承認を求めるの件(内閣提出、衆  議院送付)     —————————————
  2. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) ただいまから沖繩及び北方問題に関する特別委員会を開会いたします。  地方自治法第百五十六条第六項の規定基づき、沖繩総合事務局事務所設置に関し承認を求めるの件  地方自治法第百五十六条第六項の規定基づき、労働基準監督署及び公共職業安定所設置に関し承認を求めるの件  地方自治法第百五十六条第六項の規定基づき、食糧事務所設置に関し承認を求めるの件  地方自治法第百五十六条第六項の規定基づき、工業品検査所及び繊維製品検査所出張所設置に関し承認を求めるの件  以上四件を一括議題とし、前回に引き続き、質疑を行ないます。質疑のある方は、順次御発言を願います。
  3. 森勝治

    森勝治君 先般の私の質問に際しましては、大臣所用のため欠席されましたものですから、当時、当該政務次官にお伺いしたんでありますが、なお若干明快なお答えをいただけない趣きがありましたものですから、きょうあらためて通産大臣に二、三お伺いをしてみたいと思います。  まず第一点は、沖繩における産業振興の基本的な政策であります。特に、こんなことを申し上げてまことに失敬でございますが、通産大臣は時の人であり、やがてこの国をになわんとする意気込みが非常に強いと承っておりますので、そういう観点からも、やっと祖国に返ってまいります沖繩振興策こそ、民生安定の一つの当面の急務だろうと思いますので、そういう点についてお伺いしてみたいと思うのであります。政務次官等につきましても、この点をただしましたところ、まあ海洋博覧会等をおやりになるという話でありますが、ただそれだけをお伺いしますと、せっかく祖国復帰がかなうという、沖繩本土施策をただ当てはめただけで、沖繩特殊事情というものを十分勘案されたものがなさそうに、先般の答弁からそんなふうに感じましたものですから、所管大臣としての見解をこの際あらためてお伺いしておきたいと思います。
  4. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 沖繩復帰ということは非常に長い懸案でございました。長い懸案がようやく明々後日には本土復帰が実現するということでありますから、本来ならば沖繩返還後の、祖国復帰後の沖繩の長期的な計画というものがつまびらかに計算されておってしかるべきでございます。ございますが、いま御審議をいただいておりますように、一応復帰後の沖繩振興計画というものをつくるようにしてあります。沖繩本土復帰いたしますので、本土の中に存在します制度機構等はそのまま適用を受けるわけでありますが、そのほかに北海道開発庁をつくり、北海道東北開発公庫等をつくりましたと同じように、沖繩振興のためには本土機関制度以外に新しい振興に必要な制度を発足せしめるようにしておるわけでございます。でありますから、一応の計画、一応の青写真というのはできると思いますが、私は沖繩というものの将来図というものは、これから沖繩とも十分話し合いをしながら、あらゆる角度から検討をして積み重ねなければほんとうのものはできない、こういうふうに考えております。それは本土そのものがそういう事態に置かれておるわけであります。なぜかというと、全国総合開発計画というものを一ぺん改定をいたしましたが、今度はそれをまた改定をしなければならぬ。いうならば新全総というものは新々全総ということでございます。ですから昭和六十年までというと十二、三年あるわけでありますが、六十年を展望しても日本産業というものはどうしなければならぬのか、新しいいままでの重化学工業中心よりも地域集約化を行ないますと言いながら、地域的にまた内容的にどういうふうにしなければならぬのかということを現に策定中でございます。ですから、沖繩も一都二府四十三県の中の一つの県として、新全国総合開発計画の中の沖繩であり、同時に沖繩の特性というものが生かされた計画が、もう一回も二回も練り直されて、新しい、合理的でかつ実行可能な沖繩経済開発計画というものができる、こういう考え方に立っております。具体的な数字を述べろと言えば申し述べます。
  5. 森勝治

    森勝治君 この前の私の質問の際ですね、工業製品繊維製品検査基本的態度についてただしましたところ、これは、私の当時の推量であり、答えられたものに対する推量でございますが、政務次官は、これは自主検査中心とするという、いわば民間中心とするのがこの検査基本的態度だというお話をされたわけであります。ところが、担当の方はそうではなくして、本来国がこれをやるべきだけれども予算規模、人員、その他の関係がありまして、民間に委嘱または委任等を行なっているという趣旨のことを言われたわけであります。私は、もとよりこの種のものは通産当局直轄で行なうべきであるという趣旨で設問をしたわけでありますけれども、そういうふうに二つの、私の目から見るならば、食い違いの感がなきにしもあらず、こういうふうに受け取りましたが、時間がございませんから、この点はあらためて大臣から当局基本的態度をお伺いしておきたいと思います。
  6. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 輸出検査主務大臣責任を持って行なうべきである。これはもう法のたてまえ上からも役所責任を持ってやることが望ましい、これはもう当然のことであります。でありますが、何ぶんにも膨大もないものでございますし、多種多様なものでございまして、現実的に国の役人が全部出先機関をつくって、国が直轄で行なうということになると膨大もない機構を必要とするということで、その調整を行なうという意味委託をせざるを得ないということでございますが、委託をしても、どういう事態であっても、最終的な責任者というものはやっぱり国に存在する、こういうたてまえでございます。
  7. 森勝治

    森勝治君 その点は、本来これは通産当局直轄で行なうべきであるという、この私の考え方と基本的には一致するものと、私はこう考えます。  そこで、次の問題に移りますが、第三点、これで質問は終わりますが、輸出検査は、いま大臣もいみじくもお話がありましたように、量が膨大なためにというお話がありましたように、いまの検査方法は、工業製品繊維製品抽出法をもっていたしておりますから、先日のお答えでは、いわゆる万全を期しながらも、なおかつそういうふうに抽出でやりますから、全部の品物をつぶさに手にとって検査、査定ということはなりかねるから、完全に不良品の防御ということにはならぬというお話があったわけであります。私は、その際も申し上げたんでありますが、この両検査所等設置の目的は、いわゆる輸出産業振興一つと、消費者行政の全きを期すという、いわゆる消費者保護立場に立つ両面があるだろうと思うのでありますが、いま言ったように、予算との関係があるでありましょう。あるいは人的配置の不足の点もあるでありましょう。そういう観点から、ややもすれば、消費者保護立場がなおざりにされる憂いがあるのではないか、私はこんな気がしてならぬわけであります。最近は、輸出製品と言わず、国内等消費物品等につきましても、ときどき物議をかもすような問題が間々あらわれてまいります。したがって、何と申しましても、今日的段階もそうでありますが、将来に向かいましても、これはもう消費者行政というもの、消費者保護という立場をさらに所管省であります通産省で十分配慮し、さらにまた強力にこの種の施策を推し進めていかなければならぬと思うのでありますが、この点についてのひとつ御意見を承りたい。
  8. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 不良商品輸出をされないように、万全の体制をとらなければならない、これは当然のことでございます。でありますから、検査標準とか検査規格とか基準とかいろんなものをつくっておるわけでございますが、どうも抜き取り検査でありますから、ほんとうに不良品が絶対に出ないというわけにはまいりません。これはもう基準に適合したものとすれば、輸出をされるわけであります。しかし、これは信用に関する問題でございますので、検査をしても、送り主と全然違う、開いてみたらがらくただったというようなものもあるわけでありますから、そういう意味検査というものと輸出というものの間には、完ぺきではありませんが、しかし、完ぺきな方向に持っていかなければならないということも事実でございます。それから消費者保護というような立場で、輸出をするというだけではなく、国内的にも検査をするというような場合、これは薬などでも規格に適合しておれば市販されるわけでありますが、薬は全量検査をするわけではないわけであります。ですから、そういう意味ほんとう規格品と同じような検査に通ったものだけが輸出をされ、販売はされるのか、金庫から出庫されるのかという問題になると、いろいろ問題がありますが、まあ日を追うに従ってこれらの検査規格標準というものもだんだん厳密になっておりますので、消費者が保護されて、不良品輸出をされるごとのないように、制度上も完ぺきに近いものがつくられつつある、これが実態でございます。
  9. 川村清一

    川村清一君 私は、沖繩総合事務局事務所設置に関し承認を求める案件につきまして、与えられた時間の範囲内において若干の質問をいたしたい、かように考えます。  沖繩開発庁設置法が制定されます、予定といたしましては、本日の本会議成立するということを聞いておるわけでございますが、そうなりますれば、五月十五日、沖繩復帰の日をもって開発庁並びに総合事務局設置されるものと思うわけでありますが、こう理解してよろしいですか。
  10. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) さようでございます。きょうの本会議法案成立いたしましたならば、十五日にもう店開きと申しますか、業務を直ちに開始をしたい、かように考えております。
  11. 川村清一

    川村清一君 そうしますと、あともう二、三日後でございますから、当然開発庁長官並びに総合事務局長というものは任命されますので、もう内定されていると思うわけでありますが、いかがですか。
  12. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) 五月十五日からは沖繩県民方々の御要望にこたえるいろいろな業務も直ちに行なわなければなりませんから、もうきょうがすでに十二日でございます。したがいまして、その準備は、事務的な準備は、相当な事務量があるわけでございますから、そういう人事準備しておりませんと言えばうそになります。しかし、ただ、何さまきょうの午後の本会議法案成立を見ていただけるわけでございますから、法案成立しておりませんのに、内定までいってしまうことは、これはやはり私どもは差し控えなければならないことでありますので、準備はいたしておりますけれども、まだ内定までにはまいっておりません。
  13. 川村清一

    川村清一君 内定されておらないということはこれはうそだと思うのです。きょうの新聞に、金融公庫法基づ金融公庫のあれは理事長ですか総裁ですか、すでに内定されたということが新聞に出て、写真も出ておりますからね。これは事務的に準備されておるということは、もうすでに内定されておるというふうに私は解釈しておるわけですが、そこはだれだなんということを聞こうとしておるわけではないのですから、あまり深く心を配らないで、ひとつ私の質問に答えていただきたいのですが、開発庁長官は、おそらく国務大臣山中総理府総務長官が兼任されるものと私は予想しておるのですが、まあこれは予想ですから、違うかも——内閣総理大臣がだれを任命されるかわかりませんが、これは予想ですが。  それから、私がいまお聞きしたいのは、総合事務局ですね、総合事務局最高責任者事務局長でございますね。この事務局長開発庁長官が任命すると思うわけでありますが、一体だれを内定しておるかという、その氏名まで私は聞こうとしておるのではないのですが、事務的でもいい、準備されておるのですから、何省か、何省の方をその事務局長に持っていこうと予定されておるのか、この点お答えいただきたい。
  14. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) 法案成立前の内定ということは差し控えなければならないという立場はひとつ御了解をいただきたいと思います。ただ、準備はまさにいたしております。もう当然のことでございまして、十五日からもう始めなければならない仕事があるわけでございますから、準備をいたしております。  ただいま開発庁長官山中総務長官予想すると言われましたけれども、私もそれを予想をいたしております。  それから現地事務局長でありますけれども、一番大事な人事は、この現地事務局長だろうと思うのです。もう先生承知のように、各省各種各様仕事一つ役所の中にこれはかたまってありますのと、沖繩事情というものをやはりよく承知をした人でなければ当面もうすぐに困るわけでありますし、沖繩にのみ存在するいろいろな特別の事情もありますことですから、こういった各省間の調整能力にひいでた人、しかも沖繩事情に詳しくて、沖繩の県民の方々立場に立てる人、こういう条件をつけてただいま準備をいたしておりますけれども、率直にお答えをいたしますが、やはり沖繩問題一括して責任を持っていままで仕事を進めてまいりました私ども総理府からこれは出すのが一番いいんではないだろうか、そういうふうに私どもは考えております。
  15. 川村清一

    川村清一君 参議院の内閣委員会調査室が出しております資料によって検討いたしましたところ、沖繩総合事務局内部組織は、局長のもとに次長が二人、それから総務部が四課、一室定員百十八人、財務部四課、定員七十三人、農林水産部六課、定員二百九人、通商産業部四課、一宮、定員七十二人、運輸部四課、三宮、定員六十四人、開発建設部九課、一室、三官、定員二百七十一人、定員総計局長を含めて八百十人となっておりますが、そのとおりでございますか。
  16. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) 先生おっしゃったとおりでございます。
  17. 川村清一

    川村清一君 そこで、さらにお尋ねしたいことは、次長を二名、それから総務部長財務部長農林水産部長通商産業部長運輸部長開発建設部長、それはそれぞれ何省の者が発令されることに準備が進められておるか。それからその職階ですね、たとえばこれも私の推量でございますけれども、常識的に言って農林水産部長というのは農林省から出るんではないかと思うわけでございますが、出るとすれば農林省のどういう職にある方がここになるか。いわゆる局長クラス部長クラス課長クラスかといった程度のことはお知らせいただきたいと思うのであります。
  18. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) きょうこの委員会しかお答えする機会がないということはよくわかるんでありますけれども、この人事のそこまで詳細なことは、まだ、先ほどお答えをいたしましたとおり、内定までいっておりませんので、たいへんお答えがしにくいわけでございますが、先生が御推察の大体とおりでございまして、やはり各省それぞれ権限と責任能力をあわせ持った人に行ってもらわなければ困るわけでございますから、やはり農林水産には農林省から、ただ先ほどお答えをいたしましたように、現地事務局長仕事というのはたいへんむずかしい仕事であろうと思いますので、総務的な仕事も同じようなやはり性格を持ったポストでありますから、総務部長はやはりいままでの沖繩対策庁沖繩問題担当してきた者が一番いいんではないんだろうかというふうな考え方のもとに準備を進めております。
  19. 川村清一

    川村清一君 私はこの問題についてちょっとお尋ねしたいと思っていま御質問申し上げておるので、ですから決してあなた方がおっしゃられないことを、いわゆる人事の問題ですから、そこまでだれだなんていうことを聞こうとしているのではなくて、今後の問題もありますので一応聞いておるんです。  そこで総務部長は、従来の経緯もあるので対策庁担当者を当てるというようなお答えでございました。次長二名はどうですか。これは何省から出されますか。
  20. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) 次長もやはり先生承知のように、ただいま沖繩北方対策庁現地事務局がございます。この現地事務局におります人たちは、琉球政府とこん然一体となって復帰のための準備をいたしております、沖繩各種の問題の練達の士がおりますので、ここから一名、それから建設運輸通産というところから一名、こういう心づもりで準備をいたしております。
  21. 川村清一

    川村清一君 それから資料によりますと、琉球政府からの引き継ぎ職員数は五百八十三人となっておりますが、それはそのとおりか。それから、それらの引き継がれる職員については、すでに本人との間に話し合いがついて、本人は承諾されておるのかどうか。この点いかがですか。
  22. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) 定員は、数は先生御指摘のとおりでございます。  それから、実はこれはもう復帰をきわめて近日に控えましたきょうでございますから、率直にお答えを申し上げますが、開発庁設置法、これの成立を見る前に琉球政府から引き継ぎます公務員の身分のことについて実は非常に悩んだわけであります、準備をいたさなきゃなりませんので。そこで、内閣委員会理事会に御相談をいたしました。そういたしましたら、琉球政府職員の中から、本土公務員に引き継ぐという者については、名簿日本政府から提言をしてやったらどうだ、法案はまだこれからだけれども、それはひとつ認めようというお答えをいただきましたので、先月の月末に、その名簿日本政府から琉球政府に渡しました。琉球政府は、四日の日にそれを各人に内示をなされまして、順調に内示が済んだという御報告は、御連絡は琉球政府からいただいております。
  23. 川村清一

    川村清一君 次にお尋ねしたいことは、その引き継がれる五百八十三人の公務員について、この総合事務局職員として、管理職ですね、いわゆる部長とか、課長とか。この管理職につかれる人はどのくらい、おおよそ何人くらいいらっしゃることになっておりますか。これはおおよその数でけっこうでございます。
  24. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) 課長になられる方は相当数ございますけれども、数はちょっとお許しをいただきたいと思います。相当数ございます。
  25. 川村清一

    川村清一君 その次にお尋ねしたいことは、総合事務局職員の総定員数は八百十人。それから、琉球政府からの引き継ぎ職員が五百八十三人。そうしますと、差し引き人数は二百二十七人ということになります。そうして、また資料によりますと、現在の沖繩事務局にいらっしゃる、いわゆる定員が八十九人です。ですから、この二百二十七人から、現在すでに沖繩にいらっしゃる八十九人を差し引きますというと、百三十八人になりますね。そうすると、この百三十八人という者を、これは本土から持っていくのか、現地で採用するのか、とにかくこれは充当しなければなりませんね。そこで、その百三十八人の定員については、どのようにして充当される予定になっておるのか、その計画をお聞きしたい。
  26. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) 大体、本土から、各省庁から参りますけれども、ただいまの対策庁沖繩事務局からは帰ってくる者もございます。したがいまして、必ずしもその差し引きだけで、百三十何人と先生おっしゃいましたが、その数が必ずしも新たに本土から行くとは限っておりません。
  27. 川村清一

    川村清一君 まあ大体本土から行く方で充当するということになりますれば、その方々いろいろ待遇の問題があると思うわけですね。そこで本土から沖繩へ行く相当多量の方がいらっしゃるわけですね。この方々の住宅とか、そういうようなことについてはもう心配なく準備されておるのかどうか、これらの点についてお尋ねしたい。
  28. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) 各省それぞれ、また、対策庁現地事務局でいろいろお手伝いをいたしまして準備中でございます。
  29. 川村清一

    川村清一君 準備中はわかりますけれどもね、先ほど副長官から御答弁がありましたように、もう五月十五日、あと三日後、この役所が機能を発揮するわけですね。そうすると、その時点においてこういう方々がいらっしゃるわけですね。そうすると、行った、そうすると住むところもないと、全部単身赴任といったようなことになるのか。当然そういう問題につきましては、第一に考えてやるべきことでないかと私は思うのですが、この点はどうなんですか。一応住宅に私は例をとったわけですが、まだたくさんあるわけですよ。まず住むところ、住宅はあるのかどうか、この点をお尋ねしておるわけです。
  30. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) だいぶ苦心をいたしましたけれども、住宅は大体確保できる見通しが立っております。
  31. 川村清一

    川村清一君 もう時間がありませんので、ただいまお聞きした問題の中から、ひとつ問題点を摘出してお尋ねいたします。  これは、何といいますか、役所のセクトというものがあるわけですね、官僚の世界には。そこで、局長次長部長とかという、いわゆる最高の身分ですね、このポストというものは、初代の局長次長、あるいは部長が何省から出ていったということになれば、これはその何省なるものはもうここのポストはうちのほうの省の既得権であるということになるわけですよ。そこで私はお聞きしておるわけですが、非常に、これは固定化しちゃうのですね。これはいま、一代目の局長であり、また次長であり、部長なんですが、この局長というものが総理府から出たということになれば、永久不変に総理府というポストになっちゃうわけです。私の、たとえば北海道開発庁なんというものの経験からみても、そういうことになるんですね。次長もしかり。部長もしかり。そういうようなことになることを私は一つ憂えているわけですがね。なかなか官僚の世界というものはむずかしいらしくて、もうそのポストが固定してしまって、これはわが省の既得権だと、こういうことになると、これはちょっと困るわけなんですがね。この点はどうなんですか。
  32. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) おっしゃるとおり、なかなか、官僚というものはむずかしいものだということを、私も政務次官、副長官をやっている間に理解をいたしております。私は役人の経験がありませんので、昔のことはわかりませんけれども、そういう心配は、先生と同じような心配は持たないわけではございません、率直に申し上げて。ただ、要はやはり沖繩復帰という、これだけの大事業、しかも、復帰をしていただいてからの振興開発計画というものを、十年にわたる長期間、非常に大事な仕事をやっていくわけでありますから、その何省の人でありましても、そのポストに向いた、かっこうな人をもっていくのが一番大事なことでございまして、開発庁長官も、これは国務大臣開発庁長官になることでありますから、初代は、先ほど先生も私も予測をいたしましたように山中となるかもしれませんが、その後もやはり国務大臣開発庁長官でありますから、政治的な判断で、何省というセクト主義にとらわれずに、沖繩のためによかれと思われる人は任命できるはずであります。ただ、公共事業等もこの役所はやることでありますから、やはり建設建設、農林は農林ということになってまいりましょうけれども一つ役所にまとめたということは、先生のおっしゃるようなセクト主義を排していこうという気持ちからでもあるわけでございますから、将来にわたって、人事はそういう感覚でおそらく行なわれるもの、かように私は考えております。
  33. 川村清一

    川村清一君 副長官がおっしゃるようなことになればいいんですけれども、なかなかそうならないわけなんですよ。もちろん、北海道開発庁一つ機構、仕組みというものを考えてみますと、もちろん、開発庁長官はこれは国務大臣ですからこれはかわるわけですが、ところが、開発局があります。その局長、それから次長、これはもう何省ときまっているわけです。それで局の下に現業部門として地方部局がありまして、いわゆる開発建設部というのが、十一あるわけですね。この十一の建設部におきまして、御承知のように北海道開発局というものは、これは沖繩総合事務局とはずっと違いまして、非常に権限が小さいですね。ですから、現業部門だけですから、建設と農林関係だけなんです。ところが、地方部局の建設部長につきまして、たとえば札幌建設部は、大体これは建設省からとか、あるいは網走建設部長はこれは農林省関係とか、もうきまっておりまして、それ以外の人が出ないわけですよ、これが役所の仕組みなんですから。いま、沖繩総合事務局長が任命される。それから次官が任命されると。部長が任命されると。これは部長でも、農林とかいうところは農林省から出るということ、これはさまっているようなものだと思うわけですけれども、なかなか、思うようにいかぬわけです。  そのことが要するにどういうことになるかというと、第二の問題に発展するわけでありますが、各部が今度は総合事務局長がこれは総合的にこれを調整していく、統一していく、そうならぬで、たとえば部局が農林水産部通商産業部運輸部開発建設部、それから財務部というような部局があって、部長があって、それぞれの仕事をやるわけでしょう。そうすると、この部長は全部開発庁長官のもとにこれは統制されていかなければならない。ところが、実際問題として財務部のほうは大蔵省から直接いくと、農林水産部農林省につながっていく、通商産業部通産省につながっていく、運輸部はこれは運輸省につながっていく、開発建設部建設省につながっていくといったように、縦割りの一つのセクトができていく。そういうことになれば、国は総合事務局というものはこういう目的でつくるのだと——私どもはそんなものは要らないのだ、必要でないんだと、そういうことはいたずらに地方自治団体のいわゆる自治権を侵害するものであるから総合事務局なんていうそういう強大な権限を持った、膨大な組織を持ったものをつくる必要はないと言って私どもは反対していますけれども、あなたのほうは、政府のほうはこれはこりいうことでつくるんだと、そしてつくっても、いま私が申し上げましたように縦のつながりでもってそれぞれが独立守備隊みたいなかっこうになってしまうと、せっかくのこの考えがこれは実行されない。そして、行政能率というものをかえって低下させるというおそれが出てくるということを私は憂慮しておるわけですが、こういう点はどうですか。そういう心配はないですか。
  34. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) 私どもは、むしろそういうセクト主義が沖繩に及ぼす悪影響ということでありますならば、こういうふうにそれぞれ行政官庁を一本にした総合事務局、その上の開発庁という考え方よりも、むしろ個々に、たとえば九州にあります海運局の出張事務所沖繩にできる、あるいはまた九州にあります地方建設局の国道工事事務所と申しますか、そういうものが沖繩にできる。本土と同じような国の行政機構というものが、本土と同じ状態で沖繩にかぶさった場合のほうが、そういうセクト主義が非常に強く出てくるおそれを多分に持つわけであります。したがいまして、私どもはそういうことを絶対避けていこう、一本にまとまって住民の利便に供し、各省担当を通常従来からいたしておりますそれぞれの公共事業を沖繩においてはバランスをとってやっていこうということから、開発庁という構想を持ったわけでありますから、先生が御指摘のような、そういう開発庁の中でのセクト主義というふうなものは出してはならないことでもありますし、また出てこない。開発庁長官開発庁の一切の人事権を持っておりますし、また、開発庁長官沖繩振興開発計画進行についての各省に対する総合調整権限を法律上持たしてございますから、先生がおっしゃるような御心配は、これはこういう形でいくならばまずない、かようにお考えをいただいて私はいいのではないかと思います。
  35. 川村清一

    川村清一君 そういう心配がないならばけっこうでございますけれども、いわゆる官僚主義というものは、官僚の世界というものは、必ずしもそういうことにはならないんです。副長官も官僚出身でないならば、いま副長官という身分で役所に入ってみて、役所の世界というものはどういうものかということはこれは認識されたと思うんですが、必ずしもそういうことにならないということを憂慮しているわけです。その点は十分注意していただきたいと思います。  それからもう一点、私の心配な点は、現在沖繩琉球政府にいらっしゃる職員が多数この総合事務局に入っていくわけです。いわゆる政府職員になるわけですね、国家公務員になるわけです。ところが、これからも現地から相当この役所に入っていくと思うわけですが、とかく現地出身者というものは下積みにされるおそれがあるんですね。と申しますのは、大体中央につながっているわけです。いわゆる中央の役所、これも経歴が東大を出て役所に入っていると、そうして先輩後輩の一つの系列があって、その者が役人の世界では偉くなるわけです。そういうのだけが沖繩事務局に行くと、こういう人がいつも上のほうに行って管理職になっていると。それから現地から採用された者、いま琉球政府から行きますけれども、こういう人々はもううだつが上がらないような、いつも下積みにされているという、こういうような傾向、国の政治の仕組みそのものが中央集権的な仕組みになっておりますから。私は北海道出身ですから北海道の道庁と開発局、北海道庁の中のあれのことをよく知っているわけです。何も中央から天下りの管理職が行かなくてもいいものを、これは北海道の道庁の中にも財政部長だとか、あるいはこういうようなところは歴代もう中央から行くというかっこうになっているわけですね。こういうようなことになれば、沖繩県出身のそういう職員が前途はさっぱり希望を失ってしまうというようなことから、行政の事務についても希望を持って努力していくという、中にはそういう意欲も減退していくというようなことになるんですよ。その点は今後こういう問題として十分あれしていただきたいと思うわけですね。  もう時間ですからやめますが、最後に私どもといたしましては、先ほど申し上げましたように、沖繩の自治を守るということ、そして自治を伸長していくといったようなことから、本来的にいうならば、沖繩は今後やらなければならない仕事はたくさんあるわけですから、新生沖繩県を建設するために国は財政的にうんとめんどう見なければなりませんが、しかしながら、国は金を出すけれども、企画なりあるいはその実施というものはやはり沖繩県にまかせる、沖繩の地方自治団体にまかせるという、こういう基本的な姿勢を堅持して沖繩振興開発に臨むべきである、こういう考え方を私どもは基本的に持っておるわけでありますが、残念ながら、政府自民党とこの点が意見が一致しないでこういうことになっておるわけでありますが、しかしまあ残念なのは、もしどうしても国のこういうような機関沖繩に持たなければならないとするならば、せいぜい北海道開発庁くらいの組織あるいは権限にとどめるべきでなかったかという感じがするわけであります。北海道の開発庁につきましても、開発庁法というものが昭和二十五年にできて、そのできたときには開発局というものはなかったんですよ。ところが今度は翌年、二十六年に開発局というものをつくって、北海道知事の権限を開発局に持っていったわけですが、そのときに私ども北海道人は、北海道知事の自治権を侵害するものであるということで猛反対をしたわけでございますが、自民党政府の政治権力の重みに押しつぶされて、とうとう開発局というものができたのですが、その開発局の権限というものは、建設と農林だけであって、現業の部門だけであります。ところが、沖繩の場合は現業でなくて事務的なものも入っていくわけですね。そうしてあらゆるものがここに総合されまして、ところが、残念なことには、これまでつくっておいて、この事務局内部組織の中には沖繩県民の生活に密着しておるいわゆる厚生、労働——社会福祉の関係だとか、労働関係ですね、こういうものをやる、いわゆる労働省のつながりのものと、厚生省のつながりのものが内部組織の中に入っておらない。そのことは何を意味しておるかというと、沖繩振興開発計画というものはもうやはり、何といいますか、産業経済第一主義なんです。そして県民の生活というもの、これを軽視しておる。そういう振興開発計画が生まれ、それが実施されるというふうに判断されるわけです。そうでないとするならば、これだけ持ったんですから、当然ごの内部組織の中に労働省関係の部局、それから厚生省関係の部局を置かなければならない。厚生部がないでしょう。労働部がないわけですね。こういう点ははなはだ残念なんです。私の意見だけ述べまして、時間になりましたので、答弁は必要ございませんので、これで終わります。
  36. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 それではまず最初にお聞きいたしますが、今回沖繩に総合事務所設置すると、そういうことでございますが、この宮古財務出張所、八重山財務出張所、こういう財務出張所ができまして、国有財産を管理すると、そういうことでございますが、こういう先島方面にはどういう国有財産があるのか、それを御説明願いたい。
  37. 楢崎泰昌

    説明員(楢崎泰昌君) 宮古群島あるいは八重山群島には、旧軍が買収した飛行場を中心としまして、宮古群島には約三百万平方メートル、八重山群島にも同じく三百万平方メートル程度の国有地がございます。
  38. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 国有財産というのは、それ以外にはないわけですね。
  39. 楢崎泰昌

    説明員(楢崎泰昌君) 国有財産、そのほかに国有林野がございます。ただいま申し上げましたのは設置されることを予定しております出張所のほうで管理する面積を申し上げました。
  40. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 人員がそれぞれこれを見ますと載っておりますが、こういう人員をこれだけにしたという積算の根拠、これはたとえば宮古財務出張所四人、八重山財務出張所四人、こういうのはやっぱりどういうことを基準にきめたのですか、人員の数は。
  41. 楢崎泰昌

    説明員(楢崎泰昌君) 現在それらの各国有地のうち公共事業、たとえば飛行場に賃貸されている土地、あるいは石垣の平喜納のように、熱帯農研が使用する予定のもの、こういうものがございまして、それらのものはそれぞれの所管省庁に所管がえをされるわけでございます。残った国有地を現在八重山のほうでは約千七百名の民間の方に畑地として賃貸借をやっております。宮古においても、やはりこれは数百名でございますが、賃貸を行なっている。それらの賃貸借の事務、あるいは料金の徴収の事務等を積算いたしまして人員をきめた次第でございます。
  42. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 そこで私先般沖繩の八重山群島石垣市に参りましたときに、住民の人たちから強い要望があったわけでございますが、先ほど石垣、八重山にもそういう陸軍、海軍の飛行場があったわけでございます。これは西表の竹富町にもそういうものがあったのでございますが、終戦前に日本軍が飛行場をつくるために、農民が戦争に勝つためという、そういう当時の国家目的のために非常に安い値段で、半ば強制的に土地を取り上げられて、そうして終戦になったわけでありますが、その土地を返してもらいたいと、これは昭和二十二年ぐらいから今日まで、米軍の軍政下においてもずっと続けてきたわけでございますが、それがいまだに返還が実現をしないと、そういうような件があるわけでございますが、そういう実態については、大蔵省としても大体掌握されているのかどうか、その点どうでしょうか。
  43. 楢崎泰昌

    説明員(楢崎泰昌君) 石垣市には旧軍の土地といたしまして白保飛行場、それから平得飛行場、平喜納飛行場、三つございまして、総面積が五十二万坪程度でございます。それからさらに西表のほうでは、西表防御区、陸軍西表砲台等のあと地がございまして、これも約五十一万坪程度でございます。これらにつきましては、先生おっしゃいましたように、昭和十九年当時でございます、終戦直前に、旧陸軍及び旧海軍が買収を行なった土地でございまして、それらの旧地主からやはり同じような、先生おっしゃいましたような陳情が出ておりまして、日本政府に対しては、昭和三十七年に一ぺん出ております。ごく最近には、昨年山中長官あてにそれらを旧地主に戻してもらいたいというふうな陳情が出ております。しかしながら、軍政下でございますので、私ども大量の人間を派遣し、それをひとつひとつ調べていくということはちょっとできかねておりますし、また、買収当時の資料が相当散逸をしておりますので、詳しい事情復帰後調査をするつもりでございます。     —————————————
  44. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) この際、委員の異動につきまして御報告をいたします。  本日、鈴木省吾君が委員辞任され、その補欠として濱田幸雄君が選任されました。     —————————————
  45. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 私参りまして、いろいろ一人一人の皆さんからそういう御意見もお聞きしたわけでございますが、これは一応米軍の民政下になりまして、そうして昭和二十二年ごろに布令第六号というのが出て、終戦により海外から帰った人で田畑が五反以下の人には幾らでも渡す、五反以上持っている人には渡さない、そういう布令六号が出まして、それで一部は元の地主に返ったのもあるわけです、そういうのを知って手続した人が。それが非常に短期間であったために、他の人に貸してしまって元の地主に返らない。そういうことで非常に米軍の統治下にあるといいながら、不平等で泣き寝入りしてきているわけです。そうしていま昭和三十七年に初めて日本政府に陳情があったということでございますが、これは昭和二十二年から、その当時は内務省だったそうですけれども、その当時からやはり陳情をしているわけでございます。そういうわけで、ただいま大蔵省としても、今度返ってまいりましてから直ちに調査をする、そういうことでございますので、その点はひとつよろしくお願いしたいと思うのです。それでその当時の地代が、大体終戦当時、その当時部落会長をしておった西本さんという方のお話でございます。これは平得の飛行場でありますが、大体地代が坪当たり一円から三十銭ぐらい、一等地で二円五十銭ぐらい。しかも代金の一割は現金でくれまして、そうして八割が一四七銀行に強制預金をさせられたわけでありますが、ところが戦争のどさくさであったために、やはり証書をなくしたり、そういうわけで全然代金をもらっていない人もいるわけです。それからまたそういうことでいまだに証書を持っておる人もおるわけですね。それはなくしたほうが悪いといえば悪いかもしれませんけれども、私はあのような戦いのさなかですから、もらってないということがはっきりすれば、そういう点もやはり十分調査をして、戦争のやはり犠性を受け、それが今日まで全然——本土であれば適切な処理がされたにもかかわらず、こういう不平等な処理にしてきたわけでございますので、そういう点についても調査をしていただきたい、そのようにお願いをしておきたいと思います。
  46. 楢崎泰昌

    説明員(楢崎泰昌君) 先生の先ほどのお話の中で、布令六号のお話でございました。実は、現地の方から先生お聞きになったかと思いますが、これは八重山群島民政府経済命令第四号というものでございます。それの内容は、旧軍が買収をいたしました土地につきまして、土地が千五百坪以下、五反でございます。五反以下しか所有していないもの及び現金及び財産が五万円以下しか持っていないもので現在困窮をしているもの、こりいうものについては旧地主から旧軍が買収した土地を売り戻すという経済命令が出たわけでございます。それに従いまして、約一万数千坪の土地が旧地主に払い戻されたということが昭和二十二年、一九四七年に行なわれたわけでございます。そのことを先生おさしになっておられると思います。それ以外の地主の方は払い戻しがなされなかった。言ってみれば、この場合軍としては困窮者に対して恩典を与えるというような形で処理がなされたものだと思います。それからさらにそれではそれ以外の旧所得者の方は一体どうなるのか、ちょっと法律的に申し上げてたいへん失礼かと思いますが、売買行為といたしまして旧軍が所有者から買ったということは法律的には明らかでございまして、日本本土の場合でもそれらの旧軍が買収した土地を元の所有者に渡すということではなくて、日本の場合には農家適格を持っている者にそれを売り払っていくというようなことをやった経緯もございまして、それらのバランス等からどれだけ公平な観念で処理ができるか、こういう問題を含んでいるわけでございます。それからさらにもう一つ先生申されました銀行に八割は預金されたんだというぐあいに先生おっしゃった。私もそのように伺っております。現在その預金が一体どういうぐあいになっているかということですが、それは当時百四十七銀行という銀行がございまして、それに払い込みがなされたわけでございます。この百四十七銀行は、現在合併等を経まして鹿児島銀行がそれの後継者ということになっております。昭和二十一年の金融機関再建整備法で在外資産の支払いが開始されたという措置に伴いまして、やはり沖繩の預金関係もその対象に昭和二十九年以降されておりまして、法律的な形では支払いがなされているというかっこうに一応なっているわけでございます。おっしゃいますように、証書がなくなったとか、そういうような事実関係については、私どもまだ詳細には存じておりませんけれども、法律的な形としては支払いがなされた、かように考えている次第でございます。
  47. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 いまの八重山の米軍政府の布令にいたしましても、たとえば東蔵盛英太郎さんというような人が三町歩全部取られてしまってゼロですよ、お百姓さんですけれども。それもそういう布令が出てもなかなか周知徹底をしなかった。そういうこともあって全然もらってないわけですね。しかも、私が会ったのは全部お百姓さんです。だからやはり日本本土から言えばそういう農地を国有として取り上げた場合には優先的に元の農民に返すというのが、これが私はほんとうのたてまえではなかったかと思うんですけれども、これはいまさらそういうことを言っても始まらないわけですけれども、そういう点もひとつ配慮して、よく検討していただきたいと思うんですよ。  それから島袋太郎さんという人は一町五反の土地を全部強制買収ですね。それで銀行証書をまだ持っているわけですよ。これは株式会社鹿児島興業銀行になっているわけですけれども、だからいまさっき言われた百四十七銀行というのが途中こういう形で、昭和十九年の六月七日でございますが、大体一町五反の代金として二千七百十七円二十銭のいわゆる銀行証書を持っているわけですね。戦争のどさくさでそういうものをもらっておるということを考えないままで時がたってしまった、そういうような状態でございます。だから一町五反の土地を取られて結局はほとんど金も受け取っていない。そういう状態で、考えてみれば非常にかわいそうな状態でございますが、こういうのはどうなんですか、昭和十九年ですね、二千七百十七円で一町五反ですからね。これは金利を計算しても一万円にもならないんじゃないかと思うのですけれども、こういうのはやっぱりあれですか、二千七百十七円二十銭は、その金利を計算した金しかもらえないのかどうか。一つはこの証書は無効なのかどうかということ。もしもらえるとすればどれくらいの金額になるのですか、そういうのは。
  48. 楢崎泰昌

    説明員(楢崎泰昌君) 先生お話しの鹿児島興銀というのはちょっといまどういう場所にある銀行かよくわからないわけでございますけれども、法律的に考えますと、旧軍との売買契約は一応売買契約を了し、そして現金もしくは預金として、預金として払ったわけではなくて現金を払ったものを、当時のことでございますから、お国のためということで預金をさせられたというように私ども聞いておりますけれども、そのような形で一応法律的な行為は終わった。それを先生おっしゃいますように、その証書が実行されなかったということについてどう考えるかという問題は法律的にまた別にあるというぐあいに一応考えております。国有財産の立場からすれば、売買は一応終わったというぐあいに考えております。
  49. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 そうするとこれは国としてはちゃんと金を払った、それが銀行に預金されて、その銀行と個人との関係だと、そういうことですね。だから国は法律的には責任はない、そういうことですか。
  50. 楢崎泰昌

    説明員(楢崎泰昌君) 法律的には一応そういうことになろうかと思います。
  51. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 わかりました。ひとつ法律的にはそういうことになるかもしれませんが、これもやはり沖繩が戦後すぐ返っておれば、あるいはもっとすみやかに手も打てた問題じゃないかと思うのですね、そういうわけで、こういう問題もそういう立場から考えれば、やはり沖繩県民が戦後二十六、七年の長きにわたって苦労してきた、そういう問題ですから、こういう問題についても単なるそういう法律的な考えではなくして、これは副長官のほうにお願いしたいと思うのですが、いろいろな問題もあると思うのですが、県民の皆さんの納得のいくようにあたたかい配慮をもって善処していただきたい、そのことをお願いしたいと思うのですが。
  52. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) 承っておりましても、また総務言長官が直接御陳情を受けました内容を拝見いたしましても、事態がどうも不公平、不公正だ、先生のおっしゃるように、私どももそうではないかという感じを持っておりますので、復帰後できるだけ早い時期に明確な調査をいたしまして処置をしたい、かように考えます。
  53. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 ではあと一問だけ、沖繩振興開発審議会の委員の人選及び運営等については、沖繩県民の意思を十分に反映することが非常に必要だと思いますが、そういう点で今回、各省からそういうお役人の人が委員に入る、それもかなりの数が入る、そういうように聞いておるわけでございますが、やはりこういう沖繩振興開発というものを審議する審議会ですからね、まあやはりそういう本土からの人が入るにしても、たとえばオブザーバーとして、あるいはいろいろ専門的なことを相談にあずかる、そういう立場で入るべきであって、あまりそういう人が中に入るということは沖繩県民の感情の上からも私は好ましくないのじゃないか、そのように思うわけでございますが、そういう点はどうなっているのでしょうか。
  54. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) 御承知のように、沖繩振興開発のための審議会の定員は、政府原案を国会で御議論の段階で修正をいたしました。数をふやしたわけでございます。委員の数は沖繩関係方々に過半数占めていただこうということは私どもも考えておるところでございます。先生おっしゃいますように、役人の入ることは、あまりおそれる必要はないと思うのですよ。やはり何かこう権限ばかりを強調しておとりいただきたくないと思うのです。むしろ審議会の委員に役人が入ってきた、その役人はやはり責任を持たせるわけでございますから、それと審議会の委員は総理大臣が任命をいたしますけれども、それの事務の所掌は開発庁がやってまいりますので、やはり開発庁長官が、大臣、これは政治家として十分な把握をしてまいりますならば、沖繩の皆さんの御意向がもう正しくそのまま反映されるものだ、またそうであるべき審議会だと私どもは心得ておりますので、どうかその点はひとつ御信頼をいただきたいと思います。
  55. 塩出啓典

    ○塩出啓典君 それではこれで質問を終わりますが、まあひとついよいよ沖繩も十五日には復帰してくるわけでございますが、関係当局もいろいろ困難な問題もあると思いますが、ひとつあくまでも沖繩県民立場に立って、そしてまた、将来いろいろな問題もありますが、沖繩の県民がほんとうに希望とやはり夢を持って、とにかく魅力のある国土が開発できるように、ひとつ総務長官以下さらに努力していただきたい。そのことを要望いたしまして、簡単ではございますが、質問を終わります。
  56. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 先般質問申し上げたのでございますが、どうしても大臣に聞いておきたいと思いまして、もう簡単に申し上げますが、ひとつ実のある御回答を願いたいと思うのです。  外国貿易からくる、沖繩が今後独立した場合、少なくとも通関業者は転廃をしなくちゃならないという事態が起こってくるのではないか、こういう心配をするわけです。それはどういうことかと申しますと、非常に近代化はおくれておる。そうしていままでの沖繩がとっておった貿易と内地に復帰した後の貿易というもののいろんな拘束もあります。そういう意味でどうしてもそうならざるを得ないのじゃないかという懸念があるのですが、こりいう点については大臣心配ないかどうか、御所見をお伺いしたいと思います。
  57. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) ちょっと御質問趣旨がよく理解できないのでありますが、いままではアメリカの治下にありまして、日本とは違う、貿易業者の形態が違ったわけであります。それが本土復帰しました結果、競争はいまよりも激烈になると思います。ある意味では保護されておったと思いますし、また軍の関係もありましたし、琉球政府関係もありましたから、比較的無風状態という、保護下における貿易体制だったと思いますから、そういう意味では裸になる。開放経済下に向かうということだと思います。そういう意味で、いままでよりも違う圧力というか、さらされるということでありまして、また輸出強化、その他いろいろなことをなされなければならないと、こう思います。  もう一つは、本土との貿易の問題が、これはやはり沖繩の業者よりも本土の業者のほうが規模も大きいし、競争力もあるしということで、多少制約を受けるということは考えられています。そういうことで、できるだけ沖繩の既存業者というものが急激に開放経済下にさらされてしまうということで、転廃をしなければならないというようなことのないように、相当やはり実態に合った指導というものを行なう必要があるだろう、こう思います。
  58. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 そういう意味で、政府は、これは大臣お答えでなくともいいのですが、沖繩の実態の企業診断と申しますか、内地でも企業の診断をよくやっていますが、沖繩実態の企業診断くらいは、今日復帰するまでに私はやっておくべきだと思ったのですが、通産省としてはやった経験があるのか、それとも実態を掌握しているのかどうか、この点をちょっとお聞きしたいと思います。
  59. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 具体的な問題については事務当局からお答えをいたしますが、大ざっぱな状態は押えておるわけでございます。一次産業比率、二次産業比率、三次産業比率はどうなっているか、本土と比べてどうか、それからその収益状態、経営規模は一体どうなっているのかということは調べてございます。  まあ大ざっぱに申し上げると、一次産業比率が非常に高い。一次産業比率は本土の一七・四%というものに対して沖繩は三八・九%ございます。これが一番の問題なんです。これからの沖繩というものを検討するときに、この数字をもととして検討しないと全く問題にならなくなるわけです。これは日本本土も、明治初年九〇%の一次産業比率が一七・四%に百年間でなったわけでありますが、その過程において、昭和二十年、戦争が終わったときには逆に一〇%も一次産業比率が上にいったことがあります。これは申すまでもなく、海外からの引き揚げ者がほとんど全部農村地帯に一時居をかまえなければならなかったということで、当時の一次産業比率は一〇%近くふえたわけでありますが、その一次産業比率がふえているときは非常に国民所得や国民経済はその圧迫を受けまして、たいへんな生活状態であったということでありますので、やはり一次産業から二次、三次へ人口が移動をしていくという過程において、国民総生産も所得も拡大をしておることは、これはいなめない事実でございます。そういう意味沖繩の問題を、やはり一次産業比率の中から、これは少なくとも二〇%は二次、三次へ移動する、三次へ移動するということが普通なんですが、三次はまだ本土の四七・四%に対しまして四六・五%でありまして、三次産業比率は本土と大体同じことなんです。同じことだけではなく、本土の収益率よりもずっといいんです。これは本土が四七・四%で所得比率から見ますと五三%であります。ところが沖繩は四六・六%の人口比率であります三次産業人口の、所得比率は七三・四%と、これは日本人相手よりも米軍相手ということでありますから、もう三次産業頭打ちであります。そうすると、一次産業比率を二次産業比率のほうに人口を移すということ、まあ大体どのくらいかというと、半分以上移さなきゃならない。この一次産業比率に適応する数字は、アメリカは四・四%であり、拡大EC十カ国の平均は六%でありますから、これから昭和六十年展望しますと、どうも日本も一七.四%は一〇%減ってしまうというように推定されます。その数字を沖繩に当てはめますと、三八・九%は三〇%の人間が減らなければ沖繩本土水準並みの県民所得は確保できないというような状態、そういう大きな数字だけはつかんでおるわけでございまして、この実態を一体どのくらい沖繩に定着せしめられるのか、二次産業の状態がどうなるのかということによって、沖繩のこれからの産業計画というものをいま書いておるわけでございます。こまかい本土との比較論は中小企業庁でもって調べておりますから申し上げます。
  60. 進淳

    政府委員(進淳君) ただいま大臣から御答弁申し上げましたように、沖繩の中小企業は非常にまあ零細性が強うございますので、中小企業庁といたしましても、沖繩の零細企業に対します金融措置あるいは税制措置あるいは近代化のための措置につきまして、本土よりも一段と手厚い措置をそれぞれ講ずるごとにいたしておりますが、特に先生御指摘のように、その措置を講じましても、その施策の需要能力といいますか、施策を受け入れるための能力を高めるための指導といいますか、そういう適切な指導が必要でございます。その点につきまして、私のほうといたしましても、来年度の中小企業に対します指導事業の拡充につきまして、従来よりも一段と充実するということに重点を置いておりまして、たとえば診断指導員につきましても、現在八名でございますが、これを十四名に増員すると、そのほか経営改善普及事業でございますとか、組織化の推進事業につきましても、本土のほうから応援体制を十分考えるということで現地での不足の部分、急に指導員もなかなか熟練の士が得られませんので、その点につきましては本土から応援体制をとりたいというふうに考えております。ということによりまして、施策が受け入れやすくなりますようにいたしたいと存じております。
  61. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 通産大臣、私はこのことは一番心配しておるわけですが、現状でも沖繩の実態は、通産大臣は大きく見ておられるようですから、多少通産省もそういう懸念を持ちながら対処されるということですが、けれどもそれでは間に合わぬという気が私はするわけです。少なくとも防衛施設庁は大体軍の労務者に対しては継続をすると、そうして人事院勧告は日本の法の適用に基づいて国家公務員、地方公務員はほとんど内地と同様の給料の引き上げもやらざるを得ないと思います。ところが、民間はなかなかそこまでいかぬのじゃないか、これは私は沖特の前回の法律の審議のときにも通産大臣にお尋ねして、何か特別の処置をやるべきじゃないか、長期融資でもいままでに私はやってもらいたかったと思うんですよ。先ほどおっしゃるように、三〇%からやっぱり減少しなければいかぬという見通しは持っておられるわけなんです。ところが、もう返還と同時にそういう問題が内地の法に基づいて補償されるというごとになると、少なくともその格差が出てくる。物価は上がる、格差というよりも生活困窮者が出るんじゃないかという危険があると思うんです。それに伴って、これは労働省にも聞いたんですけれども、労働省としては紛争が起こっていよいよ倒産にでもならないとその対策はないというような考えですね。私はそうじゃなくて、いまの紛争が民間企業に及ぼして、そうしてその格差のできるだけの縮小をしていこうという労使間の紛争というものが少なくとも起こってくる。そのために倒産ということは必至ではないかと。これは労働省でやろうと言ってもなかなか困難なんですね。したがって、私はそういう面における通産省としての今日までの企業診断をして実態をつかんでおられると、こういうことであれは、少なくとも何かの特別の処置を考えていただく必要があるんではないかという前回私は質問をしたんですが、いままでの出てきておる法案を見ると、結局何もないではないかという気が私はしておるわけです。たとえばもう企業近代化資金、本土並みに資金の助成をするとか、あるいは中小企業の組織化をはかってそれに対して特別の長期融資をするとか、こういう乙とは何も出ていないようですね、具体的に。そういう面における施策はどうして考えられないのかと私は思うんですが、この点ひとつ大臣から御答弁願いたいと思うんです。
  62. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 沖繩の実態は、いろいろ調べておるわけでございますが、本土復帰すれば、特に沖繩の実態というものを把握して現在考えておるものに付加していろいろな政策をやっていかなければならないと思います。それは沖繩の大企業と中小企業との賃金格差を見ましても、本土ですと大企業を一〇〇にして賃金七〇%以上七一ないし二ということになっています。ところが沖繩ですと五〇%であります。五〇%というのは、沖繩がいままで本土どの間にやはり交流がなかったとかいろんなことで人口の移動が制約されておったと思うんです。ところが、やはり本土と一体になりますと、何も沖繩県で持っておって働けないからということでまあ定着をしておったものが、どうも本土の四十七県のうちの隣の県に移れば少なくとも給料は上がるということになると、これは人口の移動を押えるというわけにはまいらないわけです。だからこのままにしておくと沖繩の余剰労働力、先ほど申し上げたとおり、一次産業から二次、三次へ移らなければならない状態にある労働力、言うなれば余剰労働力であります。こういうもの、現に二次産業、三次産業の従業員でありながら本土と比べると格差のある低所得者というものが移動するおそれがあります。そうすると、これはもう沖繩振興にならないわけでありますから、沖繩の企業そのものが本土並み以上に優遇をされる、沖繩現地企業、地場産業も拡大をしていくとともに、本土からも沖繩への、言うなれば多少質のいい労働力、まだ本土に比べては安いし、本土並みになるにしてもまだ優位にある沖繩の労働力というものを目標にして、本土から企業が移動していく、進出をするような政策を誘導政策としてとらなければならぬわけであります。その意味で、政策としてはいろんな本土とは別なものをつくっております。原則的には二次産業を誘致するにはどうするかといえば、安い電力というものを提供しなければならない。そのためには、いままで石油関税その他沖繩でもって持っておった特権をそのまま与えるということによって、本土につくるよりもアルミ工場などは豊富、低廉、良質の電力を与えることができる。水もしかりであります。電力、水、労働力ということになれば、これは非常に、地価が安いことは本土に比べるまでもない。そのほかに交通網の整備、港湾の整備等行なってやれば、確かに本土から企業が進出をする余地は十分あるわけでありますから、そういう企業誘致と地場産業の発展のために、必要な前提条件を整えるようになっております。それだけではなく、中小零細企業に対しましては、八十億ばかりの金を用意しております。本土よりも条件は非常にいいわけであります。三%の金利、二年据え置き、七年償還というように、本土の中小零細企業よりもはるかに条件のいい制度をつくっておるわけでありますが、しかし、これは復帰までに最小限やらなければならないことであって、私たちは沖繩の状態は十分考えておりますと、本土に比べてみて、やはり一次産業比率から見ると、二十年間ぐらいの格差があるという感じであります。だからそれを民族が移動するようなことのないように、沖繩自体、今度の計画からいいますと、八〇年には、七、八年後、五十五年ぐらいには、沖繩百十万人という一つ計画を出しておるわけですが、百十万人にするには、いまの政策プラス相当の政策をしないと、なかなかそうはならないだろう、そういうことでございます。
  63. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 大臣の主張されるのは、前もそれをお聞きしたんですが、それは私も理解できるのです。ところが、そう長期にわたっての考え方計画よりも、現実をどうするかという問題のほうがウエートが大きいわけです。と申しますのは、私が先ほど申しましたように、どうしても臨時国会を開いて、国家公務員の賃金がきまってくる。沖繩にも適用しなくちゃいかぬ。民間企業はいまでも五〇%安い。これがもっと格差ができてくるといって経営能力、経営の資本形態からいって、先ほどおっしゃるように、三〇%もどうするかという問題がある。それでは物価は上がる、生活は困難が起こってくる。いま大臣も御承知ないと思いますけれども沖繩日本復帰しなくても、組合はみんな統一ができておるわけです。したがって、沖繩産業がどうしても行かぬということになれば、倒産状態が起これば、内地に就職のあっせんすることは当然のことです。これは労働組合自身がやります。それは今日の現状からいえば、私は言えると思うんですね。そうすると、沖繩はいまの構想をお考えになっておるその期間に、沖繩自体は過疎になるんです。そういうことは、これはやっぱり避けるべきじゃないか。そういうための私は特別の中小企業に対する長期融資というものを、どうして政府は考えないのか。いま日本に、法案にある範囲内における金利を三%下げたという点には、私は敬意を表します。けれども、企業診断が行なわれておるならば、直ちにこの問題は総合計画以上に現実残っておる中小企業をどう育成強化するかという問題は取り組まないと、やっぱり沖繩は必然的に過疎地にならざるを得ない。これは食うためにはしかたないと思うんですね。この点ひとつ大臣お聞かせ願いたいと思います。
  64. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) これはいろいろ御指摘の事実のような問題を解決するために、沖繩振興開発計画をつくったり、沖繩開発公庫をつくったり、沖繩開発庁をつくったりやっておるわけであります。それだけではなく、税制上、金融上、財政上の措置をやっておりまして、本土復帰によって、本土復帰を契機にして、沖繩がいまよりもよくなることが望ましいことであって、悪くなるようなことは絶対避けなければならないということで、長期計画を、一応これは万全ではありません。万全ではありませんが、長期計画を一応表に出して、それに合うように年次計画を定め、しかもそれを行なうための制度、組織、金融、税制上の措置は一応国会で御審議をいただき、制度化しておるわけであります。ですから、いまの復帰をいたしまして、一応政府が考えられる、なさなければならないことは全部やっておるわけです。しかし、その上なおあなたが述べられるように、それだけでは万全じゃないぞということはよくわかります。わかりますが、これはもう沖繩そのものに二次産業を持っていくといっても、やっぱり沖繩現地との問題もございますので、そういう現地に公害を持ち込むんだというようなことでは困るんで、この間もアルミ工場をつくってどうするんだ、いやアルミナをつくるんじゃありません一アルミ工場をつくるんですという、なかなかお互いが理解もしなければなりませんし、沖繩全体のやっぱり長期計画と、現在の産業との調整を考えながら進めなければならない。その間に海洋博覧会もございますし、海洋工学というような海洋開発というような新しい問題や、大陸だなや周辺の資源開発の問題もあります。ですからいままでの問題を総合して、これから沖繩本土並みになる、本土よりもよくなるということが望ましいのであって、これはもう本土復帰によって、沖繩がいささかでも影響を受けて、悪い面が露呈されないように万全の措置をとります。
  65. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 最後に希望意見も含めて申し上げますから、お答え願いたいと思いますが、これは副長官のほうもお聞き願いたいと思うんです。通産大臣も同様ですが、何といっても沖繩県が日本復帰した以上は、沖繩県民の総意による地方開発をどうするかということが問題になろうと思います。先ほど塩出さんも御意見が出ておりましたが、できるだけ県民資本で問題が解決するような融資措置をとる。たとえば、日本産業は御承知のように、北陸にいけば福井県は福井県の財閥として地方資本でやっぱり開発をしておる点がございます。あるいは九州にいけば九州にあるし、できるだけ沖繩の場合も、復帰後は沖繩県民資本でそれに援助するという形で、総合的な企画のもとに発展させるような方法をとってもらいたい。いわゆる内地から大資本がいって、あらゆる産業の開発をやるということでなくて、沖繩県民の希望をいれて沖繩の県民の資本でやる、その資本が足らなければ政府がそれに長期援助をする、こういう基本的な理念のもとに進んでもらうことを希望意見として申し上げ、ひとつお考えをお聞かせ願いたい。
  66. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 地場産業の伸長ということを基本にしたいということは、私もそう考えております。地場産業中心であれば、地場資本ということでございますが、沖繩の地場資本というと一次産業比率が非常に高い。高いだけではなく、その三八%の一次産業方々があげる所得比率は八・八%だと思います、一〇%にも満たない。そういう状態でございますので、沖繩本土並みに水準を上げるためには、相当膨大もない資金が必要であります。そういう意味では地場資本、沖繩資本を中心にしたいという感じはわかりますが、これは収奪のために資本を海外から持ってくるわけではありません。これは日本の国内から政府関係機関、特に政策を進めるための機関中心になって、制度金融が中心になりますので、気持ちの上では地場資本を優先する、地場産業を育てるということでございますが、基本的には制度資本を投入をして、沖繩の経済開発を促進してまいるということであります。
  67. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) 御趣旨は十分私ども理解ができることでありまして、沖繩金融開発公庫にいたしましても、貸し付け先の選別のときには、地場産業と競合しないというごとも大事な一つの条件でございます。こういうふうにいたしまして、地場産業というものを、また地場資本というものに援助の手を差し伸べていこう、こういうたてまえでございます。さらに、民間の金融機関にいたしましても、いままでは通貨調整をやれるそういう中央銀行というものが、日銀の手は沖繩には伸びておりませんでした。復帰後はそういうことじゃございませんから、先般見られたような銀行のデフレ現象のようなことも、これからはもう起こってこないわけでありますから、現地の資本もまたこういう面からの協力も得られるもの、かように私どもは考えております。
  68. 高山恒雄

    ○高山恒雄君 終わります。
  69. 星野力

    ○星野力君 沖繩開発庁総合事務局事務所の問題に関連しまして、私たちが心配している点を一つ二つ申し上げておきたいと思いますが、沖繩に置かれる総合事務局事務所を通じて、市町村の独自の地域開発計画などが国の開発行政に従属させられるという心配を持っております。それらの事務所がよけいな干渉的な行為をやっては困る、こう思っております。事務所の行政的権限の範囲、それから市町村と事務所の相互関係というようなこと、これは簡単でいいですが、御説明願いたい。   〔委員長退席、理事剱木亨弘君着席〕  ついでにもう一つ沖繩で特別に国の開発行政の事務所が何カ所かの市町村をまとめた形で設けられるわけでありますが、そうなりますと、県と市町村の中間的な、新たな行政区画をつくるようなことになって、現在の地方公共団体の自治にとって好ましくない影響が出るんではないかと思うんですが、その辺についてどういうふうに御留意をなさっておられるか、その二つの問題を伺いたい。
  70. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) 三つの事務所、財務事務所、統計調査事務所、海運事務所、これはそれぞれ持っております、また、責任を持ちます仕事は、財務事務所につきましては国有財産の管理、統計調査事務所につきましては、農林漁業振興開発の推進に必要な基礎資料を確保するための統計の調査並びに統計の作成、海運事務所につきましては、海運行政について県民の利便をはかるため、こういう宮古、八重山が沖繩総合事務局のあります那覇から非常に遠隔の地にあるごとにもうばら原因をいたしまして、事務局の出先の機関として仕事をするわけでございます。  ただいま私が申し上げました職責からおわかりいただきますように、市町村行政などとは全く関係のないことでございまして、もちろん市町村に対します指導でありますとか、監督でありますとか、そういうこととは全く無関係の、国がもっぱら責任をもってやらなければならない仕事、これを独自の立場で行なうというにすぎない、そういう事務所でございます。     —————————————
  71. 剱木亨弘

    ○理事(剱木亨弘君) この際委員の異動につきまして御報告いたします。  ただいま長田裕二君が委員辞任され、その補欠として佐田一郎君が選任されました。     —————————————
  72. 星野力

    ○星野力君 わかりました。  じゃ、その問題はそれだけにしまして、この前お答えいただけなかった問題なんですが、ガルフ石油がアメリカ高等弁務官の指令によるところの金武湾の海域十平方キロ、これの六十年間の海上専有権、港湾の独占的な管理権を持っておるという問題、これは五月十五日以後は消滅するんだと——そうでしょうね。その点どうでしょうか。
  73. 本田早苗

    政府委員(本田早苗君) 運輸省の問題であろうかと思いますが、ガルフ石油があそこに進出する際に担当いたしておりまして、その点につきまして私が確認したところでは、一応六十年までとなっておるけれども、返還の際には新たなる状態になる。その際に、その管理権については、新しい判断に服しますということでわれわれは了解いたしました。   〔理事剱木亨弘君退席、委員長着席〕
  74. 星野力

    ○星野力君 その問題もいまはそれだけにいたしまして、次に沖繩振興開発の問題でありますが、これはもう何回も論議された問題のようであります。そうしますと、重複する点もあって御迷惑でしょうが、もう一ぺん付き合っていただきたいと思います。  施政権返還後は、沖繩振興開発、おおむね十カ年の目途で計画が立案されるわけでありますが、琉球政府がやってきました長期経済開発計画、これは御破算になるのだと思いますが、それとの実際問題としての関係はどうなるでしょうか。
  75. 砂田重民

    政府委員砂田重民君) 沖繩振興開発計画は法律の定めるところによりまして、沖繩県知事が原案の提出権を持っておられます。したがいまして、いま星野委員の言われました、前に琉球政府が立てられた長期計画が、新たに沖繩県知事が提出をされるでありましょう原案とどういうことになるか、これはやはり沖繩県のお考えに私はゆだねるべきだと思います。
  76. 星野力

    ○星野力君 そうだろうと思います。  私お聞きしたいのは、これからつくられる計画沖繩の米軍基地との関係なんです。御承知のように、沖繩本島の場合は二〇何%、二二%がアメリカの基地、これによって本島全土がむざんに分断されておるわけでありますが、それではとうてい総合的な土地利用計画というものは立たないと思います。琉球政府の長期経済開発計画では、目標年度の一九八〇年までにそれらの基地がほとんどなくなるという前提に立っておるわけでありますが、沖繩県知事が今度の振興開発計画の原案をつくる。そうなりますと、考えられることは、やはり沖繩の軍事基地のこの地域というものを、多かれ少なかれ、その計画に取り入れた計画になるだろう、だれがつくってもそうなるだろうと思うのでありますが、そのできた計画を進めていく場合に、少なくとも特定の基地の早期の返還を実現する必要がある。それを要求していかなければならないというような問題にぶつかってくると思う。そういう場合に、また計画をつくり、進めていく場合に、基地の返還を要求する態度でいくのか、それとも基地を避けて通るという姿勢でいくのか。もちろんそれじゃ困るのでありますが、その辺の心がまえを、これは通産大臣にお聞きしたほうがいいのじゃないかと思います。
  77. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 基地が存在することは事実でございますし、また、この基地はアメリカの立場やアメリカの利益だけで存在しておるわけではないわけでございます。日本沖繩の利益を守るためにも基地は存在するわけでございますから、基地の問題に対しては、基地を全然除外をして考えるというわけにはまいりません。ですが、基地も基地機能をこわさないように、いままであるところでなければ一〇〇%だめだということもないわけでございますから、そういう問題は日米間で、沖繩の開発計画の中で一部が基地にかかるという場合には、これはもう両国でもって話し合えば、私はきまりのつかない、結論の得られない問題ではない、こう思います。ただ、沖繩県でつくっております開発計画は、基地が八〇年に全然ないように、これが望ましいという一つの願望、希望を前提にしておるものだと思いますが、八〇年に沖繩の基地を全然なくする、基地経済というものを全然除外して沖繩の経済計画がつくられるということになると、やっぱり現実とは離れたものと言わざるを得ないわけでございます。ですから、日本とアメリカとの間に沖繩の基地というものは合理的に縮小するものがあれば縮小すればいいわけでございますし、沖繩基地があるから全く沖繩の開発計画ができないのだということではなく、調整をしながら、合理的な沖繩の開発計画を策定してまいるということでございます。
  78. 星野力

    ○星野力君 かりに、いま大臣も言われましたが、米軍基地というのはアメリカのためにだけあるんではないという立場を是認するとしましても、本島で二二%までもの軍事基地を許しておいて、まともな開発計画というものが立てられ、それが遂行されるということ、これはなかなかむずかしい問題だと思うのですが、しかし、この基地がやっぱり減る——少なくとも減るということを見通さなければ、長期の計画というものは立たないのじゃないかと思っておるのです。ずばり言いまして、七〇年代の終わり、八〇年に一体基地が、大臣はなくなるとは思われないと、こう言われるのですが、どのぐらいまで減らすつもりですか。
  79. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) まあ非常にむずかしい御質問でございますが、しかし、基地が拡大をしていくということはないと思います。これは戦後、本土における基地が非常に少なくなったと。数から言うと、百分の一にもなっているということから考えてみても、基地というものが現在よりも拡大されるということは考える必要はない、こう思います。沖繩の基地そのものは、これから国際的ないろんな問題や、日米間の相談とかいろんなことがございますが、どのくらい小さくなるのか、本土並みになりますとは申し上げられません。これは、本土は年次計画のようにずうっと縮小してまいりました。ですから、本土のように、これからも七〇年末までということになると、七、八年あるわけでありますから、大きくはならないということになれば、小さくなるということであります。現状どおりというわけじゃないのです。だんだんと合理的に小さくしてまいる方向にあります。それは日米間でよく話し合いをしながら小さくなっていくと思います。また、政府もそのような考え方で努力をいたします。こういうことであります。
  80. 星野力

    ○星野力君 そんな答弁じゃ、これはだめなんでして、私がお聞きをしたのは、この七〇年代の終わりまでにどのぐらいになるかという、あなたの見通し、それを聞いておるわけじゃないのです。そんなことはだれだって見当つかない。あなたの立場から言えば、なくすることは考えないにしても、ここまで減らすということを、あなたの気持ちを聞いておって、まあこれは答えてくれなくていいですが、そうでなきゃ、あなた、いまみたいな答えなら、だれだってできます。  じゃ、もう一つお聞きしますが、前回、一昨日の委員会におきまして、通産省の方から、沖繩の今後の開発に関連して、それから住民生活の問題、所得の問題に関連しまして、観光産業に力を入れるということを力説されておりました。私そのときも申し上げたのですが、観光産業に力を入れることは不賛成ではないのであります。大資本の企業を誘致するというようなことをなまじっかやられちゃ、かえって困るので、たとえば石油精製などのああいう企業——まあ施設は大きいですけれども、労働力はきわめて少ない。そういう点から見れば、地元のメリットなんていうのは全然ないと言ってもいい。御承知のように、海は荒らす、陸はきたなくする、破壊する。そんなものよりも、当面海洋博などを目ざして、道路とか港湾の施設とか、ことに水道——上水道、下水道、そういう社会開発の面にうんと力を入れるのと合わして、観光を盛んにするというのはけっこうだと、こう思っております。そのことは申し上げましたのですが、一体、それなら観光開発をどうやってやるのか。振興開発計画の中にこれは位置づけられることになっておるわけでありますが、一体だれにやらせるのか。いまの、本土観光資本の野方図な進出——進出というよりは進出準備でありますが、札たばを見せびらかしての土地の買いあさり、農民は土地を手放し、漁民は海を手放さざるを得ないような、そういうやり方をしておる。これでは、放置しておきますと、自然環境の破壊ということは、これは必至でありますから、沖繩のあの自然環境を保全し、それから農林漁業の基盤、これをやっぱり破壊してはいけない。先ほど通産大臣は、沖繩の第一次産業の比率が非常に高いことを申しておられた。沖繩のいろいろの条件が、本土に比べても、二十年もおくれておる、こう言われたのでありますが、第一次産業の比率が高い。おくれておるといいましても、これはまあそれだけの歴史的、社会的な原因があってそうなっておるので、これをローラーでつぶすように一挙に本土並みにすることもできませんし、すべきでない。農林漁業に従事しておる人々にしても、当面はやっぱりその場で生活の基盤というものをやっぱり確立をしていく、生活を安定さしていくという施策がどうしても私は必要だと思うのでありますが、そういう基盤を破壊することなく、この観光開発をどういう方法でやっていくか。とりあえず、その問題について……。
  81. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) そういう問題が、沖繩開発計画の中で十分検討されるべきであります。だから、この沖繩開発計画は、地元の知事、沖繩の知事が中心になって、地元の意向が中心にならなければならない。地元の意向が反映されるということではない。地元の意向が沖繩開発計画をつくる場合のほとんどにならなければならない。本土や、政府はそれを誘導し、助成をするという立場でいくべきであるという思想を貫いておるわけでありますが、いまも、一次産業比率が非常に高い。四〇%近いところでありますが、この四〇%近いといわれる沖繩の一次産業比率で、その所得比率から見ますと、一〇%を割っているわけですから、本土が、一万円ずつ、二次産業、三次産業の月給が上がる、こういうことになりますと、これは昭和五十五年、一九八〇年代とか、昭和六十年の展望をしますと、いまの月給の二倍、四倍になるわけです。そういうような数字をちょっと計算をしますと、本土においても、二次産業、三次産業に比較する第一次産業の所得比率は非常に少ないわけです。少ないから、総合農政やらなきゃいかぬというようなことを言われており、推進をされておるわけでありますが、沖繩はそのまた三分の一しかないということでありまして、これはほんとう本土の一次産業の所得比率と比べてみても、非常に低いのです。ですから、そのままでもって沖繩の開発計画ができるわけがないのであります。ですから、総体的な議論としては、二次産業への、もう三次産業は頭打ちでありますから、二次産業比率を上げる。二次産業比率を上げるならば、上げながら、先ほど御指摘のあったように、公害を伴わないようなもの、しかも、投資所得だけ大きくとも収容人口が少ないものはだめだということでありますから、やっぱり知識集約的産業とか、人手を使うきれいな産業ということをこれから考えるべきだということが一つあります。もう一つは、沖繩を観光県にするのはよくないという非常に強い反対論もありますが、やはり、ハワイのようにするということでなくとも、これは、宮崎県なぞは非常に二次産業比率も上げながら、また、観光の比率をどんどん上げております。第二の理想的なハワイ島というような状態になりつつあります。そうすると、これに匹敵するものはやっぱり沖繩だと、こういうことになりますと、沖繩から観光というものを、観念論的な立場沖繩から観光を全然排除するということは私は間違いだと思っておりますが、いまの御発言では、やっぱり観光は大事にしなさいということであります。この観光というのは何がいいのか、これはもう今度の沖繩海洋博覧会によって、沖繩の観光というもののイメージが大体わかるようになってきつつあります。ありますが、一方的に押しつけるものじゃありません。これはやっぱり、地元の、沖繩県民の意思というものが十分反映されるようなものでなければならぬし、政府はそれを誘導し助長するという立場で観光開発面もあわせて考えていきたいということであります。
  82. 星野力

    ○星野力君 時間が来ましたからやめますが、その観光開発を一体どういうふうに、だれにやらしたらうまくいくのかということをお聞きしておるわけです。施政権が返還されましても、振興開発計画の原案ができ、さらにそれが国の計画となるまでには、ずいぶんこれは時間がかかると思うのであります。大体、知事選挙もやらなきやならぬわけでありますが、知事選挙が済んだからといって、すぐできるわけでもない。そうしますと、その間にも本土の観光資本あるいは公害大企業、こういうものが進出して既成事実がつくられていく。自然環境の破壊とか、公害の進展とか、こりいうことがどんどん出てくる、その点を私は心配するわけであります。それをチェックする手というのは打たれておらないんじゃないですか。あるいは打つことを考えておられるんですか。そのことだけをお聞きしてやめます。
  83. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 本土の一部が汚染されもとにあった沖繩が返ってくる、その沖繩の経済開発にきゅうきゅうとするために、本土の一部の轍をまた繰り返して踏んではならない、これはもう基本的にそのとおりであります。とおりでありますが、制度的な問題ではありません。これは、沖繩県が、沖繩の市町村が、沖繩の県民がしっかりしておれば、十分そういうことはできるわけであります。政府が誘導したりするときに、汚染をしたり、公害をまき散らすような事業を沖繩予定しないということだけは私が申し上げておるわけでありますが、観光業者が、本土人たちが行く行かぬという問題は、これはどうも法律で規制するわけにはまいりません。これは本土の人に売るか売らないかという問題になるわけでありますし、これは、四十七県のうちの一つになるんです。これは、自由に沖繩人たちが鹿児島県にも来ると同時に、鹿児島や東京の人も沖繩へ行って土地を買うこともできるし、何でもできるわけであります。ですから、これは制度上の問題ではありませんで、沖繩の、先ほどの御質問にもあったように、地場資本、地場産業というものを中心にしろということは、私はそのとおりでありますので、沖繩現地の人々が計画をする場合には、いろいろ金融上の優遇等を行なうということでありまして、本土のほうからの業者を全然足どめにして、沖繩に行ってはならないということを制度的につくるわけには、これはまいりませんが、現地の資本が沖繩の観光開発の主体となり、沖繩方々仕事をやっていけるように、資金的にも助成措置を講じたいということでございます。     —————————————
  84. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) この際、委員の異動につきまして御報告いたします。  本日、鬼丸勝之君が委員辞任され、その補欠として金井元彦君が選任されました。     —————————————
  85. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 時間も差し迫ってまいりましたが、厳守いたしたいと思います。ただし、前からは三十分はぜひいただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。  最初に通産大臣にお願いします。  関連法規とのつながりにおいて主としてお伺いいたしたいと思いますが、きょうは通産大臣もいらっしゃいますので、一、二、確認と要望を含めた、こういった考え方でお尋ねをいたします。  まず第一点は、地方自治法百五十六条第六項に基づくこの法によって、検査品目が復帰後の沖繩に、変わってくるか変わってこないかという内容の問題ですね。締め出されるものがあるか、あるいは加わってくるのがあるか、その点、まあ事務的なものですが。
  86. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 輸出検査品目が本土と違うものにはなりません。これは本土と一体でございますから、本土と違う品目が追加されるというようなことはありません。
  87. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 わかりました。  では次に、海洋万博について、これもぜひ成功さしていただきたいと、大きな夢と期待を現地は持っておるわけなんですから、そういう立場から気になることが実はあるわけであります。それは、成功さしていただくことを望みながらも、特に沖繩の、国際的にも自然環境が、海洋が汚染されておるということなんですね。その原因とかいうことをここで追及する時間はありませんが、とにかく東海岸があの黒い固まりの、何でしょうか、海岸にずっと、東海岸に打ち寄せられているという、こういう事実ですね。いわゆる海洋が汚染されつつあること、これは東海岸。今度は西海岸は、あの海洋万博の主会場を中心とする西海岸にオニヒトデといいますか、サンゴの敵と言われておるオニヒトデ、これが一ぱい繁殖しているわけですね。こういうことを考えましたときに、どうしてもこの対策を立ててもらわなければこの海洋万博の成功につながらないと、こう思いまして非常に心配いたしておりますので、その点からこの対策をお聞きいたしたいと思います。
  88. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 万博は相当な事業でございまして、これから三年間で成功させなければならないということでございますが、沖繩万博そのものも沖繩の将来のために、一つには本土復帰の記念事業と言っておりますが、記念事業というものだけでなく、沖繩のやっぱり将来を象徴するものの一つである、こうも思うわけであります。そういう意味で、非常に重要な行事だと思っておりますし、政府もこれがために万全を期してまいるつもりでございます。まあ沖繩の万博を行なう過程において自然を破壊しないように、またいまの沖繩の海洋汚染されておるような問題に対してどうするかということの御指摘でございますが、万博をやるからといって、万博の施設をする過程においては自然が破壊される、汚染をされるというようなことはあまりないと思います。これは東側に道路をつくるとか、現在の道路を拡幅するか、海岸線を多少工事をする場合に、自然の景観が変わるということはありますが、これは変わるというのは、山にトンネルを掘れば穴があくわけでありますから、これはもう状態が変わるわけです。しかし、これが自然を破壊し汚染をするということは、これは措置は万全にいたしますから、そういう事業によって汚染をされることはないと思います。まあ本部のあたりは飛行場の問題、港湾整備の問題等もございます。しかし、万博の事業そのもので汚染ということは全然考えられない、こう考えております。
  89. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 いま私が申し上げたのは、万博をすることによって汚染という意味じゃなく、すでに東海岸への汚染が始まっておるということなんです。そうなりますと、これはどうしてもいま対策を講じてもらわなければ、あの時点においてもすばらしい成功には結びつかぬわけですし、西海岸も現にオニヒトデがばっこしてサンゴが食い荒されつつあるという、この実情を踏まえていただいて、その対策を講じてもらいたいという意味のことなんです。
  90. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 現状で汚染をされておら、世界からいろいろ参ります、しかもこれは初めての海洋博でありますから、そのまさに山紫水明一語に尽きると言われる沖繩がそのような状態であれば困るわけでありますので、これはやっぱり万博の事業としても当然海洋の汚染状態を除去するということに対しては努力を続けなければならぬと思います。具体的にはいろいろこれから沖繩県とも相談をしながらやるべきだと思います。
  91. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 そこで、要望を含めて大臣の御意見をいま承りたいのですが、これは海洋万博の成功というのは、いわゆる復帰記念とかあるいはお祭り騒ぎとか、こういった意味での成功ではなしに、そのこと自体が今後永遠に沖繩の平和産業開発につながる布石になるという、こういう考え方に立ってわれわれはこれを歓迎するわけなんであって、そういうことと関連いたしまして、ひとつそれに関連記念事業として沖繩に政府の責任において、力によって、国立劇場といいますか、ぜひ国立劇場を設置してもらいたいという要望を私いたしたいんですが。と申しますのは、沖繩は伝統文化ですね、日本はもちろん世界に誇り得ると自負いたしておりますが、そういった伝統文化を一ぱい持っておる。それを海洋博と結びつけて、そして国際的にも国内的にもそれを広く紹介していく。こういうためにはどうしてもその施設がなければいけない。そういうことでひとつ沖繩に国立劇場を設置してもらいたいと私要望をしたいんですが、大臣いかがでありましょう。
  92. 田中角榮

    国務大臣田中角榮君) 沖繩に優秀な古典文化を温存し、これを披露するためにも国立劇場が必要であるという議論のあることは聞いております。また、陳情も受けております。これはしかし通産省の所管ではないわけでございますが、これはまあ沖繩仕事を主管しております総務長官、また文部大臣、大蔵大臣等とこの問題に対して話し合いはあるんです。あるんですが、まだやるということにはなっておりませんが、この間も話をして、沖繩は暑いところであるから冷房の完備をした劇場、これはやっぱり非常に必要であると、こういう話までは出ておるのが現状でございまして、私も推進する側に回って努力をしてまいりたいということで御理解を賜りたいと思います。
  93. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 ぜひ実現を要望いたします。通産関係はこれでよろしゅうございます。  次に、労働省関係にお願いいたします。労働関係いらっしゃいますね。
  94. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) おります。
  95. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 沖繩の平和経済開発を考える場合に、何としても突き当たってくるのは、沖繩の基地労働者を中心とする労働者、それから沖繩の膨大な軍事基地の——まあ先ほど来一挙になすことは不可能だと、これはよくわかる。ところが、年次的なこの計画リストが立たなければ、私はその裏をなすところの経済開発、それに結びつく労働力行政ですね、こりいったものはみんな関連があるわけなんです。そういう考え方に立ってひとつ沖繩の労働行政に対する基本的な考え方、特に基地の計画リストを踏まえての計画を持っておられるかどうかお尋ねいたします。
  96. 関英夫

    説明員(関英夫君) お答え申し上げます。  先生の御質問のとおり、現在の沖繩におきましては、基地収入に非常に依存した経済の形になっておりまして、基本的にはその経済の形を今度の振興開発法、そういったものによりまして基地収入に依存しない形の経済開発というものを進めていただく、それが雇用政策としても最も基本になろうかと思います。私どもといたしましては、復帰に伴い、あるいは基地の縮小に伴い、やむなく離職するような人々に対しましては、たとえば今度の駐留軍臨時措置法を適用する、そういうことによって求職手帳を発給して職業指導、職業訓練をやって就職の促進をはかっていくとか、あるいは軍関係の離職者でございまして、そういう駐留軍臨時措置法の適用を受けない方々につきましては、今後の振興開発法の中で特別の求職手帳制度を設けております。そういうものを適用して就職の促進をはかってまいるということを考えておるところでございます。
  97. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 私が重ねてお聞きしたいことは、いまおっしゃったことは、これはいままでの答弁の中でもはっきりいたしておりますが、復帰すれば好むと好まざるとにかかわらず、本土他県でもそうですが、過疎過密の問題ですね、沖繩が特にそういう過疎県になる心配があるわけなんです。そういうことをいかにして基地雇用からあふれる労働者を沖繩現地に蓄積するかということは、そのまま沖繩の平和経済開発につながるわけですね。そういった面から特に沖繩の労働者の雇用対策、これこそ単なる本土並みという態度でなく特に沖繩についてはと、こういった一つの対策を持っておられるかどうか。
  98. 関英夫

    説明員(関英夫君) 先ほども申し上げましたように、基本的にはやはり沖繩振興開発というものが進んで、沖繩における労働力需要というもの、これを喚起していくことが最も大事でございますから、ただ従来から若干労働者を中心本土へ移って就職する人がふえてまいっております。この傾向というものを強制的にどうこうするというわけにはまいりません。やはり現地における雇用機会というものを産業振興開発によってはかっていくことが第一であろうと思います。ただ、私どもでできます限りの現地の就職の促進、これはできるだけはかっていきたいということで、私どもの行政の方針といたしましては、本土へ紹介することを第一とするのではなく、やはり現地での職業紹介、あるいは現地で職業訓練をして技能を身につけて就職していただく、これを第一に推進していく、こういうたてまえで考えております。
  99. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 特に先日の労働大臣お話の中からも、少しずれておるとらえ方をしておられるなと感じましたのは、いわゆる基地の縮小に伴う基地労働者の失業と、こういうとらえ方をしている。これは将来に対する一つのとらえ方かもしれません。ところが、沖繩の少なくとも現状及び復帰に向けての意見は、基地の縮小、撤廃につながらない基地労働者の大幅波状的な解雇であるというこの事実をとらえておらないのじゃないかということを私は直感いたすわけですがね。ここに問題があるんです。基地の縮小に伴わない基地労働者の大幅解雇ですね。だから特別に沖繩の雇用対策については配慮してもらわなければいけない、こういうことですね。いかがですか。
  100. 関英夫

    説明員(関英夫君) お答え申し上げます。  確かにすでに基地労務者につきまして解雇の予告等が行なわれておりまして、現実に少しずつ復帰を前にしてすでに駐留軍離職者が発生しております。ただ、先ほど申し上げましたように、駐留軍離職者につきましては、特別の法律によりまして、三年間有効の求職手帳を発給して、その間失業保険なりあるいはいろいろな手当を支給しながら就職促進をはかっていくわけでございます。で、私どもとしては、そういった離職者を早期に本土に就職させるということよりも、できる限りその三年間の間に訓練をしたり、職業指導をしたりして地元に就職させようと、こういうたてまえで臨んでいきたい、こういうふうに考えておるわけでございます。
  101. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 そこで、この法に関連してお聞きしますが、基準監督署が五カ所になっておりますね。それから公共職業安定所が五カ所になっておる。これが沖繩の現状を踏まえて適当だと、こういう判断の上での五カ所でありますかどうか。どういう配慮があったんでしょうか。
  102. 鈴木新一郎

    説明員鈴木新一郎君) お答え申し上げます。  復帰に伴う労働基準行政のあり方でございますが、現在、基準行政につきましては、琉球政府の労働局の労働基準部を中心として行なわれ、それから五カ所の基準監督署を通じてやっておるわけでございます。復帰に伴いまして、琉球政府からこういう労働基準行政機関に対しましては大体三つの要望が出ております。最初に、本土と同様な労働基準局をまず設けることと、それから二番目といたしまして、現在ある五つの監督署をそのまま引き継ぐことと、それから三番目といたしまして、現在、労働局の付属機関として置かれております労働衛生センターを国の機関として引き継ぐことという、大体三つの要望があったわけでございます。私ども関係方面と折衝の結果、ほぼこの御要望に沿って、まず労働基準局でございますが、そのとおりに、本土と同じように沖繩労働基準局を設ける、それから二番目の監督署でございますが、現在、五つの監督署を存続させると同時に、特に宮古、八重山にはさらに、現在は課制はございませんが課制を置きまして、従来より充実させる。それから労働衛生センターにつきましては、そのまま沖繩労働基準局に引き継ぐというかつこりで、ほぼ琉球政府の要望に沿った引き継ぎを行なうということになっておりますので、さらに増員も行なっておりますので、従来以上の基準行政が期待できると、このように考えておる次第でございます。
  103. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 いまの点よくわかりました。  次に、農林省関係してお願いします。復帰に伴って、生活不安の中で食と関連した米の——米価ですね——米の値段、この米価の調整がいわゆる円・ドルの関連においてどうなるのであるかと、こりいう点、まずお聞きしたいと思います。
  104. 中村健二郎

    政府委員中村健二郎君) お答え申し上げます。  沖繩におきます消費者に対する米価につきましては、復帰後急激に米価が変動するということでは困りますので、当分の間は、現在の消費者が取得されております価格が維持できるように考慮をして、今後政府の売ります米麦の価格を五年間は復帰時の価格を基準といたしまして、復帰時後の本土の売り渡し価格の変化の状況を参酌しながら定めてまいりたいと、このように考えております。
  105. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 急ぎます。いまの主食の米と関連して、沖繩の学校給食、児童の学校給食ですね、これについてお尋ねしたいんですが、いまから十二年前、沖繩ではむしろある意味においては本土の学校給食よりも量的には広がっておると、こういう実情があるわけなんです。それは、アメリカからリバック物資を、メリケン粉と脱脂粉乳を、これをもらい受けて始めたのが沖繩における学校給食の今日に至っている経過なんです。ところが、復帰に伴ってその学校給食が一体どうなるかと、こういうことの不安、それに対する日本政府立場も、私、了承しておるつもりではあるが、ぜひ確認しておきたいと思いますのは、現在リパック物資を使って学校給食をやっておる。少なくとも復帰した時点で前進はあってもそれが後退であってはいけないと、こう期待しておるわけなんですね。そこで、それと関連して、今度主食を、本土は米があり余っておる、だからメリケン粉じゃなくして、米をそれにかえたらどうかといったようなこともちょっと聞いたりするわけなんですが、そういうことがあっては実は困ると、こり私思うわけなんです。そういった点、復帰後の学校給食の問題に関連して、そして、もう時間がありませんのであれしますが、その場合に麦をぜひ——そして原麦、あの原爆じゃありませんよ、(笑声)麦の原麦を、それを、沖繩に製粉会社があります、そこで製粉をして、そして新しい良質のものを使って、学校給食に還元してもらいたい、こういうことを、私、ずっと前から要望もしてきたわけなんです。そういった点、学校給食とのつながりにおいてお願いしたいと思います。
  106. 渋谷敬三

    政府委員(渋谷敬三君) 沖繩の学校給食は、先生御指摘のとおり一〇〇%、補食給食などを含めますと一〇〇%実施されておりますが、小学校の完全給食などはまだ本土より少し劣っております。いま御指摘のように、小麦粉、脱脂粉乳、サラダ油が米国政府から無償供与されておりましたので、復帰後五年間、日本学校給食会をしてそれらの物資を無償供与することにいたしております。したがいまして、その製粉につきましても、そういうようなことで無償供与をいたすことにいたしております。
  107. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 総務長官が見えましたので、これでおしまいにいたしたいと思いますが、この総合事務局設置に関連しまして、本土でもいわゆる地方自治の拡大ということが叫ばれておるところであります。特に沖繩の場合、戦前、戦後を通じて歴史的に特にこの問題に関連して心配しておりますことは、地方自治の侵害にならないかと、こういう考え方を非常に持っておるわけなんですね。いわゆる中央直結だとか中央集権化という半自治の面があるわけですが、特に沖繩の場合、歴史的にそういう宿命といいますか、そういう過去の歴史があるわけなんです。だから、二度と再び復帰することによってこのようなこと再現してはいけないと、こういうことを一番警戒しているわけなんですね。そういった県民感情からしますと、あるいは歴史的立場を踏まえてしますというと、この小さい沖繩県一県に八百十名という数を擁する六部三十一課二室七官、こういった各種の分野で八百十名の膨大な事務所ができる、こういうことに対する非常に——はたしてこれが自治の拡大につながり、あるいは沖繩本位の開発につながる、こういう役所になるかならぬかということを非常に警戒しなければいけない、こりいうわけなんですが、そういう点から総務長官のこれに対する御見解を承りたい。
  108. 山中貞則

    国務大臣山中貞則君) 県民自治、住民自治というものをおかすようなことはつゆいささかあってはなりません。また、民政府というものがなくなったと思ったら日本政府の探題がやってきたというようなことに絶対してはならない、そのつもりで法律も細心の注意を払ってやってまいりました。したがって、かりに国のほうで直轄工事をやる場合でも、沖繩県知事、市町村長、あるいはそれぞれの管理者というものが申請をされたときに初めてそれを行なえるようなことにいたしております。また八百十名の中で六百名近くは現在の琉球政府につとめておられる沖繩県の公務員方々に移っていただくことになっております。したがって、県民から見ればおおよその、大部分の、五分の四の職員の人々は顔なじみの、県庁に、元琉球政府におった方々でありますから、運用によっても私はそういうことの起こらないようにできると思います。法的には違法行為を犯さない限り沖繩県の自治を侵害するようなことはありませんし、ほかの県ならばできるのに沖繩県知事、市町村長はなぜできないのかという点は、先般の法律の論議でいやしくもないようにいたしてございますから、本土にはそのようなことをする、いやしくも沖繩県民自治をおかしたと言われるようなことをする資格もなければ立場にもございません。沖繩県民のためにのみ置かれる事務所であるべきでございます。
  109. 喜屋武眞榮

    喜屋武眞榮君 もっとお尋ねしたいこともありますけれども、時間を守ると、こう宣言しましたので、これで終わります。
  110. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) 他に御発言もなければ、四承認案件に対する質疑は終局したものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  111. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) 御異議ないものと認めます。  それではこれより討論に入ります。——他に御意見もなければ討論は終局したものと認めて御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  112. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) 御異議ないものと認めます。  それではこれより採決に入ります。  まず、地方自治法第百五十六条第六項の規定基づき、沖繩総合事務局事務所設置に関し承認を求めるの件を問題に供します。本件に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  113. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) 多数と認めます。よって本件は多数をもって原案どおり承認すべきものと決定いたしました。  次に、地方自治法第百五十六条第六項の規定基づき、労働基準監督署及び公共職業安定所設置に関し承認を求めるの件、地方自治法第百五十六条第六項の規定基づき、食糧事務所設置に関し承認を求めるの件、地方自治法第百五十六条第六項の規定基づき、工業品検査所及び繊維製品検査所出張所設置に関し承認を求めるの件、以上三件を一括して問題に供します。三件に賛成の方の挙手を願います。   〔賛成者挙手〕
  114. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) 全会一致と認めます。よって三件は全会一致をもって原案どおり承認すべきものと決定いたしました。  なお、ただいま承認すべきものと決定いたしました四件の審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  115. 長谷川仁

    委員長長谷川仁君) 御異議ないものと認め、さよう決定いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後零時五十三分散会