○戸
叶武君 この
漁業関係の
交渉が、ことしにおいては非常に平和友好裏に進んできたというのは、やはり
ソ連にも
世界にも
一つの平和を求むる安定した空気というものが出ているからと思うのでありますが、せっかく出てきたよい空気は助長させるほうがけっこうなので、やはりわれわれはいままでの
アメリカ一辺倒
外交から転じて、
ソ連とも中国とも
北鮮とも仲よくして東西
貿易を拡大すると同時に、
友好関係を保っていかなけりゃならない、そう考えるのですが、そういう
関係において、いま内政上の処置はこうであるが、
外交的な政策の躍動によって将来に希望の光をもっと与えるんだというだけの意欲が
日本外交の中にないと、萎縮した
日本になっていく危険性があるのでありますが、国の
外交というものは、お互いの
立場を尊重しながら、やはり自分の国の
利益を
主張し、その上に立って
調整していかなければならないので、自分
たちだけの独走というものは許されないと思うのでありますが、最近の
友好ムードの顕著なるものは、やはり
日本が、特に
アメリカのニクソンの北京訪問、また
日本も台湾問題において若干こじれて
停滞している面があるが、佐藤以後においてはやはり大きく変わらなけりゃならなくなるんじゃないか。そういう空気の中に
ソ連だけが孤立してはいけないという気持ちも
ソ連側にあると思うんですが、こういうときに、とにかくわれわれは具体的な
カニ・
マスの問題からコンブの問題、小魚の問題に至るまで
漁業問題でいろいろ問題を煮詰めていくと同時に、
日ソ関係の国交
調整の主眼目はやはり
領土問題にあるということは忘れてはいけないので、まあ
福田さんもこの間の説明において
政府の意のあるところを十分示しておりましたが、いま私
たちは、
日本にとって一番心配なのは、やはり多極化時代における
外交に対して、
日本の自主性を保ちながら、
日本自体の主体性を確立して
平和共存体制の方向づけをやらなけりゃならないということを
政府も、また
国民もとらなけりゃならないと思うのですが、
日ソ親善
関係は、特に親善団体が共産党の
日ソ協会と
社会党その他の
日ソ親善協会とがあって、若干ごたごたしている面があるのですが、いずれにしても、この国において幾つかの
流れがあっても、私は
日本の自主性というものを堅持しながら、第三者から見て第五列的な印象を与えるような友好運動というものは百害あって一利なしであって、これはおのずから私は自主的に自己批判を通じて
日本の
国民運動も変わってくると思うのですが、
政府が
サンフランシスコ講和条約という時点で、
日本の安全というものは
アメリカと結んでいかなけりゃやっていけないという気持が非常に強く、その上に立ってひとつ他との
友好関係を結んでいこう、
日本の繁栄もそのおかげだと、さっき説明ありましたが、そういう
見解もあるでしょうけれ
ども、いま
アメリカにおけるニクソンの訪中なり、訪ソなりというものは、率直に言って軍部の言うなりなり、軍需産業の圧力なりだけで動いていたらベトナムのどろ沼に入ったように
アメリカの前途はない。やはり東西
貿易の拡大をする以外に、高度経済成長政策の発展を阻止しない限り活路はないという観点に立って、ニクソンの動向を見ても、中国に対してどうやって自動車を、飛行機を、石油
関係のいろいろな
技術協力なり、設備投資をという形が具体的にもう出てきているんです。あれほどココムだ、チンコムだ、共産圏との
貿易を押えなけりゃならないと
日本なんかには規制して、
日本なんか縮みあがっていたら、
アメリカ自身の運命を打開するのには体当たりで大統領みずからが北京に乗り込み、これからまた
ソ連に乗り込もうとしているのですが、そのときに、やはり
領土問題と関連しますけれ
ども、私はニクソンのやる役割りにおいて
一つの大きな期待は、ニクソンが政界に出た若き日に、マッカーシズムの波に乗って、国務省における共産党の主とまで言われたヘスを追い落として、要するに、ルーズベルトを引きずって、軍部の一部と結託して、軍事戦略の上から
ソ連を連合国に引き込むためにヤルタ秘密協定を通じて、とにかく中国なり、
日本に特に迷惑をかけた、こういう問題に対する
アメリカの内部からも批判があり、事実上ヤルタ秘密協定というものを——秘密協定は、
日本では
政府でも、私らが国会で質問すると、それは秘密協定と言わないでくれと言って、
アメリカから教わったような答弁を
政府当局がやっていましたが、明らかにできた当時においては戦時中の
軍事謀略協定であり、秘密協定です。それを
ソ連側から漏らしたのは、とにかくルーズベルト、チャーチル、スターリンの三者におけるクリミアにおける昭和二十年二月十一日、十二日のあの協定において、だれも余人はわからない、舞台装置をやったのは国務省のヘスぐらい、いまのキッシンジャーよりも大きな役割りをしたと思うのです。そういう形におけるあのヤルタ秘密協定ができたのは、
ヨーロッパにおけるマーシャル元帥及びこのマッカーサー元帥、そういう
人たちの軍部の意向というものが、あの
日本を敗戦に追い込む前の半年ぐらいの報告が起点となって、あと二年以上もかけて
日本を降伏に導くのではたいへんだ、あと百万人もの壮丁を犠牲に出すのでは
アメリカの世論が応じてこない。もうルーズベルトは余名幾ばくもない。ヤルタでスターリンがルーズベルトに会ったときに、その顔に精気がないのに驚いて、やはり自分の生きている間に死を賭して平和への道を歩もうとするそのルーズベルトの捨て身の
政治というものに非常に打たれたということを聞いております。
それだけに、われわれが見るだけの観点であの
ヤルタ協定はできたとは思いませんが、しかしあれがために、中国における今日までの毛沢東なり周恩来が反ソの、いわゆる大国支配に対する、ヤルタ
体制に対する抵抗というものを強めたのは、朝鮮事変の前に、スターリンの誕生日に毛沢東と周恩来が礼を厚うして兄弟国に対して、この中国のかつての主権を回復してくれというお願いをしたが、結局あいまいにされてしまった。このことがやはり中ソ論争の原点です。このことを私は
ソ連にも言い、共産圏各国にも会って、いろいろ
ソ連側とも聞いても、
ほんとうのことだれも言わない。雷鳴とどろく、ちょうどユーゴスラビアの山岳ゲリラ戦をやったチトーが別荘に引っ込んでいるときに、チトーのやかたを訪れたときに、彼は簡潔に
領土問題ですよと言った。これはやはりチトーは共産党といいながらも、イギリスの援助を受けながら、あのゲリラ戦の戦いをやって
一つの、チエコは工業
地域に、ユーゴは農業
地域にというふうな設定に応じたのではユーゴスラビアの独立した国の発展はあり得ないという形から抵抗を続けた
一つの異色なる人物です。それほど共産党のイデオロギーとか、社会主義とか資本主義とかというのを抜きにして、
領土問題の処置というのは非常に
民族の長い間につちかわれていた伝統をそこねる、プライドをそこね、
民族の心を傷つけるものなんで、こういう点においては
領土問題では一番中国なり、また
ソ連も苦労していると思いますが、やはり言うべきことははっきりものを言わないとものごとというのは片づかないのです。
やはり御殿女中的な、お公家さんのような
外交をやっている限りにおいては、けんかしてもいいから、そのあとで和解するというのが——大体人間同士のつき合いでも、
大げんかやれるような人間と以外にはつき合うものじゃないので、猫なで声をやっている
外交の中からは
民族の悲願というものは私は開拓できないと思うので、ことしは
ソ連とのるかそるか、一応とにかくやってみたらいいので、そういう点からいって、
漁業問題であろうが、
領土問題であろうが、
日本の言うなりに全部通るとは思わないが、率直にものを言って、お互いに腹を割って親しめることによってのみ次の平和の基盤というものはつちかわれるので、そういう点を、どうも
総務長官はなんかだいぶ豪傑のようだし、それから
沖繩問題でも何でもざっくばらんにものを言っている習慣があるから、その癖を、いいところの癖を直さないで、ひとつ閣内において微力だなんということを言わないで、もっとはっきりものを言っていったほうがいいと思うんです。とにかく国をあげていままでのような
官僚的な
政治体制からもう少し
国民感情に密着した
政治をやってくれという要望は、保守、革新を問わず私は出ていると思うんです。
この問題に対して、時間がないので、私はこの程度で切り上げないとほかの人に御迷惑をかけるから結ぶことにいたしますが、やはり
サンフランシスコ講和条約を守る道義的
責任は
政府にあることはわかります。やはり国際信義を保つ上においてそういうことをしなければならないでしょうが、とにかく敗戦後の混乱の中から、
日本が非常な弱い
立場でおそるおそる他の国の顔色を見ながら、吉田ワンマンなんといっても、国際舞台に立つとワンチンぐらいでワンマンどころじゃなかった。こういうもうワンチン時代から脱して、
ほんとうに
日本の
国民外交ができるような
平和条約の形を
日ソ関係においてつくり上げることにおいて、
アメリカ側も、
ソ連ですらもそういうふうに変わったのだ、おれのほうも変わらなけりゃならない、中国側でも、おれのほうでもかってなことを言ったが、やはり変わらなけりゃならないというふうに出てくるんであって、問題は、他の顔色を見るんではなくて、自分の顔がもっと精気に満ちた、豪気な精神を持ってやらなけりゃ
外交は展開できないと思うんですが、ひとつ
大臣、元気のあるところ、どういう方向にこの
北方領土問題——内政問題だなんて、内政問題も
外交を伴わなければ内政問題というのは
ほんとうに裏道街道みたいなものですから、ひとつその辺の
責任をどういうふうに果たしていくか、自分の
見解を述べていただきたい。