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戸叶武君
ソ連政府は、この北方領土の問題に対して
日本政府といままではまっこうから対立した意見のまま来たが、とにかく
話し合いの場を持とうという際に、
政府はおそらくは
双方の
立場を
考慮した上で、北方領土といっても千島に制約して、そうして主張しようというかまえの模様でありますが、それは現実的な可能な政策としての打算の上に出ているのかどうなのか。
それと同時に、私たち
日本社会党は昭和二十年に結党以来、その
外交方針というものは、一切の軍国主義思想及び行動に反対し、
世界各
国民の協力による恒久平和の実現を期す、という精神を綱領に高く掲げて、戦時中の秘密
外交の打破、不平等条約の廃棄、
日本の完全独立ということを目ざして、私たちは当初は、領土問題に関しては、戦争責任を持つ当時の自由党なり民主党の虚脱
状態を排して、
国民に戦争責任はない、領土は
国民のものであるという観点に立って、南樺太、千島、
沖繩、小笠原
返還というものを主張してまいったのであります。しかしながら、社会党の現在の
外交政策は
平和条約を早く結ばなけりゃならぬという点に力点がありまするけれ
ども、われわれの主張というものは、
日本固有の領土を戦争に負けたからといって他国に奪われる理由はない、その全責任は当時の軍部、
政府、その指導者のみが負うべきである。これは、ナポレオン戦争の後にウインナ
会議においてタレーランがナポレオンに責任を負わせてフランスの寸土だにさかなかった
外交記録すらあるのです。少なくとも第一次
世界戦争以後における
平和条約締結の
基本的理念というものは、勝った国が負けた国から領土を奪ってよいというようなことはあり得ないのであって、ウッドロー・ウィルソンがベルサイユ講和
会議において主張したように、
平和条約は勝った国が敗れた国を痛めつけるのではなく、次の平和を保障し得るような条件をそこに具備して
平和条約というものを締結すべきであるという形において、一九一五年の、連合国がイタリアに、ドイツとの同盟から離脱して連合国に加担するならばアドリア海の彼方及び北阿の領土を与えるという戦時中の軍事謀略
協定、ロンドン秘密
協定というものを取り上げなかったと同様に、この米・英・ソ三国が一九四五年二月十一日にクリミヤのヤルタで結んだヤルタ軍事秘密
協定は、明らかに、
アメリカの国務省のヘスがルーズベルトの陰に隠れ、チャーチル、スターリンとともに密約を結んだところの、
ソ連を軍事的に加担させるための誘導的な戦時中の軍事秘密
協定でありますが、それに対して、中国もあるいはフランスもヤルタ
協定からオミットせられた。その戦力低下を理由にオミットせられた
両国が、ヤルタ
協定打破のために、毛沢東もドゴールもいままで戦ってきているのであります。フランスや毛沢東のこの
見解とは違うが、
日本において、戦後二十六年を経た後において、民族独立のためにはこの虚脱から脱して、それと同時に
日本の軍国主義の復活を許さず、日
米軍事同盟を廃棄するならば、
ソ連との間も、このヤルタ
協定にうたう領土問題に対しても清算を求めなけりゃならない。そういう主張が私は
日本の
国民の声として当然あらなけりゃならない。
政府は、そういう点に、この領土問題に対して、現実的という形において領土問題はそこまでしぼったのは、それならば
ソ連との
交渉が可能だという上に立っているのか。米国は米・英・ソ三国の巨頭が戦時中に行なった軍事秘密
協定は、サンフランシスコ講和条約においてもその制約は受けている。ポツダム宣言に従うと言いながら北方領土問題がぼかされているのはそういう
関係からです。
アメリカが
ソ連をヤルタ
協定でだましたというわけにはいかなかった事情がそこに隠されているのです。その点を明らかにしてもらいたい。