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1972-03-24 第68回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十七年三月二十四日(金曜日)     午前十時三十一分開議  出席分科員    主査 野田 卯一君       正示啓次郎君    田中 龍夫君       森下 元晴君    楢崎弥之助君       小川新一郎君    鈴切 康雄君       東中 光雄君    兼務 大出  俊君 兼務 米田 東吾君    兼務 近江巳記夫君 兼務 岡本 富夫君    兼務 渡部 通子君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 江崎 真澄君  出席政府委員         国防会議事務局         長       海原  治君         防衛庁参事官  高瀬 忠雄君         防衛庁参事官  鶴崎  敏君         防衛庁防衛局長 久保 卓也君         防衛庁人事教育         局長      江藤 淳雄君         防衛庁衛生局長 鈴木 一男君         防衛庁経理局長 田代 一正君         防衛庁装備局長 黒部  穣君         防衛施設庁長官 島田  豊君         防衛施設庁施設         部長      薄田  浩君         外務省アメリカ         局長      吉野 文六君         運輸省港湾局長 栗栖 義明君         運輸省航空局長 内村 信行君  分科員外出席者        警察庁刑事局保        安部保安課長   関沢 正夫君     ————————————— 分科員の異動 三月二十四日  辞任         補欠選任   鈴切 康雄君     小川新一郎君   東中 光雄君     松本 善明君 同日  辞任         補欠選任   小川新一郎君     大橋 敏雄君   松本 善明君     東中 光雄君 同日  辞任         補欠選任   大橋 敏雄君     多田 時子君 同日  辞任         補欠選任   多田 時子君     鈴切 康雄君 同日  第一分科員米田東吾君、第三分科員近江巳記夫  君、第四分科員岡本富夫君、第五分科員大出俊  君及び渡部通子君が本分科員兼務となった。     ————————————— 本日の会議に付した案件  昭和四十七年度一般会計予算防衛庁所管      ————◇—————
  2. 野田卯一

    野田主査 これより予算委員会第二分科会を開きます。  昭和四十七年度一般会計予算防衛庁所管を議題といたします。  昨日に続き質疑を行います。  質疑の申し出があります。順次これを許します。鈴切康雄君。
  3. 鈴切康雄

    鈴切分科員 昭和四十四年の六月二十九日でございますが、新島本村の前浜海岸砂防堤付近で起きました砲弾爆発事故につきましては、私、前の国会におきましてすでに取り上げた問題ではございますが、一応概況について御説明願いたいわけでございます。  概況内容につきましては、まず第一に、発生した日時、それから発生場所、それから被害状況発生状況、とられた処置、そして念のために、掃海して回収されましたところの砲弾の種類並びに数量についてお伺いをいたします。
  4. 関沢正夫

    関沢説明員 一応この事件処置をとりました警察としてお答えを申し上げます。  御指摘のように、四十四年の六月二十九日午後三時四十分ごろでございますが、新島本村の前浜海岸におきまして、中学生四人が、海岸砂防堤付近におきまして、弾丸、これは直径七センチ、長さ三十センチぐらいといわれておりますが、これを拾いまして、それをたき火の中にくべて、いわばもてあそんでいたわけでございます。最初の一発を火に投じて、一時避難して様子を見ておりましたところ、ボーンと砂煙を上げましたが、そのときはたいした爆発ではなかったけれども、また、次の一個、今度は弾丸を二つに分けまして、下の部分を火に投じ、さらに弾頭部分を火に投じましたところが、その弾頭部分爆発しなかったので、そのまま火に砂をかけまして、四名は帰途についたわけでございます。ところが、たまたま、また、その中学生より下級生になるわけでございますが、三人がちょうどこちらのほうに向かってきまして、マッチがないかと、その最初の四人の中学生に尋ねたところが、いま、たまたまたき火をしておったので、そこの場所を教えたわけでございます。それで、あとから来た中学下級生三人がそのたき火にさらにたきぎを加えまして、そして火を燃しておったところ、十分くらいたちまして、先ほど入れておきました弾頭部分が突然破裂いたしまして、三人のうち一人は死亡、それからもう一人は顔面爆焼右眼球破裂、それからもう一人は、たまたま一人先に帰ると言って帰りがけまして、現場から二十メートルぐらい離れたところにちょうど立ち去りかけておりました関係で、これは幸いにして軽傷で済んだ。こういう事故が発生しました。  それで、重傷者少年一人につきましては、直ちに応急手当の上、自衛隊にヘリコプターを要請しましたところが、天候が悪いために出動できなかったわけでございます。それで、さらに海上保安庁に要請いたしまして、巡視艇で下田の川井病院というところに入院させましたが、非常に重傷でございまして手に負えないため、さらにこれを東京の駒込にある東京都立病院に入院させましたのですが、結果といたしましては、たしか、不幸にして右目が失明した。そういう事故でございます。  それで、この事故は、いまお話し申し上げましたように、いわば最初の四人の責任の問題がございましたので、警察といたしましては、少年ではございましたが、一応事件の取り調べをいたしまして、書類送致いたしました。家裁送りになりまして、事件は一応不処分という家裁決定がございました。  事件関係としては以上でございますが、不幸にしてこういう事故が発生いたしまして、警察としては、その事故発生後直ちに付近捜索いたしまして、その場で砲弾を十三発、銃弾百六十発が発見され、それを新島署に保管いたしまして、すぐ自衛隊に引き継いだわけでございます。  さらに相当数砲弾類がその付近に散在しているということがうかがわれましたので、四十四年七月二日に、警視庁のほうから陸上自衛隊処理をお願いいたしまして、七月八日、第一師団の不発弾処理班九名が来島されまして、砲弾類捜索、それから処理に当たった。こういう状況でございます。そのとき処理した弾丸は、大体八千発程度発見回収したということでございます。  さらに、警察といたしましては、そういうことで、海水浴のようなときには具体的な危険があるということで、事故防止をはかる観点から、毎年、大体海水浴の始まる夏ごろ、自衛隊にお願いいたしまして、さらに付近捜索とそれから処理要請いたしまして、昭和四十五年六月には大体四千三、四百発、それから四十六年六月には五千五、六百発を発見いたしまして処理しております。  大体以上でございます。
  5. 鈴切康雄

    鈴切分科員 そこで、私は、死亡いたしました前田国徳君、そして顔面爆焼右眼球破裂重傷を負いましたところの宮川橋一君の御両家にたまたま伺いをする機会がありました。それで、死亡されました前田君の御両親は、国徳君を非常にたよりにしておったわけでございますが、三年たった今日、非常に明るかった国徳君の家も、国徳君がなくなってからというものは非常に暗い生活に変わっているという事実を見てまいりました。また一方、宮川君は、いまだにその傷がなおりませんで、この春も、たしか東京でまた手術をするというような状態であるということを、私、この目で見てまいりまして、これはたいへんだと思いました。しかも、その後というものは、責任所在があまりはっきりしないままに実は今日まで来ているわけでございまして、そういう点から、きょうは、責任所在を明らかにしてまいりたい、このように思っておる次第でございます。  そこで、事実関係について少しお伺いいたしますけれども、たしか、終戦になりましてから、日本の軍隊からこれが駐留米軍のほうに引き渡されたわけでありますけれども相当数たまがいま現在発見をされております。その当時弾丸を引き渡した数量というものは大体どれくらいあったでしょうか。それについてお伺いします。
  6. 久保卓也

    久保政府委員 いま承知いたしておりませんので、後刻調べて申し上げます。
  7. 鈴切康雄

    鈴切分科員 本件事故前、すなわち昭和四十四年六月二十九日前にも、やはり相当数弾丸海岸に打ち上げられておった事実がございます。そうして回収されておるわけでありますが、大体どれぐらいの弾丸回収されておるか。その点についてお伺いします。
  8. 久保卓也

    久保政府委員 いまここで政府委員話し合いましたが、ちょっと所管がよくわかりませんし、私自身は全く知っておりませんので、関係のところと相談して調べます。
  9. 鈴切康雄

    鈴切分科員 要するに、回収された弾丸所有権者はだれになるんでしょうか。
  10. 久保卓也

    久保政府委員 損な役割りを引き受けますけれども、全くわかっておりません。役所はどこの役所でありましょうか。ちょっと調べてみます。
  11. 鈴切康雄

    鈴切分科員 役所云々でなくして、所有権者は当然国であろうと思いますが、その点はいかがでしょう。
  12. 久保卓也

    久保政府委員 いまおっしゃいましたのは、打ち上げられた砲弾だと思いますが、これはもうすでに無主物になっているんではないでしょうか。
  13. 鈴切康雄

    鈴切分科員 これは、無主物にしても何にしても、打ち上げられた砲弾所有権は国にあるわけです。ですから、そういう点について、国が処置をしなくてはならない砲弾であるわけですね。ゆえに、防衛庁は、この掃海とか、そういうものについて当然責任があるので回収を行なっているわけであって、もし、それがだれのものでもないというような状態であるならば、これは何も防衛庁がそういうふうな処置をとる必要はないわけでありまして、そういう点において、当然これは国のものであることは間違いありません。  昭和四十五年五月二日にいわゆる刑事事件になりまして、加害者の四名について、東京家庭裁判所の三淵嘉子裁判官のもとに裁判が行なわれまして決定されました、その事実について御承知でございましょうか。
  14. 島田豊

    島田(豊)政府委員 この事件につきましては、少年でございますので、東京家裁が取り扱いまして、私ども所管事項に関する限りの問題といたしましては、決定といたしましては——もちろん、本来であれば保護処分の該当でございますけれども本件については、いずれも、四名について、保護処分には付さないという決定になっておるわけでございます。
  15. 鈴切康雄

    鈴切分科員 いま島田防衛施設庁長官が、そのように裁判内容について御存じである旨の御発言をされたわけでありますけれども、その内容決定どおりであるかどうか。そして、事実関係決定どおりであるかどうか。もし、決定どおりでないとするならば、どの辺が違うのか。その点についてお伺いをいたします。
  16. 島田豊

    島田(豊)政府委員 この決定は、警察捜査、それが家庭裁判所に持ち込まれたものでありまして、これは捜査並びに家庭裁判所の判定でございますので、その事実関係において事実と相違があるということはちょっと考えられません。適正な捜査並びに処分が行なわれたというふうに考えます。
  17. 鈴切康雄

    鈴切分科員 要するに、裁判決定は当然事実と相違のないものである。そのように認められるという御発言でございます。そこで、私、お伺いをいたしますが、防衛庁設置法第五条第十七項は何をおきめになったものでございましょうか。
  18. 久保卓也

    久保政府委員 これは、自衛隊法の第九十九条に相応するものでありまして、海上自衛隊が必要に応じて機雷その他の爆発性の危険の高いものを処理するという任務を与えられている。これは、ただし、こういったものを全般的に除去することについての義務づけということではなくて、通常の場合ですと、自治体その他から要請がありまして、こういった技術自衛隊しか持っておりませんので、その技術提供自衛隊が行なうというふうに私ども解釈をいたしております。
  19. 鈴切康雄

    鈴切分科員 それでは自衛隊法の附則の第十四項にはどういうことが書いてありましょう。
  20. 久保卓也

    久保政府委員 これも陸上の場合の火薬類その他のものでありますが、これも、いま申し上げた海上自衛隊義務と同断と考えております。
  21. 鈴切康雄

    鈴切分科員 そこで、私が前に質問いたしましたとおりなんですが、新島ではそういうふうに海中にかつて投棄をされた。これは、島の人たちが、非常に危険だということから、処理をしてもらいたいというふうに実は言われておったわけであります。事件の前にも、お調べになればわかりますけれども、すでに相当数たま海岸に打ち上げられまして、それが住民によって届けられておるという事実もございます。そういうことを考えてまいりますと、的確な処理をされないままに実はなっておったわけであります。ところが、御存じのようにこういう大きな事故が起きてからというものは、急遽、地元のほうも、当然それに呼応して要請したことは事実でありますけれども自衛隊のほうも急いでこの回収に取りかかりまして、私の調査によりますと、たしか、事故後、昭和四十四年の七月、それから同四十五年の五月及び九月、四十六年の六月、自衛隊によって回収をされた。このような状態の、当然危険であるというようなものに対して、これを回収しなければならない。言うならば、危険物除去義務が的確に行なわれていなかったのではないかということが非常に私問題だと思うのですが、防衛庁長官、ちょっとその点について……。
  22. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは、御指摘のように非常に問題になると思うのです。しかも、国が戦争をして、その関係砲弾が、米軍戦争中投下したものを含めて、まだ陸上にもある。海上にはまた、あとから米軍が放棄したものがあるようですね。ですから、こういったものをどう処理するのか。これは、実は、私も、赴任しましてからいろいろな陳情を受けまして、話し合いを部内でも煮詰めておるわけです。自衛隊は、自治体の要求に応じて、そういうものの排除、始末に出かけるわけですが、それには相当経費もかかる。そういう予算措置も、実は防衛庁にはないわけなんです。したがって、自治体も、そういう危険排除をしていく上に相当な経費を、これまた負担しなければならない。いま鈴切さんが言われるように、国と国との戦争行為、それからまた、米軍が駐留してからのそういう行為ということになりますと、やはりこれは相当国責任を持たなければならぬ問題であるというふうに思うのです。したがって、これは、もうちょっと、関係省庁とも連絡をしながら煮詰めていく時間をかしていただきたい。  いまごろそれじゃおそいということでしょうが、事実上、そういう処理のことは自衛隊に言われておりまするが、事実上、多少不明確な点があるというか、疑義があるままで今日になっておるというのが実情であります。もうちょっと詰めてみたいと思います。
  23. 鈴切康雄

    鈴切分科員 そこで、私が先ほど申し上げたように、そのように自衛隊法あるいは防衛庁設置法の中にきめられた問題、これは言うならば、条約によって、機雷とかそういうものは当然国が責任を持ってやるべきであるという、そういう内容を明らかにしている。それから、いわゆるこういうふうなことをしなくてはならないというふうなことを義務づけてあると私は思うのです。それからまた、ヘーグ陸戦協定の中にも、いわゆるこういうふうな問題についての問題を取り上げております。それは、いずれにしても、国が責任を持たなければならないというふうになっております。そういうことから考えると、私の考え方と実は一致するわけであります。それと同時に、裁判所も、この問題を明らかにし、先ほど島田防衛施設庁長官が言われておりました内容と全く符合する決定をしているということであります。その内容について私、いま申し上げますが、「終戦直後駐留軍新島にあった旧日本軍弾薬海中投棄したが、その投棄場所海岸に近かったため潮のかげんで相当数弾薬前浜海岸に打ち上げられることがいまだに続いており、新島役場ではこれを発見したら届け出るよう注意はしていたが、海岸弾丸を拾った人たちの中にはこれをおもちゃにして、中にはたき火に燃やしたりしてけがしたような例もあったにかかわらず、自衛隊による掃海作業がかつて行なわれたこともあったが、今日まで徹底的な除去作業がとられなかったことが認められる。以上の事実を総合すると、駐留軍の旧日本軍弾丸廃棄処分が不適切であったため、新島中心部であり、海水浴や漁労の盛んな前浜海岸に危険な弾丸が漂流してくるにもかかわらず、終戦後二十年余りを経ながらこれに対する除去作業が適正に行なわれていなかったこと、また住民に対しその危険を告知し、漂流した弾丸処置について適正な指示を行なわなかった防衛庁」いいですか、「防衛庁」ですよ。「防衛庁及び新島役場本件事故発生に対する責任は重大であったということができる。」こういうようにまずあります。それからそのあと被害者らに弾丸の投入されているたき火に木をくべさせ弾丸爆発させ、彼らを死傷させるに至らしめたのは同少年中学三年生であったにしても重大な過失があったと見るほかない。」しかし「(被害者らに対する民事上の損害賠償責任としては、少年のほか、上記のように、防衛庁すなわち国や、新島村の責任を無視することができないのは言うまでもない。)」という、要するに裁判決定になっております。  ですから、防衛庁長官が、これに対して、明らかにこれは国の責任であるというような内容の御答弁をされたわけでありますけれども、この裁判決定を、すでに一度もう島田防衛施設庁長官が認められた御発言をされている以上、これは国においても何らかの責任があるということを明確に御答弁願いたいのであります。
  24. 久保卓也

    久保政府委員 私の解釈——私のと申しますか、防衛庁としては、こういうふうに思います。海上自衛隊なり陸上自衛隊なりが義務づけられて、あるいは任務を与えられておりますのは役務提供であります。したがいまして、陸上あるいは海上における爆発物等危険性がどの程度存在をし、それをどうするかということは、少なくとも防衛庁所管ではないと思います。それで、陸上なり海上なりについて問題があった場合には、防衛庁要請を受けて、そして役務提供する。その義務はまさに防衛庁としては持っておると思います。したがいまして、関係官庁との連絡不十分——その他いろいろの、軍事的と申しますか、そういった知識がありますから、そういうような情報をわれわれとして提供しなかったということであるならば、われわれも問題点を感じます。
  25. 鈴切康雄

    鈴切分科員 この問題は、いまあなたがおっしゃるけれども、実際に、島田防衛施設庁長官がこの裁判の事実関係については、私も見ているけれども、実際においてこの内容どおりである、決定したとおりであるというふうにおっしゃったわけですからね。いまさらあなたがそういうふうに、その内容についてどうのこうのと、とやかく言うことはない。それならば、裁判所決定したときに、防衛庁として何かの意思を発表しましたか。この内容については違うということを発表しましたか。意思表示されましたか。
  26. 島田豊

    島田(豊)政府委員 お尋ねの、防衛庁は、この決定に対しまして、裁判所に対して何らかの意思表示をしたかということについては、おそらくしてないと思います。そこで、確かに、御指摘のように、防衛庁及び新島役場本件事故発生に対する責任は重大だと言うことができるという一つの決定がございます。そこで、いまの防衛庁責任というものがはたしてどういうことであるかということについて防衛局長が見解を御説明申し上げたわけでありまして、この責任の具体的な内容については、裁判所自体も具体的な説明はいたしておりませんので、この辺の責任の、どういう責任があるかということについては、防衛庁としても、今後いろいろ検討いたしてみる必要があろうかと思います。
  27. 江崎真澄

    江崎国務大臣 ちょっと補足しますと、これは、たき火砲弾を入れるという無暴なことをするという、その少年たち責任というものはやっぱりあると思いますね。しかし、鈴切さんのおっしゃる意味は、その前の問題ですね。そういう点については、これはやはり十分検討をしてまいりたいと思います。このことは具体的な事例ですが、事実、東京都内にもまだ住宅地砲弾がずいぶん埋没されておる。これをどうするか、経費がないから自衛隊に委嘱もできないという問題になっております。これは、地方自治体というものが非常に財政貧困な折から、もの入りの多い折から、こういうものを一体どうしたらいいのかということは、私、赴任しましてから、事実いろいろ協議をしておるのです。ですから、もうちょっと時間をいただきたいと思います。
  28. 鈴切康雄

    鈴切分科員 それは、少年が犯した、たき火に投入した問題については、刑事事件として、家庭裁判所においてはっきり結論が出ているわけですから、それと別に、こういうことになったということは、もう少し維持管理がはっきりしておったならばこういう問題は起こらなかったということを私は申し上げたいわけです。  そこで、時間があまりありませんので、今度は運輸省のほうにお伺いをいたしたいと思いますが、事故の発生いたしました新島前浜海岸は、私、たしか港湾区域であろうかというふうに理解をしておりますが、その点についてお伺いをいたします。
  29. 栗栖義明

    栗栖政府委員 先生指摘のように、新島海岸港湾区域の中の隣接地域に該当するというふうに考えております。
  30. 鈴切康雄

    鈴切分科員 港湾区域の中に、要するに隣接区域港湾保全区域というのがあろうかと思いますが、これはどちらにも含まれる。そのように私は理解をしておりますが、その点についてお伺いします。
  31. 栗栖義明

    栗栖政府委員 港湾隣接区域につきましては、港湾区域そのものは水域でございますので、その隣接した陸域を指定しておるのが隣接区域。それから保全区域と申しますのは、海岸保全区域でございまして、海岸法に従って設定するわけでございますが、新島港の場合につきましては、たまたま両者の区域が一致しておるということでございます。
  32. 鈴切康雄

    鈴切分科員 そうですね。右の港湾区域ですが、先ほどおっしゃいましたところの、要するに隣接区域保全区域ですが、これは公物ですか。いわゆる公のものであるかどうか。その点についてお伺いします。
  33. 栗栖義明

    栗栖政府委員 公物でございます。
  34. 鈴切康雄

    鈴切分科員 公物だといたしますと、行政庁所管はどこになりましょうか。
  35. 栗栖義明

    栗栖政府委員 港湾管理者東京都知事でございます。ただ、海岸法の規定によりますと、海岸施設国有財産になっております。これを海岸管理者——この場合は港湾管理者でございますが、港湾管理者に委任しているということでございます。
  36. 鈴切康雄

    鈴切分科員 そこで、核心に触れるわけでありますけれども右港湾管理いたしておりますところの行政庁は、危険物の漂流した地区を安全に管理をする義務がないかあるかの問題でございます。私は、義務が当然あろうかと思いますが、その点についてお伺いします。
  37. 栗栖義明

    栗栖政府委員 その点、私のほうも、そういう具体的な事例先生指摘のとおりでございますが、本来、御承知のように、港湾と申しますと、船を入れる場所でございまして、出入する船なり、中に入っておる船舶の航行なり、あるいは入っておる船の安全ということを中心にいろいろと考えておるものでございます。したがいまして、漂流した危険物処理につきましては、地方自治法にいいます地方公共団体なりあるいは警察なりという方面との関連につきまして、はっきりいたしませんけれども、私のほうは、公物管理と申しましても、むしろそういう限定された管理じゃないかというふうに考えて従来はやってまいっておる次第でございます。
  38. 鈴切康雄

    鈴切分科員 港湾局長考え方は、根本的にきょうの御答弁向きのことであって、本来あなたはそういうつもりは毛頭ないと私は思います。  それでは、一つ申し上げますけれども港湾意味の中に、要するに営造物としての港湾意味というのがございます。それはどういうふうに解釈をされておるのでしょうか。その点についてお伺いします。
  39. 栗栖義明

    栗栖政府委員 営造物としての港湾と申しますと、二つあろうかと思います。一つは、港湾区域というものの考え方、もう一つは、港湾法の二条に規定がございますように、港湾施設というものがございまして、直接の営造物管理といった場合は、むしろ港湾施設の管理中心になろうかというふうに考えております。
  40. 鈴切康雄

    鈴切分科員 そこで、わざと実はこの問題についてあなたはのがれられたと思いますが、あなたもおっしゃるとおり、港湾というのは、港湾法に従って港湾管理者管理をするわけであります。地方公共団体、これはもうそのとおりであります。そこで、港湾というのは、あなたがおっしゃるとおり港湾区域、次は港湾施設の物的施設。この管理もそうです。もう一つお忘れになっておると思うので、私申し上げますが、これを運営する人的手段というものがあります。これが要するに統一体になって、初めて営造物としての港湾ということになるのです。その点について間違いございませんか。これは通説ですから。
  41. 栗栖義明

    栗栖政府委員 御指摘のように、港湾の機能を全うするという場合に、港湾の運営ということがありますが、港湾の運営と申しますのは、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、船の離着岸のサービスあるいは港湾の荷役、そういうものを中心港湾の運営ということを考えておる次第でございます。
  42. 鈴切康雄

    鈴切分科員 それからもう一つお聞きしておかなければならないのですけれども、やはり認識をはっきりしていただかないとこの問題の核心になりませんので……。港湾管理の概念というのがございますが、これはどういう問題が含まれておりましょうか。
  43. 栗栖義明

    栗栖政府委員 港湾管理ということばはいろいろと使っておるわけでございますけれども、一言に正直に申しまして、はなはだ明確でない点もございます。港湾管理権といった場合に、施設の管理をいう場合もございますし、それから、これは港湾法じゃございませんけれども港湾区域内における営造物の許認可というふうなものにつきましても港湾管理ということを使っておる次第でございます。
  44. 鈴切康雄

    鈴切分科員 港湾局長港湾管理の概念をもう少し知っていただかないと、こういうものはなかなか核心に来ないと思います。これは学説でございますから、通説でございますから、当然、私はいろいろ調べてまいりました。一つは、港湾を利用者に利用させるということが一つでございます。二番目は、物としての港湾を良好な状態に維持をすることである。これが二つです。それから三番目は、港湾の利用に関する秩序を確保することであります。四番目は、港湾の利用を増進することである。こういうふうに明快に港湾管理の概念ということで出ておるわけでありますが、これに対して御異議がありましょうか。
  45. 栗栖義明

    栗栖政府委員 私ども普通使うことばの意味は、広い意味で表現をする場合は先生指摘のとおりだと思います。
  46. 鈴切康雄

    鈴切分科員 そうなりますと、港湾管理の概念からまいりますと、物としての港湾を良好な状態に維持をするということがあります。また、港湾の利用に関する秩序を確保するということもいわれております。そうなると、先ほどの右港湾管理する行政庁は、危険物の漂着した地区を安全に管理をする義務がある。私はそのように思うわけでありますけれども、もう一度明確にお答え願いたいのであります。
  47. 栗栖義明

    栗栖政府委員 これはお答えになるかどうかわかりませんけれども港湾といった場合に、一般に水域を申すわけでございますが、水域は、先ほど先生指摘がございましたように、普通、利用といえば船舶の航行でございます。港の中の水深でございますが、これは利用者がよく知っておりますので、これの利用に支障ないように海底の状態、水深その他の維持をする。これが沈船、沈没なんかあった場合は、それをとらないと船が通れなくなるということがございます。次に、陸域に入りますと、隣接区域というものがございます。これは海岸法にいいます海岸保全区域と大体同じ区域で、似たような性格を持っておるのでございますけれども、むしろ、背後地の人命財産、そういうものを守る。そういうふうな意味営造物をさしておるものというふうに考えております。
  48. 鈴切康雄

    鈴切分科員 要するに港湾区域ですね。水域におけるところのそれの管理というもの。当時相当数弾丸が漂流したのは、前浜海岸二キロの沖合いであったといいながらも、少なくとも、ほとんどのたま前浜海岸に打ち上げられておるということになれば、これは当然、港湾区域におけるところの管理というものは十分でなかったという事実は言えるわけです。それからなお言うならば、港湾保全区域、あるいはあなたの言われる港湾隣接区域というものは、特別に保全をさせるために広い場所を指定してやっているのでは決してないのです。そこは管理を十分にするためにやっておる場所であります。とすると、その管理というものが十分でなかったためにこういう問題が起きたということは、これはあなたがどういうふうに言われようとも、管理者の責任というものはのがれることはできない。そのように私は思うのですが、もう一度お伺いします。
  49. 栗栖義明

    栗栖政府委員 管理保全という点につきましての先生の御指摘は、まさにそのとおりだと思います。ただ、その管理するしかた、あるいはそのあと処理の問題そういう点につきましては、港湾管理という面だけでなくて、いろいろな面からの危険物に対する保安という問題があろうかと存じますが、そういう点はまだ十分詰めてございません。
  50. 鈴切康雄

    鈴切分科員 また防衛庁のほうに少しいくわけでありますけれども、実は、これは爆発事故の前だと私は記憶をしておるのでありますが、こういうふうな弾丸等の回収されたものはどのような状態処分をされておったかということについてお伺いをいたします。
  51. 久保卓也

    久保政府委員 通常の場合は、自衛隊で集めましたものは海中投棄をする。その際に、信管などのついているものは、当然信管を除いて、沖合いはるかのところで投棄するというふうにしております。
  52. 鈴切康雄

    鈴切分科員 私は通常の場合を申し上げたのではございません。いわゆる、今度の新島の問題について、何回か回収されました。その回収された砲弾はどのように処分をされたか。あるいは、この爆発事故の前にやはりいろいろの回収をされたものがございますが、そのときにはどのような方法で処分をされたかということをお伺いしておるのであります。
  53. 久保卓也

    久保政府委員 この事故あと、毎年数回にわたってこの処理をしているのは先生いま御指摘のとおりでありますが、その前にも、三十八年あるいは四十一年に弾薬処理をやっております。この場合には、主として回収しました弾薬について、大島東方約十マイル、水深約千八百メートルの海域に投棄しておるというふうに聞いております。
  54. 鈴切康雄

    鈴切分科員 私の記憶でございますけれども、この爆発をする前にもたまがずいぶん流れ着きまして、それが住民の手によって拾われて、警察のほうに保管をいたしました。たまたま防衛庁でございますが、東部方面総監部のヘリコプターがミサイルの試射場の用事で行って、その帰りがけにいわゆるたまを運んでいったという事実を私は知っておるわけでありますけれども、そういうことについて御承知であるかどうか、お伺いします。
  55. 久保卓也

    久保政府委員 承知いたしておりません。
  56. 鈴切康雄

    鈴切分科員 承知していなければ、さっそく航空日誌を調査いたしなさい。
  57. 久保卓也

    久保政府委員 調査いたします。
  58. 鈴切康雄

    鈴切分科員 警察庁のほうに伺いますが、この砲弾でございますけれども新島というところはへんぴなところで、その砲弾管理というものは、実際になかなか十分にできないということも一応わかるわけでありますが、しかし、これは非常に危険なものであります。言うならば、信管もしっかりしておって、たき火なんか等にくべれば、当然、爆発して人を殺傷させるだけの力を持っているものでございます。それに対して、たとえば住民等が警察に届けられた場合、警察においてはどのような管理をされておりますか。
  59. 関沢正夫

    関沢説明員 警察自身が発見し、あるいは届け出によりまして発見した砲弾類、これは自衛隊に一発ごとにお願いするというわけにまいりませんので、どうしてもその間一時的な保管というものをやらざるを得ません。そういう関係で、本来、基本的には、火薬庫に委託して保管をお願いするなり、あるいは、実包類などは、警察が保有する拳銃のたまの保管庫、こういうところに保管するのが原則でございます。ただ、やむを得ない場合には——新島の場合には、現在三十発ばかり、率直に申しまして保管しております。それはじょうぶな金庫に入れまして、警察署の裏庭のある場所に現在保管しております。
  60. 鈴切康雄

    鈴切分科員 警察のほうはよく事実をお知りにならないのであります。私が調査をしたところでは、要するに、新島警察におきましては、死体安置場所にこの砲弾を置いているわけです。これは適切な処置であるかどうか、お伺いいたします。
  61. 関沢正夫

    関沢説明員 ある場所と申しましたのは、いま御指摘になりましたような死体安置所です。これは地下にございまして——砲弾類は、たたいて衝撃を与えたり、あるいは熱を加えるという場合はもちろんたいへん危険でございますが、それ自体、そのままの状態において保管する限りにおいては、ある程度の安全性というものは保障されているわけでございます。率直に申しまして、東京の安全な場所に運ぶということもあれでございますけれども、やはり現在やむを得ず——必ずしもこれは適切とは思いませんが、やむを得ない処置だと思っております。
  62. 鈴切康雄

    鈴切分科員 そういうふうな管理のずさんさというものが、しょせんは事故を招く重大な原因につながるわけです。少なくとも、死体安置場所にこういうふうなものを——私、写真をとっておりますので、これお見せしますが、こういうものが死体安置場所管理をされているということ。もしも、こういうたまが拾われた場合において、今後も死体安置場所にやってもよろしいというようにあなたは判断をされておるのか。また、たとえば、ここでなくてもそういうふうな問題が起きた場合に、そういう安易な管理をしてもかまわないという考え方でおられるのか。私は、これは適切ではないと思う。少なくとも、警察においては、いろいろな犯罪者の取り締まりとか、あるいは皆さん方の生命の安全をも守らなければならないという立場にあろうかと思うのでありますが、そういう観点から考えると、こういうものを死体安置場所に置くなんということは決して許さるべき問題でないと思うのですが、その点についてもう一度お伺いします。
  63. 関沢正夫

    関沢説明員 御指摘のように、確かに、必ずしも適切な処置だとは思っておりません。ただ、まことに言いわけになりますが、警察自体が火薬庫を現在保有しておりませんし、業者の火薬庫に委託するとか、そういう便宜の方法をとる以外ありません。御指摘のような方向で前向きに対処していきたいと思います。
  64. 鈴切康雄

    鈴切分科員 警察法第二条にはどういうことが規定されておりましょうか。
  65. 関沢正夫

    関沢説明員 個人の生命、身体、財産の保護並びに犯罪の捜査、鎮圧、交通の取り締まり、こういった公共の治安の維持に任ずる。こういう規定であろうかと思っております。
  66. 鈴切康雄

    鈴切分科員 こういう事故が起きたということは、少なくとも、警察も、全然われ関せず、責任がないというふうにお考えになるべき筋合いじゃないと私は思う。警察法第二条は、先ほどあなたがおっしゃったとおりに、きちっときめられておる問題でありますけれども、こういう事故があったということについて、警察としては、やはりもう少し適切な処置をすればよかったというようにお思いになっておるかどうか。その点についてお伺いいたします。
  67. 関沢正夫

    関沢説明員 一つは基本的な問題でございますが、警察法第二条に書いてあることでございますが、およそ危険に関する行政一切警察責任である、こういうふうには率直に申し上げて考えておりません。ですから、こういう砲弾類を、一般的に全国的にその所在を確認し、並びにこれを集めて処理する、こういう一連の行政事務そのものが直ちに警察の責務であるかどうか、これは多分に問題があると思いますが、ただ、何ぶんにも、危険が具体的な形で具体的になったような段階におきましては、これは警察は放置するわけにまいりませんので、そういう意味で、従来におきましても、この事故の前におきましても、何回か警察が届け出を受けた事実がございますが、そのつど、住民に対する安全についてのPRとか、ないしは周辺の、抜本的ではございませんが、一応の捜索をするなり、そういうことは実施してまいっております。そういう意味では、警察がこの問題に無関係であるとは決して思っておりません。
  68. 鈴切康雄

    鈴切分科員 最後の結論に入りたいと思いますが、防衛庁長官も政治家であります。言うならば、このようにしてなくなられた方、そしてまた、たいへんに重傷を負われた方、これがいまだに家庭的にも非常に暗い影を落としているということは非常に重要な問題ではないかと私は思うので、そういうふうな方々を救っていってあげることが政治の大きな役割りではないか。私はそのように思っておりますが、そこで、四人の少年たき火をやったということが確かに直接の原因であったにしても、その因果関係というものは、実は、掘り下げれば下げるほど、いろいろの問題を含んでいようかと思うのであります。先ほどからいろいろ論議をなされております防衛庁関係、そして公安の関係警察関係等も総合した意味において、これは全然国の手落ちではなかったといって知らぬ顔をしていられる問題ではない。私は、少なくともそのように明らかに思うわけでありますが、防衛庁長官も、政治家として、やはりそういうお立場に立った考え方から、この問題についてどのように取り組んでいかれるか。最後にお伺いしたいのであります。
  69. 江崎真澄

    江崎国務大臣 お話しの趣旨はよくわかりますが、にわかにこれを補償の対象にするかとか、そういうことになりますと、いろいろこれはやはり問題があろうかと思います。これについては、ひとつよく検討をしたいと思います。  それから、砲弾処理をほんとうにどうするかということですね。これは、水中深く沈めれば問題がない。それからまた、地中深くささり込んでおるものも、そのままならば問題はないというわけですが、何となく、砲弾と雑居をしておる住民感情からいえば問題でしょうし、また、こういう海中に投下されたものが、潮流の関係で岸辺にしばしば打ち上げられるというような環境に住んでおる人の不安ということを考えますと、やはり、こういう問題は本質的に処理しなければならぬ問題だと思います。これをどこでどういうふうにするのか。もちろん、防衛庁自衛隊任務にもあるわけですが、その経費もかかりましょうし、相当危険を伴うことでもありますが、そういった問題もひっくるめまして、これは、さっきも申し上げましたように、ひとつ早急に結論を得るようにしてまいりたいと思います。
  70. 鈴切康雄

    鈴切分科員 掃海したあと、こういうようにいまだにたまが出てくるわけであります。先ほど、私が、どれだけのたま投棄をされたか、また、回収されたたまはどれくらいあるかということをお聞きしたのは、そのことであります。まだかなりのたまがあるのではないか。私はそのように判断をするわけでありますので、本年度もやはり掃海作業をやられたほうがいいのではないか。そのように私は思うのですが、その点について、防衛庁のほうの御見解をお聞きいたします。
  71. 久保卓也

    久保政府委員 一般的には、掃海作業というのは全国的に行なっておりましたが、いま問題になっております海域についての具体的なデータを、私いま存じておりませんので、これは関係部局と相談をいたしまして、必要があればそういう処置をとりたいと思います。
  72. 鈴切康雄

    鈴切分科員 けっこうです。
  73. 野田卯一

    野田主査 大出君。
  74. 大出俊

    大出分科員 数々ございますが、何かひとつ御質問をしたいと思いまして一そこで、さっき内閣委員会で、長官の御発言の中に、新しい自衛隊の性格が沖繩の皆さんに理解されず、まことに残念だというお話があったのですが、実は、新しい自衛隊の性格とおっしゃるのですけれども、どうもなかなかそう言えない中身が自衛隊の教育方針その他の中に見られるわけでありまして、ここを実はきょうは三十分承りたいのであります。  実は、私、最近、気がついて、「日本の防衛」というのを読み直してみたんです。ところが、この中に、日清、日露の戦争に勝ちまして、日本というのは列強の仲間入りをした、第一次大戦で戦勝国に加わって、たいへんりっぱになったということが書いてありました。ところが、満州、日華事変のころになると、「軍の力が著しく強大となり、ついに昭和十六年十二月第二次世界大戦に突入した。」と書いてあるんですね。これは、私は、「国防」などという雑誌に文章を頼まれまして書いたときにも触れたんですけれども、この国防白書なるものの中には、大東亜戦争に対する評価というものは何も書いてないですね。日清、日露戦争というのはほめている。富国強兵から始まって、たいへんりっぱになったというわけですね。ところが、大東亜戦争に関しては、いま私が読み上げたように、軍の力が著しく強大となり、ついに大東亜戦争に突入した、そうして敗戦でたいへんなみじめなものになったというふうに書いてあるだけですね。  そこで、私はまず第一にお聞きしますが、長官が新しい自衛隊の性格とおっしゃる限りは、この大東亜戦争の性格——平和憲法というものは、この反省の上に成り立ったわけでありますから、そうすると、この大東亜戦争の性格、評価というものをどうお考えになっているかということ。これが実は、新しい自衛隊とおっしゃる出発だと思うのでありますが、ここをまずどういうふうにお考えでございますか。
  75. 江崎真澄

    江崎国務大臣 一口に言いまして、私は、軍事が政治に優先をした、政治で統帥権というものを押え切れなかった、ここに大きな誤りがあったと思います。したがって、戦後の自衛隊というものは、政治のもとに完全に掌握されていかなければならない。これが先件来国会でもしばしば問題になったところであります。それから自衛隊そのものの性格としては、あくまで自衛に徹する。これはやはり国の大方針として、今後も貫かなければならぬと思っております。従来のように、国際紛争を、武力を第一義的に使うことによって解決する、武力を解決の手段とするということは許されない。やはり、不正の侵略があったときにこれを排除する。あくまで防衛に徹する。ここらあたりに自衛隊の新しい性格というものがあるというふうに思っております。
  76. 大出俊

    大出分科員 もう一つ承りたいのですが、広島の平和公園に原爆慰霊碑がございますね。あの碑があるのですが、何て書いてあるか御存じですか。
  77. 江崎真澄

    江崎国務大臣 あそこへ行ったんですが、いまはちょっとにわかに思い出せません。
  78. 大出俊

    大出分科員 私は、いろいろな人にときたまこういう質問をするんですが、満足にお答えになった方が一人もいないのです。日本人というのは、のどもと過ぎれば熱さを忘れることになっているようでございまして、あそこには、「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と書いてある。「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と書いてあるんですね。つまり、あれは、あの当時、あの平和公園をつくって、原爆慰霊碑をこしらえたんですが、この碑になっていることばが当時の日本人ほとんど全部の共通点だったと私は思うんですね。誤れる第二次大戦というのは、確かに、ポイントの一つは、長官の言うように、軍の力が著しく強大になったことだ。つまり、軍事優先。大百科事典等によれば、軍国主義というのはそういうことなんですけれども、つまり、そうなったというところに一つの大きなポイントがあります。しかし、いずれにせよ、誤れる大戦であった。これだけは間違いないと思うんですね。  そこで承りたいんですが、この認識ですね。つまり、誤れる大戦。前任者でございますけれども、防衛白書でそのことに一言でも触れなかったかということです。ふしぎな気がするんですがね。なぜ一体触れなかったとお思いになりますか。江崎さんではない。中曽根さんの時代でありますが、なぜ何も触れなかったか。原爆のこと一つ触れない。たいへん悲惨な方々が多いわけです。いまでも病院に入っている方がたくさんいるわけですが、ここには一言も触れていないのですね。「軍の力が著しく強大となり、ついに昭和十六年十二月第二次世界大戦に突入した。欧米の文明水準に追いつこうとする願望は、敗戦によって一時は完全に打ち砕かれた」となっている。これしか書いてない。どうしてこういうことになったかという点は、私はいまだにふしぎなんですが、長官は、防衛庁長官に二回目の御就任でありますから、たいへんたんのうでありますので、この辺をどうお考えになりますかな。(江崎国務大臣「さあ、弱ったな」と呼ぶ)時間がありませんから、さあ、弱ったなということじゃ弱るので、私のほうが弱っちゃうんですな。  そこで、承りたいのですが、ここでひとつ長官に——いま時間がありませんから申し上げませんけれども、四十年の四月号の中央公論に長官は文章を書いていますね。これはあとでお読みおき願いたいと思います。時間がありませんので、もしあとの質問で出してくれば触れますが、私はここに持っておりますが、たいへん意味深長なことがここの中にありますね。  そこで、いま、さあ困ったと言うようでは困るのですが、長官は、富士においでになって、富士学校の遊就館にお入りになったことがありますか。
  79. 江崎真澄

    江崎国務大臣 私は、まだ、実は、富士学校に行ったことはありません。実は、前任のときに、富士学校へちょうど行く予定を立てておりますというと、淺沼さんの刺殺事件が起こりまして、にわかにとりやめるということになって、実はまだ一度も行っておりません。
  80. 大出俊

    大出分科員 江崎さんの資料をきょう持ってきておりませんが、前防衛庁長官の時代は、たしか四十三年以前だったんじゃないかと思いますがね。これは、四十三年のたしか二月に、富士学校の中に遊就館ができているわけです。だから、あるいはなかったのかもしれぬと思いますがね。  ところが、この遊就館の話を、私はかつて学者に聞いたことがある。その方は、藤井治夫さんという軍事評論家ですが、その方が富士学校へ行ってきたのです。富士学校へ行って、遊就館を見てきた。そして、私にたいへん驚いたという話をするんですね。それこそ驚嘆をした、こんなことがあっていいんだろうかと思ったというわけですよ。そこで、時間がありませんから、るる申し上げませんが、ある人に行ってもらった。私が行くとなかなかめんどうだと思いましてね。そして、写真などもとってきてもらった。そうしたら、どうもこれは奇怪なことがあるものだと私は思っているのですけれども、いまここにその写真がございますが、長官、まずこれは東條英機さんの写真です。そこで並んでおりますのは、東條さん、松井さんをはじめ、当時の戦犯の方々ですね。これもそうでございます。これは見ておいていただきたいのであります。  ところで、ここにこういうコーナーがある。大東亜戦争に対して、長官は、軍事優先になった、誤まれり、誤まれる戦争だという評価なんですね。ところが、この建物に入る前に、まず説明があるんです。いろいろな人が説明をしておりますが、えらい人が行く、あるいは普通の人が行く、いろいろ違うのでしょうが、ここには生島明さんという、つまり、この学校の広報班長さんなどもおいでになる。一番最初に、入る前に説明しておりますが、その説明したのをそのまま書いてきてもらったというのが、こういうことなんですね。「大東亜戦争コーナー」というのがあるのですが、そこで、大東亜戦争は世間一般には悪い戦争だといわれているが、決して悪くないんだ、起こるべくして起こった戦争なんです、という説明がまず入る前にある。これはそのとおり書いてきてもらった。そこで、生島明さんが説明した中身というのは何と書いてあるかといいますと「戦後の社会科教育で、戦前の日本の歴史を批判的に教え込まれた若手幹部のためにこの富士遊就館が建設をされた。」戦後の社会科教育が、戦前の第二次大戦その他を批判的に教えていると言う。それは長官の言ったことと同じようなことを言っておるのですよ。防衛庁長官の四十年の中央公論にお書きになったのと同じなんです。ところで、この批判的な教育を若手幹部がたたき込まれているのです。それを直さなければいかぬということでつくったんだということになりますと、これは大事件です。穏やかでない。コーナーがこう並んでいます。ちょっとここで申し上げておきますが、前にパンフレットがありましたけれども、なかなかのパンフレットでございますが、ところが、それがなくなった。私が頼んで行ってもらったときにもなくて、これが出ている。これによりますと、まず一般コーナーというのが第一にあって、第二が明治元勲コーナー、第三が日清戦争コーナー、第四が日露戦争コーナー、第五が満州事変コーナー、第六が支那事変コーナー、第七が大東亜戦争コーナー、そうしてそのあとが八で、殉国の誠をしのぶコーナー、東條さんや何かいろいろな方々が一番最後にある。こういうかっこうになっているのですね。額だとか書だとかいうのが並んでいる。こういう形になっているということを長官は聞いたことがございませんか。
  81. 江崎真澄

    江崎国務大臣 私、まだそのことは知らなかったわけですが、殉国の誠をしのぶコーナーという意味なら、これは私はいいと思うのです。しかし、さっきあなたがお読みになったような、大東亜戦争というものは起こるべくして起こったという、そういう牽強付会の説をわざわざそうして解説しなければならぬとは思いません。殉国の誠をしのぶということは崇高なことですし、大事なことだと思いますが、そのことばは、これは不穏当だと思いますね。よく私、調査してみましょう。大体、全面降伏しながら、そういう牽強付会な説をなすことは、私は、これはほんとうに間違いだと思います。徳川家康の遺訓にも、「勝つことのみを知って負けることを知らざれば、その害身に及ぶ」という有名なことばがあるのですよ。やはりこれは武人の、先人のことばとして、よくよく制服たる者は考えなければならぬので、それはどういう意図でそういうことの表現になっておりますか、よく調べたいと思います。
  82. 大出俊

    大出分科員 私は何も、東條さん個人だとか、松井さん個人を云々しているのじゃない。先般の軍人恩給も、戦犯と称される方々の恩給が停止になっておりましたが、それを復活することについて私は反対をしていない。それはそれでいい。だが、しかし、これは長官も御存じのとおりに、当時の大東亜戦争の歴史を振り返ってみますと、戦後たくさん書かれておりますが、海軍がしきりに反対をする中で、陸軍が強引に押し切っているわけですね。開戦というのは。これは歴史的事実です。そこにやはり戦争責任というものが明らかになっているわけですね。私は、やはり、その東條さん以下の方々を全部並べて——さっきあなたのおっしゃった当時は、大政翼賛会に変えられたのですね。東條さんの権力によって。そうでしょう。そうしてまさに軍国主義へまっこうから進んでいったわけでしょう。そうすると、そのことは、私は正しくとらえなければならぬと思うのです。それを単に殉国の誠を偲ぶということで美化されたんじゃ、これは、戦後の日本の民主主義は成り立たないのです。平和憲法の存在というものは意味がなくなっちゃう。私はそう思う。そこに書いてあることは、みんなまさに旧軍調なんですな。  もうちょっと言わせていただきますが、この入り口に何て書いてあるかというと「この室に入る。幾たびかあった祖国の危急に思いをはせるとき、いずこからともなく、英霊のおたけびの声が聞こえる。」というところから始まるのですね。これは「きけわだつみこゑ」というのがあるんですよ。学徒出陣でたくさん死んで、その親御さんがまだ健在でたくさん世の中に生きている。犠牲という認識でものを書いているんですね。これはまさに「おたけびの声」になってしまうと、これは明らかに全く旧軍隊調ですよ。これでは、一体自衛隊というのは何を教えているんだということになる。  ここで私は内局のほうに聞きたいのですけれども、富士学校というのはどういう方々がおいでになって卒業なさるのですか。
  83. 高瀬忠雄

    ○高瀬政府委員 富士学校は、各職種それぞれの部門につきまして、一応それぞれの部隊で部隊経験のある者を集めまして、練成教育をするということをたてまえにいたしております陸上自衛隊の学校であります。
  84. 大出俊

    大出分科員 これは、いわゆる防大はじめ幹部学校を出た方々、つまり、自衛隊の幹部自衛官がほとんど富士学校に一度は行っているでしょう。そうなっていますよ、中身は。はっきりそこのところを答えてください。
  85. 高瀬忠雄

    ○高瀬政府委員 先ほど申しましたように、各職種ごとにおきまして、大部分の幹部自衛官がそこに入りまして、そして実地に勉強する。こういうようなことをやっております。
  86. 大出俊

    大出分科員 だから、いまの自衛隊の幹部の方々は、ほとんど全部といっていいぐらい富士学校においでになっている。遊就館には二重のかぎがかかっているのですよ。ここをあけて、さっき私が申し上げた説明から始まって説明される。しかも、遊就館をつくった目的が、九段の靖国神社の遊就館と同じ名前を、了解を得てつけたそうですけれども、戦後の社会科教育で、戦前の日本の歴史を批判的に教え込まれた若手幹部の考え方を変える。そういうことで、みんなここの幹部学校に入って教えられて出てくる。書いてあるのを読んでみると、全部昔のことば。当用漢字しか知らない戦後の若手諸君は、説明を聞かなければわかりませんよ。そこで英霊の雄たけびなんかが聞こえてきてしまってはおさまりがつかない。しかも、そのあとだって、「英霊のおたけびの声が聞こえる」というところから、「一葉のはがきに託した救国の至情」なんて、どうもなかなかむずかしいのです。「一振りの太刀に込めた赤心」なんというぐあいに並んでいくわけです。私も当時の予備士官学校の出身ですが、こういうふうに教えられた。全く同じことをやっている。しかも、内局はチェックしていない。行った人に確かめてもらった。そこら、大臣どう思いますか。
  87. 江崎真澄

    江崎国務大臣 私自身も知らなくてまことに恐縮なことなんですが、要するに大東亜戦争の実態をきわめるということも、新しい自衛隊の性格として、私は大事なことだと思うのです。特に、日本の国是が、平和外交、善隣友好外交を展開していくという前提に立ち、二度とあの大東亜戦争当時、いわゆる太平洋戦争当時のあやまちを犯さないというところから出発しておるわけですから、これはやはり率直にあるべき姿を踏まえ、正しく認識すること自体が新しい自衛隊としては必要だと思います。もし、そういう不適当なことばがあれば、調査いたしまして、今後改めるようにしていきたいと思います。
  88. 大出俊

    大出分科員 何か第三者みたいなことを長官が言われては困る。長官が四十年の四月にお書きになった中央公論の論文というのは、国民が考えていること、これがつまり自衛隊自身の考えでなければならぬと書いてある。これはもっともな言い分だと私は思う。かけ離れてはいけないと言っている。長官は、国民の意向や考え方、これに反しては、自衛隊はいかなることも絶対にやってはいけないと書いてある。これは、この館の設立の趣旨の説明を聞いた中にわざわざ述べているのですよ。内局のチェックその他一切ないんだと、ここに書いてある。教育材料の一環として独自に設立したんだ、防衛庁内局にチェックされたことはない、こういう教育の基本でしょう。あなたは、けさの隣の内閣委員会で冒頭にお答えになった。新しい自衛隊の性格を理解してもらえないということはまことに残念だとあなたはおっしゃっている。そうすると、新しい自衛隊の性格というのは一体何だ。教育材料なら教育材料でわかる。わかるけれども、書いてあることは、戦後の社会科教育は誤った教育をたたき込まれているから、それを直すためにつくったんだ式のものの考え方をされたんじゃ、文部省の教育方針が間違っていることになる。そうでしょう。陸軍だ、海軍だ、空軍だというものは敗戦の反省の上に立ってなくなったんですと、文部省は通達を出しているでしょう。文部省自身が、大東亜戦争というものはたいへんよくなかったということを書いているでしょう。それによって教科書ができているのですよ。それがここに行くと、戦前に返ってしまう。そのことを長官は全く知らないでいて、いま私が指摘したら、不穏当なことばがあれば直しましょうと言うが、それだけじゃ困る。これはやはり、あなたのおっしゃる新しい自衛隊の性格という基本のことに触れている。そういう姿勢でやられたんじゃ、国民一般の意向に反することになりますよ。あなた御自身でお書きになっている。これは私は許しがたいと思うのですよ。ここにちゃんと説明がありますが、これは富士学校ですよ。パンフレットがございます。りっぱなものがございます。いまの自衛隊の幹部自衛官とおっしゃる方は、これを読む限り、全部ここへ行っている。一人残らず。つまり、この思想を、戦後の社会科教育の教え方に対して批判的に教えている。それをたたき直されたんじゃ、戦後の日本の民主主義教育はどうなるのですか。これは根本的な問題です。だから、僕らが見る見方からするといろいろなことが——期せずして二十六万にもなったわけですから、制服の方々は至るところに出てくる。とてもじゃないが、この状態ではシビリアンコントロールはできません。そういう徹底した角度でおとらえをいただかぬと困る。ここまで私がものを言えば、長官が行ってみれば、まさか、大東亜戦争は起こるべくして起こった、世上は悪いと言っておるが悪くないとは言わないと思いますね。長官、ここのところは、このポイントをおはずしになってお考えになってはたいへんなことになる。国民の意に沿わない。こう思います。
  89. 江崎真澄

    江崎国務大臣 私は、おっしゃっている意味はよくわかっているつもりです。それからまた、その引き合いに出されるもの、実は私は読み返してみまして、責任を持ちます。私、そう間違ったことを書いてないように思うのです。  それから、自衛官というものは、おのずから自衛官の心がまえ、これがありますね。したがって、その線に沿って自衛官というものを育成いたしていく。これは当然なことだと思うのです。何も大東亜戦争をいまさら美化する必要はない。私はさっき家康の遺訓を引き合いに出しましたが、むしろ負けることを知るべきです。戦争など二度とやっちゃならぬ、こういう御指摘の点はよくわかります。これはさっそく調査しまして、修正させたいと思います。
  90. 大出俊

    大出分科員 中身がいろいろありますが、時間も実はありませんから、要点だけいま私拾って申し上げておるのです。これをごらんになればわかりますが、カッコしまして、入り口にある文句まで全部載っていますよ。これは富士遊就館ということでこういうのを出している。その前にパンフレットがあったのですが、私が頼んで行ってもらったときにはなかった、こういうわけであります。ですから、ひとつ一ぺんそのさきのパンフレットまでお読みいただいて、御検討願いたいです。いまの点は、長官がそういうふうにお答えですから、そういうことでお進めいただきたいと思います。  そこで、もう一点。例の沖繩現地から再三再四にわたって言ってくるものですから、それだけ心配ならばということで一つ取り上げるのですが、新聞に出ておりました例の陸上自衛隊の向こうへ行っているいわゆるホットラインですね。この問題について、どうして陸上だけは残されるのですか。
  91. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは、私は予算委員会でも申し上げたと思いますが、準備要員自体は、四次防のいわゆる大綱で、沖繩に自衛隊を配備することについてのあの項目、いわゆる二項七号ですか、これでカバーされるというふうに考えておるわけでございます。したがって、ごく少数の準備要員が向こうに行って準備行動をする。そのために本土との連絡用に電話を持つということは、これはどうでしょう。お認め願うわけにはいかぬでしょうか。航空自衛隊の場合には、あのときいろいろ疑義を生じましたために、準備要員もその他の打ち合わせがありましてこちらに全員を呼び返しました。陸上についても一部呼び返しておりますが、これはいわゆる長期出張の形をとっているものですから、行ったり来たりということになるわけです。したがって、あくまで準備用の電話線、こういう意味でありますので、この点はひとつ御了解願いたいと思います。
  92. 大出俊

    大出分科員 この準備がまことにけしからぬ準備なんですな。ろくなことはせぬのですよ、全く。これはあとで私の委員会でじっくり一つ一つ場所と例をあげて申し上げますが、この準備をやっているのが一々けしからぬ作業をやっている。これはこうなっているのです。私は電電公社の出身だから、逓信省の出身だからよく知っているのだが、けじめをつけるとすれば、これは幾らもかかりはしないのですよ。これは月額専用料を計算してみたら百四十五万ですよ。そして大体三時間くらい一日に沖繩へ通話いたしますと、この専用料は、百四十五万円くらいの通話料を払うことになる。月額大体三百万円以内くらいです。しかし、いまそんな金を払って、何もわずかの準備要員の方々と連絡をとる必要はない。そのたびにいろいろな問題が起こるのだから。また何でこれをやらしておくのだといって、次から次から地元が言ってくるのだから。契約というのは月間なんだから、だから、三月末なら末で切っても、どうせ航空なんかみなやめたんだから、あなた方はこれは幾らだって技術的にできる。そうまで何も現地を刺激する必要はないと私は思っているのですよ。ほかがやめたんなら、これだってやめたって少しもおかしくないと私は思う。一ぺん御検討ください。いかがですか。理屈は言いませんが。
  93. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これはあくまで準備行動をしておるわけですが、しかし、御指摘の点もありますから、よく検討いたします。
  94. 大出俊

    大出分科員 これで終わりますが、もう一点だけ。時間が二、三分ありますから、これの御回答だけいただきたいのですが、在日米陸軍調達部本務所、JPAと書いてありますね。この再移転について、座間その他に行っている前の調達庁ですか、これが横浜の神奈川区の日本製粉のすぐ前のところにある建物に帰ってくる。何か、人員は七十名くらいだそうですね。中身、これだけありますけれども、ここにCORですか、ここから入ってきている中身もいろいろございます。ございますが、横浜というのは長らく基地に蟠踞されまして、都市開発はさっぱり進まない。いまでも被害続出なんですね。そういうところに一ぺん出ていったものがまた入ってくるなんということになると、市民感情として、やはりこれはおさまらぬと私は思うのです。これは一体、どういうことで入ってきて、またあそこに本部をつくろうとおっしゃるのか。承っておきたいのです。
  95. 薄田浩

    ○薄田政府委員 御指摘のものは座間におったわけでございますが、それが労務のほうの情報として、ノースドックの建物に入るということを先日聞きましたので、どういうことでそういう移転をするのかということを現在聞かしております。きょう現在まだ回答を得ておりませんけれども、労務の情報として、約七十名ぐらいがあちらに行くそうだということであります。
  96. 大出俊

    大出分科員 これは、ノースピアがああいうことになって、いまだに満足に使えないのですね。いま、横浜というのは非常に船の出入りも激しいものですから、しかも、港の背後地が非常に混雑して、苦労し抜いているわけですね。寸尺の土地もいまほしいのです。そういうところにまた帰ってきたのでは、ますますノースピアというものは将来ともに使えない。単なる調達庁の移転じゃない。ノースピア自身が使えない。将来ともにこれは帰らない。固定化されてしまう。こういう心配がたくさん地元にはいまわいているわけですよ。工場群のたくさんあるところで、人はそれほど多くは住んでおりませんが、にもかかわらず、そこから大きな反対がいま出てきている。私のところなんか、いまいろいろな陳情がたくさん来ている。この点は早急に、米軍に、いまさら何だ、そんなことできるかと言っていただきたいのですが、いかがでございましょう。
  97. 島田豊

    島田(豊)政府委員 私も申しわけないのですが、詳しいことを承知しておりませんでしたが、現在、陸海空を通じまして、全般的に基地が縮小の傾向でございますので、私どももその方向で努力をしたいと思っておるわけであります。  そこで、こういう特異なケースがありますと、確かに地元の方々にもいろいろ不安を与えるということもありましょうから、この問題につきましても、さっそくひとつ交渉いたしまして、不安を与えることのないようにいたしたいと思います。  それからノースドックの問題も、できるだけ早く解決をいたしたいというふうに考えております。
  98. 大出俊

    大出分科員 きのう楢崎委員から質問いたしました福岡県春日町の、例の、あそこは四師団ですね。あの郵便を配達する人に鉄砲を向けた。向いたか向けたかわかりませんが、私きのう念のために電話を入れてみましたら、ちゃんとかまえたというのです。そういうことでした。私も楢崎君と一緒に調査に参りますけれども自衛隊の皆さんに対する教育の基本というのも、この辺で、江崎さんのところで——中央公論にはたいへんりっぱにお書きになっております。書いておられることは、私も全く同感です。ただ、世界で七番目の軍隊といわれるようになった、そんな現実を認めなければいかぬなんて書いているのは気に入りませんがね。しかし、長官は、おっしゃったことをやらないのですね。ここに書いてあることは非常にいいことなんですが、長官になったとたんに逆のことをやっておる。予算の先取りだ何だと。だから、そこら辺、これはあと責任をお持ちになるそうですから、知らないところでやったんじゃ寝首をかくことになりますから、詳しくまた別の機会にやりますので、ひとつお含みおきいただきたいと思います。念を押して、やめます。
  99. 野田卯一

    野田主査 この際、午後一時まで休憩いたします。    午前十一時五十八分休憩      ————◇—————    午後一時一分開議
  100. 森下元晴

    ○森下(元)主査代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  野田主査は都合により午後おくれますので、指名により私が主査の職務を行ないます。  質疑を続けます。小川新一郎君。
  101. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 去る昭和四十五年十月の「日本の防衛」と題する、いわゆる防衛白書を政府は発表しておりますが、これは中曽根防衛庁長官時代のものであります。内容についてはいろいろ批判がありましたけれども、国民の前にわが国の防衛についての一つの資料を提供したという意味においては評価もあります。  そこで、国際情勢も大きく変化し、また、第四次防衛予算の先取り問題やシビリアンコントロール問題、立川移駐等々、国民の不信は最近高まっております。そのような政府の施策が相次いでいるなかで、この際、江崎長官の時代においても、新しい時代感覚を盛り込んだ防衛白書を提出すべきではないかと私思っておりますが、この点について、大臣の御意見を承りたい。
  102. 江崎真澄

    江崎国務大臣 防衛の方針について国民に明らかに知ってもらうということは、お話しのように、私、必要なことだと思っております。ただ、いつ出すかということについては、具体的に現在はきめておりません。しかし、今後とも、特に、アジアの緊張は緩和されたということが言われておりますときに、これがどういう形で、平和的な姿で定着するか、これは時間もかかりましょう。しかし、そういう問題なども含めながら、日本の国防はどうあるべきか、また、その限界はどうあるべきか、いろいろ投げかけられておる問題は多うございまするので、今後とも機会を得てそういうものを出すことは必要なことだ。かように思います。
  103. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 そうすると、江崎防衛庁長官の代に出すと私理解してもいいですか。
  104. 江崎真澄

    江崎国務大臣 どういうことになりますか。私は就任以来全く国会に終始いたしております。もちろん防衛庁のスタッフが起案するわけですが、私の代にはたして間に合うかどうか。これはちょっとまだ断言の限りでないように思います。
  105. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 出すことについては。
  106. 江崎真澄

    江崎国務大臣 異議ありません。
  107. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 ただいま、長官は、新しい防衛白書を出すことには異議はない、ただ、あなたの時代に出すか出さないかということについては、多少時間をくれ、こういうわけですね。
  108. 江崎真澄

    江崎国務大臣 そうでございます。
  109. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 では、次の問題に移ります。  沖繩基地の返還問題は、国民の大きな一つの願いであります。また、沖繩国会のときにおける総理並びに外務大臣の演説の中にも、特に那覇空港の完全返還ということを再度申しておりました。このことには、長官、間違いありませんか。
  110. 江崎真澄

    江崎国務大臣 方向として、もちろん間違いはございません。
  111. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 そうしますと、五月の十五日には、那覇の空港は完全の返還という立場に立って返還されるのですか。
  112. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御承知のとおり、ここには対潜哨戒機のP3Bが十一機配備されておるわけですね。したがって、これを普天間に移転するという問題が残されておるわけであります。したがって、P3Bを普天間に、配置転換というか、移駐するのについて、どうするか。こちら側としては、突貫作業でP3を移してもらおうという方針を立てておりましたが、国会の空転その他でだんだんおくれました。そうして今度は暫定予算を組むという形になります。この暫定予算の性格というのも、法文上明確にされておりませんが、大体従来経常経費を盛る。そうして最小限の金額にするというようなたてまえから、さて、このP3Bの移転に伴う工事費を盛り込むのか、盛り込まないのか。この決定について、国会側とも政府として相談をしておったようでありまするが、暫定予算の性格からいって、どうもこれは不適当ではないかというような結論になって、まだ最終決定は見ておりません。二十八日の閣議というふうに私了解いたしておりまするが、これが暫定予算から漏れるというようなことになりますと、勢い普天間のいわゆる移駐地の工事がおくれまして、P3Bが残るという場面も想定されないわけではありません。
  113. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 そうしますと、佐藤総理並びに政府の言っている、五月十五日には完全に米軍の飛行機はこの那覇空港にはない、特に、沖繩の表玄関であり、沖繩の顔である那覇には——私も沖繩には二、三度行きましたが、あそこへ着陸するたびに、米軍の飛行機が並んでいるのを見て、こういうところがいまのような状況によって返還にならないということになりますと、これは政府の言っている公約と重大な違反行為というふうになってくるように私は思うのですが、その点、防衛庁長官、どうですか。
  114. 江崎真澄

    江崎国務大臣 厳密に申しまするというとそういうことだと思いますが、これは不測の事態で予算審議が長引きまして、しかも暫定予算を組まなければならぬという場面に立ち至っておりまするので、まあ、あと一両日の間の調整が残されておるわけでありまするが、もしこれにP3Bの移転費というものが盛り込まれない場合は、これはそういう事態に立ち至るかもしれません。しかし、これは全く不可抗力ということで御了解を願いたいように思いますが、この点いかがでございましょう。
  115. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 いかがでございましょうかと私に聞かれても困るのでね。防衛庁長官、大体国会がおくれたのはどういう原因によるかということは、長官が一番よく御存じじゃありませんか。四次防の先取り問題が紛糾して今日になったり、また、立川移駐の問題日中の問題等々、そういった大きな日本の外交、防衛という問題が基本的にこじれたために——こじれたというよりも、これは政府の失策によっておくれたのであって、何も野党がおくらしたわけじゃないのであって、それをどうしたらようござんすかなんて、大臣、そんなことでは困りますよ。確認いたしますけれども、そうなりますと、これは佐藤総理並びに外務大臣の責任となってしまいます。  そこで、具体的にひとつお尋ねしますが、米国側は、那覇空港の完全返還問題ではどういう要求をしてきていたのか。日本政府とどういう交渉をしてきていたのか。これはひとつ簡単でけっこうです。  その次は、日本政府は、P3撤去に対してなぜ——玉つき移駐ですね。普天間から岩国ですか、岩国からまた三沢というように、日本のほうへ行ってしまうような移転。また、それから、那覇から普天間へ移すというようなことでなくして、何で沖繩基地以外の国外、日本国外に要求しなかったのか。また、完全返還が実現しない場合、那覇空港にはいつまでP3はいることになるのか、これが完全に返還が実現するのはいつか、この三点です。
  116. 吉野文六

    ○吉野政府委員 お答えいたします。  最初に、P3の移転についてどのような交渉をしてきたかということでございますが、御存じのとおり、われわれは、那覇空港を完全に返還してほしいということは、当初から米側に強く申し入れていたわけでございますが、米側は、それは問題にならないということで、なかなかこれに応じてくれなかったわけです。その一番大きな原因は、御存じのとおり、あそこにはP3という哨戒機がありまして、これは安保条約上、将来においても極東の平和や日本の安全のために彼らとしても必要だ、こういうことでございました。それにもかかわらず、P3を那覇空港から日本以外のところにどいてほしいということを強く要求しておりましたが、これはもう話にならない。そこで第二段は、それではともかく那覇の空港以外のところに出てほしい、こういうように交渉したわけでございますが、これについても先方は、P3という特殊な飛行機であって、どこへでも移駐できるものではない、それに必要な施設を他の飛行場において提供し、それをしかも日本の費用において提供する、こういうことでないとできない、こういうことであったわけでございます。  そうこうしておりまして、この交渉は非常に長く続いたわけでございますが、昨年の六月十七日、協定の調印の一週間ぐらい前になりまして、ようやく、それでは日本の費用において代替施設をつくる、それならばP3は返還日に那覇から移転してもよろしい、こういうことになったわけでございます。しかしながら、その後におきましても、米国内で、一体それではP3はどこの飛行場に移すかということにつきましては、いろいろすったもんだがあったようでございまして、わが国に対して、最終的には去年の暮れごろ、ともかくそれではP3を普天間に移しましょう、したがって普天間に必要な施設をつくってほしい、それから普天間におるKC130の飛行機も他に移転しなければいかぬから、それに必要な施設もつくってほしい、こういうことになってきたわけであります。  いずれにせよ、このような交渉をさらにいろいろ詰めていきまして、最終的には、普天間における必要な滑走路を日本側が完成するならば那覇からP3はのくというところまでようやく来たわけでございます。それに必要な予算を三十八億、今度の予算に計上しておりますが、五月十五日前までにこの滑走路をつくるためには、暫定予算にぜひこの金額を組み入れてもらわなければ困るというのがわれわれ事務当局の立場でございましたが、これは先ほど長官の御説明のとおり、いまのところ困難になってきておる、こういうことでございます。  それから、第二点の玉つき移駐につきましては、これは先方は、ともかくKC130はどこか違う飛行場に持っていかなければいかぬ、しかしながらどこに行くかはまだきめてない、しかし行く場合にはそれに必要な施設を日本提供してほしい、こういうことでございます。  それから第三点の、それではP3は那覇空港からいつ出るかということでございますが、これは目下このような事態になりましたものですから、今後いかに対処すべきか、わが国国内においても協議中でございますし、また米国に対しても、この問題をどういうように処理するか、今後交渉していきたいと思います。しかし、われわれといたしましては、なるべく早く必要な施設が完成しまして、P3が那覇空港から出ていくということを期待しているわけでございます。
  117. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 外務省はアメリカ政府に対して、このことを昨日通告したということを聞きましたが、間違いありませんか。
  118. 吉野文六

    ○吉野政府委員 昨日通告いたしましたのは、きのうまでの暫定予算の政府と党内の状況説明いたしまして、このような状況であるからあるいは暫定予算が困難になったかもわからぬ、したがって、それに伴う工事はあるいは予定どおりできないかもわからない、こういうような趣旨を通報した次第でございます。
  119. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 防衛庁長官、そうしますと、いまの状況でいくと、P3は最低二カ月以上は那覇空港にとどまるのですか。
  120. 江崎真澄

    江崎国務大臣 暫定予算に組むことがどうも無理だという見解がいま強いらしいですね。そういうことになってまいりますと、やはり二カ月近く残るということもあろうかと思います。どうもこの点残念ですが、そういうふうにお答えせざるを得ません。
  121. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 そうすると、これは地位協定二4(b)を適用してまいりますと、運輸省の管轄ではなくて防衛庁管理になるのですか。これが一つ。  二点目は、管制塔その他は、米軍と国内航空が使う場合ですと、日本の政府とがどういうふうになるのですか。
  122. 内村信行

    ○内村(信)政府委員 その場合においての管理形態でございますが、私どもといたしましては、二4(b)になるとすれば運輸省管理する飛行場になろうと思います。  それから管制塔の問題でございますが、管制塔につきましては、現在米軍がこれを行なっておりますけれども、私どもの管制官も同時に中に入りまして、訓練を受けながら、しかるべく移行ができるように備えております。したがいまして、これを両方に離しまして、民航については運輸省、それから米軍機については米軍というふうに離すことは、技術上困難でございますので、あるいは米軍が行なうか、あるいはこちらが行なうか、一応一元的にやることが望ましいと思います。私どもの希望といたしましては、受け入れ体制はもうできておりますので、運輸省において一元的に行なうべきであろうというふうに考えます。
  123. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 そうすると、確認いたしますが、最終管理運輸省であるということですね。
  124. 内村信行

    ○内村(信)政府委員 そうでございます。
  125. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 そうしますと、防衛庁長官、この基地返還リストのABC表、このC表の中から那覇空港は取り除くことになりますか。
  126. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは基本的な取りきめを変更するということはあり得ないと思います。工事の都合と言いましては、どうもことばが適当でないかもしれませんが、現実の工事の不備というようなことによっておくれるということで、米側と外務省側から交渉してもらう、こういう形になると思います。
  127. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 外務省、どうですか。
  128. 吉野文六

    ○吉野政府委員 この点については、われわれとしてもなお研究を要する問題かと思いますが、一応の見解を申し上げますと、C表にしろA表にしろ、いずれにせよ、これは協定サインの日に、こういうような基地について返還が行なわれる、あるいはこういうような基地について一時使用が認められる、こういうようなぐあいに書いてあるわけでございますから、したがって、それは協定サインの当時の状況を前提にしているわけでございます。そしてさらに、別段の取りきめある場合はこの限りにあらず、こういうことになっております。現実には、A表、B表、C表に基づいて種々の合意をいたしまして、合同委員会でこれを固める、こういうことになるわけでございますから、したがって、那覇空港の最終的な取り扱いは合同委員会の合意によって確定する、こういうことになるだろうと思います。したがって、C表から除くとか除かないとかいうことは、当面技術的には問題にならない、こういうように考えております。
  129. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 取り除くという技術を云々しているのでなくて、C表から取り除くべきである、こう私は理解をするわけです。しろうとでございますから、その点の理解説明していただきたい。
  130. 吉野文六

    ○吉野政府委員 この点につきましては、さらに法律的に詰め、かつ米側とも話し合ってみないとわからないわけでございますが、当面われわれの考えといたしましては、那覇空港につきましては一応全面的にわが国に管理権が返還される、そしてその管理権に基づいて、先ほど航空局長が申し上げましたように、二4(b)をそこにしきまして、そして一時使用の権限を再提供する、こういう形になるだろうとわれわれは理解しております。
  131. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 それ以上、私、聞きませんが、非常に不明確な点がありますね。  そこで防衛庁長官、この前の核の撤去費が七千万ドルでございましたですね。これに対して、防衛庁にはどのような報告が入っておるのか。五月十五日までもうわずかでありますが、五月十五日の返還のときにはまずないということでございますが、その報告はどうかというのが一点。  第二点目は、いま質問をいたしましたところで、施設の移転費、アメリカ軍の飛行機を移すための移転費、またそれを受け入れる側の施設費、こういうものを米軍が要求してきております。また四十七年度一般会計予算の中で計上されておりますが、今後も、こういうふうな問題については、予算計上をして日本政府が負担するものかどうか。
  132. 江崎真澄

    江崎国務大臣 前段につきましては、その後報告に接しておりません。しかし、これは首相とニクソン大統領との間で、サンクレメンテにおいて、返還時においては核を撤去する、その確認についてははっきり認め合うということが言われておりまするから、問題はないように思います。  それから後段の点につきましては、これは日米安全保障条約というものを継続いたしてまいりまする限り、こちら側が負担をすることになります。
  133. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 法的根拠は何ですか。何条ですか。
  134. 鶴崎敏

    ○鶴崎政府委員 米軍提供している施設を日本側の都合によって返還をしてもらいたいという場合に、米側から条件としてかわりのものを提供してくれという場合、これは俗にリロケーションと申しておりますけれども、この根拠は、返還と提供のコンビネーションになったような形でございまして、提供に伴う経費日本政府が負担することができるということに地位協定上なっております。それによって支出をする、こういうことでございます。
  135. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 そうしますと、その明細とか詳細にわたる報告が当然日本政府になされなければならないと思います。七千万ドルの核兵器の撤去費がいまだに防衛庁長官のところに何ら報告もない。これは日本政府にもないのですか。
  136. 吉野文六

    ○吉野政府委員 いま撤去につきまして、一つは核兵器の撤去問題、それからもう一つは、地位協定によって、そのある施設を撤去し、ないしは新たな施設を提供する、こういうことだろうと思いますが、最初の核兵器の撤去の問題は、これは協定第七条におきまして、先方が日本国政府の政策に背馳しないようにこの協定を実施する、すなわち核を撤去するということを約束しまして、それらのこと等を考慮してわが国は三億二千万ドル支払う、こういうように書いてございまして、これは基地の提供ないしは撤去の問題とは一応別個の問題でございます。
  137. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 長官、二段目の核兵器の問題ですが、これはあらためて米国側に詳細を求める御意見ですか。
  138. 江崎真澄

    江崎国務大臣 詳細といいますと……。
  139. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 核兵器撤去の七千万ドルについて、詳細なる報告を米国側に求める意思があるのかないのかということです。
  140. 江崎真澄

    江崎国務大臣 外務省からちょっと……。
  141. 吉野文六

    ○吉野政府委員 これはたびたび政府のほうから御説明しておりますとおり、核に関する限りは、先方は一切、どのように核兵器を運び出したかとか、それを撤去したかということは言えないということでございますから、かりにこれを照会いたしましても、先方は何ら答えられない、こういうことだろうと思います。
  142. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 われわれのとうとい税金がたくさん使われていることについて国民としてまことに不明確。この問題は沖繩国会でもたくさん論議されました。いまここであらためて言うだけの時間がございませんが、この問題は保留しておいてまたあとでお尋ねするといたしまして、長官、いままでの質疑のやりとりの中で確認をしておきますことは、現在のままの状況で進めば、五月十五日までには那覇の空港は完全無欠なる返還はあり得ない、これに対しての責任は政府側にある、公約違反である、こう私、理解しておりますが、最後に一言いかがですか。
  143. 江崎真澄

    江崎国務大臣 現実的には残らざるを得ない、全くその点は残念に思います。まあしかし、これはどうも、暫定予算を組まなければならなかった、その責任はと、こう言われるともちろん政府にあるわけですが、やむを得ざる事情ということでこの点はひとつ御了解を願いたいと、こういうふうに思っております。
  144. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 まあそれ以上は追及いたしません。  防衛医科大学設置の件についてお尋ねいたしますが、一点は埼玉県にきまった理由を明かしていただきたい。  二点は、昭和四十七年二月二十二日に、防衛庁の鶴崎施設担当参事官が和光市を訪れ、防衛医大の仮校舎を朝霞市内に建てるということを言明しておりますけれども、これに間違いありませんか。
  145. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 第一点のお答えを私から申し上げます。  埼玉県に設置場所をきめました理由でございまが、防衛医大の設置場所につきましては、その適地条件といたしましていろいろなファクターが考えられるわけでございますが、まず第一点はいい教官を確保するというようなこと。それから教育環境がまさに適地であるという条件。それからその地域におきまする医療事情がどのような状況になっておるか。埼玉県の医師分布は、現在まだ沖繩が返っておりませんので、四十六ございますが、その日本の都道府県の中で最低の分布状況であるというような点を考慮いたしまして、埼玉県が一番適当であろう。しかも東京から近いというようなことで埼玉県を選定をいたしたというような状況であります。
  146. 鶴崎敏

    ○鶴崎政府委員 和光市に行ってこの防衛医大の問題について地元に説明をしましたのは、当日、衛生課長が行ってやったと思います。私は当日は、埼玉県のほうと所沢市のほうに行って、閣議決定をする法案の内容について説明をしたわけですが、和光市のほうについては衛生課長が担当して説明をした。そのときの話の内容に、この朝霞の現在自衛隊が使っております施設の中に仮校舎をつくって一年間だけは授業をやる、そしてその間に本校舎の予定地がきまるでしょうから、その工事が終わったならばそちらに移るというような趣旨の御説明をしたかと思います。
  147. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 長官、これは大事なことなんです。地元が反対をしているのに仮校舎をつくってそこへ入れて、そうして本校舎を建てるまで入るといったら、またこれ先取りじゃないですか。そうなっちゃいますよ。これが一つ。  それから私、埼玉県にとって非常に残念なことをいまお聞きしたのです。確かに埼玉県の医師の数は四十六都道府県で一番最低です。それと防衛医科大学は何の関係があるのですか。防衛医科大学をつくることによって埼玉県の医師が充足されるのだったらこれはいいですけれども、これは防衛庁のお医者さんでしょう。軍医さんでしょう。軍医というのがおかしければ、何と表現していいかわかりませんけれども、埼玉県は四十六都道府県の中で最低の医者の数しかいないから埼玉県に建てるんだといっても、それによって埼玉県の医療行政が向上して医者がふえるのならいいですよ。防衛医科大学を卒業した人がどんどん民間に行っちゃったら、これは目的外に使われていることになりますね。それで、二百億か三百億のお金をつぎ込んでそういうようにやるということに対して、まず不可解であるという点が一つ。  それから、確かにいま正確にあなたがお答えになったとおり、朝霞市、所沢市、和光市、この三つは議会をあげて反対しております。そういうときに朝霞市の中で仮校舎をつくって防衛医科大学を入れるということは、これは仮校舎という名によるところの先取りだと私は思う。長官、いかがですか。
  148. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは先取りにならないんです、四十八年度から開校ですから。したがって、仮校舎という意味も来年やろうというわけじゃないので、来年はまだ準備段階ですから、四十八年のことをさしたわけだというふうに御理解ください。当然それまでに地元側とは十分話し合いをする、また話し合いの余地あり、こういうふうに思います。  それから、埼玉県に医官が少ない云々というのは、答弁としては必ずしも適当でなかったと思いますが、しかしこの防衛医科大学校は、ベッド千を持つ付属病院を建設する予定なんです。したがいまして、これは地元のお医者さんとも十分話し合いをして、その研究機関に利用してもらおう。また、患者の交流等についても、手に負えない者は病院側が引き受けるが、また町で開業しておられる医師によって当然引き受けていただけそうなのは、そちらのほうへ移動をしてもらうとか、その辺はもちろん変転自在の形で十分話し合いを進めていきたい、こう考えておりますから、あまりこれは御反対にならぬで賛成の側に回っていただきたいと思います。
  149. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 先ほど私から埼玉県の医者が少ないということを一つの例にあげましたが、いま大臣から御説明いたしましたほかに、やはり防衛医科大学校という名前がついて何か閉鎖的なお考えをお持ちだと思いますが、これは一般にももちろん開放して、そしてそれがやはり医者を養成する教材になっていくわけでございますし、それから埼玉県の先生方にも開放いたしまして、それがやはり勉強になりまして、大学を十分に利用していただいて、それが地域住民の福祉へ還元していく、こういうふうなことで、私はあえてそういう理由をあげたわけでございます。
  150. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 いま説明を詳しく聞きまして、確かに埼玉県を侮辱したことばではない、逆に埼玉県の医療不足に対して防衛庁が積極的に民間の応援をするという、まことに——ほんとうかどうかわかりませんけれども、(笑声)防衛庁長官のスマイルに私ごまかされちゃうようなんですけれども、私はともかくとして、地元ではいろいろ閉鎖的な考え方もあるということは、防衛庁もやはり一つはそういうPRが足りないんじゃないですかね。  もう一つは、コミュニケーションが足りないということの理由のほかに、そのあと地の利用が、防衛医科大学に使うよりも、地元としての住宅行政とか公園施設とかその他の地元の都市計画のいろいろな問題に使いたい、こういう配慮が無視されるということについての反対も私はあり得ると思うのです。そこでそういった話し合いが十分これから行なわれるでございましょう。埼玉県をなぜ選んだのかという理由も、私まだ言いたいこともありますが、それはそれとしておいて、このような地元住民がすっきり納得するまでは、所沢、朝霞、和光、その周辺の米軍基地のあと地利用に、ただ黙って入っていくようなことが絶対にないのかどうか、こういう点もう一言確認をしておきたいことが一つでございます。  それから私、もう一点、長官にお尋ねしたいことは、市街化区域内における自衛隊の基地というものは、首都圏の自衛隊の基地は、米軍基地というものは、早急に撤去の方向に向かうのが至当であるという御答弁をいただいておりますが、私はもう一歩詰めて、新都市計画上の市街化区域内にある米軍基地の移転については、日米合同委員会において、日本側として、すみやかにこれを撤去するよう、重ねて長官から御配慮をいただきたい、こういう気持ちを述べて、私の質問を終わらしていただきます。じゃお願いします。
  151. 江崎真澄

    江崎国務大臣 防衛医科大学校が無断で入り込んでいくということじゃありません。これはもう御指摘のように、確かにまだPRが足りないので、だんだん地元と話し合いをしていけば、あるいは歓迎していただけるというふうにならないものかと思って努力を続ける予定であります。  それから第二点につきましては、これはなかなか大問題でございますので、御意見を承りまして今後の問題として検討いたします。
  152. 小川新一郎

    ○小川(新)分科員 じゃ終わります。
  153. 森下元晴

    ○森下(元)主査代理 米田東吾君。
  154. 米田東吾

    米田分科員 私はまず長官に一、二御質問をいたしますが、第四次防は防衛庁原案はできておるようでありますけれども、最終政府決定はこれからということになっておるようでございますが、この防衛庁原案に基づく防衛庁のPR文書等によりましても、また私自身が承知していることからいきましても、この四次防の中心は空と海、要するに航空自衛隊、それから海上自衛隊に整備の重点が置かれておる、こういうふうに理解をいたしておるわけであります。その中でも特に海上関係等につきましては、日本海沿岸にその重点があるというふうにも理解をしておるわけでございます。  そこで実は伺いたいのでありますが、日本海はいま国際的に海洋開発あるいは資源開発が脚光を浴びまして、たとえば日、ソ、朝等の技術者がひとつ共同で大陸だなを中心にした海洋開発を検討するとか、まあこれから日本海時代を開こうということで、これは日本の国内では、特に日本海沿岸の関係府県あるいは住民が非常に期待をしておるところでございます。そういう現在の事情を考えますときに、この四次防がねらっておる海上警備、あるいは沿岸警備、そういうものからくる海上自衛隊の装備の強化、あるいは船舶の増配、基地その他の増置というようなことを考えますと、この日本住民あるいは府県が期待しておる日本海時代を開くということと相矛盾するような感じを私は持つわけであります。したがって、そういう点につきましては、防衛庁としては、まず基本的にどういう調整をとりながら、あるいはそこらあたりをどういうふうに勘案しながら、四次防の展開をされようとするか。特に私は、日本海という限られたところにおける海上自衛隊等の装備の強化その他考えますときに、基本的に非常に疑問も出てまいりますので、大臣からまずお聞きしておきたいと実は思うわけであります。
  155. 江崎真澄

    江崎国務大臣 四次防原案なるものは確かに中曽根長官当時に発表をいたしました。しかし、先般二月七日に第四次防衛力整備五カ年計画の大綱というものをきめましたですね。あの大綱をきめた段階で、かつての防衛庁原案というものは現実にはなくなったわけです。そこで、四辺海に囲まれておりますから、防衛上空と海に重点を置くという方向は、今後といえども私は日本の国防上変わるものではないと思います。しかし今度の大綱によりまして、四次防というものは三次防の延長線上において従来の装備を維持し更新をし充実をさせていく、こういうわけですから、あの当時申し上げました四次防なるものは一応白紙に戻った、こういうふうに御理解を願いたいと思います。  日本海の沿岸についての防衛庁の対策いかんという点につきましては、日本海の発展、それから漁業、こういったものに支障を来たさない、やはり民生第一主義で防衛の問題は考えていきたいと考えております。
  156. 米田東吾

    米田分科員 ぜひひとつ、国会答弁でなく民生第一主義というこの原則は徹底していただきたいし、これは出先の海上自衛隊等の基地あるいは地方の隊等にもこれが徹底されまして、いやしくも、自衛艦だとか、あるいは魚雷艇だとか掃海艇だとか、そういうようなものが漁民の権利をないがしろにして、たとえば定置網をけ破っていくとか、あるいはロープを切って追及されてようやく陳謝をするとか、現に日本海は漁場でありますから、いろいろそういう問題が出ておりますが、そういうことのないように、私はぜひお願いしたいし、これから日本海が海上自衛隊の本拠地になるような状態になっていきますと、なおさら私はそういう心配がありますので、いま長官の基本的なお考えをお聞きしたわけであります。民生第一主義ということはひとつ徹底をして、自衛隊あるいは防衛が優先するというようなことのないようにぜひ御配慮をいただいておきたい。  それから具体的になおちょっと聞きますが、そういたしますと、四次防は一応白紙に戻ったとおっしゃいますけれども、しかし、その中心である航空あるいは海上自衛隊の装備強化という面は、今後とも当然追求されるだろう。そこで、日本海沿岸に、特に海上自衛隊の施設、あるいは簡単にいえば基地、こういうものは今後どういうふうに一体なっていくのでございましょう。いまのところ舞鶴方面隊ですか、これを中心にしてほとんど基地らしい基地は、海上自衛隊に関する限りはあまりないように私は思う。ただ、分遣隊とかあるいは救難隊とか、そういうものは若干あるのかもしれませんけれども、去年、北海道の余市で防備隊の開設がなされたということを聞いております。その他あまりないように私は思うのでありますが、少なくとも海上自衛隊中心にして装備強化されるこれからの仮四次防の段階で、日本海沿岸の施設というものはどういうふうに今後展開されていくか、ちょっとお聞きしたいと思います。
  157. 江崎真澄

    江崎国務大臣 時間を節約する意味で、政府委員から繰り返しのないように答弁させます。
  158. 久保卓也

    久保政府委員 現在のところ、お話のように日本海寄りでは舞鶴だけであります。それから北のほうで大湊というのが主要な基地でありまして、あとが余市ということでありますが、先ほどお話がありましたように、四次防そのものは白紙還元ということで再検討いたしますが、その検討過程の中で前々から問題になっております新潟周辺に魚雷艇隊の基地がほしいという希望は、いまだに変わっておりません。ただ、具体的になかなか適地が得られておりませんので、計画は進捗いたしておりません。
  159. 米田東吾

    米田分科員 私は具体的にお聞きしておるのでありますが、新潟もその一部だと思いますけれども、そのほかにも、いろいろうわさでは話がぼつぼつ聞こえるのでありますけれども、舞鶴から北海道余市あるいは大湊に向けた方向で、あなたのほうで具体的に予定のそういう計画はありますか。新潟以外にありましたら出していただきたい。
  160. 久保卓也

    久保政府委員 新潟と申しましたのは新潟県という意味でありますが、その場合に、当初われわれは新潟の港を計画したのでありますが、地元あるいは知事さんなんかとの話し合いで、他のほうに一応いろいろ検討を進めたわけです。たとえば柏崎でありますとか直江津、寺泊、そういったところは検討されておりますけれども経費関係、地元の関係、あるいは適地であるかどうかといったような問題でなかなか結論を得ておりません。したがいまして、当面いまの計画は進捗いたしておりません。
  161. 米田東吾

    米田分科員 そうしますと、私なりに解釈すると、西の舞鶴それから北の余市、大湊は少し海峡より引っ込んでおりますが、この間に考えておるのは新潟ないしは新潟周辺だけだということで理解してよろしゅうございますか。
  162. 久保卓也

    久保政府委員 現在のところはそうであります。
  163. 米田東吾

    米田分科員 わかりました。  そこで、いまもちょっと答弁がありましたが、昨年の四十六年度予算で五千万円が計上されて、具体的な一つの施策として新潟港を選んで防備隊の基地をつくる、そしてこれには掃海艇を大体二隻ないし四隻配備したいという計画が示されました。これは地元等が受け入れる体制になりません。あなたのほうでは計画を取りやめたというふうに聞いておりますけれども、これは明確に取りやめたのかどうか。  それから、いまの御答弁でもありましたが、その後防衛庁はその隣の寺泊港に設置を考えられまして、港域の調査とかその他相当な行動があったようでありますが、これはその後どうなっておるのか、このことをあわせてひとつ御答弁いただきたいと思います。
  164. 久保卓也

    久保政府委員 新潟港そのものにつきましては御了解が得られませんでしたので、いまのところあきらめております。したがいまして、寺泊についても検討したわけでありますが、なお新潟の経費、これは約五千万おっしゃるように計上してありましたが、これは使わないでそのままになっております。  それから寺泊のほうは、この港湾施設の整備費に相当かかります。われわれの見積もりでは約三億六千万くらいという見込みでありまして、このような大きな金額が計上し得るかどうか、四次防の検討の過程で勉強してみなければわかりませんが、なかなか困難な面もありますし、当面寺泊にきめるということにもまいっておりません。さしあたっては、四十七年度予算には、魚雷艇隊、現在は舞鶴に置いてありますけれども、これを移動させるための経費は計上いたしておりません。
  165. 米田東吾

    米田分科員 昨年の予算で計上されました五千万円は、私が承知しておるところでは、とりあえず実施できないので他に流用したというふうに承知しておるのでありますが、いまのあなたの答弁ではこれはそのまま残してある。そこらあたり間違いありませんか。
  166. 田代一正

    ○田代政府委員 施設整備関係でたしか五千万円見ておったことは事実であります。さっき防衛局長からお話しがありましたようなことで、それに充当できないということで、ほかに使いたいという気持ちを現在持っております。
  167. 米田東吾

    米田分科員 そうしますと、大体ほかに使ってこの予算の執行についての処理をしたい、こういうことで理解してよろしゅうございますね。
  168. 田代一正

    ○田代政府委員 そのとおりであります。
  169. 米田東吾

    米田分科員 わかりました。  もう一点は寺泊港の関係でございますが、約三億六千万円計上しても、実施について自信がないから一応見合わせておる、したがってことしは予算計上なし、こういう御答弁のようであります。これは基本的に寺泊港について、これまた港域の関係、それからあれは地方港と漁港が併設されておるわけでありますが、それらの関係、それから漁民の反応その他考えられまして、私の承知しておるところでは、寺泊港の設定については、断念をされておるというふうに承知しておりますけれども、そうでないのでございますか、はっきりお答えいただきたい。
  170. 久保卓也

    久保政府委員 現在非常に困難であるということを了承しておりますが、完全にやめたというふうには私まだ連絡を受けておりませんが、いずれにせよ、寺泊に限らず、地元との折り合いがつく適地があればそちらをさがしたい、こういう考え方であります。
  171. 米田東吾

    米田分科員 きわめてあいまいですが、大体この場合あなたのほうでは、この種のものは、出先の舞鶴なり新潟分遣隊なり、そういうところが県や町村と折衝されているようなシステムになっているのではないかと思いますけれども、私が承知しているところでは、寺泊町に対しても、防衛庁の出先であろうと、防衛庁として正式に使いたいとか使わしてくれとかいうような意思表示はない、ただ県知事がどうだということになって話がありました、この程度であります。したがって、いまあなたのほうでは、まだ現状を詳細につかんでおられないようでありますけれども、そういう点については、防衛庁か施設庁かわかりませんが、まことに責任があいまいなんじゃないですか。使うなら使うように、港湾管理者あるいはその行政の責任者、そういうものにきちっと意思表示をされて、そしてやめるならやめる、継続するならする。出先の制服か何かわかりませんけれども、そういうものにまかせておかないことだ。これはその該当の地域にとってはたいへんな問題なんです。防衛庁がそういう計画を持っているのか、やめたのか、あるいは今後続けるのか、漁民は不安を持つわけです。地域住民も不安を持つ。ましてや行政の責任者は、これは賛成、反対いろいろありますから、たいへんな苦労するわけでありますが、そこらあたりきちっとされるようなシステムに変えたらどうでありますか。
  172. 久保卓也

    久保政府委員 寺泊が知事のごあっせんに基因していることはたしかであります。そして現実には、こういった業務は舞鶴の地方総監部が窓口でありますし、重要な場面では、海上幕僚監部、中央からも出て折衝に当たります。今日、ただいまあいまいであるという御批判を受けましたが、まさにあいまいなのは、四次防の中でどういう位置づけをするか、これが四次防が白紙になりました関係上、ちょっときまっておらない。したがいまして、四次防の検討の過程の中で、新潟県にやはり置くことにするのか、あるいは当面それはやめることにするのか、そこできまった後に第一線の窓口のほうで折衝が始まる、こういうことでありまして、御趣旨の点は十分に考慮してまいりたいと思います。
  173. 米田東吾

    米田分科員 そうしますと、とりあえず現状では寺泊も断念した、という明快な決断はできなくても、対象にはきわめて困難であるというふうに理解してよろしゅうございますか。
  174. 久保卓也

    久保政府委員 よろしゅうございます。
  175. 米田東吾

    米田分科員 次に、新潟には佐渡島がありまして、佐渡の周辺には地方港、漁港、避難港、あまた港がある。大体地方港だけでも五つないし六つあるんじゃないかと私は思うのです。両津から始まりまして、その周辺に漁港は二十くらいある。あの島全体が漁業の基地であります。そういう関係で港が多いのでありますが、佐渡島も軍事的には——軍事的ということばは適切かどうかわかりませんけれども、防衛の見地からして、佐渡島というものはやはり一つの候補地になっているだろうと私は推定をするのでありますけれども、佐渡島について、あなたのほうでは調査なりあるいは物色されておられますか。
  176. 久保卓也

    久保政府委員 港という意味でありますれば、佐渡島は選定の対象になっておりません。
  177. 米田東吾

    米田分科員 いえ、私が聞いているのは、調査か物色をされておりますか、こういうふうに聞いておるわけであります。
  178. 久保卓也

    久保政府委員 港を、言いますような魚雷艇配備部隊としての候補地としては、全然選んでおりません。
  179. 米田東吾

    米田分科員 総体的に日本海沿岸、特に新潟を中心にいたしまして、繰り返しますが、要するに、漁業、これからの海洋資源の開発、大陸だなの開発、現に新潟の沖合いで天然ガスが出まして、しかも有望性もっと広い範囲であるというようなことがいわれておりますが、これからこの日本海時代というものが開けていこうという時期なんであります。したがいまして、防衛庁、先ほど長官から答弁をもらいましたように、それらの経済的な開発、全体の開発等も見ながら、民生安定第一、経済開発第一ということになりますが、そういうことをお忘れないようにこれらの関係については進めてもらいたいし、とりわけこの魚雷艇基地程度のいわゆる基地というものは、大体地方港ないしは漁港に見合って考えられるケースだと私は思います。そう大きな基地を必要とするわけじゃありませんから。そうなりますと、新潟県の港という港、漁民という漁民は、ほとんど何か防衛庁の基地にされるのではないかという不安をみんな実は持っておるわけであります。したがって私は、防衛庁のほうから早目に新潟全体について防衛上の見地からもなおひとつ検討されまして、設置を見合わせる、そういうはっきりとした態度を出してもらいたい。いつまでも引きずって漁民に不安を与えるようなことがあっては困るし、ますます防衛庁に対する拒否反応というものも強まるだけだと私は思います。そういうふうにぜひひとつやっていただきたい。この関係はよろしゅうございますか。
  180. 江崎真澄

    江崎国務大臣 おっしゃる意味はよくわかりますので、十分注意をいたします。
  181. 米田東吾

    米田分科員 次に、防衛施設周辺の整備等に関する法律がありまして、これが基地周辺の道路整備あるいは建設その他に相当な法律的効果を発揮しておるようでございます。新潟空港の中にも救難隊が実は基地としてあるわけでありますけれども、これに向けて周辺の道路整備というものが防衛庁の肝いりでいろいろ進められておるように聞いております。四十七年度予算の中で、この基地周辺の道路整備、これは実際は舗装かどうかわかりませんが、そういうものが計画されておるように実は承知しておるわけであります。これはひとつわかりましたら、その目的、あるいはその改装ないし舗装の区間、計上予算の規模、こういうものについて御説明をいただきたいと思います。
  182. 薄田浩

    ○薄田政府委員 御質問の新潟基地の関連道路でございますが、この道路につきましては、いろいろな理由をつけてやるわけでございますが、大ばっぱに言いますと、三条といいますのは、重車両等で道路の活動が著しく阻害されたときにできる補助体系の道路でございます。四条といいますのは、基地周辺にありまして、そのために地方道がそこなわれる。いま御指摘のやつは、一応進入道路というような考え方でやろうと思っておりまして、長さはまだきめておりません。と申しますのは、四十七年度予算ではまるくついておりますので、個々の事案を現在ヒヤリングで聞いておるところでございまして、まだ四十七年度は確定はいたしておりませんが、ある程度の舗装工事をいたしておる、こういうふうに考えております。
  183. 米田東吾

    米田分科員 まだきまっておらないという御答弁でございますが、私がお聞きした限りでは、路線も区間も、それから一応の予算規模も、事務当局では計算されておるように実は承知しておるわけでありますが、いまの答弁ではさまっておらないという。これは実際はどうなんですか。
  184. 薄田浩

    ○薄田政府委員 いま申し上げましたように、四十七年度の予算でございますので、現在われわれの事務当局で局を含めて検討中でございます。その検討の資料はございますけれども、これから大蔵当局ともいろいろ協議いたす関係上いま発表は差し控えたいということで、一応事務的には考えておる線はございます。
  185. 米田東吾

    米田分科員 それじゃ、発表は差し控えるということであれば、これ以上お聞きいたしません。ただ私が承知しておるのは、いまあなたが四十七年度で実施をしようとされておる路線は、新潟の海上自衛隊の基地隊と空港の中にある救難隊との連絡進入道路、こういうことじゃないかと私は思うのでありますが、この飛行場は海岸に寄っておりまして、本来主要国道である国道第七号線とはずいぶん引っ込んでおるわけであります。それで、この国道七号線と通ずるこの防衛道路というか、あるいは進入道路というか、必要な道路は前々から、これは皆さんの側でも、それから市当局等の側でも、検討されておるように私は聞いておるわけでありますが、このほうがむしろ防衛上の立場からすれば重要である。信濃川沿岸にある分遣隊と救難隊との間の道路は完全舗装されまして、ある部分がほんの千メートル程度残っているだけでありまして、全体としては非常に優秀な道路になっている。むしろ国道七号線からのほうが、防衛上の立場からいきましても、それから実際にこの法律四条の運用という面からいきましても、ウエートが高いように私は思うのでありまして、そちらのほうの計画はいまあなたのほうにあるのかないのか。それともこれは考えられないのか。今後どういうふうにこれは検討されるか。いまのところあなたのほうに持ち合わせがありましたら、答弁をいただきたいと思います。
  186. 薄田浩

    ○薄田政府委員 たびたび申し上げますが、ちょうど勉強中でございまして、明確には申し上げられませんが、いまおっしゃいました道路の連絡といいますか、両基地の間の道路も考えておりますし、これは先生いま御指摘の、主要国道へ結びます、約二千五百メートルあるそうでございますが、その間二千五百メートル全部をやることは、われわれの予算規模から考えてたいへんでございますが、どういう方向でやるか、やる方向では検討いたしております。
  187. 米田東吾

    米田分科員 それではわかりました。検討されるということでございますので……。  最後にお聞きしておきたいのでありますが、この防衛施設周辺の整備等に関する法律というのは、実は私は、法律の目的からいきましても、運用についてはたしてこれでどうなんだろうかという心配が一つあるわけであります。これは第三条、第四条の関係がありますが、問題はやはり第四条の、民生安定に関する助成なりそういう運用の面だろうと私は思うんでありますけれども、これらがややもすると、政治家やなんかが、みずからの政治的な利益にこれを利用するなんということがあってはたいへんだと思うし、そういうことをあらせてはいかぬわけでありますけれども、どうも運用を見ておりますと、そういうことがあるんじゃないかという心配もできるわけでありますすが、運用については、どんなふうに皆さん方のほうではやっておられるのですか。
  188. 薄田浩

    ○薄田政府委員 この法律は、御承知のとおり、原因が自衛隊駐留軍にあるときの考え方でございますので、その原因とその結果の因果関係を相当厳重に検討といいますか、審査してきめております。それから、特に四条の運営につきましては、これは確かにおっしゃいますように、ケース、それから対象等がいろいろ複雑でございます、これは正直申し上げて。しかし一応政令等で対象はしぼっております。しかし、その採択となりますと、御指摘のように、その土地、土地の地域的な特殊事情もおありですし、それからこの補助率がかかってくるというような関係から、村なり町なり市なり当局のまた御意向等もあります。しかし、われわれといたしましては、この因果関係を十分審査して、これの採択にあたっては、適正かつ、おっしゃいますような問題が入り込まないように、われわれ部内的には指導しております。
  189. 米田東吾

    米田分科員 終わります。
  190. 森下元晴

    ○森下(元)主査代理 渡部通子君。
  191. 渡部通子

    渡部(通)分科員 私は、東京港区の六本木にございます米軍赤坂ヘリポートの問題について伺いたいと思っております。  御承知のとおり、ここには軍用ヘリポートのほかに自動車修理工場、星条旗新聞社、PX、将校宿舎などがおもな施設として都心にがんばっているわけでございますが、まずその付近住民のこうむっております迷惑というものはたいへん多年にわたっておりまして、こういう人々から、きわめて長期にわたって撤去要求が出てまいっておりますが、それらの要望、住民の声というものを防衛施設庁は御存じなのかどうか、まずそれを伺います。
  192. 薄田浩

    ○薄田政府委員 われわれよく存じております。特に偶然でございますが、場所的にも近いものですから、絶えず陳情は受けております。また、われわれ当然、これは私の所掌から申しますと東京局の所掌でございますが、本庁のほうでも承っております。
  193. 渡部通子

    渡部(通)分科員 それでは、撤去される見通しはあるのかどうか、あるいは撤去に対してのいままでの経過等ではっきりしたものがございましたら御説明願いたい。
  194. 薄田浩

    ○薄田政府委員 御指摘のいろいろ建物等ございますが、特に御指摘のヘリコプターの件について申し上げます。  過去何年来、米側からもいろいろ要求がございます。それから先生おっしゃいましたように、地元からの要望にこたえて、われわれは、ああいう場所にヘリコプターが随時離着陸するのは避けたいという気持ちを持っておりまして、撤去要求をしております。ただ、あのヘリポートは、米軍側の主要な連中、あるいは大使館との連絡、外務省との連絡等に使うということでございまして、なるべく便利なところに置いてくれという、ちょっとむずかしい条件がついておりまして、長年かかっておりますが、東京都とも話しまして、現在のところ、一時は辰巳の都営ヘリポートへというような交渉もしたことはございますが、現在は、十四号埋め立て地のやはり都のほうのいわゆる飛行場でございますか、そこへ移していただきたい、こういうことで具体的に計画を進めております。
  195. 渡部通子

    渡部(通)分科員 ただいまの御答弁ですと、十四号埋め立て地のほうに移転をしてあと地を返還する、こういう見通しのもとに進められていると了解してよろしゅうございますか。
  196. 薄田浩

    ○薄田政府委員 十四号のほうにまず参りまして、それが完成といいますか、それが目的を達するようになりましたらあと地は返還する、こういうふうに考えております。そういう線で交渉しております。
  197. 渡部通子

    渡部(通)分科員 そうしますと、十四号埋め立て地にヘリポートができ上がる見通し、それは大体いつごろでございますか。
  198. 薄田浩

    ○薄田政府委員 これはもう物理的には、東京都のほうからは、今春四月か五月、おくれても六月ごろじゃないかと思いますが、その辺に完成するというふうに聞いております。したがいまして、この時点で対米折衝をやっていきたい、こういうふうに思っております。
  199. 渡部通子

    渡部(通)分科員 そうすると、ことし六月完成した時点から対米折衝はお始めになるんですか。もう完成の見通しがはっきりしているのでしたらば、当然いまから行なわれていなければならないはずでございますし、その辺、きのう私が質問をいたしました環状三号線の問題もからんでおりますが、道路が通ればあと撤去のほうは多少なりとも延びても、などという甘い見方が出てきてはならない、こういう気持ちもございます。で、六月に完成する以前に当然対米折衝は進められていなければならないし、現在もうすでにそれはかなり進んでいると、こう私は思いたいところなんです。その辺はいかがでございますか。
  200. 薄田浩

    ○薄田政府委員 昨日、私のほうの首席連調官から御説明させたと思いますが、ヘリポートとこれを一応分けて交渉しております。  それから先生指摘の、私のさっきのことばが少し不十分だと思うのですが、現在も引き続きやっておりますし、当然のことでございますが、完成前になるべく話をつけたい、こういうことで交渉しております。
  201. 渡部通子

    渡部(通)分科員 じゃ、完成した暁には、米側はそちらにヘリポートを移すという意思表示はございますか。
  202. 薄田浩

    ○薄田政府委員 移転については、原則的に了解しておりますから、移してくれるのではないかと思います。ただ、先ほどちょっと触れまして明確にいたさなかったのですが、距離的な条件をいろいろ言っておりますので、いま日本の国内というのはそんななまやさしい交通事情じゃないんだからがまんしろ、こういうふうな交渉を現在いたしております。
  203. 渡部通子

    渡部(通)分科員 でその辺が大体またおくれてくるネックになるのではないかという懸念がございます。あれが完成をして、高速道路がそこに通るのか通らないのか、その辺の問題もまたからんでくると思うのですが、その辺の見通しはいかがですか。
  204. 薄田浩

    ○薄田政府委員 この高速道路につきましては、われわれも計画を伺っておるだけで、別にこれについてとやかく私どもの立場で言えないわけでございますが、何しろ米側のほうに、日本の道路事情はそうなまやさしいものじゃないんだから、やはり郷に入っては郷に従えでがまんしろという交渉——高速道路は、聞いておりますところでは、四十九年度完成予定ということでございますが、そんなに長くおられては困るということで、私のほうは、先ほども申し上げましたように、米側に日本のいわゆる道路事情をよく説明しておるところでございます。
  205. 渡部通子

    渡部(通)分科員 いまあそこに普通に参りましても、銀座経由で参りますと大体三十分ぐらいかかるわけです。そうすると、赤坂のヘリポートからすれば、地の利からいえばずいぶん米側にとっては不利になるわけですけれども、その辺をのませられるかどうかということがそちらの腕にかかっているわけです。いままでの長い時間、移転させられずに来たんです、これほど強い撤去要求がありながら。それを今回、夢島に、十四号地に埋め立て地ができて、そこにヘリポートができた場合に、はたしてそこに、米軍に、がまんしろ、こう言って施設庁のほうで移転させるだけの見通しと確信をお持ちなのかどうか、それを伺わせてください。
  206. 薄田浩

    ○薄田政府委員 たいへんむずかしい御質問で詰め寄られているわけですが、やはり日本の事情を言えばわかってくれるのではないかと思っております。たとえば、いま府中から六本木、お互いに行き来しておりますけれども、昼の一番すいた時間でも、われわれ一時間半も見ております。そういう意味からしまして、夢島から私どもの職員も実際に自動車走らせてみましたが、先生のおっしゃるように、約三十分から四十分かかると思います。しかし、これくらいはがまんしてくれるのは当然ではないかということで、自信はどうかということでおっしゃられると、先ほどからたいへん困惑しておりますが、何しろその辺で交渉していきたいと思います。
  207. 渡部通子

    渡部(通)分科員 自信がないようですから、防衛庁長官、しり押しをいかようにやってくださるか、ひとつ……。
  208. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは御指摘のとおり、非常に人口稠密のところにあるわけです。実は私、十一年前に防衛庁長官をやりまして、その当時二度ほどあれを借りてヘリコプターで飛び立ったことがある。ちょうどあそこはしょっちゅう通るところですから、あれはもとどおりあるだろうかと言ったら、まだあると言いますが、十一年前といまとは、もう六本木かいわいの情勢が全然違っていますね。ですから、これは相当督励をして、アメリカ側にのんでいただかなければならぬと思います。まあアメリカ側も、占領当初とは違いまして、もう今日のこの事態ですから、十分理解をしてくれるものと思いますし、また、そうさせるべく、これはもう施設庁側を督励し、私もまた、場合によっては交渉の矢面に立つつもりで大いに努力してまいります。
  209. 渡部通子

    渡部(通)分科員 いまの防衛庁長官の御答弁を、私もそれを地元の方々にもお話しをして、ある意味では交渉の矢面に立ってでもがんばっていただく、こういうことで了解をさしていただきます。そうしてその上で、大体返還のめど、移転のめどというものはどの辺ならば考えられるかという見通しは御答弁いただけませんでしょうか。
  210. 薄田浩

    ○薄田政府委員 めどにつきましては、当然、こういう懸案が解決いたしますと直ちにそういう作業に入るわけでございますが、普通の場合には四カ月から五カ月ぐらい手続にかかろうかと思うのですが、この問題については、建物はないわけでございますから、単に返すだけでございますから、普通の場合と違いまして早くやれると思いますが、そのめどをちょっと明確にいまやはり申し上げられないと思います。
  211. 渡部通子

    渡部(通)分科員 施設庁でおわかりにならなければ、防衛庁長官としては、なおむずかしいことでしょうけれども……。
  212. 江崎真澄

    江崎国務大臣 どうも施設庁の言うことが正しいわけで、至急、すみやかに督励をいたしますということでいかがでしょう。これは現実に私どももよくわかっておりますので、先生のおっしゃる意味は十分くみとっております。促進したいと思います。
  213. 渡部通子

    渡部(通)分科員 じゃ、その間の経過措置についてのお尋ねをしたいと思うのですが、どこでも基地周辺ではある問題がございます。それはまず騒音でございますが、これは非常にひどいものでございます。私も一番目の前に住んでいるという奥さんのお話をいろいろ聞いてみましたけれども、確かにヘリコプターの離着陸の場合には子供は必ず目をさます。それからガラス戸のゆれですね。そういったところはまさに地震にあっているようなぐあいである。一軒の例をとってもそうですけれども、いま大体朝九時半ごろ必ず定期便がおりてくるそうですが、その時間になりますと、隣の東大研究所あたりでは授業が聞こえなくなる、こういったような騒音公害が数多く考えられております。そういったことで、騒音対策というようなもの、いままで具体的にどんなことをなすってくだすったか、あるいは今回またどういう対応策を考えていただけるか、その点をお伺いいたします。
  214. 薄田浩

    ○薄田政府委員 おっしゃいましたように、騒音に対する御迷惑をかけておりますし、それからかつ、そういう地元の声も十分承知いたしておりますので、米側に数度申し入れております。  現在のところ、お互いの約束ということになっておりますのは、回数をまず減らすということで、現在は一日二回から三回というふうに報告を受けております。それから、確かにおっしゃいますように、ヘリというのはあの上でゆっくりされますとずいぶんうるさいもんですから、いわゆる地形で申しますと青山墓地のほうでございますが、あちらのほうから入りまして急速に高度を下げておりる。上がるときも急速に上昇してなるべく早く退去する、こういうふうな約束になっております。それから、普通の場合、エンジンの始動とか、それからお客の乗りおりの時間中は、普通自衛隊でも米軍でもエンジンを回しつつやるわけでございまして、地上滞在中の音と、それからほこりというようなものは相当なものでございます。これをなるべく避けるために、地上滞在時間を最小限にとどめよ。具体的に申しますと、滞在時間が五分間をこえる場合エンジンをとめるように要求しております。そのほか校舎の上空を絶対に通過しないこと。それから米軍側のほうのスターズ・アンド・ストライプス社の建物に密着して離着陸すること。安全と音との関係でそういう申し入れをやっておりまして、現在のところ、お互いの合意としては、申し上げたようなことが主要な焦点になっております。
  215. 渡部通子

    渡部(通)分科員 それで十分とお考えでいらっしゃいますか。
  216. 薄田浩

    ○薄田政府委員 なかなか十分とは思っておりません。おっしゃる意味は、たとえば周辺対策等でいろいろなことをしたらいいじゃないかという御質問に発展するんだろうと思いますけれども、これは先ほど申し上げましたように、なるべく早くあの地域から除いてもらうことを私たち念願といたしております。そういう周辺整備的な考え方は現在のところまだとっておりません。
  217. 渡部通子

    渡部(通)分科員 十分でないお約束ごとの上に、やはりこれは義務づけでも何でもありませんから、なかなか守られないということが加わってくるわけです。ですから、いま東大の上を通らないようにしているというお話ですが、現実には通っております。もう東大研究所の窓から上をのぞけばヘリの腹が見えるということは、再三、きのうもおとといも私聞いてきたところであります。そういった意味で、約束事なんというのは、時がたつとだんだん忘れるようなことでございまして、またかという、過去十一年間の苦い味を住民は繰り返しているわけでございまして、東大上空を通らないということも時間がたてば薄れている。それから回数を減らすというのも、やはり何かあったときには減るけれども、まただんだんふえてくる。朝は七時半ころからやってくるというのがあの辺の人たちの声でございます。日曜日は来ないけれども毎日やってくる、こういうような話でございます。急に上がってもらうとか、急速におりてきてもらうとか、エンジンの時間をなべく少なくという約束もあるかもしれないけれども、それもやはりいざというときには延びてしまう。これはほんとうに住民の方に聞いてみるとよくわかる実態なんでございます。ですから、それは撤去するのだから周辺整備はまあまあというのではなくて、目下困っている人たち、過去十一年間困ってきた人たちに対して、もう少しあたたかい処置がとっていただけないかと思います。たとえば防音の壁ですね。あれなどをつくろうかなどという声も出ておりますが、そういったことに対して、もしこれが実行になったときは、当然負担は防衛庁ですべきではないかというような気がいたしますけれども、そういったことに対する御見解はいかがでございますか。
  218. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これはいかがでしょう。いっときも早く移転させる、このほうに重点を置いて、特にいま施設部長が申しておりますのは、あらためて米軍側にもひとつ強く注意を喚起する。また注意を喚起することが移転の促進にもなるわけですから、本問題をお取り上げいただきましたのを契機に、われわれのほうから、これはほんとうに強く注意喚起をしてまいりたいと思います。  それで、周辺整備の問題ももちろん必要なことだと思いますが、応急措置はともかくとして、あまり多額の金がかかりますと——まあ四、五カ月だ、こう言っております。私が要らぬことを、年内なんてそばから申したわけですが、これはほんとうに四、五カ月で移転できるような形に努力をするということをお約束いたしまして、その点については適当な措置をとるという程度で御了解をいただきたいと思います。
  219. 渡部通子

    渡部(通)分科員 そう願えればもってこいなんです。だから早く撤去するということが一番の根本でございます。先ほど、それに確信がない、自信がないという御答弁でございましたので、経過措置として私は伺っておるわけでございまして、私、一番心配なのは墜落事故のことなんです。これは、過去になかったからといっても、いまあすにでもないという確率は一〇〇%は言えないわけでございます。特に最近では世界的に航空機事故の多い中でございます。そういった中で、万一あそこが墜落でもあった場合はどうするのかという、住民の不安は一番問題です。ことにあそこの東大の研究所には爆発物がたくさんございます。液体窒素とか水素ガスとか塩素ガスなどがたくさんある。だから、東大のあそこで研究をしていらっしゃる方たちは、もしも地震があったらということを非常に懸念していらっしゃる。もしも墜落事故があったらというのは同じことだと思うのですね。地震対策ということが現在東京ではこれほど叫ばれている中で、もしも墜落事故があったらということに対する対策、これは防衛庁としては万全を期すべきだと思うのですね。そういった意味で、あまりにもヘリポートを固定化するような整備をやれと私は言いませんけれども、そういう災害発生に対する万全の対応策というものは、たとえ向こう四、五カ月の間であってもやるべきだ、こう思いますが、この点はいかがでしょうか。
  220. 江崎真澄

    江崎国務大臣 できるだけのことはいたしたいと思います。そしてすみやかに移転できるように、これは私も努力します。
  221. 渡部通子

    渡部(通)分科員 じゃもう一つ電波障害のことを伺いたいのですが、離着陸の場合にはテレビはほとんどブレてしまう。ラジオは聞こえない。それが一日二回三回だといいますけれども、一日二回三回離着陸それから上にいる時間、滞空時間を入れますと、五分、十分という時間はテレビがブレますね。これでは大体ノイローゼになってしまいますよ、人間というものは。大体腹が立ってきてしょうがないと思うのです。そういった意味で、これは何も周辺整備にお金のかかることではありません。せめてNHKの聴視料、こういうものだけでもただにさせる。こんなことはすぐできることです。いままで十一年間苦労をかけた住民でもございますし、たとえ移転が実現するときまででもしていただければ、どれほど住民は行政のありがたさというものを感ずるかと思うのです。せめてそのくらいなあたたかい施策は施してもらえないか、いかがでございましょう。
  222. 薄田浩

    ○薄田政府委員 おっしゃいましたテレビ関係の問題は随所に起きておりまして、われわれといたしましても、いわゆるNHKのほうの法律の根拠に基づきまして減額の措置をとって、補助金の形でNHKに対してこれを交付することになっております。ただ残念ながら、先生指摘のヘリコプターについてまだ対象になっておりません。何も赤坂のプレスセンターだけではありません。そのほか、米軍自衛隊のヘリコプターの基地もございますので、こういうものもあわせましていろいろ検討いたしたいというふうに思っております。現在のところは、正直申し上げましてジェット基地の周辺だけが減免対象になっておるはずでございます。検討はいたしてみたいと思います。
  223. 渡部通子

    渡部(通)分科員 それはよくわかるのです。いま検討してみたいという御発言がありましたから、ひとつそれは検討事項に加えていただきたいと思うのです。と申しますのは、十年以上もたっておりますと、くさい中にいるとくささがわからなくなるように、あきらめムードというようなものが住民の中にも芽ばえてきている。私はこれはいけないと思うのです。確かにあそこにヘリポートを置くことも日本の防衛の一つかもしれないけれども住民にそれだけの不安を与えておいての防衛というものは、私は本末転倒ではないかと思う。だから、防衛庁日本の防衛をつかさどるならば、そういう施設問題だけではなくて、住民側に心理的配慮というものをやるということが、これからの日本の防衛行政に対しても大きな一つの光明になると思うのです。そういう意味で、都心地にある特殊なケースのヘリポートですから、それに対するあたたかい行政処置というものをせめて一つぐらいは残してもらいたい、こういう願いなんですね。そういった意味で私申し上げました。だからジェット基地だけだと冷たくあしらわないで、その辺に一歩前進を期待したいと思うわけです。防衛庁長官、私のいまの意見というものに対して、政治の姿勢に対する御決意をお願いしたい。
  224. 江崎真澄

    江崎国務大臣 大事な問題だと思います。これは至急移転させましょう。のみならずこれは、十四号地というのは不便といえば不便ですが、まあ考えようによっては、これは必ずしも不便と言い切れないものがあると思います。それくらいのことはごしんぼういただく。どうせそのヘリコプターおりてから——これは高官用のヘリコプターだそうですからそうすれば、そのヘリポートからあとは当然車で行動するにきまっているのだから、これは説得することにします。私、さっき四、五カ月と言ったらどうもまずいような雰囲気でしたから、まあ少なくとも年内にはと、こういうことならどうだということで相談します、そうしましょうとこう言っておりますから、まあ少なくとも年内にはということで極力早めるということで御了解を願いたい。努力いたします。
  225. 渡部通子

    渡部(通)分科員 ただいまの防衛庁長官の御発言を私結論としてちょうだいをいたしたいと思います。そういう意味で、私も経過措置というものがむしろヘリポートの居すわりに手をかすようなことにもなりかねないということで、たいへん心配をいたしております。しかしながら、すぐできることだったらやっていただきたいし、それから、防衛庁長官のおっしゃるように、すみやかに年内じゅうに撤去をする、これを一つの結論として御努力願いたいと思います。  以上で終わります。
  226. 森下元晴

    ○森下(元)主査代理 岡本富夫君。
  227. 岡本富夫

    岡本分科員 時間があまりありませんから、率直にお聞きいたしますけれども昭和四十三年の十二月、日米安保協議委員会において米軍の基地の整理縮小について約束がされた五十数カ所のうち、縮小をするということで、私のほうにいただいた資料では、約三十七カ所の返還が合意されておりますけれども、四十三年ですから非常にテンポがおそい。少なくとも遊休施設の返還、この要望についてすみやかに返還交渉を推進すべきである、こういうふうに私は考えるのですが、人格円満な長官に期待いたしまして、どういう考え、またどういうような今後のあり方をするのか、明確にひとつお伺いします。
  228. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは時間を節約する意味で、重複を避ける意味で、施設庁長官から詳しくお答えさせます。で、また私があとから補足をいたすことにいたします。
  229. 島田豊

    島田(豊)政府委員 御指摘のように、昭和四十三年の十二月二十三日の日米安保協議委員会におきまして、約五十の施設についての整理統合につきまして協議をいたしました。その後、下部の委員会におきましていろいろ検討いたしまして、現在までに約六十一回の部会を開いておりますが、その間、返還、移転等につきまして合意を得たものが三十七件、土地面積で六千五百十五万平方メートルでございます。残余の施設、区域につきましては、単純な返還、あるいは集約移転、あるいは使用転換等の方針によりまして、引き続き積極的に協議を進めまして、日本政府への返還を求める所存であります。三十七件の合意を見ておりますが、残余のものにつきましては、いろいろ困難な施設が残ってきておるということでございます。それにつきましては、いろいろ米側からの移設等の条件が出てまいりますと、その移設を行なうために相当の時間がかかりますので、今後は従来のようなペースではなかなか行きかねるかと思いますけれども、できるだけ五十の当初の計画の実現には引き続き積極的に努力をしてまいりたい、かように考えておるものでございます。
  230. 岡本富夫

    岡本分科員 大臣、大体いつごろまでにこの四十三年の日米安保協議委員会の五十カ所ですかの結論は、どの辺にめどを置いて交渉していらっしゃるのか、また今後どういうように考えていくのか、これをひとつ。極力交渉しております、これだけではちょっと私たちはしんぼうできないのですがね。どうですか。
  231. 江崎真澄

    江崎国務大臣 すでに三十七件は、いまお答えしたいように、返還または移設してしまったわけですね。ですから、残余の問題につきましても、何カ月ということは、これはやはり相手のあることでございますから、言明はできませんが、極力ひとつ早く解決をしたいと思います。
  232. 岡本富夫

    岡本分科員 時間がありませんからあれですが、そこで、在日米軍の基地を整理縮小するのは当然ですが、これがすべた自衛隊の移駐、こういうことでは意味がない。四十三年以後の返還されたのを見ますと、九〇%近く自衛隊が共同使用しておる。そこで伺いたいことは、沖繩の基地縮小も含めて、これは国会決議があったことですが、今後どういうような基本的な考え方を持っておるか、たとえば何かそういった施策を持っておるのか、これをひとつお伺いしたいのです。
  233. 江崎真澄

    江崎国務大臣 岡本さんの御指摘の点はきわめて重要だと思います。いま実は私ども防衛庁内で相談をいたしておりますのは、米軍の返還基地をどう処置するのか、それからまた、これが自衛隊基地を含めて今後一体どうしていくのか。基地周辺整備というものも、まさにここでも議論になりますように、計画的にやっておりますものの、何といってもまだ経費も足らないし、要望にこたえるのには十分でない。いろいろ複雑な問題がありますから、大所高所から基地を再検討するプロジェクトチームを防衛庁内につくりまして、現在あるわけですが、これを次官クラスを最高責任者として発足させたいということを考えておるわけです。これは予算が国会を通過いたしました時点ごろ、すなわち四月早々にも発足をさせまして、こういった問題に真剣に取り組んでいくつもりでございます。
  234. 岡本富夫

    岡本分科員 そこで、もう一つ突っ込んでお聞きしたいことは、このプロジェクトチームの大体の内容、そういった中身をもう少し明らかにしていただきたいのです。
  235. 江崎真澄

    江崎国務大臣 今後計画をするわけでありますが、たとえばこの分科会に入りまして特異な現象は、きょうはあまりそうでもありませんでしたが、きのうは、自衛隊の基地を解消しろ、返せといったような議論が朝から晩まであったわけです。したがって、一々それにおこたえしておると自衛隊の基地というものがなくなってしまう。これでは困るわけですね。そこで自衛隊の必要な基地というものは一体どことどこなのか、またほんとうにこれは返し得るのかどうなのか、こういったこともやはり検討の余地がある。それから米軍の基地が戻ってくる。これは従来自衛隊が共用いたしておりまして、共用という形でだんだん自衛隊が譲り受ける既成事実をつくっていく、そういう形が現実にはありますね。ところが、この基地を返したり、あるいは米軍の基地を返還というと、もともと国有財産ですから、これが民間に払い下げられるというと、大蔵省のほうになってしまうわけです。一方、自衛隊の演習場を設ける、基地を設けるということになると、これは四次防の中なり五次防の中なり、将来多額な経費を費やして獲得していかなければならない。これも一体国家財政等の上からいってどうであろうか。また防衛費がとかく議論されるおりからどうであろうか。そうすると、国有財産である基地と新たに求めようとする基地と、国有地であるならば、等価交換みたいなことは一体行政措置としてできないのかどうなのか、そういうことも真剣に検討してみる必要があると思うのです。そういうことを十分検討して、そして必要なものは確保するし、不必要なものは——不必要なものはないというでしょうけれども、返還可能なものは、政治的判断を加えて地元の意向に従うということを考えていい問題だと私は思っております。
  236. 岡本富夫

    岡本分科員 あなたがおっしゃったように、全部なくなってしまう——われわれは国の自衛権というものを全部否定するのではない。自衛隊に対して合憲、違憲いろいろ御意見ありますけれども、そういう立場から言ったのではありませんからね。  特にお聞きしたいことは、専門のこういったいろいろな人が集まってプロジェクトチームをつくって、そして検討するということでありますけれども、これは米軍の基地が返ってくる、それを自衛隊基地に使おうというためのただ一つの宣撫工作といいますか、そういうことであってはちょっと意味がないと私は思うのです。そこで、米軍の基地はわかりましたが、そういったチームをつくってやろうというのですが、自衛隊基地もやはりそういうことにしなければならない。これを検討する考えはありますか。
  237. 江崎真澄

    江崎国務大臣 当然、自衛隊の基地も考える必要があろうかと思います。それは、戦前から受け継いだ基地で、特に東京周辺なんというのはベッドタウンとして急変貌を遂げたという都市が多いわけです。そのどまん中にあるような基地は、その性格とその町のまん中という地理的位置等も一体理解されるかどうか。その性格によってはいろいろ理解されないものもありますね。たとえば、さっき私のあれは米軍のヘリポートですけれども、まさに町のどまん中ですね。こういうのは、やはり移転をしてもらうなり整理をするなり考えていく、これは当然なことだと思うのです。したがって、すべてをひっくるめてもう一ぺん検討してみる必要があるのではないか。必要不可欠なものは、これまたちゃんと説得力をもって、絶対これは要りますということを確認していくことも、チームとしての大事な検討要項だというふうに思っております。
  238. 岡本富夫

    岡本分科員 そうすると、いまの長官のお話では、一つは在日米軍の基地縮小についてのプロジェクトチームと、それからもう一つは自衛隊基地の検討のチームをつくる、こういう二つと考えてよろしゅうございますね。
  239. 江崎真澄

    江崎国務大臣 まあそういうことです。ただあまり縮小、縮小と言いますと、これはまた問題が起こるかと思います。しかし、必要でないものは、やはり縮小というか、地元に返還していくということでちっとも差しつかえないと思う。だから、必要なものは地理的位置を改めて別に確保していく、こういうことも必要ですね。全部なしにするわけにいかないのですから。そうすると、そういう場面でどうして獲得していくかということは、これは大事なことなんです。そういうどきに、国有財産同士で交換をしたり何か便法はないのか、十分検討したいと思います。   〔森下(元)主査代理退席、正示主査代理着席〕
  240. 岡本富夫

    岡本分科員 わが党では、四十三年の十二月に米軍基地の総点検を行なったことがありますが、そこで、遊休施設、あるいはまた先ほどあなたもおっしゃった、市街地の中にある、そしていろいろ騒音や各種公害を起こしている、こういうものをすべてに優先して返還交渉するように要求してきたわけでありますけれども自衛隊基地もやはりそういうように——長官の話、ちょっと聞いていると、縮小というのは語弊があってというのですけれども、遊休施設あるいはまた不必要なところ、こういうのは、いまはもう住宅問題など、いろいろな問題で困っているときですから、できるだけ縮小もし、不必要なものはそうしていく。これは一番大事ではなかろうかと私は思うのです。長官も閣僚の一人として、国の安全を守るためには、外交も含めたそういった立場から国の安全保障というものを考えるならば、なるべく国民の税金を国防に使わなくて、そうして安全を守れるというようなところにもやはり頭を使っていらっしゃると思うのです。それでなかったら、シビリアンコントロールは必要ないのですからね。そういうことで、縮小、縮小には語弊があるというお話でありますけれども、私はやはりその点も考えた立場から、自衛隊の基地、あるいはまた米軍の基地の返還後の使用、これもひとつ考えていかなければならない、こういうように思うのです。  そこで、先ほどちょっと渡部さんが話していた基地の電波障害ですね。ジェット機については、電波障害に対するいろいろな助成措置、これはとっているけれども、ヘリコプターについてはとっていないというお話でありましたが、ヘリコプターの電波障害とジェット機の電波障害との相違について、ひとつ施設庁のほうから聞きましょう。
  241. 島田豊

    島田(豊)政府委員 テレビ聴視料減免措置に伴う御質問でございますが、現在のところ、ジェット機の飛行場とその他のプロペラ機あるいはヘリコプターの飛行場の場合とございまして、さしあたりジェット機のほうから減免措置を講じてきておるところでございますが、騒音がどう違うかというお話でございますけれども、ジェットの場合ですと、おそらく百十ホンくらいはあると思います。ヘリの場合もおそらく百ホンくらいは出ておるのではないか。ただジェットの場合、一時的に非常に推力を増します場合にものすごい音を発する。ヘリコプターはちょっとやや騒音の質が異なりまして、一挙にこれが過ぎ去っていくというよりは、むしろ上空に低迷をするという、そういう時間的にむしろ長いというようないろいろな点がございます。騒音そのものについては、ヘリの音もやはり百ホンくらいは出るのではなかろうかと思います。
  242. 岡本富夫

    岡本分科員 私は騒音の話をしておるのじゃないですよ。電波の話をしているのですから。これは変わらないのですよ。ですから、片一方をやって片一方はやらないという、こういう片手落ちはひとつ考えて、それをやるから基地の縮小がおくれるので一これは関係ないのですよ。これは施設も違うのですが、減免してやるだけのことですから。そうして、なくなったらちゃんともとへ戻すだけですから、たいしたことはない。これは早急にひとつ検討をして、うしろに大蔵省おりますが、あまりぶつぶつ言わぬでその点はちゃんとしてあげてください。  それで、次に本論へ戻りまして、基地の返還について、ひとつそういう観点から一つの事例を申し上げたいのですけれども、兵庫の宝塚市の長尾山というところに演習場がある。この演習場の広さ、あるいは使用状況、これをひとつお伺いしたい。
  243. 鶴崎敏

    ○鶴崎政府委員 宝塚市に長尾山演習場というのがございまして、この演習場は陸上自衛隊の中部方面隊の小演習場になっております。面積が約五十七万平方メートルでございまして、伊丹の駐とん部隊と千僧の駐とん部隊がここで、歩哨の訓練、あるいは戦闘指揮の訓練、あるいはレンジャーの訓練、こういったようなことを実施いたしております。これは伊丹、千僧の部隊にとりましては、なくてはならない演習場になっておるわけでございます。使用の頻度は大体年間百日で、マン・デーといいますか、人日に直しますと約四千人目というような状況になっております。
  244. 岡本富夫

    岡本分科員 これに対して地元からどういうような要求が来ておりますか、その点をひとつ……。
  245. 鶴崎敏

    ○鶴崎政府委員 最近私ちょっとこの問題から遠ざかっておるわけでございますが、地元からは、ここを返還してもらいたいというような要望があったかと思います。
  246. 岡本富夫

    岡本分科員 あなたのほうの資料はそういうことになっていますが、実際にこの付近の市長あるいはまた皆さんから聞いてみますと、ほとんど使っていないというのですね。だから、この演習場を、将来あの辺のレクリエーションの場とか、あるいは市民のそういった健康を保持するためのところにひとつ使わしてもらいたい、こういうような強い要望があるわけです。そこで、即時というわけにはいかないと思うのですが、兵庫県も何か二十一世紀博というので博覧会をやろうというので、あの辺にひとつ場所をお願いしたいというようなことも考えておるらしいのですが、この地元の市長さんのいろんな話を聞きますと、この演習場と交換する場所を、これは播磨のほうの新宮町というところに求めてもよいから何とかひとつやってもらいたいというような要望もございました。それを含めてひとつ検討していただきたいと思うのです。  そこで、今後、基地あるいはそういった演習場というものの返還について、ただ一介の民間業者に渡すとか、あるいはまた民間の業者と交換するとか、こういうようなことは原則としてしないでいただきたい。なぜかならば、宝塚というところは人口急増地区でして、そこへどんどん民間が家を建てる、水を引いたり何かするのは市の責任だ、こうなりますと、水源の確保からとてもたいへんなことになっている。こういう面を考えますと、その点はひとつお約束をしていただきたい。  それから、早急に検討して、これはひとり地元の皆さんが使えるようにしていただきたい。そうでなければ、自衛隊が国民から遊離してしまうようなことになったり、あるいは自衛隊が孤立する、こういうようなことも考えられるわけでございますので、その点について、将来の検討でありますので、ひとつ長官から御答弁いただいておきたいと思うのです。
  247. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これはさっき申し上げましたプロジェクトチームで検討するわけですが、とにかくそういうふうで実際返還要求が多くて弱ってしまうのです。ですから、特にこれは年間百日というと約三分の一使うという非常に重要な演習場ですね。   〔正示主査代理退席、森下(元)主査代理着席〕 ですから、これは演習場であり、またお説にあるようなレクリエーションとのかね合いでいけるというような形で、演習場としてもお認めをいただく。何かそういうことでもないと演習場もなくなってしまう、その辺もひとつお察し願いたいのです。十分検討いたします。  もう一つは、これはもう御指摘のとおりにしていきたいと思います。ただ、先ほど申し上げましたように、これではありませんが、こういう演習場を整理するという場合に、何か代替地を求めるという場合には国有地対国有地でかえていく。そこで大蔵省がどういう処置をするかということになるわけですが、御趣旨の点はごもっともだと思いますから、そういう線に沿っていけるような形を今後ともとりたいと思います。
  248. 岡本富夫

    岡本分科員 そこで、米軍の基地が返ってくるわけです。これも含めると代替地はまたできるわけです。それはそれ、これはこれと別に分けなくてけっこうですから、米軍の基地も返ってくるんですから、それも含めて、しかもまた宝塚市におていは、代替地を渡します、場所は違いますけれども、そういうことまで市で言っているわけです。というのは人口急増地区で困っておるわけです。  ひとつそれはまた検討いただくことにいたしまして、時間があれですから……。
  249. 江崎真澄

    江崎国務大臣 それは検討しましょう、そういう特に代替地という問題は。
  250. 岡本富夫

    岡本分科員 お願いします。  それで最後に、自衛隊団地がある市、宝塚もそうですし、伊丹とかこういうところで一番いま困っているのは、どんどん団地がふえるわけです。どんどんというわけではありませんけれども、ふえるわけです。そうしますと、市としてはその学校をつくらなければいけないのです。それから幼稚園もつくらなければいかぬ。しかも自衛隊の方の移動が非常に激しいんです。そこで事務的に非常にめんどうだ。これは別としまして、したがってたとえば、これはあとで検討してもらってけっこうですが、宝塚市の長尾南小学校、これなんか、ぼくが行ってみましたら、プレハブの校舎を建てておりまして、それで間に合わしているわけです。今度またすぐあと自衛隊の団地ができるのでまたつくらなければいかぬ。非常に苦労している。したがって、こういった市に対する助成と申しますか、何らかの手を打ってやらないと非常に苦労している。ごみの処理あるいは下水については若干今度いただけるのではないかというようなことも言っておりましたけれども、この点について……。
  251. 鶴崎敏

    ○鶴崎政府委員 ただいまの学校の関係でございますが、お話ごもっともと思います。しかし、どうもいまの周辺整備法では、そういうところまで手を広げておりませんので、いまちょっとお話がありました、ごみ処理だとか水道施設とか、そういう現在法律で認められている範囲のものについてはできるだけの御援助をしたい。この学校の問題については非常にむずかしい問題でもございますので、なお今後の検討課題にいたしたい、こう思います。
  252. 岡本富夫

    岡本分科員 これは長官、法改正もしないといかぬらしいのですが、そうたくさんはないわけですけれども、現実問題としてこうして非常に困っているわけですから、何とか法改正をやるとかいろいろ範囲を広げるとか、法律にはその他というのがあるわけですから、それを利用してうまく納得できるようなふうにしていただきたい。  その次には、沖繩の移駐につきまして、米軍の肩がわりだというようなことを言っておりますけれども、いずれにしましてもこの県民感情というのは非常に強いです。旧日本軍隊の頭があるわけです。しかも大東亜戦前は日本の軍隊はいなかったわけです。私もこの前視察に行ったときにも、それをつくづく言われました。いまの米軍にはいろいろかっぱらいもおったりする、悪いじゃないか、こう言いますと、日本の軍隊よりましですと、こう言うんですね。これは私驚きました。したがってこの県民感情をどういうようにするか。政務次官が行かれたと聞いておりますけれども、これはやはり将来どうしても長官が乗り出していって、そうして相当説得しなければこれはうまくいかないのじゃないか、こう思うのですが、人格円満なる長官の御出馬あるいはまたどうするかということについて、最後にお伺いして終わりたいと思います。
  253. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御指摘の点はきわめて重要に考えております。私も、行く雰囲気ができればぜひ行きたいと思っております。これは防衛庁長官に就任しまするまでは、沖繩復帰促進のための党の国民運動本部長という立場でしばしば沖繩に行っておりましただけに、私、わりあい沖繩の県民感情というのはわかるような気がするのです。特に自衛隊に対する感じ方、受け取り方、これは御指摘の点が確かにあります。しかし、旧軍隊とこの新しい自衛隊というものとでは全然性格が違います。したがいまして、そのことを、準備行動で行っておる者を含めまして、今後ひとつ十分徹底するようにPRしていきたいと思っております。御指摘のように、もし私が行く雰囲気ができれば……(岡本分科員「つくるのですよ」と呼ぶ)これはごもっともで、参りたいというふうに考えております。いろいろその点ありがとうございます。
  254. 岡本富夫

    岡本分科員 特にその雰囲気をつくって、やはり長官みずから乗り出していって、その辺をきちっと説得しないとたいへんなことになると思うのです。だから、返還されたけれどもあとで内乱のようなことになってしまう、いろいろなことになってしまう。これは自衛隊が行って、向こうでいろいろなことが起これば、自衛隊は国を守りに行ったんじゃなくして沖繩をつぶしに行ったことになってしまう、きついことを言えば。そんなことになったのではたいへんです。これは同じ日本人同士ですから、長官が絶対に、特に重大な決意で行っていただきたい。もう一ぺんその点だけひとつ……。
  255. 江崎真澄

    江崎国務大臣 たいへん御熱意のある御意見で、ありがたく承りました。そういうように努力をいたします。
  256. 岡本富夫

    岡本分科員 では終わります。
  257. 森下元晴

    ○森下(元)主査代理 近江巳記夫君。
  258. 近江巳記夫

    ○近江分科員 きょうは限られた時間でございますので、ひとつ簡潔に要点をお願いしたいと思います。  私は数点にわたって御質問したいと思うのでございますが、まず初めに空の安全ということについてお聞きしたいと思います。  雫石町上空の事故は、航空史上初めてのあれだけの大事故でございました。その当時長官は就任しておられなかったわけでございますが、あの件に関してどういうふうに長官として反省をなさっておるか、所感をひとつお伺いしたいと思います。
  259. 江崎真澄

    江崎国務大臣 まさに世界の航空史上にもまれな大惨事が起こったわけでありまして、特に日本のような国柄においては民航第一主義、こういうことでなければならぬと思います。  その後、幸い運輸省側と航空管制等において調整ができたわけですが、今後ともその調整の線に沿って、十分ひとつ配意をしていきたいと思っております。
  260. 近江巳記夫

    ○近江分科員 その後、自衛隊機によるニアミスは何回あったのですか。
  261. 久保卓也

    久保政府委員 昨年の事故以後にニアミスとして報告のありましたのは、自衛隊機が関与しましたのは一件、昨年の八月にあった件数だけであります。
  262. 近江巳記夫

    ○近江分科員 私が報告を聞いておるのと違いますね。二回あります。まあ、あとで申し上げます。  それから、民間機のニアミスというのは、運輸省とそれだけ連携をとっておられるのでしたら、報告を聞かれておりますか。
  263. 久保卓也

    久保政府委員 担当者でわかっているかもしれませんが、私の手元には資料はございません。
  264. 近江巳記夫

    ○近江分科員 きわめて危険なそういう接近があったという報告は、運輸省にあれ以後十七回あったわけです。その間運輸省としてもいろいろと調査をいたしまして、これは非常に衝突寸前の異常接近であると認めた件数は十一件あるのでです。その中で自衛隊機によるニアミスは、四十六年十月六日、これは自衛隊機同士です。新潟上空で、高度二万六千フィートで接近していますね。それから四十六年十二月十日、自衛隊機同士、小松上空において接近しています。二万二千フィート。これは十一件の中の自衛隊のニアミスでございます。きょうは時間があれば全部いろいろ申し上げたいのですが……。あとは民間機による異常接近です。これは大臣、実際に接触をしておればまたあれだけの大事故が起きておるわけです。  いま空を使っておるのは、民間、そして米軍、そして自衛隊、三つですね。したがってこの三者は、これはもう自衛隊自衛隊だけだというような観点であれば、空の安全は絶対に守ることができないと私は思うのです。あの雫石町上空の大事故以後、こういうように十一回もの衝突寸前のニアミスが起きておる。これはどういう点に原因があると長官はお考えでございますか。
  265. 江崎真澄

    江崎国務大臣 空港は非常なふくそうを重ねて稠密現象を呈しておりますが、日本の空というものは、まだそんなに極端なものではないということがいわれております。やはりこれはそれぞれの不注意によるわけですから、今後十分戒めて、航空管制上の諸規則を守るようにお互いが努力をしていくように注意喚起をいたしたいと思います。特に航空自衛隊を持っておりまするわれわれ防衛庁としては、その点に留意しまして、厳重に戒めていきたいと考えます。
  266. 近江巳記夫

    ○近江分科員 これは、飛行機事故というのは一たびあれば、長官、死につながるわけです。どういう交通機関であろうと非常に危険でありますが、空の場合はイコール死と思って間違いないのです。それだけにパイロットをはじめ整備をする人に至るまで、これは真剣に注意もしておるわけです。しかし、今日これだけ航空機が速いし、しかも超高空で飛んでおるわけでしょう。はたしてパイロットの注意力だけでいけるかという問題なんです。私もパイロットの人ともいろいろ話もしました。それで申し上げたいのは、運輸省が管轄しておる長距離レーダー、これはいま東京と福岡ですね。それで空港整備五カ年計画で、沖繩を含めて全国八カ所で全部ネットワークをする、そうすれば三百六十度の円の中にみな入るわけでございますが、結局、いまこの長距離レーダー網がないところを、米軍機、自衛隊機、民間機が飛びかっておる、ここにニアミスの最大の原因があるのです。  そうしますと、五カ年間も待てないということです。航空機がどんどんふえてくる。しかも電波の混乱とかその他もろもろの要件が重なってきている。それで運輸省も三年間に縮めたいということを言っておるわけです。実際に飛んでおるパイロットは、もう毎日がそれこそ神経をすり減らした戦いだということです。それはもちろん普通でもそうだと思いますが、日に日にその深刻さが増してきている、こう言っている。そこで五カ年計画を三年間に縮めたとしても、それまでは待てないというわけです。  それでどうすればいいかという問題なんです。自衛隊は長距離レーダーを全部備えている。ですからみんなの声は、民間がそのように整備ができるまで、ほんとうに自衛隊が空の安全を考えてくれるなら、そのレーダーを同じように使わしてくれないか。それは自衛隊自身にも軍事機密とかいろいろなこともあろうかと思いますけれども、こういう大事故がこれから続々とふえていった場合のことも考え、また人命尊重、生命のとうとさということを第一番に考えたときに、ただそういう自衛隊の立場だけで固守できるかという問題なんです。これは私は人道的な立場において、長官にその辺のお考えを承りたいと思うのです。どうでございますか。
  267. 江崎真澄

    江崎国務大臣 一つの御卓見だと思います。検討します。
  268. 久保卓也

    久保政府委員 確かに管制が問題でございまして、自衛隊で昨年一件ニアミスがあったと申しましたけれども、やはり羽田の管制の問題で、新潟の件はニアミスと思っておりませんが、これは計器飛行方式でございましたから、管制上の問題であります。  そこで、管制をどういうふうに確実にやるかということが、昨年の事故あとの衆参の連合審査会でも提案されまして、いま御提案のような事柄については運輸省、私どもも十分承知をして、昨年の秋に運輸省側からわれわれのほうにいろいろな技術的なデータの要望がありました。そこで、われわれのほうでは図面等も付して十二月に運輸省に渡してあります。そういったものが、いま御提案のような趣旨で運輸省が使えるものかどうかということは、運輸省が現在検討しております。  なお、沖繩については、やはり同じような問題がありましてデータを差し上げましたが、これは自分のほうでやりたいということで、自分のほうでレーダーをつくることになっております。
  269. 近江巳記夫

    ○近江分科員 それで、今後運輸省中心として五カ年を三カ年に縮める、促進すると思います。しかしこの三カ年の間が問題なんです。毎日毎日が危険なんです。そういう点で、検討なさるというそのおことばは中身は非常に深いとは私、思いますが、もう少しことばを加えていただいて、ほんとうにそれを実施できるように検討なすっていかれるのかどうか、もう一度くどいようですが重ねてお尋ねいたします。
  270. 江崎真澄

    江崎国務大臣 防衛局長からもお答えしましたように、現在運輸省でそれを検討しておるということでありますし、われわれのほうも協力体制に立って、私、御趣旨はまことにけっこうな話だと思いますので、十分誠意をもって検討いたします。
  271. 近江巳記夫

    ○近江分科員 その次に、大阪の能勢町というところへ防衛庁がナイキ基地をつくるということで、これは三次防の中に一応計画されておったようでございますが、この件については、いきさつ等については当然担当者である皆さんよく御承知のとおりでございますが、現在四次防の問題もこうした事態に至っておりますし、しかも国際情勢も緊張緩和の方向にきておりますし、防衛庁としてもそうした点を十分考慮に入れられて、いろいろとお考えになっていると思うのでございますが、一応白紙に戻すというお考えに立たれておるわけでございますか。
  272. 鶴崎敏

    ○鶴崎政府委員 能勢町に設置を予定いたしておりますナイキの基地は、いわゆる第四高射群の一環として計画をしておったわけでございます。目的はもう御承知のように、阪神、中京地区を防衛するというためのものでございますが、この問題が表面に出ましたときに、地元に対する説明がまだ不十分であったというようなことから、町議会の反対決議あるいは府議会でも反対決議をされ、近隣の市町村においても反対というふうな事態になりました。われわれとしても非常に遺憾に思っておったわけでございますが、その後いろいろナイキ基地を実際に地元の方々に見ていただくというようなことによって、認識を深めていただくような努力を続けてまいっております。しかしながら、正直申し上げて、いまのところ、この地元の反対が賛成に変わるというような情勢にはなっておりません。  しかしながら、この問題については、われわれとしては、あくまでも地元との話し合いで解決するということで考えておりますが、いまお話しのように、もう白紙に還元したのかという御質問に対しては、まだ白紙というわけにはまいらないけれども、あくまでも話し合いによって、かなり長期的な展望のもとにこの問題は解決せざるを得ない、こういうふうに考えております。
  273. 近江巳記夫

    ○近江分科員 長官も御承知のように、大阪や京都というところはほんとうに自然が破壊され、緑のない大都会に変わってきておるわけです。そういう中で、あの豊能郡一帯というのは数少ない残された緑地帯であるわけです。そこで、御承知のように近畿圏整備本部、これは長官に西村建設大臣が立たれておるわけでございますが、近畿圏整備につきましても、近畿圏の保全区域の整備に関する法律がばっちりできておるわけです。この法律の目的の第一条を見ても、「保全区域内における文化財の保存、緑地の保全又は観光資源の保全若しくは開発に資することを目的とする。」とはっきり出ている。しかも、これに基づいて大阪府においては、「豊能郡東能勢村、同能勢町」とはっきり出ているわけです。地図にもすばらしい北摂群山の緑の——これは時間がありませんからあとで見てください。出ておるわけです。それをあえて、まだ長期的な展望で考えていくというので、その意思は依然としてお変わりにならない。私は非常に問題だと思います。  それからさらに、大阪府におきまして、御承知のように大阪府地方計画というものがございまして、北摂群山自然公園、さらに煮詰めたそういう計画ができておりますし、現実に大阪府の青少年野外センターが数多くの施設を周囲一帯にちりばめておるわけです。多くの青少年たちが喜々としてあの一帯で遊んでおるわけです。そのように健全な青少年を自然の中で育成していく大きないこいの場となっておるわけです。また、あの能勢町周辺の各市が寄って、あの一帯を緑に包まれた、自然の生かされたところにする地方開発計画も生まれておるわけです。  こういうように、地域においてもこれだけの計画がなされておる、それをあえて防衛庁はやっていかれる。いま一番大事なことは何か、やはり何といっても地域の充実じゃないですか。いま住民はみんなそういう自然との調和の中で豊かに栄えていく地域社会というものを夢見ているわけです。それをあくまでもダンプカーで踏みつぶしていくようなやり方、これがはたしていいかという問題です。  しかも、昨年の分科会で私も申し上げましたが、あの一応防衛庁が予定されておられる地域の周囲には火薬庫があるわけです。ナイキを打ち上げたときにブースタしが落ちる、あるいは発射に失敗をする、火薬庫にでも落ちたらどうなりますか。そういうようなこともあるわけです。  しかも、先ほど鶴崎さんもおっしゃいましたが、地元の各市町村議会は全部反対決議をしている。大阪府ももちろん反対しています。しかも兵庫県も京都府も、あの隣接の市町村は全部反対決議をしている。そういう中でもって進めていかれる、これはどういう意図に基づいてやっていくのですか。あくまでも地域住民意思が私は一番大事だと思うのです。そういう地域住民の希望、意思、そういうものよりも自衛隊の目的とする、そちらを先行させるほうが大事なんですか。これは長官にお伺いしたいと思うのです。
  274. 江崎真澄

    江崎国務大臣 鶴崎参事官の答弁にもありましたように、現実としてはあそこにナイキ基地を持つことはなかなか不可能だ、こういう見通しに立っておるもののようです。私もちょっと事情がありまして、この土地の情勢等については前々からよく知っておるつもりであります。しかし、大阪を中心とした都会地の上空を守る、不測の事態に備えるという点からまいりますると、やはりナイキの基地は求めなければならないと考えております。したがって、能勢を含めた広い範囲で適地を考慮しておる、こういうふうにお考えいただいてけっこうだと思います。
  275. 近江巳記夫

    ○近江分科員 根本的な防衛の考え方という一端に長官もお触れになったわけでございますが、有名な軍事評論家の小山内宏さん、この人はこういうふうにおっしゃっているのです。「これまで基地防衛のために置かれていた高射群が初めて阪神・中京という都市圏の防衛に配備されたものといえる。ナイキ・ハーキュリーズの日本型であるナイキJは、レーダーコンピューターで発進三万メートルの上空で迎撃する、かなり高性能なものだが、相手の兵器をエスカレートさせる危険がつきまとう。軍事力を増強するだけで、複雑な世界情勢に対処していけるだろうか」このように問題点指摘されているわけです。さらに、「ナイキJのような高空用ミサイルは、発射にミスがあると、弾体が周辺に舞落ちる危険がある。国土が狭く、地形の複雑な日本では、安全な距離をとる余裕がない」こうした点をおっしゃっておられるわけです。  そういう点におきまして、いま長官もこの範囲をそこだけには限っておらないのだ、こうした御発言がございましたが、いずれにしても、私、先ほど申し上げましたように、あの一帯は大阪に残された唯一の緑地帯でございますし、これはどうしても地域のそうした計画というものにつきまして全く逆行することになるわけでございます。そういう点で、これはいまかなり前向きのそういう御答弁をいただいたわけでございますので、ひとつさらにその点、極力白紙に戻せるように努力を払っていただきたいと思うのであります。その点につきましてもう一度……。
  276. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御趣旨は十分承りました。これは地元に反対があるから話が解消したのだとか、そういうことでも困るわけで、国防の必要上きめておるわけでありますので、ことばのあや等については、これは御推察を願いたいわけです。広い意味で再検討をしておる、こういうわけでございますので、御了承を願いたいと思います。
  277. 近江巳記夫

    ○近江分科員 その他域を限定せずに考慮するということをおっしゃったわけでございますが、さらにもう一歩進んで、これを設置しないという、そこまでのお考えはございませんか。
  278. 江崎真澄

    江崎国務大臣 ちょっといまの時点では、そこまで申し上げかねます。
  279. 近江巳記夫

    ○近江分科員 この問題につきましては、もうつぶさに防衛庁としても事情を御存じでございますし、地元住民がそれぞれの計画に従って、豊かな地域の建設に毎日努力しておるわけでございますので、どうかそうした夢が実るように、防衛庁としてさらに格段の努力をお願いしたいと思います。  それからもう一つ、もう時間がございませんがお伺いしたいのですが、それは八尾空港でございます。御承知のように民間航空機、特に小型でございますけれども、それと陸上自衛隊の航空隊が使用しておりますが、当然あそこは、あの上空を通って大阪空港へ離着陸をやっておるわけでございますし、そういう空の安全という点から考えても、ああいう大都会のどまん中にそういう飛行場があり、そこを自衛隊が使用するのはどうかと思う。この前長官は、大都市周辺の基地等については点検をする、そして考慮するということを国会でもおっしゃったわけでございますので、その八尾飛行場から陸上自衛隊の航空隊の移転というようなことについてお考えになっていらっしゃるのかどうか、この辺についてひとつお伺いしたいと思うのであります。
  280. 鶴崎敏

    ○鶴崎政府委員 八尾飛行場には、現在陸上自衛隊の中部方面の航空隊の主力、人員約五百名、航空機約三十機が所在しておりまして、こういう中部方面総監部に近いところに航究隊を置くということは、災害の救助あるいは要務連絡といったようなことから、これはぜひとも必要であるというふうに感じております。  したがいまして、いまお話しのような点も十分理解ができるわけでございますけれども、いまの段階で八尾の飛行場にいる中部方面航究隊を他に持っていくということは、防衛庁としては非常にむずかしいのじゃなかろうか、そういうふうに感じております。
  281. 近江巳記夫

    ○近江分科員 非常にむずかしいというお話があったわけでございますが、それはいまの時点でそうであって、将来もむずかしい、こういう長期的な展望に立ってのお答えであるのか、短期的なお答えであるのか、その辺もう一度明確にお願いしたいと思います。
  282. 鶴崎敏

    ○鶴崎政府委員 八尾の飛行場は、運輸省所管の究港を防衛庁のほうが利用させていただいておるということでございますので、これは運輸省のほうの将来の計画、こういったものともにらみ合わせて考えないと、防衛庁単独ではなかなか計画も立たないということかと思いますが、長期的な意味合いにおけるそういった検討、これはやはり必要かと存じます。
  283. 近江巳記夫

    ○近江分科員 どうしてもそこの究港がのけないとしても、自衛隊さんだけでもほかの適当なところに移転ができないのかどうか、それを長期、短期に分けて、その辺の見通しについてお伺いしたいと思います。
  284. 鶴崎敏

    ○鶴崎政府委員 その点につきましては、今後の検討課題ということで、いまここでちょっと即答はいたしかねると思います。
  285. 江崎真澄

    江崎国務大臣 この間の立川飛行場への移駐問題がありましたね。あれは東京中心とした、特に京浜地区の災害救助活動に資する、こういうことでしきりに御理解を求めて今日に至っておるわけですが、京阪神地区、特に阪神地区に大災害が起こったときには、この八尾のヘリコプター部隊、あの飛行場にヘリコプターを集約して民生協力に出る、こういう計画を陸上自衛隊としては持っておるもののようです。したがって、そういう効用の面も御参考にお考えいただきますとたいへんありがたいと思います。
  286. 近江巳記夫

    ○近江分科員 飛行場がありますと騒音という公害問題がいつもつきまとうわけです。自衛隊機は、四十五年は一万五千六百二十二回、四十六年は一万五千八百八十七回、八尾究港で離着陸なさっておるわけです。もちろん民間機もそれ以上に離着陸をやっておりますが、住民のことを考えますと公害問題はたいへんだと思うのです。そういう点で十分配慮していただかないと非常に問題だと思います。この点だけ、どのように今後配慮なさっていかれるのかをお伺いして、もう時間が来ておりますので終わりたいと思うわけです。
  287. 島田豊

    島田(豊)政府委員 八尾飛行場の騒音対策につきましては、従来からかなり私どものほうとしても力を入れてまいっておるところでございます。自衛隊機の発着のみならず、民間機の発着もありますので、それを含めまして対策を講じておるわけでありますが、今後ともこれが維持されておる限り、われわれとしても十分地元民の御要望の線に沿いながら、できるだけの努力をしてまいりたい、かように存じます。
  288. 近江巳記夫

    ○近江分科員 時間が参りましたから終わります。
  289. 森下元晴

    ○森下(元)主査代理 東中光雄君。
  290. 東中光雄

    東中分科員 最初に国防会議の事務局長にお聞きしますが、総理が昨年の十二月十八日の参議院の沖特委で、自衛隊の沖繩配備については国防会議にかけてきめるというふうに言われたわけですが、国防会議の議長であり内閣の代表者としての内閣総理大臣がそう言われたのですが、国防会議に沖繩配備についてかけるというのは、法的な根拠はどのようになるのでしょう。
  291. 海原治

    ○海原政府委員 法的な根拠と申されますと、防衛庁設置法の第六十二条に御存じのような規定がございまして、これの第二項の第五号に、議長が必要と認める重要事項ということがございますが、法律的な根拠といたしますと、この規定に該当するものと考えます。
  292. 東中光雄

    東中分科員 そうしますと、沖繩への自衛隊配備は、「内閣総理大臣が必要と認める国防に関する重要事項」防衛庁設置法の六十二条二項の五号、これによって国防会議にかけるというふうに言われた。国防会議としてはそういう理解で進めておられるわけですね。
  293. 海原治

    ○海原政府委員 もう一度申し上げますと、私ども事務局のほうからの御連絡で申し上げたわけでございません。総理の御発言でございますが、その根拠は何かということを事務的に考えますとそういうことに相なる、こういうことでございます。
  294. 東中光雄

    東中分科員 設置法の六十二条二項五号あるいは二項の各号に該当する場合は、内閣総理大臣は国防会議にかけなければならないというふうになっていますね。だから内閣総理大臣がそういう判断をしたら、それは沖繩の自衛隊配備については国防会議にかけなければならない、そういう性質のものだということは言えるわけですね。
  295. 海原治

    ○海原政府委員 そのとおり考えております。
  296. 東中光雄

    東中分科員 これは昨年の十二月十八日ですが、その後沖繩の自衛隊配備について国防会議ではどういうふうに進んでおるか、その点の現状を明らかにしていただきたい。
  297. 海原治

    ○海原政府委員 これは、私どものところはあくまで合議体の事務局でございますので、一番関係の深い、この件につきましては防衛庁でございますが、防衛庁で配備計画の案ができました場合、それをいただきましてから関係各省のほうとも御連絡をして、国防会議御存じのように参事官の会議と、各省次官等からなります幹事の会議と、それから国防会議と、この三つの段階がございます。そこで、各段階を経て逐次御審議をいただくことでございます。参事官会議は、去る十五日に午前、午後二回開催いたしました。しかし、このときの資料等におきましていろいろとまだ整わないのがございましたので、防衛庁のほうにお願いいたしまして、上で御審議いただくための資料の準備をいまお願いしている段階でございます。このことは、先ほど内閣委員会でもお答えしましたが、昨日夕方までの段階では、まだいつその資料ができるかにつきましての御連絡は受けておりません。
  298. 東中光雄

    東中分科員 そうしますと、国防会議事務当局としては、防衛庁から沖繩配備についての防衛庁の原案というものはまだ出ていない、これも整備されていない、こういう段階だということでございますね。
  299. 海原治

    ○海原政府委員 出ていないと申しますか、一応用意されましたものにつきまして多少問題点もございますので、もう一度ひとつお考え直していただきたい、御整理をいただきたいということになっておる段階でございます。したがいまして、この点は御連絡いただいてこれについての整理をお願いしておる、こういう段階でございます。
  300. 東中光雄

    東中分科員 そうすると、防衛庁の原案は出たけれども、事務局段階で検討してもう一度考えてほしいということになって、最終的な防衛庁原案というものは出ていない、こういうことですね。
  301. 海原治

    ○海原政府委員 そのとおりでございます。
  302. 東中光雄

    東中分科員 防衛庁長官にお伺いしたいのですが、去る三月十三日の予算委員会で、江崎長官はこういうふうに言われておるのですが、「沖繩復帰後、逐次所要の自衛隊の部隊を配備することが政府の方針であります。」「沖繩への部隊配備の基本方針があります。」「政府の方針はすでに久保・カーチス取りきめですね、これがきまっておるわけで、これは政府の責任において認めておるわけです。したがいまして、大体復帰後半年以内に三千名程度のものは、三千二百と当時説明しておりましたが、一口に言ってその程度のものは配備するという基本方針はきまっておる。」こういうふうに言われておるのですが、政府の沖繩配備についてのきまっておる基本方針というのは、いつきまったことなんですか。まずそれをお伺いしたいのです。
  303. 江崎真澄

    江崎国務大臣 正確に申し上げますと、二月七日に「第四次防衛カ整備五か年計画の大綱」というのを国防会議できめたわけです。その二項七号に——読み上げましょうか。「沖繩の施政権返還に伴い、同地域の防衛を担当するとともに、災害派遣その他の民生協力を行なうため、所要の部隊を整備する。」こうきめておるわけですね。しかし当然、沖繩返還交渉というものがもう数年前から始まりまして、以来沖繩の施政権が戻ってくれば、当然これは日本が局地防衛の任に当たる、これははっきりきめておるところであります。
  304. 東中光雄

    東中分科員 正式にきまったのは、「所要の部隊を整備する。」ということであって、配備計画、人数、編成その他はきまっていないということでございますか。
  305. 江崎真澄

    江崎国務大臣 基本的には沖繩返還の日米共同声明、これも当然局地防衛は日本が引き受けるという方針はその時点でもきまったわけです。それから久保・カーチス協定というものは、米軍がおりまするところへ日本自衛隊が入っていくわけですから、したがって、これをスムーズに受け渡しをしていく上からも取りきめをする。これは当然必要なわけで、これが国防会議に議せられなくとも、閣議に了解を求めたときに、政府としての考え方の基本というものはきまったわけであります。そして、先ほど申し上げましたこの四次防大綱において、沖繩の部隊を整備するということは具体的にはっきり示されたわけでありまして、準備行動に入っておる、こういうことであります。
  306. 東中光雄

    東中分科員 私がお伺いしていますのは、政府の基本方針というものがあって、そしてそれに基づいていろいろな作業あるいはいろいろなセクションで行動を起こしていくということになると思うのですが、その中には、防衛庁も一つの機関としてあり得るし、国防会議も一つの機関としてあり得る、こう思うのですけれども、政府の方針はきまっておる、こう言われておるその政府の方針の内容は、自衛隊を沖繩に派遣をして、共同声明に出ておるような局地防衛を引き受ける、そのことだけですか、きまっておるのは。それ以外に政府の方針としてきまっておる基本方針、何回も長官はいままでも言われておるわけですが、その政府の基本方針というのはどの程度きまっておるのか、それをお答え願います。——長官が何べんも言われている基本方針なんですから、その政府の基本方針というのは何かということを、国務大臣に聞くのはあたりまえじゃないですか。
  307. 江崎真澄

    江崎国務大臣 従来の事実関係政府委員答弁をさせる、こういうわけですから、事実関係については、どうぞひとつ政府委員の話も聞いてやってください。それから私もまたお答えいたしましょう。私の考え方としては、さっきお答えしたとおりに考えています。
  308. 東中光雄

    東中分科員 いや、私はいま事実関係をお聞きしているのじゃないのです。それはあとでお聞きしますけれども、政府の基本方針がきまっているんだということを何回も言われておるから、そのきまっておる基本方針というのは、それこそ政府の基本方針なんですから……。
  309. 江崎真澄

    江崎国務大臣 はっきり申し上げます。沖繩の施政権が戻ってくれば、当然日本と一体になるわけでありまするから、沖繩の局地防衛はわが自衛隊において引き受ける、このことが基本方針であります。
  310. 東中光雄

    東中分科員 局地防衛を自衛隊が引き受けるということが基本方針であって、政府できまっておるというのはそのことであって、具体的な配備計画、それから人数、編成、こういうものは政府の方針としてきまっておるわけではない、こういうふうにお聞きしてよろしゅうございますか。
  311. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは久保・カーチス取りきめにおいて、日本が分担する限界といいまするか、そういったものについてのおよそのめど、こういったものが取りきめに明示されておるわけです。しかし、これはあくまで取りきめでありまするから、総理も申しておりましたように、変更することもあり得るというわけです。  したがって、今後人員をいかに配備するか、具体的な決定については、国防会議の議を経て正式に決定をする、こういう方針であります。
  312. 東中光雄

    東中分科員 そこまで先ばしりしていただくと、私のほうはかえって混乱するので、そうじゃなくて、久保・カーチス協定は取りきめなんですから、政府の方針じゃないでしょう。だからそのことだけを申し上げておいて政府の方針としてきまっておるのは、配備計画とか人数とかというものはきまっていないわけでしょう。そうなんだということだけなんですね。
  313. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これが一つのめどと申しまするか、計画であることには間違いありませんが、具体的な実行計画ではない、こういうことを申し上げております。
  314. 東中光雄

    東中分科員 それではこうお聞きしましょう。同じ委員会で防衛庁長官が、自衛隊の配備計画の原案ということを何回も言われているのです。原案はあるという趣旨のことを言っている。国防会議でまだきまっていないのに、原案があるという趣旨のことを言われているのですが、この配備計画の原案というのは、いま国防会議の事務局長が戻したと言われているそのことなのかどうか、その内容もお聞かせ願いたいと思います。
  315. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これはもうはっきりしているわけです。防衛庁として当然防衛庁原案、防衛庁試案と申してもよろしゅうございますが、そういうものが立てられることはあたりまえでございまして、それをもとにして国防会議の議を経て、正式にこれが政府原案と申しますか、ことばが同じですと間違いやすいですが、最終的な具体的方針になる、こういうわけでございます。
  316. 東中光雄

    東中分科員 この自衛隊配備計画原案というものを防衛庁がお持ちになっておるというのは、これはいつつくられて、それは人員、編成、配置、そういうものをきめておられるのかおられないのか、その点いかがでしょうか。
  317. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは政府委員から答えさせます。
  318. 久保卓也

    久保政府委員 防衛庁原案という場合に、その原案のことばがちょっと不明瞭でありますが、一応最も適切な原案の内容としましては、基本的なことは取りきめの中身とお考えいただいたらけっこうかと思います。それの具体的な実施計画についての防衛庁原案と申しますと、ことしの一月の初めに私どもがつくりました。で、国防会議に先般提出をして検討を願おうとしましたのは、具体的な配置計画というような説明でありまして、どういう部隊をどういう時期にどの程度出すかということであります。
  319. 東中光雄

    東中分科員 長官が、自衛隊の沖繩配備について国防会議にかけるのが適当であるというふうに、これは総理の答弁があって、そのあと言われているわけですけれども防衛庁長官が国防会議にかけるのが適当だと思っておられるその計画の範囲は、どういう範囲なんでしょうか。
  320. 江崎真澄

    江崎国務大臣 私は、防衛庁長官に就任をいたしましてから、沖繩の配備計画というものは国防会議にかけなくてよろしい、こういう論者でありました。そういう主張で来たわけです。ところが、総理がさっきお示しの日に参議院において、重要事項と考えてこれはかけるというふうに言われたことから、議長である総理がそういうふうに言われるならば、これはもう当然われわれもそれに同調してしかるべしと考えたわけであります。  したがって、国防会議にかける配備の具体的内容というものは、いま防衛局長も申し上げましたように、今後具体的に陸、海、空の自衛隊をどう張りつけるか、その装備、人員等についてであります。
  321. 東中光雄

    東中分科員 人員の総ワクも、当然国防会議にかけるべき事項だというふうに考えていらっしゃるのでしょうね。
  322. 久保卓也

    久保政府委員 当初の期間、ほぼ半年ないし十カ月前後、そういう期間内における部隊の人員の総ワクも含めて考えております。その後のものは、今度の国防会議ではまだそこまではいくまいと思っております。
  323. 東中光雄

    東中分科員 久保・カーチス協定に出ている、復帰後六カ月以内三千二百人というのがありますね。この三千三百人という、六カ月以内に何人というふうな期間と人数、これは国防会議にかけるのですか、かけないのですか。
  324. 久保卓也

    久保政府委員 総ワクと、あとは陸、海、空の部隊の種別、そういったもので、陸、海、空別にどれくらいの人員というのは、説明でよかろうと考えております。
  325. 東中光雄

    東中分科員 総ワクはかけるということですね。——うなずいておられるからそうだと思うのですが、そうしますと、いまのところは沖繩へ局地防衛のために自衛隊を配備するという基本方針がきまっておるだけで、あとは国防会議にかける原案が戻りつつあるという状態で、防衛庁としては、たとえば六千八百人とか、あるいは六千五百人に減らしたとか、六カ月の間に三千二百人というふうなことを言われたけれども、そういう方針はまだ何もきまっていない。配備計画はきまっていないということになるわけですね。原案段階できまっておるだけだから……。
  326. 久保卓也

    久保政府委員 事実関係をちょっとふえん申し上げておいたほうが、あとの審議に御都合がよろしかろうと思いますが、この沖繩配備への問題が審議され始めましたのは四十四年の初めごろからでありますけれども、これは事務レベルのみならず、大臣同士でときどき話が出たわけでありますが、四十五年六月に総理大臣も出席されまして、関係大臣が出席されているところで防衛庁側から、約三千三百人の配置計画について説明され、大体そんなことでよかろうということで了解をされた。もちろんこれは政府の方針が決定とか、そういうかたいものではございませんけれども、その後も事務当局間での連絡はついておりまして、対米の関係久保・カーチス取りきめをつくるということで、昨年の五月に関係四大臣が集まられまして、内容について御了承を得、さらに日米安保協議会が開かれる前の閣議でその内容について報告されているということでありますので、少なくとも当初の約三千名ばかりの配置についてのおおよその政府の方針というものは、そういう時期にできている。しかも国防会議レベルの問題は、先ほど長官が申されましたように、本年二月の四次防大綱の中でオーソライズされたというふうに認識すべきではなかろうかと私は思います。
  327. 東中光雄

    東中分科員 私、一向によくわからないのですけれども防衛庁としては配備計画の方針をすでに確定をしたのではないですか。沖繩への配備というのは、四国、北海道へ自衛隊を配備するのと同じであって、防衛庁長官の専権事項であるから、だからそれで方針をきめたということではなかったのですか。
  328. 江崎真澄

    江崎国務大臣 私は就任をしましてから、実はそういうふうに理解しておったわけです。これは当然主権が戻ってくる地域に配備することは、北海道に配備することと変わらない。しかし、さっきも申し上げるように、議長である首相が、いや、これは重要事項としてかけるのだ、こう言われる以上、これはやはり最高指揮官でありまするから、その意見に従うことが順当である。自来そういう線に沿って作業をしておる。したがって、防衛庁側としても、当然防衛庁原案をつくるわけでありまするが、国防会議事務局においても、これはやはり議長たる総理に、あなたの重要事項と考えられるのはどの範囲でどういうふうでありま出すかという見解を求められて、そして防衛庁側と属してしかるべしとい慕うに考えております。
  329. 東中光雄

    東中分科員 防衛庁長官は、去年の十二月十八日の参議院の沖特委で、沖繩配備について、「防衛庁部内で慎重に検討をした結果、あの程度の配備をするということにきめたものであります。」そして、沖繩に「日本の主権が及ぶことになれば、北海道に自衛隊を派遣する、四国地区に自衛隊を配置するというたてまえと何ら変わらない、同じ国内という立場に立って配備計画をいたしたものであります。」だから、配備計画はこのときすでにできておったということになるわけですね。ところが、すぐそれに続いて総理大臣が、「在来の府県内の自衛隊の移動とは事変わって、新しい問題として国防会議」にかけるのだ、それが適当だ、こういうふうに言われたのです。だから、防衛庁長官の見解とまるきり違うことがここで打ち出されたことになるわけですね。国防会議、あの防衛庁設置法の六十二条二項五号該当事項だということになったら、そういう重要事項だということを、重要事項でないのだというふうに、防衛庁としては先に走っておったということになるわけですね。そうじゃございませんか。
  330. 江崎真澄

    江崎国務大臣 別に先に走ったわけではなくて、従来の方針に従ったわけで、国防会議というものに一体そういうことをかけるかどうかということは、従来議論のあったところだと思うのです。ところが、重要事項というのは、議長としてこれは重要事項だときめられれば、いや、そうじゃないと言って争うのも見識かもしれませんが、何も沖繩という特殊な、まさに施政権が戻ってくるという特例中の特例が行なわれるというのであるならば、それに同調するということもおかしいわけではない。  したがって、私はそのあとで、これはいま速記録がちょうどございましたが、「国防会議は内閣総理大臣が統裁されるものでありますから、総理がそのようにおっしゃる以上、これはそういう場でいろいろまた角度を変えて意見を聞く。これはぜひそういうことで同調をしてまいりたいと思います。」と言っておるわけです。何もことさら総理、議長と争って、国防会議にかける必要はない、こうやっておるわけではありません。ここは同調していこう、こういうわけです。
  331. 東中光雄

    東中分科員 同調されるのはいいのですけれども、それまでにやってこられた防衛庁の配備計画というのはあるわけでしょう。これはもう確定したやつがあるわけですね。
  332. 江崎真澄

    江崎国務大臣 原案らしいものが……。
  333. 東中光雄

    東中分科員 原案ですか。
  334. 江崎真澄

    江崎国務大臣 防衛庁原案です。
  335. 東中光雄

    東中分科員 それは何に対する原案ですか。
  336. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは国防会議にかけなくていいという見解に立って、従来事務当局も私も進めてきたわけでありまするから、久保・カーチス取りきめ等を踏まえまして、防衛庁としてはこうしたらよろしいかという原案、まあことばがまぎらわしければ試案と言ってもよろしゅうございますが、そういったものはその時点では策定されておりました。
  337. 東中光雄

    東中分科員 そうすると、昨年十二月現在までに、防衛庁には、配備計画については、どこに出す原案か何かよくわかりませんけれども、とにかく原案、試案なるものはあった、そういうことでございますか。
  338. 江崎真澄

    江崎国務大臣 そういうことでございます。
  339. 東中光雄

    東中分科員 そうすると、その原案なり試案なりを作成されたのはいつになるのですか。
  340. 久保卓也

    久保政府委員 格別大差ないわけでありますが、ちょっと補足いたしますと、防衛庁長官が専権事項としておきめになれる事項であります。したがって、そのまま実施してもよろしいわけであります。そのつもりで十二月ごろまでおったわけでありますが、総理がそう言われたならば、国防会議にはかって、内容は変わらないかもしれない、あるいは変わるかもしれませんが、その新たなものに対して、防衛庁が従来持っておったものが原案になるということだけのことだと思います。
  341. 東中光雄

    東中分科員 そうすると、国防会議にかける必要がないという判断をしておる段階では、防衛庁の配備計画という方針ですね、それはすでにあったわけでしょう。原案、試案でなくて方針があったわけですね。
  342. 江崎真澄

    江崎国務大臣 ちょっと補足しましょう。その時点で防衛庁の計画は進んでおった。最終的にまだ、私が、よしこれでいこうということをきめたわけではございませんから、また原案と言うと問題があるかもしれませんが、要するに、防衛庁としての事務レベルにおける配置計画というものは策定されつつあったということに御理解を願います。
  343. 東中光雄

    東中分科員 そうすると、昨年十二月十八日に国防会議にかけるということを総理が突然言い出したわけですね。その突然言い出すまでの段階で、防衛庁の方針は、まだ長官としては結論を出していないけれども、そういうものをつくろうということで大体でき上がりつつあった、まだ防衛庁としては方針はできていなかった、こういうことでございますか。
  344. 久保卓也

    久保政府委員 ちょっと補足いたしますが、基本的な計画は、久保・カーチス取りきめの中で三千二百名という陸、海、空の部隊がそれぞれあり、ナイキ、ホークの部隊をどこへ配置するというこの基本計画については、これは防衛庁の案としては変わっておりません、十二月の場合に。ただし、いま長官が申されましたことは、その計画をどういうふうに実施していくか、つまり、当初からどういうような規模のものをどういう時点で配置するといったようなことは、防衛庁の中ではまだきめられておらないということでございます。
  345. 東中光雄

    東中分科員 いや、私が聞きたいのは、防衛庁の庁議できめて、長官がこういう方針でやろうという配備計画というものは、まだその段階では、大体でき上がっているけれども、長官がこれでやろうということにまではなっていなかったということだったのかどうかということを長官に確かめたいのです。これは長官が確認したかしないかということですから、何を防衛局長が言うのですか。事務的なことじゃないじゃないですか。
  346. 久保卓也

    久保政府委員 事実関係ですから正確に申し上げたほうがよろしいと思うのですが、配備計画というのは何をさすかが議論の焦点になると思います。したがって、ナイキの陣地をどこにするか、ホークの陣地をどこにするか、ホワイトビーチ、ホイールエリア、那覇の空港はどうする、これはすでにきまっていたと言わざるを得ません。これは防衛庁長官関係大臣に御説明になり、了承を得、そして閣議でも報告されていることですから、その意味では、配備計画はきまっておったといわざるを得ないのではないでしょうか。ただ、それ以上に具体的な問題については、これはさまっておらないということになると思うのです。
  347. 東中光雄

    東中分科員 そのいま防衛局長が言われている、防衛庁長官関係大臣に報告をし、了解を得、閣議にも報告をしたというのはいつのことで、どういう内容のことなんですか。
  348. 久保卓也

    久保政府委員 関係大臣は大蔵大臣、官房長官、外務大臣、防衛庁長官でありますが、久保・カーチス取りきめの中身について、五月二十八日に了解を得ております。ただし、久保・カーチス取りきめの詳細なところにはわたっておりません。それの柱について報告をし了解を得たわけであります。それから閣議は、日にちはちょっとはっきりしませんが、六月二十九日に安保協議委員会が開かれておりますが、その前の日がたしか閣議ではなかったかと思います。その前の日か後日かどちらかでありますが、その際に中曽根当時の長官から報告されております。これは中身はもう少し簡単であったと思います。
  349. 東中光雄

    東中分科員 その配備計画というのは人員それから大ワクですね。たとえば六カ月以内に何人というふうなものをきめたわけですか。
  350. 久保卓也

    久保政府委員 きめたということばがなかなかむずかしいのでありまして、本来は防衛庁長官がおきめになることでありますが、事柄が重要であり、関係役所もありますので御了解を得たということでありまして、その詳細の内容としましては、陸、海、空が何人である、総ワクが何人、どういう部隊、ナイキ、ホークの設置する場所がどこというような事柄を内容としたものであります。
  351. 東中光雄

    東中分科員 そうすると、総ワクは何ぼというんですか。
  352. 久保卓也

    久保政府委員 約三千二百名ということです。
  353. 東中光雄

    東中分科員 そうするとそれは、きめたのは防衛庁長官がきめたわけですか。
  354. 久保卓也

    久保政府委員 関係大臣の御了解を得て、防衛庁長官がおきめになったと解するのが正当であろうと思います。
  355. 東中光雄

    東中分科員 そうしたら、先ほど江崎防衛庁長官が言われている、十二月段階になって案が、計画ができつつあったと、こうおっしゃっているのとまるきり違うじゃないですか。
  356. 江崎真澄

    江崎国務大臣 そんなことないでしょう。要するに、三千二百人というのは最終的な人員配備の計画じゃない。それから、どの時点でどうするかというような詳細についても、これは変更し得るものであるということで久保・カーチス取りきめを説明しておるように、具体的には、これは変更し得るものというふうにお考えいただいていいんです。まあ三千二百名程度、六カ月以内に配備をするということはこれは方向としてきまった、しかし、その三千二百人が三千百人になるか三千五十人で済むか、そういうことは私はあり得ると思うのです。だから、私はそのことを言うておるので、大体の方向というものはこれはきまったでしょう、中曽根長官当時に。しかし、その後の詳細についてはこれからきめてまいります。おそらく今度国防会議にかかる具体的なものをごらんになっていただくというと、久保・カーチス取りきめとは多少違ったもの、まあそんな大差はないかもしれませんが、多少違ったものがかけられるでありましょうし、またかけられた時点で、議長からどんな意見が出てくるかわかりません。もっと慎重にしろというような意見が出て、もっとうしろのほうへ送られるというようなことがあるかもしれませんし、これは予測の限りではありません。だから、本格的な決定というものは国防会議、それまでに防衛庁の国防会議にかける原案というものは、これはやはり慎重に検討をしてきめていく、十二月の段階ではさまっていなかったという私のさっきの主張は、間違ったものではございません。
  357. 東中光雄

    東中分科員 国防会議にかけるつもりじゃなくて、進めてきておった段階でも計画はできつつあったんであって、まだきまっていなかった、こういうことでありますね。そうしますと、防衛庁の内部できめられるものだというふうに考えておられたけれども、国防会議議長、内閣総理大臣の立場から見れば、それは防衛庁だけできめるべき問題じゃなくて、国防会議にかけてきめるべき重要事項なんだという見解を明らかにされた、こうなるわけですね。だから、本来ならばこの重要性というのは、最高責任者から見ればこれは国防会議にかけなければいけないということなんだ。それを国防会議にかけないでやってしまうということで、大体の方針を実際に防衛庁長官限度で進めてきた、こういう関係になるわけですね。
  358. 江崎真澄

    江崎国務大臣 そこがちょっと違うのですけれどもね。要するに、従来国防会議というものはそんなに開かなかったですね。それからまた国防会議を開くというと、何だかたいへんな軍事力の充実整備をはかるといったような印象があるというようなことで避けたのかどうか、それは別問題としましても、国防会議というものはそんなにしばしば開かなかった。しかし首相が、沖繩というものは新たに返ってくるものであるし、まあそこの中には沖繩県民が自衛隊というものに対する十分な理解もないというような意味も含まりましょう、いろいろな諸般の情勢を含んで、これは重要事項として国防会議にかけてしかるべし、こういう判断をしたというわけです。したがって、何も越権行為をやっていたわけではありません。特にきょうは国防会議の事務局長も来ておりますからお尋ねをいただくといいと思いますが、大体従来の国内における配備計画等については、国防会議にかけた前例は全然ないわけですから、私どもは施政権が返ってくれば同じ日本の国内だから、北海道に配備するのも沖繩に配備するのも同じではないかという考え方に立って準備をしておりました、こういうことですね。それを国防会議にはかることが適当だと言われたから、今度は国防会議にはかるべくその準備を切りかえていった、こういうふうにすんなりととっていただくというと、そんなに疑問はないように思うのですが……。
  359. 東中光雄

    東中分科員 すんなりととるとさっぱりわからないのですよ。いまあなたのおっしゃったとおりにとりましょう。国防会議にかけることになったんで、国防会議にかける準備を進めている。その範囲は沖繩配備計画だ。だから、全く沖繩配備計画としては、いまのところは準備段階で決定はしていない、こういうふうに言われているわけですね。
  360. 江崎真澄

    江崎国務大臣 進捗しておったわけです。
  361. 東中光雄

    東中分科員 現在もそのまま進捗して……。
  362. 江崎真澄

    江崎国務大臣 その当時、十二月の当時……。現在は国防会議を早く開いていただいてきめていただくという防衛庁側の原案——原案といいますか、試案と言っておきましょうか、ちょっとことばがまぎらわしいから。防衛庁の試案というものをもう策定いたしております。
  363. 東中光雄

    東中分科員 防衛庁の長官のお話しによると、結局沖繩配備計画については従来から全部準備段一階が進み、いまは試案の段階だ、確定したものはないということになるわけですね。
  364. 江崎真澄

    江崎国務大臣 厳密に言うとそういうことになるでしょうね、国防会議で本格的なものがきまるのですから。防衛庁独断でやれないということに総理が一つの方向をきめたわけですから、原案はあっても——どうも間違いやすいですな。防衛庁試案はあっても最終結論は得ていない。そのとおりであります。
  365. 東中光雄

    東中分科員 四次防の原案が大々的に発表されてずいぶん回っておった、しかしそれも試案だ、いまはもう白紙に返っておる、それと同じ関係になるわけですね。
  366. 江崎真澄

    江崎国務大臣 ちょっと違うね。
  367. 久保卓也

    久保政府委員 全く違います。
  368. 東中光雄

    東中分科員 ちょっと違うと全く違うじゃ全く違うじゃないですか。
  369. 久保卓也

    久保政府委員 どこが違うかと申しますと、四次防は防衛庁ひとりではできないわけです。四次防というものは、つまり国防会議で四次防、防衛計画の大綱がまずつくられて、その後に財政のワクが大蔵省その他と折衝されて、そこで四次防というものがつくられていく、これは必須の関門があるわけです。ところが沖繩の部隊配備については、一応さっき長官も申されましたように、長官が一人でおきめになり得ることなんです。ただ、重要事項と総理がそのときの情勢に応じてお考えになった。これはその前はそういう御発言がなかったわけでありますが、昨年の十二月に、当時の情勢を勘案されて、これは重要だとそのときにお思いになった。そこで国防会議にはかってきめるということになります。その点において私は基本的に違うと思います。
  370. 東中光雄

    東中分科員 一防衛局長がそんなこと言ったらいかぬですよ。内閣総理大臣が、その総理大臣の資格で国会に対して、これは重要事項だから国防会議にかけるのだ、かけるべき事項だと言っているじゃないですか。長官だけでやれるんだというようなことをいまなおあなたは言っているというのは、そこに大きな問題があるということをぼくらは言いたいのですよ。その考えだからこそ、久保・カーチス協定なんというものを先ばしってつくられるようになるのだということをぼくらは言いたいのですよ。沖繩の配備というのは、役人さんが考えているような問題じゃなくて、きわめて重要なものなんだということを、日本の国防についての最高責任者で、そして内閣の最高責任者が、そういうふうにすでに国会に対して言っているじゃないですか。それを否定するような、全く違う見解をあなたはいま言っているわけです。できるものだけれどもかけよと言うからかける、こういう姿勢じゃないですか。  私が言いたいのは、長官の話では試案で、原案進行中だ、十二月段階でまだ進行中だったというときに、アメリカとの間に事務取りきめという形で、久保・カーチス協定なんか結ぶというのは言語道断です。政府の方針がきまってないのですよ。配備するということだけです。どう配備するかという配備計画については方針がきまっていない。配備計画について防衛庁の方針はきまっておったかというと、防衛庁長官のいまの話ではさまっていない、進行中だ、こう言っている。進行中で、政府の方針も防衛計画できまっていない。国防会議にはもちろんかけていない。防衛庁自体の方針もきまっていないという。そういうふうに何回も防衛庁長官が言っている段階で、アメリカと先にこういう事務取りきめという名前で取りきめをやっている。しかもそれには約三千二百名と書いてある。いま防衛庁長官は、三千百名になるか三千五十名になるかそこらはわかりません、こう言われた。それなら、約三千名と書いたのだったらまた別ですよ。三千百名になるのだったら約三千百名と書いておくべきです。三千五十名だったら三千人余りと書いておくべきです。約三千二百人ということを、方針がきまっていないのにアメリカと先に約束をしちゃう。確定していないことについてアメリカと先に約束してしまうということは、これは本末転倒です。  だから逆に言いますと、久保・カーチス協定という事務的な形でつくった協定が先にあって、それに振り回されて、その限度で修正するとかせぬとかというようなことを、国防会議でやるんだとか、修正できるんだとかいうようなことがいま問題になっておるけれども、これは全く本末転倒じゃないですか。事務的にきめた取りきめを、防衛庁長官はその上でしょう。さらに国防会議でしょう。うんと上のほうが、修正するとかせぬとかいうような問題じゃないじゃないですか。方針がきまっておって、その方針のワクの中で事務取りきめをするというのだったらこれは事務取りきめですよ。ところが、すぐ久保・カーチス協定に戻ってしまって、それが原則みたいな形でいままでやってきた。これはたいへんなことです。アメリカとの関係というのは、こういう形で、方針もきまっていないのになぜ安保協議委員会でこういうものをきめるのか、ここのところを聞きたい。
  371. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これはちっともたいへんなことじゃないと思うのですよ。いまの施政権が戻ってくれば日本自衛隊を配備する、これは基本方針は共同声明ではっきり確認しておるわけであります。その線に沿って、アメリカ軍が管轄している地域、そこへ軍ではないが自衛隊という同じような性格のものがそこへ行く、そして局地防衛に当たるということになれば、アメリカ軍の中に入っていくためにどの程度のものをどのように配備するかという話し合いを、これは当然取りきめておくことが性格上必要だと思います。  そこで、久保・カーチス協定というのは、防衛局長が一人で行ってカーチス中将とかってな取りきめをしてきたというものではない。もちろん当時の防衛庁長官の指図を受ける、防衛庁長官は総理大臣の指図を受けながら、そういう取りきめを、話し合いをしてきた。当時のあり方としては、こういう取りきめは国防会議にかける必要はないという見解に立っておったわけです。おそらく前任の当時の中曽根防衛庁長官も、これは国防会議にかける必要なしと、こう考えておったでしょう。それから私も、まあ新米の長官でありましたが、当時それは必要ないと考えておった。そこで総理が、まあひとつ、最終的にはこれはかけたがいいぞ、こういう見解を示された。わかりました、それじゃ国防会議に持って出て最終決定をしていただきましょう、こういうことになったわけですね。  そうすると、十二月の時点ではかける必要はないということで、防衛庁長官の専権事項ということで、だんだん準備は進めておったが、まだ私が沖繩に具体的配備——それはたとえば五月十五日に返還されるのやら、七月一日になるのやら、六月一日という説もありましたし、返還の日取り等もきまっておりません。そうすると、向こう六カ月以内にといっても、おのずと六カ月以内も問題になりましょうし、また自衛隊の受け入れ体制が沖繩においてどう整っていくか。これも御承知のとおり、公用地等暫定使用法案の審議中であります。あの法案とても、はたして一体どういう形で成立をするのか、あるいは審議未了になるのか、それもきまらないということになれば、不確定要素というものは十二月の時点には相当あったということを申し上げることのほうが私は正直であるし、また、事実そのとおりだったと思うのです。それを総理が、国防会議にかけると言われるならば国防会議にかけるということで、現在準備をし、防衛庁試案というものはまとまりました、あと国防会議事務局と話し合いをしてこれを正式の議題にし、審議に供していただこう、こういうわけで、きわめて明快だと思いますが、いかがでしょう。
  372. 東中光雄

    東中分科員 きわめて明快にけしからぬということがわかりました。不確定要素がたくさんあって、そして配備計画、方針というのは、自衛隊が行けるのか行けないのか、まだあの法案がきまってないのだから、公用地等暫定使用法もきまってないのだからわからないのだ、こういう段階だったということをあなたが言われた。だから配備計画というのは防衛庁としてはきめられない、まだ不確定要素がたくさんあってきめられない、それはあたりまえだ。ところが、復帰になる日もわからないからだということまで先ほど言われた。  ところが、久保・カーチス協定には、「千九百七十三年七月一日以前の実施可能な最も早い日までに完了する。」わざわざ日まで入れているのです。そして当初展開については、「日本国は、復帰日後約六箇月以内に、約三千二百人から成る次の部隊を展開する。」そうして部隊をあげているわけでしょう。不確定要素がたくさんあって、配備計画としての方針も確定できない状態で、しかもそれより一年以上前に、事務段階でアメリカとだけは配備計画について約束している。防衛庁としては配備計画は確定したものは何にもなかった。あるのはこの久保・カーチスだけじゃないですか。だから何回も久保・カーチスに戻られるわけです。久保・カーチスに示されているように、こう言う。防衛庁としては方針がきめられない段階だ、いまの時点では事柄の性質上国防会議にかけなければいかぬという、そういう重要なものなんだ。不確定要素があってきめられない。そんなものを一年以上も前に、一年半も前に、アメリカとでちゃんと配備計画の具体的な人数まであげて書いてあるじゃないですか。こういうことを事務取りきめでやる。政府も方針をきめていない。長官は政治家として、同時に行政庁の長官として、方針が確定していないのに、下でアメリカとの関係ではこういうものが先にきまってしまっている。基本がアメリカとの関係できまっている。しかも条約ではない。事柄の性質からいえば条約にすべきものだ。これは楢崎さんもずいぶんあの当時議論をしましたけれども、そういう性質のものを取りきめという形で、必然的には国会へも出さない形でアメリカと先にやっちゃった。これが基本になっている。  こういう防衛庁の担当官の独走、これ自体は閣議にも報告していなければ、国防会議の議員にも報告しているものでもなければ、ただ適当に二人か三人の人に報告したにすぎない。こんなものが、これが一番先ばしった一番中心の計画じゃないですか。あなたのいままでの答弁というのは、久保・カーチス協定にもきめられておりますようにということで進んでいる。これの修正という形で問題が出されているというところに非常に問題があるのです。  沖繩県民というのは、配備には反対だということは徹底して言っている。戦争になる前まで沖繩には軍隊がいなかったんだということも、これもはっきりした事実だ。入ってきて戦場になったんだ。大きな政治問題、これはもうはっきりしているじゃありませんか。だからこそ総理も国防会議にかけるべき重要事項だ、こう言っているのです。不確定要素があって方針もきまらないのに、アメリカとの協定、取りきめだけ先にやっちゃった、これが中心になっているところに問題があるのだから、これは訂正するとか変更するとかいう問題ではなくて、これを廃棄して、そしていま進んでおる計画を進めていく、当然そうすべきじゃないですか。その点どうなんです。
  373. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは東中さんの御主張は、どこかで私ちょっとかみ合わぬところがあるように思うのです。それはなぜかといいますと、久保・カーチス協定は、施政権が返還したら局地防衛は日本が引き受けるという共同声明で基本方針はぴしゃりときまっているわけですね。そうすれば、こういうことをアレンジメントすることがなぜいけないんですか。もう時間がないからことばを繰り返しませんが、そういうアレンジメントをした。そして総理は、具体的に最終的に決定するものは国防会議だということを言われた。それを言われてから久保・カーチス協定をやったり、かってなことをしたというのならこれは問題です。しかしかける必要なしと、当時は総理といえども中曽根防衛庁長官の報告を受けながらこれに応諾を与えておられる。したがってこのアレンジメントができたわけです。アグリーメントしなくても、やはりこれだけのことを行なう以上は、総理が了承なしにこんなことできることじゃありません。総理は了承しておられた。  しかしこれは、速記録にもありますように、変更し得るんだということをしばしば繰り返し答弁しております。したがって最終的、具体的配備は、これはひとつ国防会議の議を経よう、こう言われたからには、その最終的、具体的配備の案というものを国防会議にかけていく。手続としては私はずっと順を追うてきていると思うのですね。あの言明があってから久保・カーチス協定をかってにきめたり、かってに防衛庁が先行するような行為をしたというのならば、これはおしかりを受けてもいたし方ないと思いまするが、それはすでにこういう既成事実というものを総理も認め、指図をし、そしてこの線に沿って準備行動が開始されておったが、最終的には国防会議決定しよう、したがってこれは具体的な張りつけの人員等である、この理解においては、私、間違っていないと思います。
  374. 東中光雄

    東中分科員 長官は、これについて総理が認め、指図をして久保・カーチス協定がつくられたというふうに言われましたが、防衛局長そうですか。あなたのいままでの答弁はそうじゃないですね。
  375. 久保卓也

    久保政府委員 関係大臣の御了解を得たことを、取りきめを結ぶに当たって閣議で報告された。おそらくその席には総理はおられたであろうと思いますから、その際に総理は了承されたというふうに理解いたします。
  376. 東中光雄

    東中分科員 防衛局長はこの前——いま会議録をさがしますけれども、閣議で決定しているわけでもなければ、ただ報告しただけですと、この取りきめはたいしたことないんだからということを強調するときには、いつもそういうふうに言ってきたじゃないですか。いまになると、今度は総理の指図でそして了承を得てやった。いままでの答弁と全然違うじゃないですか。
  377. 久保卓也

    久保政府委員 閣議決定されたということではありません。これは中曽根長官が閣議で報告される材料を、事務当局でつくって差し上げて報告されたというふうに私どもは聞いております。したがって、どういう指図があったかどうかという点については、これは御両所の間でありますので、私ども承知いたしておりません。
  378. 東中光雄

    東中分科員 あなたは、昨年の十二月十四日の沖繩返還協定特別委員会ではっきりとこう言っていますね。「なお、この取りきめの内容自身につきましては、外務、大蔵、官房長官、御三人の大臣の方々には御報告してあります。もちろん、事務的に各省の連絡もついております。そういったことで、事務的に進めておることでありまして、格別閣議に御報告するような案件ではないというふうに考えております。」はっきりこう言っているじゃないですか。いまは指図を受け了承を得てやった。全然違うことを言っているじゃないですか。格別閣議に報告するような案件じゃございませんとはっきり言っているのですよ。このことは事実問題ですから、久保防衛局長がはっきりしなさい。
  379. 久保卓也

    久保政府委員 閣議に報告する案件でないと申したかどうかちょっと記憶がございませんけれどもあとで私のほうの事務当局の記録を見ると、長官が閣議で報告されたようになっております。
  380. 東中光雄

    東中分科員 防衛庁がこの取りきめはたいしたものではないんだということを強調するときには、事務的、技術的なものなんだ、手続的なものなんだということを強調するときは、「格別閣議に御報告するような案件ではないというふうに考えております。」ここまで言っておって、いまになるとまるきり逆になる。こういう防衛庁の姿勢というものが一番問題なんだ。国防会議はシビリアンコントロールだとあなた方言っているでしょう。シビリアンコントロールが現実に発動されてきたわけです。そうしたら責任をはっきりさせないんですよ。むしろシビリアンコントロールとしての国防会議のほんとうの機能を果たすのだったら、あなたの言っておられるいままでのことは根本的に訂正しなければいかぬ問題になってくる。それがそのまま進んでいくようだったら、単に既成事実を糊塗するための国防会議になってしまう。政府の配備計画についての概要でも発表されて、あるいは発表しないまでもそれがきまっておって、事務的な内容について取りきめをするというのだったら、文字どおり事務的なものでしょう。  しかし、六カ月以内に約三千二百人配備するというようなことは、事務的なことでも何でもない、きわめて政治的に重大な、国防会議にかけなければならぬような問題じゃないですか。それを事務的な問題だと言って、われわれ国会でわからぬ状態でアメリカと先につくっちゃうというところに問題があるんだ。これを訂正できるか訂正できないかということを、国会で審議しなければいかぬような全く異常な状態ですよ。これが突っ走っているわけです。だから、これが事務的な連絡事項だったら、まだ方針がきまっていないのだから、方針のきまっていない、計画のきまっていない問題について、事務的に先ばしることはないんだから、あらためて方針がきまるまで廃棄するのはあたりまえのことじゃないですか。やられる意思はないのですか。
  381. 江崎真澄

    江崎国務大臣 やる意思はございません。しかもこれは米軍の基地に入っていくわけですから、それをアレンジメントして、そういう線に沿って今後行動していくということは、破棄したらたいへんなので、むしろそういう線に沿っていくことは望ましいと私は思うわけです。  ただ、何べんも繰り返して申し上げておりますように、具体的な配備、具体的な時期等については今後国防会議の議を経てきめます。しかし大筋は、大体取りきめの線というものは、新たに米軍の基地に入っていくわけですから、これはやはりそういうふうに御了解を願いたいと思います。
  382. 東中光雄

    東中分科員 共同声明の引き受け、私たちに言わせれば肩がわりですね。それをやるために共同声明の基本方針があって、そのためには米軍との間で、六カ月以内に約三千二百を送らなければいかぬ、陸、海、空はどうする、こういう取りきめをやってしまう。それは配備計画の内容そのものじゃないですか。人数、時期を抜きにした配備計画なんというようなものはあり得ないわけですから、人数、時期を先に事務レベルだと称してアメリカとの間できめてしまって、そして国防会議はそれについて変更し得る、訂正し得るなどというようなことを論議する。久保局長と国防会議とどっちが主役なのか、どっちが権限が大きいのか全くわからない状態になっているのです。だからアメリカと先にきめて、それで事を運んでいくという姿勢、これは四国とか九州へ配備するのと性質が違うのだということを佐藤総理が言っているのも、まさにこういう肩がわりの問題があるから、沖繩祖国復帰という特殊な状態だから言っているのだが、その内容は、まさにアメリカとの引き継ぎという特殊な問題も入っている。それを、その分を先に取りきめてつくってしまったのをそのままおいておくというのでは、これはシビリアンコントロールどころか、アメリカとまず相談してきめて、大綱はその線に沿って国防会議で進めていくということになってしまう。私ははなはだ自衛隊のいまのあり方として、まことに遺憾な本質的なものが出てきていると言うふうに言わざるを得ないと思います。  時間がないからもう一点だけお伺いしておきたいのですが、車力射爆場のことなんですけれども、この地域は魚の優良漁場だ。たくさんの漁船が長年にわたって出漁しているということを、これは初めから当然承知の上でここに射爆場を置くという方向を出されたのかどうか、まずこの点をひとつ伺いたい。
  383. 島田豊

    島田(豊)政府委員 当然射爆場の発射方向が海面でありますので、そこに問題が出るということは承知いたしております。
  384. 東中光雄

    東中分科員 そうすると、今度はこの地域では昭和三十八年に計画し、四十五年度から九カ年計画で開田、それから米の生産調整で今度は開畑計画を立てておる。四十七年から四十三億円かけてやるというこういう計画があるということも承知の上だったのかどうか。  それからさらに、昨年七月のあの自衛隊事故が起きたあと、八月に運輸省が民間航空機の訓練空域にしていたこと、これも初めから承知の上だろうか。  それからもう一点、三十八年から調査を始めて、四十五年に国定公園として申請されておるという事実、これも承知の上でここに射爆場を置きたいという方針を出されたのかどうか、その点を伺いたいと思います。
  385. 島田豊

    島田(豊)政府委員 いまの開畑計画、それから民間航空機の定期航路訓練空域との関係、それから国定公園の問題ですが、まず開畑計画につきましては、県庁ともいろいろな話し合いをしてそういう事情は承知いたしております。  それから民間航空機の定期航路訓練空域の問題につきましても、これは実は当初よくわからなかったわけでございますけれども、途中からわかりまして、これは運輸省との調整をいたしつつあるわけでございます。  それから国定公園、これにつきましても承知をいたしておりました。  要するにこういう問題については、五十年度からという計画でございますので、その間に関係省庁との間に、あるいは地元との間に調整が可能である、こういう見通しのもとにやったわけでございます。
  386. 東中光雄

    東中分科員 そうしますと、長官にお聞きしておきたいのですが、公園の計画が現に進行している、一方では訓練空域をきめたばかりだ、これは運輸省関係ですね。さらに開畑計画も現実に進んでいる。それから優秀な漁場だ。関係するところが非常に大きいということがわかっていて、そしてなおそこのけそこのけというような形になります。入っていくというのは調整してから入っていくのじゃなくて、調整する前に先に土地を買っている。これは自衛隊としては優先主義といいますか、ほかの進んでいる問題を全部のけてしまうという、しかも先に土地を確保してしまうという、こういうやり方は少なくとも異例だし、非常に大きな問題が起こる。現に起こっておりますけれども、これはやはり調整してからやるべきだ。土地取得を先にやってしまうというような既成事実をつくるというのは非常によくない、こう思いますが、その点いかがでしょう。
  387. 江崎真澄

    江崎国務大臣 いろいろ土地取得について私、事情を聴取してみますと、やはり地元側に相談に乗ってくれる人があったということから土地を取得したという報告を受けておるわけです。しかし、今後いつどういうふうにやるかということにつきましては、当然地元の了解がなくてはできることではありませんので、今後ねばり強く話し合いを進めていきたいと考えております。
  388. 東中光雄

    東中分科員 質問を終わりますが、これはねばり強く話し合いをしていくというよりは、すでにある計画、すでに進んでいる手続、そこへ割り込んでいくのですから、そこらとの調整もつかぬ間に割り込みを説得していくというのは、これは計画変更を迫っていくようなものだ。そうではなくて、進めるのではなくて、むしろ話し合いをすべきだ。ところが、もうすでに車力村の議会にしても村長にしてもあるいは周辺の五町村、それから県漁連、四十五の農協、青森県労働会議、それぞれの労働団体、共産党から社会党、公明党、民社党、全部反対しているわけですから、説得していくということじゃなくて、とにかく土地がとれたらその線を貫いていくというやり方ではなくて、むしろ白紙に戻してそういう計画について調整をやる、そういう姿勢でないと、自衛隊というのはどんどん先ばしって、いよいよ国民から孤立していくということになると思うのですが、その点、説得じゃなくて、そういう計画調整をやるまでやめてしまう、ストップする、凍結する、凍結がはやっていますけれども、そういうつもりはないですか。
  389. 江崎真澄

    江崎国務大臣 現在はまだそういう考えはございませんが、なかなか問題がむずかしくなっておりますので、現実にあそこを試射場に使うという時点はまだ相当先のようです。したがって、ひとつよく話し合いをやっていきたいと思います。御意見はよく伺っておきます。
  390. 東中光雄

    東中分科員 白紙に戻されることを強く要請して、私の質問を終りたいと思います。
  391. 森下元晴

    ○森下(元)主査代理 これにて防衛庁所管質疑は終わりました。  次回は、明二十五日午前十時から外務省所管について質疑を行なうこととし、本日はこれにて散会いたします。    午後四時三十九分散会