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1972-03-23 第68回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十七年三月二十三日(木曜日)     午前十時五十一分開議  出席分科員    主査 野田 卯一君       川崎 秀二君    正示啓次郎君       田中 龍夫君    森下 元晴君       山口 敏夫君    楢崎弥之助君       伊藤惣助丸君    鈴切 康雄君       松尾 正吉君    東中 光雄君    兼務 久保 三郎君 兼務 小林 信一君    兼務 大橋 敏雄君 兼務 古寺  宏君    兼務 曽祢  益君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (内閣官房長         官)      竹下  登君         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 江崎 真澄君  出席政府委員         内閣法制局第一         部長      真田 秀夫君         防衛政務次官  野呂 恭一君         防衛庁参事官  高瀬 忠雄君         防衛庁参事官  鶴崎  敏君         防衛庁参事官  岡太  直君         防衛庁長官官房         長       宍戸 基男君         防衛庁防衛局長 久保 卓也君         防衛庁人事教育         局長      江藤 淳雄君         防衛庁衛生局長 鈴木 一男君         防衛庁経理局長 田代 一正君         防衛庁装備局長 黒部  穣君         防衛施設庁長官 島田  豊君         防衛施設庁総務         部調停官    銅崎 富司君         防衛施設庁施設         部長      薄田  浩君         防衛施設庁労務         部長      安斉 正邦君         環境庁自然保護         局長      首尾木 一君         外務省アメリカ         局長      吉野 文六君         大蔵省理財局次         長       小幡 琢也君         文部省大学学術         局長      木田  宏君         水産庁長官   太田 康二君         運輸省船舶局長 田坂 鋭一君         運輸省港湾局長 栗栖 義明君  分科員外出席者         首都圏整備委員         会事務局計画第         一部長     北川 博正君         文化庁文化財保         護部長     内山  正君         建設省都市局参         事       大塩洋一郎君         建設省道路局有         料道路課長   高橋  力君         会計検査院事務         総長      石川 達郎君     ————————————— 分科員の異動 三月二十三日  辞任         補欠選任   相川 勝六君     山口 敏夫君   鈴切 康雄君     伊藤惣助丸君   東中 光雄君     浦井  洋君 同日  辞任         補欠選任   山口 敏夫君     相川 勝六君   伊藤惣助丸君     松尾 正吉君   浦井  洋君     米原  昶君 同日  辞任         補欠選任   松尾 正吉君     和田 一郎君   米原  昶君     山原健二郎君 同日  辞任         補欠選任   和田 一郎君     鶴岡  洋君   山原健二郎君     東中 光雄君 同日  辞任         補欠選任   鶴岡  洋君     岡本 富夫君 同日  辞任         補欠選任   岡本 富夫君     鈴切 康雄君 同日  第一分科員曽祢益君、第三分科員久保三郎君、  大橋敏雄君、第四分科員古寺宏君及び第五分科  員小林信一君が本分科兼務となった。     ————————————— 本日の会議に付した案件  昭和四十七年度一般会計予算防衛庁所管      ————◇—————
  2. 野田卯一

    野田主査 これより予算委員会第二分科会を開きます。  昭和四十七年度一般会計予算中、防衛庁所管議題といたします。  説明を求めます。江崎防衛庁長官
  3. 江崎真澄

    江崎国務大臣 昭和四十七年度防衛庁予算案につきまして、その概要を御説明いたします。  まず防衛本庁について申し上げます。  昭和四十七年度の防衛本庁歳出予算額は、七千三百六億四千百万円で、前年度の当初予算額に比べますと、一千四億三千六百万円、一五・九%の増加となっております。  次に、継続費は、昭和四十七年度乙型警備艦建造費百四十一億六千五百万円、昭和四十七年度潜水艦建造費八十五億五千五百万円、合わせて二百二十七億二千万円を新たに要求しております。  また、国庫債務負担行為は、航空機購入千二百四十六億四千四百万円、艦船建造百六億二千二百万円、装備品等整備三百七十九億二千七百万円、研究開発八十億一千六百万円、教育訓練用器材購入その他の事項六百二十八億一千六百万円、合わせて二千四百四十億二千五百万円を要求しております。  また、昭和四十七年度の自衛官定数は、二十六万三千九百六十三人で、前年度の定数に比べますと、三千五百九十四人の増員となっております。  次に、防衛本庁予算案内容について申し上げます。  昭和四十七年二月八日に決定を見ました第四次防衛力整備五カ年計画の大綱により、四次防は四十七年度を初年度とすることとなりましたが、予算編成の段階においては、四次防の決定は見ておりませんでしたので、沖繩への配備は別にして、三次防の継続事業、従来装備維持更新にかかわるもの、人件費等について必要な経費を計上するとの原則によって予算編成いたしました。  四十七年度予算において特に重点を置いた事項は、次のとおりであります。  第一に、従来に引き続き隊員処遇改善の諸施策強化であり、このため、隊舎新設、建てかえ、食堂、体育館、プール等整備及び隊員営舎内生活環境改善を一段と推進するほか、航海手当増額退職予定隊員に対する隊内外技能訓練拡充強化等をはかることとしております。  第二に、航空安全対策推進であり、先般の航空事故にかんがみ、G・C・A、タカン、ラプコン等管制器材整備気象レーダーの取得、飛行場進入燈整備等を積極的に行なうこととしております。  第三に、衛生施策推進であり、自衛隊における医官の不足を解消するための抜本的な対策として防衛医科大学校を設置することとし、四十八年度から開校し得るよう所要の準備費と定員を要求いたしております。  また、陸上部隊装備艦船航空機等主要装備については、先に述べましたとおり、四十六年度までに整備した装備維持更新に必要なものを計上することといたしております。  以下機関別内容を申し上げます。  陸上自衛隊歳出予算額は三千三百十八億一千六百万円、国庫債務負担行為は三百七十五億九千二百万円となっております。  その主要な内容について申し上げますと、まず、昭和四十七年度の自衛官定数は、沖繩に配置する第一混成団等編成に伴い、千人を増員して、十八万人となります。  次に、沖繩における陸上警備民生協力のため、普通科二個中隊施設科一個中隊その他からなる第一混成団編成するほか、戦車、ヘリコプター等部隊装備品更新隊舎等施設整備などによって、防衛力内容充実をはかることとしております。  また、航空機につきましては、現有機更新等として、多用途ヘリコプター十一機、輸送ヘリコプター四機、連絡偵察機一機、観測ヘリコプター十三機、練習ヘリコプター七機、合わせて三十六機の購入を予定しております。  海上自衛隊歳出予算額は千八百七十八億六千三百万円、国庫債務負担行為は六百三十三億三百万円、継続費は冒頭に申し上げたとおりであります。  その主要な内容について申し上げますと、まず、昭和四十七年度の自衛官定数は、艦船航空機就役等に伴い、千二百十八人を増員して四万二百四人となります。  また、沖繩には、沿岸哨戒のためP2J型六機で沖繩航空隊港湾防備及び離島輸送のため掃海艇二隻等で沖繩基地隊編成いたします。  次に、艦船につきましては、現有艦更新として護衛艦千四百五十トン型三隻、潜水艦千八百トン型一隻、中型掃海艇二隻、小型掃海艇二隻、魚雷艇一隻、輸送艦二隻、哨戒艇三隻、支援船八隻、合わせて二十二隻、一万一千七百三十トンの建造を予定しております。  また、航空機につきましては、現有機更新等のため、対潜哨戒機八機、対潜飛行艇一機、救難飛行艇一機、輸送機一機、機上作業練習機二機、計器飛行練習機三機、対潜ヘリコプター六機、掃海ヘリコプター一機、初級練習ヘリコプター二機、合わせて二十五機の購入を予定しております。  航空自衛隊歳出予算額は一千八百七十八億三千二百万円、国庫債務負担行為は一千三百五十一億一千三百万円となっております。  その主要な内容について申し上げますと、まず、昭和四十七年度の自衛官定数は、沖繩に配置する南西航空混成団編成等に伴い一千三百七十六人を増員し、四万三千六百七十六人となります。  また、沖繩には領空侵犯対処のためF104J型二十五機等で南西航空混成団編成いたします。  航空機購入につきましては、現有機更新等のために、偵察機十四機、輸送機十一機、救難捜索機二機、救難ヘリコプター一機、高等練習機二十機、合わせて四十八機の購入を予定しております。ただし、このうち偵察機輸送機及び高等練習機につきましては、昭和四十七年二月二十六日閣議了解に基づき、第四次防衛力整備五カ年計画主要項目内容決定され、衆議院議長の確認を得て、財政法第三十四条の二の規定に基づく大蔵大臣の承認を得るまで契約を行なわないこととなっております。  内部部局統合幕僚会議及び附属機関歳出予算額は二百三十一億二千九百万円、国庫債務負担行為は、八十億一千六百万円となっております。  主要な内容は、四十八年度開校を目途とする防衛医科大学校新設準備費各種装備品研究開発費、その他各機関維持運営に必要な経費であります。  続きまして、防衛施設庁について申し上げます。  昭和四十七年度の防衛施設庁歳出予算額は六百九十五億一千五百万円でありまして、このうち、沖繩関係経費は二百四十九億百万円となっております。これを、前年度の当初予算額に比べますと、二百八十八億六千九百万円の増加となります。  次に、防衛施設庁予算案内容について申し上げます。  四十七年度の予算重点といたしまして、沖繩本土復帰に伴い必要とされる諸施策を円滑に実施するための関係予算を計上するほか、基地問題の発生を未然に防止し、防衛施設安定的運用をはかるため、基地の実態に即応した諸施策充実強化推進することとし、また、駐留軍従業員の解雇に伴う離職者対策等充実をはかるための予算を計上しております。  また、沖繩那覇防衛施設局を設置することとしております。  以下各項別内容を申し上げます。  調達労務管理事務費につきましては、駐留軍従業員雇用特殊性にかんがみ、駐留軍要員健康保険組合臨時補助金増額する等、従業員対策費として二十九億五千五百万円を計上しております。このうち、沖繩関係経費につきましては、復帰間接雇用となる軍関係従業員等に対し、現地の実情に即した諸施策を実施するため、十億六千八百万円を計上しております。  施設運営等関連諸費につきましては、総額五百九十二億九千六百万円で、前年度当初予算額に比べますと二百七十七億四千九百万円の増加となっております。  このうち、沖繩関係経費につきましては、提供施設賃借契約が円滑に行なわれるような適正な額の借料を支払うため、借料予算の大幅な増額をはかり、また、基地周辺対策事業につきましては、実情を早急に把握するとともに、必要と認められる諸施策を実施することとする等、総額二百二十九億五千九百万円を計上しております。  その他相互防衛援助協定交付金七千三百万円、一般行政事務に必要な防衛施設庁費七十一億九千万円を計上しております。  以上申し述べました防衛本庁防衛施設庁予算国防会議予算を加えた防衛関係費は八千二億一千三百万円となり、四十六年度に対して一九・三%の伸びとなりますが、これには、四十七年度に沖繩復帰という特別な事情があることが強く影響しており、沖繩関係経費を除けば一五・二%の伸びとなります。  以上をもちまして、防衛本庁及び防衛施設庁予算案概要説明を終わります。  何とぞ、慎重御審議の上、御賛成くださいますようお願い申し上げます。
  4. 野田卯一

    野田主査 防衛庁所管説明は終わりました。
  5. 野田卯一

    野田主査 政府当局に申し上げますが、時間が限られておりますので、答弁は、要領よく、簡潔に行なうよう特に御注意申し上げます。  質疑の申し出があります。順次これを許します。伊藤惣助丸君。
  6. 伊藤惣助丸

    伊藤(惣)分科員 私は、在日米軍基地キャンプ朝霞並びに返還決定しておりますグラントハイツ基地従業員の問題について、質問したいと思います。  初めに、キャンプ朝霞の件でございますが、御存じのように、このキャンプ朝霞は、その基地の広さ三百九十四万九千百八十六ヘクタールという、実に広大な地域基地として現在使用しております。これは、すでに返還になりましたグラントハイツの約百八十万平米に比べまして、実に二倍以上であります。この地域は、埼玉県の主要な地域東京都に現在またがっております。  そこで、第一に伺いたい点ですが、このキャンプ朝霞使用状況について、ごく簡単に伺いたいと思います。特に、現在駐留しております米軍は、どのような部隊がどのぐらいいらっしゃるのか。そしてまた、現在のその使用地域は、この全体の地域のどの程度を使用しているのか。伺いたいと思います。
  7. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは、時間の関係もありますから、政府委員から答弁させます。
  8. 島田豊

    島田(豊)政府委員 御承知のとおり、キャンプ朝霞は、南部地区根津地区モモテ地区ノース地区、こういう各地区に分かれておりまして、根津地区は、現在陸上自衛隊が共同使用いたしておりまして、射撃場自動車訓練場あるいはホーク陣地、その他の野外訓練場として使用しておるわけでございます。  それからサウス地区につきましては、これは四十四年の八月に、この一部約七十三万平方メートルが返還されたところでありますが、米軍は主として住宅地区としてこれを使用しております。  それから、ゴルフ場が十八ホールございますが、このゴルフ場米軍管理をいたしておるわけでございます。  それからノース地区は、これは道路からちょっと離れた北のほうにある部分でございますけれども、これは病院憲兵隊輸送隊通信隊、こういう部隊がいま使用しております。  そのほかにフィルムセンターがございます。  そこで、全体の面積は、先ほど御指摘がありましたように、土地が約三百十八万八千平方メートル。国有地がその大部分でございます。  建物は四百六十五棟、約十五万五千平方メートル。  大体以上のようなことでございます。
  9. 伊藤惣助丸

    伊藤(惣)分科員 ただいまの答弁ではあまりはっきりしないわけですが、そのほかにも、米軍部隊が使っているところがあるはずであります。ただ、ぼくが問題にしたい点は、この広い基地の中で、きわめて限られた地域のみを使っているわけですね。このような膨大な地域、少なくとも約百十数万坪といわれるような膨大な地域でございますし、いままでも、埼玉県があげてこの地域返還してほしいという要望をし、東京都議会においても、キャンプ朝霞基地についてはぜひ返還してほしいという話があるわけであります。その点について、施設庁としてどのような考えがあるのか。まず、その点を伺いたいと思います。
  10. 島田豊

    島田(豊)政府委員 地元から、そういう返還につきましてのいろいろの要望があることは承知いたしておりますけれども、先ほど申しましたように、サウス地区の一部の返還が実現いたしましたので、さらに根津地区につきまして、現在米側返還につきましての協議を行なっておるところでございます。ただ、今日のところ、残念ながら、ゴルフ場を含みますその他の施設につきましては、米軍としては返還するという見通しがございません。  一方、空軍施設につきましては、関東におきます空軍施設横田集約、統合するという考え方アメリカにございますので、その際の一環としてこの問題も検討せられるべきであるというふうに考えておるわけでございますが、たとえば病院地区等につきましては、一定の移設条件等を整えるということもございますので、その辺の米軍考え方を十分に詰めまして、移設していくべきものは移設をいたしましてこの問題を処理したい。  私どもも、この問題は決して軽く考えておるわけではございませんが、さしあたり、根津地区についてはできるだけ早期にこの返還をしてもらうように、現在鋭意協議をいたしておるところでございます。
  11. 伊藤惣助丸

    伊藤(惣)分科員 前回は三百九十四万九千百八十平米あったのが、七十三万平米が返還になったので、約三百十八万平米ある。こういうことでございますが、私が問題にしたい点は、根津地区の、現在自衛隊が使っているのを返還する。これは、自衛隊のみがその後も使用する考え方なんですか。  それともう一つ伺いたい点は、東京練馬区の北大泉一帯にありますキャンプ朝霞エリア、これはいまゴルフ場に使われております。しかも、日曜日には多数の日本人ゴルフをやっておるわけです。このゴルフ場を使っている部隊はどこなのか。いかがですか。
  12. 島田豊

    島田(豊)政府委員 根津地区につきましては、現在自衛隊が共同使用いたしておりまして、射撃場自動車訓練場あるいはホーク陣地等に使っておりますので、この返還を求めまして、引き続き自衛隊がこれを使用していく計画でございます。現在、自衛隊は、第一、第三十一、第三十二などの、近県の普通科連隊、第一施設団、第二高射群輸送学校等、こういうものが使用いたしておりますので、今後とも自衛隊としては引き続きこれを使用するということを希望いたしておりまして、私どももそういう線で協議いたしたいと思います。  それから、朝霞ゴルフ場でございますが、これは米空軍が直接じゃなくて、いわゆる地位協定十五条によりますところの諸機関がこれを維持管理いたしておるわけでございまして、御承知のように、多摩にもゴルフ場がございますが、多摩ゴルフ場管理者があわせてこの朝霞ゴルフ場管理しておる。こういう状況でございます。  利用状況につきましては、休日で平均百八十名ぐらい、平日が百名ぐらい、ということで、日本人も、そのうちのあいているときと申しますか、ここを利用さしてもらっているようでございますが、休日の場合の日本人の比率が約二〇%、平日もほぼ二〇%に近い一九%。こういう利用状況のようでございます。
  13. 伊藤惣助丸

    伊藤(惣)分科員 そこで伺いたいのですが、ただいま申し上げましたゴルフ場ですが、もともとグラントハイツというのは、米第五空軍住宅地域です。住宅地域として完全に使っておったときに、キャンプ朝霞の一部といま申し上げました練馬区にある北大泉、この地域ゴルフ場はやはり第五空軍が使っておったわけです。ところが、整理統合によりまして、グラントハイツは、横田基地弾薬庫エリアに一いまどんどん工事をしておりますが、そこに移る。こうなっておるわけです。そこで、当然、第五空軍関係者はあの地域から全面撤退するわけです。したがって、現在使用しているゴルフ場も、わざわざ横田エリアから来てやろうなんということは考えられませんし、また、そんなことば認めるべきではないと思います。  そこで、このゴルフ場エリアは約十万坪ありますが、この基地全体としては、埼玉県と関係者がよく協議しまして、この基地問題について、基本的にどのように利用するかということを、私は検討する必要があると思いますが、その前に、このゴルフ場エリアについては、少なくとも日米合同委員会でさっそく議題にのせて、そして返還交渉をすべきだと思うのです。移転でいなくなったあとの地域ゴルフ場としてとっておくということは筋が通らない話なんです。その点はいかがですか。
  14. 島田豊

    島田(豊)政府委員 米軍ゴルフ場は、関東地区にも、多摩空軍ゴルフ場、座間に陸軍ゴルフ場、厚木に海軍ゴルフ場というものがあります。それで、この朝霞も、多摩ゴルフ場一環として空軍が使っておるということでございます。そこで、現在直ちに米軍がこれをどうするという意向も私ども承知いたしておりませんが、これは、今後、本土におきます空軍なり、海軍陸軍の、それぞれの統合集約計画と申しますか、そういうものがやはり考えられるものだと思います。特に、それが具体的に出てまいりますのが空軍集約計画でございますので、そういう全体の統合集約計画の中でこの問題をどういうように処置すべきかということで、私どもも十分その辺は検討して、合理的な集約ができますように米側とも極力折衝してまいりたい。かように考えておるわけであります。
  15. 伊藤惣助丸

    伊藤(惣)分科員 防衛庁長官に伺いたいのですが、ただいまの施設庁長官の話はわかるのですが、私は、現在使用しておりますゴルフ場の米兵に会っていろいろ伺いましたが、もともとグラントハイツは、横田に行くのに非常に時間がかかる、特に最近は、交通混雑のために、定時につとめる場合には二時間もかかるので通い切れない、したがって私は毎朝五時に行くのだ、というようにその人は言っておりました。そこで、ゴルフ場についても伺いましたが、だから、横田からまたそのゴルフ場を使うといっても、近くにほかにもゴルフ場があるのだから、われわれとしては使う意思はない、ということも言っているわけであります。したがって、この点については、長官合同委員会等において集約移転するのだから、少なくともグラントハイツのすぐそばにあるゴルフ場——ほとんど地続きといっていいくらい近くにあるわけです。それがほとんど横田基地というところに移転するわけです。その方々のゴルフ場はまた、近くに多摩弾薬庫どもありますし、いろいろあるわけです。ですから、当然、このゴルフ場については使用しなくなるということですから、少なくとも、この約十万坪の地域については、前向きに返還交渉をすべきだというふうに思うわけですが、その点、長官に伺います。
  16. 江崎真澄

    江崎国務大臣 私は、お説のように交渉すべきだと思うのです。特に、二〇%程度日本人が利用しておるという、それが問題なんです。そういう連中というものは、特権意識に立って、逆に、こういう返還を妨げる方途に出るということもありましょうから、これは厳重に調べます。そして、こういう余剰のものはどんどん返還すべきです。そういう交渉をもっと積極的にこれからやったらいいと思うのです。そういうことがいささか手ぬるかったとは私も思いませんが、特に、今後は、十分検討の余地があるというふうに考えております。
  17. 伊藤惣助丸

    伊藤(惣)分科員 もう一つの問題ですが、グラントハイツは、四カ年計画返還計画がどんどん進みまして、もうすでに大部分が移動し始めております。そこで、このグラントハイツで一番大きな問題になる点は、この基地縮小、また、移転についての、在日米軍基地につとめる基地従業員扱い方であります。これをどうするかということがいま問題になっております。  そこで、まず初めに施設庁長官に聞きたいのですが、横田に移る場合に、基地従業員にはどのような話をして、何が問題になっているのか。そして、現在どういう交渉が行なわれているのか。簡単に伺いたいと思います。
  18. 島田豊

    島田(豊)政府委員 グラントハイツを、いま横田移設工事を進めておるわけでございますが、それに伴いまして、グラントハイツ返還になるということになりますれば、そこに従事している従業員が仕事がなくなり、解雇されるということは、これはやむを得ないことでございまして、今日までも、逐次若干ずつ従業員の数が減ってまいっておるわけで、それにつきましては、東京都の労務管理事務所を中心にいたしまして、それの離職対策等については適切な措置を講じてまいっておるわけでございます。これの従業員の配置転換先というものが適当な場所にございますれば、それについての協議アメリカ側ともやるべきだと思います。ただ、どうしても勤務場所的にそれがむずかしいという場合には、これはやはり解雇もやむを得ないということで、そういう方々に対しましては、離職対策の面で十分めんどうを見ていく必要があるだろうというふうに考えておるわけでございます。それは、要するに、一種、二種の従業員の場合でございます。
  19. 伊藤惣助丸

    伊藤(惣)分科員 私の調査では、やはり基地従業員の中にいろいろな方がいらっしゃいまして、首にはしないが、ただ、北海道に行ってほしいとか、あるいは九州に行ってほしいとかという、極端なことになる。そして、行かなければやめてもらうしかない。いわば、整理の対象としてではなくて、やめざるを得ないような、本人の意思を無視した配置転換というものが考えられ、また打診されているということが実は現状です。ですから、その点も防衛庁としては十分調査の上、善処をしていくべきだと思うのです。それが一つ。  それからもう一つは、第一種、第二種に関係のない、米軍直接雇用のメイドさんについてであります。私は、この問題はもう六年も前から取り上げておりますけれども防衛庁さんのほうからも、あるいはまた労働省のほうからも、この問題については、よく調査して検討しますと言うだけだし、また、中曽根防衛庁長官や歴代の防衛庁長官においても、善処しますというように聞いているわけでありますが、いまだに、一向に具体的な一つの成果となってあらわれてきていない。そこで私はきょう問題にしているわけです。特に、メイドさんの現況について、施設庁長官はどう把握されておるのか。その点を伺いたい。
  20. 島田豊

    島田(豊)政府委員 第一点の問題につきましては、確かに、米側としても長年雇用いたしてまいりました従業員のことでもありますので、それの解雇という問題につきまして、従業員の感情を無視したようなことのないように、われわれとしても十分米側に対して注意を喚起してまいりたい。かように考えております。  それから、後段のメイドの問題でございますが、先般も申し上げましたように、この問題は、実は、軍人、軍属のいわば家事使用人といいますか。要するに、全く純然たる私的雇用の問題でありますので、どうも、地位協定上の私どもの仕事とは関係が非常に少ないということで、実は、実態の把握につきましても、まだまだわれわれとしても十分ではございませんが、大体昨年の十月現在で、人数は約二百名というふうに承知をいたしております。それの具体的な給与の実態等につきましては、これは、それぞれ個人の契約関係でございますので、私どももそこまで一々立ち入って調査をするというわけにもなかなかまいりません。したがいまして、その辺の実態については、われわれとしても十分把握しておらない。それで、確かにそういう関係でございますので、いろいろな面で、個人の家事使用人ということで、待遇もまちまちでありましょうし、身分も不安定であるということで、問題があるということはわれわれも承知しておりますけれども、これはどうも、私どもの仕事というよりも、労働省の労働政策と申しますか、そういう一般労働行政の中においてこの問題を検討すべきであるということも考えられます。  そこで、そうは言ってもこの問題はなかなか解決できませんので、われわれとしても、労働省といろいろ協議をいたしながらこの問題の処置について検討いたしておりますが、なかなか今日までいい案もございませんけれども、引き続き今後とも努力をしてまいりたい。かように考えておるわけでございます。
  21. 伊藤惣助丸

    伊藤(惣)分科員 江崎防衛庁長官によくこの点知っておいていただきたいのですが、米軍の直接雇用であるがゆえにそれぞれ給与もまちまちであるということから、把握してないとおっしゃいましたが、私は、ちゃんとつかんでおります。それで、実態を申し上げますと、こうなんです。この一番最初は、米軍直接雇用も、政府が、職業安定所等を通じまして、あるいは防衛庁施設庁を通じて、米軍に対するメイドさんの紹介をしたのです。それが、途中で非常に掌握しにくいということで切ってしまったわけです。たとえば、健康保険組合のようなものをつくって掌握しておりました。しかし、非常に出入りが激しいということで、それもなくしました。それからは、政府としては一切関係しないといいますか、関知しなかったわけでありますが、しかし、このときに入った方々はずっと長い期間働いているわけです。ところが、働いている条件ですが、これは日当、日割り月給、いわゆる日給月給というものですか、それで平均しまして、一時間が二百円です。それで、ある人は六時間、ある人は八時間、それから夜米軍の人たちがどこかに遊びに行くときに子守をする、これは一時間百円で残業する。こういうような給与——給与といっても小づかい銭ですよね。これで二十数年変わっていないのです。そして、米軍の個人使用契約になっておりますので、だんだん米軍が減っていきますから、メイドさんはだんだんだぶついてきます。ですから、どんどんどんどん条件が下げられてきているわけです。きのう私が調査した人は、一時間百七十円だそうです。こういうような安い日当では、グラントハイツ移転すると、そのことによって自分たちはやめなければならぬといっても、貯金がない、たくわえがないというのです。私が六年前に調査したときには五百人おりました。しかし、だんだんと減りまして、いまは二百人より若干減っております。そこで、たとえ防衛庁関係ないと言っても、最初に関係しております。そして、何の結末もなしに現在までずっときているわけです。ですから、労働省と十二分に話し合って、直接の窓口機関である防衛庁が責任を持って、主体的にこの問題は前向きに解決すべきだ。たとえば、一つは、移転してついていけない人もいるわけですから、これについては、何らかの見舞い金を出すべきだと思うのです。それからもう一つは、やはり住宅問題についても当然考えてあげるべきだと思います。これらの対策については急を要します。この三月に、米軍は相当グラントハイツから引き揚げます。だから三月中だけだよと言われているメイドさんがたくさんおります。米軍がかつて、日本のメイドはイエローガリーだ、黄色い奴隷だと言いました。なぜかというと、いつでも好きな人を使って、いつでも首にできる。何をしても自由だからです。私は、こういうところに対してこそ政治がなければならぬと思うし、こういうところにこそ、たとえ法律上適用がないといっても、あたたかい手を差し伸べることが大事ではないかと思うのです。  そこで、それではその方々がどういう生活をしているかといいますと、あのグラントハイツの中に寮がありますが、しかも、それが、バラックのひどいうちです。そして、その寮則にこう書いてあるんです。「いかなる者といえども、三日間働かなければ寮を出なければならない」と書いてあるんです。病気をしても、あるいは仕事につけないときでも、自動的に追い出されるんです。そんな人権無視な寮則なんて認めるべきでない。たとえそれが治外法権であっても、ですね。一種、二種という方々の人は、たとえ治外法権の地域であっても、防衛庁が、政府がきちっとそれだけのものをやっておりますね。しかし、このメイドさんについては、米軍の言うなりのままに扱われている。しかも、人権じゅうりんともいえるような、こんな寮則によって自動的に追い出されていく。これが現状なんです。だから、私ははっきり言いました。あなた方貯金がなければいるしかないではないか、どんなに言われても、柱にかじりついても残っておれ、と。私は、そう言わざるを得ませんでした。ですから、こういった方々に対して、数年前から私は問題にしているわけでありますから、何とか前向きに善処していただきたい。こう思うのですが、長官の所見を伺いたいと思います。
  22. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御熱心に実情について調査をしていただいて、全く敬服にたえないわけです。もともと私的契約ということですから、政府側として手を差し伸べるのに、いろいろやりにくい点もありましょう。しかし、やはり、沖繩のメイドの場合には、再就職の方途について、いろいろ便宜措置をとろうとしておるわけですね。ですから、これはやはり、いまお話しのように、前向きで当然善処してまいりたいと思います。特にまた、メイドそのものは、需要供給のバランスの面から見るならば、非常に需要が多いわけです。たとえば、家政婦会を紹介するとか、あるいはまた、個別に、そういう希望者に、条件等を宿舎に張り出して転業方途を考えるとか、さしてむずかしいことではないと思いますから、血の通う措置がとれるように、ひとつ施設庁側ともよく相談をしてまいりたいと思います。
  23. 伊藤惣助丸

    伊藤(惣)分科員 相談してまいりますじゃ、また何年もかかるのじゃないかと私は思うのです。そのうち、グラントハイツがなくなってしまいますから私は問題にしているわけなんです。私は、いままで、何人かの人が病気になったり、あるいはまた、どうしても仕事につけないということで、これを当区の練馬区の区議会において生活保護を受けさせた例があります。しかし、そのことは決して正当ではないわけです。ですから、どこまでも実態を完全に掌握をしておいて、そして、現在は仕事がないという時代では決してないわけですから、まず、その人たちが住む家を借りられるような見舞い金をやるとか、あるいはまた、東京都の住宅とか公団住宅とかというところに優先的に入れてあげるようにしてやるとか、そういう措置を少なくともとってほしいと思うのです。これは沖繩のメイドさんにだけであって、本土のほうは別だなんて考えられたら、とんでもないですよ。ですから、いまの一時見舞い金の点、三月中くらいに話をつけていただきたいということと、それから住宅の問題についても十分な対策を講じてほしいということ、その点について最後に質問しておきます。
  24. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御熱心なお話ですが、見舞い金は、ちょっとここですぐお約束はできかねると思うのです。  住宅について便宜をはかるということもさることながら、これはやはり就職先との関連もありましょうから、労働省と十分相談しまして、早急に具体的な手を打ちましょう。  たとえば、私、いま思いつきなんですけれども、家政婦会の連合会のようなものがきっとあると思うのです。家政婦というのは、いま非常に需要が多くて、相当高給ですね。これは家政婦会自体も相当な利潤を取るわけですが、それにしても、いま伺ったような条件のもとに働いておることからすれば、中には相当働き得る人があるんじゃないかと思いますし、また、今後働き得ないという人については、別途方策を講ずることも、労働省においても可能だと思いますし、十分きめこまかに、早急に、それこそ、御指摘のように、また、またということでなしに、直ちに措置をしたい。またそれば可能だと思います。
  25. 伊藤惣助丸

    伊藤(惣)分科員 最後に一問。  要するに、責任のがれで、防衛庁は直接関係ないということで、何も出さないで、行政指導だけで解決しようとしたんじゃ、この問題は解決しないわけですね。少なくとも、防衛庁には、報償金であるとか、基地周辺対策費であるとか、いろいろな費用があるわけでしょう。名目は幾らでもつけられるはずなんです。ですから、千人とか二千人というならともかくとして、また、一人何百万円というなら問題でありますけれども、その方々が再就職できる必要最小限でいいから、やはり見舞い金なり一時金なりを出すべきではないのか。これは重大な問題なんです。あるいは、現在二百人おりましても、そういう措置をさっとしてくれれば、何十人かの人は、そのことによって、堂々とほかの家政婦に行くとか、あるいはまたほかの知っている会社に勤務するとか、そういうことができるかもしれない。というのは、現在のメイドさんはほんとうに貯金がないのです。長年の貯金もどんどん食いつぶしてしまって、ほんとうにその日暮らしだということが現状なんです。着るものさえ最近は非常にみすぼらしいのです。そこを、私は、防衛庁長官に前向きに善処していただきたいと思うのです。  一時見舞い金等、お金を出すことによって解決するという、そのことについての最後の一問を御答弁願って、私の質問を終わりたいと思います。
  26. 江崎真澄

    江崎国務大臣 私的契約ということであるために、このことは非常に骨が折れると思いますけれども、検討してみましょう。しかし、そのことも大事でしょうが、働き得る人には早急に働く場所をあっせんしてあげて、そのあと生活にたえられるような収入が入るようにする。これが何といってもやはり一番根本だと思いますので、これは早急に対処して、伊藤さんに御報告できるような形にしたいと思います。
  27. 伊藤惣助丸

    伊藤(惣)分科員 終わります。
  28. 野田卯一

  29. 松尾正吉

    松尾(正)分科員 いま、米軍基地の早期返還という要求は、沖繩はもちろん、全国民の強い要請であることは御承知のとおりであります。特に、横須賀、長崎、佐世保、呉という旧軍港都市、この関係は、それぞれの都市の枢要部分を接収されているということで、したがって、この返還の時期並びに返還の方法等が、それぞれの都市の今後の方向を大きく左右する宿命にある点は御承知と思います。したがって、基本的に軍転法の精神を生かすべきである。この旧軍港都市については、旧軍港市転換法の精神をどこまでも基本にして、生かして、そして返還の時期とか方法をきめていくべきである。こういうふうに考えるのですが、まず最初に、防衛庁長官か、施設庁長官から、この基本的な考え方を伺って、具体的に進めたいと思います。
  30. 島田豊

    島田(豊)政府委員 各軍港におきますところの基地問題につきましては、ただいま御指摘のように軍転法がございます。したがいまして、私どもとしましては、軍転法の精神は十分尊重するという基本的な態度でこの問題の処理に当たっておるわけでございますが、個々具体的にケースが異なりますので、具体的な措置につきましては、そのつど、そのケースに従って適正な処置をしていく。こういう考え方でおるわけでございます。
  31. 松尾正吉

    松尾(正)分科員 基本的には尊重するけれども、ケース・バイ・ケースだと言う。ここに相当問題があると思うのです。長官、どうですか。基本的にはいい。しかし、ケース・バイ・ケースだ。住民の七八%という、ほとんどの住民の意思で成立した、この憲法に基づいた軍転法が、そんなに簡単にケース・バイ・ケースだということで左右されて、はたしていいかどうか。この点について長官の意見を伺いたい。
  32. 江崎真澄

    江崎国務大臣 軍転法をできるだけ尊重して処置するということの方向は、私、もちろん重要だと思っております。ただ、施設庁長官が申しますように、艦船の修理一つにしましても、現在造船世界一というようなことが言われますときだけに、大手造船会社が思うように修理一つなかなかしてくれないというようなことから、防衛庁自体がそういうものを確保していくことも必要になるとか、いろいろあるわけです。そのほか、もっと大きく言いますと、海上自衛隊とのかね合いで、それを開放するか、どうするか、そのことをケース・バイ・ケースと言ったものと思うわけですが、しかし、不必要なものまで自衛隊が確保する必要はありませんので、その点については、十分御趣旨の点を体しながら努力してまいりたいと思います。
  33. 松尾正吉

    松尾(正)分科員 この四市それぞれ重要な問題をかかえておりますけれども、時間の関係がありますから、横須賀の艦船修理部、すなわちSRFにしぼって伺いたいと思うのです。  まず、外務省に最初に質問しますが、吉野局長、昨年の十二月二十八日、それから一月二十六日、横須賀の市長が、市民の心を体して、あなたのところへ、SRFの早期返還をしてもらいたいという要請に行ったのは事実ですね。この要請に行ったときに、外務省をたずねて、たまたま吉野局長に会ったところが、この要請に対して、実は、米側の第七艦隊の空母の母港化についての打診がアメリカ側からあったのだ、したがって、正式な申し入れがあれば、これを受け入れなければならないけれども、そのときには住宅のあっせんを頼む、ということをあなたから言われたということで、実は、全市民、県民も非常に憤慨しているわけです。もう少し県民の立場に立つべきではないか。こんなばかなことはないと私は思うのですけれども、その事実と、それからもう一つは、その後、アメリカ側から、正式に、何らかの空母関係についての打診があったのかどうか。この点についてお答えいただきたいと思います。
  34. 吉野文六

    ○吉野政府委員 一昨年の十二月十八日、それから昨年の一月何日かとおっしゃられましたが、実際には、一昨年の十二月十八日、私はまだ東京に着任しておりませんですから、おそらくそのことはないし、昨年の一月何日も、私の記憶には、そういう陳情を受けたということはございません。実際問題といたしまして、横須賀の母港化ないしは空母の母港化というような事態は、うわさには聞いておりますが、いまだにそのような正式な申し入れはございませんから、したがって、そのような前提に立って住宅のあっせんを頼むとかいうようなことを私が申したということは、これは事実無根だと御了解になってけっこうでございます。
  35. 松尾正吉

    松尾(正)分科員 市民を代表する市長が、私どもと再三折衝している経過を見てもおわかりと思います。公の席で言ったことに対して、これは事実無根だということに対して、この場で、おりませんからとやかく言うことは言えませんけれども、こういう意向がほのめかされたということについては、われわれも察知できるんです。したがって、この経過については、念のために触れたいと思うのですけれども、これじゃあまりにも地元民、いわゆる国民の実情というものを知らな過ぎるという義憤を私は感ずるんですよ。とにかく、この艦船修理部の返還については、昭和四十五年の十二月、日米合同委員会の席で、基本的に返還をするということはさまったわけです。ところが、その後三カ月足らずに、再調整のために、ということで、この返還が延期になった。それから、四十六年の一月にはSRFをいよいよ閉鎖するということで、千四百七十名の解雇の通知を受けて、地元民はたいへんな混乱と動揺を受けた。大ショックを受けた。ところが、いよいよ四十六年になって、この返還が、佐世保へ移駐するために、じゃあ明け渡そうということになった。地元民はこういうふうに二転、三転した動揺、ショックを受けながら、大きな期待を持っておったんですけれども、現在はそのまま再延期という形になっているんです。そのやさきにこういうことがあるから、市長としては、再三外務省を訪れ、防衛施設庁を訪れ、折衝を重ねておるわけですけれども、そういう席で、具体的に、住宅の準備を頼むよというはっきりしたことばはないにしても、こういったようなことが、吉野さんでなくほかの方からでも、かりにも出たとすれば、これはあまりにも地元民や下級官庁をばかにした態度で、許さるべきではないと思うのです。ですから、こうした事情を外務省ではもう十分承知の上なんですから、この第七艦隊の空母の母港化についての打診ないし要請があった場合には、これを、それじゃその場では受けざるを得ないんだということでありますけれども、いかがですか。打診があって、申し入れがあった場合には受けなきゃならないのかどうか。この点について、この場でお答えいただきたいと思います。
  36. 吉野文六

    ○吉野政府委員 まず、第一に、かりにこのような申し入れがあったといたしましても、特に、その家族の住宅その他の問題は、先方の申し入れの態様いかんにもよるでしょうけれども、少なくとも、外務省が扱うべき性格のものでございませんから、したがって、関係官庁に当然これは相談して、連絡して、政府としての見解をきめる。こういうことになるだろうと思います。いずれにせよ、このような申し入れば、先ほど申しましたように、いまだわれわれのところに来ておらない。したがって、いまのところ、これは何ら具体的な問題にはなっておりません。
  37. 松尾正吉

    松尾(正)分科員 いま問題になっていない。打診も全然ないということであります。  質問の関係で、途中で一つ建設省に伺いたいのですが、いま言ったような経過があるとすれば、これは私は許せないと思うんですね。そこで、もう一回これは念のために申し上げたいんですけれども、この横須賀市をはじめとする旧軍港四市は、軍転法に、平和産業港湾都市という性格を義務づけられている。その一つの具体的な手段として、財政面では、国有財産の活用の状況と、それから公共事業費の使用状況を、一年に二回、六カ月ごとに二回ずつ建設大臣に報告をしている。それからもう、一方事業執行面ではどうかといいますと、公共事業の執行の状況を、やはり建設大臣に、年に二回ずつ二十数年間、これを報告を義務づけられて、関係都市としては、建設大臣、大蔵大臣に報告するんですから、少しでも軍転法の精神にそれたことがあっちゃいかぬ、どこまでも平和産業港湾都市として進めていくんだということで努力をしてやってきたわけです。したがって、この軍転法の精神というものは、防衛庁長官に先ほど伺ったならば、これは基本的に尊重せなければいけないんだと言われたが、尊重するということは、都市をそういう方向に育てていかなければならないんだという意味で、建設省も、この二十数年間報告させてきたのはおそらくそういう趣旨であり、今後もそういう趣旨であらねばならないと思うのですけれども、建設省の、大臣にかわってのお答えをいただきたいと思うんです。
  38. 大塩洋一郎

    ○大塩説明員 お答え申し上げます。  御質問のとおり、軍転法の第七条によりまして、年に二回報告を受けております。そして、それを毎年一回国会に内閣が報告することになっております。おっしゃいますように、この法律施行後、平和産業港湾都市として完結するような計画といたしまして、都市計画できめておりますその全事業量——毎年進捗率、それから事業費、事業量を定めまして、これを検討しつつ、その状況を国会に報告している次第でございまして、おっしゃるように、また必要があれば、全事業量を拡大改定しつつ進捗率を上げていく。こういうやり方でその事業の拡大及び完結を急いでいる次第でございます。今後とも、できるだけ早く、その全体計画というものの進捗率を高めていきたいと考えている次第でございます。
  39. 松尾正吉

    松尾(正)分科員 防衛庁長官からも、施設庁長官からも、それから建設省からも、この四市は、それぞれこの法の精神に基づいて平和産業都市としての方向を進めさせていくんだと言われる。非常にこれは重要な問題だと思いますね。  そこで、もう一つ。施設庁長官防衛庁長官からそれぞれ、ケース・バイ・ケースについての話がありましたから、わが国の海運状況ということも、これは非常に判断の重要な問題になると思う。わが国の海運の情勢というのは、専門的には私見ておりませんけれども、しかし、陸上交通というものは都市の過密でほとんど麻痺した。航空、鉄道、自動車、こういう総合交通体制を考えてみると、海運というものは、日本の四面を海に囲まれた立地条件から、どうしても非常に重要な方向になってきているわけですね。こういうときに、日本の海運情勢というものの現状はどうなのか。特にドックですね。その中でも修理施設というものはどうなのか。今後の日本の経済の伸長を保っていくために、ということは、つまり、国民の生活を守っていくために、重要なのかどうか、その点について運輸省からお答えをいただきたい。
  40. 田坂鋭一

    ○田坂政府委員 ただいまの先生の海運状況ということでございますが、特にSRFの問題でございますと、現在のわが国の修繕需要、それから修繕需要にこたえる修繕施設の現状、こういうものが問題になろうかと思います。御存じのように、わが国の海運整備につきましては、現在、昭和四十九年度までにわが国の貿易物資の安定的輸送、ということを目的といたしまして、二千八百万トンの外航船舶の整備につきまして、鋭意財政資金等を投入いたしまして進められておる現状でございますが、こういう事情のもとで、わが国の海運並びに外航船舶の寄港、そういう船舶の隻数が非常にふえてまいっております。また、昭和五十年度には、わが国の外航船舶は四千五百万総トンというふうな予定をいたしております。  こういう状況でございまして、それを修繕していく、進めていくという設備の現状は非常に逼迫をいたしております。この逼迫は、先ほど防衛庁長官からもお話がございましたように、防衛庁の艦艇につきましても非常に逼迫をしている。そこで、現在は、それぞれの船主さんなり、防衛庁の艦艇なりが希望する時期になかなか修繕がしにくくなりつつあるというのが現状でございます。昭和五十年度には、三万トン以上の修繕設備につきましては、大体現在の倍以上は要る。それから、三万トン以下につきましても五割増しぐらいの設備が必要であるというのが現状でございます。そこで、私どもは、これらの修繕施設につきまして——造船業界は、最近まで非常に旺盛でありました新造需要に対処いたしますために、新造船の施設整備していくというほうに手が急でありまして、修繕設備にはなかなか手が回らない。それから最近までの労働力不足。修繕には非常に労働力が要るわけでございます。そういうことで整備が十分でなかったということでございますが、今後、五十年度を目標にいたしまして、私どもは、海運融資等をあっせんするとか、そういう造船所の設備投資、修繕施設投資の刺激をいたしまして、急遽対策を立てていきたい。こういうふうなことを考えておる現状でございます。
  41. 松尾正吉

    松尾(正)分科員 実は、運輸大臣が御都合つけば一緒に伺いたかったのですけれども、こういうふうに三万トン級以上だと、もう現在の施設の倍以上要る。しかも、修理施設については、もうほとんど手が回らない。今度全体の交通総合政策を論ずる場合には船はしっかりしなければならないと言っているのですけれども、それだけ今後期待される大きな海運という課題に対して、非常に能力のある修理施設、多少古くなってはいても、能力のあるドックの返還については、運輸省は、地元民よりもどこよりも、まず一番積極的にやらなければいけないと思うのです。いままでもやっていると思うのですけれども、いままでの経過を見ると、何か、窓口は外務省であり、防衛庁だぐらいの、こういうふうが見えるのですけれども、そういうセクト的なあり方でなくて、外務省も、防衛庁も、運輸省も一体になって強腰で当たっていただきたいと思うのです。その点、いままでどの程度折衝されたのか。今後またどういう方向でいくのか。一言伺っておきます。時間がないから簡潔にやってください。
  42. 田坂鋭一

    ○田坂政府委員 ただいま先生のおっしゃいますように、私ども米側との折衝におきましては、先生のおっしゃるような実態があったかと私どもも反省いたしておる次第でございますが、本年の二月十六日以後、米側並びに関係省庁と、米側の希望をいかに満たしていくかということにつきまして、すでに三回打ち合わせをいたしております。今後とも、この場で問題になりましたことを逐一解決をいたしまして、早急な返還をお願いいたしたいというふうな考えでおります。
  43. 松尾正吉

    松尾(正)分科員 そこで、具体的に。先ほど、アメリカからは空母に対する打診もないという吉野局長からの答弁をいただいたのですが、最近の情勢を見ますと、どうも何かあるのではないかというようなことが察知できる。といいますのは、もし先般の取りきめが履行されるとすれば、本年六月に返還ということになるわけです。したがって、この六月返還ということが行なわれるとすれば、当然離職問題が起こってきます。そうすると、離職に対しては予告期間が九十日間あるはずですから、本月末にはこのドックが返還される場合の労務者の予告通知を出さなければいけない。ところが、この予告通知ということに対しては、私は、相当の準備が要ると思うのです。その準備が何ら行なわれていないように見受けられる。そういう動きがない。それからもう一つは、最近の私の収集した情報によると、横須賀基地関係の補給廠関係の機構改革が行なわれている。そして、いわゆるSRFの第六ドックについては、もう十年前の状況のような形で強化されている。こういった関係。それから、横浜地域内にあります米軍住宅の増築が非常に目立っている。こういう点を総合したときに、先ほど、そういったアメリカからの第七艦隊の攻撃母艦の母港という打診は一切ないと聞いたんですけれども、こういった労働条件を中心にした点、それから補給廠関係の機構改革が行なわれた点、それから横浜地域内のアメリカの住宅の増築が目立っている点等を総合すると、どうもこの母港化という動きがあるのではないか。こういうことが一応察知されるのです。そうだとすると、これは最近のP3の玉つき移駐の問題等と合わせて、横須賀だけの問題じゃない。これはわが国の重要な問題だろうと思うのです。そういう意味で、問題が重要ですから、そういうことがはっきりあるのかないのか、こういう点について、外務省、それから防衛庁長官並びに運輸省それぞれから簡潔に伺いたいと思います。もう二点ほどありますから、簡潔に……。
  44. 江崎真澄

    江崎国務大臣 私も、さっきアメリカ局長が申しましたとおりに承知をいたしております。正式に聞いておりません。
  45. 吉野文六

    ○吉野政府委員 第一の、━━━の予告についてどうか……。
  46. 松尾正吉

    松尾(正)分科員 ━━━というのは表現がよくないのですから、吉野局長、改めてくださいよ。
  47. 吉野文六

    ○吉野政府委員 失礼いたしました。SRF基地に働いておる米軍関係の労務者に対する解雇の予告の問題につきましては、御存じのとおり、一昨年の十二月二十一日に日米間で合意いたしました点は、横須賀における六号ドックを除くその他のドックの開放につきましては、アメリカ艦船の修理に支障のない限り、ともかくこれを解除する。こういう前提でございますから、そしてそれを去年の三月、一年間とりあえずともかく延ばそう。そういうことになったわけでございます。目下、先ほど田坂局長が御説明のとおり、米側と、それではいかなる条件のもとにおいて米国がこれらの地域のこれらのドックを、米側艦船修理に支障ないような形で引き続き使用できるか、こういうことでいま先方と折衝している次第でございます。そしてその折衝の結果、今後SRFをどのようにわれわれが、あるいは先方が、維持するか、ということになるだろうと思います。その間、労務者の解雇の問題はしばらくたな上げにしておいてほしい、こういうことをわれわれは言っておる次第でございます。  それから、第六号ドックの強化の問題並びに横浜住宅の建設の状況、これにつきましては、われわれはその事情をつまびらかにしておりませんから、これは、もしそういう事情があるならば、施設庁関係者に御説明願いたいと思います。
  48. 島田豊

    島田(豊)政府委員 補給廠の機構改革による六号ドックの強化の問題につきましては、私ども十分承知しておりませんけれども、最近従業員を若干採用するという現象も出ておりますので、あるいはそれとの関連があるのかもしれません。  それから、住宅問題につきましては、これは横浜にありますところの米軍住宅、これの一号地区の四百二十七戸を昭和五十一年度末までに横須賀海岸に移転するということで、これは別途の計画でありまして、そのために、いまあそこにあります泊湾の埋め立て工事をやっております。これは毎年毎年——これから数年かけまして工事をいたすわけでございますので、その面の計画はございますけれども、最近のSRFの問題に関連して住宅を増強するというようなことはございませんし、われわれはそういう状況を全然知っておりません。
  49. 松尾正吉

    松尾(正)分科員 そうしますと、一年後の返還ということで数えると、ことしの六月返還になるわけですが、この返還のめどについては、外務省、それから防衛庁長官、どうですか。もう、いま言ったような母港の打診があったけれども、それは全然ないのだと否定されましたし、それから、返還はもう二転、三転して、非常に地元が苦しんでいる。しかも、海運情勢からは一刻も早く返還してほしい。それから、軍転法の精神からいけば、当然、平和産業都市として母港には反対だということですから、第七攻撃空母の母港化というような方向に対しては国をあげて反対すべきだと思うのです。防衛庁長官も、外務省も、この母港化反対の態度について、一言ずつお願いします。
  50. 吉野文六

    ○吉野政府委員 横須賀のSRFの解除の問題につきましては、先ほど御説明したとおり、目下米側と鋭意折衝中でございます。御存じのとおり、安保条約を結んでおりまして、われわれとしては、アメリカの軍隊に対して、ことに艦船に対して、修理その他の便宜を供与することになっておりますから、先方の要求を満たし、かつ、わがほうの要求を満たすという、こういう両方の要求の合致するところに何らかの解決が見出し得るのじゃないか。こういう意味で、目下鋭意交渉中でございます。  それから、母港化につきましては、先ほど申し上げましたとおり、まだ、この問題は、全然具体的な問題として提示されておらない。したがって、この問題をいま御説明するのにはあまりに過早じゃないか、このように考えております。
  51. 松尾正吉

    松尾(正)分科員 母港化については、向こうの要求を満たし、わがほうの要求も満たし、調整をするというのですけれども、わがほうの要求は、これは憲法がもう戦争を放棄している。日米安保条約というものがありますけれども、核を積んだ航空母艦が入港して、それを母港にするというようなことを、向こうの要求があるからといってのむということは、これはきわめて不合理な問題であって、そういう線で調整をしていくという行き方は納得できないのですよ。経過の中でそう言われましたけれども、憲法の精神に沿った——アメリカ局長、よく聞いてください。憲法の精神に沿ったわが国の今後のあり方というものを基本にして、この主張だけはどうしても通すのだ、しかし、向こうの要求は、これは安保条約の性格の上である程度認めなければならないというのだったならば、これは優先しますけれども、向こうも満たし、こちらも満たし、といったら、五分五分じゃないですか。五分五分よりもむしろ弱い立場だ。こういう感覚で受け取れる。ですから、どこまでも航空母艦の母港化ということに対しては強腰で、反対の方向でやってもらいたいし、それからもう時間が来てしまいましたから、防衛庁長官にもこのことで反対の意向を表明してもらいたい。  それと、一年後は六月ですから、六月返還のめどについて、これはアメリカの都合なのか、それとも政府内部の都合なのか、どっちか。その二点について伺います。
  52. 江崎真澄

    江崎国務大臣 諸般の情勢でおくれておることは御承知のとおりで、いまアメリカ局長がお答えしたとおりなんです。しかし、私どもは、これはひとつ早く戻してもらいたい。いま、一号から三号までは、御承知のとおり防衛庁で確保する。四号、五号においては、できるだけ地元の意向を尊重して、その線に沿いたい。こういう考え方。その場合、運営については、国有民営というような形が望ましいのではないか。これがいまの構想ですから、ひとつそんなことを考えて、御趣旨の線に沿って促進したいと思っております。
  53. 吉野文六

    ○吉野政府委員 ただいまの母港の問題につきまして、一言補足して説明さしていただきますが、何回も申し上げましたとおり、この問題は、何ら具体的にわれわれに対して申し入れがない。しかしながら、母港化といいますか、母港とは一体何かということから少し説明さしていただきますと、この母港というのは、実際には、具体的な定義はございませんでして、ただ、おそらく、家族がそこにいるということを母港と言っているのだろうと思います。普通、母港と申しますのは、乗り組み員の郵便のアドレスを、たとえば横須賀なら横須賀にするという、こういうことにすぎないわけでございます。いずれにせよ、原子力航空母艦、攻撃型航空母艦の家族がここに来るというようなことは全然聞いておりませんから、この点は誤解ないようにお願いいたします。
  54. 松尾正吉

    松尾(正)分科員 時間が来てしまいましたが、防衛庁長官のいまの最後の答弁は、最初の基本的な答弁とあまりにもギャップがあり過ぎる、隔たりが大き過ぎる、こういうふうに思うのです。六月返還というのは、一年後ということで、基本的に返還が約束されている。それで、二転して、そのうちに一年後ということで、ことしの六月返還なんです。この事情はアメリカ側なのか、それとも政府内部なのかというのに対して、ただ六月返還に向かって努力するでは、これはあまりにもおかしいので、六月返還をさせるべく三者一体になってがんばる。こういう方向でないと、地元はまた延びるぞということで非常にいま動揺しているわけですよ。その点、どうですか。施設庁長官
  55. 島田豊

    島田(豊)政府委員 この問題は、米国との間に、防衛庁、外務省並びに運輸省で目下協議をされておりまして、米軍といたしましても、このSRFにつきましては、やはり修理能力を確保するという条件で返還ということを考えておるわけでございまして、その辺の条件の詰めをいま関係官庁でやっておるということでございますので、今後の推移を、十分われわれとしても推進をいたすと申しますか、できるだけ既定の方針が実現できるような努力を関係省庁でやるべきだ。かように考えております。
  56. 松尾正吉

    松尾(正)分科員 それでは、時間が来てしまいましたので、いまの答弁ではとうてい私は納得できないのですけれども……(江崎国務大臣「促進しますよ」と呼ぶ)促進してください。六月をめどにがんばってください。それから少し運輸省のしりをたたいて——ほんとうに防衛庁長官は、防衛費、それから自衛隊の問題なんか、先取りをやって非常に積極的なんですよ。そっちは外交なんです。けれども、この問題は国民のためなんですから、防衛問題並びに防衛費の問題以上に積極的に取り組んで、六月返還を進めるようにひとつがんばっていただきたい。これだけ要望して終わります。
  57. 野田卯一

    野田主査 先ほど来の御発言中に不穏当な言辞があれば、速記録を取り調べの上、主査において適当な処置をいたします。  この際、午後一時まで休憩いたします。    午後零時十一分休憩      ————◇—————    午後一時三分開議
  58. 森下元晴

    ○森下(元)主査代理 休憩前に引き続き会議を開きます。  野田主査は都合により午後おくれますので、指名により、私が主査の職務を行ないます。  質疑を続けます。楢崎弥之助君。
  59. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 兵器というものの定義はどういうふうになっておりますか。
  60. 久保卓也

    久保政府委員 自衛隊では、兵器ということばは使っておりませんで、装備ということばであります。兵器ということばを使います場合には、通常の殺傷能力のあるもののみならず、たとえば通信など、要するに戦闘力を支援する器材を含めて兵器と使っているように思うのです。
  61. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 そうすると、日本には兵器はないという意味ですか。
  62. 久保卓也

    久保政府委員 特車ということばを使いましたときに、戦車ではないかという御質問と同じように……。
  63. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 ちょっと、どういうことなんですか。
  64. 久保卓也

    久保政府委員 ことばの問題でありまして、自衛隊法上は兵器ということばを使わないということで、かりに一般用語で兵器ということばを使っているとすれば、自衛隊にもございます。
  65. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 長官、いろいろ自衛隊の問題が今度の予算委員会で起こりましたが、長官は、いわゆる自分の補佐として、あるいはアドバイザーとして、長官の副官として、そういう制服の副官をそばに置くというような構想をお持ちですか。
  66. 江崎真澄

    江崎国務大臣 副官という形で持とうとは思っておりません。ただ、制服側との連絡、それから儀典関係等を密にするために持つことば必要ではないか。それば、連絡員という形で置いたらいいというふうに思っております。また、現に、自衛隊の制服からそういう連絡員が現在来ておるわけであります。その主たる任務は、まあ、儀典と申しまするのは、駐在武官が相当数おりますので、そういうものの表敬とか、あるいは外国の制服の防衛大臣というような人の訪問もしばしばあり、私は赴任してから日が浅うございまするが、韓国の国防大臣が非公式訪問をしたというようなこともありまするし、そういう場合に制服者が連絡に当たったり、また、制服としての習慣をあやまちなく遂行するという面からいって、便宜に資するという形で、現在そういう者は一人おります。
  67. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 いわゆる副官的な者をそばに置く考えはありませんかを聞いておるのです。
  68. 江崎真澄

    江崎国務大臣 そういう考えはございません。
  69. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 先にちょっとこまかい問題を片づけておきたいと思うのですが、実は、去る三月六日から七日にかけて、福岡県下で、「反安保、春闘勝利」という腕章をつけた全逓の労働者が、自衛隊の駐とん地に集配業務に行った。そうすると、入門を阻止された。そういう事任が起こったわけであります。三件起こっております。そのために、郵便局側も集配ができなかった。その入門を拒否したのは、福岡県筑紫郡春日町にあります陸上自衛隊の駐とん地。第四師団の司令部もありますけれども……で、この集配に当たった人は、全逓労組福岡西南支部の組合員であります。これは組合の正式機関で、三月一日から春闘要求のリボンあるいは腕章着用をして闘争に入っておる。で、三月六日に、そのうちのある人が、さっき言いました福岡駐とん地に集配業務に行った。すると、門前で、待て、こういうことであります。なぜかというと、その腕章は、「反安保、七二春闘勝利、全逓青年部」という腕章であります。それが、自衛隊は中立だから、その腕章は歩くステッカーだからはずしなさい、はずさない限りは入れません。まあ、自衛隊は政治的に中立だからと、こういうことでしょう。さらに、全逓組合を表示する腕章ならいいということを言っている。今度は、あくる日その腕章をつけていったら、それもだめだ、こういうようにあくる日また変わってきた。いま一人の人はやはり腕章をつけていったら、銃を突きつけられた。  そこで、私はまずお伺いをしたいのですが、そういう指導というものは、防衛庁として、全国的におやりになっておるのですか。
  70. 江崎真澄

    江崎国務大臣 私、いまそれを承るのが初めてですが、詳しいことは政府委員から答えさせますが、やはり、自衛隊の中へは、なるべくならば自発的にそういうものははずしていただくことのほうが望ましいということではないかと思います。従来の教育方針等については、人事教育局長からお答えいたします。
  71. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 御指摘のように、自衛隊の隊内は、政治的に中立でなければならないということでいろいろな警備の面も指導いたしておりますが、確かに、全逓のマークをつけた状態で入ることを阻止したことは、これは少なくとも、警備の面から見ますと行き過ぎでございます。この点は、そういうことのないように注意いたします。  ただ、「反安保」というようなスローガンを掲げたもので入れられますと、これはやはり隊員の隊内における政治的行為になりますので、自衛隊法の六十一条の規定で、これはできない、お断わりするということになっております。ただ、これを阻止する場合に、銃剣を向けたということは実際にはないようで……(楢崎分科員、「銃です。剣はない」と呼ぶ)銃を向けたということは、実際にはないようでございます。ただ、阻止するときに、たまたま若干の抵抗があったかどうか知りませんが、その際に、たまたま銃が肩からはずれて相手のからだのほうに向いたというふうに承知いたしております。
  72. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 そういうことじゃないんですよ。たまたま銃が向いたというようなことじゃないんです。この問題について、自衛隊側と全逓側と交渉した際に、自衛隊側からこういうことを言われておるのです。銃を向けられたぐらいでびくびくしなさんな。これでも、たまたま向いたということになるのですか。あなた、交渉の場でもそういう威圧的なことばが出されておるのですよ。そういう真相をつかんでいるのですか。
  73. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 私のほうが調べた段階におきましては、先ほど申し上げましたようなふうに聞いております。もちろん、阻止する場合に銃を向けるということは、これは明らかに行き過ぎでありまして、そういうようなことは絶対にないように指導いたしておるつもりでございます。ただ、昨年、いわゆる朝霞事件というものが起きまして、以来、かなり警備には慎重を期し、また厳重に行なっておりますので、往々にして若干の行き過ぎがあったかもしれませんが、今回の場合につきましては、少なくとも、意識的に銃を向けたというようなふうには承知いたしておりません。
  74. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 それは実態と違いますね。それで、時間を経過してこの問題について自衛隊側と交渉を持ったときに、銃にはたまが入っていないんだとか、銃を突きつけられたくらいでびくびくしていたらつまらぬ、あんたのようなりっぱな青年が、と、こういうことばが出ておるのであります。これは正式にテープもとられておりますから、確実であります。  そこで、組合のこうした行為、つまり、組合が正式にそのような腕章あるいはリボンをつけてやること、これはやはり団結権の表現なんですね。そしてまた、そういうことは、組合の運動としての固有の権利であります。これはILO条約から見ても当然であります。したがって、こういう憲法で保障された労働者としての基本的な権利、団結権の表現に対して、その表現がいいか悪いかは郵政省内部の問題である。それを自衛隊がいけないの、いくのという権限がどこにあるか。介入する権利がどこにあるのですか。
  75. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 自衛隊法によりまして、自衛隊の営内におきましては、あくまで政治的に中立でなければならないということで、自衛隊法六十一条のその規定、並びにそれに基づく総理府令の規定によりまして、少なくとも、隊内において「反安保」とかいうような政治的スローガンを掲げたようなものは困るということで、これをお断わりしておるということでございます。ただ、さっき申しましたように、全逓のマークというようなものは差しつかえないというふうにいたしております。  ただ、さっき申しました銃を向けたという点につきましては、私のほうの資料を読んでみますと、向こうの方がバイクに乗ってきたようでございまして、そのバイクに乗ってきたのを私のほうで阻止しましたところ、急にアクセルをふかして走りだしたので、その際、車の後部のほうが銃に当たって、たまたま銃がその本人のほうに向いたというふうに私のほうには連絡が入っております。
  76. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 それはわれわれの調査と違います。これは一番最後に要望いたしますが、郵便法の七十八条に「郵便用物件を損傷する等の罪」「郵便専用の物件又は現に郵便の用に供する物件に対し損傷その他郵便の障害となるべき行為をした者は、これを五年以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する。」とあるが、これでいくと、結局、その集配業務をさせなかったんだから、これはこの七十八条の「その他郵便の障害となるべき行為」に該当すると思うが、その点はどうですか。
  77. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 集配関係につきましては、必ずしも、隊内に入って、そこで集配してもらわなければならないというわけでもありませんので、現在はなるべく営門の近くに集配所をつくってやっております。で、「反安保」というものをつけたままで入られますことは、これは政治的中立の面から見て好ましくないということで、その場合にははずして入っていただきたい。したがって、郵便法の規定はよく知りませんけれども、少なくとも集配業務を妨害したということにはならないというふうに考えます。
  78. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 現実に集配業務ができなかったから、今度は、その人は、いわゆる郵便局のほうで、業務を行なわなかったというかどで処罰をするという問題が出てきておるのですよ。責任のある答弁ができますか。法制局、来られておりますか。
  79. 真田秀夫

    ○真田政府委員 突然の御質質で、正確なお答えができるかどうか自分でもちょっと心もとないような感じがいたしますけれども、いまお聞きしている範囲を前提にしてお答えをいたします。  郵便法の七十八条をおあげになりましたけれども、私、ここで、いま条文を読んでみますと、「郵便専用の物件又は現に郵便の用に供する物件に対し損傷その他郵便の障害となるべき行為をした者は、」とありますので、これは、郵便の用に供されるものをこわすとか、隠すとか、そういうものに対する行為を処罰する規定ではなかろうかというふうに察せられます。いまお話しになりましたような行為がかりに事実関係でございますれば、私はしかと存じませんけれども、かりにありましたとした場合に、何かほかの郵便法の規定に触れるかどうかという問題と、それから、むしろ公務執行妨害に近いような問題ではなかろうかというふうに思います。もちろん、これは暴行、脅迫でなければ話になりませんけれども、少なくとも七十八条の問題でないだろうというふうに察せられます。
  80. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 あなたはいま冒頭に、あまり自信はないがということを言われたが、「その他郵便の障害となるべき行為」にこれは当然入る。そしてそれとまた別に、おっしゃいましたとおり、集配業務は公務でありますから、公務執行妨害という問題が起きます。非常にこれは問題のある行為であろうと思う。自衛隊がそういうことをかってにやり、しかも、政治的中立とおっしゃいますけれども、むしろ自衛隊の判断のほうが政治的じゃありませんか。そうでしょう。「反安保」が困るという判断は、それは政治的判断じゃないのですか。どうですか、それは。
  81. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは、実情は私のほうでもよく調べることにいたします。また、現にそういうやりとりが楢崎さんのところへ入っておるわけですから、防衛庁としても、もっと詳細に調べたいと思います。そして、全逓の表示をとめる意味は、私はないと思います。しかし、さっき局長が言いますように、「反安保」ということがはっきりしておると、これはやはり政治スローガンですから、そういうものを持って中へ入られるということは——これはやはり政治判断ということであるかもしれませんが、一つの腕章ですから、ポスターとは違いますが、やはりはっきりした一つの政治方向を明示しておるわけですから、これは常識的に言ったのでは御答弁にならないかもしれませんが、やはり困る。ということは、自衛隊の構内である以上、責任者として、それをはずしてもらいたいと言う。本来なら、自発的にはずしてもらうことが望ましいわけですが、やりとりについては十分ひとつ調査いたします。
  82. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 そういう判断が政治的ではないかと私は言っておるわけであります。  それで、公務執行妨害の件、あるいは郵便法七十八条との関係、これは大いに疑問のあるところでありますから、私も、社会党として、調査団を派遣するようにいたすつもりであります。月曜日、二十七日、九時半ないし十時に、この春日の陸上自衛隊駐屯地に参りますから、しかるべく御手配をお願いしたい。よろしゅうございますか。
  83. 江崎真澄

    江崎国務大臣 わかりました。
  84. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 それでは、この問題は、また調査した結果に基づいて、再び機会を得て取り上げたいと思います。  次に、私は防衛庁あるいは自衛隊の綱紀の問題について、ちょっと注意を喚起しておきたい問題があります。  文部省にお伺いしますが、一般大学の場合は、いわゆる指定職という格づけは何人おられるのですか。——じゃ、文部省のほうが来られてからにしましょう。  防衛大学校では、指定職は何人おられますか。
  85. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 校長が一名、副校長、教授が二名でございます。
  86. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 こういう防衛大学の場合の給与の格づけと、人事院規則との関係はどうなっておりますか。
  87. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 私のほうは、人事院の関係はございません。総理府の人事局と協議してきめております。
  88. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 文部省見えましたか——じゃ、文部省が見えてからこの問題をやりましょう。  防衛大学は、大学校ですから図書が要ると思いますが、年間図書をどのくらい入れられておりますか。
  89. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 ちょっといま、趣旨が聞き取りにくかったのですが……。
  90. 高瀬忠雄

    ○高瀬政府委員 ただいま資料を持ちませんので、調査いたしましてお答えいたしたいと思います。
  91. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 調査なさる場合に、主としてどこの本屋さんから入れておるか、それも一緒に。それから一緒に言っておきますが、定価どおり入れておられるかどうか——じゃ、すべてはこれは保留ですね。
  92. 高瀬忠雄

    ○高瀬政府委員 調査の上お答えいたします。
  93. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 文部省来られましたか。  一般大学の場合に、指定職は何名おられるのですかね。
  94. 木田宏

    ○木田政府委員 現在、国立大学におきましては、指定職、学長七十五名……。
  95. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 いや、そうじゃない。一つの大学……。
  96. 木田宏

    ○木田政府委員 一つの大学ですか。大学全体を通じまして、教官の中で、指定職になっておりますのが二百三十九名でございまして、特定の大学に何名というふうなことではなくて、この指定職総数を、それぞれ教官の実績等に応じて配分をいたしております。
  97. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 普通の場合は、学長だけが指定職で、教授は一等級ではありませんか。
  98. 木田宏

    ○木田政府委員 学長のほかに二百三十九名ほど指定職の教官の定数をつけてもらっておりまして、教官の中におきましても、先任者、それから特に学問的な業績の高い教官等につきましては、定職の発令をいたしております。
  99. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 ずっと保留があるものですから、とぎれとぎれになってぐあいが悪いのですけれども、郡利矩という教授がおられましたね、防衛大学に。
  100. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 郡という教授はおります。まだやめていないと思いますが、確かに現在いるかどうか、ちょっとわからないのですが、おります。
  101. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 やめられておるのじゃないですか、いまは。
  102. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 私記憶がございますけれども、現在まだ現職であるか、また、やめたか。ちょっと名簿を見ないと記憶ございません。
  103. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 それで、わかる方に来てくださいと言っておいたのですけれどもね。
  104. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 現在退職いたしております。
  105. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 いつやめられておりますか。
  106. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 いま資料を持っておりませんので、調査の上御報告いたします。
  107. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 槇校長がおやめになったのはいつで、どういう理由でありますか。
  108. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 七年前でございます。昭和三十九年か四十年でございます。はっきりした記憶はございませんが。これはもちろん、高齢に達しまして、本人から退職の申し出がございましたので、これを承認いたしたのでございます。
  109. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 これは多くを申しませんが、よく調べてください。この郡という方は、京都大学の工学研究所の教授から、いろいろ問題が起こって、大阪府立大学に移された。ここでもまた問題が起こって、防大の機械工学教授になられた。そして、二年ほど前だと思いますが、愛知大学工学部教授になっておられると思いますが、どうしてこんなに転々とされたか。ここに問題がある。ちょっと古うございますけれども昭和三十九年ごろであると思います。収賄事件があったはずであります。つまり、百万円程度の機械を千五百万程度で入れたようにして——これはその機械のセールスマンとの共謀もあるかもしれませんが、これが会計検査院の検査にひっかかった。その検査員はテクニシャンであったからすぐわかった。ところが、どうしたわけか、これがもみ消された。まあ、郡という名前は政治家のほうでも聞きますけれども、そして、この郡事件の責任を負って槇校長はやめられたはずである。これは十分調査してください。もうこれ以上は申しません。つまり、防大は非常にでたらめをやっております。  さっきの本のことはわかりましたか。
  110. 高瀬忠雄

    ○高瀬政府委員 ただいま調査させております。
  111. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 この本でも問題がある。これは残しておきます。  きょうお見えの防衛庁関係の方で、護衛艦等をつくらせて、進水式あるいは引き取り式に出席された方はございますか。——ございませんね。では、模様をお知りの方もないわけですね。こういうときにはどういう方が行かれるのですか。引き取りに。
  112. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 原則として長官が参るわけでございますが、大体、船の大きさによりまして、海上幕僚長が行く。あるいは副長が行く。あるいは調達本部長が大体参っております。それから、現地の地方総監部の調達関係の担当部長とか、そういう方が参っております。これも、さっき申しました船の大きさによりましていろいろ違いますので、ランクの差をつけております。
  113. 江崎真澄

    江崎国務大臣 私は、就任してからずっと国会があるものですから出たことはありませんが、最近は政務次官が二度ほど出かけておるようです。最高の責任者といえば、そういう場面もありました。
  114. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 これも、私は、防衛庁の姿勢の問題としてお考えをいただきたいのですが、この方々が行かれるときには、当然出張旅費は出ますね。それからもう一つ、こういう引き渡し式なり、あるいは進水式等に要する費用というものはどうなっておりますか。会社が出すのですか、防衛庁が出すのですか。
  115. 黒部穣

    ○黒部政府委員 私の担当でございますが、ちょっと調べて答弁させていただきます。
  116. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 どんどんこま切れになって、さあっといかないわけですが、こっちも勢いをそがれますよ。では、それはまたあとではっきりしてください。  これは会社の負担になっておるはずです。だから、そういう費用は契約の中に入っていないはずです。それから、こういうことを私は言いたくないのですけれども、大体、地方であるときには前の日に行くはずです。そうして、会社側の接待を受けて、ホテルやあるいは料亭でジンゲルなども呼んでいるようなんです。こういうことは、私は、きちんとしてもらわなければいかぬと思うのですよ。だから、私は、そういう人たちの名前は言いません。制服の高級幹部が行っています。相当でたらめをやっている。その事実を私は申しません。だから、いまのそういう費用の点なんかは、ひとつきちんとしておっていただきたい。いろいろな接待というものがあるかもしれないが、社会通念上、まあこのくらいは、ということはあると私も思いますよ。しかし、度を越したそういう遊びをすべきではない。これは事実を調べて、私のほうにも連絡をしていただきたいと思います。どういう事実があったか、私も知っておりますが、確認をしておきたいと思うのです。
  117. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御指摘の点は、十分ひとつ調査するようにいたします。いまは、船舶などの場合は、むしろ、買い手市場というよりも、売り手が非常に強い市場ということになっております。ああいうビルの建築なんかは、商習慣として、竣工式の費用というものは、こういうビルを建てたという一つのPRを兼ねて、建築者が披露宴なんかをおおむね負担する。これは商習慣というふうに私は承知しております。いま御指摘のような、前日から特別の待遇をするとか、そういうことについては、これはもうもしあるとすれば問題だと思いますので、よく気をつけます。
  118. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 これは、会社側としてはひんしゅくものですよね。それは、調査の上御報告をいただきたい。  次に、本年度の予算にも入っております防衛医大の問題であります。  四十七年度に、朝霞陸上自衛隊駐とん地内に開校する。四十八年度から所沢に木校舎をつくる。総工費は百十八億円。建物は九階ないし十階。四十九年度に、朝霞から新舎屋の所沢に移る。医大は、六年制、定員は一学年六十人、したがって三百六十名。また、医大には、千のベッドを有する付属総合病院をつくる。これは一般市民を中心に診療する。大体そういう内容ですね。
  119. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 そのとおりでございます。
  120. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 所沢市では、市当局、市議会、あるいは市民の反対の協議会、一致して反対をしておる。基地が返されたら、平和利用の計画を持っておりますか。間違いありませんね。
  121. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 土地の問題につきましては、先ほどそのとおりと申し上げましたが、暫定校舎につきましては、御指摘のように現在朝霞の駐とん地、そのとおりでございます。  恒久施設につきましては、現在、所沢と朝霞の駐とん地を検討中でございまして、まだ最終的に決定を見ておりません。  それで、所沢につきましてはいま御指摘がございましたが、この点につきましては、市当局からいろいろ平和利用の計画があるやにお開きいたしております。
  122. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 この一月十九日に、市長を本部長とする防衛医大設置反対運動推進本部というものが発足しておるはずです。なぜ反対しておるか。防衛庁のほうとしては、まず、防衛庁の医師が不足しておるということをあげられておる。ところが、いま一般的に医師の状態を見てみましても、昭和四十年度の調べしかありませんけれども、十一万五千人。だから、これは九百人に一人ですね。防衛庁は、防衛医官というのは何名に一人の割合になっていますか。
  123. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 定員で申し上げますと、自衛隊は現在八百二十一名でございまして、人口対比、十万対医師数で申し上げますると二八七・六。一般の国全体が一一三ございますので、倍以上上回っております。一人当たりの対比で申しますと、医師一人当たり三百四十八名。これは四十四年十二月三十一日現存のデータでございます。
  124. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 ちょっといまの説明はわかりにくいのですが、自衛官の総数に対して、いまの八百二十一名というのは何分の一になりますか。
  125. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 十万対比で二百八十七と見ております。
  126. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 二百八十分の一という意味ですか。
  127. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 二十六万といたしまして、それに対する現在の医者が八百二十一ということございます。
  128. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 だから、何分の一か、何人に一人の割になるかとさっきから聞いておるのですよ。時間がないですから、お聞きしていることに答えていただきたい。計算できないなら、できないでいいです。
  129. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 いまちょっとその数字を持っておりませんが、医師一人当たり——先ほど、全日本の人口当たりで八百幾らの数字を先生おあげになりましたので、私は、それに対比しますと、医師一人当たりの、自衛隊員に対する対比が三百四十八人である、こう申し上げたわけです。
  130. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 いま言った計算でいくと、自衛官大体八百四、五十人に一人という割合になりましょう。医官が二百八十何人ですか。
  131. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 医官が、定員といたしまして八百二十一名でございます。定員でございます。
  132. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 実在員は。
  133. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 それに対して、大体三五%の、二百九十名ばかりが現員でございます。
  134. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 そうすると、結局やはり自衛官八百四、五十名について一人の割合。そうすると、何も自衛隊だけが医師が少ないわけじゃないでしょう。これは理由にはなりませんです。一般国民の場合に比べてみて、ちっとも少ないことばない。むしろ密度が多い。  それから敷地の点ですが、医学部の設置審査基準でいきますと、入学定員六十名の医学部は約四万平方メートルとなっておるのですね。ところが、防衛医大の場合は三十三万平方メートル。何でこんなに広い敷地が要るのですか。
  135. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 大学の設置基準で申し上げますと、大体校舎等に十一万平米を要求しておるわけでございます。御指摘のように、三十三万平米もなぜ必要なのかという理由に対しましては、現在はまだ六十名の定員と、さらに研究科課程、いわゆる博士コースございますが、これを四年考えております。約十名程度を考えておりますが、そのほかに、将来におきましては、付属の研究所。先生も御案内のように、各大学に付属研究所というのがございます。そういったものもやはり自衛隊の中に取り込まなければならないだろう。しかし、何年か先にそういう構想を実際に移していこうと思いましても、簡単に土地は手に入らないだろう。特に、東京周辺におきましては非常にむずかしかろう、したがって、いま、そういう余裕の土地があるときに取得しておくべきである、こういうふうな基本的な考え方でございます。
  136. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 その基本的な考え方がおかしいと言っているのですよ。遊んでおる土地があるとは何事ですか。市民から見たら、もう利用計画が一ぱいで、ほしい土地なんですよ。それを遊んでおるから、先にいくと何だから、いまのうちにとっておくとは何事ですか。いまの答弁はおかしいですよ。防衛庁長官、これは注意してもらわぬとなりませんよ。だから、これは、必要以上に膨大な土地を要求し過ぎておる。これは、後ほど、なぜこれが必要かという危惧の点も申し上げますけれどもね。  それから、現在の医師法で、防衛医大の卒業生は医師の国家試験を受けられますか。
  137. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 ちょっと聞き漏らしましたので、失礼いたしました……。
  138. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 時間が短いのに、聞いておってください。  現在の医師法で、防衛医大の卒業生は医師の国家試験を受けられますかと聞いておるのです。
  139. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 いまの設置形態そのままでは、医師法の十一条にいいます医師の受験資格は発生いたしません。
  140. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 もし、その資格を取得しようと思えば、医師法を変えなければいけませんね。  付属病院の先生はだれがなるのですか。資格がなくて一般市民を診察できるのですか。
  141. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 この点につきましては、現在提案中の防衛庁設置法並びに隊法で受験資格ができるように、特に、担当省でございます厚生省といろいろ折衝いたしまして、大体学校教育法の大学と同等の内容を有するというふうな形で、みなし規定でもって、いま提案中でございますが、したがいまして、防衛医科大学校を卒業した場合には、その国家試験の資格が取得で奉るというふうに御了解いただいたわけであります。それで、もちろん、卒業した場合には、医師の国家試験を受けまして、自衛隊の医師にもなりますし、また、付属病院の医師につきましては、一般——それとあわせまして、六十名だけでは、六十名が卒業して一人前になるのには約十年もかかるわけでありますので、その間の対策といたしまして、一般公募の医師も当然採用いたしましてやっていかなきゃならぬということで、付属病院の医師も一般の公募からも導入いたさなければならないわけでございます。
  142. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 たいへん問題のあることをおっしゃっていますね。そういう全然可能性もないのに広大な土地を要求して、そして一般総合病院もつくる、これはちっと行き過ぎじゃないでしょうか、準備としても。  いいですか、これは四十三年、四年前ですけれども、例の少年工科学校で事故が起こりましたね。それから四十五年の十一月八日ですか、防衛大学の開校記念日で一人なくなりましたね。この扱かった病院はこれはどこですか。横須賀の海上自衛隊横須賀地区病院ですね。そしてなくなった少年の場合は、その場で五名ほどなくなられて、あとの八名は病院に行ってなくなられた。その看護あるいは医療が非常に問題があったということを私は遺族から聞いております。お医者さんに問題があった。だから、これは横須賀地区病院だけれども自衛隊の人は、みんなこう言っているそうですよ、あそこの病院は横須家畜病院だと。横須賀地区病院、それをちょっと途中で切りどころをうまいことやると、横須家畜病院。それほど評判が悪いのですよ。いまですらそんな評判の悪い医師しかいない。それを百十八億もかけてたいそうな病院をつくられるそうですが、これは内容的にも非常に問題があると思いますよ。これは学長はだれか候補者を予定されていますか。
  143. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 まだきめておりません。
  144. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 有名な武見さんが候補になっているんじゃないですか。
  145. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 その話は聞いておりません。
  146. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 私が聞いておるのに、あなたは聞いてないですか。これは余談ですけれども、自治医大があそこにつくられました。これは米軍の電波障害との関係でぐあいが悪いということになった。ところが、防衛医大のほうは電波障害はないという。これまたおかしな話ですね。それから医師会の態度。自治医大のときには猛烈な反対運動をやった。休診までやって反対運動をやった。今度はそれほどない。どうも、武見さんさんが学長になるから、その辺のあれがあるんじゃないかということは、うわさとして相当の信感性を持って流れていますよ。いずれにしても私は、この防衛医大の設立については重要な疑点がある。これは内閣委員会にかかるのですか。
  147. 江崎真澄

    江崎国務大臣 そうです。
  148. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 時間がありませんから、またそのときにやりましょう。じゃ、次に……
  149. 江崎真澄

    江崎国務大臣 ちょっとお答えしておきましょうか。これは内閣委員会で詳細にひとつ御審議願うことにいたしますが、武見さんの問題は私もまだ聞いておりません。これは、武見さんが防衛庁長官の諮問機関ということで、主任者でこの防衛医大設置についての諮問にこたえ、まとめてもらった、こういう経緯は御承知かと思いますが、あったわけです。  それから、この防衛医大を発足させることについて、私は赴任しましたときに、率直な説明をしてくれというのに対して、いまお示しのように、人数はなるほど国民対医者の比率かもしれませんが、そういうふうに、給与ベース等の問題もあって必ずしも優秀な医官が集まらない、非常に困った、こういうことは聞いております。しかし自衛隊でも、中央病院などは比較的近隣の方にも定評のある名病院ということになっておりますから、そういう形のものをひとつつくりあげていきたい、当然そう思っております。  それからもう一つは、辺地だとか艦上勤務だとか、勤務先のあり方からいって、万能医者的な、少し重宝な一このごろ医学界もだんだん技術が進んで専門化されておりますね。それをなるべく普遍的にやるような、いま薬剤師、薬局などが一つの万能医者みたいな役割りを果たしておりますが、その上を行く一つのねらいで、自衛隊としての特殊な医官養成をしたい。これは私はもっともな主張だと思って賛意を表したわけですが、いずれまたこれは十分ひとつ慎重御審議を経ながら御意見も承っていきたいと思います。
  150. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 まあ予算委員会ですから、私は予算の点から、これほどに膨大な予算をかけていく性質のものじゃないということを申し上げておきます。あとの論議は内閣委員会ででもやらせていただきたいと思います。  次に、米軍本土における基地の問題に移りたいと思います。  今度の米軍の賃貸借契約、これは昭和四十七年四月二十八日で満二十年を迎えますね。いままで私も板付の裁判にタッチをしました。契約拒否しているのです。これはもともと一貫して不確定期限なんです。それで、契約更新というのは単なる形式的な問題にすぎないということでずっと来られましたが、いかに不確定期限説をとられてみましても、この民法六百四条との関係において、この契約が二十年契約であることには間違いないと思いますが、どうですか。
  151. 島田豊

    島田(豊)政府委員 民有地を米側に提供しております場合の契約関係でございますが、これはもう講和発効後、毎年、契約の更改をお願いいたしまして、今日まで御協力をいただいてまいっておりますので、今後も引き続き提供していただくように御理解、御協力をいただくという努力をするつもりでございます。  それで、いま民法の六百四条との関係でございますけれども、これについてまだちょっと私ども結論を出すに至っておりません。関係各省といま慎重に協議をいたしておるというのが今日の段階でございます。
  152. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 何を協議されておるのですか。
  153. 島田豊

    島田(豊)政府委員 米軍に提供する土地に関する契約の問題につきまして、民法六百四条との関係、いままでの不確定期限説との関連がどういうふうになるかということで、いま慎重に協議いたしておるところでございます。
  154. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 それはおかしいんじゃないですか。江崎長官、あなたは、昨年の参議院の沖特でこの問題を論議されていますね。そうしてこの二十年契約で話し合いに基づいて契約が締結されておると答弁されておる。それに何か異議をはさむのですか、施設庁長官のほうは。
  155. 島田豊

    島田(豊)政府委員 ことしの七月に民法でいう二十年という契約期限が満了いたすわけでございますけれども、その後における問題について、まだ私ども実は最終的な結論に立ち至っておらないのでございまして、実はその問題を含めまして——含めましてと申しますか、その問題についていま関係省庁の意見を取りまとめ中というのが今日の段階でございます。
  156. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 防衛庁長官、あの参議院における答弁を変えられますか。
  157. 江崎真澄

    江崎国務大臣 ちょっと私、いま速記録がありませんので、どういうニュアンスの答弁をしたか……。
  158. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 ちょっと申し上げます。「本土米軍基地のうち」「民有地の賃貸契約は、来年で満二十年を迎えることになるんですが、」という意味の質問、つまり民法六百四条との関係の質問であります。それに対して長官は、沖繩の場合と違う——これは公用地暫定使用法との関連で聞かれたものだからですね。「しかも、いま二十年契約で、話し合いに基づいて契約が締結されておるわけです。」そう言われて、「当然、従来の契約更新するという形で話し合いをしていけば、話し合いには応じていただけるものと、もちろんいろいろその間困難性もありましょう。」しかしそれはあくまでも話し合いでいきますと、これは話し合いでいくということを言われておる。ただし、このいわゆる二十年契約ということは、長官、認められているのです。そしてもう一つ言います。民法六百四条というやつは、これはほんとうに尊重されるかどうかという問いに対して、さらに長官は、「当然、現存の厳粛なその法律の条文については尊重をしてまいります。」と答弁されているのです。これは明白でしょう。
  159. 江崎真澄

    江崎国務大臣 民法六百四条のその条項については、もちろん尊重しなければならぬと思っております。契約の時点におけるいろいろなケースはございましょう。やはり不確定期限説というものも一つの権威ある説として存在するわけですから、そのことをいま施設庁長官は、関係省庁、法制局等と相談をしておるということを言っておるわけですが、今後、不確定期限説があるからこれは当然なものだというような形はやはり好ましくない。私は、あくまで話し合いをして納得を得るように努力していくことが必要だと、答弁のとおりに思います。
  160. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 私がお伺いしているのは、どういうふうにされますかということをまだ聞いてないのです。それはあとで聞きますから。  この米軍との賃貸借契約は、いかに不確定期限説をとっても、しかし民法六百四条の関係からいえば、これはぎりぎり二十年契約、そういう種類の契約であるということは、参議院における答弁どおりに認めますか、それを言っているのです。
  161. 島田豊

    島田(豊)政府委員 この問題は、母法六百四条と従来の不確定期限説との関係につきまして、これはいろいろな説がございます。そこで私どもとして、まだ若干の日時もございますので、その間に十分検討いたしたいというふうに考えております。民法で二十年という契約期限があるということを大臣は昨年の国会でおっしゃったと思いますし、その趣旨は尊重される。私どももやはり、従来、講和発効後毎年ずっと円満に契約を締結してまいりましたので、その点を引き続き話し合いによりまして円満な解決をはかりたいというふうに考えておるわけでございます。まだ若干の日時がございますので、その点についてはさらに十分に検討していきたい、かように考えております。
  162. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 美濃部都知事が今度の都議会で、東京都の所有の土地にある米軍基地に対しては、契約更改期間は本年の七月二十七日までですか、これはもう拒否するということを言われておりますね。現実にその問題は起こるのです。話し合いでやられることは方針でしょう。それはいいとして、もし拒否された場合にはどうされるのですか。
  163. 島田豊

    島田(豊)政府委員 これは米軍との関係におきましては、日米安保条約に基づきます基地施設、区域の提供でございますので、これは条約に基づきますところの日本国政府の一つの義務と考えられるわけでございます。したがいまして、それとの関係で非常にむずかしい問題が出てくるのでありますが、やはり私どもとしては、第一義的には、その条約に基づく義務の遂行という点において、極力所有者の方々との話し合いを進めてまいりたいということで、目下のところその努力を大いに進めていくという気持ちで仕事を進めているわけでございます。
  164. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 時間がないのですから、それはいいと言っているでしょう。それは別として、美濃部さんははっきり意思表示しているのだ。あるいは板付のその関係も拒否しますよ。北富士もそれが起こり得る。そのときはどうしますかということを聞いておるのです。話し合いで契約できない場合は、具体的にどうしますか。
  165. 島田豊

    島田(豊)政府委員 その事態においてどうするかということが、これからのわれわれの関係官庁との協議内容になってくるわけでございます。
  166. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 当然、法的にいえば、民法六百四条を認めれば、もし七月二十七日に契約を拒否されたら空白が生じます。沖繩の場合は、公用地暫定使用法であなた方はうまいことやられた。その空白を埋めるためにいろいろ相談すると言われておるが、沖繩のあの公用地暫定使用法と同じような暫定法を何か考えるということも、その交渉の中に入っておるのですか。
  167. 島田豊

    島田(豊)政府委員 目下のところ特別な立法は考えておりません。
  168. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 それでは空白ができたらどうしますか。いわゆる米軍の土地使用等の特別措置法におかけになる、そういうことですか。
  169. 島田豊

    島田(豊)政府委員 法的措置としてはそういうことも一つの考慮の中に入ってくる問題だと思います。
  170. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 それでもそれは時間がかかりますからね。その間は無法、無権限で使用するわけですか。
  171. 島田豊

    島田(豊)政府委員 その辺、なかなかむずかしい問題がございますので、そこで、いま鋭意関係省庁と協議をいたしておるということでございます。
  172. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 法的にはこれはどうしようもないじゃないですか。空白ができる、もしその空白を埋めようとすれば、当然、沖繩の公用地暫定使用法と同じような形の暫定法がそこにあれば別だけれども、ないということになれば、これはどうしようもないです。いかにあなた方がない知恵をしぼっても、それはだめです。これは明白にしてもらいたい。長官、ふんふんじゃないです。どうされますか。
  173. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは施設庁長官がお答えしておりますように、やはり一つの原則としては、民法六百四条というものを無視するわけにはまいらぬと思います。しかし、不確定期限説という、これもやはり権威のある説でもあるわけですが、しかし、それでゴリ押しをしていいものでもありませんから、調整をしていく。もうしばらく時間もありまするので、御了解のいくような形で結論を得たいと思いますから、時間をお貸し願いたい。
  174. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 いままでは契約は形式であったという解釈でこられた。われわれは反対だけれども。ところが今度は、今度の七月二十八日はほんとうの意味の再契約になります。だからあなた方は、もし話し合いで契約される際にも、地主には、いままでと事態が違うということをよく知らせなきゃいけませんよ。地主が何も知らぬと思って、いままでと同じような調子でもしそれをやるとしたら——いままでは半強制的に取られておったのだ。今度はもう地主は自由な意思表示ができるのですから、自由な意思表示ができますよということをよく告知した上で契約しないと、その契約はいわゆる民法の七百十九条による黙示の更新があったというわけにはまいりませんよ。だから、今度はあなた方の自由意思で契約できるのですよということを、どのような方法で国民に告知されますか。
  175. 島田豊

    島田(豊)政府委員 年度の切りかえの時期がもうすぐ迫っておりますので、私どもとしましては、地主と再契約交渉に入るわけでございますが、その際に民法との関係につきましてどういうふうに説明するかということについては、十分慎重に検討していきたいと思います。
  176. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 それからもう一点、この問題について、地位協定の二条四項(a)あるいは二条四項(b)で共同使用になっている土地は、やはり特別措置法によって強制収用ができるとお考えかどうか。あるいは土地収用法のほうがかかってくるのか。共同使用の場合どうですか。
  177. 島田豊

    島田(豊)政府委員 共同使用の場合に、二4(a)も二4(b)も同じく提供ということでございますので、これは米軍の土地等に関する特別措置法の適用があるというふうに考えられます。
  178. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 地位協定ですね、これは米軍が使うその根拠は、同法を見れば、御案内のとおり、「土地等を駐留軍の用に供することが適正且つ合理的であるとき」しか許されない。立川もそうでしょう。二条四項(a)でやられておるけれども米軍はもうすでに使ってない。だからこれは米軍は「適正且つ合理的」に必要とはしていない土地なんです。これはそうでしょう。それをあなた方は二条四項(a)で横取りしている。そしてこれはやがて二条四項(b)に移行しますよ。そうでしょう。一時的な使用から、返されたらずっと永続的に使いたいと思っているんでしょう。この点どうですか。
  179. 江崎真澄

    江崎国務大臣 現在の時点では二条四項(b)にはしないという見解に立っております。
  180. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 あなたは何か、返還されたら永続して使いたいということをあの現地調査のとき言われたそうですね。いま大出君がいませんけれども、あれはどうなるんですか。
  181. 江崎真澄

    江崎国務大臣 それは先般の内閣委員会でも問題になったわけですが、要するに防衛庁としてのものの考え方を言うたわけで、当然、全面返還になればこれはやはり関係機関協議にゆだねなければならぬ、こういうことを御答弁したわけです。
  182. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 それは当然なんですよね。そのどういう方針かを問題にしているわけなんです。  保留の問題以外は、時間が来ましたから一応これで一時的にはやめますけれども、要するにいまの問題は、二条四項の(a)あるいは(b)の共同使用の土地を特別措置法で強制するのは、理論的に、実体的にたいへんむずかしくなる、これは問題を残しておきます。  それから自衛隊は、問題になりました土地収用法は、いままで適用したことないでしょう。ところが、これから本格的に自衛隊基地を土地収用法を適用して強制収用するというケースがふえると思いますが、その辺の見通しはどうですか。
  183. 島田豊

    島田(豊)政府委員 自衛隊の用地取得につきましては、法的には可能でございましょうけれども、実際的な措置として土地収用法を従来適用してまいった事例はございません。私どもとしましては、用地の取得につきましては、今後ともあくまで地主の方々の了解をとるという基本原則を十分貫いていきたいというふうに考えますので、土地収用法の適用ということは私どもはいまのところ考えておりません。
  184. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 いろいろ答弁できずに保留になった問題がありますので、これが出そろってどうするかをあとで主査と御相談させていただきまして、一応これで問題を保留して、次の方にかわりたいと思います。——保留のものは全部そろいましたか。それじゃよろしゅうございます。
  185. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 郡教授は三十三年三月七日から四十年三月六日まで防衛大学校に勤務しておりました。その間、確かに検査院の不正事項の指摘が二年連続ございまして、それで郡教授の懲戒処分の問題を検討いたしておったのでございますけれども、たまたまその当時、愛媛大学が大学教授が不足しておるということで申し出がございましたので、郡教授をそのまま愛媛大学へ出向させたという経緯は事実でございます。  それから槙校長は四十年一月十六日に退職いたしておりますが、確かにこの郡教授の退職時期とほぼ一致いたしておりますけれども、これは私もはっきり記憶がございますが、何しろ二十七年八月の開校以来、十二年半にわたって防衛大学創設後の苦労をされたわけでございますが、たいへん高齢に達し、本人も、自分の使命も一応終わったということで、もうこのあたりで後進に道を譲りたいという申し出がございまして、長官から再三慰留いたしたのでございますけれども、どうしても高齢でその任にたえられないということで退職を承認をしたという経緯でございまして、郡教授の問題に関連して引責辞職したというようなことは絶対にございません。
  186. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 校長として責任を感ずるほうがほんとうじゃないですか、そういう不祥事件を起こして。それをあなた、絶対責任を感じてやめたんじゃないという力を入れる問題ですか。何を言っているのです、あなた。むしろ引責辞職されたと伺ったほうが気持ちがいいですよ。何を言っているんですか、あなた。いまの点については、会計検査院の方、見えておるでしょう。明確に指摘されておりますか、これは。
  187. 石川達郎

    ○石川会計検査院説明員 三十八年度の検査報告に掲記してございます。
  188. 高瀬忠雄

    ○高瀬政府委員 防衛大学校の図書の購入状況についてのお尋ねがございました。それに対しまして調べました結果、次のようなことでございます。  四十六年度の図書購入の大きさでございますけれども、約一万八千冊購入いたしました。それから購入をしました本屋は、日本橋の丸善、それから横浜の有隣堂、横浜海外、これは外書の関係でございますが、そういった書店から購入いたしております。  それから価格のとおり買っているかどうかという第三番目の問題でございますが、五%引きで大体購入いたしております。
  189. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 この丸善に対して未払い事件が過去にあったと思いますが、どうですか。
  190. 高瀬忠雄

    ○高瀬政府委員 その点は承知をいたしておりません。調査をいたしたいと思います。
  191. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 私の調べたところを言っておきます。年代はちょっと古うございますが、しかしそのような姿勢が今日まで続いておるから問題にしたいんです。  事件のあった当時の丸善からの年間の購入額は約千五百万円、おっしゃるとおり定価の五%引き。ところが、そのうち百数十万円の図書が紛失しておることがわかった。それで防大の会計課では、現物が確認されなかったから支払いをしてない。丸善は、お得意さんですから、まあどのように処理されたかは、おたくでひとつ調べてください。その定価五%引き、それを非常にうまいところ何年かで埋めた勘定になっておるはずです。そしてこれがどなたのときに起こったか。麓という方がいま指定職でしょう。学校長と同じです。どうしてこんなに高い格づけがあるかはわかりませんけれども、その方が図書館長の時代です。うわさによると、そのときに家を新築したのしないのという話があったらしゅうございます。これはうわさですから、事実だけひとつ調べてください。
  192. 森下元晴

    ○森下(元)主査代理 楢崎分科員に申し上げます。時間が参りましたので、あと答弁だけで終わってください。
  193. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御指摘の点はもしほんとうにあるとすれば、これはやはり問題だと思います。特に大学としてあるべからざることが、いま郡教授の場合に二回もあったというようなことはやはり問題があります。特に最近は猪木校長が非常な決意で大学の経営に当たっておられますので、十分ひとつ綱紀を引き締めまして、そういう疑惑のないように、これは大臣としても責任をもって対処したいと思います。
  194. 黒部穣

    ○黒部政府委員 先ほど進水式の資金についてのお尋ねがございましたが、これは起工式、進水式、完工式と一つの船につきまして三つの式を行ないます。それの費用といたしまして、原価計算上、式典費として計上いたしております。金額につきましては、大小さまざまの船でございますので、一がいに申し上げるわけにはまいりませんが、大体五、六十万円程度というふうにお考えいただくとよろしいかと思います。
  195. 楢崎弥之助

    ○楢崎分科員 もうこれでやめますが、先ほど申したとおり、これは会社からも相当手出しをしております。それからたいそうえらい人が行かれる。それも自粛したほうがよろしゅうございますね。その点は長官、ひとつ私だけに連絡していただいてけっこうですから、ぴしっと今後姿勢の点ともからんでお引き締めをいただきたいと思います。
  196. 森下元晴

    ○森下(元)主査代理 古寺宏君。
  197. 古寺宏

    古寺分科員 最初にお尋ねをいたしますが、青森県の下北郡の東通村に防衛庁の下北試験場というのがあります。昭和三十四年にこの試験場ができて以来、この地域の方々は何一つ十分な補償をされていないわけでございます。特に猿ケ森部落というところは、前浜を五百メートル漁業権を放棄したために全然出漁ができない、漁港がない、こういうままで放置をされております。さらにまた、尻労、猿ケ森、田代、小田野沢という四つの小中学校がございますが、この学校の防音校舎の改築も全然されていない。今後この問題について、防衛施設庁はどういうふうにいままでの償いをする考えであるか、承りたいと思います。
  198. 薄田浩

    ○薄田政府委員 お答えいたします。  下北の射撃試験場の問題でございますが、漁業補償といたしまして、当時、沖合い五百メートルの水面を永久補償という形で、三十二年と三十三年に約七千万円で補償を完了いたしております。したがいまして、その海域の補償につきましては、御承知のとおり永久補償でございますので、終わっているものと考えております。  それから先生の御指摘の学校の防音と申しますか、障害緩和の問題でありますが、これは確かに、小田野沢小中学校、田代小中学校、猿ケ森小中学校、尻労小中学校、砂子又小中学校、田屋小中学校というものは、われわれのほうで把握しております。砲撃音の騒音につきましては、もっと早くやるべきでございましたが、実は富士のほうでもこういう問題がございまして、現在、富士でいろいろ砲撃音の与える影響等を約七百万円かけてやっておりますので、幸い、ここ二十一日から三月の二十四日まで、技本のほうで現地で射撃をなさるということでございますので、局のほうから現実の騒音の測定をやらせたい、こういうことで指示しておるところでございます。その結果によりまして防音の措置を講じていきたい、こういうふうに考えます。
  199. 古寺宏

    古寺分科員 前浜を正面メートル取られて、全然漁港がないんですよ。周辺整備法によれば、漁業施設についてもきちっと整備していくことになっているじゃないですか。その漁港の問題についてお答えがないということが一つ。それから、この協定書によりますと、いままで使っておった村道は使用できることになっております。その協定善のとおりに使用さしていないじゃないですか。この二つに対してお答え願います。
  200. 薄田浩

    ○薄田政府委員 まず第一点の漁港の問題でございますが、いわゆる漁港の問題は当時としてはなかったわけでございまして、いわゆる金銭面の補償ということで権利を放棄されておるわけでございます。しかし先生御指摘のように、周辺整備法というのもございますので、まあ漁港と申しますか、船だまりあるいは迂回道路というようなものを、確かに、周辺整備法の三条でまいりますか、四条でまいりますか、この辺われわれもう少し検討いたしたいと思いますが、できないということはございませんので、局に指導いたしまして現地の村当局ともいろいろ当たりたい、こういうふうに思っております。  それからもう一点の御指摘のは、ちょっと私の所掌じゃございませんので、内局の参事官からお答えになると思います。
  201. 岡太直

    岡太政府委員 先生がいまおっしゃいましたのは、猿ケ森部落から、浜へ出る村道のことでございますか。——これにつきましては、協定書の中にはこのことは含めてございません。しかし、地元の便利のために、試験場といたしましては、通過をさして、通過を黙認しておるわけでございます。それで現在のところ、四十年ごろ、さくのところにとびらをつくったとか、そういうようなことがございましたけれども、この辺は多少誤解があったようでございまして、現在のところ自由にその村道を通って猿ケ森から浜へ出るというふうになっているというふうに承知いたしております。
  202. 古寺宏

    古寺分科員 そういたしますと、この協定書をつくった当時においては、この試験場の試験に影響のない限りは操業させる、通行も認める、こういうふうにいろいろ相談したようでございますが、そういうふうに理解してよろしゅうございますか。
  203. 岡太直

    岡太政府委員 私、実は当時の状況をよく承知しておりませんけれども、通行に関しては通っていただいてけっこうだ。だたし漁業の問題は、これは私もわかりませんので、関係施設庁のほうからお答えになると思います。
  204. 薄田浩

    ○薄田政府委員 実は御質問の趣旨が、この五百メートルの海面のところでありますのか、あるいは沖合いのあれでございますのか、答弁が違うわけでございますが、五百メートルについては、われわれ、協定書あるいは同意書等でも、そちらも権利を放棄されておりますので、これ以上の措置は必要ではないと思っております。ただ、沖合いのほうにいろいろな実験をいたしますことがございますので、これにつきましては、過去においても支払いを——対空射場との関係、あるいは海のほうの艦艇射撃の関係、これはみな実験でございます。それから技本独自の実験、こういうもので各年度、陸につきましては二千五百万円、あるいは海関係については二百万円、技本関係については三百五十万円ぐらい、これは四十六年度の実績からでございますが、こういう関係は、将来またいろいろ実験が続く限り払うべきものというふうに考えております。
  205. 古寺宏

    古寺分科員 私がお尋ねしているのは、五百メートルから沖合いに、現在なお三千九十メートルの沖合いまで漁業権が残っておるわけです。そこへ出漁ができない状態になっておる。そういうものについては全然補償しておりません。猿ケ森の部落については、たった一度十万円補償しておるだけです。こういうようなことではここの住民は生活ができないわけです。全部出かせぎに行っているような状態でしょう。こういう面をなぜ防衛施設庁は考えないのか、そういう点についてお尋ねしているわけでございます。  それからもう一点は、この件につきまして防衛施設庁にお尋ねしましたところが、現地から要求がないので支払うわけにはいかぬ。あるいは防音校舎の問題についても、現地からの苦情が出ていないので騒音の測定もしておらない、こういうような答弁がはね返ってきたわけでございますが、この問題について、漁業補償あるいは漁港の問題等については、水産庁はいままでどういうような指導あるいは措置をしてまいったのですか。
  206. 太田康二

    ○太田(康)政府委員 何ぶん昔のことでございまして、私もこの件の御質問があるということで実態を調べたわけでありますけれども、従来の防衛施設庁がおやりになるこういったものにつきましては、当然正当な補償をしていただくということで、われわれも漁民の立場を擁護してまいっておるわけでございます。本件につきましては、私どもも調べたわけでございますけれども、先ほど施設庁の方から答弁がございましたように、地元漁業者との間に契約がかわされて、補償金も支払われておるというふうに聞いておるわけでございます。  なお、若干、その後におきまして、一部恩典的に認められたものも何か取りやめになったというような話もあったやに聞いております。この点につきましては、実は県議会等でも問題になったようでございまして、私どもといたしましては、県を通じて実は調査もお願いをいたしておるわけでございまして、県自身もいま調査をやっておるようでございますので、これらの結果をまちまして、必要とあらばまたお話をしなければならないというふうに考えております。
  207. 古寺宏

    古寺分科員 防衛庁長官にお尋ねをしますが、この三十四年当時の協定書というのは、全然地元住民の要望を聞き入れないで、一方的に村に押しつけたような協定書になっているわけでございます。したがいまして、住民の要望というのが一つもかなえられておりません。その後、防衛施設周辺整備法ができておりますので、もう一度現地の住民とよく協議をして新しい協定書というものをつくるべきじゃないか、こういうふうに考えるのですが、いかがですか。
  208. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御趣旨の存するところよくわかりますので、十分検討いたします。
  209. 古寺宏

    古寺分科員 次に、青森県の車力村のミサイル射場の問題についてお尋ねしたいと思います。  この射場につきましては、住民が全く知らない間に用地買収が行なわれたわけでございます。この用地につきましては、当初、観光牧場をつくるというふれ込みでもって大阪のある会社が現地に参りまして、そして地元の方々に説明をし、土地の買収を進めたわけでございますが、こういうような事実を防衛庁は知っておったのかどうか、この点についてお答えを願いたいと思います。
  210. 江崎真澄

    江崎国務大臣 私の赴任前の話ですが、その牧場の問題については、牧場ということは知っておったが、大阪の商社のことについては知らない、こう言っております。時間を節約する意味で事務当局から詳細に説明をさせます。
  211. 薄田浩

    ○薄田政府委員 お答えいたします。  大臣がお答えになりましたとおりでございまして、われわれ三十八年ごろからいろいろあれしておりましたが、大体四十五年の夏ごろから車力村に候補地をしぼったわけでございます。その後四十六年の九月ごろ、所有者の相馬さんという方と折衝したわけでございまして、その前に、いま御指摘の大阪の商人というものは、全然登記上も出ておりませんし、それから交渉過程でも入っておりませんので、存じておりません。
  212. 古寺宏

    古寺分科員 相馬さんという方が、私は代理人として土地を買って登記しただけであって、実際は粟生さんから依頼されて土地を買収したんだ、こういうふうに相馬さん自体が言っているわけです。それに対して、あなたのほうでは全然そういうことがわからないということは、どうも納得がいかないわけです。当然、相馬さんと同時に粟生さんのほうとも相談をしてこの土地の買収はきまったと思うのですが、その点はどうなっているんですか。
  213. 薄田浩

    ○薄田政府委員 御指摘でございますけれども、われわれ、仙台局、現地の局でありますが、これを折衝に当たらせましたが、相馬さんからそういう発言を、わがほうとしては、局も聞いておりませんし、本庁のほうでも聞いておりません。それで、同時に大阪のほうに当たっているんじゃないかということでございますが、そういう事実も全然ございません。
  214. 古寺宏

    古寺分科員 そこで、この土地を買収する場合に、それでは地域住民なりあるいは村長さんなりにお話をして、この土地の買収をおやりになったんですか。
  215. 薄田浩

    ○薄田政府委員 先ほど申し上げましたように、大体四十五年ころから候補地をしぼっておったわけでございまして、年の明けました四十六年の夏ごろから所有者と折衝いたしまして、買収が十二月八日でございますが、それまでには、村当局あるいは村議会の方々、それから村の有力者と申しますか、関係団体の方々等といろいろお話し合いを進めまして、かつ公文書でも、十一月十日付の公文書で村長に御協力をお願いする、こういう形で、最終的に御同意を得られるという一つの印象を持ちました。それからもう一点考えました理由といたしましては、相馬さんが、年末でもあるので早急に買ってくれ、こういう要望もありまして、いろいろな事情を勘案いたしまして十二月八日に買収を完了したわけであります。
  216. 古寺宏

    古寺分科員 その村当局、村会議員あるいは村長と交渉の段階で、どの地域をどれくらい買収したいというようなことについて具体的なお話があったわけでございますか。
  217. 薄田浩

    ○薄田政府委員 大体しぼっていきましたときに、昨年の夏ごろ、現在買収をいたしました当該地でございますが、その辺が牧場地帯になっておって、わがほうの要望としましては、大体七十二万平米要るという諸データ、これはレギュレーション等でそうなっているわけであります。その関係の適地であるというようなことで、村長さんはじめ皆さまにもお話をして、諸元については御説明をいたしております。
  218. 古寺宏

    古寺分科員 そういたしますと、この土地がどういうような経過を追って相馬さんの手に渡ったというようなことも、そのときにおいては知っておったわけでございますか。どういうような土地であるか、昭和三十四年に国有地が払い下げられて、そして村民の福祉のために使われる土地であるということも知っておったわけでございますか。
  219. 薄田浩

    ○薄田政府委員 当時、買収いたしますときは、過去の経緯ばあまり調べず——登記上の問題はございますけれども、いわゆる聞き込み等というのはあまりやらないのが慣例と申しますか、そういう形になっておりますので、そういうことはやっておりませんが、登記上で相馬さんの前の段階で村有地であるということは存じておりますが、過去の経緯については存じておりませんでした。
  220. 古寺宏

    古寺分科員 この土地がミサイルの射場になるということは村民は全然知らないわけです。部落の所有でございますから、これは村議会に請願をして、そして他に観光牧場として買却することを承認を得ているわけです。そういうような経過を追っている土地について、全然その地域住民を無視して防衛庁が一方的に買収をしたというところに大きな問題があるわけです。今回の立川の移駐あるいは沖繩の物資輸送等と同じように、全然住民に知らしめない、住民を全く無視してこういうようなことをおやりになったとしか考えられないのです、か、その点についてはいかがですか。
  221. 薄田浩

    ○薄田政府委員 村当局と交渉を始めて以降、日にちを追いましていろいろ説明会等あるいは見学会等々いたしておりますので、皆さん御存じなかったとは私のほうは思っておりません。
  222. 古寺宏

    古寺分科員 私が十二月に質問を申し上げたときに、その後において水産庁といろいろお話し合いをするということになっておりましたが、水産庁に対しては、防衛施設庁のほうからどういうようなお話合いがあって、現在はどういうふうにお考えになっているか、承りたいと思います。
  223. 太田康二

    ○太田(康)政府委員 十二月八日付で防衛庁から最初の計画が示されまして、それには図面とか制限内容等が書かれておったのでございますが、私がこれを十二月十日に受領いたしております。それからさらに正確な制限水域の図面を三月一日にいただいております。
  224. 古寺宏

    古寺分科員 この地域にミサイル射場をつくった場合には、陸奥湾の大体六倍くらいの海域の制限が行なわれるわけでございますので、漁民の生活には重天な影響があると思いますが、そういう点についてどうお考えなんですか。
  225. 太田康二

    ○太田(康)政府委員 防衛施設庁から示されましたいまの漁業制限水域周辺におきますところの漁業といたしましては、各種の漁業が行なわれておりまして、たとえば六月から十一月までの間におけるイカ釣り漁業、あるいは三月から六月の間におきますところのサケ、マスの流し網漁業、あるいはサケ、マスのはえなわ漁業、それから九月から翌年の六月にかけましての沖合いの底引き漁業、それから周年にわたって行なわれます定置網、あるいは四月から八月の刺し網等の沿岸漁業、こういったものが行なわれておるのでございます。  そこで、私どもといたしましては、この図面をいただきましてから直ちに、全国の県にも実は照会をいたしまして、この海域でどれだけ操業しているか、どれだけの漁獲をあげているかというような調査を各県に実は依頼をいたしておるのでございます。実は関係県から回答も来ておりますが、最も関係の深い北海道、青森、秋田等はいまだに回答に接しておりませんので、さらに私どもといたしましては、督促をいたしまして集計をいたしたいと考えております。  いずれにいたしましても、漁業への影響でございますが、いま申し上げたように、かなりの漁業がここで行なわれておるというようなこともございますし、いま、いろいろ具体的な計画、実施の回数あるいは漁業制限水域等の問題、これらを含めまして、影響ありというふうに考えておる次第でございます。
  226. 古寺宏

    古寺分科員 こういうふうに、水産庁に対しても、買収してからいろいろお話をしているわけですね。あるいは農林省、環境庁、全部関係のある問題でございます。運輸省にも当然関係がございます。そういうところに何ら相談をしないで、独断でもって防衛庁はこの土地の買収を進めてきたわけです。したがいまして、車力の村議会においてば、この設置に反対決議をいたしまして、村長から正式に拒否をする文書が防衛施設庁に来ていると思いますが、その点についてはいかがですか。
  227. 薄田浩

    ○薄田政府委員 車力の村長からは、本年の二月二十七日仙台局長あてに、私のほうの昨年十一月十日に出しました依頼文に対する回答の形で、いわゆる地域自治団体の立場をいろいろ考えてお受けできない、御協力できない、こういう文書をいただいております。
  228. 古寺宏

    古寺分科員 こういうふうに地域が拒否してきた場合には、今後はどうするお考えでしょうか。防衛庁長官から……。
  229. 江崎真澄

    江崎国務大臣 ひとつできるだけ話し合いを進めまして、今後なお努力を続けたいと思っておりますが、もちろん漁業関係者等々との話し合い、車力村当局との話し合い、それがつかないで強行するなんということはもう考えられないことですから、そういうことはございません。  それから、もう薄田部長からお答えしたとおりでありますが、村当局においても、現時点では反対でありまするが、条件によっては、村の開発等々が円滑に行なわれれば、希望どおりなされれば考えてもいいというような時期がいっときあったことは、これは事実だと私思っております。現時点では反対でありまするから、しばらく冷却期間を置きまして——まあ、こういう問題というのは、一挙に拙速で片づけようと思いますと無理が生じまするので、ひとつ十分時期を見ながら考慮していきたいと思っております。
  230. 古寺宏

    古寺分科員 そこで確認をしておきたいのですが、立川や沖繩の例もありますので、地域住民を無視して強行するようなことは絶対にないということを、長官からはっきりお話をしていただきたいと思います。
  231. 江崎真澄

    江崎国務大臣 事柄の性質上、これは強行できるものではありませんし、そういうことは絶対にいたしません。
  232. 古寺宏

    古寺分科員 そこで、村議会で決議をいたしまして、絶対に話し合いには応じない、今後いかなる場合があってもこのミサイル射場の設置には村をあげて絶対に反対である、こういうような意思表明をしているわけでございますが、向こうのほうでは、買い戻したい、こういうように言っております。こういう重要な貴重な土地をこのまま放置しておくということは、国益上も非常にむだがありますので、早急にこの土地を払い下げをするような考えをお持ちになっていらっしゃるかどうか、承りたいと思います。
  233. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これは長い時間かかりまして調査の結果、一つの適地ということで、また苦労をして買い求めた土地でありまするから、いますぐ右から左へまた売り戻すといいますか、そういうことはちょっと役所のたてまえからいってもできないわけであります。先ほど申し上げましたように、もう少し時間をかけてよく話し合いをしてみたいという希望を持っておるものです。
  234. 古寺宏

    古寺分科員 先ほど下北試験場で申し上げましたように、三十四年間も補償されないで、陸に上がったかっぱのように、もう生活に困って出かせぎをしなければならないという人がたくさんいらっしゃる。授業を中断しなければならないような騒音の中で勉強しているお子さんもいらっしゃる。学校の作文の中に、私の村は戦場だ、こういうふうに書いているお子さんもいらっしゃる。そういうものには、全然何ら補償もしなければ整備もしてあげない。一方では、こういうふうに、地域住民の知らない間にやみ討ちのように土地を買収してしまう。   〔森下(元)主査代理退席、主査着席〕 こういうような防衛庁の姿勢であっては、国民に愛される自衛隊防衛庁にはなれないと思うのです。こういう点についてはいかがでございますか。
  235. 江崎真澄

    江崎国務大臣 十分地元の了解のもとに事を進めていくようにしたいと思います。立川の問題も、実際、衝突回避ということがああいうことになったわけですが、強行するというようなことは、本来防衛庁としてとるべき筋合いのものではありませんので、十分理解を求めてこういう話は実現していきたい、このように考えております。
  236. 古寺宏

    古寺分科員 車力村の場合は村民が、ぜひ土地を返してもらいたい、こういうふうに希望しておりますので、地元の方々の不安を取り除く意味からも、あるいはまた防衛庁がいままでとった、こういう住民無視の、住民をばかにしたようなことへの償いの立場からも、早急に地元へ返すような措置をとっていただきたいということを御要望申し上げまして、時間でございますから終わります。
  237. 野田卯一

    野田主査 曽祢益君。
  238. 曾禰益

    曽祢分科員 私は、四十五年の十二月二十一日に日米安保協議委員会が決定いたしまして、在日米軍施設等の集約、撤収等に関する日米共同声明において取り上げました横須賀軍港における艦船修理部門、通称SRFの返還問題について、防衛庁長官、外務省及び運輸省に質問をしたいと思います。  この問題は、発端が四十五年の十二月二十一日の日米共同声明で、このSRFは、第六号の一番大きなドックを除いて、一号から五号までば日本に四十六年の六月末までに返還するということが決定、発表されたのでありますが、はなはだふしぎなことには、その返還後の日本側の艦船修理施設運営の問題についての政府の態度がなかなかきまらない。現地の横須賀方面では、当然のことですが、これは民営として、そしてアメリカの修理にも応ずる、日本の自衛隊の修理にも応ずるし、また民間の修理にも応ずるという一本経営が絶対いい。経営原則としてそのとおりだと思うのです。にかかわらず防衛庁のほうが、特に制服組には、かつての旧帝国海軍海軍工廠を何かやはりシンボルとしても自分で経営したいというような欲望もあって、少なくとも一部でも防衛庁がみずから経営したい。ところが、それには予算も法律もまだ準備ができてない。おかしなことでありまするが、アメリカのほうが返そうというのに、日本のほうからむしろ待ってくれということで、御承知のように、四十五年十二月に返還の方針がきまったのに、四十六年三月三十一日に日米それぞれが合意いたしまして、このSRFの返還を向こう一年間、つまり七二年六月三十日までとりあえず延期する。そのほかにも、第七艦隊の旗艦が佐世保に移駐するということをとりやめてまた横須賀に来るという、まことに不明朗な決定がなされたわけであります。  さて、これが昨年の暮れごろになりますと、いよいよ防衛庁がこの一号から少なくとも三号までの小さいほうの三つのドックを自営することについて、閣議決定並びに予算の手当てに成功いたしました。そういたしますと、実にふしぎなことには、この一号から三号まで防衛庁が使う。あとの四号と五号、大きなほうはどうなるかというと、これはとてもアメリカのほうが返しそうもないということで、一−三号の防衛庁による自営だけがきまって、その反面の結果としては、四号、五号の民営になるべきほうは、日米間の話し合いの折り合いがつかないというので、これまた先走ったようでありまするけれども、四十七年六月三十日までに四号、五号はとうてい返還されない、またしばらくの間無期延期になるのではないかといううわさが流れておる。これははなはだ不明朗である。それこそ、そういったようなことは、防衛庁自衛隊のいわゆるシビリアンコントロールの精神に反するのではないか。自分の使うものだけは取っておいて、日本側の民間に返すべきものばペンディングのままで進むということは断じてよろしくない。しかも、これをめぐって、アメリカの航空母艦がたくさん横須賀に来る、これが航空母艦の母港としての基地の永久化につながるのではないか、こういうようなこともうわさされておりまして、それははなはだいかぬと、当面の横須賀市議会において、全会一致でこの航空母艦の母港基地化の反対並びにSRFの返還を早くやれということ、同様に神奈川県会においても全会一致でその二つの点を強く打ち出したのであります。  私はそういう点を考えまして、ことしの一月二十五日防衛庁長官にもお目にかかり、外務大臣にも運輸大臣にもお目にかかって、そういうところがあってははなはだけしからぬ。防衛庁が一から三まで使うことについても私は文句があるのでありますけれども、かりにそれはやむを得ないとしても、四号、五号、民需のほうをほうっておいて防衛庁のほうだけきめてしまうというようなことは断じてあってはならない。これはもう、現地における日米間の離間には最もいい、外交上大きなマイナスになる、アメリカに対する信用は完全になくなる、防衛庁に対する民間の信用が完全にひっくり返ってしまうのではないかという大きな問題であるということを強く申し上げた次第であります。  また、この点に関しては、幸いに神奈川県二区の全政党を越えた衆議院議員の完全な意見の一致がありました。二月八日に院内において、防衛庁長官、外務大臣、運輸大臣の三大臣に、神奈川県二区選出の代議士、自民党の田川さん、社会党の中嶋さん、公明党の松尾さん並びに私がそろって、ただし中嶋さんが病院のためにちょっと来られませなんだけれども、四人の名において、このSRFの返還を、少なくとも防衛庁と同様に、本年六月三十日までに実現するように強く申し入れました。その結果、まあそこまで言うのならばもう一ぺんひとつアメリカ交渉してみよう、そしてアメリカが四号、五号の民営にどういう条件をつけるのか、それをよく聞いてみてなし得る限り御要望に沿いましょう。一号から三号の防衛庁のほうだけが返還されるというのは、確かにこれは不合理である、まあタイムリミットもあろうけれども、とりあえずもう一ぺん強力に四号、五号も同時に返還方をアメリカ交渉してみようということになったわけです。その後の交渉の経過並びに結果は、簡単でよろしゅうございますけれども、どうなったでしょうか。運輸省からまずお聞かせください。
  239. 田坂鋭一

    ○田坂政府委員 ただいま先生の仰せのように、二月八日に先生方からのお話がありました以後、急遽、二月十六日以降、関係省庁と共同いたしまして、米軍と、四号、五号の米軍側の期待する返還条件につきまして、折衝を三回に渡って続けてまいっております。その内容につきましては、主として修理の技術の問題それからその中でも、米海軍軍用特殊装置の問題、あるいは修理工事契約の問題、あるいは修理体制の即応性の問題等、多岐にわたっておりますので、これらの問題につきまして、なお十分な米軍側の理解、また私ども米軍側がなぜこういう問題を特に取り上げておられるのかの十分な理解にも至っておりませんが、今後さらに鋭意この交渉を続けまして、お互いに早く合意点に達したいということで進めております。
  240. 曾禰益

    曽祢分科員 どういう点がかみ合わないのですか。いま三つばかりあげられたと思うのですけれども
  241. 田坂鋭一

    ○田坂政府委員 私どもは体制を整えたつもりでおりますが、米側はやはり民営であると心配だというようなことで、この点は米側の主観の問題でありますので、十分に理解をしていただかなければならぬと私は考えております。
  242. 曾禰益

    曽祢分科員 幾ら何でも、主観の問題で民営だから心配だということだけでは、これは納得できませんね。当面の責任者である運輸省は自信を持って——日本のすぐれた船舶工業の実力からいえば、兵器そのものを修理するんじゃないのですから、いろいろな機密の兵器なんかをやるのじゃないのですから、船舶の修理に関して、民営にするから信頼できないなんという、そんな主観主義でやることはけしからぬです。これは、返したくないから、悪いけれども、そういう理屈をつけているんじゃないかと思うのです。  ただそればかりですか。私のちらっと聞いたところによると、何かそのほかにも、契約の原則からいって——まあわが国でも、原則としては政府の契約は競争入札でしょうけれどもアメリカのほうは一々競争入札をしなければならない。ところが日本側は、現地の横須賀に持っている造船施設というものは一社ですね。その一社が請け負うということでは法律上困るというようなこと、つまり契約上に難点がある。指名入札ができないということも言っているというのですが、どうなんですか。その辺の事情を明らかにされたい。
  243. 田坂鋭一

    ○田坂政府委員 ただいま先生仰せの点も問題の一つであります。
  244. 曾禰益

    曽祢分科員 現地に施設を持っているのは何という会社ですか。
  245. 田坂鋭一

    ○田坂政府委員 現地に施設と申しますと……。
  246. 曾禰益

    曽祢分科員 造船会社です。
  247. 田坂鋭一

    ○田坂政府委員 ただいま、現地といいますか、地元に施設を持っておりますのは、隣接いたしまして住友重機の横須賀分工場がございます。
  248. 曾禰益

    曽祢分科員 そうすると、防衛庁としては、もしアメリカと話がついたならば、その住友重機工業等にやらしたい。あそこには造船の施設もある。あそこというのは横須賀市内の久里浜、追浜等ですね。だからこれにやらしたいと、それは十分にやる能力があるはずである、こういうふうにお考えになっているんですか。
  249. 田坂鋭一

    ○田坂政府委員 まだ最終的には決定いたしておりませんが、大体その方向に近い線が最もよかろうかというふうな考えは、一つの考えだと考えております。
  250. 曾禰益

    曽祢分科員 もしそうだとするならば、もう少し強力に——われわれはわからないんです、アメリカの言っていることがね。アメリカの言っていることにも筋があるのなら、これはわれわれは理屈には服しますけれども、なぜ返せないのか。要するに事情が変わった、返したくない。私もアメリカの大使にも交渉しました。大使館の関係者の意見も聞きましたけれども、要するにまあ返したくない。返したくないからいろいろな理屈がつく。そのことが日米の政治関係全般から見ていかにまずいかということは——まあ、そういうレベルの事務的な立場の人から見ると、要するに返したくないから、自分でやったほうがいいんだということじゃないかとしか思えないのです。どうなんですか。あなたはそう思いませんか。
  251. 田坂鋭一

    ○田坂政府委員 米軍側の考えの問題でございますので、私ども明らかにはわかりませんけれども、民営ということで米軍側が非常に心配するのも無理ない点もある。私どもは、私どもが考えておる民間側の受け入れの体制につきまして、さらにもう少し詳細な説明をいたしたいというふうに考えております。
  252. 曾禰益

    曽祢分科員 常識的に考えても、アメリカの軍艦の修理ですから、ある種の部品等については、アメリカ側からサプライしてもらわなきゃ困るでしょう。しかし、そういうことを除けば、日本のすぐれた船舶工業の民間の企業がこなせないはずはない。もしこなしにくかったら、向こうからいろいろの教習を受けてもいいでしょうし、あそこにはSRFに働く日本のすぐれた労働者諸君がおるんですから、その相当部分は会社側で使ってもいいだろうし、私はどう考えてもそういう点がわからない。もしその意思があるならば、日本側に移管してやってもらおうということで道は開けるんじゃないか。  ただ、よく伝えられるところでは、かつて佐世保における事例によると、日本の民間にやらせてしまったら、忙しいときにアメリカから発注しようと思っても、いまドクがあいてませんというようなことで断わられたこともあるしということで、だいぶ信用をなくしているということもあるんですね。その点はどうなんですか。その点も運輸省が監督して、日本の民間にやってもらうならば、そういう点については優先的にアメリカの需要を充足するような措置は十分にとれるんじゃないかと思うのですが、その点はどうお考えですか。
  253. 田坂鋭一

    ○田坂政府委員 まず佐世保の問題でございますが、佐世保の問題につきましては、そういううわさを私ども聞きました。で、実際に調べましたところ、三号ドックの問題だろうと思うのでございますが、修繕工事を断わったということはない。三号ドックに入れるには能率が悪いというようなものは、佐世保重工が持っておる自分のほうのドックに入れて修繕の要請には十分こたえたということでございます。  それから、米軍側の要請につきましては、私ども現在、先生がおっしゃったように、一〇〇%こたえられるという自信は持っております。
  254. 曾禰益

    曽祢分科員 だとすれば、きょうはほんとうは運輸大臣にも来ていただきたかったのですが、おられないので局長に伺いますが、そこまで話が来ているのなら、たいへん失礼ですけれども、事務折衝だけでなくて、それと並行して少なくとももう少しハイレベルな話で、基本方針は返すんだ、日米の四十五年十二月二十一日の基本精神は生きているんだ——これは去年の三月三十日の日米それぞれの声明にも言っているのですね。この基本精神は生きているんだ、だから日本側に返すんだ。その間、防衛庁が一号から三号まで使っちゃうので、アメリカ側はそっちは原則として使わない。あいているときには、いわゆる地位協定二条4の(b)によってアメリカにそっくり返すということはできるけれども、とにかく非常に浮遊動物にしてしまったからやりにくいということはあるにせよ、やはりこの辺で返す、返すについてはというふうに、そういう交渉をやる必要があるんじゃないでしょうか。いつまでもほうっておくと堂々めぐりしているような感じがしてならないのですが、どうですか。政治折衝が必要であるというふうにお考えになりませんか。
  255. 田坂鋭一

    ○田坂政府委員 何ぶんにも本施設返還につきましては、私ども当初から窓口になっておりませんでしたので、外務省なり防衛庁なりの特別な御支援を得まして、先生のおっしゃるような方向ができれば、私どもは非常によろしいというふうに考えております。
  256. 曾禰益

    曽祢分科員 以上お聞きのとおりですけれども、大臣、あなたのほうは、一号から三号までとっちゃったから、あとはどうなってもいいというレベルじゃお考えになっていないと思うのですね。これはやはり日米協力の大綱からいっても、一号−三号を防衛庁が使うことはやむを得ないとしても、そのことによって非常に大きな傷ができる。最近その他の基地においてもいろいろな事件が起こっていますから、なおさらのこと、この問題においてそういうことを起こしちゃいけないんじゃないか。  特に、この前大臣にお目にかかった直後に、現地横須賀におきましては、これは異例なことなんですが——いわゆる市民運動というと、何か行政当局、それが知事であろうが、市長であろうが、そういうこととは無関係に市民運動、反対運動ということがよくございますが、そうではない、私は一番好ましい市民運動のパターンだと思うのですが、横須賀においては、市議会の議長が中心になりまして市民大会を開いたのです。それでもう各党派、それから商工会議所、青年会議所、同盟、総評の労働組合、全く全市民が一致して、いわゆる航空母艦の永久基地化反対、SRFは必ず返せ、こういう運動を起こしまして、その決議を大臣にもお伝えしたとおりなんです。そこまで盛り上っているのですから、これはどうしても、防衛庁長官というよりももちろん閣僚の江崎さんとして、単にここから先は運輸省の問題だというようなことでなく、何といっても施設全体については防衛庁の責任なんで、返ってきたものを防衛庁が使うということ以外に、またSRFの従業員雇用の問題も、これまたその首切り等のお世話の問題まで、全部これは防衛庁にかかるわけですね。そういう意味から、何かもう少しハイレベルの折衝によってこの問題を政治的に打開する。六月三十日までには三カ月あるわけです。しかしまた、見方によってもう三カ月しかない。何かこの段階に事態を打開するような政治折衝をおやりになるお考えはございませんか。
  257. 江崎真澄

    江崎国務大臣 曽弥さん、非常に御熱心に再三にわたってのお話でありますから、私どももこの問題には熱意を傾けておるつもりです。  先般、太平洋軍司令官がたまたま札幌オリンピックに来られたときに、私に表敬訪問がありましたので、そのときもこの問題を持ち出しまして、よく話をしたようなわけでございまして、今後もおりに触れときに触れ、外務省も運輸省もでありますが、私どもも十分ひとつ折衝をいたしたいと思います。そして、四号、五号の問題は、御趣旨に沿うような形、まあ方法論としては、やはり国有民営というような形が望ましいかと思っておりますが、十分努力したいと思っております。
  258. 曾禰益

    曽祢分科員 私も、新聞も通じまして、また、このことをあなたのほうの鶴崎参事官からも確認を得まして、あなたは、マケーンがあなたに敬意を表しに来たときに、特にこの件について話していただいて、アメリカのほうは返すのを渋っているのを、これは政治的にやはり四号、五号を返すのをまじめに考えてくれということを言われたことをたいへん多としています。  しかし同時に、これはやはりどうしても実際問題として、タイムリミットと言っては少しオーバーですけれども、六月三十日がタイムミリットですけれども、もしこの取り扱いいかんによっては、やはり解雇問題が起こらないとは限らない。六月三十日までに一号−三号なり一号から五号まで返す場合、そのいずれの場合においても、解雇問題が起こる可能性があるとすれば、三カ月前、九十日前の予告ということで、三月三十日というものはあるいは一つの期限というか、区切りにならないとも限らないと思うのです。そうなると、時間的な要素というのは非常に狭まっているという感じがして、私はきょうの段階においては、非常に切迫した心配を持って伺っておるわけなんです。その点はどうお考えですか。あんまりのんべんだらりとしておれないような感じがするのですが、いかがですか。
  259. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御指摘のとおりだと思います。したがってこれはやはり促進しなければなりません。それからまた、雇用者については、今後、戻ってまいりました暁においても、それぞれの施設がそのまま受け継ぎができるような対処、これも当然必要だろうと考えて努力しております。
  260. 曾禰益

    曽祢分科員 見切り発車はしませんか。正確に言いますと、一号−三号までだけははっきりしておくために、三月三十日までに一号−三号までをとりあえず仕切って、そして解雇通告を出すのなら出させる、四号、五号は引き続き継続審査という形でごまかされる、これが私の言う見切り発車であります。はなはだけしからぬと思うのでありますが、そういうことをなさらないということを御確認願えますか。
  261. 鶴崎敏

    ○鶴崎政府委員 一号から三号につきましては、先生御承知のように、来年度の予算要求をいたしております。そこで、一般の修理費がそれだけ減になっておりまして、ここのSRFの施設の拡充のための予算がついておるわけでございます。それで、このままいきますと、結局、一般の修理費が減になっておりますから、この一号から三号が自衛隊の修理施設として働かない場合には、修理の要求が充足できなくなるという事態が出てくるわけでございます。しかしながら、先生御指摘のように、民間のほうがきまらないで自衛隊のほうだけ先にきまるという事態は、これは好ましくないとわれわれも考えますので、できるだけこの民間のほうの問題も片づいて同時にやりたいという希望は持っておりますけれども、いまのような予算上の問題もありますので、この点はひとつ御理解をいただきたいと思います。
  262. 曾禰益

    曽祢分科員 それはどっちかの政治的判断の問題だと思うのですね。それはやはり連れ子を持っているんですから、その見切り発車して、防衛庁のほうの一号−三号だけはとりあえず発車をする、これはまずいですよ。ですから、それは予算が使えなくとも、少しおくれるのはやむを得ない。四、五号まで、民間のほうのやつを一緒にやってやろうというくらいな親心が必要であります。ことに、予算が使えないほうもありますが、もしかりに一号−三号だけでとりあえずやる場合に、もしSRFの解雇の問題があるとすれば、解雇の問題をおくらせたらいいじゃないですか。解雇の九十日のあれだから、それまでに一号−三号だけをスタートするような発表というのは、私は非常にまずいと思うので、そういうことをひとつぜひやめて、積極的にこの際、これはあとで外務省にも質問いたしますけれども、最終的には外務省の責任だと思いますけれども、やはり防衛庁も、一号−三号だけで見切り発車しないで、四号、五号をともに発車させるために、若干おくれてもやむを得ないというくらいの態度でひとつやっていただきたいと思うのですが、長官、いかがですか。
  263. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御趣意の点は全く同感です。それに、地元のあの雰囲気等、私どもも知っておるつもりですから、十分御意見を取り入れて善処いたします。
  264. 曾禰益

    曽祢分科員 ほんとうは外務大臣に来ていただいて、ぜひ伺いたかったのですけれどもアメリカ局長がここにおられますから、そういうような政府全体の姿勢として、外務省もなかなか——アメリカのいわゆる技術的な現場の要望というものが強いことは、私も決してわからないわけじゃありませんが、やはり大きな政治判断としてぜひひとつこの際詰めて、三月三十日までというふうに限らず、しかし、それも一つの目安とするのはけっこうですから、ぜひひとつ運輸省における事務レベルの折衝と並行して、やはり返すんだという基本線における交渉をしていただきたいと思うのですが、いかがですか。
  265. 吉野文六

    ○吉野政府委員 大筋といたしましては、いま曽祢先生のおっしゃられるとおり、われわれも一日も早く、SRF、横須賀の艦船修理部が日本側に返還されるということを目的といたしましてずっと交渉してきておるわけであります。しかしながら、御存じのとおり、四十五年十二月二十一日、日米間で発表いたしたときのわれわれの心がまえは、あくまでもこれらのドックの日本に対する引き渡しは、米側が引き続き米側の船舶を修理するのに支障がないということが条件であったわけであります。それからその後に昨年の三月三十日、やはりことしの六月まで現在の状況を暫定的に延ばすという合意があったときも同様でございます。目下そのラインで、先ほど船舶局長が御説明したとおり、米側艦船修理に支障のないような条件でいかにしてこの問題を解決するか、こういうことで目下先方と交渉しているわけでございます。  もちろん、民間ないし日本側にこれらの施設が返ってくることは、われわれとしても非常に望ましい次第でございますし、究極的にはその方向に行くことは間違いないわけでございます。その点については日米双方に根本的な理解がございます。しかしながら、当面の問題としては、米側艦船の修理に支障を来たさない、これは御存じのとおり、われわれも、日米安保条約によりまして米側基地ないし施設を提供する以上、このような義務はあるわけでございます。したがって、そのような条件をいかに満たしていくかということで目下やっているわけでございます。したがって、その結果がまだ出ていないというのが現状でございます。
  266. 曾禰益

    曽祢分科員 これはお互いにわかり切ったことを言っているのですが、しかし先ほども指摘したように、去年の三月三十日の外務省の発表は、前年十二月二十一日の決定を変更しているけれども、そのことは在日米軍施設集約等に関する基本方針をマテリアルに変えるものではないということを言っておるわけでしょう。ですから問題は、アメリカのいわゆる希望なり条件というものが、全くこまかい、重箱の隅をつつくようないじ悪いことをやれば、現状がいいにきまっているのです。そうじゃなくて、大きくアメリカ艦船修理の需要を満たす、これは日本側の民間でできることなんですね。どう考えてもできる。向こうがほんとうにそのことに協力する気持ちさえあれば、これは技術的にも心理的にもできるはずなんです。ですから外務省も基本的には——アメリカの要求をけ飛ばせというようなことを言っているわけではないですよ。だから筋においてアメリカの要求は充足する。それには日本の政府が、いろいろ予算等の措置が必要だったらやればいい。法律の必要があったらやったらいい。その話を持っていって、ただ単に純粋の技術レベルの話だけでなく、政治的のレベルの大局上の話を詰めてほしい。これはぜひひとつ外務大臣に伝えてください。防衛庁長官、ひとつ閣議レベルでこの問題を収拾してほしいのですが、いかがですか。
  267. 江崎真澄

    江崎国務大臣 よくわかりました。
  268. 野田卯一

  269. 久保三郎

    久保分科員 時間も限られておりますので、米軍に提供中の施設、区域のうち、具体的に一つだけ取り出してお伺いしたいのであります。  まず最初に官房長官にお尋ねしたいのであります。水戸の対地射爆場の返還でありますが、これはたしか四十四年の一月に閣議決定返還の方針をきめられたということでありますが、それはそのとおりであるかどうか。そして、去年の一月以来今日まで、米軍はこの射爆場の使用を停止いたしておるようであります。ついては、この閣議決定後今日まで、返還の方針について変わりはないのかどうか。変わりがないとすれば、対米折衝はどの辺までやっておられるのか。  時間がありませんから並べてお尋ねしたいのは、どうして今日まで返還が実現できないのか、どんな理由があるのだろうか、こういうことをあわせてお答えいただきたい。
  270. 竹下登

    ○竹下国務大臣 いま久保先生御指摘とおり、昭和四十四年九月九日の閣議におきまして、本射爆撃場の移転の方針を再確認し、三年ないし四年のうちにこれを実現する旨決定されております。また昭和四十六年一月一日以後、射爆撃訓練が停止されておる経緯にかんがみまして、政府としては、本施設の取り扱いについて至急米側協議をととのえるべく努力いたしてきたところでございますが、御承知のように、最近米軍関東地区における米空軍施設の再配備計画という考え方を持っておりまして、それに伴って、そういう考え方で新たな事態としてこれを受けとめて、今後精力的に折衝をしよう、こういうことになっておりますので、ちょっといま日にちを記憶しておりませんが、たしか沖繩国会の際に福田外務大臣から、あるいはサンクレメンテ後だったかもしれませんが、ちょっと記憶しておりませんが、いわゆる横田基地中心云々という発言が国会でもあったと記憶いたしております。そういう新たな事態になりましたので、その話自体を詰めながらこれが返還の実現にさらに精力を傾けよう、こういうことになっておる、このように承知いたしております。
  271. 久保三郎

    久保分科員 そういたしますと、四十四年の九月に閣議決定した方針には変わりはないようでありますけれども……。
  272. 竹下登

    ○竹下国務大臣 そのとおりでございます。
  273. 久保三郎

    久保分科員 しかし、アメリカとの間では残念ながらそういう情勢にはないと受け取る、それが正しいのでありますか。いまの空軍再配置計画というか、そういうものがあって、言うならば返還のめどが立たない、こういうふうにおっしゃったのではないかと思うのでありますが、そうだとすると、これはたいへんの話が違うことだと思うのですね。アメリカ当局も返還ということについては一応オーケーを与えておる、しかし再配置計画というものと一緒にこれはやるんだ、そういう意味ならまた別だと思うのでありますが、これはどちらにとってよろしいか、いかがでしょうか。
  274. 竹下登

    ○竹下国務大臣 再配置計画と一緒にと、いま久保先生のおっしゃった後者の意味におとりいただいてけっこうであると思います。
  275. 久保三郎

    久保分科員 そうしますと、アメリカ側も射爆場返還については一応同意したというふうにとってよろしいですか。
  276. 島田豊

    島田(豊)政府委員 まだ今日の時点におきまして日米間で合意を見るというところまではいっておりません。いま官房長官のお話にございましたように、関東平野におきますところの統合、集約計画一環としてこの問題はアメリカは考えたいということでございますので、その辺の問題を今後詰める過程におきましてこの返還の問題が具体化してくるものだ、かように考えております。
  277. 久保三郎

    久保分科員 そうしますと、これは先ほど官房長官お答えになりました、私のあとから申し上げた、いわゆるアメリカ軍並びに当局というか、これは一応返還というコースはオーケーしているが、再配置計画の中で一緒に考えましょうということではなさそうにいまの答弁では思うのでありますが、その点、島田施設庁長官はどうですか。
  278. 島田豊

    島田(豊)政府委員 米軍考え方は、米空軍施設の再配置計画の中においてこの問題を処理をしたいということでございます。そこで、再配置計画につきましては、いま日米間でその中身を詰めておるところでございますけれども、いろいろ集約、統合いたしますにつきましては、米側としては条件が出てまいります。そういう諸条件について、わがほうといたしましても、いろんな角度から、予算の問題を含めましてこれから十分検討いたすということでございますので、その中の一環の問題としてこの問題が処理される、かように考えております。今後その問題を煮詰めますのにどのくらいの時間を要しますか、いまここではっきり申し上げられませんけれども、そうこの問題も処理に長期を要する問題ではないと思いますので、この水戸射爆場の問題も、そう遠くない将来に何らかの解決を見出せるものだというふうに考えております。
  279. 久保三郎

    久保分科員 施設庁長官、あなたのおっしゃることをもう一ぺん確認させてもらいますが、そうしますと、返還は言うなら既定の事実である、そういうふうに受け取ってよろしいわけですか。
  280. 島田豊

    島田(豊)政府委員 まだ米側もこの返還について明確なることは言っておりません。私どもとしては、その要望をかねて米側に申し入れておりますけれども、まだ米側としては、この返還ということについての方針を明確には打ち出しておらないのが今日の情勢でございます。
  281. 久保三郎

    久保分科員 明確にはしていないが返還をするであろう、こういうふうにとっていいですか。それだったらその理由を言ってください、こういうことで類推すれば返還は既定の事実であるということを。
  282. 島田豊

    島田(豊)政府委員 この再配置計画はいま日米間で煮詰めておるところでございますけれども、要するに関東平野におきます米空軍施設横田集約移転をする、それによってその場所を返還をする、こういうふうな基本的な考え方米側にございます。したがいまして、この問題の処理の過程において一挙にということにはなかなかいきませんけれども、逐次時間をかげながら両者間で具・体的な処理の方策について合意をいたし、われわれとしましても、予算措置を講じてこれらの処理をしてまいるということになろうかと思いますので、その過程においてこの返還という問題も出てまいる、かように考えておるわけでございます。
  283. 久保三郎

    久保分科員 一挙にはいかないけれどもというのは、どんなふうにとっていいんですか。
  284. 島田豊

    島田(豊)政府委員 関東平野におきます米空軍施設集約移転、かなりこれは大きな事業でございます。したがいまして、たとえば移設についての条件が出てまいります場合に、その移設計画をどういうふうに立てていくか、これに対する予算的な措置をどういうふうにしていくかということになりますれば、かなり大きな事業になってまいりますので、一年や二年でこの問題が処理できるというふうには考えられません。米側はできるだけ早くという要望でございますけれども、こちらにはこちらの予算措置その他の問題がございますので、それは一挙にはいかない、やはり段階を追いまして年次の計画を立てながらこの問題を処理していく、こういう意味でございます。
  285. 久保三郎

    久保分科員 それじゃ、あなたの見積もりというか、見通しでは何年くらいかかるんですか。
  286. 島田豊

    島田(豊)政府委員 先ほど申しましたように、そう遠い将来ではないと思いますけれども、まだその時期については米側も明確にいたしておりません。
  287. 久保三郎

    久保分科員 あなたも交渉の相手をつとめる御一人だろうと思うのでありますが、いまのような御答弁がある限りは、大体のめどをつけていらっしゃるのじゃないですか。そうでなければ、雲をつかむような話というのはそういうことになってしまうので、いかがですか。
  288. 島田豊

    島田(豊)政府委員 この問題の処理については、まだ日米間で十分に煮詰めておりませんが、米側といたしますれば、やはり集約計画というものを一つの一体的なものとして考えるという感じがいたすわけでございまして、実際にこれを具体化しますのは年度、年度の計画によってやりますけれども、全体を一つの一括したものとして米軍が考えておるというふうなことが考えられます。したがいまして、年度ごとに逐次米側の諸条件というものをこちらが実現をする、そのさなかにおいていろいろな諸施設返還というものが具体化する、こういう趣旨で申し上げておるわけでございます。したがいまして、この水戸の射爆撃場が具体的にいっその返還がなされるかということについては、いま明確にはお答え申し上げられませんが、まあそう遠い将来ではないという見通しを私どもは持っておるわけでございます。
  289. 久保三郎

    久保分科員 遠い将来ではないと言うが、遠い近いというのは人おのおのによって違うわけなんでありまして、それじゃ、将来というのは大体年で切るんですか、月で切るんですか。時間もないので、あまりむだな問答はこの際つまらぬことだと思うのです。近い将来だとかいうのはごまかしじゃないですか。これは前の閣議決定どおりいくんですか。三年ないし四年後には返還をさせるという閣議決定を四十四年にしたんです。そのとおりいくのかいかないのか、いかせるつもりなのか、そこを聞きたい。
  290. 島田豊

    島田(豊)政府委員 三年ないし四年ということでございますので、この期間内において返還は実現を見るだろうというふうに思いますし、またそうさせたいと考えております。
  291. 久保三郎

    久保分科員 米軍からは再配置計画について具体的な要求は出ているんですか。
  292. 島田豊

    島田(豊)政府委員 かなりこまかいデータは出ております。したがいまして、その一つ一つについていま日米間で話し合いを進めておるところでございます。
  293. 久保三郎

    久保分科員 そうなれば、具体的な提案があれば、これをこなすのに、大体目の子勘定でどのくらいかかるかはおおよそおわかりでしょう。あなたのいままでの答弁で、年次計画予算を組んでいるのですから、年間に予算をどの程度とっていくというのは、いままでの経験からわかるでしょう。もっとも、四次防みたいなものがございますからわかりませんけれども、それは抜きにして、わかるのじゃないですか。
  294. 島田豊

    島田(豊)政府委員 具体的には一般会計で処理しなければならぬ問題もございますし、施設整備の特別会計で処理をする問題もございます。特別会計になりますと、返還をされるべき財産の評価をいたさなければなりませんので、その辺がかなり時間を要するものというふうに考えております。また、米側のそういう諸条件につきまして、それをのむことが適当であるかどうか、もっとほかの方法はないかというふうなことにつきましても、日本側としても十分検討をいたさなければなりませんので、それが全体的な一つの全貌ができ上がるまでにはまだちょっと時間を要する、こういうふうに考えます。そして全体的な計画ができました場合に、それを具体化していきますのは年度、年度の予算である、こういうことになるわけであります。
  295. 久保三郎

    久保分科員 あなたのお話は無理もない話かもしれませんが、それにはちょっと時間がかかる、近い将来だ、そういうことを聞いておるのじゃないのですよ。四十四年の閣議決定から何年になるのですか。三年でしょう。演習を停止してから一年三カ月になるのですよ。その間何をやったかというのが、大体この地元の県民の、国民の疑問なんです。その疑問にちっともあなたは答えていないじゃないですか。どうなんですか。
  296. 島田豊

    島田(豊)政府委員 先ほど申しましたように、具体的に何年何月というところまで申し上げられませんが、この閣議決定の趣旨には十分沿い得られるものと考えますし、また、そういうふうに私どもとしては努力をするつもりでございます。
  297. 久保三郎

    久保分科員 あなたといま問答をしていても、それ以上のことはどうも出そうもありませんから、これは防衛庁長官並びに官房長官に申し上げておくのですが、閣議決定というのがあまり空文化しても権威にもかかわることだし、見通しがあって三年ないし四年という、ずいぶん閣議決定も幅のある決定をしたものだと思うのですが、三年ないし四年の幅を読んでいるのですから、その時限の中におさまらぬようでは、これはたいへんだと思うのですね。これはぜひ詰めていただかなければいかぬと思うのです。  そこで、時間がありませんから先に行きますが、それではあと地の利用については政府はいかが考えておられますか。われわれ考えるのに、この茨城県の水戸の射爆場のあの地域は、言うなれば首都圏におけるところの緑の空間というか、そういう貴重な国民の財産だと思うのです。だから一刻も早く返してもらいたい。返したあとは、県民、国民の共有財産としてこれは十分位置づけをし、活用してもらいたいと思っているのです。一部の者のためではなく、全体のためにひとつ利用させてほしいと思っているわけです。これは当然だと思うのですね。ついては、そういう方向でいまあと地の利用を考えておられるのかどうか。あるいはいまは何にも考えておられないのか。いかがですか。
  298. 江崎真澄

    江崎国務大臣 あと地利用に関しましては、地元の計画をできるだけ尊重していきたい、こういうふうに考えております。昭和二十七年以来、陸上自衛隊施設学校というのが爆破訓練場に一部を使っておりますが、これがやはりどうなるかということが絶えず問題になるわけですが、防衛庁としては、引き続き使いたい、こういう意向を持っておるわけですが、しかしそれとても、県知事等も再三御訪問になりまして、何かこれも一緒に返すという方途はないかというようなお話があります。したがって、われわれといたしましては、引き続き使いたいと思っておるが、何か県内でこれに見合うような適当なところでもごあっせんいただくとか、何か方法はあるように思いますと、実は弾力的な御相談にのっておるというのが実情でございます。
  299. 久保三郎

    久保分科員 それはたいへんなお話を伺いました。初めて聞きました。それは県民びっくりするだろうと思うのです。防衛庁長官のお立場からいって、区域とか施設とかいうものは多々ますます弁ずかもしれませんけれども、しかも返還になれば国有地でありますから、首都圏では骨は折れないのでありますから、こういうところに目をつける、と言ってはたいへん語弊があると思いますが、目星をつけるのは当然かと思いますけれども、引き続いて防衛庁がお使いになる分についてはだれも賛成をしないし、われわれは絶対これには反対であります。長年、命をかけましてこの返還を要求し、その実現に向かって努力してきたのですから。これは一人の知事や政治家の問題ではないのですよ。何人かが死に、何百人かが傷つけられてきているのです。だから、それから言っても、防衛庁がお使いになることはわれわれは認めるわけにはまいりません。  いまお話を聞きますと、知事から、射爆場は返してもらって地元の意向に従って使用させてくれ、ただし、防衛庁が何かお使いになるというならば別なところを探してやりましょうというお話があったということですが、とんでもない話だ。そんな余地はどこにもありませんよ。これははっきり申し上げておきます。それを知事が言ったとしたら、これは全く大きな問題であります。  竹下長官は、ごく最近も、水戸でしたか、茨城県においでになりまして、あのあと地の利用について、記者会見をされまして言明をされたそうでありますが、いまの防衛庁長官の話と同じでありますか、いかがでしょうか。
  300. 竹下登

    ○竹下国務大臣 いま久保先生の御指摘は、一月三十日、私が参議院議員補欠選挙応援に参りました際、県庁におきまして記者会見をいたしましたその内容についてのお尋ねである、このように考えます。したがいまして、当時、私は役目柄、政府のスポークスマンでありますだけに、ことばづかいにはたいへん注意をして、特にそれが選挙運動に参ったときでありましただけに、十分注意をして発言をしたつもりでございます。しかし、その発言の趣旨は、これのあと地につきましては地域開発のために使用したい、この一語で大体代表されることであろうと思います。  そこで、先ほど来防衛庁長官からのお話が問題になっておりますが、私もいわゆる首都圏の計画また地元からの計画、そして防衛庁の部内におきまして継続して使いたいという希望、これがあることは承知をいたしております。しかし私どもが、十二月二十四日、閣議後にも、私を交えまして、建設大臣、防衛庁長官と、これらを含んだ問題について協議をいたしました際も、基本的な考え方として、地域開発ということを表面に押し出してわれわれは努力をしております。しかし、おのずから今日まで継続して使った防衛庁側にもそれなりの希望があるであろうから、その希望が一挙に対米交渉の以前においてついえ去ってしまうという形はとらないで、われわれの話し合いの中で、ただいま久保分科員御指摘の方向で、地域開発に全面的な利用をされるような形で検討を加えております。こういうようなおりおり相談をいたしておるさなかでございます。  さらにまた、施設庁長官から答弁を申し上げましたが、やはり関東一円のいわゆる基地の集中ということの対米折衝をされておるさなかに具体的な計画として打ち出すということに対しては、いささか差し控えておったほうがいいではないか。しかし、基本的な方向だけは、私どもおりおりお話ししておりますのは、全面的に地域開発に使う方向でお互いが努力しようということだけは、その立場、立場は別といたしまして確認をいたしておるところでございます。
  301. 久保三郎

    久保分科員 官房長官のお話と防衛庁長官のお話とでは多少ニュアンスが違うので、非常に大事な点でありまして、大きく言えば、お二人の大臣のお話は違うということになりますね。一応射爆場に限定すれば、防衛庁長官は、それは地元の利用計画に基づいてやらせる、しかしその場合でも、防衛庁がかわりを要求しますよというお話になりますね。それから官房長官のお話では、何かもやもや——もやもやと言ったらたいへん失礼でありますが、あいまいとした形で防衛庁長官のお話を裏づけしているようにも思うし、そうでないようにも思う。しかし、これはやはりきちっと整理されないままにいろいろなものを進められることは、これはたいへんな間違いを起こすもとになると思うのですね。ついては、これはきちんと私の口から整理してもよろしゅうございますか。
  302. 江崎真澄

    江崎国務大臣 われわれのほうも、陸上自衛隊施設学校が爆発訓練場ということで、これは昭和二十七年から使っておるわけです。それで、全面返還と、それから地元の要望には沿います、そこまでは一致しているんですよ。それからまた、これだけのものを地元の要望の線に従ってお返ししようという意思が、官房長官閣議了解事項ということで持っておられるわけですから、したがって、まあこれを全面返還をするということになれば、県内は広うございます。やはりそこはまた県知事も苦労をしていただいて、久保さんもひとつ、御協力は願えぬかもしれませんが、まあそこはやはり、こういうところへ移ったらどうだ、だからこれは全面返還にしたらどうだということでありませんと、これはやはり二十七年からの実績ということにもこだわるわけです。   〔主査退席、森下(元)主査代理着席〕 しかし、それのみにこだわって地元の計画自衛隊がぶちこわした、そんなことはしたくないと思うのです。ですから、知事さんにも何とかひとつできるだけそういうところをごあっせんを願って、双方が努力する形でこういう問題は解決したらいかがでしょうか、こういう御相談をしておるわけです。知事はもちろん全面返還ということを言っておられます。これはしばしば私どもにも強い御要請があります。また自民党の諸君からの強い要請もあるわけでございまして、この辺については、ひとつなお今後とも話し合いをしながら、久保さんの御意思も生かされるような形で解決をしてまいりたいと思います。
  303. 久保三郎

    久保分科員 時間がないので、いずれあらためてその辺は詰めたいと思うのですが、おことばでありますが、どうも同意しかねる問題でございます。そういうものを今後残しながらやっていくこと自体にもたいへん問題があると思うのです。きょうはその先を詰めておきたいと思うのですが、時間がありませんから……。  あと地利用で、流通港湾を中心にして検討を加えられている。首都圏整備委員会のほうで、水戸・日立開発区域の整備計画というか、そういうもので位置づけをされているそうでありますが、これまたずいぶんかってな話じゃなかろうかというふうにも思うのであります。流通港湾が要るか要らぬかの問題をいまから調査されるのでありましょうが、大体流通港湾をつくることを前提にして御調査をなさっているそうでありますが、大体新全総そのものもいま改定期に入りつつあるんじゃないですか。そういうことを考えれば、そういうものを前提にして流通港湾をどうしてもつくるんだということだけで調査をされるについては、抵抗をやや感ずるわけであります。それから、首都圏整備委員会としては、そういうものは調査の一環であって、計画一環であって全体ではない、これはまだペンディングの問題である、こういうふうにとってよろしいのかどうか。  それからもう一つ、さっき言ったように、緑の空間というか、そういうものは貴重なまとまった土地だとわれわれは考えておるわけなんです。一たんこれを何かに改変してしまえば、再びそういうものは戻ってこないのが現実ですね。だから、大事に扱うというのがたいへんなんです。だから、そういう意味でも、首都圏整備委員会のやろうとしていることは、あるいはやっていることは、ペンディングであるかどうか。  それから、時間がありませんから、運輸省の港湾局長にも聞かなければいけませんが、港湾局で調査をやっているそうでありますが、それは流通港湾としてどういう規模で、どういう構想で、どの程度のものを描いて調査をやっているか。ただ何となく調査しているわけじゃないでしょう。どの程度の規模か簡単にお答えをいただきたいと思います。
  304. 北川博正

    ○北川説明員 おっしゃるとおり、当地域を中心にしまして、水戸・日立都市開発区域というものがございます。その区域の一部にこの射爆場はなっておるのであります。まあ北関東の将来の発展のために、どこかに大きな港湾が必要であるということばすでに述べておるとおりでありまして、またこの射爆場近辺につきましても、将来流通業務に資したいという計画は持っております。しかし、これは御承知のとおり現在調査中でございまして、決定したというものではございません。
  305. 栗栖義明

    ○栗栖政府委員 先生御指摘のように、現在大竹海岸から日立港までの自然条件の調査を中心に進めてございます。これはどういう規模かという点につきましては、まだ首都圏の計画もはっきりいたしませんので、的確には申し上げられませんけれども、あの付近で、御承知のように南に行きますと鹿島港がございますけれども、自然条件を調べまして、どの範囲の地域に港をつくるとすればどういう港ができるだろうかという基本的な調査を、いま進めておる段階でございます。
  306. 久保三郎

    久保分科員 どの程度の港ができるだろうということで調査しているのじゃなくて、どの程度の港湾が必要だからここへつくろうじゃないかという前提で御調査なさっているんじゃないですか。たとえば、首都圏におけるところの物流の問題で、東京港は満ぱいだ、今後北関東一帯の工業化をはかっていけば、その物資の流通については、東京湾じゃどうもうまくいかぬ、だから北関東三県のものは、窓口というか、はけ口は、その射爆場あとに持っていこうじゃないか、そういう前提で調査されているのじゃないですか。あなたがいま答弁されているとおりならば、われわれも了とするのですよ。しかし、いま私が言うようなことでやっているとするなら、これは問題だと私は思う。大体土台をはっきり改定してからやり直してもらいたいと思うのです。
  307. 栗栖義明

    ○栗栖政府委員 ちょっと私のことばが足りなかったかもしれませんけれども、私どもの基本的な発想法から申しますと、御承知のように、東京湾も非常に過密になっている現在、東京湾を通じて北関東に流れておる物資を、できればよそから流したいという気持ちはあります。ただ、先生御指摘のように、関東平野全体の人口の配分が変わるであろうとか、あるいは産業構造がどう変化するかということによっても、ものの流れが変わってまいります。これがまだ的確でないので、どの程度のものがどうだということを、いまの段階では申し上げかねておる次第でございますけれども、どの範囲にものを流せるかということを調査している次第でございます。  ただ、一言蛇足かもしれませんけれども、港湾法で現在これは実施しているわけでございますけれども、港湾法は御承知のように、港湾管理者計画に従って私どもはフォローするという基本的なものがございますので、地域の住民の方々がおきめになった計画に従って進めていくという基本的な態度は、今後とも続けてまいりたいと考えております。
  308. 久保三郎

    久保分科員 港湾局はそうかもしれませんが、首都圏整備委員会は、地元からの申請というか、申し出がなくても、開発計画というか整備計画を出して、それに基づいて港湾局もおやりになっているのでしょう。だから、そういうことでは困るということです。  そこで両大臣、最後ですから申し上げたいのですが、無条件でこれは地元にお返しになることが理の当然だと思う。あと地の利別がどうだとかこうだとかいうようなことは二の次じゃないですか。いつ返るかも明言できないのに、あと地を利用することばかりで、先に予算が出て調査費も組んだ、それで何か計画もできたなんというのは、これはずいぶんさかさまな話じゃありませんか。県民にとれば腹の立つことです。ぜひ頭の中に入れておいて詰めてもらいたいと思いますが、いかがでしょう。一言ずつお願いします。逆だと思うのです。これはさかさまですよ。
  309. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御意見よく承りました。十分考慮に入れて善処いたします。
  310. 竹下登

    ○竹下国務大臣 久保さんの御意見をしかと受けとめさせていただきます。
  311. 久保三郎

    久保分科員 時間もありませんから以上で終わりますが、くれぐれも申し上げますが、もう少し話を詰めて返還の時期を明示してほしい、こういうふうに要望して終わりにします。ありがとうございました。
  312. 森下元晴

    ○森下(元)主査代理 大橋敏雄君。
  313. 大橋敏雄

    大橋(敏)分科員 私は、北九州市の山田弾薬庫の問題に関しまして、若干お尋ねしたいと思うのでありますけれども、これはもうすでに同僚議員等からこの問題が提起されているとは思います。しかし、私は北九州市の市民の一人として、百万市民の気持ちを代表しまして、きょうはどうしても防衛庁長官に心情を訴えたい、こういう思いで実はここに立たせていただきました。  御承知のとおりに、北九州市の山田弾薬庫は、去る二月の十五日に米軍からいわゆる全面返還されたわけでございます。ところが、そのあとに自衛隊が肩がわりに入ってまいりまして、聞くところによりますと、引き続いて自衛隊の弾薬庫にしたい、こういう防衛庁の見解であるように聞きました。私は、これは防衛庁のいわゆる絶対的な方針としてきまったものなのかどうなのか、非常に不安を抱くわけでございますが、かりにきまっていたとしてみてもこれは絶対的なものではなかろう、われわれの心情を聞いてくださった上であるいは変更もあり得る、このような希望を抱きつつ、私は実情を訴えたいと思います。  米軍の山田弾薬庫が返還される、返還されれば当然それは、北九州市に、いわゆる平和利用という立場でこれはまた全面的に返ってくるものであろう、われわれはそのように思っておりました。またそのようになりたいものだ、していただきたいものだと、これまで市当局もいろいろと努力を重ねてきた次第でございます。  御承知とは思いますけれども、市民の間に弾薬庫の廃止を切望する声が強くて、北九州市の市議会はあと地の平和利用を求める決議などを、次のとおり行なっているわけでございますが、まず第一に、昭和四十三年の五月二十四日、「山田弾薬庫の撤去に関する決議」次に昭和四十五年三月二十四日、「跡地の平和利用を求める決議」それから昭和四十五年の七月八日、「跡地の平和利用に関する意見書」このように市民の気持ちをまとめて決議してきたわけでございます。  私どもは、このように決議したりあるいはここで防衛庁に一生懸命こうして訴えているのは、何もかっこうを示すためではないわけですね。ほんとうに真剣に百万市民の気持ちをわれわれは訴えて、何とかこれを市民の手に返してもらいたい、こういう思いでございます。  先ほど申しましたように自衛隊が肩がわりしてまいりまして、そして引き続き自衛隊の弾薬庫にするという話でございますけれども、この点についてどの程度の方針なのか、まずお伺いしたいと思います。
  314. 江崎真澄

    江崎国務大臣 自衛隊におきましても、西日本における弾薬庫というものが全く不足をしておるわけであります。したがいまして、このあとはひとつ自衛隊でも利用をさせてもらいたい、こういう強い強い意思を持っておるわけです。そうかといって、いままた大橋さんがおっしゃる市民感情、またあと地を利用したいという都市計画上からも、返還を受けたいという強いお気持ちがあることも私どもよく承知をいたしております。  そこで、願わくはひとつ、弾薬庫の不足分を自衛隊も使えるが、相当広範なものですから、市側の意向もかなえられるということで、両方が何とか話し合いによって両立することはできないものだろうか。それが私どもの偽らざるものの考え方でございます。よろしくお願いしたいと思います。
  315. 大橋敏雄

    大橋(敏)分科員 ものの考え方としては、それは長官のおっしゃることも考えられないことはないと思いますが、これはやはり弾薬庫の問題でありまして、簡単にお互いに意見の対立した部分を、足して二で割ろうじゃないかというわけにいかないと思うのです。と申しますのは、北九州市はもう御承知のとおりかつては五市に分かれていたわけです。門司、小倉、八幡、戸畑、若松、それがやっと合併しまして、いわゆる北九州市とこうなったわけです。百万都市であるわけであります。その合併に伴いまして、いろいろと問題が提起されてきたわけです。そういうもろもろの問題をやっとの思いで克服いたしまして、そして今度本格的な町づくりをやろうじゃないかということで乗り出したわけでございます。すでに北九州市中期計画として、一九七一年から一九七五年ということでその対策を打ち出しております。そしてその計画は、市民参加という立場でつくられたものでございまして、百万都市にふさわしい大規模なものであるわけでございます。  この、いま問題になっております山田弾薬庫の位置といいますか、北九州市の中に占める位置、特に小倉の中に占める弾薬庫の位置というのは、非常に重要な場所にあるわけですね、都市開発の立場から見ても。というのは、たとえて言うならば、一軒の家にたとえるならば、ちょうど奥座敷みたいな重要な位置にあるわけですね。ですから、返還されるであろうと予想を立てたころから、もう市は一生懸命町づくり、都市づくりの計画を進めてまいりました。実はいまここに私が持ってきておる資料は、「山田弾薬庫所在地域の土地利用に関する調査報告書」これは一九七〇年十月、社団法人日本都市計画学会というのがまとめたあと地利用の計画書であるわけですよ。もうすでに返還される前から、これは返ってくるのだという前提のもとに大綱ができ上がりまして、金額まで、予算まで実は盛り込んだというのがここにできておるわけですね。それで二月の十五日ですか返ってきた。やれ、しめたと思ったとたん自衛隊ががんばった、こうなったものですから、市民の気持ちからはほんとうに太陽が一ぺんにぱっと消えたような感じすらあるわけでございます。  私も、では山田弾薬魔が北九州市、特に小倉の地域の中にどのような位置を占めておるかというのを一応調べてみました。距離だけではなくて、中心街からどの程度離れてどうなっているというのじゃなくて、北九州市に占める山田弾薬庫を調べてみた。またこの山田弾薬庫を含めて、自衛隊基地が小倉の中には五カ所に点在しております。その土地を全部合わせますと、百七十二万五千七百五十六坪になります。陸上自衛隊のいわゆる小倉駐とん地、あるいは城野補給処、あるいは小倉駐とんの曽根分とん地、あるいは富野分とん地、そして山田弾薬庫の五つを合わせますと、百七十二万五千七百五十六坪あったわけですよ。そして小倉の全面積を見ますと、これは都市計画区域面積になるわけでございますが、六千四百十六万六千六百七十坪になります。そこで、先ほど申しました自衛隊がこれまで占めていた五つの場所、その土地を全面積に当てはめるとどのくらいの割りになるのだろうかと見たら、これは二・七%程度でございましたけれども、一番肝心な、いわゆる市街化区域といいますか、これは当然町として必要だ、発展させなければならぬという区域からいくと、一〇・二%を占めることになるわけですよ。これは大きいですね。だから、いままでの弾薬庫は、いままで米軍が使っておったわけですが、それがからになった、それを使えば、防衛庁とすれば非常に便利でございましょうが、ここにはいままではなかったわけですから、米軍の弾薬庫しかなかったわけですから、持ってこまいと思えば持ってこずに済むわけですね。そこを考えていただきたいのですよ。  いま言ったように、北九州市というのは、特に小倉というのは、非常に大事な位置にあるわけですね。九州の中でもきわめて大事な位置を占めているわけでございまして、そういう立場から、何としてもこれは考え直していただきたい。  先ほど折衷案といいますか、何かお話が出たようでございますけれども、実は四十六年の一月の二十一日に、島田防衛施設庁長官は確かにいまの長官と同じようなことを言っているのですね。地元の発展も十分考慮の上自衛隊使用との調整をしたいと、施設庁長官もこう言っておるわけですよ。その気持ちは一致しているわけですね。ところが、そのあとで新聞が出ました。四月の十六日の一般新聞でございますけれども、そのときにこういう記事が出たわけですよ。防衛庁それから防衛施設庁両庁——両庁という表現でしたけれども、山田弾薬庫敷地の二五%を返還して云々という方針をきめたという、こういう記事が出たわけです。二五%、だからこれは問題だなと思うのです。先ほどの、市もつらくない、よかった、そして防衛庁もよかったと、こういうことで話をしたい、これはわかるのですよ。しかし、施設の一部だけを返還して、あとはというのでは、実はわれわれは納得しかねるのですね。先ほど質問なさっていた方に、何かかえ場所があれば、そっちのほうでもいいんだがというようなやりとりがあっていたように思いますけれども、そういうような意味で、北九州市のほうでどこかあっせんするならばというような意味の中身ならば、まだ私は考えようがあると思うのですけれども、先ほど言ったように、二五%を返還する。新聞記事ですからどの程度確証があるかは、いま確かめるところでございますけれども、先ほど言いました私の気持ちもあわせて、いまの問題を含めてお答え願いたいと思います。
  316. 江崎真澄

    江崎国務大臣 大橋さんの御熱意はよくわかるわけです。ただ、先ほどの話は射爆撃する演習場なものですから、これは適地があればどこかに変わるということも、そんなに経費の上から見てもたいしたことではないと考えるわけですが、これは弾薬庫なものですから、さて、適地にまた新たにつくるということは相当な経費も要するわけですし、これはにわかにそういうお約束はできないわけです。したがって、防衛庁としても、自衛隊の任務遂行上どうしても使いたい施設だと、こういうことです。  それから市の側は、いまも大橋さんのおっしゃるとおりに、いろいろな計画が出ておることは私も聞いてよく知っております。そこで今後は、国有財産地方審議会がこれをどう判断していくかということになるわけでありますが、これはあくまで何か両立できる形で——いまの二五%云々というのは、何も最終的にきまったものじゃないと思います。ですから、そういう両立する形で話し合いができないものか、できれば大橋さんにも間に入っていただいて、何とか円満に落着しないかというのが、率直なこちらの考え方だというわけです。
  317. 大橋敏雄

    大橋(敏)分科員 島田施設庁長官にお尋ねしますが、先ほど私がお話をしました話は確かになさったわけでしょう。その点ちょっと……。
  318. 島田豊

    島田(豊)政府委員 先ほど御指摘のような趣旨で私も答弁をしてまいりまして、いま大臣からるる御説明になりましたお考え方と、全く同じ考えでいるわけでございます。
  319. 大橋敏雄

    大橋(敏)分科員 いまの二五%という新聞記事の問題については、防衛庁長官は、それは決して二五%にこだわっているわけじゃない、これは話し合いで云々ということだったのですけれども、実は四十七年二月十四日、返還される前の日に、北九州市の総務財政委員と議長さんが大蔵省と防衛施設庁長官のところに陳情に参ったと思うのですよ。そのときいろいろ懇談された中で、いまの二五%の問題について、その委員のほうから質問申し上げたはずです。そのとき島田さんはたしか、いや、それはもう白紙と思っておってください、白紙と思われてもけっこうでございますよとおっしゃったそうでございますので、非常にわれわれは勇気づけられた思いで、ああこれはよかったなあ、これは全面返還になるやもしれないぞというきわめて大きな希望をいま抱いているわけでございますが、その点は間違いないでしょうね。
  320. 島田豊

    島田(豊)政府委員 確かに地元の議長さんと、それからそのほかの議員の方々ですか、お見えになったことは事実でございます。その際に私は、その二五%云々の問題が出たかどうかはっきり記憶しておりませんし、また、出ましたとしましても、いまこれはひとつ白紙として考えてくれ、こういうことを私が申し上げた記憶はございません。二五%というのは、先ほど大臣からお話がございましたように、まだ確定したものではございませんけれども、何らかの方法で地元との調整をはかりながら両者が共存をしていくという形で、この問題がおさめられないかという強い希望を私どもは持っているわけでございまして、いまの具体的な数字について、私がとやかくの発言をしたという記憶は全くございません。
  321. 大橋敏雄

    大橋(敏)分科員 確かに二五%云々という新聞記事の問題は出たでしょう。
  322. 島田豊

    島田(豊)政府委員 どうもはっきり記憶いたしておりません。
  323. 大橋敏雄

    大橋(敏)分科員 これからはテープレコーダーを据えながら対談しなければいかぬですな。たくさんあなたのところに陳情に行って懇談したわけです。懇談した人みな口をそろえてそう言うわけですからね。それは確かにあなたがおっしゃるとおり、二五%という数字そのものをきめたわけではない、だからそういう意味で白紙ではないとおっしゃったのかもしれないと、あなたの立場に立った場合、善意に解釈すればそうとれるけれども、いや、私はそんなこと全く記憶にないなんと言われますと、これは問題が広がっていきますよ。どうですか。その点もう一回。
  324. 島田豊

    島田(豊)政府委員 私、はっきり記憶いたしておりませんが、あるいは地元の方々がそうおっしゃいますならば、そういう話が出まして、私はそのパーセンテージについて、別にまだきまっている段階でございませんので、そういう趣旨のことを申し上げたかもしれません。それは、私も絶対に言わなかったということを申し上げるつもりはございません。
  325. 大橋敏雄

    大橋(敏)分科員 では、防衛庁長官島田長官はむしろあなたの気持ちを受けていまのような答弁をしたのだろうと思います。だけれども、われわれは先ほど言うように、一部返還では、家のまん中に、座敷の中に爆弾があるようではどうしようもないわけですよ。これは戦時中からも日本陸軍の弾薬庫ではありましたけれども、もう時代が変わったわけですからね。だから、これは何としてもはずしてもらいたい。そういう基本的な立場から話が進められて、どうしようもないというのだったらまた別問題なんですけれども、爆弾をよそのところへ持っていくといえば相当経費もかかるだろうというような話がありましたけれども、いまP3というのですか、沖繩の問題ではそれを移すばかりにどえらい予算が組まれておるじゃないですか。やはりやろうと思えば防衛庁はなさるわけですよ。だから、これは何としてもそれを踏まえますと、この北九州市を安易に考えて、あるんだからいいじゃないか、いいじゃないかというのじゃなくて、もっと真剣に考えていただきたいと思います。  それでもう一つ私が御意見申し上げるのですけれども、百歩譲った立場でそれが弾薬庫に使われるような話が進んでいくとしますね。ところが、これは弾薬庫としての機能はいまの山田弾薬庫にはないということを言いたいのです。なぜならば、これまでは鉄道の引き込み線があったわけです。これは廃止されたわけです。あの弾薬庫の周辺の道路はもうほとんど交通渋滞といっていいくらい錯綜しております。だから、かりに弾薬庫に使うということになりますと、これは何で運ぶか知りませんが、やはり車を使う以外にないと思うのです。そうするとこれはとても危険ですよ。これはもうすでに話は出たと思いますけれども、現在の施設そのものは、まだ何かに使える機能は確かにあったとしてみても、施設そのものはあっても、いま言うように、弾薬庫としての機能はまずないということです。弾薬庫じゃだめだということです。それから町のまん中にあるということです。あれやこれや思い合わせますと、これはとにかく弾薬庫としてはもうだめなんだ。いっそのことこれはあっさりとあきらめられまして、弾薬庫は別に山の奥かどこかにつくる、こう計画していただきたいですね。どうでしょうか。
  326. 江崎真澄

    江崎国務大臣 どうもあきらめ切れぬものがあるわけで、簡単に経費だけで済めばいいのですが、これはなかなかたいへんなことでして、北九州市の意思はよくわかりますが、さて別に代替地を求めるということになりましても、これはまた問題なことは御承知のとおりなんです。それから経費も相当かかりましょうし、これは全部四次防とか五次防になります。そういうことになるわけですから、だからこれはあくまで両立できるということで何かうまい方法はないものでしょうか、それをほんとうに考えておるのです。なおひとつ検討したいと思いますので、よろしく……。
  327. 大橋敏雄

    大橋(敏)分科員 私の心境は、これは百万市民のほんとうにそのままの気持ちなんです。これを十分踏まえた上でいまの検討を進めていただきたい。私の強い要望でございます。  これは蛇足になりますけれども、百万市民のあらゆる者の気持ちを知ってもらいたいために、ここに先ほどの資料にまとめられた中のものを御披露しておきますけれども、これは「北九州市のまちづくり」という「子供たちの夢」としての入選作文集が載せられているわけです。その中に、戸畑小学校の五年生の磯田君という女の子供なんですが、その方がこういうふうに書いています。「北九州は働らく所であっても、住む所ではないと言われてきた。産業中心で発達してきた町で、工場につきものの公害、空気のよごれや紫川や洞海湾のよごれ、少なくて小さな公園、スムーズにいかない交通などが、その原因だと思う。しかし、実さいに、この町は、百万人もの人が住んでいるし、いつまでも、このままでよいはずがない。」まだずっとありますけれども、これは省略します。また、これは大原小学校六年生の須沢という方ですけれども、冒頭に、「一ばん大きなゆめは、自然の中に生きる北九州市のすがたです。」と、すぱっと言っております。とにかく北九州市は緑が少ないわけです。ところが、いまの山田弾薬庫は緑だらけ——だらけと言っては放言になりますけれども、とにかく緑で一ぱいなんですね。だからみんながそこに気持ちを集中しているわけです。お願いします。  そこで、もう時間も参りましたので、最終的にもう一つ申し上げますけれども、これは小倉区米町小学校の古野先生がこう言っております。「昨年来市教委から公害に対して緑への関心を持つこと、自然を大切にすることを指導の柱としているが、実地教育をしようにも、子供たちを連れていける緑が市内には少ない。そのため自然に溶け込み、親しむ機会を与えることが必要であり、ぜひ市民の手に返してほしい。」次は、神崎という北九州大学の助教授の方が都市論を述べていらっしゃる中に、これをまとめますと、「産業都市の緑確保は、市民生活にとって不可欠である。軍都としてあるいは産業開発のため、市民はこれまで犠牲をばく大に払ってきた。」それから、「弾薬庫のあと地だけは市民の手に全面返還すべきである。」これはもうあらゆる階層の率直なる意見でございます。これを含めて先ほどの気持ちを実行していただきたいと思います。  それでは、あとちょっと時間がございますので、これは話は全然変わりますが、岡垣町から次のような陳情が参りました。これは議会の皆さんが私のところに来まして、岡垣町には米軍射爆場が施設されて二十年になる。この間地域住民に幾多の被害を与えてきた。ジェット機の墜落が三件あった。火災事故が三件、誤射、誤爆が百件に及んだ。二名の死亡者までが出た。この射爆区域内においては、遠賀町の過密地帯があり、発展の障害となり、さらにまた強爆音による住民の心理的影響並びに家畜の育成にも大きな障害となっているというようなことで、とにかく自衛隊への移管を契機にこの射爆場を撤去してもらえないだろうかという、これも一生懸命のお願いでございましたが、これについてはどのような御見解をお持ちでございましょうか。
  328. 島田豊

    島田(豊)政府委員 芦屋対地射爆場は米側が長年使用してまいりまして、本年の一月二十一日に米側から返還する旨通知を受けております。航空自衛隊のほうは、この芦屋対地射爆場は従来から共同使用しておりまして、射爆場としてきわめて適地でございますので、引き続きこれを利用したいという希望を持っております。  そこで、いろいろ地元の方々の御了承を得るための努力はいたしておるわけでございますが、先ほど御指摘のように、地元の岡垣町から撤去についての意見書の提出がございます。しかしながら、航空自衛隊のほうはぜひこれを使用したいという強い希望を持っておりますので、岡垣町にはさらに十分御説明をいたしまして、その理解と納得を得たいというふうに考えておるわけでございます。  なお、周辺の市町村につきましては、いまのところ航空自衛隊が使用するということについては一応御了承を得ておりますので、問題は地元でございますので、私どもとしては今後十分説明をして、御理解と納得をいただくように努力をしていきたい、かように考えておるわけでございます。  なお、これの使用につきましては、いろいろ騒音問題がございますし、危険防止という問題もございますので、そういう点につきましては、従来からもいろいろ施策をやってまいりましたけれども、今後も引き続き十分地元の御希望の線に沿いながら努力してまいりたい、かように考えておるわけであります。
  329. 大橋敏雄

    大橋(敏)分科員 時間が来ましたので、まだふに落ちないいろいろの問題がありますけれども、これはあとの機会に譲りたいと思います。
  330. 森下元晴

    ○森下(元)主査代理 小林信一君。
  331. 小林信一

    小林(信)分科員 私も、同じような問題についてお尋ねいたします。  先ほど楢崎委員から、この問題はずばり施設庁長官に主としてお尋ねをした件でございますが、七月二十八日が来れば、米軍に接収されております軍事基地は、民法上からはこれは返還をされなければならないという解釈がされるのでございますが、これに対してどういうふうに対処されるかということをお尋ねをされたんで、私もその点を念を押してお聞きしたい。しかも、具体的な問題について特にお尋ねしたいと思うのです。  とにかく、もう期日を目前に控えておって、防衛庁長官もそうじでしょうが、施設庁長官もあまりに泰然自若としておいでになるのにいささか不審を抱かざるを得ないわけなんです。先ほどのお答えでは、各省庁といま連絡をとっておるというようなお話でございますが、その御意見から憶測をするところでは、さては何か特別立法措置でもして、強引にこの問題を乗り切るんではないかとも考えられるのですが、先ほどそうではないというようなお話もありましたが、その点が心配にもなりますし、二番目としては、民法六百四条に適用されない法的な解釈ですね、そういう解釈ができるんだという自信でもあって、いまのようなお答えをしておるのではないか、こうも考えられます。これが一番私の心配するところなんです。あったら明白にしておいたらどうかと私、思うのです。三番目の問題としては、そうは言っても、政治的な力でもって問題を解決することができるんだというような自信がおありではないか。個々に、いわゆる中央政府の圧力でもって折衝していけば、各地方自治体だいじょうぶ、何とかなるんじゃないかというようなお考えがありはしないかというように思うのですが、この三つの点ひとつ明快にお答え願いたいと思いますが、施設庁長官、お願いいたします。
  332. 島田豊

    島田(豊)政府委員 先ほども楢崎先生にお答え申し上げましたように、米軍施設として提供をしております民有地の処理につきましては、講和発効後今日まで、所有者の方々の御理解、御協力を得まして、円満にまいってきておるという一つの事実がございます。したがいまして、私どもとしましては、従来の方針の線に沿いまして、十分御説明を申し上げ、御納得をいただいた上で、円満に施設、区域としての提供について合意をしていただきたい、かように考えておりまして、その交渉をこれからいたすわけでございます。  そこで、私どもとしてはできるだけの努力を重ねていくつもりでございますが、まあ理論的に言いまして、六百四条の問題はどういうふうに解釈されるべきかという問題は、当然われわれとしても解明いたさなければなりませんので、いま法制局その他関係官庁とその解釈につきまして協議をいたしておるわけでございます。  そこで、民法の六百四条の問題と、それから従来政府が一貫してとってまいりましたいわゆる条約の履行という点からみますと、これは不確定期限説、要するに米軍が使用しております間はこの契約は有効であるという考え方、この考え方が一つあるわけでございまして、従来はこの考え方の線に沿って、地主の方々と交渉をしていきたいというのが事実でございますので、この両者の解釈をどういうふうに調整するかということについて、いま鋭意関係省庁間で協議を重ねておるというのが今日の姿でございます。  そこで、先ほども楢崎先生の御質問がございましたが、何らかのこの問題の処理について特別立法を考えていないのかという点につきましては、目下のところそういう特別な立法措置というものは考えておらないというのが今日の状況でございまして、その点ははっきり申し上げられると思います。
  333. 小林信一

    小林(信)分科員 そうすると、最初お答えになった私の三番目の問題ですが、個々に折衝してそうして何らかの打開策を講ずるというふうなことは鋭意努力をされておる。そうすると、そういうふうなものは相当に可能性があると見込まれておるのか、これが一つ。  それから、私の第二の質問の、法的な解釈によって、民法六百四条というものは何とか避けることができる道はあるというようなお考えに立っておいでになる。そういうところで、期日が切迫しておりましても、何となく自信がおありのように私は考えられるのですが、しかしこの問題は、これはただ個人でなくて山梨県のように県有財産もあります。そういう場合には、県民全体の意向というものも出てまいります。そういう場合には、借地料の値上げというふうなことで済まない問題もあると思うのですね。とにかく国内法である民法、これは憲法に保障されたものである。先ほど来お話を聞いておりますと、施設庁長官のおことばの中には条約に対する義務遂行という問題がある、何らかそういうようなもので民法を否定されるような感じがするんですが、そういう場合には、憲法よりも条約のほうが優先をするのかというふうな大きな問題もこれから出てくるわけでありますが、やはりそういうものがあるとすれば、この際私は慎重にお考え願いたいと思うのです。  そこで、一応施設庁考え方の方向を、私はさらに念を押したいのですが、各省庁と折衝をされると言うんですが、法者な解釈で法務省とというような、そういうなるべく、施設庁がお考えになっている義務を遂行する方向へ有利なような官庁とお話し合いをなさっているんですか。どういうところと相談をされておりますが。
  334. 島田豊

    島田(豊)政府委員 法律解釈の問題でございますので、やはりその主管官庁は法制局ということになろうかと思いますけれども、しかし、この問題は法務省にも非常に重大なかかわり合いがございますので、私どものほうは、法制局並びに法務省といまいろいろ意見の交換をやっておるというところでございます。
  335. 小林信一

    小林(信)分科員 そこで、私の言いたいところを聞いてもらいたいのですが、やはりあなた方は義務遂行というような官僚的なお考えを強く持たれるのですが、私はここでもって考えなければならぬことは、ちょうど二十年という期限が来て、民法というふうなものをたてにとられるというと、実際この基地という問題は検討しなければならぬ。その検討しなければならぬという問題の中に、義務遂行ばかりでなくて、あの占領下の中で権力的に接収されたものは、地域住民の事情なんというものはおそらく考慮されておりません。あるいはその場所の地理的条件なんというものは一切考えない、そういう状態でもって接収されたものを、いまそういう時期に際会したら、ここでもう一ぺん地域住民のことを考えたり、あるいはその地域の地理的な条件というようなものを考慮して、ただ一がいに従来の姿を継続する、義務を遂行する、そうすれば安保条約を結んでおる立場からしても、政府の顔が立つなんということにのみ私は焦点を置くべきじゃないと思うのです。そういう点でもって、具体的に私は北富士演習場の問題を、時間がわずかしかありませんけれども取り上げてまいりたい考えであります。  そこで、これからおそらく、あなたが各官庁と連絡をとったと言うならば、自然保護の点から環境庁に意向を聞くとか、あるいはあそこにいろいろな責任を持っております文化庁の意向を聞くとか、あるいは中央道をせっかくつくったけれども、途中でもって計画を変更されて、盲腸のような中央高速道路が北富士までいっておりますね。建設省は今後これをどういうふうに開発するとかいうような御相談をなさる必要がある。防衛庁としましてもあるいは施設庁としましても、この際民法六百四条というものをいかに解釈をするかということが重大な問題だと思うのです。ただ義務遂行という安保条約のみにとらわれておるということは、非常に時代錯誤である。せっかく二十年という期限が来て、これはやはり相手側を説得するにもいい条件だと思うのですよ。そういう場合に、人間優先も考えられるし、あるいはいまの世界情勢がどういう方向に向かっておるかという点も、その中に政府の意向を加味していくことができるのじゃないか。どうもあまりに事務的に進んでおるような感がいたしましたから念を押すのです。  そこで、何もあなたに聞かせる必要はないと思うのですが、建設省来ておいでになりますか。——先ほど申しましたように、あそこへ中央道が盲腸的にいっております。たいへんに観光客が運ばれてはおりますけれども、きょうも聞きますと、例の大月の岩殿山、あそこでがけくずれがありまして、いま使用禁止になっております。そしてもうあなた方が御存じのように非常に狭い。いま改修しております。この改修だって、地域住民は非常に問題を持っておりますよ。やるならなぜ最初から四車線にしないのか。使用してまだ日もたたないのに、二車線にして、そしてあのとおり事故がたくさん起きております。それにつながって、これは山梨県がやったわけですが、スバルラインで、これは文化庁の責任でもって保護しなければならぬあの自然林がどんどん破壊されていく。そういうふうに都合はよくなりますからどんどん車で参ります。そして軽装のまま、何らそういう用心をしない状態のままでもって富士登山をやる。それが今度のような非常な犠牲を払っているわけですよ。これなんか私は、建設省は自然の破壊をやっているのだ、人間の破壊までやっているのだと言いたいのですよ。あの盲腸的なあれをどういうふうに今後処理しようとされておるか。  そこで私は、そういう計画があるかどうか知らぬけれども、地元のほうでは、あれをせめて東名高速道路につないでもらいたい、静岡県側と山梨県側で、その案をいま非常に一生懸命練っております。そういう場合に、東名と結ぶというならば、どこを通っていくかというふうなことが問題になるわけです。どうしても北富士演習場を通らなければならぬというふうにしろうとでも考えられるわけですね。ひとつ建設省、あの北富士周辺についての問題を簡単にお願いをしたいと思います。
  336. 高橋力

    ○高橋説明員 いま御指摘のございました富士吉田と東名御殿場インターチェンジの間の交通の問題につきましては、御承知のごとく、平日は六千台ないし七千台の交通でございますが、休日になりますと、これが約三倍になってまいります。建設省といたしましても、この路線の交通問題につきまして、前からいろいろ検討を進めてまいりました。さしあたりまして、現在一番こんでおります御殿場の市内前後約六キロメートルでございますが、この区間につきましては、四十六年度からバイパスの建設工事に着工いたしております。  なお、籠坂峠、山中湖を通りまして富士吉田に参りますルートも、最近の観光交通といいますか、一般交通の趨勢から見て、近い将来何らかの対策を打たなければいけないということを考えております。したがいまして、この路線をどういう形で今後整備していくかということにつきまして、まだ最終結論は得ておりませんが、二年ほど前から、いろいろな経済調査その他の検討を進めておるのでございます。  ただいまお話のございました北富士演習場の点でございますが、私ども、現在の段階で考えますると、あの周辺の地形等から見まして、一部どうしても通らなければいけないだろう、こういうふうに考えておる次第でございます。
  337. 小林信一

    小林(信)分科員 もっと詳しくお聞きしたいのですが、時間がありませんから……。いま大事な点を聞かしていただきました。ありがとうございました。  今度は環境庁にお伺いいたしますが、環境庁、あすこはもう、山中湖も河口湖も、私どもが聞いております点では、死滅寸前だといっております。すべてたれ流しですね。しかも最近は、先日の連休だけでも一日四十万人というのです。そういう人たちをほかへ分散することができない、あれだけの自然環境を持ちながら。だから勢い河口湖、山中湖に集中する。結局、いま観光客によってさらにあの自然が破壊されようとしている。国立公園にもなっております。そういうものに環境庁がどういうふうに対処されるかということも、私ども非常に興味を持っておる問題でございますが、いまもって何ら手が下されておらない。あるいは自然林もございますし原始林もございます。しかし、それと一緒になって演習場があるわけですね。  もうこの演習場は、最近忍草の人たちなんかが抵抗するために、草むらがあることは米軍にとっては非常にたいへんだというわけで、ブルドーザーであの土砂を全部かき回してしまいます。だから、雪が降ったり雨が降ったりすれば、溶岩流というのはどんどん下へ流れていく。だから、桂川はかつてはアユの本場だったのですが、アユの卵が生存できないのです。みんな傷がついてしまう。溶岩流の流れておったということは、東電の取り入れ口にそれが堆積して、取り入れ口に非常にたまって困ったということで補償料を払ったことからもわかります。私は、施設庁に行って、その点を究明いたしましたが、施設庁のお役人さんがいわく。私たちだけではありません、富士吉田には工業地帯がありまして、そういうところからの廃液も流れますと言うから、私はおこったわけです。そのとおりかもしらぬけれども、私たちだけではありませんなんということを、いま人間優先とか自然を守ろうとかいうときに、官庁のお役人さんが言うようではとおこった。これは子供がいたずらをしたときの言いわけなんですよ。そういう態度を持っておられる。  環境庁としては、この際率直にお答え願いたいと思うのですが、どうですか、手はつけておらぬけれども、北富士、富士山の北のほう、あれをどういうふうにお考えになりますか、言いにくかったら言わなくてもいいのですが、環境庁のいまの、あの富士山の自然環境についてのお考えを伺いたいと思います。
  338. 首尾木一

    首尾木政府委員 富士山の地帯は、国立公園としまして昭和十一年以来指定されて、国民に親しまれたのでございますが、最近においては、お話しのように、観光客の殺到でありますとかあるいは道路の問題でありますとか、いろいろな問題が起こっておりまして、富士山については、そういったような面での自然保護の問題がたくさんございます。さらに、青木ケ原あるいは山頂部の高山地域を保護するといったような問題がございます。また、先生お話の中にございましたような、川口湖あるいは山中湖の汚染の問題がありまして、これらにつきましては昨年から、特に湖水の問題につきましては本年度の予算において調査をいたしまして、今後そこについての規制を強化してまいりたい。こういったようないろいろの問題があるわけでございます。  お話の北富士演習場の問題でございますが、これは戦前すでに、昭和十一年に指定されました当時、当時の陸軍と内務省との話し合いで、演習地域を除いて国立公園の地域をつくったわけでございますが、その後二十年に至りまして、新たに北富士演習場の一部がその地域に入ったわけでございます。この問題につきましては、演習場運営をどう考えるかというようなことにつきましては、私ども、ここで特に申し上げることはできないわけでございます。
  339. 小林信一

    小林(信)分科員 これだけはお答えできるでしょうね。あるほうがいいか、ないほうがいいか、これは環境庁として答えられると思うのです。
  340. 首尾木一

    首尾木政府委員 公園利用というような立場からは、それはないほうが望ましいということは当然のことであります。
  341. 小林信一

    小林(信)分科員 文化庁から来ておられますか。——文化庁は、あそこに責任を負っておるところがありますね。私は特に文化庁長官にこのことを、いつかも予算委員会で言ったことがあるんですが、あなたは文化人として選ばれて文化庁長官になったんじゃないか、こういうふうなことについては、率直なあなたの意見を政府に言ったらどうかというふうなことを言ったのです。この前、道路に沿って鉄条網を張ろうというのを、私は非常に遺憾だというふうに表明したんですよ。ところが文化庁では、私はどっちでもいいんです、私のところはどうでもいいんですから、地元がいいと言ったらいいでしょうというふうな通達を施設庁に送ってあるのです。私は、それがあなたの文化人から選ばれた長官としての答えか、こういうふうに言ったことがあるのです。それが原因かどうか知りませんが、穴だけは掘りましたが鉄条網は張らなかったのです。観光地へ行く道路の両わきに、これが演習場でございます、その演習場に立ち入りを禁止するために鉄条網が張られておりますなんてことを私は見せたくない、あなたはいいんですかと言ったら、それはいまもって張られません。文化庁も環境庁と同じ立場だと思うのです。あそこに演習場のあることがいいか悪いか、別に一切にとらわれずにあなたのお考えをお述べ願いたいと思うのです。
  342. 内山正

    ○内山説明員 最初に御指摘のありました、道路のそばに有刺鉄線を張ることにつきましては、文化庁といたしましては、指定地の中に張ることについては御遠慮願いたいという御回答をしたわけでございます。ただいまのお話と若干違うと思います。  それから一般論といたしまして、富士山の演習場があることについて、いいか悪いかという問題でございますが、文化庁で名勝を指定いたします場合に、やはりすぐれた国土美の中で風光明媚、しかも学術的な価値のあるものを名勝として取り上げるということになっているわけですが、富士山は御承知のように万葉の時代から賛美され、そしていつの時代にも国土の象徴として賛仰された名山でございます。そういう意味で、私どもは理想といたしましては、富士山全体を保存したい気持ちでございます。しかしながら、あの富土山は御承知のように、直径二十五キロに及び円を描く広大な地域でございます。実際上の問題といたしまして、あの地域を十分に網をかぶせてしまうということは困難な問題があろうかと思います。ただ、おっしゃいますように、あそこに演習場があったほうがいいのか、ないほうがいいかということでございますならば、避けられるならば演習場はないほうがいいと考えます。
  343. 小林信一

    小林(信)分科員 最初の文化庁通達は、これはあなたのおっしゃるようではありませんよ。私が確認しておるほうが正しいと思うのですが、それはいいです。それはいいですが、二十五キロにわたって云々と言っても、日本のこの狭いところに、せめてああいうふうなものが完全に保護されるということは、私は国民全体の悲願でもあると思うのですよ。遠慮なくそういう点は文化庁は主張したらいいと思うのです。  それで、各省庁は、ことに私が選ぶ省庁、かく言う省庁でございます。その省庁の意見を聞いても——それは陸軍に接収された時代は今日の時代とは違いますよ。そして占領という条件の中で米軍があそこを接収した条件も、今日の事情とは違うわけなんです。江崎長官、これは私の県は非常に敏感でございますから、どこでそういうことを漏らしたか知りませんが、新聞に、順次基地は縮小していくんだというような発言がどこかでなされたのを大きく取り扱っております。と言うならば、いまのような条件で北富士問題というのは、この六百四条というものを、かえってあそこの自然を保護するために、確保するために、この際それを強く押し出していただいて、米軍基地をなくすようにしていただくことば無理かどうか、まず施設庁長官、最後に防衛庁長官に御意見を承りたいと思うのです。
  344. 島田豊

    島田(豊)政府委員 この問題につきましては、田辺山梨県知事のお話によりますれば、最近あの周辺が非常に開発が進みまして、富士演留場一帯に対する県民の価値観というものが変わってきた、県民のみならず国民全体の価値観が変わってきたので、演習場問題についてもそういう角度からもう一ぺん検討してほしい、こういうお話もございました。したがいまして、確かにいま観光開発が進みましたし、道路が非常に整備されるにつれまして、県民諸君のレクリェーションといいますか、そういう場として非常に価値が高くなっておるということは否定できないという感じがいたしますが、長年米軍があそこを演習場として使用してきた、しかもこれは安保条約に基づく義務の一つとして提供してきておる演習場でございます。しかも、これを他に求めることはきわめて困難な問題だということで、その演習場の存在とそれから県民の民生、福祉という問題、あるいは開発という問題とをどういうふうに両立させていくかということが、これからの問題ではなかろうか。したがいまして、私どもとしましては、あの演習場がそのままの姿において今後使用されていくことがいいか悪いかということについては、十分検討しなければならぬだろうというふうに考えているわけでございます。  そこで、あの富士演習場につきましては、政府は従来、いわゆる使用転換の形で米側から返還を受けまして、自衛隊の演習場としてこれを使い、そして米軍に共同使用させる、こういう方針で従来からまいっております。四十四年にできました地元の北富士演習場対策協議会等ともそういう問題を含めまして、いろいろ話し合いを進めてまいっておりますけれども、この問題についての地元のお考え方というものは、まだ十分統一されたものではございません。しかしながら、われわれとしては演習場の提供という観点からいたしますれば、これが正常に使われる、その使用の安定化ということが非常に大事なことになってまいりますので、その問題を目標にしながら、いかにして地元の方々との調整をはかっていくかということは、非常に苦心の存するところでございますから、今後とも演対協を中心にいたしまして、その辺のお互いの話し合いを続けていきたい。そしてこれが十分安定的に使用できるよう、地元の観光開発の線にも沿っていろいろな調整もやっていくということで、どういう姿が今後として望ましい姿であるかということについていろいろ検討もし、話し合いも進めておるというのが現状でございます。
  345. 江崎真澄

    江崎国務大臣 施設庁長官から詳しくお答えいたしまして、私がつけ加えることもありませんが、富士山というのはもともと日本国民全体の大財産でございます。これを演習場から開放したいというお気持ちはよくわかるのです。ただ、いま申しましたようになかなか代替地がない。ただ、もう戦後ではないのですから、アメリカ軍の演習場ということは困る。これはもう私も前からそう思っております。したがって、当然自衛隊が地元と話し合いによってお願いをして、そしてアメリカが必要とあればそれをお貸ししていく、こういうことだろうと思うのです。  それから、観光と両立するということを言われますが、まさに観光と両立することが一番望ましいわけです。きょうは朝から、基地は全部返還しろといったような実際強い御要望が出るわけで、わかりました、わかりましたと言っておると、基地は全部なくなってしまうということになるわけです。そうもまいりませんし、特に富士山ろくなんというのは、代替地、あれにかわるものがなかなかないということならば、これはやはり観光をどう立っていけるようにしていくか。特に、あそこの場所柄観光というのはこれは夏場ですね。いままではあの演習場を米軍が、特に夏の観光シーズンに、いかにも無関心に使い過ぎるといったような傾向が強かったわけですが、自衛隊が演習場にお願いして話がきまるということになっていけば、これはもう少しやはりそのあたりを無神経に、米軍さながらに使わない使いようはあるんじゃなかろうか。そういう形で協力をいただけるように、私どももひとつ努力してまいりたいと思っております。よろしくお願いいたします。
  346. 小林信一

    小林(信)分科員 これで終わりますが、私の申し上げたのは、返すとか返さぬとかいうことでなくて、やはりこの際民法というものがある以上、これをたてにとっても、いまのような地理的条件あるいはその地域の特殊事情というふうなものを考慮しても、がんばるところはがんばるべきだと思うのです。代替地がないからとか、米軍が使用しておるとか言いますが、米軍が使用を相当長期間放棄した時代もあります。何か自衛隊に使用転換をさせるためにいま演習をしておるような感もございますよ。私は地域を開発するという、そういうことは施設庁防衛庁が考えなくてもいいと思うのです。環境庁に一ぺん渡して、環境庁に地域の開発と自然保護をどうするかを考えさせる、そのほうが私は時代的な考え方じゃないか、こういう苦言を申しまして、私の質問を終わらせていただきます。
  347. 森下元晴

    ○森下(元)主査代理 山口敏夫君。
  348. 山口敏夫

    山口(敏)分科員 防衛問題につきまして、一、二長官はじめ関係当局にお伺いしたいと思うわけであります。  戦後の日本社会は、特に防衛問題なんかを議論しにくい一種の精神的な風土みたいなものが形成されておる。私は、非常に大事な問題でありながら避けて通っておったということが、今国会の中に見られるような、いろいろトラブルもまた生まれてきたのではないかというふうに思うわけでございます。  しかし、私どもの立場といたしましては、独立した一つの国家というものが形成されている以上、自衛の問題、要するにみずからの国はみずからの立場で守る。これはやはり一朝有事の際に、家族が危険に脅かされれば、これはおやじさんが先頭に立つのは当然でありまして、どろぼうが入ったのを隣のおやじに助けを求めるだけでは、これは家庭というものが成り立たない。そうした立場から、やはりその自衛の問題あるいは防衛の問題に対する理解というものは、当然私ども国民的な連帯にまで高めていくべきであるというふうに認識をしておるわけであります。  しかし、今国会の中における防衛庁関係のいろいろな問題につきましては、必ずしも全面的に了解でき得ないような問題もございます。これは防衛庁長官としてはそれなりの御言い分もあると思うわけでありますが、やはり防衛の一番大切な、本質的な論議が取り残されて、むしろ国会運営上の手続上の面で、これがその場その場でほこをおさめていくようなかっこうというのは、必ずしも将来ともにプラスではないというふうに思うわけであります。  特に、文民統制でございますとか、シビリアンコントロールの問題にいたしましても、やはりこれは国防会議の開き方あるいはその時期、タイミング等も含めまして、あるいはその検討の中において衆議院の議長を入れるとか参議院の議長を入れるとかというような手続的な、むしろ技術的な問題ではなくて、やはり文民統制というものは、そうした兵器的な、あるいは軍事的な、技術的な問題よりも、政治的な判断、政治的な見識あるいは政治的な認識、そうした中における政治的判断が優先されるということに、私は結論的には尽きると思うわけであります。それは、単に自衛の問題における文民統制にそれが当てはまるということではなくて、やはり現在わが国における国土とそれからその中における基地の位置づけにおいても、私は言い得られると思うわけでありますし、きょう朝からずっとこの分科会で、基地の問題が取り上げられておったという長官の話もございましたけれども、やはり基地の問題も、単に平和とか、あるいは安全、あるいは防衛、そうした軍事的な判断や分析だけにとどまらずに、やはり政治的な判断あるいは政治的な情勢認識というものの上に立った基地の機能というものも考えていかなければいけないと思うわけであります。  実は、そうした点につきまして、たまたま私ども埼玉におきましても、これは防衛庁はじめ大蔵当局、まあ政府の皆さんの御苦労によって、所沢にある米軍基地が一部返還をされるようになったわけであります。これは市民の方々はひとしく政府の御努力に対して感謝をしておるわけでありますが、その基地のあと地利用の中で、防衛庁の医大の施設が今度そこに設置されるというような話がたまたま出てまいりまして、市議会では全会一致で反対の決議をしておるわけであります。また、市長さんも反対の立場に立っておられるわけでありますし、市民の署名運動も四万から五万近くまでこれが集められておるというような状況であります。もちろん、自衛隊あるいは防衛の義務というものを認めていないイデオロギー的な立場から反対されておる方々もあるわけでありますが、防衛あるいは自衛の問題に対して基本的には理解しておる方々もこれに反対をしておる。その辺に私は防衛庁当局の、いわゆる基地とかあるいは市民的な立場における政治的判断、あるいは配慮というものが多少欠けておったのではないかと思います。  そういったような点につきまして、防衛医大の問題が防衛庁長官の構想の中ではたしてどういうところに位置づけられておるのか、またその辺の地元の反応というものも含めまして、ひつお考えを伺いたいというふうに思うわけであります。
  349. 江崎真澄

    江崎国務大臣 確かに基地問題というのは非常にむずかしい問題だと思います。しかも基地というものが、戦前からの基地、それを戦争に負けてアメリカ軍が占領軍という形で接収した基地、これをまた自衛隊が、自分の国は自分で守るという任務から使おうとする問題、これをめぐっていろいろきょう一日も、ほぼその議論ばかりと言っても言い過ぎではないように思います。実はそういう傾向にかんがみて、米軍基地もだんだん返還されております。特に、関東平野の空軍基地などは横田集約して、あとは返還したいという向こうの意向等もあるわけでして、そこでそのあと地をどうするのか。自衛隊のほんとうに必要不可欠なものは当然利用をするわけでありまするが、返還できるものは返還できないのか。あるいはまた戦前から戦後にかけて、特に道路時代といわれるこのごろ、ずいぶん都政が変わってまいりましたし、しかも、また東京都周辺というものはベッドタウンの発展に伴って大変貌を遂げていることは、これもよくわかることです。  そうなるというと、それをやはりどう検討するのか。たとえば、基地を地元の要請に従って払い下げていくことはしごく簡単ですが、新たに求めようとするとこれはまた全面反対というわけで非常な困難に逢着をする。それからまた金額的には、払い下げをすればそれは国庫の収入とされ、新たに基地をつくろうとすれば、これはまた四次防なり五次防なりという段階でばく大な経費を要する。このあたりをどう一体調節するのか、難問題と言えば難問題が非常に多いわけであります。  そこで、衆議院を予算が通ります段階、四月にでも入りましたら、防衛庁において、施設庁と双方一体になって次官くらいを責任者にして、この基地問題の再検討といいますか、検討を始めようという計画を持っておるのが今日の段階であります。  さて、お話の所沢についてでありまするが、地元側の反対の意見等は一応承っております。しかし、あの基地民生協力も含めて、要するに民間の人も診察するという大病院を併設することにおいて、自衛隊医官不足を補うために防衛医科大学校を建設しよう、こういうことで本年度はその準備費予算に計上し、要求しておるというのが実情であります。基地そのものについては、先ほど申し上げたようでありまするが、所沢については、ひとつ山口議員をはじめ関係者の御了解を得て、できればひとつ所沢に設置をしたいという考えは、かねて申し上げておるとおりでございます。
  350. 山口敏夫

    山口(敏)分科員 いろいろ先ほど申しましたように、防衛の問題に対する幅広い御意見があります。しかし、日本の平和とか安全をどう見るかという問題に対しても、自衛隊が必要であるという世論が非常に圧倒的にもう現在においては定着しつつあるわけであります。これは政府の説得あるいは啓発ということも非常にあったと思うわけでありますけれども、私どもが横の世代から直観的に拝見をしておりまして、税金どろぼうであるとか、あるいは憲法違反であるとか、いろいろ冷たいことばを投げかけられながらも、とにかく国土防衛の先兵であるという大いなる誇りと自負のもとに、ほんとうに自衛活動に精勤をしてこられた若い自衛隊の方々の、やはり一つの血のにじむような努力の成果というものが、私は国民世論をしてこの自衛隊に対する理解と認識というものも、一方においては深めてきておると思うわけですね。  たとえば、災害復興に従事する若い隊員の方々だとか、あるいは重体の主婦を急送して救ってあげたこととか、あるいは赤ちゃんが病気になったときにヘリコプターで運んであげて助かったとか、そういう愛の美談というもの、あるいは奉仕的な精神的な活動というものが、だんだん国民的な連帯の中で溶け込んできておる。  しかし、実際問題としては、そういった自衛隊員の方々の現場の生活環境というものは、必ずしも満足な状態ではない。かなり予算的な措置も講じられておるようでございますけれども、私は、むしろ装備とか兵器により重点的な予算配分をするよりは、やはり個々の自衛隊員の士気と、あるいはそうした環境を整えることによって気力を充実させることのほうが、いまの日本の防衛においてはむしろ優先されるべきではないかとすら考えるわけでありますけれども、そうした自衛官の方々の医療も非常に不足しておるといわれておりますけれども、その辺の実態を伺いたいと思うのです。
  351. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 お答え申し上げます。  現在、自衛隊におきまする医官の定員は八百二十一名でございますが、これに対しまして、四十六年末におきまして現員が二百九十六名、三六%程度の充足率でございます。ところが、これは平均的な数字でございますが、三十六年の時点におきまして、この時点が一番定員が確保されたわけでございますが、これとて五二%だ。この年には特に定員がちょっと前の年から比べて減りまして、その点で若干上がっているというふうなことでございます。それ以後漸減的に充足状況が下がってきておりまして、平均的に、先ほど申し上げました三五、六%の充足率である。それから、困りましたことは、病院と地方の部隊との定員と現員との関係でございますが、これがアンバランスでございまして、大体病院におきましては八〇%程度の充足率を確保いたしております。特に、自衛隊の中央病院等におきましては一〇〇%に近い、いま現在百二十名ばかり医者が、五百ベッドに対しましております。そういうふうに充足状況がよろしいわけでございますが、地方に参りますと非常に悪くて、二〇%を切っておるというふうなことで、非常にアンバランスが目立つわけでございます。  それで、自衛隊医官といたしましては、まあ一般の国民医療もそうでございますが、いままでがとかく医療中心主義というふうな形で行なわれておったわけでございますが、これからの医学というものは、やはり医療中心主義よりももう少し高次元的な考え方で、いわゆる健康増進、そういったものを進めまして、健康の保持、向上というふうな次元の高いほうに力をいたしてまいらなければならない。さらには、病気になった場合には医療が行なわれて、そうしてそのあとのリハビリテーションをやっていかなくちゃならないというふうな考え方が、最近世界的な傾向に相なっておりまして、そういう一応医学の体系が整っておりますが、それに加えまして、やはり医師に、これは一般の医師もそうでございますが、求められる医療行為のほかに、いわゆる保健指導という面が非常に必要になってくるわけでございますが、現在そういうふうに医者が不足しておる関係上、一般の医療機関から委託医師をお願いしておるということで、これは全国的に四百数十名の方にお願いしておるというふうなことでございますが、これも午前中、一週間二、三回ということで、特に医療だけの面でお願いをしておる、こういうふうな状況でございます。
  352. 山口敏夫

    山口(敏)分科員 いま衛生局長のお話で、たいへん医官が不足しておる。要するに、自衛隊の健康管理等が非常に困難な状況であるといいますか、問題があるわけでありますけれども、前々からそういう実情にありながら、この間新聞を見てみますと、いわゆる防衛医大の予算も四次防の先取りかという非常に大見出しで出ておったのですけれども長官、その辺の経過はどうなんですか。
  353. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これはもうすでに四十六年度予算で五百二十万円の調査費といいますか、これがつけられております。したがって、今回もいよいよ具体的な準備に入るという経費がつけられたわけで、もともと医官不足を解消するということは、当然、後方体制充実の問題ですから、新たに自衛隊をどう展開するとか増強するとか、そういうていのものではない。やはりこれは四次防先取りなどという解釈には入らないというふうに思っております。
  354. 山口敏夫

    山口(敏)分科員 防衛庁長官は非常に明快に、所沢のあと地を市民の理解の上に立ってお願いをしたいということで明言をされておるわけでありますけれども、実際、このあと地利用の直接的な責任、あるいは管理また計画等の作業の中心でありますところの、大蔵省の考え方はどうなっておりますか。
  355. 小幡琢也

    ○小幡政府委員 所沢補給廠の返還あと地の利用計画の問題でございますが、何ぶん返還されましたのが約五十七万坪という非常に広大な面積でございまして、現在、各方面からいろいろな御要望を承っております。公園あるいは住宅、また文教施設、それから若干の官公庁施設、宿舎施設、その他水道、電気施設、こういった公共施設、いろいろございまして、いわば競願が殺到しておるような状況でございまして、その中に、防衛庁から防衛医大の御要望が含まれているわけであります。私どもとしましては、こういった都市の周辺にございます大規模な国有地の利用につきまして、できるだけ有効適切に利用したいと考えておりまして、先般、三月十日に国有財産中央審議会の御答申をいただきまして、原則として公用、公共用に優先して充てる、こういった方針を今後打ち出したいと考えておるわけでございまして、いろいろ関係機関と調整をしなければいかぬと考えておるわけでございます。  防衛医大の問題につきましては、ただいま防衛庁のほうからお話がありましたように、その必要性については私ども十分認識しておりますし、まして、地元にも開放する方針であると聞いておりますので、地元と調整がつきまして、その地元の了解が得られますならば、あと地の配分計画の中に対象としてこれを含めることを検討したいと考えておりますが、これは正式には、国有財産関東地方審議会にかけて決定すべき事柄でございまして、いわば事務段階での案としてそういう方向で検討したい、かように思います。
  356. 山口敏夫

    山口(敏)分科員 御承知のとおり所沢市は、大東京の隣接県の、また中心の市の一つでございますので、たいへんな人口増、そういう中で、特に市長さんはじめ、議会、市民の方々は、非常に緑を多く活用した公園等を重点的に、中心的に配分をしてもらいたいという希望があるわけでありますけれども、たとえば街路の整備でございますとか、あるいはいま言ったような公園の問題、あるいは公共施設の設置、文教施設の設置、あるいはその他住宅の関係の問題等がいろいろ、いま次長さんのおっしゃったように出ているわけですけれども、市のほうの立場としては、防衛医大が十万坪近く、それもまた非常に重要な部分に占められると、いわゆる市民の福祉というような願いのもとで大蔵当局に提出しておる所沢基地返還利用計画が大幅にくずれてしまうのではないか、こういう心配が当然出てくると思うのでありますけれども、その辺のところは、大蔵省としてはどうお考えでございますか。
  357. 小幡琢也

    ○小幡政府委員 具体的な計画につきましては、現在まだ検討中でございますのできまっておりませんが、かりに防衛医大を配分の対象といたします場合におきましても、その場所及び面積につきまして、地元の意向を十分尊重いたしまして、全体の地域の合理的な配分に支障のないように処置を考えたい、かように考えております。
  358. 山口敏夫

    山口(敏)分科員 それから、たとえば防衛医大の構想が、かりにそのあと地の中に設置せられるとした場合に、十万坪というような非常に大きな配分がどうしても必要なのか。たとえば職員の方の住宅の問題とか、当然その防衛医大に関連するような土地利用については、このあと地以外のところへ市のほうと協議しながら進めていくとか、そういった問題点は多少考慮の気持ちがあるかどうか、防衛庁のほうから伺いたいと思うのです。
  359. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 十万坪、約三十三万平米になりますが、この分の中には、学校関係の付属病院も含んでございますが、二十五万平米を予定いたしておりまして、残る面積を宿舎関係、特に学校の教職員の方々の宿舎、そういうものがないと、やはりいい先生方が得られませんものでございますから、そういうものも考えております。先ほども楢崎委員から御質問もございましたが、将来、やはり付置研究所も考えてまいらねばならないだろうということで、われわれいろいろ構想を考えておるわけでございますが、そういった意味で、やはり東京周辺ではにわかにそういういい適地がございませんので、この際できればそのような面積をいただきたい、このような要望をいたしておるわけでございます。
  360. 山口敏夫

    山口(敏)分科員 多少弾力的な幅はあるというふうに認識していいわけですね。  それで、あと防衛医大関係に対して伺いたいわけですけれども、その前に、大蔵省としては、当然国有財産審議会が最終的な決定をするわけでありますけれども、やはり地元の方々にしてみれば、長い間市の中心的な場所を占めておった、そういうような基地がいよいよもって、市民運動の一つの成果も含めて返ってくる、ところが、市民の要望は全然受け入れられないというようなことであったのでは、やはり実際使う市民の方々の感情というものにそぐわないと思うのです。ですから、その行政的な決定機関はそれとしても、基地利用の計画については、十分地元の所沢市、あるいは埼玉県、あるいは国が、三者一体となって話し合いによってこれを決定していく、あるいは方向づけていくということについては、御確認をいただけますか。
  361. 小幡琢也

    ○小幡政府委員 先生のおっしゃいますように、利用計画をつくります場合には、当然関係機関、建設省もございますし、首都圏もございますし、それからまた埼玉県、所沢市、そういった関係者の意見を十分聞いて、できるだけ有効適切な方針をきめたい、かようなことでございます。
  362. 山口敏夫

    山口(敏)分科員 最初、所沢のあと地のところに自治医科大学が来るというような予定もあったわけですね。ところが実際は栃木に行ってしまった。それでそのときに所沢が変更になった事情の中に、電波障害による、こういう説明があったわけですけれども、実際防衛庁のほうとして、しからば所沢のあと地に医大を持ってくるといった場合、自治医科大学のときには障害があったけれども、防衛医大のときには電波障害は消えてしまった、こういうことではないと思うのですね。その辺の状況はどういうことになっていますか。
  363. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 確かに御指摘のごとく、自治医科大学があそこに進出するというお話があったときに、われわれの構想が世に出るころと大体相前後いたしまして、われわれよりも二、三カ月早かったと思いますが、電波障害のために栃木に行くということが報道されたわけでございます。この点につきまして、私たちもそういう話を聞きましたのでいろいろ調べてみたわけでございます。いままでの事例で電波障害の調査がどの程度行なわれておるのか、それを調査したのでございますが、第一点は、昭和四十五年の六月にNHKの浦和放送局が実施をいたしております。そのときの調査結論といたしましては、主として画像に斜めの線が出るという形で障害があらわれる。第二点は、昭和四十六年の一月に日本新都市開発株式会社が実施をいたしております。これもやはりTVの受像機の問題でございまして、結論は、主として画像に斜めの線が流れるということでありました。要は、テレビに影響が出るということで、NHKあたりの調べであの辺の方々の苦情が相当多かったものですから、そういうことが電波障害につながっておるということでございます。  私どもの大学が進出するについては、やはり科学的な調査というものが必要であろうということで、技術研究本部の専門家に御委嘱をいたしまして、一月末に五日間ほど実際に五十四点ばかり地点を選びまして、特にわれわれが御要望いたしております地点につきまして精密に調べましたところが、結論は、たしか輻射電波というものは通信施設がございますのであらゆる方向に出ておるわけでございますが、幸いなことにわれわれが要望しております地点については、われわれが用います電子用機具については何ら障害がないという結論に達しておるわけでございます。
  364. 山口敏夫

    山口(敏)分科員 埼玉県なんかのようなところは、ここ十四、五年の間に人口が倍増しておるわけですね。二百万県民だったものが四百万県民、すでにそれをこえておる。そうすると、県民の医療福祉というものは幾らあっても多過ぎるということはないわけですね。そういう背景がありながらも、市民を代表する市議会も全会一致で、それから市長さんもまた反対の立場に立っておられる。また署名も数万の署名が集まる。私は、やはり一つは、本来あと地の問題は市と県と国とが十分話し合って、いろいろ構想を煮詰めていくという最初の過程で、防衛庁がちょっと横から、防衛医大をつくりたいということが突発的に出てきたような印象を与える。これがやはり多少手続的に、時間の経過の行政的な問題もあったでしょうけれども、それが私は一つあったと思うのです。それからいま一つは、内容がよくわからない。立川のように飛行機が移駐するとか、あるいは沖繩等におきますように米軍にかわって自衛隊が派遣されるというような問題とは違いますけれども、やはり防衛庁施設というだけで多少アレルギーがあるということも、私は事実だと思うのですね。ですからそういう点で、防衛当局の住民に対するサービスの精神というものを、必要以上に御配慮いただきたいというふうに思うわけであります。  いわゆる医科大学ができる、その医科大学の内容については、きょうは時間がございませんので触れませんが、医科大学の内容もさることながら、市民に非常に直接的な関係のある付属病院の問題について一、二点お伺いしたいと思うわけでありますが、市民の不安の中に、要するに防衛医大ということは、昔でいえば陸軍病院みたいなものである、だから千ベッドあっても、実際に市民に開放されるといっても開放される部分は半分くらいで、あとはあけたままとっておいて、何かいざというときに自衛官が入れるようなかっこうにしておくのではないかというような心配が一つと、それからいま盛んに、毒ガス兵器だとかあるいは生物兵器とかいったような新兵器、そういったものに出っくわした場合の自衛官の健康、あるいはそういった兵器に対する研究、あるいはその病菌の解明、そういったものが重点的に行なわれるのじゃないか。ですから、そういうものがかりに市内に伝染病のごとく蔓延すると、これは市民の福祉どころの騒ぎではないのだ、こういうような不安もあるわけですね。その辺はどういうふうな形になっておるか、長官からでも局長からでもいいですが、お答えいただきたい。
  365. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 第一点につきましては、これは防衛医科大学という形でいこうということで防衛という字がついておりますから、一般の方々には、何か御指摘のような不安がおおっているのじゃないかという気がするわけでありますが、あくまでも医官を養成する機関でありますので、特に付属病院の問題につきましては、一般の医科大学の付属病院の対象患者と何ら変わりません。したがいまして、一般の患者さんを収容するということが最大の目的でございます。と申しますのは、医療機関でございますのでそういうことにならざるを得ない。  それから第二点でございますが、この点につきましては、そういうCBRの研究などというのは現在の段階で考えておりません。先ほど付置研究所ということを申し上げましたが、これにつきましては、一つはやはり自衛隊らしい救急医療の研究所あたりをひとつ考えてみたらどうか、これは例示でございますが、また将来の問題でございますが、そういう考え方を持っておるわけでございます。
  366. 山口敏夫

    山口(敏)分科員 それではあくまで市民に開放された、市民福祉に十分つながる施設である、こういうふうに判断してよろしいわけですね。  そこで、当然のことながらああいった大きな病院ができますと、常に起こり得ることは地元の医師会とのあつれきが出てくるわけですね。実際問題としては、これはじいさん、ばあさんが大きい病気にかかると、そのお医者さんの紹介で、東京の大学病院に入って見てもらいなさいというようなケースもありますし、友人の執刀医に来てもらって忙しいときはかわりにやってもらうとか、その辺は医師会としても直接的な打撃がくるというふうには私自身は判断しないのでありますが、やはり直接の地元の医師会としてはたいへんな心配をしておる。その辺の医師会との連絡や何かはどうなっておりますか。
  367. 鈴木一男

    ○鈴木(一)政府委員 私ども、先ほど御指摘がございましたように、こういう構想が出て、予算も政府段階できめて国会審議に出す段階でタイムを見ておったのでございますが、ようやく予算も法案も政府内できめていただきまして法案も出したという時点でもって、そろそろアクションを起こさなければいかぬということで、地元の医師会長にお願いをいたしまして、この問題、ぜひ私どもから大学構想をお話しに参りたい、ぜひ理事会を開催してそこにわれわれが出席してお話を申し上げたいと申し上げておったわけでございますが、所沢につきましては、医師会から正式に拒否をされたわけでございます。  その前に、所沢の道又会長以下三名の方が私のところに来られまして、もちろん反対陳情でございましたが、私いろいろお話を申し上げました。特に、今後できた場合に、付属病院関係施設は、外来等につきましてはアポイント制にして、開業医のじゃまをしないとか、あるいは入院につきましても重症の特殊な患者についてやって、また開業医の方に還元していくというような、いろいろそういう条件をお互いに提示し合って話し合おうじゃないか、そういうふうなことをるる御説明申し上げましたところ、帰りがけには、少なくともきょう来た三人は了解した、ただこれは理事会にはからなければならぬというふうないま段階でございます。  それから朝霞につきましても、これは暫定施設をつくりますので、二月二十五日に私、現地に参りまして、理事会で十分説明してまいったわけでございますが、これまた結論といたしましては、いまの段階、防衛庁の医科大学校自身反対だというふうな状況でございまして、県の医師会長にもいずれごあいさつに参って、いろいろお話をするからというふうなことで御了解を得ております。
  368. 山口敏夫

    山口(敏)分科員 最後に私は、やはり日本のような社会形態あるいは国家形態の国においては、アメリカやソ連がアポロとかソユーズを飛ばして非常に壮大な科学計画を進めておる。十兆円近い金がとにかくかかっているわけです。日本はそういうアメリカやソ連に対抗してああいったようなことをやるというわけにはなかなかいかない。とするなら、やはり世界的にも非常に高度の水準にある、たとえば医療技術や何かを駆使して、たとえばガン開発に対して重点的に予算をつぎ込むとかあるいは研究を進めて、それでもって人類の平和に貢献するというような形でかじがとられていかなければいけない。そういうふうな認識からしても、医療の問題が、大学の研究も含めて、さらに発展充実するということはたいへんけっこうなことだと思います。それから地域においても、住宅地域あるいは新興地域でありますから、若い家庭も非常に多い。子供が引きつけを起こしたりあるいはかぜ引いて熱出したりというようなときも、すぐそういった付属病院を夜間も含めてやっぱり利用できるということは、それなりに市民の医療福祉にもあるいは県民の、国民の医療福祉にもつながり、さらに自衛官医官不足もこれによって解消するわけで、私は反対すべきものはむしろ希薄だと思うわけであります。  しかし現実の問題としては、その医大が設置せられるのであろう候補地の一つである所沢市においては、市長さんも、市民の代表というような立場からこれに難色を示しておる、市議会も全会一致で反対決議をしておる、市民の方々もその方向に傾いているという実態というものを十分認識をしていただいて、防衛当局といたしましてもあるいは大蔵省といたしましても、いいことなんだからこれは進めて当然なんだというようなことではなくて、十二分に市民の理解と共感を得られるような形でこの事業を進めていってもらいたいというふうに願うわけでありますけれども長官に最後に、その辺の基本的な姿勢についてお答えをいただいて、質問を終えたいと思うわけであります。
  369. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御指摘のように、これはもう十分話し合いをしていきたいと思うのです。そして、場合によれば私自身が出かけていってもいいと思います。医師会との協力体制は衛生局長が申し上げたとおりですが、やはり地元の医師会と円満にいくということは大事なことなんですね。ちょっと腹痛だったりかぜ引いたりということで、全部この防衛医科大学の付属病院がやったならば、これは御迷惑をかけるけれども、そういうお医者さんたちが、さっきお話にあったように、自分の手には負えない、自分のところの病室ではぐあいが悪いといったような者と連携しながら診察をする、お預かりする、また戻せる時期になったら戻す、ここらあたりは非常に緊密にいかなければならぬところだと思うんですね。十分ひとつ話し合いを私、努力したいと思います。市民の方たちにも、私が行ってもいいと思います。これはお約束しておきます。
  370. 森下元晴

    ○森下(元)主査代理 明二十四日は午前十時三十分より、防衛庁所管について質疑を続けることとし、本日はこれにて散会いたします。    午後五時四十六分散会