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松本(忠)
分科員 今回の答申につきましては、去る一月二十六日開催の第十八回国有財産中央審議会において
大臣が諮問をされた案件でございます。従来、このような審議会の答申なるものは、結論が出るまでに非常に長期にわたりまして、時期を失するおそれが多分にあったのが通例でございます。しかるに、今回は、諮問以来わずか四十五日間で結論に達したものでありまして、
関係者の御努力に対しまして、われわれも深い感謝の意を表するものでございます。また、
大臣も、ただいまの御答弁によりまして、この答申の趣旨を体して、趣旨を尊重されるという御答弁がございまして、私もたいへん喜びにたえないことでございます。
私、察しますところ、
大臣がこの国有財産中央審議会に対して諮問されました背景としては、都内
最後の
米軍基地返還といわれておりましたところの、いわゆる王子キャンプの返還が昨年十月十五日に実現いたしましたので、その
あと地利用につきましての御諮問ではなかったかと思うのでございます。それと申しますのも、御承知のように、昨年の十月十五日、
最後の
米軍施設といわれました王子キャンプが返還され、私も、地元の代議士を代表いたしまして、その返還式典に臨みまして、あいさつをいたしました。
米軍から国へ返還された十二万三千平方メートルの広大な土地が、都民のために、また北区民のために、公園緑地として、さらにはまた、大震災等の避難地として、あるいはまた、心身障害者児の
施設の拡充強化に充てられる、このことを一日も早く実現してほしい、こういう旨のことを、私は、当日の祝辞の中で述べておきました。
このことは、
昭和四十三年の三月に、王子キャンプがベトナム戦争の影響で野戦病院となりまして、これに伴って、地元で種々の問題が起きました。たとえば、反日共系の学生があばれましたり、あるいはまた、
米軍兵士が風紀問題を起こしたり、地元のわれわれとしてもたいへん困ったわけでございます。私
どもといたしましても、返還を一日も早く実現したいということから、四十三年の四月二十日には、地元の北公会堂におきまして、わが党の竹入
委員長、あるいは矢野書紀長な
ども出席して、とも
どもに住民大会を開催いたしまして、その後返還運動を経続してまいりました。また、私自身も、国会におきまして、四十五年の三月十七日に、さらには四十六年二月二十日にこの問題を取り上げて、返還の促進を叫んでまいりました。そのような事情でございまして、この返還は待望久しかったわけでございますが、今回このような答申が出ました。
そこで、ここへ至りますまでに、地元とし、ましても、キャンプ王子跡地解放北区民協議会というものを結成いたしまして、超党派の運動を展開しまして、三十万人に及ぶ署名を得まして、昨年の十二月二十日には、地元選出の三人の国
会議員を先頭にして、
大蔵大臣にも陳情に及んだ次第でございます。今回の答申によりまして、地元北区民の長年の希望がかなえられる糸口がついたわけでございますが、この答申を基礎にして大蔵省でお
考えになっているところの具体策、たとえば公園緑地の規模とかあるいは心身障害者児の諸
施設とか、さらにはまた一部が都道に開放されるとか、こういう話も聞いておりますが、その構想につきまして発表していただきたいと思うわけでございます。