○樋上
分科員 そういう終わっておるというようなことでこれが解決できる、裁判でそれが行なわれているということで解決できる、国はそれで責任がないと言われるところに、私は納得のいかないところがあるのですよ。
ですから、この訴えておる中には、どういうことをいっておるか、
一つだけ聞いてください、切実な本人の声ですから。「思えば、
昭和二十三年のわれわれが受けたジフテリア予防接種禍実情は、時の京都府衛生部長土屋忠良氏の編さんした接種禍記録を見れば、第三者でもいかに悲惨なできごとであったかは判然とするところであり、接種を受けた私たちの子供は病状が悪化するとともに半強制的に入院させられ、
治療するにも薬のない時代に
治療法すら発見できないまま、ただ集団的に集められ、わが子の死んでいくのを
お互いに順番を待たされただけ、親の情としていかに悲惨な思いをさせられたか。その上最後は、林
厚生大臣がとりあえず持参した一千万円の見舞金を補償金として、うやむやのうちに涙をのまされた。当時占領下において混乱の世相の中で進駐軍の指令によってなされた接種であり、製薬の
設備も不完全で、技術検定も不十分の中で行なわれ、補償についても、当時中央と地方を問わず財政的に苦しい時代ではあったが、あまりにも予想外の金額であったが、結局は中央からも時の総理、吉田さんや要人も入洛されたが、財政的な困難を理由に泣き落とされ、かつ上からは進駐軍の指令によって、また裏を返せば、それをかさに弾圧されたことを痛感した。われわれもこれも戦争の犠牲と思い、泣き寝入りさせられた。当時のわれわれの考えた世相からは、軍人が今日のように多額の恩給が支給されるがごときことをだれが予想しましたか。直接戦争した軍人は命が助かっただけでありがたかった時代です。現在の繁栄した国家なら、当時の実情から考えてほんとうに犠牲者を救済する真心から出たものなら、われわれこそ予防接種法の悲しむべき大犠牲集団であると思います。かつ、当時の解決されたと見られるこの問題は、混乱時代の財政難を理由に時の権力により弾圧されたその悲しい心情は今日も決して変わるものではありません。なお、その金額の内容たるや、花代、線香代、見舞い品等あらゆるものが含まれる等は、とても現代では遠く考えも及ばないことと思います。政府は、昨年予防接種等が原因で死亡したり、後遺症
患者に対し救済
措置を発表したが、明らかに過失による死亡者をどう考えておられるか。
〔橋本(龍)
主査代理退席、
主査着席〕
厚生省は来
年度から実施する本格的な救済制度へのつなぎ
措置だと新聞は報じていたが、われわれのように過失による死亡が皆無とは今後も保証できないが、本格的な法制の中でいかに取り扱うか。またこの
措置は来
年度から制定する準備はできているか。もしいまだこれに手をつけていないとすれば、昨年六、七月ごろに発生した接種禍による世論の高まりをごまかすための一時的な
措置であって、真に救済するという誠意ある政策とは思えない。記録にあるごとく、時の林
厚生大臣が弔慰、見舞いのため入洛した際、府市合同委員会で決定した死者に二十万円の弔慰金、
患者対策費など三千六百万円、
大蔵省に対しそれを下らない額を要求しているが、いまだ決定せず、とりあえず
厚生省の
予算から一千万円を見舞い金として持参したと弁明した。特に法的に規定がないため国家の責任と断ずることはちゅうちょすると記者会見で発表している。この意味からも、当時の規定がないために泣き寝入りさせられたわれわれには、本格的な救済制度の適用はもちろん、昨年発表されたつなぎとしての救済
措置にも当然受理すべき国家責任があると確信する。」こういうぐあいに、こちらにもありますけれ
ども、いろいろな面で訴えられておるのでございます。
私は最後に申し上げたいのは、こういう
昭和四十五年七月三十一日に閣議決定事項として、政府においても、これら一連の国が行なった予防接種が原因で死亡したり、後遺症にかかったりした被害者に対して応急的な救済
措置の実施要項がきまり、その旨それぞれの
関係都道府県知事に通達され、その救済に乗り出したり、その適用範囲も明治四十二年以降までにさかのぼって適用さ湿るということです。しかしながら、
昭和二十三年に起こった京都ジフテリア注射事件、これだけは今回の
措置から除外するということはまことにふに落ちない、こういうぐあいに聞いておるのですが、この救済処置からこれは除外されるのですね。だから、こういう問題はもう示談で解決されたというぐあいにいまおっしゃっておるようですが、除外されておる。一体こんな片手落ちの処置があっていいのかどうか。一応当時の情勢として、遺族は言いたいことも言えず、泣く泣く
承認せざるを得なかった事態で、死亡者一人当て分割払いの十万円なりの弔慰金で事件の解決を認めたと言い条、それは解決ではなくて解決を押しつけられた、これが実情であったわけであります。試みに当時の世相は、やみ米が一升二百二十円であったことも記録に残っております。したがって、人の生命がお金に直しますとお米五石で買われたということになるわけです。これで遺族が納得した、解決したとはどう見ても考えられないことであります。
しかし、被害者は一人や二人の特異体質者では決してなかった。六十八名の死亡者、六百六名の重症者を出した大事故であります。国並びに
厚生省は、また
大臣は、救済
措置の適用除外をするとおっしゃることのないように、また犠牲者となられた六十八名の死亡者の霊に報いていかなければならない、こう私は思うのですが、最後に
大臣の御所見を承りたい。
なぜこの当時のものは解決されたとおっしゃるか。なぜ納得もしておらないのに、そういうぐあいにされるのか。今度のこの
措置の中に入れて、何とか死亡者の遺族またいま後遺症に悩んでいる方に対して何かの
措置をとっていただきたいことを要望するんですが、最後に
大臣の御所見をもう一度承りたい。