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渡部(一)
分科員 私はネフローゼのじん疾患の問題について御
質問したいと思うのであります。
昨年二月二十二日、当
予算委員会分科会におきまして、私はこの問題についてすでに御
質問をいたしております。それからまる一年たちました。私はきわめて不本意なのでありますが、当局が全くそれに対して不十分な施策をとられているということに関して私は残念に思っております。私は、もう事情を百も承知の皆さま方ではありますが、どんなにその病人の人たちが悲しい思いをし、苦しい思いをされているかということを、私は少し引用例をとってわざわざ申し上げたいと思います。
これは「姫路ネフローゼ児を守る会」の会長の
橋本さんという人の書いたものであります。
「私の
子供は六年目の正月を迎えました。「疲れるから車で帰ろう」と言っても、バスで帰るんだと聞き入れません。それは百貨店に寄って、おもちゃ、レコードを自分で選んで買うためです。「体に悪いかも知れない」といっても年に二回しかないこの楽しみを取り上げることができるでしょうか。病人であることを忘れ夢中になっているひと時を私はハラハラと見守るばかりです。家に帰るとテレビ、トランプと開放された中で無理を重ねます。五年も療養しているんだから……が失敗のもと二日に発熱、食事をしなくなり三日には熱は三十九度を超し、あわてて
病院へ。一口に五年と言いますが、雨の日、風の日の連続です。私はただ
子供の全快を信じこれに耐えて来ました。そんな中で勉強が闘病しながら受けられるようになった三年前の喜びは忘れられません。五年も六年も
教育が受けられなかったら近代社会では落伍者になってしまいます。トランプとプラモデルしか知らなかった
子供が「九九」を知り、作文が書けるようになり、暗い谷間から救い出すことが出来ました。年間、百万円を少し超えた私たちの月給で四十数万円の
医療費の負担は大変なことです。父母は
医療費をねん出のため幼い子を独りにして
仕事に行かねばなりません。
医療費の負担に耐えかねて退院させた親もいます。この
子供は死んでしまいました。……親の
責任だと追及できるでしょうか。私たちは四年間に亘り国庫補助を訴えて来ましたが、やっと四十七年度予算で僅かの金額と五%にも満たない対象者に救助の手がのびたところです。月の世界に人類の足跡を残す時代に、なぜ人類自身の問題を解決してくれないのでしょう。金もうけや人類のための研究には数千億円の金を使いながら……、この
病気のための研究センターはなく、どうすれば快るのかまだ完全な
医療の確立を見ておりません。人の命は尊いと政治は言っていながら……こんな口先だけの政治を変えさせ、
医療制度を確立させることこそネフローゼ児の未来を開くものであり、次代に対する最大のプレゼントであります。」こう述べています。
また、あるお子さんはこういうふうに述べています。これは姫路の赤十字
病院内の脇坂さんという小
学校六年の女の子です。「私は、今ネフローゼという
病気で、入院中です。私の家は、おかあさんと、二人ぐらしです。おとうさんは、私が四つか五つの時に、なくなりました。だからおかあさんは、それ以来、
学校へ行ってはたらいています。私の家は、大阪ですがベッドスクールが、姫路の日赤と国立しかないためここに入院しています。こんな遠くの
病院に入院しているためおかあさんは、あまりきてくれません。そんな時、私はよく思います。大阪の
病院にベッドスクールがあったら、おかあさんは、よくきてくれるになあと。また、ここまでくるのに電車のお金だけで、千二百円はいります。それだけではありません。入院費は、もっとかかります。一カ月分はつぎのようになります。へや代三、〇〇〇円、食事代一、七〇〇円、薬代五、九〇〇円、けんさ代五〇〇円、入院時基診療代二五、〇〇〇円、入院時医学
管理代一、五〇〇円、合計三三、六〇〇円。けれども
病気が悪くなり、ちゅうしゃなどをいっぱいすると、これよりもっともっとたかくなり四万、五万はいります。それにこの
病気は、とってもながく、ふつうでも三年から四年はかかります。このように、おかあさんには、とってもくろうをかけています。そして私も遠くの
病院にいるのは、とってもさみしいです。私の家の近くの
病院に、ベッドスクールがあれば、私の友だちもきっときてくれるのに……。そしたらどんなに、たのしいだろう。だから私は、大阪の
病院に、ベッドスクールがあったらよいのになあと思います。日本全国の、こんな
病気の子のために、もっとたくさん各地にベッドスクールをふやしていただきたいとおねがいします。」
また、そのおかあさんはこう書いています。「私たち親一人子一人の家庭は、一瞬にして暗い暗い谷底へ突き落され、満三年を過ぎた今日、病状の進展をみないまま、入院費雑費その他精神的なものにより、日に日に世の中から落伍し、人間らしい最低の生活すらできない状態となって参りました。子どもは、熱があるわけでなく、痛みがあるわけでなく、ただ尿の検査をしてみると蛋白がおりている、という自覚
症状の全くない
病気です。それでいて即刻入院、絶対安静と食養生を宣告され、まだ、小
学校二年の幼な子一人
病院に残して帰る。私は、断腸の思いでした。それも全快の見通しでもついているならともかく、いつ治るかわからない、いや一生治らないかわからない
病気だ。このことで、
病院へ面会に行っても帰る時は、いつも後ろ髪をひかれる思いです。お
医者さんは、「ネフローゼになる
原因もわからないし、従ってネフローゼに効く薬を
発見すれば、ノーベル賞がもらえますよ」。最初は、近くの
大学の付属
病院で、九ヶ月ほど入院していましたが、あまり良い方へむきません。病室がネフローゼの子どもだけ収容しているわけでないから、お友達の食事を見ては、欲しがり次々と退院されて行く姿をみては、家に帰りたがります。親の私も、入院費(毎月五—六万人が入院費、それ以外に雑費として一万円位)のこと。また
教育には、時期というものがあり、その年令に応じた基礎的事項があるにもかかわらず、何もできないのであせりを感じだしました。主治医の
先生も「
病院にいても、安静と食養生だけだから、家で療養されては、」といわれますので、十カ月目に、仮退院ということで連れて帰りました。でも、家に帰ったとて、
学校に行けるわけでなく、私は勤めに行きますから、昼間は一人ぼっちでテレビやラジオが友達です。あれほど帰りたがっていた子どもが一ケ月位から、朝がくることをとてもいやがりだしました。ああ、また、夜が明けた。早く、夜が、こないかなあ。いつも、夜だけだったら、いいのに。と言ったり、水曜と木曜、週二回の検尿をいやがり、尿をとらなくなりだしました。一生、治らない
病気だから、どうせ死ぬなら食べたいものを食べて、死んだ方がいいから、と私の留守中に、食べてはいけないものを食べる。お薬は飲まなくなる。家の前の通学道路を集団登校するお友達の姿をみては、毎朝、
学校へ行きたいと泣く。親も子も、どうしてよいかわからなくなり、途方にくれてしまいました。私は、
子供の入院と同時に、大阪の
病院で治療しながら、勉強のできる
病院をと、あちらこちら探し歩きました。どれも、ネフローゼの子どもたちだけの
病院ではなく、あらゆる
病気の子どもたちが、いっしょに勉強しているとのことで戸惑いしました。なぜなら、一ネフローゼの子どもは、他の
病気の子どもとちがって、体力がなく、無理ができない。2食事が全く違う。そんな折りも折り、
昭和四十二年十一月三日夜七時のNHKテレビニュースで、姫路赤十字と姫路国立
病院に、ネフローゼの子どもたちのために学級が開設されたという朗報をえました。子どもは、そのニュースを見て、小躍りして喜び、もう絶対に
病院へは入院しないといっていましたのに、
学校のある
病院だったら、入院したいと言い出しました。早速、その晩、姫路・日赤に電話しました所、その誕生に協力された小児科部長の本郷
先生が、当直でして、それでは明日、転医書を持って、
病院へくるように、とのこと。わらをもつかも
気持ちで、伺わせていただきました。そして、明日入院するように、とのことで、スムースに入院させていただきました。面会に行く度に、子どもは今迄とうってかわって、朗らかになって行きました。一日が短くて仕方がないと言います。」
〔
主査退席、
橋本(龍)
主査代理着席〕
このような長期間にわたるネフローゼ児童の
病院の苦しみの物語りは無数にあります。そして、そのおかあさんたちの中のごく限られた人たちが、いま
病気の治療のために
病院に併設された
学校の中で楽しく勉強することができるようになって喜んでいます。しかし、それはもうほんの少しなことはおわかりのとおりであります。
私は、この前の
質問のときに、幾つかの項目について申し上げました。
一つは、
病院の中にネフローゼ児童の学級を特設するように、また
医療費の全額公費負担、育成
医療の適用をしていただくようにお願いをいたしました。また、学童の尿検診、特に三歳児健康診断において完全尿検査を実施するように、そしてこのような不幸な
病気が出ないようにお願いしたいと、こう申し上げたわけであります。
そこで私は申し上げるのでありますが、前の内田国務
大臣はそれに対してどうお答えになったか、学童健診と三歳健診の問題についての私の
質問に対して、「ごもっとものことであると思います。しかし、私がそう言っただけでは、これは役所はやはり役所として動いておりますから、そのままになってはいけませんから、
責任を感じてもらう意味において、児童
局長からひとつその点につきましては御
答弁をさせます。」児童
局長はわざわざこう答えられました。「三歳児健康診査あるいは乳幼児健康診査というものを、
法律の制度としてここ数年来やっておりますが、その内容等について、確かに若干現実に合わないという面がございます。したがいまして、いま御
指摘になった点も含めまして、私ども検査の内容なりあるいは
考え方等について新しい見地から検討を進めてまいりたい、かように思っております。」こういう
答弁でありました。それから一年、何にもなさらない。何にもしていない。何にもしないで平然としている。ことしもたくさんの
子供がネフローゼ、じん疾患として、検査をすればわかるという、こういう
——私はほかの問題取り上げて言ったのではない。一番簡単な尿検査をすればわかる。その尿検査をすればこのネフローゼ児童の大半というものは救うことができる。そのじん疾患、ネフローゼの問題について、これを検査しろとかなんとかかんとか、おたくでは少なくともそれに対して
指導できるだけの力があるはずだ。それに対して何にもしていない。そしてまる一年たった。そうして、そのときの児童
局長はいまや事務次官になられた。
厚生大臣はかわられた。私は、これは殺人行為だと思う。しかも
大臣は、私の
質問に対して、そのとおりだと言われた。何でそういういいかげんなことを言われるのか。少なくともここにあるところの
国民の命のかかっている問題について、生命の尊重というのは内閣の
一つのスローガンでもあるはずだし、そればかりではない、
国民の一番大事な憲法の精神でもあるはずだ。ところが、細々としたしあわせの中に、かろうじて何十万円も払いながら、何年も何年もこのじん炎・ネフローゼという重い疾患に耐えてがんばっている人たちが一方にある以上、何にもしないということは一体どういう意味なのか。私は、児童
局長と
厚生大臣に、このような無数の、たくさんな犠牲者のあるということを念頭に置いた上で返事をしていただきたい。どういう方針で一年間やられたのか。前の児童
局長が悪いのか、今度の児童
局長が
仕事をサボッておるのか。私はこの場で
答弁を要求する。はっきりと答えていただきたい。