○西村最高
裁判所長官代理者 公害訴訟がマンモス化しているということについては、御指摘のとおりでございます。マンモス化した訴訟に対して
裁判所としてどういう対策を持っているかという
お尋ねでございますが、これは非常に小さなことで恐縮でございますけれども、
事件を受理した
裁判所としてどういうことを
考えてやっているかという点についてまず申し上げますと、その当該
裁判所としては、できる限りその
事件を担当する裁判官の負担を軽くし、公害訴訟にできる限り精力を集中できるように配慮するということで、ほかの
事件の配点を減らすとか、そういったような
考慮をその
裁判所の実情の許す限りにおいてやっておるということが言えるのではないかと思われます。
それから、公害訴訟においてやはり一番問題になる点は
原因の究明ということでございます。これはきわめて立証の困難な問題でございますので、このために相当の審理期間を用意しておるわけでございますけれども、国の機関その他公の機関が公正な公害
原因の調査をいたしておりますならば、できる限りその調査の結果は証拠として利用さしてもらう、そういう調査が正当である正しい公正な調査であるならば、その結果を活用さしていただく、こういうようなことも
考えてやっておるようでございます。
それから、さらにこの場合、多数の原告について、損害の態様とか、あるいは損害の額とかはそれぞれ個別的に異なってくるわけでございまして、そういった場合の原告本人について損害の態様あるいは損害の額等についての証拠を集めなければならない、こういった場合に原告本人からもいろいろ
裁判所としては実情を伺わなければならないわけでございますけれども、こういった
事件について多数の原告に合議体の
裁判所が全部証拠調べに当たっておるということでございますと、たいへん時間がかかるというようなこともございまして、合議体の構成員の間で十分質問
事項等を協議した上で、合議体を構成する三人の裁判官が手分けして同時に本人尋問を行なう、こういうようなことでもって訴訟の
迅速化につとめている、こういうことを伺っておるわけでございます。
それから、第二点の無過失責任賠償法の問題でございますけれども、具体的な法律案として現在国会において
審議が始まるという
段階にあるように伺っておりますので、
裁判所としては具体的な法案の
内容について意見を述べることは差し控えさせていただきたいと存じます。
ただ、一般的な問題といたしまして私の
考えるところを申し上げますと、推定規定のある場合とない場合とがどのような影響を審理に与えるか、推定規定のあるほうが訴訟が迅速に処理されるであろうか、こういう問題についてでございますけれども、推定規定のある場合と申しますと、本来推定規定というのは、一定の要件が、一定の事実がある場合には、ある事実が推定される。A、B、Cという事実があれば、甲という事実が推定される、こういう法律上の規定でございますけれども、こういう規定が生まれてくる基礎には、A、B、Cという事実があれば、一般的に甲という事実が推認できるというような経験法則がある場合において、当事者双方の訴訟法上の地位を公平化するという立法政策から認められる、そういう経験法則を法規範に高めて法規として設ける。これが推定規定であろうかと存じます。したがいまして、法律上の推定規定が設けられるような場合におきましては、一般的にいいますと、経験法則があるというふうにいえるのではないかと思われます。
したがいまして、従来の公害訴訟におきましても、この因果
関係につきましては、かなり事実上の推定、経験法則に基づく推認という判断作用が
裁判所においてとられておるわけでございます。したがいまして、推定規定がある場合とない場合ということで
考えますと、推定規定のある場合と事実上の推定による場合とでどのような違いが出てくるか、こういう問題に転換できるのではないかと
考えます。そこで、推定規定のある場合と事実上の推定、経験法則に基づく事実上の推定が行なわれる場合とでどの点が違ってくるかと申しますと、まず第一点は、立証責任が転換されるということでございます。すなわち、推定規定がございますと、先ほどの例で申しますと、A、Bという事実があるときには甲という事実が推定される、こういう規定がございますと、相手方としてはA、Bという事実が認められますと、次には甲という事実が存在しない、不存在ということについて立証責任を負う、こういうふうに
考えられておるわけでございます。これに対して推定規定がない場合におきましては、相手方はA、Bという事実が認められても、なおかつ甲という事実があるかどうかは必ずしも明らかではない、疑わしい、甲という事実の存在は疑わしいという程度の立証をすれば足りる、そういうふうにいわれておるわけでございます。その点がまず第一点として違うわけでございます。
〔大村
主査代理退席、
主査着席〕
次には第二点といたしましては、推定規定が存在する場合においては、その推定規定を利用しようとするものは、いまの例で申しますと、A、Bという
二つの要件事実を立証すれば足りるわけでございます。これに対して推定規定がない場合におきましては、A、Bという事実が認められれば、甲という事実が一般的に推定されるという経験法則が確立していればともかくとして、あまり確立していない場合においては、当事者としては、A、Bという事実だけを立証すれば、
裁判所は甲という事実を認めてくれるかどうかという点について疑念がないわけではない。そういう
意味でA、Bという事実のはかに、あるいはC、Dという事実まで立証しなければならない、こういうふうに
考えるかもしれない。そういう点で立証の主題が必ずしもはっきりしない場合があり得る。そういう
意味で
二つの点から見まして、推定規定がある場合のほうがない場合よりも、一般的に申しますと、推定規定がある場合にこれを利用しようとする当事者にとっては、推定規定があるほうが利益であるということはいえるのではないかと存じます。
しかしながら、推定規定が設けられましても、そのA、Bという要件事実自体がきわめて立証が困難なものである、そこにむしろ立証の重点が本来ならばある、そういうような要件の定め方であるといたしますならば、推定規定がございましても、A、Bという要件を立証するためには相当のやはり証拠調べをしなければならない、こういう問題があるわけでございます。したがって、要件の定め方いかんによっては必ずしも大差はない。いま言った例で申しますと、A、Bという事実が立証困難であり、C、Dという事実は立証がたいして困難でないということでございましたならば、推定規定があるかないかということは、推定規定を利用しようとする当事者にとって必ずしもそう違いがない、負担として違いがないということになるわけでございます。
また、第二に、推定規定が存在する場合には、先ほど申しましたように、相手方は、推定規定の要件であるA、Bという事実が認められますと、甲という事実が存在しないのだ、不存在について立証責任を負う、こういうことになるわけでございます。したがって、甲でないという事実を立証するために相手方としては大きな精力を注いで立証活動を行なっていく、こういうことになるわけでございます。そうなりますと、甲という事実が不存在という相手方の立証テーマをめぐって、非常に多くの証拠調べがなされるということも
考えられないわけではないわけでございます。
そういった
二つの面から見まして、推定規定のあるかないかということは、訴訟審理の上に影響のある場合もあるかとは存じますけれども、それほど影響のない場合もあるのではないか、必ずしも一がいに言えないのではないか、そういうふうに
考えております。