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辻原分科員 イギリスの
皇室と
国民という例を申し上げるまでもなく、これから
皇室と
国民というこの問題は、よほど
宮内庁でそれぞれの職務をやられる
方々がお
考えをいただいておかないと、
皇室と
国民との
関係というものが今後において現在より以上に密接になるかどうかということについては、率直に申していまの若い
世代層から
考えると、疑問がございます。そういう点についてより一そうのくふう
改善を加えられるということが、今日の憲法にいわれる
天皇象徴という、この
天皇を中心とされた
皇室と
国民の
関係を
改善していく上において非常に必要なことではないか。
小さいことのようではありますけれども、
皇室の
財産だから非常にきびしい
制限のもとにしか
参観ができないのだという印象が
国民の側に植えつけられたり、また、
宮内庁のお役人だから、非常に
一般官庁と違って
サービス的なものに欠けるのだ、こういうことの
感じが
国民の側に受け取られるということは、いま申し上げました、これからやっていかなければならぬ
皇室と
国民との
改善の中に一滴の水をさしていることだと私は
考えるのです。そういう
意味で、事は小さいようであるけれども、できるだけこういうことについて
国民の側の
希望にこたえるという態度がなければいかぬ。私は率直に言って、失礼ながらそう
感じておりまするし、そう申し上げたいと思うのです。
たとえば、いまお話にありました、確かに貴重な
文化財でありますから、無
制限にということはお困りになる場合もあるでしょうし、また、心なき
参観者が、せっかくの
文化財に対してそれほどの
注意を払わぬというケースもあるであろうと思います、大ぜいの中には。しかしながら、いま
制限を受けて入っておる人々というのは、かなり何といいまするか、そういうことを心得、厳選をされた上で入っているのですから、問題はない。これをかりに現在の倍を入れてみたって、そう大きな問題は、他のいまやっておる寺院だとか、あるいは神社、仏閣、これを
考えてみたときに、そんなに心配はないのじゃないか。私も、無
制限にしろということは申し上げておりません。可能な限りそういう
改善を加えてほしい。
そういう
意味で、私は一、二のことを申し上げてみますると、まず最近新宮殿ができましてから、
皇居の
参観についても非常に
希望がふえております。しかし、これとてもなかなか一カ月や二カ月先に申し込んでも容易にその時期が来ないというのが
実情でありましょうし、私も申し上げました、いままた
次長もお答えになった
桂離宮、
修学院のごときは、これもなかなか一カ月、二カ月ではらちがあかぬという、こういう
実情になっております。とするならばもう少し、せめて
申し込み者の全部とはいいませんけれども、大半を満たすようなことがいまの段階でできないのか、ぎりぎりなのか、こう
考えてみると、必ずしもそうじゃなさそうであります。
たとえば日曜、
祝日、土曜日の午後――年末、年始は、これは別でありましょう。しかし、日曜、
祝日、土曜というのは一体どういう日かというと、これは、
一般の人は、休日ということで行楽に出かける日であります。レクリエーションに出かける日であります。自分の趣味を生かす日であります。そうだとするならば、平日一生懸命に働いている人が、たとえばサラリーマンが、それじゃ平日の日にちょいと
桂離宮を拝観させていただこうか――こういうことは
団体か、あるいは特別の休暇でしか行けないはずなんです。むしろ行けるのは、そういう休日、
祝日であろう。となれば、もちろんその職におられる
方々は、これは同様に日曜、
祭日、休日というのはお休みになりたいだろうけれども、それは
管理者側のくふうでありましょう。適当に
人事配置をやれば――これは他のいろいろな、これと同じような形で
一般の用に供している場合も、日曜に多くは開放され、むしろ日曜の便益をはかっているのであります。そういうことを
考えましたときに、私は、もう少しくふうがあってしかるべきだと思うのであります。それを除いて十分満たされておるならば問題はない。現在満たされていないのですから、それを満たすようなくふうは、休日に勤務された方は適当に代替をお与えになるとか、あるいはその日に勤務する
管理者というものを特別にお
考えになるとか、くふうをこらされれば
解決のつく問題だと私は思う。どうも私の
常識では、これだけの
希望があるのに、なぜ日曜日はだめです、
祭日もだめです、土曜日の午後もだめなんだ――私らだって今日、土曜日の午後なんというのはいろいろな用務であれします。しかし、ふと、きょうは土曜日だ、少し時間がすいた、ぜひ行ってみたいなと
考える。そうしていろいろな、そういう文化的なものに触れる機会が土曜、日曜は非常に多うございます。しかし、せっかくのものが、そういうふうな
取り扱いをきめられているものですから、なかなか満たされない。私は、これはくふうされれば
解決のつく問題だ、こう思うのであります。
それから、
文化財によりましていろいろな基準が多少異なってくることはやむを得ないと思います。たとえば、
皇居の場合に
小学四年生以下は認めておられない。これも適当であるかどうか、あるいはこまかく議論をすればいろいろあるでしょうけれども、
一般的に、
常識上言って、ちょっと無理ではないかという場合もあるでしょう。ところが、
桂離宮とか
修学院は
成年者でなければいかぬのだ、こういうふうにやられておる。私は、いま、こういう
文化財的な
遺産に触れさせての民族的な
情操教育というものは、特に今日の
教育上必要じゃないかと
考えている一人なんですが、そういう
意味からいって、どうして
成年者でなければこの
文化的遺産が見せられないのか、まことにその辺のお
考えはかた苦しいじゃないか、私はそう思います。少なくとも
高等学校の生徒くらいは十分見る価値があるのです。私は、そういうことが残念なんです。なぜ
成年者でなければそれが見れないのか、こういう点も、私はいただいた
宮内庁の
資料によって申し上げておるのですが、たくさんあります。時間もございませんから、こまかい点は申し上げませんけれども、いま申し上げましただけでも、まことに窮屈かつかた苦しい
考え方に立っておられる。
それから、ついでに申し上げましょう。いまの
事務的な
関係で、私はそれぞれおやりになっておる方のお顔は拝見したことはございません。私は、ときどきそういうことの
希望が、
教育者の
関係なり、あるいはそれぞれの識者がひとつぜひ見たいのだというようなことで、お取り次ぎする場合がございます。電話でいたしますが、率直に申して、決してあたたいお
取り扱いをいただいているとは
考えられない。その人それぞれの性格もありますから、私は、あえてそういうことをこの席上で責めるのじゃありません。責めるのじゃありませんが、要するに、これも
窓口なんですから、できるだけ
皆さんの心情にこたえる――お断わりする場合も断わり方があるはずです。いま
次長は、そういうことの
人事配置ということをおっしゃいましたので、その上
でくふうをせられるおつもりなんでしょうが、ひとつそれらの点については、やはり
一般に
公開をしてその
参観を募っている限りにおいては、
窓口は
サービスなんですから、そういう
サービスを十分に
考えられた上で、来られた
方々がよい感情で帰られた、申し込んで、その
扱いは、きょうは断わられたけれども、まことにもっともな理由だったと納得のいくような、そういう断わり方があるはずなんです。私の申し上げるのは、そういうことです。これらについて、
人事配置の上で特段のくふうをする必要があると私は思います。何かお
考えがありましたならば、いま一度お答え願いたいと思います。