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小山内公述人 小山内でございます。
私は
専門の
立場から、特に
防御予算の点についてこれから
意見を述べさしていただくことになると思います。
まず、
防衛予算の問題で基本的に考えなければいけないのは、
防衛予算が高いとか、安いとかという問題の先に、それが不可欠であるかどうかという点がまず重要な点だと思います。しかし、それを論ずるには基本的に、原点と申しますか、
戦略全体、これは具体的に申しますと、
アメリカの
戦略及びその中に置かれております
日本の
戦略的位置、そういうものを十分にとらえてやはり検討していかなければならないものだと思います。
まずわれわれが第一にとらえなければいけないのは、七〇年代から八〇年代、
世界の
戦略体制、これは主として
米ソの
体制になりますけれども、一体これがどういうふうに動いていくかということをまずとらえなければいけないと思います。これはすでに一九七〇年、七一年、七二年と、
アメリカの
レアード国防長官が
国防教護を出されておりますけれども、その中にかなり具体的に書きあらわされているわけです。
これを簡単に分析して申し上げますと、
アメリカは七〇年代から八〇年代にかけて非常に大きな
戦略転換をする、こういうことがはっきり出ております。その
戦略転換の
方向はどういうものかというと、昨年の
国防教書に
現実的抑止戦略ということばが出ておりますが、これは非常に具体的にそれをあらわしているわけです。それは
三つの柱がございまして、
一つは力、もう
一つはパートナーシップ、もう
一つは交渉、たいへん具体的に簡潔にあらわしているわけです。
まず、その力というのは、
アメリカはどういうふうな力を打ち出していくかと申しますと、実はこの対象が、一口に申しますと
対ソ戦略なんです。特にその
対ソ戦略の
中心になるのは
戦略核、こういう点がはっきりと打ち出されておるわけです。
これは御存じかと思いますけれども、一九六五年の
時点で、
アメリカと
ソビエトの
核戦力の
状況というのは、大体
アメリカが四対一で優位を保っている、こういうことを、後に
クリフォード国防長官がはっきりと
国防白書で言っておられます。つまりたいへん優位な
立場に立っていたわけです。ところが、御
承知のように、
アメリカが
ベトナム戦争に介入しまして、年間二百億ドルないし三百億ドルと、ばく大な戦費を使うような
状況にある間に、
ソビエトは急速に
戦略核を
中心としました
核戦力を拡充いたしまして、七二年現在、すでに、
lCBM、つまりこれは
水爆弾頭ミサイルですか、この
分野では
アメリカをしのいでおる、こういう
状況が出ておるわけです。それから、いわゆる
ポラリス型潜水艦、これも
アメリカがはるかにしのいでおったのですけれども、現在の
予測では、一九七四年ごろまでにはおそらく
アメリカと均等になるであろう、こういう
予測を
アメリカ側が出しておるわけです。
大体
戦略核戦力の柱となりますのは、いま申し上げた
lCBM、
ポラリス潜水艦、それから
B52のような
戦略爆撃機、一応この三本が
戦略核戦力の柱となっております。
B52型は、すでに
アメリカは五百四十機を一応めどとしまして整備しておったのですけれども、その
時点におきまして、
ソビエトは
B52に匹敵するものは百五十機
程度しかない。この
分野についての開発も、おそらく将来は
ミサイルを
中心とするあるいは
宇宙兵器を
中心とするだろうということで、
アメリカ側はそう大きな増強はないというふうに見ていたわけです。ところが
ソビエトは昨年、新しい
バックファイアーという超音速の
戦略爆撃機を飛ばしまして、たいへん
アメリカ側に
衝撃を与えたわけです。それで、この分町においても
アメリカが急速に
ソビエトをしのがなければいけないということで、現在B1という
B52の後継機をたいへん急いでいま開発しております。
そういう
状況で、
米ソの
戦略核についての競争が七〇年代はたいへん激烈、熾烈に開始されている、こういう
状況であるということをまず基本的に私どもはとらえているわけです。
この
状況が一体どういう
状況になっていくかと申しますと、私どもは、現在
戦略兵器制限交渉というのが行なわれておりますから、それほど天井なしに両国が進むというふうには考えておりません。しかし、少なくともある時期に向かってかなり激しい
戦略核の競争時代になるというふうには、これははっきりと言えると思います。したがいまして、
アメリカは、
現実に、その
戦略核の増強のために、これはまた相当な
予算を投入しなければならないという
状況に出ているわけです。
現在、御
承知のように、
アメリカの
防衛予算は、本年度の
予算で実は八百億ドルをこえているわけです。ところが、御
承知のように、ベトナム戦費というのは最盛時の四分の一に下がっている。
ベトナム戦争で下がりながら、
防衛予算全体は
アメリカの場合上がっておる。これはどういうことを
意味するかと申しますと、つまり新しい兵器の開発、特に
戦略核の開発のために投資しなければならない。それから、そういう核を次々と実戦配備していかなければならない。そういう
状況のために、そういう
状況が出ているわけです。したがいまして、
アメリカは、まず基本的に
戦略核重点でいくという基本構想が、七〇年代から八〇年代の
方向として定められているわけです。実は、私どもは、そういう
アメリカの
戦略構想の中に現在の極東
戦略の構想、そういうものも出てきているというふうにとらえているわけです。
実は私は、私なりにこの
アメリカの
戦略転換がいつごろから始められたかという点をフォローしておったのですが、実は一九六八年ごろ、かなり
アメリカでは具体的にもう七〇年代から八〇年にかけての
戦略転換ということが考えられておったわけです。
その
一つは、先ほど申し上げましたように、新しい
戦略核の競争に備えなければいけない、こういうことを打ち出したわけです。しかし同時に、これはたいへんむずかしいことである。したがって、もう
一つの方策として交渉という
戦略も同時に打ち出さなければならない、こういうことを
アメリカ側は構想したわけです。
その具体的な例を
一つあげますと、
アメリカは六八年、六九年にかけまして、
アメリカ本国では、もし中国に接近した場合どういう方策をとったらいいかというような
政策的な研究を
戦略の一環としてすでに始めておったわけです。したがいまして、
アメリカの七〇年代の
戦略も単なる軍拡一本ということではなくて、どうしても交渉にもたよらなければならない、そういう
状況も十分
戦略構想の中に含まれていたわけです。したがいまして、そういった和戦両面の
戦略の中から
一つの路線が極東
戦略の中に出てきたわけです。
これは御存じのように、一九七〇年に
日本国内でもかなり話題になりましたハロラン論文というのがございます。このハロラン論文は、
アメリカ国内ではこれはキッシンジャー構想を下書きにして書かれたものであるということもいわれておりますけれども、
アメリカの極東からのいわゆるニクソン・ドクトリンによる撤退計画をかなり具体的に、もうその
時点で描き出していたものです。ハロラン論文によりますと、
アメリカ軍の本格的撤収というものは一九七二年から開始されまして大体七五年に一応のかっこうがつくと、こういうことを述べておるわけです。その中に沖繩の問題も当然含まれておるわけです。
アメリカが一応そういう形で一九七流年までに極東から現在の
戦略体制を引いていくと、こういうことを打ち出しておるのですが、一方、すでに一九六八年の
戦略構想の
転換の
時点で、新しい
戦略ラインをミクロネシアの線につくるという構想も打ち出しておるわけです。これは御
承知のように、グアム鳥を
中心としましたサイパン、テニアン、ロタ、パラオと、こういった島々まで含む
一つの新しい太平洋上の
戦略線なんですが、ここまで
戦略線を下げると、こういう構想でございます。
なぜこの構想が出たかと申しますと、その
時点におきまして
アメリカの構想したのは、一九七〇年代にこのままいけば中国の
核戦力の拡充というものはかなりのものになる。それに備えて
戦略的抑止力を持つためには、一応主防衛線をそこまで下げなければいけない、こういう構想から出てきたわけです。つまり要約いたしますと、一九七〇年代にはすでに
アメリカが一九五〇年から六〇年代にかけましてつくり上げましたいわゆる大陸包囲線、いわゆる三日月型防衛線ということばを使っておりますが、この
戦略的価値がどうしても変わってくる、そういう視点からどうしても
戦略転換が出てきた、まあこういうふうに私どもはとらえるわけです。
それはどういうことを
意味するかと申しますと、つまり一九五〇年から六〇年代までに形成しました
日本から沖繩、台湾、フィリピン、インドシナ、このたいへん長い防衛線が、実は一九七〇年代から八〇年代にかけます
世界の
戦略体制の変化によって、これまでとは違った形にならなければ
戦略的な価値がなくなってくると、こういうことなんです。つまりこれは、簡単に申しますと、中国がかりに
ミサイルを配備した場合、この
ミサイルの配備が、七〇年代の中国の
ミサイル配備の予想から申しますと、少なくとも射程二千キロから二千四百キロの
ミサイルが配備される、そういたしますとこの
日本列島及び台湾、フィリピン、インドシナ、これは全部
ミサイルのいわゆる制圧圏に入ってしまうわけです。そういたしますと、米軍自体がここにたくさんの兵力、兵器、基地を置いておきましも、実は中国に対しても
ソビエトに対しても――まあ
ソビエトも当然なんですが、
戦略的抑止力としての価値をなくしてくる。したがいまして、一応そういう圏外にのがれることが、これは再び
戦略的な抑止力の回復になる、これは
戦略的な構想の基本であったわけです。
したがいまして、私どもは、この
アメリカの
戦略的な構想の変化を十分にとらえて、七〇年代から八〇年にかけての極東の軍事情勢というものを考えていかなければならないと思います。
アメリカがなおその
戦略構想の中でどうしても
ソビエトとの軍備競争、これがどこまで行って天井に来るかわかりませんけれども、これをしなければならないという構想を出しておったのですが、しかし、
アメリカといえども一体
ソビエトがどこまで軍拡をしていくかわからない、それを
アメリカ側がどこまでも競争をするということは、たいへんむずかしいという点も実ははじき出しておったわけです。
なぜかと申しますと、現在でも
核戦力の拡充にはたいへんばく大な軍事費がかかります。一例をあげますと、六〇年代の半ばまでに建設いたしました
lCBMの総合的な軍事投資というものは三千億ドルに近い、こういうたいへん大きな費用を投入しなければならないわけです。七〇年代の
核戦力の一環として現在ABMというものの配備が進んでおりますけれども、これが
戦略的価値を持つまでに完全に備えますと、どうしても軍事投資が最低で見積っても四百億ドルはかかる、こういう数字まで出しておるわけです。したがいまして、
ソビエトとの競争でもこれはなみなみならぬ軍事費の投入というものを想定しなければならなかったわけです。ところが一方において、七〇年代には中国の
核戦力が伸びるであろうという想定があるわけです。したがいまして、中ソをともに相手にしまして、
アメリカといえども
戦略核を十分築き上げることはまず非常に困難であるということを
アメリカ側がとらえたわけです。したがいまして、
戦略的にたいへん不利な二正面作戦を避けるために、中国接近というものを
戦略的にはかったというのが私どもの分析でございます。
この分析が私どもはそう間違ってはいないというふうに考えておるわけです。したがいまして、
アメリカが一方では中国に接近をはかる。中国に接近をはかるということは、
アメリカが、先ほど申し上げました六〇年代までに築き上げました極東防衛線というものをかりに後退いたしましても
アメリカにとって脅威ではなくなるわけです。つまり、この
日本列島からインドシナ半島に至ります長大な三日月型防衛線は、主として中国包囲
戦略に基づいてつくられた防衛線であるためなのです。したがいまして、米中接近をはかることによって
アメリカかそのラインからかなり軍事力を撤収しても、そう早急な脅威が生じないという判定のもとにこういう方策が打ち出されたというふうに見るべきであるというふうに思うわけです。
したがいまして、そういう
アメリカの
状況の中では、当然
日本の位置というものも変わってくるというふうに私は思うわけです。しかし、ここでたいへん興味深いのは、
アメリカがすでに六八年から構想いたしまして七〇年代に展開しようという
戦略構想、それは先ほど申し上げたように
アメリカの軍事力自体は後方に一応下がっていくという形をとるのですけれども、そういう構想を打ち出しながら、一方では、御
承知の日米共同声明路線というものが打ち出されております。これは御
承知のように、
日本の防衛分担というものを少なくとも朝鮮半島あるいは台湾海峡にまで及ぼしたい、及ぼしてほしいという
アメリカ側の要望と、
日本側もそれは
日本にとっても安全に
関係することであるから分担をいたしましょう、これが日米共同声明路線の中の、私どもから見ますと新しい極東
戦略の
一つの路線であったというふうに見るわけです。しかし、
アメリカが引きながらなぜそういう路線を打ち出したか、これがレアードの昨年の特に
現実的抑止戦略の中にはっきりと出ておるわけです。つまりこのパートナーシップ、同盟諸国の協力のもとに
アメリカが
戦略線から引いてもそれをあとを埋めていく、つまりこれは、レアード
戦略の中には総合
戦略構想というのが出ておりますけれども、これは簡単に申しますと、その同盟諸国からの人的あるいは物的の資源を提供してもらうことによってその新しい
戦略体制をつくる、こういう構想が打ち出されているわけです。それを
アメリカ自身がすでにこの日米共同声明路線の中で
日本側にはっきりと
要請したわけです。しかし、これは
現実の
状況と私はたいへん複雑なからみ合いがあると思います。と申しますのは、
アメリカが、御
承知のように米中会談で幾つかの合意した項目をあげておるのですが、その中に平和五原則が含まれておるわけです。この平和五原則というのは、お互いの領土保全、不可侵、こういうことがはっきりと打ち出されておるわけです。したがいまして、米中の接近というものはかなり平和
戦略に
重点を置いていく、こういうことがはっきりと打ち出されておるわけです。したがいまして、一方では軍事
戦略、新しい
戦略体制を極東につくるとはいっておりますけれども、
アメリカの少なくとも極東における構想の基本は、やはり平和
戦略に傾かなければならないのではないか。一方に
ソビエトというたいへん強大な新しい競争相手を想定した以上、これは当然
アメリカとしても打ち出さなければならない
一つの姿勢であったというふうに見るわけです。したがいまして、
アメリカの基本構想というのは、私はすでに対中緊張あるいは対立というものを脱出しようという少なくとも
方向を打ち出していると思うのです。一方では、たとえ
ソビエトに対して軍拡競争をもってこたえなければならないとしても、中国に対してはどうしても一応平和姿勢でいかなければならない、こういう構想がその中に含まれているわけです。したがいまして、私どもは、
アメリカの極東
戦略体制というものを単に日米共同声明路線の中にあらわれている形の軍事的なあり方だけでとらえるのではなくて、
アメリカのより深い外交
戦略を含めました七〇年代のアジア
戦略、こういう姿勢をもってとらえていかなければならないと思います。
ところがこの
状況の中で、実は私どもは非常に考えなきゃいけないと思うのは、
日本の防衛問題が、はたしてそういう
アメリカの七〇年代から八〇年代への
戦略構想の
転換の中で一体変化が行なわれているのかどうか、そういう
状況を十分くみ取っておるのかどうかという点がやはり一番考えなければいけない問題だというふうに考えるわけです。
御
承知のように、現在皆さん方の手で四次防の問題がたいへん重要な問題として取り上げられております。特に四十七年度
防衛予算の問題はたいへん国会でも論争の的になりましたけれども、私ども市民の中で仕事をしている人間が感じたところでも、実はこれはよかれあしかれ
国民の中に、防衛問題というものを真剣に考えさせるたいへん重要な動機になったということはいえると思います。私などもいろいろな機会に一般の市民の方に接しますと、まず質問の出るのはこの問題なんです。したがいまして、私どもはこの問題を、かりに
一つの災いであったとしても、これは福となる
方向をやはり皆さん方が十分打ち出していただきたい、前向きの
方向へ打ち出していただきたいということを、市民の一人として私はお願いするわけです。
さらに、たくさんいろいろの問題が含まれております。しかし、私の
立場から申しますと、四次防路線というものはすでに何か一般には既定の
予算だというふうにとられておりますけれども、そういう
アメリカの非常に大きな極東
戦略というものが変わる時期に差しかかりまして、それはやはりもう一ぺん真剣に、詳細に検討してみるべきではないか、またその必要もあるのではないかというふうに考えるわけです。特に四十七年度の
予算先取りの問題というふうに新聞紙上では伝えられた問題の中で、四次防のすでに先取りの問題があるのじゃないかという問題がいろいろ指摘されておりました。いろいろすでに御指摘のように、RFの問題あるいはC1の問題T2の問題がございます。こういう具体的な問題は、非常に明確にいろいろな措置と回答が出ておるのですけれども、私どもはまだ、たとえばこの四次防全体に
関連しましても、研究開発の問題はやはり十分御検討願いたいと思うのです。
つまり、なぜかと申しますと、大体防衛力整備計画には必ず研究開発という問題が出ております。今度の四十七年度の
予算の中にもそれが出ております。つまり、これは実は率直に申し上げまして、まだ決定されない次期の防衛力整備計画の中における兵器の開発にすでにある形で着手していく、こういう形になるわけです。ですから、それだけに、こういうまだ決定されない次期あるいは次々期の兵器に対する研究開発というものが、はたして先ほど申し上げたような長期の
戦略の中で不可欠なものであるかという点をやはり十分検討していただくことが、実は私ども一般市民、
国民にとってはたいへん関心のあることなんです。今度の四十七年度の
予算の中にも実は研究開発費が入っております。これは大蔵省主計局でつくられました修正後の説明書なんですけれども、この中に研究開発費というのが項目に載っております。この研究開発費という項目の中には、四次防の原案にありますように、たとえばAEW、次期の対潜哨戒機、こういうテーマが入っておるわけです。したがいまして、実は先ほどあげました三機種以外にもこういう問題点がまだ含まれておる。私ども
国民として、どうしても防衛計画として不可欠なものをやみくもに認めないというのではございません。しかし、それがあくまでも、先ほど申し上げたように七〇年代の
戦略、つまり長期
戦略にとって不可欠なものであるかどうか、それから
状況の変化に従っているものかどうかという点を十分検討していただきたいというのが私どもの希望でございます。(拍手)