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1972-03-10 第68回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十七年三月十日(金曜日)     午前十時六分開議  出席委員    委員長 瀬戸山三男君    理事 大坪 保雄君 理事 佐々木義武君    理事 田中 龍夫君 理事 二階堂 進君    理事 細田 吉藏君 理事 阪上安太郎君    理事 辻原 弘市君 理事 鈴切 康雄君    理事 小平  忠君       足立 篤郎君    赤澤 正道君       荒木萬壽夫君    植木庚子郎君       小川 半次君    大村 襄治君       奥野 誠亮君    仮谷 忠男君       川崎 秀二君    笹山茂太郎君       田中 正巳君    灘尾 弘吉君       根本龍太郎君    野田 卯一君       橋本龍太郎君    福田  一君       松浦周太郎君    松野 頼三君       森田重次郎君    安宅 常彦君       小林  進君    楢崎弥之助君       西宮  弘君    原   茂君       細谷 治嘉君    安井 吉典君       横路 孝弘君    正木 良明君       吉田 之久君    和田 春生君       谷口善太郎君    東中 光雄君  出席公述人         東京大学教養学         部教授     嘉治 元郎君         評  論  家 小山内 宏君         全国銀行協会連         合会会長    小山 五郎君         日本生活協同組         合連合会会長  中林 貞男君  出席政府委員         総理府総務副長         官       砂田 重民君         行政管理政務次         官       岩動 道行君         北海道開発政務         次官      上田  稔君         防衛政務次官  野呂 恭一君         経済企画政務次         官       木部 佳昭君         科学技術政務次         官       粟山 ひで君         環境政務次官  小澤 太郎君         法務政務次官  村山 達雄君         大蔵政務次官  田中 六助君         大蔵省主計局次         長       吉瀬 維哉君         大蔵省主計局次         長       大倉 眞隆君         文部政務次官  渡辺 栄一君         厚生政務次官  登坂重次郎君         農林政務次官  伊藤宗一郎君         通商産業政務次         官      稻村左近四郎君         運輸政務次官  佐藤 孝行君         郵政政務次官  松山千惠子君         建設政務次官  藤尾 正行君         自治政務次官  小山 省二君  委員外出席者         予算委員会調査         室長      野路 武敏君     ――――――――――――― 委員の異動 三月十日  辞任         補欠選任   細谷 治嘉君     横路 孝弘君   古川 雅司君     矢野 絢也君   東中 光雄君     松本 義明君 同日  辞任   横路 孝弘君     細谷 治嘉君   松本 善明君     東中 光雄君     ――――――――――――― 本日の公聴会意見を聞いた案件  昭和四十七年度一般会計予算  昭和四十七年度特別会計予算  昭和四十七年度政府関係機関予算      ――――◇―――――
  2. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 これより会議を開きます。  昭和四十七年度一般会計予算昭和四十七年度特別会計予算昭和四十七年度政府関係機関予算、以上集案について公聴会に入ります。  この際、御出席公述人各位にごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございます。本日は各位の有益な御意見を拝聴いたしまして、今後の予算審議の上において貴重な参考といたしたいと存ずる次第であります。何とぞ昭和四十七年度総予算に対しまして、それぞれの立場から、忌憚のない御意見をお述べいただきたいと願う次第であります。  次に、御意見を承る順序といたしましては、まず嘉治公述人、続いて小山内公述人順序で、約三十分程度ずつ一通りの御意見をお述べいただき、その後公述人各位に対して委員から質疑を願うことといたしたいと思います。  それでは、嘉治公述人お願いいたします。
  3. 嘉治元郎

    嘉治公述人 嘉治元郎でございます。御依頼を受けましたので、昭和四十七年度総予算につきまして、若干意見を述べさせていただきたいと思います。  具体的な意見に入ります前に、この予算の問題をどういう観点で私が考えているかということにつきまして、一言述べさせていただきたいと思います。  御承知のとおり、今日世界諸国では、財政政策というものが経済政策の中の非常に重要な柱になっております。したがいまして、予算がどういうふうにあるかということは、一国経済の全体との関連で非常に重要な意味合いを持っているというふうに私は考えます。それから第二に、これは私の専門領域との関連もあるわけでございますが、私の場合には、予算の問題も一国の経済の単に国内経済の問題としてだけではなくて、その国際的な関係ということも念頭に置きながら予算案について考えてみたい、そういうふうに思っておる次第でございまして、一言で申しますと、財政と一国経済全体との関連ということと、それからさらにその国際経済面への関連ということと、この三つ念頭に置きながら私といたしましては予算の問題を考えておる、こういうことでございます。  今日、わが国経済一つの重大な転換期に差しかかっているということは、私から申し上げるまでもないと存じますが、その意味合い昭和四十七年度予算というのは非常に重要であるというふうに考えます。このことは、一月末に行なわれました水田大蔵大臣財政演説の中にもはっきりと示されておったところと存じますが、御承知のとおり昨年の夏以来国際経済には非常に大きな変動がございまして、たまたまその時期においてわが国経済はいわゆる広い意味国際化ということを迎えつつあるわけでございます。他方国内経済を考えてみますと、戦後いわゆる高成長ということで、主として民同企業設備投資機動力といたしまして、日本経済は諸外国に例のない急速な拡張を遂げてまいりました。そのことの結果といたしまして国民経済生活もその水準が上がってきたわけでございますが、そういう経済発展のしかたと申しましようか、型が、今後もそのままの形で続くかどうかは大いに疑わしい、そういう段階に差しかっておると思います。私の同僚である経済学者の中には、すでに相当前から日本経済転換期にかかったというようなことを言う人もあったわけでございますが、そういった予言の多くは、必ずしも適切でなかったということが過去においては事実でございます。しかしながら、現在の状況というものを考えてみますと、これはおそらくほとんどすべての経済分析に携わっているものが、ここに大きな転換が行なわれつつあるというふうにほとんど一致した意見を持っている、そういうふうに私は考えております。  具体的に申しますと、民間企業設備投資機動力にしたそういう形での経済拡張から、政府経済活動、その比重の高くなるようなそういう経済の姿へという転換が、必ずしも非常に急速にではないといたしましても徐々に進みつつある、そういう状況が現在だと思います。したがいまして、最初にも申し上げたとおり、四十七年度予算あるいはその後の二、三年というのは非常に重要な時期だというふうに考えるわけでございます。  ところで、具体的な予算を拝見しての私の意見は、いままで申し上げたこととの対応で、二点に分けてこれから御説明したいと存じます。  第一点は、日本経済世界経済における役割りというようなことから考えた場合に、この予算がどういうふうに見られるかということでございます。  御承知のとおり、昨年の十二月十八日、十九日にアメリカのワシントンで十カ国蔵相会議が開かれまして、そこで円の対外的な価値の位置づけ一言で申せばいわゆる為替レートでございますが、それが長く続いてまいりましたアメリカの一ドルと日本の三百六十円という関係から、一応三百八円を基準にしてその上下四・五%の幅で動くという、そういう制度に変わったわけでございますが、その後の動きは、御承知のとおりその三百八円よりもさらに円が強いような、いま申し上げた四・五%の変動幅の中でいえば一番円が高く評価される、そういうところに近づきつつあるということでございます。これが一体何を意味しているかというふうに考えてみますと、一番基本的には、やはりわが国経済の力が国際的に見て強くなっているということをあらわしている、こういうふうに言ってよろしいと思います。  それからまた、そのことの結果といたしまして、わが国金外貨保有、主として外国為替でございますが、その保有高は非常に急速に増大してきておりまして、今日では百六十億ドルをこえるというような水準でございますが、このわが国の保有する金外貨の量と申しますものは、世界全体の国々が持っている金外貨の総計に対してすでに一五%程度になっているということがございます。この割合は十年前にはおそらく二、三%というような程度でしがなかった。したがいまして、いわゆる国際流動性の持ち方ということで考えますと、その面でもわが国世界経済の中で非常に大きな比重を占めるようになっているということが、量的にはっきりと出ているわけでございます。したがって、当然わが国世界経済において果たすべき役割りというものもこういう現実の変化に応じて変わらざるを得ない、あるいは変わるべきであるというふうに私は考えるのでございますが、その点に対する配慮と申しますか、政策が四十七年度予算にどうふうにあらわれているかということを考えてみますと、方向といたしましては、国際的に高まってきたわが国経済地位というものを反映するような予算という方向がうかがわれるわけではございますけれども、なお具体的な裏づけということに関しましては、私の私見を率直に言わしていただくならば、必ずしも十分ではないのではないかというような意見を持っております。たとえば関税を引き下げて輸入をふやす、特に発展途上国からの輸入に関しましては、いわゆる特恵関税という形でそれがふえるように政策的に持っていくというような配慮があるわけでございますけれども、はたして現在のような程度のもので十分であるかどうか。それからまた、発展途上国関係で申せば、従来も国民総生産の一%の援助をということが国際的にも言われてきたわけでございますか、この予算裏づけになっております来年度の日本経済の見通しによりますと、四十七年度の国民総生産は九十兆円強という水準になる。九十兆円というのは、かりに三百円一ドルで換算してみますと三千億ドルということでございますので、それの一%であれば三十億ドルの援助ということになりますが、その中で少なくとも、でき得れば半分、できなくても三分の一程度のものを公的な援助で行なうというようなことを考えるといたしますと、それだけの配慮が必ずしも十分にはできていないのではないかというふうな印象を持つわけでございます。  他方、このように国際的な地位が高まってきたということから考えますと、いま申し上げた輸入をふやしたり援助をふやしたりということのほかにも、資本の面でも対外的にわが国資本が外へ出ていくということが考えられますし、それがあることが国際経済の場におけるわが国立場というものを明らかにする上でも望ましいと思うのですけれども、その点に関しては、たとえば国際機関、アジア開発銀行のごとき国際機関に対する出資をふやすというような配慮があることは非常にけっこうと存じます。一般的に申しまして、こういう国際経済へのわが国貢献ということは、もちろんそれを予算的裏づけをもって行なうということになりますと、それは国民負担になるわけでございます。したがって、どの程度国民負担において国際経済への貢献をはかるべきかということは、負担の面とそれから国際経済への貢献の面との両面から考えてまいりまして、最適な水準というようなものが決定されるべきであるということは、原則的にはそのとおりなんでございますが、そういう観点で、今後は予算あるいは財政政策というものを見ていく場合にも、これまで以上に国際経済との関連ということが考えられるべきではないかというのが私の考え方でございます。御承知のとおり、二、三年前までは、経済政策を考える、あるいは財政政策を打ち立てるという際に国際収支というのが一極の制約条件になりまして、国民経済拡張していく必要があるということが一方では認められながら、あまり急速に拡張をすると国際収支赤字になって、そのことによって望ましくない結果があらわれるという、その配慮から国内経済の運営が制約されるという関係でございました。しかしながら、先ほどから申し上げておりますように、今日の世界経済の中におきますわが国の力というのは、いま申し上げた制約がちょうど裏返しになったような形でございまして、むしろ国際収支黒字が大きくなり過ぎる、言いかえますと、外貨がたまり過ぎるということが世界経済の中における日本地位、あるいはもっと広く申せば、国際関係の中でのわが国の外交上の立場というようなものをむずかしくしてくる、そういう関係にまで変わっているというふうに私は見ます。そして、そのことは少なくとも今後数年の間はそういう状況が続くものというふうに考えます。したがいまして、今後は予算あるいは財政政策というものを立案していく際にも、数年前までのような国際収支の天井という制約は全くなくなったわけでございますが、逆に経済の力にふさわしい国際経済への文献ということの配慮を重視すべきではないかというふうに考えておる次第でございます。  次に、国内経済の面に目を転じますと、現在は、一言で申せば日本経済が持っている全体としての供給能力を完全には発揮していない、そういう状況になっておりますので、財政面から刺激を加えて、日本経済が潜在的に持っている供給能力をフルに発揮できるような水準需要水準を高めるということが必要であり、その点に対する配慮は今回の予算において十分になされているというふうに考えます。外国の例を引いて考えてみますと、アメリカの場合にも、昨年度及び今年七月一日以降の予算に関していわゆる完全雇用予算ということがいわれまして、アメリカの場合には現在失業が五%以上あるという意味で不況でございますが、その失業をなくなすような予算という考え方で、完全雇用になるまでは赤字財政であっても差しつかえない、あるいはむしろ赤字財政を組むことによって経済を刺激して、完全雇用を達成するということがアメリカの場合にはかられております。わが国の場合には失業は決して多くないわけでございますか、しかし、生産設備利用度、全般的に申しまして日本経済が潜在的に持っている供給能力に対して、それがどの程度現在実現されているかということを考えてみますと、やはりなお余力が残っている。言いかえますと不完全利用の状態にある、こういうふうに私は考えます。したがいまして、今回の予算において、一般会計に関しても相当規模の大きい公債の発行による歳入いうことがはかられておりますが、そういう方針はいま申し上げましたような理由で適切であるいううふうに考えます。ただ問題は、財政面から景気を刺激していく、あるいは経済拡張をはかる、もっと一般的に申せば、日本経済が潜在的に持っている供給能力をフルに発揮させるように持っていくという際に、どういうしかたでそれを行なうかということが、当然次の問題として考えられなければならないと思います。  今回の予算では財政需要重点が置かれているということでございまして、そのことは、先ほど申し上げたように非常に適切なことだと存じますが、その際に財政需要も大きく分けまして、経済基盤の拡充というような面あるいは国土保全というような面、さらには生活環境改善というような面、幾つかの面があるわけでございます。このそれぞれの側面が予算のおのおのの費目とどういうふうに対応するかということは、私どもが予算を拝見した限りではなかなか簡単には対応がつけにくいようなところもございますし、それからまた、これは経済現象一般についていわれるところでございますけれども、もともと経済的な関係というのは相互にからみ合っているので、直接の効果と間接の効果というようなものが複雑にからみ合っておりますから、どういう費目予算をふやせばそれがどういう意味合い経済効果を持つかということは、なかなか一がいには言えないというふうに私は思います。しかしながら、予算の御説明を拝見したりいたしますと、四十七年度予算におきましては生活環境改善という面におきます費目の伸びが高くなっているわけでございまして、このことも、最初に申し上げたわが国経済が今日一つ転換期に差しかかっているということから考えますと、適切な方向であろうと思います。ただ、予算重点の置きどころを移していくという問題は、これはどこの国の例を見ましてもそれほど容易でないということがあるわけでありまして、また一方から申しますと、国家の予算というようなものの内容がそうネコの目が変わるように変わっては困るということもあるわけでございますので、一方では政策を重視して、いわば機動的に財政政策が活用されるべきであるという要請がありながら、他方予算の姿というものがバランスのとれたものでなければならないということもあるわけで、こういった簡単には両立しにくいような要請予算には、ある意味では必然的につきまとっておるというふうに私、考えますが、そういうことを前提にして国内経済の面から四十七年度予算を見ますと、生活環境改善というところに重点が置かれているということが、あるいはさらにここに比重が高くなることが望ましいというふうなこともいえるかと思いますけれども、しかし、方向としては望ましい方向予算重点が置かれているというふうに私、考えるわけでございます。一般的に申しまして、国内経済活動が活発になりますならば、わが国の場合には生産資源の、原材料の輸入が多いわけですから、国内経済活動が活発になっていけば当然輸入がふえる。それからまた、内需が大きくなりまするならば、生産余力があるがゆえに輸出に振り向けられていたというようなものが国内で需要されるという関係も出てまいりますので、国内経済活動水準が高まっていくということは、それ自体としても非常に望ましいことでございますが、前段のほうで申し上げました、国際経済関係の中でのわが国のあり方という点から見ても、望ましい結果を生むように考えるわけでございます。  といいますのは、わが国貿易があまりにも大幅な黒字であるということが、諸外国に非常な衝撃を与えております。この点はしばしば、こういう貿易黒字を出しておくとまた円の切り上げがあるから困るというふうな言い方で問題にされておりますが、私自身は、円の切り上げというような点だけでこのことを考えるのではなくて、世界経済全体の中でわが国が果たしていく役割りというようなことから考えて、あまり大幅な貿易黒字とか、あまり大きな国際収支黒字ということがあるのは望ましくないというふうに思うものでございますが、その点から考えましても、国内経済活動水準が引き上げられていくということは必須の目標になるわけであります。  そういう点から見まして、今回の予算において生活環境改善というようなところに重点を置いた形での財政需要拡張ということがあり、かつまた、予算全体の立て方が生産能力完全利用という目的で考えられているという点は、私の理論的な考え方から見ましても同じ結論になる、そういう立て方というふうに考えておる次第でございます。  これで公述を終わります。(拍手)
  4. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 どうもありがとうございました。  それでは次に、小山内公述人にお願いいたします。
  5. 小山内宏

    小山内公述人 小山内でございます。  私は専門立場から、特に防御予算の点についてこれから意見を述べさしていただくことになると思います。  まず、防衛予算の問題で基本的に考えなければいけないのは、防衛予算が高いとか、安いとかという問題の先に、それが不可欠であるかどうかという点がまず重要な点だと思います。しかし、それを論ずるには基本的に、原点と申しますか、戦略全体、これは具体的に申しますと、アメリカ戦略及びその中に置かれております日本戦略的位置、そういうものを十分にとらえてやはり検討していかなければならないものだと思います。  まずわれわれが第一にとらえなければいけないのは、七〇年代から八〇年代、世界戦略体制、これは主として米ソ体制になりますけれども、一体これがどういうふうに動いていくかということをまずとらえなければいけないと思います。これはすでに一九七〇年、七一年、七二年と、アメリカレアード国防長官国防教護を出されておりますけれども、その中にかなり具体的に書きあらわされているわけです。  これを簡単に分析して申し上げますと、アメリカは七〇年代から八〇年代にかけて非常に大きな戦略転換をする、こういうことがはっきり出ております。その戦略転換方向はどういうものかというと、昨年の国防教書現実的抑止戦略ということばが出ておりますが、これは非常に具体的にそれをあらわしているわけです。それは三つの柱がございまして、一つは力、もう一つはパートナーシップ、もう一つは交渉、たいへん具体的に簡潔にあらわしているわけです。  まず、その力というのは、アメリカはどういうふうな力を打ち出していくかと申しますと、実はこの対象が、一口に申しますと対ソ戦略なんです。特にその対ソ戦略中心になるのは戦略核、こういう点がはっきりと打ち出されておるわけです。  これは御存じかと思いますけれども、一九六五年の時点で、アメリカソビエト核戦力状況というのは、大体アメリカが四対一で優位を保っている、こういうことを、後にクリフォード国防長官がはっきりと国防白書で言っておられます。つまりたいへん優位な立場に立っていたわけです。ところが、御承知のように、アメリカベトナム戦争に介入しまして、年間二百億ドルないし三百億ドルと、ばく大な戦費を使うような状況にある間に、ソビエトは急速に戦略核中心としました核戦力を拡充いたしまして、七二年現在、すでに、lCBM、つまりこれは水爆弾頭ミサイルですか、この分野ではアメリカをしのいでおる、こういう状況が出ておるわけです。それから、いわゆるポラリス型潜水艦、これもアメリカがはるかにしのいでおったのですけれども、現在の予測では、一九七四年ごろまでにはおそらくアメリカと均等になるであろう、こういう予測アメリカ側が出しておるわけです。  大体戦略核戦力の柱となりますのは、いま申し上げたlCBMポラリス潜水艦、それからB52のような戦略爆撃機、一応この三本が戦略核戦力の柱となっております。B52型は、すでにアメリカは五百四十機を一応めどとしまして整備しておったのですけれども、その時点におきまして、ソビエトB52に匹敵するものは百五十機程度しかない。この分野についての開発も、おそらく将来はミサイル中心とするあるいは宇宙兵器中心とするだろうということで、アメリカ側はそう大きな増強はないというふうに見ていたわけです。ところがソビエトは昨年、新しいバックファイアーという超音速の戦略爆撃機を飛ばしまして、たいへんアメリカ側衝撃を与えたわけです。それで、この分町においてもアメリカが急速にソビエトをしのがなければいけないということで、現在B1というB52の後継機をたいへん急いでいま開発しております。  そういう状況で、米ソ戦略核についての競争が七〇年代はたいへん激烈、熾烈に開始されている、こういう状況であるということをまず基本的に私どもはとらえているわけです。  この状況が一体どういう状況になっていくかと申しますと、私どもは、現在戦略兵器制限交渉というのが行なわれておりますから、それほど天井なしに両国が進むというふうには考えておりません。しかし、少なくともある時期に向かってかなり激しい戦略核の競争時代になるというふうには、これははっきりと言えると思います。したがいまして、アメリカは、現実に、その戦略核の増強のために、これはまた相当な予算を投入しなければならないという状況に出ているわけです。  現在、御承知のように、アメリカ防衛予算は、本年度の予算で実は八百億ドルをこえているわけです。ところが、御承知のように、ベトナム戦費というのは最盛時の四分の一に下がっている。ベトナム戦争で下がりながら、防衛予算全体はアメリカの場合上がっておる。これはどういうことを意味するかと申しますと、つまり新しい兵器の開発、特に戦略核の開発のために投資しなければならない。それから、そういう核を次々と実戦配備していかなければならない。そういう状況のために、そういう状況が出ているわけです。したがいまして、アメリカは、まず基本的に戦略核重点でいくという基本構想が、七〇年代から八〇年代の方向として定められているわけです。実は、私どもは、そういうアメリカ戦略構想の中に現在の極東戦略の構想、そういうものも出てきているというふうにとらえているわけです。  実は私は、私なりにこのアメリカ戦略転換がいつごろから始められたかという点をフォローしておったのですが、実は一九六八年ごろ、かなりアメリカでは具体的にもう七〇年代から八〇年にかけての戦略転換ということが考えられておったわけです。  その一つは、先ほど申し上げましたように、新しい戦略核の競争に備えなければいけない、こういうことを打ち出したわけです。しかし同時に、これはたいへんむずかしいことである。したがって、もう一つの方策として交渉という戦略も同時に打ち出さなければならない、こういうことをアメリカ側は構想したわけです。  その具体的な例を一つあげますと、アメリカは六八年、六九年にかけまして、アメリカ本国では、もし中国に接近した場合どういう方策をとったらいいかというような政策的な研究を戦略の一環としてすでに始めておったわけです。したがいまして、アメリカの七〇年代の戦略も単なる軍拡一本ということではなくて、どうしても交渉にもたよらなければならない、そういう状況も十分戦略構想の中に含まれていたわけです。したがいまして、そういった和戦両面の戦略の中から一つの路線が極東戦略の中に出てきたわけです。  これは御存じのように、一九七〇年に日本国内でもかなり話題になりましたハロラン論文というのがございます。このハロラン論文は、アメリカ国内ではこれはキッシンジャー構想を下書きにして書かれたものであるということもいわれておりますけれども、アメリカの極東からのいわゆるニクソン・ドクトリンによる撤退計画をかなり具体的に、もうその時点で描き出していたものです。ハロラン論文によりますと、アメリカ軍の本格的撤収というものは一九七二年から開始されまして大体七五年に一応のかっこうがつくと、こういうことを述べておるわけです。その中に沖繩の問題も当然含まれておるわけです。  アメリカが一応そういう形で一九七流年までに極東から現在の戦略体制を引いていくと、こういうことを打ち出しておるのですが、一方、すでに一九六八年の戦略構想の転換時点で、新しい戦略ラインをミクロネシアの線につくるという構想も打ち出しておるわけです。これは御承知のように、グアム鳥を中心としましたサイパン、テニアン、ロタ、パラオと、こういった島々まで含む一つの新しい太平洋上の戦略線なんですが、ここまで戦略線を下げると、こういう構想でございます。  なぜこの構想が出たかと申しますと、その時点におきましてアメリカの構想したのは、一九七〇年代にこのままいけば中国の核戦力の拡充というものはかなりのものになる。それに備えて戦略的抑止力を持つためには、一応主防衛線をそこまで下げなければいけない、こういう構想から出てきたわけです。つまり要約いたしますと、一九七〇年代にはすでにアメリカが一九五〇年から六〇年代にかけましてつくり上げましたいわゆる大陸包囲線、いわゆる三日月型防衛線ということばを使っておりますが、この戦略的価値がどうしても変わってくる、そういう視点からどうしても戦略転換が出てきた、まあこういうふうに私どもはとらえるわけです。  それはどういうことを意味するかと申しますと、つまり一九五〇年から六〇年代までに形成しました日本から沖繩、台湾、フィリピン、インドシナ、このたいへん長い防衛線が、実は一九七〇年代から八〇年代にかけます世界戦略体制の変化によって、これまでとは違った形にならなければ戦略的な価値がなくなってくると、こういうことなんです。つまりこれは、簡単に申しますと、中国がかりにミサイルを配備した場合、このミサイルの配備が、七〇年代の中国のミサイル配備の予想から申しますと、少なくとも射程二千キロから二千四百キロのミサイルが配備される、そういたしますとこの日本列島及び台湾、フィリピン、インドシナ、これは全部ミサイルのいわゆる制圧圏に入ってしまうわけです。そういたしますと、米軍自体がここにたくさんの兵力、兵器、基地を置いておきましも、実は中国に対してもソビエトに対しても――まあソビエトも当然なんですが、戦略的抑止力としての価値をなくしてくる。したがいまして、一応そういう圏外にのがれることが、これは再び戦略的な抑止力の回復になる、これは戦略的な構想の基本であったわけです。  したがいまして、私どもは、このアメリカ戦略的な構想の変化を十分にとらえて、七〇年代から八〇年にかけての極東の軍事情勢というものを考えていかなければならないと思います。アメリカがなおその戦略構想の中でどうしてもソビエトとの軍備競争、これがどこまで行って天井に来るかわかりませんけれども、これをしなければならないという構想を出しておったのですが、しかし、アメリカといえども一体ソビエトがどこまで軍拡をしていくかわからない、それをアメリカ側がどこまでも競争をするということは、たいへんむずかしいという点も実ははじき出しておったわけです。  なぜかと申しますと、現在でも核戦力の拡充にはたいへんばく大な軍事費がかかります。一例をあげますと、六〇年代の半ばまでに建設いたしましたlCBMの総合的な軍事投資というものは三千億ドルに近い、こういうたいへん大きな費用を投入しなければならないわけです。七〇年代の核戦力の一環として現在ABMというものの配備が進んでおりますけれども、これが戦略的価値を持つまでに完全に備えますと、どうしても軍事投資が最低で見積っても四百億ドルはかかる、こういう数字まで出しておるわけです。したがいまして、ソビエトとの競争でもこれはなみなみならぬ軍事費の投入というものを想定しなければならなかったわけです。ところが一方において、七〇年代には中国の核戦力が伸びるであろうという想定があるわけです。したがいまして、中ソをともに相手にしまして、アメリカといえども戦略核を十分築き上げることはまず非常に困難であるということをアメリカ側がとらえたわけです。したがいまして、戦略的にたいへん不利な二正面作戦を避けるために、中国接近というものを戦略的にはかったというのが私どもの分析でございます。  この分析が私どもはそう間違ってはいないというふうに考えておるわけです。したがいまして、アメリカが一方では中国に接近をはかる。中国に接近をはかるということは、アメリカが、先ほど申し上げました六〇年代までに築き上げました極東防衛線というものをかりに後退いたしましてもアメリカにとって脅威ではなくなるわけです。つまり、この日本列島からインドシナ半島に至ります長大な三日月型防衛線は、主として中国包囲戦略に基づいてつくられた防衛線であるためなのです。したがいまして、米中接近をはかることによってアメリカかそのラインからかなり軍事力を撤収しても、そう早急な脅威が生じないという判定のもとにこういう方策が打ち出されたというふうに見るべきであるというふうに思うわけです。  したがいまして、そういうアメリカ状況の中では、当然日本の位置というものも変わってくるというふうに私は思うわけです。しかし、ここでたいへん興味深いのは、アメリカがすでに六八年から構想いたしまして七〇年代に展開しようという戦略構想、それは先ほど申し上げたようにアメリカの軍事力自体は後方に一応下がっていくという形をとるのですけれども、そういう構想を打ち出しながら、一方では、御承知の日米共同声明路線というものが打ち出されております。これは御承知のように、日本の防衛分担というものを少なくとも朝鮮半島あるいは台湾海峡にまで及ぼしたい、及ぼしてほしいというアメリカ側の要望と、日本側もそれは日本にとっても安全に関係することであるから分担をいたしましょう、これが日米共同声明路線の中の、私どもから見ますと新しい極東戦略一つの路線であったというふうに見るわけです。しかし、アメリカが引きながらなぜそういう路線を打ち出したか、これがレアードの昨年の特に現実的抑止戦略の中にはっきりと出ておるわけです。つまりこのパートナーシップ、同盟諸国の協力のもとにアメリカ戦略線から引いてもそれをあとを埋めていく、つまりこれは、レアード戦略の中には総合戦略構想というのが出ておりますけれども、これは簡単に申しますと、その同盟諸国からの人的あるいは物的の資源を提供してもらうことによってその新しい戦略体制をつくる、こういう構想が打ち出されているわけです。それをアメリカ自身がすでにこの日米共同声明路線の中で日本側にはっきりと要請したわけです。しかし、これは現実状況と私はたいへん複雑なからみ合いがあると思います。と申しますのは、アメリカが、御承知のように米中会談で幾つかの合意した項目をあげておるのですが、その中に平和五原則が含まれておるわけです。この平和五原則というのは、お互いの領土保全、不可侵、こういうことがはっきりと打ち出されておるわけです。したがいまして、米中の接近というものはかなり平和戦略重点を置いていく、こういうことがはっきりと打ち出されておるわけです。したがいまして、一方では軍事戦略、新しい戦略体制を極東につくるとはいっておりますけれども、アメリカの少なくとも極東における構想の基本は、やはり平和戦略に傾かなければならないのではないか。一方にソビエトというたいへん強大な新しい競争相手を想定した以上、これは当然アメリカとしても打ち出さなければならない一つの姿勢であったというふうに見るわけです。したがいまして、アメリカの基本構想というのは、私はすでに対中緊張あるいは対立というものを脱出しようという少なくとも方向を打ち出していると思うのです。一方では、たとえソビエトに対して軍拡競争をもってこたえなければならないとしても、中国に対してはどうしても一応平和姿勢でいかなければならない、こういう構想がその中に含まれているわけです。したがいまして、私どもは、アメリカの極東戦略体制というものを単に日米共同声明路線の中にあらわれている形の軍事的なあり方だけでとらえるのではなくて、アメリカのより深い外交戦略を含めました七〇年代のアジア戦略、こういう姿勢をもってとらえていかなければならないと思います。  ところがこの状況の中で、実は私どもは非常に考えなきゃいけないと思うのは、日本の防衛問題が、はたしてそういうアメリカの七〇年代から八〇年代への戦略構想の転換の中で一体変化が行なわれているのかどうか、そういう状況を十分くみ取っておるのかどうかという点がやはり一番考えなければいけない問題だというふうに考えるわけです。  御承知のように、現在皆さん方の手で四次防の問題がたいへん重要な問題として取り上げられております。特に四十七年度防衛予算の問題はたいへん国会でも論争の的になりましたけれども、私ども市民の中で仕事をしている人間が感じたところでも、実はこれはよかれあしかれ国民の中に、防衛問題というものを真剣に考えさせるたいへん重要な動機になったということはいえると思います。私などもいろいろな機会に一般の市民の方に接しますと、まず質問の出るのはこの問題なんです。したがいまして、私どもはこの問題を、かりに一つの災いであったとしても、これは福となる方向をやはり皆さん方が十分打ち出していただきたい、前向きの方向へ打ち出していただきたいということを、市民の一人として私はお願いするわけです。  さらに、たくさんいろいろの問題が含まれております。しかし、私の立場から申しますと、四次防路線というものはすでに何か一般には既定の予算だというふうにとられておりますけれども、そういうアメリカの非常に大きな極東戦略というものが変わる時期に差しかかりまして、それはやはりもう一ぺん真剣に、詳細に検討してみるべきではないか、またその必要もあるのではないかというふうに考えるわけです。特に四十七年度の予算先取りの問題というふうに新聞紙上では伝えられた問題の中で、四次防のすでに先取りの問題があるのじゃないかという問題がいろいろ指摘されておりました。いろいろすでに御指摘のように、RFの問題あるいはC1の問題T2の問題がございます。こういう具体的な問題は、非常に明確にいろいろな措置と回答が出ておるのですけれども、私どもはまだ、たとえばこの四次防全体に関連しましても、研究開発の問題はやはり十分御検討願いたいと思うのです。  つまり、なぜかと申しますと、大体防衛力整備計画には必ず研究開発という問題が出ております。今度の四十七年度の予算の中にもそれが出ております。つまり、これは実は率直に申し上げまして、まだ決定されない次期の防衛力整備計画の中における兵器の開発にすでにある形で着手していく、こういう形になるわけです。ですから、それだけに、こういうまだ決定されない次期あるいは次々期の兵器に対する研究開発というものが、はたして先ほど申し上げたような長期の戦略の中で不可欠なものであるかという点をやはり十分検討していただくことが、実は私ども一般市民、国民にとってはたいへん関心のあることなんです。今度の四十七年度の予算の中にも実は研究開発費が入っております。これは大蔵省主計局でつくられました修正後の説明書なんですけれども、この中に研究開発費というのが項目に載っております。この研究開発費という項目の中には、四次防の原案にありますように、たとえばAEW、次期の対潜哨戒機、こういうテーマが入っておるわけです。したがいまして、実は先ほどあげました三機種以外にもこういう問題点がまだ含まれておる。私ども国民として、どうしても防衛計画として不可欠なものをやみくもに認めないというのではございません。しかし、それがあくまでも、先ほど申し上げたように七〇年代の戦略、つまり長期戦略にとって不可欠なものであるかどうか、それから状況の変化に従っているものかどうかという点を十分検討していただきたいというのが私どもの希望でございます。(拍手)
  6. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 どうもありがとうございました。     ―――――――――――――
  7. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 これより両公述人に対する質疑に入りますが、質疑の通告がありますから、通告の順序に従ってこれを許すことにいたします。  まず、森田重次郎君。
  8. 森田重次郎

    ○森田委員 嘉治公述人に対して、簡単でございますが、御質問申し上げたい。  それは、今度の予算は思い切った大きい額を見積もった予算だ。大体大きい目的の一つが、景気浮揚の目的がその一つに考えられている。そこで、大体いつごろ一体いまの情勢でいって景気浮揚の効果が出てくるだろう、この見通しについてひとつお伺いいたしておきたい。  それと関連して、予算の通過がおくれるということは、私はある意味において相当大きい打撃を与えるのではあるまいか、こういうふうに考えておりますので、予算が一月なりあるいは二月なり、おくれて通過するということになれば、それの景気浮揚に及ぼす影響、この点についてひとつお伺いいたしたいと思います。
  9. 嘉治元郎

    嘉治公述人 ただいま来年度予算が景気浮揚ということに関してどれほど有効であろうかという点に関する御質問がございましたのですが、最初にお断わりしておきたいのは、経済予測をする場合に、タイミングに関する予測というのが一番むずかしいということでございまして、どのくらい効果があるだろうかという予測はできても、それがいつごろ出てくる、だろうかという予測のほうは、効果の大きさの予測以上にむずかしいということを最初にお断わりしておきたいと思います。ですから、私が申し上げますことも決して一〇〇%確実だと私自身が思ってお答えするのではないということを、申しわけございませんが、あらかじめお断わりしておきます。  それで、今回の予算に関して、これは明らかに景気の浮揚を目ざすものでございますが、その際に一体景気というものを何ではかるかということも明らかにしておきませんと、効果のあるなしとか、それからそれがいつ出るかということについても、厳密な議論はできないのではないかというふうに思います。一般には、企業の利潤が大きく出ているときに景気がいいといって、その利潤が減ってまいりますと不景気だというような言い方がなされておりますし、他方経済理論と申しますか、経済分析観点から見ますと、実質生産が拡大しているときが景気がよろしい。わが国の場合でありますと、実質生産が絶対水準で下がるということは戦後ほとんどないわけですけれども、その伸びが著しく鈍化した場合に景気が悪いということにもなる。大きく分けてもこの二通りの見方があると思うのでございます。それで、おそらくいま申し上げたあとのほうの実質の生産が伸びていくという面から見ますと、確かに昨年はその伸びが著しく鈍化しておりまして、その意味で景気が悪かった。それに対して、これはもちろん今回の予算のあり方だけの影響ではないわけですが、四十七年度の実質生産の伸び方は四十六年度よりは高くなるであろう、そういうふうに考えますので、その限りでは景気浮揚の効果があると申し上げてよいと思います。ただ、先ほど申し上げた前者のほうの基準といいましょうか、民間企業の利潤が高くなっていくかどうかというその判定基準で考えた場合には、これは私は必ずしも楽観しておりませんで、かりに実質生産は伸びていっても、はたして高い利潤の出るような状況が近い時期に来るかどうかについては必ずしも楽観しておりません。ですから、まず最初にお断わりしたいのは、判定基準いかんによるわけですけれども、実質生産ということであれば景気はだんだん回復していくであろうということでございますが、さらにそのタイミングに関しましては、これが夏からであるとかあるいは秋に入ってからであるというふうにあまり時間を切ることは客観的分析の結果として申しにくいので、御容赦いただきたいと思います。  それから第二におっしゃいました予算の通過がおくれることの影響という問題でございますが、これは確かに予算の通過がおくれ、それに伴って現実の支出が、財政からの支出がおくれれば効果がおくれることは申すまでもないと思います。ですが、それがどのくらいのいわば景気浮揚という観点から見て悪影響が出るかということは、これは申すまでもなく、暫定予算も組まれるわけでございましょうし、そういう中で、どこまでの支出が完全に暫定予算によって、ほぼ本予算が成立した場合に比べまして、どのくらいずれが出るかということに依存している、そういうふうに考えるわけであります。  よろしゅうございますでしょうか。何か不十分かと思いますが……。
  10. 森田重次郎

    ○森田委員 次に、小山内公述人に対しまして、二、三お伺いいたします。  戦争という観念でございます。旧来、戦争哲学など研究してみましても、戦争というものは、大体十人戦争に臨むと三人か四人は死ぬだろう、しかしあとの者は帰れるのだ、そして、何か戦争の効果をうけることができるんだというような蓋然性の上に戦争というものは成立するものだ、これが旧来の戦争哲学の考え方であったと思うのです。   〔委員長退席、大坪委員長代理着席〕 ところが突如として第二次世界戦の際に核というものが出てきて、日本最初の影響を受けたわけでございます。これはたいへんなことだ。したがって、戦争というものの考え方は、いままでの哲学ではもう考えられなくなった。というのは、戦争に従事する者が死ぬだけのことではないんだ。あとに残っている者も死ぬんだ。つまり民族全体が場合によっては滅亡するという危機も包蔵される。しかし、その受けた国だけではなく、核が双方とも発進してくるというと、これは双方やられるの、だから、人数が絶滅するのだ、危機だということはよく提起をされていることなんです。そこで、この人間の競争意識というもの、権力意思の闘争という点等から考えるというと、これを無限にこの方向へ発展していく危険性なしとせない。しかしこれは一定の極限がなければならない。ところがいまの第二次戦争後の世界の大勢を見ると、戦いに勝ったものが指導国で世界を抑えている形だ。これは戦いに勝ったものというものは、自己反省をやらぬ。常に自分の特徴として勝ったという前提の上に立ってさらにこの姿を延長していこうと考えるものである。したがって、いまの世界を抑えている国々の方々に世界をまかせておいたならば、これはもう必ず人類は滅亡する方向へ行かなければならないもののように考えられる。そこで、どうしてもここで戦争観というものを根本的に変えなければならない、これは識者の間に新しいものの考え方として生まれてこなければならない時期に到来している。滅亡かしからずんば万人救済の原理かという岐路に立たせられている。したがって、戦争観というものを全部変えていかなければならない。いな核戦争というものは戦争という名に値しない、こういう説があるのですが、一応これに対してどういうようなお考えをお持ちになっておいでになるかひとつお伺いして、それから次の問題をちょっとお伺いしたい。
  11. 小山内宏

    小山内公述人 現実防衛予算の問題も、実はこういう原点から考えていくということも私は非常に重要だと思います。まず第一に、御指摘になりました前線と銃後が第二次大戦後なくなっておるという御指摘はまことに正しいと思うのです。特に核戦略から申しますと、もう前線も銃後もございません。御承知のように、アメリカの核戦略体制というものは、私は核のほうは多少専門で、つぶさに研究いたしましたが、とにかく私がこうやってしゃべっている間でも二十四時間、つまりミサイルの発射基地ではスイッチの前に必ずその要員が二十四時間三交代で詰め切っておりまして、いつでも発射できるという体制になっております。しかも米軍の主要基地というものはほとんど地下にもぐっております。御承知のように最大の地下基地の例をあげますと、コロラドスプリンクスにございますNORAD、北米防空令部ですが、これなどは頭の天井が山ですから五メートルもございます。こういうトンネル陣地の奥に、二キロほどトンネルがありますけれども、その奥に鋼鉄でビルディングをつくった中に司令部がおさまっております。つまりそれまでしなければ、核戦争を想定しますと生き残れない、すでにこういう状況にあるわけです。したがいまして、核戦争というものをまず考えますと、これはもう前線も銃後も全くないというのは御指摘どおりだと思います。現にアメリカは、御承知のようにマクナマラ国防長官がこの核戦略の分析の中で実証破壊という数字を出しております。お互いに核戦争をしたら一体どの程度生き残れるかどうかというのですが、これの当時の計算でも、米ソが全面戦争をいたしますと、アメリカは少なくとも三分の二は犠牲になる、したがって、生き残るのは六千万人程度である、しかしソビエトには一億人程度の損害を与えることができる、こういう数字を出しております。しかし私どもの少なくとも常識的な計算ですと、アメリカは約三億の人口が三分の二全滅した場合、はたしてこれが生き残ったという形になるかどうか。それからその後アメリカが復活できるかどうかという点を、私どもはやはり現実的な問題として取り上げなければならないと思うのです。しかしその辺が、いわゆる机上の戦略家と私どものように生きた形で戦略問題を考えようとする人間の違いがそこで出てくると思うのです。御承知のハーマン・カーン氏は、六千万人生き残ればアメリカは十年以内に回復できる、こういうことを言われております。しかし私のほうはそういう計数ではない。もし全面戦争が行なわれたら、六万人残ってもなかなか十年というような歳月では復興できない、こういうふうに考えております。したがって、これからの戦争観というのは、御指摘のように、全くこれまでの戦争観と異った考えを持たなければいけない。つまりこれまでは、これから出てくるものはとにかく戦争に勝てばいいという思想、それからとにかく国を守ればいいという思想、こういう二つの思想があったと思うのです。しかしいまや核戦力ばかりではございません。通常戦力そのものも非常に発達しておりますから、通常兵器が。こういうものが大量に使われますと、核にひとしい打撃を一般当事国は受けなければならないわけです。具体的な一つの例をあげますと、現在ベトナムで七トンという爆弾が使われております。これは爆発をいたしますと、大体半径五百メートル周辺はけし飛んでしまうわけです。つまり言うなれば、小型の原爆とほとんどひとしい威力を持っておるわけです。通常兵器の中にそういうものがすでに出ているわけです。したがいまして、核を使わなければ戦争の災害が小さいのではないかというふうな考え方は、戦争の規模を非常に大きく考えた場合、そういう甘い観測は成り立たないというふうに私どもは考えるわけです。したがいまして、これは滅亡かどうかという点は極端な一つのたとえだというふうに私も思いますけれども、しかし滅亡的に近い打撃を、現在ベトナムではそういう通常兵器で与えておるわけです。  そういうことから戦争に対する考え、私どもはやはり変えなければいけないというふうに考えるわけです。私どもは決して単に心情的な意味で戦争をやってはいけないというふうに考えるのではなくて、現実の兵器あるいは戦略体制がもたらした結果の戦争というものは、実は私どもは私どもなりにかりにたとえばコンピューターまで利用していろいろ計測をいたします。そうしますと、現在の兵器で戦争して少なくとも利益になるというは非常に少ないということですね。したがいまして、私どもが考えなければいけないのは、実に国防ということば自体が変わっていかなければいけない。つまり国防、ディフェンスということばが使われておりますけれども、これまではディフェンスというのは主として軍事力を増強することによって国防を成り立たせる、あるいは軍事力を行使することによって国防を成立させる、こういう考えがそこに盛り込まれていたわけです。しかし現在そういう核兵器を頂点とします非常な兵器の発達によりますと、もはや軍事力だけによる国防というものは非常に困難になっているというふうに私どもば考えなければならないわけです。したがいまして、ディフェンスということばよりも、アメリカがしばしば使っておりますセキュリティー、つまり安全保障ということばのほうが正しいのではないか。安全保障ということばの最も延長した形は、いかにしたら戦争をしないことであるかということを私どもは考えるわけです。ですから私どもは、単に抽象的に戦争をしてはいけないという心情的な立場というよりも、冷静に世界の軍事力あるいは軍事情勢というものを分析した結果、やはり安全保障というものはどうあるべきかという立場から考えるわけです。したがいまして、御指摘のように、戦争観をまず変えるということ、それから国防という考え方も、現代の科学の時代には、それに沿った考えでやはり構想を変えていかなければならないのではないか、そういうふうに考えるわけです。
  12. 森田重次郎

    ○森田委員 大体御意見ありがたく拝聴いたしました。  そこで、アメリカ世界中心勢力だということば否定できないことだ。ソ連、さらに中共が核を持ってこれに臨んできておる。この三極関係というものが当分世界を押えていくのだろう、こう考えられます。そこで、この国々の抱いている人生観、いまの世界観、人生観を変える必要があるという前提の上に立っての質問なんですが、この国々の抱いている思想というものは、やはり対立的権力闘争の人生観の上に立っている、私はこう見るのです。ジョンソン大統領が「偉大なる社会」という本をお書きになって、私も少し読んでみたのですが、要するにあの根本思想というものは何かというと、力の均衡の中に世界平和があるんだということなんです。これはいま申し上げた三つの国の思想を代表している思想だと私は見るのです。こういう対立的人生観あるいは権力意思の闘争というようなものを前提としていく人生観、これがつまりいままでの人生観だ。特に思想的に申し上げると、やはり西洋的人生観と言っていいのではないかと思います。しかし日本などもこの思想に同調して、第二次世界戦争などに参加したわけになりますから、東洋、西洋ということばでこれを区別するということは少し問題があると思います。しかし代表的な意味において、この対立的闘争人生観というものを西洋的と言うことを許されるならば、この人生観ではやはり最後は核の戦いへいく危険性がある。だからこれを是正する意味において、人類全体の立場から新しい人生観で、人類はかく生くべきもであるのという思想がいま出てこなければならない時期だと私は考える。  幸か、不幸か日本は戦いに敗れた。そして核の問題については発言権を持っていない。そこで敗れたるものの中からほんとうの思想が出てくる。これはいままでの世界の歴史をひもといてみても、戦いに勝ったものはおごって必ずこれは滅んでいく経路をたどるものなんです。そこで、日本などのとっている立場から、新しいそういう人生観、世界観をここで創造していく時期がきているんじゃないか。日本民族はここに大きい思想的大転換をして、人類全体に対して新しい生き方を提唱する役割りを持っている、いな持たねばならぬ、私はこういうふうな考え方なのですが、これに対してどういうようなお考えをお持ちですか、ひとつお伺いいたします。
  13. 小山内宏

    小山内公述人 私どもはたいへん、そういう一見哲学的な作業と縁が遠いように考えられやすい立場にあるのですけれども、しかし私どもは非常に具体的なそういった軍事力の計量的な研究をしていると同時に、軍という問題はやはり人間として哲学的に考えていかなければならないんじゃないかというふうにいま考え出しておるわけです。つまり、かつてのように、力と力だけの問題として取り上げている限り、この人類にとって悪循環は永久にとまらないのではないかというふうに私どもは考えるわけです。  ところがアメリカあたりはいまだに力と力の均衡、アメリカという国はたいへん即物的で合理的な国ですから、どうしてもそういう思考方式が出てくるのは当然だと思うのですけれども、しかしやはり世界は広うございまして、いろいろな異なった思想の形が出ておると思うのです。  敗れたるものからの思想という御指摘があったのですけれども、たとえば私はそれの一例をスウェーデンに見るわけですスウェーデンという国は、御承知のように、前世紀においては非常に戦争を続けておった国です。しかしその戦争によって、やはり戦争というものを一ぺん見直さなければならないという時期に遭遇した後は、現在の御承知のような永世中立という形をとっております、しかし、しばしば日本では永世中立国であるけれどもあれだけの軍備を持っておるじゃないか、確かに私どもの一つの判定では世界でも、つまりA、B、Cと分けますと、Cクラスの軍事力を持っております。Cクラスというのは核を除いた近代的な軍事力を持っているという意味なんですけれどもしかしその体質がかなり違うわけです。つまりスウェーデンの場合をとりますと、いかにして戦争をしない方策を中心にするかという点で、たとえば軍艦も遠洋航海をなるべくしないような軍艦をつくる。つまり沿岸警備を主体とするあるいは飛行機も局地戦闘機を主力にする、そういう具体的な形を近代兵器の中にも打ち出しておるわけです。特に守るということを先決にしておりますから、たとえば市民防空ごうといったもの、つまり市民の生命をいかに安全に保護するかという点で、御承知のように国民の地下化と申しますか、つまり防空ごうの完備という方策をかなり重要な戦略として打ち出しているわけです。つまりいかにして戦争を避け、戦争の被害からのがれるかという点を常にスウェーデンの場合考究しておるわけです。したがって、遠くに出ていく必要はございませんから軍艦も比較的小型ですし、さらには守る、つまりできるだけ戦争しないということを主体としておりますから、スウェーデン特有のフィヨルド、あのがけを掘りまして軍艦がその中にすっぽりトンネルの中に入ってしまう、こういった形までとっておるわけです。これもそういった思想から出た一つ戦略構想だと私は思うわけです。しばしば日本の場合一次防あたりまで、この四次防の構想にも若干それが入っておるのですが、たとえば中国を非常に脅威と見る、まあはっきりと四次防ではいっておりませんけれども、一つの脅威と見るという見方が出ております、しかし私は中国を訪問して感じたのですが、中国は日本にとってそういう意味では脅威の国ではないとい現実を、私は私なりにこの目で見てきたわけです。なぜかと申しますと、しばしば中国の軍事力は非常に強大であって日本に脅威を与えるということをいわれておるわけです。確かに中国は二百四十万という、これは最近では二百五十五万ぐらいだという数字も出ておりますけれども、こういうたいへん大きな陸軍を持っております。世界最大の陸軍です。しかしこの陸軍が、私どもの調べたところでは、師団一位にとりますと、日本の自衛隊から見ますと、戦力は少なくとも四分の一以下である、そういうふうに判定できる程度の師団です。ですから実力としては、一個師団ずつとりますと、中国の師団よりも自衛隊の師団のほうがはるかに強力であるということさえ言えるわけです。しかも二百六十五万と申しましても、日本の国土の二十六倍の非常に広い国土にそれが展開しております。したがいまして、単位面積からいくと決して日本の自衛隊が弱いものではない、そういうふうに計測できるわけです。しかも近代兵器の点においてははるかに日本の陸上自衛隊のほうが完備しております。したがって、そういう点から見ましても、中国が日本の脅威になるという点は数字の上だけであって、実質的な検討が不足しておるんではないかというふうに私どもは考えるわけです。しかもその中国はできるだけ戦争をしない方策を実は概略に打ち出しているという点は、これは私なりにとらえてきたわけです、その一つの証左としては、いわゆる全国民の地下化と申しますか、とにかく戦争に備えて地下にもぐろう、こういう方策を第一に打ち出しているわけです。しかし、こういう形は実はたいへん防衛的なんです。つまり強力ないわゆる攻撃型の軍事力を持つことは一見防衛には強いように見えますけれども、しかし国土がかりに攻撃された場合は、いわゆる一般の国民は全く裸のままそこに放置されなければならないわけです。しかし中国の場合、そういった師団の強化をやる前に、国体をいかにして外からの攻撃から守るかという点をまず主眼に置いているわけです。したがいまして、都市ではたいへん完備した地下ごうをどんどんつくっておりますし、農村へ参りますと備蓄用の倉庫を兼ねて地下に倉庫をつくっております。しかし、これは同時に実はこういう形になりますと外へなかなか攻めていけないということになるわけです。これはスウェーデンの場合もそうですけれども、軍事力が地下にかりに国民と一緒にもぐった場合、これは外征型にならないわけです。つまり外征型の条件と逆行するわけです。したがいまして、そういう形の軍事力というものが中国に存在しているという現実もあるわけです。この現実の中国の軍事力というものは、いま御指摘になったように、いままでの西欧的とはまた別個の、とにかく自分の国だけを守る、よそのことは全く関知しない、よそから来たときだけみずからを守る、こういう基本的な思想から私は出ているというふうに思うわけです。ところが、先ほど御指摘にたったように、西欧的な軍事思想からまいりますと、国を守るということは敵をたたくということ以外にないわけです。したがいまして、その延長線には領空、領海を守るという三次防までの構想かございましたけれども、四次防の構想になりますと、今度はたとえば具体的に申しますと、南鳥島から尖閣列島までのたいへん広大な海域を他国の原子力潜水艦の跳梁ばっこを許さないとか、あるいは航空優勢、制海というようなたいへんいわゆる進攻型の防衛思想しか出てこないわけです。さらにそういう思想が進んでいきますと、これは西欧の思想ですけれども、どうしても自分の国を守るためには先に敵をたたかなければならない、こういう思想が出てまいります。こういう思想の延長線にはどうしても核武装までしなければならないという思想が出て来るわけです。したがいまして、私どもはいま御指摘のように、この西欧型の軍事思想をもう一ぺん十分検討しなければならない自期にきている、そういうふうに私も考える次第です。
  14. 森田重次郎

    ○森田委員 どうも若干私の質問はあなたの専門と食い違うところがあるように思いますが、しかし結論は大体共通のようでございます。たいへん参考になりましたが、ただ誤解を招くおそれがありますし、西洋思想をただ単純に否定するというような意味にとられると困りますので、今日の物質文明をここまで持ってきたのはまさに西洋的科学思想からきた技術化の点にありますので、私はやはり人生観の一つ方向としてこの価値は認めざるを得ないし、また認めていい、こう考えるのであります。ただ、ここまでくれば、西洋文明の結晶は何としてもこれは核だと私は思うのです。これを産んだということは、西洋文明の一つの結論だと見ていいじゃないか。そこで人間が核のようなものに左右されないで、これをどう人間の本来の生活に活用するかという点へ方向づけしなければならないという点でひとつ考え直していいだろうという意味なんですが、ただ最後に一つ、実はどの人でもみんな平和を説く。どこの国でも平和を説く。愛を説く。特に宗教家は愛ということを言う。しかし、愛と簡単に言いますけれども、愛にも二色ある。これは宗教的に見てもそうなんです。一つは、自分を信ずる者を愛するのだ、信じない者は排撃するのだ。これはやはり宗教で愛と平和を説くけれども、ほんとうの意味の愛だとは私は考えられない、こう考えて、これを前提にしてもう一つだけ御質問申し上げたい。  私は世界をずっと回って、ベトナムからほとんど回らないところがないほど回りました。それからその前に、前提としてアーノルド・トインビーの思想をある程度読んだつもりでございます。ところが、あの人の最後の結締の中にこういうことが出ております。キリスト教は世界救済の原理にならない、こういう結論が出ています。純粋なクリスチャンです。しかし、彼の究極の結論はそういう結論になっておりました。この問題をひっさげて、世界の学者はどう見るだろうと思ってチュニジアに行ってみました。これはカルタゴに若干興味を持ったものですから、あそこの大学へ行って大学教授に会いました。哲学の先年なんです。その先生に会ってたまたま談がそこへ及んだわけです。そしてトインビー先生がこういうようなことを言っているのだ、私はやはり世界観、人生観を変える必要があると思うがということを前提にして、こういうトインビーの説があるのだが、あなたはこれに対して一体どうお考えになりますかという批判を請うたわけです。そうしたら、その人はいや実はトインビー先生は私の先生なんだ、こう言う。しかも私はマホメット教の信者なんだ、こう言うのですよ。これは御存じのとおり、マホメット教もキリスト教もともに神と愛を説きますけれども、自己を信ずるものは愛するか、信じないものはやいばをもってやってもいいのだというような意味を包蔵している一つの宗教哲学的傾向を持っているわけなのです。そこでそういう質問を試みてみたら、そういうようなお答えなんです。そして、私もまたトインビー先生と同じ考えを持つ。キリスト教が一つの対立的なものを持っている意味において、これはどうしても世界救済の原理にはならないように思う。同時にマホメット教もまたそうだ、こう言うのですよ。自分はマホメット教の信者なんです。新しい時代が来たのだ。旧来のこういうものはここで変えなければならないものだというような意味の説明なんです。   〔大坪委員長代理退席、委員長着席〕 そこでしからば、これにかわる世界救済の原理になる思想はどこにどういう形であなたあらわれると思いますか、こういう設問を繰り返してみた。そうしたら、その教授がいわく。実は、私もあまり研究していないので断定的なことは言い得ないが、インドの国で発進した禅のようなものから新しい救済の原理が出るのではないでしょうか、こういう断定的ではありませんが、ひどく暗示に富んだ返事をいただいてまいりました。  私は、その意味において東洋の中に存在しているこの大乗の哲学などはもう一ぺん掘り起こして、そしてこれを最近の科学的な検討にそういう線で加えて新しい姿で、世界救済の原理なり指導方針、指導的思想というものが生まれてくるのではあるまいか、こう実は考えて帰ってきたわけです。私は私なりに一つのものを持っておりますけれども、きょうはそういうものに触れる場面でございませんからこれで打ち切りますが、これに対して先生の感想をお伺いして、私の質問を打ち切りたいと思います。
  15. 小山内宏

    小山内公述人 まず最初に西欧型ということで先ほど私も発言したのですが、私は西欧文明そのもの全体を否定する立場ではございません。やはり評価すべきものは評価すべきものだというふうに考えております。しかし、軍事思想に限っては西欧型の軍事思想というものは、今日たとえば顕著にベトナムにおいて行き詰まりを生じているという現実は冷静にとらえて、西欧型草市思想の一つの行きどまり点であるというふうに冷静に分析すべきだと思うわけです。  たいへん重要な点を御指摘になったと思うのですけれども、東洋的思想などがこういう防衛問題に出てまいりますと、それは精神主義であって、全く役に立たないのではないか、実際の戦争の場合。そうおっしゃる方も出てくるのは私は当然だと思います。確かに現実の社会というものはそういう精神主義だけではなかなか単純に解決できない面が私は多いと思います。しかし、最近の世界の趨勢を見ておりますと、もはや単なる力だけではやはり問題が解決しないということ。そして世界の評価は変わり出しておると思うのです。現にニクソン自身が中国へ参ったということ自身も、やはり力だけではだめだ、何かほかのものを模索しなければならないという一つの証左ではないかというふうに私どもは考えるわけです。しかし幸いなことに、私どもは東洋的思想というものを伝統的に身につけておる部分が非常に多いものですから、ニクソンさんより先にそういう問題点の到達点に近づける可能性を持っておると思うのです。したがいまして、そういう日本人の有利な点を生かして私は前に進んでいかなければならないと思うのです。日本の防衛問題も私は非常に重要だと思います。とにかく防衛問題というのは国民全体で考えていかなければならない非常に重要な問題だと思います。したがって、大いに皆さんで考えていただきたいし、また私ども考えなければいけないと思います。しかしその場合、そういったいままでの西欧型の思想で一体日本が防衛できるかどうかという点を、この際じっくりとやはり考え直してみる必要があると思うのです。  この機会ですから率直に私申し上げますけれども、日本の防衛構想について私は私なりに幾つかの質問を常に用意しておるわけです。つまり三次防、四次防というふうに日本の防衛構想が進んできておりますけれども、一体その防衛構想の基本になる戦略は何かという点、それからその戦略現実に沿っておるのかどうかという点が私どもとしてはたいへん不満足だというのが実は現状なんです。なぜかと申しますと、周辺の脅威に備えるとかいろいろなことばは使われておりますけれども、私どもから見ますとたいへん抽象的であって、具体的な脅威とかそういうものはほとんど感じられない。私どももっと具体的に分析するわけです。それではかりにソビエトと戦争した場合どういう戦争になるか、あるいは中国と戦争した場合どういう戦争になるか、こういうことを具体的にいろいろな形で計測しております。そうしますと、どういう場合でも、日本の少なくとも現在の軍事力一辺倒の防御構想では日本を守れないという結論しか出てこないのです。これは単なる心情的とか単なる平和主役思想ということでなくて、即物的に計算しても出てこない。たとえばいろいろ防衛庁長官その他の御発言を私は読んでおりますけれども、核は使われないであろうという一つの前提がまず出てくるわけです。しかし、これは私どもから見ますとたいへん非現実的ではないか。なぜそれでは核が使われないかという点についての具体的な御説明がないわけです。  それから、もっと具体的な例を申し上げますと、たとえば航空自衛隊の一つのデータには、ソビエトと開戦した場合、大体ソビエトの極東空軍は五百機で進攻してくるであろう。そうしますと、在日米軍機と日本の航空自衛隊機と合わせて迎撃すれば、大体七〇%までは阻止できるという数字を出されております。ところが私どもが現実に計算しますと、ソビエトの現有機というものは二万機をこえております。ところがその計算の基礎になっておるのは、極東にある動かせる空軍だけを常に一つのめどに考えられておるわけです。ところが現実の戦争になった場合、ロシア人というものはたいへんわれわれの意表をつく国民だということを忘れてならないと思います。日露戦争のときも、日本の参謀本部は、シベリア鉄道の輸送能力を計算しまして、これならばこの程度しか軍事物資が来ないであろう、兵力が来ないであろうという計算をしたわけです。というのは、シベリア鉄道の往復の入れかえですね。戻って途中で入れかえてくる車両のスピード、積載量を計算して、この程度の増援だという計算をしたわけです。ところが現実には、ロシア人はどんどん列車を運んできて片っ端焼き捨ててしまう、常にレールをあけておく、こういう思い切ったことをやる国民です。したがいまして、戦争というものは単純な計算ではなかなか答えが出ないものである。つまり力関係、力を中心として考えますと、どこまでもそういう相手をぶっつぶすという知恵が出てくるということであります。したがいまして、みずから防衛構想を限定して、この程度の構想だから安心だという一つのたてまえで防衛戦略を立てるということは、私はむしろたいへん危険ではないかとさえも思うわけです。それでは日本世界に冠たる戦前のような軍事力を持てるかというと、私は、それも不可能に近いと思わざるを得ないわけです。したがいまして、いまおっしゃったように、日本のこの防衛構想自体も、やはりわれわれ日本人の日本人らしい発想から、もう一つの別な方向、新しい方向を、それが多分に精神主義的な内容を持ったとしても、そういう方向をやはり求めなければならない時期に来ているんじゃないかというふうに私も考えます。
  16. 森田重次郎

    ○森田委員 ありがとうございました。
  17. 瀬戸山三男

  18. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 時間の関係がございますから、御回答のほうは簡単でけっこうでございます。まず小山内先生に四問続けて御質問をいたしますので、まとめてお答えをいただきたいと思います。  いま佐藤内閣は、非核三原則と称して、核を持ち込ませない、あるいは核をつくらない。そして核を待たない、この非核三原則を言われておるわけです。この三つの内容の中で、核抜きという場合のその核とは、どういう内容であろうか。たとえば核弾頭だけなのか、あるいは、連の核システムをいうのか、そういう点であります。  二番目に、今度の四次防先取り予算の問題を契機にして、江崎防衛庁長官は、昨年四月のいわゆる中曽根原案と称せられる四次防原案は白紙にして、そして新しく四次防を再構築する、そのように国会で明らかにされておるわけですが、はたしてその中曽根原案に見られる防衛構想が白紙になるものかどうか、その点が二番目であります。  で、ただいまもお話しのとおり、三番目の問題としては、すでに四次防原案の新兵器が四十七年度予算に先取りをされておるわけですが、それらの、俗にいう目玉兵器というものは、政府がいわれておる専守防衛のワク内の兵器であるかどうか、これが三番目であります。  四番目は、産軍癒着の状態が非常にあらわれてきておる、私どもはこのように思い、かつ心配をするわけです。特に、財界主導型の防御構想という面もあらわれてきておるような感じがし、これは軍国主義復活との関係でたいへんアジア諸国にも危惧を与えておる点でありまして、この産軍癒着の現状についてお話を承りたい、そのように四点まずお伺いします。
  19. 小山内宏

    小山内公述人 それでは、問題がたくさんございますので、なるべく簡略にお答えさしていただきます。  この非核三原則いうものを政府一つ政策であるということを常に言明されておりますけれども、私ども軍事研究を専門にしております者から見ますと、これもたいへん抽象的であるとしか言えないわけです。たとえばこの核抜き、日本は核抜きであるということをいわれますけれども、私どもが戦略体制から見ますと、核抜きではないとしか指摘できないわけです。つまり、たとえば日本にしばしば原子力潜水艦が寄港しております。これは通称サブロック潜水艦、アメリカでは攻撃型潜水艦といっておりますが、これがなぜしばしば日本に参るか。これは、御存じのようにアメリカが太平洋に展開しておりますポラリス潜水艦による核体系の一環としての存在なわけです。したがいまして、システムとしての核体系の中には日本はちゃんと入っておりますし、それを現実に抜いておらないという現実があるわけです。したがいまして、戦略あるいは兵器というものは常にシステムで考えなければいけないので、現実に核弾頭が置いてあるとかないとかいうだけではなくて、やはりそういう見地からとらえていかなければ、正しい形の非核三原則というものは解明できないのじゃないかというふうに私は思うわけです。  それから二番の中曽根構想でございますけれども、私は、中曽根さんが防衛庁長官に御在任のころ、たまたまお目にかかっていろいろお話を伺ったこともあるんですけれども、そのとき中曽根さんからいろいろ伺いました構想が、実はほとんど四次防に生かされているということがいえるわけです。たとえば、これはあとの問題と関連いたしますけれども、目玉兵器、これはすでに中曽根構想の中にはっきり出ているものはほとんど修正なしに受け継がれている、こういう状態だと思います。特に中曽根さんは戦略情報通信機構というものをたいへん重要視されまして、われわれはウサギのような鋭く長い耳を持たなければいけないという点も御指摘になったんですが、この戦略情報システムについても、四次防には完全にはっきり生きております。したがいましてこの中曽根構想というものは、私は、少なくとも四次防の展開の中には完全に延長され、しかも生き続けているというふうに見るわけです。  この目玉兵器なんですけれども、今回の四十七年度の中で偵察機の問題が出ております。たとえばRF4E、これは偵察機であるから攻撃機種ではないであろう、こういうふうにお考えになる方もあるわけです。しかし私どもは、これは先ほど申し上げたように、兵器体系というものは常にシステムで考えなければいけない。つまり、はっきり申しますと、私どもがこの四次防の中でそういった攻撃型の体系が完全にできると言うのは、決してRF4Eだけではなくて、RF4EとF4EJと、それからナイキと、この三つがたとえば航空自衛隊の場合組み合わされて攻撃型のシステムができ上がる、こういうふうに分析しているわけです。たとえばこのナイキというものは確かに防衛兵器です。しかしこのナイキが完全な配備によって、その周辺、あれは最大射程百三十キロといわれておりますけれども、ほぼ百キロの円周と見てもいいと思います。この半径百キロの円は、これはナイキの担当区域になります。したがいましてこの区域では防空戦闘機が実は活動できない地域になるわけです。したがいまして防空戦闘機といえども、少なくとも基地よりも数百キロ遠方において作戦しなければならない。そういう体制が出てくるわけです。しかし現実にはすでに、数百キロということは日本本土から、かりに本上周辺、小松基地から見ますと、すでに日本海の半ばを越えている。そこにF4EJが常時パトロールする体制ができる。こういう体制ができるわけです。その先端にRFがおりまして常に周辺諸国の状況を偵察するという、この三つが一連になりますと、一本の長い棒になるわけです。この長い棒を日本の小松基地から広げますと、約二千キロに近い攻撃円が大陸に広げられる、こういうふうにとらえるべきだと思います。したがいましてこの一つ一つの兵器が、たとえばF4EJがたいへん航続距離かあって攻撃型であると、そういうことだけではなくて、もちろんF4EJが攻撃型でありますけれども、そういうものとRFと組み合わされて、それが一そう攻撃型になるという点をやはり十分とらえるべきではないかというふうに思うわけです。  最後の産軍癒着の問題ですけれども、これは私どもは率直に言って非常に憂慮している問題なんです。私は、専門アメリカの軍事力だったせいですか、アメリカの産軍共同体の状況をかなりつぶさに見まして、非常に憂えているわけです。つまりアメリカの場合、もはや引き返し点を過ぎてしまってどうにもならないという現状です。しばしばアメリカが非常に大きなGNP、これをいわれておりますけれども、実際アメリカ現実の中に入って見ますと、皆さんのような国会議員の方はほとんど貧民層に接触される方はないと思いますけれども、アメリカの貧民層の現実は想像を絶して、われわれ日本の貧民よりも貧しい方がたくさんいるわけです。つまり、偉大なGNP大国、しかも世界最大の軍事国家の一面にはそういう形が出てくるという一つの大きな原因に、アメリカの産軍癒着の体制があるということを指摘しなければならないわけです。日本の場合も、私が憂えているのは、もちろん現実にいろいろ問題がございます。たとえば機種決定あるいは機数についての要求、そういうものがしばしば、むしろ発言が財界側から出ているという点も、非常に私どもは問題としなければなりませんし、それからさらに、防衛構想についても、しばしば、特に最近財界側からたいへん強行論が出ているという点なんです。したがいまして、率直に言いまして、財界の利潤と戦略が結びつくような形の防御構想が日本中に広がることは、私は決して、日本の真の意味の安全保障には役に立たないというふうに考えるわけです。
  20. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 それではあと二問だけにいたします。この二問は両先生にお願いをいたします。  五番目になるわけですが、私どもは現在資本主義体制の中で、一度軍備で国を守るという発想に踏み切ったならば、防衛力の増強の限界というものはなかなかあり得ないのではないかと私どもは考えるわけですが、もしあるとするならば、防御力増強の終末の映像というものが考えられるかどうか、防衛力の限界の問題であります。  六番目の質問は、これは専門家としてあるいは東京都民のお一人としてのお考えでけっこうですが、立川に自衛隊が移駐したのは御案内のとおりでありまして、これは四十六年から四十七年度にその予算関係も含まれておるわけであります。私どもとしては、この移駐は、防衛庁当局は災害対策あるいは民生協力のためと言われておるようですが、たとえば二月十五日アメリカで発表されましたペンタゴンの国防報告及び二日後の十七日、そのペンタゴン報告の中で日本関係のある部分の補足説明が行なわれておりますが、その補足説明を読んでみますと、三沢あるいは立川という基地の名前をあげて、これは補給基地、兵たん基地としてぜひ維持してもらいたい。そして一たん緩急ある場合は、つまり有事来援の可能な基地にしてもらいたいという要望が補足説明の中で述べられておること。それからまた、災害対策とおっしゃっておりますが、東京都には膨大な、綿密な防災計画が持たれております。防衛庁長官のお話を承ってみますと、東京都のつくられておる防災計画との関係が明白でないわけであります。位置づけが明白でない、立川移駐の自衛隊の災害対策なるものが。それで、そういう点、東京都の災害対策とおっしゃっておるのに、東京都とのその種の話し合いは行なわれていないということも明らかになったわけでありまして、はたして防衛庁がおっしゃるように災害対策あるいは民政協力のための移駐であろうかと、たいへんいま疑問が出されておるところでありまして、この点についてのお考えがございましたら御披露をいただきたいと思います。
  21. 嘉治元郎

    嘉治公述人 二つの御質問のうちの前のほうについて先に考えを述べさしていただきます。  御質問の趣旨は、防衛力を持った場合に、それはだんだんに拡大していって限界がないのではないかというふうに承ったわけですが、私は、確かに歴史的な事実としては、ある国の軍事力がだんだんに拡大していって、それがとうとう最後には戦争にまでつながったというようなことがあることは否定できないと存じますが、原理的に防衛力の限界というものがあり得ないというふうには必ずしも考えておりません。と申しますのは、防衛力なるものも当然費用を伴うことであって、私の専門的な観点からお答えになるわけですけれども、予算のことを考えましても、政府がなすべき仕事は多々あって、その中でどういう政策にどれだけの予算をつけるかという割り振りと申しますかあるいは優先順位ということが考えられて予算が立てられるいくというのが、これは申すまでもないことですが、大原則であるわけで、そういうところから考えますと、何に優先順位を置くかという御議論が先にあるわけですから、その御議論に対してもある程度の規模になった防衛力の存在ということが反作用を及ぼすという問題を御指摘と思うのですけれども、しかしその反作用が他のあらゆる政策目標を排除するほどに強いかどうか、その点については私は必ずしも常にそうであるというふうには考えないわけでございます。アメリカの問題も先ほどから問題になっておりますが、たとえばアイゼンハワー大統領が指摘した産軍複合体というような指摘もまさにいまの御質問と関連すると思うわけでございますけれども、すでに存在している防衛力というものが国家の防衛政策を左右するあるいは少なくとも強い影響力を持つという問題点で、そのことはアメリカの場合には大統領みずからが警戒しているということがアイゼンハワーの指摘になってあらわれていると思うわけでございまして、究極は申すまでもなく国民の良識と申しますか政府がどういう政策にどれだけの優先順位を置くかということにかかるわけでございまして、私の専門である経済の面から見るならば、やはりどういう予算項目にどれだけの予算をつけることが全体のバランスの上で妥当であるかという御配慮が常にありさえすれば、そこにおのずと適正な配分というものが出てくるわけで、その予算のワクのほうからも防衛力には限度が考えられる、そういうふうに私は思っております。  それから、二番目の御質問は、私、全く専門外でございますし、きょうここへ出てまいりましたのは、専門立場からの意見を述べるということで出てまいりましたので、もし御容赦いただければお答えしないで済ませたいのですが、まあ市民としてでもというような御質問でございますから、全くの私見を一言言わしていただきますと、こういう問題に関してもっと客観的なあるいは公開の形での議論が尽くされた上で何がしかの決断が下る、そういうことにあるべきではないか。もちろん防衛とかいうような問題に関しては、ある程度の機密というようなことも当然あるわけでございましょうが、そのことを考えに入れても、市民の立場で考えて、防衛問題というのはもっと公開的に議論されてもいいというふうに思っております。
  22. 小山内宏

    小山内公述人 前の、防衛力の限界の問題ですけれども、これはたいへんむずかしい問題でありまして、防衛庁側も実はでき得ればこれを持ち出したくないというのが現実だと私は思います。しかし、しばしば私どもの中にもそういう一つの構想は出てくるわけです。たとえば、三・三・三構想、つまり陸上兵力三十万、飛行機三千機、海上戦力、三十万トン、そういった計数的なものは確かに出てまいります。しかし、私どもはここで考えなければいけないのは、一体予算を幾らまで取っていいかという考え方がいままで少し偏重していたのではないか。つまり、たとえばこれは財界側の御発言で、年間GNPの四%ぐらい出せ、出してほしい、こういう発言がありましたし、それから、これはたしか記録に載っておりますけれども、福田さんが蔵相時代に、日本のGNPの事情から年間二兆円くらいまでは出せるのではないか、こういう発言をなさっているわけです。いずれも、一体日本の軍備のあり方がどういうあり方であるべきかという論争ではなくて、このくらいまでなら出せるだろう、出してほしいという論争にとどまっているという点が、私ども軍事研究をしている者から見ますと、ある意味ではたいへん異常な考え方であるし、しいて言えば、これは非常に注意しなければならない傾向ではないかというように思うわけです。私どもは防衛力の限界というのは少なくとも、ことばで簡単に言いますと、専守防衛という立場を一歩も出てはいけないというふうに考えるわけです。それは一つには、日本の今日のGNP、GNPといわれておりますけれども、この繁栄は、世界の中でも珍しく、経済成長の国にしては低い軍事費で押えたことによって生じた繁栄だと思います。したがって、GNPが豊かになったから軍事費もふやせというのは実は倒立した論理ではないか。日本がほんとうの繁栄を今後続けていくためには、むしろ軍事費を可能な限り制御していくことがむしろ日本の繁栄につながるのではないかということを考えることと、それから日本がGNP大国だといわれておりますけれども、このGNPという観念自体ももう一度考え直していただかなければならない。つまりGNP即国民一人一人の富の豊かを表現することではございませんし、国全体の財産を表現することではないと思います。これはもう皆さん御専門ですからおわかりになると思います。したがいまして、軍事費の問題にGNPというものを引き合いに出すというやり方はこの際ぜひ修正していただきたいというふうに私は思うわけです。私の考えます防衛力の限界というのは、先ほど申し上げた専守防衛の域を出ないということです。しかし、専守防御の域というのは軍事力はたいして大きくはない。したがって、他国の脅威にどうやって対応するかという御質問が必ず出るわけです。そこで私は申し上げたいのは、先ほどから申し上げたように、一国の安全保障というのはもはや幾ら軍事力だけ強大にしても何にもならないのである、そういう構想をしっかりと考えていただきたい。つまり防御構想の主軸は外交になっていかなければならない。つまり外交を主体といたしまして、近隣の緊張あるいは脅威というものを排除していく方向をとることこそ、真の日本の防衛力になるのではないかというふうに私は考えるわけです。  それから次の立川基地の問題なんですか、これは、防衛庁側の説明あるいは政府の説明、いろいろな説明がございます。しかし私どもは、そういう政治的な立場を離れて、現実問題として常にこういう問題を取り扱うわけです。はたして立川基地に自衛隊そのものが進出して、災害に対してどの程度の効率を持つであろうかということを計測するわけです。そういう立場から計測いたしますと、私どもはこういう回答を出さなければならないわけです。つまり東京というような、世界でも全く例のないような過剰な過密都市、この周辺は実は軍事基地を置くよりも、早急に避難地域としての遊閑地をつくらなければいけないということなんです。これは少なくとも冷静にこういう状況を判断なさる力は異論がないのではないかと私は思うわけです。つまり災害が起きてからやる方法を考えるよりも先に、災害がいかにしたら起きないかということを考えるべきだと思うのです。それには、これはたいへんむずかしい問題だと思いますけれども、できるだけ東京の周辺からそういう市民にとってよりプラスになる地域をつくり出していくことがまず第一であって、災害が起きてからというマイナスを想定したことは二の次に行なわれるべきではないか。つまり、今度の立川進駐が真珠湾だというようないろいろな表現がされておりますけれども、そういう問題も非常に重要だと思います。しかしもっと私どもはそういう問題を、さらに原点に戻って真に市民の安全を考えるならば、私は決してすぐつぶせとは申しません、でき得る限り早急に東京周辺の軍事基地を開放することによって東京都民の安全地帯をつくることのほうが、実は東京都民を災害から守る最大の方法ではないかというふうに考えるわけです。
  23. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 ありがとうございました。
  24. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 次に、小林進君。
  25. 小林進

    ○小林(進)委員 時間の制約もございますので、ごく簡単に、私は嘉治先生にお伺いをいたしたいと思います。  問題点だけ大きく分けて二つだけ申し上げて、まとめてお教えをいただきたいと思いますが、物価の問題でございます。四十七年度の予算は生活改善をする予算あるいは福祉優先の予算だということをいわれておるのでございますが、国民は、大型予算でさらに生活が圧迫を受けるのではないか、もっと苦しくなるのではないかということをたいへんおそれております。この率直な国民の気持ちを解明する意味でお教えをいただきたいのでございまするが、一つは、四十七年度のこの大型予算で消費者物価の値上がりが、政府は五・三%でとどまるといっているのでございますけれども、この見通しをはたして先生のお立場でどうお考えになっておるか。  二番目は、四十七年度のこの物価値上かりの中で特に地価の問題でございますけれども、この大型予算の中には公共事業費が二兆一千四百八十四億円、首都高速道路公団だの阪神高速道路公団等の投融資が四千三百六十四億円、それから地方自治体の下水や住宅の起債で一兆七千百九十五億円、合計九兆四千百五十億円もあるのでございますが、この中で地価に食われる分が一体どれくらいあるのか。われわれの推定では一兆五千億円、まあ三〇%以上くらいは地価に食われてしまうのではないか。これは地価を暴騰させるだけです。続いて異常な物価上昇にはね返ってくるということが考えられるのでございますけれども、この地価抑制の具体的な方策が何かないものかどうか。  三番目は、これは公共料金でございますけれども、ことしは総体的に公共料金の値上げをしてくるのでございます。この公共料金だけでも国民の生活にどんな形ではね返ってくるか。政府は一カ月九百円程度だと言っておるのでございますが、何かNHKの解説でございましたか、一千四百円くらいだろう。しかし消団連等では、これは一カ月七、八千円から一万二、三千円くらいもの公共料金の値上げが生活費にはね返ってくるのではないかといっているのでございますけれども、こうした問題に対して先年の御意見をひとつ承りたい。これが大まかな一つでございます。  第二は、これは先ほどもお話のございました円の再切り上げの問題でございまして、先生は円の再切り上げがあるかないかというような点だけで論ずるよりは世界経済立場からこれを見なければならぬのではないかというふうな御高見がございましたけれども、これをいま少し具体的にお教えをいただきたい。私どもはこの年末といいますか年度末にはどうも手持ちが二百億ドルをこえて、またどうもたいへんな再切り上げなどということで大ショックを受けるのではないかというふうな心配もあるわけでございまするので、この問題についてひとつお教えをいただきたい。  以上、二点でございます。
  26. 嘉治元郎

    嘉治公述人 物価の問題に関してまず初めに概括的に私の考えを言わせていただきますと、物価か上がるのにはいろいろな理由があるわけでございます。よく経済学者の間で分類されているところで御紹介いたしましても、総需要が供給能力を上回るほど強過ぎて、そのために一般の物価水準が上がるというケースがございますし、それから必ずしも総需要は供給能力を上回っていないけれども、幾つかの品物についてその価格のきまり方が市場の状況を反映しない形で、独占的にとかあるいは管理的な形できまる、そういうことがあって、それが必ずしも需要が強くない場合でも価格を押し上げていくという形の場合、大きく分ければこの二つかと存じますが、ただいまの御質問の中で一番初めに出されました物価問題一般についていまのような観点から考えてみますと、今日の日本経済状況は、先ほどの公述の中でも申し上げましたように、需要はむしろ補強していかないと供給能力のむだが出るというような状態であると考えますので、大型予算といわれるものが実現いたしましても、そのためにいわゆる総需要超過による一般的インフレーションというものはない、そういうように考えております。しかし、それでは四十七年度の物価が安定するのかとか、あるいは特に消費者物価の上昇がどの程度にとまるのかということになりますと、総需要超過型の一般的インフレーションはないとしても、消費者物価の上昇はある斜度は避けられないであろうということになると思います。その点が最初の御質問の最後のところでおっしゃいました公共料金の引き上げの問題とかあるいは食料品の値段の動き方とか、さらにはサービス関係の価格の上昇とか、そういうことで消費者物価指数は申すまでもなくもろもろの価格の動きの総合でございますので、その中で幾つかのものが上がるということでありますと、それぞれの持っている比重に従って影響が出てくるわけでございますから、政府の見通しが適切かどうか、これはもう少し現実に詰めませんと判定はむずかしいかもしれませんが、私の知る限りでは概して妥当であろうというふうに考えております。これは個別の価格、地価と公共料金ということを御質問の中に指摘なさいましたのですが、確かに地価のほうは公共事業が大幅に行なわれればそれだけ土地に対する需要がふえまするわけですから、そうでない場合に比べれば上がる傾向があることは当然だと思います。したがいまして、これは公共事業を拡大していくという景気対策的なものと並行して、地価そのものに対する対策が、これは予算とは直接関係ないわけでございますが、あるべきだというふうに考えております。  それから公共料金に関しましても、これは一口に公共料金といいましても、その中にはいろいろな種類のものが含まれております。よく新聞、雑誌等ではその辺を厳密に区別いたしませんで、何か政府の決定が介在してきまる価格を俗に総称して公共料金といっているような感じが私はするのでございますが、それをもり少しこまかく分けてまいりますと、たとえば公的企業で供給しているものとかサービスの価格、値段のようなものは、やはり公企業といえども企業として動くためには、確かに公企業は私企業と違って私的利潤というものに対する配慮がなくて運営ができますから、その分価格に対する負担を軽いという利益はございますけれども、やはり公企業には諸設備があってそれの償却を考えなければならないとか、あるいはそこには当然労働力が雇用されておるわけですからそれに対する報酬も考えなければいけないとか、そういうことは申すまでもなくあるわけでございますから、公企業は公企業として動ける状況というものを、それが提供する商品なり品物なりサービスなりの価格に反映させるということは原理的にいって避けられないので、したがって企業の経営の合理化ということをつとめるべきは当然でございますが、それをやった上でも、長い目で見てある時期にはその料金を上げなければならないということが起こるのも、これも避けられない事実だと思います。ですから、個別のそれぞれの場合にあたりまして、はたしてその品物なりサービスなりを生み出すしかたが合理的になされているかどうかということとのかね合いで判定すべきじゃないかというのが私の考え方でございます。  それから二番目の御質問の円の為替レートの点に関しましては、私の基本的な考え方為替レートというものは一種の価格である。したがって、日本円のに対する外国からの需要と、それから供給、あるいは逆に言えばアメリカのドル、これはたまたま現在世界の各国の通貨の間の交換比率をきめる場合の一応の基準になっておりますから、多くの国の為替レートがドルとの関係できまるわけですけれども、そのドルに対する需要と供給というような関係で円とドルとの交換比率である為替レートはきまるものである、これが経済学的に考えた原則であるわけです。したがいまして、わが国国際収支が非常に大幅な黒字であるという状況はどういうことかといえば、日本の側から見てドルがあり余っていて、逆に外国側から見れば円がそれと相対的な関係で少ないという形でございますから、少ないものの値段は上がってあり余っているものの値段が下がるという関係から見れば、一ドルが三百六十円から三百円になり、さらにこの状況が続けばそれ以下にもなり得ると思うのです。  そういう原理を一応前提にしました上で、次に為替レートをきめる制度のことを考えてみますと、これは御存じのとおり第二次大戦後のいわゆるIMF体制のもとでは一応その為替レートなるものを固定いたしまして、もちろんこの固定は絶対に変えてはいけないということではなくて、いわゆる基礎的不均衡がある場合には調整可能ではありますけれども、一応固定するということで近年までまいりました。しかしながら、その固定為替制度そのものが、今日の世界経済状況には合わなくなってきているのではないかというのが私の考え方でございます。これを固定しようとするがために、たとえば円とドルとの関係でも三百六十円から三百八円に一気に十数%も調整しなければならないというような事態が起こる。これをもう少し、平たく申せば小刻み、なしくずしに調整していけば、いわゆるショックなるものが起こらずに調整はつく、こういうふうに私は考えており出す。これは必ずしも私の個人的というか、一人の考えではございませんで、IMFの当局でもそれからまた諸外国の通貨当局でも、為替制度を近い将来に、これまでの完全に固定していたものからもう少し伸縮的なものにしてはどうかという意見は出ているわけでございまして、すでに御承知と思いますが、ことしの九月のIMF総会あたりではこの問題に関する議論も相当活発に出るのではないかと思います。したがいまして、この再切り上げの問題は、一方ではわが国国際収支がどういう姿になっていくかということに依存いたしますし一方では制度がどう変わるかということに依存すると思います。  これからあとは私の全く私的な見通しでございますが、わが国国際収支のほうに関しましては、いろいろな対策がとられていくであろうと予想いたしますし、私はとられるべきだと思っておりますが、そういうことであまり極端な不均衡は避けられるのではないかと思うのですが、しかし、それにいたしましても、すでにたくわえている百数十億ドルの外貨というようなものをどう活用するかという問題もございます。そういうことを考えますと、制度のほうが比較的早くに小刻みかつひんぱんな調整ができるような制度になりませんと、へたをすれば再度一〇%というような幅、たとえばですが、そういったような幅の調整をせざるを得なくなって、いわゆるショックが起こる危険がある。ですから、小刻みひんぱんな調整ができるような制度になることが、日本経済立場から考えても望ましい、そんなふうに考えております。
  27. 小林進

    ○小林(進)委員 たいへんどうもありがとうございました。
  28. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 吉田之久君。
  29. 吉田之久

    ○吉田(之)委員 小山内先生に若干御質問を申し上げます。  いろいろと国防の基本的な考え方を承りました。多くの点で全く同感でございます。そこで、問題を一つにしぼりまして、一つは今後の情勢変化に対する分析の問題であります。わが国の防衛にとって一番重大な関心は、やはりお話のとおりアメリカ世界的な軍事的撤退の傾向、特に極東におけるその今後の推移でございます。この国際的なアメリカの撤退の傾向はきわめて持続的、長期的なものと考えていいのかどうかいうことが一つでございます。もしそうであるとするならば、先生の想定ではジョンソン末期、そのピーク時において、三百六十万の軍隊を持っておったアメリカが、今後どの程度まで漸減していくであろうかという数字の問題であります。  いま一つは、アメリカが近く全面的に志願兵制度に切りかえようといたしております。これはアメリカのこうした傾向の重要な決定的な一つの要因と今後ともなるであろうかどうかという問題であります。  いま一つは、こういう軍事費の削減のアメリカの傾向が隣国韓国に与える影響は今後どうなるであろうか。それが今後朝鮮半島に対して重大な政治的変化を及ぼすに至るであろうか、どうかという問題でございます。
  30. 小山内宏

    小山内公述人 いま御指摘になりましたように、アメリカの極東戦略転換というものは、私どもは、少なくとも長期にわたって行なわれるというように見ております。と申しますのは、戦略そのものが、実はこれは短期に実施できるものじゃございませんで、少なくとも、一つの単位を御承知のように戦略年度というふうに言っておりますけれども、これが最低で五年ないし六年、こういう単位でやっております。したがって、極東戦略をこのたびのように大きく変える場合は、かなり長期構想でアメリカ自身も行なわなければならないということは申すまでもないことだと思います。それに関連をいたしましてアメリカの兵力が非常に変化してくる、こういう御指摘なんですが、まさに御指摘のとおりだと思います。  ただ、ここで考えなければいけないのは、アメリカベトナム戦争で兵力にかなりの損耗を来たしたというふうにいわれておりますけれども、実はアメリカの常備兵力、つまり志願兵を中心としました常備兵力はさほど大きな変化はないわけです。現在でも二百六十万くらいはそのままの体制で保っているわけです。したがいまして、志願兵制度に切りかえるといっても、つまりベトナムのような特殊な状況でふくれ上がった兵力を整理するということでございまして、特に大幅な削減に現状ではなるものではないというふうに私どもは見ております。志願兵に切りかえていくために、しかし現実的な要請というものは、アメリカ自身の戦略の中では実は強まっておるわけです、つまりさらに新しい時代の戦争を一応戦略想定いたしますと、実は兵力を増強しなければならぬわけです。ところがアメリカはそれをやりません。志願兵制度、むしろ漸減する方向をたどっておるのですが、それにかわるべき対策はすでに考えております。それば最近しばしばいっております軍隊の省力化ですね、これを強めていく。本年度の国防予算を見ましても、アメリカの場合もすでに省力兵器というものが非常にたくさん出てきておる。すでにその具体的な形が、御承知かもしれませんが、ベトナムにおける自動化戦場、無人化戦争というものになってすでに出ておるわけです。したがいまして、アメリカ自身はつまりベトナム介入以前の形に戻るというのが、少なくとも現状ではとられていい体制ではないか。その中で極東の戦略が変化してまいりますから、いろいろな地域に対する影響が出てくる。  たとえばベトナムの場合、アメリカの兵力が異常にいま極東では減っております。しかし、いわゆるベトナミゼーション、これはあくまでも兵力及び兵器の量ですけれども、これを大体バランスをとってみますと、ピーク時の六八年と七一年末と比べますと大体のバランスはくずれておりません。つまり、たとえばアメリカはピーク時は五十四万三千という兵力を持っておりましたけれども、その当時は南ベトナムの政府軍そのものがまだ百万以下だったわけです。合わせて大体百四十万程度だったわけです。ところが今日の現状は、米軍はすでに十九万台に下がっております。しかし、南ベトナム政府軍自体が百十万をこえておるという状況で、これはバランスがその状況においてはとれておるわけです。空軍兵力にいたしましてもあの当時は米軍機千機、南ベトナム政府軍三百機といわれたのがいまちょうど逆転しております。そういう意味ではアメリカの極東戦略アメリカの兵力というものは非常に大幅に引いておりますけれども、ベトナム一つをとりましても、少なくとも数量の上ではバランスをとっておる、こういう状況がございます。  それから韓国なんですけれども、韓国もほぼ同じ状況が進んでおるわけです。韓国からの撤兵計画はたいへん興味深いのですけれども、六九年、つまり日米共同声明路線の出た時点にこれが同時に非常に具体的に行なわれた点がたいへん私どもが注目しておる点なんです。つまりこの含みが、これはあくまでも私どもの想定ですけれども、米軍の撤退と同時に韓国軍の強化というものが進められておるのですが、それと並行してやはり日本の軍事力に期待するという面がすでに六九年から出ておったんじゃないかというふうに見るわけです。したがいまして、いま韓国の米軍兵力というものが非常に減りつつございますけれども、全体の戦略から見た兵力量ですね、これはアメリカとしては、そう大幅に減ってはいないのじゃないかというふうに見ていると思うのです。現に、私が韓国の軍人の方とお会いしてお話ししたときに、韓国の今後の防衛構想というのは日本の自衛隊に依拠するところが非常に多いんだ、あえて言えば、日本の自衛隊を構想に入れなければ韓国の防衛は成り立たないということすら言われておったわけです。したがいまして、米軍自体の縮小は、アメリカ戦略に従って、非常にスムーズに撤退が進むと思いますけれども、全体の戦略状況についての変化は、少なくとも数量の上では大幅な変化がないというふうにアメリカは見ている、私はそういうふうに見ております。
  31. 吉田之久

    ○吉田(之)委員 ありがとうございました。  いろいろとこれからの推移を相当真剣に注目しなければならないと思うのですが、いずれにいたしましても、わが国の場合、いままで日本の防衛の最も重要な基盤になっておったアメリカの基地と駐留、それがだんだんと減っていく傾向にあることだけは間違いがないと思うんです。こういう新しい局面、それはわが国の防衛にとっては非常にむずかしい局面であることも事実であります。しかし同時に、日本が独自でわが国の防御を考えるべき一つのチャンスが訪れたという考え方もなされなければならないと思うのです。われわれはこういう時期に立って、日本の防衛の具体的な方法が、先生のおっしゃるとおり、いわゆる総合的な防衛、外交による防衛、あるいは精神的な防衛、もろもろが多角的に検討されなければならないという問題が一つ。  それから、その中のいわゆる物理的な防衛として、まず大まかに分けて二つの考え方が出てくると思うのです。一つは、中曽根構想の考え方でありまして、きわめて積極的な自主防衛論が出てまいります。しかし、これは国民の相いれざるところでありまして、また、他国に非常に刺激を与え、誤解を招く道であろうと思います。そこで、もう一つ考え得る方法としては、徹底的な専守防御の方法が残ってくると思います。こういう点であらためてこの機会に国論を巻き起こして、政府と国会とそして国民が真剣な論議を展開して、その中に国民の合意を求めていかなければならない時期に差しかかっておるという点で、現在の時点は非常に重要な時期だと思うわけであります。  そういうことから考えて、一体今後日本の差し迫った物理的な防衛、その中で、特に新兵器などを輸入にたよるか国産するかという問題が差し迫って出てまいります。この国産の問題というのは、非常に悩ましい問題だと思います。総合的な国力を充実していく点ではきわめて重要であります。しかし、一たびこいつが大きくふくれ上がると、それが直ちに軍国主義的な傾向になり、国家的体質かそこででき上がってしまいます。これに対するシビリアンコントロールをどうするかという問題が、いま真剣に考えられなければならない。われわれは、新兵器を国内でつくっていく場合、その時期をほぼどのくらいと考え、どういう時点ではこれを押えるか、あるいはやめるか、このコントロールを国防会議が果たさなければならない時期に来ているのではないか、こう考えるわけでございますが、その点、先生のお考え方はどうでございますか。  それからいま一つ、先ほど、中国は非常に守るに強い軍隊であるという御説がございました。その全く逆の立場日本だと思います。非常に守るに脆弱な国情になってしまっている。この過密の状態の中で、この文明のジャングルといわれる状態の中で、守る方法を相当深刻に考えていかなければならない。その点についての先生のお考え方を伺いたいと思います。
  32. 小山内宏

    小山内公述人 第一番の米軍基地の減少の状況、これから触れてまいりたいと思いますけれども、つまり、米軍基地の縮小と申しましても、実は現実には自衛隊移管という形、ことばを変えて言いますれば、有事使用方式がいま実現しようとしているというふうに私どもは分析しているわけです。しかし、少なくとも表面的には米軍の基地というものは減少してまいりますし、米軍兵力というものは確かに日本、これは日本ばかりではございませんけれども、台湾、フィリピンその他の地域でも減少しております。これは実は一つアメリカ自体の――これはあくまでアメリカ自体ですけれども、アメリカ自体の安全保障の一つ戦略の一環だというふうにわれわれは分析するわけです。なぜかと申しますと、アメリカは、先ほどから申し上げましたように、中ソ二正面作戦をとるということはすでに不可能になっております。したがって、完全な意味の全面戦略で安全保障を保つということは不可能になっている。したがいまして一方の中国と、つまり平和五原則を受け入れるような姿勢、つまり平和戦略でいくことがアメリカにとっては一つの安全保障になる、アメリカはそう判断したと思います。したがいまして、少なくとも現状では中国正面からどんどん基地を縮小していく、それから兵力を撤退していく、こういう形で中国に対する安全保障を、違った形で着々と、つまり軍事力以外の形で進めつつあるというふうにわれわれは分析するわけです。ですから、こういうアメリカの行き方も、私どもにとってある意味ではたいへん示唆を含んでいるというふうにとらえなければいけないと思います。したがって、その中で日本の防衛というものを今後真剣に考えなければいけない。  この問題については、あとの問題と含めてこういう論旨が出てくるわけです。つまり、たとえば米中会談のような頭越し会談以来、アメリカに対する若干の不信感というものが出ております。それに従いましてこの安保体制の再検討とか、あるいはさらに、もう少し自主防衛という構想を強めなければいけないんではないかというふうなお考も出ているわけです。しかし、私どもは、むしろこのアメリカのとつております新しい戦略をやはり参考にしなければいけないんじゃないか。アメリカが現在こういう方向をとっておりますやり方を、さらに日本的にもっと活用してもいいんじゃないか。つまり、日本現実にとって非常に緊張状態をこれまで保っておったのは中国だと思います。したがいまして、日本の今後の安全保障を考える場合、中国との打開と申しますか、平和交流、こういうものが実は裏返しますと日本にとって最大の安全保障になっていく、こういうことだと私は考えます。  したがいまして、この自主防衛という形が、あくまでもこれも軍事力を優先するという考えではなくて、外交、経済その他すべてを含んだ多角的な構想のもとに立った自主防衛構想にならなければいけないというふうに私どもは考えるわけです。そういう形の中において専守防衛ということを考えますれば、おのずとその軍事力のあり方も一つの答えが国民の間に出てくるんではないかというふうに私は考えるわけです。それでないと、やはり軍事だけを専門に考えますと、いわゆる当局だけしか防衛構想というものを生み出せないわけです。つまり、軍事力優先に考えた自主防衛構想にあくまでも主体を置いている限り。ところが外交、経済、文化、あらゆる面から多角的に自主防衛というものを考える場合は、国民世論というものがそこに当然入ってまいりますし、そこでいわゆる純粋な軍事力による防衛構想との接点も、論争の場も当然出てくるというふうに私は考えるわけです。  その問題の中に、兵器の輸入か国産かという問題も出てくるわけです。つまり、専守防御にはどの程度の軍事力を持つべきかという問題から。その場合、国産化の論旨の一審重要な点は、いざというとき国産化しておかなければならないであろう、こういう構想があるわけです。しかし私どもは、世界の趨勢を見ますと、兵器の国産化というものは、すでに何か現在の行き方とはちょっと異なっておるんじゃないかというふうに実は感じるわけです。たとえばNATOを見ましても、NATOの制式兵器というものがございまして、これはNATOの陣営がほとんど全部共通に使う。そこには軍事的な秘密はございません。それからできる限り、西ドイツの場合でも、主力戦車をアメリカと共同開発しております。それから飛行機、いわゆる垂直上昇用の戦闘機に至っても、各国が協力して開発する。これが実はNATO一つの陣営の中でも、相互不信というものを招かない一つの原因なんです。つまり、一国の非常に閉鎖的な国産化というのは、実は同盟国同士の中にもいつの間にか不信感を招くという危険性が出てくるわけです。したがいまして私は、やはり兵器の共同開発とか輸入という問題は、当然そういう面からももう一度考えられなければならない。  それから、もっと直接的な問題から言いましても、いざというときにという一つのことばがあるのですが、私は、いざというときには、国産化していても輸入していても同じだというふうに考えるわけです。これまでの戦争を考えますと、戦火が本土に至るのはたいへんあとの時期であろうという構想があるわけです。しかし、これからの戦争は、やはり敵国の中枢部を一挙にたたくというのが時代の戦争の構想です。したがいまして、国産化をしておくほうがいざというとき役に立つというが、実は一挙に施設もろとも破壊される可能性のほうが多いという答えを現実的に出さなければならない。したがいまして、そういう場合ですと、もっと現実的に考えますと、たとえば戦闘機の場合、ファントムの場合に、輸入すれば三割も安いわけです、そういう予算面から考えましても、実はいざというとき、国産機でも輸入機でも、これはあくまでも戦術的な意味からいって、そう大きな違いかないとすれば、私はやはり輸入したほうが、少なくとも予算面から言えば、国民負担を軽減できるのではないかということが言えると思うのです。あくまでも国産化というのは、私は率直に言って、軍事的閉鎖主義につながるものだとして、これはやはりこの際一考をしたほうが、日本の将来にとっても有益ではないかというふうに思うわけです。
  33. 吉田之久

    ○吉田(之)委員 ありがとうございました。  それで、今後わが国がどのような形で理想的な防衛方針を考えてそれを推進していっても、いわゆる完全な答えというものは、何人によっても出すことができないというように思います。そこで、いわゆるはやりのことばで言えば、試行錯誤的な防御を積み重ねていかなければならない。しかし、事防御でありますだけに、軍事問題でありますだけに、錯誤というものは重大な錯誤があってはならない。錯誤らしきものが出てくれば直ちに改めていかなければならない。  その錯誤を改めていく絶えざる国民によるコントロール、これが、最も国の内外からわが国の防衛に対して誤解を与えない、そうして信頼を与えるただ一つの残されている道ではないかというふうに考えるわけでございます。国会による最高のシビリアンコントロール、それは国会に対する信頼、同時にそれが日本国民に対する信頼である限り、他国から疑惑を招いたりあるいは軍国主役的傾向にあると非難されたりすることは、大いになくしていけるはずでございます。われわれの考えでは、いま完全な答えがないままに、しかし国は守らなければならない。守り得る。そして誤解を招かないただ一つの道は、完全なシビリアンコントロール以外にないだろうというふうに考えるわけでございますが、この考え方に対して、先生はどうお考えになっておりますか。
  34. 小山内宏

    小山内公述人 御指摘のように、一国の防衛問題あるいは軍事力のあり方というものは、なかなか単純に答えが出せないということも事実だと思います。したがいまして、これまでいろいろな形で試行錯誤が出てきたという点も、あながちそれ自体だけを責めるということはできないことだと思います。  それともう一つは、これはやはり私ども国民側にも若干の責任があったというふうに考えておるわけです。つまり、この防衛問題という重要な問題を、何か政府あるいは防衛当局だけに預けてしまって、国民はほとんどそしらぬ顔をしていたという現実もあったと私は思います。したがいまして、賛成、反対は別としましても、もっと積極的に防衛問題を国民が論ずるということも、実は重要な問題だというふうに考えるわけです。シビリアンコントロールというものの本質は、実はそういうところから生まれてこなければいけないというように私は考えるわけです。  と申しますのは、率直に申し上げまして、アメリカは、御承知のように体制としては完全なシビリアンコントロールの国です。しかし、軍事大国としては世界最大の国になっておるわけです。しかも、シビリアンコントロールが体制として行なわれているにもかかわらず、しばしば国内では軍国化というものが問題にされている。ですから、シビリアンコントロールというのは、政府部内だけの一つのシステムにとどまってはならないということなんです。もちろんそういうシステムが非常に重要だと思いますけれども、つまり、国民の声を反映しながらそれを連帯していくということが、私はほんとうの意味のシビリアンコントロールであるというふうに考えるわけです。したがいまして、シビリアンコントロールというのは、私はしばしば発言しておるのですが、同時にパブリックコントロールでなければいけない。つまり、国体の声が常に反映する形でなければ、真の意味のシビリアンコントロールにはならないのではないかというように考えるわけです。  これはなぜかと申しますと、人間の思想というものは、せびろを着ておっても制服を着ておっても、別にそういう差でもって定まるものではないわけです。したがいまして、せびろを着ている方が発言をする、あるいは操作することによるだけでシビリアンコントロールが行なわれるというのは形式論にすぎない。要は、軍服を着ておられても、そういう正しい形のシビリアンコントロールを理解している方でしたら、これは制服の方がコントロールなすってもりっぱにシビリアンコントロールができるのではないかということさえ私は考えるわけです。したがいまして、シビリアンコントロールというのは国民のコントロール、つまりパブリックコントロールを常に背後に置いていろいろ考えていただくということを御指摘したいと思います。  それから最後に、日本の防備力の限界という点について触れたいと思うのですけれども、これはやはりあくまでも、もちろん国民自体も軍事力について、少し過大ではないかという憂いが出ない程度の軍事力、あるいは対外的にも、外からの指摘がほとんどないというあり方でなければ、やはり専守防衛というあり方ではないと思うのです。つまり、軍事力というものは相対的なものでございますから、こちらが幾らこれは単なる国防である、専守防衛であると言っても、相手方から見れば非常に刺激的な軍事力であった場合、相手方は必ずそれを上回る軍事力をつくることになります。そうしますとこちらも、専守防衛と言いながらまたさらにそれに対抗する軍力を持たなければならない。つまり、軍事力の悪循環というものは断たれないわけです。ですから、外の声というものはわれわれにとって関係ないという立場をとってはならないので、軍事力は必ず相対的な一つのあり方の問題ですから、常に外の声を的確にとらえてくみ入れていくことも忘れてはならないと思うのです。  一つの例をあげますと、スウェーデンはかなりすぐれた近代的な軍事力を持っておりますけれども、ソビエトがスウェーデンの軍事力を非常に侵略的だといった発言は、いままで一つもございません。つまり、われわれの目標のかりに専守防衛という軍事力があるとすれば、そういう軍事力であるべきだというふうに私は考えるわけです。
  35. 吉田之久

    ○吉田(之)委員 ありがとうございました。
  36. 瀬戸山三男

  37. 谷口善太郎

    ○谷口委員 小山内先生に、三点ばかり、時間の関係で一ぺんにお尋ねいたしまして、御教示を得たいと思います。  第一点は、日本の防衛ということと日本の安全保障ということとは違うと思います。この点について、先生のお考えはいまもずいぶんお聞きしたわけなんですが、安全保障という立場に立ちますと、これは現状において軍事侵略があるというふうに見れば、軍備でもって対抗するという構想が生まれてくるというように私どもは思うわけなんです。しかし、日本の安全保障の問題を考えていく場合には、日本の防衛という立場でなくて安全保障という立場に立ちますと、軍備の問題ではなくなってくるという時代だと思うのです。今度の四次防の先取り問題で、私は共産党ですが、共産党は、今後の日本の、安全保障の問題については、やはり基本方針や長期計画、あるいは国際間のいろんな取りきめの問題も含めて、国会で論議してここできめるべきだという考えを発表いたしましたが、この場合、日本の防御問題とは言わなかったのです。防衛問題とは言わずに、安全保障の問題というようにはっきり区別したわけなんです。  と申しますのは、安全保障の問題は、やはり軍隊の問題というふうな形ではなくて、つまり防衛問題じゃなくて、先ほどから先生おっしゃるように、外交その他のいろんな面で、日本の進路をきめていく上で政府の重大な問題として、非常に広い意味を持つ、また基本的な問題を持つというふうに考えたからであります。つまり、専守防衛と申しましてもあるいは攻撃的な軍隊をつくるといいましても、戦争が前提になれば、これはどっちも同じことでありまして、これは過去の経験、現在みんなが見ていり経験によってわかります。したがって、安全保障の問題は、防衛問題じゃなくて、もっと基本的な国の進路の問題として、平和の問題、平和を追求するという問題でやるべきだ、こう考えております。そういう点では、おそらく先生と意見が一致するのではないかと思います。  さて、それならいまの日本で、いわゆる国防の問題がやかましくなっているという原因の問題ですが、憲法のたてまえからいえば、私どもの主張は正しいと思うのです。しかし、現実には軍隊があり、防衛問題がやかましくなっているということです。このことの原因ですが、私どもは、アジアにおける現在の緊張状況といいますか、これはやはりアメリカの極東改築、これは先ほど先生、ニクソン・ドクトリンの三つの力点をあげていろいろ情勢分析をお聞かせいただきましたが、いずれにしましても、いろんな形が変わってきておりますけれども、アメリカの極東における侵略行動というものが、現実には、ベトナムに戦争が起こっており、あるいは米韓条約あり、米台条約あり、日本立場で言えば安保条約があるというような、こういうアメリカの側に立ったアメリカとの軍事同盟、これがアメリカの極東における侵略行動と結びついた体制として発展させられているという、ここに大きな問題があるんじゃないか。  だから私どもは、まあ率直に申し上げますが、安保をなくして日本は完全に中立する、つまり、日米軍事同盟から脱却するということが、日本のときべき、安全保障を追求する基本の問題にいまはなっているんじゃないか。そういうとらえ方をやって、全国民の中からやはり声を結集して、日本の安全を守っていく上でどういう外交関係外国とつくり、どういう政策日本はとるべきか。私どもは、いかなる国とも軍事同盟をつくらず、平和中立の立場で、平和五原則の関係国際関係をつくっていく、戦争に訴えないという、そういう方向政策を追求すべきだという考えを持っているのですが、そのためにも、安保の破棄、日米軍事同盟から脱却、中立の道を歩むということをはっきり世界に宣言するという、こういうことへいま全精力を政府としては追求すべきではないかというように考えているわけなんですが、この点についての先生のお考えがどうだというのが第一点であります。  それから第二点ですが、先ほど先生は、ニクソンの訪中問題も含めまして、アメリカの極東政策の基本は平和戦略だとおっしゃったように承ったわけなんですけれども、基本は平和戦略だというように私どもは考えられないのです。今度のニクソンの訪中にしましても、これは明らかに、先ほど先生おっしゃったように、ベトナムでの戦争が必ずしもアメリカに有利に展開していない、またニクソン・ドリクリンによりまして、現地のかいらい政権の軍隊に肩がわりさせるというようなこともあって、兵力の若干の撤収ということなんかも政策として出ておるというようなこともありますし、そういう点ではいろいろの変わり方はありますけれども、結局は、これもさっき先生おっしゃったように、ソビエトと中国等に対する二正面作戦ではどうもまずいというようなことから、中国接近という政策が出てきているという問題ですね。つまり、社会主義陣営に対していろいろな対策でもってその間を分裂させる、名個撃破をとっているというふうにわれわれは考えているわけなんですが、そういう点で、緊張の緩和ともわれわれは考えていないわけなんです。そういうで、アメリカの平和政策が基本だというふうにどうも私は考えられないのですが、そういう点ではどうだという点を、もう一ぺんお答えしていただきたいことです。  最後に、これはどなたもおっしゃいましたが、立川に対する自衛隊の抜き打ち移駐というやつですね。あの問題につきまして、非常に軍部独裁といいますか、軍部が独自に政治を動かしていくというような、そういう形の今日の自衛隊、これは防衛庁を含めてでありますが、かなり制服組が、いろんな社会生活の面、政治の面で、そういう独裁的なものを露骨にあらわしてきた一つの事象ではないかというので、そういう点で国民的な大きな衝撃を受けているわけですが、今日までの、たとえば全日空機と衝突して全日空機が落ちるというようなことがあったときなんか、民間の飛行機の航路のことを考えておったら軍事の訓練はできぬというような発言があったり、この間、四次防の予算の先取りの問題におきましても、そういうことがあらわれていると思いますが、非常に国民としては制服組、軍隊、具体的には自衛隊、これが政治その他の面でみずから出てきて、一つのいわば武器を持った最大の暴力集団でありますが、そういう権力集団でありますが、これが社会生活の上で、日本国民の意思を無視して行動するというような形があらわれてきているというふうに私ども非常に憂えているわけなんですが、そういう点についての先生のお考え、以上三点をひとつ、時間がございませんので私まとめましたが、先生もまとめて御教示いただきたいと思います。
  38. 小山内宏

    小山内公述人 ただいま御指摘になりました防衛と安全保障というものの相違ですね、この辺の御指摘はたいへん的確だと思います。つまり、先ほど申し上げましたように、いわゆるディフェンスというものは、やはり軍事力を主体とした防衛構想だと思います。しかし、安全保障というのはセキュリティーのほう、これはむしろ非常に外交戦略、そういったものを大きく使う、こういう形のものが含まれてきたのが安全保障だと思います。したがいまして、このアメリカのやっておりますのは、いま御指摘になった、アメリカは決して必ずしも徹底的な意味の平和戦略ではないという御指摘がありましたけれども、少なくともこの安全保障という立場から考えますと、戦争というあるいは軍事的な圧力という手段以外の道をやはりとらざるを得なくなった。これはやはりアメリカが、安全保障という立場から全体の戦略政策を考えざるを得なくなったという状況から生まれたと思います。個々の状況から見ますと、私も必ずしも手放しで極東情勢が平和の方向に向かっているというふうにはとらえておりません。しかし、少なくともアメリカの安全保障構想が、一方では、中国に対して平和的な接近をはからなければならなくなったという状況は、これは現実に私はあると思います。つまり、これがいわゆる軍事力を主体とする防衛構想一本やりでいくとすれば、さらにアメリカの場合、中国に対しても軍事力を強大化いたしまして、その圧力によっての一つの道を選ぶ、こういうことになるのですけれども、それがアメリカ現実としては困難な面もあり、同時に、それは安全保障という面から見ると非常に不利であるといういわゆる答えを引き出したからこそ、こういう状況が出てきたというふうに私は見ているわけです。  そういう中において、いま日本の問題が出てきているわけですけれども、いまおっしゃった基本問題をしっかりととらまえる、これは非常に重要だと思います。そういうように、基本問題としては日本のいわゆる安全のあり方というものはどうあるべきか。いまおっしゃったように、自主独立という立場もございましょう。これは一つの基本であると同時に、一つの目標であると思うのです。しかし、ここでやはり大事なのは、その間にかなり大きな現実というスペースが残っているという点なんです。ですから、私どもが当面取り組まなければならないのは、その基本と目標の間に横たわっている現実にあるというふうに私どもは考えているわけです。したがいまして、たとえばアメリカが少なくとも中国に対してこういう新しい姿勢を打ち出した時期において、まず、いま御発言なさいました日本の軍事力のあり方を、いわゆる日米安全体制というものとあわせて確かに検討してみる時期には当然来ているというふうに私は考えるわけです。  と申しますのは、少なくともいままでの防衛構想というものは、安保体制というものを切り離しては考えられたかったものですし、それによって日本の自衛隊というものも成長してきたことも、これは疑いのない事実なわけです。しかしアメリカが、一方においてはそういう新しい方向を模索し始めたこの時点において、アメリカが過去に打ち出した戦略構想の遺産を、はたしてこれから七〇年代から八〇年代に、日本がそのまま背負っていって一体プラスになるかどうかという点を、現実的に考える必要があると思います。つまり、安保体制の中から止まれてきた構想が私は自主防衛だと思うのです。つまり、アメリカのつくりました極東戦略体制というのは、とにかく軍事基地を強化し、軍事力を強大化することによって一つの防衛体制をつくるという構想です。その中で育ってきた日本の自衛隊というものは、どうしてもその路線に沿って自主防御構想が出てくるわけです。しかし、ほんとうの意味日本のあり方というのは、アメリカのそういった戦略と全く別個な形で、いまこそ模索されなければならないというふうに私は考えるわけです。つまり、日中間の関係というものは、米中間の関係とは歴史的に違いもありますし、それから置かれている状況にも差異がございます。したがって、この際日米安保体制及びその中に育ってきた自衛隊のあり方というものが、今後の日本の進路にとってプラスであるかマイナスであるかということを、先ほど言われた基本と目標の間における現実として両側からはさみながら考え直す。たいへんむずかしい作業かもしれませんが、考えることが非常に重要だと思うのです。  そういう構想の中から、私は立川基地の問題もやはり考えていく一つのすべが出てくるのじゃないかと思うわけですつまり、立川基地のこの移駐というものは、アメリカ側要請も非常にあるということは、アメリカ側も公文書においてはっきりとしているわけです。つまり、これはあくまでもこれまでの日米安保体制アメリカ極東戦略の遺産の一つだと思います。しかし、その遺産を日本がそのまま受け継いでいくことは、はたしてプラスになるかどうかという点を真剣に考えませんと、日本の七〇年代から八〇年代にかけての日本自体の発展、繁栄というものも、やはり大きな問題が私は生じてくると思うのです。  それで、その中に御指摘がありました制服組が少し独走しているのではないかというお話がございました。まあ確かに状況としては、私は制服組の独走という形が出ていると思います。しかし、少なくとも私は、いまの政府がシビリアンコントロールをきかしておるという発言をされている以上、全く独走を許しておるものというようにとらえておらないのです。つまり、政府の方方の中にその独走をあえて前向きで許しておられるからこそ、こういう制服組の独走があらわれるのであって、これはむしろ制服よりもせびろの中において、この問題をもう一ぺん振り返ってみなければいけないのではないかというふうに思うわけです。もしいまの現政府が制服の暴走をとめることができないというような状態であったとしたら、これは自民党政権自体にとっても私は重大な危機ではないかというふうに思うわけです。したがいまして、そういう内部の問題と日米安保体制、それから育った日本の防衛構想という問題を、この時点において、そういう新しいアメリカの行き方をむしろ逆に学んで日本自体の構想を打ち出すべきだ、そういうふうに考えるわけです。
  39. 谷口善太郎

    ○谷口委員 どうもありがとうございました。
  40. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 嘉治小山内公述人には、御多忙のところ長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  それでは、午後は三時より再開することとし、暫時休憩いたします。    午後一時四分休憩      ――――◇―――――    午後三時八分開議
  41. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  昭和四十七年度、予算について公聴会を続行いたします。  この際、御出席公述人各位にごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございました。本日は各位の有益な御意見を拝聴いたしまして、今後の予算審議の上において貴重な参考といたしたいと存ずる次第であります。何とぞ昭和四十七年度総予算に対しまして、それぞれの立場から忌憚のない御意見をお述べ願いたいと思う次第であります。  次に、御意見を承る順序といたしましては、まず小山公述人、続いて中林公述人の順序で約三十分程度ずつ、通りの御意見をお述べいただき、その後、公述人各位に対して委員から質疑を願うことにいたしたいと思います。  まず、小山公述人。
  42. 小山五郎

    小山公述人 ただいま委員長から御紹介を賜りました全国銀行協会連合会の小山でございます。  本日は、四十七年度の予算案につきまして意見を申し述べるようにというような御趣旨でお呼び出しをいただいたわけでございますが、まず最初に四十七年度予算案に関します概括的な考え方を申し上げまして、次いで予算の運営につきまして若干の希望なり意見を申し述べさせていただきたいと存じます。  今日、わが国経済は大きな転換期を迎えていると思うのでございます。すなわち、世界の日からまさに奇跡的と呼ばれるほどの成果をあげた高度成長の反面、社会資本の立ちおくれや、公害、環境破壊の激化、また海外からの反発や警戒心の増大など、その代償もまた大きかったと思うのであります。近年かような点に対する反省が強くなってまいりましたが、昨年末の円切り上げは、これまでの行き方を根本的に見直す機会を与えてくれたのではないかと思うのであります。かようにして、現在多くの国民は、経済運営の重点を従来の高成長から国民福祉へ移していくことを期待しておりまして、今後の経済運営のあり方に対して、発想の転換を求める機運が高まっているのではないかと思います。こうしたやや長期的の観点から見た場合、四十七年度予算に対する期待はまことに大きいわけでありますが、当時は不況からの脱出を第一目標にしてそれに全力を傾注すべきであると思います。  そこで、景気の動向を振り返ってみますと、景気がようやく回復のきざしを見せ始めたやさき、昨年八月のニクソン・ショック、大幅な円切り上げによりまして、企業の投資意欲は極度に冷却萎縮することとなり、国内経済はしばらく停滞を続けるものと予想されるのであります。四十六年度の経済成長率は実質で四・三%という低い数字が見込まれており、これは戦後最大の不況といわれた四十年度の五・四%をもかなり下回っている数字でございます。こうした不況に対処いたしまして、すでに政策当面におかれましては、公共投資を中心とした大型の四十六年度補予算が編成されまして財政支出の増加をはかり、また公定歩合を戦後最低の四・七五%に引き下げるなど、財政、金融両面から積極的な景気振興策が返ち出されましたことは、適切な措置であったと思います。元来、不況からの脱出には金融政策には一定の限界があり、特に財政面からの強力な需要創出が期待されておるからでございます。  以上、四十七年度予算編成に対しまして私が持っておりました期待と申しますか、希望を申し上げたわけでございますが、要するに四十七年度予算に対する評価のポイントは、まず第一に景気の一そうの落ち込みを防ぎ、適正な経済成長を維持するためにどのような施策が織り込まれているか、第二に国民福祉をどの程度向上させるかというこの二点にかかっていると考えております。  こうした観点から、私は四十七年度予算に対しましては、ことのほか強い関心を持っておりましたが、四十七年度予算案を見ますと、景気浮揚と国民福祉の向上という二つの課題を達成するためにかなり思い切った施策が展開されており、この点高く評価ができるのではないかと思います。  四十七年度予算案においては、一般会計予算財政投融資計画ともに、その規模の積極的拡大がはかられておりまして、このような政府支出の大幅な増加は、景気の回復と国民福祉の向上に大きく貢献するものと思われます。一般会計の伸び率は二一・八%で、三十七年度の二四・三%に次いで二〇%の大台を越えまして、十年来の積極大型予算となっております。一般会計のうち景気刺激効果の大きい公共事業費の伸び率を見ましても、二九・〇%とこれまでにない高い伸び率となっております。また、財政投融資も三一・六%でこれまでの最高の三十六年度の二七・五%を上回る伸び率となっております。さらに、四十六年度予算が補正予算財政投融資の三次にわたる年度途中の追加で大きく膨張しておりますので、一年連続の大型予算ということが言えるのではないかと思います。このように大型の四十七年度予算案が、国民経済においてどの程度比重を占めるかという点について検討いたしますと、政府見通しの四十七年度名目経済成長率は一二・九%でありますが、政府の財貨サービス購入の伸び率は一七%と、名目成長率を大幅に上回っており、この点かなり景気刺激的であると思います。また、その規模、内容が景気刺激的であることに加えまして、経済情勢の推移に機動的、弾力的に対処し得るようにするため、政府保証債の発行限度額等を弾力化するなどの配慮もなされております。  ところで、景気浮揚と並んで四十七年度予算案の二大支柱の一つとなっております国民福祉の向上の視点から予算案を見てみますと、社会資本充実のための経費に対して重点的に財源の配分がなされております。特に、国民の日常生活にゆとりを取り戻すために、住宅をはじめ、上下水道、公園、緑地等の生活環境施設を中心とした社会資本の整備に積極的に取り組んでいるのは、これまた高く評価ができるのではないかと思うのであります。わが国の社会資本ストックの水準は欧米先進国に比べてきわめて低く、なかんずく生活関連社会資本の立ちおくれは著しいものがあります。今後も、長期的視野のもとに、国民生活と密着した住宅、下水道等の生活関連社会資本充実のための公共投資の比重を高めていくことが望まれます。  以上、四十七年度予算案についての概括的な考えを申し述べてまいりましたが、この予算案が真に効果あるのかどうかは、一にその運営にかかっていると存じます。この意味におきまして、経済情勢の変化に適切に対応し得るよう弾力的な運営に特に御留意いただきたいと思います。  昨今の急速な景気後退に対しまして、政策当局におかれましては、すでに数次にわたる公定歩合の引き下げ、財政投融資の追加、公共業の施行促進等一連の景気拡大策を実施いたしまして、特に昨年の九月以降は四十六年度補正予算中心に景気振興策を一段と積極化してまいりましたが、引き続きまして四十七年度につきましても公共事業関係費の支払い促進など実効ある措置を講じて、積極的に財政面から需要喚起をはかっていただきたいと思います。過去の例におきましても、四十一年度には公共事業関係費等の早期実施を促進するために、一般会計をはじめ特別会計、政府関係機関の建設事業費を対象といたしまして、上期中に約六〇%の契約を締結するという目標が立てられまして、その実績は七五%にも達したと聞いております。こうした財政面から積極的な需要拡大策がとられたことば、その後の景気の好転を助ける大きな要素となったわけであります。四十六年度も四十一年度と同様に公共事業関係費の繰り上げ促進がはかられまして、上期の契約目標七二%に対して実際は七七%の契約進捗率でありました。もっとも、好調なこの契約進捗に比べまして、財政資金の支払いのほうは若干おくれたようでございます。  ところで、四十七年度予算案は、当初暫定予算で出発することになると思われますが、従来暫定予算が組まれた年は、公正事業関係費の支払いがおくれる傾向がありますので、暫定予算によって財政資金の支払いがおくれ、景気浮揚の効果が減殺されないように十分配慮する必要があると思います。この点、今回の暫定予算には、従来と異なり、人件費、事務費などの経常経費のほかに、公共事業費も組み込まれるというように聞いておりますので、暫定予算の景気に対するマイナスの効果は、それほど大きくはないと思っております。しかしながら、一般に財政政策は金融政策に比べまして経済情勢の変化に対して機動的、弾力的に適用しにくいといわれております。事実、昨年度あたりも実際運営に際しましては、政府の技術陣不足によるところの設計の遅延だとか、土地手当てが困難だというような実情による計画渋滞など、民間からの促進要望の声があがっているのであります。いわんや今年は、超大予算を前にしていま暫定予算が組まれるというのでございます。国民は心理的にもこの点失望感をおおい切れぬところでありますから、四十七年度予算運営にあたりましては、契約ベ-スでも支払いベースでも、過去の例を上回る公共事業関係費の繰り上げ実施を特に要望する次第であります。  以上、四十七年度予算案につきまして、私見を申し述べてまいりましたが、最後に、私ども金融機関といたしまして最も直接の関係がございます国債の問題について、一、二、問題点を指摘させていただきたいと存じます。  四十七年度の予算案を見ますと、財源面で一兆九千五百億円という大量の国債発行が予定されております。この額は四十六年度当初予算における国債発行額四千三百億円の実に四・五倍、補正後と比べましても七千三百億円の増加でありまして、国債依存度も、四十六年度当初の四・五%から一挙に一七%に上昇しております。すでに御存じのとおり、わが国は四十年度に不況から脱出するために国債発行に踏み切りまして、四十一年度から本格的な国債を抱いた財政転換いたしました。四十年度の国債発行額は当初予算ベースで七千三百億円で、国債依存度は実に一六・九%でありました。しかし、かような高い国債依存度は健全な財政体質をそこなうものと批判されまして、四十二年十二月には財政制度審議会、ここにおいても国債依存度はこの数年間に五%以下に引き下げることを目標とすべきであると建議が行なわれたわけでございます。その後息の長い好況が続きましたので、所得税、法人税を中心に税の大幅な自然増収があったために、毎年国債減額が突施されまして、国債依存度も逐次低下いたしまして、四十六年度出初予算では御案内のとおり四・五%と、当面の目標五%を下回ったわけであります。かような年々国債減額を実施いたしまして財政政策の弾力性の回復をはかってきたがゆえに、今回の深刻な不況に直面して、国債の増発によって積極大型の予算編成が可能になったわけであると思うのであります。この四十七年度につきましては、景気浮揚と国民福祉の向上が最大の政策課題である一方、財源面で四十七年度は、円切り上げ後の不況で、法人税の減収が予想されまして、税収増加が四十六年度当初予算に比べてわずか五千五百億円程度にすぎないのであります。したがいまして、国債を建設国債の限度一ぱい発行して目下の政策課題を達成しようとする政策当局の意図はそのまま評価されてよいのではないかと思います。しかし一方では、このような大量の国債発行を続けることには、次のような問題点をはらんでいるのではないかと思うのであります。  まずその第一点は、国債発行規模の節度ということでございます。国債は必ず将来の財政負担をもたらすものでありますし、さらに安易に国債を大量に発行することは、物価上昇を招くおそれもあると思うのであります。したがいまして、国債の発行にはある程度の限度が設けられるべきではないかと、かように思います。もちろん、四十七年度予算につきましては、戦後最大といわれる現在の不況からの回復をはかるという意味で通常の予算とは違っておりまして、かつて四十年不況からの脱出をはかった四十一年度予算と同じような事情、むしろそれ以上に緊迫した事情に現在はあるかと存じます。この意味合いで四十七年度の一七%に達する高い国債依存度も是認されてよいのではないかと思います。問題は四十八年度以降の国債発行規模であります。現在わが国経済転換期にありますから、従来の国債発行の目安であります国債依存度五%というものは、必ずしも適切な指標ではないと思いますが、四十七年度のような高い国債依存度が惰性的にずるずると今後是認されては相ならぬと考えるものであります。あくまで今回のような高率の国債依存度は、今回のような景気刺激策として臨時的な措置にとどめるべきではないかと思います。  第二の点といたしましては、国債の市中消化の問題であります。国債の消化につきましては、市中消化の原則が尊重されておりますものの、個人層への販売は全体の一割にすぎず、大部分は都長銀を中心とする市中金融機関が一定の比率で応募引き受けることになっております。ところで、四十七年度の金融情勢の見通しをいたしますと、外為特別会計を通ずるところの通貨供給のパイプは、今後国際収支の恒常的黒字が続くにいたしましても、四十六年度に比べて大幅に縮小すると予想されますので、最近のような金融市場の超緩和は期待できないと思うのであります。また、国債のほかに政保債、地方債などの公共債の大量発行が予定されておりますので、市中消化を円滑に行なうために金利のメカニズムを十分に活用していただきたいと思います。国債市場に金利機能が十分に作用したときこそ本来の市中消化の原則が守られる、かように言えるのではないかと思うのであります。  以上、四十七年度予算案に対しまして、私の感じました点を率直に申し上げたわけでございます。円切り上げを契機といたしまして、今後のわが国経済は、従来の民間設備投資主導型から財政主導型に移行すべきではないかという考えがございます。もちろん、私といたしましても、今後、経済成長に対する民間設備投資の牽引力は相対的に弱くなり、高福祉社会実現のために財政の果たす役割りが拡大するだろうと思っております。しかし、今後の日本経済の発展は、ただ単に財政主導というだけではなく、財政と民間が一体となって推進すべきものであると考えております。  以上をもちまして私の公述を終わらせていただきます。長時間御清聴ありがとうございました。(拍手)
  43. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 どうもありがとうございました。  次に、中林公述人にお願いいたします。
  44. 中林貞男

    ○中林公述人 私、ただいま御紹介をいただきました日本生活協同連合連合会の中林でございます。消費者運動をやっております立場から、四十七年度予算について私の所見を述べさせていただきたいと思います。特に私は物価の問題を中心にして意見を述べてみたいと思います。  現在、物価の問題が日本にとって一番重要な問題になっているわけでございますけれども、特に最近のドル・ショック、不況によって、この物価の問題で一番打撃を受けていると申しますか、しわ寄せを受けているのは、私は消費者、特に家庭の主婦だというふうに思っております。私たち日本全協連では、中央、地方を通じてことしも日銀の家計簿を約二万部お世話をいたしました。そして二万部の家計簿をお世話して、そのうち調査の対象としてお答えいただける主婦の方を大体五百人私たちは組織をして、いろいろと家計簿集計にもう十五年近く御協力を願っているわけでございます。特に最近その中で、御主人の年齢が四十歳代でお子さんが二人、大体高校に行っておいでになるお子さんを中心に二人お子さんをお持ちの、つまり標準世帯の実際の家計簿というものを毎年四月と十月とにわたって二回行なっているわけでございます。その家計薄集計によりますと、御主人の収人は、一昨年の十月は九万五千九百五十八円でしたが、昨年の十月は十一万一千四百七十一円と、貸金はなるほど上がっております。しかしながら、そういう中にあって、物価がどんどん上がるということの中で、家計支出は、四十五年十月は十二万七千三十二円、昨年の十月は十四万九千百十八円というぐあいで、御主人の毎月の収入というものは家計支出の中で七五%前後というぐあいになっているのが現状でございます。そして特に入学用という教育費その他の非常にかさみます四月には、それが六〇%台と御主人の収入の家計の中に占める割合がずっとダウンしてまいっているというのが現状でございます。それで、その主人の収入が足りない分というものを、年二回のボーナスのやりくり、あるいは借金あるいは主婦の内職収入という形でまかなっているというのが家計の実際の姿であります。  ところが、そういうような中にあって昨年のドル・ショック以来、各企業で残業規制を全面的にやってまいっております。したがって勤労者の収入というものは残業規制が全面的に行なわれる。ここ十数年、高度成長の中において残業手当というものが一定収入のようになっていたわけでございますけれども、昨年の秋以降は一万円から二万円残業規制によって収入がダウンしているというのが実際の生活の実態であります。そしてまた、昨年の秋ごろからは主婦の内職先というものがだんだんとなくなってまいっております。そういう中にあって物価がどんどん上がるということでございます。したがって主婦は、そういう中にあって家計のやりくりというものに一番苦労をしている。私は、ドル・ショック、不況の中でいろいろな企業もそれぞれ打撃を受けておいでになります。しかし、その打撃というものを一番強く受け悩んでいるのは、私は主婦ではないかというふうに思っております。  私はこういう仕事をしておりますので、よく婦人団体の講演会、講習会に出かけるわけでございますが、そういう場合に、一般の家庭の奥さんたちがお集まりになる、たとえば県の消費者センターなどにおける主婦の方の集まりにおいては、非常な切実なお訴えを聞くことが多いのでございます。そして主婦の方たちは、毎日買いものにいくごとに、このお野菜に、このお魚に、この食料品に有害な添加物が入っていないかどうか、この買いものをしたら夫や子供の健康にどうかということを毎日悩まされる。そしてお野菜、魚が上がるという中で、こんなに物価が上がっては、自分の預っている主人の収入でどうまかなったらいいんだということで毎日悩まされるということを、主婦の方たちは非常にラジカルにお訴えになる。私は、消費者連動をやったり、あるいは政府のいろんな委員会に出ている関係上、主婦の方たちから、中林さんは消費者連動をやっていろんな政府委員会に出ておいでになるが、こういう実態をどうお考えになるのかということでむしろ突き上げられることの非常に多いことを私は痛切に感じております。そして、あとで非常にラジカルに私突き上げられるので、そういう御発言をなさった奥さま方はどういう方の奥さまかと、そう思って聞きますと、それ相当みんな地方でりっぱな地位を持った方の奥さまたちであるということを聞いて、私はむしろびっくりする。そのようなぐあいで、物価の上昇ということは、今日全国の主婦にとっては非常な重大な問題になっている。そして主婦は、その物価の上昇の中で、そして家庭における収入が先ほど申しましたように、不況の中でタウンしてきている中でどうやりくりするかということで非常に悩んでいるというのが現状でございます。  厚生省の四十五年の健康調査によりましても、最近日本人の間において十人に一人くらいの人が何らかの病気になっているということが調査の結果明らかになっておりますし、それからまた、主婦の栄養不良ということが一番大きな原因になるところの貧血というものの調査を見ますと、同じ年齢の男の方と女の方というのを比較しますと、主婦の貧血で倒れるパーセントというものは圧倒的に最近多くなってまいってきております。大体各年齢の調査でございますが、七〇%から八〇%、男女の関係において主婦の貧血で倒れる方のパーセントが多くなっているというのが、厚生省の統計でもはっきりいたしております。これはやはり、物価上昇の苦しみ、悩みというものを主婦が一手に引き受けているというのが、私は日本の現状ではないだろうかというぐあいに考えるわけでございます。  したがって私に、先生方にぜひ、今日のこの物価問題について抜本的な対策をお考えをいただきたいというふうに考えているわけでございますが、そういう観点から私は今日の四十七年度の予算というものを拝見をいたしますと、四十七年度の予算は、不況の打開、景気の浮揚ということと社会福祉の向上、この二つが大きな柱になっているわけでございますけれども、不況打開、景気浮揚というところにもっぱら重点が置かれている。しかも、その不況打開、景気の浮揚ということが大企業中心にする不況対策という形になっていることを、私は非常に残念に思うわけでございます。不況対策をしなくちゃならないことは当然のことでございますけれども、私は国民生活の場にもっと焦点を合わせてお考えいただけないかということを痛切に感ずるわけでございます。予算において十一兆四千億をこえ、それから公債発行が一兆九千五百億という大型の予算が組まれております。そしてその中で公共投資、公共事業費を見ますと、住宅公団、住宅金融公庫、首都高速道路公団、阪神高速道路公団、地方自治体の上下水道の起債等、公共投資が五兆五千百五十億になっているわけでございますが、この中で地価に食われるものが約一兆五千億あるのではないだろうか。そういうことから考えますと、今日物価の中において非常に重大な問題になっている土地の値上がりという問題について、四十七年度予算の中において、このままでは、この予算はさらに土地の値上がりというものを引き起こすのではないだろうかということを心配するわけであります。  それから、四十七年度予算においては、公共料金が一斉に値上がりをしているという問題でございます。公共料金がこのように値上がりをしていくということは、やはり今日一番重大な問題である物価をさらに刺激するという結果になるということを、私は非常に憂えるわけでございます。そういうような点から私は、四十七年度予算というものについて、もっと国民の生活の場に焦点を合わせて御検討願い、国会において、諸先生方においてその点について十分御検討をいただきたいというふうに考えておるわけでございます。  まず第一点は、やはり私は、国民の生活の場に焦点を合わせた場合においては、所得税の大幅減税ということが今日どうしても必要なのではないか。サラリーマンの納税者をとってみますと、毎年サラリーマンの納税者の割合というものが多くなっているわけでございます。大蔵省の発表によっても、サラリーマンのうち三十七年度は六〇%が税金を納めていたけれども、四十七年度のこの予算では、八三%がサラリーマンの中で税金を納めるということになっているわけでございます。したがって、一般勤労者に対する税負担というものは、毎年毎年強くなってきているというのが現状ではないだろうか。なるほど政府では、四十六年度の年内において千六百五十億の年内減税をおやりになったということをおっしゃり、そうして平年度化するとそれは二千五百三十億やはり減税になるんだというお話でございますけれども、今日の物価の上昇の中においては、これだけのことではやはり生活というものはさらにさらに苦しくなっていく。また老齢年金において、月三千三百円として、なるほど千円ふえておりますけれども、千円ふえて三千三百円ということで年とった方たちが安心して生活ができるのかどうかということを考えた場合に、生活優先、公共福祉と福祉の問題を重点に考えた場合に、やはりここにも大きな問題があるのではないだろうか。スウェーデンなどでは、六十五歳のお年寄りは日本円にして年額三十七万円の養老年金をもらっているということでございます。  そういうような点を考えますと、四十七年度予算において、税金その他の点においてもっと生活の場にあたたかい配慮というものをほんとうに御検討をいただきたいと私は思う次第でございます。  そうしてまた、景気の浮揚ということは私は大切なことだと思いますけれども、景気の浮揚ということについても、私は国民生活の場にもっと焦点を合わせてお考えをいただくことが大切なのではないだろうか。たとえば、住宅産業というのが今日大きな問題になっております。昨日の日経の夕刊にも、住宅ブームというものは頭打ちになってきているということが大きく出ておりましたけれども、先ほど申し上げますように、勤労者の収入といりものはいま非常にダウンしてきて、そうして物価が上がっている。働く労働者は残業手当を当てにして十五年、二十年の長期返済で住宅を建てておったというのがこれまでの実情だと私は思います。その残業手当なり収人が減っている。しかし住宅に対する欲求は非常に高いというのは、先生方も御承知のとおりであります。  この点について申し上げますと、先生方も御承知のことと思いますけれども、アメリカなどにおいても、不況のときに住宅問題を大きな問題として取り上げる。しかし住宅ローンについては、大幅の利子補給を必ずそういうときにしているということでございます。西ドイツにおいてもそうでございます。住宅をほしい国民が、ほんとうに住宅を手に入れることができるような配慮ということ、そのことが今日一番大切であって、住宅産業という問題について、建設企業に焦点を合わせるということよりも、やはり住宅をほしいと願っている国民の生活の場に、土地の問題あるいは利子補給の問題、そういうことをお考えをいただいて、住宅を手に入れやすいような御配慮をぜひ私は予算の中においてもお考えをいただきたい。たとえば財投でも、造船などの大企業に対しては四分とかの安い金利で財投の金がいままで出ているということでございます。そうすれば、景気の浮揚、そうして国民の福祉を考えるということであれば、住宅のほしい者に対して、外国でもやっていることでございますから、利子補給をして住宅を手に入れさせる。そのことは急がば回れでございますけれども、住宅産業を進めていくという上においても非常に大切なことではないだろうか。このままでは、大衆は住宅はほしい、住宅のための予算は用意はされているということですけれども、昨日の日経に出ておりますような、住宅産業というものは頭打ちになるという結果を来たすのではないだろうかというぐあいに考え、したがって景気の浮揚という問題についても、国民生活の場に焦点を合わせてお考えをいただくことがこの際非常に大切ではないだろうか。  また、そういう面から、私ら物価の問題に対して、御承知のように、全国の各地において、主婦を中心にして、団地などにおいて産地直結の運動がこの一、二年行なわれてまいりました。しかしながら、主婦たちは、物価が上がるので、何とか自分たちも手をよごして物価が上がらないようにしょう、そういう努力をしても、消費者のそういう努力に対してあたたかい配慮がほとんどなされていない。産地直結、魚とか野菜、くだものというようなものを考えました場合に、どうしても団地とかそういうところに、集配センターとかあるいは冷凍施設、そういうものが消費者の手によってつくられなくちゃならないのでございますけれども、そういうような施設についてもほとんど企業中心にして考えられているというのが日本の現状でございます。  私は生協の事をやっているわけでございますが、そういう中において、現在全国各地において、生協をつくろう、生協をつくって自分たちの力で何とか物価に対する一つの防衛の運動をやろうという動きは名地に盛り上がっております。これは主婦のほんとうの心からの願いとして、自衛の運動として起きているわけでございますけれども、その生協がそういう中において一定の役割りな果たそうとしても、いま申し上げたような形でなかなか果たせないというのが現状でございます。  そうして私は、昨年のこの予算公聴会において、物価の問題で流通機構を中心にして申し上げましたので、本年は流通機構の問題は控えまして、特に今度の四十七年度予算において重要な問題になっている公共料金の問題について少し意見を述べさせていただきたいというわけでございます。  せんだって消費者八団体が一緒になって、主婦会館で公共料金の値上げ問題についての消費者団体が主催する公聴会をやりました。そしてそこで、国鉄なり地下鉄なりその他、公共料金の今度値上げを計画しておいでになりますそれぞれの団体から役員の方に御出席いただきまして、御意見をお聞きいたしました。しかしその中で、私たちは非常に驚いたことがあります。国鉄は現在六千億の赤字をかかえている。営団は何十億の赤字をかかえている。政府援助を十分してくれない。それで、政府援助をしてくれるか、あるいは運賃の値上げをせざるを得ないというのが、各役員の方たちの御意見でございました。そういう中で、そういう国鉄にしても地下鉄にしても、そういう事業体においては、企業の経営責任というものをどうお考えになっているんだという質問が出ましたけれども、各役員の方たちは、企業の経営責任ということについて、ほとんどその責任をお考えになっていたい。政府援助してくれないからだ、それだから赤字が積もったんだ、それだからどうしても値上げをしなくちゃならない。私は、少なくとも、企業の経常においては、やはり経営責任、経営努力というものがなければ、そのしわを国の予算とかあるいは利用者の運賃値上げというものによって解決しようという思想では、公共料金の問題は永久に解決しないんじゃないかということを、むしろ非常におそろしく、そのとき一緒にそれに出ていて感じました。こういうことであれば、中小企業はそういう赤字をどんどん出せば倒産をしてしまうんです。経営責任を問われるわけであります。それからまた主婦は、家計の赤字が出たら、先ほど申し上げましたような、自分の健康を犠牲にしても家のやりくりの責任を持たなければならないのが主婦の立場であります。ところが、今日、公共料金に関係するそれぞれの事業体におけるところの経営責任というものがどうなっているのかと、あとで主婦たちはその点を非常にむなしく思ったわけであります。このような親方日の丸式な経営というものがこのまま放置されたら、私は、公共料金の値上げというものはどうなっていくのかということを非常に憂えたわけでございます。  私はかつて若いときに、戦前の日本製鉄の社長をしておいでになりました平生釟三郎さんの秘書を五年ばかりやったことがあるのでございますけれども、そうして講演の原稿をよく書かされましたけれども、そのときいつも平年さんは、事業体、企業体においての一番大切なことは、企業努力と企業の責任を明確にして努力をすることだ、親方日の丸的な思想では企業経営はだめになってしまうんだという講演を常になさって、私はその原稿を何回か書かされたことを覚えております。したがって私は、公共料金のこの引き上げの問題については、国会において、いま申し上げましたような点からぜひ根本的に御検討をいただきたいということを、切に諸先生方にお訴えをいたしたいと思うわけでございます。  もちろん、今日の物価の問題は、根本的にはいろんな大きな問題がたくさんあります。政府のいままでとってきた高度経済成長政策、あるいはインフレの問題だとか、いろいろ大きな基本的な問題はございますけれども、私は、物価の問題において現在大きなネックになっておりますのは、やはり必要以上の行政介入、特に生活物資という問題においてはあまりにも行政の介入というものが強過ぎるのではないか。そういうところに再販制度の問題もありますし、いろんな許認可の問題もあるかと思います。そういう問題が物価の下方硬直ということに大きな役割りを果たしていて、物価の問題については、物価安定政策会議、中山先生の委員会でも御指摘になっておりますような、この点を大いに御検討を願うことが必要なんじゃないか。  それからまた、先ほど申し上げましたような、そういうことを通じて、私は企業企業努力あるいは経営責任というものをもっと明確にしていく必要がある。そういう点から、これは私見でございますけれども、現在公共料金に関係のあるような公団、事業体に対しては、ぜひ民間の経営責任を持った経験のある方と消費者代表というものによって、一つの簡素な監査機構のようなものをおつくりいただいて、企業の経営責任というものを明らかにするような制度をお考えになり、その結果を国会に報告をして、どうなっているかということを先生の前で御審議をいただくようなことが、公共料金の歯どめに対する一つ考え方ではないだろうかというぐあいに思っている次第でございます。  それからもう一つは、私はやはり諸先生方に、現在の物価問題を解決していくためには、やはり消費者運動というものに十分御関心をお持ちいただきたい。そして特に流通機構の中において消費者の発現権というものを確保するようなことをお考えいただく。そのことは、我田引水になって恐縮でございますけれども、私は、生活協同組合が日本の流通秩序の近代化の中において果たさなければならない役割りというのはそういう点にあるのではないか。もちろん、生協によって物価問題が解決するというようなおこがましいことは全然私は考えておりませんけれども、やはり一つの物価の牽制役として、流通秩序の中に生協というものをぜひお考えをいただく。これはヨーロッパ諸国の実例によってもわかりますし、日本においても、生協がささやかでございますけれども物価上昇に一つ役割りを果たしているということは、私は現実の事実であろうというふうに考えるわけでございます。  いずれにしましても、四十七年度予算において、物価の問題につい十分先生方の慎重な御審議と御検討をわずらわしたいというのが私の意見でございます。  以上をもちまして、私の公述を終えさせていただきます。、どうも失礼しました。(拍手)
  45. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 どうもありがとうございました。     ―――――――――――――
  46. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 これより両公述人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますから、順次これを許します。西宮弘君。
  47. 西宮弘

    ○西宮委員 中林公述人にお尋ねをしたいのでありますが、先生は生活協同組合の仕事を専門にやっておられるそうでありますが、端的にそのことで伺いたいのであります。  いま公述のおことばの中に最後に、生協運動が日本の物価を抑制する、そういうおこがましいことは私は考えておらないというお話があったのでありますが、実は私はむしろ、そんなにおこがましいことなどと言って遠慮をされないで、生協がぜひそこまで成長してもらいたいということを願っておるわけであります。と申しますのはスウェーデンであったかと思いまするけれども、労働組合の賃上げ運動に際して生協が一枚加わる。それで、ことしはどの程度に賃上げをするかということで生協も一枚加わって決定する。つまり、いわゆる大幅賃上げというような主張に対して、生協は、物価の上昇はことしはこの程度にとどめる、したがって、賃金のアップはこの程度でよくはないか、こういう話し合いをいたしまして、政府の決定は最終的に生協が物価をどう見るかということを勘案して労働者の賃金のアップ率をきめる、こういうことを先般参りましたときに聞いてまいったわけであります。  そこで、私はそのことをお尋ねするわけではありませんけれども、つまりこれなどは明らかに生協が国全体の物価の動向を左右する。そういう意味で、いわゆるさっき公述人の言われたように、公述人かおこがましいといって遠慮をされた、そういうことを現実にやっておるわけですね。ですから、私はぜひそこまで日本の生協もいってほしいということを痛感をするわけでありますが、これには、そこまで伸びないということにいろいろなネックがあるのだろうと思います。それをどういうふうにしていったらば解決できるのか。あるいは流通機構の問題、さらに産地直結の問題、いろいろそういう問題があると思いますけれども、やればやれるのだ、単なる理論だけではだめだと思うのですよ。そうじゃなしに、やる気になりさえすればやれるのだ、そういう実現可能な、実行可能な施策として、どういうことが物価抑制の施策としてやり得るか、こういうことをひとつ端的にお聞かせいただきたい。それにあわせて、生協の成長をはばんでいるのは何かということを聞かせていただきたいと思います。
  48. 中林貞男

    ○中林公述人 いま西宮先生から逆に御激励をいただくような御質問をいただいたわけでございます。私たちは、もちろん生協運動を発展させることを通じて現在の日本の物価問題について一定の役割りをぜひ果たさなければならないし、また果たしたいという熱意を持っております。しかしながら、いろいろな日本経済事情というものを考えた場合において、むやみにはね上がったことを考えてもいけないと思って、私は先ほど申し上げたようなことを申し上げたわけでございます。  それで、私たちは生活協同組合なり消費者のこういう活動がやりいいようにいろいろなことを御配慮いただきたいと思います。たとえば生協法ではいろいろな制約を受けているわけです。今日、経済が広域化し、住宅が公団とかいろいろな関係で二府県にまたがっている場合などがたくさんあります。そういうときに生協をつくろうといっても、生協の認可は知事で、そうして県単位という形に拘束をされております。それから、生活協同組合は法律で員外利用を全面禁止されているわけでございます。  私はかつて国会に参りまして、三十何人かの諸先生方に、先生、生協を利用するときに出資金を出してから買いものをなさいますか、買いものをなさっていいか悪いかわかってから出資金をお払いになりますかという御質問を、私は一人で回ってしましたら、お一人残らず、いいか悪いかわからぬのに最初から出資金を出すばかかいるかとおっしゃったわけでございます。ところが、生協では法律で員外利用ということを全面的に禁止されております。私は、もちろん運動として、また指導として員外利用は間違いだ、生協は消費者の共同と連帯の組織だから、必要な金は、出資金は自分たちで出し合い、自分たちが労力を提供する、そういうところからいえば、員外の者を自由に利用させるということは間違っているという立場に立って指導をしております。しかしながら、法律でいま申し上げましたような形で全面禁止されているというのが実情でございます。こういう姿は、諸外国どこの国へ行きましても、生協活動が法律で全面禁止されているというところはございません。これは、生協法ができましたときに、中小企業の方との関係においてやむなくこういうふうになったわけでございます。私たちは、中小企業がどうなれというような、そういう考えは毛頭持っておりません。私は中小企業の発展も大切なことだと思い、私たちはフェアプレーでお互いが消費者のためにやっていけばいい、そういうところで、努力の足りない生協はつぶれるものがあってもしかたがないというふうに思っております。しかしながら、法律で全面禁止されているということは非常に問題があるのではないだろうか。それからまた、職域生協において付近の住民の方、いろいろな関係のある方たちに利用してもらいたいという御希望を職域の生協の方たちは皆さんお持ちでございますけれども、それがやはり現在の法律でできなくなっているということでございます。それから農協や漁協では信用事業を認められておりますけれども、生活協同組合は信用事業というものが認らられておりません。この点もヨーロッパ各国の生協と全然違った取り扱いを受けている点でございます。  法律においてはそのようなことがございますし、またいろいろな業界関係、たとえばお米の取り扱い、おししい米を食べたいという願いがあり、生協は農協と一緒になって正しい配給、そしておいしい米を消費者に供給をしたいと思っても、現在まで登録制ということで生協はお米を扱うことができなくなっております。  その他、そういうような制限をすべて受けているというのが現状でございます。私たちは、必要以上の保護とか援助ということを申しませんけれども、消費者のそういう秩序ある自由な活動というものはぜひお認めいただきたいという切なる願いを持っておりますが、このあたりが、私はやはり今日、日本の生協が伸びることのできない大きな一つの原因になっているというふうに思っております。
  49. 西宮弘

    ○西宮委員 いまのお話の中にもあったわけでありますが、中小企業との対立――対立と申しますか摩擦が起こる、こういう問題があると思うのですね。ですから、やはり生協を考える場合には当然、中小企業の問題も考えていかなければならぬ、こういうことで、せっかく生協の理念、生協の現実にやっておる仕事、それはいまの物価高の現在たいへんないい仕事をしている、こういうことはおそらく大方の皆さんが認めていると思うのですよ。しかし、それにもかかわらずいま言われた法律上のいろいろな規制、そういうことが容易に排除されないという大きな理由は、いまお話しのあったような中小企業との関係にあるのではないかというふうに私どもは想像をするわけですが、そういうことになりますると、これにやはり生協としても何らかの対策を考えないと生協自身も伸びない、こういう結果に終わるおそれがあると思うのです。  そこでお尋ねをしたいのは、中小企業――中小企業と申しますか、中小商業ですね、中小商業との調整を生協としてはどういうふうに考えておられるか。もちろんいまお話しの中にもありましたように、中小企業がわれわれのかたきではないのだということを言われて、そのとおりだと思います。むしろいま現実に地域に起こっている問題は、大きな指折りの大企業がそういう資本にものをいわせて地方にまで進出をしてきて、そういう大きなスーパーみたいなものが続々出てくる。こういうことで、これは生協にとっても一つのライバルでありましょうけれども、同時に地元の中小商業者にとってもたいへんなライバル。したがって、そういう点ではむしろ中小企業と生協は同じような利害関係に立っておるというのが実情ではないかと思うのです。しかし、なかなかそういう点が理解されないで、中小企業にとっては、中小企業の側から見ると生協が目のかたきだというふうに思われているという、そういう例も少なくないのじゃないかと思うのです。そういうことをいろいろ考え合わせてみると、私は、もっと中小企業を生かしていく、そういうことを考えながら生協も発展する、こういう道を考える以外に生協の、さっきお話にあったようなネックを解決する道がないのじゃないかというふうに思うわけです。もしも生協の立場で、中小企業を抱きかかえながらそういう点でお互いに協力しているというような実例等があるなら、なおさらけっこうでありますし、そういう点について何かお話がありましたら聞かせていただきたいと思います。
  50. 中林貞男

    ○中林公述人 いまの西宮先生の中小商業者との問題というのが、私たちにとっても一番重要な問題だと思っております。私も中小企業団体の中央の方たちとは個人的には皆さん懇意にして、お互いによく話し合っております。それで、私たちも、中小商業者の方を必要以上に刺激をすることはやめる、やらないようにしようじゃないかとか、あるいは員外利用をただルーズにやるということは絶対いけない、員外利用はやはり生協運動の趣旨に反しているということを私らは指導としてやっております。そしてまた、商店の商人の力、八百野さん、魚屋さんというような商業者の方たちは、生協が野菜とか魚を取り扱っていくという中においては、全国各地で魚屋さん、八百屋さんのむすこさんたち、そういう方たちが生協に入ってきて、そうして実務者として一緒にやっていただいている例は地方へ行きますと非常にたくさんありますし、私たちは、そういうような中小商業者の技術というものはお互いに大切にしていくことか必要であろうというふうに思って、お互いにやはりフェアな競争ということは、これは中小商業者相互の間においても行なわれることですし、私たちと中小商業者との間のフェアな競争ということは、これは当然あってしかるべきことだろうというふうに考えて、できるだけ話し合いの場をつくってお互いが協調をしていくというような態度をとっているということでございます。
  51. 西宮弘

    ○西宮委員 最後に一問だけお尋ねをいたします。  生協のかかえている問題あるいはまた今後の打開策といったようなことですね。いまのお話でよくわかりましたが、もっと生協を離れていわゆる消費者運動としてどういうことが行なわれ、特にそれが政治の場でどういうことをやったら物価抑制に役立つか、さっき非常に強調された公共料金の問題などもとよりでありますが、さらに、さっきことばとしてお述べになりました産地直結の問題とか、そういうようなことで具体的に政治として何かやったら大きく物価抑制に役立つ、こういう問題が生協以外に何かありましょうか。何か考えておられることがあったら聞かしていただきたいと思います。
  52. 中林貞男

    ○中林公述人 私は、議員の皆さま方にぜひお願いしたいと思いますのは、消費者運動というものをぜひ大切に育成をする。いろいろな政府委員会がございますが、そういう中に必ず消費者代表を入れるというようなことを先生方にひとつぜひ御推進をいただきたい。  それから、特に私は、先ほども申し上げましたが、日本の流通機構の中に消費者の発言権というものをぜひ認めていただきたい。私たちも、ただ反対、反対と言っておってもなかなか物価問題は解決しません。私たちは、具体的に消費者自身もそういう点では安易な生活ということではなくて、手をよごすところはお互いに手をよごして努力をする。牛乳でも各家庭に朝早く一本一本配達してもらうとか、新聞も各家庭に配送してもらうとか、そういうような点については、消費者自身もお互いに手をよごす努力はしなければ、私は、いろいろな問題は解決していかないというふうに思っているわけでございます。やはりヨーロッパ各国の先進国で見まして、流通機構の中に消費者の具体的な活動の場、たとえば中央市場とかそういうところにおいても、私たちドイツのボンの市場へ行きましたら、日本の市場と同じく、やはり市場機構の中において農協と生協との直接の取引が制度として認められているというようなことを知りました。ヨーロッパ各国でもそのようになっているわけでございますが、やはり流通機構の中において消費者の発言の場、また経済活動の場がぜひ持てるように、私は先生方に御配慮をいただきたい。また、そういうことのためには、消費者サイドに立ちましたところのいろいろな倉庫とか冷凍庫とか配送センターというものが必要になってまいるわけでございますが、そういう点についても、予算その他において国会の諸先生方ぜひ御援助をお願いしたいというふうに考えております。
  53. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 次に、大村襄治君。
  54. 大村襄治

    ○大村委員 まず、小山公述人にお尋ねいたします。  先ほどの公述におきまして、国債の消化に関していろいろ御意見を出され、その点はごもっともだと思うのでございますが、最近の景気の動向にかんがみまして、一般金融機関におかれましても、中小企業や庶民向けの融資ワクを拡大するとかあるいは金利水準の引き下げ等についていろいろくふうを講ぜられておることと思うのでありますが、そういった点についてどのようなお考えを持っておられるか、あるいは関連する予算との関係においてどのような御意見を持っておられるか、その点をお尋ねしたいと思うのであります。
  55. 小山五郎

    小山公述人 ただいま一般金融機関が中小企業、そういった形に対しての融資態度というものをどういうふうに考えておるか、そしてまた、金利というものに対してどういうふうに金利の引き下げに努力をしておられるかという意味合いかと思うのでございますが、さようなことでございましょうか。――まず金利関係の点からお答え申し上げますが、先ほども公述で申し上げましたように、一昨年の十月以降数次にわたるところの公定歩合の引き下げにかかわらず、案外一般の金利水準が下がらぬじゃないかということをしばしばわれわれどもに対するお小言としていただいておるわけでございます。そしてまたそのつどお答えしておることなんでございますが、まず大きく申し上げますと、金利の引き下げがわりあいに渋滞していたという理由の一つは、非常に大きなデフレギャップ、つまり設備過剰、設備と供給とのアンバランス、そういったものが現在あることは事実でございまして、つまりそれが設備というような形でございますので、先行投資という形になっておって、それのいわばツケが逐次回ってくるということがまず一つの事実でございます。  それから、金利というものの日本銀行であらわしておりますところの統計が、長期金利と短期金利とが一緒になってこれが出ているということに一つの問題があるかと思うのでございますが、最近におきましては、長期金利が一般金利の中でもって占める割合が非常に多くなってきている。したがいまして、公定歩合が下がった割合に短期金利、標準金利の分は非常に下がるのでございますが、長期金利はなかなか下がらないというような点で、双方ミックスした金利水準はわりあいに下げにおいて渋滞しているということ、かようなことが一つの事実なんでございますが、それに対しまして現状のところ、とにかく一昨年を通じまして日本の金融市場に類例を見ないくらいの緩慢、そしてまた資金の流れが、外資の流入という形でもって成長通貨がまかなわれてきたというようなことで、資金の流れがまるで一変してしまった。そういうような状況下におきまして、ただいまのような金利が下げにくいという事情はよしあろうとも、客観情勢はまさに緩和状況、そしてなお今後も続きましょうということですので、逐次金利は、下がりつつあると思います。  そしてみた現状におきましても、すでにもう御案内のとおり、一月中の大体の数字が出ましたが、一月中では、先ほどの長短混合数字でございますが、〇・〇六%、従来は平均して〇・〇三三%というような形で下げておりましたが、それが倍加してきたというような状況でございまして、なお一般環境がさような緩慢状況でございますので、傾向線としてさらに金利の下降は示されると思うのでございます。  そこでまた、それに対しますわれわれの努力はどうなのかという点で、まず消費者物価と預金金利、つまり資金の調達面におけるところの一つのてこ入れがあるからなかなか貸し出し金利は下がらないのじゃないか、そういう努力がないのじゃないかという御反間もあろうかと存じますが、確かに現状におきましては、それぞれの金融機関が立場に応じてでございますが、それぞれとも利幅というものは狭くなっていることは事実でございます。しかしながら、金融機関というものは、利幅が狭くなったからといってそのまますぐスライドして貸し出し金利を上げ、もしくは下げるのを渋るというような形には現状においては結びついていないと思うわけでございまして、われわれどもといたしましては、この点公共的な観念を十分に取り入れているつもりでございまして、こういうときにこそ企業の努力というものが文字どおり行なわれ得るのじゃなかろうか、かような気持ちでもってさらに利下げの努力に進んでいるわけでございます。  それから、個人一般に対する貸し出しの第一の問題でございますが、確かに数字におきましてはほぼ三兆ということでございますが、全体のパーセンテージにしますときわめて少ない。一〇%以下であると私記憶しております。そういうようなことでございますが、これはひとつ、いままでの経緯というものをひるがえって考えていただきたいと思うのでございますが、従来、この二十五年間、敗戦というところでゼロというか、マイナスというか、そういう形からスタートしてきたわれわれの国民経済、まず国民経済の興隆、再興をはからなければ、各自の生活そのものの充実ということもはかり得ないことは当然の仕儀でございまして、かような姿でもってオーバーローン、オーバーボローイングというような形を従来続けてまいった、そしてここのところまで現在来て、物質的な充実は十分できたところに現状が立ち至って、ここで初めて、率直に申し上げますと、従来の金融機関、なかんずく市中金融機関の大衆化路線というものが、ほんとうの意味におけるところの大衆化路線に転回するところの契機並びにその実質的余裕を得たのだという形であろうかと思います。そこで、ここ両三年というもの、そういう消費者ローンあるいは各自の生活それぞれに結びついているところの貸し出し、一般企業に対するところの融資はもちろんのこと、そういったものが非常に急速にそれぞれわれわれ商品として開拓しこれを提供している、かような状況でございます。
  56. 大村襄治

    ○大村委員 次に、中林公述人に三つほどお尋ねしたいと思うのでありますが、時間の関係もありますので、簡単に要点だけお尋ねしますので、お答えも簡略にお願いしたいと思います。  まず第一が、今回の予算の流通問題につきまして、たとえば野菜を中心として集送センターでありますとかあるいは価格安定基金制度でありますとか、前年に引き続きかなり予算面で配意されているようにも見受けられるのでありますが、中林さんこの点をどのように評価されているか、第一点まずお答え願いたいと思います。
  57. 中林貞男

    ○中林公述人 そのことは私も承知しております。しかし、やはり消費者サイドで、そういう配送センターだとか価格安定が、いままであまり成果をあげていないという点について、やはり流通秩序の中で消費者の活動、働きというものが行なえるような配慮予算の中でもしていただきたい。いまの先生のおっしゃった点は私も承知しており、そのことは私は大切なことだと思っております。
  58. 大村襄治

    ○大村委員 次に、公共料金の問題でありますが、中林さん、経営責任の点について体験に基づいて貴重な御意見を言われて、その点は一般論としてごもっともだと傾聴いたしたのであります。しかし、実際問題としまして、公共料金といいましても範囲が広い。たとえば国鉄などについていいますると、やはり公共性と申しますか公共的な輸送機関としての独自な任務を持っているというような点もございますので、民間の原則なり経験をそのまま適用するわけにもいかない。そういった点をどのようにお考えであるか。たとえば国鉄あたりが都市に乗り入れをする、あるいは過疎地域の開発に出る、あるいは環境保全との関係に取り組むということにいたしますると、いろいろやはり財政資金の援助を仰がないとバランスがとれないという面もあるのではないか。そういった点を中林さんどのようにお考えになっているのか、念のために伺っておきたいと思います。
  59. 中林貞男

    ○中林公述人 私は、先生のおっしゃいますように国鉄などの公共性ということ、また財政援助は十分必要だということは理解をしております。しかし、企業責任者は、やはり国の予算とかいうものに甘えるとかあるいは料金の値上げということだけではなく、やはり企業責任者としての経営責任。私は、一般の民間企業とか特に中小企業においては、赤字がどれだけ出てもいいということではないだろう。せんだっても私は、私自身も何回も質問を主婦連でやったとき申し上げたわけでございますけれども、やはり赤字が出るということについては、国民の交通の、足を確保するという至上命令があるのだ、その至上命令がある中において、できるだけ赤字を出さないような企業責任、しかしそれを労働者に転嫁するということでは毛頭なく、やはり企業努力、経営責任と私質問をしましたら、いや私らのところで赤字が出たからといってやめなくちゃならないというような規定は何もないということを主婦の前で堂々とおっしゃるので、私たちはびっくりをしたわけでございます。
  60. 大村襄治

    ○大村委員 最後にお尋ねしたいのは、生協の問題でございますが、最初に員外利用と出資の点についてお述べになりまして、終わりごろは、西宮委員の質問に答えて、あまりむやみに広げないほうがいいというふうにも言われたのでありますが、私どもも、中小企業、特に商業の面の零細企業との公正な競争という点からいいますると、税制上の恩典もある生協が、むやみに門戸を開放するということには限界があるのではないか、そのようにも考えておる。あんまり広げるのならば、税制で特別税率を認められる、そういった点はもとへ戻して、ならしたほうが消費者のために究極的には寄与するのではないか、そのようにも思うのでありますが、ちょっとそれは言い過ぎであるといたしましても、中林さんのお話、初めの段階と西宮委員の御質問に対するお答えとちょっと調子が違ったようにも受け取ったのでありますが、その辺、はたしてどうでありますか、お尋ねします。
  61. 中林貞男

    ○中林公述人 私らは指導として、員外利用ということは生協運動としてはよくないという指導、また私自身も地方へ行ってそういうことを言っております。それでやはり奥さんたちが努力して自分たちの生活を守るために必要な金は出し合う、また必要な手伝いもするということが基本でなければならない。そういうことを十分消費者がやらずしてただ売らんかなだけでやったら、これは生協運動としても間違ったことになりますし、そういうことをしたら、中小商業者との摩擦を拡大するだけになる。私たちはフェアな競争は中小商業者同士の間においても必要だし、私たちも消費者のためのフェアな競争というものは必要だろうというふうに思っております。しかし、そういう中においても、ヨーロッパ各国の例を見ましても、生協も一定の規模で大きくなっていくことは、企業のメリットなりそういう点からも大切ですし、中小商業者の間においてもそういうような中小企業の近代化ということが考えられているわけでございますが、そういう点についてはお互いに努力をし、話し合っていったらいいということで、むやみに摩擦を起こすことは、お互いに私は避けていくことが必要だというふうに考えているわけでございます。
  62. 大村襄治

    ○大村委員 終わります。
  63. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 次に、和田春生君。
  64. 和田春生

    ○和田(春)委員 公述人の小山さんに一つだけこの機会にお伺いをいたしたいと思います。  いま国会におきましても、郵便局の庶民向け小口融資がたいへん問題になっておるわけでありますけれども、銀行サイドからの非常に強い反対があるためにこの融資が骨抜きになる、こういうことが伝えられているわけでございます。銀行サイドにおいて、そういう反対の動きを事実問題としてしていらっしゃるのかどうか、その点をお伺いいたしたいと思います。
  65. 小山五郎

    小山公述人 率直にお答えいたします。  私は全銀協としてきょう上がったわけでございいますが、この全銀協の連合会に属していないところの金融機関も多々あるということも先生御存じだろうと思います。その金融機関を込みにいたしまして、ただいまの郵貯が貸し出しを行なうということにつきましては、本質的の問題としてこれに対して反対していることは事実ございます。
  66. 和田春生

    ○和田(春)委員 もちろん全銀協加盟外のいろいろな金融機関もあるわけでございますが、全銀協についてお伺いいたしますけれども、いまのお話によりますと、全銀協加盟の各銀行におきましても本質的に反対をしている、こういうお話でございます。ところが実際われわれが現実に見まして、一般の庶民の小口融資ということにつきまして、銀行の窓口というのは必ずしも親切ではない、というよりも非常に冷淡あるいは拒否している、こういう情勢があるわけであります。幾ばくかの預金を郵便局に持っている、しかし急場に小口の金がほしいといってもなかなか相手にしてもらえない一般庶民階級において、やはりめんどうを見る必要があるのではないか、こういうところから郵便貯金の小口融資、こういう問題が出てきたと思うわけであります。そこで、もし本質的に見て望ましくない、御反対であるということでありますなら、そういうかなり広い範囲の庶民的な要求に対してどういう手段をもっておこたえになろうとするのか。たとえば郵便貯金の定額預金の証書を持っていって二十万、三十万の小口の金を何カ月か貸してもらいたい、こういうことについて、それを担保にした場合に快く貸し出すという体制が銀行におありかどうか、その点をお伺いいたしたいと思うわけであります。
  67. 小山五郎

    小山公述人 今回の郵便貯金に対するところの小口貸し出しというものは、貯金を担保としての貸し出しというふうにわれわれは了承しておりますが、そういう意味合いにおきまして全金融機関、もちろん市中銀行もその中へ当然入るわけでございますが、預金担保の貸し出しをいままでも行なっておりますし、今後ともこれはスムーズに行なうことに間違いございません。そしてまた、さらに預金担保でないところの無担保の貸し出しというものにつきましても、先ほど申し上げましたように、逐次われわれどもも消費者ローンその他の形をもちまして皆さま方のあらゆるニーズにおこたえする準備と、そしてその手段、心がまえを持っているつもりでございます。
  68. 和田春生

    ○和田(春)委員 もちろん現在でも取引のある銀行に行きまして、その銀行の預金を担保にして金を貸してもらいたいという場合には、大体どこでも応じてもらえると思います。しかし、御承知のように銀行の窓口必ずしも多くはございませんし、手っ取り早いところの利用という形で郵便局というものが日本の社会の中では大衆になじんでおりまして、そういうものに預金をしている、また借りやすい、これは庶民へのサービスになるわけでございまして、もしそういうものに反対だという形になれば、そういうことに願いをかけている庶民に対応する姿勢と準備がないと、私たちははなはだまずいのではないか、こういう感じもするわけであります。  そこで重ねてお伺いをいたしますけれども、いま政府のほうにおいても計画をしているこの郵貯の貸し出しというものにつきまして、あくまで反対をしていかれるお気持ちであるのか、そういうことわりがわかればそういう点についても協力するにやぶさかでない、そういう広いお気持ちをお持ちであるのか、その点をお伺いいたしたいと思うわけであります。
  69. 小山五郎

    小山公述人 まず広い意味においての一般大衆の融資申し込みに対してどういうふうに受け答えをするかということで、ただいま先生の御設例で見ますと、どうも市中銀行と都市銀行というものを前提に、そういった場合、たとえば過疎地帯、全国津々浦々にまで大体銀行はないのじゃないか、たいへん遠いところに預金を持たねば貸さないような銀行があったからといって、一般大衆はそれでは満足できないんだというふうな御趣旨にとれるのでございますが、なるほどそういった意味合いにおきまして、都市銀行というものは確かに全国津々浦々にはございせん。しかしながら、地方には地方銀行がございますし、そしてまた相互銀行もございますし、さらに地域共同体として密着した利益共同体とも申すべき姿でおりますところの信用組合があるし、信用金庫もございます。また、農協それから漁連というようなものも、やはり広い意味での金融機関に入っているわけでございますから、そういう金融機関というものはかなり多過ぎて、ある場合にはあまり多過ぎるから再編成までもする必要があるのじゃなかろうかという論すらもときどきわれわれども伺うわけでございますが、それはそれといたしまして別途の問題といたしまして、かようにたくさんありますところの中小金融機関も込みにしてのいわゆる金融機関、そのほかにさらに政府系の金融機関が貸し出しをもし行なうと一体どういうことになるかというふうにわれわれはまず考えたわけでございます。そこで、そういった場合は、事然のことながら、ただいま申し上げましたような地区共同体におけるところの中小金融機関と激烈な対立が郵便貯金の貸し出しということによって行なわれるだろうと思うのでございます。そこでどっちが勝つのか、勝った負けたというのはおかしゅうございますが、と申しますというと、これは言わずとしれた、やはり官業であるところの、非常に優遇されるところの、バックを持っている、そしてまた資金も持っているところの郵貯がこれはおそらく勝つでございましょう。それが勝った場合は、その中小金融機関の運命は一体どういうことになるかということがまず一点でございます。  ところで、中小金融機関がそういうふうになるのも、いまおまえが言うように非常に数が多いのだからこれは再編成もあるじゃないかという議論もあろうかと思うのでございますが、いま中小金融機関というものは、御案内のとおり非常に大きな利幅狭小によって経営が困難になっております。そのよって来たるゆえんは御案内のとおり、いままで運用していたところのコールレートというものが急激に下がってしまった。率直に言いますと、昨年の八月以降大体三・五%ぐらい、これはたいへん大幅な下落でございます。いま五%ないし場合によりますと四・七五%というふうな低いところに急激にこれが落ちてしまった。そこで、そういった急激に運用のめどが狭められてきた。この一つの事実、これによって、これは合理化をしてそれに対策をすればいいのですが、いま申し上げるように、非常に急激なショックをもって、衝撃をもって与えられた場合は、いかなる事業体といえども、中小金融機関に限らず、非常に大きな衝撃を与えれば、いかに企業努力をもっていたそうともこれに立ち向かうことは相かなわないのじゃなかろうか。したがいまして、そういう意味合いにおいて中小企業というものはいま非常につらい立場にある。そこのところへさらに優位にあるところの郵便局がさらに衝撃を与える。そういたしました場合、一体その結果がさらにどういうことになるかは御想像にかたくないことだろうと思うのでございます。そういったこと、つまり衝撃を非常に――経済にしろ、外交にしろ、私はもろもろの社会現象に急激な過度の衝撃を与えることをできるだけ除去する、なだらかにこれを行なうということが政治であるのじゃなかろうかと思うわけでございます。いわんや官業であるところの郵貯がさらにその衝撃を加えるということに至っては、私はこれが本質的にわれわれは容認できないと申し上げるゆえんでございます。
  70. 和田春生

    ○和田(春)委員 いま金融機関としてのお立場からの御説明は、賛否は別にいたしましてよく承りました。ただ、ここは議論をする場所ではございませんので、最後に一つだけ重ねてお伺いをしておきたいわけでありますけれども、あの案が発表されてから、私のもとにも非常に広い範囲から、ぜひ早く実現をしてくれ、こういう声があるわけであります。都市銀行以外にお話しになったようないろいろな金融機関があることは、私の身のまわりにもありますのでよく承知しておりますけれども、実際手軽な庶民の金融というものについては、その窓口は非常に冷たい。そういうことに対する反射が、いま言ったような形でぜひやってもらいたい、こういう広い庶民的な要求になってあらわれてきておると思うわけであります。  そこで、いまおっしゃっているのは、もっぱら中小金融機関も含めまして金融機関の側の体制というものにおいて非常に困る、こういう論点はわかったわけでございますけれども、庶民に対するサービス、こういう面についての論点はなかったように考えるわけでございますが、それについていまよりも積極的に何かやろうとしていることがおありなのか、具体計画がおありなのかどうか、その点をごく要点だけでよろしゅうございますからお伺いをいたしまして、私の質問を終わりたいと思います。
  71. 小山五郎

    小山公述人 おっしゃる意味合いは私にもよくわかるわけでございます。そこで、われわれ金融機関としましても、この中小を込みにした金融機関としても大きく反省せねばならぬと思う次第でございますが、これまた考え方でございますが、そういった衝撃を、かりに衝撃だけにとどまって、さらにわれわれの反省が実行にまで、一般の金融をスムーズにさらに容易に、円滑にやれるような契機に、そういう意味の次元におけるところの衝撃であるならば、これは非常に社会的に見てもけっこうなんじゃないかと思うのでございますが、もう一度金融機関の立場に戻りまして発言させていただきますと、そういった二重衝撃が加わりました場合、中小金融機関がもしかりに、不幸なことですが、倒産続発というようなことになりますと、当然のことながら地域共同体であるところの中小企業、いまドル・ショックによって最も大きく憂慮されているところの中小企業というものは一体どうなるか。そこで、大衆というものの観念の置き方でございますが、私は大衆というものは何か特別の、この社会のもろもろの組織から遊離した、一つのロビンソン・クルーソー的な存在ではないと思うのでございます。この有機社会におきましては、それぞれの企業、それの従業員、そしてまた家族、その関連産業の従業員エトセトラ、逐次それが連鎖反応――そういった形の有機体に属しているもの、つまり社会全般がレベルアップ、レベルダウンした現在では、大きな意味の大衆といって過言ではないのではなかろうか。かような意味合いからしまして、結局そういった衝撃の悲痛な、悲惨な運命の結果するところのものが大衆に一体どうはね返ってくるかということも、ひとつ御念頭に置かれたいと思うわけでございます。  なお、そういった理屈を言っているばかりでございませんで、先ほど大村先生の御質問に対して申し上げましたとおり、金融機関、なかんずく都市銀行に対するわれわれの反省、この反省と申しましてもいままではやる余地がなかったのでございます。つまり企業というものを通じて日本経済復興をはかるということにお互いが精一ぱいであって、その結果賃金も増し、生活も充実し、可処分所得が増すというような形にいままで持ってきていたことでございましたが、これがこの両三年、初めて真の意味での大衆化、いままでの大衆化というのは、大衆から金を吸収して民間企業へ流していくところの大衆化であった。それが大衆に報い、そしてまた大衆から親しまれるところの真の意味での大衆化というものにようやくここで切りかえるところのいま時期でなかろうか、そしてまた、そういう体制になっているわけでございます。したがいまして、それをさらに促進する意味でも、郵貯の今度の御提案というものが、衝撃である限りは非常にお互いけっこうなんじゃなかろうか。ただし、これをお踏み切りになりますと、必ず中小金融機関を破滅させるような段階にまで及ぶやもしれないということを私考えるものでございます。
  72. 和田春生

    ○和田(春)委員 どうも御苦労様でございました。
  73. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 次に、小林進君。
  74. 小林進

    ○小林(進)委員 時間も逼迫しておりますから、ほんの一問だけお伺いいたしたいと思うのでございます。  中林先生には生協のことを詳しくお聞かせいただきまして、ありがとうございました。物価問題に関連いたしまして、総理大臣等も生協は育成するということをしばしば国会の中で言われているのでございますけれども、まだこれが具体化されないのでございまして、今次国会では生協法の改正のために私どももひとつ大いに努力をいたしたいと思っておるさなかでございまして、ちょうどいい実のあるお話を承りまして、参考になりましたので、それをまた実にいたしまして、ひとつ生協法の改正に努力をいたしたいと思います。  時間がありませんからこれだけにして、あとは小山先生に一問だけ。私は金融はしろうとでございますので笑われるかもしれませんけれども、実は私どもよく、社会党でございますが、演説などをいたすときに、銀行預金の利子でございますけれども、若干違っているかもしれませんが、一年ものの定期で五分七厘五毛、それに対して四十六年度の物価の値上がりが六・一%ということになりますと、かりに一万円の貯金をいたしましても利子は五百七十五円、他方、貨幣の価値の下落は元金で六百十円、差し引き三十五円の損じゃないか。だからどうも物価値上がりのときには貯金してもとてもそろばんがあわぬぞ、こういうことで物価値上がりの非情さを説明するわけでございますが、さて四十七年度この大型の予算ができ上がりまして、政府は物価の値上がりを五・三%くらいで押えたいといっておりますが、庶民の感覚からいえば、もっともっと物価は値上がりするんじゃないか。そうすると、せっかく貯金をしましても元金が下落をしていく。先ほどのお話も、金融は緩慢でありますから、むしろ低金利政策を行なうべきだということでございましたが、なるほどお金を使って事業をするほうは低金利政策で非常にけっこうでございますけれども、貯金をするほうではこの物価値上がりの世の中には貯金しいしい損をしていくということになるのでございますが、こういう点をどんなぐあいに私ども説明をしていいのか、しろうとにひとつ教えるというお立場で御説明いただきたいと思うのでございます。
  75. 小山五郎

    小山公述人 どうもたいへんおそれ入りました。ただいまの消費者物価の趨勢と金利の関係、なかんずく預貯金金利との関係は先生御指摘のとおりでございまして、まことにそういう意味合いにおきまして貯蓄マインドというものが逐次低下してくるんじゃなかろうか、かような意味合いにおいてわれわれたいへん心配しているわけでございます。そしてまた、貯蓄ということが、お金が豊富になろうとなるまいと、いかなる場合においても国家、経済をささえるところの根本であるという、これはもう永世変わらない一つの真理であろうかと思うのでございますが、その貯蓄ということが、いま言う消費者物価というものとのアンバランスによって非常にこれがべっ視され、そしてまたべっ視どころか、貯蓄をするということはむだであるというようなことになりましたなら、それこそまことに日本国家の将来に対して憂慮すべきことであろうかと存じているわけでございます。そういう意味合いにおきまして消費者物価の高騰というものは、これは覆うべくしてなかなかむずかしいことでございますが、十分に諸先生方にこれを監視し、そしてまたいろいろな形でこれを低下の方向へ、あるいは上昇をストップする方向へ進めていただきたいと思うのでございますが、それにいたしましてもやはり上がりましょう。上がった場合に、ただいまのような傾向を幾ぶんでも除去していただきたいと思うことが、もし真に貯蓄と消費者物価とのアンバランスの傾向というものが続くのである、そしてまた貯蓄というものが永世変わらざる必要な真理であるとするならば、ここにかつて二年ほど前に行なわれた貯金に対するところの総合課税というような問題税金に対するところの減免というような問題も、あらためてここで違った面から取り上げていただかなければ相ならぬのではなかろうかと、かように思うわけでございます。  それからもう一つ、一般大衆という面におきましても、これからは非常に大きなニーズが出てきて、いままでのように国民全体が成長の成果をそのまままた成長のファンドにこれを積みかえて、次から次へ伸びてきたというような形ではなくて、成長の成果であるところのものをお互いが自分の、個人にいたしましたらいかに個人生活に反映させ、社会にしたらば社会公共生活に、いわゆる福祉生活に反映させるかという問題に立ち至っているわけでございますので、一般大衆の面からいいますと、貯蓄ばかりではない、これを使うという面があるんじゃなかろうか。そういった点になりますと、またお貸し出しをするというような形でないと一般の貯蓄ということも、もうなかなかお願いはできないんじゃないか。ただ貯蓄一方というような形は、先ほどの社会全体の傾向からしても、そういう方向へいくんじゃなかろうかと思われるわけでございます。それがいわゆるわれわれどもの金融機関全般としましても、真の意味で大衆化路線というような形、つまり大衆のほんとうの要望、ただ、いままでのようにお金をお預けくださいませと言ってもみ手をしているのではなくて、御入用のときはしかじかかくかくにお使いくださいという形に持っていくということになるかと思いますし、そこで一般大衆も、預貯金をなさるところのレートは消費者物価の値上がりとある程度のギャップがありましても、今度貸し出しのレートが下がれば、そこのところでやはり一つの充足感を得られるのではなかろうか、かように思うわけでございます。
  76. 小林進

    ○小林(進)委員 どうもありがとうございました。
  77. 瀬戸山三男

    瀬戸山委員長 これにて両公述人に対する、質疑は終了いたしました。  小山、中林両公述人には、御多忙のところ長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。  次回は、明十一日午前十時より公聴会を開会いたします。  本日は、これにて散会いたします。    午後四時五十六分散会