○西宮
委員 私は、
問題点の最後に、いわゆる政治
姿勢というような問題についてお尋ねをしたいのでありますが、私の
質問の中で、いろいろ失礼にわたる点もあるかもしれません。あるいは
佐藤総理の進退について伺うというようなことな
どもあるかもしれません。たいへんかけ出しのくせになまいきだなんて言って、おしかりにならないでお聞きを願いたいと思います。よろしゅうございますか。——それでは安心をいたしましたのでお尋ねいたします。
第一は、政治資金規正法の問題でありますが、先般わが党の成田
委員長の
代表質問に対して、
佐藤総理の
答弁は、過去三回流れてしまった、だからうっかり出せないのだ、こういう意味の
答弁をしておられるのでありますが、しかし私は、これは決してそんなものではないのですよ。
政府が通そうという考えを持っておらなかったということが明瞭だと思います。
三回出されたと言われますが、最初に出されたのは
昭和四十二年の六月十六日、会期は六月三十日までであります。このときは
内容はたいへんよかったわけです。あの当時の自治大臣は藤枝泉介さんでありましたが、これは実は私の高等学校の先輩なんであります。ですから非常にいい案を出したわけです。そこで、私
どもはぜひこれを通したいと思ったのでありますが、ところ六回
委員会を開いた中で、
自民党の方が十名入れかわり立ちかわり
質問をして、反対だ反対だということでつぶしちゃった。最後のときには、
委員長が雲隠れをしちゃって採決ができないでしまったわけであります。それからその次は、
昭和四十三年の五月の十日に出しましたが、会期は二十四日まで。その次は、会期が過ぎてから三日目に、延長された会期の中で三回目は出している。こういうことで、最初から通す考えは全くなかったのだ。こういうことを明白にしておかなければならぬ。総理は御承知だと思うのだけれ
ども、いつもこういう
答弁をされるので明白にしておかなければならぬ。私は、こういう問題をまことに次元の低い問題だと思うので、私自身こういうことを取り上げることは非常に不愉快なんでありまするが、私もこれで最後にしたい。総理があんまりこういう問題に
関心がなさ過ぎるのじゃないか。
先般の園田
委員の
質問に対する御
答弁を聞いておりましても、
参議院で共産党の議長が二兆円だと言って、
佐藤派の政治資金は二兆円だと言われてびっくりしたけれ
ども、調べてみたら二億だというので安心したというようなことで、「二億も金を集めて
佐藤派がそういう派閥の中の政治活動に使っておるという、そういうことはなかなか
国民の理解のできることではないと思います。」なんて言って、全くこれは人ごとみたいなことを言っておられるわけですね。全然人ごとみたいなことを言っておられるわけです。どうしても私は言わざるを得ないわけであります。あるいは選挙区制の問題とからんで、いわゆる車の両輪論だということがよく言われました。しかし、小選挙区をつくったからといって、金がかからぬで済むという保証はどこにもないわけです。実例もないわけです。たとえば、奄美大島の例などを見ても全く実例は逆であります。ところが、
佐藤総理はあの審議会に対しましては、政党本位の金のかからない選挙ということで提案をされておりまするが、その政党本位、それをみずから破っているのは、私は
佐藤さんではないかということを言わざるを得ないわけであります。
たとえば、
昭和三十九年、これは
佐藤総理が初めて総理に就任をされた、総裁になられた際であります。そのときの
佐藤派の資金を見ますると、これは
自民党が使われた総額の三割七分に相当するわけであります。
一つの派閥が
一つの政党の四割近い金を使って、その政党内に影響を及ぼすということになれば、とうてい政党本位の政治ができるというようなことはあり得ないと思う。そしていわばその金で勝負をいどんで政権の座につかれた。朝日新聞はこれを評して、
わが国の首相の地位が金で左右され、金で維持されていると言っても言い過ぎではないということをいわれ、毎日新聞は、金で買う総理・総裁の座は、物価高に悩む
国民の嘆きをよそに黒い値上がりを続けておるといっており、読売は、総理のシリーズ問題の中に、具体的にその実情を
報告をいたしております。こういうことでは、私は、いわゆる金のかからない政党本位の政治、こういうことを総理が言われましても、どうしてもわれわれには全くうつろにしか聞こえないわけであります。失われた政治への信頼を取り戻すために、私は総理が一大決意をもってこれに当たってもらわなければならぬと考えるわけでありますが、まあ御
答弁をいただきたいが、時間がなくなってまいりましたので、私は次へ参りたいと思います。(「やれやれ」と呼ぶ者あり)まだ少し問題がありますので……。
先般、例の四次防の問題に関連をいたしまして、防衛は一瞬の停滞を許さない、だからやったんだという説明がなされました。このことを申しましたらある人が私に言いました。それは二字足りないのだ、防衛は一瞬の停滞を許さないのではなしに、防衛産業は一瞬の停滞を許さないのだ、二字足りないのだと言いました。そうしたら、次の人が私に言いました。二字ではなしに四字足りないのだ、それは防衛産業ではなしに、防衛産業献金は一瞬の停滞を許さないのだ、そう言って私に教えたわけであります。私はたいへんにびっくりいたしました。そんなことはないんじゃないかと思って調べてみると、なるほど、私は
昭和四十年来調べたのでありますが、毎年毎年そのいわゆる防衛産業からたいへんな献金がなされておるわけであります。こういうことになりますると、当然にいわゆる産軍癒着の問題が起こってくる。こういうことは当然だと思うのですね。アイゼンハワー大統領が大統領を辞任される際に、一九六一年一月でありますが、大統領を辞任される際にたいへんに悲痛な演説をされている。
アメリカが、軍需産業が恒久化して巨大化して、そのために
アメリカの政治はこれによって左右されてしまう、これはまさに祖国がかつて経験したことのない重大な
脅威である、こういう演説をしておるのでありますが、まことにそのとおりだと思うのであります。私は、
日本にそういう危険が刻々と迫っているということを指摘せざるを得ません。
このいわゆる防衛産業の献金は、
自民党の方々の各派閥に献金がされておるのでありますけれ
ども、ふしぎなのは、
佐藤派にはないわけであります。しかしこれは、決してないからといって
佐藤さん安心をしていただいては困る。それは、私は
佐藤総理にぜひ考えていただかなければなりませんのは、いわゆる
佐藤派なるもののこの
報告がきわめて——きわめてと言うか、最も公正ではないわけであります。つまり、政治資金規正法に基づいた合法的な処置ではありまするけれ
ども、寄付以外のものは発表しなくてよろしい。そういう法の盲点をついて、
佐藤派が——私は過去十年間の資料をここに持っておりまするけれ
ども、
佐藤派が毎年最も悪いわけであります。たとえば、〇・何%というのではなしに、
佐藤派は〇・〇〇何%、PPMと言ったほうがいいと思うのですね、そういう届け出がなされておるわけです。私は、これはいま初めて申し上げるのじゃないですよ。私は数年前にも本
会議でも申し上げた。私は、これでは最高指導者としての
佐藤さんの御
姿勢に欠けるところがあるのじゃないかということを感ぜざるを得ないのでありますが、その点について何か御所見がありましたら一言お聞かせを願います。なければ先に進みます。——格別なさそうですな。それじゃ進行いたします。まあ御
答弁にも困るのかもしれません。
この前の沖繩
国会の際に、ちょうどあのときは
西村防衛大臣がおやめになりました。そのとき、わが党の細谷
委員が
質問をいたしましたのに対して、
佐藤総理はこう答えておられます。「私は、私自身の政治
責任については、私自身十分考えておるつもりでございます。これは皆さん方の御意見も十分承っております。したがいまして、ただいまどうこうするということは申しませんけれ
ども、私自身がその
責任は私自身で解決する、そういう決意であることをこの機会にはっきり申し上げておきます。」こういう答えをされておるわけであります。
そこで私は、あのように途中でおやめになった大臣、在職中におやめになった大臣、これを調べてみますると、戦後四十五名おられます。その中で、
佐藤内閣以前十九年間にやめられた方が三十三名、
佐藤内閣七年の間にやめた方が十二名。ところで目立った特徴は、いわゆる大臣としての適格性を問われた、こういうことでやめられた方は、その
佐藤内閣以前にはごく少ないのであります。それは政治献金で一名、造船疑獄で一名、それから御承知の泉山三六さん、ただしこの方は、自分の間違いを発見すると直ちに大蔵大臣をやめ、同時に国
会議員を辞任をいたしております。もう一人の方は、これは御本人の
責任といえるのかどうかちょっとわかりませんので、私は申し上げたいと思うのでありますが、それは例の犬養法務大臣であります。まあこの方も、あるいは本人の適格性を問われたというのかもしれませんが、とにかくこの方は、
昭和二十九年の四月二十一日午前十一時二十分に指揮権を発動いたしまして、午後の一時四十分に辞表を提出をいたしております。それから以後、快々として楽しまないで、ついに他界をされたわけでありますが、娘さんの犬養道子さんが、なくなられたときの模様を次のように書いております。「政界の孤児と人は彼を呼ぶ。実際にそうであった。指揮権発動の悪名は高く、実際に、彼のおかした政治的・人間的あやまちは多いであろう。だが彼は自身それを知り、悩み、より純粋な美しい人間的な世界に到達したいと切望していた。グレゴリアンへの愛はその心のいわば象徴である。私も聖歌隊と声を合わせて最後の門出を送った。親しい者の歌うグレゴリアンの曲調に包まれて、パパはその時「孤独の人」ではなかった。」こういうふうに書いておるのでありますが、私は、むやみにぐちっぽい、しめっぽい、そういう追懐談などを聞くよりは、まことに万感無量の思いを込めて、この娘さんは当時をつづっておるのだと思うのであります。私は、しいて言うならばこれだけだと思うのです。
反対に大きな特徴は、
佐藤内閣以前にやめた方々の中で十四名は、自分の政治的な見解が違う、こういうことでやめたのであります。たとえば官房長官と対立して罷免をされた平野力三農林大臣、遺家族援護の問題で党と衝突をしてやめた橋本龍伍厚生大臣、
文教政策で対立をした天野貞祐文部大臣、麦価、麦の値段、これで対立をいたしました内田信也農林大臣、あるいは吉田総理が懲罰委にかけられるので、これに同調をしたというのでやめさせられた廣川弘禅農林大臣、あるいは国防
会議構成法を提案をしたけれ
ども、それが
国会で審議未了になったというので直ちに辞表を出した杉原荒太
防衛庁長官、あるいは吉田総理の最後には、吉田総理に退陣を促して、吉田総理に断わられるや直ちに辞任をし、同時に党には離党届けを出した安藤正純代議士等々、こういう方々がおるわけですよ。ところが、ふしぎなことに
佐藤内閣になってからは、こういう方、つまりみずからの政治信念を貫いて、決然として辞表を出して台閣を去ったというような方は一人もいないわけであります。私は、このことは
佐藤総理のリーダーシップのしからしむるところ、たいへんに御同慶にたえないと思うのでありますけれ
ども、私はそうは言い切れないんじゃないか。私は、いわゆる政治感覚がかなりに低下をしているんではないかというふうに感ぜざるを得ないのであります。
たいへん失礼なお尋ねをして恐縮でございますが、たとえば、先般大蔵大臣もあるいは
防衛庁長官も、
政府修正が行なわれれば辞表を出すということを盛んに言われたわけですね。しかし、辞表を出されたという話をその後聞かない。一体どういう御心境なのか、これはひとつぜひ聞かしていただきたいと思います。どうぞお二人からぜひ……。