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土井委員 そうしますと、それは立法政策論になりますが、いまの
刑法の条文の中からしますと、なるほどおっしゃるとおりでありまして、責任主義に立っておるのか
経済主義に立っておるのか、その辺がどうもあいまいもことしております。しかし近来、特に二十世紀に入ってからこちらの
刑罰思想というものが、だんだん変遷してきておりますし、
刑罰そのものに対するものの
考え方というのも、日本においては、やはり戦前、戦中と戦後を比較しますと、憲法そのものの取り扱いからしても、これはもう十分明白な事実として認識しておかなければならないことだろうと思うのです。
だから、そういう点から
考えてまいりますと、これはいかがですか。いまこの資本主義
経済のもとで、平均的財産などというふうなものは
考えられないわけですね。平均的財産というのは出せと言われたって出すことは非常にむずかしいと思います。これに対してはいろいろな計算方法があるかと思いますけれども、客観的にどのような平均的財産というふうなものを基準に置いて、そしていろいろ
経済的負担というふうなものを問題にしつつ、この
罰金、
科料というふうなものを量定していくかというふうな問題は、非常に一律に論じられにくい問題だと思うのです。
だから、そういう点から見ますと、やはり
罰金額というふうなものについて、
行為者の
経済状況をしんしゃくするということを、法文上明記する必要というものがやはりあるんじゃないか。これは先ほどおっしゃったように、幾ら取られるかわからないというふうなことを、被疑者やあるいは
犯罪者、当事者が心配するという種をなくすことのためにも必要である。また当然、そういう規定を置かないでおいても、現在の憲法上の、たとえば憲法三十
一条の条文であるとか、十三条の条文であるとか等々から
考えてまいりました限りでも、私は、やはり
裁判官は
裁判官としての立場で
考える際に、犠牲の平等の原則というものを
考えなければいけない。つまり、
経済負担にたえ得るかどうかという
経済能力の点を、被疑者の立場、あるいは被告の立場、あるいは
犯罪者の立場に立って
考えるという態度がやはり要求されておりますね。だから、そういう点からすると、別にこのことについては明文の規定を置く必要がないと言ってもいいかもしれませんけれども、ことさらそういう心配があるために、立法政策上
刑法なんかの総則の中に、
行為者の
経済状況のしんしゃくというものを明文で規定していいんじゃないか。
だから、そういうこともあわせて
考えていきますと、やはりこれは
罰金あるいは
科料について、
上限を問題にしないで下限を問題にしていくということのほうが、むしろ今回、第
一条について、
改正案じゃなく
本法の第
一条について、手を加えなかったというふうなことの理屈が通ると思うのです。だから
本法において、特に「当分の間、」の
特例ということが第
一条にそのまま据え置かれているわけですから、だから「当分の間、」の
特例というふうなことから
考えていきますと、またまたこれはこの
法律についての
手直しというのが、いずれの日にかあるということを予期しておかなければならない。つまり暫定
措置であって、先ほどのおっしゃったとおりの
意味しか持たないということになりましょうから……。
だから、そういうふうな点から見ますと、今度の抜本
改正といわれておる
刑法の
改正草案の中に、先ほどお聞かせいただきましたとおりですけれども、
国会審議で長時間かかるというようなかね合いも
考えて、今回のこの
法律の
改正案というふうなことも
意味もあるというふうな御答弁でありましたから、その点をひとつあわせて
考えて、
刑法のほうの総則について手を加える場合に、今回この問題をずっと押していけば、責任主義か
経済主義かということについて、なおかつ論争が巻き起こるだろうから、そういうことに対して雌雄をはっきりさせなければいけないんじゃないか。その雌雄をはっきりさせるという点からいうと、やはり今後あるべき
罰金刑のあり方あるいは
科料の
考え方というものについて、
刑法の
中身で一歩前進的にはっきり打ち出すということからいえば、いま申し上げたようなことが
考えられていいのではなかろうかというふうにも思うわけです。そこのところを、ひとつ御
意見がございましたら賜わりたいと思います。