○
沖本委員 ちょっと話が横道のほうへいくわけなんですが、この間も私、地元のほうで御年輩の
保護司さんとそういう問題について話し合いをしたわけなんですが、
保護司の方を有給にしてはどうですかと私よく申し上げているのですけれども、そういう
考え方で
お話し合いをしてみたのです。むしろ有給にしたほうがまずいのじゃないかというお
考えを述べていらっしゃいました。その
保護司さんは、無給でやるということになりますと、非常に意欲的な方でなうればこれはできないということで、その人のおことばの中に出てきたのですけれども、結果的にはやる人とやらない人とがはっきりしてくる。ただ肩書きだけを持っておって、そのまま
期間を過ごしていく方、それから今度は、やる人は熱心にやっている、この二つに分類される、こういうふうなことを言われておりました。また、その方が言っておるのは、案外
保護司のやる仕事に対して目を通していない。あるいはその
地方自治体の長、県知事であるとか市長であるとかいう
人たちの、そういう
人たちに対しての目の向け方というものが機械的で、何かの会合で認識する程度のことであって、
社会的に果たす
役割りについてはほとんど
考えられていない、こういう点も例をあげておっしゃっておられました。
そういうところで
考えられることは、こういう仕事に携わる
方々の年齢の問題も以前から申し上げておるわけですけれども、現在の少年なら少年に例をとって申し上げますと、思想的な問題、
社会の環境改善、こういうものが、いまわれわれは人間疎外であるとか人間尊重であるとか、生命尊重であるとか、この国全体がいろいろな問題の中に巻き込まれている現状なんです。そういうところで何を果たしていくのかということに問題が出てくると思うわけです。そうすると、そういう
方々が現在の
社会情勢あるいはいろいろな環境を、どういう角度から見ながら仕事をしていらっしゃるか。極端な例を言うと、この前も言いましたけれども、ゴーゴーをおどっていたら、もうその人はある程度
社会的によくない少年である、そういう外から見た一面だけで結論を出す、そうするとその人の報告書というものは違った角度でできてくる、こういうことになってくるわけです。そうすると、その辺で具体的に
保護観察を受ける人、これは成人あるいは成人に満たない人に関しても、深くその人の生活の中に入った
観察というものがなかったらとらえられないと思うのです。それが機械的にただ、
本人から
一定期間のときに
申し出があるとか、元気でやっておりますとか、いまこうしておりますというだけをとらえておる、そういうところに、
事件を起こしてくるような落とし穴があったりいろんなものがあると思うのです。
ですから、こういう人々が十分に
役割りを果たせばある程度防げるが、その辺に、私はどうしても現在の
内容にもう
一つしっくりいかないものを
感じるわけなんです。その点はばく然とした御
質問ですけれども、どうでございますか。