○
三木(喜)
委員 たいへんいい御
答弁ですけれども、そういう
言い方は非常に場当たり的な御
答弁です、私から言えば。大体、
東大のペンシル
ロケットから始まったときには、
昭和四十七年度か五十年度になると、ニューヨークと東京との間を三十分間で
ロケットを飛ばして行けるようにしてやるということから始まった。そんなこともうおくびにも出さない。次は
静止衛星だとか
実用衛星につなぐということが目標だった。これをわれわれの旅で言いますならば、たとえば下関へ行くのに、どうもぐあいが悪いから岡山ぐらいでおいておこうか、いやもう名古屋ぐらいまでしか私の力では行けないわということでおいたのがいまの
状況ですよ。ぐらぐらするから、あるいは近地点と遠地点とが非常に楕円形のひずみが大きいから
科学衛星にするということなら問題ない。そういうように目標をダウンさしていった結果が、そういう目標で初めからやっておったんだというような
言い方をされたら片腹痛いと思うのです。そんな小さい目標で
日本の
宇宙開発が始まったということなら、しかも
東大の
宇宙開発が始まったということならお笑いものですよ。当初から始めたのは、糸川氏が言ったように、そしていまの佐藤総理が総理になられたときに、世界で第四番目に
人工衛星を打ち上げますよと言うて、いわゆる日の丸
衛星の
かっこうが途中で出てくることは出てきましたけれども、国威発揚型の
かっこうにちょっと変わりましたけれども、まあそれでもそういうような
言い方をして始まった。
科学衛星ならいまの「おお
すみ」だろうが「しんせい」だろうが何にも異常はないんだ、だいじょうぶなんです、こういう
言い方は、目標を下げていって、下げていった結果そういうことを言っているわけなんです。
そうなりますと、現在私の申し上げているのは、要するに
大学の
研究所としてこれだけの国費を使い政治問題にまで発展してきた、こういう
研究の行き着くところがやはり
人工衛星と
静止衛星と関連を持つところで終わりたいと願うのは当然だと思うのです。
科学衛星ならこの
衛星はだいじょうぶなんだというような、こういう負け惜しみを言ってもらっては困ると思うのです。もっとそういうことのプライドを持ってやっていただかなかったら、
大学の
研究として私は非常に恥ずかしいと思うのですよ。
そういうことを先がたから申し上げておるのに、極論されるあまりでしょうけれども、
科学衛星ならだいじょうぶなんだ、それならだいじょうぶです。いいなら五十一年度以後も続けてやりなさい。それはその時点で
考えますというのですが、これは両者の中をとった
考え方でしょうかということを言っておるのです。まあ、
ミューのところで一応おくとして、それは
科学衛星に役立てなさいという折衷案によってこういうものができた。しかし私の言いたいのは、それならそれで
静止衛星に対するところの情熱を持っていただきたいということを申し上げるのです。
それからもう
一つの問題は、
大学の
研究所がこういう事業をやることに非常に問題がある。したがって
宇宙開発事業団というものができました。これはそれでよかった。それならその
事業団と合一しながら
一元化の
方向で
努力すべきところが残っておるんじゃないかということを私も強く思うものです。と同時に、やはりいま巨大
科学よりも生活
科学へ移らなければならぬときが来たと思うのです。ガンだとか、あるいはまた公害だとか、食品公害だとかいう足元の問題にじみちに取り組んでいくときが来たと思う。これは
大臣が
おいでになりましたから、これからの
大学の
付置研究機関というもの、あるいは
共同利用の
研究機関というものが緊急に果たさなければならない役割りを持ってきたと思う。これだけ人間疎外がやかましく言われるようになって、X線スターを
発見したとかいうこともこれは大事でしょうけれども、足元のPCBが一体どういう
かっこうでからだに入ってきてどういう害を及ぼすかというような、こういう
研究に移行する
研究機関というものをやはり
考えなければならぬじゃないか、こう思うのですね。そういう
一つの例としてこの
東大の
宇宙航空研究所の問題を取り上げたわけです。いつまでも旧態依然とした意地となにに固執せぬでやってもらいたいと思うのです。いいかげんに
一元化の
方向へスイッチを切りかえていただきたいと思うのです。何も演説しているのだけが能じゃありませんから次へ進みたいと思います。
大臣が
おいでになりましたので
大臣にお伺いしたいのですが、先がたちょっとそういう話を出したのですけれども、まだ結論を得ておりません。とにかく今後の
大学教育の
改革あるいは制度の
改革ということに対しましては、
中教審のいまの
答申というものがやはり骨子なんだ。その
中教審の
答申の骨子は、
一つは
学問の自由と
大学の
自治ということをひとつ筋道を立てております。もう
一つは、
社会的な要求というものをやはり
考えなければいかぬだろう、
社会が変遷していくのですからね。それをたてまえにして
大学の制度の
改革をやろう。そこで、私が先日来お伺いしたのには
三つの答えが出ておるわけです。
一つは、
大学から
改革してくれという自発的な
改革の
方向と、それからいま申し上げましたような
社会の要求、ガンなんか緊急な問題だと思うのですね。あるいは公害だとか、こういう問題にやはり
研究を向けなければいかぬという
方向と、それから
大学全体のバランスを
考えながら、世界のバランスも
考えながらやっていくという
方向と
三つある。にもかかわりませず、
大学改革の
一つの
方向づけというものは、
筑波山の
研究学園都市ですね、これは建設的に言えば
研究都市、それから
文部省的に申し上げますならば、
筑波山におけるところの
大学の
構想、こういうものでなければならぬ。にもかかわりませず、いま申し上げましたような
筑波山
構想というものは、
学問の自由だとか
研究の自由とか
大学の
自治とかいうことからちょっとほど遠い感じがするじゃないか。たとえて言うならば、
東京教育大学の文学部の教授はこれに参加してない。そのまま進んでいこうとしておる、その他これに類似したようなことがたくさんある。
研究学園都市というものが立てられようとしておるのに
機動隊の導入ではないだろう。だからこれは
一つの
サンプルですから、その
方向づけはやはり慎重の上にも慎重を期して、ほんとうに
日本の国の
学問研究の自由、
大学の
自治というものが
方向づけられておらなかったらいかぬと思うのです。それがどうも心配だなという話をしたのですが、
大臣のお
考えはどうですか。