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1972-03-10 第68回国会 衆議院 文教委員会 第2号 公式Web版

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  1. 会議録情報

    昭和四十七年三月十日(金曜日)     午前十時三十四分開議  出席委員    委員長 丹羽 兵助君    理事 久野 忠治君 理事 久保田円次君    理事 河野 洋平君 理事 谷川 和穗君    理事 西岡 武夫君 理事 小林 信一君    理事 山田 太郎君       稻葉  修君    小沢 一郎君       塩崎  潤君    床次 徳二君       中山 正暉君    野中 英二君       松永  光君    森  喜朗君       吉田  実君    渡部 恒三君       川村 継義君    三木 喜夫君       有島 重武君    多田 時子君       山原健二郎君    安里積千代君  出席国務大臣         文 部 大 臣 高見 三郎君  出席政府委員         文部政務次官  渡辺 栄一君         文部大臣官房長 井内慶次郎君         文部大臣官房審         議官      奥田 真丈君         文部省初等中等         教育局長    岩間英太郎君         文部省大学学術         局長      木田  宏君         文部省社会教育         局長      今村 武俊君         文部省体育局長 澁谷 敬三君         文部省管理局長 安嶋  彌君  委員外出席者         文教委員会調査         室長      石田 幸男君     ————————————— 委員の異動 三月九日  辞任         補欠選任   勝澤 芳雄君     原   茂君 同日  辞任         補欠選任   原   茂君     勝澤 芳雄君     ————————————— 三月四日  私立学校に対する公費助成大幅増額等に関す  る請願青柳盛雄紹介)(第八六二号)  同(浦井洋紹介)(第八六三号)  同(小林政子紹介)(第八六四号)  同(田代文久紹介)(第八六五号)  同(谷口善太郎紹介)(第八六六号)  同(津川武一紹介)(第八六七号)  同(寺前巖紹介)(第八六八号)  同(土橋一吉紹介)(第八六九号)  同(林百郎君紹介)(第八七〇号)  同(東中光雄紹介)(第八七一号)  同(不破哲三紹介)(第八七二号)  同(松本善明紹介)(第八七三号)  同(山原健二郎紹介)(第八七四号)  同(米原昶紹介)(第八七五号)  同(赤松勇紹介)(第八七六号)  同(麻生良方紹介)(第八七七号)  同(石川次夫紹介)(第八七八号)  同(卜部政巳紹介)(第八七九号)  同外一件(岡沢完治紹介)(第八八〇号)  同(加藤清二紹介)(第八八一号)  同(勝澤芳雄紹介)(第八八二号)  同(木島喜兵衞紹介)(第八八三号)  同(小林信一紹介)(第八八四号)  同(阪上安太郎紹介)(第八八五号)  同(田邊誠紹介)(第八八六号)  同(千葉七郎紹介)(第八八七号)  同外一件(辻原弘市君紹介)(第八八八号)  同(中澤茂一紹介)(第八八九号)  同(成田知巳紹介)(第八九〇号)  同外一件(原茂紹介)(第八九一号)  同(日野吉夫紹介)(第八九二号)  同(美濃政市紹介)(第八九三号)  同外二件(山本幸一紹介)(第八九四号)  同(山本政弘紹介)(第八九五号)  同(横山利秋紹介)(第八九六号)  同(青柳盛雄紹介)(第九三四号)  同(浦井洋紹介)(第九三五号)  同(小林政子紹介)(第九三六号)  同(田代文久紹介)(第九三七号)  同(谷口善太郎紹介)(第九三八号)  同(津川武一紹介)(第九三九号)  同(寺前巖紹介)(第九四〇号)  同(土橋一吉紹介)(第九四一号)  同(林百郎君紹介)(第九四二号)  同(東中光雄紹介)(第九四三号)  同(不破哲三紹介)(第九四四号)  同(松本善明紹介)(第九四五号)  同(山原健二郎紹介)(第九四六号)  同(米原昶紹介)(第九四七号)  同(安里積千代紹介)(第九四八号)  同(赤松勇紹介)(第九四九号)  同(卜部政巳紹介)(第九五〇号)  同(近江巳記夫紹介)(第九五一号)  同(岡田利春紹介)(第九五二号)  同(加藤清二紹介)(第九五三号)  同(勝澤芳雄紹介)(第九五四号)  同(川端文夫紹介)(第九五五号)  同(川村継義紹介)(第九五六号)  同(木島喜兵衞紹介)(第九五七号)  同(小林信一紹介)(第九五八号)  同(阪上安太郎紹介)(第九五九号)  同(下平正一紹介)(第九六〇号)  同(田邊誠紹介)(第九六一号)  同(千葉七郎紹介)(第九六二号)  同外一件(辻原弘市君紹介)(第九六三号)  同(中澤茂一紹介)(第九六四号)  同(成田知巳紹介)(第九六五号)  同外一件(西宮弘紹介)(第九六六号)  同(芳賀貢紹介)(第九六七号)  同(原茂紹介)(第九六八号)  同(日野吉夫紹介)(第九六九号)  同(松平忠久紹介)(第九七〇号)  同(松本七郎紹介)(第九七一号)  同(美濃政市紹介)(第九七二号)  同(安井吉典紹介)(第九七三号)  同(柳田秀一紹介)(第九七四号)  同(山口鶴男紹介)(第九七五号)  同外一件(山本幸一紹介)(第九七六号)  同(横山利秋紹介)(第九七七号)  同(和田春生紹介)(第九七八号)  同(青柳盛雄紹介)(第一〇五二号)  同(浦井洋紹介)(第一〇五三号)  同(小林政子紹介)(第一〇五四号)  同(田代文久紹介)(第一〇五五号)  同(谷口善太郎紹介)(第一〇五六号)  同(津川武一紹介)(第一〇五七号)  同(寺前巖紹介)(第一〇五八号)  同(土橋一吉紹介)(第一〇五九号)  同(林百郎君紹介)(第一〇六〇号)  同(東中光雄紹介)(第一〇六一号)  同(不破哲三紹介)(第一〇六二号)  同(松本善明紹介)(第一〇六三号)  同(山原健二郎紹介)(第一〇六四号)  同(米原昶紹介)(第一〇六五号)  同(阿部昭吾紹介)(第一〇六六号)  同外一件(井岡大治紹介)(第一〇六七号)  同(卜部政巳紹介)(第一〇六八号)  同(大野潔紹介)(第一〇六九号)  同(近江巳記夫紹介)(第一〇七〇号)  同外二件(春日一幸紹介)(第一〇七一号)  同(川村継義紹介)(第一〇七二号)  同(木島喜兵衞紹介)(第一〇七三号)  同外一件(小林信一紹介)(第一〇七四号)  同(古寺宏紹介)(第一〇七五号)  同(佐藤観樹紹介)(第一〇七六号)  同(斉藤正男紹介)(第一〇七七号)  同(阪上安太郎紹介)(第一〇七八号)  同(楯兼次郎紹介)(第一〇七九号)  同(千葉七郎紹介)(第一〇八〇号)  同(塚本三郎紹介)(第一〇八一号)  同(中澤茂一紹介)(第一〇八二号)  同(中谷鉄也紹介)(第一〇八三号)  同(西宮弘紹介)(第一〇八四号)  同(芳賀貢紹介)(第一〇八五号)  同(原茂紹介)(第一〇八六号)  同(日野吉夫紹介)(第一〇八七号)  同(松本七郎紹介)(第一〇八八号)  同(美濃政市紹介)(第一〇八九号)  同(八木昇紹介)(第一〇九〇号)  同(安井吉典紹介)(第一〇九一号)  同(柳田秀一紹介)(第一〇九二号)  同(山口鶴男紹介)(第一〇九三号)  同(山本幸一紹介)(第一〇九四号)  同(山本弥之助紹介)(第一〇九五号)  同(横路孝弘紹介)(第一〇九六号)  歯科系大学の充実に関する請願中山正暉君紹  介)(第八九七号)  大学学費値上げ反対等に関する請願寒川喜  一君紹介)(第八九八号)  女子教職員育児休暇法制定に関する請願(阿  部未喜男君紹介)(第八九九号)  同(勝澤芳雄紹介)(第九〇〇号)  同(小林信一紹介)(第九〇一号)  同(中山正暉紹介)(第九〇二号)  同(日野吉夫紹介)(第九〇三号)  同(勝澤芳雄紹介)(第九二九号)  同(川村継義紹介)(第九三〇号)  同(小林信一紹介)(第九三一号)  同外三件(西岡武夫紹介)(第九三二号)  同(松浦利尚君紹介)(第九三三号)  同(勝澤芳雄紹介)(第一〇四七号)  同(川村継義紹介)(第一〇四八号)  同外一件(河野洋平紹介)(第一〇四九号)  同(森喜朗紹介)(第一〇五〇号)  同(横路孝弘紹介)(第一〇五一号)  四年制大学における養護教諭養成制度確立に関  する請願坪川信三紹介)(第九七九号)  人口急増地域義務教育施設整備に対する特別  措置に関する請願小山省二紹介)(第一〇四  六号) 同月八日  女子教職員育児休暇法制定に関する請願(勝  澤芳雄紹介)(第一一〇九号)  同(加藤清二紹介)(第一二一二号)  同(小林信一紹介)(第一二一三号)  同(斉藤正男紹介)(第一二一四号)  同(辻原弘市君紹介)(第一二一五号)  同(吉田実紹介)(第一二一六号)  同(山中吾郎紹介)(第一二一七号)  同(有島重武君紹介)(第一二八二号)  同(加藤清二紹介)(第一二八三号)  同(勝澤芳雄紹介)(第一二八四号)  同(小林信一紹介)(第一二八五号)  同(辻原弘市君紹介)(第一二八六号)  同外一件(中山正暉紹介)(第一二八七号)  四年制大学における養護教諭養成制度確立に関  する請願青柳盛雄紹介)(第一一一〇号)  同外三件(浦野幸男紹介)(第一一一一号)  同(加藤清二紹介)(第一一一二号)  同(土橋一吉紹介)(第一一一三号)  同(加藤清二紹介)(第一二一八号)  同外九件(久野忠治紹介)(第一二一九号)  同(小林政子紹介)(第一二二〇号)  同(田中榮一紹介)(第一二二一号)  同外六件(中山正暉紹介)(第一二七九号)  同外十九件(古川丈吉紹介)(第一二八〇号)  同(加藤清二紹介)(第一二八一号)  私立学校に対する公費助成大幅増額等に関す  る請願青柳盛雄紹介)(第一一一四号)  同(浦井洋紹介)(第一一一五号)  同(小林政子紹介)(第一一一六号)  同(田代文久紹介)(第一一一七号)  同(谷口善太郎紹介)(第一一一八号)  同(津川武一紹介)(第一一一九号)  同(寺前巖紹介)(第一一二〇号)  同(土橋一吉紹介)(第一一二一号)  同(林百郎君紹介)(第一一二二号)  同(東中光雄紹介)(第一一二三号)  同(不破哲三紹介)(第一一二四号)  同(松本善明紹介)(第一一二五号)  同(山原健二郎紹介)(第一一二六号)  同(米原昶紹介)(第一一二七号)  同(井岡大治紹介)(第一一二八号)  同(卜部政巳紹介)(第一一二九号)  同(岡田利春紹介)(第一一三〇号)  同(加藤清二紹介)(第一一三一号)  同(川村継義紹介)(第一一三二号)  同(金丸徳重紹介)(第一一三三号)  同(小林信一紹介)(第一一三四号)  同(佐藤観樹紹介)(第一一三五号)  同(阪上安太郎紹介)(第一一三六号)  同(島本虎三紹介)(第一一三七号)  同(田邊誠紹介)(第一一三八号)  同(武部文紹介)(第一一三九号)  同(楯兼次郎紹介)(第一一四〇号)  同(千葉七郎紹介)(第一一四一号)  同(中澤茂一紹介)(第一一四二号)  同(中谷鉄也紹介)(第一一四三号)  同(西宮弘紹介)(第一一四四号)  同(芳賀貢紹介)(第一一四五号)  同(美濃政市紹介)(第一一四六号)  同(八木昇紹介)(第一一四七号)  同(柳田秀一紹介)(第一一四八号)  同(山本幸一紹介)(第一一四九号)  同(山本弥之助紹介)(第一一五〇号)  同(横路孝弘紹介)(第一一五一号)  同(渡部通子紹介)(第一一五二号)  同(青柳盛雄紹介)(第一二二二号)  同(浦井洋紹介)(第一二二三号)  同(小林政子紹介)(第一二二四号)  同(田代文久紹介)(第一二二五号)  同(谷口善太郎紹介)(第一二二六号)  同(津川武一紹介)(第一二二七号)  同(寺前巖紹介)(第一二二八号)  同(土橋一吉紹介)(第一二二九号)  同(林百郎君紹介)(第一二三〇号)  同(東中光雄紹介)(第一二三一号)  同(不破哲三紹介)(第一二三二号)  同(松本善明紹介)(第一二三三号)  同(山原健二郎紹介)(第一二三四号)  同(米原昶紹介)(第一二三五号)  同外一件(井岡大治紹介)(第一二三六号)  同外一件(井上普方紹介)(第一二三七号)  同(卜部政巳紹介)(第一二三八号)  同外一件(岡田利春紹介)(第一二三九号)  同(加藤清二紹介)(第一二四〇号)  同(金丸徳重紹介)(第一二四一号)  同(川村継義紹介)(第一二四二号)  同(北山愛郎紹介)(第一二四三号)  同(久保三郎紹介)(第一二四四号)  同外一件(小林信一紹介)(第一二四五号)  同(佐藤観樹紹介)(第一二四六号)  同(斉藤正男紹介)(第一二四七号)  同外一件(島本虎三紹介)(第一二四八号)  同(楯兼次郎紹介)(第一二四九号)  同外一件(千葉七郎紹介)(第一二五〇号)  同(辻原弘市君紹介)(第一二五一号)  同外一件(中谷鉄也紹介)(第一二五二号)  同外一件(成田知巳紹介)(第一二五三号)  同(西宮弘紹介)(第一二五四号)  同(芳賀貢紹介)(第一二五五号)  同(原茂紹介)(第一二五六号)  同(細谷治嘉紹介)(第一二五七号)  同外一件(三木喜夫紹介)(第一二五八号)  同(美濃政市紹介)(第一二五九号)  同(八木昇紹介)(第一二六〇号)  同(安井吉典紹介)(第一二六一号)  同(柳田秀一紹介)(第一二六二号)  同外一件(山中吾郎紹介)(第一二六三号)  同外一件(山本弥之助紹介)(第一二六四号)  同(横路孝弘紹介)(第一二六五号)  同(青柳盛雄紹介)(第一二八八号)  同(浦井洋紹介)(第一二八九号)  同(小林政子紹介)(第一二九〇号)  同(田代文久紹介)(第一二九一号)  同(谷口善太郎紹介)(第一二九二号)  同(津川武一紹介)(第一二九三号)  同(寺前巖紹介)(第一二九四号)  同(土橋一吉紹介)(第一二九五号)  同(林百郎君紹介)(第一二九六号)  同(東中光雄紹介)(第一二九七号)  同(不破哲三紹介)(第一二九八号)  同(松本善明紹介)(第一二九九号)  同(山原健二郎紹介)(第一三〇〇号)  同(米原昶紹介)(第一三〇一号)  同(有島重武君紹介)(第一三〇二号)  同(井上普方紹介)(第一三〇三号)  同(卜部政巳紹介)(第一三〇四号)  同(岡田利春紹介)(第一三〇五号)  同(加藤清二紹介)(第一三〇六号)  同(川村継義紹介)(第一三〇七号)  同(北山愛郎紹介)(第一三〇八号)  同外一件(佐藤観樹紹介)(第一三〇九号)  同(佐野憲治紹介)(第一三一〇号)  同(斉藤正男紹介)(第一三一一号)  同外一件(島本虎三紹介)(第一三一二号)  同外一件(楯兼次郎紹介)(第一三一三号)  同(千葉七郎紹介)(第一三一四号)  同(辻原弘市君紹介)(第一三一五号)  同(中谷鉄也紹介)(第一三一六号)  同(成田知巳紹介)(第一三一七号)  同(西中清紹介)(第一三一八号)  同(西宮弘紹介)(第一三一九号)  同(芳賀貢紹介)(第一三二〇号)  同外一件(平林剛紹介)(第一三二一号)  同外一件(細谷治嘉紹介)(第一三二二号)  同(松本忠助紹介)(第一三二三号)  同外一件(三木喜夫紹介)(第一三二四号)  同外一件(美濃政市紹介)(第一三二五号)  同(柳田秀一紹介)(第一三二六号)  同外一件(山中吾郎紹介)(第一三二七号)  同外一件(山本幸一紹介)(第一三二八号)  同(山本弥之助紹介)(第一三二九号)  大学学費値上げ反対等に関する請願西中清  君紹介)(第一一五三号)  学校における児童、生徒の負傷事故に対する補  償制度確立に関する請願井出一太郎紹介)  (第一一七五号)  同(唐沢俊二郎紹介)(第一一七六号)  同(倉石忠雄紹介)(第一一七七号)  同(小坂善太郎紹介)(第一一七八号)  同(下平正一紹介)(第一一七九号)  同(中澤茂一紹介)(第一一八〇号)  同(原茂紹介)(第一一八一号)  同(松平忠久紹介)(第一一八二号)  同(向山一人紹介)(第一一八三号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  文教行政基本施策に関する件      ————◇—————
  2. 丹羽委員長(丹羽兵助)

    丹羽委員長 これより会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、これを許します。松永光君。
  3. 松永委員(松永光)

    松永委員 先般この委員会大臣から、文教施策の全般にわたる大臣格調高い所信をお聞きしたわけでございますが、若い時代から非常な苦労をされながら勉強してこられ、長い経験を経てこられた高見文部大臣であればこそ、ああいう格調の高い所信の表明があったものと思いまして、私は深く感銘したところがあったのであります。  これからその高見大臣の触れられました文教行政文教施策に関する問題の二、三について質問をいたしたいと思うのでございますが、その前に、去年の後半から最近にかけまして、文教行政に関心を持っておる者にとっては、きわめて重大でまたきわめて残念な幾つかの事件が発生いたしております。そこでまずその点から大臣の御所信お尋ねいたしたいのであります。  まず第一に、先日の軽井沢のいわゆる連合赤軍事件についてでございます。私はあの事件ほど国民に大きなショックを与えた事件はないと思うのです。不法監禁殺人未遂殺人、こういう凶悪な犯罪が発生いたしました。しかもそうした凶悪な犯罪を犯した犯人が、ほとんどが大学生、特に国立大学学生であるということが、私にとりましてはまことにおそろしいことだというふうに感ずるのでございます。そしてまた、逮捕された学生たる犯人が、新聞の伝うるところによれば、逮捕後もいわゆる改俊の情というようなものは全く見られない、傲慢な態度をとり続けておる、こういうことでございます。  そこでお尋ねしたいのでありますが、新聞によりますと、犯人吉野というのは横浜国立大学学生坂東というのは国立京都大学学生坂口というのはこれまた国立東京水産大学学生、それから、けさの新聞に載っておりますけれども、内ゲバでリンチで殺害されておるようでありますが、彼らのグループであった金子みちよとか大槻節子とか寺岡恒一とか、これらもすべて国立横浜大学学生というふうに新聞には載っておるようでありますが、実際に横浜国立大学その他の国立大学学生であるのかどうか、文部省調査、確認されたかどうか、そういろ点についてまずお尋ねをいたしたいと思います。
  4. 木田政府委員(木田宏)

    木田政府委員 お答えを申し上げます。  ただいま御指摘がございました赤軍派の一味の名前の中で、坂東国男昭和四十五年三月に京都大学を卒業した男でございます。それから吉野雅邦は、横浜国立大学の経済学部に現在籍がございます。坂口弘東京水産大学昭和四十五年の九月に除籍になっております。なお、これは浅間山荘関係でございますが、そのほか軽井沢の近辺でつかまりました者の中に、それぞれ慶応あるいは横浜国大、大阪市立大等に籍を置いておる者とか置いておった者がございます。私どももわかる範囲においては調べてございますけれども、現在のところ在学中と考えられる者が、軽井沢関係でつかまっております十三名の中で四名でございます。
  5. 松永委員(松永光)

    松永委員 そういたしますと、国立大学をつい最近卒業した者、現に国立大学に在籍しておる者、これらが犯人としておったということになるわけであります。そうしますと、あのようなおそるべき犯罪を犯した犯人を出したあるいは犯人が在籍しておるその大学責任者、すなわち大学学長、これらは大学責任者として、また教育者としてどういう責任を感じておられるのかどうか、文部省でその学長等について調査されたかどうか、お尋ねしたいわけであります。  それに関連してさらに申し上げますと、あの連合赤軍のおそるべき事件だけではなくて、ほかに類似の事件が多数発生しております。去年のいわゆる成田空港反対闘争で大きな騒ぎがありまして、あの事件でも職務執行中の警察官が、多人数集団襲撃をされてゲバ棒虐殺をされております。これも、新聞の報道によりますと、学生が多かったということでございます。去年のことでありましたけれども、沖繩返還協定粉砕闘争ということで、去年の暮れ騒動が起こりました。そして渋谷で職務執行中の警察官が、多人数集団に焼き殺されるというような形の虐殺を受けておるのであります。このときの犯人大学生というふうに報道されております。  そうしますと、最近、国立大学が多いようでありますけれども、その大学生が、右申し上げましたようなおそろしい犯罪を犯しておるわけでありまして、その犯人の在籍しておる大学学長、あるいはつい最近まで在籍しておった大学学長が、大学最高責任者として、あるいは教育者としてどのような責任を感じておられるか、文部省調査されたかどうか。調査されたとするならば、その詳細な内容についてお尋ねをいたしたいと思うのであります。
  6. 木田政府委員(木田宏)

    木田政府委員 不法な学生に対しましては、そのつど関係大学にも注意を発しまして適時適切な処置をとるようにという連絡をいたしておりますし、また恒常的にも学生指導担当責任者等との会合その他を通じまして、こうした世人の批判を浴びるような学生に対して大学当局としての適切な処置をとるようにということは、繰り返し依頼もし、関係者連絡を緊密にとるようにという措置をとってきたところでございます。  今回の赤軍のことにつきましても、それぞれ氏名が判明いたしました時点におきまして、それぞれ大学関係筋への注意を促し、学生措置につきましては、大学の自主的な判断ということによってやっていただくほかございませんけれども、このように明らかな、許すことのできない犯罪者に対して、大学がどういう処置をとるかということは、御指摘を待つまでもなく、世間の注目を浴びておるところでございますから、すみやかに適切な措置をとるようにということを今回の関係先にも連絡をいたしておるところでございます。  昨年来——昨年とは申しませんが、学生ゲバ騒動その他過激な行動によりまして、大学によっていろいろではございますけれども、横浜国立大学におきましても、昨年の七月一日には交番の襲撃事件に関連いたしました学生退学処分にいたしておりまするし、その事態について大学側が明確に把握をいたしましたものにつきましては、それぞれ措置をとっておるようでございます。軽井沢でつかまりました弘前大学学生二名おりますけれども、これらも大学としては学生所在が不明になりましてから休学という措置をとりあえずとっておりまして、今日までその後の処分の検討を進めておるというような状況でございますので、こうして本人の所在なり犯行が確定いたしました時点大学側がすみやかな措置をとってくれるものと期待をしております。
  7. 松永委員(松永光)

    松永委員 大学側が逮捕された犯人等について退学処分その他の処置をとっておるということについては、ただいまの大学局長の答弁でわかったわけでありますが、大学最高責任者である学長、その学長は同時に教育者でもあります。自分が責任者として管理をし運営をしておるその大学学生から、ああいうおそるべき犯罪を犯した犯人が出たということ、この点について学長はどういうふうな責任を感じておられる様子であるのか、この点をお尋ねいたしたいわけであります。  といいますことは、横浜国立大学、この大学学生が非常に多いですね。聞くところによりますと、高校時代に過激な学生運動、あるいはまたその学生運動がいわゆる新左翼系の学生運動をやっておる高校生が、国立横浜大学というところは新左翼系の学生運動が非常に盛んで激しいところである、いっちょう自分もあの有名な横浜国立大学に入って一あばれしてみよう、こういうことで横浜国立大学を志望する高校生が多いという話も私は聞いておるわけでございます。そういう点もありますので、ここ一年あるいは二年の間の横浜国立大学の問題ではありません。高校に在学しておる新左翼系の過激な学生運動をしておる高校生が、わざわざ国立横浜大学を志望するというぐあいに、ある意味では有名になっておる。そういう点もあるわけでありますから、横浜国立大学学長を一つの例にとったわけでありますけれども、大学学長はどのような責任を感じておられる様子であるか、その点をお伺いいたしたいわけでございます。
  8. 木田政府委員(木田宏)

    木田政府委員 いま端的に、横浜国立大学についての御指摘がございました。私どもも横浜国立大学につきまして、学生の数も比較的多うございますし、問題が多いということは、かねてから承知をいたしております。今回のことにつきましても、直接学長との連絡をとりまして、その善処方の学内の措置を急ぐということについては、注意を申し上げたところでございます。大学側も、先ほどちょっと申し上げましたように、明確に罪状の把握できました学生につきましては、これは工学部の学生でございましたけれども、昨年交番事件では一名、そのほかの傷害事件で一名、処分をとっておりまして、学部ごとに学部教授会という手順を経て、大学の意向をまとめるということになるものでございますから、学長としては、各学部の学部長あるいは評議員の関係等々の会合を進めまして、今回のことにつきましても対策を明らかにするようにいま努力をしておるという大学側の意向は、私どもも聞かされております。  私どもといたしましては、御指摘のように、一刻も早くこういう事態について大学当局責任ある措置をとってほしいということでいたしておりますし、大学学長側もそのつもりでいま、入試時期その他の時期でもございますが、学内の手続その他を進めておるというふうに聞いておりますので、近くそうしたことについての措置がとられるものというふうに期待いたしております。
  9. 松永委員(松永光)

    松永委員 大学側で、事件を起こした犯人学生たる犯人に対する措置ということについては、先ほど来の局長の答弁でわかるわけなんでありますが、そういうおそろしい犯人を出すような大学の状態になっておる、大学の管理運営の責任者である大学学長というものは、自分の大学の学内の雰囲気とか、あるいはまた管理運営のやり方とか、そういうものについて、大学側に何らかの落ち度があるんじゃなかろうか、そういう反省、あるいはまた、そういうことについての検討、そういうものが私は真剣になされなければ、一般の国民は、大学というところは、あるいは大学学長というものは、何と無責任なんだろうかというふうに思うんじゃなかろうかと思うのです。まあ、私などの素朴な考え方から言えば、自分の管理しておる学校から凶悪な犯罪人を出したとなれば、その責任者は非常な反省、あるいはすまなかったという気持ち、それが私は出てくるはずじゃなかろうか、こういうふうに思うのであります。いまの局長の答弁によりますと、大学学長さんたちは、犯人に対する学校側の処置退学処分等の処置、それらは調査の上なさっておるようでありますけれども、管理者としての大学学長が、みずからの責任、そういうものを感じていらっしゃるのかどうかという点でございます。その点について大学学長さんたちは感じていらっしゃらないような様子なのか、あるいは感じていらっしゃるような様子なのか、そこらの点について少しくどいようでありますけれども、お尋ねいたしたいわけでございます。
  10. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 これは私からお答えしたほうがいいだろうと思うのですが、百七十万人おります大学学生が、みんな不退無頼の徒であるかのごとき印象を全国民に与えておる、これほど残念なことは私はないと思っております。赤軍派などというような、まさしく私は暴徒集団であると考えております。これを大学当局責任を感じないというような状態であるならば、大学は、存在することそのことが国家のために有害な存在だということになるわけでありますけれども、大学としてはそれぞれ管理者が管理上の責任をもって対処しておられます。私も国大協の会合にも出てみまして、いろいろ話を伺ってみますと、非常に苦労をしておられることはよくわかります。わかりますが、さてそれならば文部省がこうしろ、ああしろという指図をする権限はございません。あくまで大学の自主的判断に待つ以外はないのであります。  ただ問題は、高等教育制度の改革の面において、この問題は管理制度をどうするかという問題をもっと真剣に考えなければならぬじゃないかという段階に来ておる。何も文部省の権限を強めろなんという意味で私は申し上げておるのじゃございません。が、少なくとも管理者が、こういう事件に対して、われ関せずというような気持ちであってもらっては困る。もちろん、皆さん、そういうお気持ちでないことはよくわかっております。高等教育改革についての懇談もやってみますと、やっぱり真剣に取り組もうという体制をお持ちになっておるのでありますけれども、現にこういう事態が起こっておるという現実の事実だけは、大学の管理者はほんとうに責任を自分の責任としてお感じ願わなければならない。ずいぶん管理当局には私どものほうでは注意を促しております。が、いま松永先生がおっしゃるような満足すべき状態は、私はいまのところ残念ながら出てないと思う。これは率直な日本の教育界の姿であると申し上げざるを得ないのであります。  これを何とかしなければならない。しかもその数たるや、わずかな数でありますけれども、及ぼすところの影響は、百七十万の全国の大学生全部が不遇の徒であるかのごとき印象を、国民に与えるようなことになってはたいへんなことになる、かように思いますし、また、大学というもののたとえば教授、学長というものの権威が全く無意味なものであるというふうなことになりますと、これは教育者自体の権威の問題でありますから、この点については、私は厳に強く戒めなければならないという信念をもって臨んでおるわけであります。   〔委員長退席、河野(洋)委員長代理着席〕
  11. 松永委員(松永光)

    松永委員 ただいま大臣から、先ほど来私が御指摘申し上げましたような大学、ことに国立大学から犯人が相当数出たということについて、大学の改革、特に管理運営について、すみやかに大学の改革を推進していかなければならぬという所信の表明があったわけでありますが、私は全く同感であります。  ところが、先般の大臣所信表明の中には、大学の改革、ことに管理運営の面についての抜本的な改革ということについてはどうもあまり触れていらっしゃらないようでありますのでお尋ねするわけなんでありますが、大臣は、いわゆる教育改革の問題につきましては、中教審の答申の実現に積極的に取り組みたい、このために広報広聴活動を積極的に行ない、そして、一方においては教育改革に取り組むための行政体制の整備をはかる、また、学校制度の研究開発など慎重を要する問題についてはあくまでも慎重にやるが、幼稚園教育の普及充実などのように直ちに着手すべきものは四十七年度から実施する、こういった趣旨のことが述べられております。しかし、大学の管理運営に関する改革ということについてはどういう手順でなさるのか、必ずしもこの大臣所信表明では明らかでないように思われるわけです。  もともとこの教育改革の機運というものが非常に盛り上がってきたのは、申すまでもなく大学紛争を契機として盛り上がってきたというふうに私は見ておるわけであります。そしてまた、ただいま申し上げましたような、大学から全く理解できないような凶悪な犯人がたくさん出てきておる、そういったことを考えれば、まず教育改革の問題として第一に取り組まなければならぬのは、大学の改革、ことに管理運営面の改革、これではなかろうかというふうに私は思うのです。四十四年のあのときの大学紛争、これをすみやかに収拾するためには、大学の管理運営に欠陥ありということで、大学の運営に関する臨時措置法というものが制定されまして、その制定後一応表面上は大学の紛争は下火になっておるという状態で今日まできておるわけなんです。ところが、この大学の運営に関する臨時措置法の有効期限、五年間の時限立法でありましたから、あと二年しかないわけであります。そうすると、大学の管理運営に関する抜本的な改革というものは早急に着手しなければ、私は、時限立法であった臨時措置法の有効期限内には大学の管理運営に関する抜本的な改革はできないのじゃなかろうかというふうな危惧の念を持つわけでございます。  そこで大臣に、大学の管理運営についての改革について文部省ですでに成案があるのかどうか。もしまだないとするならば、いつごろまでに、またどういうふうな手順で成案を得られるつもりであるか、こういった点について大臣のお考えをお尋ねしたいと思います。
  12. 木田政府委員(木田宏)

    木田政府委員 大臣からお答えいただきます前に、大学改革につきまして進めていきたいと考えております手順をちょっと御説明申し上げまして、あと大臣からお答えをいただくことにいたします。  高等教育の改革につきましては、御指摘のように、中央教育審議会からの答申が昨年の六月に出ておりまして、その線に沿いましていま私ども諸般の準備を進めておるところでございますが、端的には、この四十七年度、高等教育基本計画の策定ということを中心といたしました施策を、本年度の予算が決定を見次第スタートさせまして、そして中央教育審議会で答申のありました大学改革の万般につきまして、特に全体計画の立案、あるいは部門別で考えますならば教員養成でありますとか、あるいは大学の管理運営でありますとか、そういう特定の項目につきましての措置案というものを整えてまいりたいと思っております。大学の管理運営は、結局問題になりましたところは、大学の規模が大きくなるとか学部と大学全体との調整をどうするかといったようなこと、大学の組織全般に連なる問題でございますから、結局新しい大学のタイプをどう打ち出し、それに必要な大学の運営の方式をどう進めていくかという手順になってこようかと思う次第でございます。その意味におきまして昭和四十七年度に高等教育改革の推進会議を設けまして、基本計画の策定に次いでいまの諸問題を具体的に取り進めていくという手順にいたしておるところでございます。
  13. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 教育改革の議論は、大学紛争を発端に起こりましたが、私は、今日頻発いたしておりまするこの不祥事件というものは、よって来たるところはどこにあるかということを考えてみますると、ひとり高等教育だけの問題ではないような感じがするのであります。実は、私たちが非常に手を抜いておりました社会教育、生涯教育の観点に立っての教育というものが、よって来たる禍根のもとをなしておるという感じが強くいたしておるのであります。  先生も御承知だろうと思いまするが、今度の犯人で逮捕されました者の中に、小学校の教頭の子供が入っております。あるいは大きな会社の重役の子供も入っております。しかも、その重役の子供は国立大学におったのでありまするけれども、休学ということになっておる。休学ということになっておりまするのは、親が金あるものですから、授業料だけは納めておるんですね。そのために休学ということになっておる。しかしこの教員は、教育者としてまことに申しわけないというので、翌日退職をいたしました。それで考えてみますと、教職に専念しておりながら、自分の子供一人の教育すらできなかったというところに、このやめられた先生の言うに言えない悲痛な心境があるだろうと私はお察しを申し上げておるのであります。  そこで私は、教育改革の進め方で一番大事な問題は、やっぱり先生の自覚の問題だ、教師が教師としての権威、任務と責任というものに対する深い自覚と使命感がなければ、幾ら設備をどういたしましても、そこからほんとうの教育は生まれてこないと思うのであります。設備施設もきわめて大切なことであろうと思います。これをおろそかにするつもりは毛頭ございませんけれども、たとえばペスタロッチの貧民教育学校あるいは吉田松陰の松下村塾、必ずしも設備がよかったわけではなかった。あるいは、よかったならばさらにいい教育ができておったかもしれません。けれども、帰するところは、やっぱり教育は人間と人間との魂の交流でなければならぬ。そこから生まれる作用が教育であると考えまする場合に、私は大学の教官御自身がもっと真剣に、自分の教え子たちに責任を持って当たっていただくだけの立場に立っていただきたいものだということを、私自身痛切に感じているわけでありまして、その意味において、先生のいまの御指摘の点は、これから心して教育改革に取り組む段階において考えたい、かように考えております。
  14. 松永委員(松永光)

    松永委員 いま大臣から、大学の改革、もっと広くは教育の改革についての固い決意のほどを承りました。どうかひとつ、その決意を持って、勇断を持って教育の改革を積極的にかつすみやかに進めていただくことを強く要望いたしまして次の質問に移りたいと思います。  次に、大臣お尋ねしたい点は、いわゆる国立大学の学費の値上げ問題についてでございます。  私はこの学費の値上げ問題に関する手続的な事柄については質問はいたしませんで、実質問題についてお伺いいたしたいのでありますが、そもそも学費あるいは授業料とは何ぞや。国立大学の学費あるいは授業料というものは、公共料金というものであるのかどうか。一部の人の話によりますと、授業料というのは営造物の使用料である。動物園の観覧料や博物館の入場料と同じように、大学という営造物の使用料、これが大学の授業料の定義であるというふうに言う人もあるようであります。また、私の聞いた話でありますけれども、国立大学学長の協議会の会長さんですかな、その人は、授業料というのは、その大学で勉学する意思がありやいなやを確認する、勉学意思の確認料だというふうに言っている人もあるやに聞いておるのでありますが、どうも私にはそういう考え方は容易に理解できません。学費の中には、受験料、入学試験の検定料、こういったものもありますし、あるいは入学金というのもありましょうし、そして授業料というのもあると思うのですが、検定料、これはまあ手数料的な性格かもしれません。入学金というのは、その大学で勉学する意思ありやいなやを確認する確認料であるかもしれません。しかし、狭義の授業料というのは、営造物の使用料などというものではなくして、昔から常識的にいわれておりますように、月謝というのが援業料の本質だろうと私は思うのであります。すなわち、その大学で教えを受ける、教えていただくそのことに対する礼金という意味が大いに含まっておるのじゃなかろうかというふうに私は理解するのでありますが、文部大臣はこの学費ないしは授業料というものの本質をいかように考えていらっしゃるか、お尋ねしたいわけでございます。
  15. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 授業料につきましては、いろいろな議論がありますことは御承知のとおりであります。これは端的に申しますと、国立大学の場合は、行政法上でいえば営造物使用料という言い方も表現の方法としてはあるかもしれません。けれども、日本の大学の八割を占めております私立大学の場合の授業料というものは、営造物の使用料でないことはこれははっきりしておる問題であります。そこで、これを公共料金の中に入れることが適当であるかどうかということは、私も実は私見としては異論を持っておりますが、少なくとも公共の学校という教育の施設設備を使う使用料の一部を負担し、また教育という授業を受けますこの受益者の受益者負担金とでも申しますか、法律学的には受益者負担金の一部を負担しておるものである、しかも国立の場合はきわめて一部を負担しておるものである、かように私は理解いたしております。単に行政法上の営造物使用料という観念では、授業料という観念は私立と国公立の場合とではまるで違ってくるということを考えます場合に、いま松永先生のおっしゃったような意見が一つの意見として成り立つものではないか、かように私も考えておるものであります。
  16. 松永委員(松永光)

    松永委員 国立大学の学費ないし授業料について、四十七年度の入学生から、一月当たり二千円アップして、いままで一カ月千円であったものを一カ月三千円にする、こういうことであると聞いておるのでありますが、文部大臣は非常な努力をされて、国立大学の授業料をアップするのであるならば、それと同時に、そのアップ率以上に育英奨学事業を大幅に拡大しなければならぬということを強く主張されて、四十七年度の育英奨学事業を、予算説明書によりましても、大幅に拡充して、四十六年度は日本育英会の貸し付け金百五十三億一千二百万円という予算であったのを、四十七年度は二百二億五千七百万円というふうに、実に五十億以上も増額をされた。私はこういう努力をされた大臣に対して深く敬意を表するものでございます。  そもそも、いまの日本の国立大学の授業料は、過去九年ぐらい一カ月千円に据え置かれてきておったわけなんでありますが、一カ月千円といえば、日に直せば三十三円。国立大学学生がアルバイトに家庭教師をした場合は、家庭教師の礼金は一日五百円ないし千円でありましょう。ところが、自分が国立大学で教えを受ける、そのことに対する礼が三十三円というのは、まことに不合理な面もありますから、この授業料を実際に合うように改正するということについては、私自身は賛成であります。しかし、同時に、ほんとうに困っておる学生もおることでありますから、奨学育英事業というものを大幅に拡大するということ、これが大切であろうと思うわけであります。そのことについて大臣が非常な努力をされて、先ほど申したような処置をされたということについては、私どもは深い敬意を表するわけなんであります。  ところが、学生やあるいはまた一般の社会では、この授業料のアップの面だけが大きく取り上げられて、授業料のアップの高よりも高いアップが奨学育英資金においてなされておるということについて、学生や一般社会にはあまり知らされていないのではないかという感じがするわけであります。そして、そのことが授業料問題をめぐる大学の紛争を引き起こしておる原因にもなっておるのではなかろうかという感じが私はいたします。  そこで、大臣お尋ねしたいわけでありますが、四十七年度の育英奨学事業の拡充は大幅になされておるわけでありますけれども、その四十七年度の育英奨学事業の大幅拡充の内容をお尋ねしたいのであります。そしてさらに、これから四十八あるいは四十九年度にかけてどういう計画で育英奨学事業の拡充ないしは拡大の方策を進めていかれるおつもりであるか、具体的な拡充拡大の方策がすでにおありであるかどうか。おありであるとするならば、その点も含めてお伺いいたしたいと思うのでございます。
  17. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 こまかい数字の問題は局長からお答えをいたしますが、たしか昭和四十五年度であったと思いますが、その調査によりますと、収入の非常に低い人の子供が比較的国立に多く入っていたのでありますが、今日になりますと、大体二百万程度の所得のある人の子弟の進学率が非常に高いようであります。三百万以上あります人ではさらに高い。考えてみますと、高等学校において四ないし五くらいな成績をとっておる子供でそのまま就職しなければならないという子供の数が意外と多いのに私も驚いたわけであります。  そこで、これは奨学資金制度というものを充実することを考えなければならないということを真剣に考えたわけであります。実は中教審の答申で、奨学制度とあわせて授業料の問題を考えろという提案がされておるわけでありますが、今年度上げることに必ずしも最初から賛成であったわけではございません。ただこの問題は、私立学校へ行く生徒が非常に多くて、その負担が大体国立の、いま値上げをいたしました金額の約三倍ないしは四倍、しかも、国費でもって国が投じます国立学校への投資額は、学生一人当たりにいたしますると、私立のほうの教育内容は大体三分の一、三倍の授業料を出して三分の一の授業内容を受ける子弟が八割もおる。その子弟の父兄も、国立学校学生の父兄のために税金をお払いになっておるということであるならば、やはり育英奨学制度というものをまず充実するということと同時に、私立学校の負担をできるだけ軽くすることを考えるために、私学助成ということをあわせて考えるということを条件にしなければ、私立大学の授業料を上げるわけにいかないというのが、私は反対の理由であったのでございます。  折衝の過程におきまして、大蔵省も大幅にこれを認めてくれるという見通しがつきましたので、まあ三倍というのは——千円を三千円にすることが適当であるかどうかということについてはあるいは御議論があるかもしれません。あるいは少な過ぎるという御議論も私は聞いておるのであります。あるかもしれませんけれども、大体九年間据え置いたのでありまするから、ここで三千円いただくということが必ずしも高過ぎるとも考えられない、この辺が常識の線ではないだろうかという判断をいたしました。と同時に、私学に対する助成というものを五二%でありますか、伸ばしてもらうことにいたしました。  育英奨学資金の金額につきましては、後ほど局長から申し上げますが、私が特に力を入れましたのは、私学に通っている学生の奨学資金の貸与制度の定員を少しふやしてもらうということ、日本でいまのような高等教育を進めておりますというと、真の研究者、真の学者というものを養成することはできないだろう。だから、大学院課程については特別に考えなければならぬのじゃないかというところで、貸費制度、給費制度については特に大幅に伸ばすことにいたしました。  詳細については、ひとつ数字の点は局長からお聞き取りいただきたいと思います。
  18. 木田政府委員(木田宏)

    木田政府委員 育英奨学費につきまして、四十七年度の予算案でお願いをいたしております案件は、はしょって申しますと、大きく分けて四点ございまして、第一点は、いままで高校、大学あるいは高専の一般貸与といわれておりました貸与月額を、四十七年度の新入生の第一年次から三千円程度の増ということを考えたい。その意味は、大学の学部学生に関しましては、現在三千円でございますから、倍の月額六千円にするという方向で倍増を考えておるわけでございます。また、そういたしますと、特別貸与との関係も起こってまいりますので、特別貸与の学生につきましても、第一年次から、学校の種別によって違うわけでありますが、大学の特別貸与にありましては二千円増という単価増をいたしたところでございます。  第二点が私立の学生、特に特別貸与の新規採用定数の増ということでございまして、私学の特別貸与の学生は現在少のうございます。四千六百人という定数ワクになっております。必ずしもその増は十分とはまだ思っておりませんが、一千人の増をここに加えまして五千六百人という定数増をはかりました。  第三の項目は、先ほど大臣も特にお触れになりましたが、大学院の貸与学生に対する措置を大幅に拡充したということでございまして、この貸与月額は、修士の学生につきましては、月額一万七千円を六千円上げまして二万三千円に、博士の学生にありましては、月額二万二千円を八千円増をいたしまして三万円といたしました。で、これらの単価アップは実は学部学生とは異なりまして、全学年次の学生につきまして一斉に増額をするという思い切った措置をこの点では講じた次第でございます。  なお、修士の学年定員につきましても、千二百人の増ということをここに数の上で計上いたすことにいたしました。  そのほか若干の調整案件があるのでございますが、たとえばスクーリングの学生につきましては、一スクーリング月間一万円という奨学金を三万五千円というふうに、かなりの幅で値上げを予定さしていただきました。  いまのような項目別の内容をさらに単価で割るとこまかくなりますので、また別に御説明を申し上げることにいたしまして、重点として考えておりました四つの項目につきまして御説明を申し上げました。
  19. 松永委員(松永光)

    松永委員 次に、幼稚園教育の普及充実に関連してお尋ねいたしたいと思います。  大臣所信表明の中で、中央教育審議会の答申に基づく幼稚園教育の計画的な拡充整備については、昭和四十七年度から計画的な充実振興につとめてまいりたい、こういうふうに述べておられます。聞くところによりますと、幼稚園振興十カ年計画というものを策定しておられまして、そうしてそれの初年度として、今年度から予算措置などもしておられる、こういうふうに聞いておるわけでありますが、いわゆる幼稚園振興十カ年計画の概要について、初中局長、簡単にひとつお聞かせ願いたいと思います。
  20. 岩間政府委員(岩間英太郎)

    ○岩間政府委員 ただいま先生が御指摘になりましたように、私ども計画的に幼稚園教育の普及充実をはかってまいりたいというふうに考えているわけでございます。  その大まかな内容は、まず五歳児につきましては、これは今後五年の間に希望する者はすべて幼稚園に収容できるようにしてまいりたい、さらに四歳児につきましては、この十年の間に希望する者は全員収容してまいりたい、そういうような基本的な計画に基づきまして、なお、子供の数の多い少ないによりまして多少早いおそいはございますけれども、そういうふうな方針で今後進めてまいりたいということでございます。  具体的にこれを実施するにあたりまして、来年度の財政的な計画につきましては、まずそういうふうな計画を進めてまいりますにつきまして、いままではともかく希望する市町村ないしは私立学校に対しまして助成をすることによって拡充整備をはかってまいったのでございますけれども、ただいま御指摘になりましたような計画的な推進ということになりますと、どうしてももう少し厳密な調査を行ないまして、その上に立って計画を進めていく必要があるわけでございます。つまり市町村なり私立学校側の具体的な計画というものの上に立って私どもは計画を進めていく必要があるということで、まず第一に幼稚園並びに保育所をあわせまして大がかりな調査を実施したい。各市町村、各地方公共団体あるいは私学等の意向も十分くみ取りながら今後の計画を進めてまいりたいということで、来年度約一千百万円の調査費をお願いしているわけであります。  それから同時に、幼稚園の普及につきましては施設設備の補助ということが必要でございますので、その面におきまして来年度は約六百の幼稚園の新設、それから千八十の学級の増加というふうなことを一応目途といたしまして、それに必要な施設設備に関する予算をお願いしているわけでございます。  それからさらに、幼稚園を全体に普及してまいるとなりますと、どうしても父兄負担という問題が出てまいります。その父兄負担の軽減をはかって、所得の低い方もそのお子さんを幼稚園にやれるように、その父兄負担の軽減をはかるという意味で、来年度幼稚園の就園奨励費というものにつきまして国のほうで十億の予算をお願いしております。さらにこれは、裏財源では地方交付税で財源措置をする、こういうことでございますので、全体としましては三十億の父兄負担の軽減をはかるというふうな方向づけをしたわけであります。  さらに、御案内のとおり、幼稚園につきましては私立の幼稚園が非常に多いわけでございますので、公立、私立の格差を是正するということが必要になってまいるわけであります。そこで、いままで大学とかあるいは高等学校、小、中学校につきまして実施されておりました方法によりまして、幼稚園につきましても公私の格差を縮めてまいりたいという意味で、これは人件費を含む運営費の補助ができるような財源措置を一応用意しておりますけれども、これにつきましてはその裏づけといたしまして立法措置が必要でございます。これも国会のほうで立法措置をしていただく、お願いでさましたらそういうふうな道も開かれておる。つまり、来年度を初年度としまして、財政的な総合的な裏づけと申しますか、そういうものにつきまして第一歩を進めたという段階でございまして、調査を実施いたしまして、それの上に立ちまして、再来年度から本格的な計画の実施をはかりたいというふうに考えているような次第でございます。
  21. 松永委員(松永光)

    松永委員 いま局長から概略の説明のあった、幼稚園振興十カ年計画を実施していくにあたりましては、私立幼稚園の振興を大いにはかってい九なければ計画の達成は非常に困難ではなかろう九というふうに私は思います。ところが、中教審の答申にあります幼児学校構想、この幼児学校というものが実施されるということになりますと、私立幼稚園の経営者は、自分たちが努力をし苦労をして設置した私立幼稚園がどうなるのであろうかという心配をしているやに聞いております。そういう心配を私立幼稚園の設置者があるいは経営者がなさるのもわからぬわけではないのでありますが、私は、この幼稚園振興十カ年計画を推進するにあたっては、私立幼稚園の設置者あるいは経営者に無用な不安感やあるいは心配の念を起こさせないように、十分な話し合い、説明というものが、私立幼稚園の設置者や経営者の間になされなければならぬと思うのです。そうして、積極的に幼稚園の振興というものに、私立幼稚園の設置者、経営者に協力してもらわなければならぬというふうに私は思うのでありますが、その点についてのお考え方と、もう一つ、先ほど局長は、幼稚園における父兄負担の軽減という問題について、四十七年度の予算においていろいろ配慮をなさっておるという御説明がございましたが、この点に関連いたしましては、中教審の答申に次のようなことが書かれてあります。それは、「私立幼稚園に対しては、父兄の経済的負担が公立と同程度で、教育水準は公立と同等以上を維持できるよう措置する必要がある。」ということが書かれております。  先ほど局長から説明のあった就園奨励費、これは低所得者に対する幼稚園の父兄負担の軽減にはなりましょうけれども、私立と公立との父兄負担の格差是正には実はならぬわけでございますね。そこで、私立と公立との間の父兄の経済的負担の格差是正、これについて先ほどちょっと説明があったようでありますけれども、現在のところ私立幼稚園の父兄負担と公立幼稚園の父兄負担の割合は、公立の場合の父兄負担を一とすれば、私立の場合は三ぐらいの割合になっているのじゃなかろうか。そういうふうに大きな経済的な負担格差があるわけなのでありまして、それをすみやかに縮めていく必要があるんじゃなかろうかというふうに私は思います。  以上二問を最後にお尋ねいたしまして、私の質問を終わりたいと思います。
  22. 岩間政府委員(岩間英太郎)

    ○岩間政府委員 大臣からおことばがあるかもしれませんが、その前に私からお答え申し上げます。  まず幼児学校の問題でございますけれども、中央教育審議会の答申では、幼児学校ということばは具体的には出てまいりません。私ども考えますと、ちょうど四、五歳児、小学校一年生ぐらいの七、八歳児、その年齢の段階では心身の発達の状態が非常に似ておるという意味で、そういう年齢の者につきましては、同じような教育の方針で教育をしたらいかがかというふうな提案がなされておるんじゃないかというふうに受け取るわけでございます。中央教育審議会の答申では、ほかの場所におきまして、やはり幼稚園の普及充実ということを申しておりますので、いわゆる幼児学校と幼稚園の普及との関連が、やや私ども理解しにくい点があるのでございますけれども、私どもは幼児学校というものをかりにこれから実施するということになりますと、これは当然国会で法律の御審議をいただかなければならぬような重要な問題でございます。またこれは、国民全般の御理解をいただいてやるような事柄じゃないかというふうに考えておりますので、そういう中央教育審議会の学問的な基礎に立った研究を始めてはどうかという御意見に対して、私どもはそれを受けて、具体的に研究を始めてまいりたいというふうな段階でございます。したがいまして、世上いろいろ取りざたされておりますように、私どもが直ちにこの問題を受けて早急に実施をするというところまではいっておらないという点を御理解いただきたいと思います。また、その幼児学校という提案が、あくまでも教育の方法というふうな観点から行なわれているという点も御理解をいただきたいと思うわけでございます。  それから、あとの幼稚園の公私立の格差の是正でございます。私ども、低所得者に対する父兄負担の軽減ということを来年度から始めたいというふうに考えておりますけれども、同時に、公私立の格差も是正したいという二つの、ちょっと欲ばったような考え方で、御案内のとおり委託費というふうな考えを、予算の要求の段階で出したわけでございますが、それがうまくいかなかったわけでございます。その点は、私どもいささか心残りでございます。  しかし、大学とか高等学校につきましても、公私の間では格差がございます。その格差を是正するために、いま人件費を含む経常費の助成というふうな方法がとられているわけでございます。そういう点から申しましても、幼稚園につきましても、不十分ではございますけれども、そういう方法でやはり一応私どもは格差の是正をはかってまいる、根本的にはやはり高等学校以下あるいは大学というふうなものの父兄負担の公私の格差というものを解決する際に考えていくというふうな方向をとらざるを得なかったわけでございます。その点は御了承いただきたいと思います。
  23. 松永委員(松永光)

    松永委員 どうもありがとうございました。これで私の質問は終わります。   〔河野(洋)委員長代理退席、委員長着席〕
  24. 丹羽委員長(丹羽兵助)

  25. 川村委員(川村継義)

    川村委員 先週の委員会で、大臣から所信表明をちょうだいいたしました。文教行政全般にわたっておるわけでありますが、これを私は逐次お尋ねをしなければならないと思いますけれども、きょうはそんなにたくさん時間をいただくわけにまいりません。大臣所信表明は、前文と申しますか、基本的なお考えをお述べになっておりまして、第一は教育改革の推進、第二は初等中等教育の改善充実、第三は高等教育の改善充実、第四は学術振興、第五は私立学校の振興、第六は社会教育及び体育、スポーツの振興、第七が文化の振興、それから沖繩の教育について所信をいただきました。  そこで私は、きょうは主として前文につきまして、大臣の教育並びに教育行政に対する基本的な御見解をひとつ賜わっておきたいと思います。  その前に、松永委員の質問と重なるわけでありますけれども、連合赤軍の問題を簡単にひとつお尋ねしたいと思います。それから、これまた松永委員の質問と重複いたしますけれども、大学授業料の問題について少しお尋ねをしておきたいと思います。そして最後に、いま申し上げました文教行政の基本的なお考えをきょうは承っておきたいと思います。  なお、委員長にお願いでございますが、大臣所信表明の幾つかの項目につきましては、たとえば高等教育の改善充実という大臣の表明につきましては、後日国立学校設置法の一部改正の法案審議をいたしますときに、高等教育の全般にわたってお尋ねをすることができると思います。なお、義務教育諸学校の教育施設の改正法案が出ておりますから、そういうのに関連して初等中等教育の問題についてまた広くお尋ねすることができると思います。ただ、その法律に直接関係してお尋ねできないその他の問題につきましては、またいずれ時間をちょうだいいたしましてお尋ねする機会をお与えいただきたい、このようにお願いをしておきたいと思います。  それで、連合赤軍のことでございます。松永委員からいろいろとお尋ねがございましたが、全く常軌を逸したおそるべき犯罪行為が行なわれたのであります。おそらくすべての国民がはだに粟してこれを見守っていたのではないかと思います。いま大臣からいろいろと松永委員に対する御答弁がありましたが、私が大臣お尋ねしたい一つの要点は、このような過激なおそるべき犯罪行動が、日本だけでなく、相当数の諸外国にも見受けられる。一体、彼らをこのような過激な行動に走らせるものは何なのか。やはりこの分析あるいは把握がなければ、ほんとうに将来に明るい展望を開くことはできないのではないかと私は実は憂慮しております。  そこで、これらを見るときに、ただ犯罪という観点からだけでは私たち教育の問題を頭にするものは考えられない気がいたします。つまり教育的見地からこのような事件というものを解明する必要がある、こう思うのであります。そこで、まずこれらについて大臣の御所見をいただきたいということであります。
  26. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 お答えいたします。  浅間山荘事件をはじめといたします一連の凶悪犯罪、これは少なくとも学生の行動といえないことは申すまでもないことであります。御指摘のように、こういう事態が日本だけではなくて、世界中あちらにもこちらにも起こっておるというところに、私は現代文明の一つの大きな転機が来ているんじゃないかという感じがいたすのであります。口に人間尊重を唱えながら、人命をちりあくたのごとく考えているところに問題の一番大きな根源があるんじゃないか。教育で一番大切な問題は、人の魂を大切にするということでなければならぬと思うのであります。この面が戦後の教育においてわが国でややおろそかにされた面ではないだろうか。私どもが反省しなければならない点はその点ではないだろうかという感じさえいたしておるのであります。教育で何より大切な問題は、人の子の魂を大切に育て上げるということでなければならぬと思うのであります。いま価値観がどんなに変動いたしましても、人命を軽く見ていいという時代が来ようとは私は思いません。したがって、教育における人命の尊重、人権の尊重というものは、教育の場においてもこれは厳に守られなければならない問題であろうと思うのであります。  ところが、いまこの過激集団に加わっておりまする学生が百七十万の大学生の全体を代表しているかのごとき印象を与えております。これを私は面も憂うるものであります。学生の中にも真剣に学問に取り組んでおる学生もおるんだということをぜひひとつ御理解をいただきたいし、また、その上に立って私どもはこの問題を見なければならないと思うのであります。学生がこういう不遇の行動をしたということにつきましてはまことに申しわけないことだと思いますけれども、多くの学生は、やはり一生懸命になって勉強をしておることは間違いない事実であるということも考えてみなければならない。  ただ、残念ながらこの暴挙に参加いたしております者が、みんなそれぞれ、まあ中には高等学校の子供もおりますけれども、高等教育を受けておる学生たちであったというところに、私は今日の高等教育のあり方というものについて考えなければならない何かがあるんじゃないかという感じがいたしておるのであります。先ほど松永先生から大学の管理運営についての御質問をいただきました。私は文教行政をあずかる者として私自身もこの問題については非常に責任を感じておるのであります。  ただ、戦前の教育と戦後の教育とはまるで制度が変わっております。国民全体の合意の上に立ってのみ教育制度というものの改革ができるわけであります。勅令一本で改革できるわけのものじゃございません。したがって、国民皆さま方の合意の上に立って教育制度の改革というものに取り組まなければならない。ただ一番大事な問題は、私は何と申しましても人間性の回復と申しますか、魂の回復と申しますか、この教育をもっと真剣に考えていかなければならぬじゃないか。物質文明の究極するところは何であったかというと、人間の欲望に限界がないということを事実の上において証明したという感じがいたすのであります。その不満なりあせりなりが、いろいろな形において爆発しておるのが今日の姿ではないだろうかという感じがしております。  これは私の私見でございますけれども、せっかくのお尋ねでございますから、私の感じを申し上げました。
  27. 川村委員(川村継義)

    川村委員 このような不遇なおそるべき犯罪行為が行なわれた。その行為に対してあらゆる法律の制裁が加えられ、あるいはそういうような諸君が社会に生存できないような糾弾を受けるということは当然かもしれませんが、やはり私たちはその前に、いま大臣からもお話がありましたように、一体なぜこういうような事件が起こってくるのであろうかという問題、教育的にこれを一体どのように手を打っていくかということのそれがない限り、ただ幾ら彼らを攻撃してみても救いはないのではないか、私はこういう気持ちがいたしているわけであります。先ほど大臣松永委員のお答えにも、いま私のお尋ねに対するお答えにも、百七十万もいる大学生の中の言うならば一握り、言うに足らぬようなこういう若者たちが、過激な行動に出て、そして大学教育そのものの名誉さえ傷つけておるということは、私も非常に残念に思うわけです。  ただ、大臣のお答えにことばを返すようでありますけれども、先ほど松永委員のおことばにございましたように、であるからして大学の管理運営の制度を強化していかねばならない、あるいは管理運営の責任者が何か責任をとるような方途を考えねばならぬというようなところに飛躍してまいりますと、私はまた、問題は軽いものではない、このように思うわけであります。つまりこの前、大学の運営に関する臨時措置法が国会に上程されたときに、非常な反対的な運動が実は起こりました。しかし、あの大学運営の臨時措置法の力といいましょうか、それから大学の紛争というものは当時のような紛争が影をひそめておる、これは言ってもいいと思います。  ただ大臣、私が非常に気になっておることは、一体、大学の運営に関する臨時措置法ができて、あの当時のような残念な大学紛争が影をひそめたということは、真にわれわれが望んだところの大学教育の改革あるいは大学運営のあり方等が実を結んだというのか、こう問い詰めてみますと、私にはどうもそうは思われないのであります。結局、ことばは少し過ぎるかもしれませんが、警察権力によって大学の紛争が押えられておる、こう指摘しても過言でない、このような実は受け取り方をしているわけであります。  これは私自身は非常に残念に思っている。警察権力の行使、警察権力の介入によって大学の紛争が押えられるのじゃなくて、大学教育の改革あるいは大学の運営のあり方等々によって大学が円満なる大学の場であってほしいと私は実は思っております。そういう当時のことを考えてみましても、あるいは幾たびか大学管理運営の構想が数年前に出されても、なかなか実を結んでいなかったということなどを十分反省をしていかねばならぬのではないか。大学運営の管理の強化という、大学運営をりっぱにするということは、それは私も考えねばならない、またそうなければならぬと思いますけれども、ただそれが憲法十九条にいうところの思想及び良心の自由を侵してはならないとか、二十三条にいうところの「学問の自由は、これを保障する。」こういうものが押えられる、抑圧される、抹殺されるような事態に決してしてはいけない。そういうようなことがあってはならない。こういう事件をきっかけに、ややともするとその一つのかきねを越えて学問の自由を侵すようなところまで足が踏み込まれないように、十分われわれとしては注意すべきではないだろうか。その辺のところがこれから十分配慮さるべき問題であるし、なお検討をされねばならない問題であると思います。  たいへんおそろしい犯罪を犯した赤軍の諸君のおとうさんの中には自殺をなさったという方もあると聞いております。また、その中には、おとうさんが学校の校長先生をしておられた方もおられて、これは辞職をなさった。やはり、それぞれの大学学長あるいは学部長というような人たちも、十分その辺のところに責任を感じておられると私は思いますが、ただその責任の追及という点で、学長を辞職すればいいという問題ではない。そういう点等をひとつ考えて、これらの問題が惹起したあとについて、われわれは配慮するものがあってしかるべきではないかと私は考えておりますけれども、その辺について大臣の所見をひとつお聞かせおきいただきたいと思います。
  28. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 川村先生お話しのとおり、不遇の学生を出した学長責任をとってやめればいい、そういう性質のものでないことは申すまでもございません。  ただ私は、松永先生にもお答え申し上げましたように、管理運営について当然責任を負うべき者が大学人の良識をはっきり認識して、その上に立って管理運営をしていただく姿を進めなければならぬということについては、これはおそらく川村先生も御異議がないだろうと思っておるのであります。極端に言いますならば、宗教的に申しますと、不逞の学生であればあるほど学校で教育を続けてやってやる、そしてこれを善良にしてやるということも一つの考え方であろうと思うのであります。不都合なことをしたから退学をさせる、それで学校責任は済んだというようなものの考え方でほんとうの教育というものができるだろうかということを考えますならば、できが悪ければ悪いだけ一生懸命になってその子供の教育に力を注いでやるということも教育の一つのあり方である。しかし教育体という一つの組織の中において、その組織を破壊する行動があります場合にこれを排除するということも、場合によってはやむを得ないことだろう。また、やらなければならぬことである。これは私は管理者の判断の問題であろうと思うのであります。  そういう観点から申しますと、あの大学臨時措置法ができました当時のいきさつは御承知のような状態であったのでありますけれども、いまではやや平穏な状態になっておる。しかし、それがほんとうに平穏な状態であるかどうかと申しますと、一方には浅間山荘事件のようなものが起こっておるということを考えます場合に、いかに教育というものがむずかしいものであるかということがはっきりすると同時に、私どもが心して扱わなければならない問題が数多くあるということを考えなければならない、私はこういうように考えているわけであります。
  29. 川村委員(川村継義)

    川村委員 大学学生は法律的にも成人として存在をいたしておると思います。そこで、憲法の例を引くまでもなく、彼らは彼らとしてそれだけの自覚ある、また学生としての自覚ある行動をとり、学問をするという責任を背負わされているわけでありますけれども、彼らがいろいろの政治的課題について反対運動を起こすというようなことを全く拒否することはできないと私は思います。  そこで、成田空港の問題であるとか沖繩返還阻止の運動であるとか、それらによって起こった犯罪、これは私はきびしく追及されねばならぬと思います。警察官を殺したり人を殺したり焼き打ちをしたり、これはとてもじゃない、次元の違う問題だと思うのです。ただ、成田空港反対の事件であるとか、あるいは沖繩返還の問題であるとか、こういうものと連合赤軍といわれる連中がとっておるものを同一のレベルにある事件だと見ることは、私は大いに問題があると思います。そういう意味で私たちは、これらの一つ一つに対処するものがあってしかるべきではないか、このように考えているわけであります。  それから、これは余分なことでありますが、大学局長にお頼みをしておきます。先ほど松永委員横浜国立大学の話を指摘されました。これは私の頼みでありますが、横浜の国立大学を二期校として入学試験等を取り扱うのが一体いいのかどうか、これをひとつ研究しておいていただきたい。私はきょうはいろいろ具体的な問題を申し上げます。これは申し上げるといろいろはばかるものもございますが、局長としては二期校として存在するのが一体いいのかどうか、その辺のところを検討してもらいたいと思うのです。これは横浜国立大学のことについて松永委員から御指摘がありましたから、私つけ加えて申し上げるわけです。  それから、委員長にお願いでありますが、連合赤軍といわれるあの諸君、これは警察が捜査しておる面もありますし、逮捕して調べておる事件でもあります。そこで、大体そういうものが一段落をしたころに、実際彼らの犯罪の捜査、検挙、逮捕等々に当たられた警察と、それから社会学の学者、心理学の学者、教育学者、こういう有識の方々を一応この委員会にお呼びいただいて、そしてこのような一連の問題について、教育的見地からいろいろと御意見をちょうだいし、何か将来明るい方途が見出せるように議論をする、お尋ねをする、われわれはそういう機会を持ちたいと思います。どうかひとつ委員長におかれましては、そのような機会をわれわれにお与えくださることをお願いしておきたいと思います。  先ほど松永委員からいろいろとお話がありましたので、私の考えを少し申し上げ、大臣の御意見をちょうだいして、この問題を一応おきたいと思います。  その次に、これも先ほど出ましたので重複するのでございますが、大学の授業料についてちょっとお尋ねをしておきたいのです。大臣大学授業料の問題につきましては、私どもの木島委員が一般質問等で十分大臣お尋ね申し上げると思いますから、私はごく大ざっぱにお尋ねを申し上げておきたいと思います。  きょうは予算の公聴会、来週にまだ一般質問が送られております。あと分科会、総括というような日程があるわけです。おそらくこのまま行っても今月末に本会議上程ということで予算が衆議院を通過することになるだろう。とんでもないハプニングが起こるとまたわかりませんけれども、すなおに考えるとそういうことになるだろう。ところが、こう考えてみましても、これが参議院を通過するのはおそらく四月の二十日過ぎということになると思うわけです。そこで、どうしても政府としては今月中に暫定予算をつくって衆参を通過させなければいけない。その暫定予算の中にこの大学扱業料あるいは入学料の値上げを織り込まれますか、織り込まれませんか、これを聞いておきたい。
  30. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 私は閣僚の一人として、あるいは国会議員の一人として、予算が年度内に成立するものと信じております。しかし、お話のような事態が起こることは予想されると思いますが、いま政府といたしましては、これに対する予算編成の方針はきまっておりません。ただ、私といたしましては、所定の授業料の値上げはいたしたい、こういう気持ちを持っております。
  31. 川村委員(川村継義)

    川村委員 閣僚とされて、また議員とされまして、年度内に予算が成立することを願われるお気持ちはわからぬではありませんが、これはもうどんなにお願いになっても、三月中に参議院を通過するなどということはあり得ないわけですから、暫定予算の必要は否定できない。  ここで大臣は暫定予算に授業料を織り込みたいという表明がありましたが、これは大臣御承知でございましょうが、四年ばかり前の国会で暫定予算が組まれたときに、与野党の申し合わせがある。御承知のとおり、暫定予算というものは、事務的な経費を一カ月なら一カ月盛り込むのだ、新しい政策は暫定予算の中に盛り込まない、こういうことで、一部の公共事業等を認めて予算が成立したことがあります。そのときにも大問題になりまして、結局自後こういうことはやらないという申し合わせがあるわけですから、大臣が織り込みたいとおっしゃるのなら、そういうような申し合わせがあるということも御存じでございましょうが、重ねてどう押しますか。
  32. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 川村先生よく御承知のことでありまして、数年前そういう申し合わせをいたしたことを私も記憶いたしております。そこで、これは私の問題じゃございません。大蔵省の編成方針の問題なんであります。私は、授業料は年額三万六千円と決定をいたしましたから、年額三万六千円で告示をいたしたい、こういう考え方を持っておるということを申し上げておるわけであります。しかし、編成の段階において政府の方針がどうなるか、これは大蔵省の所管でございまして、私からいまお答え申し上げる段階ではございません。
  33. 川村委員(川村継義)

    川村委員 お話しのとおり、これは大蔵省がどういう手を打つか、なるほど大きな問題であります。大臣の願望はそのとおりだと思います。  そこで、この際ちょっとお聞きしておきたいと思いますが、かりに三月末衆議院を本予算が通る。四月の二十日過ぎに参議院を予算が通る。その間暫定予算が動いている。暫定予算に授業料値上げを織り込むことができなかった。これは予算審議の大きな問題になるだろうと私は見ているのです。  そこで、暫定予算にこれを盛り込むことができなかった、本予算が成立するのを待たねばならない、こういうときに、新しい大学生に対する大学授業料あるいは入学料の徴収は法的にどうなりますか。これは局長からお答えいただきたい。
  34. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 大学授業料は年額で三万六千円ときめておるわけであります。したがいまして、予算が四月に施行されるならば四月から取れることになるわけであります。
  35. 川村委員(川村継義)

    川村委員 私がお尋ねしているのは、国立学校における授業料その他の費用に関する省令の第三条、第四条に関係してであります。予算が通らなければ、あなたのほうは省令も出せない。まさか予算の前に省令は出さないでしょう。省令が出せない。四月の二十日過ぎ、二十五日なら二十五日に予算が通ったとしたら、そのときに省令をお出しになると仮定いたします。そうすると、学生はすでに四月の初めには大学に入っている。ところが、第三条にはこう書いてある。「授業料の徴収は、各年度に係る授業料について、前期及び後期の二期に区分して行なうものとし、それぞれの期において徴収する額は、年額の二分の一に相当する額とする。」「前項の授業料は、前期にあっては四月、後期にあっては十月に徴収するものとする。」そこで、なるほど四月ぎりぎりであれば、四月末に追加徴収できるような可能性もあるようにも読めます。しかし大臣、もとの授業料で四月の初めに入って、あと追っかけて徴収するということになりますと、また大学側はたいへんな立場に立つだろうし、上級生、新入生一緒になってちょっと心配な事態が惹起されるのではないかと思うのです。一体それが可能なのかどうなのかということが一つ。  それから「入学の時期が徴収の時期後である場合における授業料の額及び徴収方法」というのが第四条にあるが、この四条は、あとから入学してくる、そうすると月割りで取るぞというような規定なんですね。今度の場合は、初めに入っているのをあとから追っかけて取ろうというわけですから、そういう場合の規定はここにはちょっと見当たらない。で、これは一体どうなさるおつもりなのか、こういろことなんです。
  36. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 そういう事態も十分考慮いたしまして、暫定予算に織り込む場合に十分配慮いたすつもりでございます。私からお答え申し上げるよりは、これは大蔵大臣、大蔵省の所管であります。私はそういうつもりで述べておるのであります。混乱を生む云々というお話がございましたが、この混乱の問題についてはまた別に対処の方法もあるだろうと思っておるわけでございます。   〔委員長退席、河野(洋)委員長代理着席〕
  37. 川村委員(川村継義)

    川村委員 私は、混乱が起こるのを何か期待するようなことでお尋ねをしているのじゃありませんよ。ほんとうに教育を心配するからお尋ねをしておる。まあそれはそれとしていいが、暫定予算を大蔵省が組むか組まないかにそれはもちろんかかってくるでしょう。ところが、暫定予算にこれが組めなかったときにどうなりますか、ここに私の尋ねる焦点があるのです。暫定予算に組めなかったときにはどうなりますか。ということは、もっと具体的に申し上げますと、もう二期に分けて取るのだから、四、五、六、七、八、九というのはこれはもう取らない、後期の十月から初めて徴収をする、こういうことになるのだろうか。あるいは、いや五月から取るのだ、追徴して五月から取るとすると、五月から取るにしては、追っかけて取るという規定がちょっとこの中には見当たらない。これは四条によるとそうでしょう。すでにもうこういう省令が発動されており、あとから入学してきた者はこうして取るぞと、こうなっておる。ところが、今度は四月の初めに入学しておるのでしょう、それをあとからこれを取るというのなら、これは追っかけなければならない。そういうことは一体できそうにないがなあとぼくは思うからお尋ねをしているわけです。  そこで、もう一ぺん申し上げます。そういう事態になったら、暫定予算に組まれないということになったら、これは残念ながら特別会計には穴があくかもしれぬけれども、十月からしか取れないのですか、まあ端的にお尋ねすればこういうことですね。
  38. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 私は、ただいまの時点においては、四月一日から取るという方針を変えようとは思っておりません。これはしかしただいまの時点において申し上げることであります。
  39. 川村委員(川村継義)

    川村委員 ということは、ことばをかえて申し上げますならば、大臣さっきおっしゃったように、あくまでも暫定予算に組んでもらう、こういうことになるかと思うのですね。私が聞いているのは組めなかったときのことなんですから、それをひとつ具体的にちょっと教えておいてもらいたい。局長、どうです。
  40. 木田政府委員(木田宏)

    木田政府委員 大臣が先ほどからお答え申し上げておりますとおり、いまの暫定予算の関連のことは、そのことがきまりましたときに私ども検討させていただきたいと思います。
  41. 川村委員(川村継義)

    川村委員 まあ政治的な御発言でございますから……。しかし、これはほんとうにわれわれだってやはり気になるのですよ。まあ、ひとつ十分あやまちのないように、これによってあとから追徴して、全国の大学がたいへんな状態にならないように、十分ひとつ検討をしていただきたいと思います。  時間がありませんであれですが、私はこの際、先ほど松永委員お尋ねになっておりましたが、これはまた、先ほど申し上げましたように、木島委員が一般質問でお尋ねしますから、もうくどくどお尋ねをいたしません。というのは、私がきょうお尋ねをしようと思ったのは、これは宿題にせざるを得ないと思うのでありますけれども、文部省はこの官報の「国立学校の授業料改訂」についてという、これをずっと読んでいきますと、受益者負担の立場で説明をしておられます。それから物価などとのつりあい、関連において上げることも必要だというようなことを述べておられます。そこで、この受益者負担というような考え方が一体成り立つのかどうなのか。これはまたあとで大臣所信表明と関係してお尋ねをいたしますので、きょうはちょっと問題だけをここに出しておきます。  まず使用料という考え方もあるようであります。また、大蔵省が言っておるように、私立大学との均衡論ということもあるようであります。あるいは大学側が意思表示いたしましたように、学生大学に入っておる意思確認料という、まあむずかしい定義も実は生まれてきておるようであります。いろいろな考え方がありますけれども、授業料とは一体何だ、これがどうもあやふやなんですね。文部省もこれはどうもはっきり割り切っておられないようでありまして、この官報を見ると「授業料のあり方については、いろいろな考え方があり得るものであって、理論的にいくらがいいかを定めることは困難であるが、事実問題として、」云々と、こういうように書いてありまして、授業料の定義というのはなかなかきちっと理論的に生まれていないようであります。大臣、この文部省が言っておられる受益者負担というものの考え方で一体よろしいかどうか、この際大臣に、いろいろくどくど聞きませんから、お考えを承りたい。
  42. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 わが国では義務教育以外の諸学校におきましてはそれぞれ授業料を取っておるのが通例であります。国立大学におきまして授業料を取りますのもそういう趣意であります。したがって、これは受益者負担金ともいえるでありましょう。あるいは使用料という面もありましょう。あるいは、たとえば教育の施設設備を利用する使用料、授業を受けますことによって生ずる利益に対する受益者負担金、こういう性質のものであろう、これは行政法上のいわゆる営造物の使用料というきわめて割り切った考え方もできるかもしれません。けれども、授業料というものは、少なくとも教わることへの対価、またその施設を利用させてもらう使用料、この両面があることだけは間違いないだろうと、私はかように存じております。
  43. 川村委員(川村継義)

    川村委員 ではこれは、次の機会まで問題を保留いたしますが、もう一つ確かめておきたいのは、授業料の引き上げについて、なぜ授業料を上げねばならないかということについて、父兄の負担の問題であるとか、あるいは大学生諸君の生活状態の問題であるとか、それを配慮されたと思うけれども、全然考慮されていないのではないか、こう思われてなりません。先ほど文部省からいただきました「昭和四十五年度学生生活調査報告」というのを実は調べてみました。これによりましても、なかなかたいへんな学生の状態が見受けられるわけであります。四十五年のことでございますけれども、たとえば下宿をしておるところの学生は月に三万五千円かかっておるとか、一年間に国立の場合には学費と生活費を合わせて二十五万円必要である。公立の場合には二十四万七千六百円必要である。私立の場合三十七万八千五百円必要である。平均をして学費が十四万余り、生活費が二十万余り、平均のトータルで三十四万五千五百円、こういうような、学生諸君が生活をしながら大学に通っておるというようなことがあなたのほうのこれに実は出ておる。なお、この中には学生が幾らアルバイトをしているかというような問題学生の家庭の所得がどういうような階層別になっておるか、それも統計に出ております。それらを突き詰めてまいりますと、大学というところは貧之者は行けぬという結論が出るような気がしてなりません。  そこで今度は、奨学金制度の問題が裏に出るわけですけれども、それらの論議はひとつこの次にさせていただくことにして、そういうような学生諸君の三万五千円も月に要るような生活実態等々を考えてまいりますと、決して国立大学の学費が安いとは私は思わない。結局、私立大学は経営上学費の値上げというものをやらざるを得ない羽目に追い込まれておる。そこで、私立はこんなに高いのに国立は安いじゃないかという均衡論が実は出てきて、大臣はずいぶん反対なされたようですけれども、結局は引き上げになってしまうという結果が出る。こういうような問題の取り組みというのが少し足らなかったのじゃないか、なぜ授業料は上げねばならないのか、私はこういう一つの疑問を持っておりますから、またそれは、先ほど申し上げましたように、いずれ高等教育の問題のときにいろいろとお尋ねいたしますが、一言お答えをいただきたいと思います。
  44. 木田政府委員(木田宏)

    木田政府委員 先ほど大臣からお答え申しましたように、授業料につきましていろいろな考え方があろうかと思いますが、私ども国立あるいは公立学校の授業料につきましては、大学教育を受けるという、その大学教育という役務、働きに対して、それに参画をする学生の受益者としての負担だというふうに考えます。現実に学生たちが大学に行き、そこで学ぶことによりまして、学生みずからもそれによって得るところがたくさんあるものというふうに考えております。もとより大学で学びましたことすべてが学生個々人の利益というふうにだけは考えません。社会全体として考えてみて、多くのすぐれた青年が大学に学ぶということによって、社会的にも得るところが多かろうと思いますけれども、また、そこに学んだ者個々人がそれによって得るところというのはある。公共の施設ではございますけれども、公共の働きに参画することによって、そこで勉強することによって、個々人が得る役務というものがあるならば、それに対して相応の負担をみずからしていくということは当然のことではなかろうかと思います。そういう観点から、いわゆる授業料というものが、その時代時代に応じて定められた金額が払われておるわけでございまして、今回の授業料の改定の際にも、やはり私どもはそうした授業料が持っております他の諸物価その他諸般の事情とのバランスということはかなり考えたつもりでございます。  先ほど御指摘になりました学生の生活調査の実態等も、私どもも集計の段階でその動向は察知しておりまして、学生の生活費が決して軽くないということは承知いたしておりますが、その中にありまして学生の授業料の占める割合というものが、学生生活費の中で、御指摘になりましたように、平均三十四万円の生活費、これは学費も含めてかかるといたしまして、これは学ぶための総掛かりといたしますと、その中で学ぶことによって自分が得ることに対する負担として考えるものが一万二千円というバランスというものはこの際どうであろうかというような点も考えております。学生の生活全体の中におきます学生の娯楽費等の金額を見ましても、これは学校種別によって違いますけれども、相当の金額が出ております。みずから学ぶ者が学ぶことに対する自分の力の入れ方ということをあらわす意味においても、まあ相互のバランスがあってよろしいのではないか。そういう意味から今回の改定のことも考えておりまして、授業料そのものがもう要らないという基本論であればまた別のことでございますけれども、みずから学ぶことによって得るものに対して何がしかやはり自分としての負担を考えるという授業料制度のもとで考えました場合に、ある対応の負担というものを考えてしかるべしという判断を持っておるということだけお答え申し上げておきます。
  45. 川村委員(川村継義)

    川村委員 いまの政治体制の中でそういう議論が成り立つことはわかりますけれども、私が申し上げなくても皆さんが一番御存じの、外国の大学のそれらの学費とか負担が一体どうなっているかということに比べてみましても、これは国立の問題じゃなくて私立大学の問題もあわせてやはりよほど検討しなければならぬ。検討どころじゃない、もう思い切って前進させなければならぬ課題を実は持っているわけでございます。まあ、それらはいずれまたこまかにひとつお聞かせいただきたいと思っております。  ただ、いまお話のありましたように、いまの政治体制のもとですぐ受益者負担だ、下水道をつくるとこれも工事費を出せ、これも受益者負担だ、なにをつくるとすぐ受益者負担だ。受益者負担という思想が国民におっかぶされる。これは私は必ずしも賛成できないのですよ。そういう点を指摘しておきたいと思います。  そこで、時間がだいぶ迫りましたが、一番肝心な問題を実は残してしまいましたが、大急ぎでお尋ねをいたします。この前、大臣から所信表明をいただきましたが、私はきょうは、先ほど申し上げましたように、前文について、大臣の教育政策、文教行政についての基本的な考えを聞いておきたい。  大臣所信を拝読いたしまして、先ほど松永委員からは高邁なるというおほめのおことばがありましたが、これをざっと読み流してまいりますと、なるほどそのような高いお考えがうかがわれるわけであります。ただ私がお尋ねしなければならぬと思いますことは、私は、高見さんが大臣になられましてから実は非常に期待をしておるものであります。というのは、戦後の教育がいろんな動き方をしておる。具体的に申し上げなくてもいいと思うのですが、何かこの辺で、高見大臣の手によって今日の教育の中におけるいろいろのよからぬ状態を解決していただいて、ほんとうに教育を軌道に乗せてもらう、そのお力をわれわれは非常に期待をしておるわけであります。  ところが、まああえてどうこうと言うのは失礼かもしれませんが、大臣のこの所信を読みまして、実は私は、昭和四十二年に当時の剱木大臣が中央教育審議会に諮問をなさったその理由、それからその諮問理由の説明要旨、これを読んでみまして、非常によく似ているな、こう考えて、ちょっとどきっとしているわけであります。中教審答申が昨年出た。今度もその中教審答申を踏まえて教育の諸問題の解決に当たっていこうというお考えは「教育改革の推進」という項でお述べになっておりますけれども、どうも四十二年の剱木文部大臣の中教審に対する諮問のものの考え方と大臣所信がよく似ているので、ちょっと私、実は頭をひねっているわけです。という理由はこういうことなんです。どうかひとつ、私の考えがけしからぬとおっしゃるなら、大いに言っていただきたいと思うのです。  大臣は、明治五年の学制発布から今日までの百年間、わが国の教育の進歩を非常に謳歌しておられる。ところがわれわれは、ただ単に百年間の日本の教育をほめたたえる、それだけでいいのかどうか。ほめたたえることでほんとうの今後の教育が生まれるかどうか、われわれが志向する教育というものが求められるかどうか、これが私ちょっと疑問になったわけです。それが一つ。私は、やはり大臣がこうして所信を述べていただくときに、せめて戦前の教育、戦後の教育の二つにでも分けていただいて、戦前の教育はこういう教育であった、戦後の教育はこういう基本的な性格を持っておるということぐらいをひとつお示しをいただいて、だからおれはこうするのだと、こういうようなお考えに立っていただきたかったなと思うわけです。  そこで、大臣に初めにお尋ねいたしますが、実はこれらのお考えは、大臣が「文部広報」に「学制発布百年の年を迎えて」という年頭所感をお書きいただきました。それを拝読したときも、ちょっと同様な印象を受けているわけであります。明治五年から今日まで非常に日本が高い水準になった。水準の高いことはいいかもしれませんが、大臣のお口から、戦前の教育は一体どういうところがすぐれておって、どういうところに欠点があったと、そういうことをちょっとお示しいただく、それが一つ。  それから、戦後の教育、終戦後今日まで、これはまた相当政策の変更もあっておりますけれども、戦後の教育政策の基本的性格は何であったか、こういうことをひとつ大臣の心にあるものを示していただきたい。
  46. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 川村さんの御指摘になりましたのは、戦前教育と戦後教育というものの比較を一項入れるべきじゃなかったかという御意見のようでありますが、ことしは学制発布百年の記念すべき年に当たっております。私は戦前の教育を受けて育ちましたが、日本の国が明治維新という大変革をなし遂げたときに、まず教育という大きな社会開発に目をつけた、これは私は非常に大きな社会改革のときでもあったと思うのであります。それによって日本の国の教育水準というものが非常に上がりました。これが今日の日本の繁栄の基礎をなしておることは間違いありません。私はこれは高く評価していいと思っておるのであります。  ただ、これは世界各国の姿でありまするけれども、二十世紀の半ばまでは、どこの国も、共産主義諸国は別といたしまして、少なくとも自由主義国の考え方は、帝国主義的なものの考え方であったことは間違いのない事実であります。領土は侵略してとるものであるという考え方であったのであります。二十世紀後半におきましては、もうこういう思想はなくなってまいりました。世界は共通の利害に立って、共通の場で話し合わなければならない状態になってまいりました。私は戦争などというものが今後起こるとも思いませんし、起こるべきことではないと思っております。戦前の教育は、御承知のように天皇中心の教育であったことは言うまでもございません。戦前の教育関係の法令で、法律で定められたものは一つもございません。全部天皇大権に基づく勅令によって定められておるのであります。戦後の教育はこれと全く違いまして、教育権は国民にあるという基調に立ちまして、戦前の教育が天皇を中心とする教育であったならば、戦後の教育は国民を中心とする教育に変わったことは御承知のとおりであります。教育基本法の前文が示しておりまするように、これは国民中心の教育に変わってきた。  しかし、そういう体制は変わりましたけれども、この百年間、日本民族というものが教育によってささえられてきた偉大な功績というものを忘れるわけにはまいりません。私どもは過去に大きなあやまちをおかしました。しかし、その大きなあやまちをおかしたという反省の上に立って、新しい教育制度を打ち立てておるのであります。しかし、その新しい教育制度と申しましても、この教育制度ができまして二十五年たっています今日、われわれは、いまの教育制度で、これでもういいのだというわけにはまいりません。これは明治年間におきましても、何回も何回も教育制度の改革は行なわれました。ただ、その教育制度の改革が、明治年間に行なわれましたのは勅令一本で行なわれたから、いとも簡単に行なわれたのでありまするけれども、今後の教育改革というものはそういう性質のものでないことは申し上げるまでもないことであります。  教育制度は、明治時代からずっと続いて今日まで参りました。参りました間に、日本の教育の量の普及という面から申しますると、これは驚くべき量の普及であるということが言えるのであります。明治五年に学制が発布せられましたときの就学児童数は、適齢人口の二八%であったのでありまするが、いまや九九・九%というところまでいっておるのであります。それから申しますると、教育は飛躍的な発展を遂げたと言えるのでありまするが、今後われわれに課せられておる教育の使命は何であるかというと、教育の質の充実ということでなければならないと思うのであります。これは明治百年の教育の歴史を顧みて、時代の流れというものを踏まえて、われわれが改めるべきものは改め、とるべきものはとっていかなければならない重要な記念すべき年であるという意味を私は申し上げたつもりでおるのであります。私は戦前教育を謳歌しておるものではございませんけれども、明治年間に果たしてきた教育制度というものが、日本民族の発展のためにいろいろなあやまちもおかしましたけれども、非常な大きな成果をあげたということは、これもまた隠れのない事実であるという認識の上に立っておるものであります。
  47. 川村委員(川村継義)

    川村委員 お話しいただきまして、大臣のお考えはよくわかりましたが、そこで欲ばったことでありますけれども、大臣所信表明の中に、ただ単に「高い水準の成果を見ておりますことは、御同慶にたえないところであります。」と切ってしまわないで、実はその先に、いま大臣がお話しいただいたような、戦前はこういうあやまちもおかした、二度と再びそういう教育に逆行しないようにやるのだ、戦後教育のいいところを進めて行くのだということを披瀝してほしかったなと、実はこう思っているわけです。  どうもこれだけ拝見いたしますと、これは中教審の答申もそうなんですが、戦前の教育というようなものに対する反省というのが全然中教審答申に出てこない、そこに非常にいろいろな誤解を生んでいるわけですね。やれまた国家統制にするのだとか、あるいは産軍複合の教育をやるのだとか、そういうような誤解を生むところに——中教審の問題はいずれお尋ねしますけれども、そういうところにあるのではないかと私は憂えておるわけです。ちょうど中教審答申もそうなんですけれども、憲法、教育基本法にのっとるところの民主主義教育というものをどこかに飛ばしてしまうような考えが、そういう動きが教育行政の中に出てきはしないかということがおそれられる。そういうことを考えますから、いま申し上げましたように、いまお話しいただいた点を、やはりわれわれは忘れないようにしなければいかぬ、大臣所信表明の中にそういう点を述べていただけばありがたかったと実は思っているわけです。  先ほど申し上げますように、この前文を読んでいくと、どうも四十二年剱木さんが諮問なさったときのことばによく似ているのです。これはだれがお書きになったか、もちろん大臣は検閲なさるでしょうけれども、ちょっとその辺に手落ちがあったのじゃないかということなど考えたわけです。  そこで、その次にお尋ねをしなければなりませんのは、二ページに入りまして、いま大臣のおことばにもありましたように、「限りない未来にわたって発展を続けていくためには、教育の普及充実と刷新に一段と努力を傾注し、」ということばがあります。それから「教育の量的普及に加えてその質的充実にりとめ、」と書いてございます。「豊かでたくましい人間性と創造的英知を備えた日本人として、国際社会で積極的に活躍できる人間の育成をはかって」いく、こういうような目標を掲げてあります。そこで大臣所信表明に書いてございますいろいろな施策がそのとおりだとおっしゃればわからぬではありませんけれども、「教育の普及充実」、それから「刷新」、具体的に行政上どういうことをお考えになっておられるのか。一つ二つの例でもよろしゅうございますからお示しいただきたい。  それから「教育の量的普及に加えてその質的充実につとめ、」といっておられますが、「質的充実」とは一体何を構想しておられるのか。先ほど大臣は、人間を尊重する、生命を尊重するというお話もございました。ここではただ「豊かでたくましい人間性」という表現をされております。「豊かでたくましい人間性」とはどういう人間像なのか。この三つをひとつお話しおきいただきたいと思います。
  48. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 所信表明で申し上げましたとおり、教育政策でとらなければならぬ問題は、人間性の回復だと私は考えております。したがって、教育内容もそういう面に力を注がなければなりません。私が特に力を入れておりますのは、人間の生涯にわたる教育というものを一つの理想像として描いておるのであります。そこで私、今度力を入れましたのは、生涯教育という観点に立ってのものの考え方、これは私は家庭教育から幼稚園教育、学校教育、社会教育あるいは職場の教育、ありとあらゆるものを通じて、うぶ声をあげた、あるいは胎内におるときから死ぬまでの間のことはすべてこれ教育のことであるという考え方に立っておるわけでありまして、したがいまして、いままでのような知識伝達の機関が教育の機関であってはならないと考えます。学校教育というのは知識の伝達機関であるというようなものの考え方であってはならないというのが私の基本的な考え方であります。そういう構想のもとに今度の予算の編成にも当たりましたし、今後の教育行政にも当たっていきたい、かように考えております。
  49. 川村委員(川村継義)

    川村委員 基本的なお考えはごもっともだと思いますが、これはまたいずれかの機会にお聞きすることができると思います。  そのように考えて、いま大臣がお話しのようなものを私たち受け取りますと、これは各種の教育政策、文教行政において、よほど検討を加えていかなければならぬ問題が累積をしておるのではないかと思います。初等中等教育を考えても、教員定数というものは一体どう考えたらいいか、あるいは大学の今日の学部の増設、定員の増加等々に見合う専任教員の定数というものを一体どう考えたればいいか。今日の状態でいいとはだれも思っておりません。大臣がお話しの、幼稚園教育を進めなければならぬ、これもその一つでございましょう。とにかく質的に充実させるということになると、いまある義務教育、後期中等教育、高等教育、こういうものにメスを入れなければならないものがたくさんあると思うのですね。そうなると、中教審答申の実現ということを一応意図しておられますけれども、中教審答申を受けられていろいろの教育制度の検討、研究をなさること、それはもう答申を受けられた大臣としてはやむを得ないかもしれませんが、そういうものにのみ力が伸びていって、いまの量的にも、あるいは刷新という面から考えても、人間性の育成ということを考えても、陥没しているのをどうしてわれわれは埋めていくかというところに、もっともっと今日的課題があると思うのです。これはお願いになりますけれども、そういう意味で御努力を願いたい、このように考えているわけであります。  さきの国会で、いろいろ問題はありましたけれども、いわゆる教特法というものができた。これは大臣はじめ当時の文部政務次官、非常に御苦労いただいて、教員団体との意思の疎通をはかり、そして一つの基準をきめていただいて、それが各県条例に移されて、そこでいまでは好もしい学校運営ができているようであります。これが私なんかは逆作用をしないように注意をすべきであると言っておりますけれども、そういうような進め方、大臣が胸襟を開いて教員団体等との話し合いに応じていただく、こういうようなことも、私は新しい道を見出していく大事な大事なものではないかと考えておるわけであります。  先ほど私は授業料のことをちょっとお聞きしましたが、この大臣所信表明のこういう意図を考えて、「わが国の伝統を踏まえつつ、世界から評価され、人類の歴史に輝きを添えるような高い学術・文化の基盤を築き、美しく花咲かせる」そういうような生徒、学生を教育するということになると、率直にいって、受益者負担なんという思想でなくて、ただにしてやる、一生懸命勉強せい、実はこういうものの考え方も成り立つのです。そういうこともこの中に含まっていると思うのです。授業料をこうこうした理由でこう上げるのだというようなことは、むしろこの大臣所信表明と逆行しているような姿が実は私は言わせると出てくるわけですね。いろいろの問題はございましょうけれども、せっかく高見大臣のもとで、いままで何かごたごたしておったようなものを切り捨ててしまって、教育の新しい道が開かれることを私は念願をしているわけであります。  時間が参りましたから次は割愛いたしますが、私はもう一つ実はお聞きしなければならぬと思っておることは、これは次の機会に保留いたしますが、戦後教育改革の一つの原則というものが実はあったわけです。その基本的な性格は、文部省はあまりお好きじゃありませんが、家永さんの教科書裁判のときに南原元東大総長が証言をしておられる。その証言のことばによくあらわれている。実はそれも私たちは忘れてはならない。そのほか、戦後教育の民主的諸原則、こういうものがあるはずです。それを忘れないようにしていただきたい。  特に、最近私が気になるのは、一九四九年、戦争が終わってから四、五年しましてから、文部省が「民主主義」という高等学校用でしたか、教科書を出した。その教科書に実にりっぱなことが書いてある。これを私は読んでもいいですが、時間がありませんから読みませんが、大臣は御存じでございましょうけれども、お読みでなかったら一ぺん大臣それを読んでおいていただけませんか。私はこの次にその文部省が出した——文部省が出したのですよ。ほかの県でじゃないですよ。その「民主主義」という高等学校用の教科書に実にすばらしいことが書いてある。こういうものをどこかへ捨ててしまって、これから先の教育を回転させていこうとすると危険なものが出てくる。こういうものをちゃんと踏まえておかなければならないと私は思うのです。今日、どうもやかましくなりまして、軍国主義化だとかいろいろなことがいわれておりますが、また文教行政に対しても相当の批判がかぶさってきております。そういうことを考えると、憲法、基本法を踏まえた民主主義教育の原則というものをあくまでも貫いていくことが今後の、やはりこれから先の、特に大臣がおっしゃるように、国際社会にひとつうんと働け、こういうようなことであるならば、なおさらそういう点を大事にして教育というものを考えていきたい。また大臣がそのようなお考えでお進みくださることを要望申し上げておきたいと思います。大臣何かございましたらひとつ……。
  50. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 たいへん高邁な御叱正をいただきましてありがとうございました。私自身もそういうつもりで事に当たっておるつもりでございます。  私は、少なくとも教育というものは、国民全体のものであるという基本理念に立ちまして、したがいまして、かりに反対の意見を持っておる人でありましても、忍耐強く説得をし、忍耐強く応待をしていこう、こういうつもりで今日までやってまいりましたし、今後もそのつもりでおるのであります。民主主義というものは非常にしんぼうの要る仕事でございます。どうぞ御協力のほどをお願い申し上げます。
  51. 川村委員(川村継義)

    川村委員 ありがとうございました。  自余の諸問題は、またいずれ時間をいただきたいと思います。よろしくお頼みいたします。  これで終わります。
  52. 河野(洋)委員長代理(河野洋平)

    河野(洋)委員長代理 本会議散会後再開することとし、この際、休憩いたします。    午後一時七分休憩      ————◇—————    午後三時十九分開議
  53. 丹羽委員長(丹羽兵助)

    丹羽委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  文教行政基本施策に関する件について質疑を続行いたします。山田太郎君。
  54. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 先日、文部大臣所信並びに四十七年度予算案の概要説明を承ったわけでございますが、国の発展はもちろん、家庭及び個人の幸福と繁栄にとっても、教育ほど大切なものはありません。そこで、大臣所信においての意欲、あるいは不満足ではありますが、そういう点も多々ありますが、文教予算における努力はまず一応評価はしておきたいと思います。  そこで、所信表明の冒頭における大臣所信について、ことに国とは何かというふうな大きな問題もありますが、それはさておいて、大臣の教育あるいは教育行政を根本としての考え方が一応述べられていると思いますので、その点について二、三お伺いいたしますとともに、まず順を追って、幼稚園教育とかあるいは特殊教育について、時間の許す範囲でお伺いしてみたいと思います。  そこで、実は先ほど松永委員あるいは川村委員からも質問のあったことでございますが、先ほど新聞なりあるいはニュースの報道なり聞きますと、連合赤軍の自供による殺人も含めて十三人の殺人が行なわれておる。まず、日本のみならず世界においても、この報道はおそらくや人の心を驚かし、ましてや、日本人に対する考え方さえも一応疑念を抱かしめるようなおそれさえなきにしもあらずだと思っております。先ほど、両委員からの御質問に、大臣は丁寧にお答えではございましたが、この問題について、同じような観点だけでなく、大臣の御答弁の中からそれをもう一度、少し深く突っ込んで質疑を行なっていきたいと思います。  ことに、わが党といたしましても、暴力は絶対反対でございます。目標のいかんにかかわらず、手段を選ばない、ことに人命をあやめるというような、非常識どころのことばでは言い尽くせないそのようなことは、断じて許すわけにはいかないわけですが、その点をまず大前提といたしまして——大臣の御答弁の中に人命の尊重あるいは人間性、そのことばが多々出てきます。そうして、これまでの教育の中に、人命の尊重は口では唱えられながらその実があがってないという、あるいはそれが不足しておるというふうな意味の御答弁もあったと聞いております。また同時に、私も責任を感じております、このようなお答えもありました。この点について、人命尊重を口では言いながら、やはり教育の実があがらない、あるいは不足しているという点を、これを大臣の仰せのように、真の人命尊重、そういうものの実があがった教育をしていくのにはどうしたらいいか、そういうお考えがないと、ことばだけあって実がない、ここにおいての大臣の御答弁も、ことばはあるけれども実がない、そう言われてもやむを得ないと思います。その点についてお伺いしておきたい。  それからもう一つは、やはり責任を感じる、この責任も、先ほどの御答弁の中に、大学ならば学長がやめさえすればいい、そういうふうな意味ではない、それだけで責任がとれるそういうものではない、これも納得できますが、しかし大臣として責任を感じるという、その責任というものはどのような意味のものか、これもあわせてお伺いしておきたい。
  55. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 夕刊を見ましてまた驚いたわけでありますが、どこまで発展するかわからないリンチ事件、これは人間の社会の様相ではないという感じがいたすのであります。しかも、それがおおむね高等教育を受けておる連中で、知的水準から申しますと常人以上の知的水準があるはずであるのにかかわらず、理性の判断はまるでなくて、感情だけの、食うか食われるかという勝負をやっておるというところに日本の教育の基本的な欠陥が一つあるのではないか。  それは何かと申しますと、私はやはり情操の教育というものに欠けているのじゃないか、もっと端的に申しますと、道徳の教育というものが無視されておる、その結果ではないかという感じさえするのであります。私はいやしくも一国の文教行政をあずかる者として、かような事件を生じましたことが学生の間から出たということでありますならば、私自身責任も感ぜざるを得ないのであります。まことに申しわけないことだと思っております。同時にまた、今日の社会の価値観というものについて重大な疑惑を持たざるを得ないようになってまいります。と申しますのは、こういう状態というものが、口で人命尊重だとか人権の擁護だとか言いながら、大ぜいの人を殺して平然としておれるというところに、そもそも出発点からしての問題があるような感じがするのであります。だから、教育は生涯を通じての教育でなければならないということを私はいつも申しております。胎内から棺おけに入るまでの生涯は教育の期間だ、人間これで完成したということはないのでありますから、そこまでいって初めて教育の実があがったと言えるのでありましょう。しかし、それでも、さて死の最後が参りましたときに、自分は自分の任務を全うし得たという自信を持って、喜びを持って死ねる人が何人あるかということになりますと、これもまた大きな問題があろうかと思うのであります。  しかし、いずれにいたしましても、こういうことが平然と行なわれるという社会情勢をつくりましたのは、何と申しましても教育に欠けるところがあったということを反省せざるを得ない。それでは何が欠けているのだということになりますと、やはり情操において欠けるところがないか、率直に申し上げますが、情操において欠けるところはなかったかという感じをことさらに深くいたしておるものであります。
  56. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 情操教育ひいては道徳教育というお答えでございましたが、その道徳教育あるいは情操教育、それによっていわゆる人命尊重の精神なりあるいは人間性、ヒューマニズムがつちかわれていくというお答えの意味だと私は判断したわけですが、道徳教育によって——過去の教育の中に私どもやはり道徳なり、これは昔でいえば修身などという、そういう科目もあったわけですが、それも大切な要素ではございましょう。また、先ほど大臣のおっしゃった生涯教育、いわゆる幼い子供の赤ん坊のときからのスキンシップといいますか、母親とのスキンシップというものも、先ほど新聞記者の方々とも話をしたわけですが、やはり赤ん坊のときからのスキンシップというものも大切じゃないかというような話もいたしました。そういう意味から、生涯教育ということも大切と思います。したがって、もちろん全部学校教育の責任という意味じゃありません。しかし、学生であり十六歳の子供までが含まれておったわけですけれども、学生であったということには、やはり学校教育の欠陥というものを感ぜざるを得ないわけです。また、若い人々に会って、あの浅間山荘の感想なり考えなりを聞いてみますと、あの手段、あの暴力あるいは人命というものを軽く扱う、これは納得できぬけれども、しかし彼たちがいまの社会に警鐘を与える、そういう意味あるいはその心というものは、若いわれわれにはわかるような気がする、そういうふうな声も非常に多い若い人の現状です。  そこで、その点については、じゃどうやったらそれが解決できるのかという一〇〇%可能の方法はやはりまだ模索しているのがだれ人も同じだと思います。そこで、私のほうからこのようなことを答えてしまったのでは、これは反対の立場ですけれども、しかしあえて大臣に、この学校教育の中において、いまの若い人が人命尊重を、道徳教育を、あるいは情操教育というものを、ただ本であるいは教科書であるいは口で教えられたからといったって、これは解決する問題じゃないということは、これは自明の理です。これはいまの端的な例ですが、やはり一つの実験などの例をとってみても、切り刻むその実験はあっても、ものを育てていくという、いわゆる広義の意味においての情操教育というものは、いまの学校教育でなされてない。あるいは緑の環境といいますか、そういうものについても、大臣のまた当局の強力な配慮というものも大切じゃないかと思いますので、その点についてのお考えはどうでしょう。
  57. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 お答えいたします。  お説のとおりでございます。実は、生きとし生けるもののありとあらゆるものを大切にするという気持ちを植えつけることが教育であって、一番大切な問題である、地にはえておる雑草といえども、これを育てていくというのがほんとうの意味での教育でなければならぬと思うのであります。私ども、今度少年自然の家の予算を大幅に増額いたしましたのも、子供のときにまず自然に親しませる、そうしてありとあらゆる生きとし生けるものを愛する、愛着の気持ちを持たせる、ここから出発しなければ、ほんとうに生命力というものの偉大さというものはわからない。どんな砂れきの中からも雑草が育っていくということ、ここに私は偉大な生命力があると思う。その生命力を子供の目に見させ、子供の手に触れさせて実感を得させるところに教育の実体があるのであって、一に一を足して二になるということだけを教えておったのでは、そこからは人間尊重の気持ちはわき起こらない、かように考えておるのであります。
  58. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 その点につきましては、有島委員からまた別の機会に大臣の積極的な御意見もお伺いすることと思いますので、その点はきょうはそれだけにしておきたいと思います。  そこで、先ほど御答弁の中にありましたが、やはりこのたびの文教予算において、人件費を除いて物件費において対前年比三〇%増しだということは、これは私も私なりに評価しております。ことにその中で、図書館なりいまおっしゃった少年自然の家について、これが大幅にアップした。概算要求よりもだいぶ削られちゃって五〇%程度になっているということは、これは非常に残念なことですが、しかし大臣及び当局の努力は買っております。そこで、やはりこれからの問題が大切でございますので、金額面においてもまだまだ少額だと思います。そこで私は、ことにこれからの大臣の断固としたこういう社会教育に対しての——少年自然の家はもちろん、あるいは公民館ももちろん、あるいは図書館ももちろん、あるいは博物館ももちろん、その点についての高見大臣の明確なる計画というものがやはり大切だと思うのです。ただ予算面において、これだけ今度の予算でアップしたからそれでよしとしては、生涯教育の面からいっても相ならぬと思いますので、いまの御答弁のあったこの際ですから、明確な計画というものをどのように年次的にもお持ちであるか、その点をこの際お伺いしておきたい。
  59. 今村政府委員(今村武俊)

    ○今村政府委員 大臣のお答えの前に、少し事務的に説明させていただきたいと思います。  社会教育の将来の計画につきましては、昨年四月に出されました社会教育審議会の答申の中にも、長期的な将来計画を立てるべきであるという意見がございます。私どもその社会教育審議会の答申の意向を受けまして、社会教育行政を三つの分野に分けていま考えております。その一つは社会教育の指導層の充実であり、第二番目は社会教育施設の整備であり、第三番目は社会教育事業の奨励、援助でございます。それで、そういうことに分けまして、いま仰せられました図書館、博物館、少年自然の家等についても、将来計画を一応机上プランとしては考えております。  しかしまた、考えなければならない他の側面がございます。それは、戦前の社会教育では非常に強く政府あるいは行政当局から民間に対して指導をする、限度を越えて指揮をしたようなところもございます。戦後の社会教育の体制はそうではなくて、民間の自主性、自発性を尊重する、あるいは個人の自発的な学習意欲を尊重するという要素が非常に強うございまして、そういう思想がまた社会教育法の中にも出ております。国として長期的な計画を立てていかなければならないという面と、そういう団体や個人の自発性を尊重していかなければならないという面のその調和の問題がなかなかむずかしゅうございます。したがいまして、現在のところでは、予算要求の形といたしましては、その翌年度に対して地方公共団体が具体的にどういう計画を持っておるかということを、事前に聴取しながらそれに合わせて予算を要求していくという形をとっておりますので、目下直ちに事務的に御説明できるような将来計画はないわけでございますが、その辺の調和をはかりながら指導性のある、そして地方公共団体の自主性を阻害しないような計画を立てなければならないと思っておりますが、まだ具体的には発表できるようなものを持っていないというのが現状でございます。
  60. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 いまのお答えはいままで何回か答えられてきたお答えです。  そこで私の言いたいのは、それぞれの地方の自主性を重んじなければいけないのは当然です。しかし、ことばは自主性ということばであっても、地方公共団体においての予算面においてやはり制約をされるという点が大きな阻害の一因になっておるわけです。これは大臣が思い切った措置をしていかないと、ことばの美名に隠れて、思うような真の——文部行政主導型の社会教育であってはもちろんなりませんが、やはり予算面においてのそういう大臣の思い切った措置、それの展望がなければならぬと思いますが、大臣からひとつお答え願いたい。
  61. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 お話のとおりでございます。実は文部省の予算の六〇%は国庫負担金になりますので、これは一兆二千億と申しましても、どうしても六千五百億は人件費ということになります。この増加率の分だけを取り上げてみますと一七%出るわけがないのでございます。ほんとうに文部省の予算の中で使える予算というのはせいぜい二千億。その二千億を何を重点に配分をするかということが私、文部大臣の仕事だと考えまして、私はことしの重点を社会教育、体育、つまり生涯教育の観点に立つほうに思い切って金を使ってみよう——思い切って金を使ってみようと考えてみましても、一兆二千億の予算の中で増加分はわずかに数十億でございます。数十億で、あるいは五〇%伸びたとか六〇%伸びたとかいっておりましたところが、これはもう根っこは小さい話であります。この仕事はだれが大臣になりましても引き続いてやってもらわなければならぬ仕事だと私は考えております。そして学校教育と対比するだけの社会教育あるいは体育というものが進んでいってこそ初めて教育の一貫性がある。どの政党が政権を担当するにしても、そういう形でやっていただきたいものだと思っておるわけでありまして、私はこれ一筋に実は予算編成というものを考えてまいりました。自民党の若い諸君の非常な御援助、また野党の皆さんにもお力添えをいただきまして、予算の割合から申しますると非常に伸びたかっこうになりますが、根っこが小さいところにパーセンテージがふえたからといってたいしたことはないのであります。ただ私は、これを第一歩の踏み台にいたしたいという考え方でおるのでありまして、引き続いてこの問題は取り進めていく所存でございます。
  62. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 まず金額面においてそれが五〇%アップとかそういうふうな点についての努力を買わないという意味で言っておるわけじゃないのです。ただ、助成、補助率のアップとかいろんな面において地方公共団体においてはそれぞれやりにくい面があるわけですから、実際においてはほしいけれどもというのはやはりよく聞く話です。この点についての配慮をより一そう強力に持ってもらいたいことを要望しておきたいと思います。  これはもっとお聞きしたいことです。社会教育についてはなおざりになりがちでございますから、これは別の機会にもっと突き詰めて質疑を行ないたいと思います。  そこで、時間がだいぶたってしまいますが、まず一点だけお聞きしておきましょう。  所信表明の冒頭に、「本年は、明治五年学制発布によりわが国の近代学校制度が創設されてから百年の歴史を画す記念すべき年に当たります。」云々とありまして、「特にその普及の面におきまして、国際的にも高い水準の成果を見ておりますことは、御同慶にたえないところであります。」これは私なりの考えでございますが、大臣にはそういう考えがないとおっしゃればそれまでですけれども、この文面から見れば、この学制百年——百年そのものがどうのこうのでなしに、やはり明治教育というものを謳歌したという感じを受けるわけです。ここは大事なところでございますし、その次の段には「しかしながら、今日の時代は急速な発展と変貌を遂げつつあり、」——変貌だけでなしに、本質的にも大きな変質をしているんじゃないかということ、これはだれしも異論のないところだと思うのですが、それと兼ね合わせて高見文部大臣の、明治教育あるいは戦後の教育、戦前の教育、それぞれについての根本的な姿勢というものも大切と思いますので、その点についてのお考えを承っておきたいと思います。
  63. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 午前中、川村委員にもお答え申し上げましたが、明治五年に学制が発布せられました当時の就学率は、該当年齢者の二八%にすぎなかったのでありますが、今日ではこれが、一〇〇%に近くなってきた。この量的拡大というものは、明治の学制が創設せられて百年間の歩みの結果であるということが言えると思うのであります。同時にまた、明治教育の特色は、何と申しましても富国強兵ということであったのであります。兵を強うして国を富ますということが明治教育の特色であります。これは大正、昭和の中期に至るまでの一貫した日本の教育国策であったと申し上げていいのであります。しかもそれは国家権力による教育制度であった。終戦を境といたしまして——終戦ということばよりは敗戦ということばのほうが当たっているかもしれません。敗戦を境といたしまして、日本の教育の制度というものが基本的に変わってきた。今度は国民のために国民が行なう教育ということに変わってきたというところに非常に大きな変化があったと思う。  これはひとり日本だけの問題ではございません。少なくとも十六世紀前後から二十世紀半ばまでの世界各国の歴史を見ますと、ことごとく帝国主義的な発想からものごとが考えられておったことは御承知のとおりであります。  この戦争の体験が、二度と戦争はやるべきでないという、おそらく全世界の人間の悲願となったものだろうと思いまするし、そこで天皇中心の教育制度が、今度は国民中心の教育制度に変わってきた。しかし、教育の水準は、明治時代につちかわれた教育の水準というものが非常に大きく役立ってきたことは、これはおおいがたい事実であります。アメリカの爆弾、焼夷弾でありとあらゆる物財を失いましたけれども、日本人の身につけた教育水準だけは、彼らの爆弾も焼夷弾もつぶすことはできなかった。生き残った日本人が今日の日本の経済の繁栄を来たしましたゆえんのものはどこにあるかと申しますと、日本人の勤勉さと日本の教育水準の高さにあったと申し上げて過言ではないと私は思っております。  ただ、残念ながらここ二十数年前までは、帝国主義というものが世界全体をおおうておる一つの流れでありました。その流れの中にあった日本の教育というものが、まことに不自然な教育であったことは申すまでもない。この反省に立つことは必要でありますけれども、しかし、同時に明治の先人たちが、あの維新をなし遂げました直後において、教育こそ何よりも大きな社会開発であり、社会投資であるという判断に立った先見の明には敬意を表したいと思うのであります。  その後いろいろ教育制度は変わりました。幾たびかの変遷はありましたけれども、一貫して流れておりましたものは、日本人全体の教育水準の高さであったのであります。欧米に追いつけ追い越せというのが教育界の一致した願いであった。いよいよ今度われわれは新しい教育改革をお手本なしに自分で考えなければならぬ時期が来たのであります。したがって、制度をただ政府の考えるとおりに押しつけていけるものじゃありません。また、いこうとも思っておりません。本質的にそうした性格でないのでありまするから、それだけに、あるいは見る人から見れば、一体ぐずぐずして何をしているんだという見方も出るかもしれません。けれども、ぐずぐずしておるということが民意を尊重するゆえんでもあると私は考えております。だから私は、明治の教育というものに非常に高い評価をいたしておりますのは、日本の国民の教育水準というものをここまで上げたのは、明治の教育であった。これは疑いない事実であるという意味において高い評価をいたしておるわけであります。こういうことを申し上げたわけであります。
  64. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 いまの御答弁の中で、まあ評価したい大臣のことばは、国民のために国民が行なう教育、この原則というものは、これからの教育にとっては非常に大切なことじゃないかと思います。また、ぐずぐずしていることが民意をくむことだ、ここにはちょっと異論があるのですが、しかしこの問題はやはり尽きない議論になってくると思います。  そこで、ことにお伺いしておきたい幼児教育の問題、それから特殊教育の問題、そのほうに質問を移してまいりたいと思います。  そこでまず、幼児教育の問題ですが、人間にとってだれしものことでございますが、最初の教育というものがその人の一生をきめるとさえいわれております。ことに最近の生理学的にも二歳、三歳あるいは四歳、このときに受ける教育です。生涯教育の立場から言えば、その教育がその人の一生を大きく左右するという学説も、実験のデータの上からも出ているということを聞いております。したがって、この幼児教育ということは非常に大切なことでございますし、個人にとっても、あるいは国にとっても、あるいは社会にとっても大切なことだと思います。ところが、いままではこの点について、義務教育から見ると非常に立ちおくれておったという点から、大臣がことに幼児教育に力を入れたというこのことばは、これはまた、ことに予算面においても力を入れていかんとしていらっしゃる姿勢はよくわかります。  そこで、ここでひとつ問題点を提起申し上げたいことは、何といっても、中教審の答申を受けてと、所信表明の中で大臣はおっしゃっておるわけですね。中教審の答申の趣旨に重点を置く意思からと所信表明の中にうたわれております。その点について中教審の答申は「個人立の幼稚園は、できるだけすみやかに法人立へ転換を促進すること。」このように答申にはあるわけであります。私は、個人立であろうと法人立であろうと、やはり幼児教育のために十分助成もし補助もすることは大切だと考えております。しかし、この中教審の答申を尊重するというその立場から見たときに、幼児教育の五カ年計画ですか、十カ年計画の中の前の五カ年計画、先ほど岩間局長松永委員への御答弁のときにも話がありましたが、その点にはいま申し上げたこの中教審の答申の趣旨が出てないという点については、これはどのようなお考えからか、その点をお伺いしておきたいと思います。
  65. 岩間政府委員(岩間英太郎)

    ○岩間政府委員 先ほども申し上げましたように、全体計画につきましては、前期の五カ年計画、それから後期の五カ年計画、分けて考えてまいりたいというふうに考えておりますが、いまのところその全体的な計画をどういうふうに推し進めていくかというふうな基礎的なデータがまだ不足でございます。  そこで来年度は、先ほど申し上げましたように、千百万ばかり調査費をつけまして、幼稚園ばかりでなくて保育所の関係も含めて総合的な調査を行ないたい、その上に立ちまして、かっちりとした計画を立ててこれを推進してまいりたいというふうに考えておるわけでございます。したがいまして、ただいま御指摘ございましたように、不徹底な点はあったかもしれませんけれども、しかし方向といたしましては、私ども、一応全般的な問題につきまして、特に財政的な面について配慮をしたつもりでございます。これにつきましてはなお御批判もあるかと思いますし、私ども決して満足しているわけではございませんので、これからも努力を重ねてまいりたいというふうに考えます。
  66. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 いまの御答弁の中に、私の御質問申し上げたポイントは、中教審の答申、これについての趣旨というものが出てない、ここへ幼稚園教育振興計画要綱がありますが、それが出てないということを申し上げたのです。これはなぜでしょうか。
  67. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 答弁漏れがありましたら局長から補足させますが、学校教育法上、個人立というのは、これは当分の間認められている例外規定なのでありますが、実情はどうなっておるかと申しますと、個人立の幼稚園が法人立になりにくいように実は仕組まれておるのであります。この障害を取ってやらなければ個人立幼稚園を法人立にするのはなかなか容易ではない。と申しますことは、園地、園舎、これは個人の財産として持っております。これを法人に寄付することは何でもないのですけれども、寄付することによって税金を取られる。税法上の若干の優遇措置はありましても税金を取られる。法人にしますると、解散いたしました場合には、他の同類型の学校に転用するのでなければ、個人には返らないということになります。土地を持っていて、幼稚園をつくって——これは非常にことばは悪いことばですけれども、土地があいておれば幼稚園でもやろうかというような人の場合には、個人立でやるよりほかに方法がないのです。しかも、この地域は幼稚園が非常に必要だという場合、この地域だけは個人立幼稚園の重要性というものは非常に高くなってくるのです。それが法人でなけりゃならぬということになりますると、いま申し上げましたような税法上のいろいろな問題が残ってまいります。この問題を解決してやることが実は法人化しやすい一番手っとり早い先決の問題であります。この問題を解決してやらなければ、個人立を法人立に簡単に切りかえることは言うべくしてできないことである。指導はいたしておりまするけれども、実際問題としてそれは無理があるのですね。無理があるところを無理してやらせようとするところに——何でもないことなんです。法人立にしておっても、法人の財産は、解散する場合には寄付者本人に返すという道を開いておいてやれば、法人立にして何も差しつかえないと思う。その道を開いてやらない限りは、法人立にしろしろと幾ら言いましても、今日のごとく土地の値上がりの激しいときになってまいりますと、なおさらそれは困難な問題になってくるというようないろいろ複雑な問題があります。けれども、望ましいのは何が望ましいかといえば、教育で一番大事な問題は私は人の問題だと思います。だから、すぐれた人が幼稚園を経営して、そうしてすぐれた教育をやってくれるということであるならば、おそらくそれが一番望ましい姿だと思う。ただ、法人にすることが法律できめられておりまして、個人立は暫定的には認められておりますけれども、そこでいま山田先生のおっしゃる個人立の問題が置き去りになっておる——置き去りにしておるわけじゃございませんけれども、そういうお感じでお受け取りになるところがあるだろうと思うのであります。この問題につきましては、私どもこれから大蔵当局とも十分かけ合いまして、税法上の何らかの措置をとってやるのでなければ、幾ら文部省が府県知事に通達を出してみましても、それで実効はあがらないという感じがいたしておるのが現在の実情であります。
  68. 安嶋政府委員(安嶋彌)

    ○安嶋政府委員 大臣のお答えを若干補足して御説明申し上げたいと思います。  大臣のお話にもございましたように、現在学校教育法の本則は幼稚園の設置主体が学校法人というふうに限定いたしておるわけでございますが、附則におきまして、当分の間学校法人以外のものでもいいということにいたしております。その運用につきましては、昭和三十九年に初中局長と管理局長の共同の通達がございまして、指導といたしましては、原則として学校法人にしてもらいたいという行政指導をいたしております。かつまた、現に学校法人以外の設置者につきましては、すみやかに学校法人に切りかえてもらいたいという指導をいたしております。  そういう指導をいたしておりまして、その結果と申しますか、ここ三年ばかりの実績を申しますと、昭和四十三年には私立幼稚園の新設が二百六十二園あったわけでございますが、そのうち百五十が学校法人でございます。それから昭和四十四年には私立幼稚園の設置が二百九十九ございましたが、そのうち百五十七が学校法人でございます。それから昭和四十五年には二百二十設置がありましたが、うち百四十六が学校法人でございまして、四十六都道府県のうち二十五県が学校法人でなければ幼稚園の新設を認めないという方針をとっております。ほかに個人立から学校法人に転換をいたしましたものが四十三年に三十八法人、四十四年に三十四法人、四十五年に四十六法人ということでございまして、幼稚園の設置主体が学校法人が望ましいという方向に実態はかなり動いておるわけでございます。  幼稚園の設置主体全体を一〇〇といたしますと、現在学校法人を設置主体とするものは三一%でございます。個人を設置主体とするものは約四一%でございまして、この数字は、学校法人立は昭和四十二年におきましては約二三%でございましたが、それがただいま申し上げましたように、四十六年度におきましては約三一%というふうにふえております。個人立は四十二年度におきまして約四七%でございましたが、これが四十六年度におきましては約四一%というふうに減少をいたしております。  全体としてそういう傾向にあるわけでございますが、しかしこれがなかなかはかばかしくまいらないという理由は、ただいま大臣が御説明申し上げましたように、学校法人化いたしました場合の残余財産の帰属の問題とか、あるいは設置基準が多少きびし過ぎるのではないかというようなことでございますとか、あるいは学校法人化する場合の財産の譲渡所得税の扱いが、これまた多少厳格に過ぎるのではないかというような点がございましてネックになっておるということも事実でございます。  税金の点につきましては、本年度の税制改正の一環といたしまして、この取り扱いの具体的な細目は国税庁長官が定めるということになっております。その具体的細目を実情に合致するように手直しをしていきたいということで、これから国税庁と折衝をする段取りになっております。  それから、学校法人化いたしました場合の残余財産の帰属の制限でございますが、これは実は幼稚園だけの問題ではなくて、学校法人全般に共通する問題でございますが、幼稚園の設置主体の学校法人化の促進という点からはさらに慎重に検討していくべき事柄であると思います。その他設置基準の内容並びに取り扱いの弾力化を進めるといったようなことも含めまして、さらに検討を続けてまいりたいというふうに考えております。
  69. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 まず、大臣の先ほどの御答弁の中に、土地を返してやればいいのだという御答弁があったと思いますが、その点についてもうちょっと詳しくお伺いしたい。
  70. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 これは解散時におきます帰属財産の問題でございます。個人が寄付をいたしまして法人化する、必要がなくなったら解散するという場合に、寄付した人に返してやる道が開ければ法人化することも容易である、こういう意味で申し上げたわけであります。
  71. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 それは大臣の希望的なお考えであって、それについての努力をするというお考えではないわけですか。
  72. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 これは税制上の問題でありますので、私どもも大臣をやめればすぐまた税制調査会に帰りまして税制調査会の委員になりますから、ぜひこの道を開きたいと考えております。
  73. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 いまの御答弁はちょっと変な御答弁でしたな。大臣をやめなければ努力せぬというふうな意地悪な言い方でしたが、そういう意味ではなかったと思いますが……。
  74. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 そういう意味ではございません。私が税制調査会に乗り込んでいってやらなくとも、税制の大家はたくさんおりますからお願いしておるのでありますけれども、私はぜひこれを実現したいということを真剣に考えておるということを申し上げたつもりであります。
  75. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 そこで、大臣のお考えは、幼稚園は個人立よりも学校法人のほうが望ましい、こういうお考えは依然として同じだ、こう考えていいわけですね。
  76. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 そのとおりです。
  77. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 そこで、私はいまの個人立幼稚園がいろんな事件が起きているのは知っております。近辺だけでも、池袋だとか川口だとか、幼稚園を解散してマンションを建てようとか、そういうふうなことが、事実まだ行なわれてはおりませんが、そういう話も出ておるのも知っております。しかし、だからといって、じゃ個人立が全部劣るのかというと、そういうふうな意味では申しておりません、やはりりっぱな幼稚園もありますから。したがって、どちらにしても、幼児教育に一生懸命励めるように助成してあげるのは当然だと思います。しかし現在、これは変な聞きようですけれども、全国学校法人幼稚園連合会あるいは日本私立幼稚園連合会は、その中で分かれたり、お互いに反目し合ったり、その根本原因は那辺にあるかということのポイントだけをひとつ答えていただきたい。
  78. 安嶋政府委員(安嶋彌)

    ○安嶋政府委員 御指摘のように、学校法人立幼稚園と個人立幼稚園との設置者の間で、助成の問題を中心にいたしまして多少の意見の食い違いがあるのは事実でありますが、ただ学校法人立幼稚園と申しましても、これは全部意見が一本化されておるということでもないようでございまして、学校法人立幼稚園の中でもいろいろ意見があるようでございます。また個人立幼稚園の中でも意見がいろいろございまして、一口に個人立だからどうだとか、あるいは学校法人立幼稚園だからどうだとか、その点は一がいには言えないかと思います。  大体の傾向として申しますと、先ほど来申し上げておりますように、幼稚園の設置主体は学校法人が原則であるということで、文部省も従来は助成と申しますと学校法人立幼稚園を中心に助成を進めてきたわけでございます。ところが、最近個人立やあるいは宗教法人立幼稚園にも助成をはかってはどうかという意見が各方面にあるわけでございますが、その問題の取り扱いをめぐりまして、いま言ったような、お話がございましたような意見の対立が表面化してきておるということでございます。(山田(太)委員「ぼかさないで、もうちょっと」と呼ぶ)そういう意見の対立が表面化してきているわけでございますが、日私幼の現在の執行部といたしましては、私どもが聞いておるところによりますと、そういう意見の対立を何らかの形で取りまとめていきたいということで、現に努力中と聞いております。おそらく、日私幼全体としての意見統一も近く行なわれるものと期待をいたしております。私ども、今後の問題の取り扱いにつきましては、そうしたまとまった意見を十分参考にいたしまして検討を進めていきたいというふうに考えております。
  79. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 そこで、幼稚園設置者の問題だけでなくて、国民の立場に立ったときに、父兄の方々の御意見というものも、これは相当調査をしていらっしゃろうし、あるいは聞いてもいらっしゃると思います。私も私なりに聞いてはおりますが、その父兄の方たちの学校法人化を要望する声が——全く無関心な人も多いのです、しかし父兄の中には、学校法人化を早くしてほしいと、個人立の幼稚園にわが子を行かせながら、そういう点についての要望あるいは父兄の意見というものをまとめてみられたことがありますか。
  80. 安嶋政府委員(安嶋彌)

    ○安嶋政府委員 特にまとめてみたことはございません。
  81. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 そこで、ある意味においては、学校法人化するために相当苦労なさった人もあるわけだし、個人立でおったほうがよかったというふうなお考えを持っていらっしゃる方も設置者の中にはあるかもしれない。それでは将来への幼稚園教育の展望に立ったときに、とれが大きな阻害要因となる。また同時に、その方たちが、教育継続の原則に立ったときに、真に営利的な気持ちで個人立幼稚園をやる人はほとんどないとは思いますけれども、しかしそういうことのないようにするには、やはり学校法人が一番望ましい。その点についての措置は、先ほど文部大臣がお答えになった点ももちろん兼ね合わせながら、このたびの内紛なりあるいはいろいろな意見の違いなりが出てきたところは、そういういままでの個人立あるいは法人立——個人立が法人立になりやすいようにしてあげる措置というものが非常に不満足であったという点がたくさんあるのではないかと思う。その点についての展望というものも大切だと思うのです。この五年計画の中においてもそれをどのようにやっていくか。片一方立てれば、片一方の意見を聞けば、片一方のまたそれに反対の意見が出てくるというふうな実情にならないように、設置者の意見というものもよく取り入れて、そしてこの計画を妥当な線で進めてもらいたい。この点を特に要望しておきたいので、大臣からもう一ぺん御答弁願います。
  82. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 御趣旨のほどはよくわかります。私どもその方向で進めていきたいと思います。
  83. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 幼稚園の問題についてはこれくらいにしておいて、次は特殊教育の問題に移りたいと思います。  そこで、大臣所信表明の中にも、ことに高見文部大臣は、特殊教育について力を入れたという所信表明の意味でありますが、その点についての計画といいますか、概略をまず前もってお知らせ願いたいと思います。
  84. 岩間政府委員(岩間英太郎)

    ○岩間政府委員 私どもは、まず特殊教育の中で養護学校がいま一番おくれておりますので、この養護学校の普及というものをできるだけ早く実現をしたいというのが私どもの基本的な考え方でございます。その中で、特にいま肢体不自由児の養護学校は、これは全県に一応設置をされておりますけれども、病弱・虚弱、精神薄弱のこの二つの養護学校の設置がおくれております。そこで、まず来年度及び再来年度の二カ年でこれを全県に設置してもらいたいということで、そのための財政措置といたしましては、建物の面で補助率を二分の一から三分の二に引き上げるというふうな方向をとったわけでございます。なお、教員の給与等につきましても、義務教育の国庫負担に準じまして手当てをするというふうな考え、さらに設備につきましても、従来の予算を大幅に引き上げております。そういうふうな措置によりまして、この二年間で養護学校のうちで病弱・虚弱、それから精神薄弱のための養護学校が全県に設置できるようにするというのを第一の目標にしております。  その次は、現在の養護学校はまだ義務設置にもなっておりませんし、義務教育にもなっておりません。これをできるだけ早い機会に義務教育に移行したいということでございます。しかしながら、これにつきましては非常に大きな問題がございます。それはまだ二百五、六十の養護学校しかございませんけれども、それを完全に義務教育にいたしますためには、それとほぼ回数の二百五十ぐらいの養護学校を新しくつくらなければならない。たとえば東京でございますと、四十ぐらいの養護学校がさらに必要だ。神奈川でございますと、二十から三十近くの養護学校がさらに必要であるというふうな問題がございます。これは土地の問題一つを考えましても、あるいは養護学校を一つつくりますと五、六億かかるといわれております。非常に大きな財政措置が必要であります。これらの点につきましては、これから自治省、大蔵省と一緒になりまして、全体的な計画を立ててやりませんと、これは地方がたいへんでございます。そういう意味で、当面全県に養護学校を建てていただくというふうな計画を進めながら、全体的な義務教育への移行の計画を立てていきたいということでございます。
  85. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 そこで、時間がもう数分しかありませんので、その点についてもう少し突っ込んで聞きたいのですが、ちょっと先を急がしてもらいます。  そこで、これはきょう九日の朝刊に埼玉県の朝霞市ですか、御主人が妻子三人を射殺して、自分も警官やみんなの目の前で自殺した。しかもその原因は、自分の小児麻痺の子供さんが就学適齢期になって——一節を読んでみますと、「一月中旬、同市教委に「就学猶予にする」といわれ、とりわけ悩んでいた。ここ五日間はノイローゼ気味で、ほとんど寝つかれなかったという。」実は私もこういうほんとうにお気の毒なお子さんをかかえて悩んでいらっしゃるおかあさん方を数多く存じ上げております。そして、そのおかあさん方のほとんどの方が、子供さんが就学適齢期になったときに就学免除願とか就学猶予願を、こちらのほうから出さなければならない。別にいま条文を取り上げてどうのこうのと言うつもりはないのです。しかし、親の気持ちとして、ちゃんとこの子を預かって、しかも曲がりなりにも、幾ぶんかでも教育をしてもらえるなら、私は喜んで学校へ行かすのだ、就学させるのだ、それがその施設がないゆえに、また、あっても入れないゆえに、親として就学猶予願を出さなければならない、あるいは就学免除願をこちらが出さなければならないという、このショックというものは、これは私たちその親になってみなければわからないでしょうけれども、これまで聞いてまいりますと、これはたいへんな打撃なんです。そうして、そのことについてきょう私は少しの時間でも質問をして御答弁をいただくつもりでおりましたが、たまたまけさまたこの新聞記事が出てきたわけです。一人の就学適齢期になった小児麻痺のお子さんをかかえて一家心中しておる。したがって、きょうここで問題にし、取り上げたいのは、この就学猶予願あるいは就学免除願をそのような親御さんに出させること自体がむごい仕打ちになっておるわけです。この点についての便法措置——これは施行規則ですから、詳しい点は。もちろん法にもありますが、施行規則にその管理者云々とたしかあったと思います。その点は省令で変えられるはずですから、この就学免除願、就学猶予願そういうものがなければこの一家族四人は死なずに済んだのです。そう言っても間違いないと思います。それが原因であったらしい。この点についてどうのこうのという問題以前に、これを検討し、改めていく。私はそういう親御さんたちをよく知っていますけれども、きょうは大臣あるいは局長から、ひとつこの点については措置をするという御答弁を願っておきたいと思うのです。
  86. 岩間政府委員(岩間英太郎)

    ○岩間政府委員 おことばではございますが、これは基本的には収容力が足りないためで、そこが基本的な問題であろうと私は思います。現在精神薄弱の養護学校の収容力というのは、希望者に対しまして三〇%というふうなところしかございません。  それから、法的に申しますと、就学猶予または免除を願い出なくても、普通の学級なり特殊学級に入るというふうなことは、これは単に表面上から申しますと、現在の法のたてまえからやれるはずでございます。しかし、現実に普通の学級に入っても、実際にはやはり養護学校に収容しなければどうにもならないというお子さんに対しては、就学期になりましても、お子さん自体がもうほかの子供たちからばかにされいじめられるというふうなことで、結局学校に通えないというふうなことになる可能性が非常に強いわけでございます。ですから就学の猶予、免除というよりも、むしろ適当な精薄の養護学校に収容するということ、それが本人のためにも一番よろしゅうございます。また家庭のためにもいいわけでございます。私ども考えましても、家庭の方の肉体的、精神的な苦痛というものはたいへんなものだろうと思います。しかも、その親御さんにはほとんど責任がないというふうな状態でございますから、これを何とかして法的な——国、地方公共団体が力を合わせまして収容力を増していくという方向でいかなければ、私は解決しないというふうな感じがするわけでございます。おことばを返すようでたいへん恐縮でございますが、そういう方向で進んでまいりたいと考えておりますので、御了承いただきたいと思います。
  87. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 いまの局長の御答弁は、おことばを返してという前置詞もあったわけですが、別に返したとは思っておりません。だけれども、ぼくが言うのは、この就学猶予願がなければ、あるいは就学免除願がなければ死ななくて済んだ。またそのたびに、あるいは毎年といってもいい、打撃を受けていく親があるということ、それを収容する施設が三〇%しかない。親が悪いんじゃない。これはやはり何といったって文教行政の大事な一つですよ。したがって、それを改めていこうとする態度、これはよしとしても、収容するところがないんだから、だからそれに対してなおさら追い打ちをかけて、親御さんに打撃を与えることはないんじゃないか。それによって死にまで追いやっていくというむざんなこの願いというものは、何とかほかの便法を、親が出さぬでもいいようにするとか、あるいは親に打撃を与えないようなそういう方法をとるべきじゃないか、これを申し上げているわけです。この点について大臣どうお考えですか。
  88. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 私も実は肢体不自由の子供を持っておる親を知っております。親にとってこれほどふしあわせなことはございません。いまお話しの、けさの新聞を実は私も拝見いたしました。全く同感でございます。何といいましても施設を一日も早く充実させることが私ども文教政策をあずかる者の一番大きな任務であると考えております。御希望に沿うように万全の努力をいたします。
  89. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 私の御質問申し上げたポイントは、それを親御さんに打撃を与えないで済むような方法に変えることを早急に検討してもらいたい、これです。何か親に打撃を与えない便法というものを考えて、言うならばこれは施設がないための殺人——ということばは悪いけれども、しかしある意味においてはそれに通ずるわけですね、深い、深い底をたぐれば。その点をひとつ検討する、出さなくても済むように、ほかの方法で親に打撃を与えないで済む便法を、大臣のいまの御答弁は、その希望に、あるいはぼくの言ったことに、そのポイントですよ、それに沿うように努力するという御答弁だった、こう承ったわけです。
  90. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 仰せのとおりにいたします。
  91. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 そこで、もう一つお伺いしておきたいことは、やはり特殊教育振興法とでもいうそういうものをつくって、特殊教育についての措置をより一そう今後進めていく、そういうふうなお考えはないですか。
  92. 岩間政府委員(岩間英太郎)

    ○岩間政府委員 いま特殊教育につきましては、先ほど申し上げましたように、それは今後もしそういう必要があれば考えてまいりたいと思いますけれども、いまのところは、私ども予算措置その他、ほかの各種の方法で、具体的に促進すること自体が問題でございますけれども、それで足りておると思っておりますが、また今回も養護学校の設置につきまして三分の二の補助の改正の法律案もお願いしておる。そういうものを総合して、もしつくる必要があればこれは今後考えてまいりたいと思いますが、いまのところ、私どもそういうような各種の方法によって支障なくやっていけるのじゃないかというふうな感じを持っております。
  93. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 やはり成り立ちは、心身障害者対策基本法が成立いたしましてから特殊教育というものに大幅に前進したわけです。したがって、それを受けて特殊教育振興法、これは一応仮の名前ですが、そういうものをつくって、やはり法のもとに予算措置を行なっていくというほうが道が早い、こう普通常識的には判断されますので、その点を強く要望しておきたいと思いますので、これは大臣からお答えをいただいて質問を終わりたいと思います。
  94. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 御意見よくわかりました。十分検討いたします。
  95. 山田(太)委員(山田太郎)

    ○山田(太)委員 質問を終わります。
  96. 丹羽委員長(丹羽兵助)

  97. 有島委員(有島重武)

    有島委員 だいぶお疲れのようで御苦労でございますが、私短くやります。  この間の所信表明の問題につきましては、これはまた別にチャンスをあらためてやらしていただきたいと思いますけれども、きょうは赤軍派の問題が出ておりましたので、先ほどの答弁を伺っておりましてもう少し詰めさしていただきたいと思います。  赤軍派のこうしたリンチ殺人、これはもう言語に絶する悲惨な事件でございまして、こうしたような事件は再び起こしては絶対ならない、このように思いますけれども、しかし、この種の凶悪な事件が起こり得る可能性というものはいまなおあるのではないか、その点はどうお考えになりますか。
  98. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 御質問のとおり、私も今回でこれが終わりになるとはどうも考えられない社会情勢じゃないかとひそかに心配をいたしております。
  99. 有島委員(有島重武)

    有島委員 この種の事件を再び起こさないというそうした決意の裏づけがあって初めて責任ということがあるのじゃないかと思うのですけれども、御決意のほどを御表明いただいたほうがよろしいのじゃないかと思うのです。
  100. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 これはひとり教育の問題だけではないと私は思います。帰するところはやはり教育の問題だ。最終に帰するところは教育の問題だ。原因はどこにあるかということになって原因の探究をいたしますると、教育の問題もありましょう、経済の問題もあるでしょう、政治の問題もあると私は思いますが、何と申しましても、人間の行動の最終の結論はどこに根ざしておるかというと、私は教育に根ざしておると考えざるを得ないと思うのであります。したがって、この種の事件を二度と起こさないように、とにかく日本の教育というものをさらにさらに充実したものにしなければならぬ。それには私は、先ほど川村先生、松永先生にもお答えしたように、人間の情操をつちかう情操教育というものが非常に立ちおくれておったのじゃないか、人間の生命に対する尊厳というものを身をもって体験する状態をつくってやらなければいかぬじゃないか、教育環境をそういう教育環境にしむけてやらなければならぬじゃないかということを率直に考えているわけであります。
  101. 有島委員(有島重武)

    有島委員 方法論は二の次にいたしまして、根本の御決意のほどを伺いたい、そういうことでございます。
  102. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 その決意で、ただいま申し上げましたような気持ちで、この問題に対処する教育の施策を進めてまいりたいと考えておるわけでございます。
  103. 有島委員(有島重武)

    有島委員 ことばの論議のように聞こえると困るのですけれども、その決意と申しましても、今後情操教育、道徳教育を進めてまいる決意なのか。その情操教育、道徳教育等の充実によってこれが全部解消できるとは思われないけれどもと、これが中心であろうというふうに、そこにまた別な議論があると思うのです。けれども、ひっくるめて、こうしたことは絶対に起こしてはならないという御決意をまず率直に御表明いただいたほうがよろしいのじゃないかと思うのです。
  104. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 私ずいぶん率直に申し上げておるつもりなんですが、やはり何と申しましても、人間の基本に触れる道徳心の問題という意味において、情操教育というものは非常に大切である、道徳教育も非常に大切であるという意味で、考え方に変わりはございません。また、それを進めていくつもりであります。
  105. 有島委員(有島重武)

    有島委員 いま伺っておる限りでは、大臣は何か方法論のほうにお逃げになっておるような印象をどうしても受けますね。その方法がもし不十分なものであれば、その方法が悪かったようなことになってしまって、どんな方法であろうとも、まずそれを決意していただかなければ次の話が始まらないのですけれども、こういった種類のことはもう絶対に起こしてはならない、その点で一致しておきたいのですよ。
  106. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 それはもうお話しのとおり、かような不祥事件が二度と起こってはならないということに変わりはございません。
  107. 有島委員(有島重武)

    有島委員 そこで、いま関連する問題としては、経済の問題もあろう、政治の問題もあろう、また、これは大臣のお立場としても、そういうふうになってまいりますと、経済閣僚ないしは総理府の青少年教育もございましょう、あるいは法務省もございましょう。そうしたところとやはりこの問題についてお話し合いをなさる、詰めていく、こうしたことがすでになされていたんじゃないかと私は推測したいのですけれども、その点、何か手を打っていらっしゃるか。いまこれから打とうとしていらっしゃるのか、その辺はいかがですか。
  108. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 これは公安当局ないしは青少年当局、いずれのところでも真剣に考えてやっておることでございますけれども、この事件は卒然として起こった問題では私はないと思うのです。病根は深いと思うのですよ。問題は人間の——非常に理屈を申し上げるようになりますけれども、人間の持っておる絶対的な善、絶対的な悪というようなものの認識の問題にもなってくるだろう。非常にむずかしい問題でありますけれども、私は、教育の力によって解決すべきものは解決していかなければならないという信念に立っておるものでございます。
  109. 有島委員(有島重武)

    有島委員 私、伺っておりますのは、そうしたいま関連のあるところとお話し合いをなさっていらっしゃるのかどうかという問題でございましたけれども、いまのお答えでは、まだそうした話し合いはやっておらない、そういうふうに受け取ってよろしゅうございますか。
  110. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 やっております、これは。
  111. 有島委員(有島重武)

    有島委員 どういう形でもってやっていらっしゃるのか。経常的になさるのか。その中間報告なり、一つの結論をいついつまでにどういうふうに出そうというようなことがおありになるのかどうか。
  112. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 結論をいついつまでに出そうというようなことはやっておりません。お互いに情報の交換をし合っておるという程度の連絡をやっております。
  113. 有島委員(有島重武)

    有島委員 そこで、先ほどは、この種の事件は再び起こしてはならないと申されましたけれども、大臣は、この種の事件、これは凶悪なるリンチだ、殺人だ、こうした次元でこういうことが起こってはならないと言われるのですか。あるいは赤軍派が発生する、あるいはその批判的な学生が発生する、そういったことが問題なのか、この事件をめぐって、幾つかの問題がいろいろなさまざまな次元であると思いますね。学生の社会全般に対する批判、いわゆる体制批判、そういった問題もあると思いますね。そうしたこの種の事件、かような不祥事件というのは、どのようにお考えになっていらっしゃるのか、その一端をお聞かせいただけますか。
  114. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 私は、どういう種類であろうと、人の命を軽んじ、暴力を肯定するというようなことは、断じて許すべきことではないと考えておるのでございます。この種のと申しましたことは、私の立場から言うと、人命を軽んじ、暴力を肯定するという意味に御理解を願いたいと思います。
  115. 有島委員(有島重武)

    有島委員 人命を軽んじ、暴力を肯定する、これは当然いけないにきまっておりますね。しかし、そこまでに至るという内在的な可能性のことをいま問題にしておるのですよ。その内在的な要素のほうを、いまここでは時間がございませんから、これはまた機会を改めまして御所見を承りたいと思うのですが、こうした問題、こうした問題についていま考えておる、これにはこういう手を打とうと思っておる、そういうふうなお答えをいただきたいと思うのですよ。  そこでこれが殺人にまで至るか、あるいは殺人にまでは至らないけれども、同じような傾向を備えておるというようなことがたくさんあるか。それは潜在的に何かのチャンスでもってすぐ殺人にまでエスカレートする要素が十分にあるわけであります。これは、法務なんかの問題と文教の問題との差は、そうした潜在的なほうの問題に重点があって、あらわれた事件にまでするのを押えるのじゃなくて、その問題を解明していくというところにあると思うのです。それと、きょうの大臣のお答えの中でも、情操教育の欠如、道徳教育の欠如、これは一つの要素ではあろうかと思います。じゃ、はたして情操教育、道徳教育をやればいいのか。そういった問題もあると思いますね。  それから、情操教育が著しく欠けておったのだ、いままでの教育の中で。先ほどの御答弁で私はそういうふうに受け取らざるを得ないのだけれども、あなたはほんとうに戦後二十数年の間といいますか、情操教育がわが国の教育から著しく欠けておったという御認識に立っておられるのかどうか。
  116. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 私は、こういうことだけは言えるのじゃないかと思うのです。少なくとも日本の教育は知育偏重の教育であった。教育に欠けるものがあるとすれば、情操教育が欠けておった、徳育が欠けておったということだけは言えるのじゃないか、こう思っております。
  117. 有島委員(有島重武)

    有島委員 そうすると、従来のわが国の教育は知育偏重であったという御認識ないしは御反省に立っておられる、そういうところから、この次また機会を改めまして、いろいろと御所見を承ってまいりたいと思います。きょうはもう時間があまりありませんので、その点だけ…。  ただ、先ほど連絡会議の問題がございましたけれども、話し合いをしておるというようなことがございましたね。そのほうの御報告もまたいずれぜひとも承りたい。  終わります。
  118. 丹羽委員長(丹羽兵助)

  119. 山原委員(山原健二郎)

    ○山原委員 大臣、あまり長くおれないそうですから、最初にお伺いします。  最近、国鉄を中心にしまして、例のマル生運動といいますか、こういう問題がずいぶん問題になっておるわけですが、これは単に国鉄だけでなくして、各企業の中にも起こっておりますけれども、私は、きょうは特に教育の面にあらわれておる問題について一部触れたいと思うのです。  一つは、これは北海道で起こりました問題でありますが、かつて私も一度取り上げたことがありますけれども、文部省のほうはよく知らないということで話が進まなかったわけですね。これは、いまここへ持ってきておりますが、北海道の教育委員会が編集をしました「新任校における学校経営一カ月のとりくみ、課題解明と実践の記録」というのが出ております。これはマル秘文書になっているのですが、秘密資料ということであろうと思うのですけれども、これは、北海道で一昨年の四月に九名の校長が新しく高等学校へ赴任をいたしておるのです。ところが、その校長が赴任をしてからどういうふうに学校内における組合を——高教組といいますか、高教組の組合を押えつけたかという報告書であります。  その中には、ある校長の場合は、赴任にあたって「やったるぜ」、こういう気持ちで行ったと、こういうのですね。そして、自分が若輩の身でありながら内示を受けたときには、この学校へ行ってほんとうにやったるぜという気持ちで行ったというのです。これは何も教育活動をやるというのじゃなくて、中身を見てみますと、組合の組織を分断をしてやるんだということになっているわけですね。  ちょっと読み上げてみますと、「私が深西でとった一本釣りは、手が古いのでここでは、未組織の組織化をはかり、フォーマル(高教組)な組織と、インフォーマル(非組合員)な組織の適当な対立、抗争を助長させながら、高教組が組織防衛に専念せざるを得ない客観条件を作り、外にエネルギーを出し得ない内部分裂(群集心理学でいう、ツツキ運動の発生)を醸成させていきたい。」こういう報告書になっているのです。そして、しかもその文書の中に「私の心の支えば、只一つ、それは逞しい当局の支えである。」というふうな書類ですね。さらにもう一人の新任の校長の場合ですが、学校へ赴任をしまして、私は「一挙に根源をぶった切る方法以外に、根深い悪をたちきり本別高校の正常化は断行できない。」こういう気持ちで赴任をしたということで、赴任をする前に御本人がはがきを出しているのですが、そのはがきも御本人が文書の中で出しておりますけれども、まさにこれは挑戦的なはがきなんですね、学校の職員に対しては。それに対して学校の職員が校長と交渉を持ったときに、それに対して、私はこの手紙は取り消さない、そして、私の通告したとおり断行していくんだ、また、抵抗する者は即時処断をする、こういう形でやられているわけですね。そういう経験を報告している。それを道の教育委員会が編集をしている。  こういう問題があるのです。この文書については、すでに文部省も入手されておると思いますけれども、こういう事態が単に北海道だけではないんですよ。今度長野県の場合にマル秘文書というのが小中学校校長会から出されておりまして、これはもう私はみずから手に入れてまいりました。おそらく読んでおられると思うのです。また、一部新聞にも出ておりますからお読みになっておると思うのですが、この長野県のものについては、実はもう膨大な、数カ月にわたる悉皆調査、全教員にわたる調査を行なって、組合活動家あるいは権利意識、あるいは組合役員の選挙にまで介入するという中身が含まれているのですね。言うならば、この全文が不当労働行為と思想調査というもので満ちあふれているのです。この中身の論議は本日はいたしませんけれども、もし大臣がお持ちでなかったら、私は別冊を差し上げたいと思うのです。きょうは申し上げませんが、こういう事件が次から次へ起こるというのは、これはまさに異常な状態だと思うのです。  北海道の問題についてもし御承知であれば、これについてはどういう処理をされたのか、あるいは調査しておればそのことについて御報告をいただきたいのです。
  120. 岩間政府委員(岩間英太郎)

    ○岩間政府委員 私もただいま先生から伺いまして、私ちょうどそのときまだ初中局の関係の仕事をしておらなかったものでございますからよく存じませんが、そういうふうな文書があって誤解を招くような点があるので、教育委員会のほうではこれを廃棄処分にしたというふうな報告は受けておるようでございます。
  121. 山原委員(山原健二郎)

    ○山原委員 単に廃棄処分にしたからといって問題が処理されたということではないと思うのです。文部省がこういう不当な労働行為というものに対してどういう指導あるいは助言をしたかという問題なんですよ。こんなことを許しておくかという問題です。その点についてもう一言伺っておきたい。
  122. 岩間政府委員(岩間英太郎)

    ○岩間政府委員 私どもは健全な職員団体の育成ということにつきましては、これはかねてから各都道府県の教育委員会に対しましても指導しているところでございます。したがいまして、私どもは、それに反するような不当労働行為が行なわれるということは厳に戒めるべきであるというふうな態度でもって従来から指導してきております。
  123. 山原委員(山原健二郎)

    ○山原委員 こういう事件がもう頻発しておるわけですね。これは、長野の場合には非常に特徴的にあらわれているわけですけれども、これは委員長にお願いしたいのですが、この長野県における小中学校長会のマル秘文書というのはすでにもう新聞にも出ておりますけれども、これは重大な中身を持っておると思うのです。これについては各党でも調整をされておるようにも聞いておりますし、長野のマル秘文書事件、いわゆる不当労働行為事件というものについては、十分時間をとって私は論議をしてみたいと思っております。  さらに、こういう傾向がまた至るところに起こっているわけです。特にここへ持ってきておりますのは、これは愛媛県の高等学校校長会が出しましたところの「ロングホーム指導の参考資料」というのです。これは全校に配られています。ところが、この中身を見ますと、これはまさに思想教育です。全く右翼思想教育です。これが公然と校長会で作成をされて、「ロングホーム指導の参考資料」として配られておる。  この中身を見ますと、政治思想、時事問題、国家意識、領土問題、さらに最後に日の丸、君が代というのが出てくるのですけれども、この中を見ますと、たとえば政治思想の面では、「現在のソ連邦などの社会主義国では、国民の自由は侵されていないか」こういう設問。さらにその次の時事問題では、ベトナム問題と日中問題が出てくるのです。これは、高等学校の生徒にこれをやれというんですよ。そのベトナム問題と中国問題をちょっと見てみますと、中国問題に至っては、これはもうまさに自民党の見解そのもの——自民党の一部の見解といいますか、そのものずばり出ているのです。たとえば、「イデオロギーを異にする中国との関係があるだけに、慎重に考えてみなければならない。」というのが中国承認問題です。  さらに、ベトナムの問題に至りますと、こういうふうに出ています。「アメリカの介入の本質とは、アメリカのための植民地の獲得や北ベトナムを侵略するような帝国主義的な目的は少しも持たず、南ベトナムの赤化を防ぐことによって自由主義陣営の勢力範囲の維持につとめ、東西均衡を保つという全く防衛的なものと理解することができる。したがって侵略的なものではない。真相は以上の説明によって明らかである」、高等学校の生徒にこういうことを教えるのですか。ベトナムの問題について、アメリカは侵略的なものではないと言う方もおるかもしれませんよ。おるかもしれませんけれども、今日の国際情勢の中で、あるいはわれわれの国会の論議の中でも、アメリカの行為に対してこんなふうな見解を持っておる者ばかりではないでしょう。こういうことが公然と高等学校のロングホームの指導資料として出されているということに対して、これはまさに一党一派の思想がそのまま教育の中にずばり持ち込まれているという証明ではないかということを考えるのです。この点について大臣所信を伺っておきたいのです。
  124. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 初めて伺うことばかりでありまして、長野の問題も、私よく存じません。北海道の問題に至っては全然知りませんでした。これはひとつこれからよく事情を聞いてみます。愛媛のいまのお話も、資料がございましたらひとつ拝見させていただきたいと思います。
  125. 山原委員(山原健二郎)

    ○山原委員 大臣、北海道のことは知らなかったと言いますけれども、これは坂田文部大臣のときに私は取り上げたんです。終始一貫、彼は知らないと言って逃げ切ったんですね。だから私は、きょうは皆さんのほうでは研究もされておると思って質問をしているわけですけれども、これは私が握造できるようなものじゃないですね、こういう文書というものは。だからこれは明らかにあるのです。これに対してどういう態度をとるかというのは、これは文部省としてのやはり姿勢が問われる問題でありますから、私は、直ちに調査をして、どういう指導をするのか、お聞きをいたしたいと思っています。  さらに、このロングホームの問題は、これは高等学校の生徒です。あなた方はこの間の教科書裁判のときに、準備書面の中でどう書きましたか。論争があるときには記述はしない、または双方の意見を出すというのが、あなた方が教科書裁判の準備書面の中で書いた考え方でしょう。ところが、こういうことが公然と行なわれておる。しかも教育委員会はこれを認めているんです。アメリカがやっておる行為は侵略ではないという言い方。そしてさらに、私は時間がありませんから十分読みませんでしたけれども、北ベトナムが攻めてきておるんだと書いてある。赤化を防ぐためにアメリカが入っておるんだから、アメリカの行為は正当だと書いてあるのです。一万キロのかなたから太、平洋を渡ってきて、ナパーム弾、ボール爆弾を投げて、非戦闘員を殺しておるアメリカの行為を、これは高等学校の生徒に是認せよということをいっているんですよ。こういうことが許されるかという問題です。このことについて見解を伺っておきたいのです。重大な問題です。国際的な問題です。知らぬじゃなくて、これはもう事実があるんですから、あったらどうするのですか。
  126. 岩間政府委員(岩間英太郎)

    ○岩間政府委員 この点については私ども調査をしてみたいと思いますけれども、いろいろな団体がいろいろな意見を述べる、あるいはいろいろな資料をつくるということは従来からあることでございます。ただ、それが学校の教育の場に持ち込まれるということになりますと、これは法律に明らかなように、特定の政党を支持しまたはこれに反対するようなことを学校の教育の場でやってはならないというふうな規定がございますから、それに違反するようなことはもちろん許されないわけでございます。また、ただいまいろいろ世界で起こっておりますような事象につきまして、一方的な特定の考え方に基づく判断をする、その判断を学校教育の場に持ち込むということは、やはり許されないことだろうと思います。そういうふうな方針で私どもは現場を指導してまいりたいというふうに考えております。
  127. 山原委員(山原健二郎)

    ○山原委員 いろいろな団体がいろいろなことを書くことは、これはあることだと思うんですね。ところが、これは校長会、しかも教育委員会がほぼ恣意的に認めた委員によって構成されたものによってつくられているということがこの中に書かれているのであります。たとえば、アメリカ国内においても、現在ベトナム戦争というものに対しては相当の意見がある段階でしょう。日本の国において、何で幼い子供たちに、ベトナム戦争はアメリカが正しいんだというふうな教え方をしなければならないのか、これはまさに重大な問題です。しかも、フランスがかってベトナムに対してそれを行なっておったけれども、フランスは力が足らなくて、世界の自由主義諸国を守るためにアメリカが肩がわりをして行っているんだ、こう書いてある。フランスとアメリカのベトナムにおける交代というものはそんなものではない。ジュネーブ協定に違反してアメリカは行っているんですよ。そういう歴史上の事実というものを明らかにしないで、一方的に、アメリカのベトナム戦争は正しいんだ、こういう書き方で子供たちに教えるということは、これは重大な問題です。事実であればこれは取り消しますか。取り消す指導をされますか、伺っておきたい。
  128. 岩間政府委員(岩間英太郎)

    ○岩間政府委員 先ほども申し上げましたように、特定の考え方に基づいた判断を学校教育の場に持ち込むというようなことがあれば、これは是正しなければならないというふうに考えます。
  129. 山原委員(山原健二郎)

    ○山原委員 それでは、こういうことが公然と行なわれるような風潮というものはどこから出てきたかというと、昨年の五月七日から六月十一日まで行なわれた、文部省みずからがやったこれですよ。文部省主催の「教職員等中央研修講座報告書」第十回中堅教員の研修講座の中身は何ですか。御殿場において実に三十五日間、九十五名の全国の中堅教員を集めて行なったこの講義の内容が記録されて、そしてここに出されておるのでありますけれども、この中身を見ますと、偏向してないですか、あなた方は。教育の中立が守られていると思いますか。たとえばこの中にどういうことがあるかというと、こういうのがあるんですよ。「国際問題」、国際問題については、これは、日本はアメリカの核のかさによって守られている。これは自民党の大半の考え方かもしれません。しかし、これに対して反対する意見だってあるわけですね。  さらに、中国の問題については、日本は「台湾を一つの中国として認めている。七億の人口をもつ中共が強大になったとしても、今すぐ台湾との関係を清算することはできない。」これも一方的な見解ですよ。これが、あなた方が全国の中堅教員を集めて行なったところの講習会の中にずばり出ている。報告されているのです。まさに一方的な見解でしょう。  さらに、その次にはこういう問題が出ているのです。これは尾上さんという方ですかね、尾上正男さん、これは大学の先生でありますが、「共産主義の虚像と実像」というのがあるわけです。これは報告されているのです。これによりますと、社会主義、共産主義というものに対して、これはまさに虚像である、これはマルキシズム批判だと思うのですよ。それは批判はあるでしょう。マルクス主義あるいは社会主義に対して批判はあるでしょう。あるでしょうけれども、あなた方が行なったところの講習会の中には、これに対する反対の意見の講師は一人もいないのです。そして「共産主義の虚像と実像」というこの尾上さんの講習が行なわれている。これは学問的に見ても見解は分かれるところですからね。マルキシズム批判が行なわれてもいいんですよ。しかし、そのものが、そのものだけがあなた方の講習会で行なわれるということは正しいのですか、全国の中堅の教員を集めてこういう講習をするということが。一方的な講習会じゃないですか。その点について伺ってみたいのです。
  130. 岩間政府委員(岩間英太郎)

    ○岩間政府委員 私どもは教職員に対して、中央研修といっておりますけれども、文部省主催の研修を行なっております。これはお集まりの先生方皆さんにも申し上げておるところでありますけれども、私どもはそういう全国の先生方が一堂にお集まりになって、寝食をともにしてお互いに接触をするというところに一番大きな意義があるということを、私どもは講習会の最初にいつも申し上げておるところでございます。そして、これは一つのきっかけでございまして、そういうような機会を与えるということに一番大きな意味があるわけでございます。したがいまして、実際に講習を受けられるような先生方は、もちろん思慮分別の十分あられる方でございまして、どういうふうな意見がございましても、それに対して批判をすることができるような能力を持った方でございますから、私どもは全国の先生方に、一堂に会してそこでいろいろみずから研修をしていただくということに重点を置いてやっているわけであります。しかし、もちろんその際には、時間の使い方の点においていろいろな先生方にお願いをして講義をしていただく、あるいは演習を行なうということはやっております。しかし、私どもは、どういう意見があっても、あくまでもそれに対して十分批判ができるような方々をお集めしてやっているわけでございますから、私どもが講師にお願いいたしました先生方がどういうふうなお考えを持っているかということ、それから、私どもが講師の先生方にどういうことを、どういう内容をしゃべってほしいかというようなことは、これは一切干渉しないというふうなたてまえでございまして、どういうふうなお話でございましても、それに対しましては十分それを理解し、それの批判ができるような方々に対してやっていることでございますので、私どもはそれが間違っておるというふうな感じは持っておりません。
  131. 山原委員(山原健二郎)

    ○山原委員 講師というものはどういう基準で選ぶか私は伺いたいのですよ。全国から集まってきた方々が帰るときに、文部省のほうに感想を書いて出されているでしょう。それを見ましたら、この講習会でやったことをわれわれも帰ってみなに伝えたいということを書いていますね、もう初めて法律のことを勉強したというような。法律というのは、あなた方は大体教員に対する労務管理の演習をやっているのです、ほとんど。そのことは、いま時間がありませんから申し上げませんけれども、思想的には一方的な思想の注入じゃないですか。一九三〇年に山東大出兵したときの国民精神作興のときに、やはりマルキシズム批判がやられているのです、学校に対して。同じやり方なんです。同じやり方で、しかも当時は少なくともマルクス主義に対する理論的な原則的な立場をとっている反対の人でも、反マルキシズムの学者でも、かなり理論的な立場をとってやっているのです。格調高いのです。  今度の場合、尾上さんという方は私存じておりませんけれども、尾上さんの理論というのは、これは自由民主党の理論です。自民党の学習シリーズの中に同じものがあるのです。自由民主党の出されておりますところの学習シリーズ第三十三集ですよ、「共産主義の虚実」というのがあるのです。この中身があなた方の講習会にそのまま出ているのです。だから、それがいいという方もおられるかもしれませんけれども、少なくともあなた方が全国の教員を集めて、教育公務員を集めて講習をやるのなら、これはたいへん失礼ですけれども、もうあっさり言ったら国際勝共連合が演説をやっている中身と同じです。そういう低俗な理論の展開で、しかもこれは自由民主党の学習シリーズでしょう。これは自由民主党の考え方を表明されておるのじゃないかと思うのです。もちろん自由民主党の中の人たち全部がそうじゃないと思います。これに対する意見もあると思いますけれども、少なくともいままで出ておりますところの自由民主党の学習シリーズというのは、ここに持ってきておりますが、これは自由民主党のいままでの見解というものを表明しているわけです。  そうすると、その人だけがここへ来てマルキシズムの、共産主義の虚実なんという講演をやっている。これは明らかにあなた方が国費を使って、御殿場というところで全国の中堅教員を集めてこれを広がらせていく。新聞によりますと、これは何でも文部省の旗本をつくるのだという皮肉を書いておる新聞もありましたけれども、そういう講習会で一方的な見解、また一党の見解を押しつける、これを教えていくということがはたして正しいかという問題。正しくないですよ。あなた方自身が正しくないと言っていたじゃないか。教科書裁判のとき、どう言ったか。論争のあるときには二つの意見を出す、あるいは記述をしないということを言ってきた。あなた方の考え方からするならば、私はそのほうが正しいと思うのです。  こういうやり方を考えてみましたときに、こういう文部省の態度の中から、私は、いま北海道に起こった問題、あるいは長野や福岡あるいは愛媛その他にもうひんぴんとして起こっている問題と脈絡を通じて、扇のかなめであなた方がこういう思想性でいま日本の教育を握ろうとしているのじゃないかということを感じるわけです。これは重大な問題ですよ。日本の教育をまた再び昔の思想弾圧の暗い谷間に追い込む可能性だっていまあるのです。そういう問題として受けとめたときに、これに対して大臣の見解をはっきりと伺っておきたいのです。こういうことをこれからもやるのですか。
  132. 高見国務大臣(高見三郎)

    高見国務大臣 私どもは私どもの見解を持っております。あなた方はあなた方の御見解がおありになるだろうと思います。しかし、文部省がやっております講習は、あくまで客観的な公正な講習をやっておるつもりでございます。  お触れになりました問題は、確かにお気にさわる面があっただろうと思いますが、それとこれとは違うと私は思うのであります。と申しますのは、そういう見方もある、それだけの批判力のある中堅教員を集めてやっておる講習であります。だからこそ、あなた方の手元にこういう見解のことをやっておるということを知らせてくる人もあるでありましょう。それは批判力があるからできることなんです。私は、文部省がやっておりますただいまの中堅講習をやめさせるつもりはございません。ただ、非常な偏向した形においてやろうというような考え方も、もちろん持っておらないということをはっきり申し上げておきたいと思います。
  133. 山原委員(山原健二郎)

    ○山原委員 お気に召すとか召さぬとかいう問題じゃないのですよ。私は気に入るとか気に入らぬとかいうことで言っているのじゃないんですよ。現在の事実を、真実を明らかにする講習会をやるべきだ、そういうことです。いいですか。私はこれに対して反対だからというようなことを言っておるのではないですよ。これはまさに一方的なそういう講習会がいいのかということを言っておるのです。少なくともあなた方が、文部省という立場で、国の費用を使って講習会をやるならば、これは公正な立場に立たなければならぬと思うのです。だから、まさに率直に言って、これはおかかえ学者か何か知りませんよ、そういう立場の人でなくて、少なくとも選考基準というものをつくって、かなり学問的な立場で批判のできる人とか、そういう者を選ぶということはできると思うのですよ。今日、学者はたくさんおるのですからね。わざわざ自民党の学習シリーズという、自民党の必読文献かもしれませんけれども、そんなものをつくっている講師を呼んできてやるということは、これはだれが考えたって公正な立場ではないと私は思うのですよ。そういう方も場合によってはおってもいいかもしれませんよ。しかし、それに対してまた別の見方があるという講師だっておっていいわけですからね。あるいは両者の方に対談をしてもらうとかいうことの中から真実を明らかにしていくという、これが教育の原則でしょう。その原則をはずれたらいかぬということを言っておるのです。私はこれが気に入らぬから言っておるのではないですよ。  そのことを、いま誤解して行かれたようでありますけれども、そういうことのないように、講習会も、真に民主的な立場に立って、今日の教育をどうしていくか、あるいは先生方をいじめるようなことばかりを演習するようなことではなしに、そういう意味でのもっとまともなといいますか、もっと公正な立場に立つ講習会をやるべきだということで私は申し上げておるのであって、その点について今後どういうふうにされるか、お伺いをしたいのです。場合によっては、いままでやられた講習会の資料を全部出してもらいたいと私は思っておりますけれども、御返答をいただきたいのです。
  134. 岩間政府委員(岩間英太郎)

    ○岩間政府委員 ただいま先生からお話がございましたような点も十分考慮しながら、今後の講習会を進めてまいりたいというふうに考えております。
  135. 山原委員(山原健二郎)

    ○山原委員 それからもう一つですね。たとえば講師を選定するにあたりましても、文部省らしく——まあかたい基準は必要でないかもしれませんけれども、選ぶ必要があると私は思うのです。たとえばこの講習会にしましても、長野県の教育委員会が行なった講習会にしましても、長野県の場合は新日鉄の労務担当の重役が行って講義をしているのですよ。それから、この御殿場の皆さんのやられた講習会にしましても、これは石川島播磨重工業の労務担当の重役が行って講義をしているわけですね。そういう方は、労働法の問題について非常に研究が深いかもしれませんけれども、しかし学校は企業とは違いますからね。しかも新日鉄や石川島播磨重工業のような大独占企業とは違いますからね。独占企業の持っておる労務管理方式を学校に持ち込むなどという思想そのものが、これはもってのほかですよ。ほんとうに労働三法というものを勉強するなら、それなりに適した講師もおるだろうと思うのですね。そういう点から考えましたら、この講師の選び方についてもこれは考えていただかなければならぬと思います。私はそういう意味で、大臣所信表明がなされておりますけれども、日本の教育というものを再び暗い教育にさせないということをいまから考えておかなかったら、このままでいけば、相当大きな問題が次から次と発生してくるのではないかということを私なりに警告をいたしまして、本日の質問を終わりたいと思います。
  136. 丹羽委員長(丹羽兵助)

    丹羽委員長 次回は来たる十五日開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後五時二十三分散会