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1972-05-30 第68回国会 衆議院 内閣委員会 第27号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十七年五月三十日(火曜日)     午前十一時十一分開議  出席委員    委員長 伊能繁次郎君    理事 加藤 陽三君 理事 佐藤 文生君    理事 坂村 吉正君 理事 塩谷 一夫君    理事 山口 敏夫君 理事 大出  俊君    理事 伊藤惣助丸君 理事 和田 耕作君       笠岡  喬君    辻  寛一君       別川悠紀夫君    松本 十郎君       湊  徹郎君    木原  実君       横路 孝弘君    鬼木 勝利君       受田 新吉君    東中 光雄君  出席国務大臣         外 務 大 臣 福田 赳夫君         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      山中 貞則君         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 江崎 真澄君  出席政府委員         人事院総裁   佐藤 達夫君         総理府総務副長         官       砂田 重民君         総理府人事局長 宮崎 清文君         総理府恩給局長 平川 幸藏君         警察庁長官官房         長       土金 賢三君         防衛庁防衛局長 久保 卓也君         防衛施設庁労務         部長      安斉 正邦君         環境庁長官官房         審議官     鷲巣 英策君         外務省アメリカ         局長      吉野 文六君         外務省条約局長 高島 益郎君         厚生省援護局長 中村 一成君         水産庁長官   太田 康二君  委員外出席者         防衛庁防衛局運         用課長     福田 勝一君         外務省アメリカ         局安全保障課長 松田 慶文君         内閣委員会調査         室長      本田 敬信君     ————————————— 委員の異動 五月二十六日  辞任         補欠選任   原 健三郎君     鯨岡 兵輔君 同月三十日  辞任         補欠選任   阿部 文男君     別川悠紀夫君   中山 利生君     松本 十郎君 同日  辞任         補欠選任   別川悠紀夫君     阿部 文男君   松本 十郎君     中山 利生君     ————————————— 本日の会議に付した案件  国家公務員災害補償法の一部を改正する法律案  (内閣提出第一〇二号)  恩給法等の一部を改正する法律案内閣提出第  六六号)  在外公館の名称及び位置並びに在外公館勤務  する外務公務員給与に関する法律の一部を改  正する法律案内閣提出第一三号)      ————◇—————
  2. 伊能繁次郎

    伊能委員長 これより会議を開きます。  国家公務員災害補償法の一部を改正する法律案議題といたします。  他に質疑もないようでございますので、本案に対する質疑はこれにて終了いたしました。     —————————————
  3. 伊能繁次郎

    伊能委員長 これより討論に入るのでありますが、別に討論申し出もありませんので、直ちに採決に入ります。  国家公務員災害補償法の一部を改正する法律案について採決いたします。  本案賛成諸君起立を求めます。   〔賛成者起立
  4. 伊能繁次郎

    伊能委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。     —————————————
  5. 伊能繁次郎

    伊能委員長 この際、加藤陽三君外三名より、本案に対し附帯決議を付すべしとの動議が提出されております。  提出者より趣旨の説明を求めます。加藤陽三君。
  6. 加藤陽三

    加藤(陽)委員 ただいま議題となりました、自由民主党、日本社会党、公明党、民社党四党共同提案にかかる、国家公務員災害補償法の一部を改正する法律案に対する附帯決議案につきまして、提案者を代表してその趣旨を御説明申し上げます。  まず、案文を朗読いたします。    国家公務員災害補償法の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)   政府は、次の事項についてすみやかに善処するよう要望する。  一 一般公務員が、特に危険をおかして業務を遂行しなければならない場合の補償についても検討を加えること。  一 民間における企業補償実態にかんがみ、公務員に対しても公務による死亡見舞金等支給について検討を行なうこと。  一 公務災害による遺族補償並びに退職後の生活保障の実情にかんがみ、国家公務員退職手当の改善に特段の配意を講ずること。   右決議する。  本附帯決議案趣旨につきましては、先般来の当委員会における質議を通じまして、すでに明らかになっておることと存じます。何とぞよろしく御賛成をお願いいたします。
  7. 伊能繁次郎

    伊能委員長 採決いたします。  本動議賛成諸君起立を求めます。   〔賛成者起立
  8. 伊能繁次郎

    伊能委員長 起立総員。よって、本案に対し附帯決議を付することに決しました。     —————————————
  9. 伊能繁次郎

    伊能委員長 なお、ただいま議決いたしました法律案に対する委員会報告書作成等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  10. 伊能繁次郎

    伊能委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————   〔報告書は附録に掲載〕      ————◇—————
  11. 伊能繁次郎

    伊能委員長 恩給法の一部を改正する法律案議題といたします。  質疑申し出がありますので、これを許します。受田新吉君。
  12. 受田新吉

    受田委員 恩給法改正案につきまして質問を続行します。  最初に、この恩給制度というものを、私たちは創設以来の歴史を基礎に再検討する時期が来ているのではないか。恩給法という法律の根拠はどういうものであったか。それが現在どのように用いられておるか。こうした制度前提として、私企業に関与もできない。ちょっとしたそそうがあっても、公務員であったという方々に対しての風当たりは非常に強い。こういう時世が今日なお続いておるのでございますが、この機会に、そうした長期にわたって公務に従事した人々に対する国家報い方として、現在行なわれている制度そのものが適切かどうかというところへ及ぶような形で質問をいたします。  これは、局長さん及び恩給局法制担当課長さんでけっこうでございますが、明治初年から始まって、大正十二年に基本的な恩給法ができて、昭和八年に大改正が行なわれて、終戦後しばらく沈黙をして、昭和二十八年に軍人恩給復活となったという歴史の流れの中で、恩給法立法精神は何であったか。いまであったら立法理由というのが明確になるのでございまするが、当時はそれがさだかでない点があったようです。法律条文を拝見しても、恩給法という法律の中に、なぜ恩給を給するかという目的が明確にない。これは一体どういうところに立法理由があったか。当時の立法理由を、法制を担当されておる方でけっこうでございますが、局長、御存じでしたら局長から……。
  13. 平川幸藏

    平川政府委員 ただいま先生から言われましたように、恩給法大正十二年に現在の恩給法ができたわけでございますが、それ以前には単行法として、たとえば、軍人恩給法官吏恩給法、あるいは市町村立小学校教員退隠料及遺族扶助料法というように、各職種別にいわば単行法がばらばらにできておったわけであります。通算関係も、軍人文官は通算するが、教職員と軍人は通算しないというように、非常に法体系が混雑しておったわけです。それを大正十二年に一法にまとめたわけでありまして、それぞれの法律を見ましても、先生が言われましたように、現在の恩給法でもそうでございますが、恩給法とは何ぞやということについては、法律の上での規定はございません。しかし、日本のいわゆる行政組織というものとうらはらをなして出てきた法律でございますから、われわれが一般的に行政法的に教わっておるところから考えますと、国家に対して忠実に勤務した公務員ないしはその遺族に対して、国家義務として給する金銭給付である、このように私たちは考えておるわけであります。いま申し上げましたように、恩給法とは何ぞやということを法的に表現されておる条項はございません。
  14. 受田新吉

    受田委員 いまおっしゃった、公務員として勤務した人々に対して退職後に給付する対価というその見方がちょっと問題になると思うのですけれども、在職中に私企業にも関与できない。ちょっとおかしいことをしても、他の社会ならたいした問題ではない。交通事故をちょっとやったぐらいでは、他の社会では問題はない。公務員ならそのままですぱっと首になるんですよ。現実にこういうきびしい制約を受けることに対する補いというものに該当するのか。あるいは公務員という栄誉ある地位を得てきた人に対する恩恵的な要素が少しでも入っておるのか。そうした勤務中のきびしい制約に対する補いとしてあとから追加した給与の一部であるというふうな見方をするのか。いろいろ見方があると思うのですけれども、それらがある程度総合的に入った給付金というふうに見ればいいのですか。あるいはすかっと一本の目的しかないのか。お答え願います。
  15. 平川幸藏

    平川政府委員 先生が言われましたように、恩給は、特に身分的に言いますと、雇用人には適用されません。御承知のように、判任官以上の文官適用される。ところが、官吏服務紀律というものがございまして、御承知のように、官吏私企業に関与できないとかいろいろ制約がございます。したがいまして、恩給法官吏適用される、ところがその官吏についてはそういう制約があるということでございますから、直接恩給法で縛っておるわけではございませんが、そういう制約下にある官吏適用する年金法でございますから、たとえば、懲戒免職になりますとか、あるいは禁固以上の刑に処せられますと、恩給法五十一条によりまして、引き続いた在職について受給の資格を失うというような規定もございます。  そういうぐあいに、官吏制度のもとにおける恩給法でございまして、では恩給とは何だということを申し上げますと、いま申し上げましたように、そういう意味からくる、公務員が忠実に国家勤務し、その勤務した国家公務員に対する給付、ないしは遺族に対する国家義務としての給付というふうな、はなはだ形式的かもしれませんが、そういう結論になると思います。
  16. 受田新吉

    受田委員 忠実に勤務したから恩給をいただくまで勤務ができたわけだ。忠実に勤務しなければ途中で首になっておった。ほかの民間企業などでは、少々脱線しても能率をあげて企業の繁栄に貢献した者は、少々脱線するほうがむしろ能率があがる素質を持っておるのだ、こう見られる可能性もある。長官おわかりいただけると思うのです。少々脱線しても、一方で会社をうんと繁栄させるなら、それでもいいのだ。公務員のほうは、少々脱線したら、ほかのほうで能率をあげてもだめなんだ。これは非常にきびしいです。したがって少々卑屈的な性格を持って戦前は忠実にやっておった。そういう人たちに対する給付金ということになりますと、民間会社の方とは別の要素が入っていると見られなければならないのです。  私はそうした意味で、国家に忠実に勤務したその人に対して、国家が何かの形でその勤務に対して報いてあげるというのが恩給だということに対しては、一応うなづけます。けれども、恩の字がついているところは一体何か。恩典的要素が多少でもなければ恩の字はないはずです。恩を着せるわけではないですけれども、御答弁願いたいのです。
  17. 平川幸藏

    平川政府委員 実は恩給の定義につきまして、たとえば恩恵説でありますとか、あるいは保険説でありますとか、給与あと払い説とかいろいろ学説的には、実は恩給法を作成しました樋貝詮三という方が書いておられますけれども、いわゆる恩恵説の恩をとってのあれではないかというように私は聞いたわけであります。ただ、その恩恵として給付するという意味はあったかもしれませんが、私としては、いま申し上げましたように、そういうぐあいに理解しておるわけであります。  ただ、訳するときに、これは、ペンションということばをおそらく訳したものと、われわれの研究では考えておるわけでありますが、これを年金というふうに訳すのか、あるいは恩給と訳すのか、いろいろ問題がございまして、御承知のように恩給法の中には、年金のみならず一時金も入っております。そういう包括的なものを、その当時の客観的な情勢のもとにおいて、どういう訳し方をすればよかったかということはいろいろ問題があると思いますけれども、一応恩給という一つのあれを持っていたわけであります。その中には、ニュアンスとしては、先生が言われた意味も入っておるかもしれませんけれども、基本的な性格としては、私がただいま申し上げましたような考え方には、年金というのはやはり公務員勤務うらはらの問題がございますから、そういう意味における、忠実に勤務した公務員ないしはその遺族に対する義務として国家が給する金銭給付であるということには変わりがないと思います。
  18. 受田新吉

    受田委員 局長さん、忠実に国家勤務した、そして非常にきびしい条件がつけられた公務員だけしか恩給支給されなかった。しかし現在は非常に社会保障的な要素が採用されているのです。恩給法の二条ノ二で入れた規定なども、そういう意味で……。  恩給法の初めのほうを見ると、非常に窮屈なかたかなと漢字で書いてある。こういう、ひらかなでなくして、かたかなと漢字だけで、なかなかきびしい文語体が生きておるような法律というものは、ちょっといまの時勢に合わぬ。ほんとうはいまの法律形態にこれを書き直さなければいかぬ。これは恩給法を書き直すのは、法制局のほうでもなかなか骨が折れる。法務省もそういう話でしたけれども。これは途中でお話がちょっとよそへそれるのですが、「タルトキハ何々ス」とかいうような形でなくして、非常にわかりやすい文章に切りかえることはどうですかね。これは私二、三回指摘したことがあるのですけれども。これだけをやるわけにいかぬという問題があるでしょうが、しかしこれはやりかえたほうがいいのです。これとうらはら援護法は非常にわかりやすいように書いてある。この法だけはむずかしく書いてあるということになると、バランスがとれない。そろそろ法律文章をわかりやすい現代文に書き直す。つまり社会保障制度がもう入っておるのです。恩給法というきびしいワクからはみ出ておる。はみ出る状態が、きびしいことでなくて、開放的にはみ出そうとしておるのです。その時点文章現代的に書きかえるという御検討をされたことがあるかないか。
  19. 平川幸藏

    平川政府委員 実は総務長官昭和四十五年の国会におきまして答弁されておるように、現在の恩給法文語文でできております。しかもむずかしいことには、さらに本法のみならず、たとえば、昭和二十八年法律百五十五号、軍人恩給復活の附則などを見ますと、四十四条にわたって、しかも長い条文が続いておるわけであります。これは文語文でできております。それから基本的には、大正十二年から現在まで二十数回改正になっておるわけであります。そういう改正が現在まで生きておりますから、法律としましては、実際問題として現在適用がないとしましても、法律上はこれを取捨選択するわけにいかない。そういうことで、全面的に改正しますと、むしろかえってわかりにくい法律になるのではないか、実際上そういう趣旨を生かしたものをつくればいいのではないかということで、われわれといたしましては、事実その前に法制的にも法制局とも相談したわけでありますけれども、そういうことは不可能に近い、しかも実効内容がない、むしろ実際上そういう趣旨を生かしてものをつくってはどうかということで、総務長官から命を受けましてつくったのが、昨年お配りしたと思いますけれども、「実効恩給規程」であります。見られたと思いますが、これは実は取捨選択いたしまして、これさえ読めば、少なくとも、現在受けておられる受給者、ないしは事務をとっておられる事務当局にとりましても、非常にわかりやすいということで、こういう「実効恩給規程」というものを、先生のまさに言われた趣旨に沿ってつくったわけでございます。
  20. 受田新吉

    受田委員 私、そのパンフレットも拝見しておるわけでございますが、しかし基本的に、これが非常に複雑怪奇に見えるけれども、恩給法として体系的に文章を変えるのは私は可能だと思うのです。恩給法は戦後の二十八年からはひらがなになっておる。戦前の分と戦後の分と文章形態を同じにするということは、これはいま御苦労を訴えておられるけれども、それとは別に、文章形態を変えるということについてはそうむずかしいものじゃないと思うのです。  第一条は、「公務員及其遺族ハ本法ノ定ムル所ニ依リ恩給受クルノ権利ヲ有ス」、これを「遺族本法の定めるところにより」、「受クル」は「受ける」、「権利ヲ有ス」は「有する」と、こういうふうにやっておけばいいわけです。そしてひらがなに切りかえをすればいいわけで、そうむずかしい問題じゃない。私はその作業のほうをいま提案しておるのです。
  21. 平川幸藏

    平川政府委員 これは法制技術的な問題になりまして、これは恩給局の見解ではございませんが、一応私から申し上げますと、単に現在存在して施行されておる文語文条文口語文に直すというだけの改正は、法制局としてはやっていないということでございます。内容的に可能かどうかということは、確かに先生の言われたように、問題はありますけれども、現在の方針としてはそういうことはやっていないということでございます。
  22. 受田新吉

    受田委員 ひらがなと、かたかながまじって、「恩給小六法」などを見ると異様な感じを持つのです。かたかなの分は非常に減ってきているわけです。戦後はみんなひらがなに変わっておる。その中にぽつぽつと旧体制が入って、軍服を着た軍人が現在の町を歩いておるようなかっこうに見えるという感じです。それを衣装を変えて国民にわかりやすくする。刑法関係にしても、むずかしいことばをだんだん平易にして、袒裼、裸ていというようなことばを変えてきたというようなところは、現代国民にわかりやすく理解される法律にしようという配慮からだと思うのです。いまの人がやはりこれを読むわけですから。「本人ハ其遺族ハ其ノ旨ヲ遅滞ナク裁定庁ニ届出ヅベシ」、このような「遅滞ナク」というようなことばがわからぬのが最近出てきてきておるのです。そういう意味で、ことばをもっと平易に理解しやすいように書きかえる。これは法制技術の問題ですから、そうきびしく考えなくても、法制局と御相談されれば、まず隗より始めて恩給法から改正をされていかれる必要はないか。長官からも、おととしその旨の御発言があったわけですが、非常に複雑な恩給法というものを、国民にもっと理解しやすいように、国民とともにある恩給法共済組合制度に移行したその前提としてこの制度が残っていることを子孫も十分理解して、恩給法適用を受ける老人たちに対しても若い人が理解する意味で、この法律をわかりやすく書き改める、これは非常に困難な作業でしょうか。作業としては困難かどうかです。
  23. 平川幸藏

    平川政府委員 実は、文語文条文につきまして、改正するときは文語文改正はしますが、いま先生の言われた趣旨をくみまして、文語文でも、できるだけわかりやすい文語文で書き改めるという方針で現在作業法制局でやっております。しかし、全面的にこれを口語文で書き直すことが法律技術的に可能かどうか、あるいはそういうことが適当であるかどうか、これは私どもではちょっと判断いたしかねます。
  24. 受田新吉

    受田委員 平清盛が重盛にいさめられていささか辟易しておったとき、その衣の下によろいのそでがちらっと見えたということが、歴史の上で特筆すべき事件として後世に語り伝えられておるわけです。恩給法内容そのものは、いま申し上げたような社会保障制度を取り入れて、生きる権利を守る立場に切りかえられつつある。古いタイプの軍人恩給時代のきびしいワクでなくして、一時金も出れば家族加給も認められる、そういうような形の法律に変わっているわけです。つまり現代の事情に合致する方向に恩給の法の適用を受ける人々の処遇が改善されておる、そういう意味ですから、ひとつここでその点を前提として御検討を願いたい。  そこで、質問の核心に触れるわけでございますが、恩給法は、有形無形の非常な責任ある職務を遂行して、国家公務員もしくは地方公務員として恥じない行動をして勤務した人に対する恩典でございますが、やめたときの給与基準にして恩給金額がきまっている。仮定俸給基準にして、その三分の一ということでスタートしておる。これでやめた後のその人の生活をどういう形で守るのか。  具体的に申し上げると、かつては公務員として、局長であり課長であり、あるいは校長であり警察署長であった立場の人に、やめた時点から引き続き五年なり十年後にも、そういう国家有形無形の重い責務を負うて奉仕した人に対する待遇という形にこれが進むべきだと私は思うわけです。ところが、五年なり十年たった後においては、退職当時の俸給によって恩給をもらっておった人が、たとえば十年たった後にはどうか。一般公務員給与は、いままでの事例で比較しましても、大体十年たつと三倍以上になってくるのです。ところが退職者の場合は、過去の事例で数字を検討すると一・七倍という程度です。過去十年間のうちに公務員給与は、ベースアップあるいは昇給等で三・一倍以上に引き上げられている。にもかかわらず退職した人の場合は一・七倍にとどまっている。大体五割五分から六割程度のところへ退職年金が押えられてくるわけです。そうしますと、やめた当時の時点では、国家公務に従事した人として一応うなずける恩給あるいは年金をもらっておられる人が、十年後には、現在同じ局長であり課長でやめた人の五割か六割に待遇が減ってくる。この形が恩給支給に対する正常な姿と思われるかどうか、お答えを願いたいと思います。
  25. 平川幸藏

    平川政府委員 問題は恩給受給者を、退職時の俸給をとって、在職年数——在職年数の長短はございますが、それによって恩給金額が決定され、その後の経済変動に対してどのように処遇していくかということかと思いますが、先生も御承知のように、大正十二年に恩給法ができましてから、その間、官吏給与令によりまして、給与昭和二十年までほとんど変わっていないわけです。したがいまして、その間いわゆるベースアップの問題が、一回くらい例外はありますが、戦前においてほとんど起こらなかった。いわゆる年金価値の保持ということにつきましては、戦前給与が変わらなかったわけですから、起こらなかったわけでありますが、問題はやはり、退職時の俸給をとっておることがどういうような意味を持っておるかということだと思います。  しかし、これは私の考えでございますが、現実国家に対して寄与しているわけでございませんから、したがって御本人としては、国家に対してかつて持っておった、地位に応じたような義務感あるいは責任感がないのは当然だと思います。また国家としても、かつてその地位にあった内容に応じた義務を要求することはできない。これは当然かと思います。なぜならば、現在その職についていませんから、その職に伴う責任義務というのは、国家とその御本人双方において、現実的になくなるということは否定し得ない事実であると思います。したがいまして、それを割り引くということではございませんけれども、かつての退職者である恩給受給者に対しては、その責任義務に応ずる内容のそういった経済的な意味が、完全にはなくなりませんけれども、なくなることは理論的には考えていいのではないか、私はこのように考えます。
  26. 受田新吉

    受田委員 恩給審議会の答申に基づく経過措置がされたわけでございますが、その措置実態を私は比較検討させてもらったわけです。そうすると、現職の公務員の基本給が昭和三十六年の十月に二万四千円であった。それが四十六年五月に七万四千円に上がっているわけです。そして今度恩給をもらう立場の方に例をとりますと、恩給仮定俸は、昭和三十六年に同じ基準で二万四千円であったものが、四十六年五月には四万一千円になっておる。つまり、一方は三・一二倍されておるが、一方は一・七四倍である、こういう相違が出てきたわけです。つまり十年たつと五割から六割程度に押えられてきている。十年前にやめた人は、現在やめる人の、よく見て六割としましょう。やめた時点では、かつては公務員として局長であり課長であった立場の人は、仮定俸給に基づいて一応うなずける恩給をもらっておるが、毎年毎年順次低下する。つまり、かつてやめた時点では現役に大体準じてきたが、やめて一年、二年、三年、四年、五年、十年となるに従って、そのもらう年金額は現在に比べての比率が減ってきておる。  そのことは、いまの御答弁をそのまま採用させていただくならば、やめた時点から、もうかっての公務員としての立場勤務ではないのだからということであれば、みな同じでなければいかぬわけです。やめた直後でも、やめて十年たっても、同じものでなければいかぬのだが、やめた時点から年を追うて、かつてその職務にあった影がだんだん薄くなる方向へ方針がきめられておるのかどうか。つまり、やめた時点では公務員給与に準じて年金額をきめたが、十年後にはその六割でいいという方針恩給局はお持ちなのかどうか。いまで言うならば、十年前に職務から離れて年金をもらった人は、ことし四月にやめた人と比べると、六割しか現実にもらっていないのです。つまり国家が四割分、現在やめた人と比較しては低い、それだけもぎ取った手当てをしているわけでございますが、年とともに待遇は減っていくのがあたりまえだと解釈をされておるのかどうかをお答え願いたいのです。
  27. 平川幸藏

    平川政府委員 先生がいま御指摘になりました問題は、われわれは次のように考えております。  それは、いま言われましたように、恩給受給者に対しましては退職時の俸給をとっております。すなわち、それと在職年をかけたもので恩給額を出すわけでありますが、十七年で本俸の三分の一でございますが、その問題と、いわゆる年金としての実質価値を保持する問題とは、理論的には別だと私は思います。そうでないと、そこの間における制度的なからみをからませると、やはり問題が明確化されないのではないか。制度として恩給制度は、在職年と退職時の俸給をとるということは終始一貫しておりますから、これはこのままセットしておいて、それをいかに年金として実質価値を保持させるかということは、確かにまた別問題ではないか。  その考え方はいろいろあると思いますけれども、われわれといたしましては、現在とっておるように、かつて公務員であっても、いまは現実国家に対して寄与しているものではないから、たとえば、地位が高い、あるいはある職階についておる人についての職務と責任というものは現実にはないから、それについてはそれなりに考えていっていいのではないかというのが現在の考え方でございます。
  28. 受田新吉

    受田委員 昭和五、六年ごろに官吏減俸令という勅令が出て、公務員給与を一割程度減らしたことがあります。そのときはどういう恩給の扱いになっておったか。つまり臨時措置であって本俸には影響ないとしておったかどうか。恩給法上の歴史をえぐり出してみたいと思うのです。
  29. 平川幸藏

    平川政府委員 このときはベースダウンになりますから、それは減らしておりません。
  30. 受田新吉

    受田委員 減俸令は減らしてない、つまり減俸した部分は減らさないで、原則の給与恩給がつけられておった、こういうことですか。
  31. 平川幸藏

    平川政府委員 減俸前の額で支給しております。
  32. 受田新吉

    受田委員 そうしてその減俸期間が何年間か続いたわけです。その期間の恩給はどうだったんですか。
  33. 平川幸藏

    平川政府委員 減俸前の額に還元いたしまして支給しております。
  34. 受田新吉

    受田委員 そうしますと、常に本則的な給与基準恩給というのは支給された。つまり減俸措置の部分へはかかわりなく、減俸以前の給与基準にして恩給がつけられた。こうなると、常に官吏の、公務員給与基準恩給というのはさまっておったということですね。減俸を配慮して恩給支給したというなら、これはまた別の考えが起こるわけですが、減俸された部分は減俸されないものとして、それに即した恩給がつけられたとなるならば、歴史的に公務員は常に現職の公務員給与基準にして動いてきており、また終戦当時までは給与の流れに強大な変化がなくて来たから、大体やめた人の給与基準にして、その後においても大体現役の給与とのバランスがとれてきた、そう解釈していいですね。
  35. 平川幸藏

    平川政府委員 そこの理解のしかたでございますけれども、年金公務員給与の私のほうの理解のしかたは、そういうベースダウンということを考えれば、むしろダウンしたものを支給してもほんとうはよかったのかもしれません。むしろそのほうが公務員給与にスライドしたことになるかもしれませんが、やはりその間ベースダウンになりますから、政策的な判断が入ったものと、まあ先生の言われたことと逆のように考えても、理論的には考え得るんじゃないかというふうに考えます。
  36. 受田新吉

    受田委員 ダウンをした時期にやめた人はダウンしたものを基準にほんとうは恩給は格づけされなければならぬと思うのです。百円の俸給の人が九十円になったら、九十円をもとにして恩給というのはつくべきだ。その場合には、九十円にダウンしたものはやめて、ダウン以前の給与基準にして恩給をつけた、こういうことは退職者には非常に恩典なんです。つまり、現在もらっておる現職の公務員給与と比較すると、その時点では退職者のほうが率がよかったわけなんです。それほど退職者は優遇しておった。  ところが現在は逆に、現役の公務員が、いま数字の比率を申し上げたように、十年たって三倍以上になり、一方は一・七倍にしかならぬというような現状の中で、公務員として勤務した人が年とともに現役の公務員との間に大きな差が出てくる。これは非常に大きな問題だと私は思うのですが、公務員給与基準にして退職者年金を常に設定していくという形をとれば、これは問題が起こらない。戦前はそれができたんです。ところが戦後の著しいベースアップということが毎年繰り返されてきている関係で、そして退職者のほうは物価を基準にして、そして公務員給与というのが副次的に考えられてくるとか、あるいは、公務員給与部分の率を思い切って下げて、物価のほうを思い切って取り入れたりするような形をいろいろくふうする。六対四とかいろいろの比率で苦労しておられることはよくわかるのだが、そういうものが入ってくるから、つまり賃金スライド制というものと比較すると、十年たったら現役の人と比べたら六割程度以下に下がっております。  これはやめた当時は何とかなっているんです。年とともに、かつての公務員であった地位社会的にも確保できない。物価基準に切りかえられてしまったんでは、退職者というものは年とともにその生活を困難にしていって、おしまいには現に、生活保護法の適用を受けるほうがいいから、わずかな扶助料をもらうよりも生活保護法に切りかえをしてくださいと、古い公務員の奥さんが、未亡人としてもらう扶助料よりも高い生活保護に切りかえを頼むような人さえできておる。それはもう自分では生活能力がない。したがって生活保護に切りかえていけばいいわけなんですが、ただその時点で問題が起こる。生活保護と給与の議論は、この間、鬼木議員がやっておられたから繰り返しません。繰り返しませんが、現に三万円以上もらっておる生活保護の適用者と、公務員恩給として六千円か七千円かほど毎月もらっておる、そういう公務員遺族の奥さん、おばあちゃんと比較したときに、このおばあちゃんの御主人、社会的に、私企業に関与できず、ささいなそそうもなくして誠実に国家に忠実に勤務した人の奥さんが、生活保護の適用を受けたほうが待遇がいいということで、私は生活保護に変えてくださいというような訴えを起こすということが現実に起こっている。これはたいへん申しわけないことで、生存中その御主人を助けて、欲を出さぬで忠実に国家勤務することを内助した奥さんにしては、あまりにもあわれな末路である。  その意味で、生活保護の適用を受けるよりは、せめてその基準よりは何割か高い扶助料、最低線の保障というものが当然あってしかるべきであって、そういうものも考えてみると、どうもいま恩給局作業されておる受恩給者の待遇というものには、何か物価というようなものばかり頭に入れられた既成観念があって、十年後の悲惨な状況を予想しないでおられるんじゃないか。それからまた現職の公務員にしてみても、自分たちはやめるときには、恩給金額は大体仮定俸給の三分の一に勤務年数のプラス分が入って、まあ六割から七割、八割をやめてからもらえるが、十年たったら半分になるのだと思うと、現職としてもりつ然とすると思うのです、先輩の悲惨な姿を見たら。  私は、もうここまで国家は経済の成長を来たした、そうしていろいろな社会保障も進んできたこの時点で、十年たったら五割になり六割になるようなダウンした待遇では、かつて公務員であった面目を保つわけにいかなくなると思うのです。一年ごとに公務員だった面目を保つ度合いが下がっていいというわけにいかぬと思うのです。かつては総理府の局長であった平川先生が、十年後には、あなたと同じ時点でやめられた局長さんの恩給の六割しかもらっておらぬということになると、おれはあのときこうしておけばよかったのうという悔悟の情が切々と十年後には起こると思うのです。いかがでしょう。その点をひとつお答え願いたいのです。
  37. 平川幸藏

    平川政府委員 御趣旨は私よく個人的には理解できるわけでありますが、年金スライドの問題は、私はやはり理論の問題だと思うのです。先ほどからるる説明しておりますような理論というものを、実際の公務員給与に当てはめまして分析したわけであります。物価から出発しておるのじゃないかというような先生の御指摘がありましたが、決してそうではなくて、公務員給与そのものを分析したわけであります。  御承知のように国家公務員給与は、国家公務員法の六十四条によりまして、いわゆる民間給与との格差と生計費の変動というものを勘案いたしましてできております。これは内容的にわれわれは次のように分析したわけであります。それはまず、国家公務員給与を二つに分けまして、片方のほうにいわゆる形式的な改善分。これは仮の名前ですが、形式的な改善分、残りを実質的な改善分ということに分けたわけであります。その実質的な改善分は何かと言いますと、いわゆる経済成長に伴います民間賃金の反映というようなもございますし、職務給的なものもございます。その実質的な改善分の中から、職務給に該当する、先ほどから申しておりましたように、現に公務勤務しているわけではない部分、すなわち職務の責任義務に基づくもの、これにつきましては、四割程度をわれわれ割り出しました。それにつきましては、現に公務に従事しておるわけではございませんから、差し引く。したがって、実質改善分の六割、形式的な改善分、これは全部国家公務員給与の中から見ていこう、こういうことでございまして、やはり年金スライドの問題は一つの理論の問題でございますから、理論的な割り切った一つの基礎というものを持っていかないと、いわゆる不安定性といいますか、恩給審議会でも一番問題にしておりますのは、やはり安定したスライドと申しますと、これはちょっと語弊がありますけれども、調整というものがやはり年金受給者にとっては最大の問題である、こういうことを言っておりました。  それでは、安定した調整とは何かというと、やはり理論に基づくスライドだ、私はこのように考えます。現在、昭和四十四年以前までは、いわゆる政策的な判断によりまして増額改定を行なってきたわけでありますけれども、こういうことはやはり受給者に一番不安定感を与える。そこで恩給審議会の答申が出まして、スライドというものはこういうことでやるべきだと一つの柱ができたわけであります。やはりこういう柱に基づきました理論というものが年金受給者には最も大切ではないか、このように考えております。  その内容につきましていろいろ御批判のあることは十分承知しておりまして、われわれといたしましても、日夜研究なり検討なりは怠っているわけではございませんけれども、現在までわれわれが持っておる理論を変更するような、そういう理由はいまだ見つけ出し得ない、こういう状態になっておるわけでございます。
  38. 受田新吉

    受田委員 ここで法律の文句をそのままお尋ねしたいのですが、この恩給法二条ノ二に入れてある「国民生活水準」とは何ですか。退職者年金改定に「国民生活水準」分がどれだけ計算されておるか、お答え願いたいと思います。
  39. 平川幸藏

    平川政府委員 現在のスライド方式では入っておりません。
  40. 受田新吉

    受田委員 国民生活水準はどの程度になっておると判断されておるか。恩給局の調査した実態をお示し願いたいのです。
  41. 平川幸藏

    平川政府委員 実はこの国民生活水準というのはいろいろのとり方があると思います。いろいろ考えられまするのは、たとえば消費水準も一つの国民生活水準かと思います。それから、総理府統計局で出しております消費支出とか、あるいは経済企画庁発表の消費水準なんかも国民生活水準だと考えられますけれども、御承知のように、現在のスライドの調整のやり方の中には、先ほどから申し上げておりますとおり、国民生活水準を取り入れておりませんから、どのようなものをとるか。もしとるような場合になりましたならば具体的に研究いたしますけれども、われわれのほうとしましては、かつて、国家公務員給与に関する法律、それに基づく公務員給与の分析、こういうとを考えておりますので、具体的にはどういうものがどうであるかということについては、突っ込んだ議論はしておりません。
  42. 受田新吉

    受田委員 これは一応法律の上にぴしっとうたってあって、現行法では、一番目が「国民生活水準」、「国家公務員給与」が二番目です。三番目が「物価其ノ他ノ諸事情ニ著シキ」とこうなって、物価が一番ビリに書いてある。だから、国民生活水準というのは、GNPが世界で第三位までのし上がったようなこの現状などは、これはもう国民生活の非常に高い水準である。賃金がアメリカの賃金と比較して、またヨーロッパの先進国の賃金と比較して、大体アメリカの四分の一から三・五分の一まで接近してきた。かつて十分の一、九分の一というのがだんだん接近してきた。それからヨーロッパとの関係は五分の一から四分の一、三分の一、いまや二分の一以上にまで賃金比較は追いついてきよる。国民生活の水準はどんどん上がる趨勢ですよ。国民生活水準は、十年前には、アメリカとの賃金比較において六分の一程度であったものが、いまや四分の一から三分の一まで上がっておる。こういうような事実というものは、ぐんぐん国民生活水準が高まっている証左の一つだと私は思うのです。それから、あなたがいまおっしゃったような消費者の消費水準というものは、これは消費者物価で十分まかなうことができるわけです。消費者物価というものが、そういうものの消費水準を示すバロメーター。ところが、国民生活の水準というのは、高度の文化国家に、いまだれでも自動車を持つようになってきておる。どこにも冷蔵庫もあれば、カラーテレビまで備えつけるほどの余裕もある。セカンドハウスができるという、この国民生活水準の急速な進歩というものにおくれをとるなという意味だと私は思うのです。したがって、国民生活の水準というものを根本的に考えていったならば、賃金の上昇などというものを中心にものごとを検討していく必要があるという意味で、この「国民生活水準」というものはそういう意味の解釈でなければならぬと私は思うのですが、どうでしょうか。     〔委員長退席、塩谷委員長代理着席〕
  43. 平川幸藏

    平川政府委員 先ほど私、間接的に御説明申し上げましたように、国家公務員給与の中には、民間給与との比較、これはもう非常に大きなウエートを持っております。それから生計費の高騰。この二つが要素になっておりますから、国家公務員給与基準にして考えるということは、これはもう民間の賃金動態を反映さしておりますから、国家公務員給与は、民間の賃金水準、すなわち「国民生活水準」というのは当然反映されておるわけでございますから、直接的にはとっておりませんけれども、国家公務員給与基準にすることによって十分反映されておる、このようにわれわれは理論的に考えておるわけであります。
  44. 受田新吉

    受田委員 国民生活の水準は、いま申し上げたように、過去十年間、急速に欧米先進国に追いついて、そしてわれわれよりもいささか上位にあった程度の中間の諸国家を追い越しておる。そこまで来ておるわけですから、いまお話しになった民間給与、これを基準にしているのですから、民間給与というのを基準にして、ずんずん比較していけば、民間給与基準にして国家公務員給与がきまっておるのだから、したがって結果論から言うならば、国家公務員給与基準にして退職者年金をきめるというスライド制そのものは、これは一番筋が通ると私は思うのです。つまりこの国家公務員給与の中には、民間給与もあれば国民生活の水準も入っているし、それからその他の諸事情も入っておるのです。したがって、国家公務員給与の中には、いまここに書いてある「国民生活水準」、それから物価その他が入って民間給与がきまり、それを基準にして国家公務員給与がきまったということであれば、国家公務員給与こそあらゆる問題を最も集約した、比較するのに一番筋の通った基準だと思うのです。  したがって、もうあまりむずかしいことを考えぬと、そうした職務と責任の度合いを四割とか五割とか、公務員給与を五割とか六割とか、こういうようなことでするなり、国家公務員給与を今度は八割、九割にして物価の部分のほうを一割か二割にするとか、いろいろな手があって、その比率をだんだん近づける努力をされるかと思うたら、一向その努力をされておらぬ。つまり依然として四割と六割水準で物価と公務員給与とを検討されておるということでいくならば——私ははっきり申し上げるのですが、物価の水準も、国民生活の水準も、民間給与も、その他、人事院が適当と認める諸条件が全部取り入れられたのが公務員給与ですからね。いわゆる公務員として勤務こ、私企業にも関与できず、ぶざまなかっこうもできない、忠実に国家公務に従って六十前後でやめていく。民間会社に再就職するような者は別です。そういうような者は、今度別のほうで道が、あまり給与をとり過ぎれば高額所得者のほうで税金を取ればいいわけだ。そういうことのできないかっこうで老後を生活する人が、生活保護の適用を受けるのよりも哀れな姿というのが現実に起こってくるということになると、私たちは忍びない。だから、もうあまりむずかしく考えないで、恩給審議会の答申なども御参考程度にすればいいのであって、情勢は変わっている。恩給審議会の答申があった時代と四年もたってくると情勢が変わっておると思うのです。いまや公務員給与基準にした退職者年金を適宜スライドしてきめるというドイツの賃金スライド制を採用する時期が来ておると思うのです。  ただ、この機会に問題が起こるのは、他の公的年金との比較論をいままで御説明になっておられたようです。これは山中先生もちょいちょい他とのバランスの問題を言うておられたんですが、私は、公的年金制度調整連絡会議というのがどういうような結論を出しておるのかは最近わかりませんが、山中総務長官、あなたは在任二年有半にわたって非常に庶民に受けがいい。あなたがときに失敗をしかけても、われわれ野党でも協力するような、そういう比較的庶民に味方するいい国務大臣であるという定評があるのです。そういうあなたが在任中にこの基本路線をすかっと敷いていただきたい。恩給担当の国務大臣であり、いまのような交通の問題にしても、その他の諸問題にしても、あなたがみんな控えておられるわけだから。  交通違反一つやったにしても、公務員であればみんな首になる。私、山口県へこの間帰ってみたら、交通違反、めいていして、ちょっと失敗したという。それがもう即時首の措置を受けておるのです。かわいそうだなと思った。校長で、もう二年もしたらりっぱな退職ができるのが懲戒処分でやめさせられておる。かわいそうです。友人のこの四月の転任祝賀会に行って、めいていして、ちょっとけがをさせた。事件がなかったらよかったのですが、事実、人をけがをさせておる。そういう事件で校長は懲戒処分です。そういうようなことになって、公務員というもの、教職員というものはえらいな、これが民間会社だったら問題ないんだがなという感じがしきりにするのです。そのきびしい勤務をしてやめた人が、退職して十年たったら、最近やめた人の半分程度まで下がるという退職者の処遇、これは変えなければならぬ。  他の公的年金も漸次改善されつつあるようです。改善されつつあるが、総務長官恩給法及び共済組合法適用年金を受ける方々のスライド制をつくっておくことは、他の公的年金受給者を右へならえで引っぱっていくのには非常にいい基準ができると思うのです。その意味では、公的年金の比較論からいって、まず恩給及び共済年金受給者を、ぴしっと賃金スライドで基準をきめて、他の公的年金をぐっと引き上げる。ヨーロッパでも、もう御存じのように、スウェーデンといえば、ナポレオン戦争以来百五十五年、戦争のないノーベル賞の平和国家、民社党政権四十五年、これは私は大いに誇り得る。われわれの政権が長く続いている。うそも隠しもない民社党政権。こういうスウェーデンは物価その他が日本と大体同じようなところであって、現に老齢福祉年金が三十五万円、大体月三万円に近い年金をお年寄りはもらっておる。税の負担等が別個かかりますけれども、それはみんな耐え抜いてお年寄りを大事にしておる。日本は今度は二千三百円が三千三百円、月に千円ほど上がって、年間を通じて三万九千六百円です。ヨーロッパの十分の一です。こういう国民年金の水準も、文明国家としてはヨーロッパの十分の一にしか達しておらない。こういうところをぐっと引き上げるためにも、この際、現職の公務員給与をスライドの基準にした退職者年金制度というものをすかっと打ち立てておく。そうすると、他の制度がみんな右へならえでよくなる。むしろこういう待遇をよくして老後を保障してあげるという愛情のある政治をすることが、山中総務長官としてはほんとうに快心の傑作を生むことになるので、御在任中にぜひこの公務員給与を水準として退職者年金をきめる方向へ全力を投入する名言をお吐きいただきたいと私は思うのです。
  45. 山中貞則

    ○山中国務大臣 名言もいろいろありますが、いまの公務員給与基準としろというような附帯決議がありますから、これは国会の意思でありますから、私も検討をさせました。   〔塩谷委員長代理退席、委員長着席〕 しかし一方、やはり物価というものも指数として捨てるわけにいかない。これは生活実態の問題になりますから、そうなりますと、いまの計算方式を逆に公務員給与を頭に置いて計算してみたのですが、結果出てきた数字は、やはり数字の魔術で、置きかえただけで同じことになりましたので、したがって、特別にそういう措置が変化を見ていないわけですが、現行制度の問題点は、そういうふうな、先ほど来お話のあります勤務給的なものとして差し引かれている問題。したがって、国家公務員の現職給付されているものそのものをとって、それにスライドをしろという、金額と制度の問題と二通りあると思います。その金額も、さらに実際の公務員給与支給された実額というものと物価をとりますから、予算要求時点において明らかである前年度の実績をとって予算要求をいたすことにより、支給は相当おくれて、その給与実態とおくれた給付が行なわれていく、この問題点があると思います。  さらに、他の公的年金はあとのことである、恩給だけが先行すれば、それについてくるという話はごもっともだと思いますが、やはり一応、掛け金という自己負担も伴いながら給付を受けているものについて、それは別であるという考えをとるにはなかなかむずかしゅうございます。しかし現実には、前段に申しましたような計算方式の内容の問題は別として、ここ両三年、ことに昭和四十七年度予算編成にあたっては、ベースアップ部分は一次査定ですっぽりそのまま出る。何ら総理府と大蔵省との間に予算の議論をしないで済んだというほど、私はこれをいわゆるルール化と呼んでおりますが、そういうものは確立をいたしました。  そこで一説には、恩給はすでにスライド制が確立をしておる、他の各種年金についてもこれをスライドせよという意見があることを聞いております。一方、私のほうは総理府として別途公的年金に関する制度の調査会を持っておりますが、ここではいま、国のそういう公務員のグループ、民間のグループ、そして私学あるいは農林漁業団体の年金のグループ、さらに付随するものとして労災が、若干範囲としては異なるようでありますが、やはり周辺の問題として議論をしなければなりませんから、この四つのグループに分けてそれぞれ問題点をいま詰めておるわけであります。しかしながら、やはり将来は、いまおっしゃったようなスライド制の方向に行き得るかどうか、すなわち、スライド制ができるかどうかの議論をしておるわけでありますから、その方向での検討をしていることは間違いない事実でありますけれども、さて恩給だけを国家公務員の現職現給そのもの、かつてその人の存在した地位そのものに当てはめてずばり同額ということについてはやはり問題があろう。しかし、それならば、現在のベースだけを基礎にして、改定のアップ率そのものは国家公務員給与そのものをとってアップしていけ。これはいわゆるアップ率であろうと思いますが、私、附帯決議趣旨等はそこにあっただろうと思いますから、検討はいたしてまいりたいと存じます。  ことに私は、ずっと恩給局長とのやりとりを聞いておりまして、過去の淵源を一つ一つ考えて、今後のあるべき姿を模索していくという質疑はいままであまりありませんでしたので、ある意味においてはきわめて興味深く聞いておったわけでありますが、これらの過去を踏まえながら、今後、恩給というものがどのようにあるべきかという問題については、現実には、お話にもありましたように、かつて同じ年限、そして同じ校長で退職した教職員の方、これがかつて自分の教え子であった者がやはり同じような年限で同じ校長になってやめていって、そしてもらう恩給、最近は年金でありますが、それと比べて先にやめた校長先生の嘆きというものは、これは、教育者として幾らさもしい議論はしないといっても、現実に差がありますから、それらの人たちの陳情というものに対しては私も抗弁する力がないほど、非常に悲痛な、切実な叫びをあげておられます。  それらの問題は、恩給受給者が年々飛躍的にふえていくというものでありますなら別でありますが、それらのことを考えますときに、ただ生活保護を受ける人もおるというような金額の問題と最低保障額の問題とがありましょうけれども、そういう問題等の露出した部門だけでなくて、いまおっしゃった長い御議論の間を通じて私が感じました点は、いままでの検討の方法というものはやはり踏まえていかなければならぬ。しかし、私がここでいま、完全に恩給だけを国家公務員にずばりそのものをスライドさしていきますという御答弁を申し上げるには、やはり政府全体、ことに財源の担当省等々の問題もこれあり、したがって、それをやるならば、他の公的年金の問題も当然付随することもありますので、ずばり端的に御答弁できませんが、おっしゃることについては一々ごもっともでございます。したがって、それらは今後とも検討を続けてまいるつもりでありますという一応の答弁にとどめておきたいと思います。
  46. 受田新吉

    受田委員 平川局長さん、あなたも公務員として非常に試実な方ですよ。交通安全対策室長をなさって、国会の委員会でも御一緒でしたし、こうして恩給局で精魂を打ち込んでおられることは非常にありがたく思います。事務当局として立案される場合の非常な御苦労があろうと思うのですが、率直にお聞きするのですけれども、現職公務員退職者恩給年金とをスライド制によって比較して処遇するというようになったときに予算がどれだけよけいかかるか、一応調査されたことはないかと思うのです。つまり現職の公務員給与基準にして退職者恩給年金をスライド的に運用して処遇をするという場合には、現在の恩給額はこれだけであって、それにプラス幾ら、こういう数字が一応はじかれておるのじゃないかと思うのです。私のほうではその数字をはじく能力がないものですから……。  つまり、去年の時点で七万四千円の公務員給与水準の場合でもいいし、その前でもいい。過去の数字を基礎にしてスライド制をしくとどれだけ予算が要るかということを一応検討されたことはないでしょうか。
  47. 平川幸藏

    平川政府委員 この点につきましては、実はわれわれといたしましては、いま総務長官が言われましたように、現在の様式がルール化されておりますので、財源等につきましては検討したことはございませんが、大ざっぱに申し上げますと、御承知のように、この四年間の平均をとってみますと、国家公務員給与は、ことしはわれわれがとっている指標は一二%でございますが、それを各年を平均しますと、平均した公務員給与に対しまして恩給のアップ率は、大体八割七分くらいになるかと思います。大ざっぱに言いまして九割とっているということでございます。そうしますと、毎年アップ分の一割ずつを積み残しておる、こういうことに考えていただいて間違いないと思います。そうしますと、複利計算はあるかもわかりませんが、十年たって一回分分のベースアップ分、つまり毎年一〇%ずっと一応仮定いたしますと、九%ずつアップいたしておりますから、一%ずつ残しておる。十年たちますと一〇%になりますから、もし先生のようなお考えであれば、十年目に一回分を補てんする、こういう概括的な答弁で御了承願いたいと思います。
  48. 受田新吉

    受田委員 つまり退職者のほうは一割ずつ積み残しが出る。それが十年たつと十割積み残しになる。一回分積み残しになる。それでその分を十年たって補いをつける。補いが現についてないわけですね。格差是正という問題がそこで出てくるわけです。つまり、いま申し上げたような、十年たつと、かつての退職者が現職におったとしたらここにおるという号俸のところと比較すると、五割から六割になってきておるわけですね、現実に。それが一割の積み残しの累積ということになるとするならば、一回分のベースアップで片づくことになるはずですが、それにしては数字の上で積み残しが多過ぎるのじゃないかと思うのですが、どうですか。
  49. 平川幸藏

    平川政府委員 確かに先生御指摘のとおりでございまして、現在の格差がその一割積み残し分だけで済むかどうか、これは私は全然問題が別だと思います。そうじゃなくて、現在の恩給額が現在退職する人と昔退職した人とで格差がある。この格差の問題は実は別の問題なんです。これは私のほうで若干統計をとりましたところ、たとえば昭和二十三年以前の人と、それ以後の二年区切りぐらいで恩給金額の平均額を出してみたわけです。そうすると確かに、あとに来れば来るほど恩給の額は高くなっておる。ところがよく内容を調べてみますと、在職年がやはり大体二年ずつ延びておるわけです。昔は二十年ぐらいの勤務年数だったものが、昭和三十五年ぐらいになりますと二十六、七年になっておる。したがいまして、在職年というものがやはり相当に影響しているのではないかということが第一点。  第二点の問題は給与制度改正であります。たとえば、ある局のある課の筆頭補佐が、昔は三等級で格づけされておった。ところが最近は格づけ是正によってたいてい二等級に昇格されておる。同じ在職年で同じポストでやめましても、二等級と三等級ではうんと違う。したがいまして、前にやめた人から見ると、同じポストで同じ在職年でやめたにもかかわらず、しかも同じ恩給のベースに乗っておるものですから、一割分の積み残し以上に違う分はいま申し上げましたように給与制度。これは賃金ドリフトと言いますけれども、そういう給与制度改正に伴うものと、もう一つ在職年がやはり延びておるということ、この二つの点が大きな要素になっておる、このように私は考えます。
  50. 受田新吉

    受田委員 それを是正するための格差是正が要ると私は思うのです。つまり私がお尋ねしておるのは、今度一方で現役の公務員給与にスライドして退職者年金額をきめる制度をつくれ、これが一つ。もう一つは、過去にやめた人の格差を是正せよ。つまりこの格差是正の中に私は二つの要望があるわけです。この格差是正の中に、いま局長さんのおっしゃった問題が入っているわけなんです。かつて本省の課長である人がやめた時点といまとでは、同じ現行制度のもとにおいても、三等級どまりだというのが二等級まで行ける、課長補佐にしても。そういう特別昇格制度などが認められて二等級になってくるというような場合に、その制度の変遷があるじゃないか。それからもっと著しいのは、昭和二十三年以前は、またさらに戦前においては、いまでこそ教職員の俸給表は、学校長なると十六万、十七万円と、大体本省の課長クラスの給与、県庁の部長クラスの給与をもらっているけれども、昔は判任官待遇。警察官も判任官待遇であったようですが、判任官での待遇であったわけですね。そしてまれに奏任官待遇という校長が小学校にあったのです。そういうことを考えると、戦前は教育者や警察官は著しく低水準に置かれておった。教育者や警察官を日本国家としてもっと優遇しなければならぬ。この初等学校の教師や警察官を冷遇したという歴史の禍根がいま日本に残っておる。そういう意味からも、現在の時点における過去の退職者の格差、つまり古い制度の冷遇からくる低額の年金額を、現在のポストと比較しながらできるだけこれに近づける努力をやらなければいかぬ。  したがって、二十三年六月以前の退職に例をとっても、途中で何回か特別調整をやって、その格差是正をやるための配慮が数回行なわれておるが、現在見ると、なお、私自身が調査したところによっても、大体、戦前の大校長といわれて、府県で第一級の校長であったような者が、三十万円から三十五、六万円どまりです。そういうような低い水準におる。現在に比べて大体二・五分の一から三分の一というような比較にしかなっておらぬというような実情です。これはもう余命幾ばくもない方にはなはだ気の毒だ。いま国会議員のお互いの恩師などに、そういう地位の人がおるのですよ。まじめな人です。それは社会的には信用がある。悪いことはしませんよ。当時は退職金もなかった。そういうところで恩給一本で生き抜こうとした人が、八十以上のような方の中に、格差是正を当然しなければいかぬのがたくさん残っておるのですよ。  これは制度的に比較検討されるのはお骨折りだろうと思います。私は大蔵省にかつてその質問をしたら、大蔵省の方が、やめた当時の給与基準にする、やめた当時の地位に応じた待遇をするのが恩給なんだから、やめたときに判任官待遇ならそれは当然判任官待遇で、いまで言うたら役所の雇用員ぐらいの地位しかなかったのだから、そういうところでがまんしてもらわなければならぬ、これは制度として退職年金というのは引き離すわけにいかぬのだという答弁がありましたが、恩給局長はそこまでは言っておられないようで、現行制度の中で制度の変更があった場合に、三等が二等程度の差ぐらいのところまでは認めておられるわけですから、非常に大蔵省見解とは進歩した格差是正の意欲がうつぼつとわいておられることをいま御発言の中で承ったわけですが、格差是正を全部同じ水準にはできないが、制度的ななにもある、それからいまおっしゃった内容が違っておるお話、制度給与内容との問題を、私、承りました。承りましたが、その中で格差是正は、やはり現在の職種とかつての職種をできるだけ比較して、現在の職種に近づける努力をする必要があると思うのですが、これはいかがでしょうか。かつての制度はそれだったからしかたがない、というあきらめをしてはならない。つまり、現に生きておられるのだから、昔の制度で本省の課長であった人も、現在の制度で本省の課長である人も、社会的には、かつての恩給局長だというのも、現在の平川局長というのも、局長としては同じように見てあげなければならないと私は思うのです。前官に対して前官礼遇の恩給を上げる。理路整然たる質問だと思うのですが……。
  51. 平川幸藏

    平川政府委員 これは恩給給与の接点というようなことになるかと思います。私は、これは主張するわけではございませんが、理論的には、いま先生が言われたように、たとえば教職員の例をとりますと、確かに昔の恩給制度では、むしろ教職員の方は優遇しておったということが言えます。たとえば勤続加給という制度がございますね。これは十七年以上勤務しますと、一年について百五十分の一だけよけいに加給していく。むしろ恩給のほうで優遇し給与は悪かったということは、私、率直に認めます。ところが、戦後、給与体系がうんと変わりまして、特に教職員の方の給与制度が非常によくなった。したがって、その時点でやめられた方と、昔、悪かった給与でやめられた方は相当差があるということは、これはむしろ当然かと思います。先ほど大蔵省の答弁があったと言われましたが、その給与の差を恩給でカバーする、あるいは年金でカバーするのはおかしいということは、理論的には確かにそうかもしれません。それに対して反駁はできないかもしれませんが、しかし、それだけの原因なのかどうか検討する、そういう余地はあるかもしれないというように実はわれわれは考えておるわけです。私は事務当局でございますので、これ以上の答弁はできませんが、この前の鬼木先生の応答の中でも、うちの大臣が、年次別格差については資料でもってできるだけ検討し研究をしたい、こういうことも言っておられますので、われわれといたしましては、単に観念的な理論でもってすべてを押し通すということではございません。要するに、日夜検討し研究するのはわれわれ事務当局の任務でございますから、そういう意味において真剣に検討なり研究はしていきたいと思いますが、はたしてどうなりますか、その点につきましてはいまから予測することはできないと思いますが、そういうつもりでやっていきたい、このように考えております。
  52. 受田新吉

    受田委員 年とともに年金額が現職に比較して低下していく人々の格差というものをどこで食いとめるか。十年目にこれを整理すればいいじゃないかというお話がありましたが、そういうことを言うておると人が死んでしまうのです。待望の処遇改善の日を待たずしてこの世を去っていかれる方々のことを思うと、私は忍びがたいものを感じる。したがって私としては、一割ずつあるというこの積み残し分を、いままでだって、それをせめて五分にするとか三分にするとか、わずかな積み残しにして、物価の問題があるから多少は考えようという、ほんのわずかなものを考慮に入れるというような途中の経過措置、その経過措置を得て初めて公務員給与基準にしたスライドを積むという段階を私は招きたかったのです。ところが、現実のその一割の積み残しは依然として残っている。  大臣、いま席をはずした間における質疑応答の内容は、いま恩給局長から御報告されたとおりです。そういうわけですから、大臣、御理解願ったと思いますので、質問を続行します。  ちょっと厚生省に関連質問さしてもらいますが、中村局長さん、この恩給法と表裏一体の戦傷病者戦没者遺族援護法という法律があります。昭和二十七年四月三十日にスタートしている。私も当時この戦傷病者戦没者遺族援護法を担当して、当時の吉武恵市厚生大臣と大いに論議さしてもらって、この法律適用をできるだけ拡大することを要求申し上げておったのだが、この援護法も漸次途中からその対象になるものが取り入れられて、恩給法で救えない人を援護法で大量に救ってもらっております。ただこれは、恩給法に入れたらいいか、援護法に入れたらいいかという比較論の問題も起こって、私としては、恩給法で救ってあげるほうがいい、援護法で救うよりも。たとえば公務扶助料にしても、援護法は途中で一ぺんほど同じ額に直したことがあるが、その後わずかだけれども差をつけてきた、そういうようなことと。それから、これをもらう立場の方が、援護でなくて国家補償の強烈な線といえば恩給法のほうがいい。援護法にも「国家補償の精神に基き」と書いてあるが、精神ではいけないのだ。国家補償に基づきでなければいけないという意味から、恩給法のほうへ持っていきたいという熱意があったわけです。だから、この戦傷病者戦没者遺族援護法の第一条にうたってある「国家補償の精神に基き」という意味で、その精神をもとにしてやられたのであっても、なおそれであきたらないで、恩給法適用にしてくれという対象者の訴えが続いてきたわけです。  けれども、この援護法は非常に進歩してまいりまして、われわれが毎年要望をしてきた処遇漏れの皆さんに対して累次これを取り入れて、ことしはこの法律改正案を拝見しますと大幅に処遇が改善されておる。特に懸案の準軍属で動員学徒の英霊となられた皆さんたちを、その遺族給与金において十割支給、障害一時金も同様、こういう前進を見て一応十割までいったということで、私自身も、動員学徒の問題を二十年間担当してやってきただけに感無量な点が一つあるわけです。だがしかし、恩給法上の公務扶助料と遺族年金とが完全に一本になるということと、多少でも差があるということについての厚生省の見解を伺いたい。一時的に同額にしたときがある。それからまた、わずかながら離れたことがある。わずかということで、これは一本にしてはどうかという要望を繰り返してきた私としては、今度の改正に対する局長さんの御見解をただしたいと思います。
  53. 中村一成

    ○中村(一)政府委員 兵の公務扶助料を援護法遺族年金と全く同一にすることは、私どもも希望いたしておるところでございます。今国会の本内閣委員会におきましても、先生からしばしばその点につきまして御指摘を受けたことも承知いたしております。それで、本年度の援護法法律案をごらんのとおり、確かに百円未満の差はございますけれども、百円未満の端数は整理しましたということでございますので、ほぼ公務扶助料と同じであるというふうに私どもは考えております。もちろん厳密にいきまして、そこに一円でも差があれば、それは差があるということではございますけれども、そういうことで、私どもといたしましては、格差の是正につとめてきておるものと考えておる次第であります。
  54. 受田新吉

    受田委員 この援護法に基づく年金という手もも、公務扶助料の年金額と性格的には、国家に生命をささげた方の遺族に対する給付金でございますから、これは完全同額が原則ですね。これは完全に同額であるべきです。厚生省の過去のいろいろの御方針として、非常に愛情を持った措置をしてくださって、ワクをだんだん広げて、問題になった分は大体取り入れてきていただいていると思うのですけれども、公務扶助料を二十四万円に引き上げられた機会に遺族年金の率もそれに持っていける。  ただ、ここで問題は、公務扶助料であったら階級別に処遇がされたわけだが、遺族年金のほうは、たとえどのような高い階級の者といえども全部一律に同額であるというところに一つある。したがって、同額である分を階級別に処遇していこうとするならば、恩給法適用へ切りかえなければならぬというわけになると思うのです。百円未満というところまで圧縮されたわけでございますから、その御努力のあとは、この法案を拝見して、私が口を尽くして申し上げておったことが非常に大きく取り上げられておることについては敬意を払うわけですけれども、現実にもう一つ、遺族年金の中に、恩給法適用を受けたらその階級による処遇改善が可能であるというような数は——これはちょっと、予告してない突然のことでございまするから、御用意されておらぬかもしれませんが、遺族年金から公務扶助料へ切りかえたらいいというのは、私は現実に何人か出ておるのじゃないかと思う。戦争終結後における軍法会議で処分を受けた先般の事件、その人々に対する処遇というものがこれに入ってくると思うのです。つまり、敵前逃亡罪というようなものに問われて、一般であれば恩給法適用を受ける立場の人が援護法適用のほうに入ってきておる。敵前逃亡ならそれに入ると思うのですが、この間の事件の扱い方の中に、公務扶助料の適用を受ける立場になっていける人が何人ぐらいあるのか。つまり、四十四年でしたかの法律改正で、故意または重大な過失によるということが証明できないものは、これは善意のものと認めるという意味改正があったように思うのだが、そういうもので解釈するならば、敵前逃亡、故意または重大な過失ではない、故意または重大な過失であるという証拠がないものは、みな対象者にしようという善意の解釈を、四十四年でしたか……。
  55. 中村一成

    ○中村(一)政府委員 四十五年と四十六年でございます。
  56. 受田新吉

    受田委員 四十四年の質問のときにそういう方向に行くというお話があったことがありますから、ちょっとそれを御答弁願いたいのです。
  57. 中村一成

    ○中村(一)政府委員 遺族年金をもらっておられます方は現在十三万四千五百八十六名おられますが、この中で、軍人と軍属と分けまして、軍人であった方が五万二千七十五名です。したがいまして、この五万二千七十五名をさらに調べていきますと、士官あるいは准士官、下士官に関する数字が出てくるわけであります。ちょっと手元に数字がございませんので……。
  58. 受田新吉

    受田委員 わかります。そこらはまた、いま突然だったから……。  この五万二千の中に、私は、恩給法へ切りかえてあげたら処遇がぐっと改善される方が相当出てくると思うのです。だから、恩給法適用援護法適用かで、恩給法ではどうも従来の解釈ではむずかしいから、援護法に回したというのが相当大量にあると思うのです。再審査によって救われる方がありはしないかと思うのですけれども、いまの軍法会議にかかった先般の南の島々におけるあの問題の処理は、どういうふうにされることになっているか、御答弁願いたい。
  59. 中村一成

    ○中村(一)政府委員 先生御指摘のとおり、敵前逃亡等の原因によりまして処刑されて死亡いたしました者、あるいはまた、自殺等でみずから生命を断ったというような軍人軍属の方々につきまして、昭和四十五年と四十六年の二回の改正によりまして、この方々につきまして、一定の条件はございますけれども、条件をつけまして遺族の方に遺族年金を差し上げるという改正がされております。この方々につきまして恩給法公務扶助料に転換できるかどうかということでございますけれども、一般的に言いますと、大体、処刑された方々の場合におきましては、いわゆる禁錮以上の刑に処せられた、こういうような方が大部分であるわけでございます。その他自殺等の場合におきましては、これは恩給法上のいわゆる公務として見るということは困難なケースが多かろうと思われますので、現在遺族年金で差し上げている方々につきまして再審査いたしました場合に、公務扶助料に移管できるものはあるいは非常に少ないのではなかろうかと思います。  ただ、もっとこまかいお話を申し上げますと、先般の衆議院の予算委員会等で御議論になりましたブーゲンビルにおきますところの敵前逃亡によって、六十五名の方が敵前逃亡の罪に問われたけれども、実はそれは、十七軍のブーゲンビル軍司令官が大赦令が出たことを知らなかったために、そういう処置をした裁判が行なわれたということにつきまして御議論がございましたが、その六十五名の方々の場合におきましては、そもそもそういう軍事裁判がなかったものだということに解釈をいたしまして、援護法あるいは恩給法適用しておりますので、これは、なくなられた方につきましては公務扶助料に移管できる、こういうふうに考えておるわけであります。
  60. 受田新吉

    受田委員 法律適用はできるだけ愛情に富んだかっこうでなされなければならぬし、いまの六十五名の逃亡者の中で、軍事裁判にかけられた皆さんの中で、敵前逃亡ということが確たる証拠がないというような者で、善意に解釈した人は公務扶助料へ転換できる。わかりました。  そこで、私はこの恩給法援護法の制定の根拠というものでしみじみ感ずるのですが、援護法恩給法が復活していない時点において、恩給法にかわるものとしてこれができたのですからね。だから二十七年四月一日当時はこれが恩給法の代役をつとめたわけです。これが約一年半ほど続いて、二十八年八月から恩給法が本格的に復活したわけなんですから、その意味では、援護法から恩給法へ当然あとからでも追っかけて入れていいのがある。何かの確証が得られるならば、漸次いまでも適当に入れていいと思うのですけれども、時効期限というのが一つありますよね。つまり恩給法は七年間請求しないと時効にかかる。これは、そういうふうな公務扶助料に切りかえるときには、時効問題はどうなるわけですか。
  61. 平川幸藏

    平川政府委員 ただいま先生が冒頭に言われましたとおり、この趣旨恩給法に来れないものを援護法で救うということでございます。たとえば恩給法で時効になった公務扶助料がございますが、こういうものを援護法で救うということでございますから、そういうために援護法が設けられている。あるいは、いま申し上げましたように、犯罪で一定の条件に合致したものは恩給を給せられない。しかし援護法では、御承知のようにそういう欠格条件がございません。ございませんということは、そういうことで給するために設けた法律でございますから、守備範囲がわりあい明確に相互に分かれて、お互い助け合っておる、このように考えております。
  62. 受田新吉

    受田委員 私、お尋ねしたのは時効ですよ。つまり、いまのブーゲンビルのような問題などは、当然恩給法上の公務扶助料も時効にかかっている。それをどういうふうに切りかえるかということです。それから横井さんの場合のような、一応戦死として公務扶助料が支給されている。曹長の位で一階級進級したわけでしょう。この人は公務扶助料の支給対象になっておったのじゃないですか。恩給法の対象者になっておったのじゃないですか。
  63. 中村一成

    ○中村(一)政府委員 後半のことにつきましてまずお答えいたします。  横井庄一さんのケースでございますが、横井さんの場合は、彼が東京の羽田へ帰ってまいりましたことしの二月二日でもって、復員、召集解除ということになります。したがいまして、彼が応召いたしましてから今日まで、陸軍軍人としての身分をずっと保有いたしておりますために、彼の場合は、こちらに二月二日に復員いたしましてから、郷里でございますところの愛知県から厚生省を経由して恩給局のほうに、これは扶助料でございませんで、いわゆる軍人恩給、普通恩給の裁定の請求をいたしました。したがいまして、これは在職期間が十分ございますので、裁定を行ないました。その復員しました翌月、ことしの三月から普通恩給受給いたしております。したがいまして、これは時効も何もないわけでございます。つまり、ことしの二月二日から時効の計算が始まるわけでございます。七年間の余裕があるわけでございます。
  64. 受田新吉

    受田委員 いま私が言うのは比較論を申し上げたので、横井さんの場合の時効の問題をお尋ねしたわけじゃないのです。つまり横井さんの場合は、おかあさんが生きておられる間は、公務扶助料をもらっておられたんじゃないかと思うのです。つまり遺族年金でない公務扶助料をもらっていた。それでおかあさんがなくなったから、公務扶助料をもらう人がいなくなった。ただ何か祭祀関係の年金は弟さんに渡っておるかどうかです。いつまで公務扶助料が支給されて、そしてきょうだいまで及ぶ祭祀相当額、これは養子の場合はどうなっているか。横井さんは公務扶助料を一ぺんもらった。おかあさんがなくなって消えた。しかし、今度はきょうだいまで及ぶお祭りの手当をもらったかどうかわからぬが、それでもう公務扶助料の支給対象者はおらぬようになった。その後は空白があって、復員した。これは横井さんの場合ですけれども、その前に復員した人が二人ありましたね。皆川さんや伊藤さんは、親に一応扶助料が行っておったのじゃないですか。つまり扶助料が行っておったのを、今度は復員と切りかえる根拠はどこにあるのか。
  65. 中村一成

    ○中村(一)政府委員 横井さんの場合も、昭和二十七年から二十八年三月までは遺族年金を母親が受給いたしております。昭和二十八年四月から母親がなくなりました三十三年まで、恩給法公務扶助料を母がいだだいております。それから援護法に基づきますところの弔慰金を母親がもらっております。母親が三十三年に死にまして、したがいまして、養子がおりますけれども、この養子につきましては、その資格がございませんので、もらっておりません。  それで、この前提としては、横井庄一さんが昭和十九年にグアム島において戦死をしたという戸籍法の手続によりまして、そういう公務扶助料をもらう、あるいは遺族年金をもらうという資格が発生した。ところが、ことしの一月の末に、それが間違いであったということがわかったわけです。そこで、厚生省といたしましては、地元の愛知県知事に連絡をいたしまして、その戸籍の死亡の手続を取り消したわけでございます。したがいまして、私どものほうで言えば、母親がもらった遺族年金あるいは弔慰金というものは、本来であればもらう権利のないのにもらったことになるわけでございますけれども、また援護法では、それは返還をすべきであるわけでございますが、一方また援護法では返還免除の規定もございますので、母親がもらったところの遺族年金につきまして、弔慰金を返せということはやらない、免除する、こういう措置をいたしております。
  66. 受田新吉

    受田委員 それから、未帰還者が復員で帰ってきたわけですが、十九年から四十七年までの間、二十八年間のいまのような遺族年金支給、それから公務扶助料に切りかえて支給。そういうものをされた以外に、最初は未復員者給与法、引き続き未帰還者給与法の恩典によって、留守家族に対する年金額というものが支給されなければならなかった期間がある。現実には二十八年間ある。二十八年間のうちで、いまの公務扶助料と遺族年金支給した金額を差し引いた残りの未帰還者に対する手当を全部支給したのかどうか、それをお答え願いたい。
  67. 中村一成

    ○中村(一)政府委員 支給いたしております。
  68. 受田新吉

    受田委員 合計幾ら支給したのですか。
  69. 中村一成

    ○中村(一)政府委員 合計といたしましては給与額が、ただいまの場合におきまして、伍長と軍曹であり、途中で軍曹に昇進いたしておりますが、私、いまここへ資料を持ってきておりませんので、金額は判然といたしませんが、本人の未支給給与、それから母親に対しますところの帰還手当等を見ますと、未支給給与金が三万九千円程度。それから帰還手当が、これは法律に基づくものではありませんが、一万円、こういうふうになっております。
  70. 受田新吉

    受田委員 ところが、おかあさんがなくなられておるけれども、未帰還者であることは間違いない。現実に未帰還者だったんです。したがって、おかあさんがなくなられているならば、留守家族手当というものは、留守家族がおらぬから支給をしない計算にしたのか。そういう点、はっきりしなければいかぬのです。こういうものは法律適用をきちょうめんにしなければいかぬのです。つまり、留守家族援護法、未帰還者の援護法の中に規定する留守家族手当が、本人がいなくなった、つまりおかあさんが死んだ後の手当は、未復員者であるがゆえに、本人が戻ったら支給しなければいかぬでしょう。
  71. 中村一成

    ○中村(一)政府委員 先ほど答弁間違っておった点がございますが、未帰還者給与法に基づくところの給与と申しますのは、本人昭和十九年に死亡したことになっておりますので、したがいまして、未帰還者じゃない、死亡者、戦没者でございますから、したがって未帰還者給与のほうは母親には行っておりません。したがいまして、未支給金につきましては、例の未帰還者に関する給与支給法の最終期まで計算いたしますと、これは途中で打ち切られまして、あとは御承知のとおり留守家族のほうに出すことになりましたから、したがいまして、法律本人支給を受けます期間まで計算いたしますと、先ほど申しました三万九千円余りが本人に対する未支給金として支給される、こういうふうになるわけでございます。
  72. 受田新吉

    受田委員 この法律適用は厳重にやっていただかないとならぬ。その根拠法がある場合には、その根拠法に従ってやらなければいかぬ。とにかく十九年に一応戦死者の扱いを受けたから、そのほうは遺族としての処遇で、恩給法上及び援護法上の遺族でやむを得ません。しかし、現実本人は生きておったのです。生きておった場合は、未帰還者でなければいかぬと思うのです。未帰還者となるならば、十九年から今日まで生存をして、未帰還であった立場の未帰還者給与法、未復員者給与法その他の未帰還者特別援護法、それの適用を受けて留守家族手当というものが支給されなければならない。その留守家族手当は、従来支給した公務扶助料や遺族年金、そのうちの内払いを差し引いて支給しなければならぬのだが、本人が戻ってこられなかったその二十八年間のうちで、おかあさんが死んであとは、公務扶助料の適用という形でもない、未帰還者でもない、留守家族手当——留守家族はおらぬので、期間が十四年あるわけですね。しかし、本人が帰ってきた以上は、海外におった未帰還以前の本人待遇はどうするのか。三十三年から四十七年までの未帰還者である本人の処遇はどうするわけですか。
  73. 中村一成

    ○中村(一)政府委員 冒頭申し上げましたとおり、その期間は彼は陸軍軍人として在職したということでございますので、この期間は、恩給法上、長い年月が計算の基礎となって彼の現在の普通恩給の裁定となった、こういうことでございます。
  74. 受田新吉

    受田委員 恩給という問題でなくして、本人が現に未帰還者なんだから、現実に生きておるわけですからね。いまでも中共やソ連にいる人が戻った場合、中共で軍人になった人が戻ったような場合に、現実に普通恩給以上の苦労をしておる場合に、普通恩給で片づける問題でないと私は思うのです。現実に生きて帰った場合、つまり普通恩給でなくて正規の給料を支給すべきだと思うのです。
  75. 中村一成

    ○中村(一)政府委員 現在は、先生承知のとおり、未復員の軍人に対しますところのそういう給料の支払いに対する根拠法令がないわけでございます。ただ、先ほど先生御指摘になりました留守家族手当という形において、現在は支給を受ける者が幾らかいらっしゃいます。それで横井さんの場合におきましては、昭和二十七年に遺族年金、二十八年から公務扶助料というものが遺族の方に行っておりますので、したがいまして、留守手当というものは併給にならない。死んでおるわけでございますから、したがって支給にならない、こういうことになるわけでございます。
  76. 受田新吉

    受田委員 未帰還者留守家族等援護法の中に、現実に帰ってきた場合、それから留守家族がいない場合、そういう場合はひとつ——普通恩給で兵の場合には九万円くらいですかな。
  77. 中村一成

    ○中村(一)政府委員 十三万何ぼです。軍曹でございますから、横井さんの場合は。
  78. 受田新吉

    受田委員 階級が軍曹だから十三万。一月に一万円。一方円というようなもので、本人が海外に引き続き勤務しているというのは、もう忍び得ないものがあると私は思うのです。まだこれから、ソ連からも中共からも帰ってくるかもしれない。そういう人々は、兵の場合は月一万円足らずで留守家族、また本人の場合についても、月一万円足らずの月給で何十年も海外で苦労したのは忍び得ないものがあるのですけれども、この規定の中に、今度のような事例を契機にして、こうした場合に、生き残って今日まで苦労した者に対する特例を、この時点で生存して戻ってきた場合、普通恩給というかっこうでなくして、本人の給料に相当する、軍曹の現職の給料に相当するようなものを支給するという必要はないかどうかです。どうも私、普通恩給で月一万円で本人を計算して処遇していくというのは、あまりにもかわいそうですね。
  79. 中村一成

    ○中村(一)政府委員 確かに、横井さんの今度のケースについて考えますと、援護法あるいはその他の援護関係の法令におきまして全く予想しないような事態でございますので、あるいは、今度の横井さんの場合、ぴったりするといった処置が法令上不十分であるという点は私も考えます。そこで私どもも、この点につきまして、あるいは、この横井さんだけでなくて、今後こういうようなケースがまだまだあるかもしれないし、あるいはあることも十分考えられますので、横井さんが救出された当時から、この問題につきましては部内におきまして検討いたしておりますが、いままだ結論は出ておりませんが、確かに、おっしゃいますように、現行法においておよそ予想しない事態が起こった、こういうふうに考えております。
  80. 受田新吉

    受田委員 厚生省でいま検討しておられるそうですが、私、希望を申し上げておきますが、扶助料も、なくなったあとで留守家族手当も支給されない、しかし本人は生存して未復員者である、外地で苦労しながら生き延びて帰った場合に、普通恩給の低い給与。普通恩給だから、三十三年ころにはお話にならぬ低い金額で、そのときどきで低い金額が出るわけです。だから生存した軍人は、未帰還者である生存の政府職員がこちらでもらう給与に近いものをもらって復員したという形にしてあげないと、現実に生きて帰ってきた場合には、やめたわけじゃない、現役でおるわけですから。復員は二月一日とおっしゃったでしょう。復員まで現役でしょう。現役に普通恩給を出す筋はない。現役なら本俸をあげなければいかぬ。あたりまえの軍曹の給料をあげなければならぬ。法律の根拠はそこにちょっと問題がある。私もこの未帰還者の特別援護法に非常に欠陥があることを今度感じたわけで、これは現役で戻った横井さんには現役の給料をあげるべきだった。検討されるそうですが、私は、ただ一人であっても、一人を救うために、一人のために法律をつくるべきだと思うのです。この点を御検討願って、追加して払ってあげればいいのですから、御検討されておることを期待しておきます。  どうもお疲れの趣に拝するわけですが、一時を過ぎてきたからあまり無理を申し上げぬようにしてありますが、障害年金のことがあるから、ちょっと一緒にお待ち願って、今度は傷病年金恩給ということをちょっと伺いたいのです。  今般の法改正で一応規定されている傷病者と公務扶助料の関係ですが、この間、鬼木委員質問局長お答えになられた公務扶助料二十四万円と、それから一項症の増加恩給を百四万円にする根拠を、二つの線からお示しになりました。  その二つの線の中の一つ、昭和二十八年当時の恩給法改正時点における支給金額を根拠にした比較論、これはなかなかおもしろい比較論だと思うのです。つまり、公務扶助料で八・九七倍をした、傷病恩給のほうでも八・九七倍すべきだ、この理屈のほうが比較検討する上に非常に筋が通る。なくなった英霊に九倍のお手当を差しあげたい。そうなれば、生きた旧軍人の傷病の身となった方にも九倍上げよう、これは理路整然です。そのほうで私は一応うなずくわけですが、しかし、ここで一つ問題が残っている。つまり、恩給審議会の答申にも書いてある中で、依然として未処理のものがある。それは、普通恩給を受けておる傷病年金受給者が、傷病年金分を二割五分ほど減額措置されている、この問題です。この問題は、増加恩給をもらっている人よりも一款症のほうの人が支給金額が高くなるからやめるんだというお話でございましたが、これはこの前も私ちょっと質問申し上げて、時間のためにそれ以上お尋ねしないままでほうってあって、すまぬことをしたと思うのでありますけれども、恩給局も御調査をされておると思うのでありますが、私は、二割五分減額されるこの普通恩給受給者で傷病年金をもらう方々は、普通恩給がこれはもともと本家です。つまり普通恩給をもらうほど長い勤務者である。長期に勤務したから普通恩給をもらう。その皆さんが、項症にはならぬが、款症程度の障害を受けたというのでございますから、根っこは普通恩給をもらう立場である、それが傷病年金をもらっておるというのであって、傷病年金をもらって普通恩給が併給されているのでなくして、普通恩給をもらっている人が傷病年金を併給されている。もう一方のほうは、増加恩給をもらう人には普通恩給が併給されるのでありますから、これは増加恩給が本家だ、それから普通恩給が新宅だ、こうなる。ところが、いまの傷病年金のほうは、普通恩給をもらっておる長期勤務者ですから、これは傷病年金のほうが新宅になっている、そういう関係に私はなると思うのです。  そこで、二割五分減額措置ということは問題があるからというので、恩給審議会が、この点については、これを減額しないようにするか、あるいは減額しても特別に緩和されたものでやれという答申書が出ておる。この答申書を無視したかっこうにこれは一つ残っておるのですが、この問題の処理をこのあたりではかるべきではないかと思うのでありますが、もう一度当局の御説明を聞きたいと思います。
  81. 平川幸藏

    平川政府委員 先生も御承知のように、程度の低い一款症の傷病年金の額が、傷病の程度の高い七項症の額よりも高くしてあるわけであります。これは戦時からできておる制度でありますが、この制度の由来は、増加恩給七項症には必ず普通恩給が併給されるわけであります。したがいまして、傷病年金で普通恩給を併給されない人よりも、七項症の額が低いけれども、必ず普通恩給が併給されますから高くなる。したがって問題がないわけであります。要するに、程度の低い一款症の額を七項症より上げたということは、これはきめのこまかい方法でございますが、普通恩給を持っていない傷病年金受給者を優遇したということになるわけであります。  そこまでは問題がないわけでありますが、実はその第一款症の傷病年金を受けた方、これはいま先生申されましたけれども、たとえ従軍しまして一日目に障害を受けましても、増加恩給なり、あるいは程度によっては傷病年金になるわけでありますから、年限には関係ないわけであります。その第一款症を受けている方がたまたま三年以上の在職年がありますと、戦地でありますと普通恩給がつくわけであります。普通恩給がついたわけでありますけれども、そのときに、われわれといたしましては、恩給審議会の答申は実は二つに分かれておりまして、普通恩給を併給されている者につきましてはこの減額制度を廃止しなくてもいいんだという考え方でございます。ところが、加算恩給を併給されている方については二割五分の減額を考慮すべきであるということで書いてあるのであります。したがいまして、われわれとしては、方法を二つのうちどちらかをとらざるを得なかったわけであります。  一つは、いま先生の言われましたように、二割五分のほうを緩和するか、あるいは併給されておる普通恩給のほうを増額するか、この二つの方法を実は考えてみたわけでありますが、二割五分の傷病年金を減額する方法で調整をとりますと、非常に技術的にむずかしくなるわけであります。というのは、在職年によりましていろいろ階級別に減額率を変えなければならないという非常にむずかしい問題が生じたわけであります。結局、これは戦前制度に戻ったわけでありますけれども、戦前は御承知のように、加算につきましては金額計算になっておったわけであります。それで、傷病年金の額を二割五分減額するということは、これは先ほど申し上げましたように、戦前からの制度でございます。それで、加算恩給受給者に対しましては、たとえば三年の在職年を持っている人につきましては、この昭和四十四年の改正をやるまでは、三年の実在職年にしか普通恩給支給されなかった者が、いま申し上げましたように、片一方の分の二割五分の減額をするということでこれを緩和するということでやりますと、非常に技術上むずかしいということがわかりましたから、併給される普通恩給分を十二年分満額給付する。これはむしろ昔の恩給制度になったわけでありますから、そういう方法で処遇すべきであるということで、先生がいまおっしゃられますのは、この後段の「しかしながら」以降の部分について、それをそのとおり実施していないじゃないかと言われますと、そのとおりでございますが、前段の「普通恩給を併給される者」につきましてという、この意味におきましては、いま申し上げましたように、加算減算率をやらないで満額の十二年恩給を給するということで、恩給審議会の答申を受けた初年度である昭和四十四年度に改正したわけであります。
  82. 受田新吉

    受田委員 それはちょっと方向転換した御答弁と思うわけなんですがね。普通恩給を満額支給したんだ、十二年で足らぬで普通恩給を満額にしたんだというお説は、これは傷痍軍人の款症の皆さんだけにしたのですか。ほかの軍人にはしていないのですか。つまり、傷病年金受給者を対象にして、傷病年金をもらう以外の人は十二年満額にしていないということになっているのかどうかを聞きたいわけです。
  83. 平川幸藏

    平川政府委員 四十四年度改正するまでは、七十歳以上の老齢者と妻子だけでございました。それに限定しておりました。したがって、傷病年金受給者に対してはやっていなかったものを、そういう方法で処遇したということでございます。
  84. 受田新吉

    受田委員 結局、七十歳になったらみなもらうのですよ。傷病年金をもらう人でなくてもみなもらうわけです。だから、傷病年金をもらうような人は、大体もう六十、七十、八十という年齢になっていきつつあるんで、つまり、傷病年金をもらう人だけが恩典に浴するという制度ではない。七十歳以上の人ももらっておる。そういうことであるから、それに恩を着せるのはちょっと私は問題だと思うのですね。  それから、恩給審議会には非常に妥当でない答申も出ているが、この線はいいという分は取り上げていかにゃいけぬと思うのです。それで、いまの答申の中にあった、普通恩給のほうが満額になった者は傷病年金の二割五分を差し引いてもいいという答申ではないと思うのですよ。答申はそんなことを書いていないと思うのです。だから、その点は、答申には、普通恩給をもらっておる者はと書いてあるんだから、それは普通恩給のほうで多少年齢が高い人と同じ措置をしたからといって、七十歳以上の方の分は同じになってしまうから同じですよ。七十歳以上の方はちっとも恩典がないわけなんです。そういう意味からいったら、そのほうの恩典とこれを結びつける考え方は、方向転換になると私は申し上げているわけなんで、したがって、私は根っこが違うのですから、恩給の十二年未満を満額にされたのはいい措置だと思うのです。これは傷病年金受給される皆さんには、そのくらいのことをして差し上げていい。それは、七十歳以上である、そういう方をされていい。いいけれども、それによって二割五分の減額とその十二年満額にしたのと、金額の差はどういうふうになりますか。
  85. 平川幸藏

    平川政府委員 先生の言われた趣旨の資料は現在手元にございませんが、この問題につきましては、実はわれわれも研究しておるわけでございますが、もしここで第一款症の傷病年金の額を二割五分減額しないでどういう方法があるか、こういうことで検討いたしたわけでございますが、そうしますと、現在、今度上がる額が、第一款症の金額では年額二十六万円になります。第七項症の金額が二十万八千円でございまして、これに九万四千円の普通恩給が必ず併給されますから、これを加えますと三十万二千五百円ぐらいになります。これをこえないという絶対的な条件がございますから、この範囲内で検討いたしますと、先ほど私が普通恩給を持っている人に対しまして減算率を撤廃したと申し上げましたが、この制度をもとに戻さないとできなくなる、改悪しなければできなくなるということでございまして、われわれといたしましては、やはりそういうことはできませんから、検討はいたしましたが、金額の差が二十万八千円と二十六万円では約五万近くありますから、そういうことでわれわれといたしましては、確かに、先ほどから、恩給審議会の答申をそのまま実施したとは申し上げておりません。しかし実質的に、七十歳未満、ことしで言いますと六十五歳未満の傷病年金受給者は、わりあいに若年者が多いわけですから、そういう人に対しまして加算減算率を撤廃したということにつきましては、やはり相当な処遇をした結果になるのではないか、このように私は考えておるわけであります。
  86. 受田新吉

    受田委員 時間がどんどんかかってきますので、端的でけっこうでございますが、いま私こまかいようでございますが、これは明確にしておかなければならぬことでございまして、お尋ねを繰り返すわけであります。  いまお話しの二十万八千円、これは第七項症、それに普通恩給九万四千円を足すと三十万二千円になる、これより上がってはいけないということは、何を根拠にされているわけですか。法律改正すればいいでしょう。
  87. 平川幸藏

    平川政府委員 私が申し上げたのは、たとえば傷病年金を持っている方が普通恩給で、たとえば極端な話ですけれども、三十年の年金を持っている場合の話をしているわけではないわけでありまして、やはり同額の普通恩給給付された場合において、総体の処遇が第七項症よりも第一款症が大きくなるということはどうしても恩給法上困るという制度のもとに、戦前においてこういう制度がとられたわけでございます。したがいまして、普通恩給を給せられない傷病年金受給者をできるだけ処遇したいという、きめのこまかい措置がこうなったのであろう、私はそのように考えておるわけでございます。
  88. 受田新吉

    受田委員 これは局長、直したほうがいいと思うのです。なぜかと申しますと、現在、傷病年金をもらっておった人が、公務員として再就職している者の傷病年金分の支給額は、二十八万一千円をもらっているのが現実です。つまり、傷病年金をもらっている人で、公務員として再就職した場合の傷病年金分は、これも昭和三十何年でしたか、大蔵省と私は大いに論戦して、その分を支給すると無理に答弁をしてもらって、それは実際において支給されることになった。その支給された金額は、傷病年金をまるまる私はもらっていると思う。いかがでしょう。
  89. 平川幸藏

    平川政府委員 先生の御指摘のとおりでございますが、これは現に、普通恩給は併給されていないわけでございます。
  90. 受田新吉

    受田委員 普通恩給は併給されているはずはない。現に公務員になっておるのだから、普通恩給支給してはいけないはずだ。したがって、傷病恩給が二十八万一千円、明確な手当を、傷病年金をもらう。現に公務員で再就職をしている場合は、二十八万一千円、傷病年金をまるまるもらっているのです。減額措置をするのなら、再就職をした人にもその減額措置がされてしかるべきであるが、傷病軍人公務員になったら、まるまる二十八万一千円を支給されておるというこの現実は無視できない。したがって、これとの比較論から、普通恩給をもらっておれば二十八万一千円から二割五分引かれるが、公務員に再就職するとまるまる出る、こういうような片手落ちは、法制上許されないことだと思うのです。  そこで、私これを是正する方法としては、いまの七項症の増加恩給をもらう方々の支給額を二十八万一千円以上にする。そうすると、今度五項症、六項症との間差の問題が起こる。その間差の問題は、昭和八年の大改正のあの当時の基準で間差をきめていけばいい。そういう意味で、第七項症を第一款症の傷病年金のたとえ千円でも上に置いておく。そしてその間差を昭和八年の基準に帰って、項症別に五項症、六項症との間差をきめていく、こういう扱いをされる救済策が私はあると思うのです。もうこのあたりで、減額してはならぬ、しないでくれと書いてある答申。一つだけこれが残っておる。  それから、第七項症の増加恩給を二十八万一千円以上に引き上げることによってどれだけの予算が要るのか。七項症以上を手直しすることによって、予算の問題もあわせて御研究されておると思うのです。つまり、間差を直す場合に、どうしたらいいかを一応予算の数字の上でも研究されておると思う。現実支給されている金額の二割五分を減らすというような措置は、これは非常に私は酷だと思うのです。本人にしては、普通恩給は手直しして十二年未満満額にしてもらったにしても、それは七十になったらだれでももらえるのだ。当然もらうものが、二割五分、年金部分のほうでもがれておるということをなくするためには、増加恩給を引き上げる。つまり増加恩給をもらう人の優遇措置を講ずることによってこの問題は解決つくと思うのです。
  91. 平川幸藏

    平川政府委員 結論を言われたような感じがいたしますけれども、現在の間差を動かすということは、私どもでは相当慎重に検討しなければならないと考えます。御承知のように、この制度は、申し上げましたように、むしろ普通恩給を併給されていない傷病年金受給者を優遇するための措置でありまして、より正確に申し上げますと、むしろ併給された場合における第一款症の金額を掲げておきまして、併給されない傷病年金の額を別に備考として掲げておいてもよかったのではないかという感じもいたしますが、要するに制度的には、私が申し上げました考え方に偽りはないわけでございまして、普通恩給を併給されない傷病年金受給者を優遇する措置でありまして、併給される場合におきましては減額する。というのは、あくまでも間差というものをやはり妥当なものといたしまして、前提としてやるわけでありますから、しかも恩給審議会の答申にもはっきり書いてございますように、傷病の程度の重い第七項症の増加恩給受給者恩給額を、傷病年金を併給される普通恩給受給者に対して給付することは適当でないということもはっきり言っております。しかも、こういうことで踏まえますと、御趣旨はよく私も理解はできますけれども、いま申し上げましたように、われわれといたしましても、普通恩給の減算率を撤廃するという、最も戦前制度に近い制度でこれを回復したといろことでございます。
  92. 受田新吉

    受田委員 いま恩給局長の御説明された答申の条項、二章の「普通恩給を併給される者の傷病年金の減額制は、恩給総額からみて第一款症の傷病年金受給者の額がこれより傷病の程度の重い第七項症の増加恩給受給者の額を上回ることがないようにするために設けられた措置である」、だから七項症の額を上げれば第一は解決するのです。七項症を傷病年金受給者の額以上に上げれば解決するわけです。だから、上のほうは、つまり七項症の増加恩給を上回ることがないようにする。だから増加恩給を上げれば上の第一段は解決する。それからその次に、「しかしながら、加算恩給を併給されている者の傷病年金の年額については、第七項症の増加恩給受給者恩給額との均衡を考慮して、この減額を行なわないかまたは緩和することが適当である」。第一は減額を行なわないのが希望だ、こう書いてあるのです。第二が緩和ですから、できれば増加恩給を引き上げて減額を行なわないようにすればいいんだという答申ですよ。したがって七項症を上げることですべてが解決するのです。ただ、七項症をぐっと上げると、今度は六項症や五項症の間差が問題になるから、それはさっき申し上げた昭和八年基準で是正されたらしかるべきだということですから、これは山中長官、私、恩給局長も非常に苦労されていることよくわかるのですが、この問題で、答申に、減額制をとらないにこしたことはない、しかし現実に七項症より上回らぬようにしなさいよと御注意してある。そのためには、第七項症を上げることですべてが解決する、こう思います。御検討をいただけませんかどうか。
  93. 山中貞則

    ○山中国務大臣 きわめてむずかしい問題ですから、もう一ぺん局長から答弁いたします。
  94. 平川幸藏

    平川政府委員 先生が言われましたように、七項症を六項症を上回らない程度で上げればいいではないか、こういう御意見ではないかと思います。しかし、それはやはり間差というのがございまして、これをどうするかということは、もうきわめて慎重な検討を要しますし、時間的にも長期な検討を要すると思います。したがいまして、われわれといたしましては、現在の段階におきましては、この答申案を読んでいただきましてもわかりますように、前段に「普通恩給を併給される者の傷病年金の減額制は」と書いてございますが、私のほうはやはり、十二年分の普通恩給を給した者は、この「普通恩給を併給される者の傷病年金の減額制」という前段の部分に入るというように理解しているのであります。後半の「しかしながら」以下は、加算減算率を適用するという前提に立っておるわけです。そこで、われわれのほうといたしましては、実は恩給審議会趣旨をくみまして、その点をくんで、そういうような、いままでやらなかったような措置を普通恩給の面において講じたということでございます。
  95. 受田新吉

    受田委員 「しかしながら、加算恩給を併給されている者の傷病年金については、第七項症の増加恩給受給者恩給額との均衡を考慮して、この減額を行なわないか」とあるのですが、行なわないか、つまり行なうな。それから「または緩和することが適当である」、行なわないで済めばなおいいんだと後段に書いてあるのです。したがって、この「しかしながら」のところを取り上げてみれば、いまわれわれは、こういう答申のとき皆さんのほうに有利なほうを解釈すべきだ。この点は、この答申の中で有利に解釈するところと、それから不利に解釈するところは、できるだけ有利な解釈をとって、不利なほうをとってはいかぬのです。「しかしながら」以下の後段で減額措置をとらないで済めばそうしてくれと書いてあるのです。これはそこを考えられて、いま間差の問題、六項症と五項症のほうにしわ寄せが来ますから、そのしわ寄せの間差はわずかでもいいのです。六項症と七項症の間差はわずかでもいい。これは当然検討されてしかるべき問題です。  これを、もし減額しないでまともに支給すれば、どれだけ予算が要るか。予算の問題が討議されているか。つまり、増加恩給を考えないで減額措置の分を直すだけだったら、予算はどれくらい要るでしょうか。これは課長のほうで資料はないのですか。
  96. 平川幸藏

    平川政府委員 ただいま私が答弁申し上げましたように、むしろ非常に慎重な検討を要する問題でありますから、私のほうとしましては、そういう資料は持っておりません。
  97. 受田新吉

    受田委員 わかりました。これは長官、私はこのあたりでできるだけよい意味の、百四万円の支給も確定したことだし、二割五分が差し引かれているというのは——現在、公務員で再就職している人は、まともに二十八万一千円もらっているのです。その問題など考えると、公務員に就職すればまともにもらえるのだ、しかしながら、公務員に就職しないばかりに減額されておるのだというような感じを得たせる危険もあるわけで、公務員に再就職しようとすまいと、二十八万一千円という傷病年金はもらえるのだ、このたてまえだけははっきりしておかなければいかぬと思うのです。長官としてもこれは十分検討してしかるべきで、これを拒否し続ける筋としては、恩給局長のような見解では、これは答申にも忠実でない。それから現実に差し引かれている悲劇。公務員で再就職した人はまともにもらっている、そういうバランスの問題があるので、これらを勘案すると、増加恩給引き上げという措置で解決する以外にない、こう思います。長官はあまりむずかしく考えないで、ここまで来た問題で、恩給局でも非常に苦労した問題だと思いますけれども、この措置はひとつ十分検討して、来年の法案の審査のあたりまでに、ひとつよい答えが出るようにやっておいていただきたいと思います。政治的判断にまつ以外になくなりました。置きみやげとして長官が配慮をすることを約束していただきたい。
  98. 山中貞則

    ○山中国務大臣 私は就任以来、この審議会答申の各条項について、明確に方向を示されているものは完全にそれを実現し、なお方向を示唆されているものはそれに沿うべく努力し、そしてやや不明確なものは、これを具体的にどのようにとらえるかということで努力をしてまいったのですが、ただいままで恩給局長の立場において説明をいたしましたバランス論、したがって、そのバランスを失しないためには七項症のほうを上げればいいじゃないかという御議論は、確かに金額の面から見ると、私はそれは最も軽便なる方法であると思います。  ことに、戦傷病者というものは、なまじ生きておったことを恨むくらい、つらい立場人々がおられるわけでありますから、私どもは、そういうことを、各種の犠牲になられた人々の一方における現存する悲劇として、忘れてはならないことでありますし、今回の法改正についても、そのような趣旨を十分打ち出しておるつもりでありますが、なおしかし、戦争が終って二十七年、生存し続けながらなお戦傷病者の立場においてまことに不遇な状態にある方々、ことに脊椎損傷あたりの人々はまことに気の毒な状態でありますし、これは忘れてならないことでありますから、ただいまの御趣旨は一つの方向を示唆されましたので、そのとおりという答弁をちょっといま私いたしかねますが、御趣旨の方向は、私ども事務当局も含め、政治全体の問題として、政治的な決断も含めながら検討を進めてまいりたいと思います。
  99. 受田新吉

    受田委員 私の要望の線を十分理解してもらっておると思いますが、バランス論から言ったら、私がいま申し上げましたように、現職の公務員になっている人は傷病年金をまともにもらっておる、それで増加恩給を受けている人とのバランスを考えて、減額しないで済めばそうせよ、こう書いてある、これを見ますと。「第七項症の増加恩給受給者恩給額との均衡を考慮して、この減額を行なわないか」、こういう点においては、答申に忠実な線は後段の規定をとればいいと私は思っておりますので、ひとつその線を御配慮いただいて検討を要望します、  あとはもうポイントだけお尋ねをいたしますから、非常に短い御答弁でけっこうです。  この傷病恩給の奥さんに対する加給額ですが、現在月千円が今度千七百円ということになるわけでございますが、これは現職の公務員の扶養家族手当との均衡をもとにしてやったわけですか。
  100. 平川幸藏

    平川政府委員 そのとおりでございます。
  101. 受田新吉

    受田委員 そうしますと、現在、公務員のその家族加給というものは大体月二千二百円。そうすると、そこへ近づけていくという方向へ今後検討されるという用意はしてあるのかどうか。
  102. 平川幸藏

    平川政府委員 実はその恩給に、たとえば傷病者あるいは遺族の方に加給がついておりますけれども、公務員給与の扶養手当と恩給の加給とは、必ずしも完全な意味においては一緒ではございません。  一、二、例をあげますと、たとえば公務員でありますと、第一子は六百円になっております。私どものほうでは、もっとも第一子は六百円でございますが、そのほかに、たとえば妻が未亡人として公務扶助料を受けておる場合に、公務員の父母が生存しておられる、こう仮定しますと、第一子ではございませんけれども、父か母のどちらかには六百円を給する。これは公務員制度とは違います。そういう意味におきまして、必ずしも公務員給与と完全にスライドするという制度ではございませんが、額の目途といたしましては、やはり公務員給与を見ながら均衡をとりつつやるということを考えております。
  103. 受田新吉

    受田委員 それは公務員と完全に一致という形でない。けれども現実に、傷病の身となった人は、公務員に現在続いて勤務している形と同じように見てあげていいと思うのです。そういう国家勤務が継続している、そういうかっこうで見てあげるほうが、筋としてはむしろ通るのではないか。退職者であって救済措置という意味でなくして、現職の継続者というような心づかいで見てあげる努力をしていただきたいと思います。  私、もう一つ最低基準の問題で、この前にもちょっとお尋ねしたのですが、一眼盲の場合、最低基準を七項症に引き下げておる。これは四十四年度の最低基準内容を内部疾患に重点を置かれて、そうした機能障害のほうは除外されておったようなかっこうがあるけれども、これはここらの附帯決議にもちょいちょい顔を見せている問題ですけれども、こうした一眼、片一方の目が失明の状態にあるという分を五項症から七項症にしたのか、ちょっと御答弁願いたい。
  104. 平川幸藏

    平川政府委員 先生の言われるのは、傷病恩給症状等差調査会の勧告が、七項を勧告しているわけです。しかしそれは、現在五項症のものを下げるということは、ベースダウンになるからやらなかったわけでございます。
  105. 受田新吉

    受田委員 だから下げる分はやらぬと……。つまりあの勧告は五項症を七項症に下げた、そういうことで、現実に一眼盲の皆さんが、下げられるという待遇をやられてはたいへんだというので、この勧告には恩給局自身も従わないでやっておられる。ところが、これに関連して他の最低基準というものが取り残されて、そのまま放置されているのが幾つも残っている。この最低基準を明確にやり直すという措置を、全部片づける御用意はされておるのですかどうですか。引き上げるやつを取り残しておるやつ。
  106. 平川幸藏

    平川政府委員 先生の言われるのは、症状等差調査会の引き上げる分についての実施の態度、こういうことだと思いますけれども、これはいま申し上げましたように、症状等差調査会の内容を見ますと、非常に画期的な内容を含んでおるわけであります。いま申し上げましたように、うんと下がるものがあるわけであります。率直に申し上げますと、目とか耳のような二つの器官で働いておる機能につきましては、原則として二眼、両方とも悪いときは上がる。それから片っ方だけが悪い、片一方はいいというときには、原則として下がる。この調査会の内容そのままを実施しますと、非常に問題があるということを恩給局で判断したわけであります。  というのは、ベースダウンということは絶対に避けなければならないという至上命令がございましたので、ベースダウンはしない。いま申し上げましたように、片眼は五項から七項に勧告されております。七項に下げたということで、実は両眼盲をある程度上げるということでバランスがとれるわけでありますが、片一方、下げるものを下げないという範囲内でバランスをとらなければならないわけであります、そういう意味において、上げるべきものは、たとえば上肢でございますけれども、上肢を全く亡失した者につきましては、三項から二項に上げたわけでございます、こういうぐあいに、例は一々申し上げませんが、上げるべきものも、ある程度、下げるべきものを下げなかったということと比例をとった中で処置しましたから、確かにそういう点はあるかと思いますが、その間におけるバランスはとったつもりでございます。  したがいまして、もし先生が言われるように、上げるべきものを勧告どおり上げますと、やはりベースダウンの問題が再び頭が出てくるということになりまして、これは非常に問題があるか、このように考えます。
  107. 受田新吉

    受田委員 これも、引き下げる分は下げないで、上げよという分は上げるというほうの方針でいけば、大体もう間違いないですよ。だから、これは何でもいいほうをとってやるというところが政府の心づかいであれば、問題なしに処置がつくのですね。そういうことで、引き下げるほうをいつも念頭に置かれるからむずかしくなるので、引き下げるほうはやめた、上げるほうだけやるというほうへ方針を変えていかれる。結核の最低基準なども、非常にきびしくなっておる分を少しゆるやかにしてあげるというようなことで、最低基準は善意に解釈して、もう二度とこういう戦争はないのですから、国家のために傷ついた人にそれを引き上げてやることは、私は当然だと思うのです。そこで厚生省のどなたか……。
  108. 伊能繁次郎

    伊能委員長 実は中村援護局長は、どうしても一時四十五分に出なければならぬということで、この問題の会議があって……。
  109. 受田新吉

    受田委員 それじゃ局長は、それで行っておられるのですね。  ちょうどこれとよく似たようなのが援護法の中に出てくるのですよ。援護法のほうはもっときびしくなっておるのに、恩給法をゆるやかにしておけば援護法がまた対象が広がってくるという、援護法に影響が及ぶ問題をいま触れたかったのですが、まあ、それは恩給局長のほうから両方答弁できるでしょう、厚生省のことも。  つまり、援護法の対象になるのは、障害の基準が比較的等級も少なくて、それから恩給法の対象になる下位の分ははずれておるのです。そういうものを、援護法恩給法は同じ性質のものだから、戦傷病者援護法基準だけは恩給法基準に合わせて上げるような配慮をしてほしいということを厚生省に私は希望したかったのです。それで、いまおいでぬから、答弁できればしてください。
  110. 平川幸藏

    平川政府委員 私の知っている範囲内で御説明申し上げます。  先生が言われましたように、当初、援護法は実は三款までしかなかったわけでありますが、たしか昨年だと思いますが、恩給法では四款、新法でいう五款ですが、五款までつくりましたし、その内容恩給法と同じものでございますから、恩給法に右へならえといいますか、内容的には一緒になったものと、私はそのように理解しております。
  111. 受田新吉

    受田委員 恩給法のほうは、項症は幅が広いのですね。それで款症が少ないですね。援護法のほうは款症が幅が広いのです。そういう点で恩給法のほうが現実に優遇されているのですよ。その問題の比較論は厚生省ともう一ぺんやらぬと、恩給局では御答弁できないところがあると思いますから……。  この問題にひっかけて、目症者は、あの中から、裁定基準を愛情をもって判断したら、四款症へ上がらなければならぬのが相当あると私は思いますけれども、どうでしょうか。裁定基準の是正で救われて四款症に上がる方が相当出ると私は思うのです。
  112. 平川幸藏

    平川政府委員 傷病年金の裁定の問題でございますけれども、われわれといたしましては、たとえば一項と二項の間でも、理論的には無限な段階があると考えていいわけでございます。御承知のように、恩給法別表に書いてある症状の状態は典型的な場合しか書いてないわけでございます。実際は、これはそのままの柱では適用できないのでありまして、相互勘案する、あるいは類推といいますか、そういう適用をしないと、症状の状態は千差万別でございますから、しかも医学についての考え方が昔からずいぶん進歩しておりますから、そういう考え方を入れながらわれわれとしては日夜努力を怠らない。私は専門家ではございませんが、私のほうに十人の顧問医がおられます。これは日進月歩の医学に即応できるような方々ばかりでございまして、そういう方々について、実はわれわれとしては先生の意を体しつつ裁定の内容を承っておるわけでありまして、国会で議論されたようなことにつきましては、率直に先生方にも申し上げております。
  113. 伊能繁次郎

    伊能委員長 受田君に申し上げますが、二時になりますので……。
  114. 受田新吉

    受田委員 救われる人がある程度出る。また、出なくても、目症者として戦傷病者手帳を持っておる方々ですから、かつて、昭和八年のさっき申し上げた大改正のときにも、昭和十三年にもわたっておるのですが、目症者に対する年金制度制度としてできたときがあるのです。その時点を参考にしながら、金額は少額であっても、国家のために目症度の障害を受けたという人にも、一時金で打ち切られたこの問題を処理していくべきではないかと思います。目症度に対する年金制の付加というのは、制度的な新しい転換になると思いますけれども、特に、裁定基準を是正することによって救われる人も相当数おると、われわれとしては判断するわけでございますから、その年金制を検討しておられたかどうかをお答え願いたいのです。
  115. 平川幸藏

    平川政府委員 目症に対する年金を給する問題は、実は何回か御質問もありまして、われわれとしても検討いたしました。しかし御承知のように、この目症というのは比較的軽度な障害でございまして、他の年金におきましても、あるいは恩給法におきましても、昭和二十八年以降は特にそうでございますけれども、文官に対しても、実は款症程度での賜金になっておるというぐらいでございますから、いま軍人に対しては年金を給しておりますけれども、制度的にはそうなっておりまして、ましてと申しますとちょっと語弊があるかもしれませんが、款症以下の目症に対しまして年金を給するということは、他の年金とのバランス上非常に困難ではないかというふうに考えております。
  116. 受田新吉

    受田委員 バランス上困難であるが、検討は続けておるということでしょう。いままでも検討を続けておるとお話を承っておったのですが、バランスが困難になって検討を打ち切られたわけですか。去年までの答弁では、何か調査をしてみたいという御答弁だったが、もうやめたのですか。研究の余地なしということで結論が出たのかどうか。
  117. 平川幸藏

    平川政府委員 われわれ事務当局としましては、恩給問題につきましては、あらゆる問題につきまして日夜研究し、検討いたします。
  118. 受田新吉

    受田委員 それでは長官、一言でけっこうですが、軍人公務でなくなられたら公務扶助料が出る。しかし、今度傷病の身となってなくなられると、例の増加非公死という三号扶助料と称するもので、今度この法案で引き上げられて、昭和四十八年一月から三号増加非公死扶助料が十八万円である。これは今度の法案の中に見られるように、一項症の場合は、増加恩給が百四万円、普通恩給九万円、家族に対する加給が二万四千円、介護手当が三万六千円で、百十九万円となっている。この百十九万円の支給を受ける方がなくなった場合には、その奥さんにどれだけのものがくるかというと、年間十八万円の増加非公死がくるだけになるわけです。一ぺんにダウンするわけです。御主人をかかえて四苦八苦して、傷痍軍人の妻として苦労した奥さんが、その一項症の御主人の百十九万円の支給から、奥さんが一人残されたら、一ぺんに十八万円にダウンするのです。これは二十四万円に接近する金額是正の必要はないか。  遺族補償という問題は、非常に大事な問題だと私は思うのです。戦死をされた英霊の御家族よりも、傷病の御主人をかかえた奥さん、特に特項症のような重症の御主人をかかえて、青春も何もない、一生を全部あげて御主人にささげ尽くした奥さんが、わずか十八万円で、公務扶助料の金額よりも六万円少ない金額でこれから生きていかなければいかぬということになると、私は非常に気の毒に思うのですね。重い症状の方の増加非公死の扶助料はうんと奮発して、公務扶助料の金額に是正すべきだと思うのです。軽い款症の立場の方にはしばらくがまんしてもらうとして、重い症状の方には公務扶助料と同額の扶助料を支給していいのじゃないかということを感じております。
  119. 平川幸藏

    平川政府委員 これは恩給制度の伝統的な考え方でございますけれども、公務を基因として障害を受け、その障害を原因として死亡した者と、公務を基因として障害を受けておるが他の原因で死亡した者につきましては、恩給制度としては、やはりそこに差異を認めておるわけであります。したがいまして、二十四万円にするということは、すなわち、公務で障害を受け、その障害によって死亡した者と同視すべきであるという御議論になると思いますが、恩給制度としてはそういろ仕組みには実はなっておりませんから、これは検討はいたしますが、制度的には従来と異なった制度になるわけでございまして、非常に慎重に検討を要すべきもの、このように考えます。
  120. 受田新吉

    受田委員 いま一つ、これは直接は大臣の御所管ではないのですけれども、国務大臣として御答弁願いたい。これはほんとうは厚生大臣にお聞きする筋合いのものです。  例の戦傷病者特別援護法で国鉄無賃乗車証が交付されている。これは四項症以上は十二枚で、付き添いの範囲をきめてあるわけでございますが、私としては、奥さんがこれを一緒に使って、御主人をささえながらお宮参りとか諸会合へ出るという風景は、非常にうるわしい風景だということを、これは何回かここで指摘しておるのです。ところが、傷痍軍人に与えられる無賃乗車証は本人でなければ使えないという、このワクは直していただくべきだ。奥さんともどもに、傷痍軍人がお宮参りとかレクリエーションに出かける、不自由な御主人をささえながら行く風景は、私は頭が下がるのです。私はむしろ、国家のために傷病となった皆さんのそういう風景をみんなで拍手をもって送ってあげるような時代をつくりたい。これは大臣から、担当の厚生大臣にも、また国鉄総裁にも、運輸大臣にも言うていただいて、無賃乗車証を、これは奥さんに限定すればいいのですから、奥さんもともに使用できる方向で御検討いただく。大臣、この問題は性格はおわかりと思うのです。これは恩給局長心得ておられる、じゃ、あなたから……。
  121. 平川幸藏

    平川政府委員 その点、私よく承知しております。先生の御熱情をよく厚生省にお伝えいたします。
  122. 受田新吉

    受田委員 二時になりましたので、いま御注意があったわけですが、申しわけないですが、あまり時間をとりませんが、あと二十分ほどいただけませんか。
  123. 伊能繁次郎

    伊能委員長 実は大出さんも見えましたし、時間の予定があれですから、できるだけ早く、簡潔に御質問願います。
  124. 受田新吉

    受田委員 それではいまの恩給に関係してくるその他の問題でございますが、私がしばしば指摘したわけですけれども、戦没した人の御遺族に対する公務扶助料に依然として兵長、下士官、准士官の差をつけておるのを、この機会に、もうあなた自身が、福祉年金は中尉のところまで併給を認めた、准士官から中尉という階級まで指摘されました。そこまで来た以上は、私、多年申し上げているように、福祉年金の併給を中尉まで引き上げられたという非常にいい基準を示されたので、ひとつこのあたりで、わずかな階級差をつけている公務扶助料を、将校の最下級の一つである中尉あたりに引き上げて、公務扶助料の最低は中尉であるとして、あと全部整理する。これは長官、政治的には非常に味のある政策である。  この間、私、遺族に世論調査をやってみた。遺族の人は、将校は十分の一しかおらぬ。准士官以下が十分の九おる。その十分の九は中尉まで引き上げることに全部賛成。それから、これから位の上の人も、そういうことは非常にいいことだといって共鳴してもらっている。多年にわたって私は、公務扶助料に兵、兵長、下士官、准士官という階級差があることを、英霊となった上はもう階級差は要らぬ。中尉以上の階級があるのはやむを得ぬとしても、最低将校並みの公務扶助料をもらうんだということで、遺族にも喜んでいただけるような政治というものは非常に政策としては受ける、こう思うのです。それが一ぺんにできぬなら、兵の階級を今度下士官の階級にしておく、あるいは准士官のところに置くという漸進傾向をたどられてもいいわけですが、依然として兵長を基準にし、あるいは下士官、准士官を基準にしておる。准士官以下が三階級あるのです。これは心すべき問題だと思っておるのですが、それが差というのが非常に少ない。局長さん、いまの階級差をちょっとお示しいただけば、非常に圧縮されていることがわかるのです。
  125. 平川幸藏

    平川政府委員 御指摘の公務扶助料の額でございますが、このたびの改正によりまして、昭和四十七年十月一日から二十一万七千円になります。二十一万七千円でございますと、兵から曹長まで同額になります。したがって、結果といたしましては、階級を解消したわけではございませんが、金額的には同一額になるということでございます。二十四万円の最低保障制度を四十八年一月一日からとりましたが、これでありますと兵から少尉まで同額になる、こういうことでございます。
  126. 受田新吉

    受田委員 いまの金額として同額である。階級差は撤廃してあるかどうかです。
  127. 平川幸藏

    平川政府委員 制度としては階級は、これは恩給にも、他のいろいろな普通恩給とかありますから、これは撤廃するということはちょっと困難かと思います。したがって制度としては撤廃しておりません。
  128. 受田新吉

    受田委員 これは非常に前進して措置をとっておられるのです。私としては、多年の主張がいま一歩ずつ前進しておるわけです。英霊に対して全部を少尉まで引き上げられる漸進主義をとってもらっておる。それから、いま中尉くらいのところまで持っていく、来年あたりは大尉とか、階級差は一応残しておきますが、金額は上へ持ち上げるという方針をお持ちかどうか。
  129. 山中貞則

    ○山中国務大臣 これはとりあえず最低保障額二十四万円ということにいたしましたが、ベースアップ等は毎年やってまいりますし、実際上、最低保障額というものはカバーしても無意味であるという時期は遠からず来ると思います。一両年のうちに来ると思うのですが、その際には当然、最低保障額を幾らにするかという問題で、現在は結果的に少尉の階級までということでありますが、ただいまのような御発言は、中尉が普遍的に最低の士官であるかどうかの問題は別ですけれども、少なくともそれよりか後退はしてならぬし、その最低保障額の決定というものは、時期に応じて適時設定していくということは配慮していくべきだと考えます。
  130. 受田新吉

    受田委員 時宜に適して改善措置をとる、非常にいいことです。私はそういう意味で、神と祭られた方の遺族に階級差による処遇があるということは、家族にとっても、かつての上官、下官という意味ではなく、悲しみが一つひそんでいると思う。それをせめて金額は将校並みにする。いま金額は少尉並みになった。今度は中尉並み、あるいは大尉並みと、漸次下の線を引き上げていく、こういう方向をひとつ考えてみようというお話でございますので、大いにこれを推進していただきたい。  もう一つ、この恩給法の審査にあたって、長官が非常に心配しておられる他の公的年金との比較論でございますけれども、私としては、さっきの一応の御答弁をいただいておるので、その基本線に基づき、スライド制へ移行することに対して十分検討に値する御発言があったと思いますが、現職の公務員給与というものは、他の公的年金の右へならえの基準になるという意味で、それへスライドするということは、私としては、これに論議を集中してさっきから申し上げたわけですけれども、長官が懸念されている、いま四つの柱を申されましたけれども、社会保障制度審議会、そういうような厚生省関係の問題が、現実公務員給与基準とした退職者のスライド制に足を引っぱっておるということが言えるかどうかです。こちらが独走することは、これらの社会保障関係の問題に気がねがあって思うようにいけないのだという考えがおありであったとするならば、これを進めるに非常に障害が起こると思うので、恩給制度共済組合制度というものの本質、これをどっかり根をはやしておけば、他はこれに右へならえということに必ずなると思うのです。それに伴う予算というもの、これも私きょう予算の数字を伺ったのだが、恩給局長、なかなか数字が出ないのでしたね。スライド制について、四十六年を起点としてスライドにしたら幾らという数字が出ない。けれども、その予算の額においてはたいした問題ではないと私は思う。国家予算の全体の規模からいってこの点はどうか。他の公的年金との比較、その連絡会議などには、常に、恩給退職年金という恩給法、共済組合法の対象になる皆さんを陣頭に立てる形でこれをリードして、われわれのほうへ右へならえして、皆さんも大いにわれわれの仕事にハッパをかけて推進してくれよという方向で、担当国務大臣としてお進めをいただきたい、お願いしたいのです。
  131. 山中貞則

    ○山中国務大臣 これはもう現在でも、恩給法改正がありますと、それぞれ大蔵委員会その他において、恩給法改正に伴って行なう必要な措置というものが毎年同時に改定が行なわれるわけでありますから、やはりその恩給というものがそういう意味の基本になる、あるいは牽引車であるということは承知しております。  ただ、それをやります場合に、他の公的年金制度というものは知らぬ、これだけであるということにはなかなかまいらないということは、先ほど申し上げた。しかし一方、政治体制の問題としては、厚生省あたりは、福祉予算とか、あるいはまた福祉国家というようなたてまえも持っておりますし、来年あたりの重点的項目等には、厚生省所管の年金等についてはスライド制の導入というようなことも検討を始めておるようでありますから、毎年、機運として前進はしておる。そういうことでありますので、やはりこれは、引き続き具体的に四グループで、何が支障であるか、あるいは、やるためにはどういうことが必要なのか、そのグループ間のバランスはどのようにとるべきか、それらを踏まえて恩給というもののあり方を基本的にどうするかという問題。先ほど申しました、公務員退職時の年額そのものの議論と、若干の割り引きがなされる、いわゆる職務給的なものが現職の公務員ではないから引かれるという問題の二点というものが、なお残るであろう。その問題をさらに研究すべきであると考えております。
  132. 受田新吉

    受田委員 これで質問を終わりますが、大蔵省の所管である共済組合関係法規、それと恩給法の対象になった退職者恩給の問題は、これは系統的には公務員退職年金の問題でございまするから、恩給局と大蔵省とが別々のところにおるよりは、公務員年金局のようなものを総理府に置いて、恩給局の仕事プラス大蔵省の共済年金の仕事、終始これに関連する問題ですから、そこで総理府ががっちり握る。現職の公務員を握っている人事院も総理府の所管です。現職と退職を通じて、公務員給与年金に関連するものは一貫した作業ができるような、そういう制度に切りかえていく。多少大蔵省の抵抗はあるでございましょうが、公務員年金局というかっこうなら大蔵省だって——共済年金年金局のやる仕事だし、また現職の職員を握っているのは総理府である。そうなれば、総理府の恩給局を拡大強化して、公務員年金局というかっこうでひとつ一貫して作業を行なう。そういうことによって公務員給与にスライドした退職者年金という原則も打ち立てられ、他の公的年金とのバランスなども、今度、公務員年金局が陣頭に立って、われわれに続けと言ってやれば片づく問題だと思う。制度的に私の提案はずばり言ってまことに名提案だと思うかどうか、お答えを願いたいです。
  133. 山中貞則

    ○山中国務大臣 これはやはり一つの見識だと思います。先ほど来議論のある厚生省の局長は帰ったのか、じゃ質問ができないなどということも、恩給局が扶助料、援護その他も一緒に、どちらのほうにひっつくかは別にして、同時に、バランス論などが問題点があるようなことのないように、同じ局であればできるわけでありますから、こういうこともやはり検討しなければならぬでしょうし、あるいは各種年金制度、こういうものも、ある年金等については、関係役所が持ち回りで担当大臣をきめるような、逃げ回っているような感じのところもなしといたしませんし、こういうものは将来やはり研究してしかるべきだと思います。  人事局等についても、公務員給与アップの勧告を受けてそれを実行するという方面と、同時に国民に対して効率をあげるべき行管の各種総定員法なり何なりの問題、定員削減の問題、そういうものがばらばらであるという問題等も、私はまだほかに、同じ権利義務の関係、公務員関係というものについても問題点があると思います。こういうものは、逐次国会の議論等を通じ、時勢の移り変わりを通じて、各省のセクショナリズムという、いい意味でも悪い意味でも、そういうものを越えた高い次元の局なり機構なりというものが、すべての部面そうでありましょうが、そういうものが必要な時期も来るであろうと考えますので、傾聴すべき御意見ということで承っておきます。
  134. 受田新吉

    受田委員 今後の恩給の諸問題として、なお未処理の問題が幾つか恩給局へも要望が来ていると思います。局長さん、ありますか。たとえば満州農産物検査所に対して、これは全く満鉄から分離して国策に協力した国家的な意義で動いた役所であるから、これを対象にしてくれというような要望も出ておると思います。未処理の問題の中に、性格的に一本に考えていいような問題が幾つかまだ残っている。最近において、恩給法の中で大幅に、いろいろな問題をできるだけいい解釈で採択してきたわけでございますが、なお、いま指摘した満州農産物検査所の職員など、公的性格十分である、満鉄と同じ性格であるという提案などが来ておると思うわけです。そうした問題等を含めて、今後の問題としてなお残されている問題があるか。恩給審議会の答申は一応片づけたけれども、なお残っている問題はどういう問題であるかということについて、一言恩給局長から、いまの満州農産物検査所の問題を含めて、お答えを願いたい。  いまここで即答できないようなお立場であるならば、私が指摘した問題等含めて、なお残された要望はどこから出ているか。まだ残された幾つか要望があると思うのです。それらを整理して、ひとつわれわれ議員に恩給法上の未処理の問題としてかかる要望が出ておるということを御説明を願いたい。請願とか陳情とかいう問題にも兼ねるものもあると思いますが、恩給局自身が、政府として国民から恩給法改正に伴う諸問題で要望を受けているものを、資料としてお出しいただけましょうか。
  135. 平川幸藏

    平川政府委員 大体、恩給団体といたしましては、退職公務員連盟、それから軍人恩給連盟、遺族会、傷痍軍人会、それからたとえば満蒙会とか満鉄会とかいろいろございます。そういう団体から陳情は来ております。そういった陳情をまとめまして、それを整理することは問題ありませんから、整理いたしましてお渡しいたしたいと思います。
  136. 受田新吉

    受田委員 それでは要望して、質問を終わります。      ————◇—————
  137. 伊能繁次郎

    伊能委員長 次に、在外公館の名称及び位置並びに在外公館勤務する外務公務員給与に関する法律の一部を改正する法律案議題といたします。  質疑申し出がありますので、これを許します。大出俊君。
  138. 大出俊

    ○大出委員 ちょっと疑問がありますから承りたいのですが、外務省の皆さんが二十八日に明らかにしたということになっているのですが、在日米軍の常時駐留は日本防衛の人質として必要であるなどの認識から、有事駐留では不安だ、したがって解釈、運用でまずいところは改めていく、つまり運用や解釈を改める、こういう趣旨検討をなすって、それが外務省の結論だ、こういう報道があるわけですけれども、ここらあたりがどうも私は不納得なんです。  もう一つ、これは防衛庁の側に承りたいのですが、久保防衛局長の、これはこの六月ということになるのでしょうけれども、安保条約というのは戦後的な色彩が非常に強いという受け取り方をせざるを得ない、したがって、軍事的な日米協力という側面が非常に強く出過ぎると、そのことがいろいろな影響を与えるということから、簡単に言えば、安保をそういう意味で再検討すべきなのではないか。もちろん、それだけではないわけでありますが、たいへん長文の、新聞紙面で見る限り、それなりの理由、理論がちゃんと構成をされておられるようにお見受けをいたしますけれども、私は、これは久保論文にやがて将来なるのでしょうけれども、たいへん大切なことだと思っているわけです。私は安保を否定する人間ですけれども、共感を呼ぶところもいろいろあります。  そういう意味で、二つのこの報道をながめてみて、片や防衛庁の側はいわゆる久保論文、片や外務省の側は、いまどき、こういう有事駐留では不安だというようなことを、何でまた外務省が結論を出さなければいかぬのかという気持ちがあります。そういう意味で、国民の目に触れていることでありますから。  久保さんのほうの話は、私は記者の方から承りまして、それなりに、ああそうかという点があるのでありますが、また外務省のほうの話も、いろいろと御論議をなさった中身というものを、少し記者の皆さん方に聞いてはみたのですけれども、この際、事前協議問題等がたいへん多岐にわたって論議をされております時期だけに、この辺はひとつ御解明をいただきたいと実は思っております。  そこで、私的な論文をこういう席上で取り上げられるのは迷惑だとおっしゃるかもしれぬと思うのですが、やはりこれは、公的なお立場がおありになる方がお書きになった私的論文というものは、それなりの影響力があります。だから単に私的だという意味では済まされぬと思っておりますので、私が同じ立場でも、あるいは大臣が私的にものをお書きになっても、やはりそれは、今日こういう立場にあるということを前提に公にお書きになっていられるはずだと思います。そういう意味で、差しつかえのない範囲で、久保さんのお考えの中心点を、三つ四つあるようにお見受けをするのですが、お述べをいただきたい、こう思うわけです。
  139. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 ただいまの御質問に関連いたしまして、私から先にお答えを申し上げたいと思います。  外務省と久保防衛局長が、きのう何か発売になったそうですが、私まだ本論文は読んでおりませんが、新聞で伝えられるようなああいう発言をしましたこととの間には、食い違いはございません。これは新聞がここにありますが、「安保現状のまま存続、外務省が結論」と、この方向には防衛庁としても同調しておるわけであります。  それはどういうことかと言うならば、一番わかりやすい卑近な例は、四次防の大綱におきまして、「日米安全保障条約を基調として」と、こういう文句があることは御承知のとおりであります。したがいまして、そういう方向、日米安保条約を堅持するというたてまえで五カ年計画をつくろうというわけですから、いま久保論文の新聞の報ずるような問題について、防衛庁が本格的な検討をしておるというていのものではありません。ただ私は、防衛局長として書いたもの、すなわちその趣旨はどういうことかということで、いずれ本人からもお話がありますが、要するに日米安全保障条約については、日本側よりもむしろアメリカの一つの世論、一つの意見として、いわゆるメリットの少ない日米安全保障条約というものは再検討すべきじゃないか、こういう意見があることは、大出委員も御存じのとおりであります。したがって、そういういろいろな場面を想定しながら、日本の防衛、安保の運用というようなことを、あらかじめいろいろなケースを想定しながら考えていく必要があるのではないか、そういう前提で寄稿したものがたまたま例の久保論文である、こういうふうに聞いておるわけであります。したがいまして、外務省側の意向といま防衛庁とが違った見解を持っておるということはございませんので、念のため私からお答えしたわけでございます。
  140. 大出俊

    ○大出委員 これはお断わりをしておきますが、なぜ私がいまこの問題を取り上げる気になったかということなんですが、私も実は、いまの安保条約というのは、そのできた歴史的背景から見まして、当初一九四九年でありますか、一九四九年の二月、四月、十月という三つに分かれて大きな事件がありまして、二月にいまのチェコがソビエトの衛星国という形で入っていってしまった。これも大事件であります。四月に第一回のベルリン封鎖事件がございました。これまた国際的な大事件でありまして、言うなれば世界が二つの軍事ブロックに分かれていき、かつ冷戦に入るというきっかけがますます強まった。一九四九年の四月がベルリンの第一回封鎖なんですね。この事件、この辺のところから、日本に対する占領政策の変更が見られる。また極東戦略が、当時なかったのですけれども、それが浮かび上がり、御存じのとおり、この年の九月二十八日でございますが、毛沢東の人民中国ができ上がりまして、ここで暫定綱領が採択をされる。したがって十月から中華人民共和国が発足をする、こうなって、まさに決定的な変化が出てきた年ですね。だから将来の朝鮮戦争これは一九四九年は昭和二十四年でありますから、そういう意味では翌年が朝鮮戦争ですから、そういう予測も成り立つという時期に来ていた。これはリットン調査団の報告にも出ておるわけでありますが……。そうしてダレスがその翌年来て、日本国民にものを言う。こうなったわけですから、したがって、いまの安保条約はまさに戦後的色彩が強い。そういうように、いろいろここに問題があって、さて六〇年安保にかわる。このときにも、片務的な——それは確かにアメリカの上院決議がございますから、日本が憲法上相互防衛の形はとれぬという意味で、基地の自由使用というものが出てきたわけですけれども、だからこそ、歯どめという意味の事前協議問題が当然出てくる。あわせて極東の範囲という問題が出てくる。これは二つの特徴なんですね。言うなれば戦後の落とし子なんですね。  だとすると、それに対してもうこの辺で、これだけ世論がいろいろわいているわけでありますから、しかも沖繩が返ってきたという年でありますから、そうなりますと、私はもう何べんも申し上げておりますが、沖繩の基地に対してベトナム戦争の関係を薄めていくべきである。薄めるためにはどうするかというと、安保条約をいじるいじらぬの問題は先の話になるとしても、戦後的な色彩を持っている安保条約ですから、その点をとらえて、やはりアメリカに対して詰める努力をしなければならぬ時期に来ている。こう私は思って、百歩譲ってそこに論点を置いて申し上げているのですが、先般、外務大臣福田さんから私に、そこから先は安保条約に対する認識の相違だとおっしゃるが、私はそうじゃないと思う。私の立場はありますけれども、あのときの質問は、安保条約を前提にしてということを申し上げておる。それにもかかわらず戦後的色彩は薄めるべきである。それが解釈、運用ならば、私はいま直ちに、その解釈、運用について、外務省はもっと積極的に対アメリカという形で取り組むべきである、こういう理論構成をしたい。  もう一つ、そこで出てくるのは、将来の展望として、現在は、外務省の言うように、現行安保を前提として解釈、運用というものは考える、その解釈、運用の中で、沖繩基地のいま使われている実態というものをもっと厳密に調べていただいて、そしてできる限り、このベトナム戦争との関係、極東の範囲というものの解釈、事前協議というものの解釈上、将来日本が考えなければならぬ、巻き込まれないという意味日本の自主性というものはあるのですから、そういう意味で、今日、外務省が考えた考え方を、それならばなぜ対アメリカということで国民の前に明らかにして、自主性という意味で進めないか。この中に自主性と書いてありますけれども。  そうして将来、久保さんがおっしゃっている課題というのは、それは久保さんがいつまで防衛局長をやっているか知らぬけれども、国防会議事務局長以来手がけてきておられる久保さんの立場から、あえてここまでのことを書いておきたいという気になったんだろうと私は思う。立場は違うけれども、私などにしても長くやってくるとやはり自分の角度がある。そういう意味で、これは少なくともいまの時点で、事前協議というのは死文じゃないか、有名無実じゃないか、米軍の言うなりに場当たり的に外務省はおっつけ仕事をやっているんじゃないか、条約の三百代言的解釈をすると、こう言われるのですから、そこいらでやはり、一つの基本的なものに触れてどうなんだということを、この際、それが私見であれ何であれ、論議をする中心がないのですから、そういう意味では私は貴重な御意見だと思いますので、そういう観点からいませっかく防衛庁長官からお話がありましたけれども、久保さんから再度お差しつかえなければお考え方を、私見でけっこうですけれどもお話しいただきたい、こう思うのです。
  141. 久保卓也

    ○久保政府委員 それではお許しを得まして、簡単に内容を申し上げてみたいと思うのですけれども、立論の趣旨は、まず政府は日米安保条約を維持すると申しております。で、通常、万一のことがあった場合に米側の支援を請う、あるいは抑止力として日米安保条約が必要である、こういう立場なんですけれども、もっと理論的にこれを分析して、なぜ維持する必要があるのかということを考えてやる必要があるのではないかということが一つ。  それから、最近、米側から、安保条約を廃棄すべきであるという意見が一部にあるように伝えられております。テレビ放送もあったようであります。はたして米側から廃棄すべき要因があるのかないのかということをやはり考えておく必要があるのではないかということが第二点。  それから日本の防衛体制と申しますか、防衛の考え方は、若干僣越でありますけれども、アメリカのいろいろの防衛戦略がありますると、われわれはそれを一つの手本として考えていく。つまり向こうの政策のあと追いのような印象が私にはするわけであります。そういう点から言いますと、米側の政策というものも常に転換するわけで、そのたびにわがほうがあわてたのでは困る。したがって、むしろ現時点において、いろいろな将来の選択のあり方というものをあらかじめ勉強しておいて、米側の変化に対応し得るようなふうにわれわれとしては考えておく必要があるのではないか、そういう立論に立ったわけであります。  そこで、現行の日米安保条約が、もちろんメリットもあればデメリットもあるので、そのメリット、これが日米双方にとってどういうメリットであるのか、デメリットはどういうものであるか。そのデメリットというものは縮小、軽減できないものであるのかどうか、そういうことに触れたわけであります。  そしてまた、日米安保条約が生まれた当時の情勢、これは旧安保条約の内容そのものが語っていると思いますけれども、そういうものから六〇年の改定、それから今日と、やはり世界の情勢というものは、一九五〇年代と、六〇年代、七〇年代と異なっているのではなかろうか。それに対応した安保条約の解釈、運用は別の問題でありますが、将来のあり方について少なくとも検討はしておいていいのではないか。で、その検討の一つの方向として、今日から近い将来を見渡したところ、そう日本についての侵略の危険はなさそうである。という場合に、日米安保条約が国民に受け入れられやすいようにする。安保条約は、われわれの考えでは、やはり日本としては必要である。安保条約という名前はまあともかくとしまして、そういうものは必要である。それが必要であるとするならば、やはり国民に受け入れられやすいようにするのが適当ではなかろうか。そういった場合には、軍事的な機能はもちろん安保条約に含めるべきでありますけれども、条約があるということの事実だけでは条約は十分には活動しないというわけでありまして、条約が十分に、特に軍事的な機能の面で有効であるためには、それぞれの施策が必要であろう。またその軍事的な協力の基盤になるのは、政治的、経済的、あるいは文化的、社会的、そういった日米の有効な関係、緊密な関係と、そういうような実態そのものを安保条約というものがあらわすというものにすれば、国民も非常に安心をして日米関係を維持していくのではなかろうかというような趣旨であります。
  142. 大出俊

    ○大出委員 つまり一つの観点をお述べになった、こういうことになるわけでありますが、そこで、なぜそういう観点が出てくるかというと、つまり現時点における国際情勢の変化というものが一つ非常に大きく顕著にあらわれている。これはいろんな論評がありますけれども、米中会談というものも、冷戦構造をこわしていくという意味で、長い目で見なければわからぬといいながらも、やはり一つの転機でありましょう。あるいは今回の米ソ会談が核軍縮というものを取り上げていることも、一つの転機だろうとこれまた思う。そうなると、ベトナム戦争というものは介在をするけれども、国際的にながめに将来への展望、そしてその中における日本の置かれている周辺の状況、極東、アジアの状況、そして受ける脅威というものに対する認識。たとえば、いままでの防衛白書が出たときのあれは、久保さんお読みになっているからおわかりでしょうけれども、中国というものは非常に核開発をして膨張的になっておる、だから将来いろいろな問題を起こすであろう。対象国だとか敵性国家だとか言っておりませんけれども、防衛白書というものは、ことばに気をつけながら、中国の脅威というものを浮き彫りにしている、それは間違いない。しからば、なぜ中国の脅威というものを、防衛白書が、いわゆる国防白書が取り上げたかというと、これは実は米中間にひそむ脅威なのであって、つまり直接的に日本との関係というよりは、中国の脅威ということが米中間にひそむ脅威だ。そうすると、米中会談が行なわれて四つの大きな原則が出てくるということになると、中国に対する防衛白書が考えて書いたこの観点というものは、大きく変わってこなければならぬ、私はその点は明確だと思う。  そうだとすると、ここでいま久保さんが幾つかあげられたけれども、これは実はいまのことを言っている。ただ安保体制、安保条約というものは存在をする。これはいま変えるという方法はない。となると、将来という言い方になるのだけれども、実は現在における認識なんですね。変化してきた今日的時点に立って将来をながめると出てくる発想なんですね。そうすると、国民的認識も実はそこにある、われわれを含めて。そうなると、その方向に向けて外務省がいま何をやるべきか。ベトナム戦争というものをとらえて国民がいろいろな心配をしている、これに対して一体何をすべきかという点を考えなければならぬ。それが実は解釈であり運用であるということになるのだとすれば、ではその解釈、運用というものはどう考えていくべきなのかという点を明らかにしてもらわなければ困る。  これは、行政官庁としての、そして行政長官としての外務大臣がおいでになるのだから、ならば一体、久保さんがいま私的におっしゃっていることは、現状についてものを考えた場合に、これだけ大きく変化してきている。そうすると、ベトナム戦争に対する対応のしかたも、安保条約という網をかぶっても、ではどうあるべきかということを考えなければならぬ。そこらあたりを外務省はどうとらえて、新聞が報じているこの中身というものは、どこに根拠があるのかということを聞きたい。いかがでございますか。
  143. 福田赳夫

    福田国務大臣 私は、いま米軍が日本に駐留しておるこの形は、わが国として好ましい形じゃないと思います。わが国自衛力を増強して、そして米軍はできる限り引き下がってもらいたい、こういう基本的な考え方を持っております。ただ、これは自衛力の増強に限界があります。一つは、わが国の国民の間に、もう再び戦争はしまい、こういうコンセンサスが定着しつつある、こういうふうに思います。もう一つは憲法です。これは完全な抑止力を持つだけの十分な装備をすることができない、そういうような状態にある。自衛力の増強はいたすべきである、またこれはいたさなければならぬ、こういうふうに考えますけれども、想像し得る侵略に対して十分な抑止力を持ち得るかというと、そういう日はなかなか来ない。  そこでその抑止力の欠陥というものをどこへ求めるか。これは日米の特殊な関係からして、アメリカとの間の安全保障条約にこれを求むべきである、私はこういうふうに考えております。そういう考え方を持っておるのですから、私の考え方に従えば、米軍の基地というのは逐次整理されていく。米軍は引き揚げていくからであります。しかし、これが完全に引き揚げ得るかというと、私はどうも軍事知識はそう詳しくありませんから、私自身で確かめてはおりませんけれども、軍事専門家が言うところに従いますと、つまり、この抑止力の欠陥を補うというためには、やはり常時抑止力の不足を補うための根拠地がなければならない。そういう最小限の米軍の基地というものに——時間はどのくらいになるか、これははっきり申し上げられませんが、ある時点になるであろう、こういうふうに思います。そういう状態を有事駐留だ、こう言うならば、それは有事駐留という事態が来るかもしれぬ。しかし、繰り返すようでありますけれども、わが国から全部米軍基地がなくなる、こういうことじゃないのです。補給でありますとか、あるいは補修でありますとか、あるいは有事に部隊を迎えるためのそういう状態というものがやはり存在をする、こういうことでなければならぬのじゃないか、こういうふうに思うわけであります。いずれにいたしましても、米軍がふえるということはもうないと私は思います。逐次整理されていく、そういう状態であろうと思います。  そういう状態とは別に、今度は国際情勢の動きというものがあります。国際情勢に対応いたしまして、米軍の今日日本に駐留しておるその機能というものがどういうふうに変わっていくかという問題がある。あるいは、安保条約の対象地域、これはまた変動もしてくるでありましょう。あるいは、いわゆる米軍の機能自体においても、またいろいろな変化を来たしてくるであろう。そういうことに対応いたしまして、現在の安保条約をどういうふうに運用していくか。これはおのずからそこに変わってくるものがあるべきである、またそれが自然である、こういうふうに考えております。  そういう自衛力の増強に伴う米軍の引き揚げ、そういう事態。また国際環境といいますか、われわれをめぐる安全保障環境の変化、そういうものに応じながらこの条約の運営というものを考えていく、これが私は当面の課題じゃあるまいか、そういうふうに考えております。
  144. 大出俊

    ○大出委員 そうすると、当面の国際環境というものは、しからば外務大臣は、「運用や解釈は改める」云々とここにありますけれども、どういう変化を示したとお考えなのか。  それから、いま、将来の基地機能というものは、補給だとか、給油だとか、いろいろなものがあるだろうと、つまり一つの限度をお考えになっている。そうすると、いまのこのベトナム戦争をめぐる状態というものは、その域をはるかに越えている、私はこう考えざるを得ないと思うのでありますが、一つは国際環境、一つはベトナム戦争があります。そういう大きな意味日本を取り巻く国際環境の変化というものは顕著にある。そうすると、その中におけるいまの安保条約というものは、戦後的な色彩の強いもの。そこで、いま言われる給油であるとか、あるいは補給であるとかという一つの限度をお考えならば、現状ははるかに限度を越えてしまっておる。それはその限度における協力というところまで引き戻す努力を、しからばなぜ外務省はしないかという問題になってくると私は思う。したがって、日本の置かれておる国際環境というものの認識と、さて薄めていく努力と私は前から言っておるのですけれども、そこらのところは一体どうお考えか。
  145. 福田赳夫

    福田国務大臣 私はかなり長い展望をいま申し上げたのです。ところが、いま短い展望、今日の時点とするとベトナム戦争がある。これは捨象して考えておるわけです。長い展望とすると、わが国のアメリカ基地というものの様相はこうなっておるのであろう、こういうことを申し上げておるのですが、不幸にしてその長い展望にさからうような現象が今日この時点において出てきておる。それに対しましては、またそれに応ずるかまえをしなければならぬ。  私の申し上げたいことは、日米安全保障条約は私どもは堅持していかなければならぬ、こういうふうに考えておるということを前段で申し上げたわけなんです。そうしますと、今日のこのベトナムの事態、これでわが国の基地も忙しいような状態も出てきておりますが、しかし、日米安全保障条約はこれを堅持しなければならぬというたてまえから言いますと、米軍の要請、こういうものにも応じていかなければならない、こういう考え方、これをとらなければならぬことに相なってくるわけなんです。  しかし、私が申し上げておるのは、長い展望としますとそうではないのだ。長い展望としますと、いま米中会談というものが行なわれた。そうすると、台湾海峡、波静かになる日がいつかやってくる。そういう際には安保条約の様相というものも非常に変わってくる。あるいは日ソ平和条約が締結されるという際におきましても、これも変わってこようじゃないか。そういうことを踏んまえますときに、安保条約に対するかまえ、これはまた弾力的に、その時点時点で対応していかなければならない。いまちょっと緊張が緩和してというか、ベトナムに関する限りちょこっと私の申し上げておる展望と違った現象が出てきておる。そこに問題があるわけなんでありますが、それはそれといたしまして、わが国の安保条約上の義務を尽くさなければならぬし、また同時に、この条約にもはっきりきめられておるように事前協議という制度もある。これを適切に運用して、そしてわが国が戦争に巻き込まれるという事態もまた避けなければならぬ。この二つの問題をどういうふうに調和していくか、そういう問題と取り組んでおる、こういうふうに御理解願います。
  146. 大出俊

    ○大出委員 きわめて具体的な問題がたくさんあるのですが、その前に、現状認識という面でもう二つばかり伺っておきたいのであります。  一つは防衛庁長官に伺いたいのでありますが、米ソ交渉が始まっているわけであります。平和時の防衛計画のあり方というふうなものの検討を始めた。どうもアメリカの戦略自体も非常に変化が見えてきておる。たとえば核軍縮協定が調印されておりますから、ABMの建設などもとりあえず中止するとか、顕著にすぐ対応してあらわれてくる。先ほどちょっと環境の変化、情勢の変化を長官はお話しになりましたが、つまりそれは遠い将来の展望じゃない。いま起こっておる変化なんです。それにどう対応するのかということです。のんきに十年先を考えているのじゃない。そうすると、そういう意味で練り直す必要が当面ある、こう私は認識をする。だから、おそらくそういう点が防衛庁の中でも議論をされたのだろうと思うのでありますが、そこらのところは、その変化をどうとらえて、どういう方向で論議をすべきものと御認識なのか、この点をお聞きしたい。
  147. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 戦略的な核兵器が双方において自粛され、軍縮の方向が見出されたことは、たいへん望ましいことだと思っております。ただ、もともとわが国は核装備はしない、こういう前提にあるわけです。元来、核の脅威に対しては、抑止力としてアメリカの核のかさのもとに依存する、これを抑止力としても受けとめる、こういう解釈で来ておるわけです。したがいまして、核の用いられる脅威というものが非常に遠のいたというか、なくなったとは言い切れないまでも、今度の話し合いによってその憂いがどれほどか緩和されたということは、非常に好ましい場面だというふうに思います。  ただ、日本の自衛隊が持っておるところの通常兵器の装備を充実しようという四次防とこの問題とどう結びつけるかということになりますと、にわかにこのことによって四次防そのものを大きく変えていくという根拠にはなり得ないのではないか。日本の平和を求める姿勢としては非常に好ましい、いい形のものができてまいる。もともとわれわれは、核装備はしない、通常兵器による局地戦に備える、こういうたてまえでありますから、直接的には、自衛隊の装備そのものにどういう影響を具体的に与えるというていのものではないと思います。しかし、これとても、今度の四次防の最終年度等に核軍縮の方途がはっきり打ち出されたということについては、十分論議を尽くしながら四次防を策定していくということにはなろうと思います。しかし、いま直接的に、どこをどう修正するかとか、どう改めるかということについては考えてはおりません。
  148. 大出俊

    ○大出委員 この前段のやりとりは時間がかかりますので、実はどこかで相当時間をかけて論議をしなければならない。これはこの委員会性格責任がある問題だと思っておりますが、実はいま具体的な問題をかかえて、この問題に長く時間を費やすわけにはまいらない。  ただ、いま両大臣からお話がありました中に、一つだけやはり通ずるものがある。それは何かというと、外務大臣のおっしゃった中に、日本という国はもう戦争をしないという意味国民感情が非常に強いものがある、これが一つの制約になる。それから憲法というものがある、これも非常に大きな制約になるということだから、完全な自主防衛、自衛力の完備というふうなことはなかなか保ち得ないだろう、そこに安保条約というものでこれを補完する、こういう趣旨の御説明があった。いま江崎さんのおっしゃっているのは、非核三原則というのをわれわれは考えている、だから戦略的な核という問題については直接関係を持たない、だがしかし、安保条約というものがあって、その意味で全く関係がないわけではない、こう言うのでありますが、これを二つ合わせて考えて結論は出ているのですね。つまり非核三原則の前提は何だ。非核三原則の前提というのは安保条約なんですね。安保条約によってアメリカの核の抑止力を前提にして非核三原則と皆さんは言っているわけですね。  そうすると、われわれが、つまり日本政府が求める最大の抑止力である核について、これが戦略核軍縮というものが進んで調印されたということになった。そこで考えなければならぬのは、しからば抑止力とは何だ。Aの国の抑止力というのはBの国にとっては間違いもなく脅威なんです。脅威でなければ抑止力の意味がない。Bの国の抑止力は、しからばCの国にとっては何だ。明らかに脅威なんですね。ソビエト、アメリカ両国の戦略核軍縮という発想はそこから生まれているわけです。そこで一つの結論が出た、こう見ていいわけです。  そうなると、安保条約に依存していた論理というのは大きく変わってきたということになる。そうなると、かつての「日本の防衛」と称する防衛白書というものも、立論の構成の根底から変えなければならぬことになる。中心がそこにあるのですから。そうでしょう。かつアメリカにしてみても、極東戦略全体の変化が出てこなければならぬことになる。これまた当然のことであります。そうなると、その中における日本の防衛というものは、根本的に再検討する時期に来ている、こう申し上げなければならぬと私は思う。それは局地戦と言ってみたって、しからばいかなる脅威に対する局地戦かという問題が出てくる。ベトナムは極東の周辺でございます、極東にすぐ隣合わせているのですから影響があります——先般、私、質問いたしましたが、しからば一体安保条約にいう極東の範囲というものは、フィリピン以北、日本の周辺だ、韓国、台湾の領域を含む、ただし露領沿海州は含んでいないというのが定説でしょう。そうすると、この範囲の中からすればベトナムは入らぬのです。それをあえて入れようというならば、安保にいう極東の範囲を、岸さん以来の定説を拡大解釈して入れようというならば、日本が負うべきそれなりの脅威というものをなぜ明らかにしないのか。具体的に明らかにしてもらいたいと言ったら、昔のドミノ理論に類する、そういう立論もございましたという話がいま久保さんから出てきた。それだけじゃ国民に説得力を持たない。  相模原の補給廠から横浜の瑞穂埠頭に至る沿道の住民は、五日の日に、そして二十五日も、夜の夜中に地震かと思って飛び起きたら、百ホンをこえるごう音なんです。私のところに直接電話が参りまして、こういうことは安保条約上許されるのですかという質問なんです。夜中の零時に補給廠を出たのですから、たいへんなごう音です。検査した人に聞いてみたところが、百ホンをこえる、こういう具体的な現実がある。そうすると、いま前段でいろいろ話が出ておりますけれども、日本が直接的にベトナム戦争でたいへんな脅威を受けて、これはあぶないんだということになるとするならば、沿道の住民に説得ができる。夜中に向こう三軒両隣が飛び起きて、何だろうとのぞいてみると、そこのけそこのけ戦車が通る、信号無視で突っ走った。これはあとで承りますが、そんなふうに国内法規も無視して戦車に通られて、それでも黙っていなければならぬのだとするならば、それなりの脅威が日本国民にとってあるんだという説得力ある説明がほしい。  くどいようですけれども、そこのところは一体説明がつきますか。これは私は簡単につかないと思う。私に質問が来て、こんな思いまでしなければならぬのですか。五日にびっくりして飛び起きて、二十日過ぎになったらまた飛び起きる、一体なぜこんな目にあわなければいけないのかという説明がない。こんなばかなことはないだろうと言われた。私もそのとおりだと言わざるを得ない。そこらに解明が与えられるならば、私は与えていただきたい。いかがでございますか。
  149. 吉野文六

    ○吉野政府委員 御存じのとおり、日米安保条約というものはいわゆる庁務的な条約でございまして、日本はアメリカから守られますが、日本はアメリカを守る必要はない、こういうことでございます。したがって、その意味におきまして、ある程度日本も、基地を提供したりその他の不都合なことも負担しなければいかぬ。そのかわり、アメリカの抑止力で補充してもらう、これが安保条約のいまのあり方だと思います。したがってその意味で、部分的には多少不都合な場面も出てくるわけであります。しかしながら、われわれは、安保条約の条項に合致する限り、米軍の行動も認めなければいかぬ。そこで、少なくともベトナム戦争に関する限りは、安保条約の第六条によって基地を提供しておる、したがって基地の使用を許しておる、したがって補給、修理その他のこともわれわれの義務である、こういうように解しているわけでございます。その範囲において、多少わが国民も部分的には迷惑をこうむる部分もあり得るだろう。しかしながら、これは大局的には日本全体の安全のために必要である、こういうように解しております。
  150. 大出俊

    ○大出委員 いま局長の答弁は、安保条約に合致する限りという答弁ですね。そうでしょう。私に言わせれば、いかにすれば合致するかということで、合致させるべく皆さんは解釈、運用されている。話は逆だ。私はだから、外務省がここに言っている解釈、運用を考えるというのは、そうではなくて、安保条約の地位協定というものを厳密に解釈をして、なるべく、いま言う部分的であっても、国民が迷惑をこうむることを避けるべく努力をする、これが私は筋だろうと思うのですよ。吉野さんの答弁は、私の質問に対する答えじゃない。私の質問に対する答えならば、まず何で極東の範囲というものを日本政府みずからが解釈をして明確にした。くどいようだが、フィリピン以北、日本の周辺になっている。韓国、台湾の領域を含むことになっている。露領沿海州は含まぬことになっている。国会論議の中で明確にきまっている。そうすると、ベトナムというのははたしてここの極東の範囲に入るか。入らない。入らないことは、エンタープライズが佐世保に寄港したときに私が質問をして、外務省の藤崎条約局長がお認めになった。入りませんと。入りませんが、すぐその隣ですという御答弁をなさった。これはずいぶんふざけた答弁でございましたが、いまなら私ももう少し言いようがあるのだが、あのときはいたし方なく聞いたのですけれども、すぐ隣だ。先生承知のとおり極東の範囲はきまっております、ベトナムは極東ではございません、がしかし、すぐ隣——うまいですな。議事録では、がしかし、そのすぐ隣でございますという答弁。つまり、安保条約にいうところの極東の範囲に入っていない国の争い、その争いをあえて安保条約の条項に合致するといまの答弁で入れているのですから、その点は、あなたのほうは、アメリカの側に都合のいいように一生懸命拡大解釈をする努力をなさって入れてやっている。それは間違いだと私は言っている。そうではなくて、そういうものは切りなさい。安保条約にすなおに合致する面について協力するというなら、条約のたてまえ上しようがないという面が皆さんからは出るかもしれない。だれが考えてもこれはしようがない、これなら国民が納得する。  ところが、との戦車の中には、私はこの間米軍の資料で言いましたが、出してしまいますと、だれが持っていたかすぐわかってしまう。だから用心して出さなかったのだけれども、一九六八年以来、六百五十七台の軍事車両、南ベトナム国軍と明確になっている仕分け、その資料を私の調べた限りは明確にしたのだけれども、それはあとになったら——それはノーマークです。まつ黒い。直している職員が通称カラスと言っている。それにビニールの白い星をこしらえて一生懸命張っているというわけだ。新聞記者が電話をよこして、何で調査にすぐ行かないのだ。その一点を見たって妙な話でしょう。皆さんがその場合に、安保条約の目的外使用は困ると言って、ベトナム国軍に供与したものについては日本に持ってくるべきではないということにすれば、その六百五十七台の、南ベトナム国軍なら軍事車両なんですから、それだけは減る。つまり日本政府がそういう努力を、解釈、運用を厳重にして一つずつなぜやらないか。そういう意味検討でなければ意味がない。だから拡大解釈して入れた。南ベトナム戦闘が何で一体日本国民に直接的脅威の原因になるのかという点の説明はいまだにない。しかも、解釈、運用という面で合致するのはいたし方ないと言うが、合致させる努力だけしていて、合致しないものをはねていく努力をなぜしない。これじゃ国民が、納得させると言ったって納得できないでしょう。  あわせて私は承りたいのですけれども、相模原を出たこの戦車が、地元の新聞ですから大きく出ていますが、これはひどいものですよ。あとからもう少し具体的には言うつもりでおりますけれども、「そこのけ戦車のお通り 赤信号も突走る 国道、まるで専用道」、こういうことを平気でさせておく。なぜだ。これを見てください。こっちは神奈川新聞ですが、社会党の現地調査団がここに行っている最中のできごとです。「戦車深夜の無法輸送」。これでは赤信号もへちまもないのです。だから、こういうことについては国内法規を無視していいというのは地位協定のどこにありますか。りっぱな国道ですよ。これは天下の国道だ。この国道の信号を無視して突っ走っていいということが——基地の中じゃないのです。地位協定のどこにありますか。ないでしょう。これをあなたのほうは、合致させるとおっしゃるのですか。そうはいかないでしょう。いかがですか、いまの点は。
  151. 吉野文六

    ○吉野政府委員 いまの、国道十六号線を米軍の戦車が信号を無視して突っ走った、この事実につきましては、われわれも、先ほど先生の御指摘のとおり、日本の国内法に違反してよろしいというのは地位協定上ございませんから、厳重に警察を通じましてすでに警告をしておりまして、今後、交通法規の順守を申し入れております。  なお、このようなことについて、将来起こった場合には、われわれとしてはさらに米側に直接申し入れたい、このように考えております。
  152. 大出俊

    ○大出委員 これは簡単なことじゃないですよ。沿道の住民はわいておるのですよ。現地は相模原の市長だって、ほんとうに困ってしまっている。そうでしょう。まるっきりこれは日本人を土足で踏んづけて歩くようなものです。傍若無人ですよ、これは。  北ベトナムのビン女史が、沖繩返還後も日本は相変わらずベトナム戦争に加担していると非難していますね。新聞に伝えられておるとおり。これは四十四年の椎名外務大臣の答弁じゃありませんけれども、日本がアメリカに軍事協力をしておるということを、北ベトナム側が敵性国家ととって、日本を攻撃することも軍事的にはあり得るとお答えになっておるでしょう。これは私も、椎名さんにさんざん質問しておるから、よく知っておる。それをこの間、法的にはどうだと言ったら、そんなこと言ったって、いまの北ベトナムが日本に攻めてくるような状況ではありませんと外務省の人が言っておるのですから、大臣、ごまかしたって、これは国会の答弁で議事録に載っておる。これは思い返さなければいけないですよ。こういう傍若無人なことをさせておいて、局外中立だとか、戦争当事国じゃないと言ったって通用しない。だからまず、戦車のこういう突っ走り方については厳重に警告を発して、国民の目に触れぬように何かこっそり陰で言っておるのではなくて、将来再びあったら基地使用を禁止するとか明確にしなければならぬです。英国とアメリカの基地協定、御存じですか。ずいぶんきびしいものですよ。その国に自主性があれば、そう直さなければ。そこが、久保さんの言っておる、安保条約の地位協定というものの持つ戦後的性格、これをいまの解釈、運用の面で、あなたのほうでできるだけ狭めていくようになぜ努力しないのですか。その気はございませんか。  アメリカ・ベトナム軍事援助協定というものはちゃんとある。国際的にはアメリカが三十七カ国と結んでおる。みんな同じ形なんだ。供与と言ったら、やったのですよ。これは明確に所属は南ベトナム国軍。だから、そういう刻印が打ってあって、星のマークがない。そういうものは、きびしくやめさせるということにしなければならぬです。そこらのところを広げて、何とか適用させてやろう、合致させてやろうということでは、吉野さん、通りませんよ。そういう点はアメリカにものを言う気はないのですか。
  153. 吉野文六

    ○吉野政府委員 いまの先生の御指摘の、相模原で修理しておるベトナムのマークがついた特殊車両、これらにつきましては、われわれも米側に照会したわけでございます。この点につきましては、御存じのとおりベトナムと米国との間に援助協定がございまして、そしてこれらの車両はすべて米陸軍の所有に属して、米側の財産台帳に登録されておる。米側は一定の数量の車両をベトナム軍に貸与する。タイトルはあくまでも米側が保有しておる。もし故障その他が起きれば、新しいものを補給して古いものは引き取る、こういうことになっておるわけでございます。したがって、相模原へ来るときは、あくまでも米軍に所属する車両としてわれわれは修理しておる、こういうことになるわけでございます。で、この点は結局、われわれといたしましては、あくまでもタイトルの帰属者がどこにあるかということで修理の対象にしておるわけでございますから、ベトナム軍が持っておる車両は、これは私ども修理すべき義務もなければ、またその代金も取れない。しかしながら、米軍のものに関する限りは、これは米軍に属する車両ですから、修理せざるを得ないし、それに必要な材料代や賃金も払ってもらっておるわけです。そういうような状況でございますから、実際上これがベトナムに送られた場合に、ベトナム軍が使っていることが大部分だろうとわれわれ想像いたします。しかしながら、それにもかかわらず、あくまでも所有者と申しますか、タイトルは米軍に属する、これが現状でございます。
  154. 大出俊

    ○大出委員 だからそこが違うのですよ。あなたは合わせようとするからいかぬ。私この間ここで提起いたしましたが、集めるときから、持ってきて修理するときから、予算のワクを先に組むのですから。組むときから費目も違えば全部違う。私に手に入る米軍の資料があなた方に入らぬわけないじゃないですか。そうでしょう。だから、アメリカさんそうおっしゃるとおっしゃるけれども、それは通らぬ。違うじゃないか。アメリカがそう言いました、こう言いましたという話しがいつも出てこない。そうじゃなくて、それは指摘しなければいけない。  かつて横須賀で原子力潜水艦が入ってきて、放射能騒ぎが大きく起こった。私がある人をもって調べさせたら、原潜が着くあそこの埠頭に高圧線を五本入れていた。原子炉というのはとめて入ってくる。停泊をした。始動をさせて出る。つまり冷却水というものは膨張しますから、あふれる。あふれれば異常放射能が検出される。こういう原理だ。だから入ってきても冷却水を冷やさぬ。そのために高圧線を使った。明らかだ。あとで愛知外務大臣何と言ったかといったら、実はずいぶん向こう側に言ったのだけれども、そういうごまかしをやるのです。私的にはあとでそういうことを言う。それじゃ困るのです、国民の名においてやっていただかなければ。国民が納得しないのですから。そうでしょう。援助協定の中身だって、お読みになればわかるでしょう。それは通らぬ。しかも現実に、いま吉野さんがお認めになったように、ほとんど南ベトナム国軍が使っていると見られる。だとすると、そういうものが深夜信号無視で突っ走るなんということをされていたんじゃこれは認めるわけにいかない。こういう点がなければ、日本の自主性もへちまもないじゃないですか。そうでしょう。そこらをやはりきびしく、アメリカに言っておるじゃなくて、調べて追及をする。対等のはずなんですから、その姿勢が必要だということを申し上げているわけですよ。いかがですか、そこのところは。
  155. 福田赳夫

    福田国務大臣 いまの戦車の問題ですが、これは修理、補修を認める義務が当方にはある。そこまではしようがないと思うのです。ただ問題は、深夜ごう音を立てて市民の平安な生活を脅かす、しかも交通信号を無視するというようなことがありとすれば、これは行き過ぎだと、こういうふうに思います。米軍もわがほうの警告に従いまして、よほど気をつけてはおると思うのです。しかし、間々そういうことを聞く。そういうことを反復させては相ならぬ、こういうふうに思うわけです。  私は、安保条約の適用というものは、これは適正に考えなければならぬ、片寄った考え方じゃいかぬ、こういうふうに思うのです。縮めても悪い、広めてもまずい。しかし、そのやり方というものにつきましては、わが国民の市民感情に合致するような方法でやっていかなければならぬ、そういうふうに思いますので、それらの点でいろいろ手落ちもあったようでありまするが、もしそういうような点を発見いたしますれば、私ども厳重に警告もいたしまするし、是正にもつとめまするし、米軍もかなり神経は使っておるようではありますけれども、この上とも注意してまいりたいと思います。
  156. 大出俊

    ○大出委員 これは、外務省の皆さん、いろいろ同僚委員からもいろいろな意見が出たりするのですが、米軍と、アメリカ側といろいろやると、こういうふうにお答えになっても、いつもナシのつぶてなんですな。いまも私が質問したら、実はこういうことですと話が出てくるけれども、いまだかつて、あれは話してみたらこうですという御連絡をいただいたことはただの一度もない。アメリカに厳重に申し入れるとか、有効な回答を引き出すとか、ずいぶんいろいろおっしゃったことがあるけれども、一度も御回答をいただいたことがない。そういう姿勢というのは、私はよくないと思いますよ。  そこで、いま大臣からお話がありましたから、もう少し具体的な点について触れたいのでありますが、B52の問題がこの間議論をされました。私、現地と連絡をとって、できれば行きたいのでありますが、そのひまもございませんが、調べてみた。ところが、現地の方々がずいぶん克明に足で歩いて、監視班を出して、どこからどこに弾薬がどの程度の規模、中身は何が送られたか、ずいぶん一生懸命調べている。私は、沖繩県民百万の目をごまかすことはできない一そういう前提で現地とのやり取りの結果を申し上げますが、お答えを願いたいのです。  この間、B52については、福田外務大臣は、天候不良で来たんだ、こうおっしゃる。いわば緊急避難、人道上の問題だとおっしゃる。そうじゃない。沖繩の方々だって、気象庁にものを言って調べる方法はある。調べた。ところがグアム方面というのは、むしろ沖繩からグアムのほうに寄ったほうがたいへんな好天、何ら支障はない。西太平洋の洋上では、KC135なる給油機が連日給油に飛び立って給油している。ほんとうにこれがグアム島に帰る飛行機ならば、西太平洋の洋上でKC135が給油してりっぱに帰れる。間違いない。これは現地の諸君のほうが詳しい。そういう状況にあった。その点が、現地でいろいろ問題になった。沖繩にも新聞があるのですからね。そうしたところが、いや、天候じゃない、給油です。四時間半ないし五時間の給油ですと、こういうわけです。現地の答弁が入れかわっている。ところがこれは裏づけがある。外務大臣は私に、西から来て東に行ったようです。西はつまりベトナムで、東はつまりグアムだろうと思います、こうお答えになったのですが、現地の調査では、どうもそうじゃないのです。東から来て西へ行ったようです、間違いなく。東はつまりグアム島で、西はつまりベトナムなんです。あれ以後あなた方は現地をごらんになったことはありますか。B52が二十日に沖繩に三機やってまいりまして、その前後の状況というものをあなた方はどこかの機関を通じてお調べになったことはありますか。日がたつにつれて、ますますもって明確になってきている。資料はどんどん集まってきている。話は逆でございまして、西から来て東に行ったようでございますと大臣言ったが、そうじゃない。現地のいろいろ調査団が調べているいきさつは、ますますもって明確に、東から来て西へ行っている。お調べになったのがあれば出してください。私のほうはいろいろ資料を持っていますから。
  157. 松田慶文

    ○松田説明員 その後の段階におきまして、先生御指摘の程度におきまするような調査は実はいたしておりませんが、当日の天候その他についてはもちろん調べてございます。当日、沖繩におきます天候は、特に風の方向でございますけれども、これは南西の風八ノット、したがいまして、ごく普通に言いますと、西風が吹いております。したがいまして、私も、これは外務省として専門的にお答えできる立場にございませんけれども、御承知のとおりあの滑走路は東西に延びております。風向きにさからって飛んでいくという通常の離着陸の方式から言いまして、飛行場を飛び立つ、あるいはおりるときのダイレクトの方向と、その飛行機がどちらの方向に目的地を持っているかということは、必ずしも一致しないんではないか、かようなぐあいに考えております。
  158. 大出俊

    ○大出委員 ですから、大臣がおっしゃったように、西から来て東に行ったようですと、これはだれが、どこで言ったのか承りたいのですが、まず、二十日の福田外務大臣とエバリー米大統領通商交渉代表との合議の席にインガソル大使が同席をしましたですね。私のほうで耳に入っております中身からしますと、そのときに大使が外務大臣に話をした、これしか耳に入っておりませんが、大臣がおっしゃった、西から来て東へ行ったようですと、これは一体だれが、どこでそういう話をしたのですか。
  159. 福田赳夫

    福田国務大臣 当日朝、アメリカ大使館及び軍当局から外務省に連絡がありまして、そして、そういうような通知があったわけです。なお、その通知は、私は八時ごろ外務当局から受けたわけです。で、現実には、九時過ぎに、三機が十分ぐらいずつ間を置いて着陸をしておりますが、その時点ではなお詳細に状況の通報がございまして、それで、気象状況が悪くて給油ができない、そういう状況である、そういうようなことが判明し、なお東と言ったのは、それがグアムであるということも、米軍、アメリカ当局から明らかにされた、こういういきさつでございます。それから、インガソル大使からは、けさほど御通知申し上げておるとおり、B52三機が緊急着陸をいたしますので御了承を願いたい、こういう一言があっただけでございます。
  160. 伊能繁次郎

    伊能委員長 大出君に申し上げますが、防衛局長は残られるそうですから、江崎長官、もし差しつかえなければということでございますが、よろしゅうございますか。
  161. 大出俊

    ○大出委員 防衛局長いていただければいいです。少し武器の中身を承らぬと、論議ができませんから。  その、西から来て東に行くようだというのは、アメリカ軍あるいは大使館からの、西から来て東と、こういう表現でございますか。
  162. 福田赳夫

    福田国務大臣 そういう通報が、アメリカ大使館並びに軍当局からあったという旨の私への伝達があったわけでございます。
  163. 大出俊

    ○大出委員 これは事務当局に伺いますが、事務当局からそういろ連絡があったという意味でしょうけれども、ほんとうのところ、アメリカ側からどういう連絡があったのですか。ちょっと重要な問題だから。
  164. 松田慶文

    ○松田説明員 お答え申し上げます。  すでに御説明申し上げてきておりますとおり、五月二十日土曜日、午前七時二十分、私の自宅へ米側当局から第一報が入りまして、趣旨は先ほど大臣がお答与えになっておられますとおり、天候に基づく特別の事態が生じたので、B52三機、これは東向きに飛行中のものという意味でございますが、イーストバウンドのB52三機が間もなく嘉手納に緊急着陸をせざるを得ない、とりあえずの第一報はこれである、それが第一報でございます。それ以降、間を置きまして数次にわたりまして、状況の判明につれまして、たとえば嘉手納に降りましたあと、これは直ちに出ていく、できるだけ早い時間に出ていく、行き先はグアムであるという、そういった状況が順次入ってまいった次第でございます。
  165. 大出俊

    ○大出委員 そうしますと、アメリカ側が東向きの飛行機だと言った。東向きというその行き先は、後刻の連絡でグアムである、こう言ったというわけですな。間違いありませんか。ところで問題は、現地の状況、状況証拠というのが幾つかある。これは後ほど次の回にものを言いたいんですけれども、いま手前まで申し上げておきますが、このB52が搭載している爆弾、まずこれが大体どんなものを通常積んでいるかという点、ベトナムへ行ってどういう爆弾を落としているかという点、これは久保さんでないとはっきりしないんじゃないかと思うのでありますが、この辺はいかがでありますか。
  166. 久保卓也

    ○久保政府委員 B52は二十七トンの爆弾を積んでおりますが、時期によって投下する爆弾が違うのかどうか知りませんけれども、私どもの承知しているのでは、五百ポンド爆弾ではなかろうかと思います。
  167. 大出俊

    ○大出委員 B52は、いまおっしゃる大体そのくらいの積載トン数でありますが、トン数が多ければ航続距離が少なくなるということですから、当然これは給油が要るということになります。なりますが、通常一番よけい積んでいまベトナムで使っておりますのは七百五十ポンド爆弾、こういうわけであります。これらの証拠がございます。必要ならば出してもよろしゅうございます。B52の七百五十ポンド爆弾、これが大量に知花の弾薬庫に保管されている。これも長い調査で、これは運搬している人がいるんですから間違いないことであります。七百五十ポンド爆弾は知花弾薬庫に大量に蓄積をされている、この事実がまずございます。そしてこの四月の十二日、これから始まっておりますが、知花の弾薬庫から嘉手納に向かってこの七百五十ポンド爆弾が累次、回を重ねて運び出されている。嘉手納に持ち込まれている。これは四月の十二日からであります。そのときに、実は、これはB52が再度沖繩に来るのではないかということで、新聞がぼつぼつ取り上げ始めたわけであります。それがB52沖繩再飛来という問題になった発端ですね。そこで私もこの委員会で、B52が沖繩にまた来るんじゃないかという質問をしたことがある。また上原康助代議士も、現地のそういう打ち消しがたいうわさがある、B52がまた来るんじゃないか、こういう質問をしたことが実はある。こういう現地の実情がございます。ところが今度は、やはりこの四月の十二日ごろから、F4ファントムなりあるいはF105サンダーチーフなりに給油をするタンカー、これがどういうわけか逐次嘉手納空港にふえてきた。通常の、つまりF4ファントムあるいはF105サンダーチーフに燃料補給をするタンカーの倍をこえる数字にふくれ上がっている。これは一体なぜだろうかという問題が出てきた。この辺の時点で、五月の十八日になりまして、琉球新報がこの点について記事にして書いておるわけであります。私はその前から連絡をもらっておりましたが、新聞が記事にお書きになった。こういう経緯がございます。これは十八日。  いよいよこれは来るんじゃないか。その時点で、沖繩に行きますと、私はもう何べんも行っておりますからですが、一般の人が通る道路を、水上から上がってきた水陸両用戦車が、アメリカの兵隊を乗せて山へ上がっていく。何べんも直接ぶつかっております。そのときに手の握り方があるんですけれども、ぼくらがその手の握り方で手を上げると、乗っかっている向こうの兵隊が手を上げる。そのときに同じような形に手を握って上げる。つまり反戦米兵といわれる方々がたくさんいる。グループまである。こちらの方々のほうから、これはいよいよB52が来る、つまりタンカーを集積をしているのはそういうことだ、こういう連絡が入っておる。現地の私どもの関係の機関がキャッチをしている。だから、これはほんとうに来るなということを、私どもはもう十八日段階で考えていた。だから四月の段階から質問を始めているわけです。この点は何べんも聞いている。来るのじゃないか、だいじょうぶか、来たらどうする、これはついこの周も内閣委員会福田外務大臣にも私どもはその質問をしている。私もしているけれども、伊藤惣助丸君なんかもしている。断わります、こういう発言だった。  ところが、今回入ってきたB52、つまりこのB52の爆弾の搭載のしかた。直接見ている人がいるのですが、久保さん、この爆弾をどう積んであるか御存じですか。
  168. 久保卓也

    ○久保政府委員 B52は外部に搭載しております。内部搭載もあるようであります。
  169. 大出俊

    ○大出委員 内部搭載もありますが、これはたくさん積むときにはミサイルパイロンという部分に、これはおっしゃるように、外部に搭載をしている。だからこれがついたときに、実は、東から来て西へ行くのか、西から来て東へ行くのかということについては——七百五十ポンド爆弾は知花から嘉手納にどんどん四月十二日以降運ばれたという実績があって、監視が出てみんな調べているわけですから、これだけ七百五十ポンド爆弾が運ばれている。反戦米兵の話によれば、タイのウタパオ基地に集積してあった七百五十ポンド爆弾が底をついた。そうなると、これは遠からず何機かやってくるぞということになった。そういう意味で、じゃ来たらどこを見ればわかるか。おそらく爆弾を積めば、ミサイルパイロンを見れば、七百五十ポンド爆弾の弾頭というのは色がはっきりしているから、この爆弾の弾頭は一目見ればわかる、黄色く塗られていますからすぐわかるということで、これは警戒をしていた。案の定このミサイルパイロンはB52が飛び立ってすぐ見える。ちゃんと七百五十ポンド爆弾は満載をしている。弾頭が見えている。外部に積んでいるのですから。当然それはまさに満載。そうなると、西から来て東へ行く、その西はベトナムでございまして、東はグアムでございます、こうおっしゃるのだけれども、一体こんなに七百五十ポンド爆弾を積んでグアムまで帰る、そんなことは考えられる筋合いのものじゃない。そうなるとこれは、東向きどころの騒ぎじゃない。これは西向きに飛んでいく飛行機です。しかもこれはきわめて計画的に行なわれている沖繩基地立ち寄りですよ。決して緊急避難でも何でもない。さっきもおっしゃったように、沖繩だって天気はまことにいい。グアムはなおいい。西太平洋上で給油ができないような、そんな天気じゃない。KC35は沖繩に一ぱいいる。命令一発で飛んでいく。年じゅう行っているのですから、帰るならば給油すれば何でもない。きわめて不自然な状態でなぜ三機沖繩におりてきたか。  かくてこれは明確です。ここらあたりを、あなた方何にも調べないで、西から来たようでございます、東へ行くようでございます、西はつまりベトナムでございまして、東はこれはグアムでございます、帰りだから事前協議の対象にならないという。それは伊藤君が言ったように、行って帰ってくるまでが戦闘作戦行動ですよ。帰りだって戦闘作戦行動に間違いない。間違いないが、なおのことこれは明確です。これは私だけじゃない。ちゃんと確認をしている人がいる。  だから、皆さんは、なぜ一体、事前協議というものを、向こうの行動に何とか合わせていこう、合わせていこうとなさるのか。それほど日本には自主性がないのか。ここに国民に不信を呼ぶ最大の問題点がある。なぜはっきりそれをやらないのか。ここの問題。私は無責任なことを言っているのじゃないのですよ。全部現地と連絡をとっている。原水禁の組織だってある。一生懸命現地が調べているその上に立ってものを言っている。さっきの国道の信号を突っ走った戦車だって、社会党調査団が、深夜、ちゃんと県会議員その他を含めて全部いるところで突っ走っておるわけですから、目撃をしておる。沖繩百万県民の目はごまかせないですよ。だから現地でたいへんな騒ぎになる。みんな知っていますよ。いやこれはグアムへ帰る飛行機じゃない。沖繩の方々全部知っている。そういうところをなぜあなた方ははっきりさせる気がないのですか。承りたいのですがね。
  170. 福田赳夫

    福田国務大臣 計画的にB52がやってきたというような断定でありますが、私どもは、そういう今回の緊急着陸の通報を受けた際に、こういうこと、まことにやむを得ないことだ、だがこれが反復されないように特別に注意を払ってもらいたいということを申し上げておるのです。そういたします。それから移駐という問題につきましては、これはお断わりしますから、さよう心得てもらいたい、心得ます、こういうことなんです。三機ばかりが計画的に、ずいぶん前から計画してやってくる、こういうことは私、常識として考えられませんが、まあ計画的というならば、三機緊急着陸を第一段階として逐次また移駐でもやってきそうなものだという感じがします。そういうことは全然アメリカ当局は考えておらぬようであります。また、わが国の要請があるということも十分承知しておる、こういうことでありますので、どうも計画的着陸説、これは私もどうも納得がいきませんけれども、とにかく、緊急着陸をする、そういう要請がある。それをむげに断わるわけにもいきません。しかしそこが問題なんです。つまりそれが将来しばしば反復されるというようなことがあるとまた不安を生じますから、そういう緊急着陸といえども、やむを得ないと考えられるけれども、そういう事態が起こらないように気をつけてもらいたいということを強く申し入れておる、そういう事態でありまして、何も関心を持たないのだというようなお話でありますが、さにあらず、たいへん私ども気を使っておるということは御理解を願いたい、かように存ずる次第でございます。
  171. 大出俊

    ○大出委員 現地の実情もお調べにならぬでそういうことを言ったってだめですよ。弾薬が知花から運ばれているその事実の上に立って、さてタンカーがふえてくるという事実の上に立って、現地ではB52がもう一度来るんじゃないかといって新聞も取り上げた。私どもも事実を調べた。調べてみたその上で何べんか議会で質問をしてきた。つまり現象があらわれているからですよ。F4フアントムの数は目に見えている。F105だって目に見えている。嘉手納基地のすぐそばに丘がありますが、そこへ上がってごらんになったら一ぺんにわかる。僕はそこに半日いた。機数から何から全部わかる。一体これだけの配置でどれだけのものが要るか、すぐわかる。それがどんどん変化してくる。専門家が見ているのだから、変化してくるから、これはいかぬ。長年見続けているのだ。専門の記者の方もたくさんいるのだから。だからいち早く報道機関のほうでも、これはB52が来るなとのろしを上げて、現地も騒ぎ始めて、私どもも国会で質問してきた、また台風避難とかなんとかいって来るなと。前回もそうなんだから。案の定入ってきた。決して偶然じゃないのじゃないですか。そんなことは常識的に考えられない。冗談じゃありませんよ。現に現地で起こっている現象が全部違う。だから調べている諸君がみんな異口同音に、これは来るな。そうでなければ国会で質問なんかしやしません。  だからそういうことであってはならぬ。あなた方は調べていない。アメリカはそんなこと考えておらぬようです。おらぬようです。アメリカがおらぬと言ったということだけじゃないですか。それじゃこれは論議にも何にもならぬじゃないですか。あなた方、お調べになる気はないのですか、現地の状況というものを。ますますもって明確になってきているんだからお調べになったらどうですか。あなた方は、最後に資料を出されて、写真を出されて、これはしかたがない。いつもその筆法なんだけれども、あなたのほうでお調べになる気はないですか。
  172. 吉野文六

    ○吉野政府委員 この点につきましては、われわれもまだ沖繩に人が残っておりましたから彼にも照会して、状況を調べる、こういうように指令しました。そうしてそこから、別に何ごともなかったようだということを報告を受けております。なお、この場で申し上げることは差し控えさせていただきたいと思いますが、われわれとしては確実に、彼らは爆弾を積んでいかなかったという証言を持っております。
  173. 大出俊

    ○大出委員 大臣の時間がないということでありますから、基本的な点を一、二点聞きまして、まあ問題たくさんございますけれども、またの機会に譲ろうと思うのでありますが、基本的な点というのは、事前協議は空洞化し死文化したというのですけれども、これは本来私は疑問を持っているのです。ひとつお答えいただきたいのですが、どうも、コンサルテーションなることば、原語ですね、これは間違いないところである。当時の六〇年安保の論議の中身を調べてみましたが、この種の論議があまり当時行なわれていない、こういう気がするのです。そこで、コンサルテーションなることば、これは一体どういう理解を当時あなた方はなさったのか。アグリーメントじゃないですね。まずそこはどうでしょうか。
  174. 高島益郎

    ○高島政府委員 ただ協議ということだけでしたら、もちろん相談という意味ですが、事前の協議は同意がなければならないと思います。ただ、事前に協議しなければならないということは、これは当然同意という意味である。しかも日本の意思に反しては米国は行動しないということは、当時口頭で了解されまして、その結果を岸・アイゼンハワー共同声明で確認しているというふうに当時から説明しております。したがいまして、私どもの解釈といたしましては、日本側がノーと言う、拒否をすることができる権利である。そういう意味におきまして、日本の同意を必要とする、つまり事前の協議ということは同意であるというふうに解釈しております。
  175. 大出俊

    ○大出委員 大臣がいなくなりましたから、あまりこの問題は掘り下げても、どうも皆さんとのやりとりになってしまいますから、この点は大臣がお見えになってからあらためてやりますけれども、実はこれは国際司法裁判所の判決などもあるのですね。これは御存じだと思います。昭和八年から十二年の例の移民条約にまつわるいきさつもある。いろいろある。そう簡単に、当時から説明していますで済まないところに問題がある。あるけれども、これはひとつあらためて議論いたします。  先般、私が取り上げました二つだけ取り上げて、あと具体的な点について承りたいのでありますが、この間、私、申し上げました二つの機種の飛行機、一つは足は長いのでありますけれども、B52を先導をしていると見られるRC欄、これが一つ、それからEC135、これが五機いま嘉手納におります。つまりKC135の改装型でございますけれども、この二つの飛行機、これがものの本その他によりましても明らかでありますけれども、相手の地上レーダーを撹乱する意味で、つまりアメリカの爆撃機の先導をする。先に行って撹乱をする。撹乱をするという仕事は戦闘なんです、明確に。この点、お調べになりましたですか。
  176. 松田慶文

    ○松田説明員 先般、御質問がございまして、調べさせていただきました。お答え申し上げます。  RC135及びEC欄は、ともにKC135を偵察機に改装したもので、外見上はノーズのところの長さが違うとか、内容上は各種電子機器を備えておるというような違いがございますが、その任務は、長時間高空を飛行いたしまして、電気通信関係の偵察飛行をする。たとえばEC121とか、いろいろとこの種の活動を行なう飛行機はあるやに聞いておりますが、そのような一般的な通信を含む偵察活動を行なう。そうして、これらの飛行機がB52の爆撃と何らかの関係を持つかという具体的な質問をいたしましたのに対し、米側責任者は、いかなる意味においても、間接にも直接にも全くB52の活動とは無関係である旨確言しております。
  177. 大出俊

    ○大出委員 すべてそれなんですね。それじゃ何で一体機体のマークまで消して嘉手納に入ってきて、そこにいなければならぬのですか。私も何べんも嘉手納基地を調べていますが、これが何で嘉手納にいるか。何でこんなものが入ってきて、毎日激しく南に向かって飛んでいかなければならないのですか。あなた方、実態をちっとも知らない。もっとも外務省に戦闘の話をしたってしょうがないのですけれども。あなた方は質問して聞いてくるのが仕事と思っておられるのかもしれないけれども、それなら何もこんなところにイニシアルナンバーまで消していなければならぬのか。そんな理由は一つもない。SR71が四機も駐機して、最近また一機ふえて五機も駐機していて、それ以上いる必要はないじゃないですか。
  178. 松田慶文

    ○松田説明員 本機につましては、たまたま私が沖繩に出張する機会がございましたので、先週、嘉手納に参りまして、直接先方の責任者から聴取するとともに、当該飛行機も見ましたし、その他若干の説明を聞いたわけであります。御指摘のとおり、SR71は機体を塗りつぶしておりますが、RC135、EC135は通常の形状、色彩、標識をつけております。
  179. 大出俊

    ○大出委員 写真がここにあるのですよ、そんなことを言ったって。この二種のうちの片方です、標識を消しておるのは。これは沖繩タイムスがとってきた鮮明な写真がある。消えておる、下の飛行機は。明確に消えておるじゃないですか。説明してある、ちゃんと。これは現地の記者の方が自分でとってきた写真である。これは通ればすぐ見えるからどういうこともない。そういいかげんなことを言ってもだめです。結局、だからあなた方は、世の中に公にしにくい資料でも出さぬことにはうんとおっしゃらぬ、こういうことになると思う、大臣のいないところでそういうわけにまいりませんから、まだこの委員会はあとに問題が残っておりますから、そこでやるつもりでおりますので、きょうは少し出そうと思ったら大臣がいなくなりましたので、先ほど私にお話がありましたから、了承しましたので、先に延ばします。  そこで、この間承りました毒ガスの件、これはその後の状況を見ると、いま席においでになりませんけれども、佐藤さんのおいでになる別府湾などからも五千発ですか。これは承りたいのですが、最近この種のことばかり出てまいりますけれども、基本的にはどこがどういうふうに所管をされるのか。この点、明確にしていただきたい。
  180. 鷲巣英策

    ○鷲巣政府委員 お答え申し上げます。  毒ガスの所管問題につきましては、先般、佐藤総理の指示に基づきまして、環境庁が中心となりまして、関係各省の協力を得て処理する、こういうようにきまったわけでございます。
  181. 大出俊

    ○大出委員 そうすると、関係各省の協力を得てというと、どことどことどこの省の協力なんですか。
  182. 鷲巣英策

    ○鷲巣政府委員 とりあえず問題を二つに分けまして、大久野島の毒ガスの問題、それから大久野島以外の一般の毒ガスの問題、そういうふうに分けまして、大久野島につきましては、陸上につきましては、環境庁が自衛隊その他の協力を得て、いま現在調査中でございます。それから大久野島の周辺海域、これにつきましては、水産庁が中心になりまして対策を研究する。それから大久野島の毒ガス工場のもとの従業員などその他の関係者がございますが、こういう方の被害者につきましては、大蔵省及び厚生省が中心になって対策を研究するということになっております。さらに、大久野島のこの問題に関連いたしまして、全国の旧陸海軍基地、こういう基地におきます毒ガスの状況とか、あるいは戦後における掃海作業実態、こういうものにつきましては、防衛庁が中心になりまして調査をいたしましてから対策を検討する、こういうふうにきまっております。
  183. 大出俊

    ○大出委員 そうすると、どことどことどこに毒ガスがあることになるのですか。別府湾にあり、津軽沖に捨てたというのがあり、大久野島があり、何かいまのお話によると瀬戸内海にもあるというのですが、そうなると、これはどういう性格のものがどういうふうに捨てられているのか。そこらは一体どういうことになっているのですか。これはもう、のん気なことを言っている間にあっちこっちで被害が起こったんじゃかなわぬわけですから、せっかくこの委員会で浜田君が念を押したときに調べもしないで、今度は被害をこうむった人が出てきたら、ようやく総理のお声がかりか何か知りませんけれども、そういうことを分担をきめた。これはずいぶん国という立場からすれば無責任きわまると思うのですが、一体そこら辺はどういうふうに皆さんのほうでつかんでいらっしゃるのですか。
  184. 鷲巣英策

    ○鷲巣政府委員 現在、環境庁も関係各省から報告を求めるということで、来月の五日に一応中間報告会議を開いていただくということにしておりまして、その段階におきまして、特に防衛庁の関係から、先ほど申し上げました、いろいろな過去の実態に基づきましての数字がある程度いただけるものと期待しておる次第でございます。
  185. 大出俊

    ○大出委員 防衛庁いかがでございますか。何かいまおつかみのところございますか。
  186. 久保卓也

    ○久保政府委員 まだ総体的にまとめておりませんけれども、従来問題になっておりますのは、別府湾のイペリット弾、それから兵庫県播磨沖の黄燐弾、大久野島のやはりイペリット、銚子沖のこれまたイペリット、一応私どもの手元にありますのはそういうようなものでございます。
  187. 大出俊

    ○大出委員 津軽沖というのは、これはどういうわけですか。イペリットガス弾を拾って津軽沖に捨てた。旧海軍が戦時中に投棄したと見られる毒ガスで死傷者が出ている。青森県の陸奥湾ですね。死傷者が出ている。ここのところは手がついてないのですか。
  188. 久保卓也

    ○久保政府委員 ちょっとその点、私いま資料持っておりませんが、もう一件ふやしますが、山口県の沖合いでこれはイペリット弾だと思いますが、それがございます。したがいまして、いま私どもの手元の資料から調べてまいりますし、従来の第一復員局、第二復員局が持っておりました資料、これは厚生省が引き継いでおります。その中から調べてまいります。それと、最近、新聞報道で報道されておりますような、県に発端を持ちまして、県庁のほうで調べてくれているのがだんだん出てまいりますので、県側等と連絡してまいりたい。総体的にはそういうものを調べた上で一応の調査報告はできようかと思います。
  189. 大出俊

    ○大出委員 そうすると、復員局の資料にあったということになると、これは、わかっておったにもかかわらず、ほうっておいたということになるじゃないですか。そこはだれが答えるのですか。
  190. 久保卓也

    ○久保政府委員 従来は総理府が中心になってこの間の調査をやっておりました。確かに行政官庁が明確でなかったので、総体的な調査が行なわれなかったのではないかと思いますけれども、復員局のほうに資料が確実にあるということではないのですが、あるとすればそこであろうということで、そこの資料からまず始めよう、こういうことであります。
  191. 大出俊

    ○大出委員 別府湾の件でも証人が名のり出ている。そこでこれが問題になって出た、五千発。佐藤文生先生に聞いてみると、現地はえらい騒ぎだ。きょうおいでになれば関連質問をしたいと言っておられた。ここまできて大久野島の問題が表に出た。別府湾にも捨てたので、そのときにおれは参加したんだ。五千発、場所はどの辺だ、この辺だということになった。ところが津軽沖のやつは、証言があって初めて表に出た。ところが第二復員局云々の時代に実はあったんだ。あったのが、所管がはっきりしないからそのままになったんだ。それによってけが人が出たり死んだ人が出たりということになると、これは一体日本政府というのはあるのかないのかということになる。その辺のところは一体どういうことになるのですか。どうも大臣がおいでにならぬことになってしまいましたが、これは捨てておけないですよ。国民世論としては、こんなばかなことがあるかということになる。そこへ持ってきて、例の機雷に触れたという問題が出てきている。この機雷問題はどこの所管でございますか。   〔委員長退席、坂村委員長代理着席〕
  192. 久保卓也

    ○久保政府委員 機雷の問題につきましては、従来、総理府が関係官庁をとりまとめまして一応の結論が四十五年に出されておりますが、その結果で、浮遊機雷につきましては従来から防衛庁がやっております。数量その他も出ておりますが、そこで九三%の危険海域については浮遊機雷の掃海を終わっている。残りのものにつきましては、非常に水域の浅いところ、あるいは漁業その他で問題があるようなところでまだ残されている。しかしながら、地元との協議が整い次第、必要があるものについてはやはり海上自衛隊が行なうということになっているようです。  問題になりましたのは、海底に埋没しておるものについてでありますが、これについては、運輸省、海上保安庁が工事を行なう業者について、海底をしゅんせつする場合に、機雷の有無について事前調査を十分にやるようにという行政指導を十分にするというのが四十五年の十月の関係官庁間の取りきめであります。
  193. 大出俊

    ○大出委員 いまの海麟丸ですか、このほうはほかの委員会でいろいろ質問があったようでありますから、時間の関係がありますから省略をいたしますけれども、いまの毒ガスの問題につきましては、これは最終的にどこでどういうふうな処置と対策をお立てになるおつもりでございますか。
  194. 鷲巣英策

    ○鷲巣政府委員 先ほど申し上げましたように、環境庁が中心になりまして、それぞれ各省の分担事項がきまりました。それで、その分担事項に従いまして各省が対策を立てていただき、そしてそれを実行していただく、こういう段取りになるわけでございまして、ただ、現段階におきましては、先ほど申し上げましたように、どのような方法でこれを処理するかということがまだ詰まっておりません。至急詰めましてから実行段階に移す、こういうふうに考えております。
  195. 大出俊

    ○大出委員 中身なんということになると、厚生省などの所管があるわけですな。大体かつての資料に基づいて、どんなものがいま捨てられているかというような点。あるいは農林省の水産庁ですか、そちらの関係もあるわけですね。そちらのほうは、何をいままでやってきたわけですか。
  196. 太田康二

    ○太田(康)政府委員 先生から御指摘のありましたように、実は私のほうも、問題の起こったつど調べているというようなことでございまして、実態のほうは、私どものほうも十分承知いたしておりませんから、たとえば今回のあれで各省協力するわけですけれども、防衛庁がしんになって調査をしていただくということになったわけです。  一つ例を申し上げますと、銚子沖イペリットの列がございまして、これにつきましては、当初は内閣審議室が中心になって、関係各省協議の結果、漁民に関係する部分が多いということで、水産庁が一応その対策と申しますか、具体的な処置につきましては、私のほうが分担をいたしております。もちろんその際、警察とか厚生省の協力も賜わっていることは事実でございますし、さらにその後におきましても、海上保安庁の協力を得るというようなことをやっております。  それで、やりました実態は、千葉県に委託いたしまして、三十五隻の船、底びき漁船でございますが、結局、地元の漁業者の方の協力も得ているわけでございます。これを雇い上げまして掃海をする。そしてこのときにはイペリットかん十一かんを引き揚げたという状況であります。それで、私のほうとしては、当初予算にこういうものを計上いたしてございませんから、大蔵省と話をして流用で処理したということでございます。その後、四十五年九月十六日から十月二日まで同様のことをやりまして、第二次の掃海を実施してイペリットかん二十二個を引き揚げた。これで一応掃海作業を終わったわけでありますが、その際はやはり予備費を使用して実施をいたしております。  それで、最近におきましては、引き続き漁民の方々が底びきでイペリットを引き揚げたというような場合には、これに対しまして国としては八万円の協力費みたいなものをお出しする。さらに県がこれに二万円の上乗せをしているというふうに聞いております。これを海上保安庁に引き取っていただきまして海上に投棄するということで、銚子沖のイペリットの場合はそういうふうに実施をいたしたわけでございます。  今回の大久野島の場合も、もし明らかにあるんだということがはっきりいたしますれば、私のほうがまた環境庁なんかとも打ち合わせをすることになろうかと思いますが、こういった事例があるわけでありますから、関係の広島県あるいは愛媛県等とも話し合いまして、実際こういう方式が適用できるかどうかということにつきまして十分相談をしてやってまいりたい。  実は私どもに前からこういうことをやってくれというお話がありまして、ある程度県なんかとも相談いたしたこともございます。たまたま大久野島の場合には、自治体のほうがやや消極的なきらいがございまして、まあ中断したという形になっております。私どもある程度財政当局との話し合いもしかかった例もございますが、今回こういうことで組織的にやるという体制ができ上がったわけでありますから、その調査の結果に従いまして、私のほうは、従来の例等も参酌し、関係の都道府県とも話し合いをいたしまして、私のほうが担当すべきものは担当して実施したい、かように存じております。
  197. 大出俊

    ○大出委員 銚子沖のやつはえらい調子よく引き揚げたようでありますが、でもやはり完全なものじゃないと思うのですね、いまの個数ぐらいのことじゃ。証言によれば、別府湾だって五千発というのでしょう。ちょっとなまやさしいものじゃないですね。よっぽど国が本腰を入れて、責任を持って、思い切って金もかけて大規模にやる。言うならば戦争のつめあとであり、戦後処理でもございますから、それがいまだに残っているということなんですからね。この辺のことは、ほんとうに国が思い切って金をかけ、機械力を使って徹底的にやるということでなければ、私は安心できないと思うのですよ。どういうことで何が起こるかわからない。だから、いままでの責任もこれはたいへん重要だと思うのですけれども、そこらのところは時期的にはいつごろまでにどうするのですか。
  198. 鷲巣英策

    ○鷲巣政府委員 大久野島周辺の問題につきましては、これは先ほど申し上げましたように、最近発見されたものにつきましては現在すでに作業をやっております。  それから大久野島及びその周辺のそれ以外の問題につきましては、大体来月の十日前後にまず対策をきめたい。それで今度実際にいつから動き出すかという点については、それとの並行でまだ話し合いが詰まっておりません。  それから、日本全国の問題につきましては、これは相当膨大な時間がかかるものと考えておりますが、むしろそれは防衛庁からお答えをいただいたほうがけっこうだと思います。
  199. 大出俊

    ○大出委員 どのくらいの量のものが投棄されたということは、過去の資料その他に基づいて見当がおつきでございますか。
  200. 福田勝一

    福田説明員 先日の五月二十五日、環境庁が中心になりましてやりました会議で決定いたしました件でございますけれども、戦後、防衛庁になりましてから、掃海等の作業によって、大なり小なり海上自衛隊等がこういった作業に関係しておる。そういう点からも、防衛庁が一番手近にこの資料を持ち得るんではないか。もちろん、終戦時におきますところのものにつきましては、第二復員局から厚生省が引き継いでおるとか、あるいは海上保安庁あるいは水産庁、そういったところがそれぞれの関係地元の協力を得て資料を収集する。こういうことになったわけでございますが、いずれにしましても総理が、この毒ガスについては総点検をするということをこの委員会でお答えになっておられるということからも、相当徹底した調査をしなければいけないのではないか、こういうふうに話し合ったわけでございます。これは内閣審議室を中心にしまして話した線でございます。  そういうことでございますので、各省庁にも相当御苦労をおかけするわけでございますが、私ども独自といたしましても、できる限り資料を広範に収集いたしましてやっていきたいと思いますので、期間は相当かけなければならないのではないか、かように思っている次第でございます。  それから別府湾の件なんでございますが、ちょっとつけ足して御説明させていただきたいと思います。  実は昨日、大分県の副知事が上京してわざわざ私のほうへ来てくださいました。そのときの話では、あそこに別府湾を守る会というのがあるそうでございます。これは知事さんが会長をしていらっしゃる。たまたまこの定期会合か何かございまして、経営者出身の方が、終戦時、運輸事業に携わっておられまして、トラックで六十台とか八十台、弾薬と毒ガスを別府湾に投棄したぞ、だからあそこはあぶないんだぞということをお話しになったそうでございますけれども、実は別府湾につきましては、昭和三十年当時大掃海をやっているわけでございます。  と申しますのは、これは二十九年の三月でございますが、別府湾におきましてサルベージの作業中に、あそこでもって三名ばかりが海底から揚げました毒ガス弾によりまして被害を受けまして、国立病院でもって、これはイペリット性毒物による被害だというように診断されまして、それではということで関係省庁いろいろ連絡したわけでございますが、昭和三十年の九月、正確に申し上げますとこれは九月十五日からでございます。三十年の九月十五日から三十一年の十二月十日にかけまして、海域といたしましては四十五平方キロメートルでございます。あそこは非常に水深が浅うございまして、四十ないし七十メートルということであります。それによりまして、実働日数三百四十二日間にわたりまして掃海をやったわけであります。費用は七千五百万円を投じております。これは昭和三十年当時でございます。それでその結果、イペリット弾二千四百九十八個、百十五トンでございます。それから爆弾類でございますけれども、これは四十三万九千三百五十一個、五百三十トンでございます。両方合わせまして六百四十五トン、大体トラック、五、六十台分に相当するんではないかと思いますが、これを揚げたわけでございます。ところが、大分県は何か最近、新庁舎をつくりまして移転したそうでございます。三十年当時のこういった資料もないし、こういった仕事に携わった方もいろいろ手を尽くしたのだけれどもいないということで、おぼろげながらの知識はあったけれども、いないということで、防衛庁に行って尋ねようということで出てこられまして、そしてこういった事実を話しましたら、副知事が正確な数字がわかって非常にけっこうだ。実は、別府湾を守る会で発言した方が、そういった投棄の事実はよく御存じだったそうなんですが、ところがこの掃海の事実は全然御存じなかったということでございます。それで、新聞等に大きく取り上げられまして、発言した方が若干不用意だったというようなお話もある。しかし、それはそれといたしまして、せっかく総理のお声がかりで総点検をするということになってございますので、別府湾につきましても総点検の中へ入れまして、やはり点検をしていきたい、かように思っておる次第でございます。
  201. 大出俊

    ○大出委員 これはまた人身被害でも出ると困りますので、今度はひとつ慎重にやっていただきたいと思うのであります。  最後に、横浜のノースドック、ここで何が原因であるかわからない皮膚病が駐留軍関係の方々に発生をいたしまして、これは非常に変わった症状であります。細菌かガスか、そこらはわからない。ただわかっておりますのは、つまりアメリカから米軍が運んでまいりましたコンテナ、このコンテナの解体をする作業の中で出てきている被害でありまして、これは、ムカデだとか、アブラムシだとか、ゲジゲジだとか、そういう種類のものが、これは二十四日ですか、あけたらたくさん出てきた。現地ではたいへん騒いでいたわけであります。それからまた三月二十三日は、陸揚げされた貨物を貨車やトラックに積み込むときに、検疫作業中の日本人従業員五人ばかりが全身かゆくなって、手でかくとはれ上がって、注射などの応急手当を受けたのだが、大体原状回復するのに一日近くかかったという問題があって、どうもこういうあぶない作業はやりたくない。聞いてみますというと、弾薬その他がコンテナあけたら大量に出てきた例もある。爆発をした例もある。幸いに負傷にまで至らなかったというわけでありますが、それも最近のものであります。したがいまして、この新聞を見ますと、から薬きょうがバケツ一ぱい出てきたり、次々にいろいろな問題が起こっております。病害虫の問題なんかになりますと、検疫所が検疫するといっても、米軍でございますから、たまには特殊なケースについてはやっておるようでありますけれども、一般的にはできない。横浜の町に住む諸君は一体そのまま黙ってていいのかということですね。そういう問題が最近出てきている。ここらのところを、一体、防衛庁側、あるいはどこか関係の省の側で、どういうふうに受け取っておられるのか。ここらのところ、どうでありますか。
  202. 久保卓也

    ○久保政府委員 施設庁の者がおりませんので、ちょっと私わかりません。
  203. 大出俊

    ○大出委員 それから相模原の米陸軍の医療研究所がございます。ここに最近、薬物分析課というのを新設しているのですね。これに麻薬米兵その他と見られるのが運ばれてきて、最近入れられている現実がございます。通る人たちに向かっていろいろなことをするというので、相模原のこの周辺の人というのはいま非常に神経をとがらしておる。これは、こん虫であるとか、化学であるとか、病理であるとか、衛生科学であるとか、昔ここ宛てに送られてきた貨物からサソリが飛び出して大騒ぎになった例があるのでありますが、昔からこれはたいへん問題になっておるところであります。こういうところにこういう新しい課が新設されて、妙な患者がたくさん送り込まれておるという現実。ここらも、これはただ何か知らぬけれども、地位協定あるいは安保条約があるのだからようがないということで済ませるのかという問題ですね。これはやはり地域の非常に大きな問題なんですけれども、ここらについてもこれはどこかで何とかしなければならぬ。これはやはり施設庁ですか。
  204. 久保卓也

    ○久保政府委員 ここでお答えできなくて残念でありますが、施設庁のほうに伝えておきます。
  205. 大出俊

    ○大出委員 どうもこっちが毒ガスにでもあたったような感じですね。大臣はいなくなる、人が資料出そうとすれば消えてしまう。あとは毒ガスのほうは、ガスでございますから、姿、形があるのか、さっぱりわからぬような形で、どこに中心にものを言っていいのかさっぱりわからぬ。あとのほうの病害虫の問題になると、これはまた、おいでにならぬということだと、どうも質問のしようがないということになるわけで、これは伊藤さんの質問が残っておりますから、いまの点などは、私のほうは現地ですからそれなりの資料を持っておりますが、どうも答える人がいないところでこれ以上質問の続けようもございませんから、ひとつ後ほどお伝えをいただきまして、調査の結果を聞かしていただきたい。その上で私の資料について申し上げるということにしていただきたいと思います。これで終わります。
  206. 坂村吉正

    ○坂村委員長代理 次回は、明三十一日水曜日、午前十時より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後四時二十六分散会