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1972-05-11 第68回国会 衆議院 内閣委員会 第18号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十七年五月十一日(木曜日)     午前十時十五分開議  出席委員    委員長 伊能繁次郎君    理事 加藤 陽三君 理事 坂村 吉正君    理事 塩谷 一夫君 理事 山口 敏夫君    理事 大出  俊君 理事 伊藤惣助丸君    理事 和田 耕作君       阿部 文男君    天野 公義君       笠岡  喬君    辻  寛一君       中山 利生君    湊  徹郎君       上原 康助君    鈴切 康雄君       受田 新吉君    東中 光雄君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 江崎 真澄君  出席政府委員         防衛政務次官  野呂 恭一君         防衛庁参事官  高瀬 忠雄君         防衛庁参事官  鶴崎  敏君         防衛庁参事官  岡太  直君         防衛庁長官官房         長       宍戸 基男君         防衛庁防衛局長 久保 卓也君         防衛庁人事教育         局長      江藤 淳雄君         防衛庁衛生局長 鈴木 一男君         防衛庁経理局長 田代 一正君         防衛庁装備局長 黒部  穰君         防衛施設庁長官 島田  豊君         防衛施設庁施設         部長      薄田  浩君         防衛施設庁労務         部長      安斉 正邦君         外務省アメリカ         局長      吉野 文六君  委員外出席者         内閣委員会調査         室長      本田 敬信君     ————————————— 本日の会議に付した案件  防衛庁設置法及び自衛隊法の一部を改正する法  律案内閣提出、第六十七回国会閣法第一八  号)      ————◇—————
  2. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 これより会議を開きます。  内閣提出、第六十七回国会閣法第一八号、防衛庁設置法及び自衛隊法の一部を改正する法律案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、これを許します。大出俊君。
  3. 大出俊

    大出委員 この間の質問の際に、相模総合補給廠位置づけと申しますか、地位協定上、総合補給廠は一体どういうものなのかという点についての協定がなければならぬはずだということをお聞きしたのですが、非公式なお話を承ると、そういう協定はないということですが、なければないでそれなりの問題点がございますから、とりあえず、どういう経過であの施設区域提供されているのかという点を、まずひとつ詳細に御説明ください。
  4. 島田豊

    島田(豊)政府委員 先日の御質問に対しまして、個々施設区域提供いたします場合には、日米合同委員会におきまして、その使用目的なり使用条件その他について具体的に定めまして合意をする、こういうのが原則であるということを申し上げましたが、この相模総合補給廠につきましては、相模総合補給廠のみならず、昭和二十七年七月二十六日、行政協定第二条に基づく日米間の協定におきまして、当時の米軍が占領しておりました状態から引き続きまして、この相模補給廠につきまして申し上げますと、相模工廠の名のもとに陸上一般施設として米軍使用を認めて、米軍は、その範囲において、地位協定の定めるところによって本施設使用を認められておる、こういうことでございます。  そこで、当時の分類といたしましては、陸上一般施設海上演習場通信関係施設、こういうふうな付表上の分類にいたしておりまして、相模総合補給廠につきましても、これも陸上一般施設というその分類米側行政協定上の提供を認めた、こういう経緯でございます。したがいまして、これは当時の米軍占領治下におきまして使用しておった状態を、そのままそういう陸上一般施設という形において行政協定上も引き継いだという形をとっております関係で、個々施設区域につきまして、いろいろ使用目的なり使用条件なり個々合意をしたということはないようでございます。陸上一般施設と申しますと、たとえば、キャンプでありますとか、倉庫でありますとか、あるいは事務所、宿舎、飛行場、海軍施設陸上演習場、こういうふうな使用目的がございますけれども、それをいずれも陸上一般施設として分類をいたしたようでございます。これは旧陸軍時代兵器補給廠でございまして、それを米軍が接収した形でございますので、その後も、占領時代に引き続きまして、いわゆる補給関係施設区域として米軍使用をし、それが今日に至っておる、こういう状況のようでございます。
  5. 大出俊

    大出委員 問題は、いまここに地位協定を持っておりませんが、私の記憶で申し上げれば、施設及び区域使用並びに地位という取りきめが地位協定上あります。この個々施設及び区域に関する協定は、地位協定第二十五条の合同委員会で取りきめ、協定を結ぶことになっている。つまり行政協定から地位協定に変わったわけですから、当然そのときに、行政協定はないのですから、個々施設を洗い直して、地位協定に基づく取りきめにし直さなければならない筋合いなんです、筋道を申し上げれば。  残念なことに、この地位協定というものは当時国会論議されていない。だから国会における有権解釈式ものは何もない。これは、たとえば路線権なら路線権という問題を一つとってみてもたくさんの議論が出てくる。国会で何もきまってないのですから。つまり、提案者の側が、本来ならば解釈規定というものを明らかにすべき筋合いなんだが、それも明らかになっていない。そういうかっこうで地位協定は過ぎてしまっている。だから、そのときに本来国会論議があれば、行政協定から地位協定になっていく過程で、いろいろな形態になっていたものについて、ここで整理すべきものであるということになるはずですけれども、そういう議論がなかった。だからこの間、私も、この項に基づいて質問したのですけれども、皆さんのほうも、取りきめがあるんだろうとお思いになったようです。つまりあるのが普通なんですね。それ以後のものについては詳細な取りきめがあるんですから。それだけに、何にでも使えてしまうということになる。  これは国際的に見ても、そんな基地使用区域施設提供の方法はない。英国の場合なんかもアメリカ基地がありますし、西ドイツの場合もそうであります。かつて私、詳細に調べたことがありますが、実に詳細な取りきめができている。基地機密保持という問題もありますが、護衛をするしかたについてまできまっている。一番表側には米軍は一切出ない。英国の警察官が一番外側の警備に当たるというところから始まりまして、一番中にしか米軍はいない。そういう順序になっている。しかもその宿舎その他は一切一般民家使用することになっている。きわめて詳細な規定がある。その基地は一体どういうことをする基地かという限定がある。フィリピンだってそうです。日本基地、つまり正式には提供区域施設ですね。このぐらいラフな、いいかげんな、大ざっぱな取りきめはない。  だから長官、これは本来ならば、日本基地を洗い直して、野呂さんもせっかくお見えでございますから申し上げるのですけれども、一年くらいかかるかもしれぬけれども、ともかくプロジェクトみたいなものをつくって、新聞にも出ておりましたが、国内基地を総点検をしてみる必要がある、位置づけを含めて。こういう御議論防衛庁内でおやりになっておられる。この際やはり、沖繩の復帰という問題がございますし、そういうきちっとしたものにしていく積極的な考え方がなければならぬ。一体どうなっちゃっている基地なのか、さっぱりわからぬといういまの御答弁では困る。その辺、長官どうお考えですか。
  6. 江崎真澄

    江崎国務大臣 基地の問題につきましては非常に重要に考えております。いまお話がありましたように、野呂政務次官、一生懸命基地問題と取り組んでおってくれるのでありますが、連休も明けまして、いま私ども国会審議の場に出てきておりますが、次官を中心に実はこのプロジェクトチームの発足を急いでおるわけです。そしてこれは、事務次官を頂点にしまして、こういう問題をはじめ、特に都会地周辺基地をどうするか、これはもり先頃来の予算分科会等でとにかく質問が集中するのは、基地を解除しろというところから始まって、基地公害をどうするかというような問題が相次いでそれぞれの議員各位からあったわけです。したがって、これをやはり根本的に考え直す必要があるのではないか。旧陸軍の使っておったものをただ引き継いで自衛隊が使っておる、また駐留米軍が使っておるもの共同使用でだんだん自衛隊に持っていくというだけの、いわゆる防衛庁本位の手続だけでこれを処理していくことは、少なくとももう時代おくれだという感じがいたします。  ただ、そうかといって、この基地を、都市形態が整ってきたからどんどん解除するということだけでは、本来の自衛隊の訓練その他にも差しつかえますので、できれば、これは非常にむずかしいことでありましょうが、やはりそこの県知事、地方自治体の長などの御協力をいただいて、ここはどうしても都市開発上必要だ、県内にもこういう土地もあるではないかということになれば、特別会計法を縦横に駆使して、何とかひとつ大蔵省側協力も得て、この基地移転整備というようなことははかれないものか。これは私、全く深刻に考えております。  それからまた、今後も防衛庁長官がこういう問題と取り組んでまいりませんと、自衛隊そのものもやはり何となく同情をされない存在になってくる。われわれはやはり、ひいきの引き倒し式の形でじんぜん日を送るということははなはだよろしくないわけで、やはり環境を改め、それからまた、少なくとも国民にも自衛隊というものが理解される、こういった形を求めながら、この基地検討という問題とはひとつ活発に取り組んでいこう、こういう態勢でおるわけであります。間もなくこういう席で正式に御報告のできるような組織を確立いたしまして、具体的な検討に日を追うて入っていきたい、こう考えております。
  7. 大出俊

    大出委員 いまの後段のお話は、先般一ぺんごく簡単な論議をしたことがございましたが、ぜひひとつ全体的に大所高所に立って御検討いただきますように、これはお願いをしておきたいと思うのであります。  いま地位協定をお持ちいただきましたので念のために申し上げておきますが、二条に「合衆国は、相互協力及び安全保障条約第六条の規定に基づき、日本国内施設及び区域使用を許される。個個の施設及び区域に関する協定は、第二十五条に定める合同委員会を通じて両政府が締結しなければならない」、こういうふうに明確になっておるわけですから、その意味では、どういう施設区域があるかということを含めて、合同委員会でこれは取りきめなければならぬ。いまこの地位協定しかないのですから、そこらのところも、これは念のためにあわせて申し上げておきたいのであります。  そこで、本題に入らしていただきますが、この間、私、相模総合補給廠ベトナム関係戦車その他の車両修理の問題について触れまして、米軍回答が、何かまことにどうもいいかげんな中身でございますので、お調べいただきたい、こういうふうに申し上げたんです。昨日もまた同僚委員から質問が出ておるようでありますが、新聞で見る限りはどうも明確でない。そこらのところはどういうふうにお考えでございますか。
  8. 江崎真澄

    江崎国務大臣 これにつきましては、やはり外務省を通じて正式に、調査といいますか、回答を求めておるわけであります。ところが、施設庁係等も、やはりこれに非公式な交渉といいまするか、照会をするわけであります。これにつきまして、米軍側としては、とにかくわがほうの資材を修理する、オーバーホールする、それをどこへ何台持っていってどこでどうということを一々言うことについては、深い友好関係にあるとはいいながら、何とかこれはどうにもならないのか、やはり自分たちは、軍という性格上できればどこへどう持っていくということはあまり言いたくない、というようなことを施設庁関係者には言っておるもののようであります。しかし、国会でも問題になっておるし、日本国情御存じのとおりだということで、いずれ外務省のほうからも正式な照会があると思うが、まあ誠意を持ってお答えをいただきたい、こう反論といいますか、要請をして別れたというのが、ちょうど大出議員の御質問のあった翌日の話であります。  そういうふうに聞いておりますが、私どもとしては、やはりできるだけわかるものは明らかにしていくことが無益な不安を解消するよすがにもなりますので、なお今後ひとつ調査したいと思います。
  9. 大出俊

    大出委員 私、この間の質問の続きをやっておりますので、この間、外務省にも御調査いただきたい、調査します、こうなったままで結果を聞いていない。きょうは外務省方々はどうされたんですか。外務省はきょうどうなりましたかな。この間、私、防衛庁にも外務省にもものを申し上げて、両方とも、早急に調べて明らかにすると、こういうお話になっておる。外務省をすぐお呼びいただきたいですな。  委員長、時間がもったいないからそれじゃ私のほうから……。  この新聞を見ますと、あとから外務省が来たらもう一ぺん言いますが、きのう外務省松田安保課長は、「米軍南ベトナムとの軍事援助協定に基づいて貸与した戦車が破損すると取りかえる。破損戦車相模原に送り込んでいるものもある」、ものもあるかもしらぬという程度の話しかしないですね。そうでしょう。私は、実はこの間全部言おうと思ったんですが、あまり米軍資料ものを言うのは好かぬほうだからやめたんですが、あまりいいかげんでは困るので、米軍の明確な資料に基づきまして、何年から一体ベトナム戦車修理し始めたのか。つまり戦車はじめ軍事車両であります。これを全部ここで申し上げますから、あなた方、あまり知らぬ、知らぬでは困るんで、明確にしていただきたい。  そうでないと、相模原周辺の自治体あるいは住民の方々からいまたくさん連絡が来ております。新聞記者諸君も、相模原のこの間私が申し上げました司令官に、矢の催促をしておった。とうとう一昨々日、基地を開示いたしまして、新聞記者を入れてM48の走行状況その他を全部見せた。写真をとることを認めた。米軍でさえそこまでやっているんですよ。にもかかわらず、日本政府が何にもしないというふざけたごとを私は許すわけにはいかない。私は、きょうは外務省を呼んで、お答えいただけるところまで質問をしたい。
  10. 江崎真澄

    江崎国務大臣 問題は、何にもしないわけではなくて、さっきも申し上げましたように、あの質問がありまして、直ちに施設庁の係が参りまして話し合いに入ったわけです。そうしましたところが、いまのような答えで、どうもいつどこへどういうふうにした、われわれは地位協定でこのことをやっておるわけだが、そういうことはどうも申し上げたくない、というのがいわゆる現地の司令官答えで、そういうことをもし詳細にお調べになりたいというなら、何かなれ合いで話すような形でなしに、外交レベルの問題ということで、外交レベルに上げてもらいたい、 こういう要求があった。そこで、われわれのほうとしては、外務省側になおひとつ調査をしてもらいたい。そのときに、先ほども申し上げたように、国会でも問題になっておる、特にベトナム問題がこういうふうにエキサイトしてくると、いろいろな不安を醸成しておる日本国情御存じのとおりだ。それは軍の機密というほどではなくても、いろいろこまかい話はしたくないという方向はわからないわけではないが、できるだけ明らかにしてもらいたい、こう言いおいて引き揚げた、こういう報告を受けておるわけでありますが、詳細は施設庁長官かりお答えさせてもよろしいと思います。
  11. 大出俊

    大出委員 だから、これは外務省にも御出席をいただいて、アメリカ局長に念のために私は念を押しておる。そうしたら、江崎防衛庁長官と全く同意見で、そこのところは私のほうも十分調査をしたい、明らかにしたい、こういうお話だった。そうでしょう。だから、直接も間接も、当の外務省アメリカ局長担当局長としておっての話だ。それを、この間の閣議において、引き続いて結論めいたものは何にも出ないから、きょうに質問を持ち越したわけなんですから、そこに外務省が出て来ぬことこそどだいふざけた話で、けしからぬ話だと思う。  それはいま、秘密というほどのことはないかもしれぬとおっしゃるが、明確に秘密です。ちゃんとシークレットの表示がしてあります。一つは極秘です。だから、この間の外務省秘密文書なんというようなもの秘密じゃないと私は思っておるけれども、それでも、とかくどうもあまり気が進まぬほうなんだけれども、この間もそこまで考えたが、実はやめて次回に見送ったわけですが、たまたま新聞幾つかお書きになりました。だが、この新聞は、相当詳細に書いておられるようだけれども、実はずいぶん抜けている。これはやはりもう少し的確な資料に基づいてお書きいただいておれば、それなりにまたものの言いようはありますけれども、そうではないので、私のほうからひとつこれは中身を申し上げます。外務省が来ましたら、両者おいでになるところで申し上げますが、また、この米軍資料を出しまして、こうやってどうですかと言うとまたあなたのほうは、楢崎君じゃないけれども、やはり、懲罰だ、へちまだと言い出す。なお、アメリカの側がほんとうのことをおっしゃらぬというなら資料を出してもいいです。  そこで、申し上げましょう。この間のあなたの話じゃないが、そういうこともあるかもしれぬ。外務省答弁も、そういうものもあるだろうというようなことを言う。それでは困る。  そこでM113というのがございます。このM113というのは、十一人乗り装甲兵員輸送車です。新聞に載っておりますのはM113A1というのが中心になっている。ところがAlだけではない。四種類ばかりあるのです。そこでこのM113のAl、これが新聞で書いております例の十一人乗り装甲兵員輸送車なんですが、AlでないM113というのがある。これはガソリンで走るのです。M113A1というのはディーゼルで走る、そういう違いがある。これは明確に米軍文書にございます。おかしな話ですけれども南ベトナム国軍にはディーゼルで走るいいのはやらないで、ガソリンで走るおんぼろのものばかりです。これは全く傑作です。  さてそこで、M113、ガソリンで走るもの、これは米軍資料ですから、新聞記事がどう書いてあってもこのほうが正しい。そこで、一九六五年に朝鮮の第八軍、この関係を十四台修理いたしております。六六年、朝鮮の第八軍でありますが、百六十三台。六七年、同じく朝鮮二百九十七台。さて六八年から実はベトナムが出てまいります。六八年、南ベトナム国軍——日本流に訳しますとこうなりますが、南ベトナム国軍、これが二百九十六台であります。六九年は朝鮮の第八軍十台。同じ六九年になりますと、南ベトナム国軍が出てまいりまして、非常に多い。六八年、六九年というのは、南ベトナムの戦況たけなわの時期でありますが、六九年、南ベトナム国軍が、最初修理ワクは百四十五台というワクだった。この修理ワクということばはあとから説明しますが、修理ワクは、南ベトナム国軍、六九年は百四十五台だった。ところが途中で追加百六十台がまいりました。これは予算とからんでおりますから、追加百六十台がまいりましたので、三百五台になりました。だから一九六九年の南ベトナム国軍、これは三百五台。七〇年にはどういうわけかMmはありません。確かに小康状態でございましたから、ありません。動いていなかったのでしょう。七一年、これもそう激しい状況じゃございませんでした。七一年に南ベトナム国軍、これが五十七台。つまり合計いたしますと六百一台、それに五十七台——つまり、二百九十六台と三百五台で六百一台でありますから、それにいまの五十七台を足しますと、Mm、これはガソリンで走る兵員輸送車でございますが、これが合計六百五十八台、こういうことになります。  それからM113A1、これは新聞に出ている問題の車両であります。これはディーゼルで走りますが、この新型のディーゼルのほうは、南ベトナム国軍に使わしていない。このほうも参考のために申し上げますが、六八年、米ベトナム派遣軍百五十二台。米ベトナム派遣軍という形になっております。同じく六九年、六百二十八台。七〇年、九百台。七一年にヨーロッパ派遣軍が入っております。これが三百四十七台。七一年、米南ベトナム派遣軍、これが百四十四台。こういう数字であります。これが新聞に出ておりますM113のA1型でありまして、これには南ベトナム国軍はありません。すべて米南ベトナム派遣軍、こういう形であります。  それからM114A1という型がございます。これは朝鮮の八軍で、六八年に四十八台、六九年に五台、これも相模総合補給廠修理をいたしております。  それからXM806というのがございます。これはM113の改良型であります。これはウインチ、ブリッジなどをつけるようになっておる車両であります。ここに南ベトナム国軍が出てまいります。七一年、南ベトナム国軍十二台、こういうわけであります。  さらにM125A1、これは百五ミリの大砲を載せている。つまり自走砲、その車両であります。ここでまた南ベトナム国軍が出てまいります。七一年、南ベトナム国軍が二十三台。それから同じく七一年、米南ベトナム派遣軍が二十八台、こういう数字であります。  さらにM88、これは橋がこわれたときに直す大型の戦車であります。これが朝鮮の八軍関係で六七年が二台、六八年が三台。これも相模総合補給廠修理であります。  それからM48A2型という、橋をかける装備がついておるのがございます。これが六八年に朝鮮の八軍関係で二台入ってきております。  それからM41A3型というのがございます。これが六八年に南ベトナム国軍が七台。  それからM551、これはミサイルがついているものをM551と言っているのであります。これが七一年に米南ベトナム派遣軍が四台、同じく七一年に朝鮮の八軍が一台、これも相模原でやっております。  それからM48A2型、これが六五年に朝鮮が一台。それから六六年に三十二台。六七年、これは全部朝鮮でありますが、八十九台。六九年、朝鮮が七台。七〇年に入りまして米南ベトナム派遣軍が入ってまいります。七〇年、百二十一台、問題のM48の戦車修理をいたしております。  ところで、七一年、同じく南ベトナム派遣軍米軍でありますが、これが百十五台。これは本国へ送り返すという指令がついてきております。七〇年のもの本国送還の分でございました。指令は入っておりませんが、結果的にそのようであります。七〇年が百二十一台、七一年が百十五台。これが実は問題の焦点の一つでありますが、ついでに申し上げておきますが、七二年が五十八台入ってきておりました。これもアメリカ本国へ送れ、こういう指令でございます。ここで実はベトナム戦争、最近の戦争が始まった、こういうわけであります。  そこで、この間、相模原の市長が司令官に申し入れたときに、残りものについても指令が来ている、七十九台、こういうやりとりをいたしましたが、この七十九台というのは、どうも新聞の報ずるところも多少の相違があるのでありますけれども、私がこれから申し上げるのは正確でありますから。つまり、七一年、百十五台を修理をして本国にぼつぼつ送っていた。ところが百十五台のうちの残りが三十二台あった。そこに指令が来た。そして、七二年の五十八台があった。つまり、前年度の残り三十二台、七二年度の五十八台があった。ここに指令が来た、こういうわけであります。ところで、その指令の中には、送受信機を含む通信機材装備せよとなっていた。そこであわててその装備に入った。残っているのは修理してありましたから、その三十二台に通信機材送受信機をつけていた。ところが、三十一台つくったら機材がなくなった。なくなったから、三十二台あるのだけれども残りの一台には通信機材がつけられない。そこで、指令にこたえて送りますのは三十一台になった。これは前年度の残です。そこで七二年度分がここに五十八台。この五十八台のうちのでき上がったのは四十八台。したがって、七二年分のでき上がり五十八台中四十八台と、前年度の分の三十二台中三十一台通信機材がつけられましたから、これを両方合計いたしますと七十九台になる。こういうことで例の七十九台という問題が表に出てきた。こういう事情にあるわけでありまして、つまり、本国に返すべきものを、そうでなくて、直ちにダナンに送れ、こういう命令が来て、船積みとC5Aギャラクシー、両方使いまして、片や瑞穂埠頭、片や横田から急速送った、その先発として三十一台送った、こういうことになったわけであります。この時期に、無線機材その他をつけて送れ、こういう話になったわけであります。  そこで、しからば七二年のベトナム国軍の戦車は何かというと、M48A2型であります。これが十九台。  ついでに、切りのいいところまで続けて申し上げておきますが、このほかにM106というのがございます。これは百五ミりの自走砲がくっついております。七一年、ベトナム国軍が四台。M106A1型、これはM106の改良型であります。七一年、ベトナム国軍三台。七二年、ヨーロツパからベトナムへというので、二十三台相模原へ送ってきております。ヨーロッパ米軍が持っておりましたものを二十三台相模原に送ってまいりまして、ベトナムへ持っていけ、こういう指令になっておる。  それからM132型、これはM132A1型というのが正式な名称でありますが、火炎放射器搭載の自走車でございます。これが七一年、ベトナム国軍五台であります。七二年、ベトナム国軍四台。それからM132、これはガソリンで走るほうであります。これも火炎放射器がついております。これが七一年、ベトナム国軍三台。これは全部ベトナム国軍であります。  それからM548、これは荷物を積む軍事車両であります。これが七一年、ベトナム国軍十四台。同じく七一年、米南ベトナム派遣軍四十二台。これはいずれもベトナム国軍、米南ベトナム派遣軍と仕分けされておりまして、明確に区分されております。それから七二年、ベトナム国軍が十四台。この十四台はすでに送られてしまっております。  それからM577A1型、これは何かと言いますと司令車であります。先頭に立って指令をして、先制集団あるいは走甲車集団を引っぱっていく、そういう意味の司令車であります。M577A1型、これが七一年、米南ベトナム派遣軍十台。これと仕分けがしてありまして、同じ七一年でありますが、別にベトナム国軍、司令車四台。七二年、この同じM577A1型の司令車がベトナム国軍二台、これはもうすでに送られております。  それからM577というのがございます。同じ577でございますが、片やディーゼル、片やガソリンで、こちらがガソリンであります。したがってA1型というのがついておりません。M577、ガソリン、これがベトナム国軍一台。  これがつまり一九六五年以来今日に至る相模総合補給廠軍事車両修理台数と内訳であります。全部計算をしていただければ修理台数は明確に出ます。いま私がここに申し上げたのは、あとでリストアップして見ていただければわかりますが、アメリカというのは、自分のところで使うのはディーゼルの新しいのを使う、古いガソリン車は全部ベトナム国軍にやってしまう、そういう形で仕分けされて進んできている。そして六八年ごろから、すでに南ベトナム国軍という正式な仕分け、正式な名称で入ってきて修理が行なわれてきた。しかもベトナム戦争の緩急の度合いに比例して進んできていることは明確であります。だから、M48といういま問題になっている重戦車は、実は今回の戦闘にあたって南ベトナム国軍にはほとんど重点配置されていない。みんな米南ベトナム派遣軍が持っていた。だから、七二年に南ベトナム国軍ものは十九台入ってきていますが、この数字から見る限りは実はこういうことになっている。実はそういう形の中で、どういうふうにこれは取り扱われ、輸送経路がどうなり、修理仕分けがどうなり、予算がどうつき、全部明確でございます。どこからだれが何を文句言ったって、言いのがれしてみたって、南ベトナム国軍管理のものであり、こうだということは明確になっている。だからシークレットになっている。  そこで、あなたのほうに、いままでのところでお答えがあればまず承っておいて、あと、この輸送の経路、指令がどういうふうにつながってどこへ行くか、予算の組み立て方がどうなっておって、どういうふうに組まれて、どういうふうに修理に入るか、全部わかっておりますが、いままでのところで、皆さんのほうで御意見があれば承りましよう。
  12. 島田豊

    島田(豊)政府委員 ただいま、戦車あるいは人員装甲輸送車その他の、いわゆる機甲車両的なものにつきましての詳細な修理計画、またその行き先と申しますか、その使用主体等につきまして御説明ございまして、これは私どもも、まだこういう詳細については承知いたしておらぬわけでございますが、先ほど長官からもお答えがございましたように、私どもが軍のレベルに対しまして照会いたしましても、特にこの内容を明らかにするということはまずあり得ないわけでございまして、先般のこのM48型の輸送経路等につきましても、これが公になるということを軍としては極力警戒いたしているようでございます。したがいまして、この問題につきましては、もし正式に照会するとすれば、これはやはり外交レベル段階でやってくれというのが軍の意見でございますので、この詳細につきまして米側がどの程度明らかにするかわかりませんけれども外務省を通じてできる限りの調査をいたすということが必要ではないかというふうに考えております。
  13. 大出俊

    大出委員 ですから、私は、米軍文書をここに持ってきて写しをとって差し上げるという芸当をしなかったのですよ。その点は、おそらく皆さんのほうも、いろいろおありになるところだろうと思うので……。だがしかし、問題は、対国民という立場からして、つまり日本国内で、ベトナム戦争で傷ついた戦車、破壊された戦車が持ち込まれて、次から次に修理されて送られている。しかもそれは、明確にベトナム国軍という仕分けのもとに修理に入っている。だから私は修理する諸君に聞いてみた。何と答えたかというと、大出さん、これだけお願いがあると言う。何だと言ったら、おれたち日本人で、日本の労働者で、いまここでノーマークの通称カラスというこのまっ黒けなもの修理して直して送り出す。日本の技術者というのは非常に技術が優秀ですから、あっちの部品持ってきて、こっちの部品持ってきて、米軍ではどうにも手のつかないものがきれいに直っていってしまうのですから。そこまでやっているけれども、またそれによってベトナム人同士が血を流すことは目に見えている、耐えられないと言うのですよ。だから、せめて安保条約に照らしてみて、目的外使用だということなら使用だということで、このベトナム国軍の戦車修理だけはやめさせてくれと言っている。給料もらっているから、しょうがない、やるけれども、家に帰って女房とその話がどうしても出るという。深刻な話ですよ。何人の人にも聞いてみましたが、異口同音に同じ答えです。これは理屈はいかようにも言いのがれることはできると思う。また、いかようにも理論的に逆をとって攻めることもできる。そういう議論はありますけれども、やはりこの点だけは明確にしたい。  そこで次に申し上げますが、ベトナムにおける扱いは、あまりこまかく言うと、また皆さんが、やれどうのこうの言うことになるから、少し避けて申し上げますが、まず一つ戦争が終了すると、こわれた車両、これを主としてヘリコプターでつり下げて、ダナンともう一つ、ニューポートということばを使ってありますが、このダナンとニューポートに集めろ。ニューポートというのはどこかと思って調べてみたら、この文書ではわかりませんが、地図で見るとダナンの下に新しくつくった港がある。そこをニューボートと米軍部内で言っている。だからダナンとニューポート、この二つに集積する。一戦争終わると、ヘリにつり下げて持ってきて集積する集積所がここにあります。そしてここで選別する。全くだめなもの修理可能なものと選別をする。そしてその結果、太平洋方面陸軍司令部、uSAPACと書きます。通称ユサパック、こう言っている。太平洋方面陸軍司令部に連絡する。これこれの損害があって、これこれ破壊されてこうなったと車両別に報告が参ります。そしてその結果、USAPACから米南ベトナム派遣軍に出荷指令が出される。そうするとこれが輸送経路に乗せられて送られてくる。ところが、これと同時に在日米軍指令部にUSPACから連絡が入ってまいります。そして在日米軍司令部を通じて二つに分かれてくる。二つに分かれるのは、需品局と整備局、ここに分かれてくる。つまりいろいろな部品が必要でございます。整備と需品、そういう分かれ方をしてまいる。そして内容は、何月何日ダナンを出て、どの船で何が何台と仕分けされたものがついてまいります。南ベトナム国軍ものが何台、米南ベトナム派遣軍ものが何台、全部仕分けがついている。それで何月何日に着く、そういう連絡が全部入ってくる、こういう経路になります。  これがつまり相模原で、先ほど申し上げた修理のルートに乗るベトナムとの関係の経路であります。だからこの限り、南ベトナム国軍というもの米南ベトナム派遣軍というものは、すべて明確に仕分けをされ、初めから最後まで、修理の過程に乗るまで、全部帳簿上も明らかにされて修理もされている。だから表示も、大きな星のマークのついているのは米南ベトナム派遣軍ものであり、戦車で言えば、うしろにナンバーしか打っていない、刻印しか入っていないまっ黒けなもの。非常に黒っぽい緑でありますから、通称カラスなどといわれていると新聞にもありますが、これは南ベトナム国軍ものであります。全部撮影を許しているのですから、読売が写しておったと思いますが、戦車がずらっと並んでおる中に、何の表示もない、ノーマークのものがある。これは、七二年度といえば南ベトナム国軍ものは十九台しかないのですから、少ないのがあたりまえですが、実はそういう筋道であります。そこで、あらかじめ予算的には、これは計画が立てられている。  そこらのところは、いまのところで一応切りますが、皆さんが外交ルートその他いろいろを通じてお話しになっておったり、あるいは出先からいろいろ聞いておったりなどなさる中で、私が二段目に申し上げたこのことについて、先ほどお答えになっていなくて、事実そうだというようなことがあれば、ここでお答えをいただきたい。私は正式なものに基づいて話しているのですから。
  14. 島田豊

    島田(豊)政府委員 これは米軍補給関係の業務に関係をするわけでございまして、実は防衛施設庁としては、その補給計画あるいは補給経路等につきましてまでちょっと手が届かないという状況でございます。
  15. 大出俊

    大出委員 次に、いま私あらかじめ計画が立てられておると申しましたが、M48のA3ならA3の例をあげますと、過去の修理実績があります。修理実績は何かと言うと、破壊された実績であります。それが当年度七月一日に米会計年度の予算が実施をされる。実施をされると、米南ベトナム派遣軍ものは、国防省予算の中の米陸軍予算で台数のワクがきまって通知されてくる。これは過去に、こわれて直している、つまり破壊されて直している実績がある。それに基づく予算ワクであります。それから南ベトナム国軍もの、これは海外援助費のワクであります。海外援助費、ここでワクがきめられて、何台という台数が通知をされてくる。このワクの中で、さっき申し上げましたUSAPAC、ここを中心にして、ベトナム相模総合補給廠、その間には在日米軍司令部が介在をする、こういうかっこうで送られ、修理され、送り返されている、こういう形であります。  通常の修理と、こういう表現が外務省その他から何べんか出てまいりました。しかし、私は問題は、たとえそれが通常の修理であったにしても、私が申し上げたように、一九六五年から相模総合補給廠軍事車両の全部を申し上げたのですが、これだけたくさんベトナム国軍のものが、仕分け経路も申し上げましたが、これだけ入っているとすると、一体日本という国は何をやっているのかというと、ひとしく日本人の技術者が直している。その技術者が、このノーマークの南ベトナム軍のものを直している。ベトナム人同士が殺し合うことが目に見えて、いやだと思いながら、しょうがないから直している。だからもうやめさしてくれという皆さんの異口同音の言い分がある。気が進まないのです。そこでキャタピラを解体する云々ということになると、機関砲のたまが入ってきたり、手投げ弾が入ってきたり、爆発でけがをする同僚も出てきたり、その手投げ弾が盗まれまして暴力団のほうに回ったりするというような話が出てくる。そんなことは耐えられぬという。ここまで来ている現実を、理屈の上で、小手先でどう言いくるめてみても、私は変わりないと思う。実際に修理に当たっている人たちが、ベトナム国軍のものと派遣米軍ものと明確にわかっている。隠しようもないじゃないかと言っている。それを単に、通常の修理でございますからということで事がおさまる筋合いものじゃない、私はそう思います。  ということで、予算ワクも違い、海外援助費というものは、援助したのですから、これは明らかに南ベトナム国軍もの。管理もそうしている。そこで、新聞に出ておりましたように、派遣軍のものは9BTという帳簿上の処理になっている。あるいは8RV、これはベトナム国軍のものというふうに、そういう帳簿上全部仕分けが行なわれている。そこらはシークレットになっておる。こういう実は中身であります。だから、どこからどう考えても、これはたまたま貸与したものだなんという筋合いものじゃない。予算費目も全部違う。日本だって方々に援助している。かつて日本だってMSA協定等に基づいて援助を受けた。無償供与なら無償供与で、これは日本ものであります。有償であっても、金を払ったら日本ものであります。直すときは、部品がないから云々というので部品を買う。だから日本ものに間違いない。ベトナムの場合だって同様であります。にもかかわらず、その言い抜けば通らぬ、こういうふうに私は思います。長官、いかがでございますか。
  16. 江崎真澄

    江崎国務大臣 非常に大きい数量だという御指摘で、私ども調査が行き届いておりませんことを残念に思うわけでありますが、御指摘のように、平和を愛好する日本として、それが直ちに戦場で使われる、労働者がいろいろ疑問を持つ、不安を持つ、これは私わかります。  ただ問題は、日米安全保障条約というものがあって、それがインドシナ半島に送られていく。インドシナ半島も極東の平和と安全ということに無関係とは言えないというようなことでわれわれは答弁をしておるわけでございますが、問題の複雑さは認めないわけにはまいらないと思います。こういうことが一日も早くなくなるようにわれわれは念願しておるわけでありますが、どうもいよいよ今度は機雷が効力を発住するというような事態にだんだんエスカレートして、われわれの願望とは違った方向に戦局も動いておるというだけに、問題は深刻に受け取らざるを得ぬと思っております。
  17. 大出俊

    大出委員 私はまず、皆さんが御存じないわけですから、米軍資料をそのまま持ってきてここでぽんと出すと、また国会の先例のようなことになりますから、気をつけてはおります。本来私はそういうことをあまり好まぬほうですから。だがこれは、政治のてっぺんのところのやりとりじゃないのです。現実に相模総合補給廠というものがあって、それを取り巻くたくさんの住民がいて、修理のでき上がった車両の走行テストをやっているのをみなながめている、そういう場所なんですね。だから地方の自治体が、おのおの自治体の議会で取り上げて、やれ調査団をつくろうとか、やれ検討委員会をつくろうとか、こういうようなところに来ている。日々エスカレートしてきている。新聞も日を追って書いてきておる。そうなると、一つの世論構成ができておる、こういう性格のものなんですね。  だから私は、まず第一に、そういいかげんなことではなくて、具体的に私が数字をあげたのは間違いのないものであるという前提で、米軍とやはり折衝をして正確に事態をつかんでいただきたい。  援助協定に基づく援助をした場合——MSA協定というのは、日本の場合だって援助協定ですよ。これは二十七年から交渉を始めて、池田・ロバートソン会談もあって二十九年にMSA協定ができておりますが、明確に相互援助協定、武器援助ですよ。これは、農産物を持ってきてそれを配給する、そしてその金で保安隊の援助をする、こうなっていたわけですから。アメリカの場合は、軍事同盟だってほとんど同じ形でつくられている。新聞を見ると、きのうのやりとりにあったようでありますが、たとえば米比条約にしたって、ANZUSにしたって、あるいはSEATOにしたって、あるいは米華にしたって、米韓にしたって、日本との安保条約にしても、四条というものは全部範囲がきまっている。五条は共同戦闘行動ですよ。アメリカの場合は、全部これは形がきまっているのです。MSA協定式なものだって三十八カ国結んでいる。ベトナムだってその中の一つですよ。同じ型のもの。そうなると、この援助協定で援助した車両とか戦車とかというものは何かといえば、明確に南ベトナム国軍ものです。日本の場合は協定上そうなんだ。それをアメリカものだということで言い張っても、これは筋が通らない。私は外務省がおるつもりで質問に入ったのだけれども、おらぬからしようがない。皆さんだって、防衛庁で長くおやりになっているのだから、そのくらいおわかりだと思う。常識ですよ。それを、米軍の財産だから安保条約の地位協定に基づく目的外使用でないなどと言うに至っては、まさに言語道断、そこをどうお考えになりますか。
  18. 江崎真澄

    江崎国務大臣 どうも日米安全保障条約の条約上疑義があるということにはならないと思います。しかし、いま御指摘のように、非常に数量も多うございますし、ベトナムの戦況がこうなってくるというエスカレートした状況を見ておるにつけても、やはりこういう問題は、外交レベルに上げるなら上げた時点でよくよく詰める必要があるんじゃないか。特に、沖繩が戻ってまいりまして、外務大臣等も事前協議の内容を洗うということを言っておりまするので、こういう問題についてもよく検討をしてまいりたいと思います。
  19. 大出俊

    大出委員 もう一ぺん言い直しますが、第一は、事実かどうかという点について、私はもし必要ならば資料は出しましょう。ですから、国民の前に事実かどうかということを明確にする義務と責任が、国民の不安がだんだんエスカレートしているのでありますから、政府にあります。したがって真偽のほどを明確にする。私に言わせれば、アメリカ側にそういうことですと言わせろ、こう言いたい。これが第一です。  第二番目は、先ほどの地位協定。私は合同委員会まで含めて引用いたしましたが、それはともかくとして、いま私が申し上げましたように、これは外務省松田安保課長の話によりますと、援助協定に基づくものだという。しからばアメリカ南ベトナム国との間における援助協定というものはどういう協定なのか。日本にもアメリカとの間の援助協定はございます。このうち外に出ていない。かつて私は、アメリカとの間における各国の援助協定をほとんど調べたことがあるのですが、型がきまっている。そうすると、これは明らかに南ベトナム国軍ものです。それをことばの上で言い抜けても、援助協定というものが現存する限りは言い抜けばきかない。その手前で皆さんものを言っている。それはよろしくない。だから援助協定中身はどうなっておって、南ベトナム国軍という明確な仕分けで、ダナン並びにダナンの下のニューポートなるところから、USAPACの指令に基づいて、在日米軍司令官が関与して、需品局と整備局に送られてくる指令。それから、仕分けされて送られてくる、米南ベトナム派遣軍というもの南ベトナム国軍というものがある。その経路、中身、その上に立って御相談をいただければ、明確に目的外使用だという結論が出る。したがって、安保条約、地位協定に基づいて目的外使用であるのかどうかという点について、私は目的外使用であると言い切りますが、そこのところをアメリカとの間で詰めていただきたい。これが二番目です。  そして目的外使用であるということであるとすれば、この南ベトナム国軍に関するものについてはお断わりを願いたい。もしここで、タイ国の飛行機のように、国連というものが介在をするんだとすれば、きのうの質問にもあったようでありますが、そういう言い抜け方をしようとおっしゃるなら、それについても理由と根拠を明確にしていただきたい。その上で法的論理について、私にも理論展開の用意がございますから、詳細に調べているつもりでありますから、その御報告をいただいて、あらためてこれは明確にさせていただきたいと思います。そのときに、必要ならば法制局長官なり全部出ていただいて、外務大臣以下皆さん出ていただいて、とことんまで詰め合ってみたい。  これは、これだけ新聞の皆さんも相当真剣に取り組んでおられる問題でございまして、国民的不安も相当大きなものでございますから、そういう意味で一つだけここで例をあげておきますが、国際法上、復仇の権利というものが相手国にある。つまり日本は、ベトナム戦争の裏街道で兵器修理場のようなことになっておる。アメリカがカンボジアをたたき、ラオスをたたいたけれども、目的は明確なんです。大義名分、理由づけも明確なんです。それは北側の補給路を断つという目的ですよ、そうでしょう。補給しているんだからたたくということなんです。そうすると、わが日本という国が、ベトナム戦争に関して補給をしている、あるいは修理をして送り返しているから、その補給路をたたこうということにもし向こうがなった場合に、復仇の権利は相手にあります。明確に国際法上確立されている原則ですよ。そうなると、国の戦力の大小はあります。ありますけれども日本が補給路ということになった場合に、復仇されるという意味のリスクは法的に日本は負わなければならないことになるという大きな問題もございます。それが現実になるならぬは別として、日本国民に対する政府の責任は免れはしない。  そういう意味で、四点になりますが、そこのところを明確に御論議をいただいてどういうことになるのか御回答を賜わりたい。この点ひとつ申し上げておきたいと思うのであります。
  20. 江崎真澄

    江崎国務大臣 御指摘の事実かどうか、これはやはりぜひ明確にいたしたいと思います。ただ相手方が、われわれの施設庁の職員が折衝をした範囲では、こういう問題は外交レベルに上げてもらいたい、本来なら言いたくない問題だと言っておりますから、どこまで明らかになりますか、これは外務大臣ともよく打ち合わせをいたしたいと思います。  それから、二番目の修理の兵器、いわゆる戦車とか装甲車がベトナム国籍のものであるかどうか、これは十分調べる必要があろうかと思います。ただ、おそらくアメリカ側としては、これはアメリカものだ、それをベトナムに貸与しておるというようなことを言うのではないか。従来そういう見解に立ってきたわけでありまするが、そのあたりもよくひとつ注意をしてみたいと思います。  三番目の、ベトナム国軍のものであったならばこれは断わるべきであるという御要望等を含めまして、国際法上の問題等十分検討したいと思います。
  21. 大出俊

    大出委員 吉野さんがせっかくお見えになりましたので、いま少し時間をかけまして、米軍文書に基づきまして——また出すと、あなたと突き合わせなんというとめんどうくさいですから、いろいろ書いてあるものは抜きましたから。私は用心深くノートに書いてきました。あなたに見られてはかなわぬですから。  それで、先ほど来時間をかけて申し上げたんですが、二、三抜いて申し上げますと、私が調べました、つまり米軍資料に基づく中身というのはお控えいただいたと思いますけれども、一九六五年、M113というガソリンで走る兵員輸送車、これから始まりまして、この中で、南ベトナム国軍という 米南ベトナム派遣軍ではありません。南ベトナム国軍という、明確な米軍資料に書いてある仕分けであります。これで六八年に二百九十六台あります。それから六九年に百四十五台というワク修理が始まって、途中で百六十台追加されまして三百五台になっております。すべて南ベトナム国軍であります。それからさらに、七一年になりまして、南ベトナム国軍が五十七台ございます。だから、M113という、これはガソリンで走るほうであります。朝日新聞に出ておりますM113のA1型ではありません。A1型はディーゼルで走ります。そこでM113のガソリンで走る兵員輸送車、これが合計六百五十八台。少ない数でありません。きのう松田安保課長さんが、たいへん少ないけれどもそういうものがあるかもしれぬ、というようなことをおっしゃっておるようでありますが、私、おりませんでしたが、少ない数ではない。このM113だけつかまえても六百五十八台です。南ベトナム国軍と仕分け上明確になっております。  それから、そのほか途中省略をいたしますが、一昨日の私の質問等で明らかにいたしましたように、七十九台というM48、これについても経緯を明らかにいたしましたが、六五年からM48A2型というのを修理しております。これは六五年からであります、相模総合補給廠で。そこで、七〇年から米南ベトナム派遣軍という形で仕分けされたM48がずっと入ってきております。   〔委員長退席、坂村委員長代理着席〕 七〇年が百二十一台、七一年が百十五台、七二年が五十人台、こう入ってきております。ここにはもう一つ、七二年南ベトナム国軍というのが十九台、M48が入ってきております。  ここまで申し上げて、さて七一年、昨年の百十五台は本国へ送れという指令がついて入ってきた。その前年の七〇年の百二十一台も、聞いてみますと、これは仕分けの上には表示はありませんけれども、すでに本国に送ったようであります。ところで、七一年の百十五台が本国へ送れということになっている。これは修理して本国へ送った。送って三十二台残っていた。それともう一つ七二年度分が五十八台入ってきた。このうち四十八台が修理完了していた。この時点で指令が来て、本国へ送らぬでダナンへ送れ、こうなった。ところがそれの条件に通信機材の整備が含まれていた。そこで、四十八台のほうは通信機材の整備はできていた。ところが、前年度の残り三十二台は、本国へ送るのですからその整備がしてない。あわてて整備を始めたのだが、三十一台は間に合ったが、残り一台は間に合わなかった。そこで、三十二台残っていたのですが、実は三十一台しかものの役に立たなかった。つまり、四十八と三十一ですから、合計七十九台になった、こういういきさつなんです。  相模原の市長が行って司令官に会った。七十九台についても指令が来ております、こう聞いている。こういういきさつ、そこまで向こうの資料で明らかです。  そこで、そのあと火災放射器がくっついたものなどがございますが、このM32A1型、これが七一年にベトナム国軍が五台、七二年にベトナム国軍が四台、こうなっております。  それから、M548という荷物を輸送するものがございますが、これも七一年に南ベトナム国軍が十四台、七二年に南ベトナム国軍が十四台。この間に、同じ年度、七一年に仕分けが明確に分かれておりまして、米南ベトナム派遣軍四十二台というのがちゃんと中に入っておりましてこれは別であります。この十四台はすでにベトナムに送られております。しかも、そのあとに、M577A1という指令車、先頭に立って指令をする軍事車両がございまして、ここでも、南ベトナム国軍が四台、米南ベトナム派遣軍が十台と仕分けが明確になっておりまして、これが七一年であります。七二年になりますと、南ベトナム国軍が二台送られておりますが、こういうふうに入ってきている。  そのほかにまだたくさんありますけれども、これ全部米側のシークレットでございます。だから、どういうふうにここに持ち出すかということがございますが、とりあえず書いたのですが、必要ならば、あなたのほうで出せというならこれは全部出します。相模総合補給廠が六五年以来修理をいたしました戦車を含む軍事車両、これは、韓国第八軍、それから欧州から入ってきてベトナムに持っていったものまであります。それも含めて全部です。  先ほど私ここで明らかにいたしましたが、欧州から入ってまいりましたのはM106A1型といわれるものです。これは百五ミリの砲がついておりまして、M106の改良型ですが、これが、七二年、本年でありますが、ヨーロッパからベトナムへという指令がついて入ってまいりまして、相模原で欧州のものを二十三台修理してベトナムへ送っております。行き先も明確であります。  新聞によりますと、おたくの松田さんという課長さんが、昨日、まあ何がしかのものベトナムものが入っていることもあり得るような、ばくとした、ほんのわずかあるだろうというようなことを言っておりましたが、わずかのものじゃない、たいへんたくさんのものであります。しかもそれが南ベトナム国軍米南ベトナム派遣軍と明確に仕分けられている。しかもその輸送の方法その他全部記録は明確であります。  そこで、これもさっき申し上げましたが、簡単に触れておきますと、戦争が終わりますと、ダナンとダナンの下に新しくつくられたニューポートというところにヘリで集約して選別が行なわれる。それからまず太平洋方面陸軍司令部、USAPAC、ここへ報告をされる。そうすると、USAPACから出荷指令ベトナム派遣軍に参ります。あわせて在日米軍司令部を通じて需品局と整備局に送られてまいります。その内容は、何月何日ダナンを出る、そしてどういう船で、どういうものが何台と、そのときにもうすでに仕分けが全部行なわれている。その内容が在日米軍司令部を通じてこっちにもやってくる。ここでベトナム国軍のものが何台、米南ベトナム派遣軍ものが何台、何月何日何時着くという形で全部こっちへ連絡が来て、それは全部相模総合補給廠では現物であります。秘でありますけれども、そういう形で全部分けられている。  そして予算の立て方、それから帳簿上の処理、全部調べてみました。書類も持っております。これによりますと、過去の実績によって、つまり修理台数がきまってきておりますから、七一年なら七一年、七二年なら七二年の会計年度の初めである七月一日、ここのところでワクが来るわけであります。そして米南ベトナム派遣軍ものについては、国防省予算の中の米陸軍予算の中で台数のワクがきめられてくる。簡単に申し上げるとそういうことでございます。さっきはもう少し詳しく申し上げましたが……。だから、米南ベトナム派遣軍のほうは陸軍省の予算でありますけれども南ベトナム国軍ものは海外援助費のワクから支払われる。そういうことでワクがきめられてまいります。   〔坂村委員長代理退席、委員長着席〕 したがって、新聞が書きましたように、前者は9BTという表示になり後者は8RVという表示になる。したがって後者が南ベトナム国軍車両修理であります。全部明確になっておる。そこで、きのうおたくの課長さんのお答えでは、つまり援助協定があっで、その援助協定に基づいて貸与しているんだ、だからアメリカがそれを引き取って持っていくんだというのでありますが、実は日本にもMSA協定なる援助協定がありますけれども、三十六カ国ばかり、あと二つ入れますと三十八カ国アメリカは対外的な援助協定を結んでおりますが、型は全部一緒であります。これは安保条約だって、米比だって、ANZUSだって、SEATOだって、米韓だって、あるいは米華だって、型はみんな同じであります。その援助協定の形からすると、二十八年の池田・ロバートソン会談以来、二十九年の日本のMSA協定もそうでありますが、無償であれ有償であれ、援助されたものは、管理も、あるいは武器も明らかに日本ものであります。だから海外援助費のワクで、アメリカの財産の記録には載らないことになっている。そうなると、これを、アメリカの貸与である、アメリカの財産であるというきのうの答弁は、受け取れない、いただけない。  そこで私は、以上の論点に立って逐次防衛庁の皆さんにお聞きしたのですけれども、そこまでの内容を、やってくれと言われて直接いろいろやりとりをしたのだが、外交ルートヘと言われて外務省との話になっているという。  そこで本題に戻りますが、昨日私はあなたに、事実かどうかということをまず明確にしてもらいたいと申し上げた。そしてきょうは、きのうから持っておりましたが、全部中身を明らかにしたのですから、いいかげんなことを申し上げておりません。したがってまず、米側との間で、六五年以来今日まで、軍事車両というもの相模総合補給廠がかくかくしかじか修理してきたではないか、この中身の中に六八年以来南ベトナム国軍という仕分けが入ってきているではないか、それは種類別に分けてたいへんな数にのぼる、この点を明らかにして、さっき私M113を申し上げましたが、M113だけだって六百をこすから、そこで明らかにして、特に最近六八年以降は南ベトナム国軍ものは多岐にわたってたくさんふえてきておる。中身を見るとガソリンディーゼルに分けて、ガソリンの旧式なものは全部ベトナム国軍なんです。アメリカ軍は要らないんです。やってしまっている。ディーゼルものを全部米南ベトナム派遣軍が使ってきている。この中で明確です。そういうふうに来たじゃないですか。その事実を明確に認めさせていただきたいと思っておる。  相模原周辺の町の方々の不安というものは増大をし、新聞関係の皆さんが非常にきびしく相模補給廠司令官ものを言われて、一昨日開場をしてM48型のものを見せた。写真をとることを認めた。走行テストまで見せた。そういうことです。それを日本政府が何もしないでいるということはない。だから、市議会その他はたいへん大きな騒ぎをして、特別な委員会をみなこしらえようとしたり、きのうもすでに相模原市議会では委員会で論議をしている。そういうことですから、そこのところをまず明確にしていただきたい。  その上で、六八年以来の長い経過の中でこれだけ仕分けが明確になっているのですから、南ベトナム国軍車両であるということは明確になるはずである。その場合に、援助協定があるわけですから、それも御検討いただきたい。私の知る限りは、アメリカ側が何とおっしゃっても、援助協定中身からいって、MSA協定もそうでありますけれども、無償なり有償なり援助をされたものについては、日本の国のものなんです。それを小手先の便法でということになるんだとすれば、これは許せない。ですから、その意味で二番目に、これは安保条約、地位協定に基づく基地の目的外使用になるのかならぬのか。私はなるという明確な前提でものを申し上げているのですが、なるのかならぬのか、これは明確に御検討いただいて、外交ルートに乗せて、米側と決着をつけていただきたい。  御参考までに申し上げておきますが、現場の職員諸君何人かに私聞いてみましたが、異口同音に言うことは、うしろにまっ黒い刻印が打ってある。南ベトナム国軍という刻印が打ってある。車両修理をするわれわれ優秀な技術者でどうにもならぬものも、全部直してきれいにして送っている。だけれども、送られたら、これまたベトナム人同士の殺し合いに使う、これは耐えられぬと言うんです。現場の方はそこまで深刻なんです。だからそこのところはやはり目的外使用なら目的外使用で——せめて南ベトナム国軍ものまでわれわれ修理させられる理由はなかろうと言っている。だからそこのところを、やはりアメリカとの間において外務省のルートで明確にすべきである、こう申し上げたいのであります。そして皆さんのほうで、いやそうじゃない、通常の修理だ——通常の修理といったって、これだけ膨大な数、しかも最近においてどんどん南ベトナム国軍がふえてきてしまっているものを、そう簡単に通常の修理と認めるわけにはいかない。  それからもう一つ外務省局長ですからよく御存じのとおり、国際法上復仇の法理がある。つまり、かたきという字を書きます。アメリカがカンボジアなりラオスなりを爆撃しましたが、それは、北がそちらを通って補給をしている、その補給路を絶つんだということが大義名分です。これをアメリカが押し通した。明確です。だとすると、ベトナム戦争に使ったような南ベトナム国軍車両を持ってきて、日本修理をして次々に送り返している。それならばその補給路を絶とうというので復仇されても、国際法上筋は通る。国の大小、力の大小はありますが……。日本人はその意味で復仇されるというリスクを負わなければならぬ。一例をあげればそういうことになる。そこは、皆さんのほうで御検討をいただいて明らかにしていただくところで、その皆さんの御回答に従って、私のほうもそれなりの理論展開をする用意をしております。法制局長なり皆さんにお出かけをいただいてやりたいと思っておりますけれども。つまり、そういう論点を調べてみて、この際政府は決断を下すべきは下すべき時期である、こう思います。昨日の御答弁によれば、防衛庁長官の申されたとおりだと私も思う。外務省も事の真相その他は詳細に調査をしたいとおっしゃっておられますから、その調査中身、そこを具体的に資料をあげて申し上げているわけでありますから、ひとつ明確にしていただきたい。  一、二、三、四に分けて申し上げましたが、さっき長官のほうから、外務省と十分相談する、それぞれそれらの決着がつくようにやりたい、こういうお話がございました。吉野さんのほう、外務省の側もそういう努力を願いたいのですが、いかがでしょう。
  22. 吉野文六

    ○吉野政府委員 ただいま江崎長官が御答弁したとおり、われわれもまず事実関係を詳細に調査いたしまして、その上で先生の御指摘の、一体これが基地使用の目的に合致しているかどうかという点につきまして、またわれわれも見解を述べさしていただきたいと考えております。
  23. 大出俊

    大出委員 ぜひひとつ御検討いただき、調査をいただき、米軍に確かめていただきまして、明確な御御回答をいただきたい。その上であらためて論議をさしていただきたいと思います。  次に、沖繩の軍港湾の皆さんの本土復帰に伴います退職金その他をめぐる給与の問題につきまして申し上げたいのであります。  これは長官にまずもってお断わりを申し上げておきますが、野呂政務次官に実はたいへん御配慮を賜わりまして、私、感謝を申し上げるわけでありますけれども、賃金の問題、給与の問題、退職金の問題などで、復帰を目前にして、いつまでも争いが起こっておったり、そのための五月十五日をまたいでのストライキが打たれたり——政治的のものであればこれは別です。つまり生活にかかわる問題でそういうことが行なわれることは避けたい、これは実は私の念願でございます。  本委員会は、あわせて給与を担当する委員会でもございまして、二月七日から、各党の皆さんに御足労をわずらわして、委員長の御配慮もいただいて、現地にも行って、軍港湾の代表の方々からも数々の御意見をいただいたところでありまして、坂村理事にも、実は現地の方もたいへん感謝しておる御援助をいただいているところであります。また山中総務長官からも、これはたいへんな御労力をいただきまして、私も協力をする立場で、その旨を携えて現地に行った経験もあります。  これは特殊な状況にあった組織でありまして、国場さん、有名な国場さんが、当時、米軍からやかましく言われまして、言うならば国場村でありますが、那覇軍港のあそこに住まわされまして、おまえたちここに住まわしてやるから米軍荷役をやれ、人員を足りるだけ集めろというので、住まわすことを約束する、さもなければ追い出されるというのでありますから、一生懸命人を集めて軍荷役を始めたというのが実情であります。だから国場さんが村長なんです。それが国場組ということになって、軍荷役をやってきたという歴史があるわけです。途中、いろいろな事情があって変わったりいたしましたが、さらに国場さんの会社に戻って、現在また国場組でずっと過ぎてきているという歴史がございます。とにかく港湾の作業と申しますのは、他に比べまして、私も横浜におりまして、常時港にタグボートが浮いておったりするわけですから、よく知っておるわけでありますが、並みのものでございません。日本全体で一番人が死ぬ、けがをするという危険率の高いのは、労働省統計に基づきましても、港湾であります。並んで建設であります。  実はそういう実情にある。アメリカ管理に基づく荷役をやらされていた軍港湾の諸君、今日までやらされている諸君であります。これが間接雇用になる云々といいまして、実は一年契約というふうに途中から切りかえられました。一九五二年であります。したがいまして、そのつど一年ごとに切りかえられてしまう。こういう関係で満足な退職金ももらっていないという。しかもやっている仕事はいわゆる四種以上につらいことをやっている。こういうわけでありますから、当然の要求である。一種なら一種並みに応じた仕事をしているんだから、これは布令百一六号に基づく重要産業でもございますし、したがって、本土復帰にあたって当然の要求であるといって百日以上のストライキに入ったわけであります。いわゆる百日ストライキ。  百日になんなんとする過程で、総務長官がたいへんに実情を調べて、宮里副主席も中に入りということで、何とかしなければならぬというので、大蔵折衝が始まり、私も大蔵省と前後数回話し合った経験を持っておりますが、何とかしよう、これはほかならぬ特殊な事情にあるということで、軍港湾の皆さんについては何とかしょうということにようやくまとまってきて、そこから、しかし予算費目をどこへつけるかといったら、これは防衛施設庁しかない、こういうことで予算施設庁予算の折衝のほうにまとまっていったわけでありますけれども、そこで私ども、途中から現地にも行き、総務長官にも連絡をとりということで、何とかひとつ、窓口である総理府が引き受けるからストライキはこの辺でやめてもらいたい。私どもまた担当の委員会として、このあたりでひとつ収拾をしてくれぬかということで、現地を説得をいたしまして収拾をはかった。そのときには、琉球政府も前に出て、責任をもってやるというので話がついた。そのときの金額はここでは申し上げませんけれども、つまりいま施設庁予算に組まれている額である、こういうわけであります。  ところが、他にも同種企業があるからということで、戦い済んで日が暮れて、話がついてから、つまり机にすわるようになってから横に広がってきたというところに、せっかくの特殊事情にある軍港湾の諸君だからこそエネルギーがあってやった仕事なんですけれども、消えていくことになったというところに不満が残りまして、またここで、事と次第によっては十五日をはさんで港湾荷役をとめざるを得ぬという形に動いておる。これは免許の性格上、沖繩の場合は軍だけじゃないのです。そうすると、いま復帰を前にして、高くなるからというので、物資が山のように沖繩に運ばれて、港湾にも滞貨する、野積みをされておるという中で、いまからまた百日ストライキなんという騒ぎを起こされたのでは、せっかく総務長官や私ども与野党一緒になって、坂村さんもそうでありますが、現地にまで行ってまとめてきた意味がなくなる。だから私は、何としてもそういうことはさせたくない。そういう過程で、野呂政務次官にたいへんお骨折りをいただきまして、まあひとつ、なけなしの金をはたいても施設庁限りで努力をしてみようということで、つまりいささか先づけのきみがあるけれども、この辺のところでひとつ現地あるいは全港湾の諸君と話し合ってみてくれぬかということで、非常に誠意あるお話をいただいた。私もやってみなければわかりませんけれども、現地の諸君あるいは組織につながる中央の、本土の諸君とも話してみた。何とかひとつ現地を説得してくれぬかと頼んでみた。その結果、しぶしぶそれでは話に応じようかということになってきた。ところが、さてふたをあけてみると、とは言ったようなものの、なかなか現実そうはまいらぬということで、話がまたそこから変わってきて振り出しに戻ってしまった感がする。  その間で、私が遺憾に思いますのは、政務次官がおやりになったことは、政党政治でありますから、政治を担当されておる、そうなれば、ものごとの先を読んで、先取りしてものごとを解決していく姿勢がなければ、政党政治の意味がない。だから私にお話しをいただいたのは、その意味では当然の結果だと思っている。だから、食い違ったからといって政務次官の責任を追及する気はないけれども、やはり大臣として、防衛庁長官として、やはりこの特殊事情にある沖繩の軍港湾の方々の、百日ストライキをめぐる歴史があるのでありますから、しかも、琉政にしろ、総理府にしろ、内閣委員会にしろ中に入ったのでありますから、その責任においてこの決着を私はつけていただきたい。それは、事務当局の安斉さんでございましたか、労務部長さんに、組合との交渉の席で、組合のほうで、いやそんなことを言ったって話が違うじゃないかと言ったら、逆にこっちのほうから、話が違うと。そうなると、何か政治をやっているほうが少し前に出過ぎたということになるので「それは困るので、そうではなくて、ここで片づけなければならぬからお互いに努力をしている、相互努力をしているということなんですから。  労使関係と申しますものは、私も長い総評本部副議長の経験もありますけれども、これは、ときに一に一を足したら二にならぬことがある。それは何かと言うと、お互いに力の関係があるからですよ。ことしの春闘だって、去年より上回ってしまうなんというようなことは普通はないということだったのですけれども、新幹線までとまる騒ぎになるとすれば、あるいは私鉄までとまってしまうということになるとすると、中労委の会長は、一万円は認められない、九千九百五十円だ、一万円だけはかんべんしてくれ、九千九百九十円だ。十円、一体どうなるのだ、五けたにしたくない、そういう政治的なやりとりがあっても、なお五けたになってしまうのです。そういうところがあるのです、実際に。  なぜそうなのかというと、軍港湾の置かれてきた歴史的条件が他に比べて過酷だから百日ストライキが続くのです、現実には。国際的に見てもそうだ。そういう特殊事情が認められて高くなったからといって、他の労働者は非難はしません。つまり、そういう割り切り方が労使関係の問題の解決に必要なんですね。そこから先は官僚の知恵がある。その官僚の知恵のほうが出てこないで、そっちのほうからものごとがくずれてきて、またストライキだというばかなことをしてもらっては困る。そこを長官に私は御決断をいただきたいという意味で再度取り上げたというわけでございますが、いかがでございますか。
  24. 江崎真澄

    江崎国務大臣 問題の経緯は、詳しく御説明になられてよくわかりました。もとより政務次官が非常に熱意を込めて問題解決に、政務次官であると同時に政治家としての感覚で片づけた。しかも、それは総理府等も間に入って、あなたも御努力になった。こういうものは、当然、政務次官と大臣は一体でございますから、私の責任でもありますし、私がまたこの解決に努力することは当然だと思います。  その後の事務処理の経過等については、政務次官も出席しておりますので、お聞き取りを願いたいと思います。
  25. 大出俊

    大出委員 これは実は、たしか伊能委員長以下、坂村筆頭理事も含めて御努力をいただきました。沖繩の国家公務員、地方公務員の方々沖繩官公労の方々も、この九日から、九、十、十一、十二とまず四日間、半日休暇をやる。それでいけなければ無期限のストに入る。こういうことまで差し迫ってまいりまして、連休の間の二日、四日、六日、私は全部出てしまいまして、沖繩官公労事務局長以下、沖繩高教組委員長沖繩教職員会の調査部長なんという方々がみんな来られたものですから、ずいぶん苦労いたしましたが、最終的にここまで来て、心情的にも沖繩の皆さんのことを、他から文句が出たとしても処理をせざるを得ない。ここで市町村公務員、琉政の公務員が全部横に寝られちゃったんじゃ、事賃金に関して復帰にも何もならぬというので、大蔵省にすれば、十億足らずの金を出さなければならぬということで、ずいぶんつらいところもあったと思います。思いますが、主計局長以下たいへん努力をいただいて、最終的に決着がついたのが八日の日でございまして、八日の七時過ぎでございますが、これもずいぶんたいへんな苦労はしましたが、まとまったのです。  だから、第三者的に私がここで質問しようとすれば、そっちをそうしておいて何でこっちをこうしてくれぬという言い分がある。あるけれども、こっちの人はものを言わない。なぜか。労働者というものは相互にいろいろな条件にあるものですから、ここが前に出たからといって、そっちの人がこっちの足を引っぱろうとはしないのです。そういうものなんです。だから、そこらのところは一つ経過があって、琉政だって、交渉の過程で全部が全部拾い切ってはいない。だから、そういうところは結論は政治判断ですから、そういう意味で、ここまで来ると、安斉さんにこれ以上苦労さしても意味がない。だから、政治判断という意味で、十五日を控えておりまして、十五日またぎの港湾ストなんというものはよくない。だから、そういう意味で早急にひとつ決着をつけていただきますようにお願いしたいのですが、よろしゅうございましょうか。
  26. 野呂恭一

    野呂政府委員 大出先生には、院内外にわたりまして第四種、特に港湾の労務者に対する特別給付金の問題で御指導をいただいておりまして、感謝を申し上げたいのであります。  いま、その業態、業務の内容、あるいは全港湾の実態についてるる御説明、お話がございましたが、これは大出先生御承知のとおり、第四種と申しましても、業種がたいへん多種多様でございまして、私ども、最近とらえておりましても、米軍関係の請負業者の数が六十一にもなっております。また、その労務者の数が約六千七百人にも及んでおるかと思います。したがいまして、さてこの第四種の見舞い金という形でどういう配分をするかということになりますと、当然その業種の実態を十分把握いたしまして傾斜配分をしなければならないと思うのであります。  その傾斜配分にあたりまして、具体的に、しかも客観的にそれを裏づける資料が必要でございまして、先生をはじめ関係方々の御協力をいただいて、琉球政府、あるいはまた米軍関係とも話を進めてまいったわけでありますが、その実態に応じてどういう差をつけるべきか、あるいはまたその対象者をどこで線を引くかということが、これはたいへん政治的な問題でございますだけにむずかしいわけでございます。また、このことによって他に波及するということが問題になるということになりますと、これが私どもの一番心配する点でございますので、私どもといたしましては、いつか特に全港湾に対しては何かの処置をしなければならないのじゃないか。したがいまして、御指摘になりましたように、それこそなけなしのさいふをはたいて事務当局のほうで何とか苦労をしよう、こういうことになりまして、別ワク処理でいけることができればと検討いたしたわけでありますが、これは、同一対象者に追加の形で二つの方法、併給の形で予算処理ができるということが不可能になってまいったわけでございます。したがいまして、何とかその実態に応じて差をつけ、しかも対象者を限定し、御指摘のような傾斜配分のワク内ではありますが、実質的には特に考慮していかなければならないのではないか。最終的には大臣にも御決裁をいただくわけでありますが、いまその作業中でございまして、別ワク処理はできないけれども、傾斜配分の形で実質的には何とか御趣旨に沿うような方向でいま作業を進め、検討いたしておる、こういうところでお許しをいただきたい、かように考えます。
  27. 大出俊

    大出委員 了解をいたしますが、実は長官、世の中の慣行でございまして、百日もストライキをやりますと相当な収入減なんですね。これはおまえのほうが悪いんじゃないかといったって、労使対等の原則がある。そうなると、民間企業等は常にあるのですけれども、立ち上がり資金何カ月なんということで金を出したりしているのが世の中の慣行なんですよ。そのかわり、その立ち上がり資金にこたえて、波穏やかに風絶えて話し合いのテーブルについたのだから、仕事をしようじゃないか。働く人間というのはそういう気合いですから、よしやろうということになって、非常にスムーズに運行が進むということになりますと、その立ち上がり資金は無にならない。それは過去何カ月かのストライキの実績があったからなんですね。それで話がついたからそういうことになるのですね。  だから私は、本来ならば、百日もストをやって終わったときに、全港湾には何らかの手を打っておくべきだということを言っておいたことがあるのです。ところが当時は、いろんな事情があって、そこまで踏み切れていなかったわけであります。だから、それに類することをお考えいただいたって、一つもふしぎではない。とにかく、何もほかにやったところはないのですから、似たような業種があっても。天下の企業ならりっぱに退職金がある。二束三文のつかみ金でほうり出されたわけじゃない。明確な退職金規程を持っているところもたくさんある。だから同じ企業といったって千差万別なんですね。べらぼうに悪いところがある、そういうことですから、検討中ということでありますので、ぜひ私どもがいま申し上げておる希望も御勘案いただいて、何とか、十五日をまたいでやる、港湾の皆さんがどっちを向くかなんということを再び繰り返さないように、たくさんあったのがずっとまとまって残った問題ですから、そういう意味の最終処理をお願いしたいと思います。
  28. 江崎真澄

    江崎国務大臣 お説はよくわかります。また港湾労務者の特殊性は、私も多少ながら知っておるつもりでおりますので、政務次官がお答えしました線に沿って、十分話をまとめる方向で努力をいたします。
  29. 大出俊

    大出委員 それでは、あと施設庁に当面の問題を二、三点承って、時間も時間ですから終わりたいと思うのであります。  まず一つは、旧来から懸案になっております横浜市の山手住宅地区などの返還に伴う問題で、今日、個人所有地がバス道路その他になっておりますものを、これは道路のまん中にバラ線を張るわけにはまいりませんで、どうしたら地域住民の生活に即してこの決着がつけられるかという点で、かつて私、取り上げていろいろ御質問したことがございます。  それで、四十七年の二月九日に米軍から、まあ一方的にということになりますが、突然、山手住宅地区の全面返還通告が出てきた、こういうわけであります。それで四十七年三月三十一日に接収解除という運びになった。そこで四月以降は、今日まで出ていた借地料、これは補償料でございます。その借地料が、これは一平米当たり年間四百円前後でございますが、これが支払われなくなった。それで住民は、これは私有地が計二十一カ所ございますが、借地料が入らないとなると、自分の土地なんだから、じゃ一体どうするかというと、道路であっても、多少出っぱってへいをこしらえたり、あるいは鉄条網を張ったり、あるいは車庫を建てる。いままで道路として使用していたところに車庫を建てられれば使用不能になるわけです。これは道路じゃないかといっても、いや別の土地で返してもらったんだということになる。そういう争いがいままさに現実起きようとしている。横浜市としても、現状解決のために——私もかつて皆さんに横浜市の答弁書なるものを差し上げて、複写しておいてくれといって、横浜市の考え方は皆さんにわかるようにしたことがあるのでありますが、いまだにこれがそのままになっているというのは、どうも何とも理解に苦しむわけであります。これは非常に広範囲にわたりますが、ここのところは施設庁として一体どういうふうにお考えなのかという点。  それから、この借地料は預けられてあともらえないということのままでとおっしゃっても、それならそれで、そこから先は国、市の責任が私は出てくると思う。国の側は、おそらく地域自治体が全部やれと言うんでしょうけれども、といっても別に横浜市が接収したわけでも何でもない。淵源をさかのぼればそういうことであります。そこらを一体どうお考えになるかという点が残ります。この点についてどういうふうにお考えか、まず承りたいのであります。
  30. 島田豊

    島田(豊)政府委員 山手住宅地区におきます道路敷となりました民有地につきまして、先生の御要望もございましたので、いろいろ調査いたしましたところ、十七の路線につきましてこの問題が生じていることが判明いたしました。その結果、原状回復が不可能な道路、それから原状回復が可能な道路及びその他の道路、こういう三つの分類がされますので、それぞれの分類に応じまして次のような処理をしたいということに考えておるところでございます。  一つは原状回復不可能な道路、これは九路線でございますが、この道路は現に一般交通の用に供されております。また、拡幅された現在の状態で道路管理者と横浜市が、市道の設置、あるいは市営バスの通行、建築物の建築許可、給水装置の設置など、一般公共の用に供しておるという実情にかんがみまして、道路として将来も存続せしめる必要があるものと認められますので、それらの道路の扱いについては現在市と協議中でありまして、その結果によりまして処理したいというふうに考えているわけでございます。  それから原状回復可能の道路、これが六路線ございますが、これらの道路につきましては、一般公共用に供する必要性が比較的低い、また原状回復が可能でありますので、現在の道路の利用者は当該民有地の所有者に限られておる、また土地所有者から土地の返還を強く要求されておるということもございまして、この六つの路線につきましては原状回復補償を行ないたいというふうに考えておるわけでございます。  それからその他の道路、これは二つの路線でございますが、これらの道路につきましては、拡幅部分が私有地または国有地であるという関係で、これも市と協議の上に、道路として存続させるかいなかを決定して処理をしたいというふうに考えておるわけでございます。  なお、道路の拡幅部分のうち、未契約となっております民有地についての未払い借料につきましては、昭和二十七年の四月二十八日以降、返還日までの借料を支払う、こういう方針でございます。  なお、この道路の実態につきましては、さらに調査をいたす必要がございますので、昭和四十六年度におきまして二百三万の調査費を計上いたしております。四十七年度におきましては二百十万程度の予算をもちまして、さらに実態把握をいたしたい、基本的には先ほど申しましたような方向でこの問題の処理をはかりたい、このように考えております。
  31. 大出俊

    大出委員 これはだいぶ前でありますが、一ぺんお答えいただいておるのでありますが、そのときには、国も市も県も相互にできる限りの責任を負おうという線で進めてもらいたい、そういうことで検討する、こうなっているのです。ところが、三月九日の神奈川新聞でありますが、この中にあるように、「もたつく終戦処理 道路敷きの民有地買い上げをめぐり」というのですね。この神奈川新聞によりますと、「米軍住宅二三六戸があったが、去年二月、九月、先月九日の三回で全面返還された。総面積二〇万余平方メートルのうち国有地が六万平方メートル、市有地が二万六千平方メートル。大半は民有地(一二万平方メートル)で占め、今月中には全部、地権者への引き渡しが終わる」。ところが横浜市と横浜防衛施設局が背中合わせになっちゃった。飛鳥田市長名で、接収後、道路を拡幅したのは国なんだから、国が責任をとって買収して、それを市に払い下げてほしい、こう言っているのだが、高村横浜防衛施設局長はこの要望を受けて、拡幅で消防車も出入りできるようになり、バス路線として市民の役に立っている、市が責任を持つのは当然だ。そうすると、接収したのは市がしたんじゃない。国がしたのは間違いない。原状回復という問題もあります。ところがいまは、米軍が拡幅して私有地を道路にしちゃった。バスも通っていれば、消防車も入るのだ。市が便益を得ているのだから、市がやれ、国は責任がない、これもずいぶんかってな話だということですね。ということで、もたついて困るのは一体だれだ、本人の意に反して接収をされた諸君じゃないか。これを一体責任のがれをし合っていたのでは、困るのは住民ばかりじゃないんだという論法で、新聞がこう書いておられるのですね。ごもっともな点であります。  だから、気がついておりますから、かねてから私も何べんか取り上げたわけなんでありまして、一つの方向はこの席でも確認を願っているのでありまして、それがどうも、いまだに片がつかぬままでのんきなことを言っている時期ではなかろうと私は思うわけでございます。前に相当詳細に聞いておりますから、こんなにたくさん資料がありますが、こまかくは申し上げませんけれども、ともかくもうどの辺で片づけるというふうなめどくらいは、タイムリミットを考えていただく。そうでないと、物置き建っちゃったり、倉庫建っちゃったり、腹立つ人は、もとの一・八メートルのところにバラ線を張るということになると、社会問題が起こります。あまりに、国にしても市にしても県にしても、みっともない話だ。だから、どの辺にめどを置いて、片づけるかということを精力的にやっていただきませんと。人間というものは、せっぱ詰まらぬとやらぬものですよ、お互いに。そういう意味で、私は三月末くらいまでと思っていたのですが、ところが五月の声を聞いたのであります。ここのところ、少なくとも数カ月くらいの間に決着をつけるように精力的に話し合いをする、こういうふうにしていただけませんでしょうか。
  32. 島田豊

    島田(豊)政府委員 いま、いろいろ実態を調査いたしまして、先ほどのような三つの分類に分けまして、それぞれの処理の方針をきめているわけでございますが、確かに具体的に、国の立場と市の立場、それぞれ主張がございまして、これがなかなかかみ合わないということで今日までまいっておるのは事実でございますので、この点は、いま御指摘のように、私どもとしても、やはりできるだけ早く処理していく。すでに返還されておるということでもございますので、そういう目標でいま折衝いたしております。御要望の線に沿って極力努力したいと思います。
  33. 大出俊

    大出委員 では次に小柴の貯油施設ですが、せっかく高村防衛施設局長さんといろいろ話を進め、またてっぺんでは島田長官もずいぶんこれは御配慮賜わりまして、詰めるところまで詰めて、おおむねほぼ移駐の了解をされるところまで来ておるわけでありますけれども、何となく延びてしまったわけでありまして、市の西北部四万五千平方メートルの返還と、さらに正面左側の不法占拠——不法占拠というと、皆さんは、米軍にもいろいろ理由があるというのかもしれませんが、つまりある意味の条件で話し合いが進んだということなんでありますが、ところが何か例の貯油施設そのもの修理があるというようなことで、そのたびに機材その他を置くという理由もあって、返還地域が使えない、だからしばらく待ってくれというままで待っているという勘定なんですが、いつまで待てばいいのか。ここのところは、さすがに地元の昔からの方々で、御年配の方々が多いのですが、これは金沢地区の埋め立て計画が進み、ここの道路の取りつけがある、そこらのところに合わせて、市のほうもできるだけのことを周辺についてはやるつもりで話を進めております関係もこれあり、だから時間的な制約もあります。ぼつぼつこの辺で、一体どっちを向くのかということ。十八号タンクが一つだけ表に出て、排気口が出ておる。危険である。事実危険で、異臭も出ておる、こういうことなんでありますが、ノリなどをやっておる地域でもあり、非常に神経を使って、火気その他についてお互いに住民相互の組織関係で戒め合っているなんということが続いているのですから、これも大体どの辺のところというめどがほしいのですけれども、いかがでございますか。
  34. 島田豊

    島田(豊)政府委員 ちょっと私、突然の御質問で、詳細について承知しておりませんが、いろいろ先生からのかねての御要望でありまして、地元からの要望の線に沿って私どももできるだけ努力したいというふうに考えておりますけれども、確かに中の道路の問題につきましては、現在あそこの大部分を修復しておるということでございまして、その工事のいろいろな事務所その他の建物もあの部分に置いておるということでありまして、延び延びになっておるわけでございますが、いまちょっと担当者に聞きましたが、必ずしも明確でございませんけれども、まだ貯油施設修理そのものは時間を要するのではなかろうかというふうに、私、記憶いたしております。ことし一ぱいかかりますか、あるいは今年度一ぱいかかりますか、その辺は、私、記憶をいたしませんけれども、正確なことは、また後ほど調べて御報告申し上げます。
  35. 大出俊

    大出委員 時間もありませんが、薄田さんにそこのところ確かめていただきまして、話としてはつきつつあるのでありますが、時間的に地域の方々たいへんに困っておるわけでありますから、大体、米側がどのくらいかかって、いつごろそこがあくのか。これは工事をずっとやってきたのですから、めどが立っていないはずはない。だから、その辺はひとつ、後ほどでけっこうですから、正確に御回答いただきたいと思うのです。  それからもう一つ、こういう問題があるのですね。米軍基地内で孤島になってしまったところがある。島になってしまっている。十軒ばかり、森があって、ぽつんと残って、パスポートを持たなければ買いものにも行けないという。こんなばかなことがあっていいことではない。だがしかし、現実にそういうことになってしまった。これは写真がありますが、横浜の根岸住宅地区なんです。このまん中に残っておる。これはみんな米軍の住宅なんです。森が一つあって、森の中に十世帯いる。あとは全部基地なんですね。これは一カ所だけ、終戦後から今日に及んでいる。そうして、各家庭の子供さんたちはみんなピストルを持っているわけですからね。この森というのは暗いでしょう。珍しいから子供が年じゅう飛び込んでくる。いろんなことがある。日本人を何とも思わない連中ですからね。そして奥さんが買いものかごさげて行くといっても、パスポートを持たなければ出かけられない。それはなみなみならぬ苦労をし続けてきている。さすがにかんにん袋の緒が切れた。道路なんかもめちゃくちゃで、消防車が入るといったって、一々そこへ行って許可を受けていたんでは間に合わない。医者だってそうです。こういうばかげたことがあるんで、もういいかげんに何とかしてくれ、こういうことであります。だから陳情書も出ておりまして、ここにございます。  わずかのところだけ横浜市の道路なんです。ところが、道路というものは先までなければ道路ではないのです。そこにゲートがあったりしてどうにもならぬ。横浜市はどうしろこうしろと言われてみたって、何とも手のつけようがない。買いものに行ったり何かするのも、もう少しちゃんとしてくれ。だいぶ古くなったし危険だというのもあるのだけれども、これはどうにもならないままになっている。受田先生もお見えになっていて、ここで言う時間もございませんから多くは言いませんが、陳情書も出ております。横浜市の責任で道路でも何でも何とがひとつやってやってくれいということではなくて、陸の孤島という話があるけれども基地の中の孤島、それではやはり事済まぬと思いますので、ひとつ現地の横浜防衛施設局に聞いていただきまして、要望が幾つも出ておりまして、もう少し何とかしてくれ。これは子供のこともありますから、ほんとうに一種の社会問題なんです。そういうことで、いまここで島田さんに、そこから先のこまかい点を承ろうと思っても御無理だと思いますから、ぜひひとつ実情の調査をいただきまして、長年苦労した諸君に、基地周辺の対策を立てる法律もかねてできておるんでありますから、何かの呼び水はしてやっていただきたい、こう思うのであります。
  36. 島田豊

    島田(豊)政府委員 私、事実関係をよく承知しておりませんので、横浜施設局によく調査させまして、地元の御要望の点に沿うようにいたしたいと思います。  先ほどの小柴貯油施設米軍修理工事の期間でございますけれども、いま聞きますところによりますと、来年の六月までかかるということを米軍が言っておるようでありまして、少々先になりますのでまことに申しわけないのですけれども、その上に立って地元の御要望の線に沿ってひとついたしたい。物理的に六月までかかるということになりますので、短縮するということはなかなかむずかしいかもしれません。
  37. 大出俊

    大出委員 たいへん恐縮ですが、やはり地域住民のこともありますし、待ちくたびれもいたしますから、この辺で一ぺん正式に米軍に対して、いつまでかかるのか——せっかく数年かかって話がついた。ついたとたんに、そのときには、横浜防衛施設局長さんからも、施設庁の皆さんからも、何にも話がなかったにもかかわらず話がついてさてということになったら、仮還しましょう、そのかわり十八号タンクから出ている排気口はあぶないのだから、ここのところは地役権は差し上げましょう。そこにさくをつくって、立ち入り禁止として危険防除もできる。そのかわり、こちら側はあいているんだから返しましょうということになった。  そこは、慶長三年か何かの地震で大津波があって、吹き寄せられて、長浜何軒といってそこに住んでいる方々です。有名な北条氏の金沢文庫のすぐ裏になる部落でございまして、だから外界とのつき合いも非常に少なかったという地域なんで、それだけに、早く若い諸君のためにそこの地域を開発して、観光農場をつくるとかいろいろあるわけでありますから、一ぺんぜひこの辺で対米折衝をしていただきまして、可能な限りの期間短縮、それがたとえば一カ月でも二カ月でも短縮させる。地元の待ちくたびれるところを、またもとに戻って、かってにしろ、タンクのボーリングをやるということになると困りますから。これは個人の所有地なんですから、ボーリングをやっておりていったらどうする。ジェット燃料処理タンクなんですから。そこまでの話をとめて話し合いの場に戻って、話をしてきてまとまったことなんですから、あまり待ちくたびれておかしくならぬように、話をこわさぬようにひとつ話し合っていただいて、現地に中間的に報告をしてもらう。そのくらいの親切心があってよろしかろうと私は思うのですが、ぜひお願いいたしたいと思うのですが、いかがでございますか。
  38. 島田豊

    島田(豊)政府委員 さらに米側と再確認いたしまして、その期間の短縮につきましても十分話し合いを行ないまして、その結果に基づきまして今後この問題をどういうように処理するかということについても、地元の方々の御了解を得つつ話を進めていきたい、かように考えております。
  39. 大出俊

    大出委員 もう一つ、岸根の兵舎地区。例の野戦病院に途中からいたしまして、もともとこれは横浜市の公園予定地でございまして、契約はもう切れたわけでありますから横浜市長はあと貸さないと言っておるわけでありますけれども、これは薄出さんからも、ちょっと私、立ち話で耳にしたこともあるのでありますが、これも閉鎖してもう長きにわたります。四十五年の六月三十日に閉鎖をされたわけでありますから、来月でもう一年になるわけですね。ですからこれも、もう東京の王子の野戦病院だって決着がついているわけですから、何とかならぬかという気がするのでありますが、いかがですか。
  40. 島田豊

    島田(豊)政府委員 この問題も、御指摘のとおり、もうすでに事実上機能が閉鎖されましてから非常に長い期間を経過しておりますし、また地元としては、このあと地利用についてたいへん御熱心な御要望があるということは承知いたしております。ことに私有地でもございますので、横浜市長とされましては一もう今後の使用許可につきましては応じないという強い態度もございますし、場合によっては訴訟提起というお話もございますので、この点は米軍に私ども強く申し入れをしております。私は、参謀長とグラハム司令官にも、何回もこの問題について折衝いたしておりまして、実はもうしばらく待ってくれ待ってくれということで今日に至っておりますが、ごく最近私、グラハム司令官とこの問題について話をしましたときに、もうほんとうに近くハワイのほうから何らかの返事があるはずであるという回答を得ておるわけでありますが、その近く近くが何回か繰り返されておりますので、私どもちょっとがまんならぬ気持ちでありますが、ほんとうに近々に何らかの返事があると考えておりまして、地元の御要望の線に沿えるのではなかろうかというふうに私ども考えておるわけでございます。
  41. 大出俊

    大出委員 ほんとうに近くということ、それがごく最近の話であり、かつ地元の要望に沿えるであろう、こういう推測というお話でございますから私もこれ以上申し上げませんが、歴史がこれまたありますので、これまたどうも待ち切れぬ、何ともがまんならぬというところでありまして、ぜひひとつ精力的な御折衝のほどをお願い申し上げたいのであります。  それから、二、三分ずつしかかからぬのでお許しをいただきたいのでありますが、瀬谷の通信基地の裏にかぎ型の地所がありまして、長年通信基地で苦労した地域住民ですから、そこのところを総合グラウンドみたいなものにして貸してくれ、そして国有地と個人有地の交換をしてもいいという地主も出てきまして、協力を幾らでもするからというので、テニスコートとかバレーコートだとかいうふうなことになったんですが、これも実は、かつて私、取り上げたときに、瀬谷の通信基地でさんざっぱら何ゾーン、何ゾーンで苦労したんだから、裏側の門のところなんだから貸してもいいじゃないかと言ったら、そういう御苦労もかけましたからそういう線で折衝してみましょう、ということになったんですけれども、多少どうも地元の側もぜいたくを言いまして、建物を建てるとかなんとかいう計画を出したものですから、話が妙なことになっておるようでありますが、そういうものは引っ込めてもらって寸ともかく皆さんが国有地という意味で管理されるわけでありますから、その支障ということになるのでは、やはりうんと言えないことになるのはわかります。そういうことなんで、少し地元の要求を落としてもらって、ともかくそこが子供の野球場であったり、バレーの奥さんたちの練習場であったりというような程度のことは配慮していただいてもいいんじゃないか。ぜいたく言い過ぎるからノーであるということじゃなしに、この程度でおやりなさい、そう言ってもええぬかという気がするんですが、地域住民の気持ちでございますので、つい欲が出るというわけでありますけれども、せっかくかつて軌道に乗せた話なんでありますから、御記憶だろうと思いますので、多くは申し上げませんが、いかがでございますか。
  42. 島田豊

    島田(豊)政府委員 この件は施設部長から……。
  43. 薄田浩

    ○薄田政府委員 上瀬谷の件はイーズメントのことでございまして、われわれの集団移転と大体同じような取り扱いをいたしております。従来は財産の貸し付けということになっておりまして、そういう手続を進めたいと思っております。ただ確かに、おっしゃいますように建物の話が出ましたが、米軍はあの辺は、やたら自動車の走行数まで制限しろということをやっておりますので、建物はちょっとまずいんだということで、いま並行線ということでございますが、こちらも、先生御指摘のように、こういうものならいいんだという、もっと積極的な提案をしていきたいと思います。
  44. 大出俊

    大出委員 わかりました。ぜひひとつそうしていただきまして、長い懸案でございまして、いずれもまとめていただきたいわけでございます。  最後でございますが、横須賀の艦船修理部を含む、例の横須賀の日米共同コミュニケ以来の懸案事項でございますが、これも、どうもいつまでもこのままでも、これまた困るわけでございまして、いろいろな回を重ねての折衝があったことも承知いたしておりますが、念のために申し上げておきますと、昭和四十五年十二月二十一日の日米安全保障協議委員会第十二回会合で、マイヤー駐日大使とマケーン太平洋総司令官出席して、これはあとできめたわけですね。二国間の取りきめです。この中で、艦船修理部というものは、六号ドックというものは、これはアメリカが依然として確保していくんだけれども、一、二、三と、四、五と、ここのところは日本側で引き継げ、そういうことにしたいというので、これをお互い了解し合った。今日また心配になるのは、ベトナム戦争もエスカレートしてきた段階でもこれあり、今般一応の発表があったわけでありますが、これは延期という意味ですよ、簡単に言えば。その中間で、横須賀の基地そのものについて、米軍の七艦隊の母港化という問題が、ギリシアその他と並行的に進められるようにレアード報告その他で見ておりました関係があり、福田外務大臣が、非公式ではございませんが、米側から接触があったということを明らかにされたということなどもあって、大きな問題になったわけでありますが、長官に私、私的に電話を差し上げたこともあるわけですけれども、持ち回りできめられても困ると思いまして電話でお願いしたことがあるんですが、これも何らかの方向づけが必要ではなかろうかという気がする。特にベトナム戦争との関係もこれあり、非常な不安が地元にございます。したがって現状どうなっており、かつ、運輸省も入っておったり外務省も入っておることでございますけれども、どういうふうにこれから進めていこうとお考えなのか、承っておきます。
  45. 鶴崎敏

    ○鶴崎政府委員 艦船修理部の問題につきましては、先般、安保協議委員会の結論が一部変更になるというようなことで、日米で共同発表したわけでございますが、御承知のように、内容的には、今年の六月末までに一号から五号のドックは返還をするという予定になっておりましたけれども、返還につきましては米側のいろいろ条件がございます。この条件について目下鋭意交渉を進めておる。したがって、その交渉が円満に妥結すれば返還するけれども、それまでの間は従来どおり米側が管理をする。なお労務者の整理については、全般的な計画がきまるまでは整理にならない、こういう趣旨の発表があったわけでございます。しかしながら、当時この発表をするにあたりまして、あくまでも六月末を目途に返還できるように従来も交渉を続けておるけれども、今後も米側と鋭意折衝するということになっております。  この問題について、今年に入ってからは、たしか二月に二回、三月に一回、日米間の交渉がございましたが、その後、住重のほうから、これを引き受けた場合に、こういう条件が満たされれば会社としては十分やっていけるというような、たいへんこまかな資料も出されておるようであります。技術的にたいへんむずかしいこまかな問題がたくさんあるということで、必ずしも交渉がスムーズに進んでおるというふうにはとれませんけれども外務省、運輸省ともに、この問題はひとつ何とか前向きで解決をしたいということで、いろいろ努力をしておるというところでございます。
  46. 大出俊

    大出委員 二点だけ承って終わりにいたしますが、一つ予算が組んでありますね。一−三号ドックについては、これは幾らでございますか。それと、片や四、五の話がスムーズにいかない場合に、予算を使えないということになりますね、期限が参りますと。その辺のところを兼ね合って、一−三号というもの予算が組んであるんだから先に自衛隊がということになりますか。それが一つ予算額がどのくらいで、執行の期限がどうなって、四、五がまとまらぬ場合にどうされるかという点、これが第一点。  第二の問題は、いま住重の話が出ました。つまり住友でございますが、四、五は、そうすると住友にというふうに考えてよろしいですか。そこで、時間のあるものは一カ月前に発注するとか、緊急のものは一週間前とか、いろいろ発注のしかたがあります。そこらの問題にすべて対応ができるかどうかという点が相手が出してきた条件のように、運輸省からかつて聞いている。そこらのところはあわせて住友の側にということで、ほぼ政府内部の考え方はまとまって住友から詳細なものが出てきた、それを土台にしてつまり四、五については話し合っている、こういうことになるのですか。
  47. 鶴崎敏

    ○鶴崎政府委員 予算額はちょっと調べてみますけれども、一号から三号のドックを自衛隊が引き続いだ場合に、人件費だとか、あるいは施設を整備する経費、こういうものが計上されております。しかしながら、御承知のようにこの艦船修理部の問題は、地元にとってきわめて関心の高い重要な問題であるということでございますので、一号から三号のドックについての米側との話し合いがついた場合におきましても、四、五の話し合いがつかない場合は、一号から三号だけを先に話がついたという理由だけで直ちに防衛庁使用を開始するということは、いろいろ地元との関係もありますのでいかがかということがございますので、その辺は、できるだけひとつ一号から五号は一緒に処理をしたいというふうに考えております。しかしながら、たまたま、申し上げましたように予算がついておりますので、この一号から三号のドックが使用できませんと、結局、一般の修理費のワクがそれだけ少なくなっておりますので、艦船の修理上支障を来たすというようなこともありますので、なるべくこの四、五と一緒ということは考えておりますけれども、具体的に艦船の修理に非常に欠陥を生ずるというような事態になりますと、何とかこれは地元ともお話し合いをして、とりあえず何らかの形で一号から三号は使えるようにいたさなければならぬのじゃないかという感じがしております。  それから住友重機の問題でございますが、これはどうも私のほうからお答えするのが適当かどうかと思いますけれども、漏れ承るところによりますと、運輸省のほうでも、日本側で四、五を引き受けた場合の会社は一体どこが適当であるかということはいろいろ検討されておるようですが、立地条件その他のいままでの経緯等から見まして、住友重機がきわめて有力な候補者である、こういうふうに見ております。
  48. 大出俊

    大出委員 一—三号が予算がついている。だがしかし、一—三号だけ切り離して返還、つまり自衛隊がということにはしない、四号も一緒だということが実は予算分科会の時点における皆さんの答弁だった。いま、予算がついているからできなくなるのではないかという質問を私がいたしましたら、それに乗られて、そうだ、だから最悪の場合には間に合わなくなる、執行ができない。規模が狭まるから、一—三号だけ地元の了解を得て先に見切り発車をする、こういう御答弁が初めて出てきたわけであります。  もう一つ、漏れ承るところという前釈はついておりますけれども、立地条件というおことばがこれまた初めて出てまいりましたけれども、住友という、以後そういう固まり方をしてきた。そういう流れだと思うのです。私は経過を知っておりますから、これはそれなりにわかります。だから、そこまで来たということを初めておっしゃったのですが、そこまで来ると心配になりますのは、つとめている人の問題。あそこにつとめている方々を、しからば一—三号関係なり四号関係なら住友なら住友にということになるとすれば、運輸省のほうの検討は、立地条件が住友ということになりそうであるというところまで来た。それはそれで経過としてわかりますが、その場合、あそこにつとめておる技術者を含めて、全駐労関係の皆さんを返還まで切りませんと言っただけですから、ベトナムにみんな行ったからいま遊んでいるわけです。一週間のうちに三日休めとかいうことになっている。そうするとまた不安が再燃している。  そこへもってきて、これは大臣がいないとわかりませんが、母港化という問題が依然として消えない。すぐ佐世保へ行くはずのものが行かない。共同コミュニケと全く別になってしまった。そうして一—三号は自衛隊自衛隊だが人は要りません。四号は住友だけれども、こっちも、若手の技術者だけは賃金が安いからいただきますが、比較的年齢が高い全駐労関係の技術者は要りませんとやられたのでは、一体おれたちは何のためにいままで働いたのだということになる。そんなことでイエスと言えるかという騒ぎが起こる。横須賀市だってうんと言えないという問題が起こる。いままで予算分科会等で、他党の方々からたくさん質問が出ているけれども、人の問題に触れた質問一つもない。そこらのところはあわせてどうなのかということを伺いたい。  ただいま鶴崎さんの御答弁が、一—三号は予算がついている、だから地元の了解を得て見切り発車の場合だってあり得る。住友というのは立地条件でそうなりそうだ。運輸省も、漏れ承るところによるとそうなりそうだ。非常に詰まってきた。そういう形になっている。では人はどうなのかということが当然出てくる。これは施設庁の立場です。そこはどうお考えですか。
  49. 鶴崎敏

    ○鶴崎政府委員 この一号から三号を自衛隊で管理する場合に、専属の従業員をやはり必要とします。これは人数的にはそう大きなものにならないと思いますけれども、そういう場合には、やはり従来艦船修理部で働いてこられた方から優先的に採用することになろうかと思います。  それからまた、住友重機のほうで四号、五号を引き受けるということになった場合、一番問題はやはり技術者の確保ということでございます。日本の造船技術はたいへん進んでおりますけれども、何といっても米艦船の修理というのはきわめて特殊な作業であるということで、経験のない者がいきなりそれをやろうとしても、これはうまくいかない。そこで、これまで働いておった方々を引き続き採用することになろうというふうに思いますが、ただ、整理される方々を全部カバ一できるかどうかというようなところまでは、現在まだ見通しが立っておりませんけれども、少なくも技術の中心的な存在の方々、これらについては、やはり住重のほうでも採用を当然考えておられるだろう、こういうふうに思います。
  50. 島田豊

    島田(豊)政府委員 SRFの問題につきまして日米間で協議いたします場合に、絶えず労務者の問題がやはり検討の上でも重要な課題の一つでございまして、今回三月末に日米間でこの協議をいたしましたのも、もしこの米会計年度で返還いたしますれば、やはり九十日の予告期間の問題がございます。そういう点等もあわせ考慮されて、あの時点で発表したという経緯がございます。ししたがいまして、このSRFの返還と労務者の問題につきましては、非常に敏感に絶えず考えておるわけでございますので、その点については、今後どういうふうになりましょうとも、労務者の立場も十分施設庁としては考えてまいりたいと思っております。
  51. 大出俊

    大出委員 それじゃその点は、何分の一かになるという一—三号の問題もありますが、とにかくこれだけ長い問苦労してきた方々なんですから。しかも共同コミュニケが出ていながら、次々にころころ変わる。本会議で私が質問いたしましたが、どうにもしようがない不安で過ぎてきておりますので、いま島田さんおっしゃったように、ぜひひとつ働いている諸君の立場というものが優先していくようにする。それは、国が引き継ぐ一—三号だから国が引き継げという主張が出てくるのがあたりまえです。長年働いてきたんだから。時には寄せ集めて働かせたこともあるのですから。そういう点をぜひひとつ重点的に考えていただきますように。おそらくもう少し事態が進展する。きょう、こういうふうに出たお話で御回答が出てまいりましたから、おそらく、それならば地元のほうでも対応してどうするかということになるので、労務部長さんのほうにも、いろいろな意見が出てくると思います。十分聞いてやっていただきまして、政治的にお互い知恵をしぼって最良の解決方法を考え合おうということにさせていただきたいと思います。  最後に、長官、このSRFを含めまして母港化問題がいまだにどうも、ああいう特殊な地域ですから、米軍のいろいろな方が入ってきますので、町においては話の話題になる場合が多い。だからいろいろなうわさが私らの耳に入る。不安の種でありまして、そこらの点、防衛庁の立場で、外務省だとおっしゃるかもしれませんが、どういうふうに判断をなさるのか。特にベトナム戦争問題もございますので、長官の立場でお答えいただける限りのお答えを、最終的にいただいておきたいと思います。
  52. 江崎真澄

    江崎国務大臣 母港化問題につきましては、私どもも、うわさとして承知しておる程度でありまして、外務大臣に照会をしましても、まだ正式の申し入れではない、こういうふうに申しておるわけであります。いろいろ御質問にありましたように、せっかくSRFの返還問題等がいわれておりますときに、これも非常に見通し難のような形になっておることもわれわれ残念に思っております。そういうおりから、できるだけ平和利用の方向が活発になることがわれわれとしては望ましい、こんなふうに考えておる次第であります。具体的な件については、私もまだその程度しか承知いたしておりません。
  53. 大出俊

    大出委員 懸案が多過ぎますので、なるべく前向きに精力的な処理をいただきますようにお願いいたしまして、終わりたいと思います。たいへん長い時間ありがとうございました。
  54. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 受田新吉君。
  55. 受田新吉

    ○受田委員 長官、あまり時間をかけませんから……。  あなたは長い間の友人であり、かつ論議をたびたび繰り返しておりまして、大体基本的な問題は質問を終わっておる。きょうは締めくくりという意味で、いま日本自衛隊そのものが、国会論議などを通じて国民の上に一応安住しつつある傾向の上に、かすみがかかったようなかっこうで、自衛隊の存在意義に対する疑念が起こっている傾向がある。同時に、主脳部のぶざまな統制能力の欠如というようなことが災いして、自衛隊の内部に自衛隊の士気にかかわるような傾向がある懸念が私はあると思うのです。これであってはならない。国土、国民を守るための自衛隊の士気が十分高まって、自主防衛の原則が確立するような形で自衛隊の存在がなければならないと私は思うのです。これはその根源に何があるかということを考えて、いまから長官おひとりで答弁願いたい数点を指摘いたします。  自衛隊を統括する最高責任者は内閣総理大臣であり一さらにこれを補佐する次元の高級責任者は防衛庁長官である。このたび、国会中に起こった一連の防衛庁の首脳部の扱ったぶざまな事件というものの処理について、責任の所在がどうなっているか、私この機会に明らかにさせてもらいたいのです。  例の沖繩に対する装備搬入事件に関する防衛庁長官の三月中旬の御発言だと思うのでございまするが、内局に責任があるという時点で、長官がそれぞれの責任者の責任及びそれに対する処分の言明をされたと思うのでございますが、その後においてこの処分の結末はどうつけられておるのか、またつけられようとされるのかをお答え願いたいのです。
  56. 江崎真澄

    江崎国務大臣 当時はいろいろな問題が起こったわけでありまするが、沖繩の物資輸送の問題、これは県民感情を慎重に配慮して行動に移るべきものをその配慮が足りなかったという点は、いかにも遺憾なことだと考えております。したがってその当時新聞等にいろいろな形に報ぜられました。私は、当時の状況は、知らないものは知らない、また正直にほんとうのことを言うことがいいのではないか、こういうときに、何か当面を糊塗したような、何かまた事を拡大解釈して適法であるというようなこまかし的な疑惑を招くような答弁は好ましくないということで、当時ああいう表現の新聞発表になったわけであります。  ところが、その後、出張先から空幕長が帰ってまいるに及び、部内のいろいろな調査を進めてまいりますると、物資輸送については装備局に話し合いがあった。これは関税の手続きその他であったわけです。そんなことで、しかもその物資は、かねて準備要員ということで派遣をする四十数名の者が組み立てる、あるべき位置に置く日常生活の必需物資であるということもだんだんはっきりしてまいりまして、そこで、いたずらに政治判断を制服がするということは間違っておるが、少なくとも、これぐらい国会沖繩の問題がやかましくいわれ、しかもその配備については慎重を期せよということを最高の責任者である首相からもしばしば発言しておられる、私も同様のことを申しておるというときに、常識的な配慮に欠けた、これは空幕長といえども責めを負わなければなるまいという見解に立ちました。しかし、政治判断を怠ったと申しまするか、適切な指導をし得なかったという点については、これは内局がその責めを負うべきであるということで、もともとこれは、組織が強固な上に指揮命令の系統をもって立つ自衛隊を持っておる防衛庁でありまするから、国会側でいろいろ指摘をされて、それから処罰ということでは困るということで、実は空幕長と空幕の副長、この両名を厳重に戒告をし、同時に、内局におきましては次官、官房長、装備局長等を、これまた厳重に戒告をしたのがその処罰の経過であります。  その後国会においていろいろ議論がございまして、防衛庁の綱紀を粛正すべきではないかというような話し合いがなされました。しかし、それは  ひとつ大臣である私におまかせをいただきたいということで今日に至っておるわけでありますが、これはもう五月十五日は目艇の間に迫っております。五月十五日の沖繩基地提供の問題、これは防衛庁といたしましてはきわめて重要な大問題です。この基地提供が円滑に行なわれない場合には、施設庁はもとよりわれわれ防衛庁全体として責任を持たなければならぬ問題であります。  それから沖繩の配備は、事実上、首相の特別の配慮、またその後われわれ防衛庁における重ねての検討等を経まして、人数は、御承知のとおり準備要員が建物、土地等の管理要員に変わるという、こういう形で処理をすることにしたわけでありますが、自衛隊沖繩配備ということも、これもきわめて重要な問題であります。したがって、この五月十五日までは現体制で行こう。この時期が過ぎた暁においては、ひとつ部内を刷新して新しい体制のもとで、防衛庁もまた重要な任務遂行に支障のないようしっかり綱紀を引き締めていこう、こういう考え方で現在進んでおる、これが率直な実情の御回答であります。
  57. 受田新吉

    ○受田委員 江崎長官御自身の苦労のほど、私よくわかるのです。あなた、非常に善良なお方であるし、私個人としては非常に敬愛しておる。しかし防衛庁の士気を高め、自主防衛の原則を確立するために、現状の防衛庁の体制は事実問題としてたががゆるんでおる、こういう結論を出さざるを得ません。なぜとなれば、今国会中に起こった一連の事件というものを見ると、どこか防衛庁の首脳部の責任体制というものが明確でない。命令下達の段階においても、下意上達の段階においても、どこかにすき間がある、こういう感じです。長官が内海さんについては非常に同情的な気持ちを持っておられるということ。また私も、内海さんの人柄もよく存じ上げておるけれども、次官に対する責任というものは一体どういうふうにするとおっしゃったのですかね。それから、それに伴うその後の措置はどうなっておるのか、私まだ十分知っていない。また、いまの関係局長、 課長は、ただ戒告、訓告とかいうような、単なる軽微の処分で済む問題であると考えたのか。もっと進んだ、その職を辞するところへまで長官としては考えておったのではないかと思うのですけれども、その点はどうなっておるのですか。
  58. 江崎真澄

    江崎国務大臣 次官はやはり、職制上から言いますと、非常に重要な立場にあります。したがって、もとより今回の一連の事件に、私を含めましてその責任なしといたしません。私の進退については、佐藤首相に実は一任を申し上げて今日に至っておるというのが実情でありますが、内海次官も、これまた私にすべてをまかせる、こういうことで実は私がまかされておるような次第で、したがって、この沖繩の問題が円満復帰という形で一段落をし、また防衛庁としての重要な仕事が落着いたしました場面におきまして、これは部内を整備するというような意味等々を含めて考えてまいりたい、こう思っております。もうしばらく時間をおかし願いたいと思います。
  59. 受田新吉

    ○受田委員 防衛庁の首脳部はそれぞれ個人としてはごりっぱです。この点においては、あなたはよき部下を持っておることを喜んでいただきたいと私は思いますけれども、責任の所在というものはまた明確にしなければ、士気にも影響してくることだし、対外的にも影響する問題です。そういう意味で、この機会にそうした人材は人材として、あらためてその進路を新しく切り開く道が必ずあるはずです。こうした事件は国会の空転を招き、また予算の先取り事件などというような問題等については、手続上の法律的な間違いなどが一応認められたというようなかっこうにもなっておる。政治的に法律的ないろいろな責任がここに起こってくるという意味から、防衛庁の首脳部の人事というものは、そうした個人としてのりっぱさというものとは別に、責任の明確さというものをはっきりしていく。  自衛隊というものは、祖国日本における最も強大な権力団体です。警察よりももっと強大な、国の防衛を担当する最も強大な権力団体です。それだけにまた、責任の所在というものを最も明確にしなければならない。他の一般行政官庁であれば、そうきびしくなくて済むことであっても、防衛庁においては、特に強大な最高の権力団体であるだけに、責任の所在を明確にしなければならない。私、自衛隊の健全な発展ということを願う意味において、特に長官御自身がそこを明確にされて、その日その日によって長官の言質が変わってくることのないように、首尾一貫した責任の所在が、常に国民の中にガラスばりの一本筋で通るように、あなた御自身が陣頭に立っていただきたい。  長官御自身、自分の進退は総理にまかせてあるというお話でございます。私、あなたが防衛庁長官をお引き受けになられたときのお気持ちなどを察するときに、あなたには、非常に大事なときに非常にむずかしいポストにおつきになったことを、内心においては同情申し上げ、また御苦労だと、私、あなたに御苦労を謝したいと思っておると同時に、あなたが大臣在任中に、どうか、防衛庁自衛隊という、この最高国家権力機関の大黒柱をがっちり組んだ建築がりっぱにでき上がるような、責任の所在を中核とした防衛庁の所在を明確にする御努力をしていただきたい。  私は、大臣の責任のとり方に、別に辞職という意味でなくして、大臣の俸給を下げるとかその他の、大臣自身がみずからの責任をとる体制が別にあるのではないかと思うのですが、これはいかがですか。
  60. 江崎真澄

    江崎国務大臣 まさに一罰百戒ということばがありますように、特に指揮、命令の系統で立つ自衛隊をかかえておる防衛庁としては、こういう問題には、責任の所在を明確にし、むしろ出処進退というものを明らかにしていく、これは大事なことだと思います。本来でいくならば、私どもはやはり、責任をとるべきときにはやめる、こういうことが大事なことだと常々思っております。  政治家というのは、大臣でありまして、責任をとるときはとっても、また政治生命というものはそれによって完全に終わるわけではない。むしろ、政治家が大臣であるということは、そういう責任の所在を明確にするためにも必要なことだというふうに私自身は考えております。ただ、そうかといって、自分がひとりやめたからそれで万事が落着というものではありませんので、これはいま御指摘のような一つの方法論も含めまして、今後十分考え、また、首相にその出処進退はおまかせするという形で来ておるわけですが、部内の問題につきましては、これは受田委員が御指摘されるとおり、このままで済ませるものではないと思っております。十分責任をもって事に当たりたいと思っておりますので、これはひとつ私にいましばらくおまかせを願いたいと思います。
  61. 受田新吉

    ○受田委員 長官、あなたの場合は、やめることによって責任をとるということよりも、自分の処分については、自分で適切な方法をとって引き続き長官としての使命は遂行するという形をとるべきであると私は思ったわけです。これは個人の見解としてですね。そういう責任のとり方がある。  それは、昨年の七月一日以後、あまりにも防衛庁長官の更迭が激し過ぎた。まことに残念ですけれども、放言居士もおられたりして、やらぬでもいいようなことが突然起こっておるというようなことが不幸を招いた。また、あなたが一カ月か二カ月でやめられると、もう自衛隊の士気は——今度はハト派とみずから称せられる平和愛好主義者が長官になった。ようやく愁眉を開いたらまたやめるということになっても気の毒だという気持ちを、私、持ったわけであります。そういう意味で、さらにあなたがすぐにやめられでもすると、防衛庁がもうがたがたになる、天下の批判の的は全部防衛庁へ向くという危険があると私は感じたわけです。したがって、あなた御自身が自分の処分を自分でやる。総理にまかせるのではなくて、あなた自身が引き続き長官として執務しながら自分の責任をとるという道をおとりになれば、国民が納得して、江崎長官、御苦労さんという逆の感情もわいてくるかと思ったのですが、総理まかせという行き方はいささか逃避的であったと私は思うのです。これは私の個人の見解として申し上げたい。  それから長官自衛隊の結集をはかっていき、国内的な結束を高めていこうとするのには、日本国内事情ははなはだきびしいとお考えではないでしょうか。私はある意味において、国のどこかに破壊的な勢力というものが、この間の赤軍事件などのような、ああいう考えを持った者が潜在しているという危険もなきにしもあらず。こういうことを考えていくと、非常な高度の成長をした経済の発展の中において、しかし一方においては貧富の格差が激しくなる、それから公害が多い、その他相互不信は絶えない、こういう要素の中で自衛隊を保護育成するということは非常に困難であるという感じがしますか、しませんか。御所見を承りたい。
  62. 江崎真澄

    江崎国務大臣 民主主義がほんとうに国民のものになるためには、各国ともそれぞれ長い苦難の歴史を経ておるわけです。したがって日本も、自由を基調とするこの民主主義体制というものを、いい意味で市民社会に徹底させていく、これはなかなか骨の折れることだと思います。まだいろいろなところに矛盾撞着があることは否定できないと思います。特に自衛隊の存立をめぐって、憲法上、たとえばこの国会においても、疑義なしとする議論、疑義ありとする議論、そしてこれだけの一つの厳然たる集団になっておりまするが、いまだに合意を得ないで議論が分かれておるということは、まさに、自衛隊を今後統率していく上におきまして、非常に問題が多いということをしみじみ思うわけであります。  しかし、今回の反戦自衛官の問題など、各地の部隊から、人数が少なくともあれだけのものが組織的に起こったということは、これは重大な問題であるというふうに考えております。しかもその表現も、自衛官そのものが素朴な感情をぶつけるというものならともかく、指導者はやはり問題があって懲戒免になりました小西元三曹でありまするが、それには弁護士がついてきておる。実は人事教育局長から、それぞれの部隊長を通じて官給品である制服、制帽を戻せという要求を出しますと、弁護士が、いろいろ事情があるから、返還の意思はあるがいましばらく待ってもらいたい、ということを伝えに来るというような話を聞くにつけましても、いかにもこの自衛官の今度の行動というものが、何か背後であやつる者がおるのではないかというような疑念を一そう深めるわけです。  少なくとも、素朴な議論、要望ということであるならば、私をはじめ防衛庁の組織の諸君は、これを謙虚に聞くにやぶさかではありません。特に若い集団を持つ責任者として、若者の心をそんたくすることはやはり必要なことだと思います。しかし、ことごとくさように、なすこと、行なうこと、いかにもどうも矛盾撞着ばかり、しかも、不穏当な限りであるというふうに考えまするときに、今後これらの指導をどうしていくかという問題は、非常に重要な問題であり、ただ口で重要というだけで済まされない問題。人事教育局においては、それぞれの担当者に命じまして、厳重にこのことを反省し、同時に二度と再びこういうことのないように目下鳩首協議を続けておるというのが現在の段階でございます。
  63. 受田新吉

    ○受田委員 長官の時間はないようですから、私はきょうは質問時間はあまり多くしません。もう皆さんにお待ち願うことは長時間を要しないようにしてやります。  いまあなたは、反戦自衛官の話をお出しになりました。お困りであろう。私自身は、あの行動を見たとき、制服を着た五人の自衛官が趣意書を読んでいるかっこうは、まことにかっこう悪い。制服を着ている人が民衆に訴えるかっこうは非常に悪い。そういうかっこうをいま現実に自衛隊はつくっておる。私、そこに何か背後に、いまのような破壊的要素という意味でなくて、自衛隊の隊員の募集のしかた、自衛隊の教育、自衛隊の待遇、そういうところに何か欠陥があるのじゃないか。  つまり、今度の法案の、このたび通過する見通しになっているこの二法案、これは懸案の、まだ去年の残務整理のようなかっこうになっているわけだけれども、その中にも自衛隊の隊員の増強を計画されておるわけです。隊員の増強をいま計画する時期でなくて、隊員はむしろ減らして、量より質に転換する時期じゃないか。第一から第二、第三、そして第四という——四は一つのまだ計画ですけれども、現に実施してきた長期防衛力整備計画を見ましても、例を陸上にとってみたら、十八万を全くばかの一つ覚えのように終始守り通しておられる。しかも、現に十七万九千人の法律的定員の中に十五万五千。現時点幾らになっていますか。多少ふえましたかね。
  64. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 陸上自衛隊におきましては、現在十五万五千八十九名、これは昨年末の数字でございます。
  65. 江崎真澄

    江崎国務大臣 受田議員が言われる意味は、私よくわかるのです。人数は、これは確保しなければならぬと思うのです。それは制度としてやはり定員は確保しておく。必ずしも私は充足率が低くてもかまわない。それは定員というのは、何か一応事があった場合にこれだけのものをやはり整備するという一つ規定ですから、これはなおざりにはできないと思います。日本の場合、十七万九千、いま十八万と一口に言っておりまするが、何もこの十八万体制というものを無理につじつまを合わせる必要はないじゃないか。おっしゃる意味はよくわかるのです。  私は赴任以来、実はしばしばこの疑問を投げかけて、募集方法にいかにも常識に欠けるところがあるのじゃないかとか、あるいは拙速主義で人物の検討ということもいささかなおざりにされがちではないか。ただ頭数をそろえる、そんな必要がどこにあるだろうかという疑問を投げかけながら、実は鳩首協議をして今日に至っておるわけですが、全く、御指摘のように量より質だと思います。いざ事があった場合には、国を守る気概に立つ青年が必ず志願してくる。だから、それはもう定員さえ確保しておけば、これは充足することが足りる。だから、少数精鋭の指導幹部、そうして士、曹クラスのいわゆる兵といいまするか、そういった諸君の教育を徹底しておけば、またこの諸君が新しい人を教育してくれる。ただ人数を合わせるだけということは、私は今後特に避けていかなければならぬのではないか、こういうふうに思います。  私、ちょっと実は時間で中座いたしますが、用事を済まし次第また戻りますので、よろしくお願いをします。
  66. 受田新吉

    ○受田委員 私、この問題は軽々しく見るべきものでなくして、きわめて重大に見るべき問題だというふうに多年考えてきているわけです。つまり、実態に即した部隊をつくるべきであって、募集要員が満たされないような形でそのまま数だけを形の上で残しておくというようなあり方は、これは現状を無視した行き方だと思うのです。現実に十五万五千しかいない。二万四千というよりは、二万五千も不足しておるという形がずっと改善されればいいですよ。確実にだめとなれば、むしろこの機会に定員を十五万くらいにして、その十五万を充実した質の隊員によってつくっていくという形のほうがはるかにりっぱである。それは七千人師団を九千人師団にするとかいうような技術的な問題でなくて、むしろ、烏合の衆でなくして、優秀な質の充実した部隊ができると私は思うのです。これは防衛局長として見られて、つまり烏合の衆の部隊であるべきか。五人の反戦自衛官のように、防衛庁の前で趣意書を読んで、長官に文句を言うような形の自衛官を養成する部隊がよいか。もっと人数は少なくとも、祖国の国土、国民を守るという意欲に燃え、責任を感じてそのことに生きがいを感ずる自衛官だけでつくられる部隊がよいか。古来の戦史を十分御勉強されている久保局長は名答弁ができると私は思うのです。
  67. 久保卓也

    ○久保政府委員 人は石がき人は城と申しますが、国の防衛は人が基本であると思います。したがって、烏合の衆であるよりも、質のいい、国の防衛の気概に燃えた自衛官が望ましいことは言うまでもないと思います。  そこで次に、問題は自衛隊の定員の問題でありますけれども、定員とは、言うならば人を集め得る上限というふうにお考えいただいたらけっこうだと思う。そこで、上限は十八万なら十八万であるけれども、さて自衛隊としては何人持てればよろしいか。それが先ほど申されましたように、十四万がよろしいか、十五万あるいは十七万がよろしいかというのは、おのずからそこに問題が出てくるわけで、これは訓練上必要な人員と、それから募集の上で質のいいものを集め得る限度がどれくらいか、その辺の調和の点を求めるべきであろうと思うのです。  そこで、その調和の点を求めるのが、毎年の予算で、たとえば八十何%程度、その辺がしかるべきものであろうというふうに、一応先生の御質問のお気持ちはそこであらわれているわけですけれども、なおかつ、八十何%というようなものでなくて、もっとしぼって、十八万なら十八万でいいけれども、常時持っておる人員は十五万なり、あるいは十四万でいいじゃないかという提案であろうと思いますが、そういった点は、今後の訓練のやり方の問題と、人がどの程度質のいいものを集め得るかということの相関関係検討していきたい、そういうふうに思うわけです。
  68. 受田新吉

    ○受田委員 久保局長さん、現実に自衛隊は、発足以来、予備隊当時も含めれば十二年の歴史がけみされておる。防衛庁ができてからでも十七年という日月がたっている。にもかかわらず、陸上自衛官の場合は一向に目標に達する応募者がない。これはもう陸上自衛隊に対する募集の定着した実態だと思うのです。このことは、現実に即した部隊の編成計画をお立てになるほうがいい。特に防衛陸戦というものを予想されておられる場合に、その人数で勝負をつけるのでなくして、部隊の編成のしかた。少数で組み立てられる編成は幾らでもあるわけです。いまや足がなくして、下士官以上の将校の数の比率の高いような部隊になっておる。こういうことを思うときに、このあたりで、防衛陸戦に備えるための部隊編成方針を、量でなくして質的な編成にチェンジするというチャンスがもう来ている。そうしないと、定員は定員で一応確保しておく、これは名目に関しての定員確保だと思うのです。初めからもう長期防衛力整備計画で言うておることだから、いまさら減らすわけにいかぬという、そういうかっこうだけでこれを判断してはならない時期が来ていると思うのです。  もう定着しました。二十年近くたっても一向にふえぬところを見れば、もう陸上自衛隊に、これだけ宣伝費を使い、これだけ人員を動員して骨を折っても、なお募集に応ずる人が少ないということは、陸上に対する魅力を欠いているということにもなってくると思うので、質のいい陸上自衛隊ということになれば、もうわんさと人間がふえて応募してくるようになる。その中から質のいい人がとれる時期が来ると私は思うのです。これは防衛力を強める意味の局長のお考えと見解が違うといえばそれまでですけれども、現実を無視した自衛隊の存在というのは、これはナンセンスだと私は思うのです。国民の上に定着しなければならぬ。その意味では、生きがいを感じて、防衛責任を感じて、そこに権衡のとれた人格を持った人物が正義感にあふれて入隊してくる、こういう形の自衛隊である。いわゆる志願兵制度に相当するものですね。つまり徴兵じゃないのですから。希望する人を募集するわけですから。私は、自衛隊の隊員募集の基準というものを、この際自衛隊の隊員の定員の問題とあわせて再検討の時期が来ておる。私これを強く指摘したい。御返答願いたい。これは、教育を担当される人事教育局長と防衛局長御一緒に、長官の補佐官として、私の指摘したことが間違っておるとするならば——私は国民とともにあるのが自衛隊だと思うのです。理想を掲げ過ぎて大衆と遊離した自衛隊をつくっていったのでは、これは愛される自衛隊になるということは困難である。そういう意味でひとつ御検討願いたい。  これにひっかけてお答えを願いたい問題を提起しましょう。私、あとから長官帰られたらお聞きしたいと思っておるのですが、中曽根長官が四十五年十月にいわゆる防衛白書、「日本の防衛」をお出しになった。あれは何回か読んでみて、はなはだ興味を感じているわけなんですけれども、国民の世論の上に立つ自衛隊をつくる上においては、たとえばこういう問題を内閣の審議室などで世論調査をやられたらどうかと思うのです。  私、これはいつか質問したことがあるのですが、在日米軍というのはいま三万人をちょっとこえている。今度沖繩がごっそり入ってくると、これまた人数が違いますが、これは局長のところに数字があると思いますが、在日米軍の兵員数、沖繩の返還時点における、五月十五日の時点における兵員数、それからある距離を置いた時点における、自衛隊の数がある程度増員したときに、米軍はその部分だけを考えるのか、考えないのか、そういう見通し等も含めた一つまり五月十五日はもう沖繩在日になるわけですから、沖繩返還当日の在日米軍の総数をお示しいただきたいのです。その数はたいしたものにはならぬと思いますが、一応それを先に伺います。
  69. 久保卓也

    ○久保政府委員 在日米軍は、今日約二万六千名であります。それから沖繩にあります米軍の人員は、今回のベトナム戦争の激化でどうなったかちょっとわかりませんが、昨年末ぐらいの時点ですと、約四万三千であります。  そこで、沖繩の復帰日以後しばらくの間に米軍がどういうふうに変わるかということについては、米軍は基本的には変わらない、人員についての削減計画はないというふうに申しております。しかしながら、現実には一部の部隊が閉鎖をされたり、それから特にナイキ、ホークあるいはレーダーサイトの部隊が、日本側に返還されますと、その分で特殊な技能の者はおそらく沖繩から外へ出て他に転用されましょうし、一般の部隊に使われる者はあるいはそのまま使われるかもしれませんので、人員ははっきりつかめませんが、その分としては二千ないし三千ぐらいは減るであろう。自衛隊が配備されることによって、これは推計でありますが、特定の機能を果たしておった部隊として二千ないし三千が減ってもしかるべきであろう。そうすると約四万前後、長期的にはもう少し減ってまいるであろう、そういう見通しを持っております。
  70. 受田新吉

    ○受田委員 沖繩を除く本土に二万六千。私、まだ三万ぐらいおるのかと思っておりましたが、だんだん減ってきておる。これは漸減方式がとられておる。沖繩も減る可能性があるという話です。この問題で、いま日本の本土におる部隊なんというのは、人間ではもうわずか、ある意味における爆撃力を持った航空兵力が中心程度で、あとは、もう補給あるいは整備というような、軽い意味の、あってもなくてもいいような部隊ということになるわけですね。そうすると、もう在日米軍の存在というものは非常に少量になってきて、かつてとは比較にならないほど小さな数字に減りつつあるということを考えるときに、国民感情から言っても、対外的な影響力から言っても、米軍に常時おいでいただかない方式へ、在日米軍の平時における撤退、有害駐留、あるいはわれわれが唱えている安保体制はそのままにして駐留なき安保、こういう問題を沖繩返還の時点において検討を加える時期が来ていないかと思うのですが、防衛局長としては、局長御自身のお考えからどういう御認識をお持ちか。いまや沖繩が四日後に祖国復帰する歴史的時点において、そうした在日米軍のあり方を一歩変えていく、そういう構想をお持ちかどうかです。
  71. 久保卓也

    ○久保政府委員 これは、極東、アジアの国際情勢の将来の見通しからいたしますると、好むと好まざるにかかわらず、米軍の存在というものはだんだん薄くなってまいります。そして日本米軍にとって非常に重要ではありましても、やはり一部の機能を除いては漸減していくであろうということは言えます。また、日米安保条約というものが、国際情勢の関連から言いまして、軍事的な色彩よりも政治的な色彩が強くなるにつれて、いまおっしゃったような方向をたどるであろうと思います。  その一例といたしましては、もちろんニクソン・ドクトリンもありますが、ことしのレアード報告の中では、韓国とNATOについては常時米軍を配置をしておくというランクになっております。日本は、東南アジア諸国と同じように、補充的部隊配備計画という欄がありまして、この欄では、常時は兵力を配備しないで有事になって兵力を配備をする。常時においては基地その他の整備をしておくというような項目がありますが、そこの中に日本位置づけているということで、米国の今後の方針としても、いまおっしゃったような方向にならざるを得ないというふうに思います。
  72. 受田新吉

    ○受田委員 私はそうした意味から、先般、当委員会で長官と論戦をした問題にちょっと触れなければならぬのですが、防衛力の基本、国防の基本というものをどこに置くかというときに、日米安保体制を基調にするといっても、それはアメリカ自身が補完的に考えて、もう軽く考えている。極東全体の情勢から見て、韓国などを重点にして日本を補完的に考えておる。こういう時期には、日米安保体制を補完的に見るという方向に国防の基本を置いてもいいのじゃないですか。防衛力の長期整備計画を立てる上においても、そういうところに観点を置く時期が来ておるのではないか。私は、中曽根長官の構想について、少し積極性を盛ったという声もあるけれども、その点においては、自主性を尊重した意味において筋が通っておると思います。事務当局としてお考えを伺いたい。
  73. 久保卓也

    ○久保政府委員 長官と表現がちょっと異なりますが、お許しいただきたいと思いますけれども、真意は別に変わらないと思います。皆さんの御意見と真意は変わらない思いますけれども、ことばの使い方、ニュアンスの問題だと思います。  そこで、日米安保体制を基調とするということが国防の基本方針になっておりますが、その場合の基調というのをどういうふうに理解をするか。これは昭和三十年来の国防の基本方針ができましたころの基調という考え方と、それから今日の基調という考え方を、同じことばでありますけれども、変えてもよろしいのじゃないか。つまり、今日の基調ということは、背景に日米安保体制があるということはまず間違いがない。日米安保体制ということを前提にして日本の安全保障を考えておる。あるいは核のたてというものを米国に期待をしておるというような意味で、そういったような情勢を基調というのだというふうに理解をしまして、その場合に、今度は日本の自衛力とアメリカの軍事力との関連をどうとらえるかといったような場合は、日米安保体制が補完であるというふうに考えてもそれはよろしい。その場合の基調と補完というものは必ずしも矛盾するものではないというふうに思うわけであります。  と申しますのは、総理の本会議における施政演説の中では、いまや補完ということばが使われております。その補完というのは、中曽根長官の言われたような補完と同じ意味であるのかどうか、必ずしも明確ではございませんけれども、総理の施政演説では補完である。その意味は、自衛力、自主防衛を主に考えながら、足らざるところはアメリカに依存するのだという意味では補完になる。しかしながら、日本の安全保障を考える場合に、基本的には日米安保体制があるのだが、核のたてに依存するのだという意味で基調ということばを使っても、それが悪いというわけにもいくまい。やはりことばの使い方ではないか。  そこで、私が思いますのに、もっと正確な表現を使いますならば、日本の防衛は日米安保体制を基調にする。しかしながら、自主防衛でありますから、日本の防衛力を主にしてアメリカの軍事力でもって補完をするということのほうが正確な表現になるのではないかとひそかに思っております。
  74. 受田新吉

    ○受田委員 いまの結論のところは筋として通ると思う。しかし、あなたがなお、日米安保体制を基調とするという、背景はそうだということは、ちょっと私は問題があると思う。そうなれば結局、日本アメリカの防衛上の属国ですよ。つまりアメリカの核のかさのもとに日本はあるのだ、こういう形になるという意味ですから。しかし、日本国は独立国なんですから、独立国家が、国防の基本に日米安保体制を基調にするというような形は、これは独立国としてすでに二十年もたって、この四月二十八日に独立二十周年を迎えたような国家としては、このあたりで、成年に達したのだから、日米安保体制から成年に達した日本にならなければならぬと思うのです。その意味で、こういうぶっかこうな国防の基本方針というものを国防会議でおきめになることは、これは私はさびしいことだと思っておるのです。もうメンツにとらわれず、すぱっと生まれかわる。これを事務当局から強力に推進し、総理の補完ということば等も、よくよく苦労されたことばで、いま引用されたわけでありますが、防衛局長長官の補佐役として、十分道をあやまらしめないようにする責任があるのだから、聡明な防衛局長としてひとつ奮励努力せよということを私は激励をしておきたい。どうですか。
  75. 久保卓也

    ○久保政府委員 私は、ややことばの感じがするわけでありますけれども、実体的にはやはり自主防衛ということで、日本の防衛力、つまり自主防衛の範囲はわが国の防衛力で守っていく。そしてまた、日本の憲法のたてまえから言いまして、攻撃的な、特に戦略攻撃的な分野というものアメリカに依存せざるを得ない。たとえば第七艦隊の勢力でありますとか、あるいはもし必要があった場合に、相手国の基地をたたく必要があるという場合における兵力、こういう軍事力というものは整備をする考えは持っておらない。そういったものがもし必要であればアメリカに依存するということの関連が、日本の防衛力とアメリカの軍事力の規制のしかたであり、日米安保体制の防衛の分担であるというふうな考え方をとりたいわけであります。  そこで、その場合に、日米安保体制を基調と言うか言わないかというのは、私の場合には、どうもあまり重要でないような感じがするわけでありますが、しかし、国防の基本方針の中にそういったことばがあることがいろいろ誤解を与えるような面もあるようでありますから、これは私ども、長い将来にわたって検討の材料にさせていただきたいと思います。
  76. 受田新吉

    ○受田委員 私たちは、最小限の自衛措置にとどまるべきであって、攻撃的性格のものは一切排除しておるわけなんですから、そういう意味から言えば、ささやかながら日本は最小限の自衛力を持つという形で国防の基本というのはきまるべきだと思うのです。そこで、アメリカの支援というのは補完ですから、普通なら日本の自衛力で済ます、それで足らぬときにはアメリカ協力を得るというのが普通でしょう。この点をひとつ根底に置いて御検討を願いたい。  もう一つ、この機会に、これは本論に戻るのですが、いまのそうした問題を含めた世論、つまり日本の防衛はどうあるべきかというのを総理府などから世論調査をやってみたらどうか。たとえば有事駐留もしくは安保の段階的解消などということばがあるが、これはもう有事駐留から駐留なき安保というのは、段階的解消なりつつあるという進行形であるわけですから、そういうようなことばの説明した部分について、国民は何を求めているか。国民の動向をもっと知るべきだと私は思うのです。また、今度防衛白書を用意されておるそうですが、白書にそういう点を——これは長官だけしか答弁はできないのか、どうですか。
  77. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 白書の点について、私、官房長からお答えさせていただきます。  見通しとして、白書はこの秋ぐらいにできるのではないかと思っております。また、私の意見を申し上げれば、御指摘のような方向でつくるべきではないかと思っております。ただ、まだ長官から具体的に指示があったわけではございません。もちろん長官がおきめになることですが、見通しとしてはそういうふうに申し上げられると思います。長官もそういう趣旨の答弁をこの委員会でもしておられます。
  78. 受田新吉

    ○受田委員 そういう防衛白書をやろうという御意思は、私は大事なことだと思うのです。これは国民とともにある自衛隊にとってぜひ必要である。つまり国民に自衛隊を理解させる大事なチャンスである。そのために世論調査をやって、世論の動向をつかんでおかれる必要がある。国民は一体どういうところを目ざしておるのか、自衛隊のあり方はどういうものがよいと言っておるのか、という調査を一年に一ぺんずつくらいはやられていいと思うのです。世論調査、それから防衛白書、こういう私の提案に御意見があればどなたからでもいいです。
  79. 宍戸基男

    ○宍戸政府委員 先生の御意見には全く同感でございます。世論調査は、毎年ではございませんが、二、三年おきくらいにやっております。総理府に依頼して従来もやっておりますが、先生の御意見もございますし、総理府とよく打ち合わせてみたいと思います。
  80. 受田新吉

    ○受田委員 これは、定例に毎年一回ずつやる、それから白書も毎年一回ずつ出てくる、こういうとうな中で、国民の中に自主防衛、最小限の自衛措置という自衛隊が定着してくる。そこから隊員のまじめな応募者がたくさんあらわれてくる、こういうふうにいくべきである。私たちはそういう意味で、民社党の立場でも、自衛隊そのものが、量的にふえるという意味でなくして、質的に向上した優秀な隊員によって、装備等も、どのような場合においても攻撃的な懸念の持たれるようなものをなくするという意味で国民に訴えておるわけです。  ここで大事な教育問題にちょっと触れて、質問を終わりたいと思います。  私、防衛大学校の卒業式というものは、非常に興味を感じており、また一つ何かを学びたいと思ってできるだけ出席するようにして、四、五回出ておるつもりです。そこで自衛隊の幹部になる卒業者の諸君の姿を見て勉強さしていただいておるのです。非常に規律ある訓練を受けておるわけでして、権力団体の指揮者となる素質が教育によって大いに練成されておる姿を拝見しておるのですけれども、この防衛大学校に入学したときの数と、その同期生が卒業するときの数との間には相当の差があることを、私、確認してきておるわけです。入学者が卒業するときにどのくらいに減っておるか。この一、二年くらいでけっこうでございますが、数字をお示し願いたい。
  81. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 大体この五年間は、入学当時の数字に比べまして、実際に自衛官として三尉に任官するまでに平均約一五%減耗いたしております。これは留年する人もありますので、その年次、年次でははっきりいたしませんけれども、大体の減耗率は、この五年間平均しておおよそそういうような数字になっております。
  82. 受田新吉

    ○受田委員 同時にもう一つ、この防衛大学校を卒業して陸、海、空の幹部候補生学校に入学していく、防衛大学校の卒業生と一般大学の卒業生の数の比率をお示し願いたい。
  83. 高瀬忠雄

    ○高瀬政府委員 ただいま数字を持ち合わせておりませんので、調査をさせていただきたいと思います。
  84. 受田新吉

    ○受田委員 これはちょっときょう質疑の中で通告を忘れておったので、あとからでけっこうですが、一般大学の卒業者のほうが数が少ない、そういうことになっていると思うのです。それで、一般大学の卒業者と防衛大学校の卒業者とが教育を受けて幹部になっていく場合に、これまでの歴史の上において、それぞれの長所はどういうふうに見られておるか。これは自衛隊を形成する幹部のあり方として、おもしろいと言えばなにですけれども、貴重な資料になると思うのです。一般大学から進んだ分と防衛大学校から進んだ分、つまり四年間の規律ある訓練のもとに学校教育法に規定しない防衛大学校を出たのと、学校教育法による一般大学を出たのと、どっちが自衛官として特色ある活躍をしておるかを、大勢として荒筋でけっこうですが……。
  85. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 昭和二十七年に初めて防衛大学校ができまして新規採用いたしたわけでありますが、最初の卒業者が三十一年に出ております。そのころから一般大学の幹部候補生も採用いたしておりますが、大体の趨勢といたしましては、昭和三十四、五年ごろまでの一般大学からの幹部候補生の志願者というものは、比較的質が高く、幹部候補生の卒業期におきましては、どちらかといいますと、最優秀の者は一般大学の出身者である。中の分は防衛大学校出であって、それから下のほうには、下のほうが多いのですが、一般大学出身者がいたというのが実情でございます。それが現在三佐になり、やがて二佐になってくるところになっております。ところが、三十五、六年ごろを契機として、一般大学の卒業生の防衛庁への志願者が激減しまして、いわゆる有名校の卒業生はほとんど影を消してまいりましたので、現在のところにおきましては、上位の者はほとんどすべて防衛大学校の卒業生が占めておるという状況でございます。
  86. 受田新吉

    ○受田委員 これは非常に貴重な御答弁をいただいたのですが、つまり、一般大学は防衛庁の幹部自衛官としての幹部を希望する人が質的にも下がってきた、量的にも下がってきた、防衛大学校が中心になってきた、しかし防衛大学校は 一五%の減耗がある、こういう実情でありまして、これは非常に貴重な資料として、防衛庁が幹部自衛官を養成する検討をしていただくべきだと思います。つまり、どこでそういう傾向が起こったか、一般社会がどういうふうに変化しておるか、それに対して幹部自衛官を希望する者がどういうふうに流動しておるかということを研究していただいて、国民とともにある自衛隊の幹部となるためには、一般大学の者が希望が持てるような方向でないと、軍事専門でそこで勉強した者だけがいたずらにふえて、一般大学からは有名校の者はおらぬようになって、幹部候補生が出るときに、びりっこのほうで出るのが一般大学の出身者であるというようになったのでは、この制度そのものに問題があると思うのです。そういうこともひとつ十分検討していただいて、自衛隊のあり方、幹部の処遇、そういうようなものを含めて自衛隊の人事、教育の御検討を願いたい。  私、これは長官質問したい問題だったのですが、これは無理をしなくてもいいと思いますので、局長でけっこうですが、防衛大学校を卒業していく諸君が何を持って出ていくかということについて、いま猪木先生が校長としてやっておられるのですけれども、教育の方針をどこへ置いていくか。教育の基本は大学へまかせきりになっておるのか。あるいは防衛庁としての基本的な要素をお持ちであるのか。
  87. 高瀬忠雄

    ○高瀬政府委員 防衛大学校は、御承知のように幹部自衛官を教育訓練する機関でございまして、その基本的な方針は長官の訓令によってきめられております。それに従いまして細部的な事項を防衛大学校できめまして、教育の個々の問題につきまして重要な問題があります場合には、防衛庁の内局、教育課などを通じまして相談いたしまして、そして具体的なそれぞれの個々の場合にも、重要なものにつきましては、きめのこまかい教育の相談に応じてやっていくという方向でやっております。
  88. 受田新吉

    ○受田委員 これで質問を終わりますが、自衛官になる者に対する気概、希望、そういうものを持たせるために、同時にまた生活をささえていくというその方面の希望を持たせるためにも、自衛官の待遇の中には危険手当的要素のものが入っていいのじゃないか。生命をかけて志願をするんです。これは志願者なんですから。そういう職種を選ぼうという熱意のある人には、生命の危険が一番多い職種なんです。そういう職種に対する平素の待遇という問題、これは防衛庁職員の給与の法律にも関係する問題でございますが、これは警察官、自衛官、特に自衛官のほうが一朝侵略等のある場合には生命の危険が大きいわけです。そういう場合に、現在の待遇の上に危険手当要素分を考慮して、優秀な隊員をそうした生活面でも希望を持たせるという必要はないか。私はそういういろいろなところで心を使っていかれていいと思うのです。これは人事教育局長、御答弁願います。
  89. 江藤淳雄

    ○江藤政府委員 危険手当的なものもかなり採用いたしております。たとえば、落下傘手当とか、あるいは機雷等の危険物取り扱い手当とか、あるいは潜水作業手当とか、いろいろございますが、必ずしも満足いたしたものではございません。  なお、現在国会に提案されております国家公務員災害補償法の改正法案、これは一般職の場合は、警察官等は、浅間山荘事件等が起きたような場合の特別の公務災害補償制度でございますが、自衛隊の場合におきましては、防衛庁職員給与法におきましてこれをそのまま準用いたしておりますので、警察官と同じような事例が起きた場合には、特別の公務災害補償制度が導入されるということになるわけでございます。
  90. 受田新吉

    ○受田委員 私、特別公務災害の規定を準用しておられることわかりますけれども、それでなくて、つまり生命の危険、医師が診療に当たるときに医師の危険手当、結核にかかる率が高いとかいうことなども含めた意味で、もう平素の俸給の上に、たとえば落下傘に乗らなくても、潜水しなくても、平素そういう危険な職務を担当しておるという、国土、国民のために自分はからだを投げ捨てて、生命を捨てていざというときには国民を守るんだという部分を全面的に考える必要があると思うのです。何か起こったときにどうこうするんじゃなくて、そういうようなところへ気を使っておられることによって優秀な自衛官が得られると私は思うのです。人数をふやすという意味でなくして、質をよくする意味における待遇改善という意味で御検討を願いたい。  これをもって質問を終わります。御苦労さまでした。
  91. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 次回は、明十二日金曜日、午前十時理事会、十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後一時四十三分散会