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大出委員 吉野さんがせっかくお見えになりましたので、いま少し時間をかけまして、
米軍の
文書に基づきまして——また出すと、あなたと突き合わせなんというとめんどうくさいですから、いろいろ書いてある
ものは抜きましたから。私は用心深くノートに書いてきました。あなたに見られてはかなわぬですから。
それで、先ほど来時間をかけて申し上げたんですが、二、三抜いて申し上げますと、私が調べました、つまり
米軍の
資料に基づく
中身というのはお控えいただいたと思いますけれ
ども、一九六五年、M113という
ガソリンで走る
兵員輸送車、これから始まりまして、この中で、
南ベトナム国軍という
米南ベトナム派遣軍ではありません。
南ベトナム国軍という、明確な
米軍の
資料に書いてある仕分けであります。これで六八年に二百九十六台あります。それから六九年に百四十五台という
ワクで
修理が始まって、途中で百六十台
追加されまして三百五台になっております。すべて
南ベトナム国軍であります。それからさらに、七一年になりまして、
南ベトナム国軍が五十七台ございます。だから、M113という、これは
ガソリンで走るほうであります。朝日
新聞に出ておりますM113のA1型ではありません。A1型は
ディーゼルで走ります。そこでM113の
ガソリンで走る
兵員輸送車、これが合計六百五十八台。少ない数でありません。きのう
松田安保課長さんが、たいへん少ないけれ
どもそういう
ものがあるかもしれぬ、というようなことをおっしゃっておるようでありますが、私、おりませんでしたが、少ない数ではない。このM113だけつかまえても六百五十八台です。
南ベトナム国軍と仕分け上明確になっております。
それから、そのほか途中省略をいたしますが、一昨日の私の
質問等で明らかにいたしましたように、七十九台というM48、これについても経緯を明らかにいたしましたが、六五年からM48A2型というのを
修理しております。これは六五年からであります、
相模総合補給廠で。そこで、七〇年から
米南ベトナム派遣軍という形で仕分けされたM48がずっと入ってきております。
〔
委員長退席、坂村
委員長代理着席〕
七〇年が百二十一台、七一年が百十五台、七二年が五十人台、こう入ってきております。ここにはもう
一つ、七二年
南ベトナム国軍というのが十九台、M48が入ってきております。
ここまで申し上げて、さて七一年、昨年の百十五台は
本国へ送れという
指令がついて入ってきた。その前年の七〇年の百二十一台も、聞いてみますと、これは仕分けの上には表示はありませんけれ
ども、すでに
本国に送ったようであります。ところで、七一年の百十五台が
本国へ送れということになっている。これは
修理して
本国へ送った。送って三十二台残っていた。それともう
一つ七二年度分が五十八台入ってきた。このうち四十八台が
修理完了していた。この時点で
指令が来て、
本国へ送らぬでダナンへ送れ、こうなった。ところがそれの条件に
通信機材の整備が含まれていた。そこで、四十八台のほうは
通信機材の整備はできていた。ところが、前年度の
残り三十二台は、
本国へ送るのですからその整備がしてない。あわてて整備を始めたのだが、三十一台は間に合ったが、
残り一台は間に合わなかった。そこで、三十二台残っていたのですが、実は三十一台しか
ものの役に立たなかった。つまり、四十八と三十一ですから、合計七十九台になった、こういういきさつなんです。
相模原の市長が行って
司令官に会った。七十九台についても
指令が来ております、こう聞いている。こういういきさつ、そこまで向こうの
資料で明らかです。
そこで、その
あと火災放射器がくっついた
ものなどがございますが、このM32A1型、これが七一年に
ベトナム国軍が五台、七二年に
ベトナム国軍が四台、こうなっております。
それから、M548という荷物を輸送する
ものがございますが、これも七一年に
南ベトナム国軍が十四台、七二年に
南ベトナム国軍が十四台。この間に、同じ年度、七一年に仕分けが明確に分かれておりまして、
米南ベトナム派遣軍四十二台というのがちゃんと中に入っておりましてこれは別であります。この十四台はすでに
ベトナムに送られております。しかも、その
あとに、M577A1という
指令車、先頭に立って
指令をする
軍事車両がございまして、ここでも、
南ベトナム国軍が四台、
米南ベトナム派遣軍が十台と仕分けが明確になっておりまして、これが七一年であります。七二年になりますと、
南ベトナム国軍が二台送られておりますが、こういうふうに入ってきている。
そのほかにまだたくさんありますけれ
ども、これ全部
米側のシークレットでございます。だから、どういうふうにここに持ち出すかということがございますが、とりあえず書いたのですが、必要ならば、あなたのほうで出せというならこれは全部出します。
相模総合補給廠が六五年以来
修理をいたしました
戦車を含む
軍事車両、これは、韓国第八軍、それから欧州から入ってきて
ベトナムに持っていった
ものまであります。それも含めて全部です。
先ほど私ここで明らかにいたしましたが、欧州から入ってまいりましたのはM106A1型といわれる
ものです。これは百五ミリの砲がついておりまして、M106の改良型ですが、これが、七二年、本年でありますが、ヨーロッパから
ベトナムへという
指令がついて入ってまいりまして、
相模原で欧州の
ものを二十三台
修理して
ベトナムへ送っております。行き先も明確であります。
新聞によりますと、おたくの松田さんという課長さんが、昨日、まあ何がしかの
ものは
ベトナムの
ものが入っていることもあり得るような、ばくとした、ほんのわずかあるだろうというようなことを言っておりましたが、わずかの
ものじゃない、たいへんたくさんの
ものであります。しかもそれが
南ベトナム国軍と
米南ベトナム派遣軍と明確に仕分けられている。しかもその輸送の方法その他全部記録は明確であります。
そこで、これもさっき申し上げましたが、簡単に触れておきますと、
戦争が終わりますと、ダナンとダナンの下に新しくつくられたニューポートというところにヘリで集約して選別が行なわれる。それからまず太平洋方面
陸軍司令部、USAPAC、ここへ
報告をされる。そうすると、USAPACから出荷
指令が
ベトナム派遣軍に参ります。あわせて在日
米軍司令部を通じて需品局と整備局に送られてまいります。その内容は、何月何日ダナンを出る、そしてどういう船で、どういう
ものが何台と、そのときにもうすでに仕分けが全部行なわれている。その内容が在日
米軍司令部を通じてこっちにもやってくる。ここで
ベトナム国軍の
ものが何台、
米南ベトナム派遣軍の
ものが何台、何月何日何時着くという形で全部こっちへ連絡が来て、それは全部
相模総合補給廠では現物であります。秘でありますけれ
ども、そういう形で全部分けられている。
そして
予算の立て方、それから帳簿上の処理、全部調べてみました。書類も持っております。これによりますと、過去の実績によって、つまり
修理台数がきまってきておりますから、七一年なら七一年、七二年なら七二年の会計年度の初めである七月一日、ここのところで
ワクが来るわけであります。そして
米南ベトナム派遣軍の
ものについては、国防省
予算の中の米
陸軍予算の中で台数の
ワクがきめられてくる。簡単に申し上げるとそういうことでございます。さっきはもう少し詳しく申し上げましたが……。だから、
米南ベトナム派遣軍のほうは
陸軍省の
予算でありますけれ
ども、
南ベトナム国軍の
ものは海外援助費の
ワクから支払われる。そういうことで
ワクがきめられてまいります。
〔坂村
委員長代理退席、
委員長着席〕
したがって、
新聞が書きましたように、前者は9BTという表示になり後者は8RVという表示になる。したがって後者が
南ベトナム国軍の
車両の
修理であります。全部明確になっておる。そこで、きのうおたくの課長さんのお
答えでは、つまり援助
協定があっで、その援助
協定に基づいて貸与しているんだ、だから
アメリカがそれを引き取って持っていくんだというのでありますが、実は
日本にもMSA
協定なる援助
協定がありますけれ
ども、三十六カ国ばかり、
あと二つ入れますと三十八カ国
アメリカは対外的な援助
協定を結んでおりますが、型は全部一緒であります。これは安保条約だって、米比だって、ANZUSだって、SEATOだって、米韓だって、あるいは米華だって、型はみんな同じであります。その援助
協定の形からすると、二十八年の池田・ロバートソン会談以来、二十九年の
日本のMSA
協定もそうでありますが、無償であれ有償であれ、援助された
ものは、管理も、あるいは武器も明らかに
日本の
ものであります。だから海外援助費の
ワクで、
アメリカの財産の記録には載らないことになっている。そうなると、これを、
アメリカの貸与である、
アメリカの財産であるというきのうの
答弁は、受け取れない、いただけない。
そこで私は、以上の論点に立って逐次
防衛庁の皆さんにお聞きしたのですけれ
ども、そこまでの内容を、やってくれと言われて直接いろいろやりとりをしたのだが、外交ルートヘと言われて
外務省との話になっているという。
そこで本題に戻りますが、昨日私はあなたに、事実かどうかということをまず明確にしてもらいたいと申し上げた。そしてきょうは、きのうから持っておりましたが、全部
中身を明らかにしたのですから、いいかげんなことを申し上げておりません。したがってまず、
米側との間で、六五年以来今日まで、
軍事車両という
ものを
相模総合補給廠がかくかくしかじか
修理してきたではないか、この
中身の中に六八年以来
南ベトナム国軍という仕分けが入ってきているではないか、それは種類別に分けてたいへんな数にのぼる、この点を明らかにして、さっき私M113を申し上げましたが、M113だけだって六百をこすから、そこで明らかにして、特に最近六八年以降は
南ベトナム国軍の
ものは多岐にわたってたくさんふえてきておる。
中身を見ると
ガソリンと
ディーゼルに分けて、
ガソリンの旧式な
ものは全部
ベトナム国軍なんです。
アメリカ軍は要らないんです。やってしまっている。
ディーゼルの
ものを全部
米南ベトナム派遣軍が使ってきている。この中で明確です。そういうふうに来たじゃないですか。その事実を明確に認めさせていただきたいと思っておる。
相模原周辺の町の
方々の不安という
ものは増大をし、
新聞関係の皆さんが非常にきびしく
相模補給廠の
司令官に
ものを言われて、一昨日開場をしてM48型の
ものを見せた。写真をとることを認めた。走行テストまで見せた。そういうことです。それを
日本政府が何もしないでいるということはない。だから、市議会その他はたいへん大きな騒ぎをして、特別な委員会をみなこしらえようとしたり、きのうもすでに
相模原市議会では委員会で
論議をしている。そういうことですから、そこのところをまず明確にしていただきたい。
その上で、六八年以来の長い経過の中でこれだけ仕分けが明確になっているのですから、
南ベトナム国軍の
車両であるということは明確になるはずである。その場合に、援助
協定があるわけですから、それも御
検討いただきたい。私の知る限りは、
アメリカ側が何とおっしゃっても、援助
協定の
中身からいって、MSA
協定もそうでありますけれ
ども、無償なり有償なり援助をされた
ものについては、
日本の国の
ものなんです。それを小手先の便法でということになるんだとすれば、これは許せない。ですから、その意味で二番目に、これは安保条約、
地位協定に基づく
基地の目的外
使用になるのかならぬのか。私はなるという明確な前提で
ものを申し上げているのですが、なるのかならぬのか、これは明確に御
検討いただいて、外交ルートに乗せて、
米側と決着をつけていただきたい。
御参考までに申し上げておきますが、現場の職員諸君何人かに私聞いてみましたが、異口同音に言うことは、うしろにまっ黒い刻印が打ってある。
南ベトナム国軍という刻印が打ってある。
車両修理をするわれわれ優秀な技術者でどうにもならぬ
ものも、全部直してきれいにして送っている。だけれ
ども、送られたら、これまた
ベトナム人同士の殺し合いに使う、これは耐えられぬと言うんです。現場の方はそこまで深刻なんです。だからそこのところはやはり目的外
使用なら目的外
使用で——せめて
南ベトナム国軍の
ものまでわれわれ
修理させられる理由はなかろうと言っている。だからそこのところを、やはり
アメリカとの間において
外務省のルートで明確にすべきである、こう申し上げたいのであります。そして皆さんのほうで、いやそうじゃない、通常の
修理だ——通常の
修理といったって、これだけ膨大な数、しかも最近においてどんどん
南ベトナム国軍がふえてきてしまっている
ものを、そう簡単に通常の
修理と認めるわけにはいかない。
それからもう
一つ、
外務省の
局長ですからよく
御存じのとおり、国際法上復仇の法理がある。つまり、かたきという字を書きます。
アメリカがカンボジアなりラオスなりを爆撃しましたが、それは、北がそちらを通って補給をしている、その補給路を絶つんだということが大義名分です。これを
アメリカが押し通した。明確です。だとすると、
ベトナム戦争に使ったような
南ベトナム国軍の
車両を持ってきて、
日本が
修理をして次々に送り返している。それならばその補給路を絶とうというので復仇されても、国際法上筋は通る。国の大小、力の大小はありますが……。
日本人はその意味で復仇されるというリスクを負わなければならぬ。一例をあげればそういうことになる。そこは、皆さんのほうで御
検討をいただいて明らかにしていただくところで、その皆さんの御
回答に従って、私のほうもそれなりの理論展開をする用意をしております。法制
局長なり皆さんにお出かけをいただいてやりたいと思っておりますけれ
ども。つまり、そういう論点を調べてみて、この際
政府は決断を下すべきは下すべき時期である、こう思います。昨日の御
答弁によれば、
防衛庁長官の申されたとおりだと私も思う。
外務省も事の真相その他は詳細に
調査をしたいとおっしゃっておられますから、その
調査の
中身、そこを具体的に
資料をあげて申し上げているわけでありますから、ひとつ明確にしていただきたい。
一、二、三、四に分けて申し上げましたが、さっき
長官のほうから、
外務省と十分相談する、それぞれそれらの決着がつくようにやりたい、こういう
お話がございました。吉野さんのほう、
外務省の側もそういう努力を願いたいのですが、いかがでしょう。