○和田(耕)
委員 この問題は、実は十日ほど前に、私
どもの党の前の社会党時代の
委員長であり前総理であった片山哲さん、新護憲の会長をしておりますこの人が、門司亮さんと一緒に総理大臣を訪ねまして、そして、今度は
憲法二十五年になるのだ、したがって国としてこの基本法の祭典をおやりになったらどうか、ということを総理に進言なさったのです。そのとき
佐藤総理はどう言ったかといいますと、きょう私は詳しく聞いてきました。そして片山さんにも電話でお聞きしましたけれ
ども、総理は、そのときは何のわだかまりもなしに、私は賛成です、けっこうですというお話を片山さんと門司亮代議士にしたということを聞いております。そのときに総理がつけ加えられたのは、これは
政府としてやるよりは、両院の
議長の発議で発議されて国の祭典をおやりになったらどうかということをみずから言われておる。そういう
答弁をなさっておられる。
そこで片山さんと門司さんとは、両院
議長に、一方には会い、一方には伝言でお話をしたところが、これは国としての大きな事業だから、いかんせん時日がないのだ。これをやるためには、両院
議長あるいは最高裁の
長官、総理はむろんのこと、出てやることになるから、そういうことになれば時間がないんだ、それを軽少な形でやるということもどうかと思うということで、今後この問題を国の大きな事業として取り上げることには両院の
議長も賛成はなさっておられる、こういうように私らも承っております。こういうことが背後に進行しておるので、
参議院のわが党の栗林卓司君がこのことについての
長官の御所見を聞いたと思うのです。
そういう
いきさつですから、私はきょうこの速記を見まして、このいまの
憲法をお祝いする会との
関連で、このように、
押しつけられた
憲法だとか、あるいは日本語になってないとかいうことばは、たとえどのような観点から見ても、これは不謹慎なことばだというふうに拝聴をしたわけなんです。いま同僚
委員の質問に対して、
長官は心から遺憾の意を表しているわけですから、これ以上は申し上げませんけれ
ども、この
憲法の問題については、積極的にこれを守るように、党内においても、閣内においても推進をしていくように、ぜひともお願いをしたいと思うのです。
まあ
山中長官、いままでの何回かのやりとりでも、思ったことを率直におっしゃる、そのことはきょうの国対でも申しました。思ったことを率直に言う人だ。こういうことは一言も二言も多いと思うけれ
ども、あとのところが本音だというふうにも私思うけれ
ども、こういうことを一言二言つけ加えるということは、これは何といっても不謹慎だと思います。そういうことでありますから、くどいようでございますけれ
ども、
憲法の問題について、
閣僚としてぜひとも
憲法を守っていくんだという
趣旨のおことばをいただきたいと思うのです。
これは何回も立って質問する場ではありませんから、もう一言申し上げますと、私かつて、いつだったか本
会議の席上で、私
自身の
憲法に対する気持ちを申し上げたことがございました。私も捕虜から帰ったときに、舞鶴でこの新
憲法の草案を渡されたときは、ソ連の状態から見て、こんなものが守れるものか、やがてこれは
改正しなければならぬと私は思った。しかし、その後三十年代になって、核兵器が世界の主戦兵器になった。戦争は人類の絶滅の危険を包蔵するようになった。また四十年代になると、日本は、好むと好まざるとにかかわらず、平和なしには生きられない。これは好むと好まざるとにかかわらず日本の
国民はそういう状態にあると思います。そういうふうな国柄になっておりますから、お互いにこの
憲法の
制定の過程についていろいろ文句はある。あるいはかなり理想主義的な面で不満はあっても、しかし、三十年代あるいは四十年代になって、核兵器が主戦兵器になった。日本は世界の中の日本として、文字どおりに平和なしには生きられないという日本の状態から見て、
憲法上の文言にはいろいろ文句をつけるところはあっても、
憲法の持っている大精神はますます現実性を持っておる。日本の国益と大きくマッチするような方向になってきている。そこのところを
長官は、だんだんと
国民になじむようになったというおことばで表現していると思うのですけれ
ども、そういうふうな
意味で、形式的なものではなくて、日本は平和なしには生きられない。国際の平和を守ることは日本の生命線だ。そういうふうな
意味で、
閣僚としてこの
憲法の精神を心からまともにとって、あるいはいい
意味にとって、そしてこれを守っていかれるように
努力をされたいと思います。
長官、もし御
意見があれば承らせていただきたい。