○江崎国務大臣 いまお話のありましたように、一番当初計画というのは、
復帰の時点で六百名を配備しよう。これは陸海空です。これを四百名に落とそうということで、国防
会議のいろいろな事務機関を通してきたわけです。そこで私は、実は
議長である総理に、
報告かたがた、こういう
議題を明日かけるということを、あれは先月でしたか、相談をしたわけです。そうしますと総理は、
沖繩の問題については慎重の上にも慎重、特に久米島事件等々、ああいう予想もしなかったような問題が起こり、しかも県民感情が非常に高ぶっておるのだが、
復帰の時点で四百人、まあ六百人が四百人ということは、防衛庁側でいえばずいぶん削ったつもりであろうが、それは一体どうなんであろう、もう少し検討の余地があるのじゃないか。施政権が戻ってきた
沖繩に自衛隊を配備するということも、もちろんこれは厳粛な任務であろう、しかし、われわれ政治家が政治配慮を加えるということも大事ではないか、こういう話が私にあったわけです。これは私はすなおに受け取りまして、
議長たる首相もなかなかいいことを言われる、これはやはり注意としてはまことにもっともな注意であるということで、防衛庁に戻りまして再検討に再検討を加えたわけです。
そこで、厳密にいいますと、九十六人の準備要員が行くわけです。これは一口にいいまして、五十万坪、二百八十三棟というものが自衛隊に還付されるわけですね。したがって、これだけのものを管理する上からいきますならば、この九十六名はきわめて最低の人数である。したがって、県民感情を十分考慮してというならば、この九十六人をそっくりそのまま五月十五日の時点で、施設等等の引き継ぎを受けて、直接管理に当たらせる管理要員に充当したらどうだ。五十万坪の中に九十六人では、これは全くほんの微々たる配備という形になるわけでありますが、しかしこれも、何となく
沖繩の自衛隊に対する理解が薄い。旧軍時代のイメージがいまだに残って、暗いものが自衛隊の上にオーバーラップしておるというならば、やはりこれはそれでいくべきじゃないか、こういう結論に立ちまして、実は九十六人で五月十五日の時点はすべてをカバーしていこう、こういうたてまえでおるわけであります。
しからば、いまの九十六人はどういう配備にするのか。いまちょっと私はここに資料がありませんので、空で覚えておりませんが、これは予算
委員会でも申し上げてまいりましたように、二月七日のいわゆる四次防大綱が策定されましたときに、準備要員というものは二項七号という項目でカバーされておりますということで御了承を願ってきたわけでありますが、実はこれも順次向こうに配備しておったわけです。これは
米軍側との引き継ぎもありますし、
琉球政府との話し合いということも、当然のことながらあるわけです。しかしこれも、例のなべかま過剰送付事件等々がありまして、やはり県民感情を踏まえてというなら、すべて疑義を生じたり誤解を生むようなことはやめたらよかろう。特にいま隣におられる
山中総務長官な
ども、
沖繩担当大臣として非常な
苦心をしておるだけに、いろいろないい
意味でのサゼスチョンをもらいまして、私
どもも、これは何といっても担当大臣の意向というものもやはり尊重しながら対処すべきだ。これは同じ閣内の閣僚同士でありますので、そういった心がえで、実は
現地に配備いたしますものも、送るのをちょっと中途でやめていたわけです。ところが、もうアメリカ側からすると、五月十五日に返還、返還といって、サンクレメンテで首相は一刻も早くと言っておきながら、引き継ぎにちっとも来ないが一体どういうことだという、第一線の
現地部隊からすれば非常な疑問もあったそうであります。
そんなことがありまして、これまでに十二人出しておりました。これは連絡要員ですから、行ったり来たりしておりました。中には、問題が起こった当時に呼び戻した者もおるわけです。そこで、緊急出さなければならぬというわけで、十八日には五人、これは国防
会議決定の翌日であります。それから二十二日、これは今度の土曜日にたるわけでありますが、二十人を出そうといたしております。それから二十六日、これまた二十二人を送ります。それから五月に入りまして、五月四日に二十一人、六日に十六人、これでたしか九十六人になろうかと思います。いまちょうどメモがまいりましたが、そういう日程で準備要員を配備します。この準備要員は、五月十五日の
復帰時点になりますと施設等管理要員、こういう名称に変わるわけであります。
そこで、
あとの配備を一体どうするのか、これが問題なわけでありますが、とりあえず施政権が日本に戻りましてから、自衛隊の性格等についても、
現地県民各位に十分御理解を得るような積極的
努力をしていく。まあ防衛庁そのものの姿勢といたしましては、現在は用地確保に全力をあげる。
復帰後においては、旧軍隊とは無
関係であるというようなことを含めまして、自衛隊の新しい性格を時に触れおりに触れて自然に県民各位に理解してもらうような
努力をしていこう、こういう姿勢でおるわけであります。
したがって、だんだん防衛任務を引き受けなければなりませんので、いつまでも九十六人にしておくというわけにもまいりません。そこで、装備等については後刻申し上げますが、人数だけを申し上げますと、七月の大体中旬、十日から十五日ごろというのを目途に、これは日をきめておりませんが、二百五十名くらいにしたらどうであろうか。これは、だんだん理解が深まるとともに漸増をしようという防衛庁の一つの原案のようなものは持っておるわけでありますが、これなどの緩急といいますか、人員配備をスローダウンするのか、あるいは急ぐのか、これは
現地の事情等も十分勘案しながら徐々に配備をしてまいりたい。そして四十八年一月一日の時点では、陸海空を合わせましておおむね二千九百三十人。この場合、どうしてこういうことになるかと言いますと、いよいよ航空自衛隊が任務につくわけです。したがって、航空自衛隊の
沖繩領空内における任務完遂のためには、どうしてもおおむね千四百人程度の人員が要るということで、主としてあの地理的環境からいいまして航空自衛隊に重点が置かれるわけであります。しかし、こういった問題も、十分県民感情を考慮しながら結論に到達するようにしていきたい、こんなふうに考えております。