○江崎
国務大臣 重要な問題だと思います。それは決して前任者との間に脈絡のないということではありません。当時中曽根
防衛庁長官は、ああいう非常な勉強家ですから、
昭和三十二年にきめた国防の基本方針というものを変えるべきだ、こういう見解に立ったわけですね。
それから、時間の
関係がありますから簡単に申し上げますが、要するに防衛
計画も、新防衛力
整備計画——四次防という呼称をきらって、新しい防衛
計画をここに立てよう。それは従来五年
計画であったり、もっと短いこともありましたが、大体五年を視点にしてというのを十年を視点にして防衛
計画を立てよう、こういう構想で研究、努力されたことは、これは私も評価いたしております。また事実、現在当時のものをよく読んでみさしても、やはり
一つの重点事項というものがちゃんと表にあらわれておる。ところがこれは閣内で意見が一致しなかった。それから
政府・与党との間にも
話し合いがつかなかった。それはどういうことか。国防の基本方針を変えると言ったが、この基本方針は
昭和三十二年の基本方針でいいではないか。当時、私は党側の安保調査会の副会長、会長がいま農林大臣をやっておる赤城さんでございます。で、ここでも並行して検討をいたしましたが、国防の基本方針は
昭和三十二年のこれでいってよろしい、こういうことで与党側は結論づけ、また佐藤総理も、変える必要がないということを国会でしばしば
答弁をするという形になった、こういうことが
一つある。
それから、十年を視点にしての防衛
計画というものは、それはそれなりに私は
一つの主張を盛り込んだ
計画だと思います。しかし極東情勢も、緊張したり緩和したり、また緊張をするというような繰り返しではありますが、少なくともこの目まぐるしい世界情勢、特に極東の情勢に処して十年を視点にするということは一体どうであろうか。やはり五年
計画くらいで防衛問題を策定し、これを国民各位の理解に供していくことのほうが納得を得やすいし、のみならず
計画そのものとしても、むしろ十年先を見通すということよりも、専守防衛の立場からいう
日本の自衛隊としては五年
計画のほうが妥当である、こういうことに結論づけられたわけです。
したがって、防衛庁の四次防試案なるものは、いまの
大蔵省、また防衛
計画には外務省等々の意見も取り入れなければならぬ、これはもう当然なことで、それなるがゆえに国防
会議にこれらの閣僚が列しておるわけでありまするが、
大蔵省にも外務省にも相談がしてなかった。
大蔵省等では、十年を視点にするその
計画の財源等については、多少疑義を大蔵大臣が持っておったというようなこともありまして、そこで西村前
長官のときに、円切り上げなどという問題はまだ当時起こっておりませんでしたが、
ドル・ショック以来の経済的見通しの困難性、しかも経済の先行きの変動のゆれが大きかろうという予想といったようなことで、五千億
程度の正面兵力における減額ということがいわれたその
時点では、十年
計画ではなくて五年
計画でいこうという考え方に立ってそういう
作業を内局に命じ、内局側では鋭意その線で
作業をしておった、こういうわけです。
しかし、御承知の四次防の大綱が決定された段階において、この防衛庁試案なるものはなくなり、また、したがって正面兵力五千億を減額しようという西村構想なるものも一応白紙に還元された、こういうことになるわけです。しかし私は、西村さんが構想された
程度の装備というものは、これは重要な参考にしていこうという見解に立って目下
作業を急いでおる、こういうわけです。もちろん
作業は急いでおりまするが、御承知のとおりの結果になっておりまするので、四次防の最終的な決定というものは、当然経済のおよその見通しが確定した段階において、この夏過ぎごろという見解を示しておりまするが、そのあたりに結論を見出そう、こういうことで
作業をしておる。
したがいまして、ずっと脈絡は続いておるわけでありまして、別に、右往左往とか、あるいは混乱をしたとか、そういうことはありません。また、私が先輩諸君の積み上げてきたものをかってに壟断ずるというような行為に出ておるものでもありませんので、そのあたりについてはどうぞひとつ御安心を願いたいと思います。