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1972-04-14 第68回国会 衆議院 内閣委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十七年四月十四日(金曜日)    午前十時二十九分開議  出席委員    委員長 伊能繁次郎君    理事 加藤 陽三君 理事 佐藤 文生君    理事 坂村 吉正君 理事 塩谷 一夫君    理事 大出  俊君 理事 伊藤惣助丸君    理事 和田 耕作君       天野 公義君    辻  寛一君       中山 利生君    葉梨 信行君       川崎 寛治君    鈴切 康雄君       受田 新吉君    東中 光雄君  出席国務大臣         国 務 大 臣         (総理府総務長         官)      山中 貞則君         国 務 大 臣         (防衛庁長官) 江崎 真澄君  出席政府委員         総理府総務副長         官       砂田 重民君         防衛庁参事官  高瀬 忠雄君         防衛庁参事官  鶴崎  敏君         防衛庁参事官  岡太  直君         防衛庁長官官房         長       宍戸 基男君         防衛庁防衛局長 久保 卓也君         防衛庁人事教育         局長      江藤 淳雄君         防衛庁経理局長 田代 一正君         防衛庁装備局官 黒部  穰君         防衛施設庁長官 島田  豊君         防衛施設庁総務         部長      長坂  強君         防衛施設庁総務         部調停官    銅崎 富司君         防衛施設庁施設         部長      薄田  浩君         防衛施設庁労務         部長      安斉 正邦君         沖繩北方対策         庁長官     岡部 秀一君         沖繩北方対策         庁総務部長   岡田 純夫君         沖繩北方対策         庁調整部長   田辺 博通君  委員外出席者         内閣委員会調査         室長      本田 敬信君     ————————————— 四月十三日  靖国神社国家護持早期実現に関する請願外二  件(浜田幸一紹介)(第二四五四号)  同外一件(足立篤郎紹介)(第二四八八号)  同外一件(小金義照紹介)(第二四八九号)  同(谷垣專一君紹介)(第二四九〇号)  同(塩川正十郎紹介)(第二五七六号)  特定郵便局長恩給通算に関する請願塩川正  十郎紹介)(第二五七七号) は本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した案件  連合審査会開会申し入れに関する件  沖繩開発庁設置法案内閣提出、第六十七回国  会閣法第五号)  沖繩復帰に伴う防衛庁関係法律適用特別  措置等に関する法律案内閣提出、第六十七回  国会閣法第七号)      ————◇—————
  2. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 これより会議を開きます。  沖繩開発庁設置法案及び沖繩復帰に伴う防衛庁関係法律適用特別措置等に関する法律案の両案を議題といたします。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。受田新吉君。
  3. 受田新吉

    受田委員 最初に、総務長官連日御苦労ですが、所管事項についてお尋ねをしたいと思います。  あなたの御所管沖繩復帰に伴う内政上の諸問題で私、非常に興味があり、またきわめて重大に考えていかなければならない問題の一つ交通関係があります。沖繩道路進行路線というものが右側通行になっておる。これは左側通行本土並みに切りかえる。本土並み政策一環として、この切りかえに相当の経費が必要であることも伺っておるのですけれども現実の問題として、この左側通行を実施するための現時点における所要経費と、その経費に対する国の財政援助。つまりこれは国策できめるのであって、地元に一文も負担させてはいけないわけです。その意味でひとつ措置についてお答え願いたいのです。
  4. 山中貞則

    山中国務大臣 答弁は簡潔にという注文でありますが、これは運輸省、建設省、警察庁にも関係があります。一応時期を三年後からとしておりましたが、沖繩海洋博がその後きまりましたので、これが昭和五十年になります。そうすると、海洋博の開催が三月から六カ月間でありますから、その期間交通切りかえをやりますと、たいへんな問題を惹起するということを心配いたしまして、その後検討を重ねました結果、三年に達しない、三年目に入る二年目の中ごろから、海洋博のときにはもう切りかえておこうというほうに、大体いま作業を進めております。  そこで、それに伴う問題としては、これからどんどん国の責任において国道あるいは地方道等整備が進むわけでありますが、これは当然、インターチェンジ、あるいは信号機、あるいは警察庁交通安全予算、こういうものの使途について、左右の切りかえ、いわゆる対面交通本土で言っているものに切りかえていくということになりますと、これはおっしゃったように、国際法の定める要請に従って、国内において二つの通行区分をとってはならぬということを日本も承認しておるわけでありますから、したがって、国際的にはむしろ沖繩現行通行区分のほうが常識に近い普及を示しておりますけれども日本の場合には島国である関係もあって、現在の本土交通手段沖繩でも実行しようということに一応合意をいたしました。  それに伴う経費でありますが、ただいま言いましたような諸関係経費はもちろん国が持つわけでございますが、問題は、私企業であるバス会社の問題が主であります。これは昇降口反対側になります。それとワンマンバスの場合においてはつり銭機械の備えつけの場所がそれに伴って違ってきますから、これらの経費については国の補助金融公庫融資でもってめんどうを見たいと考えております。
  5. 受田新吉

    受田委員 これは国の政治のあり方として、選択の自由が認められないかっこうで実行されなければならぬ問題です。したがって、現地の人には全く迷惑な話なんです。その迷惑する皆さん財政上の迷惑までかけてはいけぬわけです。防衛庁長官も同感のようですが、そのためには、地元融資して借金の負担をかげながら切りかえさせるということにいまちょっと触れられたのですが、これは間違いだ。少なくとも国策として決定し、選択の自由を認められない切りかえを要請された、こうした国際的な要請にこたえる問題の解決は、その所要経費全額国負担するというのが筋として通ると思うのですが、どうでしょうか。
  6. 山中貞則

    山中国務大臣 御意見は、私も半面においてごもっともな点があると思います。たとえば、スウェーデンが切りかえたわけでありますが、その際には、スウェーデン道路の広いこともあって、歩車道区分も明確であるし、その切りかえが完了するまでの間は、道路の中央に、左側のほうの路線を走る場合に、乗降客が右からおりるフリーゾーンみたいなものをつくることが可能だったのです。しかし沖繩は歩道すらもない。そういう狭い、おまけにアメリカの米軍トラックが猛スピードで走るという環境の中では、そういう余地もありませんから、やはり問題があると思います。  しかし、それをあまり極論いたしますと、たとえば沖繩県民意思にかかわらず日本の円を使わされる、そうなりますと、コカコーラからたばこの自動販売機から、全部コインの形が違ってきますから、それも全部国で見ろということに、現実の問題として沖繩では発展をしてきます。したがって私どもとしては、めんどう見られる範囲は国の補助もいたしますが、応分の融資については、地元のほうでも、やはり一種の企業でありますし、それの消化計画は可能でありますから、それに対して部分的な融資で見てもらう点はやむを得ないものと思っております。
  7. 受田新吉

    受田委員 長官は、沖繩をこよなく愛する国務大臣として有名であるわけですけれども地元負担させるというのは、いまのコイン関係は別問題です。それでなくて、交通進行方向の切りかえという問題は、これは全く国家沖繩に対して国際的な要請に基づいて実行させるのであって、地元の人がこのままで置いてもらいたいという人も相当おろうと思うのをあえてやろうという場合には、その所要経費現地の人にかけるべきではないと私は思うのです。半分の理屈があるとおっしゃいましたけれども、九分九厘、一〇〇%、完全に私のほうの理屈が成り立つ。これだけはサービスにやってあげてくださいよ。それをあなたが発言されるとむずかしい問題があるということであれば、あと答弁を保留して、もう一つあなたに、あなたも教育に理解を深くしておられる方だが、沖繩教育関係、これも同様の問題がある。  つまり、本土並み教育施設を切りかえるということになるならば、沖繩僻地等における学校教育施設などは非常に幼稚である。これに本土並み設備を与えて、本土並み教育環境をつくってあげるためにはどのくらい金がかかるかというようなことも、あなた御自身調べておられると思うのです。大まかでよろしゅうございますが、沖繩教職員会などが調査されておる一億数千万円のドルとの格差というものをお認めになりますか。どうですか、一億五千万程度
  8. 山中貞則

    山中国務大臣 その答弁を保留するとおっしゃるのですけれども沖繩の人は、いま自分たち意思関係なくドルを使わされ、そしてドルコイン自動販売機を使用しておるわけです。   〔委員長退席塩谷委員長代理着席〕 これが日本に返って円を使うということも、国家意思によって強制されるわけです。そういうものも全部国がめんどう見るということになりますと、じゃどこまで見るのかということが問題となって起こってきます。そしてバス会社は、公営企業であれば問題はありません。地方自治体に対する財政援助で可能ですけれども、やはり私企業です。しかも、乱立ぎみなことはみんなが指摘して、統合をすすめておるのですが、なかなか統合に応じないというような実態もあります。私企業の場合には、収益を前提として償還可能な範囲であれば、これは融資であっても、私としては国家政策一環であると考えております。その点、先生の御趣旨は、沖繩の人は自分たち意思関係なく、国家意思によってその手段選択させられるということでありますから、私よくわかります。しかし極論すると、左ハンドル右ハンドルという一般の乗用車の問題も、精神的には運転しにくくなるというような問題等もありますし、そこらのところは、国のあるべき責任をどう果たすかという問題では、十分に先生の御趣旨に沿うようにいたします。  それから教育の問題は、金額が最終的にはっきりと同じ額であるとは言いかねますが、ほぼそのような金額めどにして、大体五カ年計画で逐年伸び率を計算して、その初年度金額にふさわしい義務教育小中学校校舎整備その他の問題については金額設定されております。これは、本土の五年後の置かれるであろう、いわゆる現在の、本土における学校環境整備、そういうものに五年間で沖繩は追いつくということで、非常に予算の重点を置いて計画したものを予算化したつもりであります。
  9. 受田新吉

    受田委員 沖繩戦沖繩の教職員皆さんは、その数三分の一を失っておる。そして師範学校の生徒は大半が護国の英霊となられた。私たち涙なきを得ない沖繩同胞のものすごい犠牲を胸の中におさめておるわけです。特に教育者犠牲が多かったということは、戦時中の教育の影響が多かったということも言えると思うのでございますが、私は、それだけに沖繩教育に対しては、全国のどの府県に差をつけるわけではありませんけれども復帰してくる沖繩により大きな愛情あとから追っかけてくる坊やに一番深い愛情子供の中で一番不幸な目にあった子供に一番深い愛情を与えるのが親の愛情だと思うのです。その不幸を埋めてあげる、子供を公平に愛するという原則、その意味において、われわれは沖繩同胞たちにより大きな負担をかけただけに、より大きな報いをしてあげなければならぬと思うのです。その意味における教育を、今後五年間に追いつく、こういう御計画のようですが、五年後に追いつくというのは、設備において本土並みに完全に持っていく、その予算は一体どれだけあるのか、お答えを願いたいと思います。
  10. 山中貞則

    山中国務大臣 初年度は、施設整備には二十七億九千万円を、文部省と十分打ち合わせをし、大蔵省主計当局とも相談をして、これは今後消化能力も少しございまして、これは伸び率をちゃんと準備しておりますから、五年後には本土並み整備が可能であるということは、私も確信をもって言える数字だと思います。
  11. 受田新吉

    受田委員 それは継続事業としてやるわけですか。その年、その年で区切ってやるわけですか。いまの五カ年計画ということになるならば、継続事業としてのめどがなければならぬわけですね。そのめどは一体どうなっているか。初年度だけいま伺ったのですが、次年度以後のめどはどういうふうに置いておられますか。
  12. 山中貞則

    山中国務大臣 これは継続事業といって、事業を継続させるのではなくて、初年度設定した予算はその年度内に消化をされるわけでありますから、それを前提にして、初年度がそれであった場合に、五年後までいかなる伸び率をもっていけば本土の五年後並みで同線に並ぶことが可能であるかということを前提にしてその数字設定したということになります。
  13. 受田新吉

    受田委員 私、長官の御熱意については一応敬意を表するのですけれども、私たち沖繩を実際に見てきて、その子供たちの不幸な教育環境というものが身にしみているだけに、そのテンポは異常なほど、むしろ過剰サービスぐらいの気持ちで沖繩教育環境をつくってあげなければならないと思うのです。沖繩は、山中長官、あなたが本土並み教育環境づくりを提唱しておられて、深い愛情があるにかかわらず、沖繩の持つ特殊性を考えてくれないという不満が一方に出ておる。たとえば教育委員公選制廃止等についていろいろと一方では議論が出ておることも、私、よく聞いておるのですけれども沖繩祖国復帰した時点において、現に日本教育環境と比較して十年のおくれがあるといわれておる。これを引き戻して、全く同じにするために、五年間というこの期間のうちに本土並みにしようとするのは容易でない事業だと私は思うのです。これは、初年度を一応スタートとしていま金額を例示されたのですが、この比率でいくと、年を重ねるに従って金額はふえるという形でないと、いまの一億二千万ドル以上の格差を是正することが不可能と思うのです。この金額というものは目標の十分の一にも足りない。五年にこれを実現しようとするならば、次年度以後は大幅に国家予算の占める部位を高めなければならぬと思います。その線は、大体私のねらっておる線がうなずけていただける、かように考えてよろしゅうございますか。
  14. 山中貞則

    山中国務大臣 初年度金額は十・五カ月分ということもあります。伸び率は大体一〇%以上ということで設定をしまして、五年後における国の補助対象となる分野というものはきまっておりますから、したがって、一般校舎あるいは特別室先生たち教員室校長室一般教室を使っているというような気の毒な状態もありますから、そういう問題の解消、あるいは屋体。四面を海に囲まれながらやっぱりプールが要るというのは顕著な状態として指摘されておりますから、プール。それに沖繩においては、軍用地にかつての校舎をとられたために、土地を借りて学校がつくられておるところは、本土のほうでは土地のほうのそういうものは認めませんが、今回の予算においては、その運用地土地をとられたために学校敷地が借地になっておる、こういうものは逐次買収していく予算も組んであります。大体きめこまかく教育手落ちのないようにする。教育手落ちをいたしますと、十年後、二十年後に沖繩というものが貴重な人材の面において大きなダメージを受けてくることになります。その点は手落ちのないようにいたします。
  15. 受田新吉

    受田委員 山中長官、私、そのきめのこまかい愛情ある政治ということでもう一点。  沖繩の島です。島の実情などを伺っておると、島の学校などというものは、ほんとうにお話にならぬほど幼稚である。離島振興法教育施設その他を含めて高率補助をしておることも御存じのとおりなんですけれども、そういう意味で、沖繩離島に対する教育環境もさることながら、他の一般社会的施設を含めた離島対策というのは一体どういうふうになっているか。離島振興法適用はいつの時点で持っていくのか。離島振興法適用をする以前における本土並み離島の水準まで戻すのはどういうやり方でするのか。離島の多い沖繩であるだけに、より一そう海上の不便な地域で御苦労される島民の皆さま方に対して、何かの報いをしてあげなければならないと思うのですが、御所見を……。
  16. 山中貞則

    山中国務大臣 そのとおりでありまして、本土離島法適用のはるか以前の状態である。そして沖繩は、本土離島において特別にとられている奄美振興、この状態よりもおくれている。でありますから、沖繩本島も含めて、現在の離島振興法よりもすぐれた補助率設定をして、離島の一番困難な問題等解消につとめております。ことに、現在の沖繩離島振興法では、離島の先島の拠点島といわれる宮古石垣両島離島と見ておりませんが、私どもとしては、返ってまいりまして適用する沖繩離島範囲の中には、宮古石垣を含めて、沖繩本島本土離島以上の措置をとるわけですけれども、さらに沖繩の現在の離島振興法適用地域沖繩本島以外の全部の島嶼に拡大をして、通信、交通、あるいは医療、あるいは学校社会福祉施設、そういう問題で補助率を重点的に配分をし、行政を展開していくつもりであります。
  17. 受田新吉

    受田委員 沖繩本島及び沖繩の県内のすべての島を離島振興法対象にする。沖繩本島は一部ということではなくて、沖繩本島の全部を対象にしておるわけですね。沖繩本島の場合は本島全部を、本土離島振興法対象の中にあるような離島の中の一部という意味でなくして、離島全部、沖繩本島も完全に離島振興法対象ですね。
  18. 山中貞則

    山中国務大臣 沖繩本島は、本土離島振興法よりもすぐれた条件の対象としてとらえております。しかし、それよりもよりすぐれた、沖繩の現在の離島振興法よりも、地域をさらに石垣宮古島をふやして、そして沖繩本島のほかのところは全部これを沖繩振興法における新たなる離島として指定をして、本土離島振興法よりも、さらにまた奄美振興法よりも、その他の地域立法、あるいは過疎その他もありますが、過疎地域については、沖繩本島北部もこれを適用いたします。そういうことで、沖繩本島も含めて本土離島振興法よりも落ちることのないように配慮したい。
  19. 受田新吉

    受田委員 そうしますと、そこに勤務する公務員の場合などの例を引きたいのですけれども僻地隔遠地手当というものですね。そういうものの扱いについても、その離島の場合、何かの対策が用意してありますか。
  20. 山中貞則

    山中国務大臣 当然、隔遠地手当対象にいたしております。
  21. 受田新吉

    受田委員 隔遠地は四級地ある。その一番上位のものへ、つまり一番高額のほうへ合わせるというかっこうにしてありますか。
  22. 山中貞則

    山中国務大臣 大体、県庁所在地の那覇市、そういうところを除いては、その他の離島に関する限りは、あるいは沖繩本島北部に関する限り、最も手厚い隔遠地手当対象になるように人事院のほうで作業をいたしております。
  23. 受田新吉

    受田委員 もう一つ公務員給与あるいは沖繩労働者賃金、これが祖国復帰の段階で、その換算率を一ドル三百六十円としてほしいという要望があることは、長官もよく御存じのとおりですが、現実の問題として、この復帰時点における換算率をどうなさるという御意思でしょうか。
  24. 山中貞則

    山中国務大臣 一ドル三百六十円というものは、政府全体としては大蔵省も入りますので、現在はないわけでありますけれども沖繩には厳然として意識の中に三百六十円というものがありますから、したがってその厳然として存在する意識前提として作業をいたします。したがって、三百六十円であったと仮定したらという金額というものに相当する等級、号俸に当てはめたランクづけをいたします。そうすると、三百六十円で計算したよりも実質は、三百七十円から八十円に相当するような地位にふさわしい人はそれだけの円をもらうことにもなりますが、反面、その当てはめを行なった上に直近上位に位をさせた作業までいたしますので、いわゆる沖繩初任給その他で若干高いというところが、一一・六%ほどそういう作業をしてもなおかり残ります。残ったものについては、その差額手当とし、その手当は、基本給と同様に各種手当の算定の基準といたすという性格を与えることによって、昇給が逐次行なわれてまいりますから、五年以内には完全に不利な体制になる者は一人もいないところまで——事実、不利な体利になる者はいないのですが、その差額手当というものの支給を要しないところまで自然に消化されていくということで、大体、琉球政府、そして官公労というものとの話し合いも進めました。
  25. 受田新吉

    受田委員 沖繩公務員にいたしましても、本土と同じように市と町村では給与差ができておる、そう私は思います。その町村に対する心づかいはどうするのか。これもやはり、本土のような形で差を認めた形でいくのか。つまり五大市と単なる普通の市町村との間の格差が一応長い間に実質的にできておる。そういうものが沖繩でも自然にできておると思うのですが、その差は認めた形でいまのお話適用されるのかどうか。
  26. 山中貞則

    山中国務大臣 私が先ほど官公労との交渉と申しましたのは、沖繩官公労琉球政府との話し合いでありますから、国家公務員の問題は、大体人事院のほうでおおむね琉球政府の意向を受けて、国家公務員に移行する人たちの問題としてそれは話がついておる。それに従って、官公労といえば沖繩県庁職員たるべき者、市町村職員たるべき者含めての団体でありますから、それらの人々もそれに準じて同じように取り扱っていく、それに対して国は交付税その他の財源措置をしていくということが同時にあるわけでありますから、これで妥結をしたということであります。
  27. 受田新吉

    受田委員 非常に心づかいとしては行き届きかけておるわけですけれども、私ここでちょっと問題が経済界への波及に触れるわけですけれども一般労働者民間企業労働者賃金の切りかえはどういうふうにされるのかということです。
  28. 山中貞則

    山中国務大臣 先般行ないました琉政との話し合いの結果の措置、すなわち産発資金対象となる業種について新たに十億。それから大衆金融公庫について、一、二種の壁を取り払って生活資金対象にするというような措置をとることによって、企業負担肩がわりということでめんどうを見ることによって七億六千万円。そして金融機関については、貸し倒れ準備金繰り入れ率限度額本土よりも高い千分の十五とすることによって、現在の千分の十との差額が千分の五出ますから、このメリットというもので約四億の金が出るということでおおむね解決して、その措置によってほぼ五〇%程度実際上解決を見ているようであります。  しかしながら、問題は一人、二人の人を使っている中小零細企業商店街といえども、やはり同じように人を使う以上は、そのめんどうを見なければなりませんし、見なければ場合によっては大企業のほうに逃げるし、あるいは本土のほうに流出する原因の一つにもなるおそれがあります。そこで私のほうも、かねがねこの席においても、何らかの措置をとりたいということを申しておりましたが、大体大蔵省との話し合いをいたしながら琉球のほうに、新たに構想をいま固めつつありますが、当席で御答弁をはっきり申し上げるのは、与野党の話し合い関係もございますので控えさせていただきますが、その準備をいまいたしておるということでございます。
  29. 受田新吉

    受田委員 その準備については私もほぼ伺っておるわけでありますが、当席においてあえてこれを追及しないことにいたしておきますけれども、これは秘密という意味でなくて、あなた方がいま作業中であるからあえて要求いたしませんが、この問題について、やがて沖繩企業本土との格差を持ったままで本土企業形態が移行した場合に、賃金本土並みになったという形で企業そのものがついてこれなくなって、企業の倒産というようなことが起こり得る危険はないか。いまのような中小企業に対する特別措置というようなものをきわめて大幅にやらないと、ついていけないというような事態は私は起こり得ると思うのです。それは本土格差を大きくしているだけに懸念がある。いまのお話し合い金額などがやや少額であるので、私は懸念があるのですけれども、そういうことについて、沖繩現地企業に対する圧迫、やがて企業倒産というものを防止しながら沖繩本土への復帰を進めていくというやり方について、何か名案をお持ちかどうか。企業擁護に対する根本策を伺いたいのです。
  30. 山中貞則

    山中国務大臣 これは企業あっての従業員であり、また労働者あっての企業である。この賃金の問題は、労使の紛争を沖繩で起こさせてはならない問題だったのです。しかしながら、沖繩にそういう措置がとれるかどうかで私は一生懸命やったつもりですけれども、だいぶおくれましたために、やはり沖繩側に迷惑をかけて、現実に紛争が起きた。この点を私は深く反省いたしております。  したがって、今回とります措置の内容は、金額においても、その条件においても、大体いけると私は踏んでおりますが、しかし、それは償還期間中に完全に体質が強化されて、そして企業の体質そのものが、これは当然のコスト要因である人件費を支払っていってもなお発展していける体質にしていかなければならない。  でありますから、これは沖繩について、中小企業近代化法あるいは構造改善、そういうものについては、本土においてはすでに存在していない業種であっても、かつて本土で指定したことのある業種、あるいは沖繩特別に指定をしなければならない特別の業種、こういうものは全部拾い上げて指定をいたします。そして、構造改善についても、やはり業種ごとに五カ年の構造改善の計画をつくってもらって、それに対して重点的に金融公庫を通じ、実際上は通産省の行政指導を通じて、沖繩の既存企業というものが、少なくとも賃金を読みかえたことによるコストプッシュ要因によって倒れていくというようなことの絶対にないようにする配慮を私たちはする義務があると考えておりますので、その点は怠らないようにしてまいります。
  31. 受田新吉

    受田委員 山中先生に対する質問は一応これで中断しておきまして、最終的にもう一度総合的にお二人の国務大臣にお伺いすることにします。  江崎先生、あなたもずいぶん御苦労されて、大臣になられたことを、実際いま、いやだったなと感じることもたまにはあると思うが、やはりあなたは非常に夢を持って防衛庁長官に就任された。これはもう前に私がお尋ねしたときに、あなたは、ハト派の頭目として防衛庁長官になった、おれのおる限りは諸君安心せよと訓示を言われたということですが、そういう夢を持って長官になられたあなたですけれども、いよいよ沖繩復帰することについて、防衛庁関係法律適用特別措置法を拝見したりして、私は実はあなたにきわめて明確な御決意を伺っておかなければならないことがあるのです。それは、沖繩復帰に伴う沖繩の防衛を含む二月七日の防衛大綱、そういう問題について、あなたの前任者の方々の考え方とちょっと構想が変わってきたいきさつがあるわけなんです。ここに久保防衛局長がおられるわけですが、久保局長は中曽根防衛庁長官のもとに、カーチス中将との間の取りきめをなさった。昨年の六月二十九日は、もう二、三日ほど中曽根防衛庁長官の任期があったわけです。その時点でしたね。あなたが取りきめをなさる二、三日後になって、増原さんに防衛庁長官がかわられた。それから一カ月後に西村さんにかわられて、十二月の二日か三日に江崎さんに長官がかわられた。七月の一日時点では中曽根さんが長官、十二月の三日でしたか。
  32. 久保卓也

    ○久保政府委員 そうです。
  33. 受田新吉

    受田委員 三日の時点では江崎さんです。五カ月の間に四人の防衛庁長官がかわっているという、まことに奇妙な現象が日本国家にあったわけです。その間あなたは四人の防衛庁長官にお仕えになられて、防衛構想がわずかの間に舞台が変わっていきつつあるのを感じ取っておられたかどうか。防衛方針というものが、大臣の頭がすげかえられるつど変わってきた。中曽根構想は、昨年の四月に第四次防の原案を一応つくった。そのときの考え方の中に、中曽根さんの頭の中にあった目玉商品というものを、いま江崎さんは構想を練り直すとおっしゃっておられる。これに伴う予算は五兆八千億円という金額で中曽根さんが発表されたけれども、そのあとの増原さん、西村さんになると、五千億円削るという。今度は江崎さんになってくると、ベア分というものが一体どうなるか、その分を減らすことになると、五兆円をさらに下回るという形になる。こういうようなことになると、わずか半年足らずの間にこれほど目まぐるしく防衛構想が変わるということは、くたびれたと局長はお考えでないか。
  34. 久保卓也

    ○久保政府委員 官庁というのは組織で動いておりますから、大臣がかわると百八十度変わるという場合もあるかもしれませんけれども、防衛構想の場合には、やはり陸、海、空、統幕、内局を含めて練りに練った上でありますから、非常に大きく変わるというものではないと思います。しかしながら、やはりシビリアンである長官が全般をコントロールされておりますので、その間におのずから個性といいますか、ニュアンスといいますか、そういうものは変わってきつつあるというふうに思います。しかしながら、やはり基本的にはわれわれが十分に考えた上でありまするし、かりに——格別疲れたというようなことはございません。気持ちを新たにしてまた次の四次防に取りかかろうと思っております。
  35. 受田新吉

    受田委員 長官がお帰りになる前にあなたにお聞きしておきたいのですが、こういう内局でいろいろと長官の指示のもとに案を練られて、そして最終的に長官のところで決裁をもらうまでの間に、政務次官というものはどういう役割りを果たしておりますか。またシビリアンコントロールの場合に、事務次官をばかに大事にしておられるが、政務次官は大事にしておらぬのかどうか。先般の沖繩に対する先ばしった措置、あるいは立川移駐の問題のときなど、政務次官はどういう役割りを果たされたか。あなたひとつ防衛局長として、長官が帰られる前に、ちょっと私に教えておいてもらいたい。
  36. 久保卓也

    ○久保政府委員 事務次官は事務の面においてはたいへん御尊重申し上げるし、政務次官は政務の面においてたいへん御尊重申し上げているわけであります。それから沖繩の物資搬入の場合には、これは私も実は、この問題が起こったときに役所におりませんで、呼び出されたわけであります。呼び出されたところでは、事務次官、長官——長官のところに呼び出されたわけでありますが、政務次官はおいでにならなかった。翌日から政務次官おいでになって、長官をずいぶん御補佐されたと思っております。
  37. 受田新吉

    受田委員 局長、私、先般沖繩に対する先ばしった行為のあったときに、長官に伺ったら、内海次官を大事にされて、警察出身であるからこの人の考えていることは間違いないので私はよろしいと承知をした。内海次官にすべて相談をして、これは非常にりっぱな警察出身者だから、内海君の言うことだから間違いないと思って、私はよろしいと承知を与えたというのが……。
  38. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 それは立川移駐の繰り上げですね。
  39. 受田新吉

    受田委員 そうそう、立川。そのとき、政務次官はさっぱり大事にされずに、政務次官に相談されずに、内海次官だけを大事にされたと私は思った。両次官を大事にされたのかどうか。政治優先ですから政務ですよ。事務次官よりもっと高度の長官補佐役は、政治的には政務次官のはずです。政務次官はその際何にもあずかり知らなかったということで、野呂さんはのろのろしておられたのじゃないですか。
  40. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 御質問の点は、これは疑問はございません。政務次官なかなかよくやってくれて、政務次官に全面協力を得ておりますし、私も逐一事こまかに相談をしております。たまたま立川移駐の場面は、政務次官、たしかどこかへ出張していなかったと思うのです。そういうことで、私自身もあの当時詳しく申し上げましたら繰り返しませんが、七時ごろにかねての計画を了承しておいたわけですね。ところが夜の八時過ぎになって、どうもこのままでは衝突が起こったり、無益の混乱も起こる可能性あり、秘密が漏れたようだ、したがって時間を数時間繰り上げたいと思うが、どうであろうかという相談を陸上幕僚長から聞いた次官が、私に連絡してきたわけですね。   〔塩谷委員長代理退席、委員長着席〕  そこで私は、内海次官をもちろん信頼しておりますし、のみならず警備その他については、これはもともと警察出身で専門家ですから、君の判断としてやはり数時間繰り上げるということが適当であると思うならば、それはひとつまかせようじゃないか、わかったと、こういうことで最終的には私の責任において了承した。そういうわけですから、政務次官とのかね合いにおいてとやこうということはありませんし、政務次官よくやってくれて、実は感謝しているような次第であります。
  41. 受田新吉

    受田委員 防衛庁設置法の中にも政務次官の地位というものは明確にされているわけなんで、もう長官の次の地位は政務次官ですよ。それから事務次官になっている。順序はそうなっている。敬礼でもその順序になっている。したがって、政務次官が政治優先の原則に貢献する度合いというものは、私は非常に高くなければいけないと思う。それがおろそかにされておるということになると、これは重大な問題だと思います。この点、防衛庁の内局も政務次官は大事にしてくださっておるといま仰せになりましたけれども、印判をとって歩くとき、ちょっと頭を下げて印判をついてもらう程度で、実際は事務系統のほうにウエートが置かれておるというような危険があって、政務的な判断のできる政務次官の高度の貢献がないために、そこから内局が弱体化するという懸念が私はあると思うのです。ですから、長官は政務次官を最高に利用して、そうして政治優先の原則から内局を引き締めて——内局は大体各省の出向組がずらりと並んで、久保さんのごとき有能な官僚ですよ。まさに当代一級の有能な官僚だが、あまりにも有能なだけに各省を動いておられる。そういうことであるから、防衛庁に長くおいでにならぬだけに、その部内の統制をとる上に事を欠く危険があると思う。そういうときに長官の一番側近の大事な補佐役はむしろ政務次官である、こういうことで、私は、政治優先の原則を確立するために、あなたのほうで少し高度の政治判断をやるときには、内局の中で一番大事なのは政務次官だという判断ができるかできぬか、ちょっと明確な答弁をしておいてもらいたい。
  42. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 受田さんのおっしゃる意味は、よくわかるような気がいたします。同じ政治家として、政務次官の効用というものをもっと取り上げろ、これはもうそのとおりだと思います。どうかすると、政務次官は盲腸だなんて卑下したり何かするような、ああいう傾向というものは私、よくないと思います。のみならずやはり同僚として政治的な問題は相談をしていく、これは御指摘のとおりだと思いますし、私自身もいまのところ緊密にそういう連絡をとっておるつもりです。その点において、われわれ防衛庁においては幸いうまくいっておると申しまするか、緊密にやっておるというのが実情であります。  それから内局のスタッフも、なるほどときに通産省から、あるいは大蔵省からとか、あるいは警察庁からとか、いろいろありますが、いまの内局を見渡しておりますると、非常に防衛庁自体に愛着を持ち、その仕事に熱情を感じておる諸君が多うございます。ここにも関係者多数来ておりますが、責任をもってやろうという気概に燃えております。特に今度は国会冒頭からいろいろな防衛問題について議論がありましただけに、今日では非常な結束状況ができておるというふうに思っております。御指摘の点については、今後とも十分注意いたしてまいりたいと思います。
  43. 受田新吉

    受田委員 私、そこで沖繩の今度の祖国復帰に伴う防衛庁のお仕事の中で、前との関係で明らかにしておかにゃいけぬことがあるのですが、中曽根原案が昨年四月に天下に公表されたときは、自主防衛を主として安保を補完とするという、こういう構想であった。これは有田長官のときからそういう宣言をこの委員会でもしておられるわけだ。ところが、今度二月七日に防衛の大綱を国防会議で大急ぎでやられた。つまり四十七年度予算の中には四次防は入っていない。しかし、四十七年度を四次防が確定した後においては初年度とするというようなことで変わった。そのつじつまの合わぬ発言から国会が混乱におちいって、そこで今度、防衛大綱を急ぎ二月七日にやったと、もう支離滅裂な行為が親愛なる江崎長官のもとにおいて行なわれたわけです。  そういう状態の中で、防衛大綱を見ると、安保を基調としてと、明確に書いてあるわけです。中曽根構想の方針とどうしてこうひっくり返ったのか、お答え願いたい。
  44. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 重要な問題だと思います。それは決して前任者との間に脈絡のないということではありません。当時中曽根防衛庁長官は、ああいう非常な勉強家ですから、昭和三十二年にきめた国防の基本方針というものを変えるべきだ、こういう見解に立ったわけですね。  それから、時間の関係がありますから簡単に申し上げますが、要するに防衛計画も、新防衛力整備計画——四次防という呼称をきらって、新しい防衛計画をここに立てよう。それは従来五年計画であったり、もっと短いこともありましたが、大体五年を視点にしてというのを十年を視点にして防衛計画を立てよう、こういう構想で研究、努力されたことは、これは私も評価いたしております。また事実、現在当時のものをよく読んでみさしても、やはり一つの重点事項というものがちゃんと表にあらわれておる。ところがこれは閣内で意見が一致しなかった。それから政府・与党との間にも話し合いがつかなかった。それはどういうことか。国防の基本方針を変えると言ったが、この基本方針は昭和三十二年の基本方針でいいではないか。当時、私は党側の安保調査会の副会長、会長がいま農林大臣をやっておる赤城さんでございます。で、ここでも並行して検討をいたしましたが、国防の基本方針は昭和三十二年のこれでいってよろしい、こういうことで与党側は結論づけ、また佐藤総理も、変える必要がないということを国会でしばしば答弁をするという形になった、こういうことが一つある。  それから、十年を視点にしての防衛計画というものは、それはそれなりに私は一つの主張を盛り込んだ計画だと思います。しかし極東情勢も、緊張したり緩和したり、また緊張をするというような繰り返しではありますが、少なくともこの目まぐるしい世界情勢、特に極東の情勢に処して十年を視点にするということは一体どうであろうか。やはり五年計画くらいで防衛問題を策定し、これを国民各位の理解に供していくことのほうが納得を得やすいし、のみならず計画そのものとしても、むしろ十年先を見通すということよりも、専守防衛の立場からいう日本の自衛隊としては五年計画のほうが妥当である、こういうことに結論づけられたわけです。  したがって、防衛庁の四次防試案なるものは、いまの大蔵省、また防衛計画には外務省等々の意見も取り入れなければならぬ、これはもう当然なことで、それなるがゆえに国防会議にこれらの閣僚が列しておるわけでありまするが、大蔵省にも外務省にも相談がしてなかった。大蔵省等では、十年を視点にするその計画の財源等については、多少疑義を大蔵大臣が持っておったというようなこともありまして、そこで西村前長官のときに、円切り上げなどという問題はまだ当時起こっておりませんでしたが、ドル・ショック以来の経済的見通しの困難性、しかも経済の先行きの変動のゆれが大きかろうという予想といったようなことで、五千億程度の正面兵力における減額ということがいわれたその時点では、十年計画ではなくて五年計画でいこうという考え方に立ってそういう作業を内局に命じ、内局側では鋭意その線で作業をしておった、こういうわけです。  しかし、御承知の四次防の大綱が決定された段階において、この防衛庁試案なるものはなくなり、また、したがって正面兵力五千億を減額しようという西村構想なるものも一応白紙に還元された、こういうことになるわけです。しかし私は、西村さんが構想された程度の装備というものは、これは重要な参考にしていこうという見解に立って目下作業を急いでおる、こういうわけです。もちろん作業は急いでおりまするが、御承知のとおりの結果になっておりまするので、四次防の最終的な決定というものは、当然経済のおよその見通しが確定した段階において、この夏過ぎごろという見解を示しておりまするが、そのあたりに結論を見出そう、こういうことで作業をしておる。  したがいまして、ずっと脈絡は続いておるわけでありまして、別に、右往左往とか、あるいは混乱をしたとか、そういうことはありません。また、私が先輩諸君の積み上げてきたものをかってに壟断ずるというような行為に出ておるものでもありませんので、そのあたりについてはどうぞひとつ御安心を願いたいと思います。
  45. 受田新吉

    受田委員 私は、中曽根構想の国防の基本方針の中に、自主防衛を主として安保を補完とするというのは筋として通ると思うのです。私は、当委員会で五年も六年も前からこれを提唱して、あなた方の立場からするならばという前提で、専守防衛なら自主防衛が主でなければならない。安保を基調として、それを自主防衛で補完させるなどという自主性のない防衛庁というものは、これははなはだだらしないと思うのですね。大体そういう点において、その中曽根構想をひっくり返して、今度は安保を基調にして自主防衛を補完とするというように、国防の基本を中曽根長官とあなたとでひっくり返しておる。これはたいへんな百八十度の転換です。そういうことは、前者を踏襲して基本は変わっていないと言うけれども、猛烈な変わり方じゃないですか。
  46. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 日米安全保障条約の内容が簡単に運用面でも変わるとは私、思っておりません。しかし、これは長い視点に立てば、やはり運用の面においては多少弾力的に変化することもある。これは当然、相対的な、しかも国際情勢を徴妙に反映する条約ですから、運用面においての変化というものは私はあると思います。たとえば中ソ友好同盟条約というものは現存しておっても、運用の面においては完全に空洞化しておる。NATOの条約機構のあり方においても、これはやはりかつての米ソが対立しておるあの状況と、今日平和共存路線を歩んでおる時点においては、運用の面においては多少変わっておる面もあろうかということは、推測にかたくありません。しかし、基本方針というものは、そんなにぐるぐる変わっていいものじゃないと思うのです。中曽根君が基本方針を変えていこうと努力されたその気持ちはわかりますが、その五カ年間を視点にして四次防というものを策定していこう、しかもまだ、防衛力は最小限のものが充実段階であるということで現在進んでおるというのであるならば、この五カ年間程度では、日本が完全に国防の実態に即して、日本だけで十分である、満足であるというようなことは言えないと思うのです。だから、中曽根君が補完ということを言われた意味は、運用面においての考え方を言われた意味で、もとより自分の国は自分で守る、これはもうわが国として大事なことだと思います。  したがって、表現はどうであろうと、私どももちろん安保条約を基調としての計画は立ててまいりますが、実際の運用においては、やはり自分の国は自分で守り、局地防衛にはわれわれの自衛隊が当たって、日米安全保障条約で補完されていくという形にならざるを得ません。日本が何もしないでほうっておいて、日米安保条約が基調になっておるからアメリカにすべてやってもらうのだ、そんなことを、この日米安保条約を基調にしてという国防の基本方針は、言っておるものではないと思うのです。どうぞひとつそのあたりは、基本精神、運用の考え方というふうに分けてお考えをいただけたらというふうに私、思います。
  47. 受田新吉

    受田委員 私は長官の考え方に賛成できないわけです。私は、わが国の国土、国民は日本国民が守るのだ。アメリカとの安保条約を基調として守るのではなくて、それは補完で、アメリカとの協力関係によってこれを補うという趣旨のものであって、国土、国民をアメリカと一緒に守ってもらうのが基調などという、他国依存主義の長官がいま日本に復活されたかと思うと非常に残念である。中曽根長官、また有田長官も増原長官も、少なくとも安保は補完的であって、自主防衛が基調である、国土、国民はわが国が守るのだ、アメリカに守ってもらうものは補完だと、はっきり有田長官以後変わっております。これは私が質問をして答弁を得た記憶が明確でございますのではっきりしておる。つまり国土、国民はわれわれが守る、安保を基調にした自衛隊というのでは、これは自衛隊員だって、制服の諸君だってたえられない感じがします。  私は、その意味においては、中曽根構想は踏襲されるべきだと思う。それはあなた自身は、いま自民党内にいろいろと異論があるとおっしゃったが、それを説得する能力があなたにはハト派の頭目としてあると思う。あなたに期待したのはそこだった。アメリカのかさのもとで日本の防衛があるなどというそういう弱腰の長官でなくて、自主防衛という意味で、アメリカとの関係などはなくても、われわれが平和を守るために最小限の自衛措置なんですから、そんなに大げさな防衛をする必要はない。専守防衛なんで、外交の努力本あって戦争しなくて済むのだ。したがって、そう大げさな自衛力を持たなくてもいいのです。だからアメリカとの関係は補完ですよ。われわれがいう有事駐留、駐留なき安保、平素は米軍が全然いないという。安保を一応基点にした立場から見て、安保を主軸にして自主防衛を補完にするという考え方は、当面の防衛庁長官としてはいささか心得が悪い。あなたは中曽根構想を生かすべきだ。目玉商品はやめてもいいが、この基本構想ははっきり踏襲すべきだと私は思う。閣議を左右するほどの熱弁をふるえば、必ずこれが異口同音に答えが出てきたはずです。
  48. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 受田さんの御熱意を込めた御激励は感謝をいたします。これはどうぞ誤解をしないでいただきたいと思うのです。実は国防の基本方針を変えるか変えないかということ、変えないということがきまったわけです。これは首相以下で変えない。党では総裁以下の考え方で変えない。昭和三十二年の国防の基本方針には、日米安保条約を基調として、こうあるわけです。そうして今度の四次防の大綱においても、日米安保条約を基調としてということを第一項においてうたっておるのは、これは当然関係のあることだと思います。  そこで、補完という意味が後退したのか。補完という意味は事実上の運用面での心がけでございます、こういうふうにさっきお答えをしたつもりです。私、ハト派と言われたが、ハト派ということは弱腰だと思ってもらっては困るので、ハト派という意味は、外交的に少なくとも平和を愛好する、そうしてまた平和を確保していくためには政治家としてその政治生命をかける、あらゆる努力をするのが私はハト派の呼称だと思います。私は、国民にかわって国の防衛に任ずる自衛官というものは、少数精鋭、精強でなければならぬということを常に言っておるわけです。しかし、この精強な自衛官をコントロールするわれわれは、やはり平和主義者でなければならぬ。ここに運用の妙が発揮されるもの、こういう信念を持っておるわけでありますから、そういう意味で私はハト派の呼称を喜んで実はみずから受けるわけであります。  したがって、いま申し上げるように、そのことは弱腰ということと全然違うのです。ですから、ここにありますものは国防の基本方針として政府がとっておりますもの、終始一貫して基本方針を明示したものである。運用面においては、当然私は自分の国は自分で守り、日米安全保障条約というものによって補完をされていくという考え方に立って国防というものは考えられるべきだ、そういうふうに思っておりますので、どうぞこの点は御了解願います。
  49. 受田新吉

    受田委員 長官との論議は、私この点は基本的な相違点が出ておるわけなんですが、私が申し上げておるのは、江崎先生、あなた御自身が努力されて党内の空気も変え、ハト派の頭目として変えていける力があったはずなんです、ハトの力で。それから閣議も空気を変える。中曽根構想、自主防衛を主として安保体制を補完とするという線に変えられたと思うのです。あなたの御努力が不足である。そうしてもう一つ、ハト派ということになると、ここにおられる元長官委員長などは、タカ派かというとさにあらず、伊能先生だってなかなか平和愛好者であって、長い間おつき合いをして、野党との平和外交などは妙を得ている。そういうようなところに……(山中国務大臣「ぼくは何派ですか」と呼ぶ)あなたは中間派。  そういうことですから、私この問題だけは筋を通してもらいたい。やはり国の国防の基本ということは、安保条約は一つまり岸さんのときの昭和三十二年から十五年たった今日は、著しく時代が変わっておるわけです。緊張も緩和しておる。ニクソンの訪中ということも起こっておる。こういう時点において、国防の基本を、安保を捨てるわけじゃないんだから、補完と切りかえたっていい。運用と基本方針、こういうことばづかいはともあれ、これは基本のことばを変えていくべきです。それが軽くけなされていること。  もう一つ、防衛の大綱には、例の中曽根構想の中には、憲法上のたてまえと非核三原則がうたわれておるが、これが二月七日のは削られておる。中曽根構想から後退している節がある。限定された局地戦に対処するということは、これは共通ですが、十年後の防衛力という問題もいま解明がされましたが、私は、憲法上のたてまえと非核三原則を貫くという考え方は大事なことだと思ったのですが、これもはずされておるということです。  そういう意味から、わずか半年足らずで防衛庁長官の基本構想がこれだけ変わってくる。予算措置にも非常に大きな変化が起こってきておる。そういう中で沖繩の防衛問題が起こってきておるんだから、久保・カーチス協定なるものは中曽根長官のときにつくられた取りきめであって、中曽根構想からこうした国防の基本にも変化が起こり、憲法のたてまえと非核三原則も離れてきた、十年の構想も五年に変わってきたという情勢の中で、久保・カーチス取りきめは当然変更され修正されてしかるべきだと思うのですが、この点どう修正されるべきかということについては、もっと現実の問題で、沖繩県民の感情等を盛り込んで、久保・カーチスの取りきめの修正をはかるべきであると私は思うのです。
  50. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 ちょっと先に私から申し上げますが、これは誤解があるといけませんから率直に申し上げておきます。  防衛庁長官がかわったから国防の基本方針が曲げられたのではないのです。国防の基本方針というものは、わが党においても、政府においても、一貫して貫かれておるわけです。中曽根元長官が変えようとして果たさなかった。これははっきりしておかなければいけません、誤解があるといけませんから。ですから、そういうことでこの点はひとつ御理解を願います。しかし、受田さんの熱意のある御忠告については十分承っておきます。
  51. 受田新吉

    受田委員 久保さんの答弁の前に、ちょっと江崎先生の御発言の中に、中曽根さんだけの構想であったということですが、増田元長官並びに有田元長官は当委員会で、つまり国防の基本について、自主防衛が主で安保は補完だという発言があったと記憶しておるわけですが、防衛庁の内局の皆さん、中曽根氏以前の元長官のこの問題に対する委員会における発言を心得ておられると思うのです。そのくらいのことが内局でわからなければ、内局はだめなんです。
  52. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 私もこれはよく知っておりますし、この間、共産党の東中君でしたか、同じような御質問がありましたので、そこでお答えしたのは、さっきから申し上げておるように、基本方針は変わらないが、運営面においては、しばしば歴代長官が申し上げたとおりに運用をしてまいります、こういうことを申し上げておるわけですから、ここはひとつこのあたりで御理解を願いたいと思いますが、いかがでありましょう。
  53. 受田新吉

    受田委員 江崎先生、あなたは人がよ過ぎるです。あなたは善良過ぎる。もっと勇気をもって閣内を、平和の使い手としてのハトのごとき御存在として行動していただきたい。それから自主防衛の、専守防衛のラインを守るためには、アメリカのお世話になる国防などという意味ではなくていくという基本方針を変える、つまり第一次長期防衛力整備計画から十五年たった時点で、依然として日本はアメリカのかさの下にあるような印象を国民に与えることそのものが、自民党のだらしなさを物語っておると思うのです。この点は私、もう論議をよしましょう。あなたも切々と私に訴えていただいておりますので、ここで紳士的にひとつ、これ以上は言いませんが、その気持ちをどうぞひとつあなたはやっていただきたい。  それからもう一つ、久保局長、あなたは非常に苦労されたと思うのですけれども、防衛の大綱に基づいて、今度四次防について本格的な案をお立てになりつつあるかどうか、作業をしておられるかどうかをお答え願いたい。
  54. 久保卓也

    ○久保政府委員 もちろん四次防原案というものは白紙還元されましたが、その後の、西村前長官までの作業というものは、一応われわれの今後の検討の際の材料として使わしていただこうと思っておりますが、そういう意味で、いま内容を検討しようとしております。  問題は、四次防が三次防の延長であるということでありますが、三次防の性格が必ずしも明確にされておりません。したがって、四次防をつくるにあたって、どういうふうに国民に説明するか、それの性格をどういうふうにすべきかということを考えたいというふうに思っております。
  55. 受田新吉

    受田委員 四次防の具体的な構想が国防会議へかけられる時点を、長官は夏とおっしゃっておられるわけですが、その夏のうちのいつごろというかっこうになってきておるのか。
  56. 久保卓也

    ○久保政府委員 事務的には、防衛庁内部の作業としては一カ月もあればよろしかろうと思いますが、ただ、国会がもう少し楽になってからの話でありますけれども……。あと関係各省との協議、これでおそらく一、二カ月かかろうと思います。したがいまして、早い時期で大体八月ぐらいというのがわれわれの希望であります。実際には、いろいろな客観情勢で動くかもしれませんが、希望としましては、九月には予算を要求しなければなりませんので、その前の時点がわれわれとしては望ましい時期であるというふうに思います。
  57. 受田新吉

    受田委員 そうしますと、国会が楽になったころにそろそろ気がねなしにおやりになるということとして、来年度、第四次防は昭和四十八年度をスタートとすると了解してよろしゅうございますか。
  58. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 これは政治問題になりますから、私から……。  当然、この大綱の中に示しておりますように、「昭和四十七年度から昭和五十一年度にいたる第四次防衛力整備五か年計画」、こういうふうに明示いたしております。これはもともと、年度内に四次防を策定したい、こういう考え方でおったのが、円の切り上げというようなああいう不測の事態、経済の見通し難という事情によって延期されたというたてまえですから、これはもう初めから年度内策定ということは、四十七年度予算は四次防の第一年度にしていくことが妥当である、そう位置づけるべきであるという考え方で始まっておるわけですから、これは当然初年度にいたしたいと思っております。
  59. 受田新吉

    受田委員 しかし、来年度予算の編成にあたって、いま久保局長お話であれば、その予算に間に合うようにやりたいというお話であるとするならば、国庫債務負担行為などという問題等が、四十七年からの計算という見方と、凍結された問題ではあるが、四十七年をスタートしたかっこうの国庫債務負担行為というものが解除されたときには生きてくるということになると、四十七年がどういうかっこうで生きてくることになるのか。四十七年度は事実問題としてもう空白の期間ということに現実になってきて、そうなれば、たとえ四十七年からやられておったとしても、現実に四次防の決定の時期は、その初年度を四十八年とやられたって一向差しつかえない。むしろそのほうが国民に理解がしやすい。議長あっぜんで凍結された問題、いかにも執拗に食い下がるような感じもいたしますので、むしろすかっとして現実には四十八年度がスタートになる。現実の問題はそうですね。  これは四十七年度の補正予算を組むのですか。四次防できまったら補正予算を要求されるのか。それなら四十八年スタートじゃないですか。事実問題は四十八年度がスタートである、こう了解してよろしゅうございますか。
  60. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 それはちょっと違います。受田さんのおっしゃる意味はわかりますけれども、要するに予算も八千億進んでおるのだし、それからこの四次防策定と同時に凍結されたものが解除されれば、それは復活して動いていくのだから、長期計画というのは四十八年度から五カ年計画にしていいではないか、こういう意味でございましょう。ところが私どもは、この四十七年度のものを四次防の第一年度にすることが適当であるということを考えておった。それはなぜ考えておったかということは、年度内に四次防策定ということを合意しておったのですから、大蔵省や外務省とも。そのことはこの審議の段階でお出しして、四十七年度初年度とする、こういう考え方に立っておったわけですね。  ただ、誤解があるといけませんが、査定のときには、くどい話はしませんけれども、四次防というものはないわけですから、四次防的性格のものは全部査定に当たっては排除した、こういうわけですね。ところが、いやそれは排除されてないというので疑義を生じて議長裁定になったといういきさつでありまするが、しかし八千億からのこの額を、ただ予算がとれたから無計画なものであるということにすることはどうであろうか。しかもまた、本年度、四十七年度に発注するものは四十九年に、たとえばT2などは五十年にできるということになるならば、これはやはり五カ年計画の中へ入れていくことのほうが合理的である。しかもまたそのほうが妥当性もある。これを四十七年度きりの予算としましても、この八千億の中には、前から三次防送りの二千億のいわゆる債務負担行為のツケを落とす金額も入っております。また同時に、われわれは、債務負担行為においてこの中から二千数百億をあとに送る。そうすると、あとに送るものというものは、一年こっきりの単年度予算ということにしますと、一体その位置づけはどうなるであろうかという疑義も出てくるわけです。したがいまして、これは年度内に四次防計画を策定しようという考え方もあり、八千億という巨額の金額は、やはり初年度に位置づけていくことのほうが妥当であり正しいということで考えておるわけです。  誤解があるといけませんから申し上げておきますが、いまは充実段階ですから充実する。いわゆる第四次防衛力整備五カ年計画、こういうことになっておりまするが、将来極東の情勢がほんとうに平和の形で定着するというような事態があれば、これは日本にとっては喜ばしいことです。そういうときには減額の計画ということだってあり得るのです。そういうときも、それは六次防であったり七次防であったりすることはちっとも差しつかえない。第何次防衛力整備計画である。いたずらにどんどん雪だるま式にふやしていくばかりが計画ではない。減らす場合もやはり、国民によくわかるように、納得していただけるように、何々計画という形で説明をしていくことのほうが妥当であるというふうにも考えております。この点もお含みおき願います。
  61. 受田新吉

    受田委員 私がお尋ねしておるのは、長官現実の問題として四十七年というのは空白になっておる。あなたが最初に防衛庁長官をされたまだ若くたくましき長官時代、あのときに、その翌年が空白であった。第一次長期防衛計画を三十二、三、四、五、それから一年休んで、三十六年が休んで、七、八、九、十、十一とまた第二次が始まって、それから二、三、四、五、六と三次になってきた。空白が一年ある先輩がここにおるのです。あなたの長官の翌年が空白、御存じのとおり。そういう空白はちゃんとあって、しかも国民はこれに対して、空白であったから防衛がおろそかにされていることでないということをよく知っておる。そういう意味でこの四十七年は、たとえ防衛の大綱で四十七年からスタートするとあげてあっても、実際に事ここに至った以上は、昭和四十八年よりスタートすると修正されても、国防会議で一たびきめたことをくつがえすというのは、機種選定のときも一ぺんやっておる。国防会議の決定を変更する修正ができておる。これもやっぱり前例がある。したがって、すかっと四十八年々起点として第四次長期防衛計画ということにしたほうが、いかにもすっきりしていいと思うのですね。そういうことをひとつ御努力される方向で、私、あなたのようなお人の純粋な長官の時代にがんばっていただかないと、策を弄する方がそこについておられると、どういうことが起こるかしれぬ。あなたががんばって、四十八年に、私はそれにしていただかなければ長官をやめますと言えば、それでおしまいなんですから。やめればいいのです。つまり信念を通して報いられないときにはやめる。それは世間が江崎先生に非常に大きな敬意を払う。そういう意味でそれを私は要望を申し上げておきます。  久保局長沖繩の問題ちょっと触れなければいけませんから、法案に関係する問題に入ってきますが、久保・カーチス取りきめは、現実時点においては、沖繩県民の感情等も織りまぜて、沖繩にそう大ぜいの自衛隊を必要としなくても済むその配慮というものを具体的に織り込んでいい時期が来ておる。あと一カ月後に沖繩が返ってくるわけですけれども、あなたの取りきめられたこの案をそのまま実行に移すということでなくして、修正をして一部県民の期待にこたえる面を取り入れるというお考えをあなた自身はどう考えるか。いま長官から一応基本的なお話を承ったけれども、取りきめの当事者であるだけに、あなたの御所見を伺いたいのです。
  62. 久保卓也

    ○久保政府委員 正直な話を申し上げますと、この久保・カーチス取りきめの内容、約半年以内に三千二百名を配置するという考え方は、これは返還後当初から、つまり五月十五日あるいはその直後に三千名近くの者を配置をしたいという非常に強い希望があったわけでありますが、ただその点については、いま先生も言われ、また世上いろいろ御批判もありますので、非常に大幅にスローダウンしてまいりたい。そしてまた、久保・カーチス取りきめのことばに書いてあるとおりの実行はなかなか困難であろう、しかしながら、本質は動かさない範囲で、なるべく県民の事情というものを考慮しながら配置をすることを考えたい、そういう方向で進んでおります。
  63. 受田新吉

    受田委員 その取りきめを大幅にダウンさせるという具体的な数字などは、まだこの時点では出てきませんか。
  64. 久保卓也

    ○久保政府委員 御承知のように国防会議が、これはもう三月から、いまにも開かれそうになっておりまして今日まで至っておるということは、この沖繩県民の事情というものを十分考慮しながら配置をしなければならないというような政府の考え方がそこにあらわれていると思います。そこで、ここに書いてある数字を大幅に減らすということは、なかなかいろいろな関係でむずかしかろうというふうに思っております。
  65. 受田新吉

    受田委員 では、小幅にはどういうふうに具体的に……。
  66. 久保卓也

    ○久保政府委員 あと一両日もすればその結果がおわかりになろうと思います。
  67. 受田新吉

    受田委員 まさに発表の直前であって、これもやはり機密に属するわけですね。
  68. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 これは政治問題ですから私からお答え申し上げますが、明日の午後二時から国防会議を開こう。しかし、いま参議院で予算一般質問でありますから、閣僚がはたしてそろうか。そろわない場合は月曜日、十七日になりますか、午前九時からということで、国防会議をいま予定いたしております。  そこで、防衛庁の原案なるものはもう成案を得ておりますが、本日午後幹事会を開くことになっておりまして、国防会議にこれが出されるわけで、その間、数字的にまたいろいろ筆が加えられることもあり得るというわけですから、いまはっきり申し上げられないのは残念であります。それはそういう意味でありますから、御了承願います。
  69. 受田新吉

    受田委員 これは国防会議の事務局において国防会議に提案をするわけですね。防衛庁が出すわけじゃないですからね。それは、久保局長が国防会議事務局の参事官をされた当時からの職務関係でおわかりのとおりで、そうすると、防衛庁試案が国防会議の原案になるというのではなくして、国防会議事務局が案を出すのじゃないですか。
  70. 久保卓也

    ○久保政府委員 国防会議事務局が国防会議そのものに案を出されるわけでありますが、その案をつくられる場合の素案というものを防衛庁が国防会議事務局に出しておる、こういうことであります。
  71. 受田新吉

    受田委員 国防会議事務局の素案を防衛庁が用意するというのであって、結局は防衛庁案が国防会議提案ということになるわけですね。
  72. 久保卓也

    ○久保政府委員 防衛庁の素案が国防会議の事務局に出されますが、その際に事務局での検討もありますし、事務局で参事官会議あるいは幹事会というようなところで十分検討され修正されつつあるわけで、そういうような過程を経た後に国防会議に出される、こういうことであります。
  73. 受田新吉

    受田委員 それはもう当然あとから発表されることですから、いまここでそれをお尋ねしないで、発表待ちということでおきますが、私が懸念していることは、もう質問の時間も東中さんのほうへ回してあげなければいけない時期が来ているわけでありますから、早く締めくくりますが、これは山中長官、それから防衛庁長官に御縁があるのですが、今度の沖繩日本に返される基地というものは、一応防衛施設庁が引き受けて、そして沖繩開発のために必要なところは総理府がいただく、こういう行き方で、防衛庁の構想によって米軍の返還される基地を日本が引き受ける、一応防衛施設庁を中心にこの基地の実態を把握しながら防衛庁が引き受ける、そういうことですか。
  74. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 これはまあ米軍の基地ですから、本土並みの取り扱いということになりますと、一応米軍の基地というものはこれから施設庁が管理をしていくわけですね。したがいまして、基地そのものの扱いにおいては、もちろん施設庁が関連するわけですが、もともと本土でありますと、米軍の基地が戻れば、これは白紙に戻りまして、そして国有財産中央審議会の議を経て大蔵大臣があとの用途についてはきめる、これは受田委員御指摘のとおりでございます。
  75. 受田新吉

    受田委員 そこで、防衛庁が第一次的には基地を接収するという手続、そういうところから来ると、山中長官の御所管沖繩開発の上に、防衛庁の鼻息をうかがいながら開発のために返還された基地を利用するということになってくる危険がある。私は、この基地の返還とその利用については、少なくとも一たび返されたということになれば、沖繩の総合的な開発計画の中にこれが入って、その中から防衛庁に最後にここが行くというかっこうで、つまり自衛隊の基地としての使用は一番最後に回すべき性質のものであると思うのだが、これはどういう考えであるか、私の考えが間違っているかどうか、山中先生からひとつ……。
  76. 山中貞則

    山中国務大臣 いまの江崎長官の説明だけではちょっと問題がはっきりしませんが、誤解を生むといけませんので……。今回、アメリカが沖繩日本に返還することに伴って、日米の間で協議されて、その中の一部について自衛隊が肩がわり使用し、そしてまた一部共用をするという取りきめが行なわれたわけです。その際には、担当大臣の私に対して、この基地を自衛隊が使うことになるが、沖繩経済開発その他の支障になるかならないか、あるいは地元の所有者の意向はそれについてどう考えるかという御相談は、率直に申してございませんでした。しかしそれは、返還に伴うアメリカ側の局地防衛を日本にゆだねるという基本方針に従って、局地防衛に必要な地点についての話し合いがなされたわけであって、これからは、A表、B表の問題、あるいは今後返還される問題、これらは一方的に防衛庁が先取りするということはあり得ないことであります、国有地は国に返るわけですから。しかし、大体は民有地でありますから、それはやはり当然みな所有者である個々の民有地の地主に返還されるということが正常な姿でありまして、それを地主に返して、それについて地主との相談の上で、ぜひひとつ自衛隊に使わしてくださいということが、あるいは将来も一部あるかもしれませんが、私は、大体今後はそんなものよけい出てくるものではないというふうに判断しておりますし、原則は、米側が返すものは当然接収した相手方の地主に返還すべきものである、そう考えております。
  77. 受田新吉

    受田委員 それで、地主に一応返される、その返されたあと、自衛隊が今度使いたいというときに、それを地主と折衝する、こういうかっこうで自衛隊は沖繩県民の協力を得ながら納得づくでこの基地を新しく設定さしてもらう、こうなれば、沖繩県民の上に立つ自衛隊ということになる、こうあるべきだと私は思っておるわけなんです。そういう方向にあるわけですね。
  78. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 私の言っているのは国有地の場合で、民有地の場合は地主に戻すわけであります。
  79. 受田新吉

    受田委員 それでは、いまのは国有地の場合として、Cは、これはどういうふうにして使われるか、大体もう政府できまっておると思うが……。Bの分はこれから相談することになるでしょうが、この沖繩の基地の返還の扱い方は、できるだけ摩擦を避けて、沖繩の県民感情も十分取り入れ、県民の立場も考えて、話し合いによって防衛庁がここへ自衛隊の基地を設定するという基本線を守り抜いていただくことで、沖繩県民の自衛隊に対する危惧を一掃できるようになると私は思うので、その点を十分配慮していただきたい。ちょうど十二時になりましたので、質問を終わります。またあらためて機会を得てお尋ねします。      ————◇—————
  80. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 この際、連合審査会開会申し入れに関する件についておはかりいたします。  国際情勢に関する件について、外務委員会に連合審査会開会の申し入れをいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  81. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。  なお、連合審査会の開会日時につきましては、外務委員長と協議の上決定いたしますので、追ってお知らせいたします。      ————◇—————
  82. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 沖繩開発庁設置法案及び沖繩復帰に伴う防衛庁関係法律適用特別措置等に関する法律案の両案を議題とし、質議を続行いたします。東中光雄君。
  83. 東中光雄

    ○東中委員 時間があまりありませんので、簡単に最初請求権問題についてお聞きしたいと思います。  いままで、沖繩におけるいわゆる県民に対する損害補償は、外国人損害賠償法による支払いという形でやられておったわけですが、その外国人損害賠償法というのは、県民の請求権、権利というものではなくて、いわばアメリカの外国人に対する恩恵的な支払い、性質的にいえば見舞い金というふうな内容を持っておって、解決がついているように見えても、実は現に被害を十分補償するということにはなっていないと思うのですが、その点はいかがでございましょうか。
  84. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 これは外国人請求法に基づきまして、沖繩県民から人権被害につきまして請求をいたしまして、米側において、これを米側の国内法の手続において処理をいたすわけでございますが、従来の実績からいたしまして、すでに米側といたしましても補償をいたしておるものもございますし、事案によりましては却下しておるものもございますし一また事案によりましては、今日まで処理ができておらないいわゆる未処理分もございます。  そこで、請求について米側は、それぞれの国内手続によりまして、補償のかかっておるものにつきましては、これも請求額と実際の支払い額というものが非常に違いがあることもございます。そこで、御承知のとおりに、この問題につきましては、返還協定の四条二項に基づきまして、引き続き米側で処理するということになっておりますので、私どもは、未処理の分につきましては、もちろん復帰後の段階におきまして、米側の四条二項によりまして残留いたします担当官に対しまして、その早急な処理について督促をいたしたい。却下された分、あるいは不十分でありましてもすでに補償済みの分につきましては、一応米側としては処理済みであるというふうに考えられますけれども、これは復帰後の段階でございますが、非常に差額が大きいというもの、あるいは却下されたものにつきましても、その理由が、日本政府側から見まして必ずしも妥当でないというふうなものにつきましては、これは引き続きやはり米側に対しての交渉問題が残ると思います。そしてなおかつその問題が処理できないというふうなものについては、これをどうするかということが今後日本政府の課題として残ってくるのではなかろうか、かように考えます。  そこで、アメリカ側としましては、その請求につきまして、一応米側の手続によりまして審査をいたして補償をしておるわけでございますので、これがすべていわゆる見舞い金的な処置というふうにも考えられませんで、やはりそこは一つの補償的な性格を持っておるものであろう、かように考えておるわけであります。
  85. 東中光雄

    ○東中委員 これはアメリカの国内法によってというふうに言われるわけですけれども、その国内法がいわゆる国内法じゃなくて、外国人に対する損害賠償という形で、その基本が恩恵的なものになっている。これはもう一々議論をいたしませんけれども。  第一、却下ということを言われておりますけれども、却下するのは、アメリカの軍人をもって組織している委員会、しかも加害者というのがその軍隊なんです。加害者が損害賠償するについていわば裁判のようなものをやっておるわけです。しかしそれは裁判ではない。しかも、それに対して不服があったら裁判できるかといったら、裁判できない。世界人権宣言を見たって、何人も裁判を受ける権利というものがあるのです。それは被害を受けた者が請求することができるという基本的な権利があって、これはもう世界的な基本的な権利です。日本だって憲法に裁判を受ける権利がある。そういう権利を剥奪した状態で却下しているのだから、これは佐藤総理が、この前の沖繩国会で、もしこういう事態、要するにアメリカの施政権剥奪といいますか、占領という事態がなかったと同じような、そういう補償、回復をしなければいかぬということをはっきり言明されておるわけです。それならば、裁判を受ける権利がなくて、こういう事態で実際上却下されているそれに対して制度的にどうするか。佐藤総理が一般的に、沖繩のアメリカ占領がなかった場合と同じようにやるんだということを言っておられる以上は、これから検討するんじゃなくて、現にまるっきり制度が違うという点からいっても、当然やらなければいかぬ性質を持っておると思うのです。それで、これは施設庁長官じゃなくて、防衛庁長官なり総務長官なりから、こういう方向で全面的な検討をして、請求ができる道をちゃんとつくるということをやられるのか、やられないのかということをお聞きしておきたいと思います。
  86. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 ちょっと私、話をしておりまして恐縮でございます。  間違っておるかもしれませんが、要するに、アメリカの手続がきわめて簡単であって、補償漏れになったものをどうするか、法的措置をとるべきではないか、そういう意味ですね。もしそうであるとするならば、これは復帰後十分調査をいたしまして、立法の必要があれば直ちにひとつ立法手続に入りたいと思います。
  87. 東中光雄

    ○東中委員 それは違うのですよ。補償漏れの問題はそういうことでやられているのはわかっている。しかもそれはアメリカ側がやるということなんです。そうじゃなくて、アメリカはちゃんと補償は済んだんだというふうに言っておるものであっても、それは世界的な人権宣言の制度からいっても、日本の制度からいっても、それに対して不服だ、ということを言う道は閉ざされているんです、この法律では。総理は、ずっと日本の施政権が及んでおったときと同じような状態にしなければいかぬのだ、こういうふうにすでに言われているんだから、それならば、そういう制度を改正し、不服申し立てをちゃんとできるような制度を当然つくらなければならぬ。全く異常な占領地における法律で処理されて、もう処理は済んでいるんだ、こう言っているのですから、補償漏れの問題じゃなくて言っているのです。
  88. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 この問題は、昨年来いわゆる請求権の問題として存在が論議されておるわけでございまして、返還協定によりまして原則的には請求権を放棄いたしておるわけでございます。ただし、四条二項、さらに四条三項につきましては、これは復元補償の問題があります。これによりまして、米側が今後、請求権を原則的には放棄いたしておりますけれども、この問題については引き続き処理をするという、アメリカとしては一つの義務を負ったことになっておるわけでございますので、やはりまず第一義的には、アメリカが対米請求権をいかに処理するかということが今後の問題でございます。そこで、請求権に対する米側の措置というものが、私どもから見まして、それが必ずしも合理的でないという点がきわめて明白になりました場合には、それではこれを日本政府がどうするかということが今後の問題になってくるわけでございまして、それにつきましては、復帰後、十分実態を私どもとしては調査し把握した上で今後の処理については検討したい、こういうのが私どもの考え方でございます。
  89. 東中光雄

    ○東中委員 きわめて明白になればと言うが、いま現に明白になっているんじゃないですか。外国人賠償法では裁判を受ける権利が剥奪されているんです。日本の施政権があったらそんなことがないんだから、きわめて明白に現に法制度としてそうなっているじゃないですか。調査したじゃなしに、現に、調査も何も、制度自体がそうなっているのじゃないですか。これが明白でないとおっしゃるのですか。明白になっているのだから、それに対して救済の処置をとる制度をつくるという方向でやるということを言われるのだったら、総理の一般的な答弁と矛盾をしないわけですけれども、調査をして明白になったらと言うが、これは明白になっていないとおっしゃるのですか。これは施設庁長官でなしに防衛庁長官、そういう方向をやるのか、やらないのかということをお聞きしているのですから、政治的な判断ですから、言ってください。
  90. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 言われる意味はよくわかりまするので、十分これを復帰後検討する、こういうことでひとつ検討の時間を下さい。
  91. 東中光雄

    ○東中委員 これは復帰後検討という問題でなくて、私は、この見舞金という制度でやっていこうとされていることとの関連で、こういうものは当然いま入れておくべきものだというふうに考えておりますから、このことを法案審議で強調しているわけですけれども復帰後やると言われるのだったら、また続いて沖特その他で聞くことにしたいと思います。きょうは時間がございませんので……。  ただ、それとの関連で起こっておる被害でいままでいろいろ言われておりますが、その言われておる点については重複を避けますけれども、たとえばいままで言われていない問題では、こういう問題がありますね。  軍用道路をばっとつくった、そのことによって排水関係が全部くずれちゃった。それで、私、現場に行って見てきましたけれども、たとえば浦添市の宮城あるいは屋富祖、こういったところなんかは、天井近くまで何回か水につかっているわけです。第一号線軍用道路をつくられて排水がとまってしまった。これは日本なら、こんなむちゃなことをやるところはないわけですけれども、損害の請求に行ったら、水が流れてきたのは、基地でなくてほかのところから流れてきたのだ、こう言うそうです。それから、排水をとめたら責任はとらない、こういうことで済んでいるのですね。  あるいはこういう例もございます。読谷村ですけれども、上地野江子さんという四歳の女の子ですけれども、軍用道路がずっとつくられた。それで鉄砲水が、排水も何もないから道を川みたいになって流れてくる。家の外へ出て、道を流れる鉄砲水で流されて海まで持っていかれて、なくなっているのです。これは昭和二十八年ですけれども、こういう全く考え及ばぬような問題があります。  あるいは、高圧線が那覇市の安謝から宜野湾市の大山まで、私も行って見てきましたけれども、引かれています。これは非常に低いですね。これはアメリカ軍の施設になっているのですね。それは電力公社の施設で、下は基地になっている。だから非常に低いから感電して死んだ人がおります。最近の例では、七一年六月十一日に、十三歳の子供が三階から、何かよくわからぬで手を伸ばして感電して死んでいる。これは明らかに、日本の基準からいえば考えられないような低い高圧線をやっている。つまり施設の瑕疵ですね。これも自損行為ですといってほっぽり出されている。こういう問題もあるわけですね。  こういう問題を、私も何回か行って調査をいろいろ具体的にしましたけれども、調査をしてそういう問題について補償するというふうに言われているのですけれども、全然調査が進んでいないわけですね。われわれが行って個人的に調査してもわかることなんですから、早急に、広範にそういう問題を当たられるかどうかということです。
  92. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 わかりました。東中さんの具体的な例をお示しになっての御質問は、深刻だと思います。よく調査いたします。そうして、首相が総務長官とよく相談しながらという意味は、やはりそういう補償問題、苦情処理、そういったことを沖繩開発庁を窓口にして総理府もこの窓口をつとめていただく。補償自体については、本土との均衡上やはり施設庁が一番なれておりますので、やっていく、そういう体制で強化しておりますから、そういう問題はほんとうによく調査いたしましょう。そうして対処すべきものは具体的にやはり補償措置をとっていくことは、当然なことだと思います。
  93. 東中光雄

    ○東中委員 この請求権のそういう問題について総務長官の御見解をお聞きして、総務長官何か用事あるそうですから、退席をしてもらいます。
  94. 山中貞則

    山中国務大臣 沖繩の軍用道路が側溝も何もない、考えられない状態でつくられていることはおっしゃるとおりです。これはもう復帰しますと国道に大体編入しますから、側溝は当然つくりますし、歩道その他も整備していきますから、道路の溢水、鉄砲水なんということはちょっと考えられない。そういうことがいまあるということだと思います。しかし、それを調査して国が補償する対象になるかどうか、これはやはりよく聞いてみませんと、私の聞いた範囲では、その子供は腕を切断した。これも被害ですけれども、というようなことになっているし、いまのお話では死んだということにもなっていますしね。それからやはり、天久にある牧港住宅街といわれているところが、これはだだっ広く芝を植えていますから、そうすると、やはり降った水が道路のほうに流れ出していく。道路には側溝がないということで、また被害も起こっている。これは那覇市あたりから聞いております。こういうもろもろの、いびつな権力をもって軍支配みたいな形で、施政権のもとの各種の問題が、江崎長官が言われましたように、これからそれらの実態というものはよく調べなければわからない問題が一ぱいありますから、これは国の良心をもって、いわゆる祖国の良心というものに恥じないことはしなければならぬと私も考えておりますが、個々のケースについて、一々とこでどうだということを言うのは、ちょっと差し控えたいと思います。
  95. 東中光雄

    ○東中委員 請求権問題はこれで終わります。ただ、調査ということで延ばされてうやむやにならぬように、ひとつぜひしていただきたいということであります。  次は軍用地の契約関係ですが、もうあと一月に迫ってきているということになっているわけですが、仮契約なり契約なりは進んでいるのか、進んでいないのか、どの程度進んでいるのか、簡単に……。
  96. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 まだ今日の時点におきましては、遺憾ながら仮契約というところまでは行っていません。現在、各市町村の地主関係につきまして、第二回の説明会をこれから精力的にやろう、こういう段階でございます。そうして測量及びその関連経費等につきまして詳細な御説明をすることによりまして、今後、地主の方々の御了解が急速に得られるものと私は信じておるわけでございまして、手続的には十分間に合うように鋭意努力していきたい、かように考えておるわけでございます。
  97. 東中光雄

    ○東中委員 仮契約という方法じゃなくて、直接本契約に持っていくという方向を大体とられる、そういう方針に変わったのじゃないですか。
  98. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 もともと手続としましては、個人と国との契約ということでございますが、だんだん時期も差し迫ってまいりましたし、国側の事務処理上の都合から言いましても、また地主会の御要望の線からいきましても、やはりこれは、あるまとまった、要するに委任をした形において受任者がそのかわりになって契約をする、こういう形を地元自体も望んでおられますので、そういう地元の線に沿いながらできるだけ十分に処理してまいりたい、かように考えております。
  99. 東中光雄

    ○東中委員 それは非常に重要なことだと思うのですが、そうすると、個々に契約をするのではなくて、一括契約、行政単位ごとでそういう形でやっていこうということでございますか。
  100. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 賃貸借契約書そのものについては、もちろん個人個人と契約書を締結いたすわけでございますけれども、非常に多数の地主の方々に、一々こちらが面接をいたしまして、そこで契約書を締結するというのは、事務処理上非常に困難でもありますので、もちろん、個々人につきましては、賃貸借料なりあるいは使用の条件なりにつきましては十分御説明をした上で、その契約の取りまとめを一応受任者にしていただくというのが効率的に処理するゆえんではなかろうか、そういう方向でいま事務を進めているところでございます。
  101. 東中光雄

    ○東中委員 個々に説明するとおっしゃったけれども、それはいわゆる説明会で説明するということですね。
  102. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 そうでございます。私どもの説明が、市町村ごと、あるいは施設ごと、あるいは施設でもさらに部落ごとという説明をいたしておりますので、そこに地主の方々に御参集いただいておりますので、そういう趣旨なり、あるいは計算方法なり、あるいは契約書の内容なりということにつきまして十分御説明をいたしまして、御納得の上で最終的には個々人との契約、こういうことになるわけであります。
  103. 東中光雄

    ○東中委員 これは非常に重要なことを私はお聞きしたと思うのですが、いままで国が土地を借りるという契約をするときに、どこだって、事業ごとに、いわゆる基地ごとに、あるいは部落、市町村ごとに説明会を開きます。しかし、この説明会に一〇〇%来るなんということは、一〇〇%どころか過半数が来るということも、これはもう本土でやっている場合でもそうですけれども、まずないわけです、説明会だから。そうしてその程度の説明で、いまおっしゃったように、基準を説明するだけで、そしてあと一括してやってしまう。本土の建設省だって、本土の基地契約だって、そんな契約をされている例がありますか。今度初めてじゃないですか、そういうことをやるのは。
  104. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 本土でもそういう事例はあると思います。それら個々の地主の人たちは、自分の賃借料が幾らになるかということは当然御承知の上で委任されるなら委任されるわけでございますので、その辺は、個々人につきましても十分浸透した上で、その契約の手続の処理の方法についてそれを便宜取りまとめる、こういう方法でございますので、われわれは個人の御意向を無視したような形で契約書を締結するというような意図は毛頭ございません。十分その点は浸透するような形で処理してまいりたいと思います。
  105. 東中光雄

    ○東中委員 意思を無視するようなつもりはないと言うが、あたりまえのことなんです。契約をするのに、意思を無視したら契約にならぬじゃないですか。だから、無視したようなことをやらぬということはあたりまえなことであって、むしろそういうことを言わなければいかぬようなやり方でやられているということなんですよ。契約の相手方の意思を無視して契約なんかできないのはあたりまえじゃないですか。だから、一括の契約方式というのは、実情からいえば、これはもう多数で押し切られてしまうか、あるいは事情がわからなくて、わからぬままにやられてしまうということになるというのは、火を見るよりも明らかです。建設省関係の、あるいは国有鉄道の土地の、収用をかけるか、かけないかというようなことが問題になる場合でも、何べんも説明会をやります。代表といろいろ交渉もします。しかし、必ず一人一人について契約書をかわすのが当然なんで、そういうやり方というのは、私は絶対に許されぬと思うのですが、その点をはっきり申し上げておきたいことと、それからもう一つ、もうあと一カ月になるわけですけれども、例の土地暫定使用法の告示はいつやられる予定ですか。
  106. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 結論だけ申しますと、一応四月の末に告示をいたしたいということでいま諸準備を進めております。現実には図面の作成等の必要がございますが、一番大事な時期に全軍労の長期スト等もございまして、その辺に若干事務の手違いもございましたけれども、できるだけ早くということで私どもめどを置いているわけでございまして、四月中には何とかそれまで持っていきたい、かように考えております。
  107. 東中光雄

    ○東中委員 この告示は、防衛庁の沖繩国会における説明では、この告示によって裁判できるのだと言うが、法律論としては、告示の効力の問題でこれはだめだ、立法としてはこういうことは許されないということを私は主張してきたのですけれども、事実そうなんですが、しかし、一応官報で告示をされたら、まだ日本の施政権が及んでいないところに住んでいる沖繩県民が自分の権利を制限されることについて、われわれはその告示を知って、そして裁判を起こすとすれば、東京まで来て裁判を起こさなければいかぬ、こういう事態になるわけですね。裁判を起こすとすれば、その告示に対して事前チェックをしなければ、裁判としての意味がないわけですから。そうしたら、いま施設庁長官の言われているのによれば、わずか半月しか残らないわけですね。半月というか、十五日ということになれば二週間です。なるべくやりたいと言われているその限度でいって二週間なんです。それよりおくれたらもうもっと狭まってくる。実際問題として、その告示をされて、それからその告示に基づいて沖繩県で裁判の準備をして、裁判をまた東京まで出てきて——旅券ももらわねばいかぬでしょう。そうして出てきて裁判をやって執行停止をやるという、そういう法律上の保障された手続があるわけですね。その執行停止をやる期間は、こういう問題で裁判所が一週間や十日で出すという例はないですよ。裁判所の結論は、まあ審理の性格からいって、審理期間に満たないようになっちゃうのですから。告示がこんなにおくれたら、告示そのものも問題だけれども、いろいろな困難をおかして沖繩県民が裁判を受ける権利を行使しようと思っても、事実上できなくなってしまいます。四月末ではこれはどうにもならぬじゃないですか。しかし、そういう方針でやられるわけですか。
  108. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 告示の日は、できるだけ復帰前早い時期にやられることが望ましいことはもちろんでございますが、告示をいたしますにつきましては、これはその後のいろいろな、いま申されたような事情もございますので、できる限りこれは正確を期さなければいけません。図面の作成等につきましても、何ぶんにも非常に膨大な基地の数でもございますので、しかもその中で、御承知のとおりに、水道関係あるいは電力施設の関係等につきましては、これを分離いたさねばなりません。そういう作業も必要でございますし、道路につきましても、いわゆる一般政府道になる部分につきましては、これは提供施設外になりますので、その辺の仕分けをするというふうなことで、これはたいへん作業を、ほとんど徹夜を続けながら今日までしてまいったような次第でございますけれども、私どもとしましては、できるだけ早くということで今日まで督促をいたしてまいりました。したがいまして、一日も早くということで、私どもはこれを四月下旬をめどにしていま大車輪で作業させておるというところでございます。
  109. 東中光雄

    ○東中委員 いま施設庁長官の言われておるようなことは、この法律が法案として出たときからもう当然わかり切ったことじゃないですか。この二条二項各号、施設庁長官、厚生大臣、通産大臣、運輸大臣、海上保安庁長官、建設大臣、それぞれが別々にやるのだからそれを分けなければいけないというのは、こんなことわかり切ったことなんです。初めからわかり切ったことを、いまになって徹夜をしてやっておって、それでもおくれるのだ、だから裁判を受ける権利が事実上できなくなってもしんぼうせい、こんな態度はありませんよ。初めから徹夜してやるようなことを計画しておったのですか。
  110. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 もちろん、この法律が制定されました以降、これは関係官庁並びに米軍との間にたいへんな作業をやってまいったわけでございます。決してその間にテンポをゆるめたということはございません。関係者たいへん苦労しながら、この仕分けをやり、また境界線の確定をする。それにつきましては、実は沖繩の琉政で持っておりましたところの国土基本図にこの境界線を起こすという作業でございますが、その国土基本図そのものが若干製作がおくれたという事情もございまして、そういういろいろな原因から少しずつ延び延びになっておるということで、遺憾でございますけれども、一日でも早く告示がされますように、私どもとしても鋭意いま作業を進めておるというわけでございます。
  111. 東中光雄

    ○東中委員 これはまあ通過した法律ですけれども、この法律制定のときに、私は沖繩国会で、告示はいつされるのかということをずいぶんこまかく聞きました。そして裁判を受ける権利が奪われるんじゃないかと言った。そのとおりになっているじゃないですか。政府側の言っておられるとおりに、裁判を受ける権利が実際はずいぶん制限され、憲法三十二条違反の問題が起こる。制限されているという点では、起こるんだということを申し上げた。しかし、その制限された状態で、しかも、まだこの規定が一応憲法上有効だというふうに、政府当局の言われるように解釈してみて、そのとおりやろうと思っても、今度はやれない事態に実務上いまなってきておる。四月の末に告示されて、どうして五月十五日までに事前にチェックして裁判を受けることができるか。事実上いまそうやって沖繩県民の権利は侵害されている。少なくとも、もっと早く出しなさい、それこそ、人員をどのくらい出したって——権利侵害、憲法違反の問題が起こっている。さらに、実際上憲法違反を犯していくような、それを極端に進めていくような体制というのは、もともとよくないというふうに思うのですが、いいんですか。   〔委員長退席、坂村委員長代理着席〕
  112. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 確かにお説ごもっともでございますけれども、私どもといたしましては、一日も早く告示の手続を進めたいということで今後とも鋭意努力するつもりでございます。
  113. 東中光雄

    ○東中委員 最後にだめ押ししておきたいのですが、告示は鋭意努力すると言われたわけですけれども、ことばだけではどうにもならないので、いつまでにやれますか。
  114. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 これは告示に必要な資料をまず十分整えなければなりませんし……。
  115. 東中光雄

    ○東中委員 いつまでという期間だけ言ってくださいよ、時間の関係がありますから。
  116. 島田豊

    ○島田(豊)政府委員 一応いまのところ四月二十八日をめどにしてやっておりますが、それ以前でも、もし作業を終わりますならばできるだけ早い機会に告示をしたい、かように考えております。
  117. 東中光雄

    ○東中委員 四月二十八日をめどに、県民も権利を主張するための準備をせにゃいかぬわけですから、その期間をひとつ必ず守る、もっと早めろということを要請しておきたいと思います。  次に、沖繩への自衛隊の配備の問題でありますが、十三日の日に江崎長官が佐藤総理と会われて、このことについての基本的な話し合いをされた、その内容を明らかにしていただきたい。
  118. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 国防会議の幹事会を経ました防衛庁の原案を私、説明に参ったわけです。そうしましたところ、佐藤首相は一応私の説明を聞いたあと、とにかく沖繩県民には旧軍に対する非常な疑惑が残っている、これが新しい時代の自衛隊というものとは全然性格的にも関係はないが、そうかといってやはり自衛隊に対して何となく旧軍のイメージを持って当たる、これは県民感情としてやむを得ぬではないか。したがって、防衛庁長官としても慎重の上に慎重の配慮をしておることであろうが、なおひとつ県民感情を踏まえてこの配備には慎重を期してもらえまいか。それは、沖繩の局地防衛に当たるために当然自衛隊が配備につく、これもきわめて重要な問題であるが、同時に、二十七年間にわたる長い空白を飛び越えていま日本本土復帰をする沖繩県民の感情というものを十分配慮をすることも、これは当然政治として大事なことだ、だから政治配慮という面から十分検討してもらいたい、こういう話があったわけであります。
  119. 東中光雄

    ○東中委員 久保・カーチス協定の変更もあり得るということを総理も言われたし、江崎防衛庁長官も言われてきたわけですけれども、その話では、江崎・佐藤会談では久保・カーチスの線は変更しないということが話されたんじゃないですか。   〔坂村委員長代理退席、委員長着席〕
  120. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 久保・カーチス取りきめにつきましては、半年以内に三千二百名程度の陸海空の自衛隊を配備する、こうはっきり明示されておるわけでありまするが、それについて、この人員についてはどの程度の検討ができるものであろうか、またその配備の期間等についてスローダウンすることはできるであろうか、そんな話し合いをしたわけであります。取りきめそのものを変更するとかしないとかいう、そういう話し合いをしたことはございません。もちろん久保・カーチス取りきめは、昨年の六月、首相が関係閣僚を招致され、防衛庁長官が詳細の説明をした上に取りきめがこの久保防衛局長の手によって行なわれたものでありまするから、基本方針においてこれをにわかに変えるということは、同じ内閣でありまするからあり得ないことです。しかし、その配備の人員についてどう具体的にきめるか、これについては、目下多少三千二百名より減員という形で作業をいたしております。それから半年以内にという、この問題につきましても、事実上は二カ月近く延びるというような視点に立って検討をいたしておるというのが現況であります。
  121. 東中光雄

    ○東中委員 久保・カーチス協定は、日米安保協議委員会で、一九七一年六月二十九日、日本並びにアメリカ側の代表が承認をした内容のものだということでありますが、日本の代表はだれで、アメリカの代表はだれだったんですか。
  122. 久保卓也

    ○久保政府委員 取りきめにつきましては、安保協議委員会で内容について報告し了承はされましたが、調印そのものは、委員会で調印されたという形ではございません。委員会の場所ではございますが……。  それから、日本側の代表という場合に、正式に日本政府の代表という意味ではございませんで、防衛庁の代表、防衛担当者の代表と米側は国防省の代表ということで、防衛局長久保卓也と在日アメリカ合衆国大使館首席軍事代表であるウォルター・L・カーチス・ジュニアでございます。
  123. 東中光雄

    ○東中委員 そんなことを聞いているのじゃないですよ。安保協議委員会において両国の防衛担当者、日本は久保さん、向こうはカーチスさんが取りきめた、その取りきめを承認したわけでしょう。その承認をした安保協議委員会における日本の代表はだれだったかを聞いているのですよ。
  124. 久保卓也

    ○久保政府委員 ちょっと正確に申し上げますと、久保・カーチス取りきめを結ぶことと、それからその内容について了承されました。取りきめそのものをそこで了承されたわけではありません。なお、安保協議委員会日本側の代表者は、当然中曽根防衛庁長官と愛知外務大臣でありました。
  125. 東中光雄

    ○東中委員 ですから、外務大臣と防衛庁長官が出、向こうは大使と在日米軍司令官ですか。かわる場合もある。太平洋軍司令官の場合もあるけれども、どっちにしても安保協議委員会には両国の代表が出ていて、そして両国の代表がその責任においてこれを承認したということではないのですか。いま問題になっているいわゆる機密文書、外務省機密文書といわれているこの間解除になった文書によれば、アメリカ側は、「両政府間の確認を必要とする」、はっきりそういうふうに主張したと書いてある。そのやり方について日本側が、「双方の防衛関係最高首脳間で合意する方法はどうか」というふうに尋ねたのについて、協議委員会できめるという方法をとらうじゃないかということを提案した。そしてこの久保・カ−チス協定自体の中にも、日米安保協議委員会の会合において承認されたのでこの協定を結んだんだ、こうなっているわけですから、いま言われたとおり、形式は防衛局長とアメリカの沖繩交渉団首席軍事代表との間の、久保・カーチス間の協定という形になっているけれども、その内容は安保協議委員会において両国政府が承認をした。両国政府の代表、外務大臣と防衛庁長官が出ているのですから、それが承認をした、そういうことではないのですか。
  126. 久保卓也

    ○久保政府委員 この取りきめそのものを承認するという形式は踏んでおりません。この取りきめの内容について防衛庁長官からも説明され、さらにそういった内容を両国の代表、つまり防衛担当の代表の間で調印することについて承認を得たというのが正確であります。
  127. 東中光雄

    ○東中委員 そういう形式をとっているのですが、実際はこの文書に書いてあるように、両国政府間の正式の合意にしてもらわなければ困る、アメリカ側はそう言っているじゃないですか。だから、実質的には両国政府間の合意であって、形式的にはそういう形をとっているということではないのですか。現にいま江崎さんのほうから、佐藤総理が、関係者を呼んで十分討議をして、そしてきめたことだから、こういうふうにおっしゃったのですが、そうじゃないのですか。
  128. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 取りきめをした当事者である久保君から答弁がありましたから、このことはもう繰り返しません。そのとおりだと思います。  そこで、秘密電報というものは、他の秘密文書についても言われておりましたように、一つの経過でありまして、取りきめでいこうという日本の主張が結論的には通ったわけですから、自主外交といえ、なかなかよくやったものだというふうに、これはすらっと御理解を願いたいものだと思います。したがいまして、これはもともと他国の軍隊がおるところへ異質の日本の自衛隊が入っていくわけですから、無秩序、無計画に入れるものではありません。したがって、久保君がその取りきめの衝に当たった。取りきめをすることは、安保協議委員会において認められた事項であります。取りきめそのものを認めたわけではありません。答弁はきわめて明快なように思います。  したがいまして、それじゃこれをどう変えるのか。多少変更はあるわけです。当然変更する際には、幾らアレンジメントであるからといって、黙って変更するわけにはまいりませんから、米軍側にこちら側から話し合いは持ちかける。アメリカ側においても、いま防衛庁が計画しておる程度のものであるならば当然了承が与えられるであろう、いわゆるスローダウンの計画については了承されるであろうという見通しに立って明日にも国防会議にかけたい、こう思っております。
  129. 東中光雄

    ○東中委員 この久保・カーチス協定で結ばれた、たとえば六カ月以内に約三千二百名。約としておりますけれども、これは先ほど言われたように、総理も入って政府のほうで了承して、そして形式を、いま言われたような久保・カーチスというような形でやるということになったわけですね。確認してください。
  130. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 そうです。
  131. 東中光雄

    ○東中委員 そうすると、これは政府の方針ですね。総理も入った……。
  132. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 さようであります。
  133. 東中光雄

    ○東中委員 これは閣議でも了承されているわけですか。
  134. 久保卓也

    ○久保政府委員 閣議では六月二十二日と六月二十九日に報告をされております。
  135. 東中光雄

    ○東中委員 報告をしたというのはどういうことなんですか。それで、報告して了承したということになるのでしょう。
  136. 久保卓也

    ○久保政府委員 閣議には、御承知のように閣議決定事項、閣議了解事項、それから閣議の報告事項、あと通常の発言というのがあろうと思いますが、報告をしてもし異議があれば、そこでまた御破算になるのかもしれませんが、そこで格別異議がなければ、通常にいう了承ということかもしれないと思います。
  137. 東中光雄

    ○東中委員 これはこの前も予算の分科会でお聞きしたのですが、久保防衛局長は、参議院の審議では、これは手続的なこと、技術的なことである、事実を確認するといった事務的な取りきめである、だから「格別閣議に御報告するような案件ではないというふうに考えております」、こういう答弁をしていますね。この時点では、久保・カーチス協定というのはたいしたことないんだ、たいしたことないんだ、問題にせぬでおいてくれということを非常に強調されておったときです。しかしこれは、江崎防衛庁長官もおられるし、そして総理大臣もおられるところで、格別閣議に御報告するような案件ではない。これは事柄の性質を言っておられるのですから、日を間違えたとかいう問題と違うんです。この答弁は一体どういうことなんですか。
  138. 久保卓也

    ○久保政府委員 この際、釈明をしておきたいと思うのですけれども、この前も東中先生からお尋ねをいただきました。これはあとで速記録を見てみますると、質問が、この部隊配備について何らかの政府としての意思決定がなされたと思うけれどもこれは閣議決定があったんですか、閣議の決定かという御質問でありますから、答弁としては、当然、閣議決定はございませんでしたと言うべきであったろうと思う。あるいは少なくとも閣議了解を得ておりませんと言うべきであったろうと思いますが、ついうっかり閣議報告をするような案件ではないと申したのは、これは私の間違いであります。閣議決定をするような案件ではないと言うべきであったと思います。
  139. 東中光雄

    ○東中委員 それは言い方の問題じゃないですよ。あなたここでは、閣議決定するものじゃないという趣旨でそう言ったんだというふうな言い方をいまされましたけれども、この答弁はそうじゃないでしょう。「この取りきめの内容自身につきましては、外務、大蔵、官房長官、御三人の大臣の方々には御報告してあります」、しかし案件は、「事務的に進めておることでありまして、格別閣議に御報告するような案件ではない」。現に閣議まで開いて了承を得てやっていることを、「報告するような案件ではない」、報告したのは関係の大臣にちょこちょこと報告しただけなんだ、こういうように言っているじゃないですか。
  140. 久保卓也

    ○久保政府委員 関係大臣にちょこちょこと報告したのではありませんで、四人の大臣方が集まられて、そこで防衛庁長官から説明されて了解を得たその結果を、それぞれ、六月二十二日、あるいは安保協議委員会もある関係上六月二十九日に報告されている。そこで閣議に報告されたということは当時の新聞にも出ておりました。ですから、報告案件ではないと言うべきじゃなかったわけでありまして、閣議決定事項ではないというふうに言うべきであったろうと思います。これはつい私が間違って言ったのかとも思います。
  141. 東中光雄

    ○東中委員 私はこれは間違いで済まぬ問題と思っている。この段階では事務的、技術的、たいしたものじゃないんだということを強調する。一貫してその論理が進んでおった。実際には秘密文書が出てくると、これは江崎長官言われるように、基本方針ということになっているわけです。閣議了承でやったことを、内閣総理大臣の諮問機関である国防会議で変更なんかできやせぬじゃないですか。
  142. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 いま久保局長の言っておることが私、正確だと思うのです。やはりさっき申し上げるように、他国の軍隊のいるところに新しい性格の違う自衛隊が入っていくわけですから、これは無秩序、無計画には行けませんね。そこでこういう取りきめをした。したがって閣議の報告事項です。報告事項、したがって閣議で決定をしたりするほどのものではありませんと、これはもう首尾一貫しているわけですね。ただ、ことばの言い回しを間違えた。これは率直に認めておるとおりであります。したがって、多少そこに時期的なズレがあったり、人員幅に上下があったりということは、これはできますということを首尾一貫して私ども申し上げておるわけでありまして、これはひとつ御了承願いたいと思います。
  143. 東中光雄

    ○東中委員 時間がありませんから簡潔に答えていただきたいのですが、久保・カーチス協定の内容を国防会議で変更するような——久保・カーチス協定のワクの中で防衛庁が前に考えておったことよりもスローダウンするとかせぬとか、そのことを先ほど長官が言われているので、私はそのことを聞いているのじゃなくて、久保・カーチス協定の内容自体を、久保・カーチス協定をそのままにしておいて、国防会議でそれに違ったことをきめることができるのかできないのか、この点をお聞きしたいのです。
  144. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 これは当然できると思います。国防会議がすべてに優先いたします。
  145. 東中光雄

    ○東中委員 そうすると、この協定は、この間久保さんはカーチス中将をたずねて行っておられますね。そして了解事項をつくられたんじゃないですか。どうですか。
  146. 久保卓也

    ○久保政府委員 米側は日本の新聞を絶えず見ておりまして、やはり米側としても受け入れ体制の関係がありますので、事の経緯をたいへん心配しております。そういった関係上、いまの進行過程、どういうふうに計画を進めつつあるかということを説明したわけでありますが、その際に、個個の取りきめの中では、部隊配備約三千二百名の配備が約六カ月後というふうになっておりますが、六カ月後ではとてもできそうにない、大体年末までかかりそうだ、またそういうのが政府の内部の意向であるということを申し入れをいたしまして、その点はまあけっこうでしょうということであったわけであります。
  147. 東中光雄

    ○東中委員 それは、復帰の日というのはもともとは七月一日を想定してこういう協定をつくったから、だから準備の都合があって復帰の日を七月一日とお互いに了解するということで書面を交換するということになっておるのと違うのですか。
  148. 久保卓也

    ○久保政府委員 いま別に書面の交換を予定はいたしておりませんが、この取りきめを結ぶ作業をやっておりましたところは復帰日がきまっておりません。ですから、一応七月一日でもよい、あるいはそれより以前でもよろしい。しかし少なくとも早くなった場合に約六カ月後というのはたいへんわがほうでむずかしい場合がある。そこで受け入れの関係もありましょうから、早くなった時点と、それからおそくなった時点といえば七月一日でありますが、その時点の間で弾力的に考えていきましょうという当初の話があったことは確かであります。
  149. 東中光雄

    ○東中委員 時間がありません。結論的に申し上げますけれども防衛庁長官は、久保・カーチス協定の内容を変更するような沖繩配備の体制を国防会議にかけていく方向というのではなくて、久保・カーチス協定のワクの中で部分的にいろいろ発表されておった防衛庁の構想をスローダウンするという、そういうことだというふうにお聞きしてよろしいですね、最終的に。
  150. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 人員については多少減員いたします。時期的にはいま申し上げたとおりです。
  151. 東中光雄

    ○東中委員 人員というのは、最初の人員とかいうのじゃなしに、久保・カーチス協定の中にある約三千二百人というその人員を減少するのですか。
  152. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 そうです。
  153. 東中光雄

    ○東中委員 どのくらい減少されるのですか。
  154. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 三百名程度減員したいと考えております。
  155. 東中光雄

    ○東中委員 そうすると、七月一日から半年以内に配置する人員を約三千二百人とあったのを二千九百人くらいに減員する、そういう方向だ、こういうことでございますね。
  156. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 そうでございます。
  157. 東中光雄

    ○東中委員 私は、沖繩県民が、これはもう繰り返しませんけれども、自衛隊の配備には非常に反対をしておる。そういう状態でその程度の減員というのはあまり意味を持たないというふうに思うわけです。そういう点で私は配備には反対なんですが、しかし、久保・カーチス協定自体はそのままにしておいて減員をするのだ、二千九百人ぐらいに減員をするのだということだけ確認して質問を終わりたいと思います。
  158. 江崎真澄

    ○江崎国務大臣 御指摘のとおりでございます。
  159. 東中光雄

    ○東中委員 じゃ終わります。
  160. 伊能繁次郎

    ○伊能委員長 次回は、来たる十八日火曜日、午前十時理事会、十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。    午後零時五十七分散会