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山中国務大臣 通貨問題は、本来
大蔵省の
専管事項であり、それをまた決定する
権限も
大蔵省にあるのでありますが、しかし、
国際通貨調整の中における円の
変動相場制並びに
切り上げというものに伴って、
沖繩県民のみが受けておる、私がきのう申し上げました、
本土の
人たちには想像もできない
復帰直前の苦難というものは、一義的に私が閣僚としては
沖繩県民の
立場に立って行動しなければならない責務があると考えます。したがって、
サンクレメンテ会談においても、その旨直接総理にもお願いをし、また外務、
大蔵それぞれ、
アメリカに対して
沖繩の
現地の要望が聞き入れられるような
措置について、
外交折衝の糸口を切ってもらいました。
その後の経過は、あるいは
大蔵あたりにお聞きいただいてもいいと思いますが、私の
立場で言える
範囲のことを申し上げますと、
前田審議官をワシントンに派遣をして、そして具体的な
折衝に入ったわけであります。その結果、
米側としても、いままでとっておりました、
施政権のもとにおける
通貨というものは、これは表裏一体のものであるというような
意味の言い方をやめてきております。したがって、具体的な
手段はどういうふうにやるのか、あるいはそのための
メリットは何があるのかという問題に、具体的な
検討に入ってまいりましたから、その
意味においては、
情勢の変化が大いにあると受け取ってよろしいかと思います。
この問題については、いわゆる
日米双方に問題のつかみ方の違いがあります。
アメリカ側としては、どうせ
復帰の
時点において
交換する
通貨というものを、
直前という時期にも差しかかりましたから、そういう一、二カ月の間に円を通用せしめることによって何の
メリットがあるんだ。あるいはまた、それによって当然、われわれの
施政権下における
権限としての
布令の改正を行なうための
了解を
事前に求めてきたわけであるから、
アメリカ人の所有する
ドルも当然
交換の対象に今回はすべきであって、先般の抜き打ち的な
ドル・
チェックのようなことはできない。あるいはまた
アメリカは、御
承知のように非常に
ドルが流出して困っておりますけれども、反面、
日本のようなきびしい
為替管理法をとっておりませんので、
アメリカの
法律の中の一環としての
布令第一四号にかわる新しい、そういう局地的な
ドルに対する
通貨の、
日本の
本土と全く同じきびしい条件の
為替管理法を
アメリカの
責任において設定させられるということについて相当な見解の開きがありますし、かりに
琉球政府が
本土の
法律と同じ
為替管理法を採用したとしても、それに対して
米側は拘束されない、少なくとも
施政権のあるうちは
自分たちは拘束されないんだという、そういう考え方が具体的にあるわけであります。
一方、今度はわれわれのほうの側の
立場としては、十月九日の
ドル・
チェックをいたしました。その
予算計上額は二百六十億でありますけれども、
実勢レートで
差額を払います場合は、おそらくこれよりかさらにふえて三百億に近くなると思いますが、そういうものを一方においては
準備をいたしております。それは現在
沖繩に通用しておる
ドルとほぼ同じ
円換算の金が
現地に渡るという感じの
金額に匹敵するわけでありますが、これを理論上も実際上も、やはり新しく三百六十円でかえるとするならば、すなわち、
沖繩側の
希望、全般的な
人たちの
希望である三百六十円でかえるということであれば、その十月九日の
ドル・
チェックというものを
御破算にしなければならない。しかし、これはまあ
政府部内の話でありますが、三百六十円という
レートは
切り上げの日以後において存在をしていないのであるから、それを
根拠にやることについての可否の論争が根本的にあります。かりにそれを、
沖繩の
人たちには何ら
関係のないことでやられたのであるから、これを三百六十円とみなしてやろうといった場合にでも、そこにやはりあらためて十月九日の
チェックを
御破算にしない限りは成り立たないという問題があります。
しかし政治的には、十月九日の
チェック後に、いわゆる
自分たちの
権利として、
手持ちの
通貨並びに
通貨性資産を
確認してもらっておる
人たちについて、その
通貨をその
金額だけ
——あるいはそれ以上持っておる人は問題ないでありましょうが、それは換物あるいはその他の
方法によって別な
流通の
形態に変わって、
手持ちの
形態はおそらく大きく変わっているであろう。それについては、
琉球政府も
御破算にするということは政治的にできないということで、いわゆる
通貨、
金融上の理論的な問題と
現実の処理における政治的な問題とが大きな問題として依然未
解決のままに残っております。
しかし、しからば三百八円で
交換するとなれば、
沖繩の
人たちの
希望は、いわゆる三百六十円という、理論的には現在は問題がちょっと違うわけでありますけれども、そういう素朴な当然の御
要求に対して沿えないことになる。ましてや現在は、
ドルの下限に近い、円の上限に近い三百一円台に落ち込んでおる。その
ドルの
価値というものから考えますと、その
実勢相場でかえるということになりますれば、いよいよ三百八円というものもこれは存在しないということになるわけでありますから、そこらの実際上微妙な問題としての
検討を私
たちとしてもしなければなりませんし、また、それをかりに三百八円で
沖繩の
方々も
了解を願うということでやったにしても、
実勢相場と
円高の趨勢が続く限りは、その間において
為替管理法が
適用されない
地域であれば、
金額は一
ドルについてわずか七、八円の差でありましても、これを制限する
手段がなければ、相当大量のものを
交換するとなれば、それは利ざやというものが
投機的な
価値を生むだけの
金額に達することは可能なわけでありますから、それらの
問題点を
虚心たんかいに
日米双方で詰めると同時に、
琉球政府側とも具体的な問題として詰めておりますけれども、今日の
時点において、三百六十円を
復帰前に
交換が、再度、
ドルチェックの十月九日の
措置もそのままにしておいて、いわば大
部分は二重になることを
承知の上でやれるかといえば、その点は私もきわめて困難であろうと思いますし、
琉球政府としても、その
措置については
現実的にも理論的にも困難であることは一応認めてもらっておる次第であります。