○富田(朝)
政府委員 ただいま
委員長からお話のございましたロッド空港におきまするゲリラ殺人事件の概要について、ただいままで私
どもが掌握しております
状況を申し上げます。
去る五月三十日午後十時三十分ごろ、現地時間でございますが、イスラエル国首都テルアビブのロッド国際空港内で発生したゲリラ殺人事件は、自動小銃や手りゅう弾を使って一般の人百人近くを無差別に殺傷したことと、逮捕一人、死亡二人の犯人三人がいずれも日
本人であったことで、きわめてショッキングな事件であったわけでございます。事案が国外犯で、しかも大量虐殺という国際的な重大な事件でありましただけに、
警察庁といたしましても、事件解明のために徹底的な捜査を行なうことに即日着手をいたしたわけでありますが、そのためには、イスラエル
当局との緊密な連絡をとるほか、国内におきまする関連人物あるいは背後
関係の捜査を全国的に行なうことにいたしたわけでございます。そのためにも、外務省、ICPO、国際刑事
警察機構を通じまして、事件の概要と捜査資料の入手をはかってまいったのでありますが、さらには、政府の特使に同行いたしました
警察庁の佃外事
課長が、現地の
警察その他政府諸機関と良好な
関係をつくるために
努力をして今日に至っております。その結果入手いたしました情報や資料に検討を加えまして、
関係都府県に指示をして必要な捜査を進めましたところが、イスラエルからの連絡と国内の捜査によりまして、逮捕されておる被疑者が鹿児島大学生の岡本公三であることを割り出した次第でございます。さらに、岡本の自供とその裏打ち捜査で、死亡被疑者二人は、元京大生の奥平剛士と京大生の安田安之であることが判明いたした次第であります。
目下さらにイスラエル
警察等との相互連絡を緊密にとりつつ事案の真相究明につとめておるところでございますが、これまで判明をいたしました事案の概況と捜査の進展
状況について詳細に申し述べたいと思います。なお、国内におきまするこの種事案の発生を防止するため、即日空港
関係、公館等の警戒等、所要の
措置をあわせてとっておるところでございます。
事案の概要でございますが、外務省に入ります公電、公信あるいはICPOルートから伝えられます資料及び国内捜査で把握されておる現在までの
状況でございますが、事件の発生は、
先ほど申し上げましたように、現地時間の五月三十日午後十時三十分ごろ、日本時間にいたしますと五月三十一日の午前五時三十分ごろになるわけでございますが、パリのオルリー空港発ローマ経由のエールフランス機一三二便がイスラエルの首都テルアビブにありますロッド国際空港に到着をしました際、同機からおりてまいりました日
本人三人が、空港ロビーで手荷物よりチェコ製カラチニコフ自動小銃三丁を取り出し、付近にいた人に向かって乱射するとともに、手榴弾数発を投てきをいたしたのでございます。その結果、なくなられた方二十四名、負傷者七十六人という多数の人が一瞬に死亡あるいは重軽傷を負われ、被疑者のうち二人は死亡し、一人は現場で逮捕されたわけであります。
被疑者
関係の特定の経緯でございますが、イスラエル
当局が被疑者らが所持をしておりました旅券を
調査いたしましたところ、「A、ナンバダイスケ」これは逮捕をした人物であります。「一九四九年四月二十八日生まれ、旅券番号E〇四一三五八」、「B、トリオケン、一九四九年三月三十日生まれ、旅券番号E〇三八〇八五」、「C、スギザキジロウ、一九四九年二月二十六日生まれ、旅券番号E〇三八六二五」、そういうものを現地
警察、政府機関が現場から押収したわけでありますが、精密検査の結果、表紙の裏の印刷を含めてきわめて不鮮明であります上、紫外線
調査でも、紙質が日本の政府が発行しておる旅券と異なり、いずれも偽造であるということが判明したわけであります。なお、この旅券番号に当たる旅券を国内におきまして
調査をいたしましたところ、それぞれ当該の方々はおられ、また、その旅券を持っておるということでありまして、この、いま申し上げたことが、双方の
調査から偽造であることが明瞭になったわけであります。
イスラエル
当局が旅券にいうナンバダイスケを取り調べましたところ、
本人はナンバダイスケであるとしばらくは言い張り、また、途中では北村良介と名乗ったわけでありますが、その後、本籍熊本市楠四丁目十四ノ二の岡本公三、
昭和二十二年十二月七日生まれ、二十四歳と自供があったわけでありまして、さっそく、そういう連絡を受けるとともに、ICPOルートを通じまして被疑者の写真を入手いたしまして、いろいろ国内における当該人物の面割りあるいは供述
内容の裏打ち捜査を行なった結果、六月一日に、岡本公三
本人であることを国内捜査の結果確認をいたしたわけであります。
死亡被疑者についてでございますが、イスラエル
当局からの連絡によりますると、死体の
状況は、一人は手榴弾で乳の
部分から上半身がなく、左右の手首も取れている。身長百六十五センチくらいで、東洋人風。一人は額の
部分と後頭部がなく、左の目はぐちゃぐちゃになっており、右下腹部に盲腸の手術痕がある。右下奥歯第七歯、第八歯の内側に虫歯治療のためのアマルガムが付着している。身長百六十七センチ、やせぎす、全体として東洋人風。こういう死亡被疑者に関するデータの連絡があったわけであります。そこで、写真面割り、指紋対照、その他必要な
関係者と思われる者からの事情聴取を精力的に行ないました結果、そういう過程で、岡本自身からの、イスラエル国の官憲に対しましての、奥平と安田であるというような自供もございました。それのいわゆる裏打ち確認を鋭意行なったわけでありますが、その結果、この一人は、元京大生の奥平剛士と確認されるとともに、他の一人も、京大生安田安之であることはほぼ間違いないと思われるので、所持品その他につきまして最終的な確認を急いでおる一次第でございます。安田安之の確認について、いまそのように申し上げたのでありますが、
先ほど御報告申し上げましたとおり、上半身がないということと、また、両手がないために指紋がとれないということ等、非常にむずかしい問題があったわけでありますが、写真の、家族並びにこちらから打ち返しました写真の岡本の確認、さらに特徴のある所持一等の一致等から、ほぼ間違いないと
考えております。
それから、岡本公三の渡航
状況でございますが、これは、現地イスラエル政府機関等の取り調べ
状況の連絡によって一応の事情を把握し、また、国内の裏打ち捜査を総合して申し上げるわけでありますが、四十四年十一月当時は、岡本公三は、学生ベ平連の活動をやっていて、周辺の者等の事情聴取からいたしますと、赤軍派には批判的であった。ところが、
昭和四十五年三月、兄岡本武がハイジャック事件を敢行した
あとは、赤軍派をその意味で弁護するようになったというふうに周辺の者等は言っておる者がございます。四十六年十一月に、鹿児島で、赤軍派の宣伝映画「赤軍−PFLP・世界戦争宣言」が上映されました際、会場設営準備に当たるなどの行動が見られましたが、その一連の時期を通じまして、赤軍派らしい活動は認められなかったのでございます。岡本は、ヨーロッパ渡航を思い立ったのは、その十月中旬以前と見られます。しかし、それが今回のようなことを意図したものかどうかは、思い立った時点においては不明確でありますが、また、一方、伝えられておりまするようなPFLP幹部と自称するルベシ・ガーネンの働きによるとの推測も、岡本等の供述等を総合して判断しますと、にわかには信じがたい
状況がございます。ルベシ・ガーネンの、これはイエメン人という形で日本に入国をいたしておりますが、入国の目的は観光ということで入国をいたしておりますが、そのルベシ・ガーネンの在日した
期間は、四十六年の十月二十二日から十一月二十八日の間であります。
本人岡本の渡航申請は四十六年十二月九日、鹿児島県庁に行ないまして、十二月十三日には旅券が発給されております。羽田を出発したのは二月二十九日でありますが、二月二十七日に特急「なは」で鹿児島を立ち、途中京都で友人の北村良介と会い、同人方に一泊をし、翌二十八日上京して、都内で一泊をして、翌二十九日ローマまでの航空券を買い求めまして、同日の十九町二十五分羽田発のカナダ航空で単身出発したものであります。
それから、安田安之、奥平剛士につきましては、家族に対する事情聴取、その他現地からの通報その他を取りまとめた結果は、いまのところ、岡本とのつながりというような具体的なことはまだ現地からそういう連絡はございませんが、一部現地からの
部分的な情報に基づきますと、岡本並びにこれら三人は相互の間に面識がなかった、あそこで出会うまで面識がなかったというようなことを申し述べておるようであります。
なお、第四の男というふうに現地で言っております丸岡修という者につきましても、丸岡修が現地にいたということの岡本の供述はございますが、これまた、全く初めて現地において出会ったものであるというような連絡が現地機関から入っておるわけであります。
ただいま申し上げました丸岡修でございますが、これは、昨日になりまして、岡本公三の供述を現地機関が伝えてまいり、また、そうした
部分的な情報等がありましたので、当方で入手をいたしました丸岡修の写真をICPOを通じて現地機関に送付をして、それを岡本に現地機関の者が示して面割りをした結果、ともにおった者が、この写真の丸岡に間違いないと、かような供述をしておるという連絡がございました。なお、岡本の供述によりますと、丸岡は五月の上句にベイルートにやってまいりまして、岡本、安田、奥平とともにゲリラ訓練を受け、岡本らがベイルートを立った本年の五月二十日ごろにはまだ残留しておったということであります。
入国管理局等に、出入国の徹底した
調査をお願いした結果、丸岡修名儀のものは、本年の四月十三日にアリタリア航空で羽田から出国をいたしておりますが、帰国したという入国の確認は、入管の入国カード等からは、現在の時点までまだ発見ができない。したがって、帰国の確認ができないわけでございます。しかしながら、偽名と申しますか、偽造旅券で入国したということも、これは入国機関の窓口を通るという意味において非常にレアなケースとは思いますが、そういう点も
考えられますので、さらに厳重に
調査を進めておるところであります。
御参考までに奥平、安田の出国時期を申し上げますと、奥平は、
昭和四十六年二月二十六日に羽田を出国をいたしております。安田は、昨年の九月三十日に羽田を出国をいたしております。岡本は、ただいま申し上げましたように、本年の二月二十九日に羽田を出国、丸岡は、本年の四月十三日に羽田を出国。こういう
状況でございます。
なお、さらに、国内的な必要な諸警戒を強めますとともに、この事案の真相究明のために、さらに
関係方面の
調査あるいは必要なる捜査を全国的にいま続けておるところでありしまして、その一部として、逮捕被疑者岡本公三等との
関係場所につきましては、令状を得て捜索をいたすなどいたしまして、資料の
整備につとめ、その検討結果をさらに捜査の上に反映をさして、この種事案の真相を明らかにしたい。かような
努力中でございますので、御報告をいたします。