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門司委員 労働省としては、そこだけおれのほうはやればいいんだ、それ以上のことはもうわからないのだ、要するに
労務の
提供だから、その
労務が公法上の権利を持っているのか、あるいは公益上の権利を持っているのかということは別の問題だ、どこまでも個人のそうした要求に基づいてやった
労務の
提供なんだから、われ関せずだと言えばあるいは言えるかもしれない。しかし、よって来たる原因はここにあるのですね。どこまでも営利という
ことばを使えば、
会社を経営する場合は営利ですね。あるいは、
自分だけを守る場合も公法上の利益じゃないわけですね。どこまでいっても、
警察業務というのは、公法上の権利あるいは公益上の権利というか、秩序を守るという
一つの大きな立場に立っておる。これと非常によく似た行為をする立場にある。したがって、
労務の
提供だから、おれのところはそこだけでいいんだ、よって来たる業種のほうはそれはほかのところでやってもらいたいといういまのような御
答弁だとするならば、ここに法務省のだれかもう一人、これらの問題を担当している係官でも来ていただかぬと、その辺の解明は非常にむずかしくなりはしないか。いわゆる公益あるいは公
権力と公法上の利益と、単なる
自分の利害
関係といういわゆる私益との
関連性について、そして、公
権力にひとしい
警察行政まがいの行為が行なわれるということになると、もう少しその辺を掘り下げて見ておかないと、そう簡単に私
どもこれでよろしいというわけにいかぬように思いますが、
委員長にお願いしておきますのは、法務省からだれかはっきりした方にここに来ていただきまして、その辺の解明を少ししておかなければならないかと思います。これはあくまでも依頼者またはその指定するものの身体あるいは財産を守るということになっておりますので、どこまでいっても私の
仕事であるということには間違いがない。どう
考えても公法上の利益とは言えないということであります。それが、業務自身が
警察行為に全く類似した行為が行なわれる。そして
事件が起こってくれば、依頼者のほうにも責任がなければ、派遣したほうにも責任はない。つまり、それはやったやつが悪いんだということになってくるということになりますと、いまこの
法律全体をずっと見てまいりますと、だから
ガードマンの教養というものがこう書いてあるのだという御
答弁があろうかと私は思います。そういうことが私
ども考えられる。だから、
一般人とは違う教養をしなければならないというようなことが
一つ考えられる。しかし、それは
法律の
一つのていさいであって――ていさいと言うと、また
警察への
諸君は、これはていさいで書いておるのじゃないということでおこるかもしれませんが、しかし
法律はそう書いてある。書いてあるが、しかし、そこに実は問題があるわけでありまして、どの
警備会社でも、ただじゃまするやつはひっぱたいてこいとか、けんかしてもかまわないという訓示をする社長はいないと思う。また、依頼者のほうも、何でもいいから、いかなる手段でもいいからやってくれというような極端な依頼はしないと私は思う。契約書を見てみたのですけれ
ども、そんなことはちっとも書いてない。単なる
労務提供の契約だけしか書いてない。
あとは給与の
支払いみたいなものが少し書いてあります。それから、いろいろな事故の起こった場合の補償というようなものは契約書の中に書いてある。しかし、これは
営業上の
一つの契約書であって、そういう事犯に対する責任の所在というものはどこにも書いてない。ところが、いままでであれば、ある程度そういうことが容認されるかもしれない。しかし、
法律できめた以上は、やはり
法律で解決するというたてまえをとらないわけにはいかない。そうなってまいりますと、間違いのあったときの責任制というのが一体どこにあるかということ。そういう間違いを起こした
会社その他についてはどういうおきゅうを据えられるか。ここに、取り消しであるとかなんとか書いてありますけれ
ども、これは、単なる法制上の偽りがあった場合にはこれをやめさせるというようなことが書いてあるけれ
ども、そういう事実行為に対しての制裁というものが
会社に対してほとんど加えられていない。こういう不安が私
どもはあるのでありまして、そういう点をもう少しはっきりすることのために
委員長にお願いをいたしておきます。
この
法案がどうなるかわかりませんし、これはきょうだけというわけにはまいらぬと思いますので、いずれまたこの次の機会にでも、法務省
関係の
諸君を送っていただきまして、そして、繰り返して申し上げるようでありますが、公
権力、公法上の
権力のまがいにひとしい
権力を付与するということが一体認められるかどうかということ、これの歯どめがどこにあるかということ等について少し聞きたいと思いますので、そういう取り扱いをお願いをしておきたいと思います。
それから、あまり長くやっておりますと、民主主義の原則に反して、他人の自由を侵すことになろうかと思いますが、そのほかの問題をいろいろ
考えてまいりまして、ここにあるあなたのほうから出た書類の中を見ると、いろいろ事例が書いてあります。しかし、この事例の中には、
ガードマン自身の行なった犯罪行為というようなものについては、この
法律の中でそういう犯罪の起こらぬように防止することがこの
法律をこしらえた
一つの原因であるかのようなことが言われておりますが、それよりも問題なのは、いま申し上げましたように対外的の問題であって、あなたのほうから出た書類にも、こう書いてあるのですね。「
ガードマンが
一般市民から非難を受けた状況」「
ガードマンの行為が、
警察官の非行または処遇不適切と誤解されたもの、交通整理に伴うものなど、
一般市民から非難を受けた事例は年間一五件程度あり、ここ二、三年横ばいの状況である。」と書いてある。この交通整理等が、いままでは
自分たちに直接の権限がありませんから、
法律上にも定めておりませんから、ある程度控え目にやっておったと思いますが、ここに
法律にはっきり書かれてまいりますと、いかにも公
権力が与えられたような印象が与えられて、必要以上の取り締まりをしやしないかということである。いままではそういうことで遠慮しておりますから、
自分たちの身分を知らない人はありませんから、単に
会社の車の出入りのときに、混雑するからひとつそっちに回ってくれとか、いや通ってもらいたいというようなことにわれわれしばしば遭遇するわけでありまして、その程度で、たいした問題にはなっておらない。しかし、これはおれたちは頼まれてここで交通整理をする権利を持っているのだということになると、交通取締法に規定する、いわゆる
警察側の
権力の行使というものが容易に行なわれがちになりはしないか。そうして必要以上の交通
規制をやりやしないか。この場合も何ら
警察はこれに関与しないのでしょう。
警察がそこを許可するとかなんとかならともかく、本来ならば当然
警察が行なう職務であることは間違いない。しかし、それは
警察にそんなことを言ったって、人手がないときに、何でもかんでも
警察がやらなければならないということは私は言わない。しかし、通例を
一つ考えてください。こういう場合も
会社は一応
警察と
連絡をしていやしませんか。いわゆるお葬式だとかなんとかで人がたくさん集まるから、この通りだけは人をとめたいとか、あるいはお祭りなんかのときに、みこしが通るから人をとめたいというときに、ちゃんと
警察と
連絡をして、そうしてある程度の交通整理というものがやられておる。ところが、この
法律がこういうふうにできてしまいますと、ある
会社から、おまえのほうで頼む、おれたちの
会社の
営業上じゃまになるから交通
規制をしてもらいたいということになると、これは、私益を擁護することのために結局
ガードマンによる交通
規制が行なわれるということになりはしませんか。
法律がなければないでいいですよ。その場合は、やはり
警察側と
連絡をして、そうして
権力に基づかないところの、いわゆる
一般社会通念としての、おまえさんたちが危険だからひとつここは通らぬようにしてくれと言う。いわゆる大衆が基礎になっての交通整理が行なわれる。この場合は、
会社の
営業が基礎になって取り締まりが行なわれるということになると、同じ交通の取り締まりあるいは交通の整理にしても、その基本的なものの
考え方が非常に違うのであります。違うところに問題が発生する。私はどうしてもそういうふうにしか
考えられない。これは
会社から頼まれたのだから、おれは交通整理する権利があるのだということになってくると、
営業本位になる。そうして
一般の交通は従になる。いまの場合はまだそうではない。
一般の交通のほうが先である。そして、この交通をあまり阻害しないようにしつつ、
自分たちの
営業を守るための整理を道路の混雑等の場合にしているのが現状であります。こういう面について、どう
考えても、この問題の
行き過ぎというものを私は
考えなければなりません。
ここであまり
議論しておっても始まらぬのでありますから、その次の
一つの大きな課題としての八条の問題がこの間からずいぶん
議論されておりますので、また、公述人からもこの問題についてかなり突っ込んだ公述がございましたので、ここで聞くことは私は避けておきたいと思っておりましたが、
一つだけ聞いておきたいと思いますが、八条については、こういう規定は全くの訓示規定でありまして、これに違反した場合においては、処置は一体どうなりますか。