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大崎参考人 理論経済学を専攻しております
大崎と申します。どうぞよろしくお願いします。
この
法案に関しましても新全総という
計画のある意味の一環であろうかと存じますが、私の第一の主張点は、はたしてこの
法案によって
人口が分散したり、あるいは
過密過疎を解決することができるかという点について主として時間をいただきたいと存じます。
今日、環境問題が起こり、また過疎過密ということが意識され、
社会資本の充実によって問題を解決しようというふうによくいわれるわけですけれ
ども、ただ私は経済学者でございますので、経済学的にそもそも
過密過疎という、そういうメカニズムといいますか、それは何であったかということ、やはりそれについてある一定の認識を持ち、それに対して
対策を打つということが必要であろうかと思います。その場合に、たとえばこの
法案あるいは新全総というものがそういった目的を達成する手段として可能であるかということが
一つ問題であると思います。
もともと太平洋ベルト地帯に
工業が
集積して、
人口がある意味でそちらにも
集積するということの
対策としては、やはり旧全総が最も大胆に問題を提起したと私は思います。すなわち、所得における
地域格差を是正し、そしてある意味の、
過密過疎ということばはいまほど激しくいわれておりませんでしたけれ
ども、やはり
過密過疎ということを問題とし、それを解決しようということがあったわけです。そしてしかも旧全総は、御存じのとおりいわゆる拠点
開発方式という形式でもって
工場をある意味で分散しようということにおいては、私はこの
工業再
配置法案よりももっと大規模な構想であったと思います。しかし御存じのように、そのことによって
工場がはたして分散したか、あるいは
過密過疎のきめ手になる
人口が分散したかということを見てみた場合、たとえば——私は主としてこのいまお配りしました資料に基づいて話をしておりますので、恐縮でございますが、七二ページの第一表及び第二表を見ていただきたいと思います。その数字を見ていただきましても、
昭和四十五年の国勢調査の統計を使いましたけれ
ども、四十五年になっても依然として
人口の集中は消えていない。あるいは
工業出荷額についてみても、特定
地域に対して集中しているというふうになるわけです。ここでは関東、東海、近畿というのがそれにあがるわけです。
このような問題に関しまして、ある意味のちょっとした初歩的な統計学上の問題が出てくるわけです。たとえば
東京都というのをとりまして、ウエートが下がった、
人口あるいは
工業出荷額が下がったというふうによくいわれやすいわけですね。しかしよく考えてみますと、それは
東京から
東京に近い周辺の県に移ったにすぎない、こういうふうに、特に
人口ははっきりしております。そういう意味で、ある意味で過密地帯がふくらんでいっている。いわゆる
スプロール化現象というふうによくいわれますが、
住宅のスプロール化ということと同様に
工場のスプロール化ということもいえようかと存じます。そういう意味で、やはり統計の
地域のとり方によって分散が進んでいるというふうに見えたりするわけですけれ
ども、実は私のような考え方に立ちました場合には、むしろ
地域集中は続いている、こういうように考えざるを得ないわけです。
新全総に移りますが、新全総は、ある意味の旧全総の失敗というふうに言っていいと思いますが、
地域格差を是正し、
人口をある意味で分散させようというわりあいはっきりしたキャッチフレーズを出しておったわけですけれ
ども、新全総におきましては、
過密過疎の解決ということは新全総の前文に、冒頭に掲げられておりますが、それが具体的な手段としてあるいは
計画の機構の中に入れられているかというと、そういうことはないわけです。それからさらにもっといいますと、旧全総にあげていた
地域格差是正というそういうことばは、ある意味で消されてしまっているわけですね。もっとキャッチフレーズが抽象的になってしまっている。そしてはっきりイメージとして出されているものは、結局それは新しいネットワーク、あるいはそういったものによる交通のフレームワークを体系づけることによって
工業を分散する。特に
工業分散ということが新全総の焦点である。その点で旧全総に比べてある意味で正直になったというふうに言ってもよろしいかと存じますが、ある意味でまた失敗を確認している、こういうふうに言っていいと思います。その上で、それでは旧全総がはっきり掲げていた
地域格差をどのように是正するかということに関しまして、新全総はある意味であいまいになっている。そして
工業を分散させるということが何もかもうまくいくかのように書いておられる、こういうことが結論としていえると思います。そういう意味で、われわれはこの
工業再
配置法案というものは、やはりそういう新全総の一環であるというふうに考えてよかろうと思います。
新全総について、やはり
工業再
配置法案の背景として新全総というのがあるわけですから、それについてもう少し考えてみたいと思います。
いままでは、旧全総のように
工業を分散させようとして非常に努力された。それにもかかわらず集中がとどまらなかったのは、それは周囲の環境が問題である。当時
公害ということ、あるいは環境問題ということは意識されていなかった。しかしいまは意識されている。そして政策もとっている。だから今度は二度とそんなことはないというふうにいわれているわけですけれ
ども、それではどういう手段が講じられているか。結局それは
工業分散ということしかないわけですね。ネットワークというものを
一つ取り上げましても、はたしてネットワークは
人口を分散させる力になるか。私は十分な研究をまだしておりませんが、まあ非常によくいわれていることで卑近な例をとりましても、たとえば東海道新幹線が通ることによって、たとえば広島県あるいは岡山県の人々が
東京に行く回数がはるかにふえてきた。あるいは名古屋市の中枢管理
機能あるいは管理職の数がある意味で減ってきている、こういうようなことがいわれております。それをネットワークによって
全国化していった場合に、やはり中枢管理
機能あるいは管理形態、あるいはこれを言いかえれば行政、文化の中心、そういうものが次第に
東京に吸い取られていくということになろうかと思います。また事実、新全総は
東京中枢管理
機能をもっと大胆に徹底的に
集積しようということを掲げております。そういう意味でいまここで
人口分散ということを私は第一目標として掲げたいと存じますが、はたしてそれについて解決となろうかということを過去の経験というものを見ることによって、やはりそれについてメスをふるうということがないといけないのじゃないかと思います。
御存じのように、経済学の中で、国民所得のいわゆる第一次
産業、第二次
産業、第三次
産業のうち、経済が発展すればするほど第三次
産業がある意味でふえていく傾向があります。これは言いかえれば、程度の差はありますが、管理
機能あるいは中枢管理
機能がふえていく、それに従事する
人口がふえていくということを意味しているわけです。したがって、
工業分散によって、
人口を分散させるという効果はきわめて小さい、あとの時代になればなるほど小さいということになろうかと存じます。したがって、まず
工業の分散によって
人口を分散させるということは、見通しとしまして、たとえば十年先、あるいは十五年先としまして考えてみました場合に、はたしてこれによって、新全総は非常にあいまいにしておりますが、
過密過疎の解決になるかということが
一つ疑問点として出てくるわけです。ネットワークについても、先ほど申しましたように、ネットワークを
整備することによって、むしろ
人口は首都圏に、あるいは従来の過密地帯にある意味で集まってくるということになりかねないという危惧を持っております。
もう
一つ申し上げますと、意外に最近の
地域開発された地帯を歩いてみましても、むしろ
公害ということに関する関心が高まることによって、
工業の分散ということが、ある意味で——これは私は
工業の分散によって
工場に働く人々が
地域的に分散するという効果は認めないわけではありませんが、逆にまた
公害が広がるという形式でもって、
公害に関心を持った住民は、首都圏あるいは既存の過密地帯のところで
都市再
開発をされ、ある意味で環境条件がよくなるということによって、かえって
人口は集まってくるという逆の効果も、波及効果として、間接的な効果としてあるのではないか、こういうことを見通しとして持っております。
それでは、一体どんな案があるのかということになろうかと存じますが、この再
配置法案というようなものでなくても、実は重要なきめ手があると存じます。私は経済学者でございますが、いわゆる経済学の定理にこういうことがございます。すなわち、市場のメカニズム、あるいは自由にまかされたといいますか、市場制度、自由な自由経済というもの、それは必ず最もよい資源
配分をもたらす。それぞれの持ち分の中で最適な結果になる。こういう公式がございますが、そのときに、経済学においては重大な前提が置かれているわけです。すなわち、それは、最近のもうはやりことばともなっておりますが、いわゆる外部不経済あるいは外部費用というものがないという前提があります。外部不経済、外部費用というのは、御存じのように、市場のメカニズムにおいて、相手にある意味で損害を与えながら負担しないで済ますことができるということ、その結果として、たとえば私が
公害を出し、そしてある意味で
社会的に損失を与える、しかしその損失を私が負担しないということによって、ある意味の利得を逆に得る。間接的な利得です。いわゆる経済学にいうオポチュニティーコストというように、財務会計では出てこないような、そういう利得が出てくる。そういうものをやはりおつりとして
社会が返していただくということが必要ではないか。そういう意味で、私は、いわゆるOECDの
公害費用発生者負担という原則がありますが、その原則を文字どおり
法案として出していただきたい、これが本来、
人口の分散あるいは
過密過疎の
解消ということをもたらすものではないかと存じます。
どうもありがとうございました。