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湯浅参考人 私は
都立大学工学部の
湯浅です。私は
土質力学の
専門といいますか、土に関することをやっておりまして、特にここ数年は
土木工事の
事故の問題に関心を持って扱ってまいりました。そして具体的な個別の例についてずっと洗ってきたわけですが、昨年は特に千葉・
成田の
パイプラインにおける住民の安全というのは
技術的にどういうことなのかという
観点からやってまいりました。以下四点にわたって私の
意見を述べさせていただきたいと思います。
まず第一点は、現在
審議中のこの
パイプライン事業法案や、またはそれに基づいてつくられるであろう省令になると思うのですが、そう聞いておりますが、
技術基準、
保安基準等々が、現在千葉・
成田の
パイプラインが進行中なわけですが、それに抵触するのかどうか。逆に言えば現在行なわれている法案、ないしつくられるであろう
技術基準なるものが、千葉・
成田の
パイプラインを前提にしているかどうかということです。そのことが私にとってはたいへんな関心事です。なぜならば、現在見る限り、千葉・
成田で敷かれようとしている
パイプラインというのは、
技術的にきわめて大きな問題、間違いと言ってもいいと思うのですが、それを含んでいる。だからそれを許容するような法案であるならば、今後同じようなたいへん問題の多い
パイプラインがどんどん敷かれてしまうということなんです。それを一般的な形で法案の条文なり
技術基準なりでもって規制し得るのかというと、そうではなくて、では現在出されている法案とか、今後つくられるであろう
技術基準ができた場合、それが実施に移されて、実際にでき上がる
パイプラインというものがどうつくられていくかというのが、現在の千葉・
成田の
パイプラインを見ればよくわかるという気が私はしております。どういう点が問題かといいますと、大きく分けて二点あります。一つは、住民の意向をくむということがどういう形でなされてきたかということ。いわば空港公団が千葉市に申請をして、千葉市長が埋設の許可を与えたというこの半年ないし一年の手続問題であります。それから二番目に問題は、先ほど言いました
技術的な検討、いわば公団がどのような
技術的検討を行なったのか。それから千葉市が埋設許可の前提として行なった東工大の渡辺隆教授の
技術報告書、これの内容がいかなるものであるかということが、すでに例としてわかっているわけです。この問題を
考えることなしには、一般的な法文というのはそれが妥当かどうかということはできないだろうというのがまず第一点です。
次に、第二点は、それでは何をどういう項目をいかなる様式で検討すれば
安全性の検討がなされたかといえるか。いわばどういうことを検討すれば安全だとか、安全じゃないかという結論が得られるのかという問題です。現在の
技術は、土木
工学に限らず何かものをつくろうとする場合に、そのつくろうとするものに対して、主要なモデルを
考えまして、その定量化し得る
要因について、そのモデルをつくった標準的な
状態、それを
設計条件といいますが、その
設計条件を
考え、標準的な
状態について計算をする。その計算が実際のその
構造物と標準
状態とのズレといいますか、食い違いは、いわば
安全率でカバーするというような
考え方を従来しておると思います。しかるに
事故、特に地下埋設管の
事故例などを見ますと、その起こっている
事故例が、そういう標準
状態で
考えた
要因、いわば主要な
要因を
考えて標準
状態をつくっているわけですが、その標準
状態で
考えた
要因と全然関係ない、全く別な
要因に基づいてこわれた、
事故が起きたと推定していいわけです。それはおそらく大部分の埋設管の
事故について
考えてみると、そういう
設計状態と関係ないいわば
地震とか
地盤沈下とか他工事によるものとかそれからオペレーターの
ミスとか、そういうような非常に特殊的な個別的な
条件のもとで
事故が起きている。そういうことですから、いま言った
安全性の検討というのは、標準
状態で
安全率が幾つにとってあるかという問題ではなくて、起こるかもしれないそういう個別的な特異な
状態、
地盤沈下とか
地震時とか、そういう特殊な
条件のもとではどんな
状態に埋設管がおかれるかということ、それについての検討がなされなければ、私は、安全であるとか
事故が起きるとか起きないとかいう
観点からの結論は下せない、そういう基本的な
立場を持っています。住民にとってはまさに
事故が起きるか起きないかということが問題なので、どれだけ
安全率をとってあるか、どんないい方策がとってあるかということは住民にとっては関心がない。
技術者のやる仕事というのは、いわば現在与えられた
条件の中で、AとBとCとやる
方式があった場合に、そのAとBとCのどれをとったらいいかという相対的な選択の問題でしかない。したがって、
技術者が現在行なう
安全性の検討というのは、そういう標準
状態についての議論をしますから、相対的にはこっちをとったほうがいいという選択になるわけです。住民にとってはそうではなくて、まさに
事故が起きるか起きないか、そういう特異な
状態での検討を必要としているということです。以上が第二点です。
第三点は、初めに申し上げたように
技術的な内容にかかわってくるわけですけれども、そのことを若干申し上げるわけですが、基準の一般的な表現、一般的な規定ではどうしても安全かどうかという結論は出てこなくて、具体的にいわば何丁目何番地をどういうふうに
パイプラインが通って、これがいついかなるときにどんな
状態になるかということを、そういうことは起こってみなければわからないわけなので、さまざまな可能性を推定していかなければならないわけです。そういう意味で、私が現在入手している資料では、千葉・
成田の
パイプラインについて、標準
設計といわれるようなデータが空港公団から出されているわけなんです。それに基づいて現在敷かれようとしている千葉・
成田パイプラインの
技術的な
問題点を一、二指摘したいと思います。おもに二点を申し上げます。その二点以外のことで、たとえば溶接とか検査の
方法とかさまざまな問題がございますが、時間の関係もありますし、私の
専門から若干はずれることもあるので、触れないでおきます。
まず第一点は、土荷重の算定ですね。
パイプにどのような力が周囲の
地盤ないし土から作用するかということです。あとでも触れますが、現在の
設計方式は内圧によってどのような応力が
パイプの中にできるかという、内圧に重点を置いた
設計方式をとっております。それが第二項目で申し上げた、つくる側が
考えている標準
状態、それは内圧によって
設計をしているということが問題ですが、私はむしろ
パイプにどのような外力がかかるかという問題があると思います。これは一番単純に
考えますと、
パイプにかかる鉛直方向の力は
パイプの上に乗っかっているどろの重量であるというふうに
考えるのが一番単純な
考え方であり、現に国鉄の
パイプラインを敷くために土木学会が委託
研究を受けて出したものでも、
パイプ上の土の重量をとるというふうに書いてあります。ところが、千葉・
成田の
パイプラインにおいては、空港公団はそれよりも小さくしていいのだという
観点から数値計算例を行なっています。このような
状態が現在あるわけです。私が
考えるのは、それは非常に理想的な
状態でみぞを堀って、理想的に
パイプを埋設し、そうっと上からどろをのせておくならば、
パイプ上のどろの重量あるいはそれよりも若干少ない値があるということはあり得ます。したがって、たとえば室内実験を行なうなり、現場実験で非常に理想的なある短かい区間について測定を行なえばそういう実験データが得られると思いますが、
地盤が変動した場合、
地盤沈下とか
地震のように
パイプが埋められている
地盤自体が動いてしまう場合には、いわば
パイプが
地盤の中で無理やり動かされる、そのような
状態の場合には非常に大きな荷重がかかってくる可能性がある。たとえば千葉・
成田の場合でいいますと三倍
程度の荷重がかかってくる。ちなみに、どのくらいの数値になるかといいますと、一センチメートル当たり空港公団は七・五九ですか、七・幾らの荷重がかかるというふうに
考えている
パイプの上の荷重というのは九・五キログラムくらいになるということですね。私の計算ですと、約三十キログラムに近いような値、三倍とか数倍とかいうオーダーの荷重がかかってくるということがあり得るということが
技術的な第一点です。
第二点は、それと関係するわけですが、では、そのように
パイプにかかってきた力によって
パイプにどのような応力が出てくるだろうかという計算なんですが、それも現在の空港公団ないしそのほかの国鉄の
パイプラインの計算の基準なんか見ても、やったとしても、せいぜい断面内の、鉛管内の応力の計算しかしていない。ところが
事故例を見ますと、
パイプを棒のように
考えたはりとか、けたが曲げられる、または勇断力を受けるというような
事故方向の問題で
事故が全部起きている。長手の方向の計算というのはほとんどやっておりませんで、その計算を、いまあげたような土から受ける荷重で計算しますと、降伏点荷重どころか、ほとんど破壊
強度、破断
強度まで達してしまうような計算結果が得られてくる。そういうふうな長手の方向の、
事故方向の棒としての検討というのは一部行なわれていますが、それもきわめて理想的な
状態についてであって、
事故の起こるような
状態というものを設定しないでやっている。だから、必ずそういう
地震が来るとか、広い特異な
地盤の不等沈下が起こるかどうかということは断定はできないわけですが、そういう可能性を十分秘めているときに、その可能性を
技術的な検討としてつぶしていないということははっきりしているわけです。今後各省が集まってつくる
技術検討の資料というのは、いままでの国鉄の
パイプラインないし空港公団の計算の例からいって、おそらく同じようなものになるであろうということを私はおそれるわけです。
以上が三点目の
技術的な
問題点です。
ちょっとつけ加えますと、いま
前田先生がおっしゃられたいろいろの、特に後半でおっしゃられた注意事項というのは、すべて千葉・
成田の
パイプラインでは取り上げられていないということですね。そのことが非常に重要である、そのことをつけ加えておきます。
第四点に参ります。第四点は、結局つくる側、
パイプラインを敷く側から
考えるならば、
パイプラインの建設費用、それから運転費用、そして
事故の補償費用も含めたコストの合計を最小にしようとするのは、いわば当然の成り行きなわけです。したがって、あまり安全過ぎるようなものをつくるのはむだであるが、ある
程度以上安全にするならば、むしろ万が一かもしれない
事故は起こっていただいて、それを金で補償したほうが安くいくというようなコスト計算が当然なされている。それは
事故の確率が何十万分の一だから、それを何百万分の一にまでしたほうがいいか悪いかという量的な計算はいたしませんが、
技術者の意識の底にはそういうふうな
考え方は当然あるということをまず指摘しておきたいと思います。この
考え方は、住民の絶対的な
安全性、要するに
事故の起きる起きない、ないしは起きても被害が起こらないという
立場と相いれないわけで、そういう意味では、いま言ったような万が一起こるかもしれないという形でもって問題が処理されること、
事故が起これば十分な補償をするという
立場というのは、私に言わせれば命の強制買い取りであるというふうにいえるだろうと思います。したがって、たいへん良心的に
考えて無過失賠償責任というような項目をつけるにしても、それは命の強制買い取りを合法化するというか公認するものにしかすぎないだろうということを第四点目に主張しておきます。
したがって、
技術的な検討としては、標準
状態について
安全率を見るのではなく、
考えられる非常に危険な
状態についての計算をしなければならないという問題の根拠になってくるわけです。もし、公共的
事業であるから万々起こるかもしれない
事故というのはその場合やむを得ない、補償するということであるならば、土木
工学の
技術的な検討上からいって、それは明らかにお国のために住民に死んでもらうということを言っているにひとしいということが以上の議論から結論できると思います。
これで私の
意見を終わらしていただきます。