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田中国務
大臣 どんなに低く見ても五%
程度の国民総
生産、国民成長率を五%以下に落とすというわけにはまいりません。その中にやはり一番問題になるのは、二次産業、俗にいう鉱
工業であります。鉱
工業というものに対しては、いままでは公害発生源になっておる。だから今度は
生産第一主義ではなく、公害のない
生産施設に転化しなければならない。第一、いまある施設そのものが公害除去施設をしなければならないのであります。脱硫装置を行なうということを
一つ考えてみても、これは膨大もない投資を必要といたします。この国会に無過失公害というあの
法律が出ておる。将来十カ年を
考えてみれば、現在の
生産力を維持するためにも一〇%ないし二〇%に及ぶ公害除去投資を行なわなければならない。これがこのままの事態において、現にある東京とか大阪とか川崎とか千葉とかというものに、そのままの立地
条件においてその投資をするのか、新しい
工業再配置という制度の中で、しかも全然社会環境の基準の違う、道路の
中心線から二メートル下がったところが建築線であるというようなところよりも、
中心線から十メートルというようなそういう新しい環境保全ができるような基準のもとに移転をして投資を行なうほうにメリットがあるのかというのは、これは
産業界全体の最も大きな問題であります。そういう
意味で、好むと好まざるとにかかわらず、
工業の再配置というめどは
日本産業としてつけざるを得ないのであります。
ですから、いまたくさんあるじゃないか。これは全くばらばらであります。これは請願、陳情によって
地域格差を解消するなどという近視眼的な
立場で立法されたものである。私たちがこういうものに対して議員立法をみずからやったのでありますから、それはそのとおりなんです。しかし、今日はそうではない、全国を総合的に開発する。言いかえれば、少なくとも二次産業比率の平準化
政策を推進しない限り、
日本国民の生活レベルは上がらない。昭和四十年に対して六十年では若年労働力は三〇%しかふえないのであります。そうすれば、中高年層を一体どういうふうに位置づけるのかという問題は、数字上明らかなんです。この人たちを、東京や大阪や県庁の所在地に引っぱってくるということになると、労働者一人に対して少なくとも最低四人の扶養家族が集まってくるのです。そういうものが地価を上げ、水道料金を上げ、困難な非常な都市の過密状態をつくっておるということを
考えれば、そういうものを排除する、やはり産業の新しい姿という誘導
政策を基本としない
日本の将来というものは
考えられない。
だから、この
工業再配置法ができれば、私はその
意味では、新産業都市とかいろんな離島振興法などは、ある
意味においては特殊なもっと高い工場基地にもなると思います。私はそういう
意味でいろんなものが総合的に——
地域開発法、北海道東北開発法とか四国九州開発法とか、そういうものまでみなある時期に整理をされていくべきだと思いますが、なかなかその逆の
政策をやっておる。これは発想の転換なんです。発想の転換というのは、逆のことをやれば発想の転換であります。実際そういうことをやるということは困難なんです。実際、いまいみじくも
政府の
関係者、
政府の代表が言ったじゃありませんか。昭和六十年には首都圏の百キロ圏が四千五十万人になるというデータもあります、こう言うのです。これで一体どうして
生産性が確保できますか。地価がどうして押えられますか。六十年には一億一千七百万人になる。一億一千七百万人の総人口のうち四千五十万人を百キロ圏に入れて、一体公害の除去ができるかどうかということを
考えると、これはもう今日においてどうしても六十年展望、五十年展望というものの二次産業の平準化
政策——これは形を変えてのみやすいように
工業の再配置、これはもっとのみやすくすれば地方開発というか、水とか、資源の再配分ということをいうのか、これは言い方はあると思いますが、私はこの
政策は非常におそ過ぎたと思います。この
政策は十年前に先行すべきものであった。こういう
政策がないところに物価の問題とか地価の問題とか公害の問題とか交通の問題とか——交通投資は幾らやっても、どんどん都市内の交通量というもの、交通コストは上がっていくというような、全然解決のできない問題がたくさんあるわけであります。ですからこれはただ
工業再配置だけの問題ではなく、新幹線建設促進法とかそれから港湾整備法とか本四連絡架橋公団法とか自動車とん税法とか、いろんなものが総合的に運用されて、六十年までにやっと完備さるべき問題だと思いますが、いずれにしても総人口のうち八〇%が東京と大阪と名古屋に寄ってきてもいいんだという発想だけは影を消したということは事実であります。そういう状態を是認する限り、
日本人の働いたメリットを全部公営住宅費につぎ込んでも、六十年になったら住宅は四、五百万戸足らないということになるわけでありまして、そういう事態を避けるためにも、どうしてもこれは必要だ、こういう
考え方に立っております。