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後藤委員 その他にも問題はまだあるわけでございますけれ
ども、いろいろとわれわれが
考えておる問題等も提起をいたしました。
援護法につきましては、私も三カ年か四カ年連続して質問をさせていただいておるんですが、
内容は順次
改正されつつあるということは私間違いないと思うんです。だけれ
ども、冒頭に言いましたように、一ぺんこの
援護法につきましても、健康
保険じゃございませんけれ
ども、
抜本改正が必要じゃないかと思うのです。抜本的に
考えていただいて、厚生
大臣得意の
抜本改正を一ぺんやっていただく必要があると私は思うのです。いろいろな面から
考えますと不
均衡、不合理というのもあるわけなんです。さらに物価高の今日の情勢から見る場合に、はたしていろいろな
支給金額が妥当であるかどうかという点も私問題だと思うわけでありますけれ
ども、いままでいろいろたくさんな問題を提起したわけでございますが、いままでの問題につきまして来年の
改正時期には、局長も
内容はよくわかっていただいたと思いますので、ぜひ
改正していただくようにお願いをいたしたいと思うわけです。
特にその中におきましても
対馬丸の問題、さらに満鉄
関係の問題、さらにいま申し上げましたところの
処遇の
内容の問題、これらにつきましても、ひとつ来
年度の
改正におきましてはこういたしましたと堂々と
説明のできるような
方向へ御尽力をぜひお願いをいたしたいと思う次第でございます。
〔
谷垣委員長代理退席、
委員長着席〕
それから、一番最後になりましたけれ
ども、これは非常に個人的な問題のような気がいたしますが、
昭和二十年の五月の十五日に大竹の海兵団へ
後藤孝一という人が
入団したわけなんです。ところがその八月になりまして、糧秣受け取りに広島に行った。そこで原子爆弾にあった、被爆したわけなんです。それで
昭和二十年の九月
帰郷した。いわゆる被爆者として認められておるわけなんです。それ以来というのは、左腕から胸にかけまして、一皮むけてしまった、あるいはまた仕事もできないというようなことで、病院に入ったり、あるいはあるときには卒倒をしたり、また肝臓が悪いとかいろいろ病院で言われまして、あちらこちらで一生懸命に養生しておられたわけなんですけれ
ども、中山厚生
大臣のときに原爆被爆者の認定は受けておるわけなんです。この人は
昭和三十七年四月になくなっておるわけです。こう申し上げますと、この
後藤孝一というのは現役の兵隊だと思うのですね。そうなりますと、
厚生省はおれのほうの管轄じゃないということになるかもわかりませんけれ
ども、残っておられる
遺族としては、これは
遺族援護法の
適用を何とかならぬものだろうかという強い希望があるわけなんです。
遺族というのはいろいろな
法律にまだ無知な点もありますからわれわれが親切に教えてうまく持っていかなければいかぬ点もあろうかと思いますけれ
ども、こういうふうな経過をたどっております。被爆者の死亡に対しまして現在のところ何ら国としては
処遇をしておられない、これが現実でございますけれ
ども、これは
厚生省といたしまして、
軍人恩給、
軍人の
関係もあろうと思いますけれ
ども、早急にひとつ
検討をしていただく、
検討した結果——被爆の
関係ではなしにほかの病気でなくなったんだというようなことも言われておると私聞いておりますけれ
ども、呉の海兵団へ
昭和二十年に
入団する、当時は非常に厳格な徴兵検査で入っておるわけなんです。広島で被爆して、その年の九月にはもう
帰郷してしまって、それ以来ほとんどまともな仕事ができない、三十七年までようやく命を持ちこたえて、三十七年にはなくなっておる。こんなものは被爆の
関係じゃないというような認定になっておると私は聞いておりますけれ
ども、私はやはり被爆した
関係がこの人の死亡の大きな原因であろうというふうにも思うわけでございますけれ
ども、どうかひとつこういう問題につきましては親切に扱っていただきますようにお願いいたしたいと思います。
あくまでも医者の判定が中心になろうと思いますけれ
ども、現実に
遺族の陳情書なんかを読んでみましても、被爆そのものが死亡の原因であるということはわれわれしろうととしても推定できるわけなんです。ですから、この問題につきましては
厚生省としてぜひひとつさらに調査をしていただき、
研究をしていただいて、しかるべく
処遇のできる
方向へ御尽力をしていただきたい、こういうふうに思うのですが、局長、いかがでしょう。