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土井委員 午前中特に
長官が参議院のほうにお立ちになってから
あと、問題は例の第二十条の二にあります「賠償についてのしんしやく」の部分で、特に「
被害者の責めに帰すべき
理由があったときは、」という事柄についてでありました。
長官がただいまはお席におつきになっていらっしゃいますから、そう長い時間をとるわけにはいきませんが、特にこの点についてさらにお尋ねを続けたいと思います。
本来無
過失賠償
責任についての単独立法だったらともかく、今度の政府案のように、
大気汚染防止法と
水質汚濁防止法の一部
改正という形で出されて、しかも
規制物質というのがこういうふうに具体的に
特定化されますと、その
規制物質による
被害だということで、その事実の認定を
過失の認定ということで可能にしていくという部分がかなりこれはあると思うのです。ですからことさらに
無過失責任ということを追及するという
意味を、この節あらためてここの部面で
考え直す必要があるんじゃないかと私自身は思って、第二十条の二の「
被害者の責めに帰すべき事由があつたときは、」という具体的な
中身は一体どうなるかということを
考えてみたわけです。それから
考えてまいりますと、どうも全体を総合的に見た場合に今回の政府の
改正案の
中身というのは、
無過失責任立法というのは
被害者の
救済のために
事業者に特別の
責任を負わせるものだという
考え方があるんじゃなかろうか。私は本来
事業者に特別の
責任を負わせたものとは
考えておりません。むしろ公平の原則から
考えれば、しごく当然のことを問題にしているにすぎないと思っているわけです。特にこの
考え方は、
過失責任主義というのは御
承知のとおりに近代法の基本原則であったわけで、特に近代社会が、あるときは加害者になりますし、あるときは同時に加害者が
被害者にもなり得るというふうな立場を想定しまして、そうしてこの近代法の背後にそういう
考え方というものが存在しておりましたから、
過失責任主義というものはある者には有利に、ある者には不利に働くというものではなく、まさにそれによって公平というものを期そうとしたところがあったと思うのです。しかし高速度の交通機関や近代的ないろいろな工業、産業の発達ということで、加害者と
被害者との間には近代法が想定した立場の交換可能性というのがだんだんなくなってまいりまして、私
たちがよく知るところではイタイイタイ病や水俣病なんかのように、
公害の
被害者が加害者になるということは
考えられない。
被害者は
被害者として厳然としてある。加害者は加害者として厳然としてその立場があるということがはっきりしてくるという現代の
公害の事実というものが明るみに出てきているわけです。そういうことからしますと、
無過失責任というものを採用することは、法が本来目的とする公平を実現することに適合するというふうな
意味を持って今回こういう
改正案というものが立案されたのだろうと私は
考えているのです。ですから事業活動によって利益を得ているものは、他方においては損害もまた引き受けなければならないといういわゆる報償
責任論ですね。それからさらに他人に損害を与えるような危険をつくり出したものは危険が具体化した場合には損害を賠償すべきであるという危険
責任負担論ですね、こういうふうな問題が古くから無
過失責任主義というものを正当化するために主張されてきたんですけれども、本来のこの
改正案の裏づけにそれはやはりあると思うのですね。そういうことからしますと、やはり特に今回
被害者の
救済のために
事業者に特別の
責任を負わせるものではない、
事業者に対して本来とるべきしごく当然の
責任を問うているにすぎないという
考え方があろうと思うのです。そこで
被害者救済のためという本旨に基づいて
考えられ、特にこれは
事業者に対して過酷な過度の
責任追及ということをやってないということを
考え、そうしてその上に立ってやはり
公害防止というものを期していかなければならないということを追及してまいりますと、この二十条の二にいうところの「
被害者の責めに帰すべき事由」というのは具体的にいうとどういうふうなことに当てはまるのか。私は午前中
法律論を専門家の立場でいろいろ披露なすった参
事官にお尋ねもしてみたわけですけれども、どうもいま取り上げられている二十条の二にいう「
被害者の責めに帰すべき事由」というのは、いまあるところの
民法の不法行為の
中身で消化できる問題じゃなかろうか。それ以上に出て今回の
改正案の中で特にこういう明記の規定を置く必要があるといわれる
理由はどの辺にあるかという点も私はまだ疑問点を残したままでいまのこの席に立っているわけです。したがいまして、この二十条の二にいう「
被害者の責めに帰すべき事由があつたとき」という
中身について特にこれを置く必要があるとお
考えになる
長官の御見解のほどを承りたいのです。