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1972-05-17 第68回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第17号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和四十七年五月十七日(水曜日)     午前十時四十二分開議  出席委員    委員長 田中 武夫君    理事 始関 伊平君 理事 八田 貞義君    理事 林  義郎君 理事 藤波 孝生君    理事 山本 幸雄君 理事 島本 虎三君    理事 岡本 富夫君 理事 西田 八郎君       久保田円次君    葉梨 信行君       浜田 幸一君    松本 十郎君       村田敬次郎君    阿部未喜男君       加藤 清二君    土井たか子君       二見 伸明君    青柳 盛雄君       米原  昶君  出席政府委員         環境庁企画調整         局長      船後 正道君  委員外出席者         参  考  人         (日本弁護士連         合会公害対策委         員会委員長)  関田 政雄君         参  考  人         (東京大学名誉         教授)     我妻  榮君         参  考  人         (東京公害研         究所所長)   戒能 通孝君         参  考  人         (日本商工会議         所公害対策委員         会小委員長)  島津 邦夫君         参  考  人         (川崎公害病         友の会会長)  斉藤 又蔵君     ————————————— 委員の異動 五月十七日  辞任         補欠選任   林  孝矩君     二見 伸明君   米原  昶君     青柳 盛雄君 同日  辞任         補欠選任   二見 伸明君     林  孝矩君   青柳 盛雄君     米原  昶君     ————————————— 本日の会議に付した案件  大気汚染防止法及び水質汚濁防止法の一部を改  正する法律案内閣提出第九七号)  公害に係る事業者の無過失損害賠償責任等に関  する法律案島本虎三君外七名提出衆法第一  四号)      ————◇—————
  2. 田中武夫

    田中委員長 これより会議を開きます。  内閣提出大気汚染防止法及び水質汚濁防止法の一部を改正する法律案並び島本虎三君外七名提出公害に係る事業者の無過失損害賠償責任等に関する法律案の両案を一括議題とし、審査を進めます。  本日は、参考人として東京大学名誉教授我妻榮君、東京公害研究所所長戒能通孝君、日本弁護士連合会公害対策委員会委員長関田政雄君、日本商工会議所公害対策委員会委員長島津邦夫君、川崎公害病友の会会長斉藤又蔵君、以上の方々が予定されております。  この際、参考人各位一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございました。  申し上げるまでもなく、わが国の公害及び環境保全問題は、経済の急速な発展と都市における人口の集中化等によって、国民が健康で文化生活を営む上からも深刻な社会問題を呈しておりますが、先般来の国会において、十六余の公害関係法が成立いたし、その施策が実施されてまいりました。  しかしながら、さらに広く公害による被害者救済措置を講ずるために、事業者民事上の責任強化、すなわち、無過失損害賠償責任法制化が要請されており、ここに政府からは、大気汚染防止法及び水質汚濁防止法の一部改正案島本虎三君外七名からは、先国会に引き続いて、公害に係る事業者の無過失損害賠償責任等に関する法律案提出せられ、現在、本委員会においては、両法律案重要性にかんがみて、慎重な審議を続行いたしております。  本日は、各界を代表する参考人皆さんから貴重な御意見を承り、もって両案審査の万全を期したい所存であります。つきましては、どうか忌憚のない御意見を述べていただくようお願い申し上げます。  なお、議事の整理上、御意見開陳はおのおの二十分以内といたしまして、あと委員の質疑にお答えいただくようお願いを申し上げます。  それでは、参考人のうち、まだお見えになっていない方もありますので、まず、日本弁護士連合会公害対策委員長関田政雄君からお願いをいたします。参考人関田君。
  3. 関田政雄

    関田参考人 紹介を受けました日本弁護士連合会公害対策委員長関田政雄でございます。  本日、参考人として意見を述べるべく要請されました議案は、大気汚染防止法及び水質汚濁防止法の一部を改正する法律案という非常に長い名称になっておりますが、提案理由を拝見いたしますと、「今回の改正法案は、このような要請に対処して、人の健康に有害な一定の物質が大気中、または水域等排出されたことによって、人の健康に係る被害が生じた場合における事業者の無過失損害賠償責任について定めることにより、」こううたってありますので、通常世間では、これは無過失賠償責任法、こう申しております。したがって、自後これに言及いたしますときには、正規の長たらしい名称を除きまして、無過失賠償責任法というふうに表現させていただきますので、よろしく御了承いただきたいと思います。  無過失賠償責任関係につきましては、世間では非常に議論があるようであります。昨年、いわゆる公害罪に関する法案審議の際に私も参考人として呼ばれたのでありますが、公害罪に関連して、無過失賠償責任法をつくることについての意見を求められました。そのときに、まことにふしぎな現象一つ起こったのであります。私は日本弁護士連合会委員長でございますので、弁護士としての実務家であります。出席しておられました方々は、大体において学者の方が多うございました。非常にふしぎなことを私は感じました。公害罪において因果関係推定規定がございますが、この因果関係推定規定については一大進展である、大きな飛躍であると非常に謳歌しておられました。私は、後ほども少し触れますが、これについては少々の疑問を存しておったのであります。公害罪意見開陳でありましたが、質問の際に、無過失賠償責任制度についての意見を各参考人に求められました。ふしぎな現象対立と申しますのは、学者先生方は、公害罪因果関係推定規定を置くことは非常に前進であると賛辞を呈せられたのに、無過失賠償責任制度を制定することについては非常にちゅうちょされました。これは民法基本原則を破るものであって、慎重なる考慮を要するというような御意見が多々ございました。  最後に私が意見を述べますときに、聞いておりまして非常に奇異に感じましたのは、私たちは、事公害罪、いわゆる人に罪をつける場合の因果関係推定規定は、これは人類が多年にわたって打ち立てたマグナカルタを破壊する危険があるので大反対なのである、反対に、民事上の責任については因果関係推定規定というものは置くべきであり、現に、実際に法廷において行なわれつつある、こういうふうに申し上げたことがあるのであります。その点、学者実務家の間には、相当意見の差があることを私は発見いたしました。私は、事人に罪をつけることに関しては、その因果関係立証はきわめて厳格でなければならぬ、十分なる立証を要する、さらに人権擁護の上で望むならば、十二分の立証を要するとすら考えていたのです。その人に罪をつけるという公害罪の制定にあたって、因果関係推定規定を推奨されるということが、まず私に非常に奇異の感を与えました。反対に無過失賠償責任制度ということになりますと、これは民法の大原則を破壊する危険があるので、慎重なる考慮を要すると非常に慎重論を展開されたのであります。  まず、公害罪と無過失賠償責任制度とを対比いたしまして、根本的意見対立の点に御留意をいただきたいと思うのであります。  わが日本弁護士連合会では、昭和四十五年、新潟人権擁護大会を開きましたときに、五つ原則発表いたしました。その五つ原則の中に、無過失賠償責任制度確立することという原則をうたったのであります。言うならば、法律実務家は、事民事上の賠償問題に関しては、無過失賠償責任制度というものはすでに世の常識となりつつあるのであるから、一日も早く法制上これを確立すべきであるという原則であります。  さらに四十六年十月、神戸における人権擁護大会においては、次のごとき宣言、決議を発したのであります。公害問題における被害救済をはばんでいるものは、単に無過失賠償責任制度だけではない、無過失賠償責任制度確立とともに、因果関係推定規定複合公害における共同責任履行確保の担保、除斥期間の延長、こういうような一連の法体系が成立しない限り、被害救済は簡単に実現されない、したがって、これらの五つの問題を早急に法体系の中で確立していただきたいという決議をいたしました。  越えまして、本年三月、無過失賠償責任制度に関する法律案要綱というものを、実は日本弁護士連合会発表したのであります。従前実務家である私たちは、政府のほうで立案される公害問題につきましては、盛んに批判をさせていただきました。公害問題については、政府のほうでお気づきになったときと民間のわれわれが気がついたときとは同時出発でございましたので、政府のほうで立案なさることについては、われわれも一生懸命に勉強し、これに追いついて、いろいろ意見開陳させていただいたのであります。ところが無過失賠償責任問題につきましては、これは公害基本法が成立されて以来、われわれも研究に打ち込んでまいりましたので、いままでは人の批判をしてまいったが、批判だけではメンツが立たない、事の解決にはならぬという意味で、みずから無過失賠償責任制度に関する法律案というものの要綱発表させていただきまして、これは環境庁はじめ政府当局者のほうへも提出いたしてございます。  これには、たくさんの要求がございましたが、大きくしぼって無過失賠償責任制度因果関係推定規定という二本柱を打ち立てておったのであります。三月三日に環境庁のほうでは、長い名前でございましたが、簡単に申し上げまして、無過失賠償責任制度法律案要綱発表なさいました。その中には二つの柱がちゃんとうたってございまして、一つは無過失賠償責任制度、もう一つの柱は因果関係推定規定でありました。ところが、本日上程されております無過失賠償責任法法律案を見ますと、一番大事な因果関係推定規定が省かれてございます。実務家のわれわれといたしましては、まことに残念しごくに存じておるのであります。実際上、訴訟問題を遅延せしめておりますのは、一体無過失賠償責任の問題なのであるか、従前ことばで申しますと、過失責任主義というものが訴訟進行をはばんでおるのであるか、それとも、もっとほかの要件があって訴訟進行をはばんでおるのであるか。こう申しますと、皆さん方ごらんいただきますとすぐわかりますことは、富山県のイタイイタイ病は、あれは無過失賠償責任制度のもとにおける訴訟であります。新潟における水俣訴訟は、あれは過失主義責任のもとにおける訴訟でございます。ところが、あの訴訟は、進行状態はどうであったかと申しますと、イタイイタイ病のほうが先に提訴されて、第二水俣病あとで提訴されたのであります。ところが結果は、あとで提訴された水俣病訴訟のほうが早く判決がおりた。これは少々行き違ったかもしれませんが、ほとんど時間の差がなく水俣病訴訟判決がおりました。そうしますと、これは過失責任無過失責任かは、訴訟上ではたいした差がないということに立証されたと思うのであります。訴訟を非常に困難ならしめ、遅延せしめておるものは、因果関係立証であります。この因果関係立証を最も如実にあらわしましたのは、イタイイタイ病訴訟であります。被告側は、カドミウムというものがイタイイタイ病原因であるかどうかということについて、非常に精細な科学的な鑑定申請をいたしました。簡単に申し上げますと、カドミウムというものがイタイイタイ病を起こすためには、どれくらいの率で、どれくらいの頻度で、どれくらいの量が摂取されることが必要であるかというようなメカニズムを解明してもらいたいという鑑定を申請されたのであります。幸いに裁判所はその鑑定を却下されましたので、イタイイタイ病判決も案外早く済みました。  こういうふうに考えてまいりますと、公害訴訟をはばんでおるもの、換言しますと、被害救済をはばんでおるものは、過失責任立証ではなくて、因果関係立証なのだ、こう考えますと、環境庁長官のほうで環境庁原案として、この無過失賠償責任制度の中には、無過失責任主義因果関係推定規定を置くべきであると立案されて御努力いただいたことは、私はまことに多としておるものであります。ところが実際に国会に上程されましたものは、因果関係推定規定が削除されておる。一体何がかくせしめたのであるか、かくせしめた原動力は何なのであるか、国民が要望しておる、そうして被害救済を一日も早からしめるために必要な因果関係推定規定を削除させたまのは一体何ものなのか、これは、私は国民の名において強くその責任を問いたいと思うのであり出す。  現在の法案は、困果関係推定規定が削除されました。もう一ぺんこの問題について注意を喚起いたしますと、公害罪において因果関係推定規定を置いた政府が、そういう原案をおつくりになった政府が、民事訴訟における被害救済においてこの因果関係推定規定を削除されたということは、私はどうしても理解できません。日本弁護士連合会人権擁護立場から、人を罪するためには十二分の立証を要するものであるから、ここに因果関係推定規定を置くことは反対であると私は前に意見開陳いたしました。因果関係推定規定公害罪の中に置くことは反対だから、公害罪を犯したものをほうっておけという意味ではありません。もっと確実に犯人をつかまえてくることのできる排出規制において、排出段階においてこれを罰すべきであるということと、反対に、人権擁護のためには公害罪の中に因果関係推定規定は置いてはならないと申しておったのであります。それを民事上の訴訟の中に因果関係推定規定を置くことを非常におそれられる。これは、まさに主客転倒していると言う以外に何のことばがあるでありましょうか。  もっと極論すれば、世の中にはこういう人種が実はおらぬことはないのであります。罰金のほうは何百万円もかけられてはかなわぬが、何十万円の罰金でもかなわぬが、懲役なら一年くらい行ってこようか。もしこういう人種がおるとすれば、皆さん方の侮辱の的になるであろう。ところが、公害罪因果関係推定規定をみずからお置きになって、民事上の責任問題に困果関係推定規定を置くことができないとおっしゃるのは、罰金はこわいが、懲役になら少々行ってきてもよいというような極端な精神構造ではなかろうかと、まことに失礼な疑いでございますけれども、私は疑いを差しはさまざるを得ないのであります。そういう意味におきまして、私は因果関係推定規定を除かれたことについて、まことに残念に存じます。  もう一度蛇足を加えておきますと、民事上の問題は、これはパーセンテージの問題であります。極端なことを申し上げれば、原告が五一%立証し、被告が四九%しか立証しなければ、五一%立証したものに勝訴の判決を与えてよい、なぜならば、事は金で済むことである。しかるに、罪に行かねばならぬことに因果関係推定規定を置くが、金で済むことに因果関係推定規定を置いてもらっては困るという国民精神状態でもしあるなら、私はその国民は不健全な国民だと申したいと思います。この意味におきまして、因果関係推定を除かれたことは、非常に残念に思います。しかし、いまからでもおそくはない。できれば因果関係推定規定を置いていただくことが、この法律をして画竜点睛を描くことになると存じますので、皆さん方の御努力お願いいたしたいと実務家として切望するものでございます。  二番目に、一つ弁護論がございます。因果関係推定規定は非常な抵抗があって抜いた、抜いたけれども、無過失賠償責任制度確立されておるのだ、無過失賠償責任制度確立は一歩前進ではないか、これは非常に世俗的なことばで申しますと、ないよりはましではないかという議論でありまして、こういう議論を承りますが、私は、もしも不完全な法案がいま成立しますならば、その不完全なものはないほうがましであると申し上げたい。まことにおこがましい申し分でございますが、われわれ実務家は、法廷において毎日これを争いまして、一つ一つの問題で判例として打ち立ててまいりました。現在の最高裁判所は、少数意見というものを発表されます。いかなる判例も初めは少数意見であったのであります。したがって、換言いたしますと、判例の進歩は少数意見から出発する。現在の段階におきましては、純然たる狭義の無過失賠償責任判例の上にすでに打ち立てられました。  長い議論はもう省きまして、たった一つだけ援用さしていただきます。昨年の新潟水俣病訴訟では、イタイイタイ病と違って過失主義のもとにおける判決でありましたが、二つの大きな原則確立することによって、無過失賠償責任と同じ結果を得ておるのであります。大きなる利益をあげて大きなる危険を蔵する化学工業に従事するものは、それ相当注意をしなければならない。しかるに、その注意を怠って万全の措置を講じなかったとすれば、そこに一つ責任がある。かりに過失がないという抗弁があっても、永続的な公害事件では、過失主義と無過失主義と同じ結果がそこに裁判所によって認定されておるのであります。  ないよりまし論につきましては、二つの点だけを指摘しておきたいと思います。この法案では、無過失賠償責任は健康と生命に局限されました。われわれ法律実務家では、実務家でなくてもだれでも申しますけれども、法律解釈はいろいろな解釈がございます。勿論解釈というものもあれば、反対解釈というものもある。無過失賠償法律の中に、健康と生命だけが無過失賠償責任が課せられる。しからば、これは反対解釈からいえば、それ以外の責任は厳重なる過失主義であるということを裏書きしたことに相なるのではありますまいか。これは言いかえますと、第二水俣病訴訟でせっかく新潟地方裁判所が打ち立てられた崇高な、高邁な無過失責任主義が、この法律のできることによって足を引っぱられることにならないか。もしも、そういうことは心配要らぬ、足を引っぱるのではなくて応援するのだ、足の足らないところは台をついであげるのだということならば、私は法案の中にそれを明言していただきたい。われわれはいま、まことに至らなくて健康被害生命被害にのみ局限したが、それはこれに局限されるのではなくて、一つの金字塔を打ち立てるための第一歩である。この点をもしも法案の中にうたっていただかない限り、反対解釈によって非常な危険の生ずることを私はおそれるのであります。環境庁長官が、この法案に取り組まれて、紛争処理制度とともに非常に御努力をいただいたことはまことに多といたします。けれども、実際に提案されました法案一つの大きな支柱を欠きますならば、反対解釈によって足を引っぱることになることをおそれますので、何とぞ、まだいまからでもおそくはない、この審議の過程において、少なくとも因果関係推定規定は復活していただいて、この法案がほんとうの意味における前進基地になって、法改正の責重なる土台となることを念願いたしまして、私の意見は終わらしていただきます。(拍手)
  4. 田中武夫

    田中委員長 ありがとうございました。  次に我妻参考人お願いいたします。我妻参考人
  5. 我妻榮

    我妻参考人 大気汚染防止法及び水質汚濁防止法の一部を改正する法律案、長い名前ですが、上程されておる法律案とでも簡単に申そうと思いますが、これに対する参考人意見を要約いたしますと、この法案には不満の点はあるが、それでもなお相当効果をあげることができるから、ぜひ成立させて、これを出発点として、漸次理想に近いものとするように努力すべきであるというのであります。  いま申しました私の要約した意見について、二、三申し上げます。  不満の点はあるがと申しましたその不満の点というのは、私の前の参考人がお述べになったように、因果関係推定に関する規定が抜けたという  ことであります。初め新聞発表になった案では、因果関係推定に関する規定が入っておったのでありますが、それが上程された案には抜けております。その因果関係推定規定があると実際上どんな効果が生ずるかということは、一言にしていえば、訴訟が促進されるということであります。理論としては、おそらく現在の裁判所理論推定が認められているといってもいいだろうと私も思いますし、多くの学者もそう言っているようであります。しかし、判例理論で認められたことでも、裁判所の実際の訴訟の運用の上でそれが認められるまでには、非常に長い時間がかかります。そして、それが被害者にとって非常な不利益であるということは、あらためて申すまでもないことでありますが、それらの点を、ただいまの参考人実務家立場から三井金属イタイイタイ病賠償訴訟について詳細にお述べになりましたので、大体において私もそれに賛成いたしますから、どれだけの効果を生ずるかということは省略いたします。  そこで、それに関連して申し上げたいことは、こういう規定があると非常にきつい、きびしい責任を認めることになって、企業が成り立たないという非難があるようであります。そして、無過失責任因果関係推定というものを結びつけるということは、絶対に避けるべきだという議論もあるようであります。その点について私の意見をちょっと申し述べさせていただきたいと思いますが、端的に言って、こういう理論はちょっと何か感違いをしているのじゃないかという感じがいたします。  三井金属の例で話を進めてまいりますと、三井金属イタイイタイ病原因であるかどうか、具体的にその場合に原因と認めるべきかどうかということが、因果関係推定の問題であります。それから、それが原因であるということが認められた上で、それなら三井金属カドミウムを含む水を放出することについて過失があったか、工場の設備が悪かったとか、その他何かあったかということが、そこで初めて問題になるのでありまして、因果関係の問題と過失の有無という問題とは関係がない。現にこの三井金属の問題は鉱業法によって責任を問われているのだといたしますと、鉱業法はすでに無過失責任にしておりますから、無過失責任にしているということと因果関係推定ということとは、いわば面が異なる問題でありまして、それを結びつけるからといって責任がきびしくなるという議論は当たらないと思います。  それから、この推定規定新聞発表になった推定規定解釈のしかた、反対する人の解釈のしかたが少しおかしいと思いますのは、あの案の中に、ばい煙等を「排出した者がある場合において、その排出により人の生命または身体に被害が生じうる地域内に」と、「地域内に」ということをはっきり言っておるのですね。だからこれは、新聞か何かに出たことでありますが、たとえば、名古屋一酸化炭素か何か有害なものを放出する工場がある、そこから煙突の煙を出している、ところが大阪ぜんそくになった人がいる、ぜんそくになった大阪の人が名古屋工場を訴えたという場合に、それは推定が及ぶかどうか。いきなり推定が及ぶと解釈して、これはきびし過ぎるという批判をする人が多いようでありますが、それは間違いだと思います。なぜ推定が働くかというと、名古屋の煙が大阪に届かないとは言えないじゃないか、届かないとは絶対に言えないだろう、だから推定が働く、こう言われるようでありますけれども、「被害の生じうる地域内に」とはっきり制限しておりますので、名古屋の煙が大阪に届かないとは言えないということと、届き得るということは、理論的には同じことかもしれませんけれども、訴訟進行の上から見ていけばまるで違うことなんです。「生じうる」ということは、いろいろな気象条件とか、あるいは地形の状態とか、いろいろなことから見て、生ずる蓋然性があるということでありまして、それはまさに原告が挙証しなければならないことなんです。原告が、名古屋の煙が大阪に届かないとは絶対に言えないじゃないかと言っただけでは、推定規定の利益を受けることができません。ですから、「生じうる」ということだけは、どうしても推定規定の働く前提要件として、原告が挙証しなければならないものだと私は考えております。  そこで、もっとほかの例をあげますと、たとえば川崎工場から排出する煙が木更津まで行くかあるいは千葉まで行くか、それとも船橋あたりでとまるかというような問題は、常に蓋然性を原告が証明することによって、初めて川崎工場の煙が原因であるということの推定が働くのだ。そうだといたしますと、一部の人がおそれるほど、それほどきびしい責任とは言えないと私は考えるのであります。  そういうような点で、私は訴訟を促進させるという大きな効果のために推定規定のあることを望む、そしてそれを入れても、一部の人がおそれるほど、そんなにむちゃなものではないということをつけ加えて申し上げたわけであります。  それから、問題として努力すべき多くの点がありますが、これを一々申し上げていてはたいへん長い時間を必要とすると思いますので、午後の質疑のときにでも、機会がありましたら、申し上げることにいたしますが、問題点を拾っていきますと、この賠償責任を生ずる原因となるものが制限されている。その制限されていることにも二つ意味があるようでありまして、一つは、大気汚染と水質汚濁に限ってみても、その原因が行政庁が規制しているものに限られている、それが不満だというのと、それから同じ公害のうちの騒音、悪臭、振動、地盤沈下というような、大気汚染と水質汚濁以外の公害原因については何ら規定していない、それがはなはだしい片手落ちではないかという非難といいますか、疑問といいますか、二つあるようですが、しかし、こまかい議論は別として、それぞれ主張しておられるところには理由があると思いますけれども、一方は、漸を追うて進んでいくということに望ましい点も存在すると思いますので、現在の法案ぐらいなところでまず一歩を固めるということにも相当の意義があると思います。ことに騒音とか、悪臭とか、振動ということになりますと、どの程度になったときにそれを押えたらいいか、あるいは損害賠償の責任を生じさせたらいいかという点では、まだまだきめこまかに研究すべき点が残っているように私には思われますので、この問題はこれから研究して、一方ではもう少しきめのこまかな規制をする、同時に他方では責任を負わせる。申すまでもなく規制基準に従ってさえおれば責任はないというのではありません。そこに直接の結びつきはありませんけれども、企業としては、一応きめこまかな規制ができておればそれを目安として努力するということになるのは自然の勢いでありますから、そうした両面の努力を重ねていくべきものだ、そのほうが少なくも適当なんじゃないかというふうに考えております。  それから、損害を身体、生命の損害に限って財産の損害に及ばない、これも非常に大きな問題だと思います。しかし、現在の日本の損害賠償の特別の制度としては、生命、身体に限っておるものもないわけではありません。そしてそれがどこまでの財産的損害を含ませるかということにも相当な問題がありますので、常識的に見て、まず生命、身体の損害ということに制限して、財産に及ぼしていくことを漸次考えるということにも相当の理由がある、少なくも財産に及ばない以上はこんな法律はないほうがいいとはいえないのじゃないか、こう考えます。  それから、そのほかのいろいろな立場からの案を拝見いたしますと、損害賠償保障制度をつくるべきだといわれておりますが、これは非常にごもっともなことでありまして、損害賠償義務を判決で認めましても、はたして金が取れるかどうかということには相当問題があります。ですから、賠償を確実にするということ。それからもう一つは、現に走らしておるあの無数に多数の自動車から出る排気ガスが一緒になって相当大きな公害問題を生じている。その場合に、すべての自動車を動かしている人に対して連帯責任を負わせるということも決して適当な方法ではないと思われますので、何とかしてそれらの人から何らかの名義で賠償のファンドになる金を取り上げるということも同時に考えられるだろうと思います。ですから、この制度は非常に必要だと思いますが、御承知のとおり、原子力損害の賠償に関する法律、それから自動車損害の賠償に関する法律、それから鉱業法の賠償に関する問題なんかについて、それぞれ多少ニュアンスの違う保障制度ができておることは御承知のとおりだと思います。したがって、公害の場合にどの制度によったほうがいいかということはまさに研究する必要のあることでありまして、これは焦眉の急としてやるべきことだと思います。  それから、差止請求というものもありますが、これも非常にごもっともなことでありますが、公害を防止する措置というのは非常に多種多様でありまして、常に操業停止とまでいっていいものかどうか、場合によっていろいろ考えられるのじゃないか。したがって、現に損害を生じておるときには、行政官庁は、直ちに遅滞なく何らかの措置をとるべきであって、被害者に差止請求権を認めようということは、まさに行政庁に対する不信、信用しないということを示していることだと思います。行政庁としては、よろしく反省をして、差止請求という法律的な制度を設けなくとも十分それにこたえるだけの体制を整えるべきだと思います。  それから、それは差止請求じゃなくて、差止請求権は前に申しました。  いまのは規制措置の請求権です。行政官庁に対して規制措置を請求することができるというのはごもっともなことだけれども、行政庁としては、特にそういう制度がなくとも、被害者の要求をよく勘案してそれを十分実行すべきである、こう申すわけであります。  もうちょっと時間をいただきまして、最後に、この法案そのものがないほうがいいという批判もあるようであります。こまかになりますので簡単に申しますが、問題にされておる一つは、共同不法行為の場合に、その原因となる程度が「著しく小さい」場合には「しんしゃくすることができる。」としております。この立法の趣旨はおそらく、たとえば四日市というところに大きな煙突が十ぐらいあって、いずれ劣らぬ大きなものだ、ところが、その中に小さい鋳物工場一つ四日市の中にあると仮定します。そうしますと、この法律を適用していきますと、その大きな煙突と小さい鋳物工場とが全部連帯責任になりまして、かりに損害が一千万円だとしますと、その鋳物工場も一千万円の損害賠償という連帯責任を負わされるわけです。どうもそれは少し気の毒だといいますか、公平を失するような感じがするんじゃないか。したがって、そういう場合には、ほかの大きなものはみんな一千万円の連帯責任だが、この小さい鋳物工場だけは百万円に限定してやろう、ただし、全部連帯ではあるということをやるという立法の趣旨は、そのものとしてごもっともだと私は思うのです。ただ、反対する人は、こういう規定があると、連帯責任を請求された被告は、われもわれもと、おれのは少し小さいぞ、おれのは少し小さいぞ、あれは一〇〇だろうがこれは九〇だ、これは七五だといって争ったら、非常に裁判を長引かせることになって、裁判所に重荷を負わせることになりはしないか。しかし、これは「著しく小さい」ということばからいっても、また、立法の趣旨から考えても、そんなに問題にはならぬ。たとえば、ただいま申しましたように、あっちは一〇〇でもおれは九〇だ、九五だというところまで認めようとするのじゃなくて、全部が一〇〇であるのに小さいものが一つ入っているときに、そのもののために考えてやる、しかも「しんしゃくすることができる。」というのですから、裁判所によってそれほど争いに巻き込まれないで早く判決するということも期待し得るのではないか。  その次の問題は過失責任の問題で、二十五条の三で「被害者の責めに帰すべき事由があったときは、」「しんしゃくする」という規定ですね。これもなるほどごもっともな点を含んでおりますけれども、損害賠償は一括して集団的にやるのじゃなくて、やはり個々の人が個別的にやるのですね。公害というものは一般的に生ずるでしょうけれども、どれだけの損害をこうむったかといって損害賠償の請求をするときには一人一人個別的になりますから、その個別的の事情を考えて、ほかの人にはそういう損害は生じていないが、この人にだけそういう損害を生じている、その原因は、その被害者の責めに帰すべき事由があるからだという場合もあり得るじゃないか、だからこれを残しておくということにも意味があるように思います。  最後に、全体に対する感想でありますが、中途半ぱな法律をつくるという場合に、そういう中途半ぱなものはつくらないほうがいい、もっと完全なものをつくるまでは何もつくらぬほうがいいという判断と、中途半ぱではあるけれども、まあ一応これをつくって、これを拠点として進んでいこうという判断と、二つの判断があり得ることであります。そしてそのどっちの判断をするかは各人の価値判断にもよるでしょうし、また見通しということにもよるだろうと思います。しかし、この公害という問題についての官庁の態度、それから企業者、産業界の態度、学者の態度、国会の態度というようなことを全部一緒にして考えてみますときに、これは中途はんぱでだめだ、根本的に考え直して出せということが決して得策ではないと私は思います。この中途はんぱなものはやめて、来年でも再来年でももっと完全なものをつくれと言われて、はたして来年完全なものができる見込みがあるのかと私に聞かれると、私の予測ではそれはどうも望みがない、中途はんぱなものだからといってやめると、根本的にこの法律反対する人がひそかにほっと安心するくらいのことである、中途はんぱだからやめようという方は、それらの事情まで考えた上で判断をなさるべきだろうと私は考えます。  以上で終わります。(拍手)
  6. 田中武夫

    田中委員長 ありがとうございました。  それでは次に、戒能参考人お願いいたします。
  7. 戒能通孝

    ○戒能参考人 私のところに渡された法律案二つございます。一つは、環境庁の作成した大気汚染防止法及び水質汚濁防止法の一部を改正する法律案と、それからもう一つは、議員提案の公害に係る事業者の無過失損害賠償責任等に関する法律案二つあるわけでございます。そして当然国会において審議の主要な対象になるのは環境庁作成の法律案であるというふうに考えるわけでございます。  環境庁作成の法律案によりますると、二つの点、つまり大気汚染並びに水質汚濁防止に関する点についての無過失責任を認めるという点が主要な内容のように思うのでございます。けれども、大体におきまして、公害についてある被害が起こる、人命に関する、あるいは健康に関するある被害が起こるというふうな場合におきまして、現在の状態において、はたして無過失という現象があるであろうかという問題が出てまいります。公害というのは、少なくとも相当広範な地域にかかる現象でございます。したがって、汚染質も相当大量に出ているということが前提になると考えていいのであろうと思うのでございます。こういう場合におきまして、大量の汚染質を発生させる排出源というものについて、はたして無過失といえるであろうか、この点が問題になるわけでございます。  どの企業も、実際裁判なんかになりますと無過失だということを主張いたします。一番ひどい例はチッソの場合でございます。チッソは、水銀をどんなに少なく見積もりましても百トン以上海中に流しているわけでございます。昭和七年から昭和四十三年までの間におきまして百トン以上の水銀を海に流しているわけでございます。しかし、それにもかかわらず、自分たちは、流した当時の状態においては無機水銀が有機水銀に変わるという知識を持っていなかったし、持つことについて過失はなかったから、したがって無過失であるというふうな主張をするわけでございます。しかし、常識的に考えましても、百トンの水銀を流したというふうな場合には、これは百トンの水銀を流すについて相当注意をしなければならないというのは常識であろうと感じているのでございます。百トンと申しますと、現在世界全部で使っている水銀が年に大体一万トンでございますので、その一万トンの百分の一を水俣湾という非常に狭い地域に流す行為でございます。しかし、百トンというふうに限定していいかどうかとなると、これははっきりわかりません。チッソの言い分によって大体百トンということになるのでございます。チッソの言い分以外に、客観的に見たらどれくらいになるかということはわかりかねます。むしろ六百トンであり八百トンであると考えてもいいのではないかと思えるのでございます。  そういう大量の水銀を流すときに、はたしてほんとうに無過失だったといえるかどうかということがまず第一の問題であると考えていいと思うのでございます。現にチッソ自身が、無機水銀は有機水銀に変わらないと思っていたと言っておりますけれども、チッソ自身でも、無機水銀が有機水銀に変わることを知っておりました。五十嵐さんというチッソの非常に優秀な技師がいらっしゃいます。その方が、有機水銀に変わる、変わった量を測定する方法を考案されまして、それを学位論文として提出されまして、しかも学位を受けていらっしゃいます。したがって、チッソ自身も、無機水銀が有機水銀に変わるということを知っていたわけでございます。それから先、その有機水銀がどんな作用をするであろうかということは、大量に流す人間が当然みずから調査してみなければならないことだと思うのであります。それが魚に蓄積する、水のモに吸収されてやがて魚に蓄積するというふうなことは、当然みずからやってみなければならないことだと思うのでございます。また事実チッソにはその分析をする機械もございますし、それから分析能力という点から申しますと、熊本大学などよりもはるかに高かった。お医者さんと科学技術者と二つ比べまして、医師の分析能力のほうが科学技術者の分析能力よりも高いというふうに考えることは不可能でございます。むしろ分析の専門家のほうがはるかに優秀な技術を持っていたと考えるのが妥当であると見ていいわけでございます。  その意味におきまして、公害についてはたして無過失ということがあり得るだろうか、過失責任がむしろ当然ではないか、言いかえてみますると、この環境庁法案が出なくても、この法案程度のことならば裁判で確定できるということが言えるのではないかと思うのでございます。また裁判で確定できるわけでございますが、四日市の事件などにおきましても、被告になった各社は、いずれも自分たち責任は千分の十六だとか千分の三十だとかいうことを盛んに申しているわけでございます。そうしますと、その全部足しましても千分の二百くらいにしかなりません。そうすると、一体なぜ現実に亜硫酸ガス、粉じんというふうなものが四日市に降ってきたのだろうかというこは解けないわけでございます。大規模な発生源というものを全部足して、彼らの主張を全部認めますと、実際に答えが出ない。だれかがうそを言っている、あるいは統計が間違っている、調査が間違っているということにしかならないのでございまして、この程度のことでございましたら、法律案が成立しなくても現実にはそのまま通ると考えていいと思うのでございます。  どちらにせよ、この法律案が成立いたしましても、裁判が必要であることは間違いございません。ただ裁判が名目的に簡易化されるというだけのことでございまして、裁判が必要であるということは間違いないわけでございます。いま我妻先生は、この程度の法律案でもあったほうがましだとおっしゃいました。しかし、あったほうがましだとおっしゃいましたけれども、裁判の手続が要らないというわけにはいかないわけでございます。裁判手続が行なわれれば、どんな場合におきましても、必ず自分の責任は非常に少ないとか、自分は無過失だとかいう主張あるいはまた自分には因果関係がないとかいう主張が出てくるに違いないのでございます。  ただ、しいて申しますと、現在では、公害裁判につきましては、多くの弁護士たちが無料奉仕をしているわけでございます。無料だけではございません、手弁当で経費自分持ちで奉仕をしております。しかし、第二次、第三次あるいは第五次、第十次という公害訴訟になりますと、手弁当奉仕の弁護士はほとんどいなくなるだろう、最初の問題でございますとみな張り切りますけれども、十回目、十二回目となりますとそう張り切るわけにはいかない、できるだけ簡易な手続で結論をとらなければならないという必要が出てくる、これが起こるのではないかと思うのでございます。それくらいならば、この法律案に弁護経費、訴訟経費の貸し付け案というふうなものを含ませていただいたほうがより実際的ではないかと思うのでございます。大規模な公害訴訟については、訴訟経費を貸し付けるという制度を入れられたほうがはるかに実際的ではないかと思うのでございます。  現在、水俣病訴訟などにおきましては相当の経費が必要でございまして、新潟の弁護団に聞いたところによりますと、やはり経費として使ったのは二千万円をこしていたということでございます。数千万円になりますと、もちろん被害者が自弁できるわけではございません。多くの支持者がそれに対して寄付をする、カンパをするということでお金を集めていくわけでございます。初めのうちは弁護士だけでやっていきますが、しかし、やがてそれではまかないきれないという金額が出てまいりまして、大衆の支持を受けなければならないという面がございます。大衆の支持も最初の事件ならば相当集まりますが、二回目、三回目の事件についてはなかなか集まりにくいということになってまいります。その意味におきまして、もしこうした法律案をつくるならば、訴訟経費の貸し付け案、最低限度の経費は貸し付けるという制度をはっきり盛り込んだほうがはるかに有効ではないかという印象を持つわけでございます。  どちらにしても、私としては、この法律案が出たとしても訴訟が簡単になるという理由はない。弁護士でございますから、被告側弁護士は、いろいろなことを考えます。ありとあらゆることを考え、また、それに対して理屈をつけるということは当然でございます。大企業の弁護士になればなるほどいろんな理屈を考えますし、訴訟引き延ばしをはかります。失礼でございますけれども、我妻先生のいま仰せになったことは、若干訴訟の実際とは離れているのではないか。結論を得るためには、どのみち数年間かかるということは間違いないわけでございます。それを断ち切るにはそれをやってもかまわないのだ、むしろ加害者の第一責任者を法廷に呼び出してきて、その責任者の言うことが偽りである、うそであるということをはっきりさせることによって被害者に満足感を与えることがむしろ重要ではないかと思うのでございます。  現在の公害訴訟進行ぐあいから申しまして、被害者にとって一番大きな満足と申しますと、これは損害賠償を取れたということではございません。むしろそれよりも、いままで傲慢にかまえ、尊大にかまえた企業、あるいはまた学者づらしていた大学教授というものの面皮がむかれたというところに一番大きな満足感があるわけでございます。新潟水俣病訴訟などの記録を読みますと、一番満足感を感じておるのはそれである。また、熊本の水俣病訴訟の記録を読みましても、チッソがいままでずっとうそをついてきたということが法廷でだんだん暴露していく。それが一番大きな満足感をもたらしております。したがって、当然心からあやまらなければならないはずである。心からあやまるということになったらどうすればいいかということを被害者のところに聞きにこなくちゃいけない。どのみち、チッソなんかの場合をとってみますと、今後何千人被害者が出るかわかりません。おそらく数千人から数万人の単位に上がっていくだろうと思われるのでございます。そうすればチッソは賠償の資力がないということになっていくんじゃないか。資力がないものからどうして取るか、これはむずかしゅうございます。したがって、チッソに対してほんとうの要求をするということはどうすればいいのか、自分たちのほうに聞きにこいということが一番重要な点じゃないかと思うのでございます。  日本の公害被害者というのはひどく寛大でございます。場合によりますと寛大に失するほど寛大でございます。いままでほんとうに賠償金額の全額を払えと要求した人はございません。むしろ金額はどちらでもいい、それよりもあやまれ、わびろ、謝罪せよということが主要な目的でございました。謝罪すらしないというところに一番大きな問題があったわけでございまして、金額がどうであるということではなかったように思うのでございます。  また事実、一企業では公害の損害賠償を全部引き受けるということはほとんど不可能でございます。どんな事件でありましても、被害というのはだんだん拡大してきまして、おそらく健康そのもの、あるいは財産的被害なんかにいたしましても、だんだん拡大して、企業自身では支払いの範囲を越していると感じているのでございます。四日市なんかについて申しましても、被害者の数というのは今後ますますふえるにきまっております。数千人になったときに、はたして一体企業が賠償能力を持つだろうか、これは持たないというのが普通だと思うのでございます。中部電力にいたしましても、あるいは三菱系統の会社にいたしましても、大協石油なんかにいたしましても、損害賠償の金額が数千人あるいは数万人を単位にしてまいりますと、とても経済的には払い切れないということになっていくんじゃないか。それよりも、むしろ裁判によって彼らがうそをついてはならない、裁判の場において彼らがうそをついている、その責任を糾弾するほうがより大きな役目をしているということは事実だと思うのでございます。  その意味におきまして、現在の裁判所では当然認めそうなこと、現に認めていること、それを確認するために新しい法律をつくってもそれほどの意味がないというのが私の受ける印象でございます。したがって、もちろんこの環境庁のこの法律案を通してくだすって別に困るという趣旨ではございませんけれども、通していただいても別にたいしたことはないという点が、私の受ける一つの印象でございます。  公害問題を研究している宇井純君なんかの話によりますと、公害に関する法律というのは事件をごまかすために出すものらしい、一つ法律を出しておくと三年間は持つ、だから公害に関する法律は三年ごとに新しくなるというふうに言っておりました。最近ではそれが二年ぐらいに変わっております。つまり公害というのはそれだけひどくなってきまして、だんだん一つ法律の持っている時間的な生命が短くなっておる。だから二年ごとになり、やがて一年ごとということになってくるだろうと思います。しかし現在では、この法律案では、裁判で確定できる程度のものである、それ以上のものにはならないということがまず出てくる印象であると申していいと思うのでございます。  もう一つの議員提出法律案は、現状におきましては、この程度のことをやはり最低限度のものとして求めていいのではないかと感じているわけでございます。ただ、ここで一つ落ちていることは、これは自動車排気ガスの問題でございます。自動車の排気ガスというのは、個々の自動車所有者の面から申しますときわめて小さな寄与しかしておりません。しかし、自動車製造業者の立場から申しますと、年間何百万台も車を売ればどんなことになるか、ほぼ予測がつくはずでございます。したがって、自動車製造業者、自動車産業に対しましては、マスキー法並みのもっと厳格な法律が要るのではないか。それがないと自動車公害というやつは防ぐ道がないと思うのでございます。議員提出案によりましても、自動車の場合については抜けているという印象を持つわけでございます。  確かに東京なんかにおきましても、亜硫酸ガスと浮遊粉じんにつきましては、かなり努力をして少なくしたつもりでございます。亜硫酸ガス、浮遊粉じんは、二、三年前に比べまして相当減っているという面がございましょう。そして植物学者から私が注意を受けましたのは、ことしの緑は去年に比べるとはるかにきれいだ、なぜか原因を調べるべきであるという御注意を受けました。そう言われてみますと、確かにことしは緑が非常にきれいになっております。しかし反面におきまして、光化学スモッグ類が非常にふえているわけでございます。ふえたというのは量的にふえたのか、それとも測定器がふえたものですから測定できる量がふえたのか、その辺のところが正確にわかっておりません。しかし、光化学スモッグが、相当ふえている、測定できるスモッグが相当ふえていることだけは間違いないと言っていいだろうと思います。  しかも、光化学スモッグというのは、いまの計器で申しますと、汚染の非常にひどいところにおきましてははかる道がございません。現在では、そこにスモッグがあっても、汚染がひどいところでは計器にかかってまいりません。汚染が比較的に少ないところで計器にかかる仕組みになっているわけでございます。オゾンがどうしても中心でございますが、オゾンは不安定物質でございますので、汚染がひどいというとほかの物質にまぎれ込んでいきまして、計器にはかかってこないわけでございます。  それじゃ汚染のひどいところが汚染していないかというと、そうではございません。やはり汚染の源泉になる第一次汚染質を相当大量に供給しておるということは間違いないと考えていいと思うのでございます。汚染の少ないところが光化学スモッグが強くあらわれてまいりますけれども、そこで自分で汚染質を製造し排出しているわけではないと考えていいと思います。しかも、光化学スモッグを防ぐということになってまいりますと、個別的に何を押えたらいいか、個別的に、窒素酸化物を押えたらいいとか、それから炭化水素のどの部分を押えたらいいとかというわけにはまいりません。要するに、空気そのものを清浄にする以外にどうにもならないわけだと思うのでございます。亜硫酸ガス類は、光化学現象の中で硫酸ミスト化してまいりましょうし、窒素酸化物は硝酸ミスト化してまいりましょうし、炭化水素類はアルデヒドとかPANとかいうふうな物質に変わってまいりましょうし、個々のものを押えるというわけにはいかない。全体として空気をきれいにする以外にないわけでございます。きれいにするためには、固定燃焼炉と同時に移動燃焼炉としての自動車の内燃機関の改善を求める以外にないのではないかと思うのでございます。その意味では、自動車の問題につきましても、製造業者に責任があるというような、そういう法律が望ましいのではないかと思うのでございます。  アメリカのミシガン州で一昨年の七月にできた法律によりますというと、だれでも公害源に対しては差止命令を請求する訴訟ができる。訴訟上の利害関係はなくても訴訟ができるということにしているわけであります。その原案を書いたのはサックスというミシガン大学の教授でございますが、一昨年の三月に東京で社会科学者公害問題に関する国際シンポジウムをやったときに彼が来ておりました。そして水俣病の映画を見まして非常に強く感銘を受けたようでございました。万一こんなことがあったらどうしようかという点が、彼の関心の対象だったようでございます。彼は、帰国の後、ミシガン大学の学生を使いまして、ミシガン湖の川底のどろなどをずいぶん調査いたしました。そうしたら意想外に水銀があったということを発見しております。そのことが前提になってミシガン州法ができているようでございます。  ともかく水俣病みたいな病人が出たら、これは被害者としてもたいへんに困ります。終わりでございます。と同時に、加害者としても、やがてその企業の生命がなくなってしまうわけでございます。だから、水俣病にせよ、あるいは四日市ぜんそくのたぐいにせよ、ああいう病気を出しちゃったら、困るのは被害者だけではなくて加害者も非常に困るんだということ、それをやはり法律によって徹底的に理解してもらうようにしていただくことが一番重要じゃないかと思うのでございます。  どうも失礼いたしました。(拍手)
  8. 田中武夫

    田中委員長 ありがとうございました。  次に、島津参考人お願いいたします。島津参考人
  9. 島津邦夫

    島津参考人 私は京都商工会議所の専務理事をしております島津でございますが、日本商工会議所のほうで公害対策委員会がございますが、その公害対策委員会の小委員長をしておるものでございます。   〔委員長退席、島本委員長代理着席〕  ただいまいろいろお話がございましたが、私は、法律それ自体につきましては非常に暗いわけでございますが、私ども産業界、特に中小企業の立場から陳述をさせていただきたいと思います。  まず最初に、私ども産業界の公害防止に対する意識と申しますか、努力と申しますか、これは数年前あるいはそれ以上前と比べましてもがらっと変わっておるというのが実情でございます。たとえば京都の場合におきましては、大発生源というものは、公害についてはございません。しかし、中小企業あるいは中堅企業というような面におきまして、あるいはそれ以外のビル暖房その他を含めまして多数の小さい発生源があるわけでございますが、私ども商工会議所の場におきましても、公害問題、公害対策は一番重要な問題ということから、いろいろと経営者に対する指導をやっておるわけでございます。たとえば、具体的に申しますと、法律とか条例の説明会とか、あるいはこの技術の講習会あるいは見学会というのを年に二十回近くやっておりますが、ほかの会合と比べまして、そういうときには会場がいつもほとんど満員になるというような状況でございまして、そういう点がほかの問題とは非常に違っておるのではないかと私は痛感をしておるわけでございます。  同時に、一昨年以来、産業公害相談室というものを設けまして、主として京都大学の衛生工学科の先生方を中心に相談を受けておるわけでございますが、これにつきましても、だんだん相談件数というものもふえてまいりますし、それからその相談の内容でございますが、これも非常に専門的と申しますか、技術的というか、具体的になっておりまして、ある社につきましても、何回も見えられて、これはこういうふうに設備をつくったけれども、どうもまだ満足なところまでいかない、どうしたらいいかというようなことで、熱心にいま相談を受けておられるというような状況でございます。  そういう点におきましては、一昔前というとあれでございますが、非常に隔世の感を抱くのでございます。こういうことは、行政機関でございます京都府とか、京都市、こういった方面の非常な御指導にまつところも大きいのでございますが、やはり事業者といたしましては、二十に近い公害関係の行政法規の制定、そしてこの規制基準に違反しますと直罰になる、こういうような制度、さらにきびしい内容を持っております京都府公害防止条例、これは非常に独自の規制基準もございます。上のせもございます。そういうものの実施というようなことからいたしまして、何とかこの条項を守っていく、また趣旨を体していこうというようなことが企業の側におきましても徹底して真剣に受け入れられておるということだと感じておるのでございます。現在におきましては、汚染物質の処理によりましてできてきますところのスラッジの処理、廃棄物の処理というようなところのほうにむしろ大きな問題がございます。  そのような中で今度の無過失損害賠償法案でございますが、私どもといたしまして、この定められた基準を順守していくためにはどういうふうにしたらいいか、非常に苦心をしてそれをやっておるわけでございますが、防止設備につきましては、かなりの資金も要るわけでございます。また、規制基準が変わりますと、それを改善するというのではなくて、初めから設備をやり直ししなければならないというようなことにもなります。そういうようなことで、基準を守るということは当然のことではございますが、実際は、技術の問題とかあるいは技術開発の問題、たとえば中小企業の場合におきまするBODの除去というようなことにつきましては、敷地の問題などがありまして、なかなかぴったりする技術が今日もまだないというようなことで、苦心をしておるのでございます。  しかし、この基準を守っていても、そうしてまた過失なくしても責任を問われるというような制度でございますが、これは中小企業の立場からいたしますと、率直に申しましてたいへんな制度だというように考えられるのでございます。また、経営努力の指針というものをどういうふうなところに置けばよいのかというような点につきまして素朴な懸念を持っておるのでございます。しかしながら、事人生命あるいは健康に関する問題でございますから、生命や健康というふうな問題につきまして御迷惑をおかけするというようなことにはやはり賠償責任を持つということは、被害を受けられた方々から見れば当然ではないかというようなことで、お互いに申し合っておるのでございます。  この制度をせっかく今度は政府におかれまして苦心をしておつくりになったわけでございますから、いま申し上げましたいろいろな懸念はございますけれども、私どもはこれに従っていくべきものではないかというように考えるのでございます。同時にまた、事業者、特に中小企業者の実情をくんでいただきまして、公平なあるいは公正な運用をやっていただきたいと考えておるのでございます。  特に、この法案の内容につきまして二、三申し上げますと、まず、以上申し上げましたことから、やはりこの制度は、人の生命、健康に関する問題に限っていただきたいと思うのでございます。  それから、いわゆる複合汚染でございますが、この問題が最も深刻な問題だと思います。民法七百十九条に書いてございますことから、たとえば数人とかあるいは数社のコンビナートのような場合でございますれば別といたしまして、非常に多数の集落によりまして——京都の場合におきましては大きな発生源というのはございません。小さな工場の集まりあるいはビル暖房あるいは京都に入ってくる車の汚染というようなものの集積でございますが、そういうような場合におきまして、その中から、工場であるために、そのうちの一つの小企業がたまたま訴訟を起こされる、そしてそのときに、連帯責任をもちましてすべての損害賠償責任を、これは実際には負担できないような重い責任を負わされる。   〔島本委員長代理退席、委員長着席〕 また、求償と申しましても、なかなか実際上はむずかしいと思うのでございます。そういうことを考えますと、非常にたえがたい点があると思うのでございます。通常は、資力のある人が選ばれて訴訟を受けるというような推測もされるかもしれませんけれども、そういった推測論では、私どもは安住ができないのでございます。ただ、この共同不法行為の場合におきましては、幸い、政府案におかれましても、また三党案もそうでございますが、しんしゃく規定というのが入っております。この規定によりまして、悪意があるという場合は別でございましょうが、ぜひこの分割責任ということを明確にしていただきたいと考えるのでございます。  それから、ただいまも因果関係につきましていろいろと御議論があるわけでございますが、この因果関係推定規定というものを拝見いたしますと、複合汚染の場合におきまして、ほんの少しでも損害の発生に寄与しているということになりますと直ちに連帯責任を負わされるという可能性を持っているというふうに私どもは思うわけでございまして、その点が非常に問題かと思っておるわけでございます。この因果関係それ自体の推定だけでなくて、共同不法行為の共同の推定というものも、小さい原因者に対してもなされるのではないかというようなことをおそれるのでございます。ですから、川の汚染の場合におきましても、非常に遠い距離を隔てている場合におきまして、その上流と下流とがあるような場合におきまして、上流のグループの中の一個の中小企業者が下流の責任まで全額負わされるというようなことは、たいへんではないかというように思うのでございます。  中小企業者の場合におきまして、これは大企業の場合とはいささか違うわけでございますが、訴訟を起こされるというだけでもたいへんなことでございますが、これを反論して推定をくつがえすというようなことにつきましては、これはいわゆる口頭弁論というものをやっていくというようなことはなかなか容易ではないと思うのでございます。また、中小企業経営と申しますと、大企業のような非常に複雑なメカニズムを持つような装置とは違いまして、操業の状況とかあるいは作業内容というようなものにいたしましても、外部からもよくわかる。そういう意味で、法廷訴訟におきましてはむしろ弱い存在だというように考えておるのでございます。  この因果関係推定の問題でございますが、今回、この国会で御審議中の公害紛争処理法案があると私は承っております。その公害紛争処理法を改正されることによりまして裁定制度を設けられる、そしてこの専門的なあるいは技術的な知識あるいは専門家を集められまして、権威のある裁定をされるというように承っておるわけでございます。その中で、原因裁定というのがあるそうでございますが、この原因裁定というのは非常によい制度ではないかと思うのでございます。また、この原因裁定をされる場合には、ある程度委員会で独自に職権的に調査、判断をされるように承っておりますが、私は、そこで明らかにされたことを訴訟において活用されるならば、こういうような因果関係推定規定というようなものがなくても、実情に沿った解決がなされるのではないかと存ずるのでございます。  以上が法案の内容につきまして二、三申し上げた点でございますが、以上の要旨につきましては、私ども日本商工会議所のみでなく、全国中央会あるいは全国商工会連合会のほうにもいろいろと御意見を伺いまして、検討いたしまして、おもな点はそれらの団体の方々と同じ認識を持っておるわけでございます。  最後に申し上げたいのでございますが、ただいま業界は非常に内外たいへんな時期にございます。不況はもちろんのこと、またドルの問題によりまして、貿易の面におきましてもなかなか円の手取りが上がってきておりません。しかし、私たちは、このような時代においても、地元でございます京都の伝統的な工芸産業、清水焼きとかあるいは友禅、そういうのに代表されますようなすぐれた技術あるいはデザインというものを守っていきたい。また、京都の精密機械、その中には公害分析機器というようなものもございますが、そのほかの近代的な機械工業というのが発展をしておるのでございます。そういうことで、こういう事態であればこそ付加価値の高い産業に発展をさせてまいりたい、そうして内外の人々の豊かな生活の基礎にしてまいりたいということでがんばっておるのでございます。このことは何も京都だけではございませんで、他の中小企業の産地もおそらく同様の御苦心をされておられることと思うのでございます。そういうような立場から申し上げたのでございまして、どうか私たちの意のあるところを御賢察をいだだきますように懇願をいたしまして、私の陳述を終わらせていただきます。(相手)
  10. 田中武夫

    田中委員長 どうもありがとうございました。  次に、斉藤参考人お願いいたします。  ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕
  11. 田中武夫

    田中委員長 速記を始めて。  斉藤参考人
  12. 斉藤又蔵

    斉藤参考人 ただいま紹介されました川崎公害病友の会の斉藤又蔵でございます。  もう前に四人の方がいろいろ申されましたから、私は、むずかしいことはあまりわかりませんし、そこへ持ってきて、ただいまも発作が起きたような状態で、この二十分間という時間は持ち切れないかもしれませんので、もっと短縮して簡単に申し上げさしていただきます。
  13. 田中武夫

    田中委員長 はい、けっこうですよ。
  14. 斉藤又蔵

    斉藤参考人 公害被害者立場から私は一言申し上げます。  私は、突然昭和四十三年十月にこのぜんそくに取っつかれて、発作というものを起こした。病気を若いときからしたことがないので、ぜんそくの発作ということを全然知らない。もちろん家族の者も知らなかった。何で私はこんなに苦しい思いをするのかな、それでもわからなくて、一週間、約十日ぐらい、ただただ苦しい、苦しいでもって、薬局の薬を買っては飲んでいたが、ますます病気がつのっていく。苦しいのがもうとてもこらえきれなくなって、発作を起こすたびに、今度は息がとまるか、今度は息がとまるかと思ったことが何回あったかしれません。それほど苦しい病気でありながら、まだ国民皆さんの理解がほんとうに持たれていないように私たちには思われるのでございます。そこで、今度のいろいろのことがございますが、なるべくそういうことじゃなく、もっとわれわれが立ち行かれるようなことにお願いしたいと思います。  私は、とにかく若いころから病気したことがなく、代々川崎の生まれで、六十年医者にかかったことがないのが、とうとう十日ぐらい苦しんだあげくに、やむを得ず医者に行った。ところが、お医者さんは、もう病気の状態を見て、ああこれはぜんそくの発作だと、口には言わないが、すぐにそのような注射をやってくれたら、一本で済み、ころっととまってしまった。一週間から十日もそうやって苦しんでいたのだが、発作がおさまったから、うちに帰ってきて、ゆっくり一晩休んだのです。そして、ちょうど二十四時間、一昼夜たったあくる日三時ごろになったところ、また起こった。ちょうど二十四時間で注射が切れて、それで毎日毎日発作が起きて、医者に行っては注射、医者に行っては注射、一日に二回、三回、四回と行くようになった。ところが、お医者さんは、夜中になるとなかなかあけてくれないのです。これには、もうほんとうに現在発作で苦しんでいる方々が非常に苦しんでおるのです。どうも昼間だけでは——発作というのは、たいがい夜中から夜明けに起こるもので、それが一週間、十日と続いて、それで一たんおさまった——発作は、ずっと起きている最中には、昼といわず晩といわず時間かまわずに起きるのですが、しばらくおさまって今度また起きるときには、必ず夜中、夜明けに起きるのです。その起きる苦しみというものをもう少し理解していただいて、今度の法案あたりにも、もう少し理解を持っていただきたいと思うのでございます。  そこで、私たちの病気は、公害発生源、コンビナート関係、こういうところで、ああいうきたない水、まっ黒な煙、れんが色のような煙を吐き出しているのが原因で、私たちはこういう病気になったのです。それなのに企業側は、うちで出した煙じゃないとか、うちばかりじゃない、隣の工場も出しているのだと言う。現に去年十一月六日に私たち大集会を、工場、大企業公害抗議集会を持ちまして、そのときに、あの有名な日本鋼管とそれから東電火力発電所、この二カ所に分かれて抗議に行ったのです。ところが、私は東電のほうへ行きましたが、その煙が悪いのだから認められるだろうとそこまで押していくと、確かにうちなんかで煙出しているのが悪いから、確かにお気の毒だとは思うと言う。それでは責任が持てるだろうと押していけば、そこで口をつぐんでしまってどうしても応じない。これじゃ私たちどうにもしようがないのです。それであとで行けば、うちばかりじゃない、隣の会社も出ていると言う。それで、いままでこういうふうに野放しになってしまっている。  そうしてやっているうちに、私たちは——私はそもそも三年半、足かけ四年になりますけれども、毎日発作が起きるので仕事は全然できない。仕事ができなければ生活が困難になっていきます。これはもう火を見るより明らかで、私もそのとおりだし、中には小さい子供がなって、奥さんが毎日毎日夜中、夜明けにおぶっては医者に行く。そうすると、だんなさんがそれを見てもいられないから、たまには奥さんにかわって夜中に起きて子供を医者におぶっていくというようなことがたびたび続きますれば、だんなも疲れが来て、たまには会社も休みたくなる。一日休めば収入が薄くなる。収入が薄くなれば家庭の中はごたごたが始まる。家庭の中はほんとうにめちゃくちゃになってしまいます。そういうようなことで、ぜひ国にこの医療費——医療費は、もちろん私は認定を認められまして、認定になって扱われておりますから、医療費は御承知のとおりただですが、ただ医療費だけでなく、生活に困るわけです。そして、こうやっていれば多少の小づかいも要ります。むだな金を使わなくても、相当小づかいは要ります。そういったようなことも、もう四年もいなければ、子供や何かもあきれて、小づかいをくれなくなってしまう。しまいにはおっぽり出されるぐらいのものです。それじゃあまりに私たちとしてもう何と言っていいか申しようがないのです。それで皆さん、どうか今度の法案につきましても、そういうものがなく十分やっていただきたいと思います。  それで、ただいまも述べられた四人の方々のいろいろこの提案の無過失賠償とか因果関係とかということには、皆さん御指摘あるいは御披露ありましたが、私はそういうことはあまり深くわかりませんので、ただただ要点のところだけ申し上げさしていただいて、終わりとしたいと思います。  いまの無過失とかなんとかいうようなことは、川崎では今度認定患者が九百九十五人になりました。そのうち、この公害のもとで犠牲になられた方が二十九人もおります。この今度の法案のあれでいきますと、こういう前に死んだ方やあるいはいま現に四日市で訴訟問題の裁判をやっておりますが、ああいった方々に触れないように私には思えるのでございます。それでは、私たち立つ瀬がないのです。これから認定を受ける者だったら、それは今度のあれにはありますけれども、さもなかったら、このままだったら、ないのです。これじゃ、何としても私たち生きていくについても生きがいがない。もうどうしようもないことになるのです。  この因果関係ということは、私はやはりあまり深い関係はわかりませんが、土川崎での例を申し上げますと、いま川崎では大企業四十七社と申しております。この四十七社の大企業から吐き出されるあのきたない水、あるいはあのまっ黒な煙、これらがみんな、さっきも申したとおり全部が悪いのです。それを、うちのじゃない、隣のがまじっている——今度のあれでいきますと、そういうことも、複合汚染とかなんとかむずかしいことは私にはよくわかりませんけれども、何かちょっと意味がわかりませんが、何か納得のいかないところが私にはあるのです。何としても、前に犠牲になられた方や、こういった前からこの障害を受けている、被害を受けている方々も浮かばれるように、それと同時に、この各工場がお互いに煙を出して、きたない水を出して、きたない有毒ガスを出しているのだから、それをおれのところじゃない、隣のだというようなことじゃなく、みんな、いま大企業四十七工場と申しましたが、そのもの全部が、私たち責任は持つというようなことになるような法律をつくっていただきたいのです。  私、何かちょっとまたおかしくなりましたので、まことに私の申したことがおわかりにくかったは思いますが、どうかこのへたなことばの誠意を買っていただいて、私、何かちょっとあれですから、これで……。  どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)
  15. 田中武夫

    田中委員長 ありがとうございました。  以上で参考人からの意見聴取は終わりました。  午後から参考人に対する質疑を行ないます。この際、午後一時まで休憩いたします。    午後零時二十四分休憩      ————◇—————    午後一時九分開議
  16. 田中武夫

    田中委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  参考人に対する質疑の申し出がありますので、順次これを許します。山本幸雄君。
  17. 山本幸雄

    ○山本(幸雄)委員 午前中参考人皆さんから貴重な御意見をいただいたわけですが、我妻先生は、こういう法制は漸進的にやるほうがよろしい、漸を追うてやるほうがよろしい、この法律については不満はあるけれども、この法律をこの際成立せしむべきである、こういう御議論であったと思います。それから、関田先生は、ないほうがむしろましであるかのように受け取れる御発言があったように思います。  そこで、日弁連のほうではたいへんいろいろ御研究になって、一案を具して世に問われておるわけでございますが、この内容はたいへん行き届いた、理想的な内容であるように思います。  そこで、一応先ほどのお話の内容について一、二伺いますが、因果関係推定について、刑事については慎重を要することである、しかし、民事についてはどんどん積極的にやるがよろしい、それがむしろ逆ではないか、こういうお話がございました。なるほど、公害法については因果関係推定規定があります。しかし、刑事事件については、少なくも厳密な証拠を、因果関係立証民事よりはもっときびしく要求をされておる、こう思うのです。公害法の場合は、あまりきびしく要求されては被害者救済にならないから、この場合厳密な立証をゆるめて、因果関係推定という規定を置かれたものと思いますが、民事についてはむしろ自由心証で、今日の現状もそうですが、判例でもって相当因果関係推定が現実になされておる。政府側の意見も、むしろ因果関係推定規定はなくとも、民事で、判例で具体的にケース・バイ・ケースでやっていって、ある程度そういうものが固着といいますか、安定をしたところで因果関係推定規定を置いてもいいではないか、そういう意見政府側から答弁として出されておる。  そこで、いまお話しの民事については自由心証でやられておるわけでありますから、刑事と民事とが全く逆であるという御意見があったわけですけれども、その辺について、いま私が申し上げた点に対しお答えながらひとつ御意見をちょうだいしたい、こう思います。
  18. 関田政雄

    関田参考人 一つは、判例の積み重ねがあるのだから、不完全な法律ができてもそれはプラスになるのであって、マイナスにならぬではないかという問題点が一つあると思います。ものは見方ですから、そういう見方もできないではありませんが、判例の積み重ねが全然ないときに、新しい法律で一歩前進するということは確かにプラスです。ところが、判例では、第二水俣病訴訟などは、ずいぶん因果関係推定というものについても思い切った判断をしておられます。しかし、これは勇気ある裁判官がそういう一つ判例を出したのであって、あれは幸いに控訴審がなくなりましたので問題はくつがえりませんでしたが、もし控訴審、上告審までいきますと、くつがえったかもしれないのであります。ですから、確立したとはまだ申せない。その段階において不完全なものが出ればあぶない、こう申しておるのであります。言いかえますと、因果関係推定はすでになされている、無過失責任ももうすでになされておる。そのときに、まず、無過失責任主義から申しますと、いままでは物的損害についても無過失責任を科した。ところが、今度の法律ができてみますと、健康被害生命被害だけに限定された。そうしますと、物的損害について無過失責任主義判決をしたのは、行き過ぎであったのだといわれる危険が生ずるのであります。したがって、現在の提出されておる法律案の程度ならば、もう一ぺん引っ込めていただいて、いままで築き上げてきた判例の積み重ねをわれわれ実務家はさらに重ねていこう、そのほうがかえって手っとり早いのではないか、こういうことが一つでございます。  二番目の、因果関係推定規定について申し上げますと、自由心証主義というおことばをお使いになりましたが、これは少し意味合いが違いますので、これは法定証拠主義との対立でございますので、民事、刑事にかかわらず自由心証主義であります。日弁連が申しておりますのは、刑法というものには、罪刑法定主義というものがあり、不遡及の原則というものがあり、きわめて厳格なる規定のもとに人権を保障いたしております。これは刑法におけるマグナカルタであります。ところが、公害罪におきましては、その刑事罰において因果関係推定規定を置かれたのです。正直申し上げまして、日弁連は刑事罰における因果関係推定規定には実は反対いたしておりました。そうすると、政府のほうでは答弁なさって、いや、非常に厳格なワクをはめてあるから心配するなということを言われましたが、そんな厳重なワクをはめた因果関係推定規定なら働かないのだし、働くような因果関係推定規定ならば、人権擁護の上に大きな支障がある。したがって、刑事罰の中からは因果関係推定規定は排除すべきである、こういう意見であります。反対民事のほうは、原告を勝たすか被告を勝たすかの問題なんで、どちらを勝たすかということは、これは極端なことを申し上げますと、五一%と四九%の立証がつけば、五一%を勝たしてよい。したがって、民事にこそ因果関係推定規定を置いて裁判の迅速を期すべきであるのに、政府のとられておる態度は、人権侵害の危険の大きい刑事罰に因果関係推定規定を置かれて、蓋然性でよい、あるいは比較の問題でよい民事責任において因果関係推定規定をお省きになったということは、これは非常に主客転倒しているということが一点です。  二番目は、第二水俣病訴訟では因果関係推定を働かしていらっしゃいます。要するに、遡及していって加害者の門前まで届いたら、内部の加害行為があったと推定してよい、こういうところまで、非常に勇気ある判決をなさったのです。ところが、今度の法案の中に、最初は因果関係推定規定を置いたのだが、どうも省いてしまった。ということは、初めからなかったのと意味が少し違うのです。因果関係推定規定というようなものはまだ時期が早いのだから、そういうことには全然触れなかった、そこで無過失賠償責任だけの法案が出たという場合と、無過失賠償責任問題と因果関係推定規定の少なくとも二本立てにしたのだが、いろいろな反対があって因果関係推定規定を削除したということになりますと、意味が少し違います。極端な例をあげますと、ものを盗んできたけれども返したじゃないかという議論と同じなんです。あるいは、ものを盗んできて返したのと、初めから盗まないのと、全然意味が違っています。そこで、第二水俣病訴訟におけるように非常に勇敢なる因果関係推定を活用された。ところが、今度の法律は、せっかく一ぺん取り上げた因果関係推定規定を削除した。そうすると、裁判所に与える影響はどういうことになるでありましょうか。それでも勇気ある裁判官は因果関係推定を活用されるでありましょうけれども、一方、大体の正常な裁判官ならば、いや、われわれは行き過ぎておったのではないか、因果関係推定規定を働かすことはすでにいけないということが示されたと受け取られる心配があるので、私は、現在の過程において因果関係推定規定をお省きになることは、民事、刑事の対照の上からいうてもいけないし、そういう逆作用を来たすおそれがあるので、いけないと申し上げたいのであります。  以上でございます。
  19. 山本幸雄

    ○山本(幸雄)委員 いろいろいま詳しく御説明がありました。これは法律も裁判の大事な根拠でありましょうけれども、判例というものも大事な根拠になるものでございましょうから、先ほどもお話しのように、イタイイタイ病は、これはもちろん無過失主義のもとで行なわれた、それから阿賀野川、水俣病過失主義のもとで行なわれた裁判でありますが、いずれも因果関係推定は、いまおっしゃるように勇敢になされてきて、あれがだんだんと日本の裁判におきまして定着をしていく傾向にあることは、間違いのないところであろう。しからば、公害の態様というものは非常に区々であります。単独の発生源もございますし、非常な複合の汚染もある場合がある。また複合の形態も非常にむずかしい。私は、民法七百十九条というものは、こういうような大規模の民事上の争いというものを一体想定された上でこれができたものであるかどうか、少しくもう時代が変わってきて、七百十九条というものは、すっかり本来適用を予想しておった以上のものに今日なってきておるのではないかという感じがするのであります。そういう複雑なものであるだけに、もうしばらくそういう裁判所の認定によってある程度その確定をしていくということのほうが、実態に合っているのじゃないかという考えを持っているわけですけれども、きょうは議論でありませんので、じゃ次に移らしていただきます。  次にもう一つ伺いますのは、日弁連の原案で、この因果関係の同じく推定規定で、先ほど我妻先生もその問題に触れられたのですけれども、原案では、損害が生じ得ると書かれたわけですけれども、しかし、それを、これは濃度の論争を生ずる余地があるということで、到達し得る地域内と、こういうふうに直した、こういうことであります。我妻先生は、先ほど、名古屋から大阪へそういう汚染物質が飛んでいくだろうかという一つの例を引いてお話しになりましたが、こういうふうに具体的にもし、将来の問題でしょうけれども、書くとすれば、こういう二つの書き方は、実態に合わして考えたときに、一体どういうことになるのであろうかということを、我妻先生と関田先生の両方からちょっとお伺いをいたしたい、こう思います。
  20. 我妻榮

    我妻参考人 因果関係推定規定は、私の考えの結論を言いますと、訴訟の促進のためにぜひほしい、しかしそれは万能こうじゃないので、これがあればすべてが救われるものでもないし、今度は逆に、これがあるからといって非常な不利益を企業者側に与えるものでもないということなんですね。だから、ちょっと講義めいてはなはだ申しわけないのですが、あの水俣病訴訟については、御承知のように、カドミウムか有機水銀か、とにかくああいう有機化合物が原因であるという学説と、それからビタミン不足だという学説と二つありますね。その学説の対立について推定するということは、どっちの学説が強いかなんということを推定するわけでは私はないと思うのです。それから、裁判所で盛んに両方の学者を呼んで証拠を求めようと、これは原告も被告もおやりになるから、裁判所が、私に言わせると、それに引きずられて、いわゆるどろ沼戦争をおやりになるけれども、私はあれは裁判の問題ではないという気がするのですね。そのイタイイタイ病原因が、学問的に見て、カドミウムであるのか、ビタミン不足であるのかということは、純粋に学者議論にまかせておいていいんで、訴訟でそれを決定しようとすることはそもそも間違いなんです。  それから、推定規定を置いたからといって、どっちに推定したわけでもないと思うのですよ。私は、あの訴訟で何が問題になっているかというと、二つの可能性を言っている学説のどっちもあの場合あり得るのですね。三井金属というものがある、だからカドミウム原因だという学説を満足させるようなものがあるわけです。しかし、同時に、あの地方の人がビタミンをとらない事実が顕著にあるとすれば、そっちの学説の点というのもあり得るわけですね。ところが、裁判で何をきめるかといえば、ここに現実にイタイイタイ病になっている人がどっちの原因によるんだろうかということをきめるのであって、学問的にどっちが正しいかをきめるわけではないのです。だから、今度は、学問が進んで、イタイイタイ病原因にはカドミウムがほとんど八〇%だ、それで、ビタミンの不足というのは、生じないわけでもないが、それはわずかに二〇%だという学問的な結果が出たとしますと、そのことが当該裁判の判断についても影響はすると思いますけれども、それはあくまでも間接な影響であって、当該事件で取り扱うべき中心の問題ではないと私は思うのです。当該裁判で取り扱うべき中心の問題は、現実にここにいる患者が、可能性のあるものが幾つもあるうちのどれだということをきめることだけが裁判の仕事だと思うのです。そうしてその点について可能性が幾つもあるかもしれぬけれども、これと推定しようといっているのですから、だから、そこまで踏み込んでいくと、私が言っているように、推定規定は万能こうでもないけれども、しかし非常に害あるものでもない、一定の限度があるんじゃないか、こう言いたいのですけれども、それは私の理屈を言っているのでありまして、裁判の実際を見ると、先ほどから申しておりますように、両方の医学博士を呼んで、そしてもうほとんど無限の論争をしているわけですから、そこに推定規定を置くと、間接にしか影響しないことなんだけれども、問題解決の上に非常に大きな働きをするんじゃないか、そうして訴訟促進の働きをするだろうと私は実は言っておるわけなんですね。しかし、ただいま申し上げましたとおり、あまり理屈っぽいんですけれども、要するに、推定規定があれば、その理由をどこまで分析するかは別としまして、結果としましては訴訟促進という結果になるだろうと私は思っているわけです。
  21. 関田政雄

    関田参考人 いまのは因果関係推定の問題でございますね。イタイイタイ病訴訟につきましては、控訴審は、ほとんどの鑑定なり証人を却下しましたから、あの学術論争は終始符を裁判上は打たれました。しかし、これは学者の説によりますと、萩野医師などは、あるいは岡山大学の小鉢教授などは、カドミウムによってイタイタイ病が発生したのだ、こういう鑑定でありますけれども、神戸大学の喜田村正次教授などは、これはビタミンDの不足による、したがって、自分はカドミウムを摂取してもイタイイタイ病にならないという実証をつくるとおっしゃって、カドミウムを自分で飲んでいらっしゃる。もしもこんな論争を法廷で巻き起こすといたしますと、これはいつまでたっても果てる論争ではありません。従前、いろいろな実例を見ますと、学術的に因果関係を証明しようということになると、A説があれば必ずアンチA説があるわけであります。裁判というものは、そういう学術論争の場ではない。したがって、私は、ある医者が精神鑑定を命ぜられた場合に、医者は精神耗弱者と鑑定してはいけない、精神耗弱と判定するものは裁判所なんだ、医者の出すべき資料は、かくかくの事実がありますということだけ裁判所に出せばいい、裁判所はそれによって心神耗弱なりやいなやをこれは判決されるのであるという医者の見解を聞きましたが、非常に意味あることばと考えました。  したがって、裁判上における因果関係推定というものは、カドミウムによってイタイイタイ病ができるということと、カドミウムのみによってイタイイタイ病ができる、こういうようないろいろなメカニズムを立証しなければなりませんが、推定規定というものは、その排出による損害が生じ得るで十分なんです。一要件があって、疫学的にイタイイタイ病が発生しておるとすれば、その責任法律的にとるべきだ、こういう問題がございますので、われわれのほうの推定規定はそういう表現をしたわけでございます。  答えが直ちに質問に合ったかどうかは知りませんが、その点だけ申し上げておきます。
  22. 山本幸雄

    ○山本(幸雄)委員 では、もう一つだけ伺います。  私どもは、せっかくこういう法律をいろいろつくりましても、被害者救済の上で、先ほど斉藤さんがおっしゃったような、医療の給付などの被害者救済程度では済まないのであって、慰謝料とか、いろいろないままでとは違った被害者救済をやっていかなければならない、そういう場合に、賠償の確保をどうしていくかということがこれからの非常な大きな問題だろう、それがなければ、絵にかいたもちにすぎない、私はこういうことになると思うのですが、日弁連のこの案では簡単に書いてあるようですが、それらについては一体どういうふうにお考えになっておるのでしょうか。
  23. 関田政雄

    関田参考人 ちょっと聞き取りにくかったのですけれども、日弁連の試案要綱のどこをいま御指摘になっていますか。
  24. 山本幸雄

    ○山本(幸雄)委員 第十二に、「損害賠償措置について」と、いろいろ書いてあるわけですね。
  25. 関田政雄

    関田参考人 日弁連の第十二と申しますのは、「強制的損害賠償措置」ですね。
  26. 山本幸雄

    ○山本(幸雄)委員 つまり、この損害賠償の実効を期するためには、ここに書いてあるように、損害を必ず払っていくという、そういう担保をしていく制度をつくらなければならない。ここでは「事業者の納付金による公害基金制度が最も妥当」と、こう書いてありますが、われわれもその問題を非常にいま研究しているのですが、それじゃどういうふうな金の徴収——「事業者の納付金」と簡単に書いてありますが、どういうふうな具体的な徴収方法というのか、納付金のやり方、方法をお考えか、もしその考えがあるならばちょっと伺いたい、こう思ったわけです。
  27. 関田政雄

    関田参考人 その徴収方法についてまではまだ具体的にさほど確定的なものはないようですが、前に被害賠償の問題についての公害基金というものを経済団体の寄付にたよられたことがありますね、そういう一時期がありました。こういうような基礎薄弱なものではなくて、公害基金に対して公害税というような形で出すか、いろいろな形で出損してその基金を積み立てておく。判決がおりた場合には、その基金から一応支出して被害の確保をする。あとはその基金から実際の加害者に請求をしてもらうというような程度の案でございます。
  28. 山本幸雄

    ○山本(幸雄)委員 要するに基金から出していただくことはわかるのですが、その基金にどういう方法で金を集めるかということがいま非常な課題なんです。それをちょっと伺いたかったわけですが、わかりました。  ありがとうございました。
  29. 田中武夫

    田中委員長 次に、始関伊平君。
  30. 始関伊平

    始関委員 時間が非常に少ないのでございますが、なるべく簡単にお尋ねをいたしますので、御答弁もひとつ簡明にお願いしたいと思います。  最初に、因果関係推定規定の問題があるわけでございますが、この法律案で私どもしろうとが一番むずかしいと思いますのは、何と言っても、複合汚染というものが入ってきておるからで、私の解釈では、いま公害罪法のお話がございましたが、これは当該工場あるいは事業場からの排出のみによって被害を生じ得るということであって、したがって、これは複合汚染には適用がない、こういう政府解釈のようでございますが、もし民事上の問題につきましてもそういったようなことであれば、事柄はきわめて簡明であるけれども、複合汚染というものがからむので問題は非常にややこしくなって、一体どうなるのかわからぬというような感じがいたすわけでございます。  そこで、最初にこの因果関係の問題につきましてお尋ねをいたしますが、これには、まず第一に、原因物質が有害であったということの証明が一つ、それからその原因物質が当該企業から排出されたということが第二、それからその有害物質が被害者に到達したということ、この到達したということの書き方には、日弁連の書き方と、削除したという政府案の書き方と二つあるわけでございますが、私は大同小異ではなかろうかと思います。しかし、日弁連の案にいたしましても、もとの政府案にいたしましても、推定をいたしておりますのは、到達経路の問題だけなんですね。因果関係推定規定というものを置くといたしますと、その方法としては、一般的な形の、蓋然性の理論といいますか、そういう推定のしかたと、それからもう一つは、代表的なケースと申しますか、いま申しました経路ですね、こういうところだけを推定するかということと二つある。私は、日弁連の案にいたしましても、あるいは政府のもとの案にいたしましても、そういう経路の問題だけを推定したということでは狭過ぎるのではなかろうかという気がいたしております。  先ほど関口さんのお話を伺いますと、裁判所が現実の問題として一般的な意味推定をしているというお話ならわかりますけれども、かりに環境庁の案をそのまま出したといたしましても、全般的の推定ではないんですね。したがいまして、イタイイタイ病なんというのは一体カドミウム原因になっておるのかどうかは、どういうところが論点になったのだから今度の推定規定には全然関係がない、何かその辺どうもちょっとこんがらかっておりはせぬかと思いますが、そこで、私はいまのような意味合いからいたしまして、本来いえば、蓋然性の理論を取り入れることが望ましいのだと思いますけれども、それについては、まだ判例関係その他からちょっと時期尚早という感じもあるので、これは要するに、簡単に申しますと、日弁連の中にあるような案でも、環境庁原案の中にあった案でも、これは取っても取らなくてもたいしたことはないので、もし入れるのなら、いまあなたはそういう頭でお答えになっにようでございますが、全般を通じての蓋然性を推定するという意味での推定規定を入れるべきであって、何か不完全な案についてとやかく議論するほどの価値はないのではないかという気がしますが、関田さんいかがでございますか。
  31. 関田政雄

    関田参考人 最後のほうが少しわかりにくかったのですが、日弁連の案と、それから環境庁原案と大同小異であるという……
  32. 始関伊平

    始関委員 経過だけを推定しているという意味で大同小異である、こう申し上げたのです。
  33. 関田政雄

    関田参考人 私のほうで申しておりますのは、その排出による損害が生じ得る地域内というような表現にいたしますと、損害が発生し得る汚染物質の濃度が常に論争の的になる、そういう意味で、その論争を避ける意味で日弁連のような表現にしたのであります。
  34. 始関伊平

    始関委員 私は、この問題につきましては、大同小異だと申したのはおかしいかもしれませんが、日弁連の案でも結局経路だけを推定したということであって、それは声色をあらためて議論するほどの価値はないということを申し上げたわけであります。  次に我妻先生にお尋ねいたしますが、先ほど、たとえば川崎大気汚染の原因になる物質が出てそれが東京にいったという場合、その証明ができればそこに因果関係推定してよろしいのではないかというふうなお話があったと思いますが、川崎なら川崎地域内である被害が起こったという場合も同様でございますけれども、こういう複合汚染でとんでもないほうから煙が来たとか、あるいは、本来川崎のようにたくさんの発生源があるというような場合に、そこに因果関係推定するという規定を設けてもいいとおっしゃるのですが、一体どういうふうな結論になるのかということがよくわからない。発生源が非常にたくさんある、あるいはとんでもないほうからも来るということでありますから、因果関係推定をしますと一体どういうふうな結論になるのかということが私どもわからない。これは結局民法七百十九条の共同不法行為の解釈、適用とも関連があると思うのですけれども、これについては学説や判例がいろいろあるようでございます。たとえば、あるコンビナートというのは、限定された場所ではまだいいと思いますけれども、非常にたくさんの発生源がある場合に、一体その因果関係推定をするとどういうふうな結論になるのかということを、非常にわかりにくいかもしれませんが、お答えいただきたいと思います。
  35. 我妻榮

    我妻参考人 私は、さっき名古屋川崎の例をあげましたのは、新聞や何かで問題にしている例をとってあげたので、つまり、有害物質が到達し得る、あるいは損害を生じ得る区域内でといって、遠く離れたときのことを問題にしておるものですから、それを例にあげて説明したので、現に川崎の区域内ならどうだとおっしゃれば、それはほとんど推定の必要がないだろうとお答えしてもいいと思いますけれども、詳しく分析すると、おっしゃるとおり、複合のときなんかはやはり推定が働いているんだろうと思うのです。と申しますのは、御指摘のとおり、民法七百十九条で、共同して損害を与えたもの、こういっておるわけですが、とにかく複合の共同加害者にされるものが拾い上げられてくるときに、おれは全然関係ないぞと言わせないわけですね。そこで推定が働いて、おまえもこれをやった一人ということに推定される。だから複合共同責任になるんだということになると思うのです。共同不法行為の最も典型的なあるいはオーソドックスな例としてあげられるのは、大ぜいでなぐったときのことを例にあげている。そして大きなこぶしでたくさんなぐった人と、小さいこぶしで少ししかなぐらない人があっても、共同してみんながなぐったときには損害が共同だ、連帯になるという七百十九条の規定は、やった人みんなということなんですね。なぐった人の間の共同になるわけです。だから、それを今度は複合の公害のほうに持ってきますと、みんな煙突から煙を出して何らかの損害を与えたものの間の連帯ということになるだろうと思うのです。そのときに、与えたということをどうして証明するかといえば、やはり推定が働いていると言っていいと思うのです。だから、分析していけば、あの推定規定はやはり複合全体に働いていると言っていいと思うのですけれども、ただ実際問題としてそこまで分析して言わなくても、川崎の町の中にいるものは、共同してやるということにたいした議論の余地はないだろう。ただ、それが遠くにいったときに、木更津とか千葉とかになったときに問題になるだろうということを言ったわけです。だから、複合の問題の場合と、それから遠くにいった場合とはちょっと面が違うかもしれません。しかし、推定が働いていると言ってかまわないだろうと私は思うわけです。
  36. 始関伊平

    始関委員 先ほど被害者代表の斉藤さんがおっしゃったように、おれは知らぬとか、おれの寄与度は少ないとかいうことばかり言われても困るということもよくわかりますけれども、一方、百とか二百とか、たくさんの企業がある場合に、いつ何どき名ざしで自分だけの責任を問われるかわからぬというところに、この問題の非常にいやな点があるだろうと思いますけれども、時間もございませんから、この点はそこのところまでにいたします。  次に、戒能参考人にお尋ねいたしますが、先ほど実際的なおもしろい提案をされましたが、カドミウムなんかは、イタイイタイ病あるいは水俣病なんかの問題は、非常に古い時代からのいわば一種の蓄積でございまして、公害という観念が全然なかった時代、あるいはカドミウムが病気の原因になるというようなことを何人も言っていなかった時代からの産物でありますが、その後、最近三、四年来、公害防止に対する企業努力、また、東京都も含めまして諸官庁の指導、世論の声、そういうものによりまして、だんだん公害というものは改善されたような状態になってきておると、先ほどもお話がございましたが、東京都の空も確かにきれいになっておるのでございます。今後といたしましては水俣病とかイタイイタイ病とかいうような、ああいういやな、気の毒な事態というものは減ってくるんだろうと思いますが、御感想をお聞かせいただきたいと思います。
  37. 戒能通孝

    ○戒能参考人 そうなってくることを期待しておりますけれども、なかなかそうはいかないと思います。特に石油化学工業の生産物というのがたぶん相当有害な作用をするんではないだろうかと感じております。石油化学工業というのはどうしても今後大きくなります。そうして簡単にいろいろな有機化合物をつくることができますので、私たちの予期しないような製品をつくり、売り出すということになるのじゃないかと考えるわけであります。  公害源というのは、大きく分けまして三つございます。一つは重金属でございます。重金属はみなかなりこりておりますので、今後は相当注意されるだろうと思います。もう一つは、燃焼に際して発生してくるガス並びに粉じんでございます。これは集じん器がよく作用し、あるいはガスの発生が調節できるようになりますと、ある程度まできれいにできると思います。しかし、それにもかかわらず、これは二次汚染物質をつくるという作用を持っておることも否定できないわけであります。しかし、最後の石油化学製品ということになりますと、現在まだ野放しでございますので、残念ながら、将来は石油化学製品が中心になるのじゃないだろうかと想像するわけでございます。  なお、ちょっと申し上げますけれども、人間の健康に被害を与えるというようなこと、これは相当大きな加害が起こっているということを意味しております。人間というのはそんなに簡単に健康に被害を受けるものではございません。したがって、人間が健康被害を受けたときには、もう実は回復しがたいような面が起こっているということになっていっているんじゃないかと感じるわけでございます。非常に大きな被害が起こっているということになっている。潜在的には何が起こっているかわからないようなものが起こっているということになっているんではないかと感じているわけでございます。
  38. 始関伊平

    始関委員 最後に島津参考人にちょっと伺います。  先ほどのいろいろの御意見、ごもっともだと思いますけれども、公害基金制度あるいは保険制度というものがございますが、これに対して相当な関心をお持ちだと思いますが、ほんとに短時間で答えてください。
  39. 島津邦夫

    島津参考人 強制保険というような形あるいは基金制度というような形、いろいろと検討されておるようでございますが、私どもといたしましては、被害の早期救済ということを含め、かつまた、企業のほうの支払い能力の完備ということを含めまして、できるだけいい制度が早くできることを望んでおるものでございます。
  40. 田中武夫

    田中委員長 次に、島本虎三君。
  41. 島本虎三

    島本委員 まず我妻先生にちょっと伺いたいと思います。  先ほどいろいろ御意見が表明されまして、現在のところ、この政府案では、いろいろあるけれども、ないよりあるほうがいいのじゃないか、これを基点にして、今後はこれを充実させたらいい、こういうような御意見だったように私、拝聴いたしました。いろいろと他の委員からも意見が出されましたが、ただいまの民法の七百十九条の共同不法行為に対しての連帯責任で先生のおっしゃった例からして、政府が出している現在のこの法律案によりますと、複合汚染の場合のしんしゃく規定を入れたいわば過失相殺の考え方をこれに盛っておるわけであります。そうすると、これはもう結局、共同不法行為は連帯責任原則を後退させて、寄与度によって減額の道も開いてやり得るのだ。そうすると、これは、もう一つは、困難な寄与度の認定を裁判所側に与えるということは、逆に裁判を長引かせることになるのじゃないか。それと同時に、寄与度によって減額の道を開くということは、加害者に対して有利に規定することになるのじゃないか、まして、そういうようなことを足がかりにして今後弁論が長引くようなことになり、被害者の早期救済という道から遠くなるのじゃないかという心配を持つわけですが、この点はいかがでございますか。
  42. 我妻榮

    我妻参考人 御指摘はごもっともだと思うのですが、私のは、立法の趣旨にも考える余地があるのじゃないだろうかということを言っているのですね。最初に、その原因力が著しく小さいときには「額を定めるについて、しんしゃくすることができる。」というのを、適用を具体的に申し上げますと、一千万円の損害が生じておる、ところが、大きな煙突から多量の煙を出しているものがA、B、Cと三つある、それからDは非常に小さいというときに、A、B、Cは一千万円で、Dは百万円でいいというときに、Dに百万円の損害賠償を命ずるからといって、A、B、Cの一千万円が九百万円に減るわけでないということをまずはっきり理解していただきたいですね。相変わらず一千万円なんです。ただ、Dが百万円払えば、損害額一千万円が九百万円に減りますから、そこで九百万円になりますけれども、初めの判決では、A、B、Cは一千万円、Dは百万円、連帯してと、こういうわけですね。それからちょっと問題になりそうなのは、まん中にもう一人、五百万円という半分のやつがあったとしますね。そのときに、百万円を払ってしまったら、一千万円の者は九百万円に減りますけれども、五百万円の者も四百万円に減るだろうかということは、多少問題なんです。しかし、私は減らないと思うのです。もっとたくさん損害賠償が行なわれて、残額が五百万円でなくなったときに初めて五百万円の連帯債務者が減るというだけなんです。これは何もこの公害の連帯債務のときに生ずるだけじゃなく、一千万円金を借りて、甲は全額の保証をする、乙は五百万円の保証をする、丙は百万円の保証をするという、いわゆる一部保証の保証人が三人あって、そしてそれが連帯であるということは、生じ得ることなんです。その場合に、一番少ない百万円の保証人が払ったら全額の者が減るということは当然ですけれども、そのまん中にいろ者が減るのか減らないのかは、多少議論のあるところなんです。しかし、それは民法の一般理論で問題になることであって、何も公害の連帯責任のときに問題になるのではないのです。だから、決して額を減らすということになるのではないということをまずはっきりと意識して、そしてあとは、おっしゃるとおり、その訴訟の中で、原因力が少ないからおれについてもしんしゃくしろといって、共同して訴えられた加害者同士の間でいろいろ議論をして長引くおそれがないかとおっしゃれば、ないとは言えないと思います。ないとは言えないと思いますけれども、著しく小さいときに「しんしゃくすることがで奉る。」という規定を、立法の趣旨に基づいて裁判官の合理的な判断を期待すれば、それほどのことはないのじゃないだろうか。逆にこの規定がなかったときに、非常に小さいものが全部一緒に連帯で全額の賠償を命ぜられた場合には困りはしないか。さっき例をあげましたのは、四日市のような大きな煙突がたくさんある中に小さい鋳物工場のようなものがあったときに、それも一緒にして連帯債務で一千万円、そしてその強制執行は小さいところに向かってやっていくというような不都合が生じないとも限らぬのじゃないか。つまり、これを置いた場合と置かない場合との利害を考量しますと、裁判所の判断に期待しながら、まああったほうがいいじゃないだろうかということ、こういうのが私の考えなんです。
  43. 島本虎三

    島本委員 私は、そういうような場合には、共同不法行為者に対しては連帯責任、そうしてその中でお互いに求償すればいいのじゃないかというのが私の考えであります。  それと同時に、今度は戒能参考人のほうにお聞きいたしますが、政府案としては水と空気に限定していますが、公害基本法には、典型公害として七公害がございます。せっかく基本法に七つあって、これを典型公害だといっているのですから、公害に対するいろいろなる責任はやはり七つに置いて考えるべきが妥当じゃないか。水と空気にしぼるというのは、公害基本法を置きながら、これは少し現代の複雑化、多様化した公害に対処する道じゃないのじゃないだろうか。七つに置いて、今後行政執行の中でいろいろと考えていくというほうが、現在の複雑、多様化している公害に対する対処の方法としては最も妥当ではないか、こういうように私ども考えているわけですが、政府はこれにあまり乗らないようでありますが、先生のお考えをまず承りたい、こういうように思うわけであります。
  44. 戒能通孝

    ○戒能参考人 同感でございます。ただ、悪臭とか騒音とかいうのは、これは明らかに出しているほうに過失があるだろうと思います。一番問題になるのが地盤沈下であろうというふうに存じます。地盤沈下が直接健康障害を来たすということは比較的少ない。これは天災とか地変とかと結びついて初めて来たすのでございまして、この点でちょっとやっかいな問題が出てくるのじゃないか。地盤沈下が財産障害を来たすことは普通である。こうなりますと、地盤沈下については、財産侵害の場合におきましてもぜひ一緒に考えていただきたいと思っているわけでございます。
  45. 島本虎三

    島本委員 その件については私もある程度わかりますが、もう一つ、先ほど野党案に対しまして、自動車のことについてはいろいろと、排気ガスを入れないのは、これは落ちていたのじゃないか、こういうようなことでありました。よくわかりました。できるならば、野党案では、把握に困難な問題がありますから、把握さえ完全であるならば、それらも含めて考えたい、こういうように思っていたわけであります。しかし、やはり自動車のことにつきましては、別の法律で規制を義務づけることを、いま党のほうとしても、われわれのほうとしては議論済みであって、この点御理解願いたいと思うわけであります。そういうような考え方でございますけれども、それに対して補足する御意見がございましたら、あとからお知らせ願います。  関田先生にお伺いいたしますが、先ほどのいろいろな参考意見開陳、私どもはわりあいに理解の度が強かったわけであります。それで、理解の度の強かった中で、この点はどのようにお考えですか。因果関係推定理論でありますけれども、いろいろな下級裁判の判例でありますけれども、これはやはり定着を示しつつあるのじゃないかと思いますが、この推定を抜くことによって、逆に訴訟を科学論争に持ち込んで長期化させるおそれがあるのじゃないかということを私心配するのですが、政府はそういうことがないかのように言っておりますが、この点は私心配です。こういうような点から、ひとつ関田さんにこの点もあわせてお伺いしておきたいと思います。
  46. 関田政雄

    関田参考人 この因果関係推定規定が削除されましたことについては、先ほども少し触れました。裁判の判例の積み重ねでは、裁判所は事実上因果関係推定をして責任を負担させておるわけであります。それが逐次積み重ねてまいりました。その積み重ねてまいられたときに因果関係推定を法文化してさらにこれを推進せしめ、法的基盤を与えるということが、法制定の行き方でなければならぬと思っております。しかるに、今回、せっかく環境庁原案として因果関係推定規定を置かれてあったのに、それがわざわざ削除されたということはいかなる影響を与えるかということを非常におそれるのです。いままで裁判所因果関係推定を働かして判決をしておったのに、これを抜いたという事実、そうすると、あれは因果関係推定をあまり過度に働かしたことは行き過ぎであったという理論的裏づけになるということを非常におそれるのです。そういう意味で、この抜き方もまずよくない、こういう私の意見でございます。
  47. 島本虎三

    島本委員 次に、もう一回我妻先生と戒能先生両方にお願いしたいのですが、私どもは、現在のこの複雑にして多様化してきた公害に対しては、やはり故意、過失ではなく侵害の事実がある場合には、差止請求をして、そして事業者に対して行為の停止や操業停止その他必要な措置を講ずることの請求ができることは、これは当然であって、それくらいないと、いまの公害を防除することにはならない、私どもはそう思っておるわけであります。片一方のほうでは、それより原因の追及が先で、そっちのほうをやらせるのだから、こういうことは必要ないという考えもおありになるようであります。しかし、差止請求は緊急な場合にやはり必要だということで、私どもはこれを強く主張してまいったわけであります。それと同時に、規制請求に対しては、これは行政しっかりしないとだめなんで、こんなこと言われるのはまずいので、やられないほうがいいというような我妻先生の先ほどの御意見開陳がございましたが、やはりもう国のほうからいろいろと権限が地方に委譲されてございます。そうなりますと、やる知事と、わりあいとその点にはやらない知事と、両方に分かれるわけです。やる場合にはいいんですが、これをサボった場合には、住民として当然これもそれを請求してやらせるということは、国民監視を持った進歩的な一つの発想じゃないか、こういうように思うわけですが、これはあまり必要ないかのような御発言でございましたが、私は、この差止請求と規制措置の請求、この二つは最も必要だと思うのですが、お二方の御高見を賜わりたいと思うわけです。
  48. 我妻榮

    我妻参考人 二つの質問のうちの、初めの差止請求権のほうは、常に操業をやめろと、こう言えば、わりあいに簡単かもしれぬですけれども、損害の生ずることを防ぐ措置ということになりますと、一つ一つの煙の出てくるのを何とかする措置とか、それから放流する有毒物質を含んでいる水に対して何らかの中和作用をするとか、そういうこともあり得るだろう。そこで、損害の発生を至急とめる措置ということには相当バラエティーがあるので、それを、いまいきなり、その他適当なる措置をなすことを請求するといって、うまくいくものだろうかということに多少懸念を持つ、こういう意味ですね。  それから規制請求権ですか、これは非常にもっともで、そのほうはむしろもっともだと思うのですけれども、ことに、おっしゃるとおり、知事、地方自治体の長になると、足並みがそろわないだろうとおっしゃることも、ごもっともだと思います。  ですから、この二つは、私自身はあまり考えたことがない、そして具体的に考えるだけの知識がないものですから、だから野党の案の中に入っていることを拝見して、なるほどそうかと思うのですけれども、いますぐこれに限ると飛びつくほどの気持ちもない、もう少し研究したいということで、しいて反対するという意味ではありません。
  49. 戒能通孝

    ○戒能参考人 まず一つ、規制の問題でございますけれども、これは規制を実際やろうといたしましてしみじみ感じるのは、都に警察権がない、自治体に警察権がないということでございます。したがって、規制をするという場合に非常に弱いということでございます。規制をするのにいま持っている権限というのは、告発する権限だけでございます。告発した結果どうなるかというと、法人でございますと二十万以下の罰金ということになります。そのくらいならほっておけということになってくるのが多いのでございまして、そしてまた、事実問題としまして、検察官が告発を受けましても公訴を提起した事例はほとんどないように思います。だから、実際においては規制はできないというのが現状でございます。  そしてさらに、自治体とそれから企業との契約、協定によりまして規制するという方法が現在よく行なわれておりますけれども、これはそんなことを言って実はごまかすんじゃないかという国際世論が起こりつつあるようでございます。協定という形で実は規制をごまかしているんじゃないか、そういう国際世論がだんだん強くなっているという点がございます。  それから第二、差しとめの問題でございますけれども、私としては、差止請求権というものは、実際には住民運動と結びつかなければ何にもできないと思います。したがって、住民運動を盛り立てる上には、ぜひとも差止請求権を認めていただきたいと思うのでございます。現にそれがないものでございますから、関東地方南部の空気の質そのものが非常に悪くなっております。特に炭化水素類が相当大量に大気の中に放散されているわけでございます。オレフィン系の物質でございますと、これは二次変化を起こしましてだんだんなくなっていく面がございますが、そうでない物質になりますと、すでに大気の中に滞留してしまっているわけでございます。雨が降っても落ちない、洗い流されないということになりまして、空気の質自体が非常に悪くなっているという事実がございます。したがって、若干の行き過ぎがあろうと、ともかく大規模な排煙者に対しましては排煙の規制というものをやってもらう以外に、実際問題としてはどうにもならないんじゃないかと思っているわけでございます。
  50. 島本虎三

    島本委員 ただいま参考意見の中で、多分関田先生からの御意見であったと思いますが、すなわち、一般財産、これが削られて、健康と生命だけに限られたことによって、今度は一般の物質、すなわち、これは今後は過失責任のみということになり、いままでの判例そのものは、物質損害についても過失責任でいけという根拠になってしまうんじゃないかということを言われたわけです。いままでそういう判例によって物質損害もやっていたとするならば、今後はこれはもう推定はだめなんだ、同時に、これは健康と生命だけに限るんだ、財産はだめなんだ、こうなると、やはり退歩になるんじゃないかということを心配するのですが、この点は、我妻先生、どうなんでございますか。
  51. 我妻榮

    我妻参考人 おっしゃるような意味もあると思いますけれども、民法過失主義の大原則をとっているからと一般に言われることは、民法と五十年生活をともにしてきた私にとってはすこぶる遺憾なのでありまして、なるほど、七百九条だけ見ますと、これまた「過失ニ因リテ」と書いてはありますけれども、その後の判例の変遷でその故意、過失というものの内容が相当変わっておるのです。その次に「他人ノ権利ヲ侵害」するという点なんかも非常に変わっているのですね。その変わったものを背景にして考えますと、さっき戒能参考人も言いましたように、無過失責任にしたということは必ずしも新しいことをやったのじゃないのだと言っておりますように、それほどたいしたことではないのです。ことに、公害というようなものを生じさせた場合の過失責任過失というものは、やかましい意味で言ったら、無過失に近いのですね。ですから、そういうことをうしろに控えておりますと、今度生命、身体について無過失だといったからといって、すぐいままで進んできた民法解釈というものをひっくり返して、これは過失責任に戻るのだという解釈にもならないだろうと私は信じております。しかし、そこは学者の仕事だろうと思っております。
  52. 島本虎三

    島本委員 今度は島津参考人にお尋ねしたいと思います。  先ほども斉藤参考人のほうから、具体的ななまなましい事例として、ぜんそくになった場合に、あなたの工場の排煙によってということていくと、みな、この寄与度がほとんどない、少ないということで逃げられてしまう、話にもならない、こういうようなことだったと思います。複合汚染については深刻な問題であるといういろいろな御意見がございましたが、もしそういうような立場でお考えになる場合には、患者、被害者が一番困るのじゃないか。すなわち、もう健康だけではない、今度は生活のほうも一緒に見てもらわないとどうにもならないというような悲痛な訴えですよ。いまのような、経営者がそういうような考え方で、これは共同不法行為についても困るとか、因果関係推定はないほうがいいとか、まあいろいろこう言ってくると、なおさら患者が困るような結果になるのじゃないか。まあモラルの問題もございますが、もう少しこれは経営者側、事業者側が考えるべき点もあるのじゃないかと思いますが、これはいかがでございますか。
  53. 島津邦夫

    島津参考人 ただいまの島本先生の御意見、ごもっともだと思います。今度の無過失賠償責任法によりまして、従来は規制基準ということをひたすら第一目標でやってきているわけですが、それが、それだけでもいけないのだ。つまり、生命・身体に損害を与えた場合には重大な責任があるのだ。これは私どもからすれば非常に大きな問題でございますけれども、そういうことをともかく自覚させるという意味においても、これは相当有意義な制度ではないかと思うのでございます。ただ私が先ほど申しましたのは、わりあいに数の少ない原因者の場合に、いわば責任のなすり合いをするというようなことを認めて申し上げたわけではございませんで、非常に小さい事業者で、非常にたくさんある、百も二百もあるというような場合も、全体の責任を問われるというようなことになると、非常にたいへんだということを申し上げたわけでございます。
  54. 島本虎三

    島本委員 じゃこれで終わります。ありがとうございました。
  55. 田中武夫

    田中委員長 次に、阿部未喜男君。
  56. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 先ほど来先生方の御意見を承りまして、島津先生を除いて他の先生方は、この法案が不完全なものであるという点では意見が一致をされておったように承りました。たまたま我妻先生の御意見が他の先生と少し違います点は、不満ではあるけれども、一歩前進だから、この法律は一応出発をさして、   〔委員長退席、島本委員長代理着席〕 これを起点にして新しいものを積み上げていくべきだ、こういう我妻先生の御意見のように承ったのですけれども、これから私ども法案審議するわけでございますので、端的にお伺いしたい。  たとえば、因果関係推定規定はこの法案に入れるべきであるのか、入れなくてもいいのか、そういう点では、先生の御意見は、入れるべきであるという御趣旨のように私は承ったのですけれども、まずこれを発足させよう、こういうことになりますと、入れなくてもいいのかということになってくるわけですが、先生のお考えとしては原則的にどちらになるのか、お伺いしたいのです。
  57. 我妻榮

    我妻参考人 御推察のとおりです。最も不満な点と言ってあの推定規定をあげましたから。もし国会で修正をなさるというなら、ぜひ入れていただきたいと思うのです。ただ、私がこれでもと申しましたのは、それを入れることのために全部くずれるというようなことになってはたいへんですから、だからそういう場合には、このトカゲのしっぽを切っても法案は通すべきだ、こう言っているのです。
  58. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 次に、戒能先生にお伺いしたいのですけれども、公害は単に被害者だけの被害ではなくて、加害者もたいへんな被害を受けるのだ、こういうお説で、私も非常に感銘したのですけれども、そうなれば、先ほど島本先生からお話がありましたように、まず国としては、公害が起こったあと措置よりも、公害が起こらないような環境をつくっていくことが先にならなければならない。そうしますと、先ほどの規制措置とか差しとめの措置というものは、もっと真剣に議論されていいものではないかという気がするのですが、先生の御見解を承りたいのです。
  59. 戒能通孝

    ○戒能参考人 同感でございます。ともかく、健康被害が起こるというのは、これは一日にたとえば石油を一トンたく業者が百集まって小さな部落を形成しているというふうな場合には、普通は起こってまいりません。大体こんな場合には大気の浄化作用によって実際問題としては有害物質はどこかに消えていきます、あるいは拡散されていくものでございます。大気汚染が起こるというふうな場合におきましては、一年に大体一万トン以上の燃料をたく企業が何個か集まっているということが一つの前提になっているわけでございます。したがって、公害規制ということを厳格にやりますというと、中小企業というのはあまり対象になってまいりません。大企業一個のほうが非常に重要でございます。  水の場合でもそうでございます。濃度規制でございますと、ある物質についてたとえば一PPMという濃度規制をしたと仮定いたします。一日百万トン水を使う企業でございますと、一PPMと申しましても百万グラム、一トンでございますね、一トン放出されることになってまいります。ところが、一日百トンしか水を使わない企業でございますと、一日百グラムしか放出されません。したがって、同じ濃度規制でありましても、その企業が一日何トン水を使うかによりまして、放出される分量が非常に違ってくるわけでございます。だから、中小企業と大企業との間におきましては厳格に差をつけてもいいのです。同じ濃度で規制するという考え方自体が間違いなのでございます。同じ濃度で規制するものでございますから公害が起こる、そしてやがてそれが大企業に対して必ずあだをしていく、たたっていく。チッソみたいな大会社でありましても、今後はおそらく半身不随になるのじゃないだろうか、こういうことになってくるわけでございます。だから損害賠償も非常に大事でございますけれども、この程度の法律をつくるのでございましたら、その前に規制をもっと厳格にする方法を考えていただきたい、特に大企業ほど厳格にする方法を考えていただきたいと思うのでございます。
  60. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 関田先生にお伺いしたいのですけれども、民法原則は別にしまして、実際の問題として、この法律がかりに制定をされても遡乃をしない、不遡及の原則ということになりますと、すでにいま公害を受けておられる方々についての無過失の問題が、いろいろ裁判上問題になってくるという気がするのですが、こういう点については、法的に、この法律で特別に遡及の原則を適用するとか何らか考えられるものでございましょうか。
  61. 関田政雄

    関田参考人 日弁連が出しました意見書の中には、この不遡及の原則には大反対をいたしております。遡及せしむべしという意見なんです。これは刑法の領域では、遡及せしめることは人権侵害上重大問題でありますから、これは厳格に守らるべきものと考えます。しかし、他の法律では、民事上の法律では、遡及しないということが原則でありましょうけれども、何も絶対的なものではありません。現に借地法附則第六項では「この法律による改正後の規定は、各改正規定の施行前に生じた事項にも適用する。」とございます。それから借家法にもございます。いまちょっと六法を持っておりませんので、全部をあげることはできませんが、借地法、借家法、すでに遡及原則を定めているのです。したがって、公害に関して遡及の原則を定めることは何にもふしぎではない。しかるに政府原案は、黙っておってくれたらまだ法解釈上いろいろな運用もあるのに、わざわざ「従前の例による。」と、こう書いていらっしゃる。これも明らかにいけないという意見でございます。いま斉藤さんでしたか、被害者の方の、この法律によってわれわれは救われぬとおっしゃった悲痛な声をどうぞ耳の底にとどめていただきたいと思います。
  62. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 我妻先生、ごめんどうでしょうが、いまの同じ不遡及の問題について先生の御見解をひとつお願いしたいと思います。
  63. 我妻榮

    我妻参考人 その問題もいろいろ考えてみたのですが、一方から言えば、公害原因になるものが川にたまっているという場合に、それがこの法律の適用前のものだから救済が及ばないというのはいかにも残念なことで、遡及させることがこの法律の目的を達成するのに非常にいいだろうと思うのです。しかし、私は元来非常に穏健な性格でありまして、あんまり急激な変化は望まないのですけれども、こういうことも考えるのです。わが国は、戦後、国民総生産をふやすために、企業も、そう言っては申しわけありませんけれども、国会の諸君も、政府はもとよりのこと、ただひたすらに企業の便宜をはかってきたと思うのです。ところが、公害というものがここに来ましたら、今度は急に手のひらを返すように、たまっているものでも何でもかんでもあらゆる損害についてそれをやれとおっしゃることは、その態度があまりにも急激に変化しつつあるのじゃないかと私は思うのです。私は何も企業というものの肩を持つ気はないのです。しかし、日本全体のすべての面の進化ということを冷静に考えるときには、公害が問題になったからといって、ありとあらゆるものに保護の手を差し伸べなくちゃならぬという態度についても、私はいささか批判したいと思っているわけであります。それが私の生来の保守的な思想と一緒になってきょうの意見になっておるものだと御了解願いたいと思います。
  64. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 関田先生、先ほど島本先生から我妻先生のほうに御質問があったのですけれども、いわゆる健康と生命に限定をしたという点について、そのために先生は二つの場合をお話しくださいましたですけれども、いわゆるその他のもの、健康と生命で、しかも限定された物質以外については、これは過失主義による立証被害者のほうで行なわなければならないという反対解釈だって出てくるではないかと、こういういま御趣旨のようだったのですが、実際問題としてそういうことはこれらの判例等から数多いものでございましょうか、どういうものでございましょうか。
  65. 関田政雄

    関田参考人 もし今度の無過失賠償制度を健康と生命だけに限ったら、物的損害についていかなる判例上の影響を及ぼすか。これは実現してみないとわかりません。わかりませんが、少なくとも二つの影響があると思うのです。抗弁は勇敢に出し得る。従前裁判所は少々先走りなさって物的損害についても無過失責任制度をお認めになったが、今度できた法律は明らかに生命と健康に限られてある、従前裁判所は行き過ぎではないか、いま我妻先生も公害に関してあらゆること云々というおことばがありましたが、ちょっとその片りんが出ているのではなかろうか。行き過ぎであったぞという反証をあげ得る。二番目は、抗弁が十分できますね。少なくとも抗弁としては一応成り立ちます。除外してあるじゃないかということにおいて成り立つ。  先ほど、私に質問がありませんでしたけれども、それに関連いたしまして、差止請求と規制措置というようなものは、公害というものの受け取り方によるんだと思うのです。公害基本法では、相当範囲の被害の生じたことを公害と、こうおっしゃっておりますから、そこまでいかないと、その一番極なるものの生命や健康に及ばぬと発動せぬような形をとっていらっしゃるが、公害というものが環境破壊だというふうに受け取りますと、規制措置というものは当然生まれてこなければなりませんし、差止請求のほうが先行しなければなりません。もう一つは、規制措置というものは、私は、民主主義は官庁に対する不信から生まれた主義だと思っていますので、官庁の自発的行動を待つということは民主主義に反する、したがって、規制措置というものをどんどん出して官庁の行動を促す、これ民主主義の特権であり、国民の権利だと思いますから、何もかも申し上げられませんでしたので、差止請求や規制措置に言及いたしませんでしたが、遡及原則、それから差止請求、それから規制措置というものは、この法案にとっては非常に重要なものだと考えます。
  66. 我妻榮

    我妻参考人 関連して答えたいことがあります。  ただいま、私のことばの中にも片りんが見えたということを言われましたが、どういう意味か理解し得なかったのでございますけれども、もし私が反対解釈をするであろうという意味で言われたのだとすれば、はなはだ心外であります。その前に、民法と五十年生活をともにしてきた私は、どこまでいわゆる無過失責任というものがモディファイされておるかということをよく知っておる。その基盤の上に生命、身体について特に無過失責任規定してみたところで、反対解釈にはならないと私は考えておるつもりです。そう申し上げたつもりなんです。しかし、法律家の中には反対解釈をする者がありましょう。しかし、それは訴訟当事者の中に一番多いと私は思うのです。幸いにも、日弁連を代表して、そういう反対解釈はすべきでないといま言われましたから、私は非常に意を強うしております。
  67. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 最後になりますが、関田先生、参考までにお聞かせ願いたいんですが、もしいまこの法案をこの国会で通すとするならば、いままで幾つか出ました因果関係の問題なり、財産被害に及ぶかどうかという問題なり、そういうものについて、幾つくらいの項目がなおこの中に足らないというふうにお考えでございましょうか。
  68. 関田政雄

    関田参考人 ちょっといまことばが走りまして、我妻先生、えらい恐縮でございます。片りんが見えたという意味は、あらゆるものを法律によって公害を規制するということは無理だという意味のことに私はちょっと触れておったのです。  それから、この政府原案の中で、われわれとしてぜひ欠けておると考えますものは、差止請求であります、規制措置であります、それから遡及の原則因果関係推定、これが切れておることでございますね。
  69. 阿部未喜男

    ○阿部(未)委員 終わります。
  70. 田中武夫

    田中委員長 岡本富夫君。
  71. 岡本富夫

    ○岡本委員 私はちょっとこれから建設との連合審査に行かなければなりませんので、二問だけ先にお聞きして、あと同僚の方にお願いしたいと思っております。  先に関田先生にちょっとお聞きしたいんですが、この推定規定、これはいま盛んにいわれておりますところの挙証責任の転換、このために私はこれはたいへん必要であろう、政府のほうでは倒達経路の推定だけだから、これはたいしたことないのだ、抜いてもたいしたことないのだというお話ですけれども、まあ加害者と申しますか被告が、推定された場合にその証拠をあげて反論しなければなりませんので、これはたいへん必要であろう、こういうふうに思うんですが、これについての御意見をひとつ……。
  72. 関田政雄

    関田参考人 もちろん、推定規定を置いたからといって反証をあげさせないという意味ではないんですね。したがって、推定規定を置けば、一応の推定をすれば、相手方がそのしからざるゆえんを主張せんと欲すれば、反対の証拠をあげてこれをくつがえさなければなりません。それだけの負担を加害者に課したことになるのです。先ほどからいろいろ問題になっています複合汚染の問題にしても、厳格な神の目から見れば、どっちかが過重な負担を受けなければならぬことになると私は思います。複合汚染の場合に、連帯責任を課して、非常に寄与度の小さいものでもその責任をとれといえば、加害者に大きな負担を課せしめることになる。反対に、寄与度の小さいものは、一々抗弁を許すことになれば、その負担は被害者が受けなければならぬ。あらゆる場合、私は、加害者に負担を課するか、被害者に負担を課するかということによって決すると思います。そうしますと、公害の問題の大きなポイントは、非常に強い大きい加害者と、非常に微小な弱者である被害者がいま対立しているのです。そうしますと、私は、答えは明らかになっていると思うのです。負担をかけるのならば、微小な被害者にかけるのではなくて、大きな加害者のほうに負担をかけて決して不公平ではないと私は思います。そういう意味で、反証はあるならば加害者にあげしむべし、こういう立場から因果関係推定規定を主張するものです。   〔島本委員長代理退席、委員長着席〕
  73. 岡本富夫

    ○岡本委員 次に、戒能先生にお聞きしたいのですが、今度の大気汚染防止法あるいはまた水質汚濁防止法にしましても、有害物質というものが政令できめられたものに限っております。そこで、いまPCBなんというのは入っていないわけでありますが、いままでの例を見ますと、イタイイタイ病にしましても、あるいは水銀中毒事件にいたしましても、過去にはこういう有害物質としてはなかったわけでありますが、いますでにこうしたところの汚染が出ておりまして、被害を受けております。したがって、政令で、今後こういったいろいろなものが起こり得るであろうということでありますから、やはり有害物質によって出てきたところのいろいろな排出あるいは排水、それによって出たところの被害というものは無過失責任を負わすべきではないか、こういうように考えるのです。たとえばPCBにしましても、まだ原因がわからぬとか、いろいろ言っておりますけれども、これをつくるときには、もうすでに毒性検査、こういうものをやらなくて、ただいたずらに工業規格もきめたというような過去の例がございますから、今後はいろいろな化学薬品をつくるときに、やっぱりそういった毒性検査をきちっとしなければならぬという面からも必要ではなかろうか、こういうように考えるのですが、この点について……。
  74. 戒能通孝

    ○戒能参考人 これは私もそのとおり重要だと思います。ただ、PCBにつきますと、カネミ油事件というものがございまして、もう毒性が明確に出ておるわけでございます。ただ、慢性の毒性がどうなるかという問題はなお問題でございますけれども、蓄積する個所はほぼ明らかになっております。そしてそれが皮膚神経までいくプロセスなんかについても、若干の推定ができる段階に来ておるわけでございます。したがって、こういうふうなものにつきましては、正直に言いますと、もう過失責任と言おうと無過失責任と言おうと、大差はないという状態に現在では来ているというふうに感じるわけでございます。
  75. 岡本富夫

    ○岡本委員 次に、生活保全でなくして健康被害だけになっておりますが、生活保全の被害と健康に対する被害を生ずる物質、これは大気汚染の場合あるいは水質汚濁の場合に分けられるかどうかということが私はちょっと心配なんです。いかがですか。
  76. 戒能通孝

    ○戒能参考人 分けられません。生活環境破壊をしたものは必ず健康に影響をもたらしてまいります。特に、たとえば虫取りの薬の類でございましても、有効であれば有効であるほど、人間の生活に、必ず健康に影響をもたらしてまいります。ただしかし、人間の健康に影響をもたらすためには、相当に蓄積が必要でございます。したがって、一人被害者が出たときには、潜在的には何百人被害者が出るかわからないというところまで来ておる。それが重要でございます。私どもは、したがって、生活環境破壊を人間の健康侵害に対する前駆症状として考えているわけでございます。その意味では、人間の健康障害まで来ないうちにチェックする方法が一番大事である。そこまで来てしまいますとどうにもならなくなってくるのが現状だと思うのでございます。  ちょっとよけいなことを申させていただきますと、たしかエチル鉛でございます。エチル鉛であるかどうかわかりません、鉛でございますが、鉛が一番たくさん出ておるのは、濃度から申しますと、いわき市のある工場でございます。これは〇・二八PPMくらい出しております。ところが、この会社が使っておる一日の水の量は八百トンでございます。したがって、一日に一・五キロないし二キロくらいの鉛を排出するわけでございます。他方におきまして、住友製鉄の和歌山工場は〇・二PPMの鉛を出しております。しかし、この工場は一日百万トンの水を使っております。だから十日で二トンの鉛を出すわけでございます。千日たちますと二百トン鉛を出す。しかもエチル鉛であるという疑いがかなり豊富でございます。三千日たちますと大体六百トンくらいの鉛を出す。それが一体魚に蓄積したり何かするということが起こるか起こらないか問題でございますが、起こり出したら、住友製鉄みたいな大企業でありましても、実を申しますと企業の基礎がゆらぐということになるのでございます。だから、魚がどういう状態になっておるか、魚の状態を調べていて、魚がもし危険だということになったら、危険な状態のうちに手当てをしないと、第二のチッソが出てくるという可能性もないとは申されない。その点で、私どもといたしましては、大企業ほど、実を申しますと、被害に対して弁償をはっきりさせ、同時に、自分でも被害を出さないようにつとめていただかなくてはならない。私はそのほうが大企業にも有利であるというふうに確信しているわけでございます。
  77. 岡本富夫

    ○岡本委員 では、これから建設委員会に行きますので、二見君と交代いたします。
  78. 田中武夫

    田中委員長 次に、二見伸明君。
  79. 二見伸明

    二見委員 最初に我妻先生に御意見を伺いたいのですが、先ほど、不遡及の原則につきまして、関田参考人のほうからは、公害の場合認めなくてもよろしいのだ、遡及の原則でかまわないのだというお話がございまして、我妻先生は一もし私が聞き間違いでしたらお許し願いたいのでありますけれども、先生のほうは、どちらかというと、立法論というより政治論として、公害の場合には遡及させるべきではないというような御意見に私承ったわけでありますけれども、立法論としては、これを遡及させるかどうかという問題はいかが先生はお考えでございましょうか。
  80. 我妻榮

    我妻参考人 先ほどは途中からよけいなことを申しましたので、私の趣旨が不徹底になったようでありますが、遡及さしてもかまわないと思います。遡及さしていかぬというのは、先ほども御指摘のありましたように、刑法ではやかましいのですけれども、民事の問題ではそんなにやかましくないのですから、法律で遡及させるのはちっともかまわないと思います。  それから、先ほど申しましたことをもう少しふえんしますと、野党からお出しになっている案は、いろいろごもっともな点が多い。ただ、制度として、差止請求権とか、あるいは規制措置請求権というもの、それから担保制度、これは日弁連だけでしたか、そういう制度については、もう少し研究しないと、いますぐこれを法律として通すほど案は熟していないだろうというふうに考えます。しかし、それでなく、法律の上だけで済むもの、たとえばいまの遡及の問題、それから先ほどから申しました現在の規定を変えたらそれでよかろう。因果関係推定規定、それから寄与度が非常に少ないものをしんしゃくするということ、最後に原因たる物質等を非常に制限しているということ。しかしこれは私が最初に申しましたように制限しているという批判二つあるので、一つは水質と大気の汚染、汚濁のほかに、振動とか臭気とか騒音とかそういうものを入れるというのと、それから大気と水質に限っても、規制物質だけではなくもっと広げたらいいじゃないかという二つある。その前者はちょっとちゅうちょをするのです。しかし後者、すなわち大気と水質を問題にするなら必ずしも指定物質に限らぬのじゃないかというような点はいかにもごもっともだと思いますので、繰り返して申しますと、国会でそれを修正なさることについてはむしろ賛成で、少しも反対ではないのです。しかし、繰り返して申しますと、それを入れるということにあまりこだわったために全体が死ぬというようなことにならぬように御注意を願いたいという、きわめて僭越な注文を申し上げたわけなんです。
  81. 二見伸明

    二見委員 遡及させてもかまわないという御意見を伺いまして、私たち非常に意を強うしたわけでありますけれども、ところが、実際には政府案は遡及させてないわけでありまして、これは実務家立場として関田参考人の御意見を伺いたいわけでありますけれども、たとえば、これは政府案のほうでございますけれども、附則で「この法律の施行前の排出による損害については、なお従前の例による。」というこの規定で、実際に裁判の問題として争われた場合ですね。ある損害が生じた。それが、その排出が明らかに施行前である。施行後じゃない、施行前であるということが明らかになっている場合はともかくといたしまして、施行前にも排出をされていた、施行後にも排出をされていた、そして損害が起こったという場合に、その損害が施行前の排出によるのか施行後の排出によるのかというのは、やはり裁判上議論になるのではなかろうかと思います。そういう場合のことも考えて、これはただ単に遡及しないというだけの問題ではなくて、施行後の問題についても私は大きな問題が起こってくるのじゃないかと思いますが、そういう点についてはいかがお考えでしょうか。
  82. 関田政雄

    関田参考人 これから実際に裁判が起こりまして法廷で争われる被害は、この法律施行後のものでないことだけは明らかなんです。施行前に排出されたものの蓄積によって現在被害を受けている。イタイイタイ病にしてもしかり、水俣病にしても、ずいぶん長い時間の経過によって蓄積されたものですね。そうしますと、私から申しますと非常におもしろいことが生まれるのです。この法律がなくても、無過失賠償と同じような判決がたくさん出ている。ことば過失だと言うていますけれども、あれは内容は無過失責任を負わしているという意味なんです。ところが、そんな判例ができているのに、わざわざこの法律施行前のものは従前の例によると断わってあるのですから、これは障害にならないというのはおかしいのじゃないでしょうかね。大きな障害になると思います。この法律がなくても無過失責任判決があった。この法律が出たら従前のものは遡及しないのだぞと明言してあるのですから、この意味でも私はこの規定というものは足を引っぱっている。足を引っぱる法律であって、ないよりはいいじゃないかという根拠にはならないように思うのです。非常に心配いたしております。その点について私は危惧いたしております。
  83. 二見伸明

    二見委員 やはり関田さん、いまの条文についてもうちょっとお尋ねしたいのでありますけれども、たとえば公害病が発生するというのは、ある日突然に発生するというよりも、長い間ずっといろんな原因が、たとえば煙が出てきて、そしてあるときにぜんそくになったりという形になるわけですね。この人がぜんそくになったのは、法律施行前に排出された煙によるのか、法律施行後に排出された煙によるのかということは、事実の問題としてこれは認定は不可能ですね。その場合裁判で争った場合に、損害が起こった、いやあの被害というのは施行前の煙によってぜんそくになったのだ、たとえば企業側でこういう言い方もできますね。そうすると原告のほうでは、そうじゃないのだ、あれは施行後の煙によっておれはぜんそくになったのだ、こういう主張もできますね。そういう場合になると、結局は原告側に不利な作用がくるんじゃないかということになるわけですが、その点についてはいかがでしょうか。
  84. 関田政雄

    関田参考人 実務家として分析いたしますと、この法律がまず本日成立したとします。それからあした訴訟を起こす人は、これはこの法律施行後の原因によって生じたとは絶対に言えないと思いますね。これは過去の蓄積によって発生したということはきわめて明らかなんです。しかも法律は明文を置いて「従前の例による。」と書いてあるのですから、被告は、これは無過失責任は適用されると必ず抗弁すると思います。いま御質問のような問題の起こるのは、少なくとも一年先に発病した人が原告になった場合には、あれは法律施行前の原因でなかったと原告は申すでしょう、この法律を活用しようとすると。そうすると被告は、いやこの病気は一年やそこらで発病しないものであって少なくとも数年間の蓄積を要するという抗弁は必ず出てくると思います。抗弁が出たということは、最小限度実務家としては一開廷のみでということなんです。裁判所は間男の首を切るような裁判をするところではありませんので、少々見えすいた抗弁と思うても一応相手方の意見を聞きます。しかる後に答弁があって判断をするところですから、最小限度一開廷の空転を招くことだけは実務家としては間違いない事実なんです。そういう意味ではこの「従前の例による。」という明文は非常に支障を来たす規定である、こういう意見であります。
  85. 二見伸明

    二見委員 差止請求についてですけれども、公害訴訟の形態に二つあると私は思います。一つは差止請求、もう一つは損害賠償請求ということになると思います。  今回の法律は、その損害賠償請求にかかわる法案だろうと思いますけれども、たとえば差止請求につきましては、いままでのいろいろな考え方等をまとめてみますと、差止請求の構成要件といいますか、そのためには一つは侵害が受忍限度を越えているということ、耐え忍ぶことができないで受忍限度を越えているということと、もう一つ被告公害発生行為と原告の受けておる被害、侵害との間に因果関係があるということとこの二つが明らかにならない限り、差止請求というのは請求することができても実効が伴わないわけですね。その場合、やはりここで因果関係があるということで、私は因果関係推定が働いて、ここでたとえば因果関係推定規定が入っていれば、その点はもし差止請求という場合でも、因果関係については非常に原告側に有利に働くと思いますけれども、問題は受忍という、受忍の限度を越えているかどうかという基準の判断ですね。これは非常にむずかしい。最終的には裁判官の判断となると思いますし、個々のケースによっていろいろな問題があると思いますけれども、こういう点についてはいかがお考えになっているのか、これは戒能参考人関田参考人と御両人の御意見を伺いたいのですが、どうでしょうか。
  86. 戒能通孝

    ○戒能参考人 おっしゃるとおりでございます。具体的に受忍限度がどこまでかということはわからないわけでございます。しかし、有害物質については私自身は受忍限度というのはない、ゼロであるべきだというふうに感じるわけでございます。受忍限度があるということは、これは被告の側で証明しなくてはならないのではないだろうか。ある量の蓄積、どこまで蓄積すれば危険になるかということは、被告の側で証明しなくちゃいけないのではないか。ある物質があれば危険だということだけを原告が証明すればいいのじゃないか。それから先自分のやっておる程度だったらだいじょうぶだということは、被告の側で証明しなければならない、そうしていただかなければ困るのじゃないか、その意味におきまして、私どもは、濃度規制という大気汚染並びに水質汚濁防止の法律規定は非常に困るというふうに感じておるわけでございます。
  87. 関田政雄

    関田参考人 受忍限度論につきましては、私は戒能先生と同意見です。公害の問題に受忍限度論などは持ち来たすべきでない。  それから差止請求という問題については、これは無過失賠償責任と、それから因果関係推定とをここでこそ活用すべきだ、こういう意味です。重ねて申しますが、公害の受けとめ方が、健康や生命被害の生ずるところまで待っているという手は私はないと思います。あそこの工場でこういう有毒な物質を排出している、あるいは流しておる、これをいまとめなければあぶないのだというときに、被害の生ずるまで待って、損害賠償まで無過失賠償は働かぬとか、因果関係推定規定は働かないというようなことは、およそ現在の環境破壊の認識に大きく欠けるところがあると私は考えます。  六月五日から始まります国連の環境会議は、人類は核戦争による滅亡は回避し得ても、公害による絶滅の危機に瀕している、それはそういうふうに受け取る人もあるし、そのように受け取るのは神経衰弱だとおっしゃる方があるかもしれませんが、問題はその受けとめ方にあると考えます。
  88. 二見伸明

    二見委員 我妻先生にお尋ねしたいのでありまするけれども、民法七百十九条の解釈の問題でございますが、これは先生おそらく御存じだろうと思いますけれども、茨城県の石岡にあるアルコール工場が、これは国が被告になりまして争われた件で、共同不法行為ということで国が敗訴になった例があります。その場合に、共同不法行為というのは、各自の行為がそれぞれ独立に不法行為の要件を備えるときは、各自が右違法な加害行為と相当因果関係にある損害についてその賠償の責めに任ずべきである。何人かの者が共同して不法行為をやる場合は、一人一人が不法行為なんだということが前提になっているのではなかろうかと思います。  先ほど先生が例としてお出しになられた、数人の者がなぐった、げんこつが大きかったとか小さかったとかいうことじゃなくて、なぐったということが共同不法行為なんだというお話をされましたけれども、非常にわかりやすい例で、私、そのとおりだと思います。ただ、公害の場合は、個々の企業にとってみれば、個々の企業だけでは不法行為にならないというケースがあるわけです。非常に排出しているものが微量である。ところがある一定の地域の中のトータルとしての排気量になると、たいへんな問題になる。そのためにぜんそくが起きるとか、目が悪くなるとかといういろんな公害病が起こる。ところが個々の企業にとってみれば、排出しているものは非常に微量だということになりますと、そういう例もこれから出てくるだろうと思いますけれども、その場合、各自が独立してそれぞれが不法行為なんだということにならなければ共同不法行為にならないのだという解釈になりますと、今回の改正案で出ている二十五条の二ですけれども、これが非常に骨抜きになるのではないかという、私たち非常に憂いを感じているわけですけれども、その点については我妻先生はどういうお考えなのか、伺いたいと思います。
  89. 我妻榮

    我妻参考人 いま量の問題をおあげになったようですが、幾つかの工場のそれぞれの出すものは非常に微量で、それ一つでは損害を生じないという例をおあげになりましたが、質の問題もあるのですね。その物質そのものでは幾ら多くても害を及ぼさない。しかし、ほかからそれと化合して有毒物になるのもあり得るという場合、量の場合でも質の場合でも、お読み上げになったそれは最高裁の裁判だと思いますが、相当因果関係の範囲内にというので押えているのだろうと思うのですね。自分の出すのは非常に微量だから、これだけでは損害を生じないとしても、その地方にそういう微量なものを出すものが非常にたくさんあれば、相当因果関係の範囲内でやはり一緒になって害になるということは、当然因果関係の問題としてでも原因の問題としてもそれは共同不法行為になるのだ、それから質の問題のときにも、相当因果関係であればなるのだというのが学者意見でありますし、最高裁もそれは認めているようですね。ですから、あそこで民法七百十九条の規定の適用ある場合にはと書いたのは、もしそうした点で疑問を生ずるなら、共同したならとかなんとか、しろうとわかりのするやり方をしたほうがいいと私は思うのですけれども、しかし七百十九条に関する判例は非常に進んでいるから、それにおんぶしてもだいじょうぶだというので、ああいう規定ができているのだろうと思いますので、それはそれで解決するのだろうと考えております。
  90. 二見伸明

    二見委員 島津さんに私、伺いたいのですけれども、今回の政府案では財産損害に対する規定ははずしてありまして、私たちは非常にこれに対しては不満を感じておる。やはり政府案の一つの欠点であるとわれわれは考えておるわけであります。財産規定を入れることのメリットというのは非常にいわれておりますし、またそれをはずした場合のデメリットも当然論議されておりましてわかっておりますが、われわれとして、では財産規定をはずしたことによってどんなメリットがあるのだろうかということになると、実は疑問を感じているわけであります。島津参考人は商工会議所の立場でございますので、そうした企業側の立場に立てば、私、財産規定をはずしたことについてのメリットは企業側の立場からすると出てくると思いますけれども、そういう点についてはいかがお考えになっているか、それを島津参考人にお伺いしたいことと、それから先ほど戒能参考人がいみじくもおっしゃいましたが、人間の生命、身体に被害があったときにはもう復元できないのだ、だからむしろ、生命に侵害がある、身体に侵害がある、その前の段階は財産の侵害じゃないか、こう私、思いますけれども、その点については戒能参考人の御意見はいかがか、お二人の御意見を伺いたいと思います。
  91. 島津邦夫

    島津参考人 私たちといたしましては、もともと無過失損害賠償法という制度自体につきまして、なかなかこれをもっともであるということを受け入れることについて、やはり素朴に言うと抵抗があるわけでございますし、その場合に、人間の健康とか生命というのは非常に大事なことじゃないか、だからこれはもう当然じゃないかというふうに受け入れておるわけでございまして、ですから、そういうように非常に緊急な解決を要するものは、やはりこういうような特別法の形式でつくられるということはやむを得ないことじゃないか、しかし無過失損害賠償というような制度につきましては、やはりどっちかといいますと、民法のいままでの原則を修正する規定であると思うのです。したがって、財産被害についての問題をやるべきではないとかいうふうに考えておるわけではございませんけれども、そういうことについての制度の改正をやられる場合には、もう少し民法全体を十分御検討された上で、総合的に御判断をしていただいて結論を出していただくほうがいいのじゃないか、こういうような考えでございます。
  92. 戒能通孝

    ○戒能参考人 いまの島津参考人のお話は、たいへん失礼でございますけれども、少し思い過ぎでいらっしゃる感じがいたします。ともかくお金で片が済むうちに金で片をつけてしまえばそれに超したことはないのでございます。金で片がつかなくなって、あとどうするかということになりますと、結局自分も破産せざるを得ないということになるのじゃないだろうかと思うわけでございます。  はっきり申し上げて、中小企業が生命、健康に対して公害による危害を及ぼすというふうなことは、実際を申しますとほとんど不可能なのでございます。実際それを行なうのは大企業だけでございます。したがって、中小企業の立場で財産侵害のことというのをお考えになる必要は実はないと考えているわけでございます。煙突を掃除しないから近所の洗たくものをまっ黒けにしたとか、それから排水口を掃除しなかったからどろだらけにしたとかいうことは起こります。それはふまじめから起こるのでして、無過失責任というのは関係ございません。むしろ過失責任になるのでございます。これに反して、大企業でございますと、やはり民族の将来の問題に関係していくと言ってもいいのでございます。  昔ローマ帝国がなぜ滅んだかということについて、いろいろな考え方がございます。ローマ人がローマの神さまを排斥してしまったからいけないとか、あるいはローマ人の道徳的堕落だとか、奴隷制度の解体だとか、いろんなことを言うのでございますが、その中の一つとして、ローマ人は鉛に毒されたという言い方がございます。彼らが酒を飲むときに、鉛の杯、とっくりを使ったわけでございます。それが結局からだの中にしみ込んで、ローマ人のからだがずっと弱くなってしまった、だからローマ帝国は滅びたんだというふうに言う考え方もあるわけでございます。  ローマ帝国とか日本国というものを滅ぼすような、そういうような大公害というものを引き起こすのは、小さなローカルの企業ではございません。全国的に非常に強大な企業である。その強大な企業がもし漁業権を侵害したとかあるいはまたたんぼを荒らしたとかいうことでございましたら、早いうちになくしてしまう以外にないのじゃないだろうか。早いうちに賠償して、それから今後そのようなことをやめる以外にないのじゃないだろうか。健康に被害を及ぼすようになりますと、そのときにはもう、一人被害者が出たらあと何千人被害者が出るかわからないという状態になっているのでございます。それを避けることが非常に重要だろうと思うわけでございます。  特に公害被害というのは、一つは呼吸器、それから血液に被害が出てまいりますが、それだけではございません。神経細胞をこわす、あるいは骨格に影響をもたらすという現象がございます。骨に影響がきたら、もう大体回復できません。神経細胞に影響を受けますと、もはやそれは再生できませんので、あと廃人が生まれるだけになってまいります。そうなりますと、これはただ賠償というような問題だけではなくて、むしろ国民の未来の問題として非常に大きな意味があるのじゃないかと思うわけでございます。
  93. 二見伸明

    二見委員 最後に、先ほどから議論になりました因果関係推定に関連してお尋ねをしたいと思います。  我妻先生と関田先生にお伺いしたいのでありますけれども、損害賠償をする場合に、一つの要件は、原告側に被害が発生しているということが一つの要件だと思いますし、もう一つは、被告の行為と原告の被害との間に因果関係があるということ、これがもう一つの要件であり、さらにいままでは、それに故意、過失ということが要件だったと思います。今回の法案では、過失については、不満足ではあるけれども一応是として見ます論議がありますので、やはり残ってくるのは、因果関係の問題が大きくなると思います。今回は因果関係推定規定ははずされたわけでありますけれども、それについての御意見は先ほど伺いましたので、あえて伺いません。因果関係立証する場合、いままで一つ立証責任の転換、原告側にそれが帰せられるというのがございましたですね。これは、公害裁判の場合には、原告側に非常に不利なことになるということで問題になっておりました。  もう一つは、蓋然性の理論というものがございます。それからもう一つ推定の法則ですか、三つありまして、大体いままでの判例推定の法則でもってきたと思いますし、因果関係推定規定が入ればこの推定の法則が法案に盛り込まれた結果になるのじゃないかと思います。ところがそれがはずされたわけでございますけれども、実際の実務の立場からいって、公害裁判を考えた場合、因果関係の場合は立証責任の転換ということに重きを置いていったほうがいいのか、それとも因果関係推定ということで推定規定で十分なのか、その点についての我妻先生の御意見関田先生の御意見を伺いたいと思います
  94. 我妻榮

    我妻参考人 私、御趣旨の中心点がちょっとはっきり理解し得なかったのですが、私が先ほど申し上げたことからいいますと、先ほどはイタイイタイ病原因として、カドミウムという学説とビタミンのとり方が少ないという学説がある、そのときに、現在裁判所ではどっちの学説がいいかを決定するがごとき態度で——それはおそらく訴訟当事者から証人を申請するからだろうと思いますけれども、学説を決定しなくちゃならぬというようなことで裁判が非常に長引いているというのは見当はずれだと私は言うわけです。どっちにも可能性があるというなら、それを受けて、この具体的な事件について、どっちが現実の原因になっておるかということを裁判所がきめればいいんだ、そしてそこに推定が働けばおうしゃるとおり挙証責任の転換になって、少なくも早く片づけられることになるだろうというふうに言っているわけですね。  そこで、しかしそれに対して、現在いわゆる事実上の推定ということで裁判所相当推定しているんだから要らぬじゃないか、あるいはなまじっかな法律を置くと、その文字解釈裁判所がせっかくやったものをじゃますることになりやしないかという説もあるらしいのですが、しかしそれはいつでも起きてくることで、法律をつくれば裁判で築き上げていったものに対して反対解釈になるだろうとかじゃまするだろうと見るか、やはりそれをサポートしていくんだと見るかは見る人によるので、いつでも多少でも違った文字が出てくると、それを阻止するんだとか逆行するんだと言う必要もないのじゃないかというわけです。したがって、簡単に言えば、裁判所が事実上の推定という理論で解決してきた問題に多少法律的なサポートを与えるというぐらいなことにしかならない。したがって、企業者側でたいへん心配していらっしゃるようなひどい結果になるのではありません。しかし新聞は、環境庁がこれを取り除いたのではなはだしき後退であるといって大きな見出しで報道しましたけれども、それほど大きな後退といわなくたっていいのじゃないかというふうに私は考えるのです。  そしてその結論として、さっきから何べんも言っておりますように、国会が修正してお入れになるなら両手をあげて賛成しましょう、しかしそれにこだわって共倒れにならないようにしてください——それは、私の本日最後に申し上げることばをいまあらためて申し上げるのですが、繰り返して申しますと、もう全部でもいいのです。留保なしにこれ以上責任を重くなさる修正は全部賛成してください、ただそれにこだわって全部倒れるようなことのないように注意してくださいという、はなはだ僭越なる老婆心を申し上げておるわけなんです。
  95. 関田政雄

    関田参考人 いま非常に精細に分類なさいまして、挙証責任の転換、因果関係推定、蓋然性の問題と、これがどんなふうに区別があるかは、ちょっといま急には正確に表現できないのです。  しかし、私はこういうことだけは言えると思います。いかに挙証責任を転換しようと、あるいは推定規定を置こうと、原告側は被害と加害行為の間に何らかの連絡をつけておかなくちゃいかぬ、この主張なしに挙証責任の転換も蓋然性もあり得ません。問題は、被害者は非常に被害を受けて泣いておる存在なんです。弱者です。この弱者の救済のために、因果関係立証のためにまたそれだけでも大きな苦労をしなければならぬというようなことは、少なくとも公平の原則に反する。したがって、因果関係推定規定を置くとか、蓋然性という理論確立するとか、あるいはそれが現に判例でだんだん積み重ねられてまいりましたが、そういう機運にあるときに、足を引っぱったり水をさすような行為はとってもらいたくない、こういう意味なんです。この推定規定を省いたからというて判例は動かぬぞという考え方もあるでしょう。それほど動かないのならば、この推定規定を何もお抜きになる必要はないです。安心してお入れになればいいと思うのです。  問題は被害者救済がいかにして実現しやすいか、それからこの公害というものをこの地球上から少なくとも人類のために排除し得るかという観点に立った立法措置が私は必要と思います。その立場から立ちますと、被害者被害救済公害の排除のために差しつかえになるような心配のあるものはできるだけ持ち来たさぬようにしていただきたい。そんな心配はせぬでもいいぞとおっしゃるのなら、政府はよろしく襟度を開いて、こんなもの入れても心配せぬでもいいのだから入れようか、こういう態度をおとりいただけばいいのじゃないかと思うのです。
  96. 二見伸明

    二見委員 終わります。
  97. 田中武夫

    田中委員長 次に、土井たか子君。
  98. 土井たか子

    ○土井委員 川崎公害病友の会の会長の斉藤さんは、ぜんそくでお苦しいところをきょうはお運びいただきまして、たいへんに感謝いたしておりますが、一言でけっこうですからひとつ御返答を承りたいと思います。  実は、第六十四臨時国会がいわゆる公害国会だったわけですが、あの節、いま斉藤さんなんかもお考えになって、一番密接な法律大気汚染防止法というこの法律が取り扱われまして、その節、この大気汚染防止法とともに、水質汚濁防止法につきましても私たち審議していたわけですが、特にこの大気汚染防止法水質汚濁防止法の中身が今度は一部改正という形で出ているわけなんですね。そこで大気汚染防止法を私たち問題にしたときに、ガス事業法にいうところの事業所、電気事業法にいうところの事業所というものがこの汚染防止法の対象から適用をはずすということになっていったときに、たいへん私たちこれを問題にしたわけです。大どろぼうを逃がしてこそどろを取り扱うような法律になりおおせるのじゃないか。一番空気をよごしているのはどこかというのは、もうだれでもがよく知っている問題なんで、その事業所を対象にしないような法律では何の意味もない。大気汚染の防止ということを徹底してやれないということを、私たちはそのときからずっと問題にしているわけですね。それでこれは別の機会に必ずこの大気汚染について別の立法でこれを取り締まるか、あるいは抜本的に、こういう意味大気汚染防止法を改正しなければならないと考えて今日に及んでいるわけですが、今回のこの法案をごらんいただきまして、そういう意味から政府案と野党案をお比べいただいたときに、私たちの問題にいたしておりますこの野党案のほうがよいとお考えくださるか、あるいは政府案でまあいいじゃないかというふうにお考えになっていらっしゃるか。これは先ほどの我妻先生からすると、共倒れになるとかならないとかいうふうな御懸念も出るかもしれませんけれども、そこのところ一切御懸念なしに、法案の中身を見た場合に、それはこっちのほうがいいと自分は思うというところを、率直に一言でけっこうでございますから、ひとつお答えいただきたいと思います。  それと同時に、我妻先生、先ほどからこれはないよりあったほうがいい、そして改正点をさらに、いまから時間の上でできることなら例の因果関係推定規定の問題についても入れたほうがよいというふうにお考えになるような向きもお伺いできているわけですが、共倒れになる、ならないというのは政治の場の問題としてちょっとこっちに置きまして、学者、学識経験者としての我妻先生からお考えいただいて、今回のこの問題、いまお尋ねしている点について、政府案と野党案を見た場合に、どっちがより効果を発揮する法案として考えられるかという点、ひとつお教えいただきたいと思います。
  99. 斉藤又蔵

    斉藤参考人 ただいまの御指摘は、私は先ほども申したとおり、野党側を全面的に主張しているわけで、もっとよりよいものをつくっていただくことをただ主張するだけです。どうかよろしく。
  100. 我妻榮

    我妻参考人 共倒れというよけいな心配を別にしてどっちがいいかという御質問ですが、話がそうなると非常に現実的になりますが、大部分そのままの野党の案でいいと思います。ただ注文しますのは、損害賠償の担保制度とかそういう新たな制度をつくる問題は、そのこと自体は非常にけっこうだと思いますけれども、内容は相当複雑なもので、野党が一体どこまでの準備をしておいでになるのか伺わないと、そのままでいいとはちょっと申し上げかねるというわけです。しかし、それを、諸般の事情を考慮して、先ほどちょっと言いましたように、私がいま思いついたところでは、原子力の損害賠償に関する保険制度、それから自賠法の保険、それから鉱業法にある積み立て金制度、そうしたものをよく研究して、適当なものをおつくりになるという前提で、非常にけっこうでしょう、こういうことです。
  101. 土井たか子

    ○土井委員 その点につきましては、特別立法で別に用意するということを私たち準備としていたしておりますので、その節もまた先生のいろいろ御見識、ひとつお教えいただいて、よりよいものにそれはしていく努力もやっぱり払いたいと思っておりますが、それはちょっと、あとの問題にしましょう。特別立法でそれは考えております。  それで、質問させていただくことを先に進めたいと思いますが、さきに御意見を拝聴しました日本商工会議所の公害対策委員会の小委員長島津さんにひとつお伺いしたいと思います。  これは、戒能先生の御発言を伺っておりまして、私まことにそのとおりと思った点なんですが、被害が出ました場合は、被害者のみでなく加害者が実は困るのだということ、この問題からいたしまして、ことわざの中にも、ワイシャツをよごしたらその洗たく代は自分で払いなさいとか、きれいな水を使ったらきれいな水で返しなさいとか、あるいは企業は株主に対して責任を負うと同様に住民の環境保全についても責任を負うべきだというふうなことわざがございますね。それから考えてまいりまして、現在もうすでに、かつては自由財というふうに考えられてまいりました環境資源というのは、経済活動の成長に伴って、供給に限度のある資源、つまり使用コストのかかる資源であるということがもう一般に理解されてきているわけなんですね。御承知のとおりです。そこで、例のOECDにいうところの公害防止費用は汚染原因者によって負担されるべきであるという、ポリューター・ペイズ・プリンシプルという、PPP原則ですね、これについて、どういうふうなお考えをお持ちでいらっしゃるか。それから、その問題について商工会議所とされましてはどういうふうな態度で臨まれつつあるかという問題が一つです。  あと一つは、最近これは現実の問題として日本の製品が海外に輸出されます場合に、ペナルティー、一割五分から大体二割の関税をつけるというふうな問題がいましきりにささやかれておりますが、このことは具体的に政治の場でどうなるかということはこっちに置いておきまして、少なくとも一割五分から二割の関税ということが問題にされているやさきでございますから、これは公害防除施設、公害防止施設について、企業者側が少なくとも二割くらいはそれに対して充てるというのは、一応の数字として出していった場合に、これは常識的な原則として問題にされてよいのではないかという、現実の問題から発想する一つの側面があろうかと私は思うのですが、この公害防止に対して企業が二割くらいの経費をこれにかけるということなんかについて、どういうふうにお考えでいらっしゃるか。  この問題について、さらに戒能先生の御感想、御所見も、同時にお承りしたいと思います。
  102. 島津邦夫

    島津参考人 こういう損害が発生する以前の生活環境の保全が大事ではないか、私はそういうふうに受け取ったのでございますが、全くそれは同感でございます。そういう面におきまして、私は、差止請求というような御案もございますが、やはり実際の国だとか地方公共団体の行政というものに期待をしまた信頼をしておるわけでございます。  たとえば、私どものほうでは、京都府公害防止条例というのがございますが、それの前文にも書いてございますけれども、京都「府民の公害防止の意思と運動をよりどころとし、市町村とともにあらゆる施策を通じて公害の防止絶滅を図らなければならない。」というような強い規定もございますし、あるいは公害防止協定を締結する義務を課すというような規定もございまして、そういう点は私どもは地元の行政力に非常に期待しておりまして、私どももそういう行政機関とともに事前の公害防止、生活環境の破壊の事前防止ということに取り組んでおるわけでございます。  それから、いまのお話のPPP原則につきましては、不勉強でございますが、私どもの承っておる限りにおきましては、その原則というものは理解できるのではないかというふうに考えております。ただ、一点私どもが考えますのは、諸外国の先進国の場合と日本の場合と比べまして、都市施設といいますか、公共社会資本が非常に不足しているのではないかというように思います。ある数字で見ましても、どうも欧米の五割とか六割というような社会資本の蓄積の限度でしかないというように見ておるのでございます。ですから、たとえば京都におきましても、国際観光文化都市といっておりますもののまだ四〇%ぐらいしか下水道が完備をしていない。これはちょっと余談でございますが、一応京都市の場合には四〇%の国庫補助を受けるわけですけれども、しかし実質的な補助率を見ますと、やはり一八%とか二割以下の補助率になっている。もっともっと国も、京都市の財政というものもそう豊かでございませんので、御支援をいただきたいと思っているわけです。  ちょっと余談を言いましたが、いずれにいたしても、PPP原則の趣旨はそのとおりだと思いますが、そういう立ちおくれておるところの社会資本というものの充実が必要ではないか。それから同時に、いろいろ公害防止等について政府が助成するのはどうかというような御趣旨のようです。しかし、それも、最終負担は企業がすべきだと思うのですが、それに至るまでの融資とか、技術開発に対する助成とか、そういうふうなことはやっていただく必要があるのではないかというふうに考えております。なおこの問題については、勉強中でございますけれども、まだ商工会議所としては一定の意見をまとめるまでには至っておりません。  それから、いまの公害防止費用の点でございますが、この点について二〇%といわれましたけれども、私どもとすれば二〇%というのは非常にかなりのあれでございます。現在設備投資の中に占める公害設備の割合というものをいろいろ見ておりますが、数年前は五、六%だったものが現在では一〇%、今年などはもっとそれより上に行くのではないかというわけで、設備投資の中に占める割合は非常に高くなってきている。しかしこれはやむを得ないことではないか。したがって、経費のコストの面において占める割合も高くなっていかざるを得ないとは思います。思いますが、二〇%というのは少し高いのではないかという感じがいたします。
  103. 戒能通孝

    ○戒能参考人 東京都の予算の中に、中小企業の公害対策援助資金が大体百億円ほど組んであるわけでございます。初めのうち、私、その金額についてやや得意になりまして、外人なんかに説明しました。ところが、私は所長になって三年でございますが、初めのうちは私の話に同感していました。ところが、最近になってきますと、一体そんな金はどこから来るのか、喫茶店のウエートレスとかバスの運転手とかそういった人たちが汗水たらして働いたお金の一部ではないか、そういう金をもらってそして公害対策なんかやって、どこに企業の主人としての権威があるのかという話をするようになってまいりました。したがって、私は意識的に言わないということにしてしまったわけでございます。やはり企業の主人であるからには、本来から申しまして自前でやるのが当然ではないかと思うのでございます。したがって、自治体にしても、国にしても、公害対策費というのは、貸し付け資金はけっこうでございましょうけれども、補助資金というのは原則として避けるというのが正しいのじゃないだろうかと思います。ただしかし、いまそんなこと言ってはおれませんし、現実問題といたしまして中小企業に対して何も援助しないで公害対策をやれといったってこれは無理難題でございます。特に東京みたいに過密都市でございまして、土地を買うなんというときにばく大なお金が要るところで何も施設をしないでおまえさんたちやりなさいといったって、これは不可能でございます。したがって、このお金はどうしても必要だと私は確信しております。ひとまず基本的にはやはりみずから支払うのが当然であろうと思いますけれども、しかし実際問題としてはとてもできない、相当な援助が必要であるというふうに感じているわけでございます。  第二に、公害の除去費としてどれくらい投資すればいいかという問題でございますが、この点は頭との関係がずいぶんございます。頭を使わないででき上がったセットを買ってくる、カタログを見て買ってくるということでございますとお金は無限に要ります。二割ではきかないだろうと思います。五割ぐらいになるのじゃないだろうかと思うのでございます。これに反して自分で努力してどうしたらいいかということを一生懸命になってつくり上げていけば、私は一割でも相当な成果があがるのだろうと思うのでございます。  ことしの初めでございました。スウェーデンで公害防止企業を見せてくれたことがございました。見ますというと、日本公害防止企業よりもずっと単純でございます。単純でございますが、これはおもに製紙工場、紙屋さんがつくったものでございますが、各工程ごとにつけろというのでございます。幾つかの工程を一緒にしますというと、出てくる物質が全然違う。物質が違うのにもってきて浄化しようとすると非常にやっかいになる。だからできるだけ一工程ごとに、できるだけ単純のうちに始末しようという立場をとっておりまして、私もその立場のほうがいいのじゃないかと感じております。ところが日本のはどうもみんな一緒に集めてそれから処理することになりますので、一つ一つが高くなってしまっています。これは東京みたいな土地の少ないところでは、一つ一つつけるとなると、土地がまた要りますので、やむを得ずそういうことになっていったのだと思いますが、今後新しい施設をつくる場合におきましては、できるだけ単純なもの、そうしてできるだけ自分の施設に合致したものをつけていただきたい。このためにはできるだけ勉強をしていただきたいと思うのでございます。ところが一番困るのは、日本の技術家は安くすることの勉強というのは存外きらいでございます。安いものをつくる勉強というのは存外きらいでございます。十億円使う話ですとみんな張り切っちゃいますけれども、十万円のものをつくるとなると、どうも皆さんあまり張り切ってこないという傾向がございます。この点で日本の科学技術教育なんかについても一番基礎的な心棒が一本なくなっているのじゃないだろうかという感じがするわけでございます。いずれにせよ公害防止経費を幾らとるべきかというのは相対的でございまして、頭を使わなかったら一〇〇%投資したってだめである。頭を使えば一割でもきくというふうに申し上げることができると確信いたしております。
  104. 土井たか子

    ○土井委員 先ほど戒能先生からの御発言の中に自動車の問題がありまして、これは公害源に対しての差止命令の要求の問題としてお出しいただけた例であったわけですが、実は私たちも今度の野党案を練ります際に、特定の企業がはっきりここが公害発生源とわかる場合はまだ始末ができる。ただ始末ができるといったって、十分にできてないところが実はいまの現実の問題であるわけなんですが、しかしそれにも増して、不特定多数のユーザーが利用する自動車に対して、どう取り扱うかというのが悩みの種だったわけなんでございます。それからしまして例のアメリカのマスキー法ですね、これは一九七〇年十二月三十一日の例のクリーン・エア・アクトだと思いますが、あのような形で以後問題にしていったほうが日本においては適切な方法というふうに考えてよいのか、それともこういうふうな形の無過失損害賠償責任法案の中に織り込むことができるということであるならば、どういう形に持っていったら一番適切なこれに対する規制をきかすということができることになるかというあたり、これも簡単でけっこうでございますから、ひとつ戒能先生から考えを承りたいと思います。それから同時に自動車なんかの規制について、同様のいま申し上げた問題点について関田先生からも御所見がございましたらひとつ承りたいと思います。
  105. 戒能通孝

    ○戒能参考人 自動車のことを私誤解して申しわけございませんでした。確かに別の法律案を御提出になるということで、ちょっと混乱いたして申し上げたことは失礼いたしました。  しかし、いずれにいたしましても、市民運動として自動車の排気ガスをとめるということになれば、やはり無過失損害賠償とか、あるいは差止命令とかいう形をとっていただかなければできないのじゃないか。現に自動車の問題について恐喝罪でつかまった人なんかがいるわけでございます。自動車のことについて何らかの勉強をいたしますと、どうしても億単位の資金が必要でございます。億単位の資金を使って研究し、そしてそれに対して何の補償も得られないということになるというと、よほど強力な資金組織でもあれば別でございますが、実際はなかなか期待できません。おそらくは差止命令と同時に、被害者代表的なものというものが要るんじゃなかろうかという感じはするわけでございます。しかし、これはいまちょっと思いついただけでございまして、先ほどは失礼いたしました。
  106. 関田政雄

    関田参考人 自動車の問題につきましては、日弁連の案の中にもこれは触れませんでした。無過失賠償責任因果関係推定いずれも、あるいは差止請求にしても、相手の数が多過ぎて、単位が小さ過ぎる、不特定多数であって居所、住所不定であるということでありますから、そういう意味ではこれは別の規制を要するということで、これは別案に譲ったのです。  先ほどから、ないよりもあるほうがましだという議論が盛んに出ていますが、一歩前進のために戒能先生のおっしゃる自動車の規制も必要だが、それまではまだ手が届かぬのでこれは省いた。省いたけれども、その省いたものはないよりはいまの法律のほうがよいというのは、私は意味があると思うのです。先ほどからの大事なかなめは抜いてしまって、ないよりあるほうがいいという議論には、私は承服しかねるのです。  それから二番目、自動車問題については、私は大都市の中へ自動車をこうやたらに持ち込むべきでないという意見です。大衆乗車機構と申しますか、地下鉄、高架あるいは最小限度バス、こういう程度にとどむべきであって、マイカーをやたらに大都市の中へ持ち込むところに原因があるので、その方面から解決を考えていかなければならぬかと私は考えております。
  107. 土井たか子

    ○土井委員 質問はこれで時間が参りましたから、終わりますが、先ほど我妻先生がおっしゃいました例の損害賠償についての必要な措置は、野党三党案の中では第八条の中に織り込んでおりまして、この中身は、損害賠償の担保として、事業者拠出による損害基金制度などを考えようというふうになっておりますので、これはいまの野党三党の案の中では第八条の部分に当たるかと存じます。それは、さらに特別立法ということを用意するということも考えていかなければならない問題じゃないかと思います。  以上、終わります。
  108. 我妻榮

    我妻参考人 損害賠償の措置というのに、野党案は「必要な措置を講じなければならない。」と書いてあるものですから、何か案がおありになるかとちょっと考えたわけです。  それから、日弁連の案ですか、それは特別の法律をつくろと、こう書いてあるのですね。しかし、いずれにしましてもそれが必要だと考えますことは、私が最初にきょう述べましたときに、政府案になくて、ほかの案にあるものを一通りあげまして、そのときに感想を述べました中で、損害賠償の保障という制度は緊急に考えなくちゃならぬことだ。そうしてそれには二つ意味があるので、一つ判決はもらったけれども金は取れなかったというときに、損害賠償を確実に取れるようにすることと、それから、たとえば自動車のマイカー族をどうやってつかまえるか、その多数の者に連帯責任を負わしたってだめだろう。そうすれば、何かまたファンドをつくるということを考えねばならぬかもしれぬ。そこでそういう二つの面があるということを考慮に入れて、どんな制度がいいか、これは緊急に研究する必要があると申したはずです。そうしてその中で、御指摘のPPPの原則ですか、それをどこまで持っていくか、どこまで厳格にやるか。たとえば中小企業に対して何らかの措置を講じるようなことを政府がやることまで禁ずるのか、あるいは措置に対して経営資金を貸すことまで禁ずるものなのか、その内容も相当研究する余地があるように私は考えております。あまりよく存じませんので……。  それからマスキー法ですか、それによっては七五年までに害のない自動車を開発するということで問題になっているようですが、たとえばそういう開発のために政府が金を出すということもPPPの原則に反するものか、相当こまかな検討を要するだろう。しかし、これこそ緊急に研究しなければならぬことだ、こういうつもりで申し上げたのでございます。
  109. 土井たか子

    ○土井委員 どうもありがとうございました。
  110. 田中武夫

    田中委員長 最後に、青柳盛雄君。
  111. 青柳盛雄

    青柳委員 時間がございませんので、簡単にお尋ねいたしたいと思います。  今度の政府案はいろいろの点で不十分なことがあることは、きょうの先生方ほとんどお認めになっていらっしゃるところでございますが、その中で私ども一番問題があるし、これは直さなければ、修正してでも通すとすれば、したほうがいいのじゃないかと考えるところを一点お尋ねしたいと思うのですが、それは大気汚染防止法の部分について言うならば、二十五条の二、それから水質汚濁防止法で言うと、二十条、要するに複数原因者がある場合の賠償義務の問題でございます。これは鉱業法の百九条の規定がもうすでに前例がございますが、複数の原因がある場合には共同不法行為などという概念をそこへ持ってこないで、そのまま無過失責任という形で連帯を命じているわけです。日弁連の案から、野党三党の案、いずれもこの点はいま言いました鉱業法の百九条と同じ趣旨の規定でございますし、また学者公害法研究会の案もそのような形になっております。私は、それならばあまり疑義は起こらないですっきりいくのじゃないか。もちろん寄与度によって賠償の範囲を縮小するというような措置が含まれることがいいか悪いか、これはちょっと問題だと思いますけれども、それより以前に問題になるのは、民法の七百十九条が援用されているというところにあると思います。この点について学者も、これは何ら複数原因者の賠償責任については、今度の改正案では規定を設けなかったのだ、そうして民法にだけまかしてしまった。しかも民法ではほとんどこの連帯というものが認められているのに、寄与度によって縮小するという例外的なものまでくっつけたのだから、後退である、そういう説もあるわけでございます。この点について、法律の専門の三人の御先生にそれぞれ御意見を承りたいと思います。
  112. 我妻榮

    我妻参考人 御質問は、民法七百十九条の共同不法行為になるなら、何も規定しないで、それにまかしておいていいだろう、それを寄与度の非常に少ないものは額を減らすということを規定するだけの目的で、わざわざあれを規定するという必要はないじゃないか、こういう御趣旨だろうと思うのですが、そのとおりだと思います。しかし、ただ前にも申しましたように、非常に大きな煙突を出している大企業が十ぐらいある中に非常に小さいものが一つ入っているときにも、それから出す煙も一緒になっているわけですから、連帯責任で全部が全額の賠償を請求されるということはちょっと不公平な感じがしないか。そこで、しんしゃくすることができるという規定を置いたのであろう。その趣旨はわからないわけではない。だから、これがじゃまになるかならぬかは各自の判断の問題で、私は、裁判所の良識ある取り扱いを期待して、あったほうがよかろう、こう申したわけなんですが、しいて何としてでも置きたいと思うほどの規定ではありません。
  113. 戒能通孝

    ○戒能参考人 私も我妻先生がいまおっしゃったとおりに考えます。七百十九条というものがどんなふうに利用されるかというのが主要な問題だろうと思います。四日市の訴訟記録を読みますと、三菱化成が、うちの寄与率は千分の十六だ、だから責任ないという形をとりました。それから石原産業も同じような主張をいたしました。しかも計算の基礎が間違っているというふうなことまで起こってきたわけでございます。寄与率というのは厳密にはわかりません。いまではレーザー光線を使いますと、大気汚染の寄与率はある程度まで正確にできますけれども、しかし、訴訟をやるためにその記録を厳格にとるというわけにはいきません。ちょっと経費がかかり過ぎましてばかばかしい話でございまして、寄与率をそんなに厳格につかまえるというわけにはいかないと思うのでございます。ただしかし、幾つかの大企業のまん中におふろ屋さんが一軒あったとか、それから小さな工場が一軒あったというふうな場合には、寄与率はゼロと考えてもいいのだ。同じように亜硫酸ガスを出し、粉じんは出したけれども、まあゼロと考えてもいいのだ。その程度のこととしてなら、私はそんなに重要な問題じゃないと思っているわけでございます。ただしかし、三菱化成みたいな形で、自分は千分の十六だとかなんとかという形で逃げるようなやり方が妥当かどうかということになれば、これはそういう形では使えないのだというふうに考えていいんではないかと思います。  ただ、全体としますと、この法律は通過しなければいけないものなのか、通過しなくてもいいものかといいますと、しいて要らぬものじゃないか。我妻先生なんかの御努力による民法五十年の歩みをもとに、判例も蓄積され、学説も蓄積されておりますので、この蓄積されたものと比較して、この法案はそれほど前進しておりません。というよりも、むしろ蓄積されたものが上でございますから、しいてここに固定する必要はないのじゃないだろうか。倒れたからといって別に心配はないだろう。ただしかし、倒れたということになりますと、こういう倒れるような法案提出した政府なり与党なりの責任というのが、未来の記録に残るということになるのじゃなかろうか、私はそう感じているわけでございます。その程度でございまして(「野党が反対するからだ」と呼ぶ者あり)あるいは野党の反対はけしからぬという形で残るか、その辺は歴史の問題にかかるのじゃないだろうかというふうに感じるわけでございます。
  114. 関田政雄

    関田参考人 共同不法行為についての問題ですが、日弁連の案は、共謀も要らなければ意思の疎通も要らない、客観的に共同不法を確保しておればその責任は連帯してとるべきだ、こういう議論です。先ほどからずいぶんこの議論が出ましたので、私は実際家の立場からこれを考えますと、ある意味では戯論ということになると思うのです。極端に言いますと遊戯である。だれが好んで寄与率の小さい加害者を被告にするでありましょうか。大企業と小企業があるときに、だれが好んで小企業を被告に選ぶでありましょうか。タクシー会社の事故があった場合に、運転手を被告にするよりは、能力のある会社を被告にしたいのです。したがって、いままでの議論は、実際家といたしましては、心配のない議論になるのです。できるだけ能力のある、それから大きな寄与率をしておる元凶をつかまえてきてこれを被告にすることは、言うまでもないことなんです。しろうとさんならばいざ知りません。弁護士が代理人になってそんな逆をやるはずはないのです。したがって、このしんしゃくするという寄与率の小という規定は、これは要らぬ規定なんです。けれども、置きましたらどうなるかということです。この規定を置けば、量と質の問題が必ず出てまいりますので、いかなる大企業も寄与率は小さいという主張をするにきまっているのです。先ほど申しましたように、実際家といたしましては、そういう抗弁が出ますと、裁判所は必ず答弁を促します。ややこしければ、次回までに書面で出せ、こう申します。書面が出て、かみ合わせた上で今度は立証と、こうなるのです。そうしますと、先ほど申しました最小限度一開廷の空転ではないのです。この条文があるために、二、三開廷は空転するということだけは間違いない。これが一つ。  二番目に、それじゃこの法律は通さぬほうがいいか、通したほうがいいかということについては、我妻先生は、やっぱりないよりはあったほうがいいから通せとおっしゃるし、この一つにこだわって全体を流してはもったいないとおっしゃる。戒能先生は、正直に申し上げてないほうがいいとおっしゃるのです。私も、結論としては、この法律ならば、ないほうがいいのですが、ないほうがいいからといって、この法律を憎んでいるのではないのです。かわいいむすこが極道をしますので、おまえみたいなやつ家を出ていけ、こう申しましたけれども、出ていったら困るのです。出ていかないほうがいいのです。出ていけというのは、出てくれるなよという意味なんです。出てくれるなよだけれども、同じことをやって家におってくれては困る、こういうのです。出てくれては困りますが、同じあやまちを繰り返して家におってくれては困るという意見でございますので、その意味においては、もう一ぺんもとに戻していただきたいというのが私の意見です。
  115. 青柳盛雄

    青柳委員 お三方の御意見、いずれもこれは寄与率によって云々という部分については、あまり積極的にこれが必要なんだという御意見ではなく、むしろ消極的でおありになるというふうに理解されるのでございますが、その以前の問題でございます。民法七百十九条の成立について、判例相当進んでおるということが前提にあるように説明される場合があるわけです。前回、政府委員のほうでもそういう説明がありました。判例ももちろんわれわれはいいものがあると思いますけれども、たとえば事業者相互間の共謀ないし共同の認識を必要とするというような判例も絶無だとはいえませんし、学説もあります。こうなれば、もう無過失ということにはなりません。それから、個々の行為がすでに過失、故意を必要とするということも、判例上定説があるようでございます。したがって、これは無過失ではございません。  それから、寄与度を問題といたしまして、一定程度以上の寄与がある場合にのみ共同不法行為が成立するという有力な考え方もあるそうでございます。そうなってまいりますと、民法七百十九条の解釈判例上非常によろしいから、これにまかせておけば無過失共同責任というようなものがおのずから認められることになるのではなかろうかという期待を持つことができるかどうか。裁判所がそこまで踏み込んで、大気汚染防止法の二十五条の二というのは、民法七百十九条の共同不法行為の規定の適用のある場合といっておるけれども、この共同不法行為というのは無過失責任をいっておるのだ、それをさしているのだ、そういうものを期待してこの立法がなされているのだ、こういうふうに裁判所が進んで解釈してくれるという期待を持つことができるかどうか。私はこの点は、そういう問題が訴訟の中で必ず被告側から出される以上、繰り返して申しますけれども、やはり鉱業法の百九条と同じような規定が設けられたほうがよろしいのじゃないか。要するに、七百十九条などというものをたよらないで、「損害が二以上の事業者の事業活動によって生じたときは、各事業者は、連帯してその損害を賠償する責めに任ずる。損害が二以上の事業者の事業活動のいずれによって生じたかを知ることができないきも、同様とする。」これは七百十九条の後段にもございます。そしてこれは一種の因果関係推定にも通ずるものがあるというのですから、これは当然こういう規定を設けて、そしてあえて寄与度について云々というのであれば、前項の場合において、ある事業者の事業活動が当該公害について、その原因となる程度が著しく小さいときは云々という規定が入っても、それはそれほど有害でないという議論もあるかもしれませんが、その前段の部分をどうしても民法七百十九条にたよるというのをやめて、繰り返して申しますが、いま言ったような明確な規定にすることはいかがなものでしょうか。その点、もし有害であるというお考えがございましたら、ひとつ御説明いただきたいと思います。
  116. 田中武夫

    田中委員長 これは三先生にですか。
  117. 青柳盛雄

    青柳委員 三先生の中で、そういうふうに直すのはまずいんだ、そういう積極的な、この政府案のほうがまだいいんであって、鉱業法の百九条なように、あるいは公害法研究会やあるいは三党提案のように直すことはあまり好ましくないという御意見がおありの先生方が、これは島津先生を含めてでけっこうでございますけれども、もしおありになりましたら、御説明いただきたいと思います。
  118. 田中武夫

    田中委員長 参考人各位にお伺いしますけれども、どうですか、積極的な……。我妻参考人
  119. 我妻榮

    我妻参考人 黙っているとどういう意味解釈されるかちょっとわからぬからあえて立ち上がりましたが、私は三党案のように七百十九条を持ってこないほうがいいと思うのです。ただ、七百十九条を持ってきても害にはなるまいということで、そのままのんでいるんでありまして、この第三の場合において「損害が二以上の事業者の事業活動によって生じたときは」と言いっぱなしのほうがすっきりしておると思っております。ただ、繰り返して申しますと、七百十九条についての判例理論がだいぶ進んでまいりましたものですから、私がさっき言った昔のオーソドックスの解釈からはだいぶやわらかくなってきましたから、第三の場合において「損害が二以上の事業者の事業活動によって生じたとき」というのとほとんど同じくらいの結果になっておる。だから、害なしという意味で、そのほうがいいとは思っておりません。
  120. 戒能通孝

    ○戒能参考人 私も同じでございます。  ただ、どういう規定を置こうと、自分は寄与していない、自分の責任はないという主張は必ず出てくると思います。したがって、それを裁判所がもし原告を負かそうという意思があれば、これは必ずその主張をいれるだろうと思います。で、問題はやはり四日市の訴訟事件が今後どうなるかというのが一つのポイントだと思っております。確かに、四日市の大気汚染のすべての責任が一〇〇%まで被告の六社にあるとは申せません。何%かは別のところにある。これは間違いない事実だと思います。しかし、何%かの汚染質を出しているものというのは寄与率は初めから非常に少ない。それだけだったならば、おそらく四日市ぜん息という現象は起こらなかったであろうということがいえると思うのでございます。六社が出てきた、あの石原産業のほかに新しく五社が出てきたから問題が起こった、この点は認めて、で請求を認めるかどうかというところに問題がかかってくるのじゃないか。いままでの政府説明などを通しましても、四日市訴訟は原告の勝訴だということを認めているという立場に立って理解すれば、これは七百十九条という規定が書いてあっても書いてなくても、同じ結論になるのじゃないか。書いてあったからといって特別に有害ではないだろう。ただしかし、書いてあった結果、もし有害になるということになったら、これは裁判所自身が企業そのものの一時的利益を保護することによって、企業をいまに全面的につぶしてしまうということを無意識のうちに考えているということになるのじゃないか。いずれにしても、賠償しなくちゃならぬのは時期の問題でございます。そして時期がおくれるほど企業のほうは賠償負担額が大きくなるというふうに感じているわけでございます。
  121. 関田政雄

    関田参考人 日弁連の案はもう明確でございまするでしょうから、主張は明らかだと思います。ただ七百十九条というこの文言を持ち来たりますと、解釈上疑点が生ずると思います。しかし問題点は、そこよりも寄与度の問題です。したがって、寄与度の問題によってしんしゃくする点については、日弁連としては反対です。  ただ、いままでに一つも問題になりませんでしたが、その次の問題、ございますね、被害者に何か過失あるときはしんしゃくする。PCBが含まれておるかもしれないと思いつつ水道の水を飲んでおって、その障害を受けたものはしんしゃくされる、母乳にもPCBが含まれておるということを知りつつ、飲ますものがありませんから飲ましておった、その場合もしんしゃくされるでは、これはお話になりません。この点もひとつ、問題になりませんでしたけれども、非常に酷なる規定だと思いますので、排除していただくようにお願いいたします。
  122. 島津邦夫

    島津参考人 先生の御質問に対しまして申し上げます。  この規定は、やはり複合汚染についての無過失責任について、共同不法行為の適用があるということを明らかにしたということで意味があるんではないかと思います。  それから、共同不法行為がどういう場合に生ずるか、こういう点につきまして、現在の民法裁判所にゆだねる規定だと思いますので、そのほうが適当ではないかというふうに私は考えております。
  123. 青柳盛雄

    青柳委員 もう時間がありませんからおしまいにいたしますが、川崎公害病友の会の会長さん、おからだが悪いところをわざわざお越しくださいましてありがとうございました。もう時間がありませんので、御質問いたしません。  おしまいにいたします。
  124. 田中武夫

    田中委員長 以上をもちまして参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  参考人各位には、御多忙中のところ長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。御苦労さまでございました。  本日はこの程度にとどめ、明十八日木曜日は、午前九時四十五分から理事会、また商工委員会との連合審査会は、両委員長間の協議により、同午前十時から開会いたします。  本日は、これにて散会いたします。    午後三時五十八分散会